論文 フランスのスカーフ 問題 森 洋 明 要旨 フランスで,イスラム教の女子生徒が着用するスカーフが初めて社会問題として取り上 げられたのは, 1 9 8 9年のことである。 6 0年代からのイスラム教系移民の増加がその背景に あるが, 2 0 0 3年 1 2月,シラク大統領は国民に向けて,スカーフの規制に関する法案作成を 示唆する演説を行った。これを受けて,国民議会は法案を賛成多数で可決し, 2 0 0 4年の新 学期から適用することを決定した。このいわゆる「スカーフ問題Jの焦点は,ライシテ ( L a i c i t e ) と呼ばれる,公共機関における非宗教性である。これは 1 7 8 9年の草命以来,フラ ンスを支え続けてきた共和国精神の核となる考え方であるが,それはまたカトリック支配 からの脱却の中で培われた精神でもある。さらにそこには, 不可分」と謡う共和国憲法が 押し進めてきた,移民に対する同化政策も無関係ではない。しかし一方で,この問題の根 底には,今日のフランスが抱えるイスラム教系移民との社会摩擦も見え隠れする。 r [キーワード]イスラム教系移民 ライシテ(非宗教性) 共 和 国 精 神 同 化 政 策 はじめに 2 0 0 3年 1 2月 1 7日,シラク大統領は国民に向けた演説の中で, I rライシテ j(Laicite: c yと言明し 公共の場における非宗教性)は共和国が獲得した重要なものの一つで、ある た。この演説の意図は, 1 9 8 9年 1 0月,フランスで初めてイスラム教徒の女性が被る スカーフが社会問題として取り上げられて以来続いてきた,いわゆる「スカーフ問題」 に対して国の姿勢を決定的にしたものと考えられる。 フランスは,歴史的に多くの移民を受け入れてきた。現在では, 1 4人に 1人は,二 代まで遡れば外国出身者の血が混じっている J(河村, 1 9 9 6 :p . 2 4 ) とさえ言われてい る。かつて移民の多くは,周辺のヨーロッパの国々の出身に限られていたが,第二次 世界大戦後の高度成長期にはマグレブ諸国からの移民を受け入れてきた。特にフラン スの保護領という位置付けにあったアルジエリアからの移民が多い。このようなイス ラム教系移民の増加によって,今日のフランスでは,イスラム教人口は 5 0 0万とも 6 0 0 万とも言われている。「カトリックの長女」と言われた国で,イスラム教が第 2の宗 教となっている。 イスラム教系移民がフランス社会に定住していく中で,様々な面で車L 牒が生じてき ている。本稿では,その中でも 2 0 0 3年,その規制のあり方を立法化しようとする動き のあるイスラム教徒の女性が着用するスカーフに焦点を当てていく。なぜイスラム教 徒が被るスカーフがフランス社会で問題となっているのか。フランスにおける移民の -19- 問題と今日にフランス社会を支える「共和国精神」を中心に,他国との比較も視野に 入れながら考えていきたい。さらにこの問題の背後にあるフランスが抱える移民との 摩擦についても言及していきたい。 1.スカーフ事件の様相 1 . 1.事件の発端 イスラム教の女性が被るスカーフがフランスで社会問題として表面化したのは, 1 9 8 9年 1 0月,パリの北オワーズ県クレイユ市のガブリエル=アヴェ中学校(公立)に 通う 3人のモロッコ人の女子中学生がスカーフを被って登校したことに始まると言わ れている。イスラム教徒のスカーフ問題はそれ以前から,教育の現場で見られる現象 であった。しかしほとんどの場合は,学校と家族で話し合いがもたれ,スカーフをと ることで問題を解決していたので,社会問題として扱われることはなかった。このク レイユの中学校の場合も,学校側は父兄会やマグレブ三国友愛会,優先教育地域 ( Z E P )のモロッコ人協会のメンバーと相談をしている。そして,教室の入り口までの 着用は許可されたが,教室内では肩にかけるとのことで合意を得ていたという。とこ ろが,少女たちの家族はこの案を聞き入れなかった。また少女たち自身も,この条件 では教室に入ることを拒否したのである。そこで学校は,校則に反する彼女たちを退 学処分とした。 イスラムのスカーフが教育の現場で問題となる理由として,大きく 2つの理由が挙 げられる。 1つは,実質的な側面からの問題で,スカーフが円滑な授業の妨げとなる からである。とりわけ体育の授業や理科の実験の際には,スカーフの着用は安全上の 問題となっている。女子学生のプールの授業の拒否もこのスカーフ着用と関連してい る。また定期試験の際での着用は,本人の確認に支障を来すことが挙げられている。 スカーフだ、ったから J ( 林 , もう 1つは,この「スカーフが頭を覆い隠す『イスラムの J .3 3 ) と指摘しているように,フランスでは学校という公共性と宗教的象徴が 2 0 0 1 :p 相容れないということである。もちろん対象としてはイスラム教だけに限ったことで はない。これは, I ライシテ」と呼ばれる, I 公共の場における非宗教性」を尊重する 精神に深く関係している。 . スカーフ事件に見る固の動き 1 . 2 そしてこの 2つ目の理由によって,イスラム教徒の少女が学校で着用するスカーフ が「問題視」され,さらに「事件」として大きく取り上げられ,フランス社会全体を 揺るがすものになったのである。数値的に見れば,フランス全体でも同類の問題は, 年間 4 0 0人を数える程度であるという。 1 9 8 9年から 1 9 9 4年までに 5件のケースが裁 判になっているに過ぎない。従ってフランス共和国のアイデンテイティを揺るがすほ -20一 どの社会全体に拘わる問題ではない。実際,最初にスカーフ事件が話題になった時も, 当時の政府であった社会党を中心とする左翼政権の反応は,この問題に対して寛容な 姿勢を示していた。しかし「この小さな事件には歴史,政治,社会,文化上の背景」 ( 林 , 2 0 0 3 :p . 3 1 ) があると言われるように,フランス共和国精神の根底にある「ライ シテ」の精神に拘わることが問題を大きくしたのである。実際この事件を報じるマス メディアの論調もその点が強調されている。 事態を重く見たジョスパン首相はコンセイユ・デタ(国務院l )に政治的判断を委ね た。その時の回答は次の 2つに要約される。 1.学校において生徒の宗教的象徴の着用は公教育の非宗教性とは矛盾しない。 2 .勧誘や挑発的でない限り,生徒はスカーフや十字架,ユダヤ人の帽子キッパな どで各自の宗教を表明する権利がある。 ところが国務院のこの回答は法的効力はなく,また何をして「挑発的」とするのか など言葉の定義も暖昧であった。実際,この種の裁判の中で、司法当局が行った判断に も,一貫性が見られなかった。)しかも現実に問題が起こった際には,現場の判断,主 に校長の裁量に任せられることになった。また現場では,スカーフ問題だけが問題な のでなく,体育の授業の欠席,女性教師の拒否,あるいは校内暴力等の問題もある。 様々な状況の中で現場が出した退学処分が,裁判所で違法となったり,教師や父兄会 を巻き込んだ騒動になった例も出てきた。 1 . 3圃スカーフ事件の焦点 もちろん,このスカーフ問題は教育現場だ、けに限ったことではない。公共サービス においてもイスラム女性のスカーフの問題がある。いくつかの事例を挙げてみる。 事例 l パリ市庁舎でイスラム女子職員がスカーフを着用し,男性との握手も避ける。 市長は「公務員としての中立性を欠く」として職員を休職処分にした。 ( O V N INo.553,2003年 1 1月 1 5日) 事例 2 スカーフ着用で勤務を続けていることを理由に解雇された社会福祉関係に勤め ている女性が,解雇を不服として裁判所に訴えるが,公共サービスの非宗教性と 中立性を尊重して,解雇は合法であるとの判決がでた。 (メールマガジン「フランスの片隅から J2 0 0 3年 8月 1日) 事例 3 スカーフ着用を理由に女性社員を解雇した会社は,この社員を再雇用するよう にパリ控訴院から命じられた。パリ控訴院は女性社員のスカーフ着用に対し,信 教の自由の問題として捉え,宗教を理由とする解雇は許されないと判断した。た -21一 だこの社員はテレマーケッティングに携わっており,スカーフ着用が業務遂行の 妨げとならないと判断されたことも背景にある。(向上) 何れにせよ,イスラムのスカーフ問題は,学校だけでなく社会全体の問題となって おり,その問題点は,公共の場における非宗教性ということである。そこで, 2003年 7月 2日,シラク大統領は官民与野党を越えた「共和国の非宗教性に関する調査会」 を発足させた。ベルナール・スタりを中心とし,政治家,知識人,教育関係者,弁護 士など 20人で構成されているこの調査委員会は,約半年の調査の末,その報告書を同 年1 1月 1 1日に大統領に提出した。その中で「禁止される宗教的象徴とは,大きな十 字架やスカーフ,キッパなどこれ見よがしの象徴である」ことが指摘された。 2月 1 7日,メディアを通じて国民に向けて演 この報告を受けたシラク大統領は, 1 説した。その中で大統領は,絶対王政時代やナントの勅令,またフランス革命やド リュフェス事件等のフランスの歴史を通じて培われた共和国精神に言及した上で, r Iライシテ』 y cと述べ,続いて r Iライシテ』はあらゆる出 は信教の自由を保障する 身地や文化,或いは男女を問わず,共和国とその憲法によって個々の信仰が守られる 7ものであると言明した。特に,教育に関して「学校は,価値観や知 ことを保証する 識の習得の面,さらにスポーツや教育における男女の平等を保障するために,我々が 守らなければならない共和国の侵されざるところで、あるC J lと述べた。また調査委員会 から提案されたイスラムとユダヤの祭りの休日には否定的な回答を示すが,それらの 日に試験やその他重要な学校行事を行わないような配慮の必要性や欠席に対しても寛 大な処置を促した。結論として, I 十字架やダピデの星,またファテイマの手のよう な目立たない印は許される。しかしこれ見よがしの印,つまりその着用が宗教の所属 をすぐに分からせるようなものは許されない。イスラムのスカーフやユダヤのキッパ, また大きな十字架は従って,公立の学校においては許可できなし司)と結論づけた。 これを受けて,スカーフ規制の法案作成が国民議会で、討議に入っていくことになる。 2004年 2月 1 0日には国民議会(下院)で 577議席中 474票の圧倒的賛成多数で可決さ れ,また SOFRESの世論調査でも国民の 77%がこの宗教的中立を支持すると回答して いる。 3月 3日には上院議会で, 3 2 1議席中 276票の賛成多数で可決され, 2004年の 新 学 期 (9月)から適用されるようになった。 2 . スカーフ事件の背景 2 . 1.イスラム教系移民事情 2 圃 1 . 1.移民の変遷 1 9世紀以降,フランスには大きく 3回の経済移民の波が押し寄せるが,イスラム教 系移民がフランスに登場するのは,第二次世界大戦以降の高度経済成長の時代に入っ -22一 てからである。 i 3 0年の栄光」と呼ばれるこの時期は,特に 2回に亘る大戦で多くの 就労年齢の死傷者を出したことと重なって,労働人口の不足が叫ばれた。さらに,他 のヨーロッパ諸国に先駆けて出生率の低下の影響もこの頃の労働者不足に拍車をか ける。それまでフランスの労働移民を支えてきた周辺諸国でも,同様に自国内での労 0 年代に旧宗主国であるフランスから独立を果 働人口の需要が高まっている。そこで 6 たしたマグレブ諸国がその穴を埋めることになったのである。 1954年には 1 7 6万人 9 7 5年には 350万人と 2倍近くになる。 だった外国人の数が, 1 これらの国々の移民にとって言語的問題が少ないことと地理的に近いことも追い 風となった。雇用者側にとっては,こうした移民の安い労働賃金は大きな魅力である。 また送り出す方の国も慢性的な雇用問題を抱えており,失業者を送り出せる絶好の機 会となったのである。特に,農村部で働き口のない失業者の多くがフランスに渡った。 9 6 4年ま その中でも,フランスの保護領であったアルジ、エリアは特別な待遇を受け, 1 では自由に行き来できたので最も多い。 こうした労働者の 7割以上が工場などに雇用されることになる。彼らの多くは非熟 練労働で,建築,鉱山,化学製品工場,製鉄業など,フランス人が好まない日本語で いういわゆる 3 Kと呼ばれる「きつい,きたない,きけん」とされる職場に就労する。 当初フランスでの生活が一時的なものであった労働移民も,滞在の長期化と共に生 活の基盤がフランスになってくる。戻っても就職できないという自国の雇用問題は, 労働者をますますフランスに定着させる。さらに,家族呼び寄せによって,彼らの住 9 7 0年代以降,大都市郊外に建設された H L 居に関する問題が出てくるようになる。 1 T M と呼ばれる中.低所得者向けの公的集合住宅に,多くの移民が入居することになる この点に関して,移民の居住区域が大都市の内部に存在するイギギ、リスやベルギギ、一,ド イツなどとは対照的である。 2 . 1 .2 . 移民の定着化 9 7 4年には労働移民の受け入れはストップしているが,そ オイルショックの翌年, 1 れ以降も移民の数は増加を続ける。そのほとんどは家族の呼び寄せによるもので,他 の移民に比べてマグレブ系移民には比較的若い世代が多く,人口の増加にも繋がって いく。家族合流は人道的見地から容認せざるを得ない。またフランスは他の国で認め られている一夫多妻は容認しておりブ家族呼ぴ、寄せといっても,一労働者に対して, 複数の家族が来ることもあり得るのである。 1974年には一度は呼び寄せを停止した が,家族が一緒に住む権利を奪うことにもなり,人権問題にも関わる。「庇護の国」と 9 7 6 年には条件付きで 自負するフランスにとって門戸を閉ざすことは不可能であり, 1 認めている。 フランスの景気が後退し始め,失業率が増加するにつれて, -23- i 出稼ぎ移民」に対し て社会的批判が集まってくる。外国人排斥を全面に押し出すルベン率いる極右政党が 台頭し始めるのもちょうと寺このころで、あった?またフランスの国籍は出生地主義を とっているので,両親が外国人であってもフランスで生まれた場合,一定の条件下で フランス国籍が取得できる。それは,移民の 2世 , 3世が法律上「フランス人」とし て保証されることを意味するのである。 し か し 移 民 の 2世 , 3世である「フランス人」の居住区が移民の比率が高い大都 市近郊に集中しており,一般的フランス社会から遠ざかった環境の中での生活となっ ている。そこへまた元々のフランス人の流出はそれに追い打ちをかける。日常生活の 中での宗教の実践に重きを置くイスラム教は,こうした移民が大多数を占める環境の 中で自然と浸透していくことになる。職がない貧しい農村出身であった移民一世は, 子供たちの学校教育についての関心も希薄な場合が多く,学校教育についていけない 移民の子弟も,こうした地域では問題となっている。スカーフ問題は,このような環 境の中における学校教育の中で起こっているのである。 それはフランス社会におけうイスラム社会の形成と,そのフランスの根底にある共 和国精神との摩擦が,この「イスラムのスカーフ問題」として浮上してきたのだと考 えることカ宝できる。 2 . 2 . 共和国精神 2 . 2 . 1.共和国精神の成り立ち 共和国精神はフランス革命の原動力であり,今日のフランス社会の根底に流れる基 本的な考え方である。「フランスは,不可分の非宗教的,民主的かつ社会的な共和国 である」という 1958年第 5共和国憲法第 2条が,この共和国精神を最も端的に言い表 している。スカーフ問題におけるこの共和国精神との接点は, r 非宗教的」という部 分にある。ここではフランス草命以降,フランスがどのように非宗教化していったの か,その足取りを簡単に見ていく。 1789年の草命以前,フランスでは,生活のあらゆる面において教会に支配されてい た。誕生から始まり,洗礼,結婚,葬儀などすべて教会で行われるものであり,婚姻 や離婚,信教の自由もなかった。またこの教会は行政とも密接に連関しており,教会 に反旗を翻すことは,市民としての権利を放棄することを意味した。この場合,教会 とは,カトリックと同義語であると考えてよい。戸籍に関しても,革命以前は教会が 管理していたので,カトリック教徒しか戸籍を持てなかった。共和国宣言は,従って, 身分制を廃止し,その出身地や宗教が何であれ「不可分」な共和国の一員ということ を保障したのである。それは,教権の支配から国家の支配,換言すれば宗教的支配か ら非宗教的支配へと移行していく過程でもあった。 また 1790年,革命の翌年の立法議会は修道院の統廃合が決定され,それまで行政区 -24- 分を支えてきた司教区や教区は市町村に代わっていく。教会の司祭に関しても能動市 民による選挙で選ばれることになる。選ばれたものは憲法の遵守する「公民宣誓」が 義務づけられた。これは革命への忠誠を強要する意味を持つものである。 1 8 0 1年,その 2年前に第 l帝政を樹立したナポレオンは,政教協約によって複数の 宗教(カトリック,プロテスタント,ユダヤ教)を公認した。確かにこれによって, 聖職者は国家から俸給を与えられることになり,脱宗教化からすれば逆の流れでは あったが,フランスにおける宗教は,国家への服従と引き替えに宗教儀礼が多様化す ることになった。結果的にカトリックだけの支配の時代からすれば,さらに前進した ものと考えることもできる。 第 3共和政の下で,国家の非宗教化は加速していく。日曜日を休日とする義務や墓 地の宗派制の廃止したり,葬儀の民事化,病院職員を聖職者でないようにする動きも 出てくる。そしてこの時代になってようやく「ライシテ」という表現が表に現れてく るのである。語棄の概念に関しては,宗教という普遍的なものの見方ではなく,それ はむしろ教会権力,つまりカトリック教会の権力体制からの解放を意味していた。そ れは,この第 3共和政の下で発布され,国家と教会との関係を決定づけた先の政教分 離法が, " L aS e p征 組ond 回 E g l i s e se td el 'E t a t "と,カトリックの教会を意味する " E g l i s 部門 という言葉が使われている ところからも読みとれるのではないだ、ろうか。 i この政教分離法では,公認宗教制度を廃止した。固からの俸給は施設司祭だけと なった。信教の自由,祭杷の自由が保障されるようになっていく。これはつまり「宗 教は個人的な選択による『私的 Jな営みとなった J( 林 , 2 0 0 1 :p . 3 9 ) ことを意味し, さらに換言すれば,公共における宗教性を一切排除することを意味しているのである。 「ライシテ」の精神の誕生はこのようにフランス草命から続く教権との闘いの中で 育った考え方と言えよう。むしろフランス革命を起こさせる原動力となった考え方と も言えるかもしれない。フランス革命は,単なる政変やクーデターのようなものでは なく,長い間支配され続けてきた,旧体制である王権からの脱却であり,その王権と 深く結びついていた教権,つまりカトリックの支配からの解放のための闘いの歴史か ら成り立っている。共和国憲法の中に彊われている「フランスは,不可分の非宗教的」 の表現には, 2 0 0年以上にも続いてきた戦いの重みがある。 2 .2 .2 . 教育に「ライシテ」の浸透 「ライシテ」の日本語訳は「政教分離」や「非宗教性」であるが, i ライシテ」とは, スタジ調査委員会の報告書では,①信教の自由を保障,②信教,宗教の意見の権利の 平等性,③各宗教に不公平がないように政治権力の中立性,の 3つの原則から成り 立っているとしている。「ライシテ」は,公共の宗教に対する中立性,あるいは非宗 教性であり,決して反宗教性を意味するものではない。「学校は,我々が共有する価 -25- 値の習得と伝達の為の総本部で、ある?と言われるが,この「我々が共有する価値」と は他でもない共和国精神であり,その核を成すのが「ライシテ」である。「ライシテ」 の精神が教育の現場にどのように浸透してきたのか見ていきたい。 教育の現場におけるこの「ライシテ」は,いくつかの法律によって浸透していく。 教育における教会権力からの脱却は, 1 8 3 3年のギゾー法が最初だと言われている。 これは,各市町村に小学校を lつ置くことを定めたものである。このことによって教 師は市町村の参事会の管轄下に置かれることになり,報酬は市町村と家族の寄付よっ て賄われるようになった。 1 8 5 0年に出されたファルー法では,中等教育が大学から切 り離された。また,そのほとんどがカトリックで経営されていた私立学校は,国や市 町村から校地と補助金を得ることが保障されたが,その割合が規定されるようになっ た 。 8 8 0年代,第 3共和政 ( 1 8 7 0に成立)の下で,フェリー法が施行される。こ さらに 1 れによって小学校は無償になる。そして 1882年には 1 4才までが義務教育となる(?そ してここで初めて「ライシテ」が明記されるようになる。これは教育の「世俗化」を 意味する。またそれまでの宗教教育(ファル一法の下で)の時聞が,道徳,公民教育 になる。つまり,これまで教会という権力の下でなされてきた教育が, i 共和国市民 の育成」に向けて大きな一歩を踏み出すことになるのであった。 1 8 8 6年のゴブレ法では,教師の非宗教化が進むことになる。それまでの小学校教師 の半数が聖職者であったが,公立の学校においては非宗教の教師が教育を担当するこ ととされ,それまでの聖職者と入れ替わるようになっていく。公立と私立の併存は容 認された。また, 1904年の政教分離によって,修道会による教育が禁止される。 このように教育の分野における「ライシテ」の精神は,共和主義者にとって,教権 主義者こそが敵である。だから非宗教性に対する攻撃は共和精神の侵害として受け止 められる。共和主義者にとって学校の非宗教性とは, i 不可分」であるフランスにお いて「国民的単一性」を鍛える場所であらねばならないのである。つまり,宗教や民 族,身分などの社会的分割を越えることができるものであり,それが,国の同化政策 と繋がっていくのである。だからこそ,学校は共和国の基礎であり,それは国家問題 となるのである。一女生徒のスカーフ問題は,従って,個人の問題ではなく国家の問 題となっていく構造がここにある。 3 . 問題の焦点 3 . 1.キリスト教文化背景 このように学校は,共和国精神を養うための場として位置付けられ,そのために非 宗教性を浸透させるための長い闘いの歴史を持っている。従ってそのような場所に -26- ある宗教的シンボルとみなされるもをを持ち込むことは容認し難いとなるのである。 つまり, r ライシテ」を標梼する共和国にあって,イスラム教の教えの日常生活での 実践は相容れないことが問題の根底にある。 しかし,スカーフが宗教性のシンボルと見なされ禁止されるのなら,どうしてこれ までユダヤ教のキッパに対して反応がなかったのだろうか。また十字架はより多くの フランス人が身につけているが,これまでにそのことが大きな社会問題として取り上 げられたことはなかった。今回,スタジ調査委員会の出したイスラムやユダヤ教の 重要な行事の日も祝日にするという提最も却下されている。一方でフランスの祭日は, 復活祭や御昇天,聖霊降臨,聖母被昇天,万聖節,クリスマスとキリスト教に因んだ ものが少なくない。そこにこのスカーフ問題が「ライシテ」とは別の次元のフランス 社会の特性を露呈するのである。その lつが,キリスト教を母体とした文化背景では ないだろうか。そしてそれは,シラクがいう「フランスにおいて新しい宗教である? イスラム教に対して抱く危倶の念が,スカーフというものに象徴され,それを法律で 禁止することによって,フランス文化のアイデンテイティの保持に繋がっているので はないか。しかしそのアインデンティティこそ,キリスト教に深く関わっているので あり,そこから生まれた,カトリック支配からの脱却に根差した「ライシテ」の精神 こそ,今本当の意味での非宗教化をする必要があるのではないだ、ろうか。 3 .2 . 同化政策とその矛盾 このような一見「文明の衝突」とも言えるスカーフ問題の裏には,さらにイデオロ ギーの問題だけでなくもっと具体的で、日常的な視点における,フランス社会とイスラ ム教との摩擦があり,それがイスラム教の女生徒が学校という公共の場で着用するス カーフとして表れてきたとも考えられる。それはフランスが多民族から成り立ってい る社会であり,それゆえに貫いてきた同化政策がもたらす摩擦でもある。 多くの移民を受け入れてきたフランスは,国籍法に関しては,フランスは血統主義 だけでなく出生地主義とをミックスした形である。その背景にはフランスの出生率の 低下,大戦での戦死者を考慮し,兵力要員の確保というねらいがあったと考えられる。 従って多くのイスラム系移民の 2世は,フランス国籍を持ち,フランス語を母国語と して育っている。親の出身国に行ったことのない者も少なくない。 しかしその一方で,イスラム系移民の住居に関しては,先にも触れたが,大都市近 郊の低家賃住宅に集中し, r 平均的」フランス社会から離れた生活空間にある。フラ ンスに生まれ育ちながらも,フランス文化との接点が少ない。とはいえ,親世代の伝 統的イスラム文化とも相容れない。そのような環境の中では,彼ら独自のアインデン ティテイが形成されていくのである。 ところが,フランスが「共有する価値の習得と伝達の為の総本部」であり,また「同 一 27- 化装置 J( 林 , 2001:p. 4 6 ) と位置付けられ, I 普遍的価値,自由・平等を継承伝達す る唯一の制度J( 林 , 2001:p. 4 3 ) である学校が,こうした地域においては,大半が移 民出身者で占められる場合も少なくない。「移民生徒の多い学校からフランス人の中 産層は去って行き,学校は『悪い学校Jと『良い学校』の二分化J( 林 , 2001:p. 4 3 ) が進む中で, I カトリックとの厳しい対峠から生まれたライシテ J(谷川, 1 9 9 7 :p . 2 2 8 ) の精神は,女子生徒のスカーフに代表されるイスラムと直面することになったのであ る 。 さらに同化政策は,生活空間において一般的フランス社会との接点が少なくても, 異なる人種,宗教的コミュニテイを同化せずにそのまま共存させるアングロサクソン 的社会モデルとは違い,すべてに対して「平等」に扱うことを前提としているのであ る。従ってマイノリティに対する「積極的格差是正副)は,フランスでは否定的に見 られるのである。フランスの共和主義とは,すべての者に同じ法律を適用する社会を 理想としているのである。憲法の中の「不可分」は,例外を認めないという共和国精 神の根幹をなしている。こうしたところが,アメリカ社会などのアングロサクソン系 社会と大きく異なる点である。 このような例外を認めない同化政策はまた,強力な中央集権体制が支えることが不 可欠である。とりわけ,革命以来「共和国の基礎J( 林 , 2001:p. 4 3 ) とされてきた教 育が国家的なプロジ、エクトであったことは,共和国の成り立ちの歴史が物語っている ところである。 3 . 3 . イスラム教に対する危機感 さらに,スカーフ問題の背景には,イスラム教に対するフランスの危機感があると も考えられる。 9 . 11のアメリカ同時多発テロ以降,イスラム原理主義に対する危機感 は,それまでフランス社会に爆っていた国民戦線のプロパガンダの中で言われる,治 安や失業問題,また様々な日常生活の中で可視化するイスラム教系移民に対する不満 と融合して,少女たちのスカーフに象徴的に表れてくるのである。まさに「公立校の 教壇から十字架を撤去するのに 100年かかった国民が,今度は女生徒のヴェールにイ スラム原理主義の侵犯という影を感じ取った J(谷川, 1 9 9 7 :p . 2 3 0 ) のである。 またスカーフがイスラムの女性差別の象徴であると批判する見方もある。女性自身 の意志ではなく,父親や夫,また家族や地区の圧力に抑圧されているイスラムの男尊 女卑や家父長制社会のシンボルとしてスカーフが取り上げられているのである。実際, スタジ調査委員会の報告書にも,移民人口の多い地区での女性の差別について言及さ れており,スカーフを着用することによって,誰からも非難されず,外出の自由が保 障されたという例も挙げられている。これはスカーフ着用が逆に共和国家の市民権を 保障するというパラドックスであり,またその背景には西洋フェミニズムとの車L 蝶も -28一 存在する。 むすび このフランスのスカーフ規制の法案化の動きに対しては,国の内外から非難の声が 上がった。「愛するフランス,私の自由はどこに ? Jゃ「スカーフは私の選択」といっ た,スカーフが決して強制されたものでないことを強調するメッセージもあった。特 にトルコやアフガニスタンなどイスラム教徒の多い国では,フランス大使館前で抗議 のデモが行われ,またイスラム原理主義団体からはテロ活動を示唆したメッセージが 届き,国内に緊張が走った。しかしその一方で,イスラム教においてスカーフは,本 当に「宗教的象徴」なのかという疑問もある。事実,スカーフやヴェール,チャドル といったものがイスラム特有のものと見られているが,これらの体を隠す習慣の起源 はイスラム以前のものであるという指摘もある。そうした捉え方からすれば, 1 社会 的な習慣」と位置づけることも可能であり,従ってこのスカーフ問題は,校則違反と いうことにはなるかもしれないが,決して「ライシテ」の問題ではないと考えること も可能ではないだろうか。 しかし現実には, 1 ライシテ」という視点からの問題提起の背景には,フランス,あ るいはヨーロッパ文化がキリスト教文化に根ざしたものであり,イスラムの可視化が もたらすところの文化や社会摩擦が,この学校で、少女が身につける 1枚の布のスカー フをして,大きな社会問題と見なされることになっているのではないか。またそこに はこの「ライシテ」の精神自体が,教権との長い戦いの歴史の中で生まれたものであ ることも深く関係する。そしてこのような摩擦は,世界がグローパル化が進む中で, ますます増えていく可能性は否定できない。 昨今,日本で大きな社会問題になりつつある人口の少子高齢化は,労働人口の不足 を招き,それを補うためにも外国人労働者に頼らなければならない状況がくると予想 されている。それは,単に「外国人」を受け入れるという事実だけでなく,その背景 にある文化や生活習慣,そしてイスラム教だけに限らず「宗教の日常生活の中での実 践」をも受け入れていかなければならないことを意味するのである。今日のフランス に見られるような問題は,決して遠い世界,遠い未来の問題ではない。 異なる文化と接触する機会がますます多くなる中で,これから日本がどのように対 応していくのかが問われることになる。それは国レベルだけの問題でなく,世界全体 を視野に入れた経済や社会,文化や宗教等の組織が,多種多様である文化に対してい かに対応していくのか考えていかねばならない。今日のフランスにおけるスカーフ問 題は,そうした視点からすれば,その lつの例として捉えられるのではないだろうか。 -29一 [註] (1) < < L al a i c i t ee s tl 'u ned e sg r a n d e sc o n q u e t e sd el aR e p u b l i q u e . > > (2)Zonesd ' E d u c a t i o nP r i o r i t a i r e : :就学に関して様々な問題を抱えている生徒が多く,優先的に教育に力を 入れていく地域。大都市の郊外などが多い。 (3) LeC o n s e i ld ' E t a t 政府の行政や立法に関する諮問機関。 (4) 1994年,学校の退学処分を巡って,リヨンでは公立学校の非宗教性を認め,オルレアンでは,子供の 学ぶ権利を重視した判決がなされている(河村, 1996:p . 3 0 )。 (5) B e r n a r dS t a s i,1998年より共和国行政斡施官。 1968年から 1993年まで下院議員。 (6) < < L e s t 巴n u e se ts i g n e sr 巴l i g i e u xi n t e r d i t ss o n tl e ss i g n e so s t 巴n s i b l e s, t e l squeg r a n d 巴c r o i x, v o i l eouk i p p a . > >( 5 8 頁) (7) < < L al a i c i t eg紅 a n t i tl al i b e r t ed巴 c o n s c i e n c e . > > (8) < < E l l 巴p e r m e tad e sf e r n r n e s巴t量 的 homm 巴s v e n u sd et o u sl e sh o r i z o n s,d 巴t o u t e sl e sc u l u t r e s, d 'e t r 巴p r o t e g e s d a n sl e u rc r o y a n c e sp訂 l aR e p u b l i q u ee ts 巴s i n s t i t u t i o n s . > > (9) < < L ' e c o l 巴巴 s tuns a n c t u a i r er e p u b l i c a i nquen o u sd e v o n sd e f e n d r e, p o u rp r e s e r v e rl 'e g a l i t ed e v a n tl 'a c q u i s i t i o n d e sv a l e u r se tdus a v o i r , l 'e g a l i t ee n 位巴 l e sf i l l 巴s e tl e sg a r c o n s, l am i x i t ed et o u sl e se n s e i g n 巴m e n t s, e tn o t a r n m e n td u s p o r t . > > ( 1 0 ) α L e ss i g n e sd i s c r e t s, p a rexempleu n ec r o i x, un 巴e t o i l ed eDavid, ouun 巴m aind eF a t i m a , r e s t e r o n tn a t u r e l l e m e n t p o s s i b l e s .Enr e v a n c h el e ss i g n e so s t e n s i b l e s,c ' e s t a d i r 巴c e u xd o n tl ep o r tc o n d u i tas ef a i r erem 紅q u e r巴t r e c o n n a i t r e i r r u 百e d i a t 巴m entat r a v e r ss o na p p 紅 t 巴n a n c er e l i g i 巴u s e, nes a u r 創巴n te t r ea 也凶s . > > ( 1 1 ) 例えば 1975年 , HLMの外国人の入居比率が 11 .9%だったのが, 1982年には 48%にもなっている。 ( 1 2 )1980年の法制局の政令では,フランスに入国する前に結婚が出身国で成立していると,第二夫人とし ての資格が得られた(ミュリエル・ J,2003:p. l6 l )。 ( 13 ) 1978年の国民議会選挙では, 1 1 0 0万人の失業者,百万人の多すぎる移民 J , 1フランス人優先」を掲 げた反移民を掲げている(畑山, 1997:p . 7 6 )0 1984年の欧州議会選挙や 1988年の大統領選挙第一回投票 でも国民の 11%の支持を得ている。 ( 1 4 )1 8 0 1年,ナポレオン一世がローマ教皇ピオ七世と結んだコンコルダ(C o n c o r d a t )。 ( 1 5 )< < L ' e c o l ee s taup r e m i 巴r c h e fl el e i ud 'a c q u i s i t i o ne tdet r a n s m i s s i o nd e sv a l巴u r squ 巴n o u sa v o n se np紅 t a g e . > > ( 1 6 ) 現在は 1 6歳まで。 ( 1 7 ) イスラムのAi: d e l K e b 註とユダヤのKi p p o u rの祭りの休日化。 ( 1 8 )< < i' I s l a m,r e l i g i o np l u sr e c e n t 巴町田町t e 凶t o i r 肋 ( 1 9 )a f f r r a m t i v ea c t i o n ( 2 0 )3 . 3 . 2 .1 .Uneg r a v 巴r e g r e s s i o nd el as i t u a t i o nd e sj e u n 巴s f e r n r n e s [参考文献] 朝倉俊一他 『事典現代のフランス.1,大修館書庖, 1999年 。 河村雅隆『フランスという幻想一共和国の名の下に.1,ブロンズ社, 1996年 。 r 古賀幸久「ヨーロッパとイスラム法 J ヨーロッパとイスラムー共存と相克のゆくえ j (梶田孝道編),有 -30 信堂, 1 9 9 3年。 坂本一『知恵大国フランス.1,講談社, 1 9 9 2年。 谷川稔『十字架と三色旗ーもう一つの近代フランス.1,山川出版社, 1 9 9 7年。 畑山敏夫『フランス極右の新展開ーナショナル・ポピュリズムと新右翼.1,国際書院, 1 9 9 7年。 r 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c c o r d i n g l y , t h eN a t i o n a lAssemblyp a s s e dt h e l a wbyam a j o r i t ya n dd e c i d e dt oe n f o r c ei tfromt h enews c h o o lt e r mo f2 0 0 4 .Thef o c u so f t h i s“ h e a d s c紅 fi s s u e "i ss o c a l l e d“ L a i c i t e, "whichi ss e c u l a r i s mi np u b l i ci n s t i t u t i o n s .I ti s oneo ft h ec o r ei d e a so ft h er e p u b l i c a ns p i r i tt h a ts u p p o r t e dF r a n c es i n c et h er e v o l u t i o no f a n di s叩 i d e at h a td e v e l o p e dt h r o u g hb r e a k i n gawayfromt h econ 仕0 1o ft h eC a t h o l i c 1 7 8 9, c h u r c h .Als or e l a t e di s血ea s s i m i l a t i o np o l i c yf o ri m m i g r a n t st h ec o n s t i t u t i o no ft h e“ i n d i v i s i b l e " ,t h ei s s u ea l s oa p p e 紅 s t ober o o t e di ns o c i a lf r i c t i o n R e p u b l i ch a sb e e np r o m o t i n g .However w i t hMuslimi m m i g r a n t si nF r a n c et o d a y . Keywords:MuslimI m m i g r a n t s, L a i c i t e( S e c u l a r i s m ),R e p u b l i c a nS p i r i t , A s s i m i l a t i o nP o l i c y -32-
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