1 ペテロ 2:18-21 - Tokyo Baptist Church

この世の旅人であり寄留者
メッセージ 3 -- 奇妙な労働者
(1 ペテロ 2:18-21)
I.
イントロダクション
(1) シリーズ概略

私たちは「この世の旅人であり寄留者」という 5 週間にわたるメッセージを学んでいます。私たち
は、自分たちの周りにいる他の人たちのように見えるかもしれませんが、クリスチャンとしてど
うあるかを見てきています。私たちは根本的に違います。

私たちは、神殿です。イエスは、どうこの神殿のようになるのか決めています。イエスを土台とし
ているので、私たちは神の生ける宮の建築用ブロックです。私たちは、神を礼拝し、世に神の栄
光を示すために存在しています。この世が私たちのよい行いを見るとき、それこそが神に対する
栄光なのです。

(2) 聖句

今日は第二の方法を見ていきましょう。1 ペテロ 2:18-21 を見てください。
「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、
横暴な主人に対しても従いなさい。人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心
のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、
それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを
受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実
にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あな
たがたに模範を残されました。
」
(1 ペテロ 2:18-21 新改訳)
II.
職場での服従
A. 態度のこと
(1) 注目すべき二つのこと

18 節で、ペテロは、「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい」(1 ペテロ 2:18 新改
訳)と言っています。話を進める前に、ここで二つのことに注目したいと思います。
① 一つ目。ここにあるパターンを見始めることでしょう。神の栄光は「服従」を通して現されま
す。まず、ペテロは、権威者に「服従する」ように言っています。そして今、この世の主人に
「服従しなさい」と言っています。神の栄光は、服従を通して現わされます。
そうです、福音は、福音の分かち合いを通して、知れ渡らなければなりません。それでもなお、
服従を通して、人々は神の栄光を見るでしょう。
② 二つ目。クリスチャンたちが置かれた不当な状況、圧政的な政府や奴隷の主人にかかかわらず、
聖書がまず一番に念頭に置く事柄は、自由への逃亡ではなく、そのような権威者への服従です。
聖書が奴隷は自由を追求してもよいと言っているにもかかわらずです。それは議論の焦点で
1
は決してありませんでした。議論の焦点は「服従」です。もし、最終的なゴールが神を讃美
するためならば、重要なことは、私たちのいる状況ではなく、状況下で、私たちが示す特徴
なのです。
(2) 奴隷と雇用者との違い

奴隷と呼ばれるこの教えについて、現代の生活にどのように適用しましょうか? 奴隷−主人の関
係と雇用主−被雇用者との関係の違いはこうです。
① 奴隷は主人の所有のもとで働きます。
② 被雇用者は雇用主との契約のもとで働きます。現代の被雇用者には仕事上の関係を辞める自
由があります。しかし、奴隷はそうではありませんでした。

しかし、被雇用者が仕事上の関係のもとにある間は、延長線で考えてみると、ここでの教えは現代
の被雇用者にも適用できます。

言い換えると、ペテロが言っていることはこういうことです。「私たちが、職場の上司や同僚に私
たちのうちに神の栄光を見てもらいたいなら、私たちの仕事に対する独特な態度を通して見ても
らうのです。
」
(3) みなさんは見られています- DVD

私たちはこのことを分かっているかもしれませんし、あるいは分かっていないかもしれません。で
も、私たちはみな、一緒に働いている人たち、特に上司によって観察されているのです。この DVD
を見ましょう。
DVD「昇給に値する」

いいですか。私たちはみな、同僚や上司の顕微鏡下で働いています。彼らに私たちのうちにイエス
を見てもらいたいのなら、自分はクリスチャンだと人々に話をしたり、聖書や小冊子、クリスチ
ャンのアクセサリーを見せたりする以上に、時間がかかるでしょう。聖書は、イエスを示すこと
になるのは私たちの徹底的な服従だと言っています。

聖書は、職場で、私たちの態度を貫き通すことだと言っています。上司に対する私たちの態度、責
務に対する私たちの態度がもたらすのです。
B.働くということ
(1) 生計を立てる

少し時間を取って、
「働く」とは何かについて考えたいと思います。なぜ、人は働くのでしょうか?
パウロはこう言っています。
① 「また、私たちが命じたように、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふる
まうことができ、また乏しいことがないようにするためです。」(1 テサロニケ 4:11-12 新改
訳)
② 「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするた
め、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
」
(エペソ 4:28 新改訳)

私たちが働く理由のもっとも明らかな理由の一つは、生計を立てるため、そして、出来る限り困っ
ている人とそれを分かち合うためです。しかし、それだけでしょうか。
2
(2) 創造の一部

働くということの概念はまず、創世記 2:15 にあります。
「神である主は、人を取り、エデンの園に
置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
」
(創世記 2:15 新改訳)

タイミングがここでは重要です。これは、堕落の前、アダムとイブが罪を犯す前のことでした。神
は人を怠け者に造られませんでした。働くように造られました。いいですか。働くことは神の元々
の創造の一部だったのです。それは、神によって人に与えられた恵みでした。
(3) イエスは腕のいい大工でした

聖書によると、事実、イエスご自身は腕のいい大工でした。イエスが故郷に戻られたとき、人々は
「この人は大工ではありませんか」
(マルコ 6:3 新改訳)と言いました。

「大工(テクトン)」という語に訳されている言葉は、ここでは「物事を完全に理解し、その知識
を驚異と卓越の創造に変える人」ということを表しています。

つまり、最低限の技術的な道具と最高の技能を持つ人がごくわずかからちょっとした美を作り出す
ことが出来たということです。ですから、イエスは素晴らしい作品で知られた腕のいい大工でし
た。
(4) それは神の栄光をたたえるためでした

イエスはヨハネ 17:4 で神に祈りました。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわ
ざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
」
(ヨハネ 17:4 新改訳)

これは、ご自分のミニストリーを指しているだけではありません。全生涯を指しています。イエス
の一生は、大工だった時になさったことも含めて、神に栄光をもたらしました。みなさんが職場
や会社や学校や家でやっていることは、神に栄光をもたらすためです。

ジョン・マックスウェルは著書『職場で』という本の中でこう書いています。
「主に向かって行なうなら、私たちの仕事は神に喜ばれることです。そして、それは神への私た
ちの愛を深く示したものなのです。
」
(5) マーティン・ルーサー

これは、マーティン・ルーサーの発見でした。彼はクリスチャンには宗教的なクリスチャンと普
通のクリスチャンの二つのグループがあるという考えをもって成長しました。神に仕えたいなら、
世を捨て修道士にならなければなりません。これは宗教的なクリスチャンです。

このようなわけで、彼は修道士になりました。しかし、問題は、それでもその後も平安を見出す
ことが出来なかったのです。そして、彼は気づきました。

①
彼に救いを与えたのは、修道院で彼が行った事ではなく、イエスへの信仰です。
②
私たちは神に仕えるために修道士にならなくてもいいのです。私たちがしているどんな仕事
も神のための仕事になりうるのです。修道士にって小さな部屋でロザリオの数珠を数えなが
ら、汗をかき祈る生活を送らなければ神に仕えられない、というわけではありません。家政
婦が掃き掃除をすることも神に仕えることになりうるのです。
これが彼の人生観全てを変えました。どこにいても、どんな仕事をしても、神のために仕事をし
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ているのです。私たちは神に仕えることができます。それが神を讃美することなのです。

1 コリント 10:31 でパウロはこう言っています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、
飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」
(1 コリント 10:31 新改訳)
C.上司に服従するということ
(1) 仕事に対する正しい態度

では、私たちの仕事をどうやって神への礼拝にできるのでしょうか。ペテロはここでこう教えてい
ます。ペテロは、こういいました。「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良
で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい」
(1 ペテロ 2:18 新改訳)

このようにして、みなさんは職場でも神を礼拝しています。このようにしているなら、私たちは神
を讃美しています。このようにしていないのなら、神を礼拝していません。他の方法で神を讃美
することはできません。誰も上司への服従なしには職場で神を讃美することはできないのです。
エペソ 6:5-8 ではこう言っています。

「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従い
なさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心
から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良い
ことを行なえば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあ
なたがたは知っています。
」
(エペソ 6:5-8 新改訳)

次のようにしなさいと言っていることに注目してください。
① 「 恐れおののいて主人に従いなさい 」(エペソ 6:5 新改訳)なぜなら私たちは全能の神ご自
身に仕えるようにそうするからです。
② 「うわべだけの仕え方でなく、仕えなさい。
」
(エペソ 6:6 新改訳)
③ 「主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。
」
(エペソ 6:7 新改訳)
(2) 良い労働者

マーティン・ロイド・ジョンズ博士はこう言っています。「それをやっている間は課せられた任務
や主人に自分自身を捧げることが奴隷、雇用されている人の本務です。彼の時間は彼自身のもの
ではなくて、主人のものです。彼が扱うお金は、彼の物ではなく、主人の物です。仕事に関係す
るものはすべて主人のものです。主人の時間に、主人の仕事をするべきときに、他のものに注意
を向けているなら、クリスチャンは使徒の指示に背いているのです。
」

言い換えると、これはどうやって職場で神に仕えるかです。
① もっとも正直で高潔な労働者です
② 時間に正確で信頼できて頼りになります
③ 会社の時間を無駄にしません、もしくは、
④ 会社のリソースを無駄にしません
⑤ 同僚たちに最高の態度でいつも接します
⑥ 最善の結果を得るためにいつも最大の努力をします
⑦ 勤務時間に仕事に無関係なことはしません
•
聖書を読むことさえも
•
教会のミニストリーに関係することでさえも
•
また仕事に無関係なサイトを見たりも
•
コンピュータゲームも
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•

上司の同意がなければ、お給料を頂いている時間と仕事に関係のない
ことは何であっても
このようにして私たちは職場で神を礼拝し、神に仕えています。しばしば、福音を伝える機会があ
るかもしれません。でも、このようにして私たちは日常の中で、職場で、学校で、そして家庭で
も、神に仕えているのです。
(3) うわさはダメです

尊敬の念を込めて上司に服従することの意味は、どんなことについても、特に上司の噂をしたり、
文句を言ったりしません。

何か私たちが、心配事、意見、提案があるなら、直接上司と率直に丁寧な態度で話し合ってくださ
い。私たちの考えを採り入れてくれるかもしれませんし、そうしないかもしれません。でも、そ
れは彼が決めることなのです。そういうわけで、彼は上司で、私たちは上司ではないのです。

それから、私たちは心から上司の決定を支持します。それが「尊敬の心を込めて主人に服従しなさ
い」(1 ペテロ 2:18 新改訳)ということなのです。このようにして、私たちは職場で神に仕えて
います。
(4) 人にではなく、むしろ神に従うべき例

唯一の例外は仕事が私たちに御言葉に反することをするように要求しているときです。
そのときは、
私たちは人よりも神に従うべきです。例えば、
①
②
③
④
教会の礼拝に来るという習慣を諦めなければならない場合
私たちの清らかさ、敬虔な生活が損なわれる場合
家族に対する責任が損なわれる場合
違法なことをするように言われた場合

このような時、私たちは丁寧に、しかも断固として、
「ノー」と言わなくてはなりません。時には、
違う仕事を探さなくてはならないかもしれません。

しかし、これら例外を除いて、私たちは最も忠実で信頼できる労働者であるべきです。
(5) 美樹さんの証

数週間前、美樹と私はこのテーマについて話をしました。美樹は自分が働いていたときに、いかに
神が職場での自分の態度を変えてくれたかを私に話してくれました。私はそのことを書いてくれ
るように頼みましたので、みなさんに紹介します。
神の言葉に本気で従うことができる前、悲しいことですが、それはクリスチャンになってからの
ことですが、私は自分の上司を尊敬することが一度もできませんでした。
同僚のことでなかったなら、きっと家族のことで私は不満を吐き出していたでしょう。昼休みや
仕事の後の飲み会のときは、同じ意見の人たちと話をするいい機会でした。私は自分の上司がい
かに無能で鈍感かを話したものでした。時々、自分の利己的な不満のために、経営陣、支店長の
ところに行ったりもしていました。
クリスチャンになって、聖書学校から戻ってから、私は 3 つの仕事をしました。神さまのために
燃えていて、御言葉に従って生きたいと思っていました。職場で試練に直面するたびに、負け犬
5
のように感じていたにもかかわらず、私は神を愛していました。
私は 3 つ目の仕事で重役の補佐として働きました。前任者が急いで辞めたので、引継ぎは 1 週間
でした。上司が二人いて、一人が退職し、一人は残りました。前任者は率直に残った方の人のこ
とをばか者だと言って非難しました。その上司本人の前で私に向かって大声でばか者という言葉
を言いました。しかし、彼女の発言に私はびっくりして、私は神に御言葉を信じ、従うと宣言し
ました。上司を尊敬しました。何か考えが頭に浮かんで、彼を見下してしまったときでさえ、イ
エスに仕えるようにその人に仕えました。聖句をコンピュータの周りに貼り付けて、パーティシ
ョンにもピンで留めました。毎日声に出して聖句を読み、何度も目をやりました。私は上司に仕
えると神と契約を交わしました。私の上司は悪い人ではありませんでした。礼儀正しい人でした。
彼の下で働くにつれて、私は彼がよい上司であることに気づきました。彼は忍耐強く、厳しい人
でした。他の人たちが言っていたこととは違っていました。彼は幸運だったから、社内の混乱の
中を生き抜いたのだと言われていました。
私は本当によい部下ではなかったのにも関わらず、その上司は私を信頼し、昇給に値すると私を
評価してくれました。その上司はずっと楽しそうに見えると言った人すらいました。これは私に
は新しいことでした。というのは、私を過去にそう評価した上司はいなかったからです。そのと
きまで私は、自分は有能な人材ではないのだと思っていました。しかし、御言葉を実行に移した
とき、すべてが変わったのです。神の言葉は本物です。

クリスチャンのみなさん、私たちは上司にとって祝福となるはずです。上司が私たちのことを、こ
の人は自分が信頼を置ける人だと知っていてくれるようでなければなりません。この人なら最善
を尽くしてくれる、この人は私に隠れて私の悪口は決して言わない、と。

このようにして、私たちは仕事中に神に仕えます。このように、私たちは他と違うのです。このよ
うにして、私たちの復活した救い主の栄光を示しています。
III.
結論
(1) それは召しです

上司がみなさんの感情を傷つけることがあるかもしれません。彼は不公平だとみなさんは感じるか
もしれません。みなさんは怒るかもしれません。ペテロは、「あなたがたが召されたのは、実にそ
のためです」
(1 ペテロ 2:21 新改訳)と言っています。

1 ペテロ 2:20-21 は「けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それ
は、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あな
たがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました」
(1 ペ
テロ 2-20-21 新改訳)と言っています。

ペテロは、困難なことや上司のとげとげしい態度に直面したとき、真にイエスの模範に従うことが
できる、そして、職場でイエスを見せることができると言っています。

(2)イエスはご自身を捧げられました

全てのものは神によって、神を通して、神のために創られました。イエスは創造の神です。創造主
は、御国の御座を去り、ご自身が創造した人々から罰を受けるためにご自身を捧げられました。

イエスは不当な扱い、苦難でさえも喜んで受け入れました。何故でしょう?それは、イエスが私た
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ちに生きる機会、そして、神を知る機会を私たちにお与えになったからです。
(3)自分を捧げますか?

私たちがイエスによって置かれた模範、足跡に従うなら、私たちが不公平で不当な扱いを受けたに
も関わらず、従う態度を示すなら、私たちもまた、周囲の人たちが神を知る機会を与えるでしょ
う。

あなたがたは他の人とは異なる、奇妙な労働者です。うわさや不満はなく、忠実で、信頼できて、
頼りになる労働者です。あなたがたは、職場で神の栄光を現すように召されたのです。あなたが
たを通して、人々はイエスを見るでしょう。そして、あなたがたは人々の救いを見るでしょう。

ペテロは、召しに答えるようにと言っています。そして、あなたがたが職場で、あなたがたを通し
て神の行いを見ることになるでしょう。あなたは受け入れますか。
余沢 武
東京バプテスト教会
2008 年 7 月 12 日&13 日
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