Weekend Message - Tokyo Baptist Church

Weekend Message
「今日、神の厳しさ、神の愛、神の声に応答する」
へブル 3:12-19
2010 年 1 月 23 日& 24 日
今日私たちはリバイバルのためにどのように自分自身を備え
るかについて考えます。もし私たちが教会内でリバイバルが
起きることを求めるなら、それは私たちの生活の中での個人
的なリバイバルからまず始まります。それが今日のテーマで
す。
ることができるように、この曲がった不正な時代に東京バプ
テスト教会が福音のための光、神の栄光のための光として輝
きますように、と私は祈り続けています。
皆さんもリバイバルを見たいと望んでいるなら、一つ質問が
あります。「私たちはリバイバルのための用意ができている
でしょうか?」神は主権者であられ、ご自身の思いのままを
行う事が出来るお方です。しかしたいていの場合、神は聖な
る人たちの中でご自身を表そうとされます。
私達、あなたは、神に喜ばれる歩みをしているか自分自身を
吟味する必要があると、感じていますか?神の前に清く正し
い生活をしていますか?神に用いられる準備ができています
か?
これはリバイバルに必要なものです。多くの人が神に心を向
けるのを見たいと望むならば、私たち自身が確実に神に心を
向けていなければなりません。教会や地域で神が驚くような
方法で働かれるのを見たいと望むならば、私たちの生活で神
が働かれるのを見たいと望まなければなりません。
あなたはリバイバルを望んでいますか?そうであれば、神に
いま心を探っていただきましょう。神が自分の霊的な状態を
示してくださるよう求めましょう。悔い改めと従順によって、
今日神の声に応答することを願いましょう。聖霊が、あなた
の罪を気づかせ、神に完全に明け渡すよう導いてくださるこ
とを求めましょう。これがリバイバルです。あなたは心から
それを求めますか?
今日のメッセージは耳の痛い内容ですが、あなたが心を開く
ならば、神があなたに 4 つのことを語ってくださるように、
私は祈っています。
しかし、リバイバルのもう一つの側面は、私たちの住む町、
国、そしてこの世界で、福音を伝える機会をさらに求め、と
らえていくことです。聖書の箇所を見る前に、皆さんが参加
できる機会について少し紹介したいと思います。
まず、2 月 21 日に行われる渋谷清掃プロジェクトです。私
たちの町、渋谷に行って、ゴミを拾うことを通してキリスト
の愛を表しましょう。誰でも参加できます。こども、大人、
家族で参加してもいいですね。たくさんの助けが必要です。
手伝ってくれる人、詳細が必要な人は、[email protected]
までメールでご連絡下さい。
二番目は、8 月に行われる 45 ストリートゴスペルキャンプ
です。今年は 2 か所でキャンプをします。台湾(8 月 9 日15 日)と TBC(8 月 17 日-20 日)です。
このキャンプでは、いろんな助けが必要です。最も必要とし
ているのは、ホームステイのために家庭を開放してくださる
方々です。英語教師、ミュージシャン、その他、ボランティ
アの人たちが必要です。手伝ってくださる方は、
[email protected] までご連絡下さい。
これらは今年、福音を伝えるきっかけとなる実際的ないくつ
かの方法です。週報の中に両方のプログラムについてのお知
らせがはさんでありますので、後ほどご覧下さい。では個人
的なリバイバルをどのように体験するかについて見てみまし
ょう。まずお祈りしましょう。
ヘブル 3:12-19
クリス・マカトリー牧師
1)神の声の重要性
2)神の声を無視することの危険性
3)神の声に耳を傾けることの緊急性
4)神の声によって表される神の愛
(新改訳)
12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心
になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさ
い。 13 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励
まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないよ
うにしなさい。 14 もし最初の確信を終わりまでしっかり
保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となる
のです。15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引
き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならな
い。」と言われているからです。 16 聞いていながら、御
怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられ
てエジプトを出た人々の全部ではありませんか。 17 神は
四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した
人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではあり
ませんか。 18 また、わたしの安息にはいらせないと神が
誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たち
のことではありませんか。 19 それゆえ、彼らが安息には
いれなかったのは、不信仰のためであったことがわかりま
す。
1)神の声の重要性
私たちはみな、心が不安でいっぱいなことを容易に認められ
るでしょう。聖書は、私たちの心は狂気、悪に満ち、陰険で
あると言っています。
「人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂
気が満ち」(伝道者の書 9:3 新改訳)
「人の心は何よりも陰険で、それは直らない」(エレミヤ
17:9 新改訳)
私たちの心は、欲望、怒り、高慢、憎しみ、嫉妬、その他い
ろいろなものでいっぱいです。このため、この世のほとんど
の人たちは平安なく生きています。
「悪者どもには平安がない。」と主は仰せられる。(イザ
ヤ 48:22 新改訳)
多くの人たち、日本の多くの人たち、おそらくここにいる多
くの人たちは、平安なく人生を送っています。安心すること
がありません。 心と人生に安息をもたらし、安定をもたら
す神のふれてくださる温かさを感じることができないのです。
私たちは最近何度も、リバイバルを求めリバイバルのために
祈るよう勧められています。私たちの時代にリバイバルを見
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2010 年 1 月 23 日&24 日
Weekend Message
今日、あなたは平安を探していますか? 心の安息を探し求
めていますか?人生に押しつぶされそうになっていますか?
神の声に耳を傾けてください!イエスは言っておられます。
(マタイ 11:28-29 新改訳)
「28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの
ところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげま
す。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがた
もわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そう
すればたましいに安らぎが来ます。」
クリス・マカトリー牧師
のです。ユダはイエスと3年間一緒にいました。ユダは神の
奇跡を見て、悪霊を追い出すことまでしましたが、今彼は永
遠の火の刑罰を受けているのです。さばきの日に多くの人は
こういうでしょう。
「『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、
あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって
奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』 しかし、そ
の時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなた
がたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れ
て行け。』 」(マタイ 7:22-23 新改訳)
キリストはあなたの心を清くし、安息を与えてくださいます。
今日の聖書箇所のあとの節で、この安息について書かれてい
ます。(ヘブル 4:1&3 新改訳)「1 こういうわけで、神の
安息にはいるための約束はまだ残っているのですから、3
信じた私たちは安息にはいるのです。」
その安息とは、私達が神と、顔と顔を合わせる日、永遠を神
と共に過ごすことになる最後の日に十分に味わう安息です。
しかし、それはキリストを信じることを通して、いまから始
まる安息です。「信じた私たちは安息にはいるのです」しか
し、多くの人はこの安息に入ることができないのです。多く
の人は聖霊が語られることを無視しています。多くの人はキ
リストの声に従っていません。多くの人は神に反抗していま
す。多くの人は信じないので、安息に入れません。これはか
なり危険なことです。
これらの人たちはショックを受けるでしょう。彼らはイエス
の名によって多くのことをしてきたので自信をもってイエス
のもとに来ますが、神の国から締め出され、キリストを知ら
なかったことを知るのです。神の国から締め出され、神の安
息に入れないのは恐ろしいことですが、いくつか理由があり
ます。
第一に、神の怒りがあなたに降りかかるからです。
「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわた
しの安息にはいらせない。」(ヘブル 3:11 新改訳)
全能なる神があなたに怒るとは恐ろしいことです。しかし、
それはすべて、神の声を無視し、心をかたくなにし、神に反
抗した結果なのです。
実際、神が私たちに怒る理由がたくさんあるのです。神の言
葉を拒絶したことはありませんか?神に反抗し、私たちが心
を奪われている罪と比べて、神はほとんど価値がないように
考えたことはありませんか?
しかし、私たちは教会(礼拝)に来て、み言葉の教えに耳を
傾けていますが、自分を変えることなく、罪を捨てず、神を
私たちの人生の第一にするという気持ちがないのです。「神
さま、あなたの言われることを行う気持ちなど全くありませ
んが、あなたのみ前で満たされて座っています」と言うこと
であり、これは礼拝というよりあざけりです。
そしてこれよりひどいのは、私たちが外でキリストの名を汚
す生活を送ることです。これはイスラエルの民の例でした。
神はまさにこの理由で彼らに対して怒りました。彼らに対し
て怒られたように、神は私たちに対しても数え切れない多く
の理由で怒っておられます。生活を吟味し、これが自分にあ
てはまっていないか考えてください。
2)神の声を無視することの危険性
これは危険です。もし神の安息に入れなかったら、神との関
係を持つことが出来ないということです。これはキリストを
信じていない人の状態です。
あなたは今日ここにいますが、キリストとつながっています
か?つながってなければ、あなたに安息はありません。ある
程度の快適さや、この世的な平安があるかもしれませんが、
人生はその平安奪っていくのです。最後には、死ぬ時にはあ
なたの持っている、または持っていると思っていたすべての
ものが取り去られ、手元に残るものは何もないのです。
これらの聖書の言葉は、神を信じていない人たちだけではな
く、教会に対しても語られています。
15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こし
たときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言
われているからです。 16 聞いていながら、御怒りを引き
起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプト
を出た人々の全部ではありませんか。 」
これらの言葉は教会に語られました。つまり私たちにです。
二番目に、あなたは生ける神から離れてしまい、これから
も離れ続けるからです。これが神の国から締め出される恐
ろしい二番目の理由です。
12「兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の
心になって生ける神から離れる者がないように気をつけな
さい。 」
「12 兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の
心になって生ける神から離れる者がないように気をつけな
さい。」
今日ここにいるみなさん(私も含め)、神の安息に入れない
ことがないように気をつけて下さい。そのようなことが起こ
る可能性は大いにあります。しかし多くの人たちは、これが
自分に起こるなんて考えもしません。教会に定期的に行って
いるから、神について知っているから、ミニストリーに参加
しているから、洗礼を受けたから、この危険から逃れられて
いると考えます。多くのパリサイ人たちは、私たちよりも神
についての知識が沢山ありました。しかし彼らは地獄にいる
キリストを離れ、去っていくことを考えるのは恐ろしいこと
です。しかし、神の声を無視するとは、そういうことなので
す。命の創造主のもとを去り、死に歩いて行くのです。 平
安がなくなり、その代わり心が苦しむのです。
あなたが神の声に耳を傾けるのを拒んだのではありません
か?あなたの心の中に戦いがありませんか?もし神があなた
の人生から完全に恵みを取り除かれるとすれば、今よりもっ
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2010 年 1 月 23 日&24 日
Weekend Message
とはっきりと、耐えられないと思われるほど、自分の心に関
する苦しみや重荷を感じるでしょう。
クリス・マカトリー牧師
でさえも救われる理由にはなりません。キリストにある真の
信仰によってのみ、救われます。そして真の信仰によって実
を結ぶのです。
ですから、神の声を無視することには大きな危険があります。
しかしさらには、大きな緊急性もあるのです。
三番目に、神の裁きはあなたの上に降りかかるからです。
「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」
(ヘブル 10:31 新改訳)
あなたが神の声を無視するならば、それがまさにあなたのす
ることです。
私たちは神に反抗した人たちについて、「しかばねを荒野
にさらした、あの人たち」(17 節)と聞かされています。
それらの人たちの全員とはいわないまでも、大多数が、今
「そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人
に、忌みきらわれる(イザヤ 66:24 新改訳)」場所にいる
と思われます。
これらの人々は神の民でした。しかし、彼らのしかばねは荒
野にさらされたのです。神は私たちへの教訓とするために、
私たちが同じ結末にならないように、彼らをこのようにされ
ました。(第一コリント 10:11)
3)神の声に耳を傾けることの緊急性
聖書でこう言われています。15 「きょう、もし御声を聞く
ならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたく
なにしてはならない。」と言われているからです。
この言葉には緊急性があります。13 節にも緊急性が見られ
ます。13 「きょう。」と言われている間に、日々互いに励
まし合って
「きょう」も終わりがきます。今日こそが、神の声に耳を傾
けなくてはならない唯一の日なのです。
あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなた
がたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなた
がたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧
にすぎません。(ヤコブ 4:14 新改訳)
神はあなたに明日を保証していません。もしあなたの命が今
日までだとすると、あなたの人生における永遠に続く成果は、
どのようなものでしょうか?まさに今この時、神の前に正し
くあることを求めないのですか?
おそらくあなたは、「どのようにしてこれがわたしの状態だ
とわかるのだろうか?」と思っているでしょう。その答えは
19 節にあります。
「それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰の
ためであったことがわかります。」
神の安息に入り救われるのは、キリストを心から信じている
人たちだけなのです。そして私たちの人生において、真の信
仰から実を結ぶのです。
「木のよしあしはその実によって知られるからです。」
(マタイ 12:33 新改訳)
あなたが救われるのは、神の恵みによってのみなのです。し
かし、あなたが本当に救われたら、あなたの人生に救いのし
るしが見えてくるのです。あなたの人生から何がわかるでし
ょうか?自分の人生が苦しい状況にあるなら、すぐに平安に
ついて語ってはいけません。
あなたの心は絶えず赦せない心でいっぱいですか?あなたは
性的不道徳、ポルノや欲望の奴隷になっていますか?あなた
はパリサイ人たちのように独善的ですか?いつも人のうわさ
話や中傷をしていますか?あなたは怒りでいっぱいですか?
偶像礼拝をしていますか?そうであれば、あなたに恐れがあ
るのはもっともです。
統計によると、日本では毎年 122 万人が亡くなります。一日
に 3,335 人、30 秒に1人亡くなるということです。
あなたはここに座って、神の言葉に耳を傾けてはいますが、
人生において神を無視し、なお自分がクリスチャンだと言っ
ているかもしれません。神が今朝、あなたが寝ていたベッド
の下や今あなたが座っている椅子の下の地面の口を開き、コ
ラが逆らったときにダタンやアビラムになさったようにあな
たをのみこんでしまわないのは不思議なことです。
(民数記 16 章)
神がアナニヤやサッピラにされたように、罪の中に生きるこ
とを恐れ一生懸命清い生き方をするように教会全体に対する
例として、あなたを今倒されないのは不思議なことです。
(使徒 5 章)もし今日が、あなたが悔い改め自分を変える最
後のチャンスであるにもかかわらず、あなたが神の声を無視
したことを私たちが知ったら、私たちはどれほどあなたのた
あなたが本当に救われているのなら、永遠に救われています。 めに大声で叫び嘆くでしょうか!
あなたを神から引き離すものは何もありません。しかし
これらのことをあなたに言うのは傲慢からではなく、愛と心
「9 だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝す
配からなのです。なぜ滅びへの道を歩むのですか? 今神と
る者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 10
和解してください!ためらわないで!
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は
みな、神の国を相続することができません。」 (第一コリ
15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こし
ント 6:9-10 新改訳)
たときのように、心をかたくなにしてはならない。」
あなたが神の恵みを知ったら、速さの違いはありますが神は
あなたを変えてくださいます。自分を救うことはできません
し、自分の力でキリストのために生きることもできません。
私たちのするすべてのよい働きは、神の恵みの結果なのです。
そして祈り、神の言葉を読み、他のクリスチャンとの交わり、
人生で神を第一にすることによって、人生において神の恵み
をもっと経験することを求めるべきです。
しかし、あなたの人生において恵みのしるしや実がないのな
ら、最後の日に「主よ、主よ」と言って神の国から締め出さ
れないように注意してください。クリスチャンと呼ばれるこ
とによって救われるのではありません。牧師をしていること
3
昨日は生きていても、今日、生きてこの警告を聞くことがで
きない人が多くいます。また、単に地獄やさばきを避けるた
めに、神を求めるのは正しいことではありません。キリスト
を知る唯一の真理と救われる方法は、神の愛への応答にあり
ます。のろわれるのは、神を愛さない人たちです。
「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。」(第一コリ
ント 16:22 新改訳)
2010 年 1 月 23 日&24 日
Weekend Message
しかし、みなさんはこう質問するかもしれません。このよう
なことの中に、神の愛、神のあわれみ、神の同情はどこにあ
るのだろうか?それを最後に見ていきましょう。
クリス・マカトリー牧師
ちが神との平和を持ち、神の安息に入るために、キリストの
からだは傷つけられ、血が流されました。(ルカ 22:1920)そして、キリストが私たちのために、このようにしてく
ださるのは、驚くべきことであり、少なくとも次の二つの理
由があります。
4)神の声によって表される神の愛
天のみ国は、それを見つけ、手に入れるために財産すべてを
売り払う、野にある宝のようだと言われます。私たちのキリ
ストに対する愛はこうあるべきです。キリストへの愛のゆえ
に、私たちはこの世や罪を捨てるべきです。
神の怒りのゆえに、今日大きな恐れを感じたかもしれません
が、私たちへの神の愛、恵み、あわれみは、それよりも、も
っと大きなものなのです。実際に神のさばきと怒りのゆえに、
私たちはキリストのすばらしさと愛をより完全に知るのです。
その恵みはとこしえまで。(詩篇 107:1 新改訳)私たちが
本当にそれを体験するとき、私たちはそれゆえに神を愛する
でしょう。 神に対する私たちの愛は、私たちに対する神の
愛への応答です。私たちがキリストを愛すべき理由は少なく
とも3つあります。
第一に、神が私たちに語ってくださるからです。
15 「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こし
たときのように、心をかたくなにしてはならない。」
神はだれに語っておられるのでしょうか?神を拒絶し自分の
やり方や偶像に従っている反抗的な罪人に対して語っておら
れるのです。しかし、その反抗や拒絶にもかかわらず、その
罪にもかかわらず、神はずっと最後まで語り続けておられま
す。
私たちは何度も神に反抗して罪を犯しました。偶像も持って
います。あなたには、神に反抗し、神を悲しませ傷つけてい
る罪の意識がないのですか?自分が罪人で、非難を受けるに
値すると感じないのですか?
あなたがしてきたことが何であれ、あなたの心の中にある悪
が何であれ、神は今日もなお、あなたに語りかけておられま
す。神はあなたを無視したり、非難したりする理由が十分あ
りますが、語ってくださるのです。神は何と言われているで
しょうか?
a) キリストの苦しみの程度は、私たちの想像を超えるもの
です。
私が、神の怒りを語ったとき、あなたが恐れを感じたなら、
このすべての恐れはキリストの身にふりかかったことを知っ
てください。 神のすべての怒りと厳しさが十字架でキリス
トを砕き、死がキリストを飲み込みました。
キリストの肉体的な痛みは、私たちの想像を超えるとても大
きなものでした。しかし、最もおそるべきことは、キリスト
の心の苦しみでした。それがとてもひどかったので、キリス
トはそれを思った時、激しく汗をかかれました。
汗が血のしずくのように地に落ちた。(ルカ 22:44 新改
訳)
実際、キリストが直面した神の怒りに対する恐れは、とても
激しかったので、できることならばそれを逃れることができ
るように、と祈りました(マタイ 26:39)しかしこのすべて
のこと、キリストを待ちうけている恐怖にもかかわらず、キ
リストは十字架から逃げませんでした。キリストは神の怒り
によって砕かれ、傷つけられ、倒れたのです。
なぜキリストは逃げなかったのでしょうか?神の愛のゆえで
す!今日、神の声を聞いているみなさん、神があなたを愛し
ておられることに気づいてください!そしてもう一つのこと
を考えてください。
b) 私たちの価値
キリストが私たちのために死んでくださるとは、私たちには、
どれだけの価値があるのでしょうか?キリストは神です。キ
リストは限りなく尊いかたです。それに対して私たちはどう
でしょうか?私たちは、神を無視し、神よりも罪を選ぶ、神
に反抗した者、または反抗している者です。私たちの罪が、
キリストを十字架にかけたのです。キリストは本当に立派な
方で、私たちは汚れた罪人です。
私たちの汚れた心にもかかわらず、私たちの罪深さにもかか
わらず、私たちのうちに良いところや立派なところが全くな
第二に、神は愛の言葉を語られます。
いにもかかわらず、キリストはそれでも私たちのために死ん
神の安息に入るチャンスが私たちにあるのは今日のうちだ、
でくださったのです!それを理解するとき、神を愛さずにい
と神は言われます。神のみ怒りを引き起こし、地獄と非難に
られるでしょうか?あなたの罪を捨て、「イエスさま、私の
値するにもかかわらず、私たちは、神と永遠の聖餐、交わり、
すべてをささげます!私のすべてをささげてあなたのために
友情を持つように招かれています。永遠に神のみ手の中で愛
生きたいです!」と言わずにはいられません。
されるためです。
今日、キリストにそう言ってみませんか?神は今日あなたに
私たちはキリストの花嫁となり、神の子どもとなるよう招か
語っておられます。神の前に謙虚になるように、神に完全に
れています。私たちは神を自分の敵のようにみなしたにもか
自分をささげるように、と言われます。
かわらずです! 人が他の人のために死ぬことほど大きな愛
そうしませんか?だれであっても、キリストとの関係を持っ
はありません。これが、キリストがしてくださったことです。
ているかにかかわらずに。 今日ここで神に委ねませんか?
神の赦し、愛、恵みは驚くばかりです。それが、キリストを
私が祈ったあと、どうぞ前に出てきて、神の前にひざまずき
愛する三番目の理由につながります。
明け渡しましょう。
今日が救いの日です。今日が神にすべて委ねる日です。15
三番目は、神は、キリストの血を犠牲にした愛について語
「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こした
っておられます。
ときのように、心をかたくなにしてはならない。」
私たちが犯した反抗や悪には犠牲が伴います。その犠牲とは、
祈りましょう。
私たちが神の安息に入れないということであり、その結果非
難され神の怒りに直面するということです。
しかし、キリストは、私たちの罪のためのすべての怒りと罰
を、その身に引き受けてくださることを選ばれました。私た
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