入居司玄化 - 滋賀県立大学

滋 賀
県 立
大
学
間
人
文 化
学
音1
1
研 究
入居司玄化
1~.I'I:lIa!
ノ...
~./
BULLETIN
VOL
.
2
3
SCHOOL OF HU M A N CULTURES
THE U NIVERSITY OF SHIGA PREFECTURE
報
止と
r
:
:
J
-もくじ・
巻 頭 言/八木英二 一
・論文
冷えを改善するために 一冷えを予防する食品の効果一
/吉田真由子・灘本知憲
トングウ工の人々の言語使用と言語意識
家庭内での言語使用を中心に
.
.
.
3
.
.
.
9
/藤本麻里子
台湾における外国人労働者の現状
一家事・介護を中心に
/聾 玉 齢
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
/中島順子
.
.1
7
.
.
.
2
7
彦根市における子育て支援のI
見伏
- 0 ~ 3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
/丸津由美子
・
・
4
4
比較の事例 .高齢者問題と福祉国家のタイプ論
ーアメリ力 ドイツ・ス ウエ デン
/小林清一
.
.
.5
3
-研究ノート
退官メッセージに代えて
近代デザインとしての服飾
雲南の食文化に惹かれて
地域から考える生き方と食一
/森下あおい ・・ .
6
5
/瀬戸涼子
.
.
.
6
9
/菅谷文則
7
2
・滋賀県立大学最終講義
シルクロー ド文化を支えたソグド人
- 滋 賀 県 の 考 古 学 第 12回
靖
・
.
.
8
2
/佐々木一泰
.
..
9
4
穴太廃寺に関する調査・研究の現状と課題/仲川
・生活デザインの現場か 5 第 9回
住居設計演習合同課題/デザイン教青
原寸の空間を考え芯がらつくる。
・海外研修報告
アメり力の大型類人猿研究施設の動向に学 1
3
¥
/明和政子 .
.1
0
0
インドヒマラヤの夏
/棚瀬慈郎
1
0
4
隊商都市・パルミ ラの家屋墓調査
/石川│慎治 .
.
.1
06
リー 卜フ 工jレトの建築作品とオラン夕、建築
1
10
/佐々木一泰 一 .
第21回国際血栓止血学会に出席して
/高山博 史 一 .
1
14
・人間文化通信
・ ・ー
ーー ・・
・
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.
.1
15
人間文化セミナー ・
・
… … …ー
・ ・ー
楽座報告 ••••••••••••••••••••
・ー ・
ー・ ーー .
.
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.
.
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ー
・
・
・目
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・・ ・・1
19
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・
・1
2
2
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・
・
・
・
・
・
・・
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1
2
6
2007年度卒業論文・修士論文・博士論文一覧
I
N
FORMATION.
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編集後記
-スケッチをする人・
野外でスケ ッチを する時、開放的な 気分も
重なり 、 グル ープになって話しを愉しみなが
ら姉 く人たち 。 グル ープから離れて、 一人で
対称と向き合う人たち 。 だれにもそれぞれの
能力 が秘められている 。来たしてその成果は
如何にー 。
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サイ ズ 4
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鉛筆 ・水彩.Musecub
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絵 ・文/安 土 優
口
一
一
巻 反
)
¥木 英
人間文化学部 学部長
教育基本法改正後、 1年以上が経過した 。新教基法にあわせて昨年 6月には教育 3法(学校教育法、地
方教育行政法、教育職員免許法)改正もなされた 。変更点は多々あるが、幼・小から大学まで貫く目玉に
学校 (
教員 )評価のテーマが居座っている 。ザンギリ頭ならぬ、平成の猫も杓子も頭をたたけば「ヒョウ
カ、ヒョウカ j の音が出そうな時代である 。では、法律にまで方向づけられる事態にどう立ち向かうべき
か。
ヒョウカは大切で、ある 。 しかし、いつでもどこでもヒョウカが論じられるわりには、暖昧な意味内容が
随分気になる 。それが目標や活動を反省する本来の評価か、又は、「食うか食われるか」の生存競争なのか
で中身がまったく違ってくるからだ。 自主的目標設定(自己評価)が彊われながら、その結果(絶対評
価 ?)を相対評価の生存競争に使うという、意図的 ・無意図的な混同も流行している 。そもそも「競争は
大事j というかもしれない 。 しかし、サ ッカ ー競技 (
擬似戦争) と本物の戦争、あるいはスポーツ競争と
ギャンブル競争が異物であるように、本来の学問競争も「食い合い Jの生存競争とは質が違う (とくに競
争の結果、連帯が生まれるか否かという点で)
。 人類が「食い合い競争 Jの歴史的段階を脱していない根の
深さもあろう 。大学(教員)評価も例外ではないのである 。
本来のヒョウカとは目標に対するものである 。 まず目標を「誰が何のために何をどのように」設定する
かが検討すべき出発点となる 。そして、その目標設定のあり方自体や活動のプロセスすべてについての、
当事者同士の自主的 ・民主的な「反省 ・改善」に生かす点に評価活動の本来の意義がある 。今日の評価論
では、これを形成的評価と呼び、総括的評価 (
評定)の固定化をいましめている 。
また、評価の真の実効性をめざすうえでも、当事者の納得を含む関かれた作成・改善のプロセスが担保
されねばならず、「評価は、学術の同輩が解釈する、研究、教育およびその他の学術的ないし専門的職務に
おける学術的能力の基準にのみもとづく
J(ユネスコ勧告「高等教育の教育職員の地位に関する勧告 J1997
年)観点から作業は行われるべきである 。 もちろん教員間・組織間の共同の意見交換あるいはピア・エヴ
ァリュエーションによって不断の評価の蓄積と更新がなされるはずで、あり、改めて社会的意義が問い直さ
れ、教育・研究の発展を望む立場から「開かれた J評価がなされることになる 。
a
tdogの表現がみられ
しかし、その評価結果を資源配分の「食い合い J(英国のある評価論文でも doge
る)に連動させる新たな事態が起こり始めている 。 「相対評価」の用語がそこで使われたとしても、正しく
は「蹴落とし合い評定」というべきだろう 。「評価」一般の英語には e
v
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nやa
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tがあてられる
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等の用語で、区別される 。「評定 j とは社会的価値づけから
が、「評定Jはr
みた評価用語の一種でもあり、もとより「共食い評定」に限定されるものではない。独特の受験戦争など
悪弊の結果、染み付いた体質が日本の大学(教員)評価でも受け継がれたのか。 とにかく大学レベルでさ
え、中期目標・中期計画それ自体について民主的で共同的かつ冷静な「反省と改善(変更を含む )J をしに
くい現実があるように思う。
資源配分に連動させる背景には評価国家政策の動向がある 。 うわべは自己(反省)評価が言わ れるもの
の、実際には評価政策による統制が強化されているのである 。 たとえば、大学評価・学位授与機構による
次のような認証評価事例をあげてみよう 。
ある大学の「教育方法及び成績評価面での取組J項目についての機構側の評価結果では、「多様な学生構
成並びに少人数授業が多いという事情もあるが、組織として評価の公平性・厳格性の確保の観点から、評
価基準を設定し 、学生に明示する取組が望まれる」と記述された 。 これに対し、大学側のコメントでは、「多
人間文化 ・
様な学生構成並びに少人数授業が多いという事情もあり、組織として評価基準を設定することは困難であるが、
評価の公平性・厳格性が確保されるような取組が望まれる 」 とする統一基準設定の困難性を訴えた 。「…各
授業には関心の上でも背景の上でも多様な 学生が集まる 。 この方針の追及と、一律の評価基準を定めた上で
平成 1
6年度東京大学大学院総合文化研究科・評価報告書、
の相対評価とを両立させることはきわめて困難 J(
下線部引用者)と、大学側は問題点 (
相対評価) を正しく指摘した 。統一基準の押し付けの不合理性を述
べているのである 。
相対評価は長い経緯で批判されつくしてきた感がある 。 したが って、大学評価において、なぜ、選別評価
圧力がここまで執効かについては、新たな市場原理主義・成果主義の政策展開が大きな意味をもっている
点に格別の注意を払いたい 。たしかに、研究費に限らず、大学における社会資源は何時でもどこでも何ら
かの配分方法が求められる 。 しかし、成果主義の生存競争を正当化できるほど、あるいは商品生産と同 一
視できるほど大学の資源配分原理は単純でない 。「人権教育をすれば人権侵害がなくなる」などの笑えない
中期目標が大学で立てられたりもするが、科学的見地からも、教育で結果が決定づけられる成果主義的因
果はありえない。商品生産にたとえる「学生の品質保証Jは笑えない比聡である 。
0
0年の歴史を持
そもそも大学が民間の企業経営になじむかどうかも十分な検討を要する 。「京都企業の 1
つ1
5
0
0
社以上の会社が 1
5
0
0通り以上の経営手法がある J(
重本直利、 2
0
0
6)ように、民間企業が一枚岩の経
営であるはずはなく、成果主義ゆきづまりの現実もある 。 まして万能細胞発見者が研究はほぼ失敗の連続
だと言うように、教育・研究の行為そのものは売り上げの成果主義でランキング相対評価できる代物では
ない。時に商品化が想定できたとしても、ただちに成果物だけで価値を計算しがたい教育・研究活動の複
計4
922大学) が「高等教育は公共的利益 t
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雑さがある 。ユネスコが注目する欧米の 4つの大学連合 (
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ci
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tに奉仕するものであり商品 commodityで、
はない」とした近年の宣言も、このことをふまえて
の認識であろう 。本質的には、因果を定量的にのみ検証しがたい対象の性質に由来するものである 。
近年、認証評価機関が教育評価に力点をおき始めている 。本学で開催された説明会では「教育を評価す
荻上紘一、2
0
0
7)について認証評価機関担当者の率直な言明もあり印象的であった。そ
ることの難しさ J(
の通り難しい作業なのであり、そう理解するのか、又は、初めから「数値評定による格差化を」と突っ走
るかでは天地の開きがあろう 。成果主義評価の信奉者は、パソコンの計算アルゴリズムよりも教育のプロ
セスのほうがはるかに複雑な事態であることに想像力が働かないのだろうか。
学生への影響が気になる 。 とにかく市場競争の圧力と「勝ち組」と「負け組」の社会格差がすさまじい。
加藤周 ーが、「国全体の情熱」をかきたてて改善すべき目標として年頭にワ ーキングプア対策を掲げるなど
(
2
0
0
8年 1月、朝日 )、現実の深刻さを反映しているだろう 。あるスウェーデンの大学を訪問した機会があ
るが、他方では、学費は大学まで無料という日本から想像しにくい現実もある 。単純な制度比較は慎むべ
きだが、社会連帯と公正のシステムが定着しないまま大競争に突入した日本社会で若者の困難が加重して
し
、
る。
日本で対応が皆無だったわけではない 。貧困者にも等しく教育機会は与えられるべきとの文部省方針
(
4
7年教基法下)が戦争直後にあった事実などは忘れてはならない。返還不要の奨学金で大学院修了できた
者は多いが、現在は利子付に切り替えられている 。 しかし、評価を本気で行うというのなら、学費免除制
度の動向を含むあらゆる面で、未来を生きるすべての若者の能力を生かすべく社会正義と連帯の実現をは
かる教育政策をこそ、「情熱をもって」評価すべき時に至っているのではないか。公共性をもっ大学の社会
的役割は大きいはずだ。
以上
2
・人間文化
論文
冷えを改善するために
一冷 えを予防する食品の効果-
吉田真由子
人間文化学研究科 生活文化学専攻 健 康 栄 養 部 門
灘本知憲
人間文化学部 生活文化学科 食 生 活 専 攻
い。
」 とされている
はじめに
中 医 学 に は 『薬 食 同 源 Jと い う 言 葉 が あ る 。
O
症状が長期にわたり、ひど
い場合には日常生活に支障をきたすこともある 。
食べ物と薬物は同じ j
原であるという考え方であ
女 性 の 過 半 数 が 冷 え に 悩 ん で い る と も 言 われ
る。植 物 、 動 物 な ど を 口 に 入 れ る 際 に 、 空 腹 を
ている 。 昨 年 度 本 学 の 女 子 学 生 を 対 象 に 実 施 し
満たすときには「食」、病を治すときは「薬 」 と
た ア ン ケ ー ト 調 査 で は 冷 え 症 の 診 断 基 準 2)にお
して用いるのである 。程 度 の 違 い は あ る が 、 食
い て 、 冷 え 症 と 診 断 さ れ た 人 は 68%。 また、自
べ物には薬理作用など、身体の生理機能に影響
分 が 冷 え 症 だ と 感 じ て い る 人 は 74%、そのうち
を与える性質がある 。 その中の 一 つ に 体 温 に 関
冷 え 症 に 悩 ん で い る と い う 人 は 78%という結果
わるものがある 。 中 医 学 で は 食 べ 物 を 、 身 体 を
になった 。3)若 い 女 性 か ら 中 高 年 の 方 まで、年
温める性質のもの(温熱生)、冷やす性質のもの
代 に 関 係 な く 多 く の 女 性 が 悩 む 問 題 で あ る叩 ま
(
寒涼性 )、 ど ち ら で も な い も の (
平 性 ) に分類
た、冷えが頭痛、月経痛、腹痛、腰痛、めまい、
イライラ、不眠、肩こりなど様々な症状を引き
)
し て い る (表 1。
唐 辛 子 や シ ョ ウ ガ な ど 、 食 べ る と 温 か くなる
起こすこともある 。 冷えは甲状腺疾患や惨原病、
こ と が 体 感 で 感 じ る も の が あ る 一 方、かぼちゃ
心 臓 病 な ど の 疾 病 が 引き起こす場合もあるが、
や 鶏 肉 な ど 感 じ に く い も の も あ る 。 そこで我々
多くは自律神経やホル モ ンバランスの乱れ、血
の研究室では食品を摂取により、実際に身体が
流が悪くなることによると考えられており、現
温まる、あるいは冷える こ とを、体表温を指標
代の生活環境が生み出した弊害ともいえる 。
冷えしようには「冷え性」と「冷え症」 の 2
として確認してきた 。
種類の表記法がある 。「冷え 性」は「冷える性質 、
表 1 中医学における食品の分類
平 性
温熱性
体 質 的 に 冷 え や す い 」 と性質を表す 。 「冷え症」
宰涼性
小量、大査、そ l
i、
車
、
う
る
ち
米 と
う
も
ろ
こ
し│
│
ハ
ト
ム
ギ
じゃがいも、さつまい│
く
│
ず
芋類
│
も、里
芋
大
E、
落
花
生
黒
夏、
そ
│
豆類
ら
豆
、 小豆エンドウ豆 │緑E、E腐
しいたけ、きくらげ、
1
:
大
様、き
ゅ
う
り 、れ
ん
野菜類│カ
ボ
チ
ャ 、総
ぎ、に
ら、
│
春菊、にんじん、キャ│こん、
ご
ぼう も
や
し
、
1
に
ん
に
く
ベ Y、
白
菜
ト
│マ
ト、
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す
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い
か、
びわ バナ
ナ、
な
つ
め、あんず、車、
果
実
類 │
:
1
:
".:"ぶどう、いちじく
ゆず、柿ミカン、キウィ
桃、
梅、さくらんぽ │
同類│羊閃、諮問、鹿肉
│
牛
肉
、
豚
問
明間
なまこ、エピ、タ コ、
│コ
イさ
、 け、
ふ
な
、
イ
カ
、 iアサリ ハ
モ
、
し
じ
み
、
魚介類
カ
ツ
オ、さ
ぱ
│
クラゲ、うなぎ、カキ │
カ
二
酢│白砂糖、酢
│調書類、師、塩 醤
そ
の
他 12 2 4 2 2、
唐辛子黒砂縮からし 1_
"
0,"'
穀類 │
も
ち
米
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は「冷えるという症状」を表す 。 そのため、「冷
え症 」 は 疾 病 の 一 部 と 考 え 積 極 的 に 治 療 が 行 わ
れ、治るものとされている 。 この違いは、西洋
医学と東洋医学の考え方の違いにある 。
「冷え性」
は西洋医学的、 「冷え症」 は東洋医学的に考えら
~_
l
l
1
れるものである 。
西洋医学は、身体を数十億 の細胞が集合した
器官、組織により構成されたものと考えている 。
つまり、皮膚組織に包まれた各種の臓器や筋肉
組織、神経組織、骨組織などが配置されている 。
病気にかかった場合も同様に考え、治療は異常
背景:冷え症
な状態になった部分を正常な状態に戻すことに
近年、「冷え症」が問題になっている 。 冷え症
重点をおく 。 人 体 を パ ー ツ に 分 解 し 特 定 の パ ー
とは、 『医学大事典.1
1) によると
「身体の特定の
ツ だ け に 外 部 か ら の 力 を 加え て 治 療 す る の で あ
部 分 の み を 特 に 冷 た く 感 じ、耐 えがたい場合を
いう 。 部 位 は 腰 部 が 最 も 多 く 、 つ い で 足 部 が 多
2)寺津挺年
漢方医学における「冷え症 j の認識とそ
9
8
7年41
(2
.
)
8
5
9
6
の治療生薬学雑誌 1
3)滋野珠美へスベレチン誘導体摂取が身体に及ぽす
1)医学大事典南 山堂1
9
9
8年
影 響 平 成1
8年度卒業論文
人間文化・
3
冷えを改善するために 一 冷えを予防する食品の効果 一
る。外 科 療 法 、 化 学 療 法 は こ の 考 え に 基 づ い て
て間歌熱の対症薬として使用され、日本では感
いる 。 冷え症も同様に身体の 一部に異常が起き、
冒、頭痛 、 吐 気 、 脚 気 な ど に 効 果 が あ る と し て
それが原因として考える 。現 状 と し て は 、 自 律
用いられた 。
神経の障 害であると診断さ れることが多い 。
一方、中医学を代表する東洋医学では、身体
全体を 1つのまとまりとして考える 。 人間の身
体は絶え聞なく活動 (
変化)しており、身体の
各部分は深くつながりあい、影響を与えている 。
辛味成分はカプサイシン (
c
a
p
s
a
i
c
i
n) であり、
その約 90%は果皮部分に存在し、残りの 10%が
種子部分に含まれている 。
[コショウ]
コショウはコショウ科コショウの果実である 。
実際、人体のパ ー ツはそ れ ぞ れ に 結 び つ い て 活
Fru
c
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sp
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sn
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g
ri
) は未熟果
黒コショウ (
動しており、切り離すことは不可能である 。体
を採集して乾燥させた果実であり、白コショウ
内のパーツがつながり合うことで全体が調整さ
(
F
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i
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e
r
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sa
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b
i
) は成熟果を数日開発酵させた
れ、動態的平衡を保っている 。 中医学における
後、果皮を除いて乾燥させたものである 。
健 康 と は 、 身 体 の 互 い の パ ー ツの関係がスム ー
コショウは世界で最も多く使用されている香
ズで、各部分が滞りなく活動している状態であ
辛料である 。 ヨーロ ッパでは紀元前から知られ
る。 身 体 全 体 の 流 れ の ど こ か に 歪 み が 生 じ た 状
ていた 。 強 力 な 殺 菌 ・ 抗 菌 作 用 が あ り 、 冷 蔵 技
態を病気と考え、体全体の活動のバランスを整
術が未発達な中世では料理に欠かせないもので
えることに治療の重きをおく 。
あった 。 ま た 、 大 航 海 時 代 に 食 料 を 長 期 保 存 す
中医学では、「気 J1
1
1
f
L
J1
水」がバランスよく
る た め の も の と し て 珍 重 さ れ て き た 。 日本へは
体内を巡ることで健康が保たれると考える 。「
気」
中国を経て伝来した 。唐辛子が伝来する以前に、
は“生命のエネルギ一 ¥11
但
血 j は赤い液体“且血1
辛味調味料として現在よりも多く利用されてい
液
た。駆 風 、 解 熱 剤 と し て 用 い ら れ 、 唾 液 分 泌 促
など " を表している 。 この流れが滞ったり、気
進、アミラーゼ活性の上昇作用などが知られて
いる 。
血水が足りなくなった場合に冷え症や、それに
伴う疾病だと診断される 。 よって冷え症はこの
'コショウは辛味成分としてピペリン (
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i
p
e
r
i
n
e)
流れをスム ーズにすることを治療法とする 。 具
シャピシン (
c
h
a
v
i
c
i
n
e) の 2種類を含有する 。
体的には漢方薬を利用するなど、食べ物の力を
借りることになる 。
香辛料
[ショウガ]
ショウガはショウガ手ヰショウガ (
Zingiber
.)の根茎である 。古来、インド、中国
o
f
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c
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n
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eL
では調味料として珍重され、古代ギリシャ、ロ ー
人類が香辛料を使用した歴史は古く、 5万年
以上前の原始狩猟民族の時代にさかのぼるとい
マでも使用されていた 。1
6世紀にはスペイン人が
ジャマイカに植栽している 。日本料理にショウガ
われる 。香 辛 料 の も つ 芳 香 が 獣 肉 の 腐 敗 臭 を 矯
はなじみ深く、魚や肉の臭み消しに利用されるほ
か、梅酢に漬けた紅ショウガや甘酢につけたガリ
臭するのに 利用されてきたと考えられている 。
また、芳香作用、抗菌作用、着色作用、抗酸化
などに加工される 。民間薬の代表的存在であり、
作 用 な ど が 食 品 の 品 質 向 上 に 役 立 っている 。 ま
風邪、胃痛、腹痛の際に広く利用されている 。漢
た、薬理効果があり、様々な面で有用に活用さ
方薬として、頭痛、鼻詰まり、鎮咳、鎮吐、腹痛に
れてきた 。 下 記 に 示 す 香 辛料 は 、 食 品 の 性 質 に
対して効果がある。
よる分類では温熱性を持つものである(表 1)
。
ショウガの辛味成分はジンゲロ ー ル
(
gingerol)、ショウガオ ール (shogaol)、ジン
[唐辛子]
唐 辛 子 に は レ ッ ド ペ ッ パ ー (Capsicum
ゲロン (
z
i
n
g
e
r
o
n
e
) などである 。
今回 NHKの取材に協力して、これら 3種 の 香
.) とタノ〈スコ(c. f
r
ut
e
s
c
e
n
sL
.) の
annuum L
辛料の体温に及ぼす実際の影響を試験すること
2系統ある 。 熱帯アメリカ大陸原産で、コロン
ブスの新大陸発見以後、ヨーロッパに持ち込ま
になった 。 一 般 の 方 に も 参 考 に な る 結 果 を 得 る
れた香辛料である 。 ヨーロッ パでは民 間薬とし
の組断も興味深いので、ここに紹介する 。
4 ・人間文化
ことができたことと、実際に放映された内容と
冷えを改善するために 一 冷えを予防する食昂の効果 一
実験呂的
1
~ 22 0C に保たれた 室内(恒
[実験環境 ]室 温 2
香辛料は温熱作用の効果が表れやすく、日常
温室)
の食生活に取り入れや すいものであるため、冷
えの改善に期待できる 。実際に体表温をil!1]定し、
その変化をみることにより香辛料の温熱作用を
-測定方法
被験者には着替えを済ませた後、恒温室に入
室してもらった 。
体表温は連続的に計測できるセンサーを左首
検証する 。
筋、左手薬指背、左足中指背の 3カ所に貼付け
2
0分 ほ ど 安 静 に し 、 測 定 値 が 安 定 す る ま で 待
実験方法
って測定を開始した 。 測定は座位にて行い、測
・摂取物
定部位は動かさないようにしてもらった 。
対照味噌汁
味噌 1
0
.
8
g、頼粒昆布だし1.0gをカップに入
摂取する 5分前から測定を開始した 。 2分間
0分間測定した(図 1。
)
で摂取し終え、摂取後 6
5
0叫でi
容いた。
れ、湯 1
サンプル:
測定中は軽い 談笑を許可し測定に影響がないと
.
6
g)
唐辛子入り味噌 汁(唐辛子 0
思 わ れ る 幼 児 向 け ア ニ メ ー シ ョ ン の DVD映 像
コショウ入り味噌汁 (コショウ 0
.
5
g)
を視聴させた 。
ショウガ入り味噌 汁 (生ショウガ 1
0
g相当の
絞り汁)
唐辛子、コショウ、シ ョウガの効 果をみるた
結果
体 表 温 の 測 定 値 は 各 測 定 時 聞 か ら 1分 間 の 値
めに、対照の味噌汁に香辛料を添加し、無添
を 平 均 し 、 そ の 時 間 の 体 表 温 と し た 。 データは
加の味n
首汁を含め 4種 類 の 味 n
目汁を用意し
摂 取 前 5分 間 の 測 定 値 の 平 均 を 基 準 と し 、 摂 取
た。
0分 間 そ れ ぞ れ の 値 か ら 減 じ て 温
開始 O分 か ら6
0Cに調整した 0
これらはすべて 6
•t
s
I
J
定条件
0
[
実験時期]平成 1
9年 1
2月
度 変 化 で 表 し た 。 それぞれの測定部位ごとに、
被験者 6名の変化量の平均値をグラフ化した 。
次にそれぞれの部位での体表温の経時変化を
[ 被験者]健康な 19~23 歳の女子学生 6 名
[
服装]上下スウェッ ト、 Tシャツ、靴下
見て行くと、
[
首] 味 噌 汁 の み の 摂 取 で は 首 の 温 度 に 変 化
は ほ と ん ど な か っ た 。香 辛 料 ( 唐 辛 子 、 コ シ ョ
ウ、ショウガ ) 添 加 の 味 噌 汁 は 0
.
5C前後温度を
0
時 間(
分) .
恒温室入室
2
0
1
2
・
測 定 装置 装 着
安静
-5
測定開始
O
試験物摂取開始
試 験 物 摂 取終 了
上 げ 、 効 果 は 1時 間 続 い た 。 首 の 温 度 は 体 温
(熱産生)の影響を受けやすいので、香辛料摂取
によ って熱産生が促進さ れ て い る と 考 え ら れ る
(
図 2- 1)
。 実際に、 3
0分後に摂取前より 首の
体 表 温 が 高 か っ た 人 は 唐 辛 子 で は 6名中 4名
、
、 ショウガ 6名
、
コショウ 5名
1時間後では 唐 辛
子 6名、コショウ 5名、ショウガ 5名であった 。
[手指先] 味 噌 汁 の み で は 一 過 性 に 体 温 が 上
0分 程 度 で 元 の 温 度 に 下 が っ た 。 コ
昇したが、 3
ショウ,ショウガでは 比較的長時間温度 上昇が
続いた 。唐辛子の手指先への影響は小さかった 。
手指先の温度は変化しやすく、体内外の影響
を受けやすい 。 例 え ば 摂 取 前 の 指 先 温 度 が 低 い
と、温められた摂取物の影響を受け易い 。被 験
軍
図1
一
実 験終 了
実験のプロト コル
者 6名の手指先の摂取前平均温度を比較すると、
1C、 唐 辛 子 、 シ ョ ウ ガ で は 2
8C、
味噌汁では 3
0
0
コショウでは 2
6Cであった 。 コショウ摂取時の
0
人間文化・
5
;令えを改善する ために 一 冷えを予防する食品の効果ー
十十汁
嗣州一明
E E噌
入入孔
コ
山
川
汁子、
噌 辛 λt
昧 唐 己 lい
+ +十+
白
目トEEEEEEE﹄
(
υ
制脳同べ
。)﹄ T
F 3 4' E u n u
--nu
摂 取 前 温度 は 他 の 摂 取 物 の 時 よ り 低 か っ た の で
、
温 度 上 昇 が 顕 著 に 出 易 か っ た と 言 える 。 唐 辛 子
0
.
5 ~ 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
摂取による温度上昇は小さか ったが、測定後半
時間 (
分)
に再度体表温が上昇している傾向がうかがえる
図 2-1 摂取後の首温度変化
(
図 2- 2)。 摂 取 30分 後 に 摂 取 前 よ り 手 指 先 の
1
0
l時間後では、
ι
4
ι
内
,
名 、 シ ョ ウ ガ 3名 と 、 大 半 の 被 験 者 に 香 辛 料 摂
取による温度上昇が観察された 。
{
U。
)垣則問削四九
コショウ 4名
、 シ ョウガ 5名
、
味 噌 汁 の み で は l名 、 唐 辛 子 4名 、 コ シ ョ ウ 4
十十汁
官官噌
問中劇肺
のみであ った の に 対 し 、 唐 辛 子 で は 6名中 2名
、
M M引
汁子方山山
噌辛, A
昧 唐 口口
し
町
++十+
体 表 温 が 高 か っ た 人 数 は 、 味 噌 汁 の み で は 1名
。はも
[足指先]味噌汁のみの温度上昇は 1人 の 被
験者
2 ド一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一 一一一一一一一一一一一一一一一一一一
時間(
分)
(
F)に よ る も の で あ っ た (図 3一 1。
) ま
4
た、ショウガでの温度上昇は 2名 (
C,
E) による
図 2-2 摂取後の手指先温度変化
白日曲目増
十十汁
刷刷附
川一川川
十字 aつ
h 方
。
った (
図 2- 3)
昧唐己し
取では大きな温度変化を示した被験者はいなか
砥辛﹂凸
++? ?
ものであった (
図 3- 2)。唐 辛 子 、 コ シ ョ ウ 摂
~ 3
考察
ム
コ
扇
手足指先の温度変化は、実験開始時の皮膚温
をはじめ、体内外の影響を受ける 。 しかしなが
2
世
田
堅 1 e一
一
。
ら、少なくともショウガ、コショウは多くの人
で 指 先 温 度 を 上 昇 さ せ る と 考 え て よ い 。 これは
図 2-3 摂取後の足指先温度変化
エ ネ ル ギ ー 産 生 の 促 進 に 加 え て 、 末 梢 血1流 の 促
進効果が加わったためと考えられる 。
3
5
唐辛子、コショウ、ショウガの辛味成分の摂
これらの作用が今回は
内
ι
内
,
ではコショウやショウガほどの効果がみられな
の乙内
1
1
9 7ζ5 ζ3
とが報告されている 。
首 、 手 指 先 に 表 れ た も の と 考 え ら れ る 。唐 辛 子
)
岡
山
明 MS
(U
。
取が交感神経を刺激し、体熱産生を促進するこ
かったが、測定の後半には体表温が上昇してお
1
9 e一一一一
り、長時間の温熱作用があるものと考察される 。
1
7
また、座位では香辛料の効果が足指先に表れ
摂取前
ることはまれにしか認められなかった 。今回の
実験環境において、座位での状態は足指先が冷
えやすくなっていたこともあり、体表温が変化
摂取後 10分療取後 30分侵取後 60分
図 3-1 昧噌汁摂取時の足指先温度の変化
35
3
3f
-一
しやすい手指先に比べて、足指先では全体的に
られる 。 し か し 、 シ ョ ウ ガ 味 噌 汁 摂 取 時 に は 6
(
ρ
)
よって、摂取による影響に 差が出たものと考え
9753
2222
開制設
変化が少なかった 。個人の微妙な体調の違いに
一
一
一
一←ιぶ
ー
ー
ー
ー
ー一
一
一
1
9 f
1
7
4)河田照雄
学的研究
香辛料辛味成分の機能に関する 栄養生化
9
9
2年4
5
(
4
)
3
0
3
3
1
2
日本栄養 ・食糧学会 1
6 ・人間文化
摂取前
図
額取後 1
0分
限 取 後 30
分
•
接取後 60
分
3-2 ショウガ摂取時の足指先温度の変化
冷えを改善するために
冷えを予防する食品の効果
人中 2人 の 足 指 先 の 体 表 温 が 上 昇 し て い る こ と
から、全く効果がないとは言い切れない 。
今回の実験では単回摂取を行いその後の体表
〈ト・手指先
o 21 ----~一一一 一 一一一一一一 二:おあり
温変化を測定したが、これらの香辛料を日常的
に食事に取り入れることによって、冷えに効果
があるのではないかと考えられる
G
今 回 の 実 験 で は 、 代 表 的 な 香 辛 料 3種 類 を 試
側 1
生H
。
験食として用いた 。 どの香辛料も、対照である
置を上昇させる効
無添加の味噌汁に比べて体表j
果 を 確 認 で き た 。 有効成分はそれぞ、れの辛味成
図 2-2 摂取後の手指先温度変化
分 で あ る と 考 え ら れ る 。 で は 、 こ の 3種 類 の 香
辛料の中ではどれが一番効果的だろうか。香 辛
l
吻合 部) を 聞 き 、 指 先 j
昆度が30分 以 降 に 仁 昇 し
料の摂取量の設定は、日常に利用可能な量を目
始める、というものであった 。 この考察は必ず
安としているが、これらに含まれる辛味成分の
しも間違っているとは言えない 。 首温度と AVA
量は 一 定 で は な い 。 よ っ て 直 接 3種 を 比 較 す る
の関係は指摘の通りと考えられるからである 。
ことはできない 。 また、吸収率の問題がある 。
し か し 、 香 辛 料 3種 の 体 表 温 に 及 ぼ す 影 響 を
ラットを用いて、それぞれの辛味成分の吸収率
見た今回の実験の全体像が全く紹介されていな
では、腸管で大半が吸収さ
いため、データ提供側から見ると、違和感を禁
を計測した報告
5) 6)
れている 。 今 回 の 摂 取 形 態 は 成 分 の み を 取 り 出
じ得ない 。 我 々 が 付 け 加 え た い こ と は 、 シ ョ ウ
し た も の で は な く 、 あ く ま で 食 事 の 中 の 1つの
ガやコショウにも同様の作用があるとともに、
食材である 。 吸 収 速 度 や 吸 収 率 が 食 品 に よ り 異
冷えの改善には末梢血管の拡張(収縮緩和 ) に
なる上に、摂取する人自身の個人差がある 。 こ
よる.uI
l
流改善効果も重要な要素になることであ
れらの香辛料には身体をあたためる効果がある
る。 体 熱 産 生 が 促 進 さ れ る と 同 時 に 、 手 足 な ど
ということを知識として頭に置く程度が良いだ
の末梢部位の血流が改善されれば、冷えてつら
ろう 。 個 人 の 晴 好 の 問 題 も あ る た め 、 日 常 の 食
い部位に直接温かい血液が流れ込み、温熱効果
事に無理なく取り入れることが望ましい 。
はより期待できる 。唐 辛 子 だ け が 冷 え に 効 果 が
ある香辛料ではないのだ。実際に、首や手指先
NHKの取材にあたって
の体表温は唐辛子より、コショウやショウガの
実 の と こ ろ 、 前 述 の よ う に 今 回 の 実 験 は NHK
方が摂取後に上昇している(図 2- 1,2)
。 テー
の 情 報 番 組 か ら 依 頼 が あ り 行 っ た も の だ 。 テー
マに従えば、今回の実験ではショウガやコショ
マ は 「 発 見 1冷 え に 打 ち 勝 つ 食 事 法 」 である 。
ウの方が実際には効果があったことに触れるべ
実験の全体はこれまでに紹介したとおりである 。
きではなかったか。
し か し 、 実 際 に 放 送 さ れ た も の は 、 図 2- 1、
2- 2か ら 唐 辛 子 に 関 す る 部 分 の み を ピ ッ ク ア
ップしたものであっ た(図
4)。
これまで、テレビ放送における情報の誤りや、
誇 張 し た 内 容 、 担 造 が 問 題 に な っ て き た 。今回、
我々の研究に関わる情報を提供したが、すべて
放送内容は、唐辛子を摂取すると、辛味成分
の伝えたい情報は放送されなかった 。 放送時間
による体熱産生の促進が起こり、首の温度が
や視聴者にわかりやすく説明する上での番組制
徐 々 に 上 昇 す る ( 摂 取 後30分ごろから )
。 首温度
作側の都合があり、やむを得ない状況もあるだ
の上昇が指先への J
IIl流を制御する AVA (
動静脈
ろう 。 し か し 、 特 に 科 学 的 な 情 報 を 取 り 扱 う テ
レビ番組を視聴する際には、元々の発信者から
の直接の情報ではなく、人の手が入ったものだ
5)Kawada.T
.
.Suzuki.T
.
.Takahashi.M
.
. and I
w
a
i.
K
Toxico
.
1App
.
1Pharmacol
.7
2
.4
4
9(
1
9
8
4
)
6)K
a
w
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d
a
.
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.YamamotωO
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凶
0.
1Med l
悶8
8.
2
2
9付
(
1
銘
98
劫
8
川
という意識が必要である 。私たちが利用する食
べ物に関していえば、それらが持つ身体に与え
る影響は小さなものである。しかし、常識では
考えられないほどを食べ過ぎれば、予期せぬ健
人間文化・ 7
冷えを改善するために
冷えを予防する食品の効果 一
康 被 害 に あ う か も し れ な い 。 ある効果を期待し
て食品を摂取する場合、適量を日常的に続け、
参考文献
・藤淳史子、灘本 知主主、伏木 亨 ・ シ ョ ウ ガ 摂 取
おいしく楽しく食事をとることが重要である 。
がヒト体表温に及ぼす影響
これさえ食べれば、健康になるという夢のよう
学 会 誌2
005年5
8(
1
)3
・9
な食材は存在しないのである 。
日本栄養 ・食 糧
-新居裕久、{児 i
焼、中山佑子:薬膳で治す
しく食べて健康づくり
おい
1
9
9
0年
建吊社 2
003年
時事通信社
おわりに
・徳井教考:薬膳と中医学
冷え症の原因は現代の生活習慣が深く関わっ
.h
t
t
p
ゾ/
www.yakuzenro.
j
p
/
nyumonl
nyumo
n_
t
o
p
.
h
t
m
ている 。 運 動 不 足 に よ る 熱 産 生 不 足 や 、 夏 の 強
-医 学 第 事 典 南 山 堂 1
998年
い冷 房 ・冬の薄着などによる体温調節が正常に
-岩 井 和 夫
、 中谷延二
行えないことに起因する 。今回の実験では、香
f
i
'tめることが
辛料が体熱産生を促進し体表温を i
わかった 。 た だ 温 か い 味 噌 汁 を 飲 む よ り も 、 こ
れらの香 辛料 を 添 加 す る こ と で 、 体 表 面 の 温 か
さが長時間持続する 。 今回は、 実 験 を行いやす
香辛料成分の食品機能
1
9
8
9年
光生館
・リュシアン・ギュイヨ:香辛料の世界史
水社
-秋葉有生、渡溢賀子 ;NHKきょうの健康 2
004
年1
1月
い味 1留汁を用いたが、香辛料はどんな食材とも
-中野弘一 :NHKきょうの健康 2
005年 1
2月
相性が良いため、食事の中に取り入れ易い o ま
-西 村 真 未 : 体 を 温 め る 飲 み も の
た、ショウガはショウガ湯などとして休憩時に
も利用することができる 。 こ れ ら の 香 辛 料 を 上
r
守田真由子:身 体 を 温 め る も の
卒業論文
制することができ、 QOL (生活の質)の向上に
期待できる 。 し か し 、 食 生 活 以 外 の 生 活 習 慣 に
冷えの原因がある場合、そちらも改善していか
ない限り冷え症の完治は難しい 。 冷え症は体内
循環が正常に行えない状態である 。食習慣、生
活習慣を見直し体調を管理し、より自らの健康
に意識を持つことが大切である 。
8 ・人間文化
平成 1
6年 度
卒業論文
手に生活の中に取り入れていくことが、冷えの
改轄につながる 。 身 体 を 温 め る こ と は 冷 え を 抑
白
1
9
9
7年
7年 度
平成 1
.i
寅野珠 美 : ヘ ス ペ レ チ ン 誘 導 体 摂 取 が 身 体 に
及ぼす影響
平成 1
8年度卒業論文
論文
トングウェの人々の言語使用と言語意識
一家庭内での 言語使用を中心に
藤本麻里子
人間文化学研究科生活文化学専攻博士後期課程
1.はじめに
て表され、アルファベットはゾー ン、数字は近縁な
1-1 タンザニアにおける国語と部族語
言語ほど近い数字で表される 。ベンデ語は F.
l2
、ト
タンザニア連合共和国 (TheUni
t
e
dR
e
p
u
b
l
i
co
f
ングウェ語は F.
l1と表される 。ベンデ語とトングウ
Tanzania) は
、 1961
年に 旧宗主国のイギリスから
ェ語は諾棄の遠いや語尾の違いのみで、 一言語の方
独立した 。初代大統領のジュリアス・ニエレレが
言であるとの見方もされている(阿部.2
0
0
3
.2
0
0
5)
。
1967年のアルーシャ宣言でスワヒリ語を国語と定
しかし、アフリカ諸国ではヨ ーロッパ諸国の植民地
め、さまざまなスワヒリ語普及推進政策が実施され
政策により恋意的に引かれた国境線により民族が分
た。その結果、現在では国民のほとんどがスワヒリ
断されたり、異なった政治組織の形成などにより互
語を理解し話す。他方、タンザニアにはおよそ 1
3
0
いに別部族と意識するようになった経緯があったり
の部族が存在し、各部族は固有の言語を持つ。 した
する 。同一言語でも別の名前で呼ばれる、あるいは
がって現在、国民の多くが自らの部族語とスワヒリ
彼ら自身が同 一言語と認めたがらないなどの理由か
語の二言語使用者である 。 タンザニアのみならず、
ら別 言語と分類せざるを得ない状況もある (
梶.
アフリカ諸国では国語、旧宗主同の言語、部族語な
2005)
。 トングウェとベンデは言語としては同 一言
ど複数の言語を話す多言語使用が一般的である (
砂
語の方言 との見方が妥 当であるとの意見もあるが、
野 2
0
0
0
; コツェー.2
0
0
5
;梶
, 2005)
。 タンザニアは
ヨーロッパ諸国の言語を公用語、国語とする他のア
フリカ諸国とは異なり、アフリカ由来の言語である
本稿では彼らの自称を尊重し、前者の部族をトング
ベンデ語ともに文字 をもたない無文字言語であり、
スワヒリ語を国語として囲内全域に浸透させてき
書物や文書は残されていない。文字をもたない言語
ウェ、 言5
昔をトングウェ語ーと l
呼ぶ。 トングウェ E
、
昔
た。 この政策が評価される一方で、スワヒリ語によ
については、その正書法の確立自体が大きな課題で
って存続を脅かされる部族語が存在する (
Legere.
ある 。ベンデ語の表記法は記述言語学の専門家によ
1
9
9
2)。いくつかの部族語に関しては、部族語とス
って、試案が作成されている(阿部.2006)
。
ワヒリ語の関係が調査されている (
米国. 1
9
9
7
;小
森
, 1
998)
。
2 研究背景
約 130ある部族の中には人口 100万を超えるスク
マ、キリマンジャロ山の麓に住むチャガなど比較的
2-1 調査地
本研究の調査地は、 主にキゴマ州のタンガニイカ
大きな部族集団もあれば、人口数万の小部族も存在
湖岸の 3つの村とその周辺の 4集落である 。 タンザ
する 。本研究の対象である トングウェは、タンザニ
ニアの行政区は大きなものから州 (
Region)、県
ア西部のタンガニイカ湖付近のキゴマ州およびルク
(
Distri
c
t)、 郡 ( Di
vi
sion)、区 (
Ward)、村
ワ
ナ│
、│に居住する、人口 2万人前後の小部族である 。
(
V
ilage)、村区 (
Ki
t
o
n
g
o
n
i
) となっている 。調査
彼らの部族語は トングウェ諾と呼ばれ、ニジエー
した 3つの村 (
Vi
l
lage) はKal
ya、Kashagu
lu、
ル・コンゴ語族のうちのパン トゥ諸諸に分類される
Bu
h
i
nguで
、 2002年の人口調査の結果では、それぞ
(
Gre巴nberg,1
9
6
3)
。
1-2 トングウエとベンデ
トングウェの人々はタンザニア西部のキゴマ 州に
れ人口が4582人
、 5323人
、 4594人である (
The
Uni
t
e
sRepubl
ico
fTanzania,2
005)
。 これらのキすに
は トングウェ以外にもハ、フィ ーパ、ニャムウェジ、
など多くの部族が混在している。タンザニア政府は
多く居住するが、キゴマ 州の東に接するルクワ州に
1
967年から実施した強制移住政策(ウジャマ 一村政
は、ベンデと呼ばれる部族が居住している 。 このト
策)により、広野に散在してい た国民を幹線道路沿
ングウェとベンデは生活様式、文化、言語のほとん
どを共有しており、かつ ては 一部族だ、ったと考えら
村には様々な部族の人々が共存 している 。他方、 4
れている(伊谷, 1
9
8
4
;阿部,2005
)。パン トゥ諸語
つの集落は行政区では村区 (
K
it
ongon
i)にあたる o
は慣習的にアルファベッ トと数字 2桁を組み合わせ
Rufubu、l
bol
el
o、Kanpi
s
a、Bugal
abaは、ほ l
ま
ト
いなどの村に移住させた(雨宮, 2003)
。 このため
人 間文 化 ・
9
トングウ工の人々の言語使用と言語意識一家庭内で、
の言語使用を中心に
表 l 調査地、年齢、性別ごとの回答者数
ングウェのみからなり、 村 区の人口は不明で、あるが、
かなり小さな集落である o これら村区では、
トング
写官官
調査地
ウェの人々が昔ながらの生活様式を維持していて、
基本的に家族のみで生活している 。隣家 まで歩いて
村
Ka
l
y
a
Kashag
ul
u
Bu
h
i
ng
u
村
区
K
a
n
p
i
s
a
I
bol
el
o
R
u
f
u
b
u
i
!
:
a
l
a
b
a
Bul
2
0
分以上、ときには 1時間近 くかかることもある 。
地理的にも村の中心部から離れていて、人の出入り
は限られている 。
11-2
0
歳
男
女
男 女 男
女
合計
女
1
5
2
0 2
7 3
8 3
1 2
1 1
8
1
2 1
8
1
2
2
0 1
9
0
1
4 7
9
4
3
3
7 4
6 7
0 7
1
1
5
1
7
2
5
27
5
0 396
3
1
合計
21-3
0歳 31-49歳 5
0歳 以上
男
5
0 4
1
2-2 調査の目的
筆者は、 2
0
0
5
年から 2
0
0
6
年にかけて実施したマハ
レ山塊国立公園におけるチンパンジ ー調査の際、調
i)両親 とは何誌で話すか
「両親とは何語で話 しま すか」 という向いに対す
査助手である トングウェの人々に言語使用に関する
る回答を年齢別に図 1に示した。5
0
歳以上の人々は
簡単な聞き取り調査をおこなった 。その結果、高年
9
7
.
8
%(
8
8
/
9
0)が トングウェ語のみを用いると答
層と中年層、若年層ではスワヒリ語と トングウェ語
えている 。 しかし、年齢層が下がるにしたがい、
の使用頻度や運用能力に大きな違いがあることに注
ングウェ語で会話すると答える人の割 合 は低下し
0
0
7)
。 そこで、
目した (
藤本. 2
トングウェ語がど
「トングウェ語とスワヒリ語を両方使う J
、もしくは
の程度次世代に継承されているか、現状を把握する
「スワヒ リ語で会話する 」 という回答の割合が高く
ト
必要があると考えた。今回の調査は、年齢層ごとの
なる 。父母で別言語という 回答は、父がトングウェ、
言語使用や言語運用 能力 、言語に対する意識を調査
母が別部族の場合に 、父 とはト ングウェ語、母とは
する ことを目 的と して実施し た。
スワヒ リ語などの回答の場合であ る。「わからない」
は、幼いときに両親が亡くなっ たのでわからないと
2-3 方法
いう場合だ‘
っ た。
各年齢層の人々の言語に対する意識を調査するた
図中には反映さ れていないが、父親がトングウェ
め、インタビュ ーによるアンケ ート 調査を 実施した。
で母親が別部族の場合、その年齢層が高いほど 「
両
質問項目は巻末の付録を参照されたい。 これらのイ
親とも トングウェ語で話すJ
という回答が多かった。
ンタビュ ーは全てフィ ール ドノー トに即時記録する
しかし年齢層が低い人々で父が トングウェ、母が別
とともに ICレコ ー ダに録音した。村、村区ともに、
部族の場合 「
父とは トングウェ語、母とはスワヒリ
主に戸別訪問に よって、 また市場等の人の集 まる場
語」 などの回答が見られた。
所において、
トングウェの人々のみを対象にインタ
ピュ ーを実施 した。 さら に、 トングウェの人々の民
話、民謡を収集する ことも トングウェ語お よび トン
5
0歳 以上
9
1
3
1-4
9
厳
1
2
1
グウェの人々の文化 を保持する上で重要で、あるた
め、民話、民謡の収集も併せて行なった。
3
. 結果
3-1 アンケー ト結果
3
96
名の自 称ト ングウェの人々から回答を得た 。
インタピ ュ一対象者の人数を 、調査地、年齢層 、性
別によ って分類 し、表 1に示した。本稿で は主に 、
2
1-3
0
腹
1
1-2
0
歳
。%
2
5%
50%
75%
1
0
0%
図1
トングウェの 人々の家庭内で の言語使用 とト ングウ
ェ語お よびス ワヒリ 語の両言語に対する意識つい て
報告する 。
u)兄弟とは何語で話すか
「
兄弟 とは何語で話 しま すか」との質問に対する
回答も 、 i) と同様、年齢層が下がるにつれスワヒ
リ語の利用割合が高くなった。 「わからない」は兄
1
0 ・人間文化
トングウ工の人々の言語使用と言語意識←家庭内での言語使用を中心 l
こ
表2
弟がいない、もしくは幼いときに亡くな った場合だ
った (
図 2。
)
よく理解する
少し理解する
トングウ工語を聞いて理解できるか
11-20歳 21-30歳 31-49歳 50
歳以上
65
1
1
1
120
90
2 o
翠盤できない
5
0
歳以上
金量
9
1
68
116
o
0
1
2
1
金
主
土
386
3
9
1
396
歳
31-49
21
-30
1
量
v) 何語が好きか
1
1-20
歳
の年齢層の人も 「トングウェ語が好き 」 という回答
「
何語が好きですか」 という質問に対しては、ど
。%
25%
5
0%
7
5%
が多く、年齢層 による違いはあまり見られなか った。
1
0
0%
これは日頃あまりトングウェ語を使用しなくなりつ
図2
つある 若年層 で も、 トングウェ語を好む気持ちを持
っていることを 示 している 。 この質問のあとに 「な
ぜですか ?Jと尋ねるとトングウェ語が好きと 答 え
た人 のほとんどが 「私の 言語 (
部族語) だから 」
。
i
l
i) トングウェ語をしっかり話せるか
「トングウェ語をしっかり話せますか」 という質
と回答した。中には 「あなただって日本語が好きで
問に対しては、 50歳以上の人々は、ほほ全員「 よく
しょ 。だってそれがあなたの部族 (
アイデンテ イテ
話せる 」 との回答だ‘
ったが、年齢層が下がるにした
ィ)だから 。私たちだ って自分の言語が好きなのよ 。
」
がって 「
すこし話せる」ゃ「話せない」の割合が高
と言い返す人もいた 。
くな った (
図 3)
。
5
0
歳以上
│
1引
5
0
歳以上
3
1-49
歳
31
-4
9
慮
〈/
ノ
ラ']""1
12
1
21
-3
0
歳
21
-3
01
量
1
1-2
0
歳
1
1-2
0
臆
//////パ
0%
2
5%
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
11
11
5
0%
7
5%
。%
1
0
0%
25%
5
0%
75%
1
0
0%
図4
図3
i
v
) トングウェ語を開いて理解できるか
「トングウェ語を聞いて理解できますか」 という
質問に対する回答を表 2に示す。 この質問に対して
は、どの年齢層の人も 95%以上が「よく理解できる 」
と回答し、 「
少し理解する」ゃ「理解できない 」 は
ごく少数だった。 また調査中に、「子供に対してト
ングウェ語て、
話しかけてもスワヒリ語で答える 」 と
話す人がとても多かった。 これらから、
vi)なぜ若者はトングウェ語を話さないのか
「なぜ若者はトングウェ語をあまり話さないので
すかJとの 質問に自由に回答してもら った結果を図
5に示す。最も多か ったのは「部族が混じ って住ん
でいる環境のせい 」 というものだった 。次に、 「ス
ワヒリ語が国語となったから」ゃ「スワヒリ語に力
があるから 」 という、スワヒリ語を原因とする回答
トングウェ
だった 。「
両親」 という回答には高年層の人は 「両
語を話さない、または話せない若年層でも、開けば
若
親が子供に教えないから j と回答し、若年層は 「
者は両親とい っ しょにいる時聞が少ないから Jや
理解していることがわかる 。
「両親とい っ しょにいるのが好きじゃないから Jな
どがあげられた 。 "少数派"の項目には 「トングウ
人間文化 ・ 1
1
トングウェ の人々の言語使用と言語意識一家庭内での言語使用を中心に
ェの人数が少ないから」という回答が含まれる 。 ま
た、“その他"の回答には「 トングウェ語を知らな
いから 。
j や「ラジオや音楽の影響」が含まれる 。
5
0歳以上
3
1-49
歳
この質問から多くの人が、多部族が混じって住ん
でいることを理由に挙げた。 しかし、
トングウェの
みからなる村区に住む人々の中には、「若者もトン
グウェ語を話す」 という回答が時々みられた。村区
21
-30
歳
1
1-20歳
で、多かった回答は、「学校に行くから 」 だ、った 。村
区には学校がない場所もあり、村の学校までは遠い
図B
ことや、農作業などの家業の人手のために学校に行
かない子供が多いことが影響している可能性があ
る。 この質問は調査地 (
村か村区か)や、学歴によ
3-2
って回答が変わる可能性が高いので、今後回答者の
属性による分析を行なう 。
民謡の収集
今回の調査で約 9
0曲の民謡を収集した。全てにつ
いて、
トングウェ語の歌詞、スワヒリ語訳(日本語
への翻訳可)、歌の背景、意味などを開き取り調査
した。それらのうちの多くは彼らの伝統儀礼である
5
0
歳以上
ンゴマの際に歌われる 。 ンゴマとは太鼓を用いた歌
. 部族混合
2
1
1仁コ 国語語
Q 学絞のせい
l
"
2
l両親のせい
日】 好きじゃ主い
1
6 沼 小型漏
にコ若者も話す
囲 わからない
3
1-49
歳
1
[
2
1-3
0
1
賓
6
s
l
[
コその他
1
1-2
0
1
瞳
と踊りによる儀礼で (
藤 本,2007)、病気の治療、
結婚式の宴、悪霊被い、などその儀礼の目的によっ
ていくつかのジャンルがあり、各ジャンルに適した
歌が歌われる 。 また民話と対になった民謡もあり、
民謡自体にスト ー リーのあるものも存在する 。 これ
ら民謡中にはスワヒリ語はほとんど登場しなかった
。%
25%
50%
7
5%
1
0
0%
図5
が、明らかにスワヒリ語の単語が登場するものが数
曲存在した。伝統儀礼は部族語の使用領域として比
較的最後まで残る領域といわれている(小森。
v
i
j)も し トング ウェ 語が消滅 したら問題だと思う か
1
9
9
8)。 しかし、今回収集した民謡は、すべて 60歳
「もしトングウェ語が消滅したら問題だと思いま
以上の高齢者から得たものだ、った。若年層の人々か
すか」という質問に対する回答の結果を図 6に示す。
らは民謡を収集するのは困難だ、った。 トングウェ語
この間いに対しては、どの年齢層の人々も問題であ
の民謡については、これまでにもその歌詞が紹介さ
るという回答が多かった。話せるかどうか、日頃使
9
7
3
)。 しかし、前述のと
れたことはある(西田, 1
用するか否かに関わらず、
おりトングウェ語自体が文字をもたないこともあ
トングウェ語が消滅した
ら問題だと考える人が多かった。ただ、これは調査
り
、
者が質問したからこのような回答となった可能性が
ない。そこで、本稿では今回収集した民謡から 1曲
ある 。 なぜなら、質問の意味を理解してもらうのに
について、
トングウェ語の歌詞が詳細に記述されたことは
トングウェ語の歌詞とその意味を紹介す
かなりの時間を要し、そんなこと考えたことがない
る。 ただし、これは筆者がアルファベットにより便
という人が多かったからである 。筆者が時間をかけ
宜的に記述したもので、正確な表記法および、阿部
て質問の意図を理解させた結果「問題だ」と答える
(
2
0
0
6
) に則っているわけではない。
人が多かった。 また 、 トングウェのみからなる集落
では「そんな ことあり得ない」という人に何 度も出
邪術師に関するある民謡
会った。全体の人数は少ないが、村よりも小集落に
[トングウェ語]
住む人々は トングウェ語を日常的に用いており 、消
※
滅するなどあり得ないと考える傾向があるようだ。
1
2 ・人間文化
1Wa
l
ekakut
ong
awanduwa
l
aw
a
l
il
anomungu
benoobewaka
f
wab
e
n
g
i
(
※ l、 2回繰り返し)
※ 2Wa
j
akupi
gat
o
t
al
i
n
aBant
u bogwakeehaga
トングウェの人々の言語使用と言語意識一家庭内での言語使用を中心に
村
用頻度が高いことを報告している 。筆者は Kalya
noonoem
i
k
u
l
ij
ak
u
b
u
u
k
i
l
a
(
※ 2、 2巨│繰り返し)
において、 一家の主人がトングェの 4
0歳代の男性で、
※ 3W
alekakutonga wal
ekakutonga wanduwala
w
a
l
i
l
anomungubenoobewakafwab
e
n
g
i
4
0歳代のハ族の第一婦人、 20
歳代のトングウェの第
二婦人と 9人の子供たちからなる 一家のお宅に 2ヶ
月ホームステイした。 この家に、 主人の母親でトン
[日本語訳]
グウェの高年層の女性が訪ねてきて 2週間滞在した
※ 1 苦しむのはやめろ 。泣くがいい、神とともに 。
時期があ った。 この時期には、家族内の会話中にト
お前はすでに多くの人々を殺してきた。
※ 2 お前が殺した人々の御霊が目覚め、犠牲者が
ングウェ語の利用頻度が高くなり、この女性が滞在
していなかった時期には毎朝スワヒリ語によって交
わされていた朝の挨拶が、
一体何人にのぼるか数え始めた 。
※ 3 苦しむのはやめろ、苦しむのはやめろ、泣く
トングウェ語で、行なわれ
た。 このように、家庭内に高齢の年配者がいる場合
がいい、神とともに 。お前はすでに多くの人
といない場合で、 言語使用が大きく変わると考えら
を殺してきた。
れる 。
また、先に述べたとおり、
[
歌の背景]
この歌は、 トングウェの人々の閥で強く信じられ
トングウェ語とは方言
程度の違いであるといわれるべンデ語についても、
。ベ
その 言語状況が報告されている(阿部. 2005)
ている、邪術師に関するものである 。邪述師は草木
ンデの人々もトングウェの人々と同様、都市部や多
などから作る様々な薬品や、あらゆる手段により
部族が共存する村の中心部より、山の中での生活を
人々を病気にしたり、人々の命や持ち物、金銭など
好む傾向がある 。そのため、原野で伝統的生活を維
を奪ったりする力があるとされている 。 この歌は、
持している人々が比較的ベンデ語の運用能力が高
邪術師が病気になり苦しんでいる様子を見た人々
9
6
8年のアル ー シャ 宣言以後に生ま
く、都市部では 1
が、その邪術師に対して言っている 言葉を歌った歌
れた世代でベンデ語を自由に扱える人は皆無に近い
である 。 トングウェの人々の邪術や伝統医療に関し
。今回の調査で、ベンデと
とされる (
阿部. 2005)
ては、これまでに多くの研究がなされている(掛
0歳以上とそれ以
同様トングウェでも、 5
谷
, 1
9
7
4,1
97
7
.1984.1
9
9
4
;Kakeya,1
9
8
2)
。今後さ
グウェ語の運用能力に大きな遠いがあることがわか
Fではトン
らに民謡、民話を記述し保持していくことがトング
った。ベンデ、
ウェ語およびトングウェの文化を保持する上で重要
普及 ・
推進政策が強力に推し進められたタンザニア
トングウェに限らず、スワヒリ語の
である 。
では、多くの部族誇がこのような状況にあると思わ
れる 。特にトングウェ、ベンデなどの小さな部族は
4
. 考察
多部族が共存する都市部や村落では少数派となり、
4- 1 トングウェ語の使用状況と年齢層
その部族語の維持が困難になると考えられる 。
アンケ ート により、若年層ほどトングウェ語の会
話能力が低く、両親や兄弟との会話にもトングウェ
4-2 部族語に対する意識と民族的アイデンティ
語よりスワヒリ語を用いる人が多いことがわかっ
アイ
19
9
2
) は、タンザニアの言語状況を、
た。 Batibo (
1)部族語 (L 1) の単一言語使用段階、
2)部族
言語使用や会話能力とは関係なくトングウェ語が
消滅することは問題であると感じている人々が多
語 (
L 1)が優勢な 2言語使用段階、 3)部族語以
く、また多くの人がトングウェ語を好んでいること
外の言語 (
L 2)が優勢な 2言語使用段階、 4) L
が示唆された。その理由として多く挙げられたのが、
Iの使用と運用能力が限定される段階、 5) L 1が
L 2の下層となる段階の 5段階に分けている 。今回
の調査で、 トングウェ語は恐らく第 4段階もしくは
「部族を尋ねられてトングウェだと答えても、
トン
グウェ語を話せなければ トングウェとは認められな
い。
」 という意見だ、った。民族的アイデンテイテイ
第 5段階にあることが示唆された。米国 (
1
9
9
8
)は
、
と部族語は不可分であり、
家庭内で年配者とは部族語の使用頻度が高く、中年
て
、
トングウェの人々にとっ
層とは頻繁にスワヒリ語 と部族語のコ ード ・スウイ
要であることがうかがえた。 また、部族語が話せな
ッチが起 こり、若年層との会話ではスワヒリ語の使
くて困る原因として、「外国からの難民扱いされる 」
。
トングウェであるというアイデンテイテイが重
人間文化 ・ 1
3
トンクウ エの人々の言語使用と言語意識一家庭内での言語使用を中心に
などが聞かれた。 これは数ヶ国に接するタンガニイ
トン グウェの社会で:'1;土部族話のトングウ ェ語が AL、
カ湖畔に住む彼らにとって、隣同からの難民問題が
国語スワヒリ語が TLとしてパイリンガル期にある
身近なものであり、政府役人から「難民ではない
かリという疑いをかけられることへの恐れも影響
が、このまま若年層のスワヒリ化が進めば、
トング
ウェ語の消滅は免れないと予想される 。
していると考えられる 。 タンガニイカ湖を隔てて、
さらに、今回の調査で別の憂慮すべき事態が確認
内戦が絶えないコンゴ民主共和国と接するキゴマ州
された 。 Bugalabaはトングウェのみで生活 してい
には、難民キャンプがいくつか存在し、国連難民高
る集落で、昔ながらの伝統儀礼や風習が数多く残っ
等弁務官 (UN
HCR)事務所や同連オフィスが設置
ている地域である 。人々も日常的にトングウェ語を
されている 。 この点で、
トングウ ェの人々の言語に
話し、 1
0
歳未満の子供たちも流暢にトングウェ語を
対する意識、態度はタンザニアの囲内問題に加えて
話す。 しかし、この地域はマハレ山塊国立公園とカ
隣接する諸外国の影響も無視できないと考えられ
タヴイ平原因立公園の間にあたり、象やバッフアロ
る。
ーなどの通り 道となる ことが多々あ る。 そこで、
他方、
トングウェに限らず部族のアイデンティテ
イが希薄化している側面があった。元来トングウェ
の人々にとって自らの部族は父親の部族を継承す
る。 ところが、インタビューに入る前に「あなたは
トングウェですか?J
と質問すると「トングウェだ。
」
と回答しながら、父親は別部族で母親が トングウェ
であったり、「 トングウェではない。
」 と答える人の
中に、父親は トングウェで母親は別部族であり、自
分は母親の部族だと答える人がいたりした。 トング
ウェの人々も前述の強制移住政策により、タンガニ
TanzaniaNati
o
n
a
lParksの役人がBugalabaの人々
を村に移住させ、この地域をゲームリザーブや保護
区にしようと計画 していることがわか った 。 もし
Bugal
abaの人々が湖岸の村に移住させられたら、
トングウェ諾お よびトングウェの伝統文化の消滅は
一気に加速するものと恩われる 。言語を人類共通の
財産でLあり、野生動物と同様、保護の対象にすべき
0
0
3
:
であることが議論されており(宮岡 ・崎山. 2
クリスタル. 2
0
0
4
)、タンザニア政府にも理解を求
める必要があると考える 。
イカ湖岸の村に移住させられた。強制移住政策以前
は音¥
1
族問の結婚は少なかったが、今日、多部族が共
5
. 謝辞
生する村では通婚は普通に見られる 。父母が別部族
本研究は、 2
0
0
5年 5月から 2
0
0
6年 4月にかけて笑
施したチンパンジ ー調査(文部科学省科学研究費補
の場合、高年層では両親同士がトングウェ詩で話す
と回答する割合が高く、若年層ではスワヒリ語で話
すと回答する割合が高かった。 これは、強制移住政
助金基盤研究 A、課題番号: 16255007、研究代 表
者:西国利貞)における調査助手のトングウェの
策前にトングウェ単一部族で、形成される集落に嫁い
人々との交流を通じて発案したものです。西国利貞
だ女性はトングウェ語を習得することを余儀なくさ
れたが、スワヒリ語が流布し、多部族が集まって住
先生、中村美知夫先生お よび関係者の皆様に深く感
んでいる村では、 トングウェの家庭に嫁いでもスワ
立大学人間文化学部教授の崎 山理先生および東京外
謝いたします。また、調査の計画段階から、元滋賀県
ヒリ 語で事足りるという現状が示唆される 。 このよ
国語大学アジア ・アフリカ言語文化研究所の阿部優
うな状況で、独立から半世紀が経とうとしている今
子氏に貴重なご助言 をいただきました。本研究の実
トングウェに限らず部族のアイデ ンティティに
施にあたり、滋賀県立大学人間文化学部教授の竹下
替わってタン ザニア人としてのアイデンテイテイが
日
、
秀子先生をはじめ多くの方々のご支援をいただきま
強くなりつつある可能性がある 。
言語の消滅、すなわち言語の死は、ある 言語から
別言語への言語交替が原因で起こり、その過程では
した。併せて感謝致します。なお、本研究は財団法人
日本科学協会の平成 1
9年度笹川科学研究助成(課題
91
3
5
)の交付を 受けて行なわれました。
番号:1
“放棄される 言語 (Aba
ndo
nedLanguage、以下 AL
)
から、ターゲット 言語 (
TargetLanguage、以下
引用文献
TL)への交替が徐々に起こると考えられている
(
和文)
9
9
9)
。 さらに稗田(19
9
9) はALとTLは共
(稗田. 1
0
0
3 ベンデ語における借用ー スワヒリ
阿部優子 2
語からの借用を中心に一. 文部科学省特定領
存するパイリンガルの時期を経て、やがて TLが優
勢となり、 ALが消滅すると主張している 。現在、
14 ・人間文化
r
域研究
環太平洋の「消滅の危機に瀕した言語J
トングウ エの人々の言語使用と言語意識一家庭内での言語使用を中心に
に関する緊急調査研究 jpp
.1
0
1
1
2
9
宮岡伯人・崎山理編
2
0
0
5ベンデ語(タンザニア,パントゥ )
阿部優子
r
の言語状況 . アジア・アフリカにおける多 言
語状況と 生 活 文 化 の 動 態 J(
梶茂樹・石井淳
編 ),東京外国語大学アジア・アフリカ 言語 文
2
0
0
6 アフリカ諸語・スワヒリ語の 正 書
r
法とべンデ語表記法試案. 表記 の 習 慣 の な い
言語の表記』
東京外国語大学 アジア・アフリ
4
3
2
7
1
カ言語文化研究所:2
及び土地所有権の実態調査.平成 1
5年 度 独立
行政法人国際協力機構
準客員研 究 員 報告 書
r
1
9
8
4原野の人々との出会い. アフリ
伊谷純一郎
1
9
7
3
西国利 貞
r
精霊 の子供たち ー チンパンジー
の社 会構造を探る 』 筑摩書房
稗出乃
1
9
9
9死 諾 の 類 型 論
民 族語 と民族語、共
o
.
l9
:4
4
5
9
リカ研究 v
藤本麻里子
2
0
0
7トングウェの人 々 とことば マハ
レ山塊国 立公園における野生チンパンジー調査
から 一 .滋賀県立大学人間文化学部紀要 『人間
2
0
0
3 タンザニアの村 土地 ・土地法施行
雨宮洋美
r
消滅の危機に瀕した
通話 と民族語の関係.大阪外大スワヒリ&アフ
化研究所:13
1
1
5
5
阿部優子
2002
世界の言語』 明石 書庖
1
:2
4
3
1
文 化 j2
米国信 子
1
9
9
7民 族 語 に 対 す る タ ン ザ ニ ア の 言 語
政 策 (ス ワ ヒ リ 研 究 編 ) . 大 阪 外 大 ス ワ ヒ リ &
アフリカ研究 v
o
.7
l:3
45
0
カ紀行ーミオンボ林の彼方』 講談社学術文
(
英 文)
庫 :1
3
51
5
2
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5南 ア フ リ カ の 公 的 多
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言語 使 用 ・ 分 裂 か 統ー か. (
桜 井 隆 訳) こと
ばと社会
別冊 2 脱帝国と多 言語 化 社 会 の ゆ
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4 トングウェ族の生計維持機構一 生活
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環境 ・生業・食生活. 季刊人類学 j5(
掛谷誠
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1
9
7
7 トングウェ族の │
況医の世界. 人類の
自然誌 』 伊 谷 純 一 郎 , 原 子 令 三 (編 ), 雄 山
閣 :3
7
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4
3
9
掛谷誠
1
9
8
4 トングウェ族呪医の治療儀礼ーその
r
プロセスと論理 . アフリカ文化の研究 j 伊 谷
純 一 郎 ・ 米 山 俊 直 ( 編 ), ア カ デ ミ ア 出 版 :
7
2
97
7
6
掛谷誠 1
9
9
4 自然と社会をつなぐ呪薬. 講座 地
球に生きる 2 環 境 の 社 会 化』 掛 谷 誠 (
編 ),
雄 山 閣 :1
7
1・1
9
4
梶茂樹 2
0
0
5 アフリカの多 言語使用 特に東アフ
語圏の国語問題を中心に一 .
リカの Swahili
r
『アジア ・アフリカにおける多 言語 状 況 と 生 活
付録
アンケートの質問項目
文化の動態 j (
梶 茂 樹 ・ 石 井 淳 編).東京外国
1.本人の部族
語大学アジア・アフリカ 言語文化研究所 3
1
6
2
. 父親の部族
3
. 母親の部族
4
. 父の妻の人数とその全員の部族
5
. 本人の結婚歴と配偶者の人数、部族 (
女性の場
小森淳子
1
9
9
8多民族社会における 言語 使 用 の 実
際。タンザニア、ウケレウェ調査報告.大阪外
o
.
l8:1
2
7
大スワヒリ&アフリカ研究 v
砂野幸稔
2
0
0
0 アフリカの 言語 問 題 一多言語 状 況
r
と単一 言語 支 配 . ことばと社会 j 3号
, 三元
宇
土 :5
7
8
0
デイピッド・クリスタル
2004
r
消滅する 言語 』
(
斎藤兆治 ・三谷 裕 美 訳) 中公新書
合は夫の配偶者の人数と、その部族)
6
. 兄弟の数 (
父親の子供の数)
7. 子 供 の 数
8
. 宗教
9
. 学歴
人間文化・ 1
5
トングウェの人々の言語使用と言語意識 家庭内での言語使用を中心に
1
0.両親とは何語で話しますか?
2
3.町にはよく行きますか?
11.両親同士は何語で話しますか?
2
4
. 町に行けば何語で話しますか?
1
2
.兄弟とは何語で話しますか?
2
5.ラジオを聴くのは好きですか?毎日聞きます
かつ
2
6.学校では何語で話しますか?
1
3
. トングウェ語をしっかり話せますかっ
1
4. トングウェ語を聞いて理解できますか?
1
5
. 他の言語を話せますか?それは何語ですか?
1
6.他の言語を聞いて理解できますか?それは何語
ですか?
2
7
. 家で朝、何語で挨拶しますか?
1
7
. 何語が好きですか?
2
9
. トングウェとベンデは 1部族ですか?別部族で
すか?
1
8.子供には何語で話して欲しいですか?
1
9
. どうして若者はトングウェ語をあまり話さない
のですか?
2
0
. トングウェ語が消滅したら問題だと思います
か?
21.市場に行ったら何語で話しますか?
2
2
. 警察署、役所、病院では何語を話しますか?
1
6 ・人間文化
2
8
. 老人が トングウェ語で会話していたらどれくら
い(何%くらい)理解できますか?
3
0
.r
あなたはベンデですか?Jと質問されたら肯
定しますか、否定しますか?
31.幼い頃何語から話しはじめましたか?
3
2
. スワヒリ語と トングウェ語をそれぞれ何歳頃か
ら話し虫台めましたか?
論文
台湾における外国人労働者の現状
一家事 ・介護を中心に
襲玉齢
人間文化学研究科 生活文化学専攻
人間関係研究部門
もくじ
きく 2つが考えられる 。 1つは外国人であることに
[ は じ めに
由来する、入国管理による制約である 。 もう 1つは
I.外国人労働者導入の経過と社会的背景
家事労働という労働の特性に由来する制約である 。
r
n.労働者の抱える問題一家事・介護労働の特性
労働の内容が明確ではない、職住が分離していない
W.まとめ
ため仕事の開始と終わりが明確でない、家庭が公か
ら隔離されて虐待の原因となる 、雇用主と被雇用者
1.はじめに
本稿は、台湾を事例に外国人家事・介護労働者に
という関係だけでなく異なった階級の力関係をあげ
ている 。 こうした点は個々の状況に応じて、労働者
対する政策の現状に関する 問題点を、家事・介護労
を管理するための雇用主が隠しカメラで撮影、高層
働者の特性から明らかにすることを目的としている 。
マンションの窓拭き中における相次ぐ落下死亡事
アジアでは新興工業地帯 NIESを中心として外国
人家事 ・介護労働者の導入が近年急速に進行してき
故、休日の取得の困難、育児、料理方法の相違とい
った問題として取り上げることができる 。
た。そのため女性を労働市場に組み入れる 一方、そ
こうした制約やそれを取り除くためのセーフテイ
の代わりに途上岡の女性を再生産労働に従事させる
ネットの有無などは受け入れ国 ・地域によって大き
といった方法が香港、シンガポ ール、台湾では取ら
く異なっている(表1)。
れてきた。 また、最近では高齢化が進展し介護の担
い手も必要となってきた。フィ リピンやインドネシ
以下、次章で台湾における外国人労働者政策 1 を
ア、スリランカといった送し国では、こうした動き
既存の研究、報告書こ、統計、新聞記事、などから再
に呼応するように女性の出稼ぎ労働が奨励され、再
構成し、家事・介護労働者に対する政策を位置付け
生産労働をめぐる新たな労働者の配置が進展するこ
る。 また、外国人家事 ・介護労働者の動向と社会背
ととなった。
景との関連を明らかにする 。
しかし、こうした配置はさまざまな問題も引き起
こすこととなった 。労働者に対する虐待、賃金未支
1
1
.外国人労働者導入の経過と社会的背景
払い問題、ブロ ーカーによる搾取、監視カメラによ
卜政策の経過
るプライバシ ーの問題と いった労働者の基本的人権
台湾における外国人労働者の受け入れはいくつか
に関わることだけではなく 、
労働者による幼児虐待、
の段階を踏んでいる 。 ここで は、外国人労働者受け
窃盗なども含めて様々な問題がこれまで新聞を賑わ
入れ政策、そして家事・介護労働者の導入の経過を
わせ、論文などでも報告されてきた 。ただし、受け
明らかにしたい。
入れ地域 ・国の社会経済構造がそれぞれ違うだけで
なく、外国人家事労働者の処遇をめぐる制度も異な
(
1
) 暫定導入時期 (
1
9
8
9-1
9
9
1年)
っているため、問題の現れ方は受け入れ側によって
大きく異なっている 。そのため、社会経済構造や政
が
、 1
9
8
9
年、主要な公共事業などで導入するという
策といった制度面を検討する 必要がある 。
9
91
年には外国人労働者受け入れ
政策案を出した。 1
政府は当初外国人労働者の導入を否定してきた
住みこみの家事労働者 は外音1
1
から非常に見えにく
の基盤となる「就業服務草案」が議論され始め、法
い存在であるが、は家事労働者の生活実践を彼女等
的整備が進み、同年、主要な 1
4の公共事業にタイ、
自身の「語り」を通して描 き出 し、家事労働におけ
フィリピンなどから 3
,
0
0
0人 の労働者を投入した
る相互依存性や制約を乗 り越 えるための抵抗空間な
(
図 1)
。当時、非合法滞在者 を多く出していたフィ
どの重要な概念を提示している 。
リピン政府は、すでに台湾が就労しているこうした
制約を乗り越えるための抵抗という場合、制約と
労働者の正規化を提案していたが、台湾政府はこれ
は何かという点を充分に吟味 しなければならない。
を拒否し、非合法滞在者に対する罰則規程を停止し
外国人家事労働者が抱 える 制約を考える際には、大
てアムネスティを行なうこと により出国を促した
7
人間文化 ・ 1
台湾における外国人労働 者 の 現 状
一 家 事 ・ 介 護を中心に←
表 1 外国人労働者の概況および労働条件
E
i
労働者数
i
湾
1
2
0
.
7
1
1
考
術
{
i
も
香
うち家事労働者 6
.
9
5
6人
、
シンガポール
韓
国
2
4
0
.
0
0
0
1
4
0.
000
1
0
.
0
0
0
1
4
.
0
0
0
介護労働者 1
1
37
5
5人
守
導入年
1
9
9
2
1
9
7
4
1
9
7
8
2
0
0
2
主な送り出し国
インドネシア、
フィリピン、
フィリピン、
中園、
フィリピン,
インドネシア
インドネシア
フィリピン
2
5
.
0
0
0
なし
7
0
.
0
0
0
適用される
されない
されない
あり
あり
あり
あり
なし
あり
最低賃金
約1.5
2.
5
万円
1
0
万円
約6
ベトナム
地元の家事労働者数
2
4
.
0
0
0
中両年女性や少数民族が多い
といわれている
労働法
適用されない
製造業、建設労働者などは適
健康保険
あり
加入が義務付けられている 。
用される 。
0
0ドル強
労働者の負担は 2
(
負 担割合は 30%)
労働災害保険なと
任意
標準雇用契約書
なし
あり
支援団体が案を労工委員 会に
進言
平均賃金
6.
0
00円
約5
最低賃金は 5
0
.
0
0
0円
9
.
0
0
0円
約4
(
最 低 賃 金)
労働時間の規定
なし
なし
なし
なし
休日
出身国による
あり
契約書による
契約書による
有給休暇
なし
あり
契約書による
契約書 による
あり
なし
なし
契約書 により認められる場合
有り
母体保護
なし
妊娠検査
廃止
健康診断は 6ヵ月ごとあり
なし
あり
なし
労働組合組織化
不可
加入は認められている
可能
不可能
可能
地冗労組とのつながり
あまりない
ある
なし
ある
NGOの支援
あり
非常にあり
ほとんどなし
非常にあり
出所:各国政府の資料をもとに作成。
台l
削
注-台湾については外国人家事 -介 護 労 働 者 の 合 計。 また、 1 (
ドルは 3円に換算する 。
1990年 に は 非 合 法 滞 在 者 に 対 す る 自 主 申 告 制 度 を 開
年 3月 ま で に 22
,
579人 が 台 湾 か ら 出 国 し た 。
始、 1994
(
2
) 安 定 推 移 期 (1994
- 1997
年)
1994年 8月 、 政 府 は 輸 出 加 工 区 な ど で 労 働 力 を 確
(
人)
350000
圃 マレ ーシヤ
ロ インドネシア
保 す る た め に 新 た に 外 国 人 労 働 者 を 導 入 し た。 1
997
年、労働力不足と競争力低下の防止という効果を認
めつつ、長期的には台湾人の労働力を阻害するとい
う懸念があるため、外国人労働者の雇用の際には、
150000
台湾労働者の不正な配置転換や解雇を防ぐよう一定
100000
の 基 準 を 設 け た 。1
997年 に は 就 業 服 務 法 が 改 定 さ れ 、
外 国 人 労 働 者 は そ れ ま で 2年 だ っ た の が 最 長 3年 ま
で 就 労 す る こ と と な っ た。
. フィリピン
口0
0
25
200000
図タ イ
5000
a
田
9
1
92 93 94 95 96 97 98 99 20∞ 0
1
(
3
) 不 況 に よ る 政 策 緊 縮 期 (2000 現 在 )
2000年 以 降 の 失 業 率 は 3 %か ら 4 %を 超 え 、 深 刻
18 ・人間 文 化
同
『
ロ ベトナム
300000
出所
図 1 外国人労働者の国別内訳
「労働統計月報J2
0
0
3年 1
2
月など
02 03(
年)
台湾における外国人労働者の現状
な問題となり始めた,
"0 2
000年に就任した陳水扇総
統は、外国人労働者の受 け入れ抑制製作を 表明し、
家事 ・介護を中心に
2
.
5
0
0人外国人労働者に対して行なわれた調査に
よると、既婚者の割合は約 36%で、必ずしも家事・
同年 7月から 1年間で 1
5
.
0
0
0人の外国労働者を減ら
す ことを明らかにすることにした 1。これを 受けて、
育児の経験があるとは限らないことを示している 。
2
0
0
0年 9月には介護部門、公共事業部門、 一般製造
が要らないことから、家事・介護能力が女性に自然
同時に、 家事労働者として就労する ことは特に資格
業などの分野で雇用条件が厳しくなり、同年 3
2万人
に備わ っているという考え 方が前提とな っていると
0
0
3年中ごろに 3
0
万人をき っ
いた外国人労働者は、 2
いえる 。
た (
図 1。
) しかし、家事 ・介護労働者に対する需
製造業・建設業に従事する外国人労働者には労働
要は大きく、雇用するにあ たっての条件の緩和を求
基準法が適応されるが、家事・介護労働者には適用
0
0
1年、再び緩和された。
める声が大きかったため、 2
5
.
8
4
0ドルで、
されない。外国人労働者の最低賃金は 1
またベトナム人労働者が新たに 2
000年に導入され、
残業手当などを含めた平均賃金は製造業・建設業が
主に介護労働者として従事している他、介護労働者
約 20.500ドル、家事・介護労働者は 17.900ドル
の需要は高く、 一時期インドネシア人労働者が急増
(
2003年) となっている 。保険は主に、健康保険と
したが ヘ 非協力的な送り出し政策を理由にインド
労工保険に分けられ、前者は労働者全員が加入する
ネシア人労働者の受け入れを停止したため、かわり
ことにな っている
製造業・建設業部門でなんら
8%、家
かの保険に加入しているものの割合は 99.
事・介護部門では 96.7%にのぼる {7 0
にベトナム人労働者が急増した 。
2.外国人家事 ・介護労働者の概要
外国人家事・介護労働者の数は、導入以来経済動
3
. 台湾における家事・介護労働者の雇用形態
向に関わらず一貫 して増加 しており (
図2
、
) 外同人
興味深いのは、「台湾人」家事労働者を雇用して
労働者全体に占める割合は、 1
9
9
2年に 4 %であった
いる世帯の構成は夫婦のみの世帯、単身世帯に多く
ものが、家事・介護労働者に対する高い需要に支え
が、拡大家族で採用される割合は「外国人J家事 ・
られ て
、 2001年には 37%を占めるに至っている 。
介護労働者のほうが高い ことである 。 これはおそら
2
0
0
2年末、外国人労働者数は 3
0
3
.
6
8
4人で、タイ人が
111.538人 (
36.7%)、インドネシア人が 93.212人
(
30.7%)、ついでフィリピン人が 6
9,
42
6人 (
2
2.
9%)。
く通いと住みこみの違いを表していると思われる 。
外国人労働者の場合には住み込みのフルタイムを前
提としているが、台湾人労働者の場合には週 2から
9,
47
3人 (
9.7%)とな っている(図1)。
ベ トナム人が2
3日の通いでパートタイムである可能性が高い。拡
2
0.
71
1人おり、内訳
このうち家事 ・介護労働者は約 1
大家族の、特に未婚子女を抱える世帯では育児と介
はインドネシア人が81
,
4
9
0人 (
67.5%)、フィリピ ン人
護両方を必要としている可能性があり、住み込みの
.223人(
1
7
.
6%)。
ベ トナム人が約 1
5.
2
6
3人(12
.
6%)、
が21
労働者を雇用するほうがニ ーズにあっている 。一方
で、夫婦のみの世帯、単身世帯の場合には、女性の
タイ人が2
.
7
3
3人 (
2
.
3
%
)などとなっている 。
外国人住み込み労働者を雇用するのにはふさわしく
なかったり、また仕事量からも必ずしも住み込みを
雇う必然性がないことが考えられる 。
(
人)
140000
以上のように、台湾における外国人家事 ・介護労
1
2
αl
O
O
働者は 高齢者介護に従事する 場合が多い。台湾では
1
0
αl
O
O
家事労働者と介護労働者を分け、前者の人数を制限
∞o
して介護労働者を多く配置できるようにした政策を
80
。
。
由
導入したこともあ った九
6000
4
4. 外国人家事 ・介護労働者の雇用定着と社会
的背景
2
0
α。
調
1992
93
94
95
96
97
98
99
田
図2 外国人家事・介護労働者数の縫移
出所。
r
労働統計月報」各年
0
1
02
年)
外国人家事・介護労働者の導入によ って家事労働
者を外部化するという動きは、近年アジア諸国で共
通したものである 。一見育児や介護問題に対する政
人間文化 ・ 1
9
台湾における外国人労働者の現状 一家事・介護を中心に
府のコミットメントとして福祉政策の一つ手段であ
万人(同 6
.
2%)、そ して 2000年には 1
8
8万人 (
8
.
5%)
ると考えている 。 とはいえ、外国人労働者を雇用す
となった 。 1
9
8
0年と 2000年の 2
0年間に 高齢者が 1
1
0
ることで、雇用主は家事・育児・介護労働全体から
万人も増えており、必要とされる介護が急増した こ
解放されるというメリットがあり、政府からすれば
とをあらわしている 。後者の介護の外部化について
社会保障予算を増大させることなく、逆に税や課徴
は、親族ネ ッ トワークによる介護が徐々に不可能に
金などを労働者や雇用主に課すことで税収を期待で
なったことが背景にある 。台湾で最も 一般的な高齢
きるのである 。 こうした点に加えて、育児や介護な
者の居住形態は、子どもとの居住である 。 2
000年
、
とぐを担 ってきた家族や親族ネットワークに変化が見
8% 、 配 偶 者 の み
子 ど も と 居 住 し て い る の は 67.
られ始めたことが、外国人家事・介護労働者を定着
15.1%、独居 9.2%、老人ホ ーム5.6%、その他 2.3%
化させ る一因となっている。ここでは、家族や親族
であり、 1
9
8
9年は子どもと居住 65.7%、配偶者のみ
ネットワークの変化に影響を与えたと思われる女性
労働力率の推移、育児の担い手問題、及び介護労働
1
8.2%、独居 12.9%、老人ホーム 0.9%、その他 2.4%
であった 9 0 こうしてみると親族ネットワークとは
の需要拡大について検討する 。
基本的に親子関係が中心であり、同居率も保たれて
いる 一方で、施設に入居する高齢者の割合は 1 %か
(
1
) 女性労働力の推移
ら5.
6%まで上昇している 。 また、高齢者の経済基
9
7
0年代から上昇して
台湾では女性の労働力率が 1
盤においては子どもに頼る割合は徐々に減少してい
いる 。結婚、出産、育児の過程で落ち込む 2
0代から
て親子問の依存度が小さくなりつつある 。例えば、
3
0
代後半にかけてのくぼみは外国人労働者が導入さ
所得の中心を 子どもからの仕送りに頼っていると答
0
0
2年と比較すると、 2
0
代
れた時期からなくなり、 2
えた人は 1
9
8
9年と 2
0
0
0年で比べると 10%減少してい
から 4
0代にかけての労働力率が 10%以上上昇してい
るが、政府からの給付金が最も多いと考えている高
る(図 3)。 また 1
5歳以上の無職女性を対象にした就
齢者は1.2%から 1
2.3%に急増している (
内政部統計
業 しない理由に関する調査では、家事に従事するた
局
めという理由が年々減り、在学中や修学準備中、高
帯老人生活手当、老年農民福祉手当などの高齢者の
齢や障害を理由としているものが相対的に増加して
所得保障や福祉政策が充実したことによる 。台湾に
いる 。前者は高学歴化を、後者は高齢化が進行して
おける高齢者は居住面からも経済的な面からも脱家
0
0
3)
。
いることを示している (
行政院主計処 2
族化が進みつつある 。
2
0
0
1)
。 これは退役軍人給養給与、中低所得世
i
l
l
. 労働者の抱える問題点
家事 ・介護労働者の労働環境における問題点につ
いては少なくとも次の 2つが絡み合っているといえ
る。 1つは、家事あるいは介護労働の特性から生じ
7
0
6
0
日
る問題点であり 、もう 1つは外国人出稼ぎ労働者と
4
(
)
却
いう滞在資格から生じる問題点である 。家事 ・介護
却
労働者ゃいわゆる肉体労働者は非熟練労働者のカテ
1
0
ゴリーでくくられ、厳しい滞在資格のもと就労が許
1
5
-19
2
0
-24 呂 田 時 担 坦 坦 4 0 44 4
5
-49
図3
骨 5
4 骨 四 砕 制 時 (
,.)
台湾における女性の労働力率の推移
出所
「人力資源統計月報J
され、付随する高額な斡旋料支払いは出稼ぎ労働が
債務労働につながる可能性を示唆する 。 ここでは、
まず台湾における外国人家事・介護労働者の労働環
境について検討し、次いで彼女等の抱える問題点を、
明らかにする 。
(
2
) 介護労働の需要増大
介護需要の増加は、高齢者人口が増加したという
量的な変化と、介護の外部化に分けて考えられる 。
1.住み込み家事労働の特性
政府が外国人介護労働者の雇用主に対して行なっ
5歳以上人口の推移を見てみると
まず前者について 6
た調査によると(行政院労工委員会
1
9
8
0年に 7
7万人(高齢化率 4
.
3%)、 1
9
9
0年には 1
2
7
時間に何ら規定を設けていない雇用主が圧倒的に多
20 ・人間文化
2
0
0
3
)、労働
台湾における外国人労働者の現状
く約 76%、規定を設けているのはわず、かに 24%にし
家事 ・介護を中心にー
0
か過ぎない。規定を設けている場合、労働時間を 1
と残業代が高騰し、雇用主に経済的負担を与えると
いうことからである 110
時間以内と定めているのは 2
.1% (全体の 0
.
5%)、 1
0
先ほど、休 Hの取得困難、長時間労働と長時間の
時間から 1
2時間が 3
.1% (
同0
.
7%)
、1
2
1
時間以上 と定
拘束時間が台湾における家事 ・介護労働者の特徴で
めているのが 9
4.8% (
1
司2
2.
8%)である 。規定を設
あることは示したが、これは労働基準法の適用外と
2
.
5時間とかなり長
けていても平均労働時間は 1日1
いうだけでなく雇用契約書が出身固によって内容が
い。 このため長時間労働による身体的疲労は家事・
異なることにもよる 。
タイ、フィリピン、インドネシア、ベトナムの送
介護労働者に顕著であるという 。
ここで、
1ヵ月を 3
0日とした上で労働時間を推定
り出し各国の介護労働者の契約書を比較すると 労働
し、時間あたりの賃金を求めてみよう(表 2)。 ひ
時間に関しては 4カ同とも特に規定はない (
表 3)
。
と月あたりの休 H数については、「休日を与えない」
次に、休 Hについては、タイは週 1日ずつの休日と
を O目、「与える」を 4
.
3日、「部分的に与える」を
法定休日の取得が明記され、休日の勤務については
2.
15日とする 。その上で、加重平均を求めると1.5日
通常の 2倍 の賃金の支払いを雇用 主に求めている 。
となり、平均労働時間は 3
5
6
.
3時間となる 。 製造
フィリピンについては、週 l日の休日の取得が定め
業・建設業の外国人労働者は残業の 4
8.
41
時間を 含め
られているが、法定公休日の扱いについては雇用主
て2
4
9
.
3
1
時間しかなく、その差は 1
0
0
1
時間を越える 。
との話し合いによるとしている 。ベトナムの場合は
家事 ・介護労働者は長時間労働のうえに休日が少な
週 11::1の休日が言及されているだけである 。休日取
いにもかかわらず賃金は低い。製造業 ・建築業労働
得については保障されていないのはインドネシアで
者の平均賃金は残業、その他の 4
.
490ドルを含めて
ある 。契約書には雇用主との取り決めによるとしか
0
.
9
5
9ドルであるのに対し、家事・介
ひと月あたり 2
明記されておらず、労働時間の規定がないことと 合
護労働者は問 2
.
6
0
1ドルを含めて 1
7,
9
3
5ドルとなって
わせて考えると、 雇用主 は3
6
5日2
4時間拘束しでも
いる 。時間当たりの賃金は製造業・建設業の 8
4.
1ド
契約違反とはならない。次に、賃金の仕送りについ
ルに比べ、 5
0
.
3ドルと約 6割しかない(行政院労工
ては送り出し国政府にとっては関心の有ることであ
委員会
2
0
0
3)
。
るが、契約書にはそれほど明示されていない。 ただ
上記のデータから、外国人家事 ・介護労働者に仮
しベトナムは送り 出し国政府による税金の徴収が斡
に労働基準法が適用された場合の賃金を求めてみょ
旋業者を通して行なわれている 。有給休暇はタイ人、
うゆ
。 ここでは 1日 8時間労働、週 1E
Iの休日、月
フィリピン人、インドネシア人は契約か ら 1年後、
1
5.
8
4
0ドルの基本給を前提とした場合の時給を 7
7ド
ルとし、また 1日の労働時間が 8時間を超過した場
合には、その 3分の lが加給されるとする 。 さらに
彼女等の 1日あたりの実際の労働時間を 1
2
.
5時間、
月あたりの労働日数を 2
8
.
5日
、 1ヵ月あたりの残業
時間を 150時 間 と す る と 、 月 の 残 業 代 だ け で 約
1
5
.
3
0
0ドルにのぼり、賃金は 3
,
10
0
0ドルを超えるこ
とになる 。労働基準法を適用すると賃金は 2倍近く
連続 7日間許されている 。総じて 言える ことは、 家
事 ・介護労働者 には労働時間についての規定はな
い。休日、休暇の取得は、フィリピン人については
義務付けられているが、タイ人は休日の取得と労働
を選択できるようになっている 。ベ トナム人とイン
ドネシア人は休日の取得について規定があいまい
で、雇用主の裁量に大 きく左右される 。
に上昇するのである 。 もし、労働基準法を適用する
表 2 外国人労働者の労働時間と賃金の比較
家事・介護労働者
月あたり 労働時間 (
a)
賃金 (b)
うち基本給
うち残業、その他
時間当たり賃金 (b)I(
a)
3
5
6
.
3
1
7
.
9
3
5
1
5
.8
7
3
2
.
0
6
1
5
0
.
3
製造業・建築業労働者
3
2
4
9.
2
0
.
9
5
9
47
0
1
6.
.
49
0
4
1
8
4.
台湾人建設労働者
1
9
5
.
0
2
8
.
4
1
0
2
6
.
7
7
5
1
.6
3
5
1
4
5
.
7
出所 :行政院労工委員会 (
2
0
0
3)をもとに作成。
人間文化・ 2
1
台湾における外国人労働者の現状 一家事・介護を中心に
表 3 雇用契約書の出身国別内容について
労働時間
タ
イ
フィリピン
休
日
賃金の支払い方法
規定なし
7日毎に 1日の休
5日の法
日と、年 1
定公 休 (有給 )
。
同意の上での労働
は 2j
音の賃金。
規定なし
7日毎に 1日。そ 直接期日までに支
の他の休日につい 払 う か 銀 行 振 込
ては労使の協議に み。
よる
有給休暇
満額を現金で月末 契約から 1年後、
に支払うこと 。雇 7 日 間 の 有 給 休
用王は送り出し国 l
収。休暇に代えて
への仕送りを支援 働く場合には 2倍
すること 。
の支払い。
契約から 1年後、
7日 間 の 有 給 休
H
段。
病
休
規定なし
1年に 3
0日まで。
50%支給。
O
ベトナム
インドネシア
労働時間は 8時間
とは│浪らない
規定なし
週に 6日の就労 。
但し日曜日の就労 直媛支払う こと 。 同定なし。
は5
2
8ドルの加算。
インドネシアの口
座に振り込むこと
労使の協議による 。
を雇用王が支援す
る。
雇用主は契約から
l年後、 7日間の
有給休暇あるいは
相当する額を支払
うこと 。
規定なし。
l年に 3
0日まで。
50%支給。
出所 雇用主からの聞き取り、お よび各国の雇用契約書をもと に作成。
2 出稼ぎに伴うコストの問題
台湾政府は家事・介護労働者を除く外国人労働者
労働者は送り出し国で多額の借金をして出稼ぎに
の賃金手取額を 1ヵ月当たり 4,
000ドル切り下げた 。
出ることが多いだけではなく、仕送りの期待にも応
これは、人件費削減の圧力が産業界から強くかけら
えねばならない。例えば、フィリピン人の場合、フ
れていたためでそれまで雇用主が負担していた食費と
ィリピンで払う斡旋料は 5
3,
741ペソ(約 1
0
5,
000円)
宿泊施設費を労働者に転嫁したためである 。 しかし、
で、そのため高額な斡旋料は労働者に負担を与える
政府は 4
,
∞0ドルの手取額が低下しでも斡旋科の規制に
だけでなく、労働者がより賃金の高い職場を求めて
よって労働者は十分恩恵を受けているとしたへ
正規の就労先から離脱し、その結果非合法滞在の原
,
840ドル)とサ
政府の算定に従うと、斡旋料(15
因となる 。 2
0
0
1年、政府は送り出し国で支払う斡旋
ービス料 (3年 分 60,
000ドル)、食費。宿泊施設費
料を賃金の 1ヵ月分と 定め大幅に額を下げ 12、台湾
(
同1
4
4,
000ドル)の合計は 3年間で 21
9,
840ドルにな
で斡旋料を徴収することも禁止したほかf
131、斡旋料
る。 これに健康保険(同 7,
560ドル)、健康診断(同
高騰の一因といわれる仲介業者から雇用主に支払わ
1
6,
500ドル)などの諸費用や税金などを加算すると、
れるキ ックパックも就業服務法の改定で禁止して、
900ドルに
労働者が 3年間で負担する費用は約 243,
違反業者を免許取り消しの対象とした。その代わり、
なり、最低賃金の 1
5,
4ヵ月にも相当する 。
政府は労働者が台湾の仲介業者に対して支払うサー
ビス料を 1年目から 3年目にかけて、それぞれ月々
,
1800ドル、,
17
00ドル、1, 500ドルと定め、
3年間で
3,管理の対象としての外国人労働者
外国人労働者は、家事・介護労働者のようないわ
合計 6万ドルのサービス料の支払いを義務付けた 。
ゆる非熟練労働者の場合、政府の強い管理の対象と
これで、労働者が送り出し国で支払う斡旋科 (
賃金
なる 。台湾では就業先からの離脱を防ぐため、大き
1ヵ月分: 1
5,
840) と台湾で負担するサービス料
く分けて 3つの制度がある 。雇用主変更の原則禁止、
(
60,
000ドル) の合計は 74
,
840ドルとなる(行政院労
工委員会 2
0
0
3
)i
I
3日以上の無断欠勤を許さないという 3
つのルールによって外国人労働者のモーピリティを
22 ・人間文化
強制貯蓄、
台湾における外国人労働者の現状一家事 -介護を中心に
抑え、離脱を防ぎ安易な雇用主変更のきっかけを防
いでいる 。就業服務法第5
9
条によると、外国人労働者
じている 。
例えば、虐待を理由に雇用主を変更する場合には
が雇用 主 を替えることかが認められるのは雇用主が
明確な証拠が必要である 。しかし、証拠が無い限り、
死亡するか他の固に出国してしまった場合、船が沈
労働者は虐待に耐えて就業しつづけるか、借金を返
没、修理などの理由で雇用主が労働者の労働を確保
済しないまま帰国するのかの選択を迫られる 。また、
できない場合、公用主が自らの事業を辞めたり、未
証拠不十分のまま労工委員会や他方の労工局 却に訴
払い賃金が生じているとき、あるいは労働者に過失
えても雇用 主の変更は認められない 。 したがって、
がないにもかかわらず契約が破棄されたときである 。
支援機関のカウンセラーによっては、逃げた労働者
貯蓄を強制する目的は、離脱のインセンテイブを
の就労継続を優先させるためには、虐待を覚悟して
奪うことにある 。外国人労働者は先述のように借金
同じ就労先で就業を継続するか、虐待の明確な証拠
や斡旋料の返済、また仕送りの必要性から、より高
を確保するために就業先に戻るしか方法がないと考
い賃金を求めて離脱を行なうものと政府は考えてい
えている 。 こうした方法を取らざるを得ないのは、
る。離脱を防ぐために最もよく用いられる手段は
労働者は借金を抱えて台湾に来る事が多く、虐待を
y
「強制貯蓄」で。労工委員会は月々の貯蓄 monthl
d
e
p
o
s
i
tと呼んでいるが、実際は離脱を防止する手
形のように用いられているヘ
雇用主は労働者の賃金の30%を貯蓄することがで
9
9
7年に約 74%の雇用主がこの方法を用いてい
き
、 1
る 17 (
行政院労工委員会編 1
998)
。雇用主は雇用
契約が終了した時点で労働者に貯蓄を返さなければ
ならないが、労工委員会も指摘するように、契約終
了時に返還しない、雇用主が使い込むといったケー
スもある 。
山
受けたからといって就労を止めることは簡単にはで
就業服務法第7
3条によると、労働者が 3日間就労
きないという事情がある 。仮に、雇用主の変更が認
められた場合、労働契約の中止を行ない、就業先変
更の審査を経ることになるが、 2ヵ月の時間を必要
とし、その間労働者は就業することが認められない
ため、滞在先を確保することが困難で、ある 九 つま
り、受け入れ国では雇用主の変更は基本的に認めら
れないという職業選択の自由が制限されている上、
入国管理上のいわゆる 3日間ル ールといった厳しい
政策があるため、労働者は厳 しい選択を迫られるの
である 。
先に現れない場合、雇用主は警察、労工委員会、健
康保険局に通報しなければならない。 これをもって
N まとめ
契約は破棄され、労働者は強制国外退去の対象とな
台湾における外国人家事 ・介護労働者の受け入れ
る。いわゆる 3日間ル ールである 。一方、労働者保
の現状に関して、 これまでの検討から以下の点を指
護の観点から、ソーシャルワーカ ーなどは、 3日間
摘する事ができる 。台湾は 、1
9
9
2年、外国人家事 ・
ルールの一時的な適用除外 を労工委員会に申請する
ことカfできる 。
労働者不足を補う事と、女性の就業を促すという共
これら以外にも政府は離脱を防止するために、不
通点があったが、介護労働者を よ り多く選択的に受
介護労働者を導入した。その背景には好景気による
法滞在者の取り締まりに協力した場合の報奨金制度
け入れた点に特徴がある 。台湾では外国人家事・介
を導入したり、離脱防止に協力的でない送り出し図
護労働者の数は 1
997年の経済危機以降も増加を続
については受け入れ停止などの強硬手段を用いたり
け、外国人製造業、建設業労働者が減少する 2
0
0
0年
以降も増加をたどり、台湾社会に定着しつつある 。
している
背景には、高齢化の進展に よる介護需要の増大、女
4.メンタルヘルスに関する問題点
外国人家事・介護労働者は労働基準法が適用され
ないことによる長時間労働と拘束、また孤立した労
働形態という労働の特性から、メンタルヘルス上の
問題が指摘されている 。 また、ここで外国人労働者
の家事 ・介護に限ってあげたい。
家事 ・介護労働者はまず、労働時間の規定が無く、
拘束時間が長いことからメンタルヘルスの問題が生
性の労働率の増加とその帰結としての育児、介護労
働の外部化がある 。高齢者介護については、子ども
との同居率は高水準で保たれているが、主要な所得
源はそれまでの子どもから、政府による所得保障に
変わりつつある 。 また老人ホ ームの利用が普及しは
じめ、親族ネ ッ トワ ークを 利用した伝統的な介護形
態は変化の兆しを見せている 。外国人家事 ・介護労
働者の大きな需要はこうした台湾社会の動きに連動
人間文化・ 23
台湾における外国人労働者の現状 一家事・介護を中心に一
しているのである 。
外国人家事 ・介護労働者には出稼ぎに伴う多大な
者の育成に力を入れている 。台湾においても外国
人介護労働者に代えて地元の介護労働者の育成を
はじめつつある 。
費用負担や入国管理上の問題があげられる 。 まず費
用負担に関しては、台湾で支払う合計金額は 3年間
(
4) 台湾における外国人労働者の政策の特徴には、
で1
5万ドルにもなり、平均賃金の 8.
6ヵ月分にも相
不安定な中台関係に影響を受けている点、労働者
当する 。その内斡旋料は借金でまかなうことが多い。
の管理に重点を置いている事があげられる 。まず、
入岡管理については離脱による非合法滞在を防ぐた
外交の重要な手段として外国人労働者政策が使わ
め、政府は外国人労働者を厳しい管理のもとに置い
れている点である 。例えば、これは韓国、日本、
ている 。一方で、外国人家事・介護労働者には労働
香港、シンガポールなどと比較すると、台湾の際
基準法が適用されない。そのため労働時間に応じた
立った特徴である 。 これは台湾の中国に対する駆
報酬を受ける事ができないばかりか、休日、休暇取
け引きや、政治的に不安定な側面を抱えているた
得の困難などは、家事・介護労働者が労働者として
め、その対抗策として行われていると考えること
カZできる 。
不十分な処遇しか与えられていないことを示す。
外同人家事・介護労働者の導入は台湾政府の労働
1
9
9
9年、台湾政府は 1
9
9
6年に結ばれたフィリピ
政策の一環によるものである 。 しかし高齢化社会の
ンとの航空規定の運用をめぐってフ ィリピン政府
進展に従い、彼女等の果たす役割は大きくな ってい
と対立 し、台湾政府はフィリピンから 労働者の受
るにもかかわらず、不十分な処遇と保障しか与えら
け入れを停止した 。翌2
0
0
0
年にも航空協定をめぐ
れていない労働者であるが、これによって育児や介
る交渉が決裂し、同年 6月から 1
2月まで製造業 と
護を受ける側も不利益を被る可能性があるといえ
建設業におけるフィリピン人受け入れを停止し
る。本稿では労働者側からしか論じることができな
た。ただし、台湾政府は受け入れ停止の理由を航
かったが、雇用主からの問題点については今後の課
空協定のもつれではなく、在台湾フィリピン人労
題としたい。
働者の離脱率の高さなどであるとの見解を 示 した
(
自由時報00年 5月1
1日)
。
注および参考文献
(
1) ここで取り扱う外国人労働者とは、就業服務法
2
0
0
2年 8月にはインドネシア人労働者の受け入
れが停止された。 これはインドネシア人労働者の
第46条第 8項から第 1
0項における労働者である 。
離脱率が高 く、斡旋業者が偽造書類を用い、斡旋
具体的には製造業、建設業、漁業部門の労働者、
料が高い事 に加え、こうした問題に対して政府や
家事・介護労働者を指し、 一般的に単純労働者と
a
イ ン ド ネ シ ア 経 済 貿 易 代 表 事 務 所 lndonesi
か非熟練労働者とよばれるカテゴリーに含まれ
e が協
EconomicandTradeR
e
p
r
e
s
e
n
t
a
t
i
v
e0伍 c
力的でないことを理由としている 。受け入れの停
止は 2
0
0
4
年 2月には解除である 。2
0
0
2年 8月には、
タイとの間で問題が生じた。 タイ政府は外国人労
働者に関する協定の調印式に、行政院労工会の陳
菊長官を招待したにもかかわらず、突然陳長官の
る。 また、本稿では取り扱わないが、中同大陸か
らの非合法移民も常に存在した。 1
9
9
0年に中国と
3年
の間で金門協議が行われてから現在までの約 1
間に約 43,
000万人が逮捕され、約 4
1,
000人が強制
送還された(自由時報 0
3年 1月2
2日)。
(
2
) 1
9
9
4年 1
2月に 1ヵ月間行われたフィリピン人に
対するアムネスティでは約 3,000人の労働者が帰
国したとされる 。
(
3) 外国人家事・介護労働者に限ると韓国を除いて
ピザの発給を停止した。 タイは 1
9
7
5年に中国と国
交を回復してから、
1つの中国を支持しており、
このピザ発給の停止は明らかに中国の圧力があっ
たといわれる 。 この協定の調印を強く望んでいた
は基本的にクウォーターは設けておらず。需要に
タイ政府は 1
0月に高官を台湾に送り、ょうやく 1
2
あわせて労働者を供給することによって数量調整
月に 3ヵ月遅れの調印が行われた。 この際にも 一
を行っている 。 また、労働テストはいずれもなく
時的にタイ人労働者の受け入れがストップしたと
競合する地元の労働者がいないことを基本的前提
指摘されている 。 このように、外国人労働者政策
としている 。 しかし、労働市場における競合につ
は台湾の外交手段として明瞭に運用されている 。
いては状況が変わりつつある 。 1
9
9
7年の経済危機
(
5
) インドネシア人労働者の急増の背景には、斡旋
以降、香港では雇用対策のために地元の家事労働
業者がより多くの利益を確保できることや、契約
24 ・人間文化
台湾における外国人労働者の現状
者に休 日に関するが規定が]!P;い 事が指摘で きる
(
1
0
)
家事・介護を中心に
ただし、月当たり労働時間が356時間というの
が、自己主張しない、従順であるなど雇用主の間
はそれ自体で労働基準法違反であるが、ここでは
の言説も影響していると考えられる 。 これは、扉
それを無視して計算する 。
用主が家事労働者を雇用す るときの判断材料に、
国籍が質を示すシグナルにな っている事を意味す
る。つまり、国籍が家事能力や雇用しやすさと関
係しているわけである 。
(
1
1)
フランスにおける家事労働の評価の例にをあげ
ること
カ fできる 。
(
1
2
) 外国人労働者の最低賃金は実質の再考賃金とも
いわれる 。 ここ では最低賃金の 1
5
.
8
4
0ドルと理解
して差し支えない。
こうしたイメージは斡旋業者などの外部によっ
て構築されているといわれる 。 このイメージは時
(
1
3
) 労工委員会職業訓練局の資料によると、台湾政
間や場所に応じても変化する 。例 えば、カナダに
府はこれを守らせるため、ピザの申請者に対して
おけるカ リブ地域出身の家事労働者は従順で、、楽
斡旋業者の領収書の提示を求め、不正を働いた送
しく、また子供の刊ー話に 向いているといわれてい
りだし同の斡旋業者には台湾当局によ って免許が
た。 しかし近年になって組織化 を通した人権活動
取り消された。
(
1
4
) 斡旋料の改定以外に、直接雇用制度を設けて斡
などを行うようになったため、気難しく,攻撃的
で、自己中心的 であると いわれ るようになってし
まった。 カナ夕、おいては 1
9
8
0年代から 9
0年代にか
旋料の抑制を試みているのも台湾の特徴である 。
順
J
I
│
順
1
1
員でで愚痴
けてフィリピン人労働者が急増する 。従頃
国人雇用の申請受付を可 能とした もので、送り出
これは在台湾の各国政府機関で台湾企業による外
をこぽさないといつたフイリピン人カが王良いイメ 一
し同政府機関が直接斡旋業務の一端を担う制度で
ジをもたれたため、西インド諸島の家事労働者に
ある 。 フィリピンとは 2001年 5月に、タイとは
とって代わったという。
2002年1
2月に直接扉用に関する覚書や協定を交わ
(
6) 台湾における健康保険制度は充実している 。労
している 。 フィリピンでは、政府内に直接雇用プ
働者の負担する掛け金は約2
0
0ドルで保険料の3
0%
p
e
c
i
a
lD
i
r
e
c
tH
i
r
i
n
gP
r
o
g
r
a
m を設け
ログラム S
にあたる 。残りの 70%のうち雇用主が60%、 10%
を政府が負担している 。診察の際には例えば一般
た。 しかし、台湾企業はあまり直接雇用制度を利
用しないといわれる 。理由の Iつは手続きや労務
4
0ドルの基本負担と約20%の薬剤
の総合病院だと 1
管理をより多く抱えることになるというこ と
、 2
費負担がある 。 また、歯科や漢方での治療も保険
つE
I
に斡旋企業を通すとキックパックを受けられ
が適用される 。入院は 1
0%負担が原則である 。労
るからである 。2
0
0
3年、労工委員会は台湾の仲介
働者が加入する労工保険は、従業員 5人以上の事
業に非営利団体の導入を検討すると発表した。適
業所で加入が義務付けら れる。労工保険も掛け金
切な質の高い介護労働者の導入と仲介業者間の競
の負担割合は健康保険と 同じ である 。家事・介護
争を促す事を目的としている(自由時報03年 2月
1
51
:
1。
)
労働者も労工保険に加入す ることができる 。
(
7
) 健康保険や労工保険 は労働統計年報2
0
0
3。
(
I
引
4
.
0
0
0ドルの手取り賃金引下げの経紛ーは以下の通
台湾では共働き世帯が育児を行う場合、離れて
りである 。産業界の人件費圧縮の要請を受けた政
暮らしている両親に育児を任せ て、女性は親に仕
府は外同人労働者を最低賃金適用から除外するか、
送りをすることが多い。その仕送りをもとに親は
最低賃金自体を引き下げる法改定の議論を 2
0
0
1年
(
8
)
外国人家事・介護労働者を雇用するという台湾独
7月から始めた。労働運動 出身 の労工委員会陳長
自の雇用方法も見ら れる 。 これは、親の扶養を期
官は、台湾は I
LOの規定に調印し ていないが、性
待される有職既婚女性が仕送りをする代わりに育
別、民族、国籍に基づく差別は許されていないと
児を任せ、その仕送りをもとに親が外国人を雇う
して法改定に反発した 。 こうして 2
0
0
1年1
1月か ら
というパターンである 。 この方法であれば、親の
食費と宿泊施設費が労働者に転嫁された。 フィリ
介護、子どもの育児、さらには親の家庭の家事労
ピン政府は最後まで実質賃金のヲ │
き下げに抵抗し
働まて、担ってもらう事ができる 。
(
9) この中には、子どもが実家に住むという方法や、
たが。台湾政府が受け入れ停止 をちらつかせたた
め最終的に合意した(自由 時報0
1年 9月 8日)
。
親が こどもの 家を転々 とするとい った形態を含
(
1
6
) 強制貯蓄は韓国や日本でも用いられている 。
む。
(
1
7
) 製造業、建設業の雇用主が離脱防止のために講
人間文化 ・
2
5
台湾における外国人労働者の現状 一家事・介護を中心に一
7
3
.
8%) 以
じる措置としては、毎月の定額貯蓄 (
外に、心理的な安心感や安心感を 与 える対策を講
46.5%)、 レ ク 活 動 で 気 持 ち を ほ ぐ す
じる (
(
3
3
.
5%)、不満などの相談窓口を設ける (
3
0.
1%)、
門限を厳しくする (
29.
1%) などとな っている
(
行政院労工委員会編
1
9
9
8)
。
(
l
s
) 労 働 者 の 支 援 団 体 で あ る Hope Workers'
調査報告」行政院労工委員会。
行政│
淀労工委員会編(19
95) I
婦女労工統計」行政
院労工委員会。
行政院労工委員会編(19
98) I
外籍労工管理及運用
調査報告」行政院労工委員会。
Centerは、実際には労働者の名義の口座に貯蓄
が行われていないこと、利子を支払わないこと、
2003) I
外籍労工管理及運用
行政院労工委員会編 (
さらには契約終了以前には労働者が求めても雇用
2003
)I
人力資源統計月報」行政院
行政院主計処 (
主が貯蓄を返さないこと、なとなが行われていると
指摘している 。
(
1
9
) ただし離脱率の高さは労働条件の惑さが影響し
ていると考えられる 。例えば、インドネシア人は
調査報告」行政院労工委員会。
主計処。
内政部統計局 (
2001
)I
老人状況調査報告」内政部
統計局。
行 政 院 経 済 建 設 委 員 会 ・内 政 部 ・行 政 院 衛 生 署
すでに検討したように休日の取得が保障されてい
(
2
0
0
3)I
照護服務産業発展方案推動執行資源手冊」
ないなど労働条件が悪い。インドネシア人女性の
行政院経済建設委員会
家事 ・介護部門での就労が急増するにつれ離脱率
も1
9
9
8年の 2.8%から 2
0
0
3年には3.66%に上昇して
いる 。 インドネシア人の離脱率の上昇は労工委員
同
員会。
行政院労工委員会編(19
95) I
外籍労工管理及運用
内政部児童局編 (
2001
)I
児童生活状況調査報告 J
内政部児童局。
中華労資事務基金会(19
96) I
我国外籍労工之管理
会や政府系の外国人労働者相談所も労働者の過酷
問題及其相関法制之興革」行政院労工委員会職業
な労働環境にあると考えている 。
訓練局委託報告書。
複数の支援団体が指摘していたのは労工委員会
との 「関係」が重要ということである 。例えば、
雇用 主から虐待などを理由に就業先の変更を申請
する際には労工委員会の許可が必要となる 。 しか
し、良好な「関係j を支援団体が持っていない場
。
合はいい結果が得られないという 。
1
) 台湾政府社会局や一部の支援団体はシェルタ ー
を運営し、被害者を保護している 。 しかし、シェ
ルターは不足しており警察で保護されることもあ
る。 こうした場合、被害者である労働者が犯罪者
のように扱われることが問題である 。
91
)I
対外女傭看法及囲内
行政院労工委員会編(19
女傭雇用現況興供需意願統計報告」行政院労工委
26 ・人間文化
論文
近江文化を支える太鼓劉倣術とその背景
中島順子
人間文化学研究 科 地 域 文 化 学 専 攻
日本地域 文 化 論 博 士 前 期 課 程
1太鼓が支える文化
はじめに
太鼓は古くから人々の生活に深くかかわってき
1-1 民俗行事 ・芸能と太鼓
た。一番古い証拠は太鼓を打つ人の埴輪だといわれ
滋賀県の太鼓を使う芸能には、鎌倉時代や室町時
ている 。 この埴輪は 6~7世紀の群馬県佐波郡の干IT 墳
代に起源を有し江戸時代にその形が出来上がったも
から出土したものである l。近世に至ると、城には
のが多く、古い時代の太鼓が何度も張り替えられ使
時を告げる太鼓が毎日打ち鳴らされ、太鼓製作は被
われてきた。
差別部落の重要な生業であった。現在も、祭りや雅
今も虫送りやオコナイの合図、六斎念仏に使われ
楽・能楽などに欠かせないものである 。寺や神社に
ているし、雅楽や祭などの芸能にも必要である 。 と
も必ず太鼓がある 。 とくに滋賀県では太鼓を使う民
くに、祭では、大きさや形、種類の異なる太鼓が多
俗行事・芸能が数多く継承されている 。胸に吊るす
数使われている 。 町村によっては多数の締め太鼓を
締め太鼓 2から直径1.5mもある大太鼓まで、さまざ
所有しているところもある 。
まな大きさの太鼓を使う 。民俗行事 ・芸能において
六斎念仏に使う太鼓は、直径約 2
0
c
m、胴の長さ約
3
0
cmと小さく、胴に持ち手が付 いている 30
太鼓は重要な位置を占めているが、その太鼓は一体
曳山祭では、笛や鉦とともに太鼓を磯子に使う 。
どのように作られているのだろうか。
太鼓は一度作ると 3
0、4
0年もっといわれる 。皮が
五穀豊穣を願う春祭りでは 、太鼓磯子だけではなく、
損傷すると張り替えられ、 2
0
0年
、 3
0
0年と長期にわ
大太鼓の渡御を行うころがある(写真 1。
) 雨乞い
たって使われている 。太鼓職人は製作・張り替え年
の太鼓踊りには、多数の締め太鼓を使う (
写真 2。
)
と自身の名を胴内に残しており、その墨書銘が張り
太鼓登山で有名な彦根市の稲村神社の春祭りでは、
替え時に明らかになる 。現在も、張り替えに持って
直径約1.5m、重さ約1.5tもあるといわれる大太鼓
こられた太鼓から近世太鼓職人の墨書銘が確認され
0人もの男性で担ぐ。神社の境内までの坂道を掛
を6
ている 。それによると近世の滋賀県には多数の太鼓
け声とともに担ぎ上げる(写真 3)。 かつぎ手の力
職人が存在したことが明らかになっている 。 しかし
と息が合わないと太鼓登 山はできないという 。 I年
太鼓の製作工程や製作技術は明らかにされることは
に一度の太鼓登山を成功さ せ るために 町民の力を結
なかった。太鼓製作は滋賀県の民俗行事 ・芸能を支
集するのだともいう 。太鼓はその中 心 に据わってい
えてきた重要な生業である 。太鼓屋は張り替えを通
ると話してくれた人がいた。太鼓は町民が団結する
して、音のよく響く太鼓に生まれ変わらせ、伝統的
ために象徴的な役割jも来たしている 。
オコナイや祭りは町村挙げて行われる 。太鼓踊り
な民俗行事 ・芸能を支え て きている 。
現在、滋賀県の多くの太鼓皮を張り替えているの
は、就学前の子どもから、中学生・高校生、おとな
は、愛知郡旧愛知川町にある 2軒の太鼓屋である 。
までが太鼓を打ち、踊る 。年齢層は実に広い。太鼓
本研究では、太鼓が支える文化的背景を基に、太
渡御は青壮年男子が中心であるが、多数で担ぐ。沿
鼓製作工程とその技術を 明 らかにする 。そして太鼓
道には子どもや老人が見物をする 。 このように人び
製作や技術を支えてきた背景を考察する 。
とは人生の長期にわたって太鼓と接し、民俗行事や
民俗芸能を継承してきた。 そ こには太鼓に対する愛
写真 1太鼓渡御(兵主神社)
岡神社)
写真 2 太鼓踊 り(
写真 3太鼓登山 (稲村神社)
人間文化・
2
7
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
着も生まれる 。太鼓の打ち方は年配層から若者、子
太鼓を使う民俗文化の継承は、新たな「太鼓文化J
どもへと伝授され、そのための組織も作られている 。
を育み、近年あちこちで子どもの太鼓集団も結成さ
また、民俗芸能調査記録には太鼓の打ち方や踊り方
れている 。太鼓が支える民俗文化はますます広がっ
が詳しく記されている 。
てきている 。
このように、太鼓は人びとの生活に根ざしており、
張り替えて大切に使うという民俗文化を定着させ
2太鼓製作工程と道具
た。同時に次世代に太鼓への愛着・関心を継承する
2-1旧愛知川町の太鼓づくり
という民俗文化をも育んできている 。
太鼓は大きく分けて、
締め太鼓と鋲打ち太鼓
1-2 情報伝達と太鼓
に分けられる 。 私たち
地域を巡回する夜番に日常的に太鼓を 使うところ
がよく見るのは「宮太
がある 。 また災害を知らせるための太鼓棉が集落の
鼓」 といって鋲打ちの
広場に残 っているところもある 。
代表的な太鼓である 。
八七l
市市神田町の太鼓絡には太鼓と共に半鐘も吊
り下げられており、今も祭開始の合図などに使われ
ている 。中小路町の太鼓櫓の正面には太鼓合同板が
) そこには、青年会
取り付けられている (
写真 4。
消防集会や総農業組合集会、消防非常時に太鼓を打
つことや、打ち方のちがいがO印でわかるように記
されている 。 また、彦根市本庄では大雨のときに太
鼓が打たれるという 。大水のことを 『
太鼓水』 とよ
び、堤防のえぐれたところなどを発見すると、太鼓
をならして、村中の青壮年を集めて水防活動が行わ
れ、洪水や火事などのときでは打ち方を変えていた
という 〔
嘉凶 2
0
0
2
)。
「太鼓」といえばこれを
f
l
同
きすことが多い (
図1)。
宮太鼓は木をくりぬ
いた「胴」に牛皮を張
ったものである 。 1
I
摸」
図 1宮太鼓の各部名称
を支え、青を響かせる
のが1同
で
、 一本の木をくりぬいて作られる 。1同に適
しているのはケヤキで、ほかに、タモ、シオジ、セ
ンなど、堅くて木目の詰まった木が使われる 。胴を
くりぬくことを「胴くり 」 といい、昔はチョウナで
周3
ったという 〔
三宅
r
1
9
9
7
)。チョウナの方向によ
って「縦ぐり J 横ぐり J(
写真 5)がある 。胴には、
太鼓を吊るしたり持ったりするために「座金」と
「鋭」が付けられている 。座金はカンを固定するた
満動
2
額 舵農業組宮舞金
••
...
・
r
-
本
宮
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
v・
,
••••••
••••••
めの物で彫り物などの装飾がほどこされている 。パ
チで打つ鼓面を「鏡」、胴が鏡に触れるところを
「歌口」といい、ノミで掘り込んでいく 。歌口の作
り方によって膜の振動がちがい音もちがってくると
いわれる 。
膜を固定しているのが「鋲」で、太鼓の大きさに
よって鋲の大きさも決まっている 。
写真 4太鼓櫓・太鼓合図板(八日市市)
太鼓は情報を伝達するだけでなく、生活の安全を
守り、村の組織の維持に役立つてきたことが分かる 。
また、伝達内容を知るには打ち方のちがいを聞き分
けなければならず、太鼓の音への注意・関心といっ
たことも生まれる 。
このように村の生活において重要な情報を伝達す
るには、丈夫で、音が響く太鼓が必要とされ、太鼓づ
くりには高度な職人の技術が不可欠であった。
2
8 ・人間文化
(縦ぐりの太設)
写真 5胴くり
(横ぐりの太鼓)
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
大阪浪速区には 4軒の太鼓屋があるが、太鼓屋は
化している 。「アジ イレ 」は専門の大工仕事である 。
数種類の大きさの太鼓胴を多数所有している 。ケヤ
漉きカンナ
形状を白分で考案し近在の農家に製作
キをくりぬいた胴は高価で所有するには資金が必要
依頼した。 カンナの刃は、板から 2-3m
m出ている
である 。その上、耐用年数が長いので商品としての
状態にしている 。 ネジを外して刃の長さを調節する
販売機会が少ない。胴を多数所有しているという こ
が、ネジは板が割れるのも防ぐ。刃には、コンパイ
とは太鼓屋の規模を示すといわれている 。浪速│ヌーの
ンの不安にな った刃を使っ ている 。漉きカンナは作
太鼓職人は胴も皮も多数所有しているのが太鼓屋だ
業の前には必ず研 ぐので、刃 が磨り減 ってくる 。
という 。 このことから考えると、 I~I 愛知川町の太鼓
(
3
)
皮を打つ
カケヤ 皮を打ちドろしたり、クサピを打ち込んだ
りするときに使う 。大 ・仁
1
1・
- 小と 3種類ある 。
クサビ 太鼓台の 2枚の板の間に入れる 。 4種類の
大きさのクサビがあり、太鼓の大きさによ って使い
分ける 。堅く割れにくいカシ の木で作 る。
屋は胴をほとんど所有していない。 ここでは太鼓皮
の張り替えが中心である。「張り替え屋」といえる
かもしれない。
張り替えの依頼は 4、 5月から 夏にかけて多い。
季節的に も太鼓皮が乾燥しやすく張り替えに適して
いるが、梅雨時は避けて行う 。
私が太鼓皮の張り替えについて調査させても らっ
たのは
2軒のうちの 1軒で、昭和初期に始業した現
在 2代目の太鼓屋である 。父親が八日市の 7代目を
名乗る太鼓屋に教えてもらったという 。聞き取りや
写真撮影は、注文があった太鼓の張り替え作業のと
きに行ったものである 。
2-2使用する道具
r
製作工程では、皮を「切る J 漉く
r
Jr
打つ Jr
張
(
4
)
皮を張る
コウガイ 5 丸く切 った 皮の周りに 差 し込んで使
う。2種類の長さのコウガイがある 。長い方 はカシ、
短い方はタケでイ午つである 。皮にコウガイを止める
とき麻紐で縛るので、そのあたりが細 くなっている 。
マンリキ 長さ約 3
0
c
mの棒で、カシの木でできてい
る。 ロープの問に差 し込んでねじるときに使う 。マ
ンリキの中央は、ロ ープで締められるので長年の聞
に変形し、中央が少し細くなり湾曲している 。
太鼓台
柱を縦横 3段に組み、その上に丸く組み合
るJ 印をつける 」 などの目的でいくつかの道具 を
わせた板を 2段重ね て組み立てる 。太鼓の大きさに
使う 。道具からは太鼓づくりの工程、歴史や地域性、
合わせて柱の数や太さ、板の大きさを変えて組む。
技術の継承などが読み取れる 。太鼓づくりや生きて
板の厚みは 4c
m程度必要で、ケヤキかマツで作る 。
きた人の知恵が具体的に示され、長い年月をかけて
太鼓台は 5 寸刻みにlO ~l 以上ある 。
伝承されてきたものである 。
小太鼓周の台
ここでは、道具の材質や形状、使用法を具体的に
述べていきたい。主な道具については実測図 (
図 2)
を示す。
(
1
)
皮を切る
小出刃 ホームセンタ ーなどで購入したもので特別
な道具ではない。使用する前には必ず研ぐ。
ビンキリ 八日市の太鼓屋がタバコの葉を刻むのに
使用していたのをもらい受け、父親が皮を切るのに
使っていたが、今は使わない。
(
2
)
皮を漉く ……皮は場所に よって厚さがちがう 。 ど
こを打っても同じ音を 出すためには皮を 同 じ厚さに
しておく必要がある 。胴に皮を張る前に、裏を漉い
て厚みを均一にする 。この作業を「裏漉き」という 。
皮は一晩水に浸け、柔らかくしてから作業する 。
裏j
鹿き台 平らな 一枚板を台で支える 。板は家を新
築したときに不安になっ た棚板を活用した。割れな
いように「アジイレ J4という 工法で角材を打ち強
約3
0
c
mまでの小さい太鼓の皮を張る
ときに使う 。丸い台に 8本の俸を 差 し込み自作した。
マンリキやコウガイの折れたものや、ツバキの枝な
どを 差 し込んであるので長さがちがう 。 この棒は太
鼓台の柱と同じ役目をする 。
ジョウギ
鋲の位置を決めるときに使う 。検板を太
鼓商に乗せて、歌口に沿わせて 円をt'
i
dき、皮に印を
付ける 。皮に当たる部分には釘が打ち付けてあり、
この釘が印を付ける 。鋲はこの印に沿 って、等間隔
に打 っていく 。横板は上下さ せて、鏡と釘との間隔
を変えることができる 。使いやすいように改良しな
がら自作したという 。縦板に一寸刻みに数字がつけ
られていて、太鼓の大きさに よって位置を変える 。
コンパス (
デイパイダー)
太鼓に打つ鋲の間隔を
決めるときに使うデイパイダーを「コンパス 」 と呼
んでいる 。 ホームセンタ ーなどで購入する 。
へ り切り
鋲を打った後余分な皮を切るときに使
う。太鼓面に検板を乗せ、歌口に沿わせて円を描く
人間文化・
2
9
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
1
0cm
10cm
│戸
J
l ビンキリの皮力パー
裏漉き台
10cm
ロリ
ジョウギ
へり切り
10cm
10cm
L-5E-L
」
l
唾工主コ
r¥
漉きカンナ
太鼓台小太鼓用
太鼓台 2
尺 2寸用
U戸 三 三 副 ミ コ
10cm
亡二コL
二仁二コ
セ
ン
ニベ取り台
30 ・人間文化
図 2 主な道具の実測図
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
と、縦板の下に付けた刃が皮に切り目を入れていく 。
ので、この板を 「カマボコ板」 ともいう 。皮のすべ
横板は上下 させ、切る位置を変えることができる 。
構造的には ジ ョウギと似ているが、印を付ける のが
りがよく刃物のあたりがいし、。父親の代から使って
いるので、支え台の一部は破損し、別 の板で補修し
釘か両刃の刃かのちがいである 。
f
吏ってきた。昔は台の代わりに太い竹を使用したと
他に、木槌やカケヤ、クサピを使う 。 カケヤは
大 ・中・小と 3種類の大きさがあり、クサピは 4種
類の大きさがある 。
以上調査した道具 に電動のものはなく、道具はす
べて 自身の手で動かす。また、ほとんど自作であ る。
いう 。節を取り、原皮を乗せた。
伶
う ように 弓形になってい
セン 「カマボコ板」 にj
る。皮の裏 についている脂肪や血、体毛をこそげと
る。昔は出刃包丁を使 ったという 。
聞き取 ったなめし工程は次のとおりである 。
ニベ取りは、休みなくやっ て も、皮 I枚に 3時間
父親の代から長く使っているものもある 。
父親が太鼓屋 を始めた ころ、道具は特別な物は使
ほどかかり 、取 った脂肪はバケツ 2、3杯にはなる 。
わず、日常生活にある物を応用して使っていたとい
首の後 ろ辺りは特に脂肪が厚く取りにくいという 。
う。皮を漉く台には竹の棒を、切るとき、漉 くとき
には出刃包丁をという具合にである 。その後、少し
ニベ取りを充分行 っていると毛も取りやす いのだと
し
、
つ。
ずつ使いやすいように工夫されてきているが、扱う
ニベ取りが終わると水洗い し
、 近くの)11の流水に
さらして 浸けておく 。その関は川に何度も見に行く 。
道具は極めて単純な構造で数も少ない。道具 を作る
ときは廃材を活用し、修理を重ねて長期にわた って
使う 。材料や道具の進歩に頼るのではなく、扱い方
を工夫 してきたことが分かる 。道具 を扱う太鼓職人
の技術が長年にわたって高められてきたといえる 。
天気や水量の変化 により原皮が流れたりするからで
ある 。2週間もすれば、 表の体毛が取れやすくなる 。
水を 含んだ皮は重 く、家まで、運ぶのが一苦労だった
という 。 この後センで体毛を こそげ取 っていく 。力
皮の表面) に傷がつき、
を入れすぎると 「
銀面 J(
2-3太鼓の製作工程
2-3-1 皮なめし
使い物にならなくなる 。
次に この皮を乾燥させる 。パイプで大きな台を組
と畜場から 買っ た「原皮」の体毛や皮下脂肪などを
み、その上に皮を広げる 。皮の端を紐で結んで止め
る。その後 このパイプ台を 作業場の扉や壁に立てか
けて自然乾燥させる 。パイプ台は二人で運んだそう
だが、その重さは大変なものだ、 ったという 。
取 って 「
太鼓皮」 を作る工程をいう 。皮なめしは重
労働なので今はしていない。東京の皮革製造業者か
なめし作業は冬が適している 。夏だと皮が腐りや
すいという 。水を使う冬の作業は厳しく 重労働であ
ら、太鼓皮を 買っている 。
る。原皮を数枚購入したとき は、原皮のままで置い
「なめす」は「鞍」と書き 、皮を柔らかくするこ
とである 。現在は「ク ロムなめし j といって重ク ロ
ム酸と塩酸を使 って化学的に作る 。 なめされて 柔 ら
かく加工されたものを「革」 と書いて「皮」 と表記
ておくと 臭いが近所に広がっ ていくので、短期間に
しあげるのだという 。 また、 ニベ取りや脱毛などの
太鼓皮の張り替えは大きく 5段階に分かれる 。
r
r
r
r
「
胴修理 J 皮づ くり J 仮張り J 本張 りJ 仕上げ」
である 。皮づくりの前段階に「 なめす」工程があり、
を区別する 。「
皮」 には毛皮 という意味があるから
である 。かぱんや靴、衣服などには染色された 「な
めし革 jが使われる 。 しかし太鼓の場合には、 「なめ
し皮」 と表す。 これは、本来のなめし工程とちがう
からである 。太鼓用は なめ し剤 を使わず、毛と脂を
取っただけの硬い皮である 。
「太鼓皮」 と記すことで
区別する こともある 。本研究でも「太鼓皮」 と記し
ている 。皮なめしの道具にニベ取り台とセンがある 。
ニベ取り台 原皮を裏返 して台の上に置き皮下脂肪
や血 をこそげとる(ニベ取り )ときに使う 。マツの
木の一枚板で、表面がカマ ボコ状に丸くな っている
作業 をするときは周囲を囲つで したともいう 。ニベ
取りの作業は周辺に気を遣っ て行われてきた。
2-3-2胴修理 (写真 6)
胴修理は皮を張り替える 前 に必ず行う作業であ
る。一番多い作業は歌口の研磨である 。歌口を滑ら
かにすることによ って皮と密着し 、音の響きがよく
なる 。
胴の形を補正することもある 。胴の厚みがちがっ
ていると、長年打つ聞にゆがみがでる 。木の薄いほ
うに 「
ふくれる j のを抑えるために反対方向にカス
ガイを入れておく 。 カスガ イを 入れたまま上から皮
を張る 。
人間文化・ 3
1
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
例(
3
)
例(
1
)
歌口の研磨
ハンマ ーで鉄片を曲げ、胴に合
わせて付ける。
写真 6 胴修理
コウガイ入れ
裁断
胴を補強
.
.
コウガイとコウガイの聞にもロ
ープを通す。皮を縫い足して使
うこともある。
写真 7 皮づくり
また、歌口にすでに修理の埋め木をしてある太鼓
もある 。 その場合は内側から、鉄片を当てて胴が割
裏j
鹿き
水に浸けて柔らかくなった皮の裏似J
Iを漉き
カンナで削り取って厚みを均一 にする 。 漉き板の上
れないように補強する 。鉄片が胴の曲がりに沿うま
に皮を裏向けて置く 。 漉きカンナを両手で持ち、両
で何度も打ち出し、ボルトで太鼓胴に打ち付ける 。
手に均等に体重をかけ漉いていき、厚みは手でつま
肯い皮をはずしてみないと胴修理が必要かどうか
んで確認する 。カンナの刃を立てて漉きおろすので、
はわからない。皮を張ったら見えない箇所だが、音
皮を切らないように力加減をする 。皮を手でつまみ
に影響が出るので必ず修理をする 。修理に使う木の
ながら、必要な箇所にカンナをかけていく 。 シュ ー
端材や鉄片は使えそうなものを日常的に残している
ッ、シュ ー ッという音ととも に薄皮が転げ落ちる 。
という 。ここにも張り替えの知恵が生かされている 。
漉き取られた薄い皮は捨てるが、昔は細かく刻み、
畑の肥料に使 ってい た。
2-3-3皮づくり (写真7)
コウガイ 入れ
皮の周りに切り込みを入れ、コウガ
皮づくりは、音を出す太鼓の皮に仕上げることで
イを差し込む。皮をコウガイに巻きつけ麻紐を掛け
ある 。 「裁断J 水に浸ける J 裏漉き J コウガイ入
る。皮の薄いところは、折り返して二重にして止め
r
r
r
れ」の工程がある 。
る。皮を継ぎ足してコウガイを止める部分もある 。
裁断
皮は牝の牛がいいとされている 。牝は皮のき
継ぎ足しでも、後で切り取るので影響はない。麻 紙
めが細かいという 。皮は首の方にしわがある 。 この
は力を加えても伸びず丈夫で適している 。裏漉きか
あたりは皮の力が強いので伸びにくく、いい音がで
らコウガイ入れまで、 6
0
c
m程度の太鼓の片面製作に
る。主に大きい太鼓に使う。て、ん部の方は伸びやす
約 1日かかる 。
く、薄い部分もある 。皮は太鼓を打っている聞にも
コウガイとコウガイの問にも切り込みを入れ、こ
伸びてくるので、でん部の皮を使うときは、強く張
こにはロ ー プだけを通す。皮の周聞にロ ー プを小間
り、途中で皮が伸びて音が変わらないようにする 。
隔に通すことにより、皮が均等に伸びるようにして
裁断するときは、太鼓の大きさや皮の傷などを見
いる 。 この作業は自身が考案したものだという 。皮
極め、どの部分を使うかを判断する 。裁断した皮は
一晩水に浸ける 。一晩浸けると皮は柔らかくなる 。
32 ・人間文化
に均等に力を加えるようにする工夫である 。
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
①太鼓台を組む。ます、柱を 2本すつ井けたに 3段組む。一番下の柱は、安定ょくするために
間隔をあけて置く 。次に、板を丸い形に組み合わせ、縦・横交互に 2段重ねて柱の上に置く 。
②
③
コウガイと太鼓台の柱にロ ープを掛
ける。
皮を踏んで伸ばす 。
チェーンは天井の梁
から吊るしてある。
⑥
⑦
マンリキを差し込み 1固まわ
したあと、 ③のようにもう ー
度皮を踏んで伸ばす。
塩ビ管(約 5
0
c
m
)にマンリキ
⑤
f
卦けたロープを締めなおす。
二重にロープを掛ける。
⑨
⑧
木槌を打ち下ろして伸ばす。
を差し込みまわす。マンリキ
I
e
l
:1回すつまわし 1周する。
天日で乾燥。胴が割 れないよ
うに布で震う o 2,3日で乾燥
する。
写真 8 仮張。
2-3-4仮張り (写真 8)
仮張りは水張りともいう 。皮を水に浸けた後、太
掛けた段階で約 1
3
c
m下が っていた 。仮張りを終えた
段階では、 1
7
c
m
2
0
c
m下がっていた。皮の厚いと こ
鼓の形にあらかじめ伸ばしておく段階である 。水に
ろは伸びにくく、薄いところはやl
f
びやすい。本張り
浸けた皮は伸びやすく、胴に j
合わせて乾燥させると
c
mぐらい下がるという 。強く張るために
ではさらに 1
その形に形成される 。 この段階でできるだけ仲ばし
は、できるだけ仮張りの段階で伸ばしてお くという 。
ておくという 。
m、高さ約7
C
畑、胴の厚さ約 5
ここでは、 直径約伺c
c
mの標準的な宮太鼓の仮張り工程について説明する 。
胴に乗せた皮は一晩水に浸けた後なので、 柔らか
くしなやかである 。それが、力を加えることでどん
どん伸びていく 。掛け終わったロープをもう 一度締
めなおすだけでもすでに皮は伸びている 。
かかとで皮を押し出すように何度も踏むと、皮は
2-3-5本張り (写真 9)
本張りの観察調査を行なった太鼓は、直径約 1
2
5
c
m、高さ約 1
5
0
c
mの大太鼓で、ある 。胴はケヤキで作
2
c
mもあった。胴の左右に外径
られており、厚みが 1
3
0
c
mもある大きなカンが付けられ、それぞれのカン
の上下にも外径 l
l
c
mの小さいカンが 2個ずつ付けら
れている 。
r
すり鉢のように大きくへこむ。伸びた皮をロープで
本張りには、「皮をさらに伸 ばす J 音を確認 しな
引 っ張り、次 はマンリキでロープをねじる 。マンリ
がら 伸 ばす J 鋲を打つ J 余分な皮を切る J工程が
r
r
キを回すことも 2回目になると手の力だけではでき
ある 。必要に応じて夫婦二人で作業をする 。
なくなる 。塩ビ管に差し込み、てこの原理を応用し
(
1
)
皮をさらに伸ばす
て回していく 。ねじられた ロー プは木のように堅く
なっている 。
最後に木槌で皮を伸ばす。「響きを入れると皮は
ググッと下がる」という。
このように胴の形に沿って、皮を伸ばしていくが、
仮張りの段階でどれぐらい伸 びたのだろうか。
歌口から下への長さで調べると、 二重にロープを
仮張りした皮を -s胴からはずすと、ロープを掛け
て伸びを固定していたのが、少し縮んでしまう 。 この
太鼓の場合、胴に皮を乗せたとき元の位置より 3c
m上
に収ま った。 この状態から伸ばす作業が始まる 。
ロープを掛けて伸ばす工程は仮張りと同じである
が、太鼓が大きいので重労働になる 。体全体を使 っ
てロープをかけ、外に引き出すようすが写真からわ
人間文化・ 3
3
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
本張り
(
1
) 皮をさらに伸ばす
第一段階(ロープを掛け、ねじって伸ばす。
)
庄太鼓台を組む。
②
③
仮張りした皮をはすし裏表をぬらす。布に水をしみ込ませ試くようにぬら
す。裏は水が溜まるように充分ぬらす。
⑤
⑤
y
④
¥ ,
霊にロープを掛け、強
く締める。
⑦
⑥
二重に口 ブを掛け、強く
締める 。
③
♂r
~令,.
三重にロープを掛け、強く
締める。
二人で調子を合わせて打ち
下ろす。
皮を踏んで伸ばす。
ぬれた布で皮を湿らせ、
伸びやすくしてからマン
リキをまわす。左半周と
右半周の 2固に分けてま
わす。
⑪
⑫
クサピを打ち込みロ ープを引っ張る 。 通り打ち込んだ後、
さ5
1こ打ち込む。
二人で調子を合わせて打ち下ろ
す
。
第三段階(さらに踏んで伸ばす。
)
⑪
⑮
⑬
踏んで伸ばす。
クサビを打ち込む。
写真日
3
4 ・人間文化
本張。・仕上げ
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
(
2
) 音を確認し広がう伸ばす
①
②
パチで鏡を打って音を棒、く。
一人はクサビを打ち込み、もつ
一人は皮矧ち下ろす。
⑤
ー
@;
⑤
二人で調子を合わせて打ち下
ろす ?の後、 伺箇所かパチ
で打 主音を聴く 。
皮の伸びを数値で確認する
ため、ジヨウギを当てて皮
I
こ印を付ける 。鏡からの長
己を測っておく 。
L
(
3
) 鋲を打つ
⑦
③
②と③の作業を繰り
返す。その後⑤で付
けた印までの長さを
測ったところ、皮は
1m
m下がっていた。
2段に鋲を打つ。
コンパスで鋲の間隔を決める。
鏡の数ヶ所をパチで打って音
を確認する。
仕上げ
(
4
) 余分芯皮を切る
①
②
ヘリ切りで切る位置を決め
る。
①
②
大き芯カンに荷揚げ周の
ベル トを通す。
小さい力ンにロープを通す。このロ
ープで太鼓を吊り上げたときのバラ
ンスを保つ。左側を下の力ンに通す
と、右は上の力ンに通す。
コウガイをはずした後、小出
刃の先の方を使い皮を切って
いく 。
④
③
・
・
・
・
・
・
・・
盟
・
・
・
・
・国
.
'
!
?
.
;
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ .
I
可,
@
Q
.
,
・
‘
,
、
a
一一
oJ! l ゅ出ゆぞ-....;;;-~一二訓
京
ニ
・司・
・
・
・
E
E
E
圏-匂
~_
伺
・
4
チェーンブロックで引き上げなが
ら、横に置く 。
ベルトとロープを一緒にチ工 ンブロックに掛ける。下に毛布
を置いて太鼓に傷がつか芯いようにする。二人でチ工 ンブロ
ックとロ ブ、力ンを引きながら、太鼓を吊り上げる。
人間文化 ・
3
5
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
かる 。「皮をさらに伸ばす」工程は大きく 3段階に
わけられる 。
第一段階(ロープを掛け、ねじって仲ばす)の最
ン・ドンと大きい 山になるという 。
(
3
)
鋲を打つ
ジョウギで付けておいた線上にコンパス(デイパ
後は、小カケヤを持ち二人で皮を打ち下ろしながら
イダー)で鋲の間隔を決めていく 。鋲の大きさは太
一周する 。 もとの位置にもとぶった皮はそこから 3皿
鼓の大きさで決まる(この太鼓には直径 5c
mの鋲)
。
下がった 。 3
.
3
c
m伸びたことになるが、乾燥させた
鋲より少し広い間隔で伝p
をつけていく 。間隔の微妙
皮が縮んでいたので、第一段階では皮を元の大きさ
なちがいは鋲を打てば目立たないという 。はじめは
にもどす段階ともいえる 。
つ。鋲は 2段で、 1
5
0個打った。
下段、次に上段にすT
(
4
)
余分な皮を切る
1
第二段階(皮を踏んで 1
'
1
ばす)の特徴は、大きな
カケヤ (
以下大カケヤ)でクサピを打ち込み伸ばす
マンリキとロープをはずすが、マンリキは締まっ
ことである 。大カケヤの重さは約 7k
g、クサピの長
ているので塩ピ管を使って反対に凶しながら I本ず
さは約 4
0
c
m。
つはずしていく 。へり切りで線を付けた後、コウガ
一通りクサピを打ち込んだあと、大カケヤを振り
イをはずす。皮が硬く巻き付いているので金づちで
下ろし 1本ずっさらに打ち込む。「フウッ一、フウ
コウガイを打ち出す。皮を切るときは小出刃で初め
ッーJと大きな怠が聞こえる 。 この後小カケヤを使
に縦に切り込み、次に線に沿って小出刃の先の方で
い
、 二人で皮を打ち下ろしながら 一周する 。 カン・
切っていく 。皮が薄いと ころは一気に切れるが、厚
カン・カン・カンと 一拍遅れの青が響く 。皮がピュ
いところは小出刃が進まない。切り終わ った皮を引
ン、ピュンと鳴り響いている 。
っ張りながら、 二人で息を合わせて作業する 。
第三段階(さらに踏んで伸ばす) は
、 ー
│
こに乗って
皮を踏む工程の 2凶目である 。踏む前に濡れた布で、
2-3-6仕上げ(写真 9)
皮を湿らせ伸びやすくする 。「ヨイショ 」と掛け声
両面の張り替えが終わると、胴を磨いたり、カン
をかけ太鼓の上に乗り、かかとで押し出すように踏
や座金の補修をしたりする 。小さい太鼓は太鼓台に
む。「この歳になる と膝が痛い j といいながら 。皮
乗せたままでも補修できるが、大太鼓になると台か
がまだ厚いと感じたところを濡れた布で湿らせ、そ
ら下ろし、太鼓面が左右になる ように横に置きかえ
こにあて布をして、上から中カケヤで打ち、部分的
て仕上げの作業をする 。
に皮を伸ばす。
大カケヤでさらにクサピを打ち込む。
このような大太鼓を二人でどのように置きかえる
「フウッ ー、フウ ッーJと大きな息が聞こえる 。 こ
のか、大変興味があった。作業を 二人だけで行うた
の後、 3回目に太鼓の上に乗ったときは、堅い感じ
の青がしていた。
めに、チェ ー ンブロックを使う。 一人がチェーンブ
(
2
)
音を確認しながら伸ばす
三段階にも及ぶ皮伸ばし作業の後、初めて音を聴
く。 さらに伸ばす必要を感じ、今度はクサピ打ちと
皮打ちを 二人で同時に行う o このときも 一拍遅れの
リズムで打ちながら 一周する 。「フウッ 一、フウ ッ
-Jと息はますます大きくなる 。
皮の伸びの限界を数値で確認するため、ジョウギ
で皮に線で印を 付け 、付けた印が歌口からどれぐら
い下がったかを確かめる 。伸ばす工程の最終段階で
1m
m下がるとかなり音が変わるという 。 この後の作
m下がった。やはりまだ伸びる余地があ
業で皮は 1m
ったのである 。
最後にパチで、鼓面を何箇所か打ち、音を確認する 。
きに置きかえる 。「ジワッ ーと、 ジワッーと」と声
ロックを操作し、もう 一人が太鼓を支えながら横向
を掛ける 。緊張する作業のあと「二人の息が合わな
あかん」と話していた。
この大太鼓の皮の伸びを一点で測定したところ、
仮張りでは初めの位置より 1
2
c
mFがっていた。それ
mも縮んだのだ。
が本張りのときロープを外すと、 3c
ぬれた皮は伸びやすく乾くと縮むというのが皮の性
質であるが、本張りの作業はこの縮みを少しの湿り
気でさらに伸ばす作業である。本張りでは、縮み分
m
伸びたことになる 。
を含め 3、 4c
以上、太鼓の張り替え工程を写真資料と対応させ
ながら具体的に示した。張り替え作業は、皮の性質
を考慮して使う道具を変えながら皮を伸ばし張る 。
「うなりで音を 確かめる Jと太鼓屋さんはいう 。 う
その技術が生かされる作業である 。
なりは音の振動らしい。 よく締めていると振動が細
かく消えていくという 。締めていないと、振動はド
太鼓屋を営む人が高齢になってくることを考える
と、今記録しておくことは重要である 。「ここの太
3
6 ・人間文化
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
鼓屋がのうなっても、大阪に も京都にもあるし 、三
重にもあるから、張り替 えはできるよ 」 と、この太
う。同じ厚さになっている と感じ るまで漉く 。
皮の厚みは色によってもわかる 。濃い飴色の部分
鼓屋さんはいうが、県知事選定の伝統産業として指
は厚い。それに比べて白っぽい部分は薄い。牛の体
定されてもおり、多くの 人に関心を 持ってもらいた
でいえば、首から背中にかけての皮は厚く、腹部や
い作業である 。
でん部は薄い。皮の色や使う部分によって、あらか
じめ漉き方の見当がつく 。
3太鼓製作の技術
大きい太鼓なら、首から背中にかけての部分が太
太鼓屋さんは、「信用ある仕事をせんと、また張
鼓の鏡の真ん中にくるように裁断する 。小さい太鼓
り替えにもってきてもらえません j と話す。皮を張
の場合は、首・背中以外の部分も使うから、皮の厚
れば隠れてしまう胴を修理し、「腹にはまる仕事を
い音¥
1
分が鏡の端になることもある 。 どの場合も鏡の
せんとあかん」 と、大太鼓の片面の本張りには実に
厚みが平均 になるように漉く 。太鼓の大きさによっ
5時間を要した 。手を抜かない仕事ぶりである o 道
て皮の漉き方がちがってくる 。漉きカンナの扱い方
具を使い こなしての作業は次々と進んでいったが、
も皮一枚一枚ちがうのである 。
使用する道具は決して多くない。
伸ばす
湿った皮は力を入れて押すと伸びる 。足を
7
0歳を過ぎた人が体力を使い「腹にはまる 」 まで
使うのは自分の体重を付加できるからである 。踏む
作業を継続させていったが、 一つひとつの作業工程
だけでなく飛び上がることもある 。仮張りで、初め
の完成基準はどこにあるのであろうか。「
信用ある
て皮の上に来ったときは、皮に弾力がある 。伸びた
仕事」の完成を決定する重要な基準である 。 しかし
皮を引っ張 っていくうちに、踏んだときの足への反
それを測定する道具や機械は作業場にはない。完成
発力が変わってくる 。本張りを終えるときには 「
板
基準は作業工程を観祭しているだけではわからない
のように墜くなっている 」 という 。「
足 で踏んだと
のである 。 どうやら太鼓屋さん自身がその測定器と
きの跳ね返り 」で伸ばし具合を知る 。鏡のどの部分
呼べるものを持っていそうである 。それは聞き取り
を打っても同じ音が出るように何筒所も踏み、跳ね
によってしか明らかにできないものである 。
返りを確かめる 。
聴く 太鼓は打っている聞に皮が仲びると音が変わ
3-1感覚的表現による伝承
ってくるので、張るときには極限まで伸ばす。その
太鼓づくりについて「父親は何も教えてくれんか
付lびは 「
音」で確認する 。太鼓面をパチで、打ったと
った」という 。子どもの頃から 作業を見、手伝い、
きの 「
音のうなり 」で決めるという 。パチを打つ強
作業工程や道具の使い方を学んで、きた。中学校を卒
さも関係するが、打ち方に多少の差 はあっても、打
業してから父親と共同で作業をするようになり、さ
ったと きの音の余韻を 聞き分けるそうである 。 「
音
らに考えるようになったという 。
が細かく消えていくときがいい」 と話す。「音のう
道具の扱い方の技術は、 何台もの張り替えを経験
して学んできたことは分かる 。 しかし、皮の厚みの
なり 」 はパチの動き と一体化し た太鼓屋さんの体、
耳が振動を確認している 。
確認や、皮の伸びを確認するための音の聞き分けに
このように太鼓づくりは、研ぎ澄まされた体の感
ついては、どのように習得してきたのだろうか。そ
覚を頼りに道具と体を 一体化させ作業する、その複
のことを質問すると、「どうやって?と聞かれでも
合なのである 。
言 うに言 えんねんもの」と話す。 さらに「一人前や
とおもた (
思った) ことはない。一生、勉強や。持
3-2技術と技能
って こられた太鼓を見ながら、どう修理し よか、ど
近世姫路の皮づくりの道具を現在のものと比べて
の皮使おかと 思案する。 太鼓は一つひとつちがうし、
みると、ビンキリ (タバコの葉切り ) と似た道具が
皮も 一枚一枚ちがうからな」と話した。そして「言
うに言えない j 内容を可能な限り次のように表現し
てくれた。
漉く
「漉く」 作業は、音の出る皮に作り上げる作
業である 。太鼓の鏡の部分の厚みが平均になる よう
に漉いていく 。「厚み は手でつまんでわかる j とい
あるし、センの代わりに鎌を使ったことが窺える 。
使用した道具の史料がほとんどないことから、変遷
の詳細 はわからないが、生活の中で、使った物を応用
してきたことが読み取れる 。 また 、道具の大きな改
良はなされなかったことも分かる 。
このよ うに見てくると 、太鼓づくり は、道具の進
人間文化・ 37
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
歩ではなく職人の道具を扱う技術にかかっていると
工程の繰り返しを増やすなどその太鼓によって変え
いえる 。 しかもその道具はきわめて単純な構造であ
ていく 。確認基準は職人の技能によるのである 。経
俄人の技術
り、力の入れ方一つで皮が傷つくなど、 l
験知や勘だけではない「知識の総体」があるように
がストレートに反映される 。 さらに、微妙な皮の厚
思われる 。 この「知識の総体」について研究は、困
みや背の確認には、道具が体の一部になるような使
難なことではあるが重要である 。その研究は今後の
い方が必要である 。単に「技術」 という表現ではい
課題としたい。
い表せない内容である 。
このことについて明確に応えてくれる研究は見当
たらないが、篠原徹は「技術」と区別する「技能」
4太鼓製作をささえる背景
4-1生業複合の実態
について述べている 。道具が体と 一体化して働く知
「太鼓だけでは生活でき ません」と太鼓屋さんは
識の総体を「技能」とし、「技術 j と区別している
いう 。 もともと米作り中心の農家であったが父親が
1
9
9
8 2)
。篠原のいう ように 「自己と同一
太鼓の張り替えを始め後を継いだ。 さまざまな生業
化に向かう 等身大の道具をあやつる知識の総体を技
を複合的に営み、生計を維持してきた。聞き取りを
能」とするなら、太鼓犀さんが感覚的な表現で伝え
もとに営んできた生業をまとめてみた。(表 1)
〔篠原
る内容はまさに「技能 Jであり、 言葉で表現するの
が困難な対象である 。
表 1から生業複合の実態は次のように整理でき
る。
「技能jの修練は対象が太鼓であるということに
①稲作の他に、稲作農業に組み込まれる形で営ん
関係すると思われる 。皮は一枚一枚厚みがちがうし、
だ牛の飼育や「縄ない Jがある 。中学生のころに
同じ皮であっても使う部分によって厚みがちがう 。
は、冬の農閑期に縄作りをした 。ハザ作りには、
ぞれが伸びに関係するのである 。たとえ太鼓の大き
棒を組み合わせ結ぶために縄が売れたという 。
さは同じでも胴の材質・厚み、歌口の削り 方がちが
②太鼓の張り替えの始業には、この村の歴史的背
う。上下の胴の大きさも微妙にちがうのである 。そ
景が大きく関係している 。近世から皮革業の村と
れらが膏の響きに関係する 。したがって一台一台の、
して栄え、明治初期には村人の約 6割は皮革業に
片面片面の作業が異なってくる 。厚みの確認、うな
りの確認はその太鼓によって決まる 。作業工程にも
従事していた。昭和初期にも約 2割の人が皮革業
を営んで、いた。
変化が生じる 。工程の組み合わせを変えたり、同じ
①麻栽培も張り替え業との関連で営んでき た生業
表 1 富んできた主な生業
農
業
およその年代
段業関連
自給別
太
鼓
賃労働jなど
作業場の拡充
作業場 1
7
1年前
建設
中学生の頃
米、麦、
ビール麦
2
0歳
米、麦、
ビール麦
3
0歳
米
野菜、芋
麻
│縄ない
牛の飼育
張り替え ・皮な
めしの手伝い
皮な
張り替え .I
めし
道路工事・水路
工事
金網工場勤務
→自営
作業場 2
士
首
築
4
0歳
作業場 3
増築
5
0歳
6
0歳
70
歳
38 ・人間文化
主替え
v
可
近江文化を支える太鼓製作妓術とその背景
で、太鼓づくりに使うロープの材料として栽培し
こで作業をしていた。 ここにはラジオや電話が設置
た。麻を刈り取り、 川原で干して乾燥させた後、
されている 。作業場で長時間働いていただろうこと
水に浸ける 。そうすると皮がむきやすくなる 。茎の
中の繊維を集めてローフ。に作ってもらったという 。
がi
思ばれる 。
2
1年前増築)
作業場 3(
④青壮年の頃には体力を必要とする道路工事や水
業を行っている 。鉄骨柱の 2階建ての作業場である 。
路工事の賃労働をしている 。
間口が広 く大太鼓の移動もさ せやすい。大太鼓の張
⑤工場勤務をきっかけに金網業の自営も行った 。
り替え時に使うチェーンブロックを設置しであるの
@現金収入のための稲作、金網業、太鼓張り替え
で天井は吹き抜けにしてある 。その回りは物置にな
現在はここで張り替え作
業は 3
0数年間営まれた。
っていて、新しい皮が保管さ れている 。 また、田植
⑦ 自給的生業になれば、野菜・花づくりや、み
えのときの前箱がたくさん積み上げられている 。
そ ・漬物・餅などの食料品づくりから漁携まで多
この作業場の一角で太鼓の展示もし、販売もする 。
様に営んだ。
使用されなくなった太鼓を購入し、胴を磨き、皮を
③生活に必要な道具も作る 。作業場には手作りの
張り替えて展示している 。張り替えに使う小さな道
芋洗い機がある 。 また、太鼓づくりの道具を考案
具は、 棚に保管されている 。 また修理に必要になる
し作 ってきた。
このように、稲作地帯でありながらそれに組み込
かもしれないと集めた鉄板や木切れなどもある 。
この作業場は 3箇所の中で空間が一番大きい。張
まれない生業が多様に営まれ、太鼓製作を支えてき
0人近く入れる
り替え作業の見学に訪れる教職員も 4
たのである 。
し、体験学習をする中学生も活動できる 。
4-2作業場に見られる生業複合
型農機具を置いている 。太鼓屋さんは田植え機やコ
外には、シートを掛けたコンパインや耕運機の大
生業複合の実態を最も具体的に表しているのが作
ンパインなど l年に一度しか使わない大型機械を共
業場である 。作業場は大きく 三箇所に分けられてい
る。増築を重ね現在の作業場になった。図面(図 3)
有でなく、専有している 。 「自分で機械を持ってた
らいつでも使えるから」というが、購入代金は高額
をもとに作業場を概観していくことによって営まれ
であったにちがいない。 1町 5反という広さの水田
てきた生業複合の実態をさらに明らかにしたい。
の稲作と、張り替えの時期が重なるので、その作業
作業場 1 (
70年前建築)
調整は共有では難しいと思われる 。
この当時の主な生業 は農
業と太鼓張り替え業である 。建築された頃、この作
業場では農作業を中心に小さな太鼓の張り替えが行
なわれていた。一角で「縄ない」 をした。
このように作業場から読み取れる生業複合の実態
は次のことを 示し ている 。
①作業場の増築は新しく生業を 営む時期に合わせ
へり切り後の余分な皮や古い毛布や布もたくさん
て行われており、生業の変遷が分かる 。作業場の
残している 。太鼓を傷つけないように敷いたり、胴
拡大により、太鼓の張り替えだけでなく展示・販
に巻きつけたりする 。 このように要らなくなった生
売まで行えるようになった。 また、張り替え作業
活用品も張り替え作業に活用する 。
自作の芋洗い機や投網、噴霧器、 トウミ、鋤、鍬
の見学を受け入れ、地域の人権研修に貢献してい
など、とにかく多種多様な道具 ・用具が残されてい
②稲作、 金網業、太鼓張り替え業の作業が一時期
る。
る。人の出入りが少ない作業場なので、ナレズシや
に重なるのを配慮して時間的に融通をつけながら
味噌を漬けた容器も置かれていた。練炭も積み上げ
営 まれてきた。大型の農機具の専有はそのためで
られていて、生活の変化がしのばれる 。 また、作業
もある 。
③営んできた生業の多様さが改めて確認できる 。
場 2に続く所にはひさしをつけて牛を飼 っていたと
、
7。
現金収入目的の生業のほかに、牛の飼育、漁猟、
U
この部分は、自宅で金網
野菜・芋の栽培、 生活用具の製作、張り替え道具
業を営むときに増築された 。かつて牛を飼っていた
の製作、食料品の加工にいたるまで多岐に及んで
作業場 2 (
35年前増築)
所も田植え機置き場になった。凶植え機は 1年に 一
いる 。
度使うだけなので中に入れてある 。広い所には金網
@ このような生業複合に支えられ張り替え業も継
製造の機械が入れてある 。つい 3年ほど前まではこ
続することができた。
人間文化・
39
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
ー
-
m仙川柳刷
A川・コ二 回﹁l
?HL栴 刷 門 lu
ゅa
M幽一一一一一寸
i!
‘
釦悩
ω
= 目。
13.5m
作業噛 2
ロ口。
⑥
作業唱 3
そD
①
②
③
⑥
⑦
工具農具が混在
④
巻いた皮
収穫したじゃがいも
太鼓台
⑤
図 3 作業場
皮の切端
4
0 ・人間文化
近江文化を支える太鼓製作妓術とその背景
5まとめ
本研究では、旧愛知川"汀の太鼓屋の調査を通して
次のことを明らかにした 。
①滋賀県は民俗芸能 ・行事の宝庫といわれ、太鼓
はその中心的存在である 。近世太鼓づくりの技術
は継永され、高められて滋賀県の民俗文化を支え
写真 1
0
漉きカンナ・刃
4-3道具に見られる生業複合
ている 。
②太鼓製作工程や道具を写真や実 i
J
!
l
J
図を加え詳細
生業複合の実態は作業場の道具にも表れている 。
に記録した。そのことから、道具を工夫し自作し
①農具から張り替え道具への転用により、より切
てきたことや、他の生業から転用してきたこと、
れる道具を作りあげていることである 。
資材を活用してきたことなどが明らかにできた 。
漉きカンナの刃は、コンパインの古い刃を利用
またこの記録は伝統的手工業の側面からしても貴
している 。この刃はハガネでできており丈夫だか
重なものである 。他地域との比較研究に活かせる
らである 。磨いてカンナの刃に加工し裁断して使
し、製作工程や道具の変遷の研究もできる 。
っている 。(写真 10)に示すように刃の 中央にある
③道具や作業場の実態調査を通して、太鼓製作が
六角形の穴は、コンパインの刃の中央にあいてい
生業複合によって支えられてきたことを示した 。
るものである 。農業を営んでいたからこそ転用す
さらに太鼓製作技術の具体性を示すこともでき
る発想が生まれたと思われる 。また、資材を有効
た。技術は、道具を扱う職人の体と 一体化する
活用する知恵である 。このカンナを作 った人も専
「技能」 として高められてきた 。
門の鍛冶屋ではないという 。隣の村の農家の人で
④生業研究は人びとが生き てきたその事実に基づ
あったらしい 。専門的な道具製作においても生業
いた研究でなければならない。そのことを太鼓製
複合の実態が見られる 。
作という生業を通して明らかにした。培われてき
②太鼓皮の張り替えには麻ロープを使う 。何重に
た技術 ・技能に生きてきた事実が表れている 。
太鼓づくりは歴史的に被差別部落の生業であっ
も掛けマンリキでねじるため強いロープが必要だ
ール製に比べて 高価で、ある 。それで、麻を植えロ
た。その生業を通して培われた技術・技能が継承
され、高められてきた 。 このことはこれまでいわ
ープを作ることにしたという 。麻を植える場所は
れてきた「厳しい差別 J1
貧困」というだけの一面
ある 。農作業も経験豊富である 。 さらにこの地域
的・画一的な部落史観の限界を打破する多様な姿
は従来から麻作りが盛んであったことを見逃すこ
が、それに麻紐が適している 。 しかし麻紐はビニ
とはできない。農業の地域性が生業の複合性にも
を示している 。
⑤教育内容の創造という 視点で考えると、 「太鼓
関係し、ロープ製造に結びついた。
づくり j の教材化は、学習内容を多様に発展させ
①今は使つてないが、ビンキリはタバコの葉を刻む
ることができる 。生業の視点で部落問題学習に取
道具で‘あった。八日市周辺ではタバコの栽培が行わ
れていたといい、その道具を転用していたのである 。
太鼓づくり、作った太鼓の展示会など、感性を高
さらに、生業複合の実態は道具だけではなく、技
める教育が展開できる 。そのことはまた、多様な
術 ・技能の習得にも影響を与えてきたと思われる 。
り組むことができるし、楽器としての演奏、ミニ
切り口から部落問題学習を実践することにもなる 。
太鼓屋さんは広い回に畝を作るときの苦労ととも
以上のようにまとめることができる 。 なお、旧愛
に次のことも話してくれた。うねを作るときは鋤を
知川町の太鼓製作の歴史的背景についての報告は次
土に立てて入れる 。土を掘り返し、掘った土を積み
重ねていく 。一定の速さ で長くま っすく内に畝を作っ
の機会に行いたい。
ていく作業は「まるで体が機械みたいに動いた」 と
注
いう 。道具を体と一体化さ せ作業する「技能 Jは生
業を複合的に営むことで、培われてきたといえる 。
生業の地域性が生業複合に反映され、道具や技
術・技能へと更なる複合を生んで、いる 。
1 群馬県立歴史博物館監修『図説
はにわの本 j
(東京美術社 1
9
9
6年)に写真が掲載されている 。
埴輪は東京国立博物館所蔵。頭部を欠い た半身
像で、肩から紐でつるした太鼓を左手で押さえ、
人間文化・ 41
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
右手は棒を握るしくさをしている 。
2 締め太鼓は、皮をあらかじめ丸い鉄枠に綴じ付
けておきこれを胴の切り口にあてて両国の皮を
紐で締める 。
ひとつの近江文化一部落生活文化史調査研究』滋
賀県教育委員会
1990 W
可能性としてのムラ社会』
1
1、福田アジオ
青丘社
3 真野法界寺で使われている太鼓
1
2、古川与志継
4 板に講をほり、講の形に木を突出させ、木を組
み込む工法。釘を使わない。
5 直径 2、 3cm で、長さは 20~30cm の棒で、ある 。
r
1999 近江の太鼓づくり JW
京都
部落史研究所報 J京都部落史研究所
1
3、三宅都子
1
9
9
7 W太鼓職人』解放出版社
1
4、三宅都子
2
0
0
1W
人権総合学習
かわ・皮・革
う!i
参考文献
1
5、安室知
し大塚虹水
2、嘉田由紀子
1
9
9
0W
滋賀の百祭』京都新聞社
2002 W環境社会学
つくって知ろ
太鼓』解放出版社
r
1997 生業複合論 JW
講座日本の民俗
学 第 五 巻 生 業 の 民 俗 』 雄山閣
環境入門 91
.
謝辞
岩波書庖
3、群馬県立歴史博物館友の会
1
9
9
6W
図説
はに
わの本』東京美術社
4、滋賀県教育委員会
1
9
9
8 W滋賀県の民俗芸能』
滋賀県教育委員会
緊張した。 しかし、作業場を何度も訪ねる私に、忙
しく作業を続けながらも面倒がらず話してくれた人
5、滋賀県市町村沿革史編纂委員会
市町村沿革史
私は教員をしていたとき、校区にある被差別部落
の生活や生業を教材化してきたが、開き取りは常に
1
9
6
4 W滋賀県
巻』第一法規
第3
6、滋賀県同和問題研究所
ばかりだった。温かさに支えられてきたと思う 。今
回も同じ経験をすることができた。太鼓屋さんはメ
2
0
0
1 W近江国愛知郡川
ジャーで計測したり、写真撮影に協力してくださっ
原村校郷皮田村関連文書』 滋賀県同和問題研究所
た。 また、あれこれ質問する私に誠実に答えてくだ
7、篠原徹 1
9
9
8W
現代民俗学の視点
朝倉出版
8、鈴木明・白井寿光
民俗の技術 J
2
0
0
3W
人権総合学習
かわ・皮・革
その出会いに支えられて本研究を進めることができ
つくって知ろう 1
市川秀之先生に指導していただき、実測には市川ゼ
42 ・人間文化
た。 また、本研究の全般にわたり、滋賀県立大学の
かわと小物』解放出版社
1
0、反差別国際連帯解放研究所
出会いがある 。その人の確かな生き方を実感できる 。
r
1978 W
揖竜の部落史 J 揖
竜の部落史」刊行会
9、拙著
さった。聞き取り調査にはその人の人間性にふれる
しが
1
9
9
7 Wもう
ミの仲間にも協力してもらった。皆さんに深く感謝
申し上げます。
近江文化を支える太鼓製作技術とその背景
Comment
市川 秀之
人間文化学部准救綬
日本民俗学においては被差別部落に対する関心は
が重視されてきた。既存の研究が解放運動の一環と
比較的早くから示されたものの、綿符なフィールド
して、音1務に生きてきた人々の 「語り」を尊重して
ワークに基づいた研究はさほど進展しなかった。そ
きたことには十分な必然性があったが、その一方で
れは現実に存在する被差別状況の中でフィールドワ
「語り 」 を基盤とした研究成果がどの程度生産され
ークを 実践する ことの困難さに起因する部分もある
てきたのかには疑問が残る 。「語り」を生かしなが
が、むしろ「常民j概念の姪袷からの自己解放を指
ら、そこから新たな論理を紡ぎ出していくことにつ
向しなかった民俗学自 身のなかにその原因が内在し
いては、中島氏自身にも葛藤があったと思われる 。
ているとみるべきだろう 。
本論文では民具学的方法を導入することによって、
1
夏子氏は長く大阪市内の被差別部落を校区に
中島 1
道具の融通無碍ともいえる自由な転用や、 一見雑多
含む小学校の教員を務め、また人権教育の研修や教
にもみえる作業空間の構成秩序などが明らかにされ
材作成にも携わってきた。その経験のなかで被差別
ている 。「語り Jに加えて「モノ 」へ着目すること
部落における生業への関心が生じ、それが本論文で
によって、都市部落と農村部落、あるいは部落問に
対象化された滋賀県下における太鼓製作の研究へと
おける生業の具体的比較が可能なものとなる 。 また
展開している 。
いわゆる部落産業に関する研究は都市の被差別部
の生活空間にも応用すれば、被差別部落の生活 ・民
落を中心に進展してきたこともあり、部落の生業を
俗研究についても新たな展開が期待できるだろう 。
このような手法を生業空間だけではなく、イエなど
一元的 にとらえる傾向があった。太鼓作りなどの皮
本論文が民俗学的立場からの部落生業論に対して
革業もその 一つであるが、本研究の 一つの成果 は
、
一石を投じるものであることは確かである 。ただ本
近年の環境民俗学のなかで、議論の組上に上 っている
論文ではある被差別部落の一人のインフォ ーマント
複合生業論という視点を導入することにより、従前
の部落産業に対するステレオタイプな視線に対し
の「語り」と「モノ」が対象化 されているものの、
同種の研究が少ない現状においてはそれにどの程度
て、一定の見直しを提言したことにある 。 また本論
の普遍性を見いだせるのかはまだ不透明である 。 こ
文には方法而における新しさをみることもできる 。
こで示された手法に、さらに新たなものを加味しな
これまでの被差別部落に対する民俗学的あるいは社
がら、調査を継続し成果を答積していくことが肝要
会学的研究においては、インフォ ーマントの「語り J
であり、中島氏の今後の努力に期待したいと思う 。
人間文化・
4
3
論文
彦根市における子育て支援の現状
0--3歳児の子どもを持つ母親への 質問紙調査から
丸漂由美子
人間文化学研究科生活文化学専攻
人間関係研究部門
問題と目的
琵琶湖東北部の中核都市である彦根市に目を向け
自治体、社会福祉協議会、 NPOや市民団体、企
てみよう 。彦根市では、京都市や大阪市に通勤する
業などによる子育て支援が各地で展開されている 。
人もあり、人口も年々増加の 一途をたとcっている 。
その内容も、これまでのように母親の仕事と家事の
しかし、出生率は年々緩やかに減少しており、就学
両立への支援だけではない。両親の仕事の有無に関
前児童の増加は 2009年までであり、就学児童数は
わらず、すべての家庭に対し子育てへの支援事業が
2008年から減少傾向に転じる見込みである 。 このよ
とりくまれるようになってきた 。 その背景には、
うな状況の中、彦根市では「子も親も地域も元気 1
2
0
0
3年に次世代育成支援対策推進法が制定され、以
子育ての輪を広げるまちづくり」を基本理念として、
後、集中的・計画的に子育て支援に取り組むことが
子育てに関する様々な施策にとりくみ始めた(彦根
明記されたこと、厚生労働省の「子ども・子育て応
市
、 2005)。特に、彦根市において重点的に対応す
援プラン 」 において、つどいの広場や地域子育て支
べき課題は、「親育ち支援 J 育児 ・就労両立支援」
援センターなど、地域における子育て支援の拠点の
「安心 ・健全な小地域づくり推進 J 親子のための市
整備を 2
0
0
9年度までに6
0
00か所で実施することを目
民ネッ トワー ク推進」であるとし、この 4つの基本
標にあげていることなどがある 。 こうした流れの中
戦略のもとに子育て支援を推進しようとしている 。
で、就間前の子どもとその保護者に対する支援は広
r
r
筆者 らは、 2004年から滋賀県立大学人間文化学部
r
u
まりつつあるといえる 。 しかし、出産退院後 1ヶ月
竹下・明和研究室によってとりくまれている、
間に、 96%の母親が親または夫から家事や育児の援
sP子育ち応援ラボうみかぜ」活動の 一環として、
助を得ていたにも関わらず、 6-7割以上の母親が
2
0
0
5年よりインファンクラブという子育て支援サー
疲労し、 l割以上の母親は育児を投げ出したくなる
クルを運営してきた(成松ら、 2
0
0
7
)。彦根市内で
状況(島田ら、 2
0
0
1)や、マタニテイブルーを経験
は、現在24の子育てサークルが運営されており、 E
ま
した母親は、産後 6ヶ月、 1
3ヶ月においても疲労自
根子育てネットワークを通じて互いの活動を交流、
覚症状や育児不安が高い(服部ら、 2
0
0
0
) など、 O
発展さ せる活動 も進められている 。 しかし、出生直
-2歳までの子どもとその保護者への有効な支援に
後の数ヶ月の子どもと参加できるサ ークルはまだ少
ついては、未だ不十分な状況がある 。
滋賀県は、 2000年 -2005年に全国 5位 (2.8%)
となるほどの人口増加率を示しており、 2004年の合
計特殊出生率においても、全国平均 (
1
.29) を上回
ない。そこで、本調査は、彦根市内の保育園や子育
てサークルに所属する 0-3歳の子どもを持つ母親
を対象として、子育て支援の実態や育児意識を問い、
具体的にどのような支援が必要なのかを探る ことを
る1
.4
1を記録した。 これは、全国で 1
5番目に高い数
目的として実施した。これまで、彦根市においても、
値である 。 しかし、仕事と生活の両立可能性の指標
子育てに関する状況や意識を 把握する調査 (平成 1
1
である「労働時間の短さ」が全国で2
8
位、「通勤時間
年子育てひこねゆめプラン策定のための市民意識調
の短さ 」が全国で4
0
位、「帰宅時間の早さ」が全国で
査・以下 1
1年調査)やニ ーズや意向を把握するため
3
5
位と、適正な労働時間の順位は低く、「正規・非正
の調査(平成 1
6年彦根市次世代育成地域行動計画策
規の移動のしやすさ Jが全国36
位と 「
働き方の柔軟
定のための ニーズ調査:以下1
6年調査)が実施され
性」も低くなっている現状がある 。 また、女性の労
ている 。今回の調査の項目は多岐にわたるが、本報
働力においても、 3
0歳代前半を谷とする、いわゆる
では、彦根市の 1
1年調査や 1
6年調査の項目にもあげ
r
M字型」が全国平均よりも深く、
r
r
3
0
代前半の女性労
られている「父親の子育てや家事への参加 J 援助
働率は、 2005年において、全国43位となっている
の求めやすさ J 子育てにおける 心配や不安J 子育
r
r
(
男女共同参画会議少子化と男女共同参画に関する 専
て支援の利用や今後求める支援 J 親になる ことの
門調査会、 2 6
)
。以上の ことから、滋賀県において
変化」について得られた結果を報告する 。
∞
は「仕事と 子育ての両立を支える社会環境が相対的
にみて整っている 」 とはいえない状況がある 。
44 ・人間文化
彦根市における子育て支援の現状 ー 0 ~ 3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査かう
表 1 両親の職業と年齢、 週あたりの勤務回数、1
日の勤務時間、通勤時間、通勤時間
会社員
父親(
保育園)
父親(子育てサークル)
母親(
保育園)
母親(
子育てサークル)
1
3
8
5
5
7
4
3
農業・
漁業
自営業従事者
2
6
5
。
1
9
公務員
ノ号
ー卜
アルバイト
。
。 234
。 0
。 3。
主業
専
婦 学 生 その他
。
2
。 。。 。
。 8
3
5
。 。
6
7
6
4
年齢(歳)
保育園
平均 範 囲
父親
3
3.
5 2
25
9
4
6
母親 31
.4
5 21
子育てサーク
ノ
レ
平均 範 囲
3
4
.
58 2
5
4
8
3
2.
4
6 2
5
4
0
週の勤務日
(
日)
子育てサーク
ノ
レ
保育園
平均
範囲 平均 範囲
5
2
5
父親
5
.
3
5 2-7 5
.
9
9
-6
4
2
5
母親
4
.
9
6 1
一日の勤務時間(時間)
保育園
平均 範 囲
父親 9.
-16
6
1 1
1
母親
7
.
3
5 2-1
ノ
レ
子育 tサーク
平均範囲
-1
5
1
0
.
2 5
-1
0
8
.8
3 8
通勤時間(分)
保育園
子育 ιサークル
平均 範囲
平均 範囲
0
-1
0
0
父親
2
8
.1 0-1
8
0 3
1
.
7
0 2
5
6
0
母親 2
0
.
9
6 0-9
2
.
5
求めやすい J1
援助が求めやすい J1
あまり援助は求
方法
彦根市内の保育園在籍児の母親および子育てサ ー
められない J1
援助は求められない」 をそれぞれの項
(
1身体の発
クル参加者の母親を対象 として、 2006年 3 月 ~5 月
目に記入)、 5
. 子育てへの心配や不安
に質問紙調査を 実施した。
育」など 15項目に関して、あてはまるものに Oを記
1)保育園
調査の趣旨を理解し受 け入れて くださった保育園
(1 2 園 )
の O~3 歳の子をもっ母親を対象に質問紙
入)、 6. 子育てについての情報源
(
1医師」 など 12
項目について 「よく利用する J1
利用する J1
あまり
利用しない」 をそれぞれの項目に記
利用しない J1
入)
)、 7
. 子育て支援事業の利用について (
利用頻
(
1
保育園や幼稚
を配布、回収した。配布数は合計 596人、回収数は
度、移動手段、移動時間、充実内容
233人。回収率は約 40%だった。
園」 など 15項目に関して、あてはまるものに Oを記
2)子育てサークル
入)
)、 8
. 親になったことによる変化 について (
変
化の具体的内容、親としての成長について自由記述)、
調査の趣旨を理解し受 け入れて くださった 1
1サー
9
. 子育てについて困っていること (
31
項目、 5件
クルの参加者である O~3 歳の子どももっ母親を対
0
. 子どもの行動 (35項目、 5件法)から構成
法)、 1
象に配布、回収した 。配布数は合計 141人、回収数
されている 。
は7
1人。回収率は 50% だった。
質問紙の内容は、 1.フェイス シート (
家族構成、
家族の年齢、職業、一日平均勤務時間、週平均勤務
日数、通勤時間、保育所・幼稚園利用の有無に関す
結果
1 父母の職業と勤務時間、勤務日数
る項目 )、 2
. 記入者の生活について (
睡眠時間、
父母の年齢は、保育園、子育てサークルとも 20
代
余暇の時間、家族そろって 過ごせ る時間、家族以外
から 50代 にわたったが、 30代前半が もっとも多かっ
の 人 と の 交 流 時 間 に 関する項目 )、 3. 父 親 の 家
た。職業については、会社員が多かった (
保育閣の
事 ・子育てへの関与につい て (家事・子育てへの積
父親 72%、母親35%、子育てサークルの父親 87%)。
極性、子育てにおいて 関わりが得 られている内容
子育てサ ー クルの母親は専業主婦が多かった
(
1子どもと 一緒に遊ぶ」など 8項目に関して、あて
(94%)。父母の年齢、職業、
はまるものに Oを記入)、家事が行なわれている内容
の勤務日数、通勤時間を表 1に示した。
(
1食事を 作る 」 など 10項目に関して、あてはまるも
のに Oを記入 )
)、 4
. 子育てへの援助者について
(
1記入者父母」 など 6項目について 「とても援助が
1日の勤務時間、
1週
2
. 子育てへの心配や不安
「お子さんについて 、心配や不安なことは何です
人間文化・ 45
彦根市における子育て支援の現状 一 O ~ 3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
子育てへの心配 や不安
-保育園
ロサ ヴル
%
6
0
50
40
30
20
1
0
o
ffdjJ
¥
、
〆tfベJ/ 設 ポ ポ 〆 J/〆
グ
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r
司
レ
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1
1
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l
'
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,'
&
"
呼
トv
図 1 お子さんについて 、心配や不安なことは何ですか
家事 (
保育園)
口
口
ロ
圃
口 とても援助問めやすい
家事 (
子育てサークル)口 援助が求め
やすい
ロ あまり援助は求められない
圃 援助は求められな
い
とても媛助が求め
やすい
援助が求めやすい
あまり援助は求められない
援助は求められない
子育て中の仲間
子育て中の仲間
友人・知人
友人・知人
近所の人
近所の人
親戚
親戚
父親の両親
父親の両親
母親の両親
母親の両親
的
2
0
%
4
0
首
6
0%
8
0%
1
0
0
%
2
0
目
4
0
%
6
0
百
8
0
%
1
00
%
ht+
、
七
ゆ
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寸れ、
戸
JL
平、、h
めLめ自
求吋求汎
概 関跡﹂
,ULK
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B
と援あ援
C助ま助
ロロロ圃
サ
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平
﹂
J
古︻円
、
ァ
平
古同
、
ァ
口 とても援助が求めやすい
子育て (
保育園) 口 援助力法めやすい
ロ あまり援助は求められない
圃 援助は求められない
0
%
子育て中の仲間
友人・知人
近所の人
親戚
父親の両親
母親の両親
0
%
2
0
%
6
0
%
:
・・
8
0
%
母親の両親
1
0
0
%
-J
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﹀
t
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L
Lh
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寸 れ、
必V
、
、 hd叶
めしめ自
味付時一印
刷め飢め
事味援抹
で助ま助
と援あ援
口口臼圃
相談 (
保育園)
4
0
百
父親の荷親
0
%
2
0
巾
4
0
%
6
0
目
8
0
%
1
0
0
出
口 とても援助が求めやすい
棺談 (
子育てサークル)口 事蜘涼めやすい
あまり援助は求められない
圃 援助は求められない
子育て中の仲間
友人・知人
近所の人
近所の人
親戚
親戚
父親の両親
父親の両親
母親の両親
母親の両親
。
出
2
0
市
4
0
%
6
0
出
8
0
%
図 2 援助を求めやすい相手は誰ですか
4
6・人間文化
1
0
0
%
0
%
2
閃
4
0
%
6
0
%
8
0
%
1
0
0
目
彦根市における子育て支援の現状 ← O~3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査かう
か」の質問に対する回答を図 1に示した。保育園で
た場合について図 4に示した。保育園、子育てサー
は
、 「
友達との関わり JI
病気 JI
しつけ JI
アレルギ
クルとも、 「ごみをだす JI
お風日を洗う Jが勤務時
ー」 をあげる人が多かった。他方、子育てサークル
間や勤務日数の多寡にかかわらず多かった 。勤務時
では、「しつけ」 をあげる人が最も多く 5割を超え
間や勤務日数が多いことの影響は保育園ではあまり
た。続いて 「
友達との関わり 」、「偏食」 をあげる人
見られないが、 子育てサークルでは、勤務時間の多
が多かった。
3.援助の求めやすさ
お風呂を洗う 」の割合が、
い場合、 「ごみをだす JI
勤務日数が多い場合は、 「ごみをだす」の割合が多
かった。
子育 てについて「援助を求めやすい相手は誰です
か」の質問に対する回答を図 2に示した 。保育園、
子育てサークルともに、母親が援助を求めやすい相
3) 子育への関わりの内容
父親の
I(
子育 てへの) 関わりが得られているも
手は自分の両親であり、父親の両親がそれに続く 。
の全てに Oをして下さい。
」 の質問に対する回答の
親戚や近所の人に対しては、「家事 JI
育児 JI
相談
割合を、父親の 1日の勤務時間を 8時間以下と 9時
J全てにおいて援助を求
(
相談相手になってもらう )
間以上に分けた場合、勤務日数を週 5日以下と 6日
めにくいと感じている 。 また、保育園、子育てサー
以上に分けた場合について図 5に示した 。保育園、
クルともに、子育て中の仲間や友人 ・知人に対しで
子育てサークルとも、 「
子どもと 一緒に遊ぶ JI
子ど
も親戚や近所の人に対してと同様、 「
家事jへの援
もをお風呂に入れる 」が勤務時間や勤務日数の多寡
助を求めにくい。他方、「育児」 については、親戚
にかかわらず‘多かった。 さらに「子どもについて話
や近所の人に対してよりは援助を求めやすい。 さら
し合う、相談しあう 」 と続くが、勤務日数が多くな
Jについて
に
、 「
相談 (
相談相手になってもらえる )
ると (
週 6日以上)、この項目が選択される割合が
は、保育園、子育てサークルともに、子育て中の仲
減少することも共通していた。
間や友人・知人に対し「援助を求めやすい」 と感じ
ており、特に子育てサ ークルでは、自分の両親より
も「
援助を求めやすい」と感じている人が多かった。
4
. 父親の参加について
1)家事・育児への積極性
「
父親は家事について積極的に関わっていますか」
5 子育て支援事業の利用について
I
(
自治体や民間の)子育て支援事業を利用して
いますか」の質問に対しては 、保育園では、「あま
り利用していない JI
利用していない」が 9割以上
であり、子育てサークルでは、「よく利用する JI
利
用する 」が
、 8割弱だった。利用しない理由として、
と 「
父親は子育てについて積極的に関わっています
保育園では「仕事があって利用できない」が 6割強
か」の質問に対する回答の割合を図 3に示した。保
あり、次いで、 「どこで行われているか知らない」が
育園、子育てサ ークルともに、家事を「積極的に行
3割強あ った。子育てサークルでは「どこで行われ
行なっている」は第一子が乳児の場
なっている JI
ているか知らない」が 5割で一番多かった。
合に最も多く、幼児、小学生以上の順に関与が少な
くなる 。子育てサークルの第 一子が小学 生 では、
「全く行なっていない」が 2割強を占めた 。 また、
6 今後求める子育て支援の内容
「
子育て支援として充実すべきものは何だと思い
保育園、子育てサークルとも、家事よりも子育てへ
ますか」の質問に対する回答の結果を図 6に示した。
の関与の方がより積極的だった。子育てサークルは
保育園では、「育児手当や住居手当などの経済支援」
保育園に比べると、第一子が乳児および幼児の場合
乳幼児医療Jの順に希望が多く
「保育園や幼稚園 JI
関わっている 」が多
は「積極的に関わっている JI
4割以上の人がこれらを選択した (
図 6。
) 子育て
いが、小学生以上になると、その割合は減少した。
サークルでは、 「
乳幼児に配慮した公共施設の整備 J
2)家事援助の内容
I
(
父親によって )行なわれているもの全てに O
「保育園や幼稚園 JI
育児手当や住居手当などの経済
支援 JI
公国などの遊び場」の順に多く、 4割以上
をして下さい 」
。 の質問に対する回答の割合を、父
の人がこれらを選択した。以上も含めて、保育園と
親の 1日の勤務時間を 8時間以下と 9時間以上に分
子育てサークルでは、子育て支援に期待する内容に
けた場合、勤務日数を週 5日以下と 6日以上 に分け
違いがあ った。保育園で子育てサークルと比べて希
7
人間文化・ 4
彦根市における子育て支援の現状 - O~3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
第 1子 年 齢 別 父 親 の 家 事 へ の 積 極 度
(
保育園)
第 1子 年 齢 別 父 親 の 家 事 へ の 積 極 度
(
子育てサークル)
小 学 生 以上
小 学 生 以上
幼児
幼児
乳児
乳児
0%
20%
40%
60%
80"
"
日%
100%
第 1子年齢別父親の子育てへの積極度
小学生以上
小学生以上
幼児
幼児
乳児
乳児
20%
‘
40
60%
80略
40%
60%
80
弘
100%
第1
子年齢別父親の子育てへの積極度
(
子育てサークル)
(
保育園)
0.
‘
2m
日
100%
20%
40%
60%
80%
100%
図 3 配偶者は家事や子育て について積極的に関わっていますか
父 親 の 1日の勤務時間と家事への関わりの内容
(
保 育 園〉
父親の 1日の勤務時間と家事への関わりの内容
(
子 育 て サ ク ル)
25
20
1
5
1
0
8時間以下
亡コ食事を作る
Eコ ご み を だ す
ロヨ布団をほす
= 帰 障 をす る
Eコ 買 い 物 に 行 〈
8時間以下
9
a
寺任司昆u二
9時間以上
Eコ 法 濯 物 を た た む
Cコ 童 車 を 作 る
Eコ 洗 濯 物 を た た む
Eコ 食 事 の 憧 片 付 け を す る
Eコ ご み を だ す
Eコ 童 車 の 憧 片 付 け を す る
区麹お風呂を洗う
~コ布団をほす
慰霊盟お風呂を洗う
・圃洗濯物をほす
・・ そ の 他
=掃障をする
亡 コ 買 い物 に 行く
・ ・ 洗 iK物 を ほ す
・圃 そ の 他
父親の週勤務時間と家事への関わりの内容
(
保育園 〉
%
25
.
.
父親の週勤務時間と家事への関わりの内容
(
子 育 て サ ク ル)
35
30
20
25
15
20
10
1
5
1
0
5日以下
亡コ宣車を作る
=ごみをだす
=布団をほす
Eヨ 掃 除 を す る
Eコ 買 い 物 に 行 〈
6日以上
Eコ 珪 遺 物 を た た む
Eニ コ 童 事 の 佳 片 付 け を す る
E図 お 血 Eを 珪 う
・・;先,甚物をほす
・ー そ の 他
図 4 父親によって行なわれているもの全てに Oをして下さい。
4
8 ・人間文化
5日以下
Eコ 童 事 を 作 る
=ごみをだす
区2 布 団 を ほ す
=掃除をする
Eコ 買 い 物 に 行 く
6日以上
仁コ班溜物をたたむ
E二 コ 宣 車 の 憧 片 付 け を す る
盤調お風昌を埠う
・ ・ 洗 iK物 を l
ます
・・その他
彦根市における子育て支援の現状 -
0 ~3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
望が多かったものは、「育児手当や住居手当などの
では、実際に「心配や不安」が出てきた際に、母
母親の産休・育休制度JI
育休後の復職
経済支援JI
親達はどのように解決していくのであろうか。今回
制度 JI
乳幼児検診の 充実」である 。子育てサーク
の調査では、「援助の求めやすさ j という観点から、
ルで保育園と比べて希望が多かったものは、「公固
子育て JI
相談」の 3つに焦点をあてて検
「家事 JI
などの遊び場 JI
一時預かり制度JI
父親の産休・育
討した 。結果として、保育閥、子育てサークルとも
休制度JI
育児相談ので きる人間関係や場所JI
子育
に、全体としては、母親にとって最も援助を求めや
子育てサークル」である 。
て支援情報の提供 JI
すいのは白分の両親であること、親戚や近所の人に
子育て JI
相談」のいずれについ
対しては 「
家事 JI
7.親になることの変化
ても援助を求めにくいことが示された 。 また、 「
相
「
親になったことで、変化し たことはありますか。
」
談」について援助が求めやすいのは、友人や知人、
の質問に対しては、保育園、子育てサ ークルともに
子育て中の仲間もあげられており、相談相手として
ある」が、全体の 9割以上だ った 。
「
すごくある JI
機能していることがわかった。保育関│では、母親は
責任感 JI
子ども
具体的な変化としては、「忍耐 JI
お互いに忙しく家事と子育ての実際的援助は求めあ
中心 JI
時間の使い方 JI
親のありがたさを感じる 」
えないが、保育園の送迎時などには話ができる環境
をあげている 。 また、「親としての成長とは何だと
にある 。相談できる人と知り合う機会も多いかもし
子 どもと
思いますか」の質問に対しては、「忍耐JI
れない。さらに注目すべきは、子育てサ ー クルでは、
一緒に成長 JI
見守る 」があげられていた。
家事については難しいものの、子育てについては実
際的な援助を期待できる友人や知人、子育て中の仲
間が得られている人が 5割ほどあった 。子育てサー
考察
1
. 子育てにおける心配や不安、支援を求めやすい相手
まず、子育てにおける心配や不安については、彦
クルでは、子どもをお互いに見たり、見てもらった
りする中で、信頼関係ができ、援助が求めやすくな
るのだろう 。
根市における 1
1年調査、 1
6年調査と同様、本調査で
村山 (
2
0
0
5) は「多くの母親は、同世代の子を持
も「しつけ」 と「友達との関わり 」 をあげる人が保
つ親同士の情報交換や付き合い等をしたいと思って
育園、子育てサ ークルにかかわらず多かった。相会
おり、「情報交換」 は約 8割、「親同士で子どもを預
にいかに受け入れられるか、友達といかにかかわる
け合う 」 は約 6割、「家族ぐるみで出かけたい 」 は
かなど、わが子の社会性にかかわる事項に母親の強
7割強が望んで、いる 」 という報告をしている 。本調
い関心があるといえる 。 ただし、子育てサークルで
査において、子育てサ ー クルには、母親の友人や知
は「しつけ JI
友達と の関わり」について心配・不
人、子育て中の仲間の相互支援が実現されやすい条
安を感じる人がそれぞれ 6割弱、
件が整 っている ことが示唆された。保育園において
5割弱に達するの
に対し、保育園では、それぞれ 2割弱、 3割弱にと
も、子育ての実際的支援もやりとりできるような母
どまった。 日中はわが子を保育士に託して、友達と
親同士の関係づくりの場を提供することが、重要な
の関係の調整についても任せることのできる保育園
課題となるであろう 。
の母親に対して、家庭保育や子育てサ ー クルでは、
子どもが他児と関わる姿を目の当たりにすることが
2 父親からの支援
多い。親としての子どもへの対応について考える機
前項では、支援を求めやすい相手について検討し
会も多く、悩みも募ら せやすい のかもしれない。 ま
たが、母親と共に子育てを担うべき存在として父親
た、保育園では「病気」 、子育てサ ー クルでは「偏
(夫)の存在 は最も重要である 。
食」 をあげる人が多く、 日中の生活環境に よる違い
内閣府 (
2
0
0
7)の「男女共 同参画社会に関する世
が示された。保育園での集団生活においては、子ど
論調査」 では、「夫は外で働 き
、 委は家庭を守るべ
もは病気に罷りやすく、 母親は仕事を休まなければ
きだ」 という固定的な考え方に反対する人が52%と
ならないことも多い。 また、家庭保育では、母子は
なり、 1992年以降の調査で初めて過半数を超えた。
毎日 3食一緒に食事をとるうえに、母子のみで食事
しかし、妻が食事の支度をしているとの回答は 85%
することも多いため、 偏食に ついての対応も母親 1
に上り、理想と現実がかけ離れていることが浮き彫
人で悩みをかかえてしま いやすい。
りになった。本調査でも父親の家事への関わりを問
人間文化・ 4
9
彦根市における子育て支援の現状 ー 0-3歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
うたところ、父親の家事への参加は、共働きの保育
た。本調査の保育園においても、勤務│
時間、勤務日
岡でも、第一子が乳児の場合は 3割強、 小学生では
数とも父親は母親を上回っており、日常的に家事 ・
5割強が 「あまり行なっていない J["全く行なって
育児を父親・母親が対等に分かち合うためには、父
いない」状況であり、 「食事を作る Jは 1割以下だ
親の就労l
時間を制限するなどして平日の帰宅時間を
った。子育てサ ークルでは、第一子が乳児の場合は
早くする必要があるだろう 。 さらに加えて、本調査
父親が家事を「あまり行なっていない J["全く行な
の結果は週あたりの勤務日数の多寡が父親の家事 ・
っていない j は 3割強でほぼ同じであるが、小学生
子育ての個々の活動の多寡や多様性に影響する こと
以上になると、その割合は 7割を越える 。本調査は、
を示唆するものであり、休日の確保の重要性をあら
0-3歳児を持つ母親を対象としているため、第一
ためて検討する必要があるだろう 。
子が小学生以上ということは複数の子を養育してい
家事や子育てへの関与や具体的内容には、本調査
る母親である 。一般的には、第一子が幼い場合より
では保育園と子育てサークルの結果に大きな違いは
も、父親が職場でより責任ある立場へ移行し多忙に
なかった。今回の質問は、父親の家事・子育てへの
なることや、母親の家事をこなす能力も経験に応じ
関与の度合いを母親に評定してもらうものであり、
て向上していくといった要因も作用して、この年代
実際に どの程度行なわれているのかを明らかにした
で父親の家事関与の度合いが減少していくのだろ
ものではない。 したがって、その実態を両者で正確
う。複数の子を育てる母親の困難を垣間見させる結
に比較することはできない。 しかし、母親の立場が
果である 。他方、子育てについては、保育園、子育
保育園では大部分が有職者、子育てサー クルでは大
てサークルとも、家事よりは大きな参与が得られて
部分が専業主婦という点で異なるとすれば、この評
いるが、第一子が小学生以上になるとその度合いが
定には、保育園では同じ有職者としての厳しさ、子
減少することも共通している 。子の育ちにとって、
育てサークルでは一家の生計を父親が支えているこ
この時期からこそ父親の関与が重要になってくる 面
とへの配慮、寛大さが含まれている可能性も考えら
もあることを考えると気がかりな傾向である 。
れる 。男女の役割分担、職業観、経済的基盤の関連
家事や子育てについ て、具体的にはどのような活
動への関与があるのかを見ると、父親の得意な分野
が浮かび‘上がった。家事では「ごみをだす」と「お
風日を洗う J
、子育てでは「子どもと 一緒に遊ぶ」
といった観点からも、興味深いところであり、今後
の検討課題としたい。
3
. 公的支援 への期待
と「子どもをお風呂に入れる 」である 。 さらに、家
子育て支援には身近な人々からの援助だけではな
事・子育ての具体的内容が、父親の勤務│
時間・勤務
く、公的な支援も重要な役割を果たす。 自治体や民
日数の多寡による変動として、保育園、子育てサー
間によって実施されている子育て支援事業の利用状
クルともに、図 4および図 5より次の 2つの特徴を
況について調べたところ、有職者の多い保育園では、
指摘できる 。 1) 1週の勤務日数が 6日以上の場合
当然 ながら利用することが難しい実態が示された 。
に、家事では「ごみをだす」と「お風呂を洗う Jが
しかし、子育てサークル参加者でも「利用している」
増加し、他の活動が減少する 。 2)子育てでは「子
が約 8割程度にとどまっており、時間的に制約され
育てについて話し合う、相談しあう」が減少する 。
ているかどうかで利用率が決まっているわけで、はな
つまり、仕事に拘束される日数が長くなると、父親
いようだ。彦根市による 1
1年調査や 1
6年調査におい
の家事の多様性が損なわれ、子育てについての夫婦
ても、子育て支援や施設における事業には、事業に
の会話が失われやすいといえる 。本調査における父
よって、周知度、認知度、利用度にばらつきが見ら
親の 1日における労働時間は、保育園では 8時間が
れた 。 ~t良市としては、子育て支援冊子やホームペ
(30%)、子育てサークルでは 1
0時間が一
ー ジの作成など、機々な方法で広報しているが、本
番多かった (
26%)。村山 (
2
0
0
5)は、父親の週労
調査において、「どこで行われているか知らない」
働時間が週刊 -50
時間未満は約 3割
、 50-60
時間未
が 3割もあ った。 まだまだ周知にむけて活動する必
一番多く
、 6
0時間以上の超長時間
満の長時間労働層が約 3割
要があると思われる 。今後は、健診時の情報提供の
労働層が約 3割となっており、平日の父親の育児時
徹底、携帯メールでの情報提供、メ ー リングリスト
間は母親に比してきわめて少なく、母親が育児の負
による情報交流など、情報を提供する側も提示の仕
担を引き受けざるを得ない状況のあることを指摘し
方(媒体)、提供方法等を充分検討して情報を発信
50 ・人間文化
彦根市における子育て支援の現状 一 O~3 歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
父 親 の 1日 の 勤 務 時 間 と子 育 て へ の 関 わ り の 内 容
(保育園)
父親の 1日の勤務時間と子育てへの関わりの内容
子 育 て サ ク ル)
(
今
も
25
3
0
2
5
20
2
0
1
5
1
5
1
0
1
0
8時 間 以 下
亡コ 一緒 に 遊 ぶ
= 食 事 を食 べさせる
=排,世の世話を
巨ヨお風呂にいれる
8時間以下
9時 間 以 上
Eコ 寝 かしつける
Eコ 保 育 園 や 幼 稚 園 な ど の 送 迎
区l!Jl話し合う相談
圃圃その他
亡コ 一 緒に 遊 ぶ
Eヨ食事を食べさせる
=排避の世話を
Eヨ お 風 呂にいれる
父親の週勤務時間と子育てへの関わりの内容
(保育園)
9時間以上
亡コ寝か しつける
Eコ 保 宵 園 や 幼 稚 園 な ど の 送 迎
臨 週 話し 合 う 相談
圃圃その{
也
父親の遇勤務時間と子育てへの関わりの内容
(
子育てサークル)
30
25
25
20
20
15
1
5
10
1
0
5日 以 下
亡コ ー 績 に遊 ぶ
Eヨ 食 事 を 食 べさせる
=排避の世話を
Eヨ お 風 呂 にいれる
5日以下
6日 以 上
Eコ 寝かしつける
Eコ 保 育 置 や 幼 稚 園 な ど の 送 迎
函!lll話し合う ー
相談
圃・ その他
Eコ 緒 に 遊 ぶ
Eヨ食事を食べさせる
=排,世の世話を
Eヨ お 風 呂 に い れ る
6日以上
Cコ 寝かしつける
亡コ保育園や幼稚園などの送迎
臨璽話し合う相談
・・その他
図 5 子育てへの関わりが得られているもの全てに Oをして下さい。
9
も
今後求める子育て支援の内容
7
0
60
50
40
30
20
1
0
図 B 子育て支援として充実すべきものは何だと思いますか
人間文化 ・ 51
彦根市における子育て支媛の現状 - 0-3歳児の子どもを持つ母親への質問紙調査から
することが重要になるであろう 。
めの市民意識調査結果報告書.
また、今後どのような支援を求めているかを問う
たところ、保育園と子育てサ ークルでは公的な子育
て支援に期待する内容に違いがあ った。つまり、保
育園では母親が働き続けるために必要な支援、子育
2004).彦根市次世代育成地域行動計画策
彦根市. (
定のためのニーズ調査.
彦枝市. (
2005).子どもきらめき未来プラン 彦根
市次世代育成支援行動計画
てサ ークルでは母親自身が子育てを行う環境の整備
厚生労働省 . (
2
0
0
4
)
. 少子化社会対策大綱に基づく
に対する支援が求められている 。 しかしながら、子
重点施策の具体的実施計画について (
子ども・子
育てサークルにおいても、希望する 支援の内容とし
育て応援プラン ).
が上位に選択されていること、
て「保育関や幼稚園 J
村山祐一 ・杉山隆一 ・神田直子・戸田有一 ・諏訪き
「
一時預かり制度JI
育児相談のできる人間関係や場
度
,溢保博 ・大宮勇雄 ・逆井直紀・宮
ぬ ・望月彩.i
所JI
父親の産休・育休制度」への希望も多いこと
は、子育てが母親のみによる家庭保育ですまされる
ものではないという認識やその現状を反映している
といえるだろう 。
本調査では、親になることによる変化を大部分の
人が肯定的に捉えていた。 しかし、母親が 「自分の
時間がない」 という時間に対する変化も多くあげら
れていた。父親の 1日の勤務時間が 1
0時間をこえる
場合も多くあり、保育園、子育てサークルにかかわ
らず、乳幼児期の子どもを持つ母親に家事や子育て
の大きな負担がかかっている 。子育て期の女性にと
里六自 11
.(
2
0
0
6
)
. 日本の子育て実態と子育て支援
って
、 子育てが過剰な負担にならないよう 「
子育て
の社会化Jを推進していく必要がある 。
文献
1
5
6
.
の課題.月刊 『
保育情報.
1,NO.352,5
内閣府大臣官房政府広報室. (
2
0
0
7).男女共同参画
社会に関する世論調査.
成松祐子・丸浮由美子 ・北村裕子・由利恵子 ・竹下
秀子. (
2
0
0
7).赤ちゃんが大学にや ってきたーイ
ンファンクラブはじめました.北風窮民館.
島田 三恵子・渡部尚子 ・神谷整子・中板直子 ・戸田
律子・ l
際俊彦・竹内正人・安達久美子村山陵子・
鈴木幸子. (
2
0
0
1
)
. 産後 1ヶ月間の心配事と子育て
支援のニーズに関する全国調査一初経産別,職業
の有無による検討
6
7
9
.
0,5
.671.小児保健研究, 6
謝辞
男女共同参画会議少子化と男女共同参画に関する専
本調査にご協力くださいました保育園、子育てサ
2
0
0
6).少子化と男女共同参画に関す
門調査会. (
ークルのお母様方に心から御礼申し上げます。 さら
に、調査実施に当たり、ご協力くださいました保育
る社会環境の国内分析報告.
2
0
0
0).産祷早期から産後 1
3
服部律子・中嶋律子. (
ヶ月の母親の就労に関する研究 (
第 2報) ーマタ
ニティブルーと産後の抑うつ症状
.小児保健研
究
, 5
9, 6,6
6
9
・
6
7
3
.
彦根市. (
1
9
9
9).子育てひこねゆめプラン策定のた
園および子育てサークル関係者の皆様にも、 i
栄く御
礼申し上げます。 また、本調査にご尽力下さいまし
た USP子育ち応援ラボ「うみかぜ」の成松祐子さ
ん、由利恵子さん、スタッフの皆様、さらに、本稿
についてご助言 くださいました滋賀県立大学人間文
化学部の竹下秀子先生、明和政子先生に深く感謝い
たします。
52 ・人間文化
研究ノート
退官メ ッセージに代えて
比較の事例:高齢者問題と福祉国家のタイプ論
アメリカ・ドイツ・スウェーデン
小林清
人間文化学部生活文化学科人間関係専攻
完性」の原理(民間の私的活動を優先させ、その影
はじめに
この論稿では、福祉国家を形成する諸条件が、ど
響力あるいは効果が十分でない場合にのみ、補完的
のように組み合わさって、福祉国家のタイプを決定
に行政が介入する ) を社会政策の前提とするととも
しているかを探ってみたい。それぞれの社会の固有
に、伝統的な 家族制度を社会的保障と福祉の基礎に
性と独自性を明確にするために、私たちにと って
、
しているところが独特で、ある 。 アメリカの場合も家
比較的 、相互の差異を イメー ジしやすいアメリカ、
族の重要性が強調されるが、その構成 ・機能、構造
ドイツ、スウェ ーデンを 取り 上げ、それらの制度的、
この設定では、常識的に判断すれば、スウェーデ
ンとアメリカが対極に位置し、
ド
イ ツはその中間に
あるような配置が予想される 。だが、それでは、
は
、
ドイツの場合と同じではない。スウェ ーデンは
社会民主主義レジームと称され るが、それは、家族
機構論的差異が何に由来するかを、考察する 。
ド
が抱え込むコストを「社会化」することによ って、
成立するシステムにほかならない。
アンデルセンが福祉国家について重視する指標
i
.
J
悦商品化」 と「雇用 」 であった 。 だから問題
イツとアメリカの位置関係はどうなのかと、あらた
は
、
めて問い直してみると 、ことは簡単に確定できる問
0年代半ば以降 2
0年の
はつぎのようにたてられる 。 7
題ではなくて、複雑な決定様式によっているのがわ
かる 。理解を確かなものにするには、多様な決定要
雇用参加率 0
6
6
4歳の女性の)は 、アメリカでは
6
6%から 75%に上昇し、スウェ ーデ ンは 74%から
. アン
因を解きほぐす作業が必要にな るだろう 。 E
81%に増加した。それと は対照的に 、 ドイツでは 7
0
デルセンの比較論的考察を援用しながら、そのアイ
から 6
6%に縮小したのである 。 OECD諸国では工業
デイアを手がかりにして、 比較論的考察の枠組みを
部 門の雇用は、 1
9
7
9
-1
9
9
3年にかけて、 22%も低下
検討したい。
した 。
アンデルセンはこのように述べて 、この時期にお
ける雇用の創出が、も っぱ らサービス職で生じたも
のだから、雇用の増大のためには、それに適合的な
1.E.アンデルセンの類型論
[
市場と家族と政府の間の責任の配分と長1
み合わせ方がタイプを決定する ]
条件が整っていなければならなかった、と強調する 。
アンデルセンによれば、低賃金労働者のプールの存
(
高齢者問題についていえば、家族による
在が.サービス部門の拡大には不可欠であり、その
介護を共通の条件として、その厚み、
条件をクリアーしたのがアメリカとスウェーデンで
およびそれに組み合わされるも のの差異が
あった。 ドイツはその条件を満たせなかった。 ド
イ
相互の違いを生み 出す。 ド
イ ツは家族と民
ツが雇用を増加させる ことができなか ったのは、そ
間非営利福祉団体と介護保険で、スウェー
のためであったと彼は主張するのである 。
デンは国家、市町村と住民参加の福祉委員
会が、アメリカは家族、市場お よび民間営
アンデルセンによれば、
ド
イ ツの高い賃銀がサ ー
ビス部門の 雇用の拡大 を妨げた。過剰な 労働力はサ
利施設によって、福祉の構造が、形作られ
ービス部門 の拡大に向か うのではな く、福祉国家と
る。
)
家庭に吸収されるものと なった。それに対してスウ
ェーデンでは、ポスト工業化の雇用の増大は、福祉
E
. アンデルセンはスウェーデン、
ドイツ、アメ
サービ スの部門が作り 出した。新たに登場した主要
リカを比較しながら、それぞれをつぎのように性格
な担い手は女性であり、公共セクタ ーが増大する女
づけた。 アメリカは低水準の公的福祉と、市場を介
性の雇用の 7割以上を占めた。 ということは福祉サ
した私的福祉サ ービスの供給によって特徴づけられ
ービ スが公共部門に よって企画され運営され、提供
i自由主義的福祉国家 J) それに対してドイツ
る。 (
されたことも意味していたのである 。
は 「コーポラテ イズ ム的福祉国家」といわれ、「補
またアメリカの場合には、ビジネスサ ービス(そ
人間文化・
5
3
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリ力 ・ドイツ ・スウ工ーデン
こへの女性の参入)および娯楽サービス、パーソナ
ボランテイア団体が、そしてアメリカでは市場 (
私
ルサービスの拡大が、低賃金労働者のプールによっ
的サービス )がそれらの問の差異を表現することに
て可能になった。それと同時に、管理労働などのビ
なる 。
ジネスサービスの分野を中心に、女性の就労率も大
きく上昇したのである 。
スウェーデンにおける、 d
e
f
a
m
i
l
i
a
l
i
z
a
t
i
o
nは、国
家の介入と社会的保障の強化によって埋め合わされ
これらの雇用の増大に、政府が果たした役割はど
る。 アメリカでは国家の介入は弱く、社会的保障
のようなものだ、ったろうか。スウェ ーデ ンについて
は手薄い。同家の介入の希薄さは市場によるサービ
は政府の積極的労働市場政策によ って、多くの女性
スの提供で埋め合わされると想定されているのであ
が福祉を中心とした公的な部門に雇用を見いだすこ
る。親子の同居はまれだが、要介護の高齢者は家
とができた 。 アメリカの場合は、それとは異なり、
族・親族が主としてケアするという方式は両国に共
雇用の増加は政府の雇用創出政策というよりは、規
通する 。
制緩和や市場の解放、賃下げと労働力の流動化とい
う、政府の関与の縮小によってなされたのだ、った 。
このように見ると、 「国家がでれば、家族が引っ
込む」、あるいは「家族がでれば国家が引っ込む」
ドイツの場合にとられたのは、年配の労働者の労働
という想定は明快で、はあるが、福祉国家を構成する
市場からの早期退出、婦人の就労への抑制政策など、
要因を単純化しすぎている ように も見えるのであ
労働力需要の停滞ないしは収縮に方向づけられたも
る。そうだとすると、福祉国家体制を福祉サービス
のであった。
の社会化のレベルによって 一元的に評価する見方
アンデルセンによれば、この方向づけの差異は、
は、必ずしも妥当なものとはいえないことになろう 。
つぎの関係に一層、はっきりと現れる 。それは家族
と女性との関係にほかならない。ドイツにおいては、
家族は男性の稼得に依存する(家族賃金)傾向が相
2
. ドイツの社会保障と高齢者問題
対的に強い。それゆえ雇用と解雇への強い公的規制
[扶助は社会保険を、国家は市場を、福祉
によって、労働者の地位は手厚く守られている 。そ
諸集団は家族を補完する 。 この連関がドイ
の分、女性の社会参加は抑制(税制、価値観による )
ツの社会保障を特徴づける 。]
されることになった。
ド
イ ツでは妻は家庭内のソ ーシャルケアを 一手に
ドイツの社会保障を構成するものは、「補完性の
引き受けるのであるが、アメリカとスウェーデンで
原理」だといわれるが、それはドイツが、福祉国家
はそうではない。 アメリカでは稼得者が一人の家族
ではなく「社会国家」でなくてはならないという信
1
9
4
0年に 70%を占めていたのに、 1
9
8
0年には
は 1
条につながる 。つまり、福祉国家が合意する、後見
28%J にすぎなかった。 スウェーデンでは幼児を
人的国家への依存によって成立する社会ではなく
6
3年
抱えた働く女性は、圧倒 的多数派である 。 (
19
、「民間活動の優先」、国
て、「個人の市場での自由 J
に38%
、1
9
8
3年には 82%)
。
家の助成「アソーシエーションによる危機回避 J
アンデルセンによれば、ケアサービスについても、
「関係当事者による自治的運営の原則 」、「社会的パ
当然のことながら、三国は大きく異なる 。 まず、ス
ートナーシ ップの思想」、「公私の共同」 などの関係
ウェーデンでは政府がケアサービスの責任を持っ
によって表され特徴づけられるのが、
た。地方分権の強化と公的福祉サービスの拡大が、
保障であろう 。
ドイツの社会
地方政府において結合された。地方所得税をその物
社会的保障の全体系は社会保険の原理を中心にし
質的条件として「大きな市町村」がケァサービスの
て組み立てられる 。国家 (
政府)の介入に対して民
担い手として実質化されたのである 。
間のイニシアテイブが優先される 。社会保険方式に
さしあたりここではつぎのように理解しておこ
よる保障が個人の国家への依存を避け、自治的な関
う。家族に よるケアは、 三つの社会に共通 した基礎
係を維持できるものと考えられるのである 。公的扶
的な関係である 。差異は、①その基礎的共通の関係
助と福祉サービスは、あくまで社会保険の「補完的
の手厚さの程度および、②それに組み合わされるそ
な」地位と役割を割り当てられるにとどまる 。
れ以外の要因あるいは関係にある 。つまり、スウェ
「
補完性」の意味するところは、国家の介入に対
ーデンでは政府 (
基礎自治体)が、 ドイツでは福祉
する当事者自治の重さであり、公的機関に対する民
54 ・人間文化
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリカ・ドイツ-スウ工ーデンー
間福祉同体(10
0万人以上を 庭用し、
ドイ ツ社会楠
するなかで、失業と貧閃の社会的原因説あるいは社
祉施設の半分以上を所有する 。労働者補社団、デ イ
会的責任という観念を 実感してきたからであろう 。
アコニ一事業団、カリタス連盟、 ドイツパリテーテ
社会保険が正統的であり、社会的扶助はネガテ ィブ
ド
イ
なものと位置づけられるとしても、両者の境界は流
ツ赤十字など)の優先的な位置づけである 。福祉サ
動的であり、絶えず相互に浸透しあう 。 ネガテ ィブ
ー ビス の提供は、これら民間福祉団体に委ねられ、
な公的扶助は、しばしばポジティブな社会保険に組
ィッシュ福祉連盟、ユダヤ人中央福祉事務所、
政府の主要な役割は、それらの団体への補助金によ
み込まれて正統的なものに変換させられる 。(家族
る助成機能に限定されるのである 。
介護は私的事項だとしても、それは社会保険と連携
補完性を特徴づけるもう 一つの関係は、カソリ ッ
されることによって社会化される 。
)
クの社会的倫理に基礎づけられた、家族を第一のソ
以上のドイツ的特徴を凝縮して表現しているのが
ーシャル・サービス提供者と見る理解である 。家族
介護問題 (
1
9
9
4年介護保険法)である 。高齢者の介
あるいは近隣集団による私的な問題解決が第一の手
護は私的領域の私的事項として、家族が第一次的責
段であり、公的な介入は家族のその機能を補完する
任を負うものと考えられていた。民間優先の原則に
ものにとどまらなくてはならない。家族のこのよう
従 って、サービスの大部分は国家によってでなく、
な位置づけは、伝統的なカソリ ックの秩序観に根強
民間福祉同体から提供される 。在宅介護優先のもと
く支えられていたのである 。
ドイツでは、ソーシャル・ネット・ワークは社会
で、その主たる担い手は家族であり、それぞれのメ
1
8
8
3年),
保険の体系として成熟した。疾病保険法 (
①l
号
、 ④夫
、 ⑤嫁」という順序にある、といわれる 。
ンバ ーが担 っている負担の重さは、 「①娘
、 ②妻
、
労 働 災 害保 険 法 ( 1884年 ),障害 ・老 齢 保 険 法
男性の稼得役割は女性の経済的依存と育児と介護の
(
1889年)、失業保険法(1927年),そして介護保険
負担によって補完される、 と言 う保障の基本的な性
(
1
994年)の設立により、政府の介入を排して、「労
一使」の自主的な交渉 ・協調に基づいた、ソーシャ
ル・ネット・ワ ークが形成される 。全福祉支出は国
格がここに見られるのである 。
内総生産の 34%をも占めたのであった。旧西ドイツ
経済の前提の上で、リ スクを社会保険によって解消
のモデルユ ニ ッ トは、夫が稼得者、妻が専業主婦と
するシステムであった。 ところが社会保険を正統的
ドイツ社会国家が意図するものは、あくまで市場
いう組み合わせに典型化され る。女性の労働市場へ
と想定すれば、社会扶助は限定的 ・例外的なものと
の進出は低い水準にとどまっていた(1970年に
なるだろう 。要介護者が社会保険で、なく社会福祉で
3
5
.
8%、 1
9
9
4
年に 4
2.4%
。
) 家族賃金の概念が有効性
と説得力を持つ状況が維持されるのである 。 (
消極
対応されたのは、それが例外的限定的な事象、すな
わち逸脱と見なされていたからであった。福祉サ ー
ビスは、民間非営利団体に よって提供されるが、そ
的家族主義)
ところで、注意深くこの体系を見ると、保障の対
の民間福祉団体は公と私の 中間 領域に位置づけら
象として位置づけられ、手厚く社会的に守られてい
れ、公と私の領域をつなぐ役割を 演じるものとされ
るのは、雇用を確保し組合に組織された労働者であ
た。公的組織の援助は家族内の支援を補完するもの
り、市民 (
国民)一般ではないことが解る 。つまり
と意味づけられた。既婚女性の労働市場への低い参
国民の権利としてよりも労働者の権利として、社会
加率と伝統的家族機能の維持と役割の存続は、在宅
的保障は体系化されているということである 。普通
の介護が圧倒的に女性の家族成員によって引きうけ
主義 (
国民=市民であれば条件を 問わない)のシス
られるという事実とつながっ ているが、高齢者の介
テムとは異なり、ここでは扶助の制度が 「
補完」の
護が高齢化の進行とともに、 例外的な事象ではなく
ためには不可欠になるだろう 。普遍的人 間的権利と
なった時、そしてそれが、しだいに家族にとって過
して問題は提起されているのではないからである 。
重な負担となり、介護の社会化が社会的に要請され
しかしながら、アメ リカ の場合と異なり、ここで
るようになった時、介護は扶助原則に基づくものか
は、社会保険と社会扶助は厳しく峻別されず、穏や
ら、保険原則に基づくものへ と転換するのであった。
かに連続する 。 アメ リカと比較すれば、福祉の受給
に社会は寛大で、ある 。それはヨーロ ッパ大陸諸国が
それは行政の怒意によって運営されるものではな
(
イギリスも含めて)、貧困と失業救済の歴史を体験
まれ位置づけられるのであった。
く、個人の権利の問題として社会保険の中に取り込
人間文化・ 55
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論
アメリ力・ドイツ・スウ工ーデンー
この転換は徐々に、しかし必然的流れとして 着実
であることは、社会保険をポジティブに、社会扶助
1
9
8
9年) によ って在宅介
に進行した。健康改革法 (
をネガティブに位置づける社会のシステムにおいて
護費用の一部が法定疾病保険でカ バーされることに
は異常な状態であるといわなくてはならない。長期
なった。 1
9
9
1年にはヘルパーの訪問サービスの費用
ケアの主要な費用負担が、公的扶助による時、要介
も疾病金庫 から支払われることにな った。 この動向
護そのものが、アブノーマルな位置づけにあること
は介護が無償の福祉サー ビス労働から 有償なサービ
は自明である 。
ス労働に転換するとともに、例外的な社会的扶助の
8
0年代以降、施設福祉から在宅福祉サービスへと
対象ではなく、社会保険の中に包括されるノーマル
国の政策的重点が大きくかわったから、 自立 と自己
な事象になる流れを表している 。医療保険による訪
責任の呼びかけとともに、家族の女性メンバーによ
問介護サービスの笑施に加えて、ソーシャルステー
る無償の介護が、強い倫理的道徳的意味合いを含ん
ションの整備・増設、そして最終的に、医療金庫を
で鼓舞されるようになった 。 だがそれは、「公共財
ベースにした介護金庫の設立が、介護保険制度を 実
を供給する好ましい手段としての市場」の主張との
現させたのである 。
聞に、大きな 矛盾を生みだすことになる 。
介護者は法定年金保険の保険料負担が免除され、
一方における高齢者福祉サービスの商品化の進
災害保険の保護、職業訓練などのサービスも提供さ
展、あるいはナーシングホ ームなど、民間営利企業
れることとな った。家族の介護労働が有償労働と同
による有料の福祉サービスの供与の拡大と、他方に
等な社会的価値を承認されたのであ った。
おける、 「
女性が無給の家族介護者として、私的領
域に責任を引きうける 」 という、家族的価値と徳を
称揚しながら要請される態度とは、整合化しえるも
3
. アメリカの社会保障と長期ケア
のではない。私的な世帯に表れる、隠れたコストを
[市場機能の限定性は、無償の家族内労働
女性にシフトさせる、市場の原理とは異質なメカニ
によ って補完される 。陰の労働と家族イデ
ズムが、福祉の陰を支えている事実が浮かび‘
上がっ
オロギーの裂け目はそこに存在する不整合
てくるのである 。
を表現する 。]
介護の場が施設から在宅 (自宅) に移行すること
は
、 o
u
to
fp
o
c
k
e
th
e
a
l
t
hc
a
r
eへの移動を意味する
アメリカの社会保障は、社会保険を軸に構想され
が、市場からサービスを購入するための資金を費消
たものであり、社会扶助には強いステイグマがつき
してしまえば、公的扶助の受給者になるか、あるい
まとうだけでなく、その公的保護のレベルも 著 し
く
は家族自身が市場にかわって、サービスを提供しな
低い。その一つの表れは、医療保障の領域に見るこ
ければならなくなる 。それは、 f
i
nf
o
r
m
a
ld
o
m
e
s
t
i
c
とができる 。
まず主流をなすのは民間医療保険であ って
、 71%
の国民をカヴァ ー し、そのうち勤め先企業を通して
W
e
l
f
a
r
eSystema
tnoc
o
s
tJ とも 言 うべき状況を意
味することになろう 。 これらは個人の自 立の原理と
も自己責任の世界とも異なる 。むしろ 「
子供は老齢、
医療保険契約を結んだものが、 65% (
=15000万人)
保険」 と表現される人間集団の原初的な保障のシス
である 。高齢者と障害者を対象とした公的医療保険
テムを私たちに想起させるものである 。
800万人をカヴァーするが、
であるメデイケアは、 3
アメリカ 高齢者法(1965年)が整備したものは、
a
c
u
t
e
c
a
r
emodelを前提にしているため長期のケア
はカバーされない。公的扶助の受給者にはメデイケ
在宅ケァサービスの確保とそのネ ッ トワーキング化
イド (
医療扶助)が制度化されている 。 これらのど
高齢化局が設けられ、各州に高齢化対策室が、さら
の範騰にも入らないものは無保険者であり、その数
万人にも及んで、
いる 。
は国民の 16%=3700
1
9
9
6
年) を見ると、民
長期ケアの費用負担割合 (
であった。 H HS (健康ヒューマンサービス省) に
に全国にわたって地域高齢化事務所が設立された。
財源を確保し、 2
7000にのぼる民間のサービス提供
団体にそれらを配分する作業が、これらの機関によ
間の長期ケア保険によるものが 5%、メデイケアが
って果たされたのである 。それぞれのレベルごとに
11%、メデイケイド 48%、自己負担 31%となってい
る。長期ケァの最大の費用負担が、強いスティグマ
地域計画が立てられたが、それは長期のケアの包括
のつきまとう公的扶助 (
メデイケィド)からのもの
ログラムのパッチワークにとどまっている 。
56 ・人間文化
的普遍的なパブリ ックサ ービスはなく、限定的なプ
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリカ ・ドイツ ・スウヱーデン
多くの高齢者が限定的なメデイケアの適用を受け
高齢者介護についての企業経営者の理解 (
米一独)
た後、長期ケア施設の費用に自己資産を使い果たし、
の違いは何を意味しているのだろうか。
$
8
5
1日)救済されるという経緯をた
メデイケイドに (
働きながら介護を行うことに伴う困難は、介護
どる 。メデイケイドの66%がナ ーシングホ ームへの支
者に多くのストレスをもたらす。 ドイツにおいて
払に支出される現状は、この社会保障の機能不全の一
もアメリカにおいても、家族介護者の多くの者は、
面を強烈に表現しているように思えるのである 。
過重な困難を体験している O だが、そこに蓄積さ
れたストレスの重みとその認識および位置づけに
ついては、両者の聞に大きな差異がある 。 この差
4.高齢者介護と就労
ドイツ、アメリ力の差異
異は、福祉に関する理解と認識の差異を表すもの
[ドイツの場合は「公一私」の中間領域に
でもある 。若干、誇大に表現して、アメリカの場
巨大民間非営利福祉団体が位置することに
合を福祉資本主義的とし、
よって、アメリカの場合は「市場の機能」
家的と特徴づけると、両者の微妙な差異は、つぎ
と「
家族の責任・価値のイデオロギー Jを
のように図式化される 。(表1)
ドイツの場合を社会国
組み込むことによって、高齢者の介護の問
題に対処しようとする 。]
問題が私的困難であるという認識は両者に共通し
ているが、アメリカでは私的困難は私的解決策によ
表1
(ドイツ)
(
USA)
-雇い主は高齢者介護責任への不十分な
.1
990年前後に IBMが行った調査では
戦略が会社に損害をうむとは考えていな 30%の従業員が高齢者ケア問題に関係し
い。それは仕事の場には関係ない私的な ていた。workingc
ar
e
g
i
v
e
r
sの7
0%が女
事柄であり、支援は公的な責任で行われ 性であり、高齢者自身の家で、長距離ケ
るべきものであり、企業の仕事ではない アを行っていた。
と考えられる 。
-他方、被用者は仕事と家族の義務は私 -経営者の少なからぬ者が、高齢者の介
的に解決するものと考える 。だから、職 護が生産性と労働意欲にインパク トをも
場に高齢者介護のプログラムやサ ー ビス つことを認識し、モラ ールの改善、スト
を求めるこ とはない。高齢者の介護は私 レスの解消が、競争力の維持に影響する
的な事柄であり 、職場で話すことではな と認めていた。
い、という意識が支配的である 。
-問題が私的と 位置づけられれば、改革
の方向 は、「家族に よる」 という伝統的
な手法を より 強化するか、家族の機能を
社会化 し、その負担を軽減するか、社会
的に支援を強化するかになるが、 これが
1
9
9
4
年の介護保険法に期待されたもので
あった。
-ドイツの場合、私的であることに発す
る困難は、一方では、介護をステイグマ
のない特権的なシステム としての社会保
険に組み込むこと で
、 他方では、市町村
(
munic
ipal
)の責任の下で、福祉サー ピ
スが、自発的組織と しての、慈善団体に
よって 担われ るこ とで解消を求められ
る。
だがこの固では問題の解決は ドイツと
は異なった方向に求められた 。長期介護
は個人 ・家族の責任であるという認識は
共有しながらも、私的問題であ れば、そ
のニー ズは健康・社会的な 市場で、充足
すべきというのがこの国の支配的意識だ
ったからである 。(市場モデル)
-支配的イデオロギ ーは、拡大 しす ぎた
国家と政治的道徳的リ ーダーシップの崩
壊を警告した 。アメリカは よ り簡明な家
族の価値を含む徳と 価値に帰還 しなけれ
ばならないと主張されたのであった。
人間文化・
5
7
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリ力・ドイツ・スウェ ーデン
って解決することが求められる 。すなわち個別家族
なる 。そしてこの志向が改革への志向と適合的に結
主義的な対応が望まれるのである 。国家の介入では
びついたときに、スウェーデンモデルが形成され始
なくて、市場メカニズムによって。
めるのであった。それは、豊かさが福祉を充実させ、
経営者は従業 員の労働 意欲と勤労倫理に関連し
福祉の充実が豊かさを生み出すという幸福な循環へ
て
、 「
企業一個人」関係により敏感である 。一方で
の楽観的な期待にささえられている 。豊かさと女性
は、企業福利によるメンバーの一体化、アイデンテ
の位置と高齢化と福祉のビジョンの結びつきが、ス
イティの創出・維持という関係が強く意識される 。
ウェーデンモデルの固有性を生み出すことになる 。
他方では、この固においてはとりわけ、家族の再生
1
9
7
2年に首相に就任した社会民主党の P
.
A
. ハン
と倫理的活性化によ って、問題が解決されるのが望
ソンは、国家= 1
国民の家」論を 宣言 していた。す
ましいと多くの人が考える 。
なわち、 「
胎児から墓地まで人生のあらゆる段階で、
それに対してドイツの場合には、私的レベルをこ
国家が『良き父 Jとして、国民の需要や要求を規
えでる問題には、明白に公的な対応が要請される 。
制・統制・調整する 『
家』の役割を (
福祉国家)引
公的介入は 「
社会的」 自由によって要請されるのだ
き受ける 」 と宣言 されていたのである 。 この福祉の
が、他方ではその介入は社会的 「自由 」 によ って
、
ビジョンが 6
0年代の豊かな社会への離陸によ って
、
限定され、有限であることを望まれる 。公的介入は
物質的な土台を獲得することができた。
1
9
8
0年代にはスウェーデンの租税・社会保障負担
社会的自由によって根拠づけられながら、それによ
UGDP)は53.5%に達し、高福祉高負担は国民
って限定されるのである o 社会化は公的な限定され
率
たレベルと拡がりにおいて、展開するよう求められ
的生活の不可避の一要因として、人々の内に浸透し
るのである 。
ていた。 この高福祉高負担というスウェ ーデンモデ
それはスウェーデン方式に特徴的な普遍的社会化
ルの固有性は、女性の就労保障、
(
1家庭も仕事も J
)
ではなく、有限で穏和な社会化とも 言えるだろう 。
を社会政策の主要課題としたところから始まった 。
5
. スウェーテ.ンモテルと高齢者問題
1
9
7
0年代に両親保険が制度化され、 1
9
8
8年には親族
介護手当が設けられて、女性の就労のための条件が
整備されてきた 。 その結果、女性の労働力率は 、
[
1
国家一個人」関係が普遍主義を支え、普
国民の参加を可能にする 。地域における福
1
9
6
7年の 46%から、 9
7年には 81%へと上昇したのだ
った 。
スウェーデンの福祉は「公的負担・公的給付型」
と特徴づけられる 。その制度と政策は、高齢化の進
祉委員会の計画策定と市民の参加が、理念
展への社会的対応を模索するプロセスで形成され
を現実のものとする 。]
た。 1
9
8
6年には高齢者と子供との同居率は 5%にす
遍主義は連帯の感覚によって確立される 。
連帯の感覚は、権限の分権的配置によって
ぎなかった。 1
9
9
4
年には 1人暮らしの高齢者は 41%
スウェーデンモデルの基礎は、 「
連帯の原則」 に
であり、 1
9
9
7年には高齢化率は 1
7
.
4
%、女性の労働
ある 。すなわち、国民全体に国庫から、所得調査な
力率は 81%であった 。 このような条件は、高齢者介
護に、伝統的な家族による個別的方式で対応するこ
しで、普遍的保障を提供するという原則である 。そ
の前提となるのは、経済的富の生産、社会的余剰の
とは不可能であることを告げていた 。その帰結が、
創出・増大を、女性の就労の拡大を介して実現しよ
租税社会保障負担率の 53.5%への上昇であり、保険
うとする政策的志向である 。それは、 1
9
6
0年代初め
原則から扶養原則への転換、すなわち、全国民を対
に生じた、次のような社会意識の言説的変化にも見
象にした、所得調査のない、拠出を給付の条件とし
ることができる 。すなわち、「福祉の拡大は、経済
ない、国庫からの支出に基づいて行われる、包括的
の負担になり成長を抑える 」
。 という伝統的認識か
な福祉システムの構築であった。
ら、「老人ホームや保育所なしには女性は働けない
し出生率も落ちる 」という社会意識への転換である 。
高齢者の 90%が一般住宅に住み、自宅での生活が
困難になるとケア付きの特別住宅 (
サービスハウジ
ここには女性の社会的労働への参加によって経済
ング、老人ホーム、ナーシングホーム、グループホ
成長を加速させようとする強い志向が示されてい
ーム ) に転居する 。 1
9
5
0年代の論争、 「
老人ホーム
る。 この志向がスウェーデンモデルの基礎的条件と
に老人が移動するのでなく、老人の家に介護サービ
58 ・人間文化
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論
アメリカ・ドイツ・スウェーデン
表2
スウェーデン
①
アメリカ
ドイツ
「国民の家」
①
│②
①
「
補完性の原理」
②
連帯と組織性
①
社会的扶養
④
家族の個人化 、 家 族 機 能 の 国 │ ④ 家族 機 能 を ベ ー ス に し た 保 障 │④
家による社会化、
│
①
個人一 国家
│⑤
C
i
t
i
z
e
n
sh
i
p
③
パートナーシップ
│②
ルールの普遍化
社 会 保 険 刈│
会扶助
│①
社会保険<=><=>社会扶助
│
「
公 一私」 の中間領域
│⑤
s
a
n
d
w
i
chG
e
n
e
r
a
t
i
o
n
異の位解
差義、
な
の化主係的
置決
と場族関私
ン市家
デのと界働
市出
一ス義境労
エピ 主 な と
ウ一人昧性
スサ個暖女
⑦
異自
のム耳
1986年の調査では、 75~84才ではフォーマルケア
差的
スが出向くべきだ」 が、時代の意識状況を鮮やかに
浮かび上がらせる 。
一個就働
国家の支援 (
社会化)
と義社
ン、一十一
デ人労
エ>の労
ウ義性ス
ス主女ピ
族い一
家族の形態の変化
個人主義>家族主義、
ソリックの家族イデオロギー
米家低サ
女性の高い就業パタ ー ン
個人一 市 場
I @ 家族倫理と市場原理
介護保険のイデオロギーとカ
⑦
⑦
家族機能と市場機能の混乱
の体系
@ 組 織 性 と 公 的 信 任 、 高 福 祉 高 │⑤ 家族機能と秩序と正統性
負担、国家の支援、雇用創出
「
市場原理」 と自由
1
9
8
8年の新婚姻法は同棲を法的婚姻と同等なもの
と見なし、離婚 ・婚 外 子 ・ 避 妊 ・堕胎を容認した 。
女性は旧姓を維持し、旧姓の後に男性の姓を付け加
の利用者は 27%
であったのに対して、インフォーマ
える (
複合姓)のが一般的となった。高い婚姻年齢、
ルケアの利用者は 73%であった 。 それに対して 8
5歳
高学歴で資産とキャリアを持ったカップルが、離婚
以上では、フォーマルケアは 44%に上昇し、インフ
の際の財産分配や、ライフスタイルや、出産の時期
ォーマルケアは 5
6%へ と低下している 。 この数字の
や、居住地を取り決めて、契約に基づいた婚姻関係
変化は、後期高齢段階に到達するにつれて、対応す
にはいるのである 。 1
9
7
3年の離婚法の改正は、 「破
る介護のタイプが、インフォーマルケアからフォー
綻主義」を承認していた。 そこでは原因の追及も有
マルなケアへと変化していることを示している 。 こ
責性も問われることなく、慰謝料も生活費の請求も
の事実は 、家族介護者への公的支援への代替が、常
ない。介護がその中で行われる「家族」の 観念はこ
時保障されていることを窺わせる 。介護に対する公
こでは希薄である 。保障は よ り 「 国 家 個 人」 関係
的責任の確立は、この国では他の固に比べて透かに
において果たされるものとなっていたのである 。
先行していたのであった 。
1
9
8
2年の社会サービス法は、社会サービスを受け
る権利を個人に保証し、その提供をコミューンの義
現実の主要な 介護が家族関係によってなされてい
るにしても、担い手としての責任は常に国家 (コン
ミュ ー ン) によって引き受けられる 。
6%の段階のこ
務と明記したのであった 。高齢化率 1
とであった。他方では医療と保健は 2
3の県が責任を
持ち、高齢者介護などの福祉 サ ー ビスについては、
地方所得税を主な財源にして、コンミューンの全面
的な責任の下で公的に実行されることになった 。
6
. 比較の社会保障ースウェーテー
ン・ドイツ・
アメリ力一
以上の考察を通じて 三 つの福祉国家のタイプを、
0992年のエ ーデル改革は高齢化率 18%の段階で行
上記の表 2のように整理することができる 。 ① と②
われた。
)
は、それぞれの原理と正統性の根拠を表し、 ③ は
、
他方、このような福祉制 度を受容する条件は家族
の変化と密接に関係していた 。女性の就労は家族の
システムとしての福祉国家の基本構造を、 ④ は、福
祉国家と家族の関係の有り様を示している 。
介護機能を低下させるから、介護の社会化への要請
そして⑤ は福祉と保障が働く基本的な関係を、 @
を高めることになるし、 他 方で女性の就労率の上昇
は福祉国家体制を維持する秩序の連関を、 ⑦ は社会
は、女性の男性への経済的依存を弱めるから、「男
的保障と福祉サ ー ビスの在り方を決定する女性の就
女」 の共同性と結合力を弱めることで、家族の個
労問題の差異と特徴,それと関連して広い意味での
人化あるいは私化ともいうべき変化をもたらすこと
社会の秩序形成と、家族と社会保障の関係設定を性
になろう 。高い婚外出産、婚姻の減少、離婚率の上
格づけるものである 。 これらは比較を行うための基
昇は、家族規模を縮小さ せ る。 1
9
9
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年には、単身世
本的条件だと 言 えよう 。
帯3
9.
6
%、
である 。
2人世帯 3
1
%、 3人世帯が 12%だったの
スウェーデンは正統性の根拠を、国民の組織化に
よって現実化した連帯'と、「国民の家」 に象徴され
人間文化 ・
59
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリ力・ドイツ ・
ス ウェーデンー
(
1夫婦関係が全てに優先する J
)
た、国家による包括的な保障の体系においている 。
けられ、夫婦の緋
それに対してドイツは、当事者自治を原則としたパ
が理想化された 。そこでは、個人関の契約、野心、
ートナー シップの関係に正統性の根拠を求めた。私
競争に よって維持される社会関係に対して、プライ
的自由の活動を原則にして、その不全を公的機能に
パシ ーの空間であ る家庭は、相互依存、打算ぬきの
よって補完する体系が、
利他主義、共感能力、思いやりによってささえられ
ドイツの社会的保障を特徴
づける 。アメリカの場合には原則は単純明快で、ある 。
る。両者の問の深い i
特は「夫婦の愛の架け橋」によ
市場原理に基づいたルールの普遍化こそ、この国の
ってつながれるはずで、ある 。 このようなイデオロギ
社会統合の軸となるからである 。
ー的配置と関係によって、公的な支援なしで自立す
システムとしての保障の基本構造について 言 え
る家族がイメ ージされたのであった。
ば、スウェーデンでは国民の権利としての保障、す
ロナルド・レーガンは、 1
9
8
4
年に「強力な家族の
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pが権利を板拠づける 。それに対
9
7
か-90
年代
粋こそ社会の基礎である」と述べた。 1
してドイツの場合もアメリカの場合も、核になるの
の、歯止め のない宮の追求が放任され是認された時
は社会保険の関係である 。つまり、社会保険の原理
代に、プライベ ートな家庭が道徳の中心に位置づけ
を中心にして、その外部に例外的領域として社会扶
助の領域を配置する 。両者の差異は、 ドイツの場合
示されるのである 。
られた。家族概念がはらむイデオロギー性がここに
は公的扶助と社会保険が穏やかに連続する、すなわ
ち社会的扶助と社会保険とが状況に応じて流動的に
ついで⑦を見れば、伝統主義的であれ、リベラル
変化し、相互に浸透しあうことがしばしばであるの
であれ、保障の体系はいずれも、家族の関係を秩序
に対して、アメリカの場合は、適用に当たって、 二
のベースにしていることが解る 。社会保障そのもの
つの領域はより厳格に区別され、扶助の領域に強い
が、秩序の再生・維持を目的としているこ とを 考え
ステイグマが刻印されることになる 。
ると、「社会保障一個 人 一 家 族 秩 序 」 の 関 係 が 社
会的秩序の形成維持の問題と不可分であることは当
国家と家族との関係についていえば、スウェーデ
然である 。二つのレベルがどのように連関するかを
ンでは、男女の格差が縮小されるにつれて、家族の
確認することが、特定の社会における固有性を認識
個人化ともいうべき動向が進行している 。それを進
するものでもあろう 。
めた条件は、国家による家族機能の社会化であった。
ドイツの場合には、伝統的家族主義と秩序は親和
ドイツの場合は伝統的家族モデルに基づいて、社会
的であり、家族主義が個人主義を凌駕するところに
的保障と扶助の体系が作られたから、社会的保障は
正統性が根拠づけられる 。
伝統的家族機能を維持しながら進化した。
それに対してアメリカでは、個人主義と家族主義
とはいずれも市場原理を共通の基礎にしているが、
アメリカではこの関係は若干錯綜する 。家族機能
その組み込み方は、まったく異なった方式をとるか
の社会化といっても、家族機能の市場化がここで進
展しているものだ、ったからである 。そのために、家
い。 このズレを宗教的なイデオロギーによって覆う
族機能と市場機能との混乱と不整合、つまり現実に
編成が、この社会の特徴といえるだろう 。現実の変
進行する家族の変容と規範としてのイデオロギー的
化している家族の実態と、 理念的に称揚される 家族
ら、両者の位置 ・機能は整合的なも のではあり得な
家族との関の混乱が、大きな裂け目を生みだし、規
との聞に大きな隔たりを含みながらも(現実の家族
範としての家族が提起すべき秩序の礎が、秩序の現
の有り様は大きく変わっているにもかかわらず、理
実的特性を決定する市場機能との聞に、明らかなズ
念としての家族は変化しないから、そこに提起され
レを生みだしているからである 。
た家族像が幻想的な性格を強くもたざるをえない、
1
9
5
0年代までにイメージ形成され、今や伝統的家
族像として継承されている像に、イデオロギーとし
てのアメリカの家族の一つの典型を見ることができ
る。所得の増加、持ち家とマイカ ーが、豊かさを象
徴 した。核家族が繁栄のシン ボルとして、家族至上
主義 (
1家族はあなたの生活の中心です J
) に結びつ
と言う関係が、ここではとりわけ顕著になる。)
60 ・人間文化
スウェ ーデンでは、家族主義と個人主義との裂け
目を幻想的イデオロギーによって覆う必要性は脱却
されている。つまり、男性に対する女性の平等化を
進めることによって、家族の変化を家族イデオロギ
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリカ・ドイツ・スウ工ーデン
ーに反映させ、イデオ ロギーと 実態との裂け目を覆
うことを、秩序形成の必然的条件ではなくしてしま
った、と 言 うことである。イデオロギー としての家
関連文献
(アンデルセン)
1
. Gエスピンーアンデルセン、岡沢憲芙 ・宮本太
族と実態としての家族を対応させるような社会的保
郎監訳、 『
福祉資本主義の三つの世界.
比較福
障の (
とりわけ女性に対する)対応がそれを可能に
祉国家の理論と 動態』、TheThree Worlds
したといえよう 。
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「日本語版への序 文 」、 ミネルヴァ 書 房
だがこのように、家族を秩序のベ ースに設定しな
いシステムは、秩序の基礎的エレメントとして家族
に代わるべきものを、どの ように調達するのだろう
か、という疑問は依然 として残るのである 。
おわりに
三つのタイプの福祉国家を概観した後に、いくつ
かの気になる事実あるいは関係を、書き留めておき
たい。
(
1
) 介護と家族の関係。言いかえれば、 「家族に よ
る介護」 と「社会化された介護」の関係である 。家
族の形態・機能と社会政策としての国家の介入は不
可分の関係に立つが、この論考では、私は家族によ
る介護の形態は普遍的なものと想定し、程度の問題、
あるいはそれに組み合わされる要因との複合的形
態、あるいは機能に よって 、特定の社会の独自性あ
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6. (埋橋孝文監訳
『
転換期の福祉国家グ ロー パル経済下の適応
戦略 j早稲田大学出版部 2
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るいは固有性を認識する という視点を設定した。 こ
の設定に問題はないだろうか。
(
2) 原理としての正統性 とシ ステムは整合的にそれ
ぞれ機能していたろうか。スウェ ーデンは国家の主
導性による普遍的保障の形態をとったが、それと組
み合わされるべき家族の形態は欧米諸国よりも遥か
に大きく変質している ように見え る。問題を 一般化
すれば、
福祉国家を考える 場合の家族のイメ ージは、
どのように設定すべきだろ うか、と 言う ことになる 。
(
3
) ドイツの場合に家族主義が個人主義に優先し、
スウェ ーデンの場合は逆であり 、アメリカの場合に
は両者相互の位置 と境界が不分明で、ある 。 このこと
の意味はどう理解すれば よいか。
(
4)
は社会的扶養と社会保険と社会的扶助の位置づけ
と関係である 。 この関係の差異が三つの福祉国家の
差異 をも っ とも顕著に表現していると私には見え
る。それは正統性の原理とシステムに 直結し、内発
的な,正 当化への動因 とな っている 。 この差異をど
のように意義づけるか。
(アメリ力の高齢者問題)
6. ロバート ・パトラ 一
、 グ レッグ ・中村文子訳
『
老後はなぜ悲劇なのか?アメリカの老人た
1975)、メヂカルフレンド社、
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8.仲村優一 -一番ヶ瀬康子編集『世界の社会福祉
9、アメリカ ・カナ ダ』旬報社、2
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. 藤田伍ー ・塩野谷祐一編『先進諸国の社会保障
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. 総務庁長官官房高齢社会対策室 『
各国の高齢化
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の状況と高齢社会対策一 高齢社会対策に関す
る海外動向把握調査報書
』 平成 1
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(ドイツ一社会保障と介護保険)
21.河畠修編
『ドイツ介護保険の現場』旬報社、
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. 足立正樹
『
現代ドイツの社会保障 J法律文化
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. 山田 誠
『ドイツ型福祉国家の発展と変容ー
現代ドイツ地方財政研究-1ミネルヴァ書房、
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.古瀬徹・塩野谷祐一編 『
先進諸国の社会保障 4,
ドイツ J東大出版会、 1
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. 中村優一・一番ヶ瀬康子編 『
世界の社会福祉 8、
ドイツ・オランダ.
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. G.A.リッタ一、木谷勤・後藤俊明他訳 『
社会国
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家、その成立 と発展』晃洋書房、 1
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62 ・人間文化
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. 足立正樹編著 『各国の介護保障』法律文化社、
1
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. 本沢巳代子著
『
公的介護保険ードイツの先例
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に学ぶ J 日本評論社、 1
3
0
. 松本勝明著 『
社会保障構造改革 ドイツにおけ
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8年。
る取り組みと政策の方向 J信山社 1
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.岡 1奇仁史著
『ドイツ介護保険と地域福祉の実際』
中央法規、 2
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. Gerhard Backer and Ute Klammer,The
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33.Lutz Leisering.Germany Reform from
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. Gerhard Naegele and Monika Reichert,
Eldercar巴 and the workplace, A new
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. 栃木一三郎・矢野聡編
『
世界の社会福祉 8
ドイツ・オランダ、旬報社、 2
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. 古瀬徹・塩野谷祐一編
『
先進諸国の社会保障
4 ドイツ 』 東大出版界、 1
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(スウェーデン)
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.高島昌 二
『スウェーデンの家族・福祉・国家』
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ミネルヴァ書房、 1
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. 斉藤弥生・山井和則 『スウェーデン発、高齢社
会と地方分権、福祉の主役は市町村 Jミネル
ヴァ書房、 1
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41 . 岡 沢 憲 芙 ・ 奥 島 孝 康 編 『 ス ウ ェ ー デ ン の 社
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大学出版部、 1
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論
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. 丸尾直美 .t
1t野谷祐一編『先進諸国の社会保障
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福祉国家と資本主義、福祉国家再生への
視点』
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. ステ ィーグ・ハデニウス 『スウェーデン現代政
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0世紀』
(介護・介護労働およびその比較)
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68. ピート・アルコ ック・ゲイリー・クレイグ編、
五
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橋孝文他訳
『
社会政策の国際的展開 先
進 諸 国 に お け る 福 祉 レ ジー ム』 晃 洋 書 房
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3年。
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. Karen Oppenheim Mason, NorikoO.Tsuya
人間文化 ・
63
比較の事例・高齢者問題と福祉国家のタイプ論 ーアメリ力・ドイツ ・スウエーテ"
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and Minja Kim Choe eds.
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. 久塚純一 ・岡沢憲芙編
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世界の福祉、その理念
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1年。
71.埋橋孝文編著 『比較の中の福祉国家』 ミネルヴ
と具体化』早稲田大学出版会
ァ書房
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3年。
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2.大熊一夫 『あなたの老後の運命は、徹底比較ル
ポ・デンマ ー ク ・ドイ ツ・日本 Jぶどう社,
1
9
9
6
年
64 ・人間文化
研究ノート
近代デザインとしての月民自衛
森下あおい
人間文化学部生活文化学科生活デザイン専攻
1.はじめに
∞
2
α路年 -2 7
年にわたり、
のような環境の中で、パリを中心とした貴族の衣服
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-1939J (Victoria&AlbertMuseum主
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9
14
がデザインの評価の対象となった。 さらに 20世紀に
入りパリコレクションの産業システムが成立したこ
催)が開催された。 この展覧会は 20世紀初頭のヨー
とで、パリから発信されるモ ー ドとしての服飾はデ
ロッパ、およびアメリカにおける近代デザインとし
ザインの絶対的な基準となり、パリモードは以降、
ての作品群を、建築、インテリア、家具、写真、グ
今日まで常に「時代のかたち」と位置づけられてき
ラフイツク、舞台美術、服飾など、極めて幅広い領
たのである 。
域で捉えたものであり、ロンドン、
服飾の領域にはパリのモ ー ド以外の近代デザイン
ドイツ、ワシン
としての実践や表現はなかったのだろうか。服飾領
トンへ巡回された (
図 1、 2)
。
本稿では筆者が展覧会に出品したロシアアヴァン
域のこうした疑問に対するひとつの示唆を今回の展
覧会は導いている 。
ギャルドにおける衣服の再制作の作品と服飾領域に
ついての概要を記し、近代デザインとしての見た服
3.ロシアアヴ'
アンギャルドの活動の背景と服
飾デザインの実践とその意義について述べる 。
飾デザインの理念
2
. 近代デザインと服飾
1917年のロシア革命によって、世界初の社会主義
1
9
世紀末から 20世紀の初頭には、人間の新しい生
の革命政府が誕生した。新政府は古い芸術体制から
活の在り方を念頭に、量産に向けたモノの形態や機
Iを目指していた芸術家を、文化活動の担い手
の脱去J
能についての議論が沸き起こり、デザインの方法論
として積極的に起用し、国家的規模で芸術に関する
や造形の理論構築が積極的に行われた。そして 2つ
教育機関や組織を立ち上げた。こうした背景の中で、
の世界大戦の聞に挟まれた 1920年代から 30年代には
古い芸術の表現を否定する一部の芸術家たちは、ロ
産業を支える技術が著しく発展し、 ヨーロ ッパの広
シアアヴァンギャルドとしての活動を始めた。一般
い地域で、新しいデザインが生み出された。
的に アヴァンギャルドの作品には、その背後に様々
な思想的な裏づけが存在するが、ロシアアヴァンギ
この時期のデザインや活動が社会に与えた影響や
新しい世界観については、今日まで建築やインテリ
ヤルドは混乱した国の情勢の中で、社会的変革と生
ア、グラフイツクなどのデザインの領域では多数の
活水準の向上を目指して新しい社会を築こうとし
議論や評価が行われてきた。しかし服飾の領域では、
近代デザインとしての衣服の捉え方や評価が行われ
た。
ロシアアヴァンギャルドの活動の中心メンバ ーで
ることは極めて少ない。
あったアレクサンドル・ロドチェンコは革命の混乱
服飾はもともとヨ ーロッパの宮廷社会で、の権力の
の中で造形の抽象性や機能性を強く主張し、産業デ
象徴とされ、社会制度の中での身分や階級によって
ザインとしての写真、印刷、家具やインテリア、舞
種類やデザインが細かく規定されてきた。そしてそ
台芸術、衣服、テキスタイルなどの生活に関わる広
図
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London)
図
2 Ma代白 He
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人間文化・
65
近代デザインとしての服飾
い領域の制作を手掛けた 。特に衣服は大量に生産さ
試みることができるテキスタイルデザインに着目
れ流通する媒体として、また生活の中へ独自の美 と
し、シンプルな衣服の形態に適応する色彩構成のデ
価値観を取り入れる役割を判う重要なものとして位
ザインを提示 し、白らが工場に出向き繊維工場での
世づけられた。
テキスタイルの生産を実現させた。実際にステパー
ロドチェンコはロシア構成 主義 1)をその 表現形
ノヴ ァは
、 1
5
0点ほどのデザインを手掛け、そのう
式として掲げたが、ロシアアヴ ァンギャルドにおい
ちの 2
0点あまりのテキスタイルデザインが生産され
て服飾の理念を最も象徴的に示すものとしてデザイ
た。
ンしたのが労働着である 。 ロドチェンコは使用目的
に合った機能性、実用性を極めて 一般的な服装で表
4
. 再制作について
現しようとした。余暇の時間を 主 な着用場面として
ロシアアヴ ァンギャルドの活動は、これまでの社
デザインするパリの高級モードとは異なり、 一般大
会的事情から全貌が明らかにされてきたとは言 い難
衆にとって最も身近な日常の労働の時間をデザイン
く、今 Hになってもなお当時の状況や関係する資料に
したのである 。
は不明な点が多い。そこで筆者は文献だけでは分り得
ロドチェンコと同様にロシアアヴァンギャルドの
ない実物からの分析を行うため、ロドチェンコとの作
服飾デザインを手掛けたヴァルヴァラ・ステパーノ
品 (
閃 3)について再制作を行い、 具体的な形態か
ヴァは自ら論文 2)を発表し衣服デザインの考え方
らそのデザインの検証を試みた。対象とした作品は
について次の内容に触れている 。
ロドチェンコの生産主義者的 3)なオーバーオールと
1.流行に左右されず、物質文化としての十分な
呼ばれたワークスーツである 。 さらに本稿では筆者
価値を持ち、独自の地位を示す普遍的なデザイ
がこれまでに再制作を行ったステパーノヴァのデザ
ンを創造することが重要である 。
インによるワンピース(図 5)についても紹介する 。
2
. 市場性をふまえて生産過程を組織化し、テキ
スタイルデザインから販売、展示、広報に至る
再制作の目的は、最終的な完成作品の検証は勿論
であるが、完成作品の観察から見出し難い制作のプ
までのすべての過程でアーテイスト (
デザイナ
ロセスについて、分析することが重要である 。再制
ー)が関わることが必要である 。
作の対象とした 2作品は今日、いずれも現存してい
3
. 衣服に生地を合わせるのではなく、生地の構
ないため、図 3、図 5および図 4のデザイン画を再
成という観念でデザインにおける生地の役割を
制作のための主な資料とした。写真ーから判断し得な
重要視する 。
い素材の色彩や風合い、裁断や縫製の詳細は、アレ
彼女はこれらの実践として、デザインの多様性を
キサンドル・ラヴレンチェフ氏 4)からの取材結果
図3 P
roductionC
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19
2
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年 ) 図 4 DrawingP
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6 ・人間文化
図 5 One
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年)
近代デザインとしての服飾
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年)
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0
4年)
と当時の残布の複写を重要な手掛かりとした 5。
) 素
た。 またワンピースについては、幾何学的なテキス
材は岐阜、滋賀、横浜の複数の企業と工場で織布、
タイルの特徴と裁断上の特徴から効率的なマ ーキン
プリントまで行う大掛かりなものであったが、今回
グが可能であり、衣服上の生地の構成を重要視しな
の素材制作の一連の工程から、日本の繊維分野の技
がらも、生地から衣服パタ ー ンを取り出すべきとし
術力の高さをあらためて再認識することとなった。
た裁断の合理化の考え方が明確に裁断に反映され、
図 6、図 7に展覧会へ出品したワークスーツの蒋
機能的な衣服の形態にテキスタイルの効果が最大限
制作作品と展示空間を、図 8にワンピ ースの再制作
に発揮されていたことが実証された。
検証結果の詳細や素材の特徴、社会的な視点での
作品を示す。
考察はについて論文 6)を参照されたい。
5,デザインの検証
再制作の結果から労働着としてのデザイン要素、
ロシア構成主義とし てのデザインの特徴、裁断パタ
6,新しい衣服の価値
展覧会に出品されていた作品はロ シアアヴァンギ
ーンに関わる人体寸法と各部位の運動量、機能性と
ヤルドの他、イタリア、イギ リス
、
の関係、裁断形態から導き出されるテキスタイルと
前衛芸術家によるアヴァンギャルドの作品の他、ア
ドイツにおける
衣服形態の関係などを考察し、前述の 3,のステパ
メリカからは日常着の新しいスタイルを模索した服
ーノヴァの論文の内容との検証を含む分析を行った。
飾デザイナ ーのものが含まれた。
ワークス ーツは裁断パタ ー ンから、単純な直線形
20世紀初頭のイタリアでは、未来派宣言に よる運
状の組み合わせによる構成であること、各部位のゆ
動の中で、マリネ ッティが機械美を掲げ男性服の改
とり量のバランスから、不特定多数の人のための基
革の必要性を提案したが、中でも衣服の構造の視点
準化したデザインと関連づけられることが判明し
を広く提示しながら機能性を示した例として、タヤ
図1
0 Tuta
図1
1 Women' sfashion (
19
3
7
年)
人間文化・ 6
7
近代デザインとしての服飾
TutaJ と呼ばれるシャツとズボ
ートが提案した I
置かれた対象に向けて独自の新しい美 を見出した彼
ンの組みあわせがある 。今回の展覧会では、新聞に
らは、芸術が生み出す深い洞察力で未来の社会を描
発表された ITutaJ のデザインパターン (
図 9)
いていたのである 。
との写 真 (図1
0
) が展示された。その衣服のパ ター
ンは極めて単純な裁断よるもので、つなぎの作業着の
ようなデザインは、ロドチェンコの労働着のデザイ
参考文献・注
1)構成主義には複数の意味があり、
1つモンドリ
ンと共通する動き易さ、機能性を表現している 。 し
アンの純粋芸術における表現、ロシアにおいても
かしこのデザインはもともと労働着ではなく、着易
タトリン、マレーヴイ ツチなどの表現がある 。 こ
い日常着の用途としてのデザインされたものである 。
一方、アメリカからは服飾デザイナーのクレア・
マッカーデルによる女性のカジュアルウェアが出品
こではロシア構成主義として、実用芸術つまりデ
ザインとしての語として使用された。
ンとしのデザインで、上下のアイテムで各々交換し
2 ) Al
exander Lavr巴ntiev: IVARVARA
STEPANOVAJ THAMES AND HUDSON,
1
9
8
8,5
8
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7,1
7
2
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3
て組み合わせながら着用できるものであり、下着の
3) I
生産主義者的 Jとは、インフク (
芸術文化研
用途で多用されてきたジャージ素材の使用やパンツ
究所) の芸術家たちの中で生み出された言葉とさ
形式のスカー卜、ポケ ッ トの機能などのデザイン要
れ
、 H常の多様なものを産業的に作るため、純粋
された (
閃1
1)。 この 3体の衣服はコンビネーショ
素ーから、 2
0世紀の世界を席捲することになるアメリ
な芸術を放棄するという考え方を 示 した。
カンカジ、
ユアルファ ッションの基礎がそこに見い出
4) ロドチェンコの孫で美術家
せる 。
5) ロドチェンコルームプロジ、エクト (
岐阜県現代
これらの共通した特徴は、人間の動きの中で衣服
を捉えていること、素材の新しい用途を判りやすい
着用方法でデザインしていることである 。
003年)、 及 び I
modernism
陶芸 美術館 主催・ 2
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6年) において、再制
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作とデザインの検証を試みた。多くの資料はこの
7
. おわりに
芸術は社会や時代の中で、時として徐々な境界を
超えて影響力を持つ。2
0
世紀初頭の前衛芸術家たち
は、自然に深く関わり合い創造されてきた古くから
の芸術の価値観や美意識を否定し、 芸術を通じて現
実の生活の中のモノのデザインを変革しようとした。
芸術家の活動によって、新しい解釈をモードに与
えたという 事例はこれまでにも少なくないが、この
展覧会では、モード界の服飾デザイナーの創造とは
異なる 立場で、服飾に新しい価値を与えた 実践活動
の成果が多数示された。
実践された当時は、パリの華やかで高級な印象の
モード‘に憧れが強かった世の中で、それらが一般の
際の取材から得られたものである 。
6)森下
「
新しい美の創造一芸術から生み出され
た衣)j~ J 、日本家政学会被服構成学部会夏期セミ
ナー要旨集、 2
0
0
7
7)森下:岐阜県現代陶芸美術館:I
ロシアアヴア
ンギャルドの陶芸展」、2
0
0
3、 1
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7
8)RaduSterm:I
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9
3
0
J、MITP
9)松原明、大石雅彦編
I
ロシア・アヴァンギャ
ルド 7レフ 」 図書刊行会、 1
7
1
17
5、 1
9
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SOVIETCOSTUME
1
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ANDTEXTILES1
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ammarion,1
1
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6
1
4
7
大衆に受け入れられたとは言 い難い。特にロシアア
ヴァンギャルドの活動は、当時の社会、政治、経済
と絡み合う運命の中で広く浸透することは許されな
図版文献
かった。 しかし彼らが手掛けた服飾デザインは、近
図 3、 4、 5、 8 岐阜県現代陶芸美術館
代デザインとしての生産性を持つ新しい形態的表現
アアヴァンギャルドの陶芸展」、 2
0
0
3
性を提示し、何よりも生活に必要な服飾のデザイン
の理念から、パリモードとは異なる服飾の美 と価値
を次代へ繋げたと 言 える 。
着ることの意味を広げ、流行という時間軸の外に
68 ・人間文化
I
ロシ
図 9、1
0 V
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modernism
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9J、2
0
0
6
研究ノート
雲南の食文化に惹かれて
地域から考える生き方と食
瀬戸涼子
人間文化研究科地域文化学専攻
はじめに
飛行機の窓、から見える雲が途切れ、広大な中同の
大地に波打つ山々が私の目に飛び込んできた。 目を
凝らしてよく見ると、険しい山肌にくねくねと細い
道が通り、そこかしこにへばりつくように小さな集
落が点在している 。後に、この日見たような山深い
村に、引き 寄せられるように足しげく通うようにな
るとは、この l
侍の私には思いも及ばなかった 。
2
0
0
5年 8月末、私は武邑教授に連れられてゼミの
学生 とメコン川流域を旅した後、休む間もな く中国
雲南省へと飛ぶ飛行機の中にいた。
当時、大学院に入っ たものの、自分の研究テーマ
である「地域の人と食」にどのように取り組んでゆ
くか、手探りの状態が続いていた。焦りがつのる中、
写真 1 畑へ震作業に向かう親子。
0
0
7
年 1月
緑春県平費村 2
ゼミ活動や周りの方々のアドバイス、そして長い自
問自答の末、やっと行動を起こしたのは、大学院 2
し
、 2
0平方メートルほどの畑にぎ っ しりと植えられ
回生の前期であ った。 4年前に一度訪問し、魅了さ
た大根を、ひたすら手で引き抜いてゆく 。手近な大
れた雲南へ再び赴くことを決心したのである 。
根を 一本引き抜いたとたん、お母さんは「今年の大
思えば、最初は勇んで足を踏み入れた雲南であっ
様は去年 より小さい。
」 と厳しい顔をして言っ た。
た。 しかし、何がなんでも調査をせねばという私の
お母さんの似)
1で、子供達も一緒にな って黙々と作
意気込み は、あ っけなく裏切られた。雲南で訪れた
業を続ける 。お腹が空けば、 畑の大浪を蓄って、ま
村々には、食文化の域だけでは捉えきれな い、人間
た作業を続ける 。錠で皮をむいた大根は瑞々しく、
としての知恵が当たり前に生活の中に溶け込んでお
乾いた喉を潤してくれる天然の水筒とおやつにな っ
り、私はそれを夢中で記録した。調査や論文という 言
てくれた。
葉は、現地ではほとんど頭になかったといってよい。
すべての大根を抜き終わったら、葉をむしりとり、
力まずとも、毎日起こる出来事を通して自然に、
白い部分と別々にして村の水場まで持ち帰る 。竹製
頭と体に最も大切な ことが浸透してい ったような、
の背負い能に入 った大根の重さは、背負う人の体重
一年半の留学生活であった。
をゅうに越えていることは、 一 目瞭然だ。それなの
本報告では、留学中一番考えさせられた“ 生 きる
ことは食べること"を象徴するような体験を具体的
に、お母さんも小学生の子供も、箆に紐をつけて頭
に引 っ掛け、足どりも軽く山路を急ぐ。私も手伝お
にいくつか挙げて、紹介したいと思う 。
うと竹箆を持ち上げてみるが、箆はびくともせず、
結局軽い農具をぶら下 げて皆の後に続くしかなか っ
大根を掘る一日
私は雲南の昆明市に腰を落ち着け、普段は雲南民
た。 しかも、もうこの頃には足腰ががくがくで、子
供達に笑われるしまつである。
族大学で中国語を学びながら、時間を作つては雲南
村に数 ヶ
月r
I
ある水場に着い た頃には、もう日が落
省内の様々な地域を網の 目のように走る路線パスを
ちかけていた。疲労悶懲の私 とは違い、 子供達はふ
使って出かけ、人々の暮らしを見て回った。
ざけあいながら楽しそうに大量の大根を手で転がし
深い山々の聞に棚田が広がるハニ族の村、平饗村
て洗っている 。そこに 、夕飯に使う野菜を洗いに来
では、お世話になった一家の大根の収穫を手伝った
る主婦や、水牛を連れて帰宅途中の男達が集ま って
きて、にわかに水場は賑やかになる 。
ことがあ った (写真 1。
)
朝需のかかる、山の斜面にある大根畑早朝に到着
今日収穫した大板を主菜に 、大盛り の赤米の夕食
人間文化 ・
6
9
雲南の食文化に惹かれて一地域かう考える生き方と食ー
大根の!支は家畜の餌になる 。全く無駄がない、大根
の命を使い尽くした利用法だ。
村から離れた山の麓の小学校で寄宿生活を送る子
供達にと っても、この漬物は母の l
床である 。ついで
があ って子 供達の寄宿舎近くにでかけたお母さん
は、娘のベ ッ ドの枕元にそっと大根漬けをおいてや
っていた。辛 い漬物が母の温かい愛情を 子 に届ける
役目を果たしていた (
写真 3。
)
命を食べるということ
もう 一つ、私が“食べること"を考えさせられた
写真 2 大きなタライの中で、大根を切る八二族のお母さん。
緑春県牛孔平実村 2
0
0
7
年 1月
出来事を 挙 げておく 。
雲南では、訪れたどの家でも丁寧なもてなしを受
けた。時には大切な家畜、特に鶏をわざわざ絞めて
をとった後、ノイズのひどいテレビを観る子供達の
くれることもあった。 どれだけ多くの鶏が、私のた
械で、お母さんは休む間もなく大根の漬物を作りは
めに命を擦げてくれただろう 。
じめた 。使い込まれた鉄の包丁で、大根を 5cmほど
の棒状に切ってゆく 。
彼らの宴の席で一番のご馳走は肉と酒である 。 肉
とj
酉で客をもてなす事は、年長者を敬うことと同等
裸電球のオレンジ色の光の下、コトンコトンと大
に最高の礼儀なのだ。そこには、食べ物を媒介にし
根をリズミカルに切る音と、テレビから聞こえる流
て、客と共に飲食することで、より良い関係を築こ
行の音楽、そして人々のお喋りは延々と続いた 。 こ
うとする“同じ釜の飯"の精神が確かに生きている
うして過ぎていった 一 日は、ひたすら食べ物づくり
(
写真 4。
)
のために費ゃれていたのだ、った (
写真 2。
)
幾度となく見た鶏の解体であるが、鶏をさばく瞬
この下処理された大根は干してから、唐辛子粉と
間の主人とさばかれる鶏の聞には、神秘的ともいえ
塩で漬け込まれ、大切な保存食となる 。 また、大板
る緊張感が漂 っているようであった。鶏をできるだ
葉も塩でもんでから乾燥させ、塩漬にする 。 さらに
け苦しませないよう、そして一滴の血も無駄にしな
写真 3 子を背負う母。子供の美しい頚飾り
写真 4 ζ れからさばく鶏を持って、誇ら
は、魔よけでもある。
元陽県 2
0
0
6
年 3月
しげ芯チワン族の女主人。広南県パーメイ
7
0 ・人間文化
村
2
0
0
6
年 5月
写真 5 財産として、また、食べ物として、
家畜はなくては芯 S1;.主いものである。元陽
県 2
0
0
6
年 3月
雲南の食文化に惹かれて一地域かう考える生き方と食
いようにと、主人が細心の注意をはらい、鶏の頚動
とともに地上に降りてきて、その魂の入った米や作
脈を切る 。鶏は最後に必死の抵抗を試みるが、最後
物を食べて人が生きているというものだ。地上に存
の一戸を残して力尽きる 。熱湯で羽を抜き取られ、
在するもの全てのものに魂が入っており、それを身
水洗いされた鶏に包丁が振るわれると、まだ体温が
体に取り込む行為、それが食べるという行為である
残っているのか、鶏の体からほのかに湯気が立ち昇
とハニ族の人々はいうのだ。稲と森の民で、自然と
る。
鶏の解体を見ていると、命の儀式が行われている
共にやきる彼らにとっては、人も自然と共に循環し
ような気さえしてくる 。その後、調理された鶏を食
方は、現在私が食を考える上で、核のーっとなって
f
lと肉としてい る
べると、自分は鶏の命をもらって J
いる (写真 6。
)
続ける他の物質とかわらないものなのだ。 この考え
人間なのだという思いが湧き上がって消えない。恐
もう 一つ、雲南という故郷滋賀から遠く離れた地
ろしいなどという気持ち は微塵も起こらず、ただ感
域で過ごしたことにより、日本という国の、さらに
謝の念を鶏と、それを振舞ってくれた主人に抱いた。
は地元滋賀の食べ物を見直すこととなった。 自分の
今でも、あの時の鶏や豚が白分の J
(j[肉にな ってくれ
生まれた地域の食べ物を食べて地域と繋がっていた
ていると思うと、感謝の気持ちが湧く(写真 5。
)
大根の収穫にしても、鶏絞めにしても、食べるた
めに 一 日を生きた、あの小さな村での日々、生きる
い、そうした生き方を続けてゆきたいという思いは、
今日の H本が直面しているの食の問題を見聞きする
たびに強くなるばかりだ(写真7)。
ためにほかの生き物の命を食べた時、私は食べ物と
地域というミクロの空間で長い時間をかけて培わ
人間の本来のあり方を見ることができた。食べるこ
れた生きる知恵、こそ、地球規模で物事を考える上で
とは、食文化という言葉のできる遥かな昔から、人
重要なことを含んでいる 。雲南に行って私はそのこ
の生きる知恵、と繁がっていたのだ。
とを、実感できた。
滋賀で思うこと
たらと思っていたら、八日市高校の総合学習の授業
帰間後、自分の思いを少しでも伝えることができ
留学生活を終えて、生まれ故郷である滋賀に帰り、
でお話をしたり、雲南で習った少数民族舞踊を披露
修士論文提出、修士課程修了と慌しく日々は過ぎ、
する機会をいただけた。今後は、自分が大学院時代
現在の私が在る 。今思えは¥雲南で、出会ったすべて
に学んだことを、小さなと ころからでもよいので、
の人の生き方、食べ方から、私は多くの ことを 学ぶ
発信してゆき、どこかで誰かのアンテナにひっかか
ことができた。
雲南で学んだことの一つ は、論文でも取り上げた
り、思いを共有できればと考えて、今日この頃を過
ごしている 。
ハニ族の考え方である 。それは、先祖の魂は雨や風
野菜とごはん中心の、村の日常食。皆、驚くほどの食
べっぷりである。緑春県牛孔平費村初日7年 1月
写真 B
写真 7 棚田と森に固まれて静かに停む村々。
元陽県 2
0
0
5年 1
1月
人間文化・ 7
1
滋賀県立大学最終講義
シルクロード文化を支えたソグド人
菅谷文則
人間文化学部地域文化学科
私が 1
9
9
5
年にこの学校へ着任する│時、西)11
先生か
そのルートは大きく 3つあります。 イスタンブー
1
1
本のことは別の先生がいら っ しゃるから、東
ら :
ルから北回りに行きますと、ちょうどカスピ海、ア
r
アジアの考古学をやってほしい」 と言われました 。
ラル海を通 ってモンゴル草原に至ります。「
草原の
キャラ パ ンサライとかシルクロード、中央ア ジアか
道」 とわれわれは言っています。次にアフガニスタ
ら中国にかけての考古学をやりなさいとのことでし
ンを通り、砂漠の問を縫ってオアシス問を結んでい
たので、ア ジアコースに属することになりました。
る道を 「オアシスの道」 と言 っています。そして最
最終講義は、採用していただいた経緯から、アジ
後は、イスタンブールからインド洋に出まして、イ
アの訴をすることにします。
01
旦│
、東南ア
中心は中国ですが、中央アジ、
アへ約 2
ンド大│袋、スリランカを経て、インドシナ半島を大
きく迂凶してベトナムに向かうのが 「
海の道」です。
ジアに 1
0凶ほど行きました。当大学からも、ウズベ
唐代には林邑同と 言 う国がありました。そこから東
キスタンやベトナムへ調査に行くなど、シルクロー
シナ海を経て、朝鮮半島から日本へのルートを考え
ドを調べるためにお金を出していただきました。大
ます。 シルクロードを通った最大のものは宗教で、
学当局はもちろん、学生さんも含めて感謝の気持ち
仏教、キリスト教、マニ教、それから拝火教 (
ゾロ
を込めて、話を始めたいと思います。
アスター教)がありました。 さらに芸術など広範な
文化交流の結果をシルクロ ード 文明と呼んでいま
シルクロードの提起と概念
シルクロ ー ドとは、
ドイツ人の経済地理学者リヒ
す。
1
9
8
8年にシルクロードに関する展覧会、 「なら・
トホーフェン(1833-1905) によ って示された概念
シルクロード博覧会」 をすることになり、審議会を
です。 リヒトホーフェンは、現トルコのイスタンブ
作りましたところ、「シルクロード文化とか、シル
ールから現中岡の長安までの聞に絹を中心とした交
クロード文明という単語を使うのはよくない」 とい
易ルートがあり、内陸アジアを横断 ・貫通していた
う意見がかなりでできました。文明というのは大き
ことを提起しました。 この本は日本で 『
支那』 とし
な概念だし、文化とは、シルクロードとは何なのだ
て出版されていますが、翻訳に約 5
0年かかり、最終
ということで反対もあったのですが、そういった大
r
巻が出たのは昭和 2
7年です。手に入りにくく、 当大
先生方を説得しまして、 「シルクロ ー ド文化J シル
学にはありません。滋賀大学の経済学部には 5巻の
クロード文明」 という単語を定着するように努力し
うち 3巻があります。 ドイツ語ではこの交易ルート
ました 。
を「ザイツェンシュトラッセン 」と表記されました。
その後、イギリスで英語に翻訳された時、「シルク
994年になりまして、『シルクロ ー ド学の
そして 1
提唱 Jという本を出しました。 この本は、小学館か
ロード」 と名づけられ、今日に至 っています。 シル
ら5
0
0
0i
l
l
tを出版してもらいましたが、 2ヵ月ほどで
クロードという道路の名前がかつてあったのであり
売り切れました。それ以来、私は「シルクロード学」
ません。現在、キルギスの首都にあるメイン通りに、
という単語を使い、研究しようと決心したのであり
シルクロードという名を観光のためにつけてありま
ます。
す。 しかしシルクロ ードと いうのはわれわれの頭の
中にある道であり、このような名前をつけた道路は
過去にもありません。
リヒトホーフェンのシルクロードは、イスタンブ
シルクロード研究の手がかり
シルクロ ー ドを研究する手がかりは何かといいま
すと、中国出土の金銀貨とガラス器の研究だと思い
ールと長安、つまりピザンチン・東ローマ帝国の首
ました。金銀貨の研究は、金貨や銀貨そのものの研
都と大唐帝国の首都との閑の交易路でありました 。
究と、金銀貨の出土する状況の研究が考えられます。
2
0世紀から 2
1世紀にはいり、リヒトホーフェンが提
前者はロシアを含むヨーロッパで長い研究がありま
起しましたものを、さらに広くとることになり、現
すが、資料は日本に多くありま せん。後者は、机上
在では西ロ ーマ帝国の首都 ロー マを西限として、朝
の研究と実際の踏査研究があります。
鮮半島 ・日本列島を含めた大きな文化交流、あるい
9
6
9年に初めての海外調査を韓国でしまし
私は、 1
は経済交易路をシルクロードと呼ぶことになってい
た。森浩一 ・植本誠一両先生と 3人で、 2週間にわ
ます。
たって、韓半島南部を踏査しました。この時 3人で、
72 ・人間文化
シルク ロー ド文化を支えたソクド人
ここからローマまで歩いて行けるのだと実感を込め
しています 。福 島 県 の 会 津 若 松 市 に お ら れ る 穴
て話したことを、今も鮮明に覚えています。そして
沢昧光さんが、世界で初めてギリシャ神話と結び
1
9
7
7年には、妻弘子の公立学校教諭の退職金によっ
つけられました。
て、アフガニスタンに lヵ月程、調査に行きました。
西町信晴・床田健治 ・中井 一夫さんらと 4人でし
史詞耽
(
6
1
5
6
6
9
)墓からは指輪の石が出ていま
す。直径 1
.6cmの中央に、ライオンがおり、背にチ
た。モータメデイ館長のお世話になり、情報文化庁
ューリップがついていて、周聞に字が書いてありま
のヌリラ氏、私設通訳と して 震ったアサ ード氏と、
す。パフラヴィ文字で、「王さまの御為に 」 という
トヨタ・ハイエースにドラム缶 2本半のガソリンを
積んで踏査しました。
ようなことが書いてあるのですが、私はパフラヴイ
語を読めません。そこで友人の津村真輝子さん、山
こうして、金銀貨とガラス器を目指しましたが、
也さんに読んで、もらいました。チューリップは
内杭l
日本国内の仕事が多く、胸にひそめた計画となりま
中央アジアの花、先ほど拝火教とも 言いましたが、
した。
9
7
9
年から 2年間の北京留学によって、初
そして 1
めてシルクロードを実感しました。そうして、いく
つかの研究方向が見えてきたのです。
キャラパンサライとキャラパンサライの聞には、
ゾロアスタ ー教においても、神聖な花です。現在の
ウズベキスタンとかタジキスタン、キルギスの高い
ところに野生種があります。
指輪には、宝石や貴石を飾るものと、金や銀のみ
のものがあります。余談ですが、後者の立派なもの
大きな峠や、道の結節点があり、そこでお茶を飲む
を1
9
6
3年、ちょうど大学 2年の時に奈良県の新沢千
場所、休憩、所ができます。木を植えて緑陰を作りま
塚1
2
6号墳で発掘しました 。 1
2
6号墳からは、ガラ
す。中央アジアを歩きますと、千年はいったかどう
ス境と皿も出土しました 。それを発掘できたのは、
かはわかりませんが、大木があります。大木の周辺
私の 一生のなかでは、再びありえないほどのことで
は人と文化の結節点でした。中央アジアにはこのよ
した。そのような来年の時の経験が、大学にきてか
うな並木道が多くあります。死んで千年、枯れて千
ら研究の関心が中央アジアや寧夏回族自治区に向か
年、というような胡楊の並木があり、 古代からの道
ってい ったのではないかと思います。
路の存在を示しています。
1
は墓誌のお話をする
文字の資料もあります。本1:
のですが、文字情報はとても重要です。絵画資料で
ソグディアナとソグド人
さて、シルクロ ードとソグド人 の話をします。
も、敦士皇莫高績の壁画は美しいと 言ってみても、何
カスピ海から黒海の北岸を通って東北にモンゴル
の意味もありません。その絵は何を意味し、描いて
へ行く 「草原の道 」
。 インド洋を通っていくのが
いるかを考える必要があり ます。敦士皇壁画の画題の
「海の道」
。 アフガニスタン、ソグデイアナ、フェル
多くは経典の絵解きですから、大蔵経との対比が必
ガーナ、パミール高原を越え、天山山脈を越える
要です。早くは 1
9
3
7年に、松本栄一博士が 『敗燥画
「オアシスの道」があります。
の研究 j を著されて、その大部分を明らかにされま
した。
オアシスルートの重要な地はアムダリア川とシル
1
1は、アラル海
ダリア川による沃野を通ります。両 )
シルクロードを通して中国にもたらされた器物で
に流れ込んでいます。 この湖は環境汚染の代表的な
は、たとえば中国寧夏回族自治区間原の、李賢
湖です。 これほど遠いと ころの人たちが、奈良時代
(
503-566)という人のお墓から出たものがありま
に日本にもやってきたというのが、今日の話の結論
す。李賢は北周の大臣でした。直径lOcmくらいのガ
であります。
ラス器は、お碗をつくりあげた後、表面の一部を残
ソグデイアナ地方の説明をします。アフガニスタ
して砥石で削り、整形しています。 タコの水盤のよ
ンとウズベキスタンとの国境の川が、アムダリア川
うなものを削り残しています。 このようなガラス器
です。「
ダ リア 」 というのは「川」という意味です。
は、日本にも l点だけ出土しています。福岡県宗像
シルダリア川は、天山山脈とパミール高原から西に
市の沖の島、日本海玄界灘の小さい鳥です。そこか
流れてアラル海に入ります。 この 2つの川の問がソ
ら、破片が 1個出ております。
李賢のお纂からは銀の容器も出土し、それの表面
に 6人の男女が表現されていて、ギリシャ神話を表
グデイアナ、つまりソグドの地です。アムダリア川
の南はアフガニスタンです。今でもアメリカ軍が困
っておりますし、ロシアも攻めあぐねました。
人間文化・ 7
3
シルク ロー ド文化を支えたソグド人
実はソグデイアナというのはソグドの地のことで
多悉多は、
ドウオシツドウの音訳であります。父の
ありまして、今のウズベキスタンを中心とした地域
号は盤施であるが、これはバウ ックの青訳で
、 「
僕J
です。ギリシャのマケドニアの人たちが記録しまし
の意味を示すソグド語の転音字であります。
た。ギリシャから遠いところでなぜ記録したかとい
玄英三蔵はソグドを通り、詳しい記録を残してい
うと、アレクサンダ一大王が遠征の時のことです 。
ます。 ソグドからアムダリア川をテルメスで渡り、
インド侵攻のために今のアフガニスタンに来まして
ヒンズクシュ山脈を越えて、パーミヤンに至ってい
アフガニスタンの北に攻めてい ったら攻めきれなか
ます。中国の南北朝から唐代にかけまして、大量の
った。 ここがソグデ イアナであると聞いたのです。
ソグド人が移民してきました。 ソグド人は経済民族
この地域の人は非常に武勇に優れていました。今の
であり、唐代の記録では、同Ijにさとい」 とありま
どこかはわかりませんが、土豪の小さな城を 一つ攻
す。赤ちゃんが生まれた後、百日のお祝いに、掌に
め落とし、豪族オクシュアルテスの娘ロクサネと紀
蜜をつけた上、金貨か銀貨を握らせ、きちっと持っ
2
7年に結婚しました 。 アレクサンダーの正式
元前 3
ている子は金持ちになるという儀式をしました。 ま
な妃は、ロクサネ 1人といわれています。そこでと
た舌へ蜜を塗り、歳をとって商売をするときに、耳
もかく和睦をしまして、インドを攻めました。その
障りにならない言葉をしゃべるよう甘言 を子どもの
時ソグドという地名が記録されました。
時から訓練させる民族だということが、 『
唐会要 』
1
9
9
9年の初めまで、旧ソビエト連邦の中央ア ジア
には 5ヵ国があり、現在は全部独立しまして、キル
ギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフ
スタン、
トルクメニスタンの独立国 となりました 。
「スタン 」 というのは、「土地」あるいは「国」 とい
う意味です。 アフガニスタンは元々独立しておりま
した。従前の歴史では、ここはササン朝ペルシャの
巻9
9で書かれています。『大唐西域記』には、「利殖
を岡る 」 と書いています。
ソグド人を管理するために、陪や唐では、薩宝府
をもうけました。戸籍制度があるのですが、薩宝府
が管・理しました。 ソグド語で「隊宝」は、キャラパ
ンのリーダーです。「キャラパン」は日本語でいう
「隊商」 です。 ソグド人の集落のリ ー ダーも、薩 宝
領土といわれておりました。ササン朝はイランに 首
といいました 。多くのソグド人は、「本国で薩宝だ
都があってイラクに副都がありました。
った」 と墓誌に書く のですが、!虚か本当かわかりま
一方中国側は、唐の時代に、安西都護府を置きま
せん。 ソグド語をさもわかるかのように 言っ ており
して、黒海東岸まで支配しました。 これは直接支配
ますが、アジアでソグド語を読める人は、 3人もい
というより間接支配で、草書康支配という現地人をも
ません。読む人が少ない文字であります。中国でソ
って現地人を支配させました。 ソグド人の地は、 二
グド諾の文字が出ましたら、神戸外大におられて、
重支配を受けていました。西からのササン朝、東か
今年度から京大に移られた、吉田豊先生に届けて読
らの唐の支配です。タラス河│
伴の戦いのタラスとか、
タシケントとかフゃハラとか、かつて、 NHKが「地
んでもらいます。それ程読めない言語です。
ソグド人は、だいたいととのルートをたとョって入っ
球のへそ」 とい った ヒワのようなところまで、 唐 は
てきたのかというと、 3つのルー トが考えられます。
支配していました。
中国では、南北朝からタシケントのことを 「
石
」
と言いまして、中世ペルシャ諾 (
パ フラヴィ語)で
石は「タシー」で、「ケント」は町です。 ブハラの
ことを、 「
安j、キ ッシ ュ出身は今日 何度も申します
が歴史の「史」、サマルカンドのことを「康」 など
第 1には天山山脈を越えて (玄英三蔵の ルー ト)タ
クラマカン砂漠、あるいはタクリマカン砂漠と呼ばれ
る大砂漠の北縁を東行し、 トルファンに至ります。
第 2にはパミ ール高原を越えて、タクラマカン砂
漠の西北部に至り、
トルファンを目指すル ート 。
第 3には天山山脈の北を迂回して、唐の北庭を経
と、出身地の地名を漢字 1字で表記し、それを姓と
¥
を越えて、
てポゴタ山の鞍音1
させました。北朝末期から、ソグドからの移住者を
な集まるようで、ここを中継地として、河西回廊を
「
昭武九姓」 と呼んで管理したのです。姓の下には、
通って固原に行くのであります。国原から北回りで、
トルファンに一時みん
ソグド語による名の漢字による音訳が加えられてい
内モンゴルへ入 って北京に南下する人、また、直接
ます。 このため、 一般に漢人が名として用いない漢
東南に向かつて長安に入る人、南下し、江南に向か
字が、ソグド人の漢字の姓名には用いられることが
う人。陸路が国原、から扇のように広がっています。
多い。たとえば、史道洛の祖父は、史多悉多ですが、
今のところソグド人が集住していることがわかって
74 ・人間文化
シルクロード文化を支えたソクド人
いるのが、西安、治陽、 北京、太原、国原、青ナト│、
茨城大の茂木雅博さん、古代オリエン ト博物館の津
南京、揚州、広州、福州などです。このうち、広州、
村真輝子さん、 同立歴 史民俗博物館の日高薫さん、
福州の人たちはどうも海からやってきたようで、こ
文化財撮影仰の梅原章 ー さんとともにあたりまし
れはソグド人ではなしに、ペルシャ人ではないかと
Jの発掘隊長でした。滋賀県立大、共
た。私は日本官I
も言われています。
立女子大、茨城大、同学院大、花園大、東大、お茶
の水大、実践女子大などの学生とともに発掘調査を
中国寧夏目族自治区固原での調査
しました。冬期に参加した学生たちは、零下 2
0度に
つぎに、自身で発掘調査したことをお話します。
もなる博物館で、綿大衣にくるまれて実測調査をし、
0年代の中ごろに
私が国原のことを知ったのは、 8
夏期の野外調査には、海抜 1800mの強い紫外線にさ
中日交流史研究の王向栄先生から、自分の息子夫婦
らされ、お風月もない条件で、よくがんばってくれ
が固原県政府にいるから、 一緒に行こうと誘われた
ました。
今は西安から国原、まで、約 4時間ほどで行けます
ことに始まりました。そのころ、国原では李賢墓や
史一族の墓地の発掘が進んでいました。
当時、国原は外国人立ち入り 制限地であ りました
4
が、最初 1期生の人たちと初めて行 ったときは、 1
時間ほど自動車に乗っていました 。
今年の 1
0月には 、
ので、固辞していました。王先生は、北京大学の周
西安から国原まで高速道路が完成し、大変楽になる
一郎教授のご紹介でご教示を受けるようになり、世
予定です。今、教室に来てくれている卒業生が、顔
界史研究所のみならず、 北京東郊の小雅宝胡同のお
を見合わせて笑っております。苦労に苦労を重ね、
宅へもしばしばお伺いしていました。
3!羽生の人たちと行った時には、大水害で大変な思
ところで固原県は、人口 500万人程の小さい寧夏
いをしました。海抜が 1800mもあり、いくつもの黄
回族自治区の最南端の町で、甘粛省に接しています。
土台地を越えていきます。車酔いを心配していた学
秦始皇帝の長城が町の北にあります。 この測量調査
生も、あまりの道の悪さに酔うことがなかったほど
もしました。
回教徒が中心の町ですが、実際は回教徒は 5割く
でした。
町で、漢の時代には地方都市
国原は、黄土台地の i
らいです。内陸で海がありませんし、貧困地帯で非
の平高県が置かれました 。後に、高平県となりまし
常に貧しい地域です。私も、高槻の知り合いを通じ
た。今も漢の城壁が残ってい ます。現代の国原は木
て、希望小学校というのに、寄付をさせていただき
が 1本もありませんが、当時はまだ欝蒼とした森林
ました。
国原の史家墓地からは、日本のお猪口みたいなガ
があったと思います。
ラスの多曲杯が出ています。 またピザンチンの金貨
う隊商 (
キャラ パン)、官吏、軍隊などが必ず通過
やササン朝の銀貨も出土していました。やはりこう
するところでした。いわゆる地政学上の要地でした。
国原は、河西岡廊を通って中国内地の各地に向か
いうのが出てくるところがシルクロードの重要な場
北貌の頃から、高位の人の墓も築かれ、なかでも北
所であろうと考え、私の友人で現在は岡山市立オリ
貌漆棺墓は有名です。
エント美術館館長の谷一尚先生に相談しました。谷
一先生は当時、東京の共立女子大学におられ、科研
北周にな ると、さらに顕著 となり 字文猛、田弘、
李賢などの大規模な墓が、接近して築かれました。
費の申請をしてくださり、
1回目はダメでしたが、
ピザンチン金貨や、ササン銀貨、ガラス査などが出
2回目の申請が受理されたときが、この学校に赴任
土しています。国原は一面麦畑であります。麦とジ
9
9
5年でした。従って、大学の 1期生から 4期
した 1
ャガイモしかとれない。 われわれはここを調査しま
生ぐらいの学生と共に、春夏秋冬、固原へ行ったわ
した。
調査は、「中日聯合原州考古隊」というチームを
けであります。
1年目はソグド人の史道治墓を、 2年目には北周
作 って行いました 。 中岡側の許可が要りますので、
の大官である田弘墓、 3年目からは 出土品 の整理と、
1
9
9
5
年の 8月 4日、調印式を行いました。 日本領J
Iは
国原東郊の後漢の碍室墓を発掘調査しました 。 この
谷ー さんが、中国領J
Iは寧夏回族自治区の当時の文化
調査は 1
9
9
5年から、 2
0
0
0
年まで続き、さらに 2
0
0
6年
にも、学生と固原に行きました。
庁長官が署名しました。
こうして発掘調査を開始しました。いい墓に当た
谷ーさんを日本側団長とし、東大の鈴木昭夫さん、
りまして墓誌が出土しました。文字記録が出てきた
人間文化・
7
5
シルクロード文化を支えたソグド人
わけです。鎮墓獣という陶製の備も出土しました 。
文彬局長 ・孟先銘文物処長(当時)などの厚いご配
それはバラバラに割れています。学生に考古学笑習
慮を受けました 。 このお 2人は北京大学考古系のご
で、植木鉢継ぎの練習を毎年させました。それと同
9
8
0年に山
出身で、孟氏とは私が北京大学情学中の 1
じ要領で、国原博物館に持 って帰り 備を復元しまし
東省で、ともに発掘調査したご縁がありました。い
0人以上
た。実際の発掘作業は、地元の男女を毎1:15
ま
、 一部のお名前を挙げたのですが、歴代の寧夏文
も雇用して発掘しました 。壁画も出てきましたが、
化庁長をはじめ、多くの人々の熱いご支援によ って
、
9
9
5年には外国人立ち
大部分はだめでした。国原は 1
i隊」 は、調査研究を進めること
「
中 日聯合原州考 1
入り制限の地域でしたので、外事公安が、われわれ
ができたのでした。すべての人に感謝しております。
を見守 ってく れていました。朝 8時から夕方 5時半
固原では多くの写真、ビデオとともに図面を作り
まで現地で調査しました。昼食は 1
1時に車で運んで
続けました。田弘墓では、墓道の縦断図面も作りま
行きました。土曜も日曜もなし、雨も降りませんの
した。 この結果、凹弘埋葬から夫人の追葬までの墓
でかなり疲労します。海抜も高く、内陸ですので、
地管理の状況がよく判りました。中国考古学では初
寒暖の差が大きく、 6月の墓室調査はセーターを着
めての成果となりました。報告書は、日本語と中国
込み、ももひきも必需品でした。第 2年目には学生
語のパイリンガルになっています。最近、その後の
に必ず、セーターとタイツの持参を事前説明会で
、
成果を合わせて中国語版を作る計画があります。
厳しく 言っておきましたが、指示に従わなか った者
もおり、やむをえず軍人用の男性ももひきを購入し、
史道洛墓の調査
女子学生にも着用させました。
先ほどから史道洛と言っていますが、「中日聯合
史道治墓の調査は、日本側メンバーには初めての
原州考古隊Jが発掘調査したのは、実にこの人の墓
1辺約 6
0
c
m、厚さ
経験でしたので、中国側の指揮で掘り始め、基室の
でした。姓名までもが判るのは、
細部調査は、黄土に慣れてきましたので、私と中国
l
Oc
mの石灰岩製の墓誌が残されていたからです。史
側発掘隊長の寧夏文物局の衛忠さんと相談して進め
道治の父、兄、甥などの墓誌も、経豊氏らによって
ました。
発掘されていますので、その家系同も作ることがで
田弘墓調査では、国家文物局からの監査団である
きました。
専家組、寧夏文物局の雷潤沢さん、経豊さん、衛忠
史道洛は永微 6 (
6
5
5
) 年に 6
5歳で亡くなってい
さんなどから「君が日本でやっている精密な発掘調
ます。その妻の康氏 (
名前を欠く ) は 2年後、 5
5歳
査手 )
1買で発掘を指揮するように」との内意を 受けて 、
で没し、合葬されていますが、夫の墓誌に妻の死が
私が日程を決めました。 この時に奈良市埋蔵文化財
記されているので、夫を仮埋葬していたと考えられ
センタ ーの鐙方正樹さんと橿原考古学研究所から西
ますが、墓室から出土した骨は男性骨のみで、女性
北大学留学中の橋本裕行さん、国学院大学から 三宅
骨は骨粉となっていました 。 さらなる研究(合葬)
俊彦さんが、全期間にわたって、熱心に支援してく
れたので、順調に調査が進みました。鐙方さん、橋
が必要です。 なかなか、史道洛とは手を切ることが
できません。
弘墓調査の中心であ
本さんはおのおの史道洛墓、圧l
子どもは 1人で、史徳です。父は史射勿で、祖父
り、調査の精度をあげてくれました。当大学からは、
は史多悉多、大祖父は史波波匿、その父は史妙尼で
高橋美久二、波崎一志の両先生が測量調査に参加く
す。名の漢字は i
英人が用いないものばかりで、ソグ
ださり、強烈な砂嵐で、
ド語の音転写であることが判ります。祖父の代に中
トー タルステ ーションが、
使用できなくなり、急逮日本から光学トランシ ッ ト
国に移住してきました。
を取り寄せ、この危機を乗り越えたというハプニン
史道洛の父の妻は、どのような民族の女性かわか
グもありました 。その後 2
0
07
年まで続く調査では、
りませんが、史道洛の骨から見て、ソグ ド人であっ
田中俊明、東幸代の両先生が中国調査に参加くださ
いました。
たことが確認できます。
中国側は、思師である 北京大学の宿白先生を顧問
墓誌の蓋石には中国思想の四神が彫刻されていま
す。墓誌石には、約 1
3
0
0
の漢字が彫られています。
として、前述の各氏以外に、 北京大学考古系蘇哲副
ソグド人が、漢文で墓誌を書いて、あの世にいって
教授(当時)、国原博物館の張克祥さんなど多くの
ソグ ド語 しかわからない人が自己証明できるのか、
人との共同調査でした。 また、中国国家文物局長張
という 心配があります。 まず地位を 書 き、つづいて
76 ・人間文化
シルクロー ド文化を支えたソグド人
系譜を書きます。「西国よりいずる」とあり、姓の
の下顎骨から 5c
m
U
:どのところからピザンチンの金
史からみて「ソグドのキッシュ地域からやってきま
貨が 1枚出てきました。ソグドの地域では誕生後に、
した Jと書いているとみなしてよい。「
本国では薩
手に金貨か銀貨を握らすと 言 う話をしましたが、お
宝云々 j とも 書い ています。
墓では、金貨や銀貨を口 に入れるという習慣もあり
北朝後期、ソグドの人、コーカサス系は目が青く、
ました。出土位置からこのことが判りました。
高い鼻をしているはずですが、本当はどんな顔貌か
本当にずいぶん盗掘されていたのですが、墓門は
を確かめるのが我々の研究でした。夜、が学生と 一緒
残っていました 。 この墓門とは墓の木製の門で私が
にやって、世界の考古学界と歴史学界に貢献したと
復元しました。門には色が塗つであり、報告書に載
いえるのは、墓誌や記録に書いているソグド人が、
せています。
本当はどんな顔つきだったのかをつきとめたことで
墓室の入り 口には人面獣身の鎮墓獣 2体と武士備
2体がありました。極彩色の上から金箔と銀箔を貼
H
良高鼻であったのかど
す。中国に移民してきても青 .
うか、私がこの 1
3年間、大学でひたすら追い続けて
り、その上から墨で文様を描いていました。無位無
いたテ ーマです。 またソグド人の結婚相手を確かめ
冠の史道洛には過ぎたる備で、長安で購入したもの
ました。 ソグド人間の結婚が最も多いですが、漢人
でしょう 。報告書執筆時には、ヒョウタンの樽と考
との結婚もあります。寧夏岡原の史詞耽墓の報告を
見ると、その本人は長安で死んだ後、固原に帰葬し
えていたものが、 1昨年からの研究で珍しい木馬備
であることも再確認でき、今年 9月に刊行される橿
ています。葬具(副葬品)の大部分は、長安で製造し
原考古学研究所の論文集に訂正を含めた論文を投稿
たものを副葬しています。
両親がともにソグド人であればソグドの顔つきの
しました。
申し遅れていましたが、墓の構造は完全な唐代の
人が生まれてくるわけです。まあここまでは常識的
漢人墓の構造、規模です。 ゾロアスター教であるソ
ですが、今までの学界では深く研究しませんでした。
グド人らしくありません。なぜ、ゾロアスタ ー教の
「
安史の乱 j という言葉、たぶんみなさんは高等学
葬制をしなかったかについては、移住者の文化変容
校で習ったと思います。安禄山と史思明の乱です。
安禄山というのは、フやハラ出身の安を姓としたソグ
態に 至ってい ません 。 あと 2~3 年で、
の観点から考えていますが、完全な回答を出来る状
lつの答え
ュの出身です。安禄山は、[安禄山事跡』 という唐
にたどりつけそうです。
文化受容ということは、史一族 7代の名前にも表
代にできた本があります。安禄山の父は突欧人で、
れています。例えば史安楽なんて安楽死を想像する
母はソグド人だと書いています。ハーフだと書いて
ので、あんまり良くないです。中国へ移住してきて、
おります。私は考古学をやっておりますので、 書い
4代目になって何となく、儒教のお題目に従った名
たものを鵜呑みにしたらそれはいかんと思います。
英人はこんな儒
前を付けています。それも、一般の i
なにか違う切り口はないかと考えたら人骨がありま
教のお題目を名前につけません。史道洛の兄である
ド人です。史思明は歴史の史を書いており、キッシ
した。今まで中国では、ソグド人墓はみんな人骨が
史大興の孫は史孝義と史孝忠です。 この 2人の墓は
出たと書いてあるのですが、 一つも人骨を残してい
未検出です。
ません。 1度、人骨をきっちり調べてやろうと考え
ました。すると史道洛墓を発掘してずいぶん苦労し
ビザンチン金貨とササン式銀貨の流通
たところ、ついに人骨が出てきました。大盗掘を受
つぎに話題をピザンチン金貨とササン式銀貨に移
けていたのですが、棺床の上から頭蓋骨の一部が出
します。史道洛墓で金貨 1枚、田弘墓で 5枚見つけ
ました。死者はここにたぶん裸で横たわっていまし
ました。中国全部で、ピザンチンの金貨 は約 30
枚出
た。棺床前に大きな箱の跡 を 2つ見つけました。 こ
1
土しているのみです。去年 1枚見つかつて現在は 3
のような箱を、見つけたのも我々が最初でして、造
枚かと思うのですが、そのうちの 5分の 1を我々が
物は箱に入れられて副葬されていました。
調査したことになりました。そのすべてに発掘情報
人骨のうち下顎骨は、盗掘者がボ ー ンと払いのけ
たようで、箱と箱の間近くに落ちていました。下顎
骨に歯が残っていました。 性別年齢などがわかりま
す。墓誌の銘文とぴったりと 一致していました。 こ
が完備したものです。
ピザンチン金貨の文様を説明しておきます。金貨
は直径が約 2c
m、約 4gの金板で、表裏には図像や
文字が刻印されています。表には王の顔があります。
人間文化・ 77
シルクロー ド文化を支えたソクド人
王が 2人制の時は 2人の王を表します。キリスト教
川上博子さんが美 しくトレースしてくれました。 ま
ですから十字架を入れ、裏には、太陽神であるアポ
たデータを H本に持って;需りまして、読めないアラ
ロを書きまして、表には我々が使うアルファベット
ブ文字があったので、これは東大寺長老の森本公誠
を書く 。 これを読んでいくと、誰が王の l
侍のコイン
先生に読んで‘もらいました。 この報告書の中国語版
かわかります。それから、個々に書いてある字、ど
の話も進んで‘います。
こで・作ったお金か造幣局を示す略号もあります。王
こういう仕事を 延々としておったわけで、そうし
様の在位年数は長くても、 3
0年くらいですから、製
ますとソグドの地につきまして、いろんなことがわ
造期間がわかります。
それで中同での副葬まで何年間くらい遅れている
かってきました。 シルクロードとササン朝の関係に
ついて、とくに日本では正倉院宝物との関係がいわ
か、つまりどれくらいの時間差で、墓に副葬された
れてきました 。 しかし実はほとんどがソグドの地を
3年の l
時間差で、
かわかります。実際一番早い金貨は 2
通じてやってきたもので、中国や中央アジアからや
リアルタイムに近い形で中国に入ってきました。そ
ってきたもの、正倉院にあるものは、ほとんどがソ
うするとシルクロードの物資の輸送や移動も非常に
グドの手で、作ったもののようです。ササン朝のもの
早いスピードで新文化、新技術、新時代の思想が入
は少ないということがわかってきました。今日本へ
ってきたと推定できます。それを担 っていたのが、
客員教授で来ておられます北京大学の斉東方教授
中央アジアのシルダリアとアムダリア両川の地にあ
が、銀器の研究からいわゆる中国や日本のササン銀
った都市国家群であります。 ソグド人ではないかと
器の多くは、ソグドのものであることを論証されて
考えてよいようです。中国で金貨はこのくらいなの
います。ササン朝の最後の王は、唐に亡命王朝を作
で、すぐ研究できたのですが、銀貨は多く、ササン
りました。 このためササンが大きく見られていたの
朝の銀貨をソグドでも使っていました。それで、研
です。
究しようと思いましたのは、この新彊出土のササン
式銀貨です。ササン朝銀貨と、それを模倣したアラ
ササン式銀貨は聞原でも 2枚出土しています。 1
枚は史道洛の父である史射勿墓 (
610年葬)から、
ブササン銀貨を合わせてササン式銀貨といいます。
もう 1枚は固原西郊の北貌漆棺墓から、いずれもベ
2
0
0
3年までに中国で 7
3ヵ所から出土しており、およ
5
0
0点弱が報告されています。出土実数は、もっ
そ1
ローズ靭 (457~484) のものが出土しています 。 ベ
ローズ銀貨は、中国各地から出土していて、それよ
と多いと思います。かつては出土と同時に銀として
りも古い王のものは新彊のカラホジャ出土のアルダ
再熔解され、銀インゴッ卜になっていたからです。
シール 2-1並 ( 379~383 ) やシャ ー プワル 3 世 (383
余談ですが、私がまだ子どもの時に歯医者へ行きま
~388) のものが出土しているのみで、ベローズの
すと、国民皆保険の前でしたので、歯医者さんが、
もの、つまり 5世の中頃のものが、各地に分布して
「おまえのとこになんか銀の古い明治初期の銀貨あ
いることは、この頃からシルク ロー ド交易が盛行し
るやろ、あれ持ってきたらええわ」と、言っていら
たことを示しています。
れたのを今もよく覚えています。銀はすぐっぶして
しまいます。
0
0
7
年 3月にウチャ銀貨の出土地を確認
その後、 2
しに行きました。パミ ール高原の東縁部で、タクラ
古代オリエント博物館の津村真輝子さんがシルク
マカンからフェルガーナ盆地に通じる道路沿いから
ロード学研究センタ ーの研究費をもらわれたので、
の出土でした。唐代後半のパミ ール越えのル ー トと
共同研究者にしてもらいました。 2人とも中世パフ
しては、従前の学説では否定されていたル ー トでし
ラヴィ文字が読めません。山内和也さん(東京文化
たが、実は重要であることをつきとめました。 3月
9
9
8年 3月にウ
財研究所) とチ ームを組みました。 1
の海抜3800mは厳しかったですが、学的満足感の方
ルムチの新彊ウイグル自治区博物館で調査しまし
がまさっていて、楽しい思い 出です。金貨と銀貨の
0
0
0
枚の銀貨を調べました。調査の対象は、
た。約 1
調査は、さらに続行させるつもりです。
1
9
5
9年に中国最西の県でありますクズルス ・キルギ
0
0
0
枚
ス自治州ウチャ出土の一括コインでした。約 1
ソグド人の来た道
近くが出土しており、金の延棒 1
3本 (
計約 1
310g)
中国にやってきたソグド人の墓を見ると、ソグド
も同時に出土しています。それをすべて写真撮影し、
っぽい生活をしていなかったことがわかります。 と
重量、直径を計りました。棒貨は図面も作りました。
ころが人骨を見ると、完全にコ ーカサイドの人骨で
78 ・人間文化
シルク ロード文化を支えたソグド人
あります。誤解をおそれずに言 うと、白人種であり
がありました 。「杜懐宝」の名は、シルクロ ー ド研
ました。 ソグド人は、正妻はソグド人と結婚してい
究を漢文史料からするものは、誰でも知っている有
ました。混血のソグド人はその社会からドロ ップア
名人です。王方翼と相前後して砕葉城の経営に当た
ウトされていきました
った人でした。川崎さんとキルギスに行くことにし
r
(安禄山事跡 j の記述から
の推認)
。 ソグド人として認めてもらえなかった 。
ましたが、用務であるダルベルゲン・テペに行く日
正妻は必ずソグド人としたのでしょう 。
程が、ハムザ研究所で組まれていたので、留学生の
安史の乱以後、今の南京市と長江をはさんでいる
揚州という日本の遣唐使が必ず訪れていた町があり
中村さんと行きました。
翌年の 5月に加藤久酢先生とともに、シルクロ ー
ます。
『新唐書』 によると、安史の乱以降、 8万人
ド学研究センターの課題研究である 「中央アジア北
のソグド人を虐殺したと書いてあります。安、石、
部の仏教遺跡の研究」で、キルギスに行くことにな
康などがついている人は憎い。そういう人はソグド
りました。 タシケントから尿臭の著しい長距離パス
人であります。そうするとソグド人で目が青い人、
に乗りましたが、座席も床も人がい っぱい で、周所
鷲鼻の人が逃げまどいます。そうすると生き延びた
人々は早く混血していく
o
中国人化、 i
莫人化してい
く。意識的にそういうことを繰り返したのでしょう 。
0時間走り続けました 。
もなく、途中休憩はなく、約 1
パスポ ートコ ントロ ールもありませんでした。
到着して前に中村さんと行った博物館に行くと、
安禄山もソグド人のハ ーフ、史思明は純粋のソグド
石仏類はスラブ大学に移されていました。川崎さ ん
人です。史思明の墓は、北京の郊外約 4
0
k
mのところ
からの情報で、極めて重要な資料であることが判っ
で発掘されており、 2006
年に訪ねました。中国人の
ドライパーはもう探せないから帰ろうと言っていま
たからのようでした。拓本をとり、写真や略測もし
ました 。資料は 2つで、 1つは石仏の基部で、銘文
した。わずか4
0
k
mのところなのですが、 6時間くら
があるもの。他はー仏二菩薩の石仏で銘文がないも
い探して、ょうやく発掘したという場所を採しまし
のでした 。銘文は次のとおりです。
た。史思明の墓は唐式の墓で、皇帝としての副葬品
口口口口西副都
(
玉冊)がありました 。
唐が西国を支配してい た時は、 パミ ール高原、天
口口口砕葉鎮座
山山脈を越えたところに砕葉城を築きました。それ
杜懐宝口口上為
天 下
を現在のキルギスのアクベシムに確定したのも大き
十姓使上柱因
批
な仕事でした。
見
使口
す。湖から少し西に下ったところが、いまのキルギ
法界
生晋
スの中心地です。首都の ピシュケクの東にトクマク
願平安護其
があり、その郊外にアクベシム遺跡、があります。 ト
膜福敬造一仏
キルギスの一番端に大きなイシククル湖がありま
クマクはスイアブともい われています。 1
9
9
3年、シ
ルクロ ー ド学研究所にいました私は、 1人でタシケ
ントに行き、東京の創価大学からの留学生である 川
二菩薩
文字は少し磨滅していて、さらに 一仏二菩薩の部
分は無くなっていました 。
崎健治さんを訪ねました。私はウズベキスタン 語も
仏像の方は手の込んだもので、正面を 3段に仕切
ロシア語も話せないし、中国語も英語も通じないし、
り、上段に一仏二菩薩、中段に双獅子と香炉、下段
難儀していたら彼が通訳をしてくれました。ある日、
に 2人の供養人と 2人の僧を彫り出しています。携
彼と 2人でお酒を飲んでいたら、彼が私に、こんな
j
題用の短冊形部分は荒く削り とられていて文字が無
ものがあるのだと鉛筆で石碑をこすった紙切れを持
くなっています。側面には天部像、背面にも円光背
ってきまして、こ こに漢字が書いであるから読むよ
うにと言いました。 ウズベキスタン入学生がキルギ
をもっ座像が浅く線刻されています。 どちらも、初
唐の雰囲気のもので砕葉城の初期に供養されたもの
スへ旅行した時に、漢字を写してきたようです。漢
でした。一仏二菩薩像は王方翼のものであった可能
字は構書ですから読めたのですが、その意味が分か
らないので教えてくれといわれて見ると、上柱国と
性もあります。
これによって砕葉城の位置はほぼ磯定し、現地調
いうのがありまして、行を変えて「懐宝」という字
査でさらなる遺物を見出しま した 。
人間文化 ・
7
9
シルクロード文化を支えたソグド人
アクベシムの城内にブラナの搭があります。その
て、ヘリコプターで露天風呂へ行ってきました o
そばの文化財保存事務所という草原のなかの 1軒
4500mの高所です。万年雪でした。 自動車で'
4
0
2
8
m
家、バラック小屋のようなところに行きました。何
のところを越えたりして、高いところへも行きまし
かないかと尋ねると、事務所の女性がゴソゴソして
た。 シルクロードは天山山脈を越えているらしい 。
くれまして、展示ケースの下の方を指さしてくれま
越える道はどの道か探そうという試みでしたが、 1
した。懐中電灯を照らすと、幅 1mくらいの大きな
本ではなくて何本もあるということがわかりまし
i
替り込んでみると、中国の碑の
石がございまして、 :
た。
頭の部分がありまして、「これはすごい。引っ張り
玄突の天山山脈越えは、天山山脈の主峰であるハ
出そう」ということになりました。 しかしなカ王ら女
ンテングリ (
6
9
9
5
m
) の西のベデル峠説、マザール
性の学芸員、 ドライパ一、私、加藤先生と加藤先生
ト・ヴウアン説などがありますが、決定的な資料は
の友達、これらの 5人では、なにぶん非力で、石を
ありません。 これについては、朝日新聞社から刊行
引き出せない。 ドライパーに 言って、村に行って若
された『三蔵法師のシルクロ ー ド』に小文を書いて
い男の人を何人か探してきてもらいました。そして
います。
引っ張り出しますと、やはり典型的な唐代の石碑
私のキルギス調査は 6度ありましたが、そのすべ
(たぶん 4~5m くらい ) の 1 番上の碑頭 ( 首 ) の
てのアレンジをしてくれたのが、歴史とシルクロー
部分だけでした。碑額には一般には字が書いてある
ドを地元で研究していたカリデイン ・アクマタリエ
のですが、これは素面で、残念で、した。幅8
2
c
r
n、高
フさんで、そのお宅で仮眠をとらせてもらいました
さ6
0
c
皿、厚さ 1
5
c
r
nの堂々とした石碑の上部です。砕
が
、
1昨年お亡くなりになりました。残念です。
葉城は回教徒の東進によって放棄されました 。その
「タラスの戦争」のタラスは、ソ連時代はジャン
ときに石碑を切ってしまって、重しに使ったのか、
9
9
9年にタラスに戻されま
プールと 言われていて、 1
1番上の龍の絡まっている部分だけを残したので
した。その激戦の地は、東から西へ流下してくる川
す。 ここは中国とソグドの交接点なのであります。
が急に北に向かうあたりであるとカリデインさんが
この時は、学生とは一緒に行っていません。 1
9
9
9年
教えてくれました。 この戦争の結果、製紙技術が西
にキ ッシュ(史国) まで、行った時は 1期生の中尾史
に伝わったとされています。唐の大敗をイスラム史
0人を同行しました。
さんら約 2
料は伝えていますが、唐の人たちから見れば、引き
また地図に戻ります。 タクラマカン砂漠の北には
分けか、どうも勝っていたらしいと思われていたよ
天山山脈があり、さらに北にイシククル湖(大清池)
うです。 というのも、将軍高仙芝がそれからも出世
があります。天山山脈は万年雪で覆われています 。
をしていまして、負けた敗軍の将の扱いを受けてな
その水が溶けましてシルダリア川となりました。唐
いからです。 だから凱旋式なんかもやっています。
代に万年雪の天山山脈をどこで越えていたのかよく
r
I
日唐書 Jや
わからない。 ともかく数千 m というところを越えて
古くからの常識的な知識も考えなおす必要がありそ
います。玄笑三蔵も越えています。
うです。唐は国際国家であったのです。
『
新唐書』の記述ではこうなります。
本当にここを越えたのかということを調査するた
0
0基前
中国では唐代を中心に、ソグド人の墓が 3
賓崎一志先生と 一緒に調査費を朝日新聞社に
めに、 i
後確認されております。 さきほど申しました人骨か
出してもらって、調査に 2度行ってきました(団長
ら確実にソグド人とわかっているものは、史道洛墓
は千田稔先生)。ヘリコプターまで借り上げました。
と安伽墓のみです。墓はすべて中図式の地下式墓で、
日本で借りても高いですが、軍用ヘリコプターを借
墓誌は漢文で、す。ただしパフラヴィ語のみやパイリ
りました 。有名な旧ソビエト製ミル型で日本では、
ンガルのものが各 1例あります。私が重視したのは
オウム真理教がかつて持っていた機種であります。
人骨です。墓誌の情報以外で、確実にわかる情報を
カラコルの飛行場から飛び立ちまして、 7
000mのと
出すという方法論を世界で初めてやりました。それ
0分ほど旋回していましたら、みんな高山病
ころを 3
が成功したわけで、たった 1イ本でもソグド人である
にかかりました。私と高橋徹さん、カメラの後藤正
ことの確定はすばらしいことです。 自画自賛しでも
さんだけはなんとか持ちこたえまして、他の人は、
よいと思います。鑑定をしてくださったのは韓康信
床に突っ伏していました。パイロットが、そばに温
先生です。私が史道洛の骨を鑑定してもらったので
泉があるから、そこで下ろしてあげるといってくれ
すが、最初は「こんなつぶれた唐代の骨はいらんj
80 ・人間文化
シルク ロー ド文化を支えたソクド人
と言 われました 。「あん たと私の長年のつきあいゃ
終わりに
ないの」 と申しまして、調べていただくうちに、彼
最後に 1
9
9
5年に大学へ着任した後、多くのご援助
はずいぶんと乗り気になりまして、いまやソグド人
くださ った機関に感謝したいと思います。 1期から
の骨というと韓先生というくらいになっています。
1
0期までの学生には、発掘や報告書こ作成で怒鳴りつ
第 2例も韓先生による安伽墓です。
けて、走り回らせました 。なかでも国原では、冬は
最後にひとこと、ソグド人のうち 1人は確実に H
マイナス 1
8度から 2
0度、海抜も高いし、最貧窮地帯
本に来ていました 。それは安虫rI賓という人でありま
で、本当によくやってくれました。私のゼミやゼミ
す。奈良時代に鑑真に伴われて日本に来ました。顔
以外から、多くの学生が現地調査に参加してくれま
貌は青眼高鼻であったと考えております。従前はク
した。同内でも 三国市の調査は寒かったです。
オータ ー以ヒの雑胡と考えていました。安如賀は揚
3年の問に科研費を 1
0年間い
文部科学省からは、 1
ナ
│
、
日
こ
い
う
、 8万人以上が虐殺されたという港町(実
ただき、シルクロード学研究センターからも研究費
は大都市で江都ともいう)出身の人なのですが、私
をいただきました。兵庫県の三田市では、中国の調
も安如賓の論文を書きま した 。たぶん長男であり、
査が終わってから、 3年間、前方後円墳の測量調査
日本にきたのは商売をするために来たのだと思いま
でお世話になりました 。和歌山県では龍神村、白浜
す。 しかし帰国船がないので日本にいてお坊さんに
町、那智勝浦町で測量 ・発掘調査をさせてください
なり、平安時代の初期に日本では 3番目に地位の高
ました 。 また橿原考古学研究所、奈良市埋蔵文化財
8
1
5)年
いお坊さんになりました。 日本で弘仁 6 (
センターでも実習や調査でお世話になりました。出
に亡くなり、墓は見つかっておりません。結婚して
羽三山神社では鉄万調査で、お世話になりました。
おりませんからハーフもクオーターも作つてなかっ
中岡では国家文物局、相会科学院考古研究所、北
たのです。従前の本を読んでみると、安という名字
京大学、西北大学のご援助を受けました。 また山東
がついているけれど、せいぜい混血だろうと考えら
省、治│陽市で銅鏡の調査をさせてくださいました 。
れてきたのですが、私の考えではソグド人そのもの
私のゼミの学生は少なくとも l聞から 7回、訪中調
です。
奈良時代の終わりから平安時代のごく初めに、
査に自費で参加してくれました。
どこから見ましでも、西アジア系の顔をした仏像が
みなさんにお世話になって、今 H言っ たような東
いくつかあります。 これは今までは全部、儀軌ある
西交渉というのを今までのようにイメージでいうシ
いは絵巻物をもとに彫刻したといわれていたのです
ルクロードではなく、局所を押さえて 言 えるように
が、奈良県の当麻寺金堂の四天王像とかは、まだ安
なったのは、発掘調査をし、あるいは調査旅行をし
如貧が生きているときに作られていますので、安如
たおかげではないだろうか、と思ってみなさんに感
賓の顔なんかも意識して立体感を出したらしいと思
謝して終わりたいと思います。本目、みなさんにお
l
U
定して欲しいもので
います。仏像を人類学の人が i
見せした本は全て滋賀県立大学の図書館に入れてお
す。鼻梁なんかは、本や絵巻物などをみて作れるも
りますので、興味のある人は、図書館でご覧になっ
のなのか、みなさんも是非、当麻寺に行って見てく
てください。
ださい。
本日はご静聴ありがとうございました。
1
人間文化・ 8
滋
│l
賀
県
│
の
│
考
│
盲l
学i
φ
│
鐸四穴太廃寺に周すぷ調査・研究の現状と課題
仲
J
1
1
靖
滋賀県安土城郭調査研究所
1.はじめに
穴太廃寺ーは:、 1
981-1991年 (
昭和 56-平成 3)に
遺構を検出した。一つは、正南北方位から大きく東
へ主軸を振る伽藍で、これを 当初穴太廃寺創建寺院
亘る都合 1
1年間の期間を要した 一般国道 1
6
1号バイ
と仮称していた。二つ目は、正南北方位に主軌を取
パスの西大津バイパス建設に伴う穴太遺跡発掘調査
る伽藍で、これを穴太廃寺再建寺院と仮称していた。
により発見された寺院跡である 。穴太遺跡は、地下
しかし、その後瓦の出土状況を検討した結果、創
1m-4mに埋没していた縄文時代後期の照葉樹林
建寺院の前にどうしても別の寺院を想定せざるをえ
の景観を残す集落跡・縄文晩期の墓地跡のほか、古
ない理由から、これを前期穴太廃寺とし、検出した
墳時代後期から 7世紀にかけての大壁造り建物・礎
の異なる 二つの寺院遺構 は後期 穴太廃寺とし
主制l
石建ち建物を有する渡来人の集落跡が検出された こ
た。ただし、前期穴太廃寺に関する遺構は、バイパ
とで注目された遺跡で、琵琶湖の南西、比叡山系か
ス工事路線内からは検出していない。
ら流出する凶ツ谷川の形成した扇状地に位置し、大
津市下坂本 1丁目、穴太 1・2丁目、唐崎 3丁目に
①
後期穴太廃寺創建寺院
.
5
kmの県内で、も屈指の複合
亘 る南北1.4km、東西 0
大津京遷都以前の大津北方の古地割りと合う座標
大遺跡である穴太廃寺はこの扇状地の最も高所
北より東へ 3
5度 1
5分 4秒偏り、後述する再建金堂中
にあり、穴太遺跡の南端に位置する 。
軸線から 3
5度2
0分5
7
秒東へ偏る坂本方聞を北にとる
穴太廃ミ
子は、昭和 4
8年に大津市教育委員会が穴太
中軸線の伽藍か、もしくはこの中軸線から反時計回
遺跡発掘調査団に委託して行った保育園敷地内での
0度振った山一湖の東西軸をとる伽鹿の 2
りに西へ9
調査で礎石抜き取り痕が検出されたこと 121から始ま
案があり、報告書でも提示している 。
1年のバイパス路線内の試掘調査13で瓦窯
り、昭和 5
跡が検出され、また水田用水路に瓦片が散布してい
ることから寺院遺構が存在することが予想されてい
た。 1
9
8
4
年(昭和 5
9)の発掘調査で 2時期の寺院遺
構の主要堂塔が路線内にかかっているという前代未
聞の大発見となったが、大津京との関わり、渡来人
集落との関わり等、調査時点からいろいろ話題を呼
んだ遺跡であり、 2
0
0
1年(平成 1
3
) の正式な報告書
のF
J
I
行 i までにも時間がかかった関係もあって、憶
測を 含めていろいろな考えが四半世紀を得ょうとし
ている今日なお提示されている 。報告書刊行後もそ
の成果を取り入れた研究が数多く上梓されている 。
しかし、それらの中には調査事実と異なる理解に
写真 1 穴太廃寺主要伽藍全景
基づいた見解も散見され、今後の研究に混乱を招く
恐れもあると思われる 。調査結果と異なる見解を提
示される場合は、なぜ調査事実と異なると考えるの
検出した遺構は、小金堂跡、・塔跡・回廊跡と塔 ・
か、その問題点を指摘し、その論拠を明確に示した
小金堂の北側で葛石列、回廊北で回廊に取り付くと
上で、持論を展開してもらわないといたずらに混乱
見られる階段施設である 。
を助長することになる 。
坂本方面(北)を主軸とすると、西に東面する小
調査結果は報告書に示しているとおりであるが、
金堂、その東に塔、小金堂の西に回廊を配し、小金
再度、調査担当者の一人として、調査事実を簡潔に
堂と搭が向かい合わせて、並列する形となる 。東西軸
整理してみたい。
(山一向j)を主軸とする と、小金堂の湖側に塔が来
る直列する形となり、奈良県桜井市の山田寺と同じ
2
. 寺院遺構についての整理
発掘調査では建物の主軸方位が異なる二つの寺院
82 ・人間文化
伽藍配置となる 。森郁夫氏は一時期山田寺案を提案
されたが、その後葛石列を回廊として南側に反転さ
│
滋
│
賀
│
県
│
の
│
考
│
吉
│
学I
I
D
I
せた場合、南北関にかなり空間が空くことから東西
北辺と塔北辺の出入り差は約 2.01mで、同じように
引 小笠原氏も回廊に取り付くと
軸案を撤回された 。
塔南辺を西金堂南辺からその出入りを差しヲ│いて塔
みられる階段施設の登壇方向から主軸は南北方向で
尺 OO.20m) 四方の基壇と
の規模を推定すると 28
l
あろうとしている 九 よって、小金堂は西金堂と回
なる 。基壇外装は、西辺に長さ 0.8-1
.0m、高さ 20
廊は西回廊と葛石列は北方葛石列となる意見が有力
c
m、幅 1
8
c
mの側面をきれいに切り揃えて隙間無く並
である 。ただし、東側・北側が未調査であるため断
べた大和産の凝灰岩質砂宥の石列が残っていた。 こ
尺=
0.36cmで、ある 。
定はし難い。造営基準寸法は I
れより、塔の基壇外装は大和産凝灰岩質砂岩を用い
l
西 金 堂 東 西3
6
尺 (
1
2.
9
6m)、南北 3
9
.
5
尺 (
14
.
2
2m)
た切石積み基壇と断定した。基壇内は竪く敵き締め
で、南北方向が3
.
5尺 O.26m) 長い基壇である 。基
た版築層であるが、礎石は残っていない。 また、塔
壇外装の地覆石とみられる石列が良好に残存してい
心礎の位置は調査区外である 。
る。地覆石は巨石を用いており上面がすべて揃って
いること、基壇中央部に土盛りが残っていることか
西回廊
再建寺院議堂南辺で約 18.0m分、北辺東
側で約 12.0mnを検出した 。再建講堂基壇下の部分
ら、この石列の上に石積みはされないて、あろうと考
を含めると約 50.0m分になる。南側は再建寺院金堂
えられ基壇外装は瓦積み基壇と判断した 7。礎石は
の建築に伴う地業で寸断されて消滅している 。従っ
残っていないが、桁行きを南北方向にとる建物であ
て南西隅にあたるコーナ一部分の位置が確定できな
ったと思われる 。
い結果となっている 。 回廊は礎石が 2列になる単廊
塔西金堂の東に位置し、西金堂東辺地覆石列と
で、再建講堂北側で東側基壇化粧石列と礎石が、南
塔の西辺基壇外装との間隔は 32尺(l1.52m) を測
側で基壇化粧石列と礎石抜き取り穴が検出された 。
る。西辺と北西隅、北辺の一部を検出した。西金堂
基壇幅は約 1
4
尺 (
5.
04m) を測り、横の長さ 30-60
皿、幅 15-20cmの細長い花商岩の自
c
m、高さ 10-20c
然石を 1段並べて化粧石としている 。 ただし、南辺
側の東側に残る 1石は創建寺院塔跡と同じ大和産凝
灰岩質砂岩を使っている 。西金堂のちょうど西側正
面にあたり、あるいは商門の一部にあたる可能性も
ある 。礎石は短軸 40-60c
皿、長軸 60-80cmの不定形
の花嗣岩を使用している 。上面は柱座等の造り出し
は作らず、平坦面のままである 。
北方葛石列
西金堂基壇北辺から約 27.0m北方、
西金堂中心点と塔中心点を結ぶ線から北へ約 35.0m
の所に位置し、中心線よりは東側にある石列で、
5.0m5:iが残っていた 。北側に面を揃えており、南
側に建物が展開するとみられる 。残存している石列
皿、露
は7石、抜き取り 3石でいずれも横幅 30-40c
皿、奥行き幅 20-30cm
横長の花商岩自然
出高 15-20c
石である 。
階段状施設
西回廊北側に残っていた礎石からさ
らに北へ約 10.0mの地点で側山 P1
0の橋脚調査で検
出したもので、後に図面上で回廊内側に取り付くと
0尺
みられることが分ったものである。階段幅は約 1
(
3.6m) で、石段で北側に上る構造である 。石段は
石と 2段目に 4石
、
最下段に縁石を兼ねた I
3段目
に縁石を兼ねた 1石が残っていた。側面縁石は 7石
が残っていた。石は 20-30cmx30-40cmの方形ない
1
穴又 S
竜寺
2
議福寺"
3
事溢安"隆寺
4 J渇宮 (宮ヨ)
図 1 大津京関係遺跡位置図
5
陶録寺前身寺院
し長方形の花嗣岩自然石で、側面縁石でみると最下
段と土.段の差は約 3
0cmである。
人間文化 ・ 83
│滋│岡県│の│考│古│学I
I
D
I
②
後期穴太廃寺再建寺院
3
秒西に主軸を取る金堂 と塔
ほほ正南北方向 5分4
と 2度4
4分 1
7
秒東へ偏る主軸で建てられた講堂・東
礎石建物・北礎石建物を検出した。造営基準寸法は
尺 =0
.
3
6
c
r
n、講堂・北礎石建物・東礎
金堂・搭が 1
尺=
0
.
2
9
7
c
皿と異なっている 。
石建物が l
金堂
南辺の基壇外装以外はすべて調査区内にか
.5尺 (22.14m)、南北 52尺
かっており、東西 6l
(
l8.72m) の基壇の規模で、外装は半裁した平瓦の
木口面を基壇地覆石の面に揃えるように積み重ねた
瓦積み基壇である 。最も良く残っている部分で地覆
2枚の瓦が積まれていた。地覆石は露出面で、
石から 2
写真 2 再建金堂
0
3
0
c
r
n、長さ 4
0
6
0
c
r
n、最大 80-150crnの形
高さ 2
を揃えた方形の花尚岩で、正面と瓦が積まれる上面
みであったとみられる 。基壇士盛は金堂と同じく掘
を面取り加工している 。基壇外装の修復は最低 2回
り込み地業を行ったあと、黄褐色土と黒褐色土を交
行われたとみられ、北辺西側J
Iでは 6 m
に亘って 80-
互に掲き固めた版築構造であるが、北辺と西辺にお
0
6
0
c
r
n大の自然石を 2段積んだ後瓦積みを
1
0
0x2
いて地覆石抜き取り痕から内側約1.0mの幅で掲き
している部分があった。基壇土盛は黄褐色土と黒褐
固められた版築層とは異なる灰褐色粘性砂質土が裏
色土を交互に掲き固めた版築構造で、地覆石より約
3.0m離れた地点から掘り込み地業が成されている 。
基壇上面は後世の水田耕作による開墾で、礎石の一
込めのように詰め込まれており、あるいは 2重基壇
であった可能性がある 。 また、基壇中央部には直径
約6.0mの範囲で円形にやや灰褐色の版築層とは異
部と据付痕が残っているのみで、大穴を掘り礎石を
なる非常に堅く締められた土が検出され、あるいは
落とし込んでいる箇所が 3箇所あった。落とし込ま
塔心礎の周聞を巻く版築層かもしれない。
.5mを測る不定
れた石は長軸1.5-2.0m、短軸1.0-1
5.
44mで
、
講 堂 基 壇 の 規 模 は 東 西 27.91m、南北 1
形で未加工の花岡岩の巨石である 。柱座等の造り出
基準造営尺が 1尺 =0.297mの唐尺(天平尺)で設
しはなく平坦面にするため若干の粗い加工が施され
4
尺、南北 5
2尺になり、基壇の
計されている 。東西 9
ている程度である 。礎石の一部と据付痕から金堂は、
高さは整地面から約 4
0
c
r
nで、基壇外装に高さ 20-40
桁行き 3間×梁行き 2聞の身舎に庇が廻る南面する
0
6
0
c
r
n、幅 2
0
3
0
c
r
nの横長の花商岩
c
r
n、横の長さ 2
自然石を 1段 1列に並べ、石と石の撚聞には瓦片・
建物であることが分かった 。柱位置は、身舎の柱
(入側柱)数と庇の柱 (
側柱)数が同数となり、身
舎の入側柱が庇の側柱 1本のみに軒を出すという配
小石を入れて固定している 。 なお、東南隅の化粧石
置になる 。同様の柱位置をもっ例として奈良県桜井
は創建寺院西金堂北西隅の地覆石の上に直接乗って
いる 。基壇上面は南側庇列の礎石が抜き取られてい
市山田寺金堂ヘ 三 重県名張市夏見廃寺金堂 9があ
り、工芸品では法隆寺蔵玉虫厨子 山カfある 。軒の出
磯を全く含まない黄色真砂砂、土が覆土されていた。礎
が長いため山田寺のように外屋柱を設けたか、ある
石は、 7
5x8
0
c
r
nないし 90x1
4
0
c
r
nの不定形の花筒岩
る以外は廃絶時のままの状態で
いは法隆寺のように裳階を想定する意見もあるが、
で、上面には柱座を造り出さず一部加工を加えて平
基壇上面が削られて痕跡が無く不明である 。
坦にしている程度であった。 また、身舎の北側列の
塔金堂の東に位置し、金堂基壇東辺と塔基壇西
うち西から 3番目の礎石には柱が根腐れしたため切
0尺(lO.
80m) である 。基壇の規模
辺との間隔は 3
断して新たに切断分の高さに合う礎石を依めこんだ
は一辺 37
尺(13.32m) で、調査区内では北側半分
と見られ 2段になっている 。庇列の礎石間には高さ
が掛かるのみであるが、南に反転すると金堂基壇南
1
O-15crnに揃えたlOc
r
n前後から大きいもので 30-40
c
r
nの川原石を 2列に並べた壁の地覆石列が残ってい
辺と塔基壇南辺が直線上に並ぶことが判明した。
等は無く、地覆石が北東隅に 3石残っている以外は
0
7
0
c
r
nである 。石列の残存
た。 2列の石列の幅は 6
状況から東西両側はすべて壁で閉鎖されており、北
すべて抜き取られて消滅していた。基壇外装は瓦積
側中央 1聞のみ石列が 1列となっていてこの部分は
基壇は後世の開墾によりかなり削られており礎石
84 ・人間文化
│
滋│
賀県│
の│
考│
吉
│
学l
i
D
l
L二 E 二 L =
図 2 穴太廃寺跡遺構図
出入り口部にな っていたとみられる 。南側I
Jは礎石が
灰紬陶器・ 三彩陶器・ 二彩陶探・緑利陶器・須恵
失われているのと同様、痕跡程度しか確認できず、
器・ 皇朝十二銭の神功開質・塑像螺髪・管玉 ・真珠
関口部については不明である 。講堂建物は、礎石か
小玉・金箔押し出し埼仏が出土した。
ら桁行き 5問、梁行き 2聞の身舎の四面に 1聞の庇
東礎石建物
3
5尺
講堂の庇北東隅礎石から東へ 1
が巡る 単層 の建物と考えている 。周辺から瓦の出土
(
4
0
.
0
9
m)の位置に建物の北西隅礎石が位置する 。
は無く、 屋根は桧皮葺きもしくは板葺きであ った可
礎石はこの 1基のみであとは抜き取り痕のみであ
能性が高い。基壇周りに雨落ち構等の排水施設は作
る。礎石・抜き取り痕から桁行き 3閥、梁行き 2聞
らず、雨水はそのまま自然に流していたとみられる 。
の南北棟の建物で、総柱ではなく、中央やや東寄 り
わずかに基壇化粧石からlOc
r
n前後隔てて自然にでき
に束柱になる礎石抜き取り痕が 1基あり、高床の建
5
c
r
n前後、深さ 5c
r
n前後の浅い i
l
'
i
i
二
が
たと思われる幅 2
物であったとみられる 。掘り込み地業・基壇土盛 ・
残っており、これより軒の出は基壇からわずかに出
基壇外装は無く、整地層の上に据え付け穴を掘り、
る2
.
3
7
mの 8尺を想定している 。講堂身舎内には東
恨石を置いて礎石を据え付けている 。 1基だけ残る
西 3問、南北 1問の範囲を約1O1
5
c
r
n掘り窪めた須
0
3
0
c
r
n大の上回
禰壇の跡が残 っていた。周囲には 2
礎石は柱座等の造り出しは無く、講堂と同じ不定形
の花両岩を用いている 。
を水平に揃えた束石が 4尺ないし 4
.
5尺ないし 5尺
の間隔で据えられており、束石聞には内側にかけて
北礎石建物
東礎石建物の 1基だけ残る礎石から
北へ 9
4尺 (
2
7
.
9
m)の地点に建物の南東隅礎石が位
5
0
6
0
c
r
nの幅の範囲で、瓦を 1
0
c
r
n前後に割ったものを
置する 。平成 3年のバイパス工事に伴う関西電力高
敷き詰めている 。束石上には束柱が建ち、東石間の
圧線鉄塔移転地の調査で見つかり、平成 4年に大津
瓦敷きには腰壁の地覆が置かれたものとみられる 。
市教委が拡張して遺構の広がりを確認している 。そ
中央 1間四方には本尊を支えるための摂石とみられ
の結果、桁行き 3問、梁行き 2問の総柱東西棟の建
る1O5
0
c
r
n大の石が集積している 。集石内には方形
物で倉庫になるとみられるものである 。礎石上面は
の造り出し柱座をもっ礎石片が 1基混じっていた川
。
火災による劣化がみられるが、柱根が乗る部分のみ
集石の後ろの礎石聞には 2列の石列があり、来迎壁
の地覆が置かれていたとみられる 。須禰壇は、廃絶
丸く当初面が残り、これによると柱は直径5
0
c
r
nの円
柱になるとみられる 。礎石には柱座等の造り出しは
時に埋め立てられたとみられ、泥塔・土師器小皿・
設けていない。掘り込み地業 ・基壇土盛 ・基壇外装
人間文化・
85
│滋│岡県│の│考│古│学I
I
D
I
須恵探と同じ平行叩きがみられる 。 この瓦は、再建
も無く、東礎石建物と同じく整地層にそのまま建つ
講堂西北隅から再建金堂北側を通り、再建金堂と再
建物である 。
0
c
m大の石を含む土石流内か
建塔の聞を流れ下った 8
3
. 出土Eについての整理
らと主要伽叢の北方にある穴太瓦窯周辺の同じく土
石流内の 2ヶ所に限られている 。 この軒丸瓦とセ ッ
穴太廃寺から出土した瓦は、軒丸瓦が 3期 7型式
1
0
種類のオリジナルのものと南滋賀廃寺岡箔瓦が 2
トになる行基葺き丸瓦・平瓦・鳴尾も同様の土石流
種類、軒平瓦は 2期 1
1型式、丸瓦・平瓦が 3期に亘
内から出土している 。ただし、軒平瓦は無い。
るものである 。本項では、軒丸瓦について 主に記述
②
単弁八弁蓮華文軒丸瓦
大津北郊寺院・瓦窯出土瓦で B系統と称してい
する 。
る。瓦当径 21
.0-21
.5
c
m、厚さ 2
.
0
3
.
0
c
mを測る巨大
①素弁八弁蓮華文軒丸五
周縁が無く瓦当倶J
I面を箆削りによる面取りおよび
な瓦で、周縁が平坦縁輔線文で輯線が少ない I型と
5
.
0
c
mのものと幅
回転箆削りで整形している瓦当径 1
多い H型、周縁が平坦縁素文の E型の 3型式が出土
5
m
m
'高さ 5
m
mの断面台形状の 1条の圏線が巡る周縁
7
.
0
c
mの 2種類がある 。文型は同じで
がある瓦当径 1
している 。内区文様は蓮弁の中央に 1本の凸線が入
ある 。内区文様は蓮弁の中央に 1条の凸線が入り、
ぱいに配している O 中房直径は弁長とほぼ同じ大き
り、蓮弁問に模形のシャープな問弁をスペースい っ
中房は小さく断面隅丸台形状で、中央に 1個の蓮子
さで、 1.I型は 1+8の蓮子を皿型は 1+6の蓮
を置く 。弁聞には菱の実形の問弁を配する 。連弁の
子を置く 。丸瓦部は行基葺きで断面は半円で南滋賀
大きさは不揃いで、蓮弁の対向する凸線が十字にな
廃寺出土のような方形を呈するものは 1点も無い 。
らず大きくずれている o 割り付けを行わずに任意で
瓦当裏面と丸瓦部凸面に明瞭な格子叩きが施されて
箔を作ったようである 。箔傷の進行から周縁の無い
おり、丸瓦部凹面には布目痕のほかに裳骨痕がみら
ものが先行し、周縁のあるものが後出する 。裏面に
れ、丸瓦は桶巻き成形である 。 これら 3型式の軒丸
三日
現宣
o
<
t
j
叶
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u..
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4
1
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1
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中門
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倒的
叫叫判引
︼
"
"
記ロ
図 3 穴太廃寺再建寺院伽藍計画寸法図
86 ・人間文化
開怯7
図 4 穴太廃寺創建寺院伽藍寸法図および推定図
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
盲│
学l
i
D
l
瓦とセットになる軒平瓦・平瓦は特異な形をしてお
るものである 。丸瓦部は行基葺き丸太巻き付けであ
り、軒平瓦は断面が凹状を呈し、瓦当面は素文の水
るが、南滋賀廃寺のような瓦当裏面に布目絞り痕は
切り状で長方形の粘土板を平坦面に対して垂下させ
つかない。 この瓦は再建金堂からの出土に限られて
て貼り付けたものである 。後部にも同じような垂下
いる 。
させて貼り付けた粘土板があり、こちらは瓦がずり
l
1.
m型は、穴太廃寺から最も多く出土したもの
落ちるのを防ぐ桟留めである 。瓦当部側に比べて後
0
.
0
2
0
.
5
c
mのやや大型の瓦で、ある 。周
で、瓦当径 2
部がやや広がる長方形を呈している 。 また、瓦裏面
縁は面違い鋸歯文平坦縁であるが、複弁の蓮弁子葉
(
軒先に出て見上げると見える部分) に蓮華を横か
間を区切る界線が無い。そのため全体に締まらない
ら見た文様が箔を使って施文されたものもある 。平
問の抜けた感じがする 。川原寺亜式と称する意見も
瓦はさらに特異な形状で、平面形は凸形(羽子板形)
ある 。中房外側に閏線が巡らず、蓮子にも周環が無
をしており、断面は凹形で底面に反りが無く箱形を
い。迷子が 1+ 8の H型と 1+ 4+ 8の E型があり、
6
.
0
c
m、狭端部幅 3
0
.
0
c
m、側
呈している 。広端部幅 3
箔傷の進行から E型の方が後出する 。焼成は軟質の
6
.
0
c
mで側面立ち上がり l
O
.
O
c
m、厚み 3
.
0
c
mをi
J
l
i
J
面長 4
ものや黒色で燥し焼きのようになったものがある 。
る巨大瓦で 1枚の重量はlOkgある 。軒丸瓦が、再
丸瓦部は行基葺き、丸太巻き作りである 。 1.1 .
建金堂基壇地磁石沿いから間隔を置いて瓦当面が無
E型ともに軒平瓦は重孤文軒平瓦である 。再建金
堂・再建塔周辺から出土している 。
傷のままで倒立していたり横になっていたりして出
土しており、再建金堂の屋根に茸かれていたことは
確実である 。 また、再建塔の地覆石抜き取り跡、から
も同様に無傷のものが数点出土しており、再建塔に
も茸かれていたとみられる。 他では再建講堂の北側
竺型
空L
出出出出トH
整地層下でこの軒丸瓦とセッ トになる方形平瓦・丸
瓦が埋められた瓦溜りから出土している 。
③ 単弁六弁蓮華文軒丸瓦
中房のみ 2点と 3分の 1破片 1点のみで、 ② の単
J
台土が異なるため違う瓦窯で焼か
弁八弁軒丸瓦とは )
れたものを搬入した可能性がある 。瓦当径は 2
2.
4c
m
を測る巨大なもので周縁は素文の平坦縁、蓮弁は中
央に凸線が入る軍配形(蕪形)の大きな連弁である 。
周する 。南滋賀廃寺からも同じ六弁の軍配形のもの
年叫叫叶
ι
中房内は蓮子ではなく 内区と同文様の単弁六弁蓮華
文が表されている 。問弁は模形で、両端が繋がって 一
が出土しているが別箔である 。再建講堂須禰壇地覆
に 1点使われている 。
④
複弁八弁蓮華文軒丸瓦
大津北郊寺院・瓦窯出土瓦で A系統と称している
いわゆる川原寺式の瓦である 。穴太廃寺からは 4種
類出土しているが、そのうち 2種類がオリジナルで、
あとの 2種類は南滋賀廃寺 IA
型式 ・E型式'
lと同
箔であるが丸瓦部の接合方法が異なっている 。本稿
ではオリジナルの I型 ・H型
.
m型について記述す
る。
I型は、瓦当径 1
8
.
0-1
8
.
5
c
mで、商違い鋸歯文傾斜
縁の大和川原寺式にきわめて類似するもので、中房
連子のみが 1+4+8である 。蓮子に周環が巡らず、
二重目の 4個が直径 3- 4m
mと小さく突起状を呈す
図5
人間文化 ・
8
7
│
滋│
賀│
剰の│
考│
盲│
学l
i
D
l
4 出土遺物か 5の年代論
穴太廃寺は、文献資料等に一切記録されていない
寺院であるため、考古学の基本である遺構に伴う土
器等の遺物から年代を推定していくしか方法が無
い。本項では、遺構出土の遺物から得た年代を記す。
①
後期穴太廃寺再建寺院講堂
再建寺院講堂須禰壇内から良好な資料が出土して
おり、また、北礎石建物 ・東礎石建物からも年代を
特定することができる土師器小JllLが出土している 。
北礎石建物は火災に遭い焼失し、整地層上面から
1
0
5
0年代と推定される土師器小皿が出土している 。
講堂は火災の痕跡が無いことから解体移築されたと
考えており、講堂須禰壇から平安京 H新期 (900-
9
2
5年)から平安京 V古期(1080-1100年) に亘っ
て土師器小雌が出土している 。
目 また、東礎石建物
の 廃 絶 後 に 埋 没 し た 跡 地 か ら は 東 西 5間
9
.
0
m
) で南側J
I東より 2間分
(
1
1
.6m) ・南北 5間 (
の問に囲炉裏を設けた掘立柱建物が検出された。囲
3世紀頃になる鎌倉時代の土師務小山が
炉裏湖;から 1
出土しており、この時期には完全に寺院の遺構は埋
没して跡形も無くなっていたことが窺える 。以上出
0
0年には講堂で法要が行われていたこ
土造物から 9
1
0
0年にはすべての寺院施設が無くな っていた
と
、 1
ことが確実である 。
②
後期穴太廃寺再建寺院金堂・埼
再建寺院金堂・塔は周囲から炭・焼け土が多量に
発掘調査で・見つかっており、火災により焼失してい
ることが明らかである 。焼失後倒壊した瓦を金堂西
側に 巨大な穴を掘り瓦捨て場としている 。両者とも
基壇上面が開墾により削られているため、年代を推
定する造物がほとんど出土していない。唯一、金堂
北側基壇下と金堂西側瓦溜りから出土した紀年銘を
記した文字瓦があり、これの解釈に議論が集中した。
いずれの文字瓦も桶巻き造りの平瓦片である 。
一つは、異体字で書かれており山尾幸久氏の鑑定で
「庚寅年 j とされたもの、あと 一つは、明瞭に判読
できる「壬辰年六月 」 と記されたものであった 。
「庚寅年 j は西暦 6
30年 .690年 ・750年、「壬辰年」
3
2年・ 6
9
2年・ 7
5
2年が該当する 。
は西暦6
議論の発端は、故藤淳一夫氏と木村捷三郎氏が来
訪された時に素弁八弁蓮華文軒丸瓦と「庚寅年」の
紀年銘がある瓦を見てもらい年代を伺ったことにあ
った 。「平瓦凸面が丁寧に撫で消しているので古い
手法だ。二つの瓦はセットになり 6
3
0年だ。
Jという
鑑定をいただき、古代瓦の権威者である藤淳氏のお
88 ・人間文化
30年建立
墨付きとなり創建寺院に葺かれたもので 6
というのが流布され、今なおこの年代が創建寺院に
つきまとっている 。その後の整理調査で素弁八弁蓮
華文軒丸瓦と同じ土で=焼かれたセットになる丸瓦・
平瓦が見つかり、土が異なり表面の仕上げ調整が異
なる「庚寅年」銘瓦は 6
30年ではないことが明らか
になった 。「壬辰年」瓦には格子叩きが施されてお
り、瓦の胎土や敵き自調整の痕から「庚寅年」は
6
3
0年ではなく 6
0年後の 6
9
0年、「壬辰年」はその 2
年後の 6
92年にあたるもので間違いないということ
1
支寅年」
でこれら文字瓦の年代を確定している 。 1
瓦は再建金堂北辺瓦積み基壇の倒壊瓦中にあった
が、再建金堂基壇北西隅で瓦積みの代わりに 一部石
積みが成されているように何回かの補修をしたこと
3
枚の瓦積みが
が、明らかになっている 。 また最大 2
残っている部分でも上部には補修による継ぎ足しで
横方向の目地が通っていない部分が多く見られる 。
9
0年に焼かれた瓦を用い
基壇化粧の瓦積み修復に 6
て行ったことを示唆する方が高く、再建金堂の建立
年を示すものではない ことを改めて強調しておく 。
③ 後期穴太廃寺創建寺院
再建講堂東北隅の創建寺院西国廊の上面から完形
品の須恵器の杯が 3点出土している 。当初、創建寺
院の年代を決定できると喜んだが、 2点は飛鳥、期
6
8
0年前後のもの、 l点は平城宮 I期7
0
0年前後の時
期に相当するものであった 九 どうも回廊を埋めて
整地した年代と考えられる 。穴太廃寺は調査中遺構
保存の動きがあり、史跡指定となることを考慮して
下層遺構の検出を極力控えた。唯一創建寺院西金堂
東辺で地麗石の根本まで検出するために断ち割りの
トレンチ調査を行った箇所があり、ここから 一面に
瓦積み基壇の倒壊瓦とみられ澄色の B系統の方形平
瓦破片のみが敷き詰められたような状態で検出され
ていた。 また、創建寺院西金堂南辺の創建寺院整地
層下層から 2基の合わせ口土器棺墓が検出された 。
整地の際に土擦が半裁されて上面が消失しており、
このうち 1基の土搭は長胴斐と称される土師器斐で
6世紀後半の穴太遺跡渡来人集落で検出した礎石建
ち建物の時期に該当するものであった。あと 1基の
土器は胴が丸みを帝びており 7世紀初頭になるもの
かとみている 。
5
. 伽藍配置についての諸問題
寺院遺構・出土瓦・出土遺物の事実関係を見極め
た上で、これより報告書刊行後に論評されている諸
|滋| 関県|の| 考|古|学I~I
堂が南面し、塔と並列するので異なるとみている 。
どちらかというと崇福寺の伽藍配置と同じで、解体
した部材で崇福寺を建てたのではないかと考えたく
らいである 。再建寺院については、金堂が南面し、
塔が東に配される法起寺式としたが、金堂の南辺と
搭の南辺が直線上に益ぶという南滋賀廃寺・高麗
寺仲と同じ形態を取るとした。
調査が行われた頃は、古代寺院の堂塔の配置につ
いて、搭には釈尊 (
釈迦)の骨を納め、金堂には釈
迦の偶像を安置するという建物の性格から初期の伽
藍では四天王寺や飛鳥寺は中門を入って正面にまず
~τt\1
1
錦
塔が置かれ、奥に金堂が置かれるという釈迦の骨を
織は
重んじる思想が、やがて塔と金堂が横に並ぶ塔・金
主
任λ
:惑z
l
堂同列となり、次に t
搭菩が外へ追いやられ金堂すなわ
・~",;-" J
)
:
.
I
~凡ノ/
ち仏{像象が重視される興福寺や東大寺のような伽藍配
置に変化するという塔と金堂の位置だけでで、類型化す
つ与〆'
単弁六多字逼費量文続丸瓦
る学説が主流であつた 口
単弁八弁蓮叢又鰐丸瓦
信多字八弁蓮奉文軒丸瓦
砂
研
F
冴
f
究では本尊の種類を基準にした
しかしし、最近のt
FH十口仁 '
学説でで、、菱田哲郎氏が仏の容れ物として金堂を評価
する視点から伽藍配置と特定の仏像に対する信仰と
の関係について論じている 。菱田氏は 『
流記』にあ
l
u
、即日
恥
の初 日 日
、
ぞ
る
弘
一
ト
一
グ
4
一
5b
外一一一 ・
南 滋 賀 廃 寺 同 箔E
る興福寺の造営記録より中金堂に釈迦丈六仏、東金
文字瓦実刻国
2
0
1
0
4
3
0
a
判
堂に薬師仏、西金堂に阿弥陀仏が納められたことを
例にして、金堂の位置と建物の向きにより納められ
図 6 穴太廃寺出土瓦
た仏像が想定できるとしている 。菱田氏は、穴太廃
寺創建寺院西金堂は東に面しているため阿弥陀仏を
問題について述べてみる 。
まず、最も異議が唱えられている前期穴太廃寺を
想定し、報告書でも記した志賀漢人恵隠が関与して
想定した理由を今一度確認していただきたい。前述
おり造営に深くかかわったとしている 。 ところが、
のように創建寺院整地層から 1点も丸・平瓦を含め
再建寺院金堂 は南面するため阿弥陀仏でなくなり、
て素弁の瓦が出土しないこと、西金堂基壇下整地面
法起寺金堂と同じ弥勅仏に変わるのであろうかとし
から B系統の瓦しか出土しないこと、素弁系の瓦が
て、法起寺式の金堂についてはなお検討の余地あり
としている 。
泊 また、菱田氏は、南滋賀廃寺につい
土石流により山手の方から流れてきていることによ
り、素弁の瓦を用いた別の堂塔があったと想定した。
岸本直文氏・小笠原好彦氏は、この見解に対して異
て西金堂は塔と対面する川原寺式であるとみたよう
論を唱えられ 「
すべてが土石流に起因するとみなし
うるか、なお検討を要するのではないだろうか。西
が塔の南辺と直線上に並んでいる 。菱田説で想定す
であるが、西金堂は南面しており、しかも基壇南辺
ると西金堂には何が納められるのであろうか。
に一括して廃棄されたものが流れてきた 」
。 とし、
目 報告書にも
創建寺院に用いられたと論じている 。
面しているが、薬師如来像をおさめている 。 これは
記述しているが、素弁の瓦は七堂伽藍のような寺院
例外と考えるのであろうか。穴太廃寺では発掘調査
ではなく単独の仏堂(仏殿)に葺かれたものと考え
ている 。
で薬師・阿弥陀と区別できるものが堂塔から出土し
l
また、奈良県西ノ京町にある薬師寺は、金堂は南
ていないので、菱田説は憶測でしかない。
報告書では、創建寺院を西金堂と塔が向き合うと
さらに菱田氏の恵隠が穴太廃寺創建寺院の造営に
し、川原寺式・観世音寺式・飛鳥寺式の 3つを挙げ
関わったという見解も何の根拠もない物語で、最澄
た。東倶I
Jと北側で綴密な調査がされていないので、
が再建寺院の講堂で講義をしたかも知れないという
敢えて 00式というのは避けた。南滋賀廃寺は西金
のと同じお話の世界であることを付け加えておく 。
人間文化 ・ 89
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
盲│
学I
@I
さて、穴太廃寺再建寺院は金堂と搭を建て終わっ
取り付けている 。穴太廃寺再建寺院同様、西金堂 -
た段階では法起寺式に見えるが、実は建築中に工事
t
答・中金堂を造った時点で工事が中断したと考えて
がストップしている 。その後建てられた再建寺院講
いる 。柴田氏は同 一基壇上での建て替えを考えたよ
堂・北礎石建物 ・東礎石建物は金堂 ・塔の主軸と異
うであるが、南滋賀廃寺の東回廊のさらに東に方位
なり、基準造営尺も異なっている 。金堂 ・塔が 1
が異なる礎石列があること、講堂と中金堂問にも不
尺 =0.
36mを基準とした造営尺で設計されているの
明な礎石列があることから、南滋賀廃寺にも前身寺
に対して講堂・北礎石建物・東礎石建物は 1尺 =
院があったと考えた。 B系統の単弁系の瓦のみで葺
0.
297mを基準造営尺としている 。 これは唐尺もし
くは天平尺と称される基準値で、建築史上では、
7
1
3年(和銅 6)の格で唐大尺の1.2
倍の長さをもっ
高麗尺が廃止された後に用いられた尺である 。
" 再
建寺院議堂・北礎石建物・東礎石建物は 7
1
3年以降
に建てられたものと言え、金堂 ・塔よりは後出する
建物となる 。このことは、建築に長期間を要したか、
かれた前期南滋賀廃寺があったと考えている 。
6
. 1[の年代論および使われ方について
次に、穴太廃寺の創建 ・再建建立年代を左右して
いる出土瓦の年代について、報告書刊行後の各氏の
取り扱い方とそれに対する異議を申し述べておく 。
まず、前期穴太廃寺に葺かれたと想定している素
工事が頓挫して中断し再開したという 2案が考えら
れる 。
弁八弁蓮華文であるが、同文系の瓦が比叡山を 一つ
また、再建寺院には回廊が存在しない。通常古代
寺・北野廃寺 ・幡枝元稲荷窯 ・宇治市隼上り黛から
寺院の建立I
}
I
買としては金堂 ・塔→ 回廊・中門 →講
出土している 。当初、高句麗系と称されているこれ
隔てた京都北山背地域 ・南 山背地域の京都市広隆
堂・{fI坊 ・食堂というように金堂 ・塔といった聖域
らの瓦は宇治市隼仁り窯 出土の D類の系統を引くと
を│
副廊で囲んでから講堂 ・僧坊といった外郭の建築
いうのが隼上り窯の発掘調査を担当した杉本宏氏の
に移っていく へ 今回の回廊が見いだせない現況は
見解であった。 この隼上り窯は奈良県飛鳥村豊浦寺
この聖域を囲み、講堂を建てようと縦張りし始めた
の瓦を焼いていることから D類の瓦も豊浦寺建立年
設計段階で金堂 ・塔が焼失したのではないかと考え
に近い年代を当てたいとしていたが、豊 j
甫寺からは
から塔との聞を抜ける巨石が混
ている 。金堂の北側j
D類が 1点も出土しておらず、別の寺院に供給され
たものであると報告している 。その後、杉本氏は隼
じる土石流はさらに追い打ちをかけるもので金堂 ・
塔を新築する余力がなかったとみる 。聖域である金
上り D類は、幡枝元稲荷窯から瓦当箔(元稲荷窯 C
堂 ・搭が無くなったためそれを囲む回廊の建設は無
類)のみが移動して製作されたものという見解に変
用になった。再建寺院については、以上のように回
更している 担。一 方で岸本直文氏 は、瓦当箔のみが
廊の建設にかかる前に中断があり、再開後には回廊
隼上り言葉から I
幡枝元稲荷窯移り、ここで従事してい
を造る必要性が無い事態が生じたというのが結論で
た岩倉の瓦工人が北野廃寺・広隆寺、穴太廃寺へと
ある 。
穴太廃寺と同じことが、昭和 3年に肥後和男氏が、
移ったと杉本氏とは逆の流れを提示して「北野廃寺
式軒丸瓦」という新たな形式名を唱えている へ た
昭和 1
3年に柴田実氏が発掘調査をした南滋賀廃寺で
もみられる 。柴田氏は報告書中に単弁系と複弁系の
だし、両氏ともに初箔を焼いた窯の明確な年代は提
示していない。ただ、広隆寺・ 北野廃寺ともに秦氏
瓦の出土状況から単弁系の瓦を用いた建物が短期間
の氏寺にあたり、穴太廃寺も秦氏 との関わりがあっ
のうちに崩壊し、その後早急に複弁系の瓦を用いて
たとみる意見に関しては一致している 。 ちなみに、
復興したのではないかと記している
穴太廃寺の
報告書では柴田氏の作閣の縮尺を同一 にして現代寸
0
3年(推古
秦河勝が建立した広隆寺(蜂 岡寺)は 6
1
1
) ・6
2
2年(推古 3
0)の 2説がある 。現在のとこ
法を記して併:記 したが、南滋賀廃寺も酋金堂 ・塔 ・
30年代 とする根拠は無い こ
ろ穴太廃寺素弁の瓦を 6
中金堂は 1尺 =0
.355mの造営基準尺であるが、講
と
、 6
30年という年にあ ま り固執しないよう申し述
堂 ・回廊 ・僧坊 ・食堂は 1尺 =0.
297mの天平尺を
べておきたい。
造営基準尺として設計建築している 。 また、講堂等
次に単弁八弁蓮華文 (B
系統)の年代論について
の天平尺で造られた建物の縄張りについては l尺 =
系統の瓦が出土
述べておく 。南滋賀廃寺でも A.B
0.355mで設計している 。従って、中金堂の両脇に
取り付く回廊が中途半端に足らなくなり、無理やり
されている 。 そのうちの A 1号窯からは A .B系統
90 ・人間文化
しており、さらにこの瓦を焼いた植木原瓦窯が発掘
│
滋│
賀│
闘の│
考│
古│
学I
@I
を同時に焼成していることが報告されている 。
円 南
H型 ・重弧文軒平瓦のセットと単弁八弁蓮華文・方
滋賀廃寺 B系統の瓦当面は方形で、検から蓮華を見
形瓦のセットが出土している 。複弁系と単弁系はサ
た意匠を表した通称「さそり文瓦」と呼ばれている 。
イズが異なり、また平瓦は形状がまったく異なるた
丸瓦部の断面が方形を呈し、平瓦も凸形の前例を見
め同じ屋根上での併用は不可能である 。それぞれ時
ない瓦が出土している 。南滋賀廃寺も大津宮に伴う
期を違えて葺くか、同時に葺く場合は屋根を違えて
寺院とされており、 この A .B両系統の瓦が岡崎iこ
葺くしか方法は無い。穴太廃寺再建寺院金堂の状況
焼かれているということが、大津宮期の瓦としての
では同時に葺かれているので屋根を違えて葺き分け
根拠に挙げられ、穴太廃寺創建寺院に B系統が茸か
たとみている 。単弁系の B系統の瓦は、 創建寺院の
れていたという報告に対しての反論になっている 。
リサイ クル品を転用した 可能性が高い。南滋賀廃寺
穴太廃寺再建寺院で初めて B系統が使われ始めると
も同様に前期南滋賀廃寺の B系統の瓦をリサイクル
いうのが、反論者の見解のようである 九 しかし、
したと 考えている 。屋根瓦 は軒先か ら}
/
I
買に葺き 上げ
穴太廃寺創建寺院西金堂整地面で B系統の瓦のみが
ていくので、再建寺院金堂の基壇下で等間隔に B系
出土していることは事実であり、 B系統を大津宮期
統の軒丸瓦が落ちた状態で出土していることから、
にするならば穴太廃寺創建寺院が大津宮期、穴太廃
重層ならば下層の屋棋に単層の場合法隆寺所蔵玉虫
寺再建寺院金堂 ・塔は大津宮廃都後建立としなけれ
厨子のような綴葺きの屋根で軒先側に葺いたか、法
ばならない。B系統の瓦は大津宮期の前か後か。槌
隆寺金堂の ように裳階に方形瓦を用いたことが考え
木原 Al瓦窯から A.Bの 2系統の瓦が同時に焼か
られる 。塔の場合は各層ごとに茸き分けるか、薬師
れているという事実と穴太廃寺創建寺院出土との矛
寺東塔の ような裳階と屋糠で葺き分けたと考える 。
盾をどう解釈するかということに対して、撞木原 A
次に、 A系統の瓦であるが、報告書では複弁蓮華
l瓦窯の調査を担当した林博通氏と検討に検討を重
文の I型は少量の出土で箔傷の進行が無いため途中
ねた結果、 B系統は大津京遷都以前のもので、南滋
で製作を中止したのではないかというようなコメン
賀廃寺も B系統のみが葺かれた前期南滋賀廃寺を想
トを記した。子弁聞に界線がなく平坦縁面違い鋸歯
定する必要があるという結果になったのである 。
文となる E型は後出するものという私見である 。 こ
方形瓦 (B系統)は、その特異な形状から大棟と
か降り棟とい った部分に使われる伏問瓦 (
雁振瓦)
の E型の瓦こそ「庚寅年」 ・ 「壬辰年」瓦とセット
9
0年 .6
9
2年に作られたもので、こ
になるもので、 6
で、方形の瓦当面を持つ瓦は鬼板瓦であるというよ
の E型の瓦が穴太廃寺再建寺院の場合主流となるた
うな見解もあった。 しかし、穴太廃寺で平瓦として
め、大津京遷都を契機に建て替えが行われ始めたが
屋根に葺かれていたことが出土状況で立証され、疑
頓挫し、 屋根に 瓦が葺き上がったのは、持統即位
う余地は無くなった。では、方形瓦 (B系統)のみ
の件について、吉水莫彦氏がB系統の方形瓦は玉縁
(
6
8
6年)後の天智追善機運により 再 開した 6
9
0年・
6
9
2年であると北村圭弘氏は論じている 九 しかし、
大津京遷都の 6
6
7年に建立したとするならば、柱と
瓦を逆向きに葺くようなジョイント式で重ねていく
屋根の垂木 ・野地板だけが出来上がっていて、その
ため軒の正面ラインにおいて軒に反りをもたせるこ
後2
0
年間野ざらしにな っていたということになるの
で葺かれた建物とはどのようなものであろうか。 こ
とが不可能となる条件が発生する 。水平ラインに限
9
0年 .6
9
2年の工事再開という案を支持
だろうか。6
定された建物を想定する以外にないとし、屋根勾配
するならば、屋根に方形瓦だけが葺き上がっていた
が非常に緩い韓国忠清南道扶余所在の定林寺五重塔
か、もし くは6
9
0
年 .
6
9
2年まで方形瓦をスト アクし
や滋賀県東近江市蒲生町石塔寺の三重塔のような屋
ていたかである 。 もっと極論すると、 6
9
0年 .6
9
2年
根に反りがなく直線的となる塔に用いられたのでは
ないかと論じている制。
まで創建寺院が解体されず、
に残っていたのかという
最後に、出土瓦について当初から葺かれたものか、
瓦が焼かれた年号であること、破片のため E型の複
ことになる 。報告書では、 6
9
0
年 ・6
9
2年の瓦はその
リサイクルか、葺き替えか、 差 し替え (一部補充)
弁蓮華文瓦との整合は慎重を期すこと、 6
9
0年・ 6
9
2
か、という判断を慎重にしなければならないことを
年の瓦を差し替え修理・補修のために製造したもの
説明する 。
穴太廃寺再建寺院金堂では、瓦の項で記述した川
と考えると、この紀年銘の瓦を根拠にした建立年
代 ・再開工事年代という考え方は成り 立たなくなる
原寺式複弁蓮華文瓦 I型 ・川 原寺亜式複弁蓮華文瓦
ということを記した。 また H型の川原寺亜式複弁蓬
人間文化 ・ 9
1
│
滋│
賀│
県│
の│
考│
古
│
学I
m
l
華文瓦を 6
90年 .6
9
2年に当てるのであれば、同じく
土している遺跡の年代が決まってくるため、不用意
これらの瓦も補修瓦と考える方が自然である 。櫨 木
に発言すると後で矛盾点のつじつま合わせに凶苦八
原 A1号窯の事例も補修瓦(この場合は B系 統 の 補
苦することになるからである 。 くれぐれも論拠のな
修瓦) を焼いたという見方も考えられる 。穴太廃寺
い憶測に惑わされないようお願いしたい。
にも瓦を焼いた窯跡が 1基検出されているが、この
窯跡の灰原からは、 B系統の方形平瓦と丸瓦の査ん
註
だ失敗作が多 量 に出土しているが、 A系統の瓦は I
註
一般 国 道 1
6
1号 (
西大津バイパス )建設に
I' !
I.
mJ滋
点も出土していない 。創建寺院の瓦を焼いたものか、
伴う穴太遺跡発掘調査報告書
再 建寺 院の補修瓦を焼いたものか、 A系統も焼いた
賀県教育委員会 1
993年・ 1
997年・ 2000年
!
,も無いの
が失敗作が生 じなかったため灰原には 1l
(
W
註 2 佐藤宗誇ほか「穴太下大 門遺 跡 J 大津市文
化財調査報告書 j 3 大津市教育委員会 1
9
7
5
だ、というようなさまざまな見解が言 え、報告書で
はどの時期の寺院に用いた瓦を焼いたとは記してい
ない 。
年)
註 3 林 博 通 ・葛野泰樹
「滋賀県大津市穴太遺跡
(
r
4巻第 l号
の瓦窯 J 考古学雑誌』 第 6
7.まとめ
平成 9年に国史跡指定となった 穴太廃寺跡の現在
考古学会
註4
r
一般 国 道 1
61
号
(
西大津バイパス ) 建設に
伴 う 穴 太 遺 跡 発 掘 調 査 報 告 書 、j滋賀県教育
の状況を記しておく 。バイパス路線内で検出された
0
0
1年
委員会 2
寺 院遺構は、橋脚の間にすべて現状保存されて埋め
戻されているが、周辺の環境はバイパス開通ととも
日本
1
9
7
8年)
註5 森郁夫
「穴太廃寺と伽藍配置 J(
第1
1回
に一変しており、調査を担当した筆者ですら橋脚に
埋蔵文化財調査研究会シンポジウム 『
穴太廃
書 かれたスパン番号を報告書の写しと照らしあわせ
寺と大津京 J 滋賀県文化財保護協会
ないと、どこに堂塔が保存されているか分らない状
年)
況である 。指定地外の所には個人住宅が密集し、発
森 郁 夫 ・坂詰秀一
掘調査を行っていた頃の棚田や古地割の畦道は跡形
語る J 季刊
考古学』弟 3
4
号一 特集古代仏
も無い。 この現象は穴太廃寺周辺に限らず、これよ
教の考古学
雄山閣出版 1
9
9
1年)
り以南の大津京域全域に及んでいる 。柿本人麻巴が
註 6 小笠原好彦
r
(
荒れ果てて荒野となった大津京を和歌に詠んでいる
古代の伽藍を
「穴太廃寺の性格と造営氏族J
(
W日本7i代寺院造営氏族の研究』東京堂出版
2005年)
が、今や逆に人家に埋め尽くされて人麻目が詠んだ
荒野の大津京をイメ ー ジする方が難しい。
「対談
2000
註 7 小笠原好彦
(
W
「瓦積基壇考 J 日本古代寺 院
造営氏族の研究 J東京堂出版2
005年)
穴太廃寺 ・南滋賀廃寺は、大津宮に関連する寺院
であるとともに、 B系統の瓦に見られるような強烈
註8
山田寺展』
な個性を 主張する氏寺であったことが窺える 。 とく
註9
夏見廃寺』
飛鳥資料館
1
9
8
1年
三重県名張市教育委員会
に両寺院とも周辺遺跡から検出される渡来系氏族の
1
988年
集落遺構と集落背後の比叡 山麓にある古墳群とがセ
夏見廃寺の金堂建立年代は、埼仏に記され
ッ トになる区域であるため、大津宮遜都の年代を前
た「甲午年 j から 694年 前 後 、 塔 ・ 講 堂 は 伊
後して遺構・出土遺物の編年が試みられ、穴太廃寺
0年 前 後 と さ れ て い
賀 国 分寺 の瓦と同箔で 75
の ように紀年銘の瓦が出土すると、それを基準に建
立年代や集落遺構との前後関係が議論される 。 しか
る。
註1
0 松本修自「 山田寺と玉虫厨子一 飛鳥時代の建
し、瓦と土器の年代論、古墳と集落の相互関係など、
築 技 法一 J(W
週 間 朝 日百 科
穴太廃寺周辺遺跡ではまだまだ未解決の問題が山積
第 2号 朝 日 新 聞 社 1
997年)
している 。特に瓦と土器(須恵器)のセッ トで絶対
日本の国宝』
1 方形造り出し礎石は 2個体出土している 。 あ
註1
年代を出すことにおいては、依然慎重論が多い。隼
と 1個体は、再建寺院講堂跡上層山砂層で鎌
上り瓦窯の整理をしている杉本氏でさえ絶対に明確
倉時代以降の堆積層から 出土している 。再 建
な年代を示さず、第O四半期という年代幅で抑えて
寺院講堂須嫡壇本尊土台根石に混入している
いる ヘ 西暦年代を示すとそれに関連する造物が出
ことから講堂建立以前の建物に使われていた
92 ・人間文化
|滋| 賀| 県| の|考|盲|学 I ~I
ものということになる 。創建寺院塔・西金堂、
註2
3 岸本直文
再建寺院金堂外屋柱礎石、前期穴太廃寺の建
r
(粁倉古窯跡群』京都大学考古学研究会
物、あるいは寺院以外の建物の可能性がある
l
湯社
が、遺構に伴うものが検出されていないため
註2
4
特定はできなかった 。
(
f大津市歴史博物館研究紀要 u大津市歴史
5
註2
真
1
9
9
2年)
r
植木原遺跡発掘調査報告一 南滋賀廃寺瓦窯
1
9
8
1年
-.1 滋賀県教育委員会
註1
2 松浦俊和「南滋賀廃寺出土瓦の形式分類試案」
_
t原真人
『
瓦 を 読 む 歴 史 発 掘1
1 議
談 社1
9
9
7年)
北村圭弘 「檎限式軒丸瓦の成立 と展開 J<
r紀
博物館 1
9
9
3年)
註1
3
「七 世 紀 北 山 背 計 倉 の 瓦 生 産 」
古代の土 器 1j古代の土
都城の土器集成
要2
0J
財団法人滋賀県文化財保護協会 2
0
0
7年)
I型・ H型については輔線文縁軒丸瓦の最も
9
9
2年
器研究会 1
古 代 の 土 器 2j古代の
古い出現期のものに当たるとされている 。上
『
都城の 土詩集成 j 古 代 の 土 器 3J古代の
みているが、北村圭弘氏は素文から穏線文へ
[
都城の土器集成「
原真人氏は素文の
土器研究会 1
9
9
3年
m型を 1.I型の退化型と
進化すると論じている 。筆者は、箔の彫り直
土器研究会 1
9
9
4年
註1
4 註1
2と同じ
しは無く 3型式とも別箔で同時期のものであ
註1
5 註 6と同じ
ると考えている 。
6
註1
r
史跡
高 麗 寺 跡 j京 都 府 山 城 教 育 委 員 会
註2
6 育水虞彦
「
南滋賀廃寺出土方形瓦の使用建
1
9
8
9年
物 J<
r淡海文化論叢
飛鳥寺創建瓦と同箔瓦が出土しており、 5
88
0
0
6年)
刊行会 2
年頃に前期高麗寺が造営され、その後本格的
に整備されるのが壬申の乱以降となり
J
I原寺
創建期と同箔の瓦が用いられていることから
第 1輯 Ji
炎海文化論叢
註2
7 北村圭弘「琵琶湖東岸域の川原寺式軒瓦」
(
W飛鳥白鳳の瓦づくり VU奈良文化財研究所
2
0
0
3年)
註2
8 設2
2と同じ
6
7
0年前後をあてている 。
7 森 郁夫 『
瓦と古代寺院』六興出版 1
9
8
3年
註1
註1
8 菱田哲郎「古代日本における仏教の普及
(
r
仏
参考文献
法僧の交易をめぐってー J 考古学研究』第
小笠原好彦 ・西国弘・林博通・田中勝弘 [
近江の古
5
2巻 第 3号
代寺 院』近江の古代寺院刊行会
9 伊藤太作
註1
学』第2
2号
2
0
0
5年)
(
r
1
9
8
9年
「
土地と建物の尺度J 季刊考肯
「古代の都城一 飛鳥から平安京
までー 」雄山閣出版)
註2
0 註 5と同じ
(
r
註2
1 肥後和男「大津京祉の研究 J 滋賀県史蹟調
査報告』第 2冊
柴田
1
9
2
9年)
(
r
実「大津京日
止 (上)J 滋賀県史蹟調
査報告 j第 9冊
1
92
9年)
註2
2 杉 本 宏 「 隼 上 り 瓦 窯 発 掘二十五年目の検証」
(
f
考古学論究一小笠原好彦先生退任記念論集
I小 笠 原 好 彦 先 生 退 任 記 念 論 集 刊 行 会
2
0
0
7年
杉本氏は、 D型式が、箔が傷んだものまで存
在することから元稲荷瓦窯から招集されたと
し、隼上り瓦窯では 5期のうち 3期の操業と
し
、 7世紀第 1凶半期後半に開窯するが、 7
世紀第 2四半期後半 には廃窯しているとして
いる 。
人間文化 ・
93
生活デザインの現場から
固
住居設計演習合同課題/デザイン教育
原寸の空間を考えながらつくる。
人間文化学部 生 活デザイン専攻 佐 々 木
一 泰
1
1屑設計演習で、は 2006年度から、合同課題という
と、また実際の場所に設置するのは準備 Hのみとい
課題を行っている 。 この課題は、 2凶生と 3回生が
う事から、再設置可能な方法で各グループ制作を行
合同で 4チームに分かれ原すの空間をつくり、学園
った。設置場所は環濠沿い。 フリーマーケットスペ
祭である湖風祭の場で専攻以外の学生や訪れた一般
ースの中に、休憩場所として点今と設置され、休憩
の方々に制作した空間を体験してもらう課題であ
場所の少ない環濠周辺にちょっとした休憩スペース
る。
を作り出した。
通常の課題の縮小されたモデルによる設計とは異
なり、実物大の空間を制作し、その制作過程や実際
の空間から空間設計を学ぶことを狙っている 。
Aグル ープは竹のドーム として、犬上 J
I!流域の竹
。
を用いた空間を提案した (
図 1-1, 1-2)
原すの空間をつくる事に女性比が多いこの専攻で
果たして可能かどうか、はじめは少し心配していた。
しかし、いざ制作に取り組むと、慣れない道具も使
いこなし (
木匠塾の経験も大いに役立っているよう
だ)、色々な知恵を絞り、作業にタフな 一面も見せ
ながら、去年今年とも湖風祭までに完成させている 。
また湖風祭実行委員会の協力により、安全を最優
先に設置場所や運営の検討やパンフレット掲載な
ど、事前打ち合わせ等を行っている 。
2+3が意昧するもの
.
.2+3" これは、 2回生と 3厄│
生が合同で課題
を行うことを意味している 。
.
.2+3"は 1チー ムにつき 3回生が 2-4入
、
21
I
!
l
生
が 5-7人程度、計 7-10
名程度の 4チーム
図 1-1 竹によるドームに風車をつけている
に編成される 。それぞれ週一回の演習時間(2コマ)
を制作時間にあて、前期はコンセプトと設計、後期
は材料調達と制作にあたっている 。異なる学年なの
寅宵眼目はもちろん異なる 。その為、作業内容
で
、 i
の確認や役割分担、情報の共有といったグループ内
のコミュニケーション能力が重要なカギとなる 。
また学年が異なるチーム編成は、 一年後に再び同
侍になん
じ課題に取り組む面白さがある 。 2凶生の l
かわからないままに先輩と話し合い、つくって、体
験したことが、一年後 3回生になり、後輩とチ ーム
を組んだ時、また再び考える機会が訪れる 。今度は
去年と違ってチ ームを牽引する役割として。
同じ事をし ているにもかかわ らず、体験する こと
は違う 。それが白・ 2+3" の面白い点だ、と思う 。
図
1-2 見上げたところ
“滋賀の空気や自然を感 じられる空間にする "とい
うコンセプ 卜でドームに取りつけた風車が風でまわ
1年目一 ‘
06
年度カレイドスコープと 3つ
のR
るのを目と耳で感じられるようになっている 。風車
初年度はカレイドスコープ (万華鏡) というテー
を子供に持って帰ってもらうという提案だったが、
マを 与え 、普段見慣れた景色を 変える空間をつくる
実際に は持ち帰る人も少なかった。 また構造的には
こと、そして 3つの R、 R
e
c
y
c
le
/Re
u
s
e/
Re
move
壁が無い ことから、あとで記述する風の問題に対し
(符設置) を課題設定した 。材料や工法を出 来るだ
ては問題なく耐えてみせた。
けリサ イクル ・リユー スが可能な方法で考えるこ
94 ・人間文化
Bグループは“ b
a
l
l
o
o
ni
nb
a
l
l
o
o
n"という 、不
生活デザインの現場から
織布でつくった大きな風船と、その中にヘリウムガ
スを入れた風船で満たした空間である (
岡 2- 1,
固
Cグループは牛乳パックハウス という、牛乳パッ
クを 主体とした空間である(関 3
-1
.3-2)。
2-2)
。
内部のヘ リウムガスによる風船には 3凶生が中心
図 2- 1 :b
a
l
l
o
ni
nb
a
l
l
o
o
n
図 3-1 牛乳パックハウス
図 2-2 :b
a
l
l
o
ni
nb
a
l
l
o
o
n 内部
図 3-2 牛乳パックハウス内部
とな って行っているファッションショーの案内がぶ
牛乳パックを利用して、牛乳パック型の建物を作り、
ら下がり、内部に入って空間を楽しんだ後風船を持
のりを出来るだけ使わず、牛乳パックのジョイント
ち帰る人の姿が見られた。
と麻ひもを用いて組み立てる事により、使い終わっ
たパ ック は解体、回収され、リサイクルできるよう
になっている 。
5
人間文化・ 9
生活デザインの現場から
固
Dグループはダンボールの空間として、 一度利用
以上が 4グループの概要である 。i
胡風祭の期間中
されたダンボールを再利用して空間を制作した(図
訪れる人にちょっとした憩いの空間を与えることが出
4-1
.4-2)。
来、自らが制作した空間に知らない人が楽しむ様子
は大きな刺激になったようである。たが 3日目、強風
と雨に見舞われることとなる 。 Bの風船と Dのダン
ボールについては、風により撤去。 Cの牛乳パックも
最終日まで耐えて見せたが翌朝見ると半壊していた。
この地域この季節特有の強い風と雨。実際にはじ
めて体験したが予想以上ーだ、った。学生 たちも自立す
る空間の難しき、また雨と風を防ぎ耐えることの意
l
床を、身をも
って体験した。
またリサイクル ・リユー スについても謀題が残
る。角材はその後の授業などで再利用し、牛乳パ ッ
クやダンボ ールについてはリサイクルに屑けたが、
出来るだけ材料を減らしでもやはり完全リサイクル
とはいかない。
色々な課題を残しながらも、色々な発見が出来た
課題だった。例えば素材。風船のグループの作品は
服飾分野があ る当専攻ならで はの解決策だともいえ
る。 また自分の背丈をこえると急激に難しくなる空
間制作への心配も、結果としては予想を超える活躍
を見せた。
実際の空間をつくるという事は楽しさも悔しさも
実物大だ。学生も教員も初め てだらけ のこの取り組
みは二年目に向うことになる 。
'07
年度一j(ッケージスペースと 3つの R
前厄│
は設置場所を提供してもらっているだけだ、っ
たが、今回、湖風祭実行委員会のさらなる協力によ
って、実際に使用する屋台を 制作する事となった。
より積極的に空間を使用してもらい、 実際 に屋台と
いうコミュニケ ー ション空間をパッキング(内包)
し た 空 間 を 制 作 す る こ と 、 そ し て 3つ の R
R
e
c
y
c
l
e/Reuse/
Reduceを考慮した 空間がテーマと
dus
e (減らす) こ
なる 。今回は Removeで、はなく Re
とがテーマに加えられた。
昨年同様前期にエスキースチェックを行い、今回
は中開発表をオープンキャンパス期間中に模擬授業
の一般公開として行った。一般の父兄や高校生を前
図 4-2:
段ボールの空間であそぶ子ども
にしたプレゼンはかなり緊張したようだが、 i
胡風祭
で実際に目にすることができる現実の空間につい
ダンボールを積層させたり穴を開けたりして色々な
て
、 一般の方々も興味をもってもらえたようだ。
壁の表情を作り出し、外からの光や影に変化を与え
ること を狙っている 。
ョンを行い、そこで実際に使用する団体を決定した。
後期には湖風祭の模擬庖会議 にて プレゼンテ ー シ
また昨年度同様、材料購入と実際の制作に入る 。今
96 ・人間文化
生活デザインの現場から
回の設置場所はセンタ 一広場に他の屋台と 一緒に設
固
天候状況に応じて屋根を開閉させることも出来る 。
置された 。またミニオ ープンキャンパスも開催され、
専攻展示物のひとつとしての役割も担った。
Bグループは“ KA M1
1
く UOA¥ という紙管を
用いた空間を制作した (
図 6-1.6-2)。
Aグル ープは“ Sム NKム l
く U"という、ダンボー
箱状の空間を、柱も壁も屋根も紙管を用いて制作し
5-2)
。
ルパネルを用いた空間である(岡 5-1.
ている 。紙管は輪ゴムで 7本ひと組のブロ ックのよ
このダンボールパネルは八日市で生産されているも
うにまとめられて、輪ゴムの摩擦力と反発力を利用
のであり、八日市の町おこしプロジェクトの協力を
して盛岡が構成されている 。紙管だけでつくられた
得て提供されたものである 。屋台の形は変化させるこ
壁面は光をゆらゆ らと通し、不思議な影や光によ っ
とが可能で、簡単に解体・収納ができるようにな って
て訪れる人の臼を楽しませた。箱状の空間の間隔を
いる 。 ジョイントもダンボールでつくっており、パ
変えることにより、 売 り場の変化に対応する空間と
ズルのように組み合わされる 。屋根も開閉可能であり、
なっている 。
圃歯医
ケ「ナ寸i:
'、
一寸〆
図6
-1 :KAMII
く
しJDA
図 5-2 :Sム N Kム K U外観
図 6-2 :I
くAMIKUDA
人間文化 ・ 9
7
生活デザインの現揖から
固
Cグループは“ かさで うきうき "という、竹を用
1
.7-2)。
いた傘状の空間を提案した(図 7・
竹によって 4;つの大きさの異なる傘が組み合わさ
れ、その下に屋台空間が現れる 。少し原初的なその
形体は見る者を楽しませ、さらに屋根の縁 に松ぽっ
くりをぶら下げる装飾を施しである 。 また、湖風祭
前に八日市で行われた 二五人祭りに屋台を出庖し、
秋祭りに訪れる人を楽しませた。
図 71 かさでうきうき
図 82 設置風景
る。アーチ状の空間は設置・撤去が簡単にしてあり、
短時間で屋台の設置が可能である 。 また、飲食でき
るスペ ースとして中に竹による家具を制作し設置し
ている 。
以上 4グル ープを簡単に解説した。二年目という
ことで、昨年二回生だった学生が今回は三回生とし
て取り組むことで、色々と改良した面がみられた 。
まず、スケジ‘ュール管理に関 しては、非常に良好で、
図 7・ 2 :かさの見上げ
各学年のコミュ ニケーションがうまくとれたようだ。
また素材の加工方法や段取りにも工夫がみられた。
最後 Dグル ープは“ TAKExTAKEARCH
O
oと
.8-2)。
いう竹によるア ーチ空間を制作した (
図 8-1
規則的に編んだ竹をア ーチ状に曲げ、テントの代わ
りに使用できるようにし、空間に暖かみを与えてい
98 ・人間文化
構造についても湖風祭の 3日間のうち前半 2日は
快晴に恵まれ、制作された屋台も順調に使用された。
夜露や少しの雨にも問題なく耐えたが、 3日目には
大きく天候が崩れた 。今回は湖風祭実行委員会が、
生活デザインの現績から
あらかじめ緊急用のテン トを用意し 、使用不可能に
なった場合はそれを 利用 する段取りになっていた
為、安全を期して Aグル ープのダンボール以外は緊
急用テントを利用する こととなった。前回よりも耐
えたにもかかわらず、完全使用まであと一息だった。
固
何か考えていきたい。
また実物の作品をつくる機会は非常に貴重であり、
制作物をアピールできる手段も検討していきたい。
まだまだ改良すべき項目は残っているが、二つの
学年を 対象としたことで、学生も色々考え、リレ ー
空間の使われ方については、小さくてもお庖とい
のように受け取っている 。学生自身の手で改良を重
うことから、 売る 人買う人それぞれ違う属性の、 空
ねていくことは、この課題の大きな利点でもある 。
間の使用方法を学生自身が知ることができたのは大
だがそれよりも、空間の一番楽しい部分を共有で
きい。例えば、ジョイン 卜のしくみからたまたま棚
きることが、合同課題の面白さのような気がする 。
になった場所が調理棚に使われたり、段ボール面が
私自身、空間制作を 主 な生業としているが、やはり
注文メモとして活用されたりしていた。空間は使う
何もない空間に、空間が立ち上がる瞬間が一番ぞく
人によってどんどんカスタマイズされる 。そうい っ
ぞくする 。空間にはもともと祝祭性が備わっている
た変化が、もしかしたら空間の醍醐味なのかもしれ
と感じる瞬間でもある 。
そういったリアルな感触がデザインの大きな助け
ない。
リサイクルなどについてはやはり前年度同様謀題
は残る 。ただ、今回はベ ニヤ板や角材の使用はほと
になればと思い、これからも課題という枠組みの中、
挑戦していければと考えている 。
んど無く 。素材の選定という点では、 一歩前進して
いる 。
また今回はまとめとして・・ package space
designbook"を制作した(図 9)。
それぞれのグル ープのプロセスや制作日誌、 実際
の使用状況などを A3判でまとめ整理したものであ
る。
住!
帯設言│
演習ス夕、ノフ
上屋敦夫宮本雅子
与諒一哉
山根周 /佐々木ー泰
TA (
"06)
金坂京 (
・
07)久郷晴哉・岡村知明
'
06住居設計演習合同課題プロジェク ト A班
J
撃 香 織 安 慶 田 久美子
石原由香/伊 藤 悠 岩 上 隼 人
質好靖子 /片井あき /桂 川紗綾香
以上が 2年間、 2四分の軌跡で‘ある 。
'
0
6住居設計演習合同謀 j
題プロジェクト
やはり今後の謀題は、風と雨に対しての方法と 3
つの R (
R
e
c
y
c
l
e/Reus
e/Reduce) だろう 。両方と
も難しいテ ーマで、一朝一夕とはいかない課題だ。
通常の課題でも本来なら考えなくてはいけない課題
でもある 。そういった意味でもこの課題の存在が、
もっと早い段階からそういった問題を考えるきっか
けになればと考えており、またそういった仕掛けを
B班
井ヒ j
J i 子 竹 内 文 香 川 村 萌 /北 川 麻 衣 迫 田 絵 梨/佐
野彩子高山まとか徳野綾奈
'
06住居設計演習合同課題プ ロジェクト
池田梨}&~
角田恵子
C班
中舎萌 /長尾祥子/野口香織/林
宏 美 林 真 弓 平 野 友 盟 恵/福西'陪ー
'
06
住居設計演習合同課題プ ロジ、エク ト D班
安 達 綾 子 茂 森 まり恵/杉本真美 /藤 田 知 佳 松 平 仁
宮川佳子
三縁佳菜 / l.~~ 良幸奈
'
0
7住居設計演習合同課題プロジェクト
AF
1
f
北川麻衣 / 迫田絵梨 / 徳野綾奈 / 井上未 i~J:
¥¥
江口倫子
大 西 町 子 嘉 数 有 利 恋 金 山 和 樹 /鬼海めぐみ
九
悶~ """"I"ー,\
ャ
、
.
f
(
)
J
j
'
0
7
住居設計演習合同課題プロジェクト
B班
安 I~EÐ 久美子伊藤悠林真弓 / 松平仁久保田奈純
近l
能楽利
近藤美 J
;
'
i
l
l 芝 あ ゆ み 杉 森 香 苗 /谷口和泉
'
07住居設計演習合同課題プ ロジ、エクト
田淵 三賀
C班
林 宏美 平野友里恵/宮 川 佳 子 千 田 亜 沙
子 中 村 彩子 福永修子
'
0
7
住居設計演習 合同課題プ ロシ‘ェクト
三縁佳菜/佐藤孝
D班
宮越刻子/文室友利 /孫崎靖子/三
締 恵 山 下 恵 里 華 山 元 結 加/吉島千品
人間文化・
9
9
海外研修報告
アメリカの大型類人猿研究施設の動向に学ぶ
明和政子
人間文化学部 生 活文化学科人間関係専攻
私事で恐縮だが、チンパンジーを対象とした認知
行使で 1
2時間ほど、オへア空港で国内線に乗り換え、
4年目に入った 。 この閥、
研究をはじめて、今年で 1
1時間半ほどでデモイン空港に到着する 。 GATIま
ヒトとチンパンジー「比較Jというものさしでとら
0
分と、交通の使は
では、デモイン空港から車で約 3
え、彼らの心の特'性を探ってきたわけだが、何より
悪くない(米国で、は 1
00km/
hくらいは当たり前の
もまず、チンパンジーの心のはたらきが人間のそれ
ように飛ばすので、さほど日本での感覚とは多少異
と非常に類似していることを知り、強い衝撃を受け
なるかもしれないが)
。 アイスホッケーが盛んで、
た。そして最近は、両者の心の特性はすべて共通と
比較的治安のよい静かな都市である 。
いうわけではない点、チンパンジーだけがもっ種独
自の心の側面にも興味が向きつつある 。
心のしくみやはたらきは目にはみえないが、身イ本
ポノポ
的形態と同じく、それぞれの動物種が生態学的環境
チンパンジー
ヒ
ト
ゴリラ
オランウタン
に適応しながら長い時間をかけて獲得してきた「進
化の産物」である。 人間らしい心が進化してきた道
すじを描き出すには、人間とチンパンジ一間の比較
だけでは十分でないことは、
噂
材
、
:
ー
卜分自覚してきた。両
者が I
j
i
Jじ種として生存していた時代 (
6
0
0万年以十
/
10
前)には、我々の共通祖先はどのような心の特性を
もっていたのだろうか。他の大型類人猿の心の特性
は、ヒトとチンパンジーのそれと、どの点が異なっ
ているのだろうか(大型類人猿の系統関係について
は、同 lを参照)。今後は、心の進化の「多様性」
に日を向けた研究に取り組みたい、と考えていた 。
しかし、 実際の ところ、実証的研究の対象となって
くれる(実験課題をこなしてくれるよう、人間から
吻司
酪
15
ノ 戸 ニホンザル
」自
20
フサオマキザ"
30--j
¥¥
特別の訓練を受けた)チンパンジーを除いた大型類
人猿 (オランウ ータン・ゴリラ・ボノボ [ピーリャ ])
そんな中、世界でも類をみないチンパンジー以外
の大型類人猿の研究施設、米国・アイオワ州にある
/
軍曹蟻
35
↓
いのが現状だ。
矧
キツネザル
=l l
は、同内はもとより、国外でもほとんど見あたらな
市ザル
テナガザル終
〈百 万 年 前}
図 1 霊長類の系統樹。 一般に、ボノボ・チンパンジー・ゴ
リラ ・オランウータンは 「
大型類人猿 (
G
r
e
a
ta
p
e
s
)
J に分
2
0
0
6より)。
グレイト・エイプ・トラスト・オヴ・アイオワ
類される (
明
和
田
(
G
r
e
a
t Ape Trusto
fIowa、以下、 r
GATI
J
)に
、
共同研究者として招かれる機会に恵まれた。 GATI
で生活する、特別な訓練を受けたオランウータンと
GATIは、アイオワ州出身の TedTownsend氏と
いう資産家の個人ファンドで運営されているプライ
ボノボを対象とした認知研究である 。本稿では、本
ベート施設である 。一般に、飼育下の大型類人猿は、
年度着手したオランウ ータンの認知に関する共同研
一昔前の人間と同じく半世紀、 50年程度は生きると
究の活動報告をおこないたい。本年度は 4月と 9月
いわれているし、多くの研究者、職員らも含めた彼
の二度にわたり、 GATIを訪れた。
* **
GATIは、米間 ・アイオワ州のデモイン (
Des
Moines) にある 。 日本からの航空使だと、成田あ
るいは関西国際空港からシカゴ・オへア空港まで直
100・人間文化
らの生活、経済的基盤の責任を、営手J
Iを追求せずに
一生涯引き受けることは、決して容易ではないはず
だ。 しかし、米国をはじめとする欧米諸国では、動
物福祉、希少動物への保護活動への意識が非常に高
く、経済的基盤、人格の両方を兼ね備えていること
の証、ステ ー タスシンボルとして、こうした慈善事
アメリカの大型類人猿研究施設の動向に学ぶ
業に積極的に関わろうとする者はそうめずらしくは
こな ったパイオ ニア、デウェイン・ランパウ博士や、
ないらしい。実際、氏のファンド以外にも、全米か
カンジの才能を見出し、 言語習得プロジェクトを牽
ら多くの寄付金や州政府からの補助がこの施設に寄
引してきた、スー・サページ ・ランパウ博士らがい
せられているそうだから、大型類人猿に対する 一般
ATIのボノボはカンジだけでなく、他の個体
る。 G
も、数百にものぼる図形文字を習得しており、コン
社会の関心の高さが伺える。
GATIが本格的に運営されたのは、つい最近のこ
ピュータ画面やボード上に記された文字を使って、
9
9
6年、施設開始向けた準備段階に入り、
とだ。 1
研究者や仲間らと「あたりまえのように j 意思疎通
2
0
0
4
年にオランウータンやボノボ、そして彼らの研
している (
図 3。
) 正直、この光景を目の当たりに
究パートナーである研究者らが、他の研究機関から
したとき、彼らのあまりの人間くささに、鳥肌がた
続々と移籍してきた 。いまだ建設中の建物も多く、
った。ケージ越しの私にボード上の文字を指さして、
4
0エーカーと計画されていた敷地面積も、活
当初 1
「ボール、追いかけっこ(ボールを使って、追いか
動の広がりとともに、どんどん拡大しているらしい。
けっこしよう!)J スティック、くすぐる(スティ
現在 G
ATIには、ボノボ 7名とオランウータン
ックを使って、くすぐって!)Jなどと、必死のま
3名、
r
そして研究者や大学院生、飼育担当、事務担当職員
なざしで訴えてくる 。彼らの文字を習得していない
名所属している 。今後受け入れ
などの人聞が20-30
私は、「ごめんなさい、わかりません一 」 と、身振
る人数は、施設の建設が進みしだい、類人猿、人町
│
り手振りで謝るしかなかった。
ともまだまだ増やすつもりだという(図 2。
)
図 2 広大な敷地にそびえる大型類人猿研究棟。手前にみえ
る池もすべて GATIの敷地の一部。写真の枠に収まりきうたEい
ほど広大芯場所だ。夏から秋にかけては、野生のペリ力ン集
団が悠々と上空を飛んでいる。
オランウータン研究部門の研究部長であるロパー
ト・シューメーカ一博士は、世界で初めてオランウ
ー タンの人工言語習得に成功した新進気鋭の研究者
である 。 オランウータンたちは、シューメーカ一博
士と人工言語や身ぶりを用いて日常的な意思疎通を
おこないながら、日々実験に取り組んでいる 。 ボノ
ボ研究部門の研究部長はウィリアム・フイールズ
氏。他に類をみないレベルの言語習得を果たしたこ
とで有名なスーパー・ボノボ、「カンジ」 の研究パ
9
7
1年より、世
ートナーの一人である 。その他に、 1
界に先駆けてチンパンジ ーの人工言語習得研究をお
o(上図)ボノボ専用タッチパネル
図 3 ボノボの「カンジ J
を使って、日常的に研究者や仲間と会話している。(下図)カ
ンジの自の前にあるのはジユ ースの自動販売機。タッチパネ
ルに提示された課題を解くことで 「
お金Jを貯め、好き主主ジ
ユースを好きなときに手にいれるととができる。実験をする
かしないかは、彼 5の自由意志に任されている。
人間文化・ 1
0
1
アメリ力の大型類人猿研究施設の動向に学ぶ
お願いし、現在も、実験データを 蓄積中である 。オ
* **
ランウータンの認知能力に関する実証的データがほ
今年度、私たちが共同研究の対象としたのは、オ
9
7
7年生まれのオスの
ランウータン 3個体である 。 1
AZY、 1
9
7
9年生まれのメス KNOBI、そして 1
9
9
9年
とんど得られていない現状において、本研究にかか
る期待は大きい。
図 4)
。紙面の都合上、こ
生まれのメス ALLIEだ (
** *
の研究の詳細をここで述べることはできないが、要
GATIは、その成立目的と運営の方針に関して、
点だけ簡単に紹介しておこう 。
以下の 4つの理念を掲げている 。
①
大型類人猿に、十分な保護区と生活を保障する
② 大型類人猿の知性と行動に関する研究を推進する
①
大型類人猿の保護活動を進める
④ 大型類人猿に関する教育活動を展開する
今回は、わずかの時間しか GATIのメンバーらと
時間を共有できなかったのだが、それで、
も日々の彼
らの活動、思考に触れる経験は、大型類人猿の知性
の解明に携わる研究者としての責任を強く自覚させ
てくれるものだった。 GATIでは、この 4つの理念
をメンバーそれぞれがしっかりと自覚して、それぞ
れに任された専門の職務を果たそうとしていること
がはっきり見て取れた。①に関していえば、大型類
人猿の身体的、心理的幸福をめざして工夫された、
図 4 オスのオランウータン、 A
zy。人工言語を習得している
個体である。
広い放飼場や居室、飼育施設の確保が十分なされて
鋭に映る自己像を自分であると認識することがで
金も確保されている 。①では、受け入れ審査はある
きるとはっきり分かつているのは、人間と大型類人
ものの、外部の研究者、大学院生らを積極的に受け
猿だけである(イルカやゾウも可能、という報告も
入れ、大型類人猿の知性にまつわる最先端の研究成
ある 。
) ところが興味深いことに、通常の鏡像をほ
果を発信する努力を続けている 。
外部からの訪問者、
ぼ 100%理解できる人間の 3歳児でも、
滞在者に対しては、施設内にコテージ (目前に美し
いるし (
図 5)、その運営を支えるだけの潤沢な資
2秒ほど遅
れて自分の像が映し出される「特殊な鏡」を見せる
い湖が広がっている、正真正銘の コテー ジ!)が建
と、その鏡像を自分であると認識できなくなる
設され、無償で提供されている(図 6。
)
(
M
i
y
a
z
a
i& H
i
r
a
k
i,2
0
0
6
)。つまり、自己鏡像の認
識には、時間的に完全に随伴するという手がかりが
発達の第一段階として非常に重要な役割を果たして
いるのである 。では、大型類人猿に、遅延した鏡像
を見せるとどうなるか。笑は、チンパンジーを対象
としたこの実験を囲内ですでに開始している 。今年
度は、オランウータンを対象とした実験をおこない、
比較しようと考えたのである 。
まず、 4月に GATIを訪問し、シューメーカ一博
士らと計画を具体的に練り、共同研究の内容審査を
受けた。そして 9月に大学院生の田野尻七生さんを
同行し、再び渡米した。短期間に実験設備のセッテ
イングを慌しくおこない、実験に着手することがで
きた。私たちが帰国した後は、 GATIの飼育担当の
方、アイオワ大学の大学院生らに日々の実験継続を
1
0
2・人間文化
図 5 オランウータンは樹上生活者。野生下での生活環境に
少しでも近づけるよう工夫されたオランウ ータンの居室。高
所に登るためのロープやハンモック等が設置されている(鑓
影 田野尻七生)
。
アメリカの大型類人猿研究施設の動向に学ぶ
また、 ① についていえば、アフリカのコンゴ民主
応用的に生かせる性質のものではないが、彼らにと
共和国やインドネシア共和国・ スマ トラ島 にある野
っての心理的、身体的幸福と は何か、と いう、生き
生ボノボ、野生オランウ ー タンの生息地にフィ ール
る上での本質的なメッセ ージを彼 らに代わって伝え
ド・ステーションを設立し、研究者らの生態調査等
ることはできる 。 ゴリラをはじめとする大型類人猿
の活動を支援したり、保護の現状を把握するための
は、今世紀中には絶滅してしまう可能性がきわめて
データをオンラインで収集したりしている 。 また、
高いことを、皆さんはご存知だろうか。彼らと私た
NPO自然保護団体の活動に専門のスタ ッフを派遣
ち人間は、ともに長い進化の過程を生き抜いてきた
し、積極的に協力している 。④ については、アイオ
かけがえのない「隣人(松沢. 1
9
9
5)Jであり、人
ワ州、デモインを中心とした地域住民、小・中・高
間らしい心が進化してきた道すじを照らし出してく
(
P
u
b
l
i
c
校からの学生訪問、説明会を開催したり
れる貴 重 な動物種である 。彼らの心をもっともっと
CampusTour)
、さまざまな大学 と提携して学部生、
深く知りたい。できるだけ早い時期に再訪すること
大学院生の研究活動に施設利用の機会を提供したり
を誓 って、帰路についた 。
している 。
[文献1
M
i
y
a
z
a
k
i
.
M
.
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i,K
.(
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0
6)De
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7(3)
,7
36
-7
5
0
松沢背郎(19
95) チンパ ンジーはちんぱんじん.
持波書庖
明和政子 (
2
0
0
6)心が芽ばえるときーコミュ ニケー
ションの誕生と進化 NTT出版.
{付記]
本研究は、 G
r
e
a
tApeTrusto
fIowa (
GATI)の
I
γ
.
、
~I縛調膨 一
図 6 外部からの訪問者に提供されている宿泊施設。G
A
T
Iの
敷地内にあるので、研究者にと っては非常に便利だった(提
共
{ G
r
e
a
tApeT
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a)
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tShumaker.D
r
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w
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r
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z
.林原大型
類 人 猿 研 究 セ ン タ ー ( HayashibaraGreat Ape
R
e
s
e
a
r
c
hI
n
s
t
i
t
u
t
e,GARI)の平田聡博士との共同
研究である 。 ここで紹介した研究活動は、文部科学
省科学研究費補助金 (
若 手 (A)、 #16683003・
4つの理念を、わかりやすいかたちで実践しそ
の活動を随時外部に発信 し、よりよい方向に改善し
ていこうとする日々の努力 。 こうした GATIの運営
は、研究者のみならず、一般社会の動物福祉の意識
を高め、大型類人猿の保護活動への賛同、協力を得
ることに着実につながっている 。 GATIの今後の展
開を支えていくのは、社会からの深い理解に違いな
U、
。
1
9
6
8
0
0
1
3、代表:明和政子)の助成を 受けておこな
われている 。GATIおよびGARIの詳細については、
以下の URLを参照のこと 。
G
r
e
a
tApeTrusto
fIowa (GATI
)
h
t
t
p:
/
/
www
i
.
o
w
a
g
r
e
a
t
a
p
e
s.
or
g
/
林原大型類人猿研究センタ ー (
GARI)
h
t
t
p:
/
/w
w
w
.
g
a
r
i
.
j
p/
私個人にだって、できることはないだろうか。叩
ー
界の大型類人猿研究の動向を目の当たりにして、
「誰のための研究か?Jという 意識をあらためて自
問した。大型類人猿の研究は、研究者だけのものに
なってはいないだろうか。何よりもまず、大型類人
猿のためのものであるべきではないのか。大型類人
猿の多様な 心を探る研究は、彼 らの将来に直接的、
人間文化・ 103
海外研修報告
インドヒマラヤの夏
瀬
認
ゆ
棚
r
:
!
B
人間文化学 部 地 域 文 化 学 科
2007年 の 夏 (6月29日- 9月30日)、在外研修と
して 3ヶ月間をインドで過ごした。以下はその概要
である 。
調査をおこなった。共に、去年お世話になった村人
の家に再び厄介になった。 フイ ヤ ンはインダス河へ
流れ込む支流沿いの谷で、その中程の丘の上にはチ
ベット仏教カギュ派に属する僧院がそびえている
(行程)大阪→デリ ー→ラダック(フイヤン村、チ
(
写真1)。住民の多くもチベット仏教徒であるが、
ュマタン村などで調査) → ダラムサラ→スピティ
少数のイスラム教徒も混住している 。
(キ村で調査) →デリー→大阪
私が調査をおこなったチャンマチェンという集落
には 36軒の家があり、約 200人が暮らしている 。 こ
ジャンムー・カシミ ール州のラダックでの調査を
こでは現在取り組んでいるテ ーマである、インドヒ
開始して 2年目になる 。デリーからラダックへの飛
マラヤのチベット系住民の親族関係に関するデータ
行機の使は、昔は中々取ることができなかったもの
を集めることができた。
だが、現在は民間航空会社の使が増えて、楽に取れ
今回、特に興味をもったのは、パスプンと呼ばれ
るようになった。 とはいえ、飛行場のあるレーの標
る互助的な家連合の存在である 。パスプンのメンバ
5
0
0メートルを超え、到着して数日は歩いてい
高は 3
ーは、元来父系出自を共有し、共通の神を紀る 。伝
ても息が切れる 。
統的なチベ ッ ト社会では父系出自を共有する男女の
ラダ ックではレ ー近郊のフィヤンという谷の中に
結婚はできないので、パスプン内部では通婚できな
あるチャンマチェンという集落と、インダス河を
い。機能的には、特に葬儀において、メンバーの家
1
4
0キロほど遡った所にあるチュマタンという村で
の葬儀の一切を取り仕切る 。
しかし、現在のパスプンでは、父系出自の共有と
いう要件は必ずしも重視されておらず、時にはパス
プン内で通婚することもあることが分か つた。 これ
は、伝統的チベ ッ ト社会において父系出自を表現す
る「骨」の観念が、現在忘却されつつあるという現
象と関連するものと考えられる 。父系出自の重要性
の低下は、家の家産を息子のみならず、娘にも分与
するケースが多くなっていることにも表れている 。
このことからも、ラダックの家族が伝統的なチベ ッ
ト的なあり方から大きく変化しつつあることが分か
る。
フィヤンにおける調査は実り多かったものの、滞
在中、多年に及ぶ宿敵である南京虫に悩まされた 。
ヒマラヤの南京虫は強力無比で、半年近くが経過し
た現在でもその噛み跡が残り、風呂に入ると未だに
俸みが生じる程である 。彼らは日中どこか物陰に潜
み、深夜、閣にまぎれて這い出してきでは敵 (
私の
ことですが) に一撃を加えて、すばやく撤退する 。
虫ながら、実にそのゲリラ的戦略は見事で、あるとい
うより他はない。
ラダ ックにおける家族、親族構造の変化は、イン
ダス河上流のチャンマチェンにおける調査でも確認
された。
チャンマチェンは、中国国境にも近く、農耕をお
写真 1
フィヤン谷
104・人間文化
こなわない「ドクノ ~J と呼ばれる遊牧チベ ッ ト人の
インドヒマラヤの夏
居住地域に接している 。村近くのインダス河の河原
ベタのクラスは不浄であるという理出で出家を許さ
からは、熱湯が噴出しており、ヒマラヤ山中におけ
れなかった。 ところが 2
0
0
7年
、 1
6人のゾ、ベタが南
る調査としては例外的に風呂に入ることができる 。
インドにあるチベ ッ ト仏教の大寺院ガンデン僧院に
とはいえ、ちゃんとした設備 はないので、朝 コンク
赴き、 出家することを求めた。
リー 卜製の浴槽に熱湯を入れておいてもらい、午後、
元々ガンデン僧院で修行していたスピティ出身の
それが適度に冷めた頃を見計らって入りに行く 。大
僧たちは、これを地元に通報。地元では大騒ぎをし
体、村での調査では、せいぜい髪の毛を洗うぐらい
た挙句に、ゾ、ベタの家族にかなり多額の金を贈っ
しかできないものだが、やはり体を 伸ばしてお湯に
て、ガンデン 寺に行った者たちを呼び戻させた。
浸かるのは大変な快感である 。
このことを知ったダライラマ 1
4
1
監は、スピティの
現地の人は、日常的にお湯に浸かるということは
人々について厳しい批判をされた。スピテイの人々
なく、もっぱら湯治に利用するだけである 。 どうも
は、敬愛するダライラマの批判が応えたらしく、ゾ、
温泉に入ることは危険な行為であると考えているら
ベタの出家問題について何度も会議をおこな ってい
しく、風日に入りたいなら、その前にアムチと呼ば
たが、私の滞在中には結論を 出すまでにはいたらな
れるチベ ット医に相談しろともいわれた。
かった。
仏教という、本来はカース ト制度を否定すること
ラダ ックからは一旦ジャンム ー という所まで飛行
機で戻 り、そこからダライラマ亡命政権のあるダラ
によ って成 立 した宗教の内部の問題であるだけに、
ムサラを経由して、ヒマ ーチャル ・プラデーシュの
関係者は頭を悩ませているようだ。 ともあれ、我が
スピティのキ村に滞在、調査をおこな った(
写真 2)
。
H本における被差別部落の問題と考えあわせても、
0
0
0
年から継続的に調査をおこな っている
キ村は、 2
差別の意識というものは、中々変化しないものであ
場所で、知人も多い。
る。
早いもので、インドヒマラヤでの文化人類学的な
0年になる 。その聞の社会的変化の大
調査を始めて 2
きさはいうまでもないが、亡くな ってしま った知人
たちの数も 多い。
文化人類学の仕事は、調査する者と、その対象と
なる人々が同じ時間の流れの中で併走しているとい
う点に特徴がある 。私たちの仕事は、縁あ って (
チ
ベ ッ ト風にいうと、カルマの働きによって)つなが
りを持つことのできた人々にできるだけ寄り添い、
その行く末を見続けてゆくことにあるのだろう 。
キの村と僧院
ここでは、ヒマラヤのチベ ッ ト文化圏では例外的
にー妻多夫婚 (
兄弟が妻を共有する形で結婚する )
の風習をもたず、厳格な長子相続がおこなわれる 。
長男が結婚して全ての家産を継ぐ一方
、 二男は 1
0
0
パーセント出家する 。三男以下も出家するか、さも
なくば、マクパと呼ばれる 一種の婿養子となること
が多い。
スピティにはかくして多くの僧が存在するのだ
が、私が行った時には仏教に関する大問題が発生し
ていた。
スピテイには上から領主、平民、ゾ (
鍛冶)、ベ
タ (
楽師) という社会 的 クラスが存在し、特にゾ、
人間文化・ 1
05
海外研修報告
隊商都市・パルミラの家屋墓調査
石川慎治
人間文化学部地域文化学科
パルミラにおけるこれまでの活動
はじめに
パルミラは、シリア・アラブ共和国の首都ダマス
カスから北東に 230km、シリア砂漠の中央に位置す
実は、パルミラにおける発掘調査は今年度で 1
8
年目を迎える 。 1
9
90年より 20
00年までは、奈良県、
る都市である 。 ここは、紀元前 1世紀から紀元後 3
(
財)なら ・シルクロード博記念国際交流財団が主
世紀にシルクロードで最も繁栄した隊商都市であり、
催した「なら・パルミラ遺跡学術調査団 J(団長.
現在もその当時の遺跡が数多く残っている (写真 1。
)
樋口隆康)が、そして、 2001
年からは奈良県立橿原
そのため、パルミラ遺跡は 1
9
8
0年に世界遺産として
考肯学研究所を中心に結成された「奈良 ・パルミラ
登録され、シリアを代表する遺跡として知られる 。
かつてのパルミラの墓は、塔墓 (
紀元前 1世 紀
J (団長:樋口隆康、隊長:西藤清
遺跡発掘調査匠I
秀)が発掘調査および修復事業を実施している 。
、地下墓 (紀元 I世紀 -2世紀、
紀元 1世紀、写真 2)
ここで、これまでの主な成果について紹介したい
写真 3)
、家屋墓 (
紀元 2-3世紀、写真 4) という
と思う 。 ここで取り上げる 2つの墓は、パルミラ遺
3つの異なる形態が存在し、 │
時間的推移とともに変
跡の中心建造物であるベル神殿の南、約1.5km付近
化していくことが知られており、考古学的価値が高
にある東南墓地に位置する 。墓の形態は、地下に構
い。 また、基からは多くの彫像 (写真 5)が出土し
築物を作り埋葬を行っていた「地下墓Jと呼ばれる
ものである 。
ており、 美術史的研究も盛んである 。
現在、演崎一志教授と私は、パルミラ遺跡、の家屋
墓(l29b号墓)の発掘調査
1)
に参加し、家屋墓の
構築方法の究明や復元作業を行っている 。 ここでは、
現在取り組んでいる発掘調査について紹介する 。
写真 1
パルミラ遺跡 2)
写真 2 控
室
墓
106・人間文化
-ボル八・ボルパの墓
2
8年
この墓は、門に刻まれた碑文から、紀元 1
にボルパ(BWRP) とボルハ (BWLH) の兄
弟によって建造され、その後、 220・222年にー
写真 3
.
地下墓(ボル八・ボルパの墓) 3)
写真 4 家屋墓
隊商都市・パルミラの家屋墓調査
部の墓室が分譲さ れたことが判明 している 。
では、発掘調査に 4 年 (2 001 年 ~2004 年 ) 、修
「なら・パルミラ遺跡学術調査団」 は、発掘調
復事業に 1年 (
2
0
0
5年) をかけて、調査・保存
査に 5 年(l 994~ 1
998年)、修復事業に
0
0
6年には調査および遺
に取り組んだ。 また、 2
2年
0999~2000年)をかけて、この墓の調査 ・ 保
跡公開のデータを目的として、レーザ一計測 5)
存に取り組んだ (
写真 3、写真 5、写真 6)
。
により地下墓の詳細な 3D画像を作成した (
図
・タイボールの墓
この墓も、門の碑文から、紀元 1
1
3年にタイボ
1
)。
現在、どちらの墓とも、パルミラを代表する遺跡の
(
TYB
L)によって建造され、その後数度
ーっとして知られており、多くの観光客が訪れてい
ール
にわたって譲渡されたということが判明してい
る。
る墓である 。「奈良・パルミラ遺跡発掘調査団」
画~ht. , t:!I.
写真 5 彫像(i
↑
f
ル八 ・ボルパの墓) 3)
写真 E 地下墓修復
図 1 地下墓 3D画像(タイポールの墓) 4)
人間文化・ 107
隊商都市-パルミラの家屋墓調査
・
b号 墓 の 調 査
家屋墓・ 129
1
29b号墓(写真 7、写真 8)は、パルミラ遺跡
西側I
Jにあり、そこを上がると墓の入り口にたどりつ
く。この階段は、正面方向(西側)と側面方 向 (
南 ・
の中央にある北墓地に位置する 。墓の形態は、神殿
北 ~11J)からでは段数が異なっている 。 1 29 - b 号墓が小
風の墓に埋葬する「家屋墓jと呼ばれるものである 。
規模なため、正面から見た墓全体と階段のバランス
この墓は長らく倒壊した状況であったが、かつての
からこの ようになったと推測される 。
f
材が位置関係を維持しながら倒壊してい
柱や壁の音¥
パルミラにおける建造物は石灰岩が使われること
たため、往時の姿が復元可能と思われた 。そのため、
が多いが、この墓も同様である 。墓を構成する石材
「奈良 ・パルミラ遺跡発掘調査団 j では、 2006年か
一つの重量は 2t近いものもあるため、細心の注意
ら調査を行っており、現在 2年目を迎える 。
をはらいながら石材の取り上げ作業を行っている 。
現在進めている調査は、まず、崩れてしまった家
屋墓の部材の位置情報をレーザ一計測している (
写
また、現在のところ建設時の尺度については、柱帽
である 750皿が基準になるのではと考えている 。
真 9)。 また、部材ごとの詳細な計測を行い、その
現在は、 日本に持ち帰ったパルミラでの調査成果
部材が墓のどの部分のものであるかを一つずつ推定
29
・
b号墓の当初の姿を検討
をもとに CGを用いて、 1
している 。
しているところである(写真 1
0)
。
2
9
b号墓の復元同を
ここ 2年間の成果をもとに 1
作成すると、図 2のようになる o纂は 1辺がおよそ
さいごに
11mの正方形の平面をした構造物で、あり、立面は下
これまで、同調査団では遺跡、の発掘調査において
から基壇、柱礎、柱、柱頭(写真 1
1)、エンタブラチュ
シリア入学生のインタ ー ンを受け入れたり、修復事
ア(ア ーキトレーヴ ・フリーズ ・コーニス)、屋様、
業では多くの地元の職人に参加してもらうなど、
という構成であると考えている 。また、束、南、北の
文化財にかかわるシリア人の人材育成にも取り組ん
各面ともに 三つの窓がつくが、中央と両端では庇の
2)。 このような活動を含めた成果が
できた(写真 1
デザインが異なることが分かっている 。階段は墓の
シリア側に認められ、今回の 129-b号墓の調査は
、
g
,
一、?、
写真 9
レーザー計測
、
き弘
、
r
写真
108・人間文化
8 1
2
9
b
号墓 (
2
00
7
) 4)
も句
グ
ヲ
ゑ
‘
隊商都市 ・パルミラの家屋墓調査
2007年からシリア 側 と日本側 の共同調査として進め
5)レーザ一計測については、ライカジオシステムズ株
られることになった 。 このことから、今回の調査 に
式会社、株式会社アコードから機材 ・技術協力を受
対するシリア側の期待の大きさを伺うことができ
けている 。
る。
<
129-b号 墓 の 調 査 は ま だ ま だ 続 く が 、 い ず れ は 今
回の成果をもとに家屋墓が修復され、パルミラ遺跡
の保全に貢献できればと願っていると ころである 。
総合的研究 j、平成 17-20年度科学研究費補助金
基盤研究 (
A)
、研究代表者:西藤清秀
2)
A
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pvonZabern、2
0
0
5
『シルクロード学
2 隊商都市パルミラの東南墓地の調査と研究
研究 5
(
図版編 )
J
、シルクロード学研究センタ一、 1
9
9
8
4)奈良県立橿原考古学研究所
提供
『
パルミラにおける葬制とその社会的背
3-16
年度科学研究費補
景に関わる総合的研究j、平成 1
1)r
古代パルミラの葬制の変化と社会的背景に関わる
3)シルクロード学研究センター編
>
9
9
4
版
;
、 1
・西藤 i
古秀編
<註>
参考文献
『
隊商都市パルミラの研究 J
、同朋社出
・小 玉新次郎
∞
助金基盤研究 (
A)研究成果報告書、 2 5
r
・凶藤清秀、 i
賓崎一志、石 川慎治、ほか: パルミラ遺
跡北墓地 1
2
9
b号墓の調査」、第 1
4回西アジア発掘調査
報背会報告集 、2
0
0
7
,
・阿 藤i
f
'
秀、星英司パルミラ東南墓地所在の地下墓
4回西ア ジア発掘調査報告会
の 3次元画像作成」、第 1
0
0
7
報告集、 2
r3Dでよみがえる砂漠都市の地下墓」、Newton2007
i
l
o1
0月号、ニュートンプレス 、2
0
0
7
写真 1
1 柱頭 4)
写真 1
2 調査風景
H
1
J!
且
一
1 1
1
~l
=
II
""二三注
H
H
1 1
一
ー
1
1
1
1
1
r
/
一一主
5
r
n
i
図2 1
2
9
・
b号墓復元図(左西立面図、右:南立面図) 4)
人間文化・ 1
09
海外研修報告
リ}トフェルトの建築作品とオランダ建築
佐々木一泰
人間文化学部生活デザイン専攻
今回在外研修でオランダを訪問した。 目的はオラ
1964)
) は日本でもよく知られた、デ・ステイルの
ンダ近代を専門とする建築史家が企画・監修してい
理念を具現化 した代表的な建築家であり、家具デザ
る建築家作品集について、図版を担当しており、そ
イナ ーでもある 。世界遺産にもな ったSchroder邸
の建築物についての調査 ・実測および資料収集と、
(Ri
etvel
d Schrod巴rHous
e1
9
2
4
) (
Fi
g
.5)や Red
当時の住宅や家具の制作方法についての研究調査で
andbl
uec
h
a
i
rやzi
gzagcha
i
rとい った家具はみなさ
もある 。
んもどこかで見られたこともあるかと思う 。 だが、
7泊 9日のスケジュ ールであったが、同建築史家
住宅や公共建築などの建築作品を数多く残し、また
と現地の研究者のご協力により、多くの建築物を調
多くの建築作品は現存し使用されているにも関わら
査することができた。以下に調査した建築物につい
ず、日本ではリ ート フェルトの建築作品については
て簡単だがご紹介したい。
あまり知られていない。 また、オランダ本国でも近
年まで注目度は低く、その後、重要性が改めて評価l
デ・ステイルとリートフェルト
画家や思想家、建築家などによって構成された前
され、現在は 2
0世紀オランダで最も影響を与えた重
要なデザイナ ーのひとりという評価l
i
を得ている 。
衛芸術運動“デ ・ステイル"。幾何学に よる造形原
理を構成によ って直接表現するデザインは、そこで
発行されていた雑誌"デ・ステイル"などにより、
広く世界に影響を与える 。
リート フェル ト (
Gerri
tThoma
sRi
e
t
v
el
d(
1988-
巴d
巴 (
AcademyofA内) (
19
5
8
1
9
6
3
)
F
ig.
1-1 AKIEnsch
リートフェルトの公共建築
以下の 5点を見学調査した。
.AKIEns
chede (
AcademyofArt) 1
9581963,
Arnhem (Fi
g
.1-1,1-2)
r
i
tRi
巴t
vel
dAcademy (
19
5
6・1
9
6
7
)
Fi
g
.
2・ 1 G巴r
設立当初はデザイン学校としてはじまり、現在はファインアートのアカデ
3
学科を設置。手前の白い壁はタイ ルではなく施稲煉瓦。
ミー。全1
F
ig.
12 AKIEnschede内部
F
ig
.2-2 G.
R
iet
ve
l
dAcademy
オリジナルの建物に配慮して増築部は地下につくられている。
実習室内部。隅部に柱がない構造。
110・人間文化
リートフェ jレ卜の建築作品とオランタ建築
.F
i
n
eArtsAcademy,
いる素材も特殊なものが多く、穴あきブロ ックや中
G
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dAcademie1
9
5
6
1
9
6
7,
心の柱以外はすべて木構造の補強であり、非常に特
Amsterdam (
Fig2-1,2-2)
殊な建物である 。小さく見える回廊に設けられた窓
,
.E
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F
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g3-1,3-2)
,
状のスクリーンも木製で、ガラス同士は金属のジヨ
(
K
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M
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)
イナーで留めてあり、実験的な構造の木製家具の知
1
9
6
5O
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o(
org, sonsbeek,
Arnhem1
9
5
5)
識に長けるリートフェルトならではのディテールに
.FactoryDePloeg1
9
5
6
1
9
5
8,Berg
巴y
k(
Fig,4)
なっている 。 (
Fig, 3-1,3-2)
FactoryDe Ploeg (
Fig4-1,4-2) は元テキス
,
上記二点 (
Fig 1,Fig 2)は学校建築である 。
,
,
タイル工場だった建物であり、北側の採光を得るた
今回笑内していただいた現地研究者の方はリートフ
めに特殊な連続した屋根形状をもっ。 RCのフレーム
ェルトアカデミーの講師をされており、前述したこ
にコンクリートパネル、そしてガラスカーテンウォ
点の校舎のレストレ ーションも行った方である 。 そ
ールとい ったエレメントが、非常に大きなスケ ール
の中でもリートフェルトアカデミー (
F
i
g2-1,2-2)
をもっ工場というピルデイングタイプのファサード
i
n
e
a
r
t
sの学校で、あり、現在も学生が制作場とし
はF
に変化を与えている 。
,
て使用し続けるなか、休暇中などを利用して並行し
て内部の修復を続けている 。やはり制作環境と修復
リー卜フェルトの住宅建築
の両立はなかなか困難な仕事である 。
以下の 1
0点を見学調査した。
Exhibition p
a
v
i
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i
o
nf
o
r sculptureはもともと
Sonsbeekにあったパピリオンを移築したものであ
り、屋外彫刻を楽しむ空間になっている 。使われて
F
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3・
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1
9
5
5
年にアーネム近郊 S
o
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s
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kで開催された彫刻展のパピリオンの再建
(
1
9
6
5
)。
・Dw巴l
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gMees1
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3
4
1
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3
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.D
wellingSzekely1
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3
4,Santpoot
・D
wellingVanDantzig1
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1
9
5
6
1
9
5
8
)
元テキスタイル工場であることかう、北側採光を可能とする屋根の形状。
F
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3・2 E
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e内部
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4・ 2 F
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yDeP
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g
ブロ ックの横積みによる壁、手前の二本の鉄骨柱以外は木の柱による荷構。
反対側から見る。
人間文化 ・ 1
1
1
リートフェルトの建築作晶とオランダ建築
I
p巴ndam
.DwellingVandenDoe11957-1958,I
1
9
31)はユトレヒト中央美術館の見学コースに入って
F
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.5)
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dSchroderHouse1
9
2
4,Utrecht (
おり、事前予約によって見学することができる 。 ま
.Rowo
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o
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g
s1
9
3
1(
Fig.
6-1,6-2)
た 4件ほど現在生活している個人住宅を見学した 。
Erasmuslaan,Utrecht
同時期の建築家に比べ家具などの工夫により生活に
(Fourd
w
e
l
l
i
n
g
s1
9
3
0
1
9
3
5
)
対する考え方が強調されている 。例えば比較的オリ
.Garagec
o
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v
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r
s
i
o
n,
ジナルのインテリアの状態を保つ Van Dantzig邸
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g1
9
2
7
1
9
2
8(
F
i
g
.
7)
,
は、多彩なリートフェルトの家具が置かれ、一見幾
Utrecht
何学的形体で堅苦しい印象があるが、実際の印象は
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n,
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.DwellingMuus1
9
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5
9B
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n
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r
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n,
Utrecht
異なり、生活に対して非常に考えられている 。そう
いったことから、生活の中に自然にリートフェルト
のデザインが溶け込み、長く愛されている 。
また、 Schroder邸からはじまる住宅作品は、公
.Rowo
ff
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u
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i
n
g
s1
9
3
1
1
9
3
2
共建築と同じく、それぞれ構成や素材、工法などに、
RobertSchumannstraat
,
Utrecht
新しい試みがされている 。それは工法、構成、材料
であり、大きなスケールから小さなスケールまで、
集合住宅が 2件、個人住宅が 8件である 。
そのうちのS
c
h
r
o
d
e
r邸 (
F
i
g5 ) 、およぴ~rasmuslaan
リートフェルト自身の絶えずスタイルから更新して
い く姿勢を見ることができる 。
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g
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の集合住宅 (
F
i
g
.6-1,6-2) (Rowo
19
2
4
)
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.
5 R
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dS
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rHouse (
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g
.62 Rowo
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u
rd
w
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l
l
i
n
g
s内部階段
隣の煉瓦造の壁に貼りつくように建っている。 リートフェルトの事務所も
一時期との写真の左下、 1階にあった。
階高が上にいくにしたがって低くなるので、階段の構成が変則的である。
F
i
g.
6-1 Rowo
ff
o
u
rd
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i
n
g
s(
1
9
31
)
2練並ぶ集合住宅。S
c
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r
邸とは高速道路を挟んで固と鼻の先にある。
F
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g
.
7 Garagec
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ng(
1
9
2
7
1
9
2
8
)U
t
r
e
c
h
tにあるコンクリー
トパネルと鉄骨による住宅。建築家がレストレーシヨンを行い住んでいる。
パネル表面はステンシルによる模様。
112・人間文化
リー卜フ工ル卜の建築作品とオランタ建築
図版や資料の調査
Amsterdamには Nai(
N
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h巴r
la
nd
sA
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al
yが 設 置
I
n
s
t
u
d
e)という組織がありそこには Li
できた 。 また訪れたのが夏ということから緯度の高
いオランダでは夜 9時過ぎまで明るく、そのことか
らも多くの建築物の見学を可能にしている 。
さ れ 、 貴 重 な 資 料 が ア ー カイブとして整備されて
今後は、引き続き歴史家との打ち合わせを続けな
いる 。 もちろんリ ート フェルトの原図も保管され、
がら、建築が専門でない人々にも、リ ート フェルト
事前に申し出れば閲覧することができる 。 また写真
独自の空間の楽しみ方が伝わる図版を目指し、来年
資 料 も 同 様 に 閲 覧 可 能 で あ る 。 また van n
e
l
l
e
の出版に向け制作を続けている 。
f
a
c
t
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y(
1
9
3
1Leedentvand
e
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eで、はオランダ建築のオリジナ
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ル 模 型 が 保 管 さ れ て お り 、 Ri
OMAなどの現代建築家の模型も多数保管されてい
9年度在外研修・ 2
0
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平成 1
訪 問 都 市 :U
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Arnhem,Denhag,E
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る。
オランダその他
オランダの建築では、昔塀口捻己が感銘をうけた
ように、表現主義のもととなる茅葺住宅 (
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9)
や、煉瓦を用いた表現主義の住宅を見ることができ
研 修 先 :N
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た。茅葺は日本のものよりもべったりした感じで、
厚みもそれほどない 。煉瓦は彫刻などの石が少ない
オランダ建築では最もポピュラ ー な材料とされる 。
特に秘薬をかけた煉瓦の使用は多くみられ、タイル
とは異なった厚みのある表情を作り出している 。
またオランダならではの水辺にある建築も見るこ
とができた 。 オランダの運河や 川辺はあまり高い堤
防が無く、水への距離が非常に近く、水が生活に近
参考文献
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eworksGERRITT
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.RIETVELD
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9
9
2)
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職人であり続けたオランダ人デザイナ 一、リート
フェルトのイスと家」展図録(字都宮美術館 2
0
0
4)
・「デ・ステイル 1
9
1
7
.
1
9
3
2J展 覧 会 図 録 (
セゾン美
9
9
8)
術館 1
い存在である 。 U
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tで、は運河にあるボー ト上の
-作家たちのモダニズム(黒田智子著/学芸出版社)
住宅、 Amsterdamで、は港湾音 1
1
に浮かぶ住宅を見学
2GN
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することができた 。
鉄道は非常に快適だった 。 U
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tを拠点にして
いたが、オランダは九州ほどの大きさであり、
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yを使うとだいたいの主要都市までは 1時間
程度で移動することができ、効率的に都市問を移動
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く近郊の住宅(19
25
)
元煙車、瑚耳i 紅茶の梱包工場。オランダ機能主義の代表的建築、現在はオ
茅葺を用いた住宅。日本のものよりも圧縮された印象。
フィスなどに使用されており、 NAi
の模型用のライブラリーもここにある。
人間文化・ 113
海外研修報告
第2
1回国際血栓止血学会に出席して
高山博史
人間文化学部生活栄養学科
2
0
0
7年 7月 6日から 1
21
:
1
の 7日間にわたってスイ
スのジュネーブで開催された第 2
1回国際 l
l
f
l
栓止血学
寅題を発表してきた。関西空港
会に出席し、 2題の i
からはスイス航空の直行使はないためアリタリア航
空を利用してミラノまで行き、そこからジュネーブ
ポスターでの発表となった。 日本人はやはり英語で
o
r
a
lの発表をするのには大きなストレスを感じてし
まう 。私もその部類なのでポスターの発表ですます
こととした。 この学会は開催中に多くの講演、シン
ポジウムが行われる 。以前所属していた大学にいた
まで行くことにした。 5日の午後 l時ごろに関西空
ころから最も中心的専門分野としている領域であ
港を離陸したがミラノに到着したのは同 Hの午後 7
時ごろであった 。
学会は 6日の午後から開催される 。
る。 7日間で最近の当該分野における進歩を全部吸
収しておくには好都合で、ある 。 また、英語づけにな
そこで無理に乗り換え使で強行して深夜に到着する
るのも久しぶりであった。やはり英語力が大分落ち
のはエコノミー症候群の観点からもよくないと考え
てきていることを実感させられる 。 日本人である宿
まずはミラノで一泊し翌日電車ーでジ、ユネーブへ行く
命か、これが弱点でどれほど不利な思いをしてきた
ことにした。両駅間は電車で、行っても 3-4時間ほ
かを思い起こされた。発表は好評というわけでもな
どであるためそれほど遠くはない。翌日の午前 8時
いが不評というわけでもなかった。何とか論文にし
ころにミラノから電車に乗りジ‘ュネーブへと向かっ
た。 しかも学会の国際会議場は終点のジ、ユネーブ国
感じさせられた。ただ今回の発表は以前に所属して
て発表しなければと周りの発表をみて少しあせりを
際空港にある 。昼頃には到着するが気楽な列車の旅
いた大学に在籍していたころからの共同研究の発表
を楽しむことができた。 ジュネーブを訪れるのはお
である 。できれば今度は滋賀県立大学で弘行った研究
よそ 2
0年ぶりである 。 レマン湖に沿って走る景色は
の発表をしてみたいものであると思ったが、現在の
その時の思い出をよみがえらせてくれた。降りてお
研究環境を考えると悲観的にもなった。学会の会期
どろいたのは寒さであった。周りの人はみんなコー
2日まであるが日本での仕事を考えるといつまで
は1
トを着込んでいる 。 7月なのに日本の 3月仁句の感
もそうのんびりはしていられない。発表は 8、 9日
じだった。なんと学会期間中はずっと天気がよくな
で済んだので 1
1日にはジ、ユネ ーブを飛行機で発つこ
かった。軽装で行ったため学会場以外には出歩く気
とにしていた。 ジ、ユネーブの上空からはレマン湖と
がしないほどであった。 この学会は 7日開という比
ジュネ ーブの象徴でもあるあの噴水がよく見えた 。
較的長期間の開催で隔年ごとに催される 。 日本から
ミラノを経由して関西空港行きの使に乗り換える 。
の参加者が多いのには驚かされる 。私は異なる 2つ
行きはわりかし空いていたが帰りは満席であった 。
の研究機関との共同研究の発表を 2題エントリーし
時差に悩まされての 1週間あまりもようやく終わろ
r
a
lの発表を好まず
ていた 。 どちらも共同研究者がo
うとしていた。
114・人 間 文 化
人・閏・文・化・通・信
-人間文化セミナー
iINDIA TODAYJ ーインド伝統舞踊(バラタナティアム)ピ対談
き所象題談
と場対演対
平成 1
9
年 5月1
6日附
1
6
30~18
0
0
手で 2
8種、両手では 2
4
種のポ ーズがあ るという 。 ま
交流センターホール
学生、教職員、
出す動作は、神様にお花を捧げるポーズである 。片
般(参加無料)
I
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A TODAYJ
た両足首には鈴が付けてあって、シャンシャンとリ
ズミカルになる音は、お神楽の亙女さんが持つ鈴の
八イデラバー ド国際協会会員
アナンダ氏、ラマ力ン氏
彦根市国際協会会員島野喜道氏
音を思い出させる 。
対談相手のラマカン (
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i)
氏は、アナンダ氏の夫である 。氏は 1
9
6
4年ハイデラ
2歳。 1
9
9
5年オスマニア大学医学部
〈
ノ ード生まれ、 4
本セミナ ーは、近年急速な躍進を続ける「今 Hの
卒業後、まったく畑違いの写真家となり、現在は自
インド」をスライドと伝統舞踊(パラタナテイアム )
然、旅行、商品、ファッション、広告など、幅広い
によって紹介するもので、学内外から 1
2
0余名の聴
分野で活躍している 。アンドラプラデシュ州を紹介
した写真集.A
ndra P
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" と2006年 1月ダラ
講者があった。
伝統舞踊は、アナンダ・トゥムルゴーティー
rvana
イ ラ マ の カ ラ チ ャ ク ラ 記 念 写 真 集 "Ni
(
A
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i)氏。 1
9
7
1年ハイデラ バード
Marga は、ラマカン氏の作品として有名である 。
生まれ、 3
5歳。全国紙タイムズ ・オブ ・インデイア
ラマカン広告社、ラマカン人材社を経営
。
で数年間勤務後、新設の I
S
B(インド経営大学院大学)
また、 島野喜道氏は彦根 ワイズメンズクラブ会員。
広報担当、インド製薬広報担当を経て、現在はバイ
彦根市岡際協会設立の立役者でもあり、ハイデラバ
エルクロ ップサイ エンス社の社会広報担当マネー ジ
ード州との交流事業に長年取り組んでこられた。大
ャー。ハイデラバード・ワイズメンズ・クラブ会長。
正1
5年生まれ、 8
2歳。ばりばりの現役彦根人で、数
ハイデラバード国際協会 (HIFA) 文化担当理事。
年前ーからはハイデラバード周辺の仏教遺跡を中心に
アナンダ氏の名前は、私たち日本人にも馴染みが
9
6
5年以
ある釈尊の弟子"阿難陀"と同じである 。 1
来、彦根と 4
0年以上もお付き合いのある南インド、
巡拝するツアーにも取り組み、多くの彦根市民に国
際交流の機会を提供してきた。
当日は、大学の コンピュータとラマカン氏がイン
昔で言えば“南天竺"のハイデラバ ー ドから “
国
ドで作成されたデータの相性が悪く、余分な時間を
0
0年祭"のお祝いに来日 。その機
宝 ・彦根城築城 4
とったが、フロアーからはインドの政治 ・経済 ・社
会を利用させてもらって、講演を依頼した。
会、さらには宗教やカーストに関する質問があって、
6歳のときからパラタナテイアムを習い、 1
2歳の
なかなか盛況であった。 しかし、さすがにカ ースト
発表会では 2時間半も踊り続けたという 。今でも週
の問題になると、通り 一遍の説明では済まなくなる
に 1回数時間の練習を続けている 。 この踊りでは、
ので、質疑を中断せざるを得ない場面もあった。
仏像の手や足がその形でいろいろの意味を表すのと
同じように、踊り手は手と足の形でいろいろな意味
(文責 :地域文化学科教授
武邑尚彦)
を表す。例えば、両手を包み込むように揃えて前に
r
ITの作法ど伝統的ものづく リビジネス』
き所師
と場講
部講師、東京商工会議所 I
T分科会長、
平成 1
9年 1
2
月 7日
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nエディターなどに携わ
日本財団 Ca
A2-20l講義室
る。経済産業省 I
T経営最優秀賞。著書
ブログ道J(
NT
I
出版)
に「メール道JI
久米信行氏
(久米繊維工業株式会社
講師略歴
代表取締役社長)
慶応義塾大学経済学部卒業後日興誼券
1
9
3
5年創業の老舗国産 Tシャツメーカーの家業を
を経て、老舗国産Tシャツメ ーカーの三
継ぎ、 三代目となる久米信行氏を講師にお招きしま
代田代表となる。現在、明治大学商学
した 。彼は「人と地球にやさしい Tシャツづくりと
人間文化・ 115
人・間・文・化・通・信
文化振興」をモット ーに様々な社会活動とビ ジネス
親である先代が手がけたものの復刻でした。未だに
を
、 Tシャツ &ITという武器によ って熱いメッセー
この 3
0年前の Tシャツの売り上げ記録は日本では破
ジ活動として繰り広げています。メッセ ージの発信
られていないようです。そして、今回のセミナ ーの
方法には社会的モラルと作法が不可欠な時代になっ
本題は、 Tシャツというメッセ ージ性の強い製品に
てきていることを、彼が近年挑戦しているものづく
よるこれらの活動を、 I
Tという武器を使って展開
りのビジネスの現場から説明していただきました。
しているということでした。社内の職員全員が個人
彼が代表を務める企業は半世紀以上にわたり、国
ブログをたちあげて、さまざまなコミュ ニテイのな
産 Tシャツメーカーとしての誇りをもち、裁断、縫
かで参加を呼びかけたり、それらコミュニティとの
製、検品、仕上げ、そしてプリントまでを 一貫して
やりとりで、のかメ ールの作法によ って企業の作法に
国内自社生産する稀有な Tシャツメ ーカーです。そ
まで及ぶことなど。彼の著書「メ ール道」 にはそれ
して、最も重要な社会的な企業の責任として、最近
らの基本が書かれています。 日本の儀礼的なやりと
は環境というキーワ ー ドのなかで、自社の工場の稼
りの中に潜む美意識が現代の I
Tにも必要であるこ
働はすべてグリーン電力でまかな っています。また、
とがわかります。今回のセミナーでは、伝統的もの
オーガニ ックコットンによる製品づくりの啓蒙を、
づく り、社会活動、環境活動、ピジネス活動を Tシ
現在絶滅している圏内における 真綿生産の挑戦にす
Tとの付き合いのな
ャツというメディアを通して I
ることで展開しています。 これらプロジェクトには
かでしなやかに活動している久米繊維工業の取り組
アーテイストやデザイナーが多く参加して美意識の
みを解説いただきました。地域で活動している私た
高いメッセ ー ジを発信し、そしてさまざまな NPO
ちにとって、彼の活動を見て、企業の社会貢献、社
など活動団体とコラボレーションして、大きなうね
会的責任の重要性を知り、それらがし っかりとした
りをつくりだす社会活動となっています。
例えば、 高知県黒潮町の「砂浜美術館」のイベン
0周年を迎えます。一年に 5日間だけ自
トは今年で 2
ビジネスにつなが っていることに驚かされました 。
そして、これら真撃な活動が成功していることで、
地域活動への勇気をいただいた講義でした。
分たちの町の誇りとなる美しい砂浜が 1
0
0
0
枚の Tシ
ャツ作品によって美術館に変貌するイベントです。
ここで使用される Tシャツはすべてオ ーガニ ック コ
ッ トンによる彼の会社の製品によ って賄われていま
す。昨年からはじまった 「
小布施 Tシャツ畑」 プロ
ジェク トも同様です。 これら地域活動のみならず、
、 DV
都市部では自殺防止キャンペーン Tシャ ツ
(ドメスティック・バイオレンス)防止キャンペー
ンなどのメッセージ Tシャツや、日本テレビの 2
4時
間テレビのチャリテイ Tシャツなども手がけていま
す。昨年発売された日産スカイライン GTRの記念
復刻記念ケンメリ Tシャツなどは、 3
0年前に彼の父
・
人
間
文
化
116
(
文責
生活デザイン専攻教授印南比日志)
人・間・文・化・通・信
第 3回うみかぜシンポジウム
胎児期か 5
の発達研究と子育ち応援・子育て支援
人間文化学部生活文化学科人間関係専攻と iUSP
子
えた試みのーっとして 2004年度から実施してきまし
た。第 l回は、「現代社会における子育てを探る 一
育ち応援ラボうみかぜ」が2
0
0
4年度、 2
0
0
5年度と共催
心理学に何ができるかり (
2005年 2月26日)、第 2
してきた「うみかぜシンポジウム」の第 3回目を、本
回は、「食と保育一食を通じたコミュニケーション
年度は人間文化セミナーのーっとして実施しました。
2005年 1
1月27日) をテーマとし、そ
のなりたち J(
iUSP子育ち応援ラボうみかぜ」 は胎児期からの
れぞれ、親子のコミュニケ ー ション、食行動の発達
心の発達の基礎研究と子育て支援のための実践的研
と他者とのかかわりに焦点をあてて、関連研究にと
究を進めることを目的として、 2004年4月から人間
りくんでおられる研究者による講演と参加者をふく
関係専攻の教員が中心になって設営しているもので
めた討論をおこないました。第 3回目となる今回は、
す。 これまで、 4次元超音波画像診断装置 (4Dエ
2
0
0
7年1
2月 1日- 2日の 2日間にわた って以下のよ
コー ) をもちいた胎児の行動観察を実施し、胎児期
うな内容で実施しました。
にはじまる自己認識や胎外の社会的環境との相互作
用を明らかにする研究を進めてきました。 この間の
第 3回うみかぜシンポジウム開催の趣旨
重要な成果は、ヒトの胎児が妊娠中期の2
0週すぎか
人間は、社会的、文化的な存在です。他者とかか
ら、予期的指すい(胎児は手指が口に接触する直前
わりながら暮らし、他者とのかかわりのなかでさま
に口を開ける ) をおこなう事実を明らかにしたこと
ざまな物を生みだし、流儀を身につけ、それらを後
Myowa-Yamakosh
i&T
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.2006)。胎
です (
生に伝えていきます。人々は生まれ出でた社会・文
児期の運動が反射によったり、ランダムに自発した
化から生きる術を学び、そこに特有の心を発達させ
りするのではなく、自己受容感覚と結びついた複雑
ていきます。 さらに、人間は、生物学的、進化的な
な過程を含むものであること、つまり、赤ちゃんは、
存在です。現在地球上に生息する約200
種の霊長類
胎内にいるときから、自分自身の身体についてのイ
呼
(サル)の一種であり、チンパンジーやボノボと l
メージをすでに持ちはじめているかもしれないこと
ばれる種とは、 600-700万年を遡ることで互いに共
がこの研究によって示唆されました。
通の祖先にたどりつく関係にあります。乳を与えて
ところで、このような基礎研究にとりくむ目的は、
子を養育する崎乳類としての進化、樹上の 3次元空
心の発達や進化についての科学的理解を進めること
間や集団生活への適応で高い知性を有するようにな
にありますが、当然ながら、その成果を可能な限り
った霊長類としての進化、未熟に生まれる少ない子を
有意義に、地域相会で子が育ち、子を育てるプロセ
ゆっくり、丁寧に養育するホミノイド (
類人猿) とし
スに反映させることが期待されます。そもそもこの
ての進化を経て、人間への進化の道が拓けました。
ような研究は、実験や観察に参加し、ただく母子や家
身体の形態や機能と同様、心も進化の産物です。
族のご協力が得られなければなりたちません。地域
さまざまな動物の心のありょうを比較することで、
に板ざし、地域と共生する大学であるならば、単に、
人間の心の特性が明らかになり、その進化の道すじ
研究参加者を地域から募るというだけでは不充分で
をとらえることも可能になります。 さらに、そのよ
す。研究に参加する母子の生活の質を豊かにするよ
うな進化が、なぜ、いかに生みだされたのかを 「
個
うな 「
子育て支援 j のさまざまなとりくみを 実施
、
後援するなど、基礎研究の成果を地域における子育
体発達の比較j を手がかりに探るのが、比較発達心
理学、あるいは、比 t佼認知発達科学とよばれる研究
て支援に反映できるような活動をおこない、その成
分野です。今回のシンポジウムは、
果を検証し、さらに有効な研究所動を生みだす体制
を構築する必要があります。そこで i
uSP子育ち
応援ラボうみかぜ」では、 仁述の胎児研究やその他
の乳幼児を対象とした基礎研究を推進するとともに
その成果を研究参加者や一般の方々にもお伝えし、
実践的研究もおこないつつ、子育て支援情報交流の
場として機能することめざしています。
うみかぜシンポジウム
1)生物学的、
進化的な視点から人間性やその発達を捉えようとす
る研究の先端を紹介し、人間の心の特性とその成り
立ちの生物学的、進化的基盤を明らかにしながら、
それらの発達の鍵となる主│会、文化的要因について
議論すること、 2)基礎研究で得られた成果と、実
践の場に浮かび上がる発達への願いが、どのように
結びつくのかを子育ちと子育てに興味・関心をもっ
人々がい っ しょに考える場を設けることを目的とし
て企画しました 。
うみかぜシンポジウムは以上のような目的を踏ま
人間文化・ 117
人・閏・文・化・通・信
.
2
0
0
7
年1
2月 1日∞ (滋賀県立大学人間文化学
部棟・ 00
・
2
0
2
号室、 1
0
:0
0
1
6:
0
0
)
を探る ヒト幼児とチン パ ンジーの描画研究から」
パネルディスカ ッシ ョン:養育者をどう支えるか一
3
. 林 美 里 (京都大学霊長類研究所) 1
積木遊び
からみたチンパンジーとヒトの発達J
子育て支援実践の現場から
4
. 中川織江 (
元 H本女子大学) 1 ヰI~+. 遊び、 にみる
1I:l目午前のパネルデ イスカッションは、
まず、
滋賀県内で子育て支援実践に撚わ っている丸浮由 美
子さん
(
IUPS子育ち応援ラボ、うみかぜ」 インフ
ァンクラブ、滋賀県立大学大学院人間文化学研 究
立体造形の発達:ヒト幼児がつくる、チンパン ジ
ーもつくる 」
指定討論:渡部雅之 (
滋賀大学)、竹下秀子 (
滋賀
県J
J
.大学)
科)、高居涼佳さん (
おひさまサークル・ままりん
ぐ、安心なお産を願う会)、成松祐子 さん (
障がい
)、後藤真 吾 (障
児親子サークル「みんなあつまれ J
.
2
0
0
7
年1
2月 2日(
回(滋賀県立大学交流センター・
1階研修室、 1
0
:0
0
1
6
:3
0
)
害者の就労と余暇を考える会メロデ イ一
、 滋賀県立
シンポジウム1I :人間らしい心はどこに向かうべきなの
甲良養護学校)さんからの話題提供をうけ、子育ち、
か一社会性の進化的起源と発達に関わる諸要因を探る
子育ての現場で何が求められているかを語り合う場
1I
:
l
目 午前の部の丸浮由美子さんの報告 には、保
となりました。パネラ ーの方々の立場はさまざまで、
育閑保護者、子育てサ ー クル参加者とも、母親はわ
お話も妊娠 ・出 産期の支援、子育てサークルの活動、
が子への心配や不安として「友だちとの関わり 」 を
障害児・者の余暇活動・就労支援と多岐にわたりま
あげる人が多 いという調査結果が含まれていまし
した。 しかし、養育の当事者が養育の主体として何
た。他者といかに適切な関係をもてるのか、わたし
を望むのかを大切にそれぞれの活動を推進されてい
たちは、人生のさまざまな局面でその重大性に直面
ることが共通した方向性でした。 また、子育て支援
します。良好な社会関係を築くためにこそ、人間の
の 「
支援」 を通じて築かれる 「支えー 支えられる 」
高度な知性が進化したという考え方もあります。社
の人間関係は、決して一方向的なものではないこと、
会性や社会的知性とよばれるものの発達や進化を研
互いの支えあう仲間作りがこの活動の核にあること
究することで、人間らしい社会関係がいかに築かれ
が語り合われました。
てきたのか、人間らしい社会関係を築く能力はいか
に進化してきたのか、いかに発達していくのか、そ
シ ン ポ ジ ウ ム 子 ど も た ち の 何 を 伸 ば す か一芸術
の過程に、わたしたちはいかにかかわ っていくこと
性の進化的起源と発達に関わる諸要因を探る
ができるのかを考えることができます。
かけがえのない生命をいかに産み、育んでいくの
2日目は午前と午後を通して、以下の 5人の方か
かについて、養育者の願いはさまざまです。 しかし、
ら社会性の進化と発達に焦点をあてたご自身の研究
人間として暮らして美しいものを美 しいと感じ、さら
と関連研究をご紹介いただきました。それぞれに興
に
、 美 しいものの産出に加わりたいという気持ちを子
味深い知見と新たな視点の提示をいただきました。
どもたちに共有してほしいと、多くの人が願うのでは
指定討論者の示唆も得て 、総合討論は、発達と行
ないでしょうか。 1日日午後のシンポジウムでは、そ
動・認知の生得性との関連、出生前・出生後の経験
のような思いを、「芸術性」を求める 心はどこか らき
の意義や他者との相互作用の影響など、大きな問題
たのか、それをわたしたちはいかに共有しあえるのか
をはらむものに拡がり、大変刺激的 な内容のシンポ
という問いに託しました。乳幼児期の保育 ・教育の内
ジウムとなりました。
容としても関心の深い、音楽遊び、お絵描き 、積木遊
1.上野有理 (
東京大学) 1
ヒ トの食行動とその社
び、粘土遊びにかかわる比較発達研究の成果から、以
下の 4人の方に研究発表をいただきました。そのなか
で紹介された進化の隣人・チンパンジ ーの示す能力
会性:進化史的視点か らJ
2.遠藤利彦 (
京都大学) 1
現代進化発達心理学か
ら見るアタッチメン トJ
中に「表現」をすくいとろうとするときに見えてくる
3.実藤和佳子(九州大学) 1
乳児が示す他者理解の
発達とその基盤:コミュニケーショ ンをとおして」
ものとの問には確かな連続性のあることが示されまし
4
. 明和政子(滋賀県立大学) 1
2ヶ月革命の進化史
と、わたしたちが幼い子どもたちと日キ接して、その
た。 しかし、子どもたちがさらに人間らしい「表現」
的基盤」
割がありそうだとの認識も、指定討論・総合討論を通
5
. 開 一夫(東京大学) 1
コミュニケーションの
始まり・発達認知神経科学的挑戦」
じて浮かび上がりました。
指定討論:板倉昭二 (京都大学)、渡辺はま(東京
に向けて飛躍するとき、そこに他者の存在や文化の役
1.杉本
啓(九州大学) 1
乳児における音楽の評
価:初期発達研究と 比較認知発達の視点から J
2
. 薪藤亜矢(東京芸術大学) 1
絵を描くこころの起源
1
1
8・人間文化
大学)
(文責:人間文化学 部 竹 下 秀 子)
人・間・文・化・通・信
-楽鹿報告
近江楽座について
地域文化学科潰崎一志
滋賀県立大学の"スチューデントファーム「近江
動する Bプロジェクトの募集を開始した。
楽座」ーまち ・むら・くらしふれあい工舎"は、平
Aプロジェク卜は平成 1
8年度までと同様に「地域
6年度に文部科学省の現代的教育ニーズ取組支援
成1
活性化への貢献」 をテーマとする学生主体の地域活
プログラムに採択され、「地域活性化への貢献」を
動を募集し、本年度も様々なテーマで応募があり、
テーマに県内各地をフィールドとして教育・研究・
1
8チームが採択された 。各チームを構成する教員や
地域貢献をおこなってきました。
学生は学部横断的に広がりをもつものが多いが、申
「近江楽座」は、地域を対象とする演習、フィ ー
請代表者が人間文化学部に所属するチームとしては
ルドワーク、研究室活動、学生活動等の中から、地
「いかして民家?J
、「エ コキャンパスプロ ジェクト
域活性化へ貢献する教育研究活動を選定のうえ、支
木楽部会」、 i
Ou
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iF
o
o
dP
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j
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c
t
J
、「限界集落の村
援、助成するものであり、各々の活動テーマは、伝
おこし」、「再興湖東焼プロモーション事業」、「障害
統的町なみの保全・再生、中心市街地活性化、地場
児・者、自立支援・共生社会プロジ、エクト 」、「発信
産業の育成、地域医療の拡充、古民家再生、農村コ
n朽木の森」、「八日市屋台プロジェクト」、
基地 l
ミュニティ活性化、都市と農村の交流などハード、
i
L
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s
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g
n1
1
thFASHIONSHOWJの 9チー
ソフトの多岐にわたる 。 これらの課題に対して学生
ムがあり、全体の半数を占める 。
が主体的に地域に入札多くの人々との関わりの中
Bプロジェクトは自治体や企業等から提示された
で活動に取り組むことによって、企画力、プロデユ
課題について、「近江楽座」として取り組むテーマ
ースカ、コミュニケーションカや交渉力などさまざ
を設定し、学生主体のプロジェクトチームを募集し
まな能力の向上が図られてきた。
た。学生チ ームにはテーマに対する企画提案を求め
本学の現代 GPに対する文部科学省の補助金は平
(
プ ロポーザル方式)、採択されたチームは、指導教
成1
8年度で終了したが、この間に培ってきたノウハ
員
、
ウや地域とのつながりなどをさらに継承、発展させ
金を活用しながらプロジェクトを推進するものであ
・地域づくり調査研究センターとともに外部資
ていくために、平成 1
9年度からは、大学独自の予算
る。本年度は滋賀県から「湖北地域における都市と
を用いて、これまでの「近江楽座」の取り組みを継
地方の交流居住・移住促進事業」の委託を受け、
続するとともに、地域活動の実績をもとに、よりい
「情報発信ツ ールの企画・制作」 と 「
地域と連携し
っそうパワ ーア ップ した地域活動が展開できるよう
たモニターツアーの企画・実施」のテーマで募集し
に支援内容及び体制の拡充を図ってきた。
た。 「情報発信ツ ールの企画・制作」 は近江楽座学
今年度より、「地域活性化への貢献」をテーマと
生委員会が、「地域と連携したモニターツアーの企
する学生主体の地域活動を行う Aプロジ、ェクトに加
画・ 実施」に は 「古民人」と後出する 「木之本楽座」
え、新たに、自治体や企業等から提示された課題に
が採択された。
ついて、学生主体のプロジ、ェクトチームを結成し活
人間文化・ 119
人・間・文・化・通・信
近江楽座プロジェクト i
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J
生活デザイン専攻 森 下 あ お い
ファッションショーと地域への発信
「伝えたい何か」か
sr
伝えたいとと Jへ
ファッションショ ーは、衣服、身体表現、 青楽、
生活 デザイン専攻では、住居・道具・ 服飾の 3分
空間などがテーマによって様々に演出され、送り手
野の領域を絞らずに課題を学んでいく 。その中では
と受け手がともに非日常の世界や新しい発見を享受
デザインのための方法論や発想の手掛かりなど、実
できる魅力がある。
に多様な対象と向きあう。こうした日々の制作の取
本学でも関学以来、秋の学園祭(湖風祭)で生活
り組みを活かし、 2年目の今年はデザインの発想か
デザイン専攻 3回生によるファッションショーが行
らイメ ージが具体化されていく過程を全て展示とし
われてきたが、昨年度、このショーの取り組みが近
て公開する企画がたてられた。
江楽座のプロジ‘ェクトとして採択されたことによっ
具体的には滋貨の繊維産地の織物を用いて 「
素材
て、これまでとは異なるファッションショーの新た
をデザインする中で伝えたいこと」を、各自が服の
な目標や位置づけが生み出された。
イメージ、コンセプト、スケッチとして、 9月から
近江楽座への参加は、「ファッションショーで伝
1
1月のショ ーまでの問、交流センタ 一、サテライト
えるものは何か」という問題意識の高まりによるも
プラザ、商業施設などで }
I
買次展示した。通常は作り
のであった。ひとつの衣服の存在や、デザインする
手の 内にあるデザインのプロセスが観賞者に共有さ
という行為が、ファ ッシ ョンショーによって強いメ
れたことで、結果的に多くの来場者から衣服や素材
ッセージとなり得るという考えから、「何か伝える
に対する様々な意見が寄せられ、これまで大半の学
こと 」の重要性をそ こに置こうとしたのであ る。
生にとって、作り手である自らにのみ向き合う こと
そこで昨年は滋賀県で、織られる素材の特性を活か
して衣服を制作し、学問祭のショーだけではなく、
で進んできたファッションショーの活動が、地域や
社会へ投げかけるものへと大きく変化した。
学外の商業施設、特に普段、ファッションショーが
行われることのない、ゑびす講の際の商庖街でファ
「伝えたい何か」を意識し始められた活動は、 2
年目に「伝えたい こと 」を 明確に 意識した活動とな
ッションショ ーを開催し、滋賀 県の素材の特色を伝
った。 ショーは毎年、学生たちが主体的に取り組む
I
良をおいて、地域への働きかけを行っ
えることに主I
活動であり、日キの反省や様々な試行錯誤がある 。
た。学生たちは素材と向き合いながら素材を新しい
しかし 2年間という継続した近江楽座の中で、先輩
イメ ージへ変化させるデザインを試み、最終的には
から後輩へと繋がりながら作り出された「かたち」
衣服作品をパンフレットにまとめ、企業をはじめ、
以外の成果が実に多いと感じている 。
,
広く地域への発信として配布することができた。
~
'-------Jt
展示風景(ビパシティ。南彦根にて)
・
人
間
文
化
1
2
0
ファッシ ョンシ ョー (ピパシティ 南彦根にて)
人・閏・文・化・通・信
Bプロジェクト(木え木楽座)
地域文化学科 本 田
湖北地方では、現在、少子高齢化・過疎化による
地域衰退が深刻な問題となっており、後継者の不在
といった住まい手不足による空き家の増加や空き家
の解体といった事態が発生している 。木之本楽座の
活動の拠点となっている 北国街道木之本宿でも、こ
れらの問題が地域の抱える課題となっている 。
瑞恵
も近年少しずつ変化してきている 。 そこで今回、
1
9
9
2年に行われた調査をもとに町並み調査を行い、
1
5年間で木之本宿の町並みの保存状況がどのように
。
推移したのか把握した (
写真 1)
・空き家の精査
町並み調査と同じ範囲で空き家の分布調査も実施
そこで、この現状を改善するために、木之本楽座
した。その中の l棟である寺村邸において、実測調
ではこれらの空き家を利用して、田舎暮らしに関心
査、耐震調査を行い、今後の活用を考える際の基礎
のある都市住民に対しての交流居住 ・移住を推進す
資料を作成した (
図1)。
ることで、地域の活性化を 図ることを目的として活
動を始めた。
或での暮 5し体験Jの実施
・「滋賀・湖北地i
都市住民を対象とした田舎暮らし体験プログラム
本年度の活動と成果
1
5名が参加し、実際の町家暮らしの見学や、寺村邸
-町並み調査
木之本宿は古くから 北国街道の宿場町であると共
)
において柱や梁磨きなどの体験をした (
写真 2。
争真寺の門前町として栄え、今日でも当時の面
に
、 i
いての意見を交換してもらうなどして、双方の交流
影 を残す町並みが続いている 。 しかし、その町並み
を深めた (
写真 3。
)
を実施した。45名の応募者のうち、抽選で選ばれた
また、地元住民との交流会も行い、回舎暮らしにつ
止
包 ,
5m
写真 1
町並み調査の様子
写真 2 柱 ・梁みがき
図 1 寺村邸土間断面図
写真 3 意見交換会
人
間
文
化・121
人・間・文・化・通・信
.
2
0
0
7
年度率業論文・修士論文・博士論文一覧
を通して
地域文化学科
河北早穂子
磯村 有 里
1,民家を活用した福祉施設に l
期す
杉原 宏 太
近江八幡市八幡掘の歴史的景観の
る研究
龍門石窟
変遷
一古陽洞の開豊富年代を通してー
寺輪明奈
漢字の起源、について
野 木 直人
米原市内の文化財について
藤富由香里
る研究
近江八幡市円山 ・白王を事例と
国 ・県 ・市指定の建造物・史跡・
名勝 ・天然記念物の活用状況一
三輪
純子
本田 瑞 恵
琵琶湖の水没村伝承遺跡
藍
水没村伝承の湖底追跡
北国街道木之本宿を事例として
水谷友美
西浜千軒遺跡について一
内田裕太
ヤマトタケルの女装に関する 一考察
石井玄太
大和の中世環濠集落
楼田小百合
弥生時代における竪穴建物の展開
中俣恵美
伊吹町を事例として
村上慶太
高島市新旭町針江を事例としてー
秋山紗由梨
京都府長岡京市における街生産と
池尻知也
平成の大合併がもたらした日本地
その変容
右の傾 向一
林
永史
湖山裕美子
図への変化
滋賀県出土の古墳時代馬具の研究
伊藤崇史
現代中国女性と人口政策
一「一人っ子政策」 からジ、エンダ
沙織
川合奈津美
滋賀県下におけるだんごの類型と
久保田裕子
長浜市商庖街における黒壁スクエ
谷川真知子
地方都市におけるパス交通の必要性
アの存在効果
松本晴菜
湖東における家印の機能に関す
杉山裕美
中国の若者の人生観について
る研究
一 彦根市の路線パスを事例に
中本洋平
江戸の 化粧 一江戸の女性の 化粧
萩原布由美
トレンドとその背景
三重県度会郡南伊勢町を事例に
観の誕生に関する 一考 察
吉川雄季
西陣織産地の現状と今後
安達由香里
地域社会にお ける図書館の役割
一 甲賀市を例 に
江戸の庶民文化
晴好品 としての薩摩芋の定着
佐野絵梨香
鎌倉初期の公武関係
勝本真由
現代中国社会における自殺について
岳
音楽の形式 とそれ を支える人々と
塩道
の関係につい て
大姫入内問題を中心 に一
高野直子
小規模みかん産地 における多様な
出荷組織の共存
江戸庶民と妖怪
近世中後期における新たな妖怪
本藤春香
信楽陶磁器産地 における人材養成
シス テムの実状
留学生の職業観を中心 に
西川史問
滋賀県旧愛知郡愛東町における地
域振興の実態分析
変遷
高瀬奈津美
長浜市中心商業地 における変容と
展望
ーを見るー
辻
滋賀県湖西地域における高床の倉
に関する一考察
火焔型土器の鶏頭冠把手の研究
一新潟県における鶏頭冠把手の左
空き民家の保存と地域活性化に関
する考察
成立要因に関する 一考察
一 変遷の画期と地域性一
して
空き家を利用した地域活性化に関
する考察
一長浜市下坂浜千軒遺跡についてー
吉田
文化的景観の景観阻害要因 に関す
名を能める
「音頭」の歌詞の変遷から考え
一中世寺院における 呪誼一
るー
モ ンゴル家族研究 序 説
竹内真奈美
寺院で酒をつくること 一 天野酒
東郷美香
を中,心に
松田夕佳
前野由布子
江戸の湯屋と風呂屋 一 江戸の大
一奈良県大和郡 山市の金魚養殖産
衆浴場一
業を事例に
官納直人
1
2
2・人間文化
中世の被差別民
一犬神人の考察
倉
大介
地場産業とその変容
京都における被差別部落について
人・間・文・化・通・信
の考察
の 'すきま"に空 間を つ く る
京都府木津川市におけ る 考 祭
池上加奈子
池田梨恵
わらべ歌「中の中の小仏 j に関す
大阪市北区中崎の事例にみる リノ
ベー シ ョンの新たな可能性に関す
る一考察
る研究
久保好史
日本人の信仰とお地蔵さん
橋詰工ミ
浜縮緬
油井宏和
ゾンピ映画論
井上知美
祈りとあかりの関係に着目したプ
ロダクトデザイン
井上萌子
CASA
傘を用いたサステナ
ブルデザイン
~< ナイト・オブ ・ ザ・リビン グ
デッド>に関する考察
・・描く" こと
岡田あゆ未
イオン性高分子による前処理が非
大西瑛子
岡崎至邦
想うこと。
小川由紀
各種織物に対する強アルカリ性電
イオン性色素の染着に及ぼす効果
~B
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eのキャンプ経
験で感じたこと
小倉佑介
水戸 宏 昭
ス トーリーのない絵本 ← 子 供 た
しいゆかたの提案
ちにとっての絵本の新しい魅力の
こと
発見一
子どもとの関わり方
外国人に対するステレオタイプ・
木津奈緒美
吉子
平愛
居口
高川
産地の合同 PRに つ い て
地域とスポーツ
洪
正光
一 農の視点から一
近藤倫子
j
事香織
商庖街の コミュニケー ションツ ー
ル
銭湯から見る 地方都市の変容
路線パス廃止におけるモピリテ イ
茂森まり恵
存続活動
杉本真美
秀納
メディアを通じた「昭和 3
0年代」
雑誌の住宅広告なら
題
「高齢者向け優 良賃貸住宅」 に関
竹山実希
果菜デザイン
する調査研究
拝田優子
観の変容
オタクのセクシュアリティとアイ
田中杏奈
小学校中学年女児に向けた子供服
ブランドの提案
田辺知子
デンティティ
林真理子
多角的な視点か
らみる果物、野菜
水木しげる「妖怪」とそれを消
費する側の 言説から見る「妖怪」
居 間空間における照明の現状と課
竹内文香
びに特集記事を手がかりとして
現代における「妖怪」観の再編成
大学研究室の整理整頓の
可能性
角田恵子
1960 年代 ~ 1970 年代の理想の家
庭イメ ー ジ
沓水哲也
橋本商庖街の活性化を目指
して
周辺の自然環境と調和する住宅
イメ ージの消費
加藤滋之
家庭料理の盛りつけにおける 「デ
ザイン 」
私と詩
彦根旧市内を 事例として
稲葉万裕子
日本と台湾市場におけるデザイナ
ーズトイについての考察
伝えて
一人ぼつちから 地域の一 員 へ
伊藤美登利
「滋賀県の繊維産地の現状 と可能
性の考察 J ~長浜 ・湖 東 ・ 高島
偏見の見方を変える方法
いくもの
井手綾子
北村友紀
現代日本において教育するという
受け継がれてきたもの
竹田会利果
加賀友禅の伝統技術を活かした新
現代社会における青年期知的障害
者の社会的位置付け
河合里真
解水の洗浄効果
金丸絵美
近江麻布の発展と魅力
フォー
マルウエアへの展開
ニューカマー の子どもの教育とそ
中村耕太
の支援
あいまいな イメー ジから想像させ
る海外
彦根市立 A中学校における日系
ペル 一人生徒の支援状況を 事例と
中舎
萌
S
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g3 ねむるかたち
夏目典子
へナに よる毛髪 染 色 一 色 調 増 加
朋美
大きなバス トと 衣服のプロポ ー シ
文
服飾デザインにおける幾何学的な
の試みー
して
西
ョンについての考察
生 活 文 化 学 科一 生活デサ“
イン専攻
藤井
美 しさ
安達綾子
仮設建築の可能性
まちなか
指田慎次
規則性の美
木彫アクセサリ一作家という生き
人
間
文
化・123
人・閏・文・化・通・信
~3 人の作家達の活動から~
方
湊谷有希
の多様性
脇坂千夏
渡遺
紋
寺方美希
ファッションにおける「かわいい」
歩
グル
コース制限がラットにおよぼす影
親和性を生み出すツ
響
児童の食習慣・生活習慣と精神的
ール
ヒトのココロとカラダに着目した
中村知代子
文房具
西祐佳里
野草で染色した絹布の抗菌力
西由美香
J
f
J
レj
、
板中脂質が血小板凝集能に及
西村
彩
大学生のメンタルヘルスに関与す
原理沙子
学校給食の食品消費構造の特徴
新しい贈り物のかたち
『カタロ
健康状態との関連について
グギフト 』
長岡
グル コース摂取の必須性
ぼす影響
小学校用児童机と椅子の新しいデ
る要因の解析
ザインの提案
一新潟県 ・青森県を中心に一
生活文化学科← 食生活専攻
福永あゆ
児童における歯に関する健康教育
効果の解析
大石真理子
学校給食の食料消費構造の特徴
前川裕香
一兵庫県を中心に見た場合
東
理恵
生活習慣病の 際忠状況と食事摂
4
大学陸上部員に対する栄養教育の
介入とその効果
有嶋
茜
~
取状況の関係について
三木啓子
生茶葉の利用に関する一 考察
三好麻由美
タカサブロウ (
E
c
l
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ap
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r
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a)
活性成分
大坪真子
理恵
ンの影響 (1)
守谷
彩
ナイアシン栄養におけるトリプト
ヘスペレチン誘導体がヒト体表温
ファンに関する研究
と自律神経系に及ぼす影響
のト リプトファンー ニコチンアミ
高脂肪食がパントテン酸必要量 に
およぽす影響
桂
ポ リフェノ ール類の酸化能および
抗酸化能に対する pH、金属イオ
メタノール制l
出物に含まれる消臭
梅村由貴
パントテン酸前駆体のパントテン
酸活性に関する研究
一苦味についてー
有山
滋賀の健康 ・栄養マップ調査解析
ド転換経路一
八田野美玉
糖尿病患者と非糠尿病対象者に対
運動がビタミン B l必要量におよ
久保鮎美
野菜摂取量が血小板機能充進・血
子
景
の写真 機 能 を 利 用 し て
矢
する栄養指導の効果
田
幌力に関与する因子の分
幼児の岨 l
析
川合朱生
ヒト体内
携帯電話
ポリフェノール類の酸化能および
抗酸化能に対する pH、金属イオ
ぼす影響
ンの影響 (2)
中脂質異常に及ぼす影響
薮下
樹神結花
ヘスペレチン誘導体がヒト体表温
山下知奈津
高校生と女子大学生における喫茶
島田幸恵
糖尿病忠者における身体計 i
j
!
l
j
数値
山中佑紀奈
母乳のにおいと食事
恵
と自律神経系に及ぼす影響
習俗の地域別比較
と血液検査結果の解析
末宗麻由子
母親の食事と乳房 トラブルの関係
地域高齢者に対する健康教育の効
生活文化学科一 人間関係専攻
果及び方法論の検討
POSからみた 2型 D M通院忠者の
栄養教育の在り方について
~ JfiI
友寄祥子
糖コントロールの良否からみた後
田畑晴子
赤尾賢二
会話における話者自身の笑い
滋賀の健康・栄養マップの解析
赤野雄也
多人数会話における話題開始時の
健常女子学生における食事の違い
スポット尿を用いた栄養評仙のた
めに
124・人間文化
屋号研究から見
ろ向き調査から
発話行動
有馬静香
青年期における親子関係と孤独感
植松かおり
乳幼児をもっ母親が抱く役割観に
による食後 J
f
l
[
糖値の変動
千葉知代
消えゆく沖縄
えてくるもの
親子問での食習慣の比較
田村真梨子
乳児の反
応との関連
鈴木晴子
谷口タ希
乳酸菌に対する野草 の抗菌力
の関連について
ついての研究 ー なりたい母親と、
人・閏・文・化・通・信
なれる母親をめぐる語り
とストレス反応、ソ ー シャルサポ
大岡奈央子
ろう教育における手話の歴史と現状
ート の関連
岡本拓也
仮想世界と現実世界の関係と環境
加藤いすみ
現代社会における身体コントロ ー
ーションにみる共同注視の発達
l
レ
一事例観察を中心 に一
川北幸加
乳児 は自分の心を 他者の心 に映し
北津有希恵
腐女子の作り出した世界
山崎里住
山田みのり
乳児期における母子問コミュニケ
音楽を通してみる若者の社会観の
変化について
出す ことができるか
ー フォークソング
からニュ ー ミュ ー ジックへー
現代
社会を生き抜く方法
木 原 正人
喫煙と会話
会話における喫煙
地域文化学専攻ー 修
士
論
文
の作用
葉原
麻有
沖縄の米軍基地問題
沖縄国際
瀬戸涼子
大学へ リ墜 落 事 件 に 関 し て
小泉知里
近藤正樹
ポス トペンション
「自死」 で
遺された人々が生きるために一
一 緑春県大興鎮、緑春県平饗村、
情報源の違いが就職情報の信慾性
及び昆明市中心街の食生活を切り
活動の経験者の語りから
英子
貴恵
一一就職
方原
友金
に与える影響について
坂江真由美
人間とはいかに生きるべきか
対独戦争(19
4
1-1
9
4
5) と女性
郷土玩具の伝承と今日的課題
兵士一
幼児における物語受容
石田雄士
織回・翠臣・徳川期の金箔瓦に関
中島順子
近江の被差別部落における太鼓製
的展開
する研究
オリジ
ナル絵本を通して
鈴木裕美子
弥生時代堀立柱建物の導入と地域
体育系クラブのキャプテンが語る
理想の リー ダー像について
鈴木 美 保
要
大木
乙川土 人 形 を 通 し て
下 谷 美樹
作技術とその背景
女性のダイエッ 卜における食行動
変化
孟根其冥格
高田真奈実
鉛筆の持ち方と書字行動
高梨 有来
“自分らしさ"の演出
武田
淳
「住民主体の自然保護運動 j が土
地問題を引き起こす
パプア ニ ューギニア ・アンデツ
して
寺谷奈緒美
少女雑誌 とふろくの変遷
西本
シングルマ ザー の女性たち
葉虞隆彦
仏教が内モ ンゴル地域に与えた影響
-2
0
世紀前半貝子廟を実例に一
一雑誌
「オリ ーブ」の社会学的分析を通
愛
口として
中世における延暦寺の門跡寺院
ロシアにおける戦時下の女性
三浦綾子からの考察
榊原礼子
中国雲南省における都市・農村地
域の社会変容
プ社会の事例から
人聞が攻撃行動を抑制する要閃に
関する 研 究
学生へのインタビ
生活文化学専攻ー 修
士
論
文
ューよ り
漬岡愛子
藤田子瑛
遊び場面における幼児の協力行動
-生活デザイン研究部門
とその発達
原口朋子
ファンタジ一作品の世界
規子・ 上橋菜穂子 ・たつみや章を
藤原ちする
通 して
マイン ド・コ ントロ ールと修身教
間藤邦裕
乳児の社会的やりとりに母親が及
一彦根城を中
信楽焼産地における和食器部門の
生産 ・流通関係の変容
鳥蘭托姫
ショ ールーム への 3D映像システ
ムの導入の有効性について
科書か らみる「心のノ ート 」
松本慧子
彦棋における景観
心とした視点場の設定一
荻原
金
t
艮京
日本と韓国の伝統的な台所空間の特
ぼす影響 について
徴と変化の比較 研 究 一 日 本 古 民 家
武藤由里子
多人数会話 における話題への参入
再生における台所改造の考察一
村瀬
母親が育児 を継続できた背景につ
恵
いて
山岡真由加
母親の語りから
嶋田奈穂子
野洲川流域における神社立地に関
する研究
青年期 におけるストレッサ ー認知
人間文化・ 125
人・間・文・化・通・信
-健康栄養部門
青山妙子
重症心身障害児・者の栄養アセス
メント、栄養管理
-人間関係部門
隊
芳
中国社会保障の現状と問題点
一 医療と年金の分析を通してー
骨密度とエ
ネルギ一代謝に及ぼす身体的障害
今井 絵理
の影響
糖尿病患者における抗酸化ビタミ
地域文化学専攻一 位論文
ンの検討
馬野美智子
幼児期の栄養教育に関する構造的
研究
の考古学的研究
問題食行動からみた幼児
の健康に関する要因の検討
遠康美佳
母乳中ビタミン濃度に影響を与え
藤田美央
紫外線が葉酸含量におよぽす影響
る栄養因子の検索
森
奈良盆地の前方後円墳と初期王権
豊 岡 卓之
加部
上毛野地域における古墳文化の特
性
二生
d
生と死の仏教民俗
井阪康二
ココア摂取がヒト体表温に及ぼす
由佳
影響
吉田真由子
食品摂取がヒト体表温と自律神経
系に及ぼす影響
ハスの葉茶・
にがり
.INFORMATION
.2007年度大学院生の研究活動 ・ ・ ・
..
.
H
地域文化学専攻
H
-溝口純一
論文
-溝口純一 「在 地寺社の祈祷と地域社会の形成 」
-古聞大樹
論文
(
栗東歴 史民 俗 博 物 館 特 別 展 『 修 法 の 美 術
・古関大樹 「
特論
近世初期の福堂村と湿地利用 」
『
能登川地区古文書調査報告 8福堂町共有文書目録 j
学会報告
東近江市教育委員会、 2
0
07
年3月、 p2
0-24
・報告題名「中世近江の漁業
・古関大樹「特論
から
r
福堂村・ 新田村境界絵図の史料
紹介 J 能登川地 区古文書調査報告 9栗見新凹町共有
∞
別尊
0
07
年
、 p
83-85)
法と 別尊受茶羅-j 2
在地神社との関わり
」
-2
0
07
年 5月2
6日 大谷大学日本史の会 5月例会
文書 目録j東近江市教育委員会、 2 7
年3
月
、 p49-53
・与謝町役場『加悦町史
資料編
第一巻』、2
0
0
7
年 3月
-友方貴英
論文
1
1福 堂 村 古 文 書 万 歳 鏡 j について 」
「第三章歴史地理Jp424-473
-友 方 貴 英
「 付 図 歴 史地理」図 3-32
(
W能登川地区古文書調査報告書 8 福堂町共有文書
・東近江市 『
能登川の歴史
別冊資料集
明治の古
地図』
、2
0
08
年 2月
、東近江市教育委員会
目録 j
年 3月
、 p
25-28)
市史編纂室編、2
0
07
「総論明治の古地図 ー その種類と 性格一 Jp
1
2-1
6
.辻川哲聞
「コラム l 愛知川の移動と旧能登川町 Jp6
0
・辻川哲朗「堺市飯塚 山遺跡 出土菱形埴輪につい
-62
「第二章
旧八幡村 Jp63-1
05
「コラム 2 山路村の溝田景観と条里地名 Jp
旧栗見村 Jp1
09-140
「附論滋賀県の明治前期作製の地籍図 Jp1
4
1
-p1
4
7
126・人間文化
て
」
、 『
埴輪論叢 j6 (奥田尚先生還暦記念号)、埴輪
検討会、 2
00
7
年 4月
4集
、
・辻川哲朗「滋賀県」、 『日本考古学年報』第5
1
06-1
08
「
第三章
論文
日本考古学協会、 2
0
0
7年 5月
・辻川哲朗「井辺八幡山古墳出土の須恵器「耳付杯」
J
の系譜について」、松藤和人編『考古学に学ぶ(皿)
人・間・文・化・通・信
(
同志社大学考古学シリ ーズ I
X)、同志社大学考古学
-辻川哲朗 「
埴輪生産からみた須恵器工人一「淡輪
研究室、 2
0
0
7年 7月
技法」 の解釈と系譜をめぐって
・辻川背朗 ・守出めぐみ・藤村刻・山元温司「地域
別解説近江の横穴式石室」、 『
研究集会
近畿の横
」、『
考古学研究 1
5
7
3、考古学研究会、 2
0
0
7年 1
2月
・辻川哲朗「古墳時代後期の近江と東海
埴輪と石
穴式石室』、横穴式石室研究会、 2
0
0
7
年 7月
室 を手がかりとしてー」 、畑中英二編 『
北脇遺跡発
・辻川哲朗・清水邦彦・松出度・関真一 「井辺八怖
掘調査報告書』、甲賀市教育委員会 ・財団法人滋賀
山古墳の再検討一造り出し埴輪群の配置復元を中心
県文化財保護協会、 2
0
0
8年 3月 (
入稿済)
に一
」 、『同志社大学歴史資料館
館報 J1
0、同志社
・辻川哲朗 「
近江 ・野洲郡内の古代東山道ルートに
大学歴史資料館、 2
0
0
7年 1
0月
ついて
・辻川者朗「埴輪の赤彩一 近畿地域の円筒埴輪を中
の成立過程一 j、『
紀要.
12
1、財団法人滋賀県文化財
J、『明日をつなぐ道一 高橋美久二先生追悼論
心に -
保護協会、 2
0
0
8年 3月 (
入稿済)
琵琶湖東岸地域における水陸ネットワーク
J、京都考肯刊行会、 2007年 11月
文集-
.2007年度教員活動報告 ・
〔
=地域文化学科
t
-武 E尚彦 (
たけむらたかひこ )社会学、文化人類学、地
峨研究、1
也減学
くりを目指して、健
康食の提供やコンピ
ュータ教室の開催な
ど、新たな企画を実
2
0
0
7年度末、我らのゼミから去りゆく院生は、渡辺
施中である 。こんな
大記、武田淳、ムングンの 3名、一挙に寂しくなる 。
風だから、学部生・
2
0
0
8年 1月末、ゼミで出版してきたフォ ーラム誌 f
人
と地域 j も4
3号を数えた 。近年急増した外国人留学生
院生合同で続けてき
に本音を語ってもらう号を出版すべく、現在準備中。
のペ ースを守りきれず者干ト ー ンダウンしている 。
た 「
耳の会 j は月 1
ゼミ生たちは皆、 地域の現場に出て調査研究活動に
国外では、夏休みを利用してインドネシアの民俗
多忙。2
0
0
5年春から湖西の朽木村と交流を続けてきた
と宗教を訪ねるフィールドワ ー クを 1
0
期生 2人 (
川
1
1期生たちは、近頃では高島市の依頼を受けて、地域
口愛、竹出絵利果) と行った。途中で 8期生の坂田
からの情報発信や広報活動そのものを担うまでになっ
悠介君が長期休暇をとって合流、ジャワ ・パリ ・ス
ている 。2
0
0
6年 1
0月から 推進してきた彦根橋本商庖街
ラウェシの島々を巡って地域の生活文化を観察し
の活性化に関する調査研究活動は、 2
0
0
7年度になって
た。世界遺産ボロブドウール、神々の座を意味する
同商庖街協同組合より共同研究の依頼があり、地域・
デイエン高原、 2
7
7
0mのブ ロモ 山、いずれも神聖な
食文化・デザイン・人問看護の学生 3
5人および教員 9
空間だ、ったが、何よりの圧巻は手塩にかけた水牛の
名 (
田中敬子、灘本知憲、黒閏末毒、吉田龍平、岡本
首を次々にはねるスラウェシ ・タナ トラジャの葬儀
秀巳、宮本雅子、佐 h 木一泰、伊丹君和、武邑尚彦)
だった 。 タナトラジャ同様、ジョクジャカル夕、ス
が地域の人びとと協働で「空き庖舗を活用した地域活
ラカル夕 、 ウジ、ユンパンダンなどの俗的都市的空間
性化活動Jを展開することになった。空き庖舗を協働
にも聖なる空間がいくつも用意されていた。拝金主
で改装 。 これを「いこう館」と命名し、 1
1月3日の
義的世界を効率よく生きる ことの意味を考えさせら
「えびす議 j に合わせ て開庖。食と癒しをテ ーマに、
れた。 しかし、 1
0数時間に及ぶパスの旅はやっぱり
近江牛ハンバ ーグ、足湯、手作りまんじゅうの販売、
きつい。途上国が抱える現実の厳しさに、学生たち
駄菓子屋など様々なイベン トを企画実演。地域の大学
の世界観も大きく変わったようである 。
としてコンスタントに付 き合い続けられる地域環境づ
地域では、県職員研修、湖北流域森林づくり委員会、
ため池山辺のエ コ トーン保全・再生検討委員会、栗東
市防犯町づくり審議会、長浜市防犯推進協議会、栗東
市文化体育振興事業問、愛知 川 町史執筆委員等々、
様々な活動に参画した。
年今倍加する忙しさ、加齢と共にある自分を実感す
るこの頃だが、次代を担う学生たちに伝えるべきこと
は何か? 望ましいのは環境を整えること、即ちは蒸
習こそが大切だろうが、先ずは私自身が学び続け、頑
迷固随に陥らぬよう、しかし頑固おやじを貫いてゆく
人間文化・ 127
人・間・文・化・通・信
ことも肝要かと考えている 。
呼ぶ。戦後まもなくまで朽木・椋川の地
ホトラ山と l
域にはおそらく千町歩以上のホトラ山があって、 4
-林1
導通(はやしひろみち)考古学
今年度の調査・研究・教育も 主に琵琶湖湖底遺跡
に重点を置くものだった 。昨年度から本絡的に実態
究明に乗り出した、長浜市下坂浜千軒遺跡について
今年も集中して調査を行った。湖底での人の生活痕
跡を確認することを第一目標として、水草のまだ繁
茂しない早春から取り組むこととした。今年はスキ
、
ューパダイビングの資格を持つ学生が前半で 5人
後半になると 7人となり、効率的に調査を進めるこ
とができた。沖合い約 190m、水深約 3 mの地点で
人工的な盛土の中央に円筒状の物体を埋め込み、四
周に角柱を巡らす遺構を確認し、 実測も行ったが、
の調査は次年度に持ち越しとなった。
詳細l
月に集落ごとに 一斉に火入れした 。 これを NHKの
協力で椋川の方たちと小規模に再現、燃えさかる炎
と煙のなかで多くのことを教えていただいた。昔は
そのあと山菜を採り、夏にコナラの若枝(ホトラ )
や草を刈 って厩肥にし、固に入れた。成果は整理中
である o
5月には県大牛「北国はるえ」 にがんばってもら
い水田を牛耕、秋に無農薬牛耕米の収穫にな った。
来年度はこれを増やし、椋川米のトレードマークに
出来たらと思 っている 。 ちなみにはるえと同僚のき
かえは 1
2月に 「
椋川太郎 JI
椋川次郎」 をそれぞれ
出産、親代わりの井上四郎太夫さんがとりあげた。
6月中岡山地に残る千代田町で花田植え研修。飾
また、同じく長浜市祇園町沖の、村が水没したと
4
頭の牛に代掻きをさ
り手綱に挽き鞍・峨を立てた 1
いう伝承を持つ西浜千軒遺跡について、初めて調査
せ、田楽に合わせて早乙女が田植えする様は見応え
を行 った。かなり沖合まで遠浅が広がり、遺跡のニ
があ った。 この牛の使い方は古いが効果的な蹄耕法
オイが濃厚に漂っていたが、遠浅ゆえに著しく水草
そのものであり、江戸期農書の絵を見ている感があ
が繁茂し、詳細は次年度以降に持ち越しとな った。
った。 6月は火野山ネ ッ トと市民環境研究センター
湖底追跡、の成因を究明していくため、以前から地
共催で 「ファイヤーエコロジーの世界」 という 3回
盤工学分野との共同研究を望んでいたが、 幸いにも
の市民講座を京都で開催、また、霊長類学会大会実
京都大学防災研究所の釜井俊孝教授と大阪市立大学
行委員会として彦根で 「
サルと暮らした自然の森」
大学院理学研究科の原口強准教授との合同調査が実
連続講座をおこなった。
の6
現した。釜井教授は湖岸の陸地部での表面波探査に
7月 l
オ本霊長類学会第 2
2回学術大会を県大で開
より、原口准教授は湖上からの音波探査によって地
催。竹下秀子大会委員長と明和政子さん、細馬宏通
下の地盤構造を把握し、考古学的調査成果と照合し
さんたちのおかげで大会長の私の任務は軽く、無事
てその成閃を究明しようとするものである 。その最
盛会に終わ った。千々岩哲さんに主宰していただい
初の調査を、米原市尚江千軒遺跡で行い、興味深い
た企画「滋賀県の猿害対策で見えてきたこと 」 は地
結果が判明した。 この共同研究のための予算は皆無
域貢献の点でも有意義だったと自負している 。学会
であったが、次年度以降は何とか予算を確保する努
後日野町でしゃくなげ学校と里山づくりを開始。
力をしながら継続する予定である 。
8月は焼畑の季節。椋)11
では休耕地を焼いて大板、
JR湖西線「西大津駅」が「大津
福井の河内かぶら、余呉町では永井邦太郎さんと中
京駅」に改称される件で、「大津京」 という表現が
河内の方たちと斜度 3
5度ほどの斜面で火入れ、伝統
適切かどうかという議論が特にマスコミを通して問
の山かぶらを作付け。
題にな った。大津京調査に長らく関わ ってきた者と
9月稲刈り 。無農薬水田の田草取りには僻易した
が、草の繁茂で窒素が抜け、食味値 86のすごい米が
年度後半には、
して、特に問題はないと読売新聞と毎日新聞の文化
欄に投稿し、テレビの報道番組でも自説を 主張した
1月の地区祭 「
おつきん椋川 」で焼畑作物
できた。 1
が、少々困弊した。
好評売り出し。余呉の山かぶらは作付けが遅れて小
振りだったが、摺墨山菜加工組合の評判の漬け物に。
-黒由来蕎(くろだすえひさ)地域学・人類学
4
砂今年度のゼミ卒業生は 6人。卒論にはこれまでの
山形の焼畑農家に教えてもらって作った焼畑蕪「柿
酢漬」は絶品で来年は商品化をめざしたい。サルやカ
半生が直接的に、あるいは背景として表現されてい
ラスを惹きつける里の果物処理にもなる 。実践民俗
る。家族に、友人に、未来の自分に伝えたいことを
学である 。その後も 1
2月から茅葺き屋根用の茅刈り 。
書く過程で彼らは自己を対象化し大人になってい
1月始めに枯れていた茅が 1
2月になっても枯れ
昔は 1
く。私たちのゼミでは卒論は自己の成長の物語であ
ない。 カヤネズミの子どもを見つけ、初冬の繁殖発
る。
見例になった。 自然のリズムが変わって来ている 。
4
砂私の活動は滋賀県内に集中、ホトラ山 ・焼畑・牛
耕関係の進展をみた。 4月に今津町 ・椋U
I
Iでホトラ
.共同研究
1I
思い出を描いた絵図による認知症予防・対策
山の火入れの再現。湖西ではコナラ 主体の肥草山を
(高島市社会福祉協議会代表:日本生命財団)、
事業 J
128・人間文化
人・間・文・化・通・信
2I
しゃくなげ皐校 「
賑わい空間創出プロジ‘ェクト 」
-田中俊明 (
た芯かとしあき)
朝鮮古代史・古代日朝関係史
一里山の資源を活かした地域再生プログラム J(
井
去年も 書 いたが、法人化が、いかに大学 のあるべ
阪尚司代表 :トヨタ財団 )、 3 I
集団の進化学 的基
き方向を曲げていくのかを実体験する日々である 。
盤研究 1J(
河 合香史代表:東京外同語大学)、 4
あきれるのは、文化がわかるとは思えない理事がわ
1
1もの」 の人類学 的研究 J(床呂郁哉代表
東京外
れわれの学科をつぶしにかかっている 事実 である 。
人類社会進化論の再構築
国語大学)、 5 I
霊長類
われわれ地域文化学科の存在を無視して、国際文化
と人間社会の構造論的架橋 J(
寺 鳥秀明代表 .文科
学科という 学科を新設しようという計画についてで
省科研費)、など。
ある 。地域文化学科は、モンゴル・朝鮮・中国とい
う東ア ジアの地域文化研究をひとつの柱にして い
。地域貢献
1秋に障害児・者とその家族+支援者組織のメロ
る。そして国際的に活動し、国際的に認知もされて
2月には学生サークルの
デ イーが NPOにな った。 1
きている 。大学の名をアジアに知らしめるのに 貢献
ハーモニ ー とともにクリスマスコンサ ー トを成功さ
してきた のである 。 国際文化学科は 国際交流・同際
1高島市環の郷若者定住促進プロジ‘ェクト j、
せた。2
貢献のために必要であるというのが理事 の説明であ
湖東流域森林づくり委員会」 など。
3I
るが、われわれの進めてきたことがあたかもそうで
はないかのような話である 。モンゴル・朝鮮を外国
ではない、植民地とでも思っているのか、アジア蔑
-荒井利明 (
あ ういと しあき)現代中国論
月日の経つのは本当に速いもので、大学での 2年
視意識を持っているのか。 とうてい理解しがたいこ
目も 1年目同様、 「次の講義では何を話そうかな 」
とが進められようとしている 。物事が少しでもわか
と考 えているうちに、終わろうとしています。
る人間ならば、そんな肢かなことはしないと思うが、
昨年度は 「
見宵い」 だ、った環琵琶湖文化論実習は
そうではないところがこの大学の現状なのである 。
「
班長」 に昇格し、 「
比叡山をめぐる文化j のテーマ
しかも、その愚を知らしめることに貴重な時間を費
を掲げて、比叡山に初めて 登 りました 。 かつては
やさなければならないことが、 一番の問題であろう 。
「三 日で専門家 になる 」新聞記者稼業 をしていたの
そのことは、これから強く対決して行 くことにして、
ですが、さすがに大学教員稼業ではそうしたわけに
自分としては依然、そのようなことも 含めた大学の
もいきませんでした。 とはいうものの、結構楽しい
仕事に追い回されて、自分の仕事がままならない状
学外実習でした。
況である 。もっと建設的な議論に費やすのであれば、
中国のゆ くえや日中関係のありょうが主要な関心
事 ですが、 2007年 4月、「社会主義理論学会 Jの研
究 ・討論集会 (
テーマ「中国は社会主義か
中岡の
これほどむなしくないのであるが、いまの状況では
やむをえない。
わたしのフィールドは韓国・中国であるが、今年
現状J
)で
、 「中国 『
政治改革』の現状とそのゆくえ」
度は、会議を優先したために、調査の機会を 3回の
という題で発表 をしました。学会と名のつく場での
がした。繰り返して言えば、大学をよくするための建
報告は、これが初めてでした。その学会に加入して
設的な議論であれば、それも仕事であるから割り切
いなかったので、謝礼がわずかながらもらえること
るのであるが、そうではないことがストレスである 。
になっていたのですが、報告終了後、学会に入らな
例年通り、まずは調査について記す。
い、とさそわれ、いいですよ、とこたえたところ、
(1) 韓国 。 3月初旬 7日間 。 田 中 科 研。 全 羅 道
じゃ、もう会員だから謝礼はなし、といわれ、謝礼
(
学生帯同)
を受け取るどころか会費を払うはめになりました。
発表とほぼ同じ内容をロゴス社発行隔月刊誌 『も
(2)韓国。 3月下旬 5日間。「韓国のなかの高句麗 j
遺跡。 団体案内。
うひとつの世界へJ第 9号 (
2
0
0
7年 6月発行) に発
(3)韓国。 6月初旬 7 日間。 問中科研。 ソウル古
表しました。 この雑誌の編集者は、先の学会の会員
宮博物館ほか。
でもあり、知人です。
(4)中国 ・韓国。 8月初旬 1
1日間。中央大学科研。
数年前から 書 き継いでいる「検証
東アジア新時
代」 シリ ーズの第 4巻 『
東アジアの日・米・中
平
太原 ・大同・呼和浩特および清州博物館。
(5) 中国。 8月下旬から 9月初 1
4日間 。大学特別
和と繁栄をどう確保するか j (日中出版)をようやく
研究費による都市調査(学生帯同)。蓬莱 ・鄭州・
2 7
年 4月に刊行しました。 l年半に 1冊のペースで
洛陽・西安 ・敦埋ほか。
∞
∞
すので、最終第 5巻の 2 8年秋刊行をめざして、いま
(6)韓国。 9月中旬 8日間。 田中科研。文字瓦調
は、何を書こうかな、と考えています。本でも論文
査。蔚山・大田・清川、卜春川 ほか (
学生帯同)。
でも、好きなことを書くのは結構楽しいものです。
(7)韓国。 1
0月中旬 5日間 。橿原考古学研究所科
研 ・慶州博物館との共同開催シンポジウムにて発表。
(8)韓国。 1
2月下旬 5日間。 田中科研。文字瓦出
人間文化・ 129
人・間・文・化・通・信
土遺跡調査。!
表
ナ│
‘
│・扶鈴発掘現場(学生帯同)。
競争的資金の狼得
0学 術 振 興 会 ・ 科 学 研 究 費 補 助 金
次に、活字になったものもまとめて記す。
r
(
基 盤 研 究 B)
(1) I
継体天皇時代前後の対外交流史 J 渡来人の
「韓国 出土文字瓦データベース構築のための予備研
5
0
0年記念事業開催実行
里枚方と継体天皇 1樟葉宮 1
7年度 -20年度・研究代表
究j 平成 1
委員会、 2
0
0
7.
2.
4、p
p
.
2
0
2
8
r
1
9年度は 350
万円
(2) I
高句麗はどのような民族なのですか J 歴史
と地理 j6
0
1号、山川出版社、 2
0
0
7
.
2
.
2
0、p
p
.
4
0
4
3
0研究分担者は 4つ。基盤研究 s(中央大学妹尾達
(3) I
高句麗平壌都城と王宮城 J 馬韓・百済文化』
基盤研究 B (
立命館大学高正龍代表) ・基盤研究 B
1
7
輯、円光大学校馬韓・百済文化研究所、 2
0
0
7
.
2
.
2
8、
(滋賀 県立大学菅谷文則代表)
p
p
.
5
9
8
2
0滋賀 県立大学 19年度特別研究費「東アジアにおけ
r
.
彦代表) ・基盤研究 A (
山口大学橋本義則代表)
(4) I
安祥寺開祖恵運の渡海一 九世紀の東アジア交
る歴史的城郭都市の起源 ・形成・変容・再生に関す
流 -J上 原 真 人編 『皇 太 后 の 山 寺 J柳原出版、
る総合的比較研究」研究代表
2
0
0
7
.
3.
15、p
p
.
1
56
-183
r
(5) I
弱者体天皇時代前後の対外交流史 J 肯代の都
HIRAKATA 樟葉宮 1
5
0
0年記念事業の記録 j樟葉
宮1
500
年記念事業開催実行委員会、
2
0
0
7.
10、p
p
.
2
02
3、p
p
.
2
6
3
5
r
(6) I
鏡をめぐる古代日韓 J 韓半島の青銅器製作
400
万円
学会委員会委員
O朝鮮学会幹事 (編集委員を兼ねる 。
)
O肯代学協会 『肯代文化』編集参与
0奈 良県立橿原考古学研究所・共同研究員
O国立歴史民俗博物館 ・共同研究員
O[
宝l
際 H本文化研究センタ ー・ 共同研究員
技術と東アジアの古鏡 j国立慶州博物館 ・奈良県立
橿 原 考 古 学 研 究 所 ・ア ジ ア 鋳 造 技 術 史 学 会 、
. ~賓崎一志 ( はまざきかすし ) 都市史 、 保存修景
2
0
0
7.
10.
13、p
p
.
27
7
-31
8
・研究活動
奈良県立橿原考古学研究所の西藤清秀らととも
r
(7) I
熊津百済の歴史と文化 J 百済の歴史と文化
公州篇 J枚方市教育委員会・ 附枚方市文化財研
学会口頭発表
(1) 1
0月1
3日幽
酉アジア発掘調査報告会において「パルミラ遺跡北
韓国国立法:州博物館 ・橿原考古
学研究所・アジア鋳造技術史学会共同開催シンポジ
ウム (
於国立慶州博物館) にて発表 (
上掲)
(2) 1
1月 1
7日凶
に、シリア ・アラブ共和国パルミラ遺跡における調
査を継続し (
科研費基盤 (
A)17251008)、第 14回
究調査会、 2
007.
12
、
1
. pp.
8
2
8
科研費基盤
墓 地 129b号 墓 の 調 査」 というテーマで発表した 。
発掘調査も継続して実施した。
近江八幡市の八幡堀の石垣の調査を継続しておこ
s(妹尾達彦代表)
ない、『楼閣建築「兵四楼」と八 l
幡婦の景観変化に
による国際シンポジウム「東北 アジアの都市と環境
ついて Jというタイ トルで日本建築学会大会で発表
於キ
中岡のフロンティア開発と遼東郡 J(
した。 さらに、発掘調査や新たな建物調査で得た知
の歴史
ャンパスプラザ京都) にて発表「遼東郡の変遷」
見をもとに「隠された八幡堀」というタイ トルで
(3) 1月1
2日出
『
地図情報 j v
o
.
l
2
7No
.
4に発表した。
古代武器十研究会(於滋賀県立大
学)にて基調講演「古代東北 アジアの大戦争」
その他 の市民講座等(定期的なものは省く )
また、近江八幡市から「重要文化的景観選定地区
石垣・護岸調査Jの受託研究を受け 、重要文化 的景
(1) 2月 4日(
日) 枚方市市制施行 60周年記念プレ
観選定地区における水路の石垣・護岸の整備計画の
事業・歴史フォ ー ラム「古代の枚方と継体天皇 J
あり方を模索し、報告書を分担執筆した。
(於枚方市民会館大ホ ール)にて講演「継体天皇時
高島市では海津 ・西浜・知内の文化的景観の調査
代前後の対外交流史」
をおこない 、文化的 景観保存計画を策定し 、 『高島
(2) 5月 1
9日出
市海津・西浜・知内地区の文化的景観保存活用事業
古代を偲ぶ会 (
於アピオ大阪)
報告書』 を分担執筆した。
「広開土王の時代」
(3) 7月 l日(
日) 日韓古代文化研究会 (
於アピオ
地域づくり調査研究センタ ーが長浜市から受けた
金官加耶を再考する」
大阪) I
受託研究「長浜市夢ふくらむ地域いきいき計画」を
(4) 1
1月 1
0日出 ]TBカルチャ ー (大阪教室) I
朝
分担し、過疎地域における空き家活用の取り組みに
鮮三国王者1
[
の羅城問題」
ついて調査し、報告書を分担執筆した。
(5) 1
1月 1
8日(
日) 下関市立考古博物館公開講座
また、科研費の研究成果公開促進費の助成を受け
「文献からみた朝鮮三国時代j
(
研究成果公開促進費 1
9
8
0
2
5
)、「近江商人デー タベ
(6) 1
2月 1日 出 枚 方 市 教 育 委 員 会 ・糊枚方市文
ース」を地理情報システムの上で公開した。 これに
化財研究調査会主催「百済の歴史と文化
一 J(於関西外国語大学)にて(上掲)
130・人間文化
公州篇
より、近江商人の移動に関するデータを地理情報シ
ステム上で視覚的に把握することを可能とした。
人・間・文・化・通・信
。教育活動
文部科学省「地域再生人材創出拠点の形成」 プロ
で、多くの自治体関係者の協力を得ることができた。
また総合地球環境学研究所プロジェクト「日本列島
グラムに採択された「近江環人地域再生学座」 にコ
における人間一 自然相互関係の歴史的・文化的検
ア ・メンバーとして参画し、地域再生学特論を分担
討Jにも引き続き参加しており、自然科学の研究者
した。
から多くの刺激を受けている 。
また、前年度に引き続き文部科学省の「現代的教
育ニーズ取組支援プログラム」の助成金を利用し、
自治体関係では、『能登川の歴史
別冊資料明治
の古地図 jの全体殴修を行う 02008年 3月刊行予定。
中世編 jに「荘園制の展開」
彦根市男鬼町で 『山村「男鬼」の村おこし 』 プロジ
また 『
近江日野の歴史
ェクトや、湖東の古民家を対象とした 『
いかして民
を執筆、近刊予定。 白野町では、県立大学と京大の
家 ?.
1 プロジ‘ェクトを継続し、地域の活性化や地域
院生 ・学生を中心に、
文化の振興を視野に入れた教育プログラムを実施し
の祭肥や墓制、水利システムなどの調査を継続し、
た。
現在約 3分の 2の地区の調査を終了した。能登川町
さらに近江楽座において今年から開始された自治
体等地域から提案された課題について新たな枠組み
で活動チームを募集する
I
Bプロジ‘ェクト 」 に参加
1
汀域全体の伝承や地名、集落
での古文書調査などを含め、学生たちの貴重な体験
の場となっている 。甲賀市史は執筆委員として史料
収集を進めた。
した。課題は「湖北地域における都市と地方の交流
今年度は特には海外調査は行っていないが、東ア
居住・移住促進事業」であり、「木之本楽座」 とし
ジア全体の中での日本の特質を考えるために、今後
て学生とともに参画し、木之本町の町家を拠点とし
もアジアの村々をtL~きたい 。 特に棚田の問題には関
て、活動した。
心があり、次はフィリピンの調査を行いたいと思っ
滋賀県農政水産部農村振興課の「空き民家・農家
ている 。
民宿等活用対策検討調査業務委託」の公募型プロポ
ーザルに押谷地域設計や湖北古民家再生ネットワー
-榔瀬慈郎 (
たなせじろう )文化人類学・チベッ ト
学
クとともに応募し、米原市伊吹町の空き民家の分布
。教育活動
今年度は、通常の講義、実習の他、演習課目とし
調査と実測調査や住民の意識調査を実施した。
また、学生とともに近江八l
防市白王町 と高島市マ
て大学院博士後期課程の学生 1名、同前期課程の学
キノ町で文化的景観の調査を継続した。彦根の 1
1
:
1
城
生 1名、学部 4回生 6名、同 3回生 6名に対する指
下町において足軽組屋敷の実測調査を継続しておこ
導をおこなった。
なった。
.研究活動
今年度は、インドヒマラヤのチベット系諸社会の
.社会貢献
彦根景観フォ ーラムの一員として彦根市芹町の足
軽屋敷と辻番所の保存のため、所有者から買い取る
民家トラストを設立し、募金活動をおこなった。保
存活用計画に必要な実測調査も実施した。
家族、親族構造の比較とその変化 について、総括的
な研究をおこなった。
1回研究
学会発表としては、日本文化人類学会第 4
大会において、「インドヒマ ラヤ のチベット系諸社
会における世帯運営と婚姻の 問題」というタイ トル
園水野章二 (
みすのしようじ)日本中世史
研究では、「中世の水害と荘園制 J(蔵持重裕 ・田
村憲美 ・遠藤ゆり子編 『
再考
荘園制』、岩田書院)
で発表をお こなった 。
論文発表としては、「人間文化」第22号に「イン
ドヒマラヤのチベット系社会における世帯運営と婚
が刊行された。 9月に は 「開発と災害」をテーマに
姻の問題ー ヒマ ーチヤル・プラデー シュ州スピティ
した中世都市研究会に、 コメンテ ー ター として出席、
渓谷の事例
Jというタイ
トルの論文を掲載した。
内容は近刊 される 。近年、環境史・災害史と近江を
夏季の 3ヶ月間は、イン ドヒマラヤのラダック及
中心とする地域史に取り組んで、きたが、本年度中に
2月
びスピティ地方での調査をお こない、帰国後、 1
環境史 ・災害史関係の論文を単著にまとめ、 3月に
に学位請求論文「インドヒマラヤのチベット系諸社
書庖に原稿を i
度す予定であった。 しかし諸般の事情
会における婚姻と家運営の問題
ラホ ール、スピテ
により大幅に遅延してし まっており、なんとか時間
イ、ラダッ夕、ザンスカ ール の比較とその変化」 を
を作って、まとめねばならない。昨年度より県立大
京都大学大学院人間環境学研究科に提出した。
学・琵琶湖博物館 ・滋賀大学による「琵琶湖の歴史
的環境と人間の関わりに関する総合的研究 J(
科学
研究費基盤研究 (B))をスタ ート させ、琵琶湖の
-市川秀之 (
いちかわひでゆき)民俗学
県立大学に来て 2年目が過ぎようとしているが、
内湖に焦点をあてた歴史 ・考古・民俗 ・地理学など
昨年とは比較にならないくらい多くの仕事に出会う
の共同研究を進めてきたが、文書や地籍図収集など
ことができた 。『 能
主
主川の歴史』編纂に向けての民
人間文化・ 131
人・間・文・化・通・信
俗調査の一環としてゼミの学生らとともに 2地区の
文化遺産学研究センタ 一年報 j (
印刷中)
集中調査を行い、また私自身も数集落で年中行事や
教育面では初めてゼミの卒業生を出すことができ
祭礼の調査を実施し報告書を執筆した。そのほかに
た。学部生二人と大学院生一人の小さなゼミであっ
も西浅井町や信楽町などで学生が参加した民俗調査
たが、真撃に研究にとりくみ、ユニ ークな研究を完
を行った。能登川博物館からは民兵を利用した回想
成してくれた。 これを萌芽として県立大に民俗学の
法のための、民具整理および回想法メニュ ーの作成
大きな樹が育っていくことを望みたいし、自分自身
を受託し、これも学生らと作業を進めている 。 さら
も研鎖していかなくてはならない。
に湖南市石部の寺院から依頼を受け、境内墓地の墓
石の悉皆調査にも取り組みはじめた。滋賀県
Fでは
墓地の石造物悉皆調査はこれまでなく、そ の必要性
-京築真帆子(きょううくまほこ)日本古代史
今年度に活字になった研究成果 は以下の通り 。
を感じていたのではりきって始めたが、墓石は全部
①単著『滋賀の地域女性史発掘調査研究事業
で7
0
0基あまりあって字も読みづらく年度内には終
書.
1 (滋賀県立男女共同参画センター 、2
0
0
7年 2月
、
わりそうもない。夏までには調査を終了し成果を報
0
9ページ)
総頁 1
告したい。民具の整理では地域文化の学生だけでな
く生活デザインの学生にも協力をお願いし、また石
発行が昨年度になっているが、実際にできあがっ
たのは 2
0
0
7年の秋。受託研究の成果で、滋賀県にお
部の墓石調査では他の先生方のゼミ生の参加も得て
ける戦後女性教育についてまとめたもの。社会教育
いる 。 このような調査依頼を 受けるのは県立大学の
を牽引してこられたお二人に聞き取り調査をするこ
強みの一つだと思うが、調査を通じて私自身も近江
の民俗について多くを学ぶことができ感謝してい
とが出来たこと、地域婦人会会報をデータベ ース化
したことが最大の成果。
る。 もちろん学生にとっても得難い経験だと思う 。
W
京都文教大
②単著「平安京の都市文化とにおい J(
個人的な研究面としては、以前にお世話になった
近世史の山口之夫氏の遺稿集の編集を行い、刊行に
報告
.
l7 2007年 3月
人間学研究 jVo
3 11::1、 129~137頁(含仏語訳) )
学入問学研究所
こぎつけることが出来た。 また私自身も大和川付け
0
0
7年秋
これも昨年度の H付があるが、実際には 2
替えについて書いた論考がでた。大和川関係では年
に完成。 フランス歴史学界の重鎮 ・アラン ・コ ルパ
度内にもう ー H
l
r
共著の本が刊行される予定である 。
2
0
0
7年 1月2
7日)で、『源氏
ン氏とのコラボ企画 (
これらは以前の仕事で関わってきた内容で、滋賀に
物語Jをいかに歴史学的に料理するか、四苦八苦し
来てからの成果をなかなか出せないのがつ らいが、
た成果。
日本民俗学会年会 (
京都 ・大谷大学)ではミニシン
① 単著「史料から見た平安京の庭園 J(
奈良文化財
n平安時代庭園に関する研究
1J平成 1
8
ポジウムのパネラーの一人として「肥後和男の近江
研究所
宮座調査」 という発表を行い、その内容を 『
近江地
年度古代庭園研究会報告書』、 2
007年 1
0月3
1日
、 2
7
方史研究 j に投稿した。 また大阪府下の地方都市の
~40 頁総頁 120ペ ー ジ)
民俗を扱った論文を執筆した。いずれも年度末には
昨年度のシンポジウムの成果。庭園史 ・建築史 ・
刊行される予定である 。 さらに今年度からは科学研
考古学の方々から多くを学んだ。
究費を得て「集落内水路の環境民俗学的研究」 を開
④ 共若金子幸子・黒田弘子 ・菅野則子・義江明子
始した。 これは近江の集務でよくみる集落内を勢い
吉川弘文館、 2
007、総頁
編 『日本女性史大辞典 j (
よく流れる水路に着目した研究で、今年度は基礎的
数7
9
5ページ)
史料として県庁が持っている絵図、古文書の撮影を
百太夫」 ・ 「
藤
うち「女手」 ・ 「清少納言J.I
藤原寛子」 ・ 「
宮仕え」・ 「
召人」
原延子 J.I
行ったほか、県下で 7箇所、新潟県新発田市で 2箇
所の現地水路調査を行った。調査は計 4年の計画で
あるが、できるだけ多くのフィール ドを歩 いて水と
「
嫁 と姑」 を執筆。 こうした大事業に関わることが
出来たのはうれしいこと 。
人の関わりについて分析を進めたい。
⑤単著「新刊紹介西山良平・藤田勝也編著 [
平安
(編集) 山口之夫 『
河内木綿と大和 J
I
Ij清文堂出
(
W
J 日本史研究 j545号、 2008、 81 ~82
京のすまい J
頁)
版
(分担執筆) I
新大和川と依網池」大和川ミュー
ジアムネッ トワー ク 『
大和 川付替え 300年』雄
山閣
r
(論文) I
肥後和男の近江宮座調査J 近江地方史
⑤単著『平安京都市社会史の研究 j (塙書房、 2
008
年、総頁 3
4
9頁)
私にとって最初の(そして最後、にならないこと
を祈る)単著の研究書。 この原稿を執筆している段
印刷中)
研究 J(
伝統的都市にお ける民俗の個別性と普
(論文) I
⑦ この他、「京都新聞」夕刊コラム 「現代の ことばJ
遍性
に以 Fのエッセイを掲載した。
泉佐野を事例とし て
132・人間文化
Jr
なにわ・大阪
階ではまだ索引作り中。
人・閏・文・化・通・{言
「ちょっと昔の日本 J(7月 9日)・「長い休み」
(9月 7日)・「ベ トナムの母たち J(
11
月9日)・「
ミ
ヤコのネズミ
J(1月 10日)。今年度中にもう 一 度執
。年間活動
着任 2年目ですが、教育や研究の面で少しずつ慣
筆担当がまわってくる はず。
れてきました 。
今年度の科学研究費は以下の 二つ。
⑤ 科学研究費基総研究 (
B
)I
国家・共同体・家に
教育の面において前期の人間探求学では、学生を
(
男 〉 を育てる
連れて戦前に満洲にわたった彦根在住のお年寄りを
J(研究代表 者 神 戸 大 学 高
取材しました 。夏休みには中国新彊ウイグル自治区
おける (
母〉機能の意義と変遷
(
女〉 の比較文化史
-ボルジギン・ブレンサイン近現代社会史モンゴ
ル、中国東北地域史
でフィールドワークを実施し、湖南師範大学に留学
田京比子、 2006-2008
年度)
研究会で「平安時代の次世代育成Jというタイト
している県大生の二 人と合流して 1週間ほど現地調
ルでの報告を行った 。
査をしました 。 その後ゼミ生の内モンゴル大学留学
⑨ 科学研究費基盤研究 (
B
)I
東南アジアにおける
を手配しました。学生は既に 2月から穏学生活を始
地域コンフリクトの緩和・予防と「共生の知」 の創
めています。秋の「環琵琶湖実習 j では第 三班を率
研究代表者:茨城大学
出 J(
伊藤哲司、 2007-
いて 「
在日外国人から見る滋賀 」 をテーマに県内在
2
0
1
0年度)
9月にベトナム・ハノイに調査に出かけた。 その
住の在 H朝鮮人、ブラジル人などの施設を回りまし
成果の一部が⑦ のコラム 。 次年度にもう一つ成果を
流 論B
Jという授業の 一環として「マイノリティと
た。 6月には自分が受け持っている「アジア地域交
公表する予定。遠距離の共同研究者との会議を行う
は何か一概念と政策の国際比較からー」 をテ ーマに
ためにスカイプ導入が図られたが、県大からはアク
人間文化セミナーを企画しました 。今回のセミナ ー
セス不能とわかり落胆する 。
では和光大学のユ ・ヒョチョン(劉孝鐘)教授を講
2月には島村ゼミと共同でゼミ 生
師に招きました 。 1
今年度の講演は以下の通り 。
⑩稲枝地区福寿大学
「歴史からみる日本の女性像」
をつれて奈良県の天川村に行って実習をしました。
研究の面では、
(
2
0
0
7年 6月 8日 於 稲 枝 公 民 館)
5月に中国内モンゴル自治区でフ
ィールドワークを実施し、 8月には中国東北三省や
日本女性史の最新の成果を披露した。
。滋賀県男女共同参画計画改定出前説明会 (
2
0
0
7年
内モンゴル自治区、新渡ウイグル自治区でそれぞれ
科学研究費による研究調査を実施しました。 9月下
1
1月2
8日 於 .草津市人権センター )
2
0
0
7
滋賀県男女共同参画審議会で作成した答申 (
旬にはモンゴル国で資料調査を行いました。 内モン
年 8月) について県民に説明する公開ヒアリング。
ゴ ル 人 作 家 リ グ デ ン 氏 の 長 篇 「 地 球宣言」 の 翻 訳
県民の生の声を聞くこ とが出来ておもしろか った。
(
共訳) を終え近刊の予定であるほか、大学院のゼ
⑫総合学習
ミ生と 一緒に東洋文庫所蔵「北京ウンドル王府モン
演会
こだわり学宇治の魅力再発見 1 講
「平安時代の宇治
藤 原 道 長 の 見 た 宇 治」
(
2
0
0
7年 1
2月 1
8日 於 京 都 府 立 城 南 高 等 学 校)
昨年度のシンポジウム(シンポジウム「源氏物語
の匂いと薫り
J
I
平 安 京 の 都 市 文 化 と に お い 」、
2
0
0
7年 1月2
7日 於 源 氏 物 語 ミ ュ ー ジアム、京都
文教大学人間学研究所 ・立命館大学大学院先端総合
学術研究科 ・宇治市源氏物語ミュ ー ジアム
共催)
ゴル語文書記録帳写本」の研究 (
三菱財団平成 1
7年
度研究助成) を行い、内モンゴルでの出版を手がけ
ています。
。活動一覧
I 研究活動
(1)研究論文
① 「近代ハラチン・トメドにおける地域利益集団の
をお聞きになった城南高校の先生から依頼を受けた
形成」東北アジア研究シリーズ 『内なる他者=周辺
もの 。 出身地の高校(私は 別 の高校に進学) でまだ
民族の自己認識のなかの「中国 J モンゴルと華南
ぴかぴかの 一年生に歴史の楽しさを伝えることが出
の視座から j2
0
0
8年3月3
1日
来たかどうか。
② 「モンゴル固における新しい国家通史編纂事業を
この他、滋賀県男女共同参画審議会審議員、滋賀
県建築士審査会委員としても活動。
今年度もゼミ生が
I
Gn
e
t滋賀メ ー ルマガジン」
田
にジ、ェンダーに関する エ ッセイを寄稿した。 さらに
1
1月25日の
I
G
n
e
tフェスタ」にもお手伝いとして
参加し、社会の厳しさと温かさを感じたらしい。
めぐる諸問題
文化 j2
2期
r
人間文化セミナーの報告一 J 人間
2
0
0
7年 1
2月
(2)学会口頭発表
① 「ハラチン・トメド=モンゴル人と近現代モンゴ
ル社会
地域エリートの選択一」東北大学東北アジ
ア研究センタ ー設立 1
0周年記念シンポジ、ユーム・地
域研究コンソ ー シアム連携シンポジ‘ュム「内なる他
者=周辺民族の自己認識のなかの「中国 J モンゴ
ルと華南の視座から J2
0
0
7年 3月 1
0日 (
2
0
0
6年度の
人間文化 ・ 133
人・閏・文・化・通・信
活動報告に書 き入れなかったのでここで追加するこ
学科長、河講師、教務 Gの寺村功氏、ご理解 ・ご協
とにしました)
力いただいた学部の同僚諸先生方にこの場を借りて
② 「歴史教科書と歴史研究について」守屋留学生交
感謝の意を表したい。 この春より、本学科の学生 2
流協会 OB.OG会講演会
名、院生 1名がモンゴルへ旅立つこととなる 。講義
2
0
0
7年 1
0月1
51
:
1 於帝国
書院
に関しては、今までの担当講義に加えて、文化人類
(3)競争的資金
科学研究費(若手スタートアップ)
学概論 A、 B という科目が新設され、私は A を担当
研究テーマ:二十世紀中国における民族的帰属意識
えて文化人類学の文献を読んだ。 また、学生とつく
の変遷に関する研究
蒙古旗人を事例として
した 。ゼミに関しては、今までのモンゴル研究に加
った非公式サークル「民族料理研究会」、「せつない
I
I
. 地域・社会・国際貢献
映画研究会」 の活動に励んだり、 i
胡風祭において、
(1)講演会・展覧会
ゼミ生とモンコール料理を作って売ったりしたが、こ
人間文化セミナー
I
マイノリティとは何か一概念
と政策の国際比較からー
」
講師:和光大学のユ
ヒョチョン (
劉孝鐘)教授
日時:2
0
0
7年 6月2
7日
(2)学会委員会委員
うしたことも教育活動だと考えている 。
4
砂社会貢献
NG021世紀のリ ー ダーの岩佐佳子さんと協力し
て、日本とモンゴルの昔話を日本語・モンゴル語で
読める絵本 『
かたりくらべ日本とモンゴルの昔話・
① 日本モンゴル協会評議員
ひともっこ山、フブスグル湖』を企画・出版した。
②『 日本とモンゴル j 日本モンゴル協会誌 編集委員
モンゴルの昔話の翻訳をゼミ生の宇野美里さんが担
-島村一平(しまむういっぺl,¥)文化人類学・モンゴル研究
一部の小学校、モンゴルではフブスグル県の小学校
当した。 この絵本は、日本では滋賀県下の図書館や
やウランパートルの恵まれない子どもたちに無料配
・研究
本年度は、昨年採択された科研(若手研究 B)
布された。講演活動としては、昨年 4月に大阪で在
「越境するチン ギス・ハーン即位 800
周年記念事業と
日モンゴル人たちが主催する成育思汗祭礼において
ナショナリズムの諸相の研究」の最終年ということ
「
文化資源として利用されるチンギス・ハーン:同
で、同際シンポジウムを企画・実施した。 シンポジ
化、象徴的殺害
、 忘却:日本と中国とロシアの比較
ウムは 『
文化資源として利用されるチンギス・ハー
から」、本年 1月には兵庫県阪神尼崎シニアカレッ
ン モンゴル、日本、ロシア、中国の比較から 』 と
ジで「増殖するシャ ーマン
いうタイトルで、国立民族学博物館の小長谷教授、
ルにおけるシャーマニズムの活性化」という題で話
ロシア科学アカデミーのスクリンニコヴァ教授、モ
をした。 また、朝青龍が起こした問題のせいでテレ
ポスト社会主義モンゴ
ンゴル国立大のムンフエルデネ教授、中国内モンゴ
ビに出演したが、これが果たして社会貢献なのかは、
5日に行われ
ル大のナサンパヤル教授を招いて l月2
謎である 。
た。吹雪の日にもかかわらず、遠方よりお越しいた
だいた田中克彦先生、吉田順一先生、宮脇淳子先生
といった方々、本学から参加された曽我学長、棚瀬
-東 幸代(あすまさちよ)日本近世史
新年度の直前に、ミャンマー(ビルマ)に赴きま
教授、ブレンサイン准教授、その他シンポに参加・
協力いただいた全ての方々に大変感謝している 。お
よる琵琶湖沿岸の耕地拡大について、この 目で確か
2
0人近い
かげでマイナーなテーマにも関わらず、 1
めるためです。 これまで、書物で読み、 古老の話を
した。近世以来行われてきた、水草等の敷き込みに
参加者を数えることとなった。その反面、私個人が
うかがっていても、現在の琵琶湖からは容易に想像
本年度に発表した原稿は、以下の 2点のみに終わっ
できませんでした。調査対象としたインレー湖では、
たのは反省すべき点である 。「現代モ ンゴル固にお
水生植物を絡めて、それを長い竹竿を湖底に突き刺
ける宗教事情 j、渡没直樹編 『
宗教と現代がわかる
すことによってシマとして固定し、主として水耕ト
0
0
8J
、2
0
0
8、東京・平凡社。「
ル ーツにねだられ
本2
マトを栽培していました。土砂を入れるという行為
る人々 ー ブリヤートのシャーマンが増え続けている
はないのですが、そのシマは私が乗っても沈まない
r
ke
rモ ン ゴ ル 2007年 度 版 』、
理由 J World Wal
し、動かない。 なるほどと納得しました 。ただし、
p
p
1
4
2
1
4
3、 U
l
a
a
n
b
a
a
t
a
r
:
A
d
l
i
n
e。
雨季になるとこうしたシマは流されることが前提で
.教育
本年度における大きな成果として、まずはモンゴ
あるため、琵琶湖のように湖岸の土地所有権あるい
は利用権を沖見通しに延長するという発想はみられ
ル国立大学社会学部社会・文化人類学科との交換留
学協定が締結されたことが挙げられる 。実現のため
ないとのことでした。印象深い調査でした。それか
に尽力してくださった曽我学長、八木学部長、田中
事件が起きました。僧侶が民衆から大変な敬意を払
134・人間文化
ら数ヶ月後に、デモが軍事政権に弾圧されるという
人・閏・文・化・通・信
われていたことを間近で目にしてきたばかりだ、った
ので、なおのこと心が痛みます。
日常の研究では、今年度は古文書調査にひたすら
とり組んでいたという印象です。担当している自治
だけるのに、と思いました 。
また今年度は環琵琶湖文化論実宵を久しぶりに担
当し、 以前からやってみたかった 「
多民族・ 滋 賀 -
f
在日外国人 lから滋賀を見る j というテーマで行
体史なと£の依頼調査が多かったということもありま
いました。第一希望で来た学生はあまり多くなくて
すが、その他に、地域貢献の関係で、犬上郡出身の
少しがっかりしましたが、「こういう機会でもない
近江商人について研究する必要があり、埼玉県に何
と行けないところに行けるから来た」 という学生も
度か調査に通うこととなりました 。夏休みなどは、
いたので、まあ企画した甲斐があったかと思うこと
三分の 二以上の期間を古文書を見て過ごしました 。
にします。事前学習まで はいまいちでしたが、現場
FD委員をはじめとする学内業務や、地域貢
に連れて行くと学生の反応が変わると実感しまし
献業務での報告書作りなど、取り組まねばならない
た。相方の先生はブレンサイン先生で、学生のほう
勉強・仕事も相変わらず多く、学生たちへの対応も
も班の半数は儒学生(中国の漢族、中国のモンゴル
しっかりやりたい。せっかく調査を行 っても、史料
族、中国の朝鮮族、韓同)という、まさに「多民族」
ただ、
をじっくり分析する時間がとれませんでした。
基礎的調査にほとんどの時間を費やすこととなっ
漬けの実習となりました。
たため、今年度は、講演などのお話も、申し訳ない
・研究活動
特別研究費「滋賀県における朝鮮人労働者の歴史
ことになるべく遠慮させていただきました。しかし、
一 強制連行を中心に」に係る調査研究を行いました。
来年度は、学会の大会や研究会、講演会など、数ヶ
書いたものとして は、ここ数年抱え続けて (迷惑を
月毎に報告をさせていただく予定となっておりま
かけて)いた通史の仕事(共著)がようやく最終段
す。それらのテーマは、甲賀の前引鋸仲間、琵琶湖
階に入りました。他に昨年度実施した滋賀県の在日
の舟運、内湖の i
巣、湖南の幕末の地震、とフィール
コリアン高齢者の生活調査の報告書を作成しまし
ドは近江でありながら、バラエティー豊かです。相
た。あとは、滋賀県人権センタ一発行の冊子 『じん
変わらず忙しい一年になりそうですが、楽しんでい
けん jへの隔月連載原稿と、やや重厚な書評原稿に
きたいと思っています。
四苦八苦して一年が終わりました。
。地域活動
-河かおる (
かわかおる)朝鮮近代史
以下のような場で委員や講師をする機会がまた増
。教育活動
2007年は朝鮮通信使が初めて来日してから 400年
えた気がします。「地域貢献」とせっつかれるまで
目ということで、彦根城築城 400周年祭にあわせて
倒にならぬよう気をつけねばとも思います。委員は、
もなく、声がかかれば応じたいと思う反面、本末転
彦根でも通信使関連のイベントが秋に予定されてい
しが多文化共生推進会議 ・委員 (
2007年 1
1月 、
)
たことから、少しでも盛り上げよう (?) と、私の
近江八幡市多文化共生推進懇話会 ・座長 (
2
0
0
8年 2
担当する対外文化交流論 Cに、朝鮮通信使について
月-)他に昨年度から継続中の委員もあります。議
いくつも著作を出しておられる仲尾宏先生に今年度
附は、「滋賀県の近現代史における朝鮮 ・朝鮮人」
に限り来ていただきました(非常勤講師削減圧力が
(渡来 人歴史館主催、 2007年 6月30日)、「教科書を
強い中、私の担当の大学院の授業にオムニパスで来
読みくらべてみましょう J(教科書学習会、「つくる
ていただいていた非常勤の先生に一年お休みいただ
会j 教科書採択の撤回を求める河瀬中高・親の会主
いてやりくりしました)。近世史は専門外の私です
0
0
7年 7月 7日)、「韓流ブームの光と影を知る
催
、 2
が、せっかく滋賀県は朝鮮通信使とも縁があるから
と、必死で勉強して例年(といっても隔年開講)対
見力トレーニング 1)J(
Gネットしが主催、 2007年
(男女共同参画ステップアップ講座第 3回 ・問題発
たのですが、今年度は仲尾先生に来ていただいて全
1
1月2
9日)、「日本における出産環境の問題と外国人J
(外国人の医療に関する報告会、側滋賀県国際協会
ての内容を朝鮮通信使にしました。社会人聴講生も
0
0
7年 1
2月1
2日)、「滋賀県の近現代史のなか
主催、 2
多く、多少は「盛り上げ」に貢献できたかと思いま
j
J
尾先生に
す。講義の最後の時間は私が出す質問にイl
の朝鮮人 J(滋賀県 レイカデイア大学米原校、 2008
外文化交流論 Cでは半分は朝鮮通信使の話をしてい
年 3月1
3日)な どでした。
答えていただくというミ ニ討論を行い、数回は私が
私なりの観点から講義をしました。 このスタイルは
-武田俊輔 (
たけだし ゅんすけ)社会学、文化研究
割と評判がよかったようです。おかげで私もだいぶ
.研究活動
勉強になりましたが、非常勤講師の予算があれば、
私の持ちコマとは別に仲尾先生のような専門家に毎
文部省科学研究費補助金に よる若手研究 B 戦後
日本における地域アイデンテイテイの再編と地域伝
回来ていただいて朝鮮通信使について講義していた
統芸能に関する歴史社会学的研究」は最終年度とな
r
人間文化・ 135
人・間・文・化・通・信
り、江州音頭や江差追分といった民謡 ・民俗芸能の
ついて研究をまとめている 。 また国際日本文化研究
される社会において有効な産地振興のしくみとはど
のようなものかという 問題を考えました。偶然にも
絶妙のタイミンク'だ、ったのですが、このことは今後
センターにおける共同研究プロジ‘ェクト「民謡研究
も追いかけていくつもりです。
細 川周平代表)にも 引き続き参加
の新しい方向 J(
している 。
産業を 例としてー 」、経済地理学会第 54回大会、ラ
変容とそれらをめぐる社会的なアクターの関係性に
今年度、新たに執筆したものとしては『社会学を
学ほう J(ミネルヴァ書房、近刊 ) における「観光
と地域文化の社会学 J ナショナリズムの社会学」
r
の 2本がある 。 また昨年 3月 2日夕刊に朝日新聞で
r
[
学会発表 1水産業のグ ローパル化と 産地ーウナギ
ウンドテーブル『グローパル化に直面する第 1次産
、2
0
0
7年 5月2
6日凶、岐阜大学。
業と 地域 j
r
第 3章)水産業の産地形成と振興
[
著書(共著)1 (
計画」、宮川泰夫・山下潤編 『日本・アジアにおける
∞
掲載していただいた「育むべきは討議できる市民
地域の構造と開発 j1
1
'
今書院、 2 7
年1
1月 1日刊行 0
『
愛国心』一柳田国男が語りかけるもの」をもとに
した、「ナショナリズムと教育」の原稿が 『
神奈川
.教育活動
何よりもまず、 4回生 1
0名の卒論指導が大変でし
た。 自分なりに頑張ったのですが、正直に言って
大学評論Jに掲載される予定である 。
。教育活動
「大変」 以外の 言葉が見つかりま せん。学生遠の就
、 3回生が 6名
、
今年度のゼミ生は 4回生が 8名
2回生が前後期を合わせて 9名であった。学外実習
では長野県と岐阜県の戦争遺跡、を巡り、地元のボラ
職戦線が売り手優位だったため、こちらから「卒
論リと強制するわけにもいかず、半ば無抵抗の状
ンテイアガイドの方々のご協力を得て、戦時中の在
抜かれまくりました(この宝万は 1人当たり何本あ
るんだ!?)。結果として、秋の中間報告会、という
日朝鮮人・中国人強制連行と戦後に引き続く問題に
ついて学宵した。
態で「就活でゼミ休みます…」 という伝家の宝万を
よりタイトル提出までに積み重ねさせたかったこと
また今年度から社会調査士資格認定機構との問の
が思うようなペ ースで進まず、締め切りが近づいて
連絡責任者となった。 さらに新たに社会調査実習を
0名
担当して地域文化学科と人間関係専攻の学生の 2
1月以降ゼミ生の卒論
程度の調査に密接に関わり、 1
きてから私も学生達もそのツケを払わされることに
(
泣)。 この教訓を活かさないと、現. 4回生や
だけでなく、調査実習の指導と報告書とりまとめに
忙殺されていた。
4
・地域貢献・社会貢献
新 ・4回生に申し訳ないので、今から色々と考えを
めぐらせているところです。
H頃の講義については、他学部の先生の授業を見
男鬼楽座の活動が継続中であり、保月の聞き取り
に行ったことがきっかけで、やり方を大きく変えて
みました。 これまでは、小難しい地理学の理屈を先
須崎先
調査に加え、茅葺き屋根の差し茅の活動に、 i
に済ませて具体例へというスタイルだったのです
生 ・環境科学部の野問先生と参加さ せていただいて
いる 。 また学会関係では日本ポピュラ ー音楽学会学
会誌編集委員、日本社会学理論学会専門委員、 『ソ
が、「これがそうつながるのか!Jという話題や作
業から 一般論を理解してもらえるように、 9
0分の授
業を組み直したのです。着任以来、講義の内容はあ
シオロゴス 』委嘱委員を引き続き務めているほか、
関東社会学会研究委員
社会学における歴史的資
料の意味と方法」部会)を新たに任ぜられた。
てナンボの仕事なので、きつくてもめげずに続けて
いこう と思います。
r
(
る程度まで固まってきていましたが、面白い話をし
.研究活動
この一年を振 り返ってみると、色々なメディアで
。社会活動
前年度にヲ l
き続き、 『
能登川の歴史 J(
現 ・東近江
市)の編集・執筆委員として、資料収集や巡検など
を行いました。 また、環境科学部の先生方や滋賀県
報道されたように、私達の「食」への信頼を揺るが
す不祥事が相次いで明るみに出ました。賞味期限の
琵琶湖環境科学研究センタ ー と共同で「沿岸域研究
会Jを立ち上げ、琵琶湖沿岸域の持続的利用・管理
改ざん、生鮮品や加工原料の産地偽装、使用を禁じ
られている農薬等の混入 ・残留など・-。これらの事
件が、囲内のメーカーや産地からも発覚したことは、
に関する調査・研究に着手しました。
-塚本礼仁(っかもとれいじ)地理学
本当に残念で、なりません。食料自給率が4
0% を割っ
ている日本だからこそ、国産の「きれいな食べ物」
を供給する責任は評価されるべきだからです。
今年度の研究では、地域産業としての水産業(水
産加工業も含む)に関して、「食の安全性」が重視
1
3
6・人間文化
-石川慎治(いしかわしんじ)保存修景
・研究活動
昨年度から集落調査に関わっていました高島市マ
キノ町海津・西浜が、国の重要文化的景観に選定さ
れることが決定しました。調査報告書は今年度中に
印刷される予定ですが、滋賀県にある伝統的な集落
人・間・文・化・通・信
が高く評価されたことは嬉しいかぎりです。 また、
のある風景の思い出スケッチを例として、戦後日本
今年度は例)
第一住宅建設協会から研究助成を受け、
の家庭内景観の変貌について話しました 。
高島市新旭町針江地区にある「カバタ 」ゃ「モノケ」
といった建造物に注目しながら、湧水と関わりの深
い伝統的集落の研究を行いました。
それから、江戸時代、彦根の城下町にあった「長
曽根口御門」の詳細な実測調査をゼミ生とともに行
いました。その結果、高麗門形式の門であることが
分かり、主要構造部の復元案を作成しました 。現在
は、この案をもとに彦根工業高校の生徒有志の皆さ
んが、
3の模型を制作中とのことです。
海外調査については、今年も「奈良・パルミラ遺
跡発掘調査団」 によるシリア・パルミラ遺跡、の調査
に参加しました。 これまでの調査団の活動が認めら
れ、今年度からシリアと共同で家屋墓 029
b号墓)
を調査することになりました。 また、現在、ここ 2
年間の調査結果をもとに、コンビューターグラフィ
ックスに よる家屋墓の復元作業も行 っています。
4
砂教育活動
同
「社会需要からみ たイギリスと日本の家庭内
機器の発展の経緯について一風呂の事例を中心
にJ(
科研費特定領域研究「日本の技術革新:経験
蓄積と知識基盤化」 第3
1
!
:
!
/国際シンポジウム第 4セ
ッション「家電の技術革新 と暮らしの文化」、 1
2月
1
5
1
:1、国立科学博物館新宿分館)では、主に工学分
野の人たちを相手に、浴槽・浴室のデザイン史研究
の事例を話しました。
食卓上の UFO? :1
940
研究発表および展示
年代アメリカのワッフルアイアン J(
道具学会研究
008年 1
発表フォーラム 「
道具学への招待 ・展」、2
月1
3・1
4日、横浜技能文化会館)は、道具の実物を
展示しておいて、その前で出展者が一人づっ発表す
る形式の研究発表会に、個人的に手に入れた表記の
製品 (
クロームメッキ輝く流線型電気ワッフル焼き
器!)を出品・解説しました。
r
論説
r
(
「庶民の住 まいと調度J 家具の事典』第
4月から助教になったこともあり、はじめて実宵
3部第 2章 「
近世の生活文化と家具」所収、朝倉書
以外の授業を担当し、また、ゼミ生 (3回生) 3人
1)では、日本デザイン学会が中心になって
庖、近干 1
を受け持つことになりました。
編さんする出版物の中で、近世庶民の家庭内景観は
「近江楽座」には 、昨年度に引き続き、プロジェ
クトの指導教員&推進会議メンバーとして関わりま
した 。 また、ボランテイアや NPOといった地域活
動に興味のある 1~2 回生を対象とした「学生地域
活動サポート講座」にコーディネーターとして参加
しました。
どのようであ ったかを推理しました。
.社会活動
県内デザイナ一団体のデザインフォーラム
SHIGAで、県の事業を受託すべく計画に参加しま
した。彦恨のデザイン会社が元請けになって受託に
成功し、本学教員も加わって調査進行中です。 (
県
.社会活動
今年度から、 UNESCOの記念物及び遺跡の保護
商工観光労働部新産業振興課「感性価値創造デザイ
に関する諮問機関である ICOMOS (
国際記念物遺
業J
)
ン調査事業Jおよび「滋賀県伝統産業活性化調査事
跡会議)の日本委員会の会員となりました。今後は、
また、昨年と同様、近江ユニバーサルデ サ、イン賞、
自身の専門分野を活かしながら、より 一層、文化財
近江ユニバーサルデザイン製品アイデアコンクール
の保護に協力していきたいと考えております。
(ともに県健康福祉政策課事業)の審査をしました。
[
- 印 南 比 自志(いんなみひろし)道具計画論
=生活文化学科】
-生活デザイン専攻
F
昨年度在外研修で滞在したイタリアでの踏査活動
の際築いた人間関係が今年度の活動の軸となった 。
・面矢慎介 (
おもやしんすけ)道具デザイン論
イタリアのサルデイニア州 (
九州と同規模の地中海
.教育活動
京都府宮津市由良地区での生活デザイン学外演習
の島)の中央部の 1000mの標高にある約 3
0
0
0人ほど
の人口の刃物職人の村バッターダで 2年毎に開催さ
(
京都府立大、宮津高校との共同開催、 8月 2日
れている刃物のビエンナーレの日本サイドのキュ ー
6日)に、学生を連れて行きました。久しぶりに民
レーションを担当した 。経済産業省が進めるジャパ
具調査なども行なって若い頃を思い出しました。
ンブランド事業の補助金を得て、日本において調査
.研究活動
研究を継続していた刃物産業調査のリストの中か
学術講演
r
生活空間とプロダクトデザイン 」
(意匠学会第 49回大会シンポジウム「テレビのある
ら、高知の土佐打刃物の伝統文化の紹介をテーマと
風景:生活空間のなかの工業デザインとその記憶」
、
することになった。古来から日本の林業を支えてき
た山師、樵なと守が使っていた斧や錠、鋸、鎌、鍬、
1
1月1
0日、神戸大学工学部)では、彦根旧市内町家
鋤のほとんどがこの地域から生産されていた。そし
の生活財の考現学的記録や、本学学生によるテレビ
て現在においても 1
00人近い手技の職人によって丹
人間文化・ 137
人・閏・文・化・通・信
念に生産されているものづくりの現状をテーマにし
0
0
0
mのインダス減、流、西ヒマラヤ、
年は夏に、標高 4
た。有能なゼミ生の協力によって、同内現地取材、
インド領ラダックにチベット仏教ラマ教を奉じ、幻
展示やカタログのデザインを行い、現地に赴いて展
の宗教王同グゲ朝をも滅亡させたと伝えられる山長
覧会会場準備、会期中の事務作業など、現地の大学
民族の暮らしとその染織技法と文化を探りにインド
生のボランテイアとともに精力的に活動した。会期
北部のレーに出かけた。 この地はインダス源流の水
中にはシンポジウムや晩餐会なども行われ充実した
が潤す箇所にだけ緑が生え、その一歩先は荒涼とし
イベントであった。帰国の途、もう ー カ所重要な刃
た小石の砂漠と神々の高嶺が囲み、異次元の世界に
物産地であるフロソローネという町に立ち寄った 。
来たような錯覚に陥った。人が生きられる限界高度
ここは昨年度、調査で役場や企業や職人たちの工房
のこの地の織物訓練所を訪ねた。ヤク牛や羊、うさ
を訪れて関係を築いていた地域である 。南イタリア
ぎの毛を紡ぎ、カシミールと密接な関係を保ちなが
0
0
0人ほ
のモリーゼ州の山奥に位置している人口約 7
ら独特の染・織が伝えられていた。
どの刃物産地である 。同行していたゼミ生や高知の
。研究活動
刃物職人たちと訪れて歓待を受けた。 この町の企業
や職人たちとは、ビジネスの機会が予定されていた。
4月に共著書 『自然を染める』を木魂社から出版
した。染色対象繊維を木綿に限定し、天然染料によ
役場もモリ ーゼ州というマイナーな地域の広報に力
る染色の基礎と応用について解説したものである 。
を入れており、現在日本の地域との交流やものづく
学術論文
りでの協力を目指している 。今回の訪問で土佐打刃
。ポピーの花弁ーから得たアントシアニン系色素によ
物がっくりだした最近のヒット商品のクジラナイフ
る絹布の染色一染色方法および前処理の影響
が彼らの目にとまり、即座に注文契約がなされた 。
糸・昆虫バイオテッ夕、 7
6
1、6
3
・
6
7(
2
0
0
7)
、蚕
これらの交流が今年も計画されている 。そしてジャ
学会発表
パンブランド事業でおこなってきた土佐打刃物の製
。木綿の染色における濃染固着剤の効果に関する研
品開発のプロジ、エク卜の成果が今春の国際ギフトシ
究(第 1報)
ョーで披露される 。他の海外活動としては韓同での
ン性濃染固着剤l
の効果
活動が主だった 。 ソウルから 2時間ほど南下した地
2
9回研究発表会、 1
7(
2
0
0
7
)
域にある公州市の都市計画調査が始まり、現在その
。木綿の染色における j
農染固着剤の効果に関する研
スタッフとしてゼミ生とともに参加している 。韓国
究(第 2報)一天然染料による染色に対するカチオ
酸性染料による染色に対するカチオ
、日本家政学会関西支部第
が新しい行政区の移転を計画している地域に隣接し
ン性濃染悶着剤の効果一、日本家政学会関西支部第
た町である 。滋賀県の守山市とも姉妹都市である 。
2
9回研究発表会、 1
8(
2
0
0
7
)
ここの若い市長へのプレゼンテ ー ションを昨年秋に
。各種織物 (
木綿、ポリエステルおよび綿/ポリエ
行った。 この町の遠い将来像を描きながら、現実に
ステル)に対する強アルカリ性電解質の洗浄効果、
小さな建物やパブリックデザインのプロジ‘ェクトが
18
2
第 6回日本機能水学会学術大会講演要旨集、 8
進められている 。 また、韓国ソウルでは旧日本軍が
(
2
0
0
7
)
建てた刑務所施設のコンパージョンについての調査
。野草で染色した綿布の抗菌性、日本食品科学工学
研究がすすめられている 。他 にも環境デザイン分野
4回研究発表会、 1
3
9(
2
0
0
7
)
会第 5
でのプロジェクトが雨後の街のように生まれてきて
今後も共同研究をすすめ 、成果をあげていきたい
いるが、流行で終わらせないようにじっくりと関わ
と思っている 。
っていきたいと考えている 。今年度の活動を振り返
4
砂教育活動
ると海外の活動が記憶としては鮮明であるが、実は、
今年度は、新たに滋賀県東北部工業技術センタ ー
圏内での活動頻度は昨年度によりも多かった。 しか
で、センターの職員の皆様の指導のもと、繊維試験
し少々惰性で動いている感も拭えない。人間関係、
実験を行った。講義内容の充実 ・理解が深まったの
地域関係をつなぎ止めておくためには常に足を運ん
で、今後も実施していきたいと,思っている 。
で実際に膝を突き合わせての対話が必要で、ある 。 日
研究室では、 3名が卒業研究に取り組んだ。狭い
常的になってしまうことで活動のプライオリテイが
研究室で、限られた機器での実験で、不自由な思い
下がらない ようにしなければならない。
をしたであろうが、自らが計画を立て実行し 、成果
-道明美保子(どうみようみ l
まこ )染色学
染色の伝統的技法を現代の科学から検証し、さら
器を使用させて頂き、研究をすすめた学生は学部生
に発展させていく方法を探ろうとしている 。
研究者の前で堂々と研究発表した。後輩もこれに続
いてもらいたいものである 。
を挙げている 。我が研究室にはない工学部の研究機
4
砂海外調査
数年来、染 ・織の源流を訪ねる旅をしている 。今
1
3
8・人間文化
ながら、 1
2月に開催された日本機能水学会で多くの
今年度はゼミ生が彦根城博物館能舞台で開催され
人・間・文・化・通・信
た「衣装と高狂言」ゃ多賀大社の平成の大造営竣工
究もまた、端緒についたばかりである 0
「
奉祝大祭」での近江猿楽多賀座特別公演などに参
.社会活動 (
講演・地域貢献)
加し、貴重な経験をした年でもあった。
.社会活動
春に、近江猿楽多賀座主催の草木染め教室の講 B
n
i
県内外の自治体などが運営する、まちづくりなど
に関する委員会委員やアドバイザーなどを務めた 。
また、レイカデイア大学米原校などで講演を行った。
を務めた。参加 した子供達が染めた布は秋の多賀座
その他、いくつかの NPO (法人)のメンバ ー とし
の公演に使われた。秋は、多賀 町生涯学習講座で 3
て、社会公益活動に携わった。
日間、草木染め講座の講師を務めた。 これらの講座
で、身近かな天然染料を見直し活用する裾野を広め
たいと,思っている 。
-宮本雅子 (
みやもとまさこ )住環境学・ インテ リア計画
。研究活動
ここ数年、多賀座の方々と約 6
0
0年前の染色技法
研究活動としては、昨年度から行っている関西電
を探りながら染色した衣装が、今年度は「衣装と高
力と京都女子大学短期大学部岡嶋准教授との共同研
狂言j、「猿楽の時代と闘茶展」、「多賀大社寓燈祭参
究により、 「
住宅における昼光 ・人工照明の効果的
道織りなす舞とわざJ
、第3
7凶滋賀県芸術文化祭参
利用 ・快適性評価研究」 を継続している 。その一環
加事業 「
寿福の猿楽」等で披露 ・活用された。
として、現在の住宅照明の実態調査を行い 、照明の
配置計画についての現状を 把握した。
-森川稔 (
もりかわみのる)都市 ・地縫計画、まちづくり、
彦恨橋本町協同組合との共同研究で、サイン計画
市民参加
や拠点作り (
いこう館) に関わった。サイン計画は
.教育活動
昨年の 4月 1日に、 近江環人地域再生学座担当と
学生が卒業制作として取り組み、学生がデザインし
た看板が設置された。
して、本学に赴任した。それまでは、民間の都市計
また、京都市からの附建築研究会への委託研究で
画コンサルタン トの会社に在籍し、都市 ・地域の計
ある京の色研究事業調査業務に参加し、主に京都市
画づくりやまちづくりなどに取り組んでいた。近江
内の色彩調査を担当した。
環人地域再生学座は、滋賀県の地域再生を担う人材
〈学会活動〉
8
年度の後期か
を育成するプログラムと して、平成 1
日本建築学会「建築空間の質感・色彩設計法小委
らスタ ー トした学内横断的な取り組みであり、社会
員会 」 に幹事として参加 しているが 、今年度は、
人と大学院博士前期課程に在籍する学生を対象とし
2
0
0
7年 1
1月にシンポジウム「建築空間の色 ・素材 ・
ている 。 この学座は、 地域再生のための事業や活動
質感」 を開催した 。
を企画・実践する リー ダーや コー ディネ ー ターの養
〈研究発表〉
成を目ざしており、実践的なカ リキュラムが組まれ
ている 。学座での教育に関わってまだ 1年にも満た
ず、今だ手探りの状態が続いているが、これまで携
わってきた社会での実践経験を 、教育に少しでも役
立てていきたい と思っ ている 。
。研究活動
1.Compar
a
t
i
v
es
tudyo
feval
ua
t
io
ns
t
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uc
t
u
re
st
o
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s and young per
s
ons
. AI
C Colour0
7
P
r
o
c
e
e
di
ngsBook
2
. 飲食庖インテリアの評価と 内装材の関わり、日
-l
.pp439
本建築学会大会学術講演梗概 集 D
ており、県内における 地域再生の取り組みについて
4
4
0.
2
0
0
7
3.八木廉子 ・図嶋道子 ・宮本雅子 ・石津京二 :住
調査 ・研究を始めた。そもそも「地域再生」 とは何
なのか。何 を目ざすの か。そう した根本的な ところ
宅居間における昼光 ・人工照明の効果的利用と光
環境の快適性(第 2報)、日 本建築学会大会学術
を常に意識して、研究会 を進めたいと 思っている 。
l
.p
p
1
1
51
・
1
1
5
2
,
2
0
0
7
講演梗概集 E4
. 閥嶋道子 ・宮本雅子他 :住宅居間における昼光
による行為のしやすさと空間評価(その 1)、照
明学会大会講演論文集、 2
0
0
7
学座のなかで「地域再生研究会」の運営を担当し
また 、私が理事長を して いる NPO法人おおっ市
民協働ネッ トで、「協働のしくみ研究会」 と「新し
い地域 コミュ ニティ 研究会」を、昨年 1年間にわた
って開催 した。高齢化と財政の逼迫化が一層進むな
かで、自助 ・共助を基本 に した住民自治を高めるこ
とが、日本のこれからの大きな課題と考えられ、市
民 ・事業者 ・行政が協働を進めること、また、自治
を支える基盤となるコミュ ニティを確立していくこ
とが重要だと考えている。そうした ことを念頭に、
5
. 宮本雅子 ・図嶋道子他:住宅居間における昼光
による行為のしやすさと空 間評価 (
その 2)、照
0
0
7
明学会大会講演論文集、 2
6
. 八木廉子 ・宮本雅子他 :住宅居間における昼光
による行為のしやすさと空間評価 (その 3)、照
明学会大会講演論文集、 2
0
07
市民や行政の参加を得 て研究会を開催した。 この研
人間文化・ 139
人・間・文・化・通・信
4
惨教育活動
生活デザイン学外演習の 1プロジェク 卜と して昨
年度に引き続き ユニ バーサル デザインによるサイン
。研究活動
〈論文〉
-森下あおい「新しい美の創造
芸術から生み出さ
J(平成 19年度日本家政学会 被 服 構 成
計画について学生とともに取り組んだ。昨年度の結
れた衣服
ユニバーサルデザイン )
果をふまえ、守 山市 UD (
学部会 『夏期セミナ ー要旨集 J
、p
p
.
2
4
2
7)
まちかどウォッチャーの協力を得て、サイン作成に
向けてデザイン案を作成した。
〈作晶〉
P
r
o
d
u
c
t
i
o
nCl
o
t
h
i
n
g
Jr
Modernism
・森下あおい f
ガラス、特別養護老人ホ ームあやめの里、高齢者向
、平成 1
9年 3月1
7日-6
d
e
s
i
g
n
i
n
ganewworldJ
月2
9日
ngton
(
The Corcoran Galer
yo
fArt、Washi
け優良賃貸住宅守 山やすらぎの家、ほほえみやすの
D
.C
.
)
今年度は 3回生 2名
、 4@
!
生 3名、院生 1名の体
制で、ゼミ活動を行った。その一環として日本電気
郷、福祉用具 センタ一、 MIHOミュージアム 等の見
-森下あおい「服飾デザインにおける浜ちりめんの
服飾文
フォ ーマルウェアのデザイン J(
学および建築色彩に関する講演会への参加を行 った0
適応性
.社会活動
化学会 『第8回大会』、平成 1
9年 5月 1
9日-20日
、
守山市 UDまちかどウォッチャ ー、滋賀県建築審
査会委員、草津市都市計画審議会委員、彦根市行政
評価委員、 彦根市建築審査会委員、滋賀県レイカデ
イア大学講師、 「街の色研究会 ・京都」 の活動に参
加。
お茶の水女子大学)
.i
出
l
東繊維協同組合 ・滋賀県東北部工業技術センタ
ー・森下あおい 「びわこブル ー」展、平成 1
9年 1
1
月 5日-9日、大津市コラボ 2
1しが
〈出版〉
・森下あおい 「再椛成 JW
現代日本の衣匠 vo
.
l2 J
、
.森下あおい(もりしたあおい)服飾デザイン
.年間活動
本年度は明治l
時代の日本人女性の体形と 着衣形態
(
株式会社 ART BOX インターナショナル出版、
p
p
.
5
6
5
7、平成 2
0年 1月)
〈共同研究報告書〉
に関する研究を、古写真 から分析するとともに、継
-石坂恵 ・森下あおい 「
浜ちりめんの洋装化 に関す
続課題である近世以降の絵画ヒの女性の体形につい
る研究 J(
滋賀県東北部工業技術センタ ー 『平成
てを対象としてデー タを収集した。今後はそれらの
まとめを行うとともに、しぐさや動きについてのデ
ータを収集する予定である 。
Moderni
smde
s
i
g
n
i
n
g
一方、作品発表として、 W
aneww
o
r
l
d
l
.、展において、ロシアアヴァンギャル
ドの衣服デザインの作品をワシントンの Corcoran
Gale
r
yo
fArtにおいて発表した。 これは昨年と引
1
8年度研究報告書』 、 p
p
.
6
8
71
)
〈口答発表〉
・森下 あおい・ 石坂恵 「
浜ちりめんの洋装化に関す
る研究
ブラ ックフォ ーマル ウェアとしての適応
性 J(日本繊維製品消費科学会 r
2
0
0
7年年次大会』、
平成 1
9年 6月
大妻女子大学)
〈解 説〉
き続いたものであるが、パリモ ー ドとは異なる近代
・森下あおい f
2
0
0
7年春夏シ ーズンのファッション
以降の衣服デザインの変遷過程を含めて、実践的な
繊維製品消費
の傾向 J(日本繊維製品消費科学 『
検証方法によって明らかにしたい。
現代フ ァッ ションの動向についての分析では、パ
科学.
1 Vo
.
1
4
8、No1、pp.
l4
1
8)
-森下あおい f
2007-08秋冬シ ーズンのファ ッショ
リ・ミラノコレクションにおけるデザインの傾向を
ンの傾向 J(日本繊維製品消費科学 [
繊維製品消
イラストレーションに表現することで観察・分析し
費科学 JVo
.
1
4
8、No6、 pp.
2
3
・
2
7)
た。 ラグジュア リーブラ ンドのマーケテイング手法
森下あおい f
20
0
8年秋冬パ リ・ ミラノ コレク ショ
が注目される中でこそ、服飾の造形的なデザインの
ンの傾向 J(日本繊維製品消費科学 『
繊維製品消
評価をし っかりと行う意味があると考える 。
費科学 JVo
.
1
4
8、 No12、 pp.
5
3
・
5
8)
地域 に関わる研究活動では、「浜ちりめんを用い
た洋装デザインの提案」 をテ ーマ として、中高年女
.講演
9年 6月3
0
「ファッションデザインと装飾」平成 1
性を対象としたフォーマルウェアのデザインの機能
日、平成 1
9年度定期講座、草津市立市民交流プラザ
性に考慮した効率的なパターンの考え方を学会発表
主催
した。その他、共同研究としてファ ッシ ョン分野の
9
年7
「
繊維分野におけるデザインの役割」平成 1
新しい製品を想定した素材の感性評価の分析を行っ
月1
0日、滋賀県東北部工業技術セ ンタ ー、滋賀県繊
た。県内に伝統ある織物産地がある ことは全図的に
維協会主催
みても極めて貴重な財産であり、より具体的な成果
に向けて取り組みたい。
・
人
間文化
140
「自分らしい服飾デザイ ン」平成 1
9年 1
1月 1
0日
、
淡海生涯学習カ レッジ理論学習、彦根市教育委員会
人・閏・文・化・通・信
主催
は、今年度で 1
0年目の節目を 迎 えた。活動内容は変
。教育活動
0年間続けてこれたことで、
化 しながらも 、とにかく 1
本年度は繊維産地との多くの活動を活発に行うこ
木を利用した空間づくり、ものづくりへの学生の関
とができた。中でもゼミ生による「滋賀クリエ ーシ
0月には川上村
心は大きく高まったと感じている 。 1
ョン
0
周年を記念し、大阪工業大学大阪センタ ー
木匠塾 1
滋賀の繊維力
」の企画については、産地の
デザ
にて、 川上村や参加大学、さらに他地域の木匠塾関
制作を行い、その過程における様々な運
係者などを交えたシンポジウムを行い、今後の木匠
営が学生相互の協力体制によって行われたことは、
塾の目指す方向性などについて議論を深めることが
方々へのヒアリングをもとに 、展示会の構想
イン企画
できた 。 2
0
0
3年に始まった多賀木匠塾も今年で 5周
非常に有意義であった。
大津市
滋賀クリエ ー ション J(
年を迎え、岐阜・加子母での継続されてきた木匠塾
コラボしが2
1 平成 1
9年 1
0月2
9日-1
1月 3日、滋賀
への参加も始まり、今後も木匠塾の活動はさらに発
「滋賀の繊維力
9年 1
1月9日-11月 1
1
県立大学交流センタ 一 平成 1
展していきそうな気配である。
日、展示 .滋 賀 県 庁 東 館 平 成 1
9
年1
1月2
7日 平成
2
0
年 2月 3日、東北部工業技術センタ一 平成 2
0年
4
・研究面
2月1
5日 -)
ンド、カ ッチ地方とのつながりを探って東アフリカ
。地域・社会貢献活動
地域活動では、ゼミ 4回生 7名が彦根市社会福祉
沿岸の港市やペルシア湾岸のオマーンを訪れたこ
センタ ー主催のシルバ ー学祭に参加し、地域の方々
こと、東アジア城郭都市の系譜を探るため西安、洛
今年も海外での調査を数次にわたって行った。イ
と、ウズベキスタンの数々のオアシス都市を訪れた
と共にファッションシ ョー を行った 。本年度は参加
陽、開封などの都城を訪れたことは、アジアの都市
された中高齢の方々と「世代におけるファ ッション
や住まいに関する知見を大いに広めることになっ
観 j を発表し、日頃は気づかない異世代の意見を改
た。
年の後半は、博士論文を著書へとまとめる作業や、
めて学んだ。
またゼミ 3、 4回生が近江楽座のプロジェクト
インドのカ ッチ地方を中心とした調査研究のまとめ
「
八日市屋台プロジェクト」の企画に参加し、湖東
に多くの時間を費やした。インド洋海域世界の港市
産地の麻布を用いた妖怪コスチュ ームを制作展示す
に関する調査研究は、調査を重ねる度に新たな発見
るとともに、来場者へのメイクアップを行った。衣
があり、今後も継続発展させていく予定である 。
服はその表現を通じて、判りやすくメ ッセージを伝
〈
著書〉
山根周・布野修司 『ムガ ル都市
え、誰もが共に楽しめるテ ーマを創るものである 。
学生たちが小さな子供たちと装いを通じたコミュニ
ケーションをイ本験したことは、創るだけではないデ
ザインの役割を感じたのではないかと思う 。
r
「ファッショント ークJ 知る場一学祭 j (
彦根市
イスラ ーム都市
の空間変容 j京都大学学術 出版会、 2
00
8
年 5月出
版予定
〈
論文〉
岡村知明 ・山根周 ・深見奈緒子 ・羽生修二「パド
9
年 9月7日、彦根市文
社会福祉協議会主催、平成 1
レシュワル (
インド、カッチ地方)におけるファ
化プラザ)
.
6
2
5、
ディアの構成」日本建築学会計画系論文集 No
・米原市 NPO法人「環境こ ろころj ファッション
9年1
1月
ショ ー協力、平成 1
2
0
0
8年 3月
〈報告書〉
山根周 ・深見奈緒子・鈴木英明・岡村知明他 『シ
市・住居論
0 シルクロー ド学研究センタ
ルク ロー ド学研究 3
ー研究紀要 / インド洋海域 における港市の研究
.教育面
今年度 より研究室に大学院博士後期課程の学生が
0
0
8年 3月
ード学研究センタ 一、2
-山線 周(やまねしゅう)地域生活空間計画、アジア都
インド ・カッチ地方を中 心 として -Jシルクロ
加わり、学部 3回生から大学院までの学生がゼミに
〈
研究発表〉
揃い、楽しくかっ充実したゼミ活動ができる ように
① 山根周 ・岡村知明・ 深見奈緒子 ・羽生修二 「イン
ド
・ カッチ地方における 港市の構成に関する研究
なってきた。 ここ 数年、ゼ ミの卒業生の大学院への
進学も継続するようになってきた。他大学への進学
その 1 パドレシュワ ルの集住単位ファデイアの
もあり、さまざまな方面で研究を続ける学生が育っ
類型およびコミ ュニティ 構成」 日本建築学会大会
てきたことを喜んでいる。環境科学部建築デザイン
1分冊、2
0
0
7年 8月、p.
4
9
5
0
学術講演梗概集 E
専攻・布野研究室との合同ゼミも 3年目を迎え、刺
② 岡村知明・山根周 ・深見奈緒子 ・羽生修二「 イン
激を受けながらゼミでの議論を展開している 。
1
99
8年の開始以来毎年継続 してきた木匠塾の活動
ド・カッチ地方における港市の構成に関する研究
その 2 パド レシュワルにおける伝統的住居デ ロ
人間文化・ 1
4
1
人・閏・文・化・通・信
の空間構成」日本建築学会大会学術講演梗概集
を行っており、えびす講でオ ープニングを迎え、現
E-1分冊、 2
0
0
7年 8月
、 p
.
5
1
5
2
在も内装をイベント等と並行しながら制作中であ
① 岡崎まり・布野修司 ・山根周・山本直彦「大阪市
西成区あいりん地域 (
釜ヶ崎)におけるサボーテ
イフ守ハウスの成立過程とその現状に関する考察」
る。
.研究活動
昨年度から引き続き、現在西洋建築歴史家の方が
日本建築学会大会学術講演梗概集 E-2分冊、
企画された来年出版予定の建築家の作品集の図版制
2
0
0
7年 8丹
、 p
.
2
3
92
4
0
作を担当しており、その一環として、オランダでの
・
@ 山根周「インド北西部の住居と集住形態J日本建
調査を行った。 オランダでは 1
5軒の建築物を訪れ、
築学会東洋建築史小委員会平成 1
9年度公開研究会
現在も生活している住宅も訪れることができた。作
「アジアの住まい
0
0
7年
その 2 南アジア編」、 2
1
1月1
71
:、於:1:1本大学理工学部
品集では 2
5点の建築物を掲載予定で、その全ての阿
面および空間構成がわかる立体関の図版を制作して
〈調査〉
0点についてはゼミ生にも制作を協
いる 。 また家具 1
①2007年 2 月 28 1:1 ~3 月 19 日:シルクロ ー ド学研究セ
力してもらっている 。
ンタ ー助成研究「インド洋海域世界における港市
の研究
インド・カッチ地方を中 心 として
」
空間制作に関しては、 2件の住宅が計画中だが、
現在諸事情で休止している 。
のため、ザンジパル、キルワ、モンバサ、マリン
京都ギャラリ ー (京都西京極)庖舗空
展示会:WH
デイ、ラムなどの東アフリカ沿岸港市と 、オマ ー
2
0
0
7年 5月)
間の展示 (
ンのマスカトにて臨地調査。
②2007年 7 月 20 1:1 ~8 月 3 日:科研費研究「パトリッ
ク・ゲデスに よる近代都市計画の理念と計画手法
に関する研究」のため、ウズベキスタンのタシケ
-南 政宏 (みなみまさひろ)道具デザイン
.デザイン・研究活動
s
s
e
n附と開発が続いていました、家
昨年度より Ni
ント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァなどにおい
具シリ ーズ一式(ハイチェスト、ワイドチェスト、
て臨地調査。
TVボー ド、ダイニングテ ーブル、ダイニングチェ
③2007年 9 月 17 日 ~27 日:学内特別研究費「東アジ
ア
、
ドレッサ ーデスク、シングルベッド)が 8月に
アにおける歴史的城郭都市の起源 ・形成・変容 ・
ニッセンより全国発売される運びとなりました。個
再生に関する総合的比較研究 一近江近世城下町
人的にこのようなシ リー ズで製品開発に携わった例
の東アジアにおける歴史的意義と位置づけの解明
は初めてであります。いずれの製品も都会の女性を
-Jのため、中国の西安、洛陽、開封などにおい
ターゲットにしたコンセプトで、デザイン性にすぐ
て臨地調査。
れながらも、コス トパフォ ーマンスの優れた製品と
④2 007年 1 2 月 1 8 日 ~3 1 日.科研費研究「パト リ ッ
なっています。
ク ・ゲデスによる近代都市計画の理念と計画手法
福岡県の大川市家具工業組合が主催する、「国産
に関する研究」のため 、インドのヴア ロー ダラ、
材を使用した家具デザインコンペ」において優秀賞
マンドヴィなどにて臨地調査。
を受賞しました。 ここでの提案は 、 日本中に放置さ
れており、家具に不向きとされる国産材をどのよう
圃佐々木ー泰(ささきくにひろ)空間デザイン
.教育活動・地域活動
2年目を迎えた 2
0
0
7年度は、研究室のゼミ生によ
にしたら活かせるかについて考察したものでありま
す。 ソファ 、 サイドテ ー ブル、ワイドチェスト、
.
ohmif
o
odp
r
o
j
e
ct"であり、 4回ゼミ生が屋
れた .
TVボ ー ドが試作され、 rOokawa t
h
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i
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0
0
7
Jr
新春展 2
0
0
8
Jにて展示され ました。
mo
ku
ba
nR
2
J
熊本ア ー トポリス建築設計競技 r
において、 rKUMAHUTSJ (
林真弓と共同)
で球磨
台制作を担当した。折りたたみ、移動可能 な屋台と
村森林組合賞を受賞しました。新たな木の可 能性を
して 制作を行い 、現在屋台は無事完成し、いくつか
探るというテ ーマで開催された実施コンペで、話題
る活動が本格化 を迎えた年でもあった。
一点目は食生活の学生と共同で近江楽座に採択さ
のイベン トに使用され、有効に活用されている 。
二点目は、 テラスプ ロジェク トとして、 3回ゼミ
生が中心 となって、生協食堂のテラスを設置する改
修提案を行っており、一回目の提案を終了し、現在
性と注目度の非常に高い コンペでした。
4
砂教育活動
昨年、担当いた しました道具デザイン演習「で課
題として「 コイズミ国際学生照明デザイン コンペ」
機能上の検討や、原寸大の モ ックアップによる試作
1
回を数え、
に応募をしました。この コンペは今年で 2
を行っている 。
学生を 対象 としたハイレベルな国際コンペで知られ
三点目は 3回ゼミ生が地域の学生、食生活、看護、
0
0
0を超える応募数を数える中、
ています。毎年、 1
橋本町商庖街と協力し、空き!苫舗の改修計画と制作
i
g
h
t
J と、安慶田久美子さん
野口香織さん rTAPL
・
人
間
文
化
1
42
人・間・文・化・通・ {
言
「アウトドアへの誘い」の 二点が佳作に入選しまし
た。
1)早川史子-湖東地域の非 H常的な茶粥ー 「五
豆茶粥」 ・ 「
五粥茶」 ・「豆茶」 ・ 「
豆 じゃ 」、
大手アパレルメーカ -WORLDが主催する、アパ
6
号3
8
4
2
.
滋賀の食事文化 1
レル商業空間のデザインコンペ WORLDSPACE
CREATORSAWARDS2
0
0
7において、中舎萌 ・杉
c
i
p
o
la
Jが優秀賞を
本真美さんの共同制作による r
2)早川史子・岡崎章子 ・猪口智子 ・韓順子:島
受賞しました。
3)早川史子・岡崎章子 ・猪口智子・鷲見孝子・
また、昨年度の卒業生尾関真理子さんが卒業制作
十良県 ・山口県の茶粥習俗、日本食生活学会誌
(印刷中)
韓順子:岐阜県・愛知県 ・兵庫県 ・岡山県 ・広
で制作した作品 「穴を活かしたプロダクト制作?ア
島県・徳島県の茶粥習俗の分布、日本食生活学
フオーダンスデザインの実施一」を、卒業後、毎
会誌(印刷中)
日
・ DASデザイン賞 2
0
0
7に出品しました結果、入
選しました。就職後、仕事を行いながらの忙しい状
況でしたが、卒業制作を学内発表のみならず、社会
に発表していくことはとても大切なことだと思いま
(3)報告書
1)彦根梨を原料とするケチャ ップやドレ ッシン
グ等の機能性に関する研究、稲枝商工会
(4)学会口頭発表
1)岡崎章子・早川史子:女子大学生の食物消費
す。
。社会活動
昨年、担当いたしました道具デザイン演習 Eで
「
滋賀県立大学生協のマスコットキャラクタ ー開発」
を課題にし、その中から長尾祥子作による 「とんが
りケンちゃん」が選出されました 。県大オリジナル
クッキーのパッケージ、シールとして生協にて発売
されています。オープンキャンパス等にも使用され、
県大生協のみならず、広く県大を知らしめるための
構造と PFC
比率、第 5
4回日本栄養改善学会学術
講演会講演集.
2)韓順子・早川史子:女子学生 (
高校生と大学
4回
生) の初夏における飲み物の飲用実態、第 5
日本栄養改善学会学術講演会講演集.
(5)競争的資金
早川史子:多賀町教育委員会「子ども生活リズ
8
万円
ム向上のための調査研究」乳幼児調査2
I.地域・社会 ・国際貢献
今後の活躍が期待されます。
(1)講演会
-食生活専政
1)食育アンケ ー トの結果から食育をどう進める
・早川史子 (
はやかわふみこ)公衆栄養学、健康と栄養、
2)食育をどう進めるか、多賀 町教育委員会社会
。年間活動
茶カテキンには強い抗酸化作用がある一方、金属
イオン共存下ではヒド ロキシルラジカル
か、文部科学省食育推進事業校内研究会(教職
員
、 PTA
役員)、近江八幡市立八幡小学校
食昂機能論
(
OH・)
を生成し、 DNAを損傷することを明らかにし、そ
教育課
3)土山町生茶葉利用について、丸安茶業
4) 子どもの生活リズムを整えよう家族で考え
のメカ ニズムを検討しているが、その一環として、
る 「
早寝早起き朝ごはん」、多賀幼稚園祖父母、
本年度はカテキンおよび類似の構造を有するフラボ
大滝幼稚園保護者、多賀幼稚園保護者、多賀町
依存性を検討し、中
ノイド類の これらの反応の pH
教育委員会社会教育課
性付近 よ りも酸性側の方がラジカル消去能、
OH'
生成能ともに促進される ことを明らかにした。
茶粥に関する研究で は茶粥習俗を有する地域の分
布図を作成し、これらの歴史的背景などから伝橋経
路等の推論を行った。いまだ未完成で、あるが本年度
中に完成したい。
多賀町や彦根市とともに食育推進に向けた基礎資
料を作成した。
。活動一覧
[研究活動
(
1)教科書 (
共著)
r
1) 管理栄養士コ ースで学ぶー キャリア ーデザ
インのために」同文書院
r
2) 食生活」朝倉書庖
(2)研究論文
5)食生活と子どもの健康、米原中学校 PTA教
育講演会
6)滋賀県農産物活用推進シンポジウム、基調講
演ならびにコーデェネ ー ター
7)食育における学校での指導について、湖北 2
市2郡小 ・中学校教職員、栄養士、学校医、学
校歯科医、学校薬剤師、滋賀県 5ブロ ック学校
保健会 ・滋賀県小 ・中学校教育研究会
(2)地域貢献
1)土山町生茶葉利用に関する協力と助言
r
(
2) 仮称)ひこね食育推進計画」の策定 (
彦根市
一般 ・小学校 ・中学校における食に関するアン
ケート作成に関する協力 と助言
3)和歌 山県からの 地域振興助成金による、 (
旧)
龍神村の茶粥調査
人
間文化・143
人・間・文・化・通・信
(3)各種審議会 ・委員会委員
本公衆衛生学会総会
町社会教育審議会委員兼公民館運営審議委員、安
3)馬野美智子 ・出 中敬子
に関する分析」 第 2
2回
曇川町商工会アドペリー商品認定委員、滋賀県教
育委員会湖っ子食育推進委員、
7
7(
2
0
0
7年 10
講演集 p2
月2
5日 愛 媛 県 )
滋賀県建設省所管公共事業評価監視委員、多賀
「
幼児の問題岨晴行動
滋賀県小児保健学会
座 長 講 演 集 p1
0 2
0
0
7
年1
0月 6日
滋賀県卸売市場
4
砂地域・社会貢献
審議会委員
(4)学会委員会委員
〈講演会〉
日本食生活学会評議員、日本栄養改善学会評議
1) I
生活リズムと朝ごはんの大切さ 」
員、日本農芸化学会代議員、日本栄養食糧学会近
ンテェア養成講座
畿支部役員
ー
-田中敬子(たなかよしこ)栄養教育論
.年間活動
今年は着任 3年目で、ょうやくこの地での栄養教
育のためのフィールドを得て、子どもの健康的な行
動変容のためのプログラムによる 3ヶ月間の教育介
入を近江市立幼稚園園児とその保護者を対象に岡市
幼児謀ならびに地域の管理栄養士の方の協力のもと、
開始することができました。昨年から行っている公
2
0
0
7年 9月2
8日
ルスの動態とも絡めて検討し、的確な知識の付与が
園・保育関児対象の調査結果より幼児の健康や問題
食脊講演会
月2
7日
1) I
子 どもの健康の背景
」
思っております。今年はまた I
OumiFoodP
r
o
i
e
c
tJ
や「彦根橋本町共同組合における空き庖舗を活用に
オープンキャンパス
模擬講義、 2
0
0
7年 8月 4日
2) I
今、何故食育か?J 京都府立南陽高等学校
0
0
7
年1
1月1
5日
模擬講義、 2
測すること採っております。 こちらで展開してきた
今までの研究の成果をそろそろまとめな ければーと
0
0
7年 11
長浜市教育委員会主催
、 2
〈出張講義〉
食行動と養育者の食意識や養育態度との因果関係を
直接計測できない構成概念による構造的分析から推
2
0
0
7
年 6月 5
5) I
歯と口腔からみた食育について」長浜小学校
行動の変容には非常に大きなウエイ卜がかかってい
ることを確認しました。 また 一昨年から始めた幼稚
近江八幡市食育委員会主催
日
2) I
幼児の 問題食行動について」食育講演 近江
八幡市立北里幼稚園
0
0
7年 9月 7日
近江八幡市健康福祉部 2
3) I
食事調査方法と評価」メタボリツクシンドロ
ーム予防専門研修大津健康福祉センター 財
団法人滋賀県健康づくり財団主催
4)I
今、何故食育か? 特別支援学校での食育J
教育講演 近畿地区特別支援学校事務長総会、
立小学校の児童を対象とした健康教育の評価を岨嶋
能力、生活・食背慣の変化からとさらにメンタルヘ
食育ボラ
近江八崎市総合福祉センタ
〈各種委員会〉
高島市安曇川町商工会ア ドペリー商品認定委員
〈学会委員会委員〉
関する提言
」 等の地域活動に参加させていただき他
日本薬理学会評議員
学科の学生さん達や地域の方々とのふれあいの中で
日本栄養改善学会評議委員 ・
同近畿支部役員
沢山のエネルギーを頂いた年でもありました。
日本家政学会近畿支部役員
くその他〉
会長顕彰.栄養士養成教育功労賞 (全国栄養士養
.研究活動
く著書〉
「おいしい食卓 BOOKJ共若
松下電器産業株式
〈研究論文〉
岸本三香子、海野知紀、田中敬子、「難消化性デキ
ストリンを配合したデザ一ト飲科の摂取が女子学生
の排使状況およひび、健康状態に及 l
ぽます影響」日本食物
∞
山下義昭
動による身体組成. J
!
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中酸素濃度およびストレ
「小学生の岨鴫と食習
慣・生活習慣との関連について」 第66回
1
4
4・人間文化
長
滋賀県・滋賀県栄養士会主催
-彦根橋本町共同組合との共同研究 (代表 ・武邑尚
彦)
講演集
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2(
2
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0
7年 5月1
2日 長良川国際会議場)
2)田中敬子 ・岸本三香子
「親子へルシ ークッキングコンテスト J審査委員
関する提言」
田中敬子 「
運
スへの影響 j 第5
9回日本家政学会総会
名 :O
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彦根橋本町共同組合における空き庖舗を活用に
繊維学会誌 VO
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3
〈学会口頭発表〉
1)坂口名菜、中島美朋
成施設協会)
“スチユ ーデントファーム 「
近江楽座 J
/まち・む
ら ・く ら し ふ れ あ い 指 導 教 員 プロジェクト
会社
日
圃灘本知憲(なだもととものり)食昂栄養学
今年もパタパタしているうちに終わってしまっ
た。野草の生理活性、食品の温冷効果の研究にマス
人・間・文・化・通・信
コミ、企業からの引き合いが多くなったことが特徴
9月 9日 (
新潟)
の一年であった。 また、食品の加工などで知恵を借
・漢方から見た食塩の冷作用の科学的検証、灘本知
りにこられる県内の諸団体も相変わらず多い。 これ
態、ソルトサイエンス、 20
07年 7月3
1日 (
東京)
らに何とか対応できたのも、学生さんのお陰でした 0
4
砂講演
.論文
・食品の性
・生活の知恵、から食を見直す、近江生涯カレッジ、
体表 i
.
f
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.
変化 を指標として
(1)
、 灘
0-15頁 (
2008)
本知憲、漢方研究、 1、1
-食品の性
体表温変化 を指標として
(
2)、灘本
知憲、漢方研究、 2、1
8
?
2
3頁 (
2008)
-冷えを改善するために
果
滋賀県、2007年 9月 8日(大津)
・エネルギ 一代謝、灘本知憲、メタボリ ツクシンド
年 9月1
8日 (大津)
ローム予防専門研修、 2007
-脂質を中心としたエネルギ一代謝、滋賀県 1
0年研
冷えを予防する食品の効
、吉田真由子、灘本知憲、人間文化、23、 3 -
2
0
0
8
)
8頁 (
年 9月28日 (
彦根)
修
、 2007
-天然物由来の消臭・抗菌活性の検索 一野草を中心
にして一、滋賀県、滋賀県産学官ニ ーズ ・シーズプ
。著書
・人体の構造と機能及び疾病の成り立ち、ビタミン、
ラザ、 2007年 1
1月20日(大津)
テキスト )、イーピーエス附(平成 1
9年 1
2月)
.地域貢献
米原市情報公開審査委員会 委員
-ひこね元気の「タネ」発見ワ ークショップ (
食.
・冷え ・カゼや目覚めの悪さ・ショウガココア、
コーデイネ ー ター)、彦根商工会議所
わかさ 3月号、 1
6
4
-1
67頁、側わかさ出版 (
2008年
-健康・栄養マップ専門委員 、滋賀県
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無機質 (ミネラル)の化学 と 代 謝 担 当 (
3月 1日)
4
砂学会委員・学会発表
・外食栄養成分表示連絡協議会会長、滋賀県
-日本栄養 ・食糧学会近畿支部役員
.報道 ・雑誌
・彦根の食マップ完成、京都新聞、 2007年 5月1
6日
.日本栄養 ・食糧学会評議員
記事
・ココアの体表温に及ぼす影響、第 61
同日本栄養食
糧学会、森由佳、育田真由子、灘本知憲、 2007年 5
月2
0日 (
京都市)
1日
-県立大生が食べ歩き、毎日新聞、2007年 5月3
記事
-冷え性予防、思いっきりテレビ、日本テレビ、
酵素処理へスペリジンの経口摂取が女性の冷房
冷えを抑制する効果、第 6
1回日本栄養食糧学会、南
2007年 6月1
5日放送 (
ココアとへスペリジンの実験
結果)
利子、吉谷佳代、演野珠美、山下由里子、森由佳、
-京滋パ ーガ一
、 オイシイ個性、販売や開発、活発
吉田真由子、白石浩荘、米谷俊、灘本知憲、 2007年
年 7月 6日、囲内経済欄
に、京都新聞 2007
・日経ヘルス
5月1
9日 (
京都市)
-乾燥技術の違いに よる食品中のビタミン C含量の
変化、第 54回日本食品科学工学会、尾池麗、土肥貞
-食の健康
温冷効果を調べ商品化 を探る
、朝日
新聞、 2007年 7月23日全図版記事
夫、妹尾治茂、山口正典、河智義弘、康瀬潤子、浦
-漢方の力:ショウガ+ココ アの冷え予防、 g
o
oダ
部貴美子、灘本知憲、 2
007年 9月 7日(福岡市)
イエッ ト、 2007年 12月 よ り ネ ッ ト ペ ー ジ掲載
・カキドオシメタノ ール抽出物 に含まれる消臭活性
成分、第 54回日本食品科学工学会、宮森沙耶香、浦
007年 9月 8日 (
福岡市)
部貴美子、灘本知憲、 2
-野草摘出物に よる乳酸菌の生育抑制効果、第 54回
日本食品科学工学会、八月朔 日仁美、浦部賛美子、
灘本知憲、 2
007年 9月 8日(福岡市)
野草で染色した綿布の抗菌性、第 54回日本食品
南部貴美子、灘本知宣言:、
科学工学会、小塚智子 、 j
2007年 9月 8日(福岡市)
・ショウガと 日Gヘスペ リジン 配合グミ 摂取による
(
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nI)、主婦の友社
・読売新聞、 1月 8日県民情報版
'NHK総合テレビその他、ためしてガッテン、香
辛料の温効果の実験と コメン ト、 1月30日
.TBS、カラダのキ モチ「冷え性」、シ ョウガ実験
デー タ紹介、 2008年 1月27日(
日)
放送
.受託・共同研究
-附天野実業、附グリコ、鮒富久や、湖南市、甲良
町商工会、鮒ヤエガキ発酵
冷えの改善効果、吉田真 由子、森由佳、南利子、中
007
年度日
村弘康、滝島亨、白石浩荘、灘本知憲、2
-高山博史(たかやま ひろし)疾病と栄養学、病態と病
本食品科学工学会関 西支部大会、 2007年 1
1月9日
理学
(京都市)
、灘本知憲、
当大学へ来てから 4年目に入った。教育において
は学生に臨床に興味を持たせ ることに尽力している
2
007年度和漢医薬学会 ランチョンセミナ 一、2007
年
が、入学時に将来病院や保健所など臨床に携わる こ
-食品の 性 → 械 温 変化を指標と して
人間文化・ 145
人・間・文・化・通・信
とに興味のある学生は聞いても毎年 1、 2割程度な
臨床検査ガイド 2007-2008、文光堂
のは少し寂しい限りである 。それで、
も私のゼミには
4
砂学会発表
特に臨床志向の強い学生に参加してもら っており、
卒業時に臨床の仕事場に正規のポ ジションを得て就
職する 学生が出てくると 喜 びも大きい。ゼミに参加
された平成 1
9年度の卒業生 4人のうち 3人は病院に
正規の管理栄養士として赴任することができ 一人は
大学院へ進学 されたのはこれまでにない成果となっ
た。ただこのような就職口は極めて少ないのが現状
で卒業生が希望していても途中であきらめてしまい
がちになるのは残念である 。滋賀県内の病院、保健
所などは 当教室出身者で占められるほどになれば学
生遠の励ましにもなるだろう 。学生の質は非常によ
く、特に成績上位の学生の潜在的能力は高い。 しか
し、なかなか志を醸成できていないのか能力に見合
った成長をみることは希少である 。今後の課題とし
たい。
研究においては赴任以前から取り組んできた長年
の共同研究において実りある成果が得られた。 これ
らは 2
0
0
7
年 7月にスイス、ジ、ユネーブにおいて開催
1四国際血栓止血学会で発表したが、その
された第 2
本題はすでに 2年前の 2
0
0
5年 1
2月に開催された米国
血液学会において発表しており、それらを含めた論
文は 2
008年の 4月か 5月には Journalo
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5
.6)に掲載予定で
ある 。J
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J
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栓症の抗体医薬を開発した論文であるので
反響を楽しみにしている 。ただ今後も同レベルの研
究を展開しようとしても所属している教室の現状は
はなはだ貧しい研究環境である 。 このままではいず
れ厳しい現実が待ち受けていると実感せざるを得な
u
、
。
ゼミおよび大学院の学生とは生活習慣病(メタボ
U
l
栓傾向の
リツクシンドロ ーム、糖尿病)における J
解析に取り組んでいる 。食生活習慣の改善による生
活習慣病の予防あるいは撲滅は医療費の抑制 に貢献
するだけに厚生労働省も特定検診制度を設けるなど
してやっきになっているのは周知のとおりである 。
研究対象となる一般人をどう増やしていくかに頭を
悩ましているが何よりも臨床主体でヒトを対象とし
た研究を展開しているのでこれを読まれた方で食生
活習慣と生活習慣病の改善に取り組まれたい方はぜ
ひご連絡いただきたいものである 。 これまで協力し
ていただいている方は少しずつ増えており、それら
の方々において食生活指導を行いながら様々なデー
タが改善してくるという実績が生じつつある 。今後、
対象者を増やすことにより実践的で諸データの改善
をもたらす食生活指導の実績を積み重ねていきたい
と考えている 。
.著書
出血時間、毛細血管抵抗、全血凝固時間
146・人間文化
1
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.Suzuk
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iM.Kurihara.H
.Takayama
1
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2
3
. 東本真紀子、栗原満、 i
可i
孝雄一郎、山本卓也、
井原裕、矢野秀樹、高山博史
糖尿病息者と非糖尿病対象者における食生活およ
び血栓傾向危険因子の検討
第1
11
回日本病態栄養学会年次学術集会京都平
成2
0年 1月 12-1
3日
-柴田克己 (
しばたかっみ)ビタミン学、代謝栄養学、食
品機能科学、 栄養生化学
。年間活動
滋賀県立大学に赴任して 1
0年間がすぎました。節
目でもあるので、 1
0年間、何をしてきたかを書きま
0
08
年の 2月ですが、
す。この文章を書いているのは 2
2
0
01
年以来と同じことをしています。2
0
0
7年の活動
0
01
年から続いている厚生労働科学研究費補助金
も2
の成果発表の準備、それに続く分厚い報告書の作成
からはじまりました。滋賀県立大学に 1
9
9
8年に赴任
した当初の 3年間は、宇宙開発事業団からの補助金
で、スペ ースシャ トル内でのタンパク質の結晶生成
機構に関する研究と宇宙線に対して防御作用を示す
生来の防御物質の検索に関する研究をしていました。
ところが、 2
0
0
1年頃から研究の目的が変わってしま
いました。 きっかけは、省略します。使用する技術
は同じなのですが、宇宙環境を利用する研究からヒ
トの体内環境を推測する研究に変わってきました。
どういうことかと申しますと、従来の栄養指導の
根本は、健康を維持するために必要な栄養素という
指標の摂取した量を「食品成分表」から計算し、そ
の計算値と「食事摂取基準Jという指標の基準値が
記載されているものとを比較することにより評価
人・間・文・化・通・信
し、指導するというものでした。すなわち、食品中
取量の増大や自動車の普及による運動不足、身体活
に含まれている栄養素という指標とその基準値によ
動量の低下などの環境要因も大きく関与している 。
ってのみ栄養評価がなされて、栄養指導が行われて
H 本人女性の 20~40 歳代ではやせが増加しており、
いました。食事記録には様々な方法が考案されてい
2
0歳代の約 2割がやせである 。それに対し、閉経後
ますが、いずれの方法においても、食事側の指標と
の 50~60歳代に向かつて肥満度が増し糖尿病忠者が
基準値だけで評価・指導がなされており、食べた後
多くなっている 。 このことから、特に 20歳代女性の
の情報、代謝 (=食べたものがからだの中で変化す
食生活が高脂肪食に移り変わってきており、この 20
ること ) を考慮した栄養評価はなされていませんで
歳代の食生活がインスリン分j
必能や J
f
n糖値に変化を
した。すなわち、生体側の情報に基づいた栄養評価
もたらし、その影響が閉経後に大きく現れているよ
と指導はなされてきませんでした。 この原因は、生
うに思われる 。 このような食生活において総エネル
体側の情報を得る方法が確立されていなかったため
ギーの増加は無いものの、動物性脂質や単純糖質の
です。そこで、我々の研究室では、生体制J
Iの情報と
摂取過剰などが問題となり、糖尿病や肥満を増加さ
して、新しい指標と基準値を創出しなければならな
せていると考えられる 。
い、という提案をしたところ、厚生労働科学研究費
このことから、若い女性のインスリン分j
必能や血
補助金の対象となり、 2
0
0
1年から今まで研究を続け
糖値の変化を調査することは食事内容によって食後
ることになりました。
J
f
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l糖値がどのように変動するのかを把握する上で、
この閥の成果は、我々の研究室のホームページを
また糖尿病の予防・食事療法にとって有用だと思わ
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/www.shc.
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ご覧ください (
われわれの成果が実をむすべば、個々人の代謝能
れる 。 また、糖尿病患者に対する栄養食事指導の実
態を明らかにするとともに、合併症の有無や複合す
力に応じた個々人の適正栄養素摂取量を提言するこ
る疾病のリスクに応じた保健指導、とくに食生活と
とができ、いわゆるオ ーダーメード食品ができます。
身体活動度を改善するための個別指導の成果を挙げ
すると、寿命の限界まで若年成人のままの美貌と体
ることが求められている 。 これら 生活習慣の是正を
力を保つことが可能になると思います。
阻害している因子を明らかにしながら、対象者の日
常生活習慣や行動の変容を図っていくことが必要で
-福井富穂(ふくいとみ│ま)臨床栄養学、栄養ケアマネジ
あり、研究テーマとして糖尿病を含む生活習慣病予
メント論、臨床栄養活動論
防対策としての栄養食事指導とその成果について研
.年間活動
2型糖尿病患者は世界的に増加し ており、国際糖
究を進めている 。
尿病連合 (
IDF) の発表によると世界糖尿病人口は
2007年現在で 2
億4
600万人、 2025年には 3億 8000万
人 に 増 加 す る と 予 測 さ れ て い る 。糖 尿 病 予 備 群
。活動一覧
I 研究活動
く著書〉
:
a健康づくりのための栄養指導(分担執筆
r
健
(
IGT:
耐糖能異常)は 31
、
彦800万人にも上ると予測
康づくりのための運動指導」滋賀県医師会・滋賀
され、全世界人口の 7.5%が糖尿病予備群であるこ
県スポーツ医会
とを示している 。糖尿病人口の 80%はインド、中固
などの発展途上国に集中しており、これは経済や文
化の発達に伴う食生活の変化と都市化に伴う運動量
の低下によるものと考えられている 。糖尿病はエイ
世紀の全世界的な健康課題となり、 1
1
ズに並び、 21
月1
4日を「世界糖尿病デー」に指定し 2
007年は東京
タワーや通天閣などをシンボルカラ ーの青にライト
アップし、糖尿病の予防や治療に関する啓発活動を
展開した。 日本は世界第 6位の糖尿病大国で年間約
3千万人が視力を失い、 1万人以上が人工透析を開
始されるなど、国民の健康、 生命および医療費に甚
0
1
0年には 1
0
8
0万人にもな
大な損害を与えている 。2
〈
研究論文〉
① 自由食摂取時の日本人男女学生の血液中の水溶性
ビタミン値について
②尿中排 j
世量からみた食事中の B群ビタミンの利用
性について
③健常女子学生におけるインスリン分泌能と食事の
関係について
④ 2型糖尿病通院患者に対する栄養食事指導の効果
と阻害要因について
く学会口頭発表〉
①糖尿病患者における抗酸化ビ タミンの検討 (
第6
回日本栄養改善改善学会近畿支部学術総会)
0
0
0
万人に抑制
ると予想されている糖尿病患者数を 1
②慢性腎不全患者における食事支援ツ ールの開発
するという目標を示すなど、糖尿病は早期発見し、
(
第 6回日本栄養改善改善学会近畿支部学術総会)
適切なコントロ ールに より 合併症を予防すること
は、国内外を問わない緊急課題となっている 。
2型糖尿病の発症には、遺伝的素因のほか脂肪摂
③糖尿病患者の食事療法とビタミン利用について
(
第2
9回日本臨床栄養学会)
④ 2型糖尿病患者の外来栄養指導効果(第 38回滋賀
人間文化・ 147
人・閏・文・化・通・信
県公衆衛生学会)
託 ・一部委託のメリット・デメリットを病院の事例
~ 健常女子学生における食事の違いによる食後血糖
から考える -J第 3回日本給食経営管理学会学術総
値の変動(第3
8回滋賀県公衆衛生学会)
⑥生活習慣病の催患状況と食事摂取状況の関係につ
2
0
0
7
年1
1月 1
8日 東京農業大学)
会研究発表 (
いて(第3
8回滋賀県公衆衛生学会)
〈競争的資金〉
受託研究費
灘本知憲・福井富穂 ・吉田龍平 ・岡本秀己 ・南政
I.地域 ・社会 ・国際貢献
宏
r
健康づくり弁当の開発 ・販売」鮒冨久や、
5
0
万
〈講演会〉
-第 3回日本給食経営管理学会学術総会
特別講演
「給食経営管理における用語の共有化」座長
4
・地域・ 社会 ・国際貢献
〈学会委員会委員〉
・メタボリツクシンドローム予防の食事指導
メタ
ボリツクシンドロ ーム予防専門研修会
全国研究教育栄養士協議会滋賀県代表、日本給食
経営管理学会評議員
〈総説、 一般向け (
雑誌・新聞等)記事〉
く出張講義等〉
9年度学校栄養職員 1
0年経験者研修
・平成 1
活に関する個別指導」
・生活習慣病予防と食事コントロール
「食生
「みんな 『いこう
I街おこしランチ 」読売新聞
(
2
0
0
8年 1月 8日)
学校職員研
-岡本秀己 (
おかもとひでみ)健康栄養学
修会
。研究
〈
各種審議会・委員会委員〉
滋賀県公衆衛生学会理事・実行委員
-アスリートに対する栄養教育の効果
5回国際栄養士会議財務委員会委員(制日本栄
第1
-重度心身障害者の骨密度と障害状況に関する研究
養士会)
.地域在宅高齢者に対する継続的栄養教育が骨密度
日本糖尿病療養指導土認定試験委員 (日本糖尿病
療養指導士認定機構)
滋賀県健康づくり県民会議委員・専門部会委員
滋賀の健康 ・栄養マップ調査専門委員会委員
と身体活動等に与える影響
-大学生の食生活調査 健康食品の利用
「
彦根橋本町協同組合における空き庖舗活用に関
する提言」共同研究
「冨久や ー健康弁当 ーに関するプロジェクト J共
食と農と環境を考える県民会議委員
1推進委員
健康いきいき 2
同研究
滋賀県米消費拡大推進連絡会議委員
.論文および学会発表
食育推進連絡会議委員
「地域高齢者の骨粗怒症予防に関する健康意識・
〈
学会委員会委員〉
行動変容に及ぼす栄養教育の効果」
日本病態栄養学会
評議員
日本栄養改善学会
評議員
滋賀社会福
祉研究、 V
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9
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p1
7
2
1(
2
0
0
7年)
「重症心身障害児 ・者の栄養アセスメント ーエネ
ル ギ ー 消 費 量 と エ ネ ル ギ ー摂 取 量 の 実 態 -J
V
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I
9,
p1
2
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0
0
7年)
圃吉田龍平 (
よしだりょうへい)給食経営管理学、臨床調
滋賀社会福祉研究
理学
今年度は、医療施設の「給食経営管理」中心に研
「重症心身障害児 ・者の栄養アセスメント
度と栄養 j
究した。食材料費・人件費・経費・減価償却費等の
調査から給食原価のあり方を、さらに、栄養部門の
業務委託 (
全面委託 ・一部委託)のメリット ・デメ
-滋賀社会福祉研究
骨密
印刷中
「重症心身障害者・児の栄養アセスメント エネ
J
ルギー消費量の実態と検討 -
リットについて面接調査し、現状と今後のあり方に
第5
4回日本栄養改善学会学術総会
ついてまとめた。
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.
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1
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講演要旨集栄養学雑誌 v
大学生の食習慣と健康食品(サプリメント等)
1
2
月からは、地域活動として、学生支援で、彦根
平成 1
9
年 9月
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市内橋本商庖街の街おこしに「ランチ提供」で参加
の利用に関する調査J
した。
第5
4回日本栄養改善学会学術総会
.研究活動
く
著書〉
講演要旨集栄養学雑誌 v
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.
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2
4
7
「大学生への食教育が食習慣お よび健康食品利用
状況に及ぼす影響」
「給食経営管理論」みらい(分担執筆)
「給食経営管理実習」みらい (
分担執筆)
第5
4回日本栄養改善学会学術総会
1
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化
平成 1
9
年 9月
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No.
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講演要旨集栄養学雑誌 v
〈
学会口頭発表〉
「栄養部門の業務委託に関する諸問題
平成 1
9
年9
月
全面委
「基礎代謝測定を実施して」
人・間・文・化・通・(言
第1
8回重症心身障害療育学会学術集会
闘賞受賞
1
0月 敢
貴美子 ・灘本知憲 ・道明美保子、日本食品科学工
学会第 5
4回大会 (
2
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0
7
.
9
.
8 中村学園大学)
4
砂社会活動
0月3
0日 滋賀県立守 山
「
脳がよろこぶ食生活 J1
高 等 学 校 大 学 模擬講義 (
出張授業)
2) カキドオシ (
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a) メタノ ー
ル抽出物に 含まれる 消臭活性成分、 宮森沙耶香 i
甫部貴美子.i
灘本知憲、日本食品科学工学会第 5
4
凶大会 (
20
0
7年 9月8日 中村学園大学)
3)野草抽出物による乳酸菌の生育抑制効果、小野
甫部貴美子 ・灘本知憲 ・西
康紀 ・八月朔日仁美 ・i
4回大会 (
2
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7
年
川善之、日本食品科学工学会第 5
9月8日 中村学園大学)
4)乾燥技術の遠いによる食品中のビタミン C含量
の変化
、 尾池麗 ・土肥貞夫・妹尾治茂・山口正
典・河智義弘 ・康瀬潤子 ・浦部貴美子・灘本知
4回大会 (
2
0
0
7年 9月
憲、日本食品科学工学会第 5
7日 中村学闘大学)
〈
受託/共同研究〉
1)食品の加工方法、乾燥技術の違いによる有効成
分 (
ビタミン、生理活性物質など)の含量変化に
関する研究 (
天野実業株式会社)
2) カキドオシ抽出物の消臭効果に関する研究 (
ヤ
エガキ発酵技術株式会社)
3)おからを保存する ための紛状化技術 (甲良町商
工会)
「青少年のための科学の祭典滋賀大会」 ひこね文
化プラザ 2
0
0
7年 1
1月1
0日1
1日
-福渡努 (ふくわたり つとむ)食品栄養学
「大津 ・学校全体で取り組む食育」大津市教育委
20
0
7年 2月1
5日)
員会 、大津市学校保健主事会 (
大津市民文化会館
スチューデントファ ーム「近江楽座 J/まち・む
ら・くらしふれあい工舎プロジェクト
1
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年 OumiFoodP
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寝たきりになら ないための運動と 栄養」
講師
彦根市社会福祉協議会、辻堂町老人会 6月1
5日
「中学生時期の食育 の進め方について」 滋賀県
伊香郡木之本町立木之本中学校
木之本中学校
PTA教育講演
7月1
9日
0年
「
子 ども達の食環境から食育を考える 」教員 1
経験者研修
滋賀県総合教育 センター
「子どもの健康 と食生活
要性一
」
2
0
0
7
年 9月2
8日
乳幼児時期の食育の重
「
平成 1
9年度公民館子育てサボーター研修会」講師
1
0月1
7日 大津市生涯学習センター
-浦部貴美子 (ううべきみこ )食昂加工学
.年間活動
未利用である植物性素材、特に 身近にある野草に
着目し 、あらたな働きを持 ったものとして食関連分
野で有効に利用できないかと考えて研究を続けてい
ます。 これまでに、強い消臭作用や抗菌作用、また
抗酸化作用を持っている 野草の存在を明らかにして
きました 。本年度は特に、その作用を示す活性成分
.年間活動
柴田克己教授の下で「日本人の食事摂取基準を改
定するためのエピデンスの構築に関する研究」に取
組んで、います。 これは,厚生労働省が2
0
0
9
年に策定
する 「日本人の食事摂取基準」に必要な科学的デー
タを得ることを目的とし、ヒ トおよ び実験動物を対
象として、健康維持や生活習慣病予防を期待できる
栄養素摂取量はどれくらいなのか、栄養状態を判定
するにはどのような生体指標が有効に利用できる
の分離・同定を行ってき ましたが、明 らかにできた
か、その指標をライフステ ージ別にどのように利用
もの 、 もう 一歩、という ものもあり、 来年度も引き
続き行っていくことになります。 また、他分野の
できるか、などを明らかにする研究を行 っています。
また、アミ ノ酸は神経伝達物質の分泌を 調節する
方々のご助言 を受けながら、この ような作用を持っ
た野草あるいは抽出物の応用化に向けた研究にも着
手しました。 まだまだ十分な成果が得 られていない
状況ですが、今後も取り 組んで、行きたいと思ってい
ます。
ことができ ることを利用して、食環境の改善によ っ
て穏やかではありますが適度な範囲内で神経伝達物
質を調節することにより、脳機能の保護を目指した
研究を 行ってい ます。
今年度から開講さ れた「人間探求学」をコ ーデ イ
ネー ター として担当しました 。「人間探求学
」 とい
う科目名と 実施内容との聞に多少の違和感を抱きつ
つも、高校教育から大学教育へのスム ーズな移行に
〈
学術論文〉
は繋がったのでは、と思っています 0
.活動一覧
〈
学会発表〉
1)野草で染色した綿布の抗菌性、小塚智子 .i
南部
4
砂活動一覧
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作 8
4.
〈
総説など
〉
・ビタミンの基礎と栄養.パントテン酸の基礎.福 i
度
努.モダンフィジシャン (
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'NADの異化代謝物であるピリドン体は腎毒性を
示す.柴田克己,福渡努.ビタミン (
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〈書籍〉
・最新栄養学〔第 9版 〕編 BowmanBA. R
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RM、訳監修木村修一、小林修平、五十嵐術 (
第
∞
2
0章「ナイアシン j翻訳)、建吊社、 2
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7年 1
2月.
〈
学会発表〉
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CAUSA)
'B群ビタミン尿中排池量と体位、尿中クレアチニ
関
ン、尿量との関係 .0福渡努、杉本恵麻、康瀬 1
9
子、福井富穂、柴田克己. 日本ピタミン学会第 5
回大会 (
平成 1
9
年 5月,佐世保市)
他 9回
〈
講演〉
・パン トテン酸定量法の改良と乳児のパントテン酸
8年
必要量.福渡努.ビタミン B研究委員会平成 1
度シンポジウム「ビタミン研究のブレークスルー
をもたらしたビタミン定量法 J(
ビタミン B研究
9
年 2月、東京都)
委員会主催、平成 1
-廃瀬潤子(ひろせじゅんと)臨床栄養学
母乳は、本来の意味において食べられるために存
在する唯一の「食物Jです。離乳食として他の生き
物を食べるまで、 H
甫乳類は母乳のみを栄養源にして
成長します。主要栄養素はもちろん、さまざまな生
1
5
0・
人
間
文
化
理活性成分を含有する、まさにパ ーフェクト食品が
母乳です。世界的にも母乳晴育が見直され、日本で
も母乳への関心が高まっています。
本年度も多くのお母さんと赤ちゃんにご協力をい
ただき、母乳中に存在する食物アレルゲンの存在意
義、母親の食事と母乳のにおい、母乳分花、に影響を
与えると伝承されている食品の検証のテーマで研究
を展開しました。
。受賞
2四日本母乳晴育学会奨励賞「母親の食生活と
第2
母乳のにおい」
.論文など
・柴田克己、福渡努、康瀬1
関子、「ビタミンと病態」、
12 (2)、
健康食品管理士認定協会会報、 Vo.
2
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0
7、pp.
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7
・蹟瀬 i
l
司子、木津久美子、成田宏史、「経口摂取し
たタンパク質の腸管通過機構とその生物学的合目
145、 NO.
42、 2007年
、
的性」、化学と生物、 Vo.
pp.
2
3
02
3
2
-山口 (
村上)友質絵、中村美幸、康瀬潤子、本庄
勉、成田宏史、「植物起源の食物アレルゲン:
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nのアレルゲン性と生物学
的特性 」、 京 都 女 子 大 学 食 物 学 会 誌 、 第 62号
、
2
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7年
、 pp.
l1
2
-柴田克己、康瀬i
関子、福渡努、肥悶嘉文、国松孝
夫、「ニゴロブナの 血液中のピリジンヌムレオチ
ド補酵素含量」、ビタミン、印刷中
。報告書
8年度厚生労動科学研究費補助金、「日本人
-平成 1
の食事摂取基準(栄養所要量)の策定に関する研
究」報告書、 p
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4
215
2
・財団法人エリザベス ・アーノルド富士財団
平成
1
8年度報告書、 pp
.
18
0
18
7
.学会発表
・木津久美子、蹟瀬 i
関子、伊藤由佳、本庄勉、成田
宏史、「ヒト唾液中の食 品 タンパク質 ・IgA免疫
複合体の変動」、第 6
1回 日本栄養・食料学会大会
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-福渡努、杉本恵麻、康瀬潤子、福井富穂、柴田克
B群ビタミン尿中排地量と体位 、尿中クレ
己
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アチニン、尿量との関係」、日本ビタミン学会第
5
9回大会
-尾池麗、土肥貞夫、妹尾治茂、山口正典、 i
可智義
弘、蹟瀬潤子、浦部貴美子、灘本知憲、「乾燥技
術の遠いによる食品中のピタミン C含量の変化 j
第5
4回食品科学工学会大会
人・間・文・化・通 ・信
. ~量瀬 i関子、長尾早枝子、青山佳弘、成田宏史、
「
母親の食生活と母乳のにおい」、第 2
2回 H本母乳
楠育学会学術集会
度努、康瀬根j
子、柴田克己、「乳中
-遠藤美佳、福 i
のビタミン濃度に影響を与える栄養因子の検索」、
日本栄養・食糧学会近畿・中同支部大会
.Junko Hirose , Hi
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加
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引I
る予定です。
教育面では、従来の講義 ・演習に加えて今年度は
現職の高校の先生を招いた新しいタイプの授業「教
育心理学」 を行い、教育現場の課題をより 一層深め
ることができました。
学生指導としては、外国人留学生の研究生を受け
入れて、「青少年の社会'性、交友関係の比較文化的
研究の進め方Jの研究支援を行いました。
学生卒論指導では 『
青年期における親子関係と孤
Congr
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7
独感の関連について J
、『
女性のダイエットにおける
-人間関係専攻
期におけるス卜レッサ認知とストレス反応、ソ ーシ
食行動変化』、『シングルマザーの女性たち 』、『
青年
・小林清一 (
こばやしきよかす)
、 社会政策 ・
社会思想史
長い間、抱えていたテ ーマ「アメリカのナショナ
リズム Jはようやくまとめることができたが、同時
並行的に進めている、「社会保障と福祉の国際比較」
、『ポストペンション
ヤルサポートの関連 j
で遣された人々が生きるため
「自死J
』の各論文の作成を
サポ ー トしました。
学外活動、社会的活動の面では、交通心理学的研
は最初の予定よりは大分作業が遅れて、区切り悪く
薄
究を基にした「交通安全指導 ・教育の進め方 JI
も、定年後の課題として引きずることになってしま
暮期の点灯と自動車事故の関連性j などに関する研
った。
究報告・講演を行いました。学校教育関係では高等
。報告書
学校における軽度発達障害生徒の支援のあり方など
『アメリカンナショナ リズムの系譜一見果てぬ統合
の夢』昭和堂、 2
0
0
7
年。
「高齢者問題と福祉国家のタイプ論J
『ドイツ社会国家の成立 ・変遂とそれをめぐる
論争および学説』
平成 1
5
18
年度、科学研究費補助金、研究成果報
ついて現場の先生と研究協議と重ね、報告書の作成
にかかわりました。 さらに、今年も引き続き児童生
徒の精神保健推進の地域・学校の連携などについて
の審議会に参加して意見を提 出 しました。
4
ゆ活動一覧
I研究活動
告書、研究代表者保住敏彦、 1
0
4
1
21
頁。
〈
研究論文〉
『日没前後の点灯と交通事故の関係ー薄暮時での
「書評;河内信幸著、『 ニューディ ール体制論一大
恐慌下のアメ リカ社会.IJ
『アメ リカ史評論』関西アメリカ史研究会、第
2
4
号、6
6
7
3頁。
「第二次大戦後のアメリカの福祉国家の思想と政策J
早めの点灯の効果を探る-.1 2
00
7年 4月 制滋賀
県トラック協会会報
E地域・社会 ・国際貢献
〈
講演〉
『セッション B、福祉国家の国際比較ー イギリ
「地域と高等教育機関の連携の必要性
スとアメ リカの思想と 政策を中心 に一』社会思
点から見た子どもの体験活動」
2回大会、大会プログラム、 2
6頁。
想 史 学 会 第3
力体験活動推進協議会研修会
「今求められる子ども会活動の大切さ J 多賀町
.その他
彦根市障害福祉推進会議委員長として、障害福祉
計画の策定にあたった。
社会福祉法人 かすみ会、かいせ、寮年金管理委
員会の第三者委員として委員会の運営に参加した。
子ども会指導者連絡協議会研修会
「滋賀事故ゼロをめざして」間滋賀県安全運転管
理者協会法定講習会
,
IAO入試の現状と問題点」滋賀教育研究集会
「軽度発達障害生徒の理解j
-那須光章 (
芯すこうしよう)心理学、教育心理学
.年間活動
青少年のス トレス対処とし てのソ ーシャルスキル
とソ ーシヤルサポ ート の効果、若者の職業自立の諜
題と心理的特性、軽度発達障害の児童生徒の指導・
支援、事故防止と交通安全教育等に関する研究を行
ってきました。
学生の視
多賀 町地域教育
滋賀県立日野高校
教員保護者研究会
〈審議会 ・委員会など〉
「学校 ・地域保健連携推事業連絡協議会」委員
滋賀県教育委員会スポ ーツ健康諜
「愛荘町立秦荘東小学校学校評議員 」
「日本自動車連盟関西本部交通安全実行委員
会」常任委員
十分な研究成果をあ げることができませんでした
が、引き続き調査研究と実践指導、事例分析を進め
人間文化・ 1
5
1
人・間・文・化・通・信
圃八木英二 (
ゃぎひでじ)教育学
論文執筆については以下のものがある 。 まとめて
一つであり、 3年間にわたる本学特別研究の報告で
みると、 1つは、 2
0
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7年 4月に行われた全同一斉学
わる教員 (3名)、他大学野研究者 (1名)、および
OECDのP
I
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調査にみら
力テストについての背景 (
れる同際動向と日本への影響など) と問題点 (自由
滋賀県内の現職教員 (4名)の共同研究であり、滋
表現の定型化と教育実践への影響など) を分析した
もの、 2つは、教師専門職の役割変化(教師教育向
もある 。 これは、人間関係学科の教育臨床分野に携
賀県下のある地域をフィールドとして、そこにおけ
る地域での民 主主 義の成長 ・成熟と地域の 学校
(
小・中 ・高) の教育実践の展開・発展の関連を解
上策と教員評価にかかわる政策と国際動向、国際機
明することをとおして、地域に根付き、地域に支え
関論議にみられる対応動向、日本における免許制度
改革のあり方など)について分析したもの、 3つは、
子どもの実態調査と分析を行ったもの、などである 。
られる学校の公共性のありかたについて究明しよう
と試みたものである 。 この研究自体は終了しておら
ず、ひきつづき取り組んでいきたい。
A町子ども調査の学
二つ目は、「内心の自由・公共性の再生J 部落問
①「地域と子どもを考える
r
滋賀県立大学特別研究 滋賀県立
年別基本集計 J(
大学地域教育実践史研究会 『
地域民主主義と教育』
所収、研究代表者は吉田 一郎、報告書の分担は、
題研究.
12007年 6月、第 1
8
1号である 。 これはここ
数年間研究関心としている、教育実践における 「内
2
0
0
7年 3月、計1
9頁)、
②『教師教育向上策とその評価に関する国際比較
再生に関する論稿である 。教育をめぐる近年の政策、
行政の進行のなかであらためて「内心の自由」の保
研究 j (
平成 1
6年度から 18年度までの基盤研究B。
研究代表者は吉岡真左樹、八木英二の分担は「国際
障が懸念される事態が生じている 。そのことを、教
師の専門職性という視点のみならず、子どもの内心
機関における教師の資質向上策」で計30頁、2
0
0
7年
の自由という視点から原理的に考えてみようとした
3月)、
ものである 。
その他のことについては、体調不良のこともあり、
①「子どもが生きる 主体、学びの主体として育つ
ために、どのようにかかわるか一学力形成 ・教育課
程編成をとおして J(
年報 『
教育研究しが』所収、
2
0
0
7
年 6月、言1
'
6頁)、
④「学力テストは何をもたらすか その歴史とシ
人間と教育』旬報社、 2007
ステムの検討 J(季刊 『
年 9月、計 8頁)、
⑤「国際社会の動態と教師専門職の役割変化一 国
際機関の論議 J(日本教師教育学会年報、第 1
6号
、
0月
、 pp184-186 計 3頁)、
2
0
0
7
年1
⑥「教員免許 ・資格の原理的検討
『
実践的指導
力 Jと専門性基準をめぐって J(日本教師教育学会
0月、吉岡真左樹との共著、
年報、第 1
6号
、 2007年 1
pp17-24、計 8頁)、などがある 。
ほかの論考には、 ① 「全国一斉学力テストの内容
にあらわれた学力 ・評価観J クレスコ 』大月 書庖
、
(
r
(
r
2007年 7月、言十 4頁)、② 「秋の保育とお話 J 保
育と表現」研究会、ニューズレター第3
1号
、 ppl
l
1
4、
言
十4頁)、①巻頭言 (
人間文化学部研究報告 『
人
2号
、 2
0
0
7
年1
2月、計 2頁) などがある 。
間文化J2
他 に、日本教育学会理事、日本教師教育学会理事、
目標評価学会理事、日本教育法学会理事としての活
動などがある 。
-吉田一郎 (
よしだいちろう )教育学
。研究活動に関して
2007年には、 二つの論文を著した 。一つは、「地
域民主主義と教育 J(
2007年 3月) と題する研究論
集である 。 これは、人間関係学科の中の共同研究の
152・人間文化
r
心の自由 J 表現の自由 」の問題、および公共性の
学科の同僚の先生たちに助けられながら、かろうじ
て最低限の職務を遂行できた。感謝を申し上げなけ
ればならない。
-竹下秀子(たけしたひでこ)発達心理学
r
u
s
p子育ち応援ラボうみかぜJ(心とコミュニ
ケーションの発達にかんする基礎研究を行うととも
に
、 「
子育ち 」 ゃ「子育て Jをいかにサポートして
いけばよいのかを探ることを目的として、本学教員
および研究支援スタッフ、他大学所属の子どもの発
達や子育て支援に関心のある研究者と共同で設営)
の活動を継続し、その 一環として 2
0
0
5年度から実施
している子育て支援サ ー クル「インファンクラブ」
の活動報告書 (
成松祐子 ・丸津由美子 ・北村裕子・
由利恵子 ・竹下秀子、 2007) 赤ちゃんが大学にや
ってきたーインファンクラブはじめました J
p
子育ち応援ラボうみかぜ) を公刊しました。インフ
r
us
ァンクラブでの母子活動の実践を紹介し、参加した
母子やスタ ッフ、学生ボランテイアの思いや反省、
今後への抱負をまとめました。 さらに、彦根市内で
これまでさまざまな立場、内容で子育て支援に携わ
ってこられた方々からも寄稿いただき、市民の情熱
的かっ地道な活動の蓄積のうえに現在の行政レベル
での子育て支援の諸事業が成り立っていることを学
ぶことができました。 なお、本事業には、滋賀県社
会福祉協議会子ども未来基金助成を得ました。他に
今年度公刊した学術論文は、 1)竹下秀子(印刷中)
個体発達進化とヒトの言語獲得一
一身体、物、母子の
人・間・文・化・通・信
かかわり. Vi
v
aOr
igi
no 生命の起原および進化学
犬上郡多賀町で聞き取り調査を行った伝承文化の資
会誌. 2) 藤本麻里子 ・竹下秀子 (
2007)ニホンザ
料を整理分類して記録する一方、児童文化財化の試
ル成体メス間グル ー ミングの行動連鎖分析:嵐山 E
みを行っている 。すなわち伝承文化の継承と創造の
群における観察から .動物心理学研究 5
7、 6
1
.
71
.
視点から文化財の保存に努めている 。 また多賀町教
です。共著者の藤本麻里子さんは指導院生であり博
育委員会の要請でサ ークル「ぶらんこ 」 において紙
士後期課税に在学中です。霊長類の比較発達研究の
芝居製作の指導にもあてっている 。
一端に連なる者として、第 2
3回日本霊長類学会大会
三つ には自ら代表として活動する滋賀県紙芝居研
(大会会長 ・黒田末寄人間文化学部教授) を実行委
究会では、平成 1
3年より「 出前紙芝居大学 J"
[出前
員長として本学で開催したことも本年度とりくんだ
紙芝居講座 Jを開催し、県内外より多くの受講参加
重要な活動でした。 もう 一人の博士後期謀程指導院
者をえている 。本年度も自らが企画運営に携わり講
生で子育て支援をテ ーマに研究している丸樺由美子
座を開催し、多くの方々に学びの場を提供した。 さ
さんは、保育園保護者や子育てサークル参加者を対
らに教育・保育に携わっておられる方々の協力を得
象とした調査を実施し、その報告論文を本誌に投稿
て県内各地の図 書館や市 町村において児童 書 ・絵
中です。 また、博士前期課程指導院生の回野尻七生
本 ・紙芝居等子 どもの文化 についての講座を開催し
さんや学部卒論ゼミ生は、 乳幼児を対象とした実験
ている 。特に安土町・長 i
兵では連続講座として継続
を「うみかぜ」 ラボに登録の赤ちゃん研究員さんや
した講座を開催している 。
大学近隣のどんぐり保育園、森の子保育園のご協力
5年 1
1月より「彦根おはなしを語る
四つには平成 1
を得て実施しました。地域 ・社会貢献としては、彦
会」の方々と「彦根昔ぱなし大学jを開催している 。
根市河瀬地区、旭森地区子育て支援グループ学習会
この催しは、 H本口承文芸学会会長、つくば大学名
講師、九州ルーテル学院大学現代 GP ["熊本発!
発達支援者養成プロジ、エクト」学習会講師、産経新
誉教授の小津俊夫氏が主宰される昔ぱなし研究所の
協力で催されるもので、すでに基礎コ ースは 6回シ
聞社と日本赤ちゃん学会共催の「保育および育児支
リーズを終了した。第 2弾として「再話コース 」 を
援のための 『
新・赤ちゃん学 J入門講座」講師、日
開催して 4回シリ ーズのうち 2回目を 6月に 3回目
本赤ちゃん学会評議員、日本発達心理学会関西地区
を1
1月に車冬了した。
懇話会幹事、大津市家庭裁判所裁判所委員会委員、
。受託研究
日本学術会議第2
0期連携会員としての活動などがあ
りました。
「遊工房」絵本製作
4
砂地域 ・社会・国際貢献
〈
講演・展示会〉
-野部博子 (
のべひろこ)児童文化 ・伝承文化
滋賀県レイカデイア大学必修講座
。研究教育活動
岐阜県揖斐川町図書館講座
一つには、昨年に引き続き長年調査してきた日本
一の巨大ダム徳山ダム建設によりダム湖に沈みつつ
岐阜県揖斐川町教育委員会ことぶき講座
岐阜県美濃民俗文化の会講座
ある、岐阜県揖斐郡旧徳 山村の昔話、伝説、あそび、
岐阜県博物館
わらべうた等、伝承文化の資料整理を進めている 。
大津市青少年育成市民のつどい講座
資料紹介展にかかる講演
すでに 一部は活字・ CD等で明らかにしているが、
甲良町子育て支援サボ ー ター養成講座
その折に省略したものや新たに採集できた資料も加
東近江市八日市子育て リー ダー養成講座
えているところである 。 また
、 村 の調査時代に知り
安土町ボランテイア養成講座
合い、長年親交のあった「徳山 のカメラばあちゃんJ
こと増山たづこさんが平成 1
8年 3月 7日に亡くなっ
文化庁委託事業「伝統文化子ども教室 J1
2団連続
講座
た。氏は村の自然と歴史と文化 をカメラに収めて収
朝日新聞名古屋本社主催講演
録した人であり、村の語り部でもあった。氏の資料
朝日新聞名古屋本社主催ギャラ リー講演
を引き継ぎ、更なる資料整理 におわれることとなっ
た。 とくに 1周忌に は揖斐川町、 岐阜県博物館で、
紙芝居講座 m たかしま講座
〈各種審議会、委員会委員〉
また 3回忌には朝日新 聞社 主催 に よる写真展示を
滋賀県環境影響評価審査委員
し、全面協力をした。 ダムの試験湛水の開始ととも
滋賀県社会教育委員
に各新聞社、テ レビ局の取材 の機会も増した。
長浜市子ども読書活動推進計画策定委員会委員委
補足調査では移住さ れた元住民、また先祖が村出
身の子孫の方々と出合い 聞 き取り調査を継続的に行
っている 。この様子も新聞やテレ ビでも紹介された。
二つには、 一昨年、 昨年に 引 き続きかつて滋賀県
員長
紙芝居文化の会運営委員
滋賀県紙芝居研究会代表
子どもの文化学びの舎主宰
5
3
人間文化・ 1
人・閏・文・化・通・信
〈総説、一般向け(雑誌、新聞など)記事〉
-平成 1
9年 度 市 町 村 選挙管理委員会・市町村明るい
r
若 年 層 の 選挙
日刊富良野新聞
2007/ 4
選挙推進協議会委員合同研修会
中日新聞
2007/ 3 ・4 ・1
0
離れと選挙啓発学習について」、於:富 山県庁
岐阜新聞
2
0
0
7/ 3 ・4 ・1
0
(
2007年1
2月1
9日)
朝日新聞
2
0
0
7/ 3 ・1
0・1
2 2
0
0
8/ 1
毎日新聞
2
0
0
7/1
2
r
若者にみる低投
票 率 と選挙啓発学習について」、於:奈良県市町
村会館 (
2008年 1月1
0日)
〈テレビ・ラジオ番組への出演〉
B S朝日
・平成 1
9年度奈良県白パラ大会
2008/ 1
。テレビ白出演(インタビ ユ一、放映等を含む)
t
コメンテータ
『滋 賀 県 議 会 議 員選 挙 開 票 速 報 j (
-大橋松行(おおはしまつゆき)政治社会学、教育社会学
一、びわ湖放送、 2
007
年 4月 8日
、 2
1:00-23:
.論文
4
5
) [出演]
「地方分権時代の地方議会 JW
同 志 社 法 学 J第 5
9
巻 No.
2(
第3
2
1号) (
2007年 7月)
4
砂新聞等掲載記事(評論、コメン卜等)
「滋賀県議会議員選挙 JW 産経新聞 ~ (
2007年 4月
1
0日)
2
3日
、
1 :2
3) [出演]
r 2007参議院議員選挙滋賀選挙区開票速報 ~ (
コ
、
メンテ ータ一、びわ湖放送、 2007年 7月 29日
「新幹線新駅問題について新県議アンケート 」
2
1:00-22・5
4
) [出演]
「大 阪 市 長 選 挙 マ ニ フ ェ ス ト 公 開 討 論 会 J(コメ
『読売新聞~ (
2
0
0
7年 4月1
5日)
社会面、
「嘉田知事公約自己採点 JW 京都新聞 ~ (
ン ト (4立候補予定者の政策力評価〕、 r
NEWSゅ
う』朝日放送、 2
007年 1
0月2
9日
、 1
8:17-18:54)
2
0
0
7年4月28日)
「参議院選挙 公開討論会 JW 朝日新聞 ~ (
2007年 6
月 24 日 ) 、 『 毎日新聞 ~ (
2007
年 7月4日)
「嘉田県政 1年 (1)
JW 読売新聞 ~ (
2007年 6月
30日)
.r
第2
1回参議院議員通常選挙JW 毎日新聞 ~ (
2007
年 7 月 25 日、
r o 7'市町議会議員等選挙開票速報 ~ (
コメンテ
ータ一 、びわ湖放送、 2
007
年 4月2
2目
、 2
2・54-
7 月 30 日 ) 、 『 読売新聞 ~ (
2007
年 7月
[インタビュー]
コメント、『び‘ぴ、っとビ ーム 』
「
新 幹 線 新 駅 問 題J(
びわ湖放送、 2
007年 1
0月3
1日
、 1
7・45-18・45)
[インタヒ、ユー}
「滋 賀 県 財 政 構 造 改 革 プ ロ グ ラ ム J(コメン卜、
『 おうみ発 610 ~
NHK 、 2007 年 12 月 20 日、
1
8:
10-19:00) [インタビュー]
3
0日)
「嘉回マニフェスト評価 発 表 大 会 JW
読売新聞』
(2007年 8 月 6 日 ) 、 『毎日新聞 ~(2007年 8 月 6 日 ) 、
.共同研究
・科研費による共同研究「変動期社会における離島
『中 日新聞 ~ (2007年 8 月 6 日 ) 、 [ 滋賀民報 ~ (
2007
お よ び 山 村 地 域 の 政 策 課 題 に 関 す る 実 証 的 研 究」
年 8月1
2日)
(
2006-2008年 度 、 代 表 : 青 木 康 容 ・ 例 教 大 学 社
「草津市議会議員選挙 Jr毎日新聞 ~ (
2007年 9月
「自民党県連の政治団体収支報告書未提出問題」
『京都新聞~(1 面、 2007年 9 月 28 日 )
「新幹線栗東新駅建設問題 Jr 読売新聞~ (
2007年
「新幹線新駅建設中止 Jr
読売新開 j (
2007年 1
0月
2
5日)、 『中日新聞 j (
2
0
0
7年 1
0月2
5日)
J W熊
「知事力一リーダーの決断 2 滋賀県(下 )
本日日新聞 j (
2
0
0
7年 1
1月12日)
.n県 教 委 い じめ対 策 チ ーム 』 の 活 動 停 止 問 題」
『京都新聞~ (
社会面、 2
0
0
7年 1
1月23日)
r
「マニフェスト作成公費負担に J 京都新聞 J(
地
0
0
7年 1
2月 1日)
域・総合、 2
.講演活動
9年度滋賀県レイカデイア大学草津校必修講
・平成 1
r
住民参加と地方自治一 『平成の大合併 j と
新しいまちづくりを中心に」、於.滋賀県立長寿
社会福祉センター (
2007年 7月1
3日)
・
人
間
文
化
154
・近江八幡市史
r
自治の伝統」編...分担執筆:
r
r
「近江八幡市 誕 生 J 弾丸道路 J 社 会 調 査 に み る
南津田 」
・東近江市史 (
能登川の歴史) ・史料収集
1
0月 1日)
座
会 学 部 教 授) が 2年目に入った 。
4
砂自治体史
2
2日)
- 秦 荘 町 史 秦 荘 の 歴 史 J第 3
巻 ( 近 代 ・ 現 代 編)
…分担執筆
r
戦 後 の 改 革 Jr
秦 荘 町 の 誕 生 Jr
秦
r
荘町行政の展開 J 愛荘町へ」
-日野町史 :史料収 集
。学会活動
-関西社会学 会 第 5
8回大会:政治・社会心理部会司
2
0
0
7
年 5月 2
6日、於:同志社大学)
会 (
『
社 会 学 評 論 j (日本社会学会)の専門委員(乙)
2007年 9月
として投稿原稿の審査を行った (
2
0
0
8年 2月)
。社会活動(地域貢献)等(現職のみ)
-滋賀 県行政経営改革委員会委員 (部会長、滋賀県
総務部)
人・間・文・化・通・信
-滋賀県明るい選挙推進協議会副会長 (
滋賀県選挙
管理委員会)
プホームやデイケアサービスをフィールドにして、
そこでの会話を分析する仕事が始ま った。 これまで
-地域自治制度研究会委員 (
滋賀県政策調整部)
は
、 学生を対象とした研究をすることがほとんどだ
-彦根市行政評価委員会委員 (
彦根市企画振興部)
ったが、高齢者の方々の滋味にあふれる会話に触れ
長浜市教育委
・市立長浜城歴史博物館協議会委員 (
るのは新鮮な驚きの連続で、新しい知見が得られる
のではないかと期待している 。
員会)
近
・東近江市史 (
能差是川の歴史)編集委員会委員 (
現代部会長)
-近江八幡市史執筆委員
神戸 で行われた知的障害者との音楽ワークショ ッ
プ 「青の海」 についてブログでコメントを 書 いたこ
(
1自治の伝統」編)
'1:1野町史執筆委員 (近現代部会)
とカfきっかけで、このワークショ ァプのミュ ー ジシ
ャンである大友良英氏と対談したり、映画 「
花子」
-秦荘町史執筆委員(近現代部会)
人
上映会の対談に出演したり、すずかけアトリエの 2
.1
ローカル
展でのワークショ ップでレクチャーを行うことにな
・マニフェスト推進ネ ッ トワ ー ク関西」
運営委員
。その他
・永年勤続職員表彰 (
2007年 6月 6日)
-参議院議員選挙滋賀選挙区立候補予定者公開討論
った。作者たちの音の出し方、描き方は、 「
知的障害
者でもアートができる 」 というような 生やさしいも
のではなく、むしろ、アートの側を問い直すほどの
強い表現になっている 。彼らの表現に接するたびに、
会でコ ーデイネータ ーを務めた (
主催:政策フォ
私自身、 書 くこと、 音 を発することを考え直す。
ーラム滋賀、 2007
年7月2日、於:ピパシティ E
針艮
。活動一覧
ピパシティホール)
〈研究活動〉
-嘉田マニフェスト評価発表大会でコ ーディネータ
年
ーを務めた (
主催.政策フォ ー ラム滋賀、 2007
8
月 5日、於:栗東市芸術文化会館さきら )
(1)著書
サンライズ
細馬宏通 「
絵はがきのなかの彦根 J(
出版)
(2)研究論文
-細馬宏通 (
ほそまひろみち)コミュニケーション論
.年間活動
メインの仕事である非言語コミュニケ ー ション研
究に関しては、シカゴで行われたジェスチャ ー研究
紺l
馬宏通 「
多人数による日常の問題発見と解決の
プロセス
環境要因とコミュ ニケーション要因
細馬宏通「忘れものと 『
東京物語 J
J
J 人間文化 2
2
の国際会議で、伝統芸能を語る人々の身体動作につ
号p
p
3
3
4
0
いて発表した。 また、昨年の卒業論文指導で思いつ
(3)学会口頭発表
いたアイデイアを元に、人の表情を新しい方法で分
」
2号 pp2732。
人間文化2
細馬宏通「絵の宛先の革命?郵便改革と絵はがき
析 す る 仕 事 を 始 め て 、 社 会 言 語科学会、 EMCA
2回年次大会シンポ
の 登 場 ?J日本生物地理学会第 6
(
エスノメソドロジーと会話分析)研究会で発表し
ジウム「進化と系譜:ツリ ー、ネ ッ トワ ー ク、視覚
た。二人の院生も社会言語科学会でそれぞれ、会話
言語リテラシ ー」
内のジ、エスチャ ーに関する発表を行った。
絵はがき研究に関しては、昨年から取りかかって
細馬宏通 ・鈴木健太郎・石黒広昭「幼児の行為発
達の記述視座
食事等のデイリータスクにおける
いた「絵はがきのなかの彦根 J(
サ ン ラ イ ズ 出 版)
発達について考える 」
をようやく上梓した。 当初は、手元の絵はがきコレ
会自 主 シンポジウム
日本発達心理学会第 1
8回大
クションから彦根の昔の風景を探る内容にするつも
HiromichiHosoma "
Per
spective choi
ce and
りだ、ったが、写真の内容についてあち こちで聞き取
f
r
ames o
f reference i
nt
he storytel
l
ing o
fa
りを行ううちに、絵はがき自体よりも、むしろ絵は
J
apanese t
r
a
d
i
t
i
o
n
alf
e
s
t
i
v
a
.
lNishi
u
r
e Dengaku."
がきによって引き出される、人の記憶のほうがおも
t
I
n
t
e
r
n
a
t
i
o
n
a
l Conferenceo
fG
e
s
t
u
r
e
.(
Chicago,a
しろい ことに気づき、結果的には、単なる絵はがき
NorthwesternU
n
i
v
e
r
s
i
t
y,USAJune1
8
・2
1
.2007)
による地史ではなく、聞き取りと記憶を巡る本にな
った。
また、大津歴史博物館にある 、昭和初期の木版絵
はがきのコレクションについても、調査協力を行う
細馬宏通「微笑と峡笑の個人間相互作用」社会言
語科学会第 2
0回大会
細馬宏通「微笑は微かな笑みか?微笑と峡笑の
相互作用分析 J EMCA
研究会研究会 2007
年大会
ことになった。滋賀県下で絵はがき研究の仕事がこ
れほど広がるとは予想していなかった。 この先も楽
。地域 ・社会・国際貢献
しみだ。
〈総説、一般向け(雑誌・新聞等)記事〉
今年度から、彦根市や高島市の高齢者向けグルー
007、
大友良英×細馬宏通、 2
n音の海j という体
人間文化・ 155
人・間・文・化・通・信
験
」
.社会活動
0
0
7年 7月臨時地刊号 j総特集*大友
『ユリイカ 2
良英
細馬宏通、 2
0
0
7、投書家熊楠と投書空間としての
r
『ネイチャー J/ ユリイカ J1月号
特集 『
南方
熊楠』
ERAT
圏内では、「戦略的創造研究推進事業 (
0)浅田プロジ、エクト研究推進委員、日本動物心理
学会編集委員会幹事、および日本発達心理学会編集
委員としての活動をおこなってきました。 また、国
際誌
r
Devel
opmentalSc i ence ~ 、
r
An
imal
0
0
7、 書 評 木 下 杢 太 郎 『新 編 百 花
細馬宏通、 2
Behavi our ~ などの論文査読をおこないました 。 11
諸百選 j東京人 N
.
o
2
4
2(
2
0
0
7年 7月号)p
p
.1
4
8
1
4
9
月 8日付の京都新聞にて、これまでの研究活動の成
細馬宏通、 2
0
0
7、書評:y
o
j
o
h
a
n リトルプレス
果が紹介されました 。 7月には、日本霊長類学会が
r
の作り方 J東京人 N
.
o
2
4
4(
2
0
0
7年 9月号) p
1
5
0
本学にて開催され、滋賀県立大学人間文化学部・黒
細馬宏通、 2
0
0
7、書評.山本義隆 『一六世紀文化
田末寿教授を大会委員長とする組織本部の役員とし
革命 1.IJ東京人 N
o
2
4
8(
27
年1
2月号) p
p.
l
4
8
-1
4
9
て活動に携わり、無事その任を務めました 。 1
1月
、
∞
細馬宏通、 2
0
0
8、書評:若島正 『ロリ ー夕、ロリ
∞
ー夕、ロリ ータj東京人 N
0
.
2
5
0(
28
年 2月号)p
l
5
0
滋賀県立虎姫高校にて開催された「大学ミニ講義 j
をお引き受けしました 。「心の誕生と進化」と題し
2
0分あまりの講義を、高校生向けに分かりやす
た1
-明和政子 (
みようわまさと)比較認知科学
くおこないました 。講義後、多くの高校生から質問、
.教育 ・研究活動
感想をいただき、彼らが大学に寄せる「学問」への
滋賀県立大学人間文化学部・竹下秀子教授と共同
期待、情熱を感じ、とてもうれしく思いました。
で立ち上げた人開発達支援研究ラボ「うみかぜ」で
の教育・研究活動も 4年目に入り、いっそう軌道に
.~:公嶋秀明 ( まつしまひであき)臨床心理学
のった活動を展開しています。 J
台児期から乳児期に
.活動報告
1年間の活動を、 ①研究、 ②教育、 ①地域貢献に
かけての人間の認知・行動発達の様相を、学部生、
大学院生との共同研究で捉えてきました。今年度も、
わけで述べる 。①研究活動では、「学校心理臨床に
彦根近隣に在住する妊婦さん数十名に協力いただ
ついての研究」、および「心理学分野における質的
き
、 4次元超音波画像診断装置を用いて、胎児の社
研究法、教育法の開発」という こ本柱で取り組んで
会的認知能力を調べました。胎児はいつ頃から同種
きた。前者では、科研研究「非行生徒への効果的対
s機械音)や特定の声(母親 v
s
個体の声(人間 v
応にむけた教師支援に関する実証的研究 J(
課題番
見知らぬ女性)の声を聞き分けるのか、それに対し
てどのような反応を示すか、といった間いを追究し、
8
7
3
0
4
4
2)の代表者として、県内外の小・中学校
号1
にアクションリサーチ的に関わり、よりよい教育相
興味深いデータが収集できました。現在、この成果
談、生徒指導のためのシステム構築に携わった。そ
をまとめ、国際誌に投稿中です。乳児については、
の成果として 『ボ トムアップな人間関係
他者の心を理解する能力を促進する発達的要因を採
教育 ・福祉・環境 ・社会の 1
2の現場から J(サトウ
心理・
る実験をおこないました。他者と同じ行為を経験し
タツヤ編、東信堂)に一章を執筆した他、各種学会
た乳児は、経験していない乳児に比べ、 他者の心の
で、発表を行った。 また、後者では、京都大学のやま
状態を敏感に認知できる、つまり、共感にもとづい
だようこ教授を代表者とする科研 「フィ ール ドの語
た心の理解がみられることを明らかにしました。竹
りをとらえる質的心理学の研究法と教育法 J(
課題
下教授との認知発達合同ゼミに所属する 2、 3回生
番号 1
6
3
3
01
3
1)において教育法の開発に携わり、そ
も、こうした活動に積極的に参加し、卒業論文にむ
けた研究テ ーマを自ら模索する態度を早期から身に
の成果として発刊された 『
質的心理学の方法 語り
をきく~ (ゃまだ ようこ編、新日
程社)において 2つ
つけ て くれました。 また、本年度 よ り採択された文
の章を著した 。 このほか質的研究法については、
(
A
) の研究テ ーマにむけ
コミュ ニティ
『コミュ ニティ心理学ハンドブック J(
部科学省科学研究費若手
た活動にも着手しました。海外研究拠点との共同研
心理学会編、東京大学出版会)、 『はじめての質的研
究実現のため、 4-6月にかけて、それぞれの研究
究法、臨床・社会編一事例から学ぶ J(能智正博・
拠点に赴 き、詳細 な打 ち合わせ をお こない、 9月よ
川野健治編、東京図書)に、そ れぞれ一章 を執筆し
り実際に共同研究を始めました(アメ リカ ・アイオ
た。②教育活動としては、 6名の卒業論文に関わっ
た。テーマは育児支援、攻撃性、就職活動における
ワ州大型類人猿研究センタ ー (
G
r
e
a
tApeTr
u
s
to
f
Iowa
)およびフランス ・CNRSの研究者との共
同研究)。詳細は、本号の海外活動報告をご参照く
ださい。
情報収集、体育会系クラブにお けるリ ーダーシップ
など多岐にわたった。研究手法 としては、主にイン
タビュ ー調査に より、修正版グラウンデッ ドセ オ リ
ーアプ ロー チによる質的分析が中 心 となった。最後
1
5
6・人間文化
人・間・文・化・通・信
に、①の地域貢献としては、臨床心理士として、
ことがいい意味では幅広く、悪い意味では拡散して
小 ・中学校の教育相談 ・生徒指導体制の構築に関わ
いる 。他にも翻訳で関わっている教師研究関連の著
ったほか(研究柄動とも 兼ねる )、いくつかの市の
作が近いうちに出版される予定である 。
教育委員会、あるいは滋賀県総合教育センターが主
新規の講義も多く、 1年目と変わらず講義準備に
催する教育相談、あるいは特別支援教育のための講
振り回された。特に「社会統計学」は受講者数が予
習会の講師を務めた。
想外に多かったために、結局、学生を 二 クラスに分
け
、 2コマの講義を行うことになり大変だった。 1
-松田洋介 (
まつだようすけ)教育社会学
昨年 3月末には、「高度成長期における新規高卒労
働市場の構造と変動
複線型トランジションから
回生向けの演習 (
人間探求学+環琵琶湖文化論実習)
では、「滋賀県の若者の労働と生活」というテーマ
でインタビュー調査を行ったが、 1回生のがんばり
単線型 トランジションへ」というやや長めの論文を
もあり、充実した報告書を作成することができた 。
科研費報告書向けにまとめた。博士論文のテーマに
初めての卒業論文指導だ、ったが、論文執筆に必要な
つながる研究だが、ともかく報告書でもいいので、
作業やその手順などをある程度教えておくことが必
一つ一つまとめていく ようにしている 。そのほか、
要だと痛感した。執筆プロセスの中で現れる学生の
「
学力テストの 「政治」 をどう捉えるか」という依
成長を目の当たりにするのは、やはり楽しい。 3回
頼論文が、教育目標評価学会の紀要に掲載された 。
生のゼミでは、ジ、ェンダ一関連の社会学書の輪読を
夏には、「小学校中学年男子の仲間関係のあり方に
重ねている 。
ついて j を日本生活指導学会大会で、「義務教育改
教師同士の研究会や勉強会に継続的に参加してい
革と教職の専門性」を 日本教育社会学会大会で報告
る。現場に生きる情報や考え方を提供できるように
した 。 また、 「移行の教育社会学」 というタイトル
ならなければと思う 。それ以外に も、中小企業の経
で『教育社会学 j (学文社
、 2
0
0
8年)の一章を執筆
営者などと連携しながら、衰退しつつある地方都市
した 。 こうして振り返ると、 (教育社会学〉 の対象
の活性化を目指す取り組みも始まりつつある 。
領域であることは共通しているものの、やっている
57
人間文化・ 1
もうひとつの「夜叉ヶ池」伝説
-編集後記・
実は、前号の編集が初校に入った頃、集めた原稿の
刷り上がりページ数が予想外に少なく、業者さん:
「このままでは背表紙ができません j →編集委員:
「どうしよう…」というアクシデントが起きました 。
大慌てで数本の原稿を差し込み、何とか厚みを作って
刊行に漕ぎ着けたわけですが、このとき味わった苦労
から、編集委員 一同「今度は、次の号に回せるくらい
原稿を掻き集めなければリと決意し、皆様もうんざ
りされたくらい原稿募集のアナウンスをしました 。
その甲斐あって(?)、 『
人間文化j2
3号には、特に
大学院生から多くの論文が投稿されました。 また、も
夜叉ヶ池は、岐阜県緯斐川町 (
[
n坂内村) と福井県南盆前町
(
[
R今庄町) との境に位置する標高 l099mにある池で、周閤 5
4
5
m、水深 7- 8m、九頭竜川の支流、 [
1!Jfy.川の水源地と 言 われ
ている 。休日ともなると多くの登 山者が池を目指して 登っ て行
く。登山には岐♀県側と福井県s!IIとのコースがあるが、けわし
い箇所もあるので I
1
I
1
1
折は禁物て、ある 。
昔より両県では雨乞伝説が諮り伝えられている 。池の所在地
でない滋賀県においても夜叉ヶ池伝説は語られているようであ
る。 とくに湖北で生の話を数多く聴く機会をえている 。一方事
実として、夜叉 ヶi
池にまつわる話も諮り伝られている 。
明治 2
8年の大干ばつのとき、高月 I
s
Tの2
8
歳の青年前田俊蔵が、
夜叉ヶ池へ雨乞に出かけた 。龍村lに 「めぐみの雨をもたらして
くれたら、私の命を絡げます」 と約束をして、めぐみの雨を授
かった 。俊蔵は家に戻った後身を i
!
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め、高月の野村i塚で自答し
たという 。地元の人々は義挙と遺徳を i
¥
!
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tび大円寺境内に石碑を
3日には代表が夜叉ヶ池の龍
建立して感謝の念を俸げ毎年 8月2
神に参拝するとともに、俊蔵祭の法要を勤めている 。野神塚に
は 「
俊蔵自万の跡Jという小碑が立っている 。
秋の夜叉ヶ池
写真・文
野部博子
しものときの保険として、教員の海外研修報告や近江
楽座のプロジェクト紹介といった新コーナ ーを 設けた
のですが、こちらにもたくさんの原稿が集まりました。
もちろん、「滋賀県の考古学」、「生活デザインの現場
から」、「人間文化セミナ 一報告」などの連載記事も掲
載されていますので、今号はかなり盛り沢山な紀要と
なっております。
なお、今年度で退官される地域文化学科・菅谷文則
教授と生活文化学科人間関係専攻・小林清一教授は、
これまでの 「退官メッセ ージ」というスタイルではな
く、それぞれ最終講義録、研究ノ ート という形で原稿
を提供して下さいました 。毎日お忙しいところ、 『人
間文化 j の紀要としての質の向上にご協力いただき、
両先生には心よりお礼申し上げます。
(塚本礼仁)
編集委員.
林 博 通 ・塚本礼仁 ・灘本知憲・明和政子・山根周
人間文化 2
3号
23号
2008年 4月 1日
滋賀県立大学人間文化学部研究報告
発行日
発行公立大学法人滋賀県立大学人間文化学部
〒522-8533滋賀県彦根市八坂町 2500TEL
0749-28-8200附
発行人八木英二
版下制作
印刷
サンライズ出版株式会社
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本誌は再生紙を使用しています。
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秋の夜叉ヶ池
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