イギリス領アメ リカ植民地における奴隷制と イングランド国教会

大分大学教育福祉科学部研 究紀要 (
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イ ギ リス領 アメ リカ植 民地 にお ける奴隷制 と
イ ングラン ド国教会
-海外福音伝道協会年次記念大会の説教 を中心に一
青
柳
か お り*
【
要 旨】
18 世紀初頭 か らイ ングラン ド国教会 は海 外福 音伝道協 会
(
SPG)
を設 立 して,イ ギ リス領 アメ リカ植 民地の異教徒-布教活動 を行 って
いた。 国教会 はアフ リカ系奴隷 にキ リス ト教教育 を行 い改宗 させ よ うとして
いたが,奴隷 の主人たちか らの反対 が大 きかった。奴隷 がキ リス ト教徒 にな
る と自由にな り,財産権 が侵害 され る と考 え られていたのである。18世紀の
イ ギ リスでは奴隷制 は当然 とみ な され ,奴隷貿易 も盛 んに行 われ てお り,
SPGや国教会 も奴隷制 を支持 していた。 しか し,非人道 的な奴隷貿易 。奴隷
制 に対 してはクエーカーな ど非 国教徒系教会 が反対 してお り,18世紀終わ り
に奴隷貿易廃止運動 も起 きた。従来,奴隷貿易廃止 に関す る研 究 においては
非 国教徒や廃止運動 に関わった政治家 な どが注 目されてお り,国教会 は見過
ごされ てきた。しか し,18世紀後半 に国教会の高位 聖職者 である主教の中に
は,奴隷貿易 。奴隷制 の緩和や廃止 を希望す る者 もいたのである。本研 究で
は,海外福音伝道協会年次記念大会 の説教 を中心 に,その よ うな主教の主張
を検討 し,奴隷制 についての国教会 b
)思想 に変化 がみ られた ことを明 らかに
す る。
【キー ワー ド】
奴隷制
奴隷貿易
イ ングラン ド国教会
海外福音伝道
協会
は じめに
1701年 6月 ,イ ギ リス領 アメ リカ植 民地の異教徒 にキ リス ト教 を布教す るため,イ ングラ
ン ド国教会 に よって海外福音伝道協会 (
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,以下, SPG と略記)
が設立 され た。 これ は,イ ングラン ド国教会 に よる初 めて
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の勅許状 を得 ていた。設立の中心人物
の公式な布教 団体で,国王 ウィ リアム三世 (
は,国教会聖職者 でメ リー ラン ド主教代理 を務 めた ことのある トマス 。プ レイ (
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)
であった。
平成 2
6年 1
0月 31日受理
*あおや ぎ ・かお り 大分大学教育福祉科学部情報 国際教育講座 (
西洋史)
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青
柳
17世紀 か ら海外 の国教会 を管轄 していたのは歴代の ロン ドン主教 で,彼 らは植 民地-主教代
理 を派遣 していた 1)。植 民地に関心の高かった ロン ドン主教- ン リ 。コンプ トン(
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は, 1
696年 ,メ リー ラン ド主教代理 に トマス 。プ レイ を任命 した 2)。 メ リー ラン ド
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では主教代理 を受 け入れ るための法律 の整備 が遅れていたので,プ レイ はす ぐに出発 できず,
ウオ リックシャのシェル ドン教 区で主任 司祭 を していたが, ロン ドン-移 ってメ リー ラン ドの
国教会 を支援す るための準備 を した 3)Oプ レイ は 1699年 12月 にメ リー ラン ドに向けて出発 し
たのち,翌年 3月 に到着 し,その夏 に帰国 した。滞在期 間は短かったが,彼 は帰国後 に植 民地
各地 の状況 を覚書 に詳細 に叙述 した。彼 によれ ば,カ トリック教会や クエーカー とは対照的 に,
すべての場所 で国教会聖職者 は不足 していた とい う4)。彼 は植 民地 には図書館 と聖職者 が必要
であると確信 していた 5)0
17世紀以来,イ ギ リスによるアメ リカ植 民地建設 がすす め られていたが,一般 的にイ ギ リス
の政治家や 国教会聖職者 は植 民地-の関心は低 く,積極的な支援 を しなかったため,国教会 は
イギ リス本 国の最大の宗教的勢力であるに もかかわ らず,アメ リカにおいては,プ ロテス タン
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)の諸宗派や カ トリック教会 と比較 して弱体であった。国教会 はアメ リ
ト非国教徒 (
カ植 民地 においては主教制教会 (
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h)と呼ばれ てお り,信者数 に対 して聖職者 が
不足 していた上に,アメ リカ先住民や黒人 といった異教徒 も存在 していた。そ こで,SPG は聖
職者 を維持す ることと,異教徒- キ リス ト教 を伝道す ることを 目的 として設 立 されたのである
6)
。
SPG の設立 目的は勅許状 に記 されてい る。
主教制教会 はイ ギ リス領 アメ リカ南部や西イ ン ド諸 島では有力であったが,聖職者 は不足 し
ていた。中部 と北部 では少数派 に過 ぎず,特 に北部 では非国教徒系教会 が優位 であった。また,
カナダ方面ではフランス,南部 ではスペイ ンのカ トリック教会 との勢力争 いがあ り,主教制教
会の地位 は低 かった。SPG 宣教師は異教徒-の布教 を開始 したが,宣教師不足や言語 の違 いな
どか ら彼 ら- の布教 は困難 であった。特 に奴隷 の場合 は,彼 らの主人た ちが強 く反対 していた
のである。 それ にもかかわ らず,奴隷制が当然 とみな され ていた 18世紀 において,イ ングラ
ン ド国教会 は奴隷-の布教 を推進 した。
833年 にイ ギ リス領 内の
さて,イ ギ リスでは法律 によって 1807年 に奴隷貿易 が廃止 され ,1
奴隷制が廃止 され る。18世紀後半に奴隷貿易廃止運動 が高 ま るが,非国教徒 であるクエーカー
が奴隷 貿 易 ,奴隷 制 に反 対 してい た こ とや ,庶 民院議員 ウイ リア ム ・ウイルバ ー フォー ス
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)
な どの廃止運動 の指導者 は よく知 られてい る。 また, メソデ ィス ト聖職
者 ジ ョン ・ウェス レ(
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,世俗 の指導者 グラングィル ・シ ャープ(
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や トマス ・クラー クソン(
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な ども反奴隷制運動 に関わった主要 な人物 として
知 られてい る。 しか し,イ ングラン ド国教会 と奴隷制 の関係 については 日本 ・海外 においてあ
ま り研究 され て こなかった 7)0
本稿 では,イ ングラン ド国教会 の布教団体である SPG に注 目して, 18世紀 にお ける奴隷 に
ついて言及 した国教会聖職者 の説教お よび著作 を分析 し,国教会 の奴隷貿易 ・奴隷制 に対す る
SPG年次記念大会 での説教 を用いた 8)0
思想 とその変化 を明 らかに したい。主要 な史料 として,
SPG では, 1702年以降,毎年 2月 に代表 の一人 の聖職者 が行 った説教 を出版 していた。説教
の対象 は SPG に寄付 をす る会員や 国教会 の信者 であるが,説教の反響 は大 き く, 中にはアメ
リカ植 民地で大量 に配布 され るもの もあった
表 してい る と考 え られ る。
9)
。 それ
らの説教 はイ ングラン ド国教会の立場 を
アメ リカ植 民地における奴隷制 とイングラン ド国教会
9
1
t イギ リス領アメ リカ植民地における奴隷の主人
(
1) 布教 の 困難
PGの会員 もいたが,奴隷 の主人や奴隷商人 をは じめ奴隷制 を
布教 に熱意 のある聖職者や S
擁護す る人 々は,奴隷 を人間ではな く,財産,所有物,家畜 と考 えていた。彼 らは黒人奴隷 を
‡
)
Gの説教 にお
蔑視 してお り,奴隷 に教育 した りキ リス ト教化 した りす るこ とには反対 した。S
いて さえ, 1
7
3
4年, ウェル ズ首席 司祭 アイザ ック 。マ ドックス(
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)
は,先住 民 と
黒人は非常 に迷信深い,ばかげた不敬 な儀式 を してお り,愚 かで残酷,野蛮である と非難 し,
PG年次記念大会 の説教
黒人奴隷 の ことを極悪 で不正であると決 めつ けた 10)。18世紀後半の S
になるが,ロン ドン主教 ビール ビ。ポーテ ィアス(
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)
は次の よ うに述べた 11)。「
我々
の黒人奴隷 は, ほかの被造物 とのすべての比較 を超 えてい る。一般的に,彼 らは育成 され る理
解力 も救 われ る魂 も持 っていないので,単 なる機械 ,労働す るための道具 と考 え られ てい る。
多 くの場所 で洗礼 の儀式 の よ うな ことが執行 されてい るだけで,宗教 の教義や義務 についての
適切 な指導 のための十分 な時間や援助 が不足 してい る。 - 。西イ ン ド諸 島だけで も,文字通 り
世界 の神 を知 らず に生 きてい る 40万人以上の人間がい ることになる。彼 らは,創造者や購い
」
主の知識 な しに,自然宗教や啓示宗教 の主義 な しに,
道徳 的義務の思想 な しに生 きてい る。- 。
SPGの布教 は一部 の地域 では成功 したが,当時の SPG宣教師か らの本部-の報告 において
も,奴隷- の布教活動 がすす まない ことが明 らかになってい る。布教 の現状 と困難 について,
1
7
2
9年, ロン ドン主教エ ドマ ン ド 。ギブ ソン(
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n)
は,主人 と女主人-の 『二通
の書簡』 において,プランテー シ ョンにお ける黒人 は非常に人数 が多 く,教 区は大変広大であ
り,牧師 と教師が最大限の ことを行 って も, この布教が必要 とす るのに十分 な世話や要求 には
不足す るで あろ うと述べた。 また彼 は,奴隷 が異教 の儀式や偶像崇拝 に慣れてい ること,奴隷
と宣教師がお互いの言語 をまった く知 らない こ と,主人か らの反対 な どを布教がすす まない理
由に挙 げてい る 12)。奴隷 に洗礼 を授 ける と,彼 らの財産お よび奴隷 を 自由に売却す る権利 が破
壊 され,奴隷が勤勉 に労働 しな くなる と考 え られていた。
このほか に,奴隷 が非常に愚 かであることや,アフ リカでは一夫多妻 ,-妻多夫 な どの習慣
があることな どもキ リス ト教化 の妨 げだ と言われた。 また,彼 らは救われ る魂 がないのでキ リ
ス ト教徒 にはなれ ない とい う意見 もあった 13)。言語 の問題 に関 して,宣教師たちは,英語 が通
じない成人 ではな く若 い黒人 に英語教育か ら始 めることを提案 していた。
(
2) 奴隷 と主 人た ち
奴隷 の主人か らの反対 が強かった ことが,布教が うま くい かない大 きな原 因であった よ うで
ある。奴隷 をや さしく扱 い,キ リス ト教教育 を受 け させ る主人たちもいたが,たいてい は利益
を追求 してお り, さま ざまな理 由で反対 していた。第一 に,奴隷 が教育 を受 ける と労働 時間が
その分減 る 第二 に,洗礼 を受 ける と奴隷 が 自由にな り, 自分たちの財産が侵害 され る。第三
。
に,奴隷 が知識 を持 ち,倣慢 にな り,勤勉 に働 かな くなる,さらには反乱 を企 て るよ うになる,
とい うのであった 14)0
当時,キ リス ト教 と奴隷制 が両立す るのか とい う問題 が存在 していた。1
7世紀 においてイ ギ
リス人 の間では,洗礼 を受 けてキ リス ト教徒 となった奴隷 は 自由になれ る とい う観念や習慣 が
あ り,キ リス ト教徒 は奴隷 ではあ りえない とい う考 え方 が一般的であった 15)。キ リス ト教徒 は
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青
柳
キ リス ト教徒 を奴隷 の身分 に してお くこ とができないか らである。 この思想 を根絶す ることは
困難であ り,植 民地時代 を通 じて存続 していたのであった 16)。バルバ ドスについての著述 を し
た リチ ャー ド 。リゴン(
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n)
は,1
673年 ,プ ランターが彼 らの奴隷 がキ リス ト教徒
一度 キ リス ト教徒 になれ ば,彼 らを奴隷
になるのを許 可 しよ うとしない と述べてい る。彼 は,「
だ とみなす こ とはできな くなる。彼 ら- の支配力 を失 って しま う。 [
奴隷 に洗礼 を許 した ら]こ
の島のすべ てのプランター と対立す るO」 と主人 か ら言 われ た と記述 した 17).奴隷 の主人たち
は,奴隷 にキ リス ト教教育 を受 け させ改宗 させ た場合,彼 らが 自由になって, 自分たちの財産
や奴隷 を売買す る権利 を失 うと考 えてお り,布教 に反対 していたのであった。
SPG も西イ ン ド諸島において奴隷 を所有 していた。1
71
0年,SPG はク リス トフア ・コ ドリ
ン トン(
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大佐 か ら,バルバ ドスの 8
00エーカーの二つの領地 と 300人
の奴隷 を相続 した
18
)
。彼 はイ ギ リスの軍人 であ り,バルバ
ドスのプ ランターであった。 1
7
02
年 2 月 に書かれた遺言書では, 「
バルバ ドス島にお ける私 の二つのプ ランテー シ ョンを国王 ウ
イ リアム三世 によって設立 された海外福音伝道協会 に遺贈す る。 さらに,そのプ ランテーシ ョ
ンでは少 な くとも 3
00人 の黒^,適切 な人数 の教師(
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)と学者 (
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)
を維持す るO-。
」
と書かれていた 19)。
SPGは黒人 を監督す ることによって,キ リス ト教 と奴隷制 は一致す ると証 明 しよ うとした 20)。
約5
0年後 の 1760年 までに,それ らの奴隷 の中にはキ リス ト教徒 はほ とん どいなかった こと,
改宗 した者 は名 前だけのキ リス ト教徒 であった こ とが明 らか となった。学校 は 白人だけのため
5
0人 の奴隷 を輸入 したにもかかわ らず,奴隷 の全人 口が三分 の一
に設立 され たのであった。4
-減少 した事実 は,人間的な試みが失敗 した証拠 である。SPG は不動産の直接 の管理 には関与
732年 まで
せず代理人 を選択 し,彼 らに干渉す ることはなかった。人間的な待遇 とは程遠 く,1
SPG は奴隷 の胸 に S- C十ETYの文字 を熔印す る慣習 を認 めていたか,も しくは知 らなかっ
7
60年 までに労働力 の供給が急激 に減少 したので,SPG は コ ドリン トン ・プランテー シ
た。1
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ョンの状況 を調査す る特別委員会 を設立 した。 カ ン夕べ リ大主教 トマス ・セ ッカー(
0
は,人数 の減少 は奴隷 の待遇 と関係 があるのではな い か と提案 した 21)。
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)
一般的に奴隷所有者 は奴隷 の幸福 には無 関心で,奴隷 の改宗や SPG の布教活動 には反対 し
8世紀後半になるが,プ ランターの中には ウイ リアム ・ノ ックス(
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ていた。 ただ し, 1
の よ うに布教賛成 の人物 もいた。彼 は,1
768年,匿名 で 『高徳 の海外福音伝道協会 に向
Kno
又)
けた,植 民地 にお ける自由イ ンデ ィア ンと黒人奴隷 の改宗 と教育 についての三篇 の論文』(
新版
17
89年)とい う著書 を刊行 した。彼 も黒人 は愚 かで知的ではない としてい るが,奴隷 に教育 を
受 けさせ よ うとしない主人 を批判 し,次 に よ うに主張 した 22)。
黒人 の愚鈍 な愚か さは,彼 を どの よ うな教育欲 もない状態 に してきた。創造主が これ ら
の黒人 を他 の人 々よ り少 し低 くお造 りになったのか,彼 らが彼 らの知的な能力 を使 わない
か ら失 くして しまったのか,私は決 め られ ない。 しか し,新 しい黒人 (
最近 アフ リカか ら
輸入 され て きた者 たちはこ う呼ばれ る)が,怠惰 な愚か さの完全 な典型 的な人物 であるこ
とは確 かである。-
・しか し,彼 らの愚 か さゆえに彼 らを我 々が使用す るための家畜だ
と考 えるこ とを,我 々は是認 できない。 ま して,彼 らが共通 の救 いについてのすべての知
識 を受 けることを否定 しない。我 々の植 民地 で生 まれた黒人 は疑いな く,教育 を受 けるこ
とがで きる。 ・。。フランスのローマ ・カ トリック教会 は奴隷 に教育 している。 しか し,
93
アメ リカ植民地における奴隷制 とイングラン ド国教会
我 々のプ ランター は一般的に,彼 らの黒人が労働 以外 の ことを教 え られ ることに反対 して
い るのであるoただ し,我 々の寛大 な北アメ リカのプ ランターは,彼 ら自身が彼 らか ら恩
義 を受 けてい ると考 えてい る限 り,宗教 に関心 を持 ち奴隷 の義務 を免 除す るこ とを正確 に
守 ってい る。 ・。・プ ランター に奴隷 を援助す るよ うに説得 で きないな らば,彼 の奴隷 を
教育す るための どの よ うな方法 を提案す るこ とも無駄 になって しま うであろ う
。
この よ うに,彼 は奴隷 に教育 してい るフランスのカ トリック教会 と比較 して,イ ングラン ド
国教会 に よる布教 を勧 める とともに,プ ランター に対 して奴隷 に教育 を受 け させ るよ うに訴 え
た。
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l イングラン ド国教会 による奴隷への布教
(
1) 国教 会 の布教 方 針
黒人奴隷- の布教に反対す る思想 が強い 中で,イ ングラン ド国教会の方針 は,教会 は異教徒
をキ リス ト教化す る義務 がある,彼 らを暗闇か ら光- と導 くべ きである とい うものであった。
PG年次記念大会 にお ける
た しかに,国教会聖職者 も奴隷 は非常に愚かであると考 えていた。S
説教や報告書 で,多 くの聖職者 が異教徒 に対 して よく用い る表現 は,野蛮,野蛮人,残酷 ,無
知
,
暗黒 の世界 にいるな どで,迷信 を信 じる,貧 しい とい った記述 が多い。 いずれ の説教で も
異教徒 の悲惨 な状況の記述 が多 くみ られ た。
しか し,聖書 には布 教 を推進す るための言葉 がある。た とえば,「あなたがたは行 って,すべ
ての民 をわた しの弟子 に しな さい。彼 らに父 と子 と聖霊 の名 に よって洗礼 を授 けな さい。(
マタ
8章 19節)」「
それか ら,イエスは言 われた。全世界 に行 って,すべての造
イによる福音書第 2
6章 1
5節)」な どである。SPG
られた ものに福音 を宣べ伝 えな さい。 (
マル コに よる福音書第 1
の説教 において も, この よ うな引用 を用いて奴隷 に布教す ることが熱心に説 かれた 23)。
ここでは,黒人奴隷-積極的に布教すべ きである と主張 した説教 。
著作 を検討 してい く。1
71
1
午,セ ン ト。アサ フ主教 ウイ リアム 。フ リー トウッ ド(
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)
は,た とえアメ リカ
と西イ ン ド諸 島すべての奴隷 が永遠 に異教徒 であ り続 ける として も,バルバ ドスにお けるコ ド
PG所有 の奴隷 はキ リス ト教徒 にす る必要があ り,彼 らにキ リス ト教教育 と洗礼
リン トンの S
を行い,永遠 の命 に至 る道 -導 かねばな らない と述べてい る 24)。
布教 に反対 の主人た ちは,奴隷 は単な る財産であ り救われ る魂 がない と考 えていた。一方,
PG年次記念大会 の説教や国教徒 の著作 では,奴隷 には魂 があ り, 同 じ出 自
イギ リス本 国の S
の人間である,キ リス トは彼 らのために も血 を流 された とい うことを述べた ものがあった。
1
71
4年,カ ン夕べ リ首席 司祭 ジ ョー ジ dスタナ ップ(
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)
は,次 の よ うに述べた
25)
0「
奴隷 は未 開で無教育で,
公共で売買 され,荷物 を運搬す るための家畜の よ うに働 いてい る。
しか し,彼 らの魂 は彼 ら自身のために世話 され るべ きである。彼 らは我 々 と同 じ神 に よって創
造 され,同 じ肉体 と血 によって形成 され,同 じ共通の子孫 か らの出 自であ り,同 じ魂 を授 け ら
れ,不滅 の幸福 を同 じよ うに受 ける資格 がある 彼 らもまた同 じ尊 いイエスの購い に よって解
。
放 され る。生 まれ と富,環境 と肌 の色
,
野蛮 と奴隷, これ らは単 に付随的な違 いで ある。本質
的な部分 が同 じであ り続 けてい る場合
,
その よ うな ものはあま り評価 され るべ きではない。」
1
7
29年, ロン ドン主教 ギブ ソンは奴隷 の主人たちに向けての著作 において, 「
私 はあなた方
94
青
柳
に,彼 らを単 な る奴隷 として,労働す る家畜 と同 じレベル で考 えない よ う懇願 したい。 そ うで
はな くて, あなた方 と同 じ体格 と能力 を持 ち,永遠 に幸福 になれ る魂 と,それ のた めの教育 を
受 ける理性 と理解力 を持 つ男性奴隷 と女性奴隷 として考 えてほ しい。
-
。」と呼びか けた 26)0
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)
は次 の よ
国王 のチ ャプ レン (
礼拝堂付 き牧師) フィ リップ 。ベ ア クロフ ト(
うに奴隷 も同 じ人間で魂 がある と述べ た 27)。
我 々のプ ランテー シ ョンでは,恥知 らず にキ リス ト教 の愛 が無視 され てい る。彼 らは
我 々 自身 と同 じ血統 ではな く,救 われ る魂 がないかの よ うに,貧 しい黒人奴隷 の改宗 は
お ろそ かに され てい る。一方 で,聖パ ウロは我 々にはっき りとこ う言 われ た。 「
神 は,
一 人 の人 か らすべ ての民族 を造 り出 して,地上 の至 る ところに住 まわせ ,季節 を決 め,
彼 らの居住地 の境界 をお決 めにな りま した。 (
使徒言行録第 1
7章 26節)」 「
その一人 の
5節)」
方 はすべての人 のた めに死んで くだ さった。(コ リン トの信徒- の手紙 二第 5章 1
キ リス トは彼 の最 も尊 い血 を彼 らのた めに流 され たの に,キ リス ト教徒 は恥知 らず に彼
らを無視 で きるのであろ うか。
また,協会 の事務 局長 デ ヴィ ッ ド 。ハ ンフ リーズ (
Davi
dHumpI
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yS
)
や 国教会聖職者 ア ン ソ
ニー ・ヒル(
Ant
ho
nyHi
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)
は,奴隷 の主人 た ちは根拠 もないのに黒人 は魂 がない とい って彼 ら
に教育 を受 け させず , キ リス ト教徒 にな る とさらに悪 い奴隷 にな る と主張 して,聖職者 を迫害
してい るこ とを批判 した 28)。
(
2) SPG と奴 隷制
ただ し,SPG 関係者 は奴隷制その ものは認 めていた よ うで ある。聖書 において奴隷制 は禁止
されてい ないか らで ある
.
た とえば, ロン ドンデ リ首席 司祭 ジ ョー ジ 。バ ー ク リ(
Ge
o
r
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は,プ ランター が黒人 の こ とを不合理 に差別 し教育やサ クラメン トを受 け させ ない こ
Be
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とを批判 したが,洗礼 を受 けれ ば 自由になれ る とか,洗礼 を受 け るこ とは奴隷 の状態 と矛盾 し
てい る とい うのは誤 った観念 である と考 えていた。彼 は 「
福音 の 自由は現世 の奴隷状態 と両立
す る。そ して,
彼 らの奴隷 はキ リス ト教徒 にな るこ とに よって,よ り良い奴隷 にな るであ ろ う。」
と述べ た 29)。
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Dani
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o
n)も奴隷制 を認 める発言 を し
また ,SPG 事務局長 ダニエル 。バー トン博士 (
てお り, SPG の立場 を表 明 してい る。 クエーカーで奴隷制 に反対す るア ン ソニー ・ベネゼ
(
Ant
ho
nyBe
nez
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)とい う人物 が,1767年 4月 26日付 の書簡 で黒人奴隷 を購入 し保有す るこ
とにつ いての協会 の意見 を尋 ねた。1768年 2月 6日付 の事務局長 か らの返事 に よれ ば,SPG
はバルバ ドスのプ ランテー シ ョンの代理人 に奴隷 にキ リス ト教 を教 えるよ う指示 してお り,そ
の指示 は守 られ て きた と信 じてい るが,しか し,SPG は奴隷 を保有す る習慣 を違法 だ として非
難す るこ とはで きない と書いてい る。 キ リス トの使 徒 た ちに よって与 え られ た主人 と奴隷 両方
-の教訓 におい て,それ とは反対 の こ とが明 らか に述べ られ てい るか らで ある。 も しも,奴隷
制 は違法 で あ る とい う教義 がイ ギ リスの植 民地 で教 え られ た ら,主人 がそれ を確信す るかわ り
に, よ り疑 い深 く残酷 にな り, よ り彼 らの奴隷 にキ リス ト教 を学 ばせ よ うとしな くな る し,餐
しい奴隷 が奴隷制 は違法 だ とい って主人 に反乱 を起 こす よ う非常 に強 く誘 惑 され るので,双方
に とって最 も恐 しい結果 が続 くとしてい る 30)0
アメ リカ植民地における奴隷制 とイ ングラン ド国教会
95
イ ギ リス人 の間では,キ リス ト教徒 に改宗 した奴隷 は 自由になれ るとい う観念や習慣 があっ
た。 しか し,聖書では多 くのテ キス トにおいて,奴隷 は主人-服従 しなけれ ばな らない こ と,
た とえ主人 と同 じキ リス ト教 になって も服従す ることが書かれてい るのである。
多 くの SPG の説教や国教会聖職者 の著作 において,奴隷 に洗礼 を授 けて も,現世 の身分お
よび主人 の奴隷所有 にまった く変化 は生 じない とい うことが強調 された。奴隷 は洗礼 を受 けて
キ リス ト教徒 になって も自由にはなれ ない とい うことである。彼 らは,奴隷制 は古代 か ら合法
であるこ とを主張 し,洗礼 を受 ける と奴隷 は 自由になれ る とい う観念 に反論 した。そ う主張す
ることで,奴隷 の解放や財産の侵害 を恐れ る奴隷 の主人た ちを安心 させ ,布教活動 を説得 しよ
うとした と思 われ る。
1
7
06年,チチェスタ主教 ジ ョン 。ウィ リアムズ(
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)
は,征服や売買な どで奴隷
制の習慣 はほ とん どの世界 で,すべての時代 を通 して続いて きた し,アブ ラハ ムの時代 もそ う
洗礼 によって人権 は変更 されず,人間の法律 によって変更 され るま
であった と述 べた。また,「
ではそのままである。そ うい うわけで,彼 らがキ リス ト教徒 になって も奴隷 か らは逃れ られ な
い し,主人 か らの 自由を主張す る権威 を彼 は与 え られ ない。 これ らの こ とにキ リス ト教 は干渉
しなかった。」 と述べてい る 31)0
次 にセ ン ト 。アサ フ主教 フ リー トウッ ドの説教 を紹介 したい 32)0
主人 が奴隷 をキ リス ト教徒 に して も,彼 らの奉仕や利益 を失 う恐れ はない。彼 らがキ
リス ト教徒 を奴隷 に とどめてお くことは,神 の法 によって も,国の法 によって も禁止 さ
れ てい ない。奴隷 は洗礼 を受 けた後 も以前 と同様 の状態である。 - ・聖パ ウロの時代 に
は, キ リス ト教徒 になることによって以前 のすべての契約 か ら自由になった人々がいた
と想像 できる。 しか し,聖パ ウロは彼 らに これ はキ リス ト教徒 の 自由の意 味ではない と
話 した。 キ リス トが彼 らを 自由に した とい う自由は,彼 らの罪 か らの 自由や,死の恐怖
や永遠 の苦痛か らの 自由であって,彼 らが 自発的に従事 してい る生活状況や,彼 らの不
幸 に よって陥った生活状況 か らの 自由ではなかった。 おのおの召 され た ときの身分 に と
どまっていな さい。 キ リス トの信仰 を持 った として も,彼 は以前 と同 じ生活状況 が続 く
ことか ら逃れ られ ない。 それ は現世 にお ける彼 の状況 を変 えるこ とはない。 キ リス ト教
の 自由はまった く精神 的なのである。現世 において, キ リス トの法律 はこの性質 を変化
させ ない。 。。・我 々の国では,奴隷 を所有す ることや所有 し続 け ることは合法 で あ り,
同様 に,彼 らがキ リス ト教徒 であって も奴隷 として所有す るこ と,そ うし続 けるこ とは
合法 である。
・
-
このほか に も,SPG年次記念大会 の説教等 で,奴隷-のキ リス ト教教育 は必要であるが,奴
隷がキ リス ト教徒 になって もその奴隷状態 に変化 はない,財産所有 に変更 はな され ない とい う
発言 は数多 くみ られ る 33)。ギブ ソンも主人- の 『二通 の書簡』において同様 に奴隷身分 を擁護
した 34)。以上 の よ うに,イ ングラン ド国教会 は奴隷制 を擁護 してお り,た とえ奴隷 がキ リス ト
教徒 に改宗 して も自由にはなれ ない とい う立場 であった。
96
青
‖
柳
主教 による奴隷制批判の説教
(
1)ウオ- バ - トンに よ る説教
ここでは,イ ングラン ド国教会 内部 の奴隷制- の考 え方 の変化 を指摘 したい。基本 的 にイ ン
グラン ド国教会 は奴隷制 を支持 してお り,S
PG も奴隷 を購入 ・所有 していた。 しか し, 1
8世
紀後半 にな る と奴隷貿易や奴隷制 を批判す る国教会聖職者 も現れ ,S
PG年次記念大会 の説 教 に
おいて も,その よ うな説教 がな され た。例 えば,以 下の主教 た ちであ る。
1
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6年
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3年
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ウイ リアム ・ウオーバー トン(
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n)グロス タ主教
ビール ビ 。ポーテ ィアス (
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)ロン ドン主教
サ ミュエル ・ハ リファクス(
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)グロス タ主教
ジ ョン ・ダグラス(
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)ソール ズベ リ主教
チ ャール ズ ・マナサ ッ トン(
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n)ノ リッジ主教
最初 に明確 に奴隷 貿易 .奴隷制 を批判 したのは,1
7
66年 の グロスタ主教 ウオーバー トンで あ
った。彼 は次 の よ うに述べ た 35)。
奴隷 は我 々の財産 で あるが,肌 の色以外 ,我 々 と同様 のすべ ての資質 を持 ち,我 々 と
同様 のすべ ての能力 を備 えた被造物 であ る。-
・
悪名 高い奴隷貿易 が神 と人 間両方 の法律 を直接侵害 してい る事 ほ ど,すべての人 に と
って確 かで明 らかな ものはない。神 は人 間 を 自由に創 造 し,神 の恩寵 は彼 に彼 の 自由を
肯定 させ る。これ らのあわれ なアダムの子孫 の追放 され た者 は彼 らの故郷 と母 国か ら詐
欺 的行為 と暴力 に よって引 き離 され たが,この侵 害 の 口実 として,それ に よって彼 らは
よ り幸福 にな り,彼 らの状況 は よ り望 ま しくなったのだ と主張 され て きた。 しか し,あ
なた は他人 の幸福 を判 断で きるのだ ろ うか。 不幸 な状態 につ いて不満 を言 わなか ったか。
らの幸福 とな るのか判 断 させ な さい
。
。
。あなた方 の奴隷 は,今 までに彼 らの
。 あなたの奴隷 に,彼 ら自身 で何 が彼
・。。これ らの貧 しい あわれ な者 た ちの世俗 の状
態 に関 して,あ るプ ランター の残酷 さと精神 的な事 につ いての無宗教的 な怠慢 は一般 的
に醜 聞にな るで あろ う。
イ ングラン ド国教会や S
PGが奴隷制支持 の方針 で あったに もかかわ らず,彼 はプ ランター
や残酷 な奴隷 貿易 。奴隷制 を批判 してい る。 それ らの廃止 までは述べ てい ないが,イ ングラン
ド国教会 の高位聖職者 であ る人物 が この よ うな説教 を した こ とは重要 であ る。 ヴァッサー も,
「
長 い間確 立 され た S
PGの方針や ,イ ングラン ド国教会 の主教 としての,協会 のメンバ ー と
しての立場 を考 えれ ば,そ して彼 が公 に協会 の習慣 と方針 を批判 した事実 を考 えれ ば,彼 の主
張は本 当に勇気 のあ るものであった。彼 は奴隷制 を非難 したア ング リカ ン位 階制 の中の最 初 の
メンバー で あった. クエーカー を除いて,彼 はその よ うな主 張 を したイ ングラン ドの最初 の著
名 な教会 人 で あった。」 と述べ た 36)。
ただ し,編集者 は不 明で あるが 1
7
88年 に出版 され た彼 の著作集 に,この SPG年次記念 大会
の説 教 が収録 され てい るのであるが,そ こでは次 の奴隷貿易 を批判す る箇所 が削除 され ていた
97
アメ リカ植 民地 にお ける奴隷制 とイ ングラン ド国教会
37
)
0
「
悪名 高い奴隷貿易 が神 と人 間両方 の法律 を直接侵 害 してい るこ とほ ど すべ ての人 に と
,
って確 かで 明 らかな ものはない。造物 主 は人 間を 自由に創造 し,神 の恩寵 は彼 に彼 の 自由を肯
定 させ る 38)。」
彼 は,奴隷制 は,原始 的 なアフ リカ人 の面倒 をみ て,彼 らを高 め,そ して彼 らを よ り幸福 に
す る人 間的 な制度 なので ある, とい う長 い間確 立 され て きた主張 を完全 に くつが え した。市民
的,宗教 的権利 両方- の侵 害で あ る として奴隷制 を弾劾 した。 た しか に彼 は奴隷 の解放や奴隷
貿易 をや め るよ うには訴 えなかったが,協会が奴隷 の輸入 をや めて彼 らを 自由にすべ きだ とほ
のめか した。 ただ し,彼 の説教後 , コ ドリン トンの不動 産 にお ける協会 の方針 も,宣教 師- の
忠告 も基本 的な変化 はなかった 39)。
ウオーバ ー トンの説教 か ら三年後 の 1
769年 ,ブ リス トル 主教 トマ ス 。ニ ュー トン(
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on)
は,奴隷制 の批判 な どは してい ないが,次 の よ うに奴隷 が 自由になるこ とを希望 した
40)
。
「
民数記 第 1
1章 29節 においてモーセ が 『あなた はわた しのた めを思 ってねたむ心 を起 こ
してい るのか。 わた しは,主 が霊 を授 けて,主 の民すべ てが預言者 になれ ば とよい と切望 して
いるのだ』 と言 われ た よ うに,私 も,奴隷 であれ 自由人 であれ,すべ ての民が 自由になれ ば よ
い と切望 してい る と言 いたい。
・ 。
。」
(
2)奴隷 貿 易 r奴 隷 制 - の批 判
1783年 ,ロン ドン主教 ポーテ ィアス は奴隷貿易 に批判 的で,奴隷 に教育 を行 うこ とを熱 心 に
説いていた。
我 々の主 の主要 な注意 は,人 間の中で も最 も貧 しい者 ,最 も無知 な者 ,最 も無力 な者 ,
最 も哀 れ な者 に与 え られ た。 -
・啓蒙 され ていない世界 のすべ ての地 区で,世俗 。宗教
両方 の彼 らの不足 を救 うた めの,我 々の憐 み深 い助 けを必要 としてい るあま りに多 くの
人 々がい ることを,神 は御存 じで ある。 -
。イエ スが貧 しい者 ,傷っいた者 , 目の見 え
ない者 ,捕虜 ,奴隷 とされ た者 について語 る時,誰 が我 々の西イ ン ド植 民地 の不幸 な人
種 , ア フ リカ系奴隷 について考 えるのを慎む こ とがで きるのか 41)0 -
。
無知 の状態 か ら彼 らを救 うために この協会 は努力 して きた。 しか し,我 々の努力 は望 ま
しい成功 を達成 していない。 それ は -
。ア フ リカ人 が宗教的知識 を受 け,維持す る能
力 が な い か らで はない。黒人 は しば しば,直せ ない ほ ど非常 に愚 かで愚鈍 なので,すべ
て の宗教 的教育 を受 けるこ とがで きない とみ な され て きた。 しか し,彼 らとともに何年
も生活 した信用 で きる人 は, これ はまった く真 実 か ら程遠 い と主張 してい る。彼 らは本
当に,一般 的 に理解 力 の点 では ヨー ロッパ人 よ りもは るか に下 で あるが,彼 らの多 くは
手仕事 の技術 を学ぶ こ とにおいては,急速 で器 用 であ る。 そ して,何人 かは非常 に並 は
ずれ た才能 と非 常 に高貴 な感 情 を持 ってい る 42)。
。。・今後 ,黒人奴隷 の文 明化 と改宗 が我 々の敬塵 な仕事 の主要 目的の一つ とな るこ
と,そ して,そ の 目的のた めの適切 で実行 で きる計画 が公 にな るこ とが知 られれ ば,そ
の時 にすべ ての愛情 とすべての援助 の手 が広 が るであ ろ う。- この善意 の真 実 のキ リス
ト教徒 の試 み において,グ レー ト・ブ リテ ンが指導 してい くこ とは名 誉 にな るで あろ うo
さ らに,哀れ なア フ リカ人 の世俗 。宗教 両方 の面 で災難 を緩和す るよ う非常 に寛大 にな
るこ とは, この国の人 々の義務 で ある と私 に付 け加 え させ て ほ しい。
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7
青
柳
。 - なぜ な ら,彼 らは何年 もの間,。。弓 巨人 間的 な人身売 買 に関わ って きてい て,
ほかの どの ヨー ロ ッパ諸 国 よ りも多 くの奴隷 を輸入 してきたか らである。彼 らの手段 に
よって,何千人,何 百万人 の人 間が祖 国か ら,価値 あるすべ ての恵みか ら,彼 らに とっ
て大切 なすべ ての関係 か ら引 き離 され て きた。 そ して,彼 らは信 じがたい ほ どつ らく困
難 な航海 を終 えてか ら上陸 して,知 らない人 々の間に入 ってい った。 そ して,彼 らの犯
罪や誤 りはないのに,永久 の奴隷状態- と運命 を定 め られた。 そ の航海 の 中で彼 らの多
くが実際 は死亡 した 43)。 。 。・
我 々の同国人 に,で きるだ け早 く,非常 に多 くの人 間に引き起 こ した災難 を軽減 す る
よ う急 がせ よ う。 できるだけそれ を和 らげ,緩和す るこ とによって,そ して,彼 らを無
知 と罪 の よ り残酷 な奴隷状態 か ら救お うとす るこ とに よって,非 常に多 くの純粋 な同胞
を大変ひ どい世俗 の奴隷身分 に してい る とい う非難 を拭 い去 ろ う。 。- 心 が傷っいた者
を癒 し,捕虜 に救 出を説 き, 目の見 えない人 の視力 を回復 し,傷っ け られ た人 々 を 自由
に し,主 が恵 み をお与 えにな る年 を説 くた めに 44)。
以上 の よ うにポーテ ィアスは奴隷貿易や奴隷状態 を明確 に批判 し,早 くそれ らを緩 和す るよ
うに説 いてい る。 また,奴隷-のキ リス ト教教育 も勧 めた。
(
3) 奴 隷 制 の緩 和 }廃 止 の主張
18世紀後 半,イ ギ リス本 国 と植 民地 の関係 は悪化 し,アメ リカ独 立後 に十三植 民地 は もはや
イ ギ リス領 ではな くなった。SPG はイ ギ リス領 内に活動 を限定 していたため,1784年 頃か ら
は宣教師 も派遣 され な くな る。 ただ し,西イ ン ド諸 島や カナ ダの植 民地 には引き続 き布教活動
がな され た。 と りわ け西イ ン ド諸 島は奴隷 を使用 した砂糖 プ ランテー シ ョン,奴隷 貿易 が盛 ん
であった。 グロス タ主教ハ リファクスは 1789年 の説教 において,奴隷制や奴隷 の主人- の服
従 は様 々な聖書 のテ キス トにおいて認 め られ てい る としてい る。例 えば,テモテ- の手紙一第
6章 1節 ,テ トス- の手紙第 2章 9, 10節 ,エ フェ ソの信徒- の手紙第 6章 6,7節 な どであ
る。彼 は以下の よ うに述べ た 45)0
-
・キ リス トの福音 は,人 間の身分や家庭 内の義務 を変更す ることはなか った。 そ
して,彼 は改宗者 には[
召 され た ときの身分 に とどまっていな さい (
コ リン トの信徒- の
手紙一第 7章 20節 ∼24節) とい う】
規則 を守 らせ たので ある。 。- 聖書 において奴隷
制度 が違法で ある と宣言 してい る ところを,私 は見つ けるこ とがで きない。逆 に新約聖
書 の教義 では,それ [
奴隷】
についての法律 は厳 しく厳格 で従 わな けれ ばな らない。これ ら
の法律 が続 く限 り,主人 の支配 は以前 と同様 に絶対 的 に継続す る。- ・理論 的 にはキ リ
ス ト教 の穏や かな性質 は家 内奴隷 には適 してい ない に もかかわ らず, キ リス ト教 が広 ま
れ ばそれ だけ奴隷制 は衰退す るのが真実 で あるに もかかわ らず,そ して,西イ ン ド諸 島
において行動 を規制 してい る法律 は,奴隷 の幸福 よ りも主人 の利益 を考慮 した観 点で作
成 され ていて,それ らの多 くは修正 ,廃止 され るこ とが要求 され てい るに もかかわ らず,
その よ うな修正や廃止 が実際 に達成 され るまでは, キ リス トの王 国にお ける奴隷制 は聖
書 の教訓 に矛盾 していないので ある。
-
。しか し,奴隷制 に関す る法律 は注意深 く修正 され るであ ろ う。 そ して,必要 な
アメ リカ植 民地における奴隷制 とイングラン ド国教会
99
場合 は変更 され廃止 され るであろ う。そ して,彼 らを母 国か ら連れ て くる様式 と,我 々
の植 民地 に運 ばれた時の彼 らの扱 い両方 において,奴隷制 の恐怖 の緩和がまず第一 に保
証 され るな らば,それ の未来の完全 な廃止 のための道 が次第 に準備 され るであろ う。
以上 の よ うに,ハ リファクスは奴隷制 は合法であ り聖書 で も禁止 され ていないので黙認 して
い る。 しか し,キ リス ト教精神 とかけ離れた奴隷制 に疑問を持 ってお り,今後廃止 され ること
を期待 していたのであった。
1793年,ソール ズベ リ主教 ダグラスは奴隷制 の廃止 までは述べていないが,次の よ うにその
【
コ ドリン トン 。プ ランテー シ ョンでは]
我 々の委託不動産
厳格 さを緩和す ることを説いた 46) 「
0
の現在 の監督 によって指示が繰 り返 し与 え られ,忠実 に実行 されてきた。 この ことは,我 々 自
身の奴隷 の世俗面 と宗教面両方の改善 に とって,
我 々が どれ ほ ど注意深 い かを表すだけでな く,
すべての諸 島のプ ランテーシ ョンのすべての地主-模範 として示す手本 と考 え られ るであろ
う。。。サ べての人間の規則 によって奴隷制 の厳格 さを緩和す ることは,彼 らの利益 と同様 に
彼 らの義務 である。」
1797年 の ノ リッジ主教マナ ーサ ッ トンの説教 では,キ リス ト教精神 と奴隷制 は矛盾 している
こと, キ リス ト教世界 において奴隷制 が このまま続 くはず がない ことが示唆 されてい る 47)0
キ リス ト教 の主義 と義務 は奴隷制 の存在 に敵対 してい る とい うことは, もはや反対 さ
れ ないであろ う。 -
。キ リス ト教 は,統治者 と被統治者 の精神 に,秩序,正義 ,慈悲,
赦 し,相互の善意,全般的な慈善の愛 を徐 々に浸透 させ る。 もし, これ らのすべてか,
い くつかが奴隷制 と相いれ ないな らば,疑いな く奴隷制 はキ リス ト教宗教 とは相 いれ な
い。 しか し, このシステムの継続 に利害が ある人々に よって,我 々の祝福 された救い主
の功得や仲介 による福音 の光や不滅 の希望 か らは,奴隷 は除外 されてい る と主張 され る
に違 いない。- 。福音 の伝道 か,奴隷制 のシステムか,どち らを好むのか とい うことは,
キ リス ト教徒 に とって疑問の余地 はあ りえない。
以上の よ うに,一部 の国教会聖職者 は奴隷制 の廃止 までは訴 えてないが,キ リス ト教 の慈愛
の精神 に反す る奴隷制 に反対 してお り,将来的 に緩和 。廃止 され ることを希望 していたのであ
る。
おわ りに
本稿 では,SPG年次記念大会の説教 を中心 にイ ングラン ド国教会聖職者 の説教や著作 を検討
し,18世紀 における国教会の奴隷制 についての思想 の変化 を明 らかに した。当時,イ ギ リスや
アメ リカ植 民地 における奴隷 の主人や多 くの人 々に とって,奴隷 は人間ではな く,主人が購入
した財産 であった。彼 らは,奴隷 は野蛮で愚かな異教徒 であ り,キ リス ト教 を学ぶ こ とは不可
能で,彼 らに教育や洗礼 を受 け させ た りす る必要 はない と考 えていた。一部 の主人 はキ リス ト
教布教 に賛成 していたが,全体的 に SPG のアメ リカ植 民地 にお ける奴隷-の布教 は困難 であ
った。イ ギ リス人 の間では奴隷 はキ リス ト教徒 になれ ば 自由になる とい う習慣や観念 があ り,
主人た ちはキ リス ト教徒奴隷 が 自由になる と自分たちの財産が侵害 され る といって布 教 に反対
1
0
0
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した。
一方,イ ングラン ド国教会 は異教徒 をキ リス ト教化 させ るのは義務 だ と考 え,奴隷- の布教
に熱 心で あった。ただ し,SPGや 国教会聖職者 も,聖書 で奴隷制 は禁止 され てお らず,奴隷 の
主人- の服従 が書 かれ てい る として奴 隷制 を擁護 した。 しか し,18世 紀後 半 にな る と,奴隷貿
易 。奴隷制 に異議 を唱 えた国教会聖職者 も現れ たのである。 国教会 は奴隷制 を擁護す る立場 で
あったが変化 がみ られ た。SPG年次記念大会 にお ける説教等 を検討す る と,一部 の主教 は聖書
で奴隷制 は否 定 され ていない としなが らも,緩和や廃止 を希望 していた。最 も早 い段 階では,
1766年 に グ ロスタ主教 ウオーバー トンが明 白に奴隷貿易 を非難 し奴隷 の 自由を認 めたo国教会
は奴隷制 を支持 してお り,SPG 自体 もプ ランテー シ ョン と奴隷 を所有 していたため,この よ う
な発言 は貴重 であろ う。18世紀後半 に主教 た ちに よって,奴隷貿易 ・奴隷制 に批判 的 な説教 が
な された こ とは画期 的であ る。
18世紀 か ら 19世紀 にか けて, クエーカーやバ プテス トな ど様 々なキ リス ト教宗派 に よって
反奴隷制運動 が起 きた。 国教会 の高位 聖職者 の間で も, この よ うな意 見がなぜ み られ るよ うに
なったのか,反奴隷制運動 の関係者 との交流や影響 が あったのか, とい う点 については検討 で
きなかった。 しか し,国教会聖職者 も人道 的な観 点 か ら奴隷貿易 ・奴隷制 は残酷 であ る として
批判 した と考 え られ る。 た しかに奴隷制 は聖書 で否 定 され ていないが, キ リス ト教 の精神 は正
義,慈悲 ,愛 であ り,奴隷制 とは相 いれ ない もので ある
。
奴隷制 につ いての国教会 の方針や思想 は, クエーカーや議会 内外 の反奴隷制運動指導者 と比
較 してあま り注 目され て こなか った。 しか し,一部 の国教会聖職者 は奴隷制 を批判 し,18世紀
後半 には奴隷制 に対す る国教会 の思想 に変化 が表れ た とい える。 今後 は,具体 的な SPG宣教
師の布教活動 の様子 を本部- の報告書等 の史料 をも とに明 らかに したい。
注
1
)青柳かお り 「トマス・
セ ッカー とアメ リカ主教派遣計画-18世紀半ばのアメ リカ植民地 における
イ ングラン ド国教会-」 『西洋史学』44号,2007年,48頁。
2)C.F.Pas
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)
,4.
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AePTO
Pa
gat
l
'
o
no
ft
3
)青柳かお り 「
18世紀前半における海外福音伝道協会 とアメ リカ先住民」『史潮』64号,2008年
(
以下 「
18世紀前半における海外福音伝道協会」と略記),165頁;
H.
P.
Thomps
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(
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P.C.
K.
,1954)
,15,16.
4)青柳 「
18世紀前半における海外福音伝道協会」166頁;Tho
mps
o
n,4446,57,58.
5)
青柳 「
18世紀前半における海外福音伝道協会」166貢;Thomps
o
n,
57,58.
6)青柳 「
18世紀前半における海外福音伝道協会」163頁;青柳 かお り 「
18世紀前半におけるイ ン
グラン ド国教会 と奴隷制 -キ リス ト教徒奴隷の 自由-」『イギ リス哲学研究』第 37号,2014年,
15頁。SPG については, 日本 における研究では,塚 田理 『イ ングラン ドの宗教 -アング リカニ
ズムの歴史 とその特質-』教文館,2004年,363貢;
J.R.H.ムアマン著,八代崇,中村茂,佐
藤哲典訳 『イギ リス教会史』聖公会出版,1991年,386頁で言及 されている。
7
)18 世紀後 半 の反奴隷 制運動 につい ての概説 に Chr
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wn,Mwa
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付記 :本稿 は,平成 25-28年度科学研 究費補助金 (
基盤研究(
C)課題番号 25370866) ,平成 25
-28年度科学研究費補助金 (
基盤研 究(
A)課題番号 25244035) お よび平成 25年度大分大学教育
福祉科学部短期 プロジェク トによる研究成果 の一部 である。
アメ リカ植民地にお ける奴隷制 とイ ングラン ド国教会
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