最近のミャンマーの経済産業動向について

アジアフォーラム21
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2.最近のミャンマーの経済産業動向について
(株)共同通信社
ミャンマー経済クラブ
荒木
企画顧問
義宏氏
【はじめに】
皆さんこんにちは。ただいま紹介いただきました株
式会社共同通信社の荒木と申します。よろしくお願い
します。今年の3月末までジェトロの海外調査部でず
っとミャンマーを中心としたメコン地域の調査担当
を8年やっておりました。8年やっているうちの7年
くらいはミャンマーが泣かず飛ばずで、ラオスやカン
ボジアやベトナムといったところもやっていて、ミャ
ンマーがおそらく将来脚光を浴びるだろうという期
待の下にずっと8年間調査していました。定年退職し、
1カ月間休んで今の共同通信社に再就職したのです。
共同通信社のミャンマー経済クラブというのは昨年
9月に立ちあがったところですが、そこからお誘いを受け、今、企画顧問として働いてい
ます。今日の資料の中にクラブのご案内も入れてあるので、もしご関心がある企業の方が
いらっしゃったらぜひクラブにご入会していただきたいと思います。今日は1時間 10 分ほ
ど、スライドをご覧いただきながらお付き合いいただきたいと思います。座らせていただ
きます。
9月にミャンマーとマレーシアに行かれるということですが、1年半くらい前から、日
本からひっきりなしにヤンゴンを訪れる企業の方が多く、ジェトロの事務所も今、アドバ
イザーの方を含めて4人体制でやっています。私がヤンゴンに駐在した時は 1997 年 12 月
で 16 年前、単独事務所でした。4年いました。その前の 1995 年4月に初めて私はミャン
マーに行き、「将来にそこにジェトロの事務所を立ち上げる」という使命を受け、FS 調査
をしに行ったのが最初です。ですから私とミャンマーの関わりは 18 年です。ジェトロの人
生が 38 年なので半分弱はミャンマーにどっぷりと浸かってきたことになります。というこ
とで、今日は渡辺大先生と話しましたが、先生はそのはるか前にミャンマーに行かれてい
て、暗黒の時代のミャンマーをご存知なのですが、私がいたミャンマーは暗黒からちょっ
と灯りがともってきた時代でした。ところが駐在時代の 99 年くらいまではミャンマーは結
構注目されていたのですが、その後、泣かず飛ばずの時代が 2000 年ごろからずっと続いて、
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ようやく 2011 年のクリントン国務長官のミャンマー訪問で一挙に花咲いたということで
ございます。ですから私のジェトロ時代のミャンマーは顧みられなかった時代で、定年退
職後にようやくビジネスが花開くという非常に皮肉な結果になっています。
これからは、独立行政法人の下ではなかなかできないことも、民間企業の立場で自由に
やろうかと思っています。よろしくお願いします。長々と自己紹介しました。
【1.暗黒のミャンマーから夜明けのミャンマーへ】
資料の冒頭の写真はヤンゴンの中心部に1年ちょっと前にできた巨大ショッピングセン
ターです。多分、皆様方が9月に行かれたら、ここに行かれるかと思いますが、非常に近
代的なショッピングセンターでテナントが 100 近くあり、この中に入っているとミャンマ
ーにいることを忘れるような感じがするという所です。
資料の写真2枚をご覧ください。夜の衛星写真です。左が 11 年前(1992 年)と2年前
の 2010 年のミャンマーを対比したものです。92 年ごろは、ヤンゴンはほとんどまっ黒で
す。マンダレーにちらっと灯りが見える程度です。海岸線があってホーチミン、バンコク、
ハノイ、インドがあります。
(衛星写真を見ると)ミャンマーは本当に真っ暗です。電力は
今でもどうしようもないですが…。ラオス、ベトナム海岸線も真っ暗ですね。ですから 21
年前は、ベトナムとミャンマーはだいたい同じような発展だったということがくっきりと
分かると思います。ところが 2010 年になるとホーチミンの辺りはキンキラキンです。ハノ
イもそう。ベトナム海岸線がくっきりとし、街が連なっている様子がよく分かります。雲
南省のクンミンも分かります。タイも昔はバンコク周辺以外は暗かったのですが、今は全
部にわたって灯りがキラキラとしています。ここがカンボジア、ここがプノンペンです。
さて、ミャンマーはどうかというと、ようやくヤンゴンが前よりも灯りが大きくなりま
した。マンダレーも大きくなりました。真ん中にあるのはネピドー、新しい首都です。昔
は何もありませんでした。ということで、表題にあるように、昔は「暗黒のミャンマー」、
今は夜明けがやっと訪れたということで、非常にくっきりと 20 年の差、ベトナムは遥か先
を行っている、ミャンマーは後塵を拝しているというのがくっきりと分かると思います。
私が駐在時代にお世話になった、ある国家計画経済開発省の大臣とよく話すことがあり
ました。95、96 年ごろです。「ミャンマーはベトナムに負けたくない」としきりに彼は言
っていましたが、この写真によるとベトナムは 10 年か 15 年くらいは先を行っているとい
うのが実情です。これが今のミャンマーの実情です。
さて、今日はあまり統計的なことではなく、現実にミャンマーの経済を動かしている事
例を写真で紹介したいと思います。そうはいってもミャンマーは今のところまだ製造業は
GDP の十数%しかありません。農業は3割以上のシェアを占めていて、依然としてまだ農
業が引っ張っている国です。2001 年は GDP の5割近くを農業が占めていました。20 年経っ
てようやく3割くらいに落ちましたがやはり農業がメインです。成長率はどうかというと、
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2002 年から一昨年くらいまでの成長のグラフを資料に載せました。
赤線が IMF の推計です。
青線がミャンマー政府が出した統計に基づくデータです。ミャンマーは非常に統計データ
を取りにくい所です。この成長率の数字も 2005、06 年ごろは 10%以上の成長をしていた
とミャンマー政府は言っていますがこれは非常に疑問です。まず統計のベースがなかなか
補足できないはずなのに、こういった 10%以上の成長を遂げたというのはなかなか鵜呑み
にできないところがあります。IMF データの、最近の6%台の成長を維持し、なおかつ、
今後も6%でいくだろうというのは妥当かと思います。
アジアの最近の成長は少し鈍化していて、高いところでも4、5%のレベルですので、
それに比べるとミャンマーは6%以上の成長がここ数年は続くだろうと IMF も推計し、政
府もそうしようとがんばっています。まあ、いくのだと思います。
「期待が持てる国・ミャ
ンマー」が数字の上でも言えるのではないかと思います。
【2.産業・ビジネスの担い手】
さて、そうは言ってもミャンマーはいわゆる国際的なビジネスが始まって、まだ十数年
の経験しかありません。戦後 60 年の大きな流れを簡単な表にしました。イギリスから独立
したのが 1948 年です。その後 13 年間は軍政ではなく、ちゃんと議会があった文民政治を
していた時代があります。ところが政治的に非常に不安定だったので、1962 年から当時の
軍のネ・ウィン将軍がクーデターを起こして、軍主導のビルマ式の社会主義体制というも
のを確立し、その後 26 年間、ミャンマーを統治しました。その中心となっているのが民間
企業は原則と禁止で、国営企業が主体の経済分野で、当時のソ連とか中国とか、そういっ
た国と同様の計画経済をやっていたというのがなんと 1988 年まで続いたわけです。その頃
の日本はバブル経済のど真ん中。東南アジアが勃興していた時代です。そのころまだ、当
時のビルマはネ・ウイン将軍のガチガチの計画経済で、原則国営企業しかなかったのです。、
この 26 年間は非常にミャンマーの経済を停滞させた時代です。民間企業は非合法で外国人
および外資系企業は皆出て行けということでした。途中から部分的な外国援助を取り入れ
るようになりました。特に日本から。一部、昔いた華僑や印橋、地場の資本が少しあった
のでそういったところがコソコソと非合法にビジネスをやっていた連中もいます。そうい
った原則的な社会主義体制だったわけです。
そして例によって 1988 年の民主化暴動で旧軍政が暫定政権を樹立したのが 1989 年です。
その頃からネ・ウィン時代の社会主義を改め、市場開放経済体制を始めたわけです。です
から今のミャンマー経済はここから始まっているということです。20 数年しか歴史があり
ません。以来民間企業は大手を振って、経済の担い手になりました。そのベースは非合法
企業から来ているわけです。
民間企業がどんどん拡大し、一方、90 年代半ばから国営企業が民営化されてゆきます。
1988 年には前の外国投資法が制定され、「外資も来てください」となったのがミャンマー
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の投資ブームの第一次なのです。しかし政治的な問題、アメリカとか欧州の国から「民主
化勢力を圧殺してやっている軍政のところでビジネスをするなんてもってのほかだ」、「投
資するなんてもってのほかだ」と制裁をくらったわけですから、外資は ASEAN 勢以外は日
本を含めあまり来ませんでした。ということで、旧軍政時代の開放経済は一言でいうと失
敗したわけです。
それで、繰り返すようですが 2011 年からまた再び、前の軍政は暫定政権で、最初から彼
らもそういうふうに宣言していました。それで約束どおり、中身はともかく民主化政府を
樹立し、再び、規制緩和をバンバンやって、法律も新しくして、金融改革もやり、いろい
ろな改革を全て同時にやりながら、今に至っているのがミャンマーです。というのが、非
常に駆け足で説明した戦後 60 年のミャンマーです。ですからビジネスというのは、いわゆ
る他の国で普通にできたビジネスがようやく始まろうとしているのが今のミャンマーです。
2 年ほど前に経産省の外郭団体だった「海外貿易開発協会 JODC」と「海外職業訓練協会
AOTS」というのがドッキングして「HIDA(ハイダ=海外産業人材育成協会)」という組織に
なりました。2つの協会はいろいろな人材育成の事業を ASEAN 中で展開してきた老舗の組
織なのですが、私は昨年1年間そこのミャンマーの国営事業セクターの幹部人材のリハビ
リテーションの専門家として、動きました。首都のネビドーに6回も往復して、ワークシ
ョップを開催した時の写真を資料に載せておきました。
先程申し上げたように国営企業はまだ 300 工場くらいまだ残っているのです。そこで働
いている人たちは 40 万人弱いるのです。ミャンマー政府は当初、国営企業は民営化してゼ
ロにしようと元工業大臣が豪語していたのですが、40 万人を一度に失業させるわけにはい
かない、ということで、国営企業を再活性化しよう。それには人間改造をしなければいけ
ない、ということで、そのワークショップを 1 年間やってきたわけです。先程、欧米が制
裁強化して、日本もアメリカに追随して本格的な ODA を再開しなかった歴史が十何年続き
ましたが、その間、ご多分に漏れず、中国がミャンマーにどんどん触手を伸ばして国営企
業セクターにまでどんどん支援というか、良い言い方で言えば「支援」ですが「浸食」し
ていったという例がたくさんあります。
例えばネピドーの近くにあるトラクター工場に、1400 万ドルのローンを付けて「将来返
せよ」と古い機械を押しつけてトラクターを造る工場を造ったとか、20 年以上も前の中国
の古い紡績機械をローンで押しつけた工場等があります。そういった工場がまだまだたく
さんあります。それを何とかしようということも今、やっています。国営企業セクターの
話です。
経済産業省はこういった国営企業の再活性化を考えているわけですが、20 年前のような
機械で造ったトラクターとか織物は、世界の市場では通用しません。なおかつ、ミャンマ
ー国内にどっと輸入機械とか輸入のアパレル製品が入っていて、国内でも売れないわけで
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す。だからこれはどうしようもない、という感じで今頭の痛い種になっているわけです。
国営企業以外にも軍がビジネスをしている事例もまだ依然として残っています。国軍が
やっている企業には2つの大きいものがあります。重工業セクターとか、いろいろな装置
産業的な製造業、ビールとかそういったものもそうですが、そういうものは国軍企業が依
然として牛耳っているということだと思います。
それでは民間のほうはどうかというと、先程言ったようにネ・ウィン時代に民間企業は
非合法でなかったのですが、89 年以降どんどん民間企業が出てきて、その中からいろいろ
な、軍政から利権をもらって伸びて来た企業がたくさんあるわけです。その代表例が資料
の表にあります。こういった企業は依然としてアメリカの「企業制裁リスト」に載ってい
ます、アメリカの対ミャンマーの制裁は、国に対する制裁と企業に対する制裁の2つあり
ます。企業に対する制裁はミャンマーだけでなくイランとか、反米的な国の政商まがいの
企業は全部そこに入っているわけです。ミャンマーの巨大財閥のいくつかは、そういった
制裁企業リストに載っています。資料の1番上に載せた「Htoo Trading」が有名なところ
ですが、今度ミャンマーに行かれるときはヤンゴンにしか行かれませんが、国内航空に乗
る時はだいたいこういった政商の子会社が運営している飛行機会社に乗ることになります。
別に危なくはなりませんが、ほとんどがそうなっています。中には色のついていない財閥
もあります。
「SPA(FMI)」というところはシンガポール系の財閥です。また「Eden Group」
というところは、少数民族が母体の財閥です。そういったところはあまりべったり政府寄
りではなかったところで、最近非常にのして来ている企業です。色の濃淡はありますが、
新興国の勃興期の企業というのは、昔のインドもそうであり、フィリピンもマレーシアも
タイもそうだったということで、こういった企業が出てくることは仕方がないのではない
かと思います。
ということで、アメリカの企業制裁が取れれば日本企業だってもちろんアプローチする
でしょうし、アメリカの企業だってカパッと食らいつく可能性は大いにあります。
それではそれ以外のいわゆる普通の民間企業はどういった状況になっているかを話しま
す。資料はミャンマー政府が発表した最新のミャンマー政府の企業リストです。分野ごと
にどこに集中しているか。一目瞭然で、
「食品・飲料」にほとんどが集中しているわけです。
これはなぜかと。食品というとミャンマーは先程農業大国、なおかつ米の大産地です。食
品関連企業の中に零細な精米商、米の卸売、精米しながら卸すところとか、またはお酒の
メーカー、メーカーといってもどぶろくを作っているような個人商店のようなのも全部入
っているわけですが、そういったものも全部ここに入るので「食品・飲料」が多いという
ことなのです。
それ以外の分野では、例えばアパレルなどは注目されていますが「衣料」は結構多いほ
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うです。あとは「金属・鉱物」です。これは街の鋳物工場とか、金属をちょっと加工する
ような工房のようなワークショップが全部ここに入っているわけです。ですからあとで紹
介するもよないわゆる大規模な近代的製造業というのは少数で、それ以外は皆こういった
小規模産業が主体の企業がほとんどなのでございます。
地場の零細企業がここ 10 年、15 年くらい小規模企業から中小企業にいき、さら中堅企
業に発展していっているわけですが、そういった企業さんがいろいろな業界組合をつくっ
ています。もう三十数件の組合があり、それらが「ミャンマー商工会議所連盟(UMFCCI)」
というものをつくり、いろいろな業界活動をしているというのが資料のリストです。この
UMFCCI というのは、日本の経団連と日商を合わせたような団体です。ここは外国企業が「ミ
ャンマーの民間企業とお付き合いしたい」というときに「こんな企業を紹介してください」
というときに必ずここを通ることになります。もちろん日本の商工会議所と同じように原
産地証明を出したりといった業務も行っています。ここを通らなければミャンマーの企業
等とコンタクトできないということではありませんが、やや役所寄りの団体です。ここか
ら紹介するというのが今までのやり方です。ここの会頭は先程の財閥企業、リストには入
っていませんがそれなりの財閥のボスです。つい先々週、会頭選挙があり、今までの会頭
が再選されました。私の友人は副会頭で出たのですが、惜しくも会頭選挙に落ちてしまい
副会頭のままです。会頭選挙というものは政治的ないろいろな確執が大きいのが内情です。
ミャンマーの地場企業も経済を引っ張りますが、これからは外国企業もミャンマーの経
済を引っ張るのでしょう。外国企業がミャンマーのパートナーとジョイントベンチャーし
てやっていくのがこれからです。では今まではどうかというと、旧軍政の市場開放政策が
失敗したというのですが、第一次外国投資ブームのときはそれなりの件数があったのです。
資料のグラフの青い棒グラフが件数で、赤い実線が金額です。件数は多くて、金額はわず
かだったのです。そして 2000 年を境に泣かず飛ばずの外国投資がほぼ 10 年以上続きます。
2~3年前にタイや中国の大型投資が来て、件数は少なかったけれども金額は瞬間的に上
がりましたが、またこれが萎んで、昨年、ようやくまた再びどーんと件数が増えたという
のがミャンマーの外国投資です。昨年だけで 70 数件。金額は非常に少ないです。というこ
とは非常に中小規模の投資が昨年急増し、今年もそれが継続しているというのがミャンマ
ーの実情です。
ですから今回の投資ブームは昨年からですね。それがまだ全部実行されているわけでは
ありません。工場ができたわけでもない。実行率が最近ようやくミャンマーの投資委員会
が発表しましたが、だいたい4割くらいです。今までの累積投資、全部の累積投資が4割
くらいしか金額ベースで実行されていません。資料は国別の金額によるランキングです。
中国、タイ、香港、韓国が多いです。最近はベトナムが増えてきました。日本はどうかと
いうと昔から 11 位です。ずっと 11 位です。件数はここ1年で 20 件くらいから 35 件に増
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えました。これは承認で、実行ではありません。金額は2億ドル台でまだ留まっています。
だから非常に中小規模の投資案件が多いです。日本はアパレルと IT 関係です。国内企業も
恩典を享受したけれあ投資委員会の認可を受けて投資します。それで外国投資とミャンマ
ー企業の国内投資がどの分野に集中しているかというのを比較してみました。
製造業は外資も結構多いのですが、ミャンマーの地場企業も件数は非常に多いです。で
すから、製造業は今のところ、ミャンマーの地場企業が引っ張っているということです。
さらに、建設業については外資は非常に少ないです。2件しかありません。ところが国内
企業は 53 件もあり、今のミャンマーの建設ブームの担い手はミャンマーの地場企業がして
いるということです。
さて、日本企業はどうでしょう。資料は「ヤンゴン日本人商工会議所(JCCY)」の分野別
のメンバー数を見てみました。私の駐在時代は 84 社でしたが、だんだん少なくなって、底
は 51 社でした。昨年から急増し、今年グイッと伸びました。5月末で 105 社です。だから
底を打ってから倍になりました。それも1、2年で倍増です。
ただし製造業の工場が加盟したというのはあまりありません。駐在員事務所、IT 関係、
サービス関係、物流関係の企業が多いです。
参考までにプノンペンとビエンチャン商工会議所の数字を資料に挙げました。プノンペ
ンは4月で 128 社、ここのカンボジアも一時期、日本企業が来ない来ないと言ってフンセ
ン首相に文句を言われたのですが、ここ2、3年でかなり増えました。カンボジアは結構
工場が多いのです。工業団地が整備されつつあるので。ビエンチャンは悲しいかな 48 社で
あまり増えていません。ずっとこの辺で止まっています。ヤンゴンは今年はこのままでい
くと 200 は無理かもしれませんが 150 はいくのではないかと思います。
資料の下の方に「在留邦人 800 人」と書いてありますが、これは領事館に届けた数です。
私の時代には 260 人が最高でしたからかなり増えました。
日本人会加入者数は 500 人で 1.5
倍くらいです。滞留日本人人口とは、長期出張者、要するに領事登録せず、ミャンマーの
VISAの関係で3カ月ミャンマーに滞在し一旦国外に出てVISA を更新しまた入るビ
ジネスマン、とか、瞬間的に出張している人で、推計で常時 4000 人はいるでしょう。私は
まだ見ていませんが、日本語のフリーペーパーが既に3つ出ているらしいです。アジアの
料理店に行くと、日本語で書いたレストランガイドや生活情報を載せたものを無料で配っ
ていますが、あれがすでに3つ出ています。日本食レストランも 60 くらいあるそうです。
私がいた時代には 10 もなかったです。だからすごい勢いで増えているということです。
【3.貿易~規制緩和に伴い輸入が急速に拡大~】
ミャンマーの貿易のトレンドですが、昔は輸入が多くて輸出が少なかった。ところが
2000 年を超えるあたりから、輸出が極端に増えて輸入が少なくなりました。輸入を規制し
たこともありますが、この輸出の太宗がタイ向けの天然ガスです。これでミャンマーは外
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貨準備が非常に楽になりました。前は外貨がどうしようもありませんでした。私が駐在し
始めた 1997 年から 98 年ごろは外貨準備高が 5,000 ドルを切った時期があります。推定
5,000 ドル、1億ドルを切ったという体たらくな時期がありました。それが 2001 年頃まで
続いたのです。今後どうなるかというと来年、2014 年くらいから中国向けの天然ガス輸出
が始まります。ということで天然ガスばかりに依存していたら本当はダメなのですが、現
状では輸出の約4割が天然ガスです。中国向けが増えるとまた天然ガス輸出ばかりがワッ
と増えて、大変でしょう。モノカルチャーになる可能性だってあるのですが、ミャンマー
政府は昔の周辺国の経験を勉強して製造業をやりたい、農産物もやりたいと言っています
が、それが果たしてうまくいくかしらというのが心配です。
制裁を食らっていたこともあり、ミャンマーの海外貿易の相手国は西側諸国(=欧米)
は非常にわずかです。8割以上、9割近くはアジアの国との貿易です。対極にあるのがカ
ンボジアとかバングラディシュです。ここは欧米向けの貿易が非常に多いです。
ベトナムですら半分は欧米との貿易で半分はアジアです。ミャンマーは圧倒的にアジア
との貿易です。ほとんどがタイ、中国、インドです。要するに近隣、周りの国との貿易で
成り立っている国がミャンマーです。輸出産業、特に欧米向けの輸出産業がありません。
欧米から制裁を食らっていたので機械類の部品とかそういったものも、直の輸入はありま
せん。みんなタイ、中国、インドからの国境を通じての貿易、これがメインです。今もそ
うですから、この辺がかなり注意されたほうがいいかと思います。
日本との貿易は 2011 年、一昨年くらいからミャンマーへの輸出が非常に増えています。
輸入も増えていますが、輸入をはるかに上回るピッチで日本のミャンマーへの輸出が増え
ています。日本側の貿易黒字もすごい勢いです。輸出のシェアの8割が乗用車とかトラッ
クです。輸入はアパレル製品です。輸入の6割近くはアパレル製品で最近増えているのは
靴です。皆さんが履いている靴は、もっと良いものだと思いますが、安物の靴はミャンマ
ーでたくさんつくっています。メーカー名は言えませんが、靴づくりは私が駐在している
時に既に始まっています。このように軽工業の輸出はこれからも増えるでしょう。
さて、今言った日本からミャンマーへの輸出の8割は中古車と中古のトラックやバスで
す。今年2月までの月別中古車輸出の通関統計(日本)のグラフを資料に載せました。こ
の十数カ月で9万 3,000 台以上の中古車がウワッと入りました。その前はそんなにありま
せん。いかに車が増えたかというのがミャンマーです。最近は少し静まっていますが、ひ
どい時は一月に1万 3,000 台くらいでした。なので、4、5年前にミャンマーに行った方
は、
「なんて車の少ない国だろう」と思ったと思いますが、今行ったら驚かれると思います。
ミャンマーに行かれたことのある方はこの中に何人くらいいらっしゃいますか?挙手して
ください。3人ですかね。いつごろ行かれましたか?昨年ですか。それでは車はもう増え
ていましたね。次の方はいつごろ行かれましたか?98 年ですか。もう全然変わっています
ね。渡辺先生は 2005、6 年ごろだとおっしゃいましたね。
(
(渡辺理事長)
「福山通運と書い
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てあるトラックが走っていました。」)そうです、今も変わりません。今もわざと消さない
のです。日本車の証明なのです。日本から来た日本車の証明なのです。タイの日本車じゃ
ない、インドネシアの日本車じゃない、日本から来たというのがミソなのです。だから消
さないのです。それだけ日本びいきです。
資料にも写真を載せましたが、5、6年前はポンコツの一歩手前の車しか走っていませ
んでした。昭和 30 年代そのものです。イギリス製の戦後すぐ走ったバスが、今も現役でま
だ走っているのです。床が木です。次の写真はマツダが 80 年代に技術供用した時に造った
ジープです。次の写真はトヨタのランドクルーザーです。そんなものが走っていました。
中古車ディーラーがそこかしこにいます。あまり短期間に車が急増したのでヤンゴンは渋
滞がひどくなりました。これを解消するためにフライオーバーを造ろうとしています。こ
こに交差点がありますが、そのフライオーバーの工事でますます渋滞です。こういった渋
滞個所がヤンゴンに5か所あります。同時にこのフライオーバーを造ってしまっているの
でますますひどいです。2年前はあるA地点からB地点まで 20 分かかったところが、今は
4倍くらいかかります。だから、市内の移動には注意されたほうがいいと思います。
また資料の下のグラフをご覧ください。「車種別登録台数」です。「二輪車」をご覧くだ
さい。二輪車は1年で約 100 万台増えています。1年で 100 万台です。ところがヤンゴン
には二輪車は走っていないのです。これは 99 年に当時の軍政がヤンゴンでの二輪車走行を
禁止したからです。今もです。ではこの 100 万台、300 万台はどこに行っているかという
と北のマンダレーに行っています。マンダレーはおそらくあと3、4年経てばホーチミン
のような二輪車の渦になるでしょう。ものすごい量です。ヤンゴンは 99 年に禁止されてい
ます。
【4.縫製業~ミャンマー初の本格的輸出型製造業~】
さて、製造業の話に入ります。ミャンマーの一番の輸出産業は縫製業です。ちょっと時
間的に遅れているのですが、それが一つのホットな産業になっています。ミャンマーのフ
ァッションは伝統的に今も腰に布を巻くロンジーが年寄りから若者まで基本の服装です。
ところが今は急速に変わりつつあります。ジーンズはヤンゴンでは普通になってきました。
昔、私が駐在したころは、女性がひざ丈のスカートをはいている人はほとんどいませんで
した。まずいなかった。ところが今は、常識のようになっています。
ミャンマーの人は女性が肌をあらわにするというのは普通ではありませんでした。今は、
全然ガラッと変わっています。特にダウンタウンなどはそうです。着物は日本はどうでし
たかね。着物は日本ではどんどんすたれたのですが、急速にすたれたのは戦後ですかね。
ミャンマーはそれ以上のピッチで変化するのではないでしょうか。恐ろしいくらいです。
しかし、高級ロンジーのファッションもまだあるのです。資料の写真は日本向けの輸出ア
パレル工場です。
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ミャンマーの衣料品の貿易の話をしますが、特にミャンマーからの輸出です。資料のグ
ラフはミャンマーの貿易統計です。ミャンマーの主要アパレル輸出国の輸入統計から取っ
たものです。97、98 年くらいからミャンマーのアパレル産業は勃興しました。99 年からデ
ータを取っていますが、2000 年を超えたあたりでミャンマーのアパレル輸出はピークにな
りました。前はアメリカがほとんど買っていました。日本も買っていますが、アメリカは
断トツの商売相手でした。ところがアメリカから制裁を食らったとたんにミャンマーの輸
出はガクンと減ります。そこから替わって日本がと追いかけてきました。そして、一昨年
辺りから日本への輸出がとても増えました。韓国もそれに追随して増えています。今、日
本と韓国がミャンマーのアパレルの輸入の得意先です。ところが、アメリカが今度制裁を
解きました。ミャンマー製品の輸入を OK したので、必ずやミャンマーにアメリカのアパレ
ル業者は発注します。既に出しているし、どんどん出すでしょう。ということで、このア
メリカがおそらく急速に復活してくるのではないか。EU は景気が悪いのでこの辺で止まる
かもしれませんが。ミャンマーの工場のラインの争奪戦が既に起こっています。日本勢は
なかなかしんどいです。日本のアパレルは大変小ロットです。これがミャンマーのアパレ
ル工場にとっては非常に面白くないのです。欧米は万単位でロットを出します。何十万着
です。なのでどんどん取られるのではないでしょうか。というわけではありませんが、調
子が良かったミャンマーの対日アパレル輸出が下降し始め、最近またバングラからミャン
マーにシフトするんじゃないかと騒がれましたが、ミャンマーは縫製のほうはちょっとし
んどいのではないか、と思います。資料は日系アパレル事業の事例です。詳しくは申しま
せん。1年ちょっと前の取材メモですが、あまり変わっていません。次ページは最近進出
したアパレル会社の事例です。時間があったら読んでおいてください。ここは福島県のい
わき市に本社がある中堅アパレルメーカーです。がんばっています。
ミャンマーのアパレル産業の特色は、国内で調達できるものはほとんどないのです。せ
いぜい段ボールくらいです。また、ボタン、Yシャツの襟の中に入れる芯地、糸、ポリエ
ステル・綿混の生地、ラベル、すべて輸入です。それを人海戦術の分業で縫製し、ビニー
ルの袋に入れて段ボールに入れて輸出します。「カット・メイキング・パッケージ」、カッ
ト=生地を切る、メイク=縫う、パッケージ=袋に入れて段ボールに入れて出すという CMP
輸出がミャンマーの縫製業界です。現実に川上部門もあるのですが、川上部門はあとで出
てくる国営企業がやっているので粗悪品ばかりで使い物にならないのです。いくらスーパ
ーでワゴンセールでやるYシャツでも、アイロンかけたらムニャとなるような生地では到
底だめです。ということで大変なのです。そういったミャンマーでのアパレル産業をサポ
ートする企業もようやく昨年くらいから出てきました。
例えば服地とか生地、糸などの会社をミャンマーにつくり、そこからアパレル会社に供
給するとか、できた製品を検品する会社です。またテキスタイル専門の展示会が昨年くら
いから大規模に開催されるようになりました。アパレルビジネスは活気を呈しているのは
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確かです。
今言ったように川上部門は国営企業が押さえているのですが誰も相手にしてくれません。
資料に載せた写真が傑作なのですが、写真左の綿糸はミャンマー・メイドです。写真右の
色のついたものは中国から入ってきたものです。ミャンマーの自分で作ったものは糸を地
下置きです。輸入品は大事に段の上に置かれています。
「こんなことをするな。ちゃんと輸
入品と同じように置け」と指導したのですが、1年後に行っても同じような感じでした。
これが紡績です。ニット工場の川上部門です。写真は8色同時に印刷する中国産の機械だ
というのですが、こんなものどこももう使っていませんよね。1色やるとグワーンと回っ
て次の色、また回って次の色……。これは非常に原始的なプリント機械でした。次の写真
はニット工場の中の最終製品ラインです。カッティングシーンが写っていますが、台の上
に生地を乗せて切るのですが、ニットなので生地がふにゃふにゃなので足で押さえて切っ
ているのです。足です。これじゃあ、足が汚かったらすぐに汚れますよね。こんなことを
平気でやっています。
非常に働く態度は熱心なのですが、品質管理以前の問題として、まだこういうレベルな
のです。これは国営企業の話しです。
【5.中間所得層の急速な拡大】
賃金の話しに移ります。賃金はアジア、特に最近のアジアはどこでも上昇です。言わず
もがな、インドネシアはひどい状況です。ベトナムもそうです。ミャンマーだけがアジア
最低の賃金だと言われる状況はもうそろそろ、おそらく再来年くらいで終わるのではない
かと思います。ジェトロの毎年のアジアに対する調査でも、ミャンマーの賃金はバングラ
ディシュと双璧のアジア最大と言われているのですが、おそらく2、3年後にはミャンマ
ーは上をいくと思います。既に従業員の賃金上昇はミャンマーで問題になっています。将
来を案ずるようなアンケート結果が昨年から出ています。
それでは、ミャンマーの賃金はそれではどれくらいの水準なのか。昨年6月くらいにミ
ャンマーのヤンゴン周辺の工業団地でストライキが勃発しました。ある工場の賃上げ闘争
の結果をミャンマーの新聞が報道した実例を資料に載せました。月に7万弱とか8万弱で
す。ゼロを一つ取れば元になります。だから、1万円以下だったのです。ただ、ミャンマ
ーには最低賃金法がなかったのですが、この6月の騒動を契機にミャンマー政府は最低賃
金法をつくりましょう、として、今年3月末に国会で議決されたのですが大統領がサイン
をしないので先送りになっています。この最低賃金法が正式に制定されたかどうかは未確
認ですが、おそらく今年中には施行されるでしょう。ただし法律には、例えば繊維業、ヤ
ンゴン管区で何万チャットという条項は法律には出ないのです。ガイドラインとして別の
条例とかそういうものが出る可能性はあります。おそらく今年も公務員給料が一律 2,000
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円上げられたので、かなりの線で、昨年の最低賃金6万弱などではなく9万とかそんなレ
ベルでやるのでは。下手したら 10 万弱です。1万円です。現実の世界、最低賃金でない現
実の世界はこういうこと(資料)になっています。
資料は IT 産業の職階別の賃金状況です。プログラマーの最高給与が月額 25,000 です。
これはまだ安いほうです。表の横は FEC(外貨兌換券)払い、左がチャット払いとなって
います。チャット払いはミャンマーの地場企業、FEC は日本企業も含めた外資系企業です。
その差は最高給与をもらっている人で約 100 ドルくらいあります。プログラミング・マネ
ージャーは最高 350 ドルですが、これも現実にはありえません。もっとです。これは昨年
までの話しで、今は、IT 関係のソフトウェアのエンジニアも払底していますから、日本の
IT 企業の新規参入は「いない、いない」と困っています。優秀な人材は皆シンガポールに
行ってしまっているのです。シンガポールにミャンマー人が脱出して、そこで学校に行っ
て、そこで企業で働きます。特に IT 企業で働きます。そういう連中を勧誘して、「月 700
ドル払うからどうだ」とか「月 1,000 ドル払うからミャンマーでやらないか」という動き
がすでに始まっています。ミャンマーで IT エンジニア、特に中級以上の人をつかまえるの
は大変難しい状況になっています。
資料同じページの下の表は、あるミャンマーの調査企業が毎年あっている給与調査の結
果です。非常に平たい数字が並んでいますが、だいたいの姿が分かるでしょう。上位と平
均給与でかなりの格差が出てきていることが分かると思います。あとでゆっくり見てくだ
さい。
さて、インフラの話しをします。工業団地は実は後で申します日本政府がナショナルプ
ロジェクトとしているティラワ以外に、現実問題既にたくさんあるのです。代表的なもの
を資料に載せました。9つの工業団地です。いわゆる工業団地といっても門はない、道路
は舗装されていない、電柱はない、側溝はない、上下水道はない、といった感じです。全
部、入る人が整備しなければなりません。だから非常にコストがかかります。賃料は安い
のだけれども、附帯工事がかかるということでなかなか日本企業は入りません。ただ韓国
系企業、パイオニア精神豊かなそういったところは「構わない」といってやります。先程
言ったように、欧米の制裁を 食らって休眠したアパレル工場の残骸が結構あるので、そこ
にポンと入って綺麗にしてやっちゃうということもあります。ただし、自家発電装置は必
ず持っていくことになります。
また本格的な食品工場などというものは今では無理です。簡単なアッセンブリ工場だっ
たら簡単、OK です。あとは雑貨関係、これだったら十分です。さて、今、ちらっと言いま
したが、最近よく新聞に載っているティラワの工業団地です。2年くらい前から日本政府
がしゃかりきになって準ナショナルプロジェクトのような様相を呈しているティラワの工
業団地です。今月の初めに私も1年ぶりに行ってきましたが、なかなか大変です。資料の
下のほうが団地のサイトですがまだほとんど工事がされていない状況です。左下のほうに
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ボーリングがされている所は一か所だけありました。あとは元の田んぼに雑草が見渡す限
り生えています。上のほうはティラワのところにシンガポールが十数年前に既に造った小
規模なコンテナターミナルの港があります。トラックは結構順番待ちしていました。木材
とかそういったものがメインです。資料右上の写真はティラワのコンテナターミナルにつ
いた日本の中古車です。雨ざらしになって通関を待っているという状況でした。
前後しますが、ティラワの開発構想は 2400ha で山手線の中の3分の1の広さを 2015 年
までに最初は開発しようとしていたのですがそんなのは無理で、400ha を 2015 年までに開
発しようということになりました。400ha というと、ベトナム・ハノイのタンロン工業団
地、あれが 230ha なのであの2倍くらいです。あれを2年足らずで開発しようとしていま
す。2015 年に 400ha の中の一部に工場が操業することを目指しています。既に 2013 年7
月なので1年半でやってしまおうということになります。それで、今年8月末くらいには
着工したいという感じになっています。かなり遅れていますが、工業団地の開発と並行し
て、周辺インフラ整備を日本の ODA でやります。それは発電所がメインで、そのほかは上
下水道です。発電所も1年そこらではなかなか足りないのではないかということで、非常
に悩ましい日程になってきたというのが実情です。
もう1つ、この前安倍首相がミャンマーを訪問した際、テイン・セイン大統領から「テ
ィラワもいいが、ダウェイもやってくれ」と言われました。ダウェイというのはどこにあ
るのかというと、ミャンマーがちょっと南に延びたところのベンガル湾に臨んだ小都市で
す。タイのカンチャナブリというところから道をつけてバンコクから陸路 350km 西のダウ
ェイにいろいろな資材を運んで、そこで工場を建てて、インドやアフリカに輸出するとい
う構想です。タイにとっては非常にメリットのあるプロジェクトです。タイの企業とタイ
にある日系企業にとってはダウェイの開発は非常に良いです。なぜかというと、このマラ
ッカ海峡をぐるりと回ってインドに行く必要がなく、タイまで東西回廊を利用できるベト
ナムにとっても有利なのです。南北回廊が既にバンコクまで続いているので、そこからピ
ュッと山を越えたら港があります。ところがこのプロジェクトは2年半前の開発案が出た
時に既に総工費1兆円を超えています。今では2兆円ではきかないでしょう。3兆円くら
いいくのではないでしょうか。それをティラワと同時に開発するなどというのはとんでも
ない話で、いくら日本がジャブジャブ金を出しても到底追いつかないというところです。
経産省は当初「ダウェイ、ダウェイ」と言っていたのですが、途中から「ティラワ、ティ
ラワ」と言って、また最近「ダウェイ、ダウェイ」と言い出していますが、どっちつかず
のことになってしまったら大変です。資料の写真はダウェイの今年の1月のものです。こ
の小さな港がピコっとできている程度で、なかなか大変です。では、他の工業団地はどこ
に行っているかというと、ヤンゴンでは将来、賃金も上がるし、人手もないということで、
もっとヤンゴンが遠く離れたところに工業団地を造っています。それが、パテインとバゴ
ーというところです。バゴーはタイ国境のすぐ近くです。スッと行けばタイにすぐに輸出
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できます。タイの方にも縫製工場が既に集積しています西のほうにはパテインという人口
集積地がありここにも工業団地が造成されました。ここにはすでに中国系の企業が進出し
ているということです。今月号の「WEDGE」ではミャンマーの特集をしています。この中に
パテインの話しがかなり詳しく出ています。私はその情報は1年以上も前に取りましたが、
「WEDGE」は今年5月に取材し、検証しています。まあまあ面白いです。
インフラの話をしていると時間がありませんが、もう一つ、大規模インフラプロジェク
トの話をします。北のマンダレーです。10,000 ヘクタールと資料に書いてありますが、こ
れはミスで 10,000 エーカーです。8,000ha くらいです。8,000ha メガシティ構想が既にマ
ンダレーでスタートしました。今月の初めに開発会社の会長さんと3度目に会い、
「本当に
これはやっているのか」と聞いたら「やっている。嘘だと思うなら9月に来てくれ。港の
工事が始まる」とのことでした。川のところに港をつくります。なぜこのマンダレーが重
要かというと、こっち北東に行けば中国へ、北西に行けばインドへ、南東に行けばタイへ
と、昔から物流のメッカだったのです。歴史的に言えば、マンダレーエリアの周辺がビル
マ族の王朝が点々とした地域なのです。だから、ここが歴史的に言えばビルマの文化と経
済と物流の中心だったわけです。そこに再び大きなプロジェクトが出始めたということな
のです。それで、先程冒頭で言ったように中国が中東原油を引っ張るベンガル湾の港は既
にできています。パイプラインはほぼ9割くらい完成し、来年には昆明に天然ガスが輸出
されるという段階にあります。この輸送ルートの途中にマンダレーがあります。というこ
とで、非常に戦略的なところです。そういったビッグプロジェクト以外にもこういった建
設プロジェクトが目白押しです。
資料の写真はヤンゴンのダウンタウンの高層ビルのからヤンゴンを見たものです。70 年
以上経っている非常に古い建物がほとんどなのですが、ところどころ非常にきれいな7、
8階建てのビルが建ち始めています。おそらくこの辺も1年経ったらこういうビルになる
のでしょう。こういった中小規模のビルの建設ラッシュが進んでいます。そのトップデベ
ロッパーは NAING グループです。いろいろな開発構想を持っていて、この1年半で 20 棟以
上のコンドミニアムを造り、今後1年以内にさらに 20 棟のコンドミニアムを造ります。森
ビルの卵みたいなディベロッパーがミャンマーの地場企業で出てきました。と思いきや、
非常に夢のようなコンドミニアムのニュータウンをつくる財閥企業も出てきました。それ
が FMI グループです。非常にきれいなコンドミニアムです。お値段が3LDK160 平米くらい
で1年半前は 900 万円からありました。今、聞いて見たら 2500 万円でした。今年中に制定
されるであろう区分所有法が制定されれば、外国人も買うことができます。今は、ミャン
マー人名義で買う、これは可能です。こういった不動産ラッシュです。資料の下の家の写
真は、今まではこういったところに富裕層が住んでいました。一方では、低コストの公団
住宅を造ろうという動きも始まりました。
これだけとってみると、ミャンマーは本当に建設ブームです。現実にそうです。資料は
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アメリカのマッケンジーという調査機関が、6月の初めにネピドーでワールド・エコノミ
ック・フォーラムという、ダボス会議のミャンマー版をしたときに配った資料から抜粋し
たものです。ミャンマーではこれからヤンゴンの都市化が急拡大し、2030 年には 900 万~
1,000 万人の都市になるだろう、としています。今は 400 万人です。ですから何が必要か、
何がビジネスチャンスかと聞いたら圧倒的に住宅需要だというのです。ほかのインフラも
もちろん必要ですが、それくらい、いわゆる不動産ビジネスが今、始まったばかりですが、
今後も続くだろうと思われます。
先程写真で見せましたが、古い家ばかりなのです。崩れかかっているようなものもあり
ます。1年の間に3、4棟くらいバサッと崩れているのです。不動産は誰が買っているの
でしょう?外国人だけじゃなくて、ミャンマー人も買っています。銀行には札束を持って
きて預けるシーンもあるわけです。ミャンマートップ銀行の本店窓口の写真を載せてあり
ます。中側から写させてもらったのですが、札束がドカドカ入っています。これは取り付
け騒ぎじゃないのですよ。お客が持ってきた札束を整理しているのです。ミャンマーの人
はこの 20 年の間に廃貨という“お金が明日からゼロになる”というのを5回経験していま
すから昔から銀行を信用しませんでした。インフレもすごいし、お金をどうのこうのでな
くて、金とか翡翠、車に換物するかタンス預金だったのです。それが民間銀行がたくさん
でき、なおかつもう廃貨になることもないだろう、ということで数年前から銀行に預ける
ようになりました。それでこんなふうなシーンが出てくるようになりました。そういった
富裕層は車やコンドミニアムも買いますが、こういうきれいなスーパーへ行って、ショッ
ピングができるわけです。日本のスーパーよりもきれいな感じですよね。スーパーの営業
トークなども日本と全く同じです。野菜は安全なものでないとダメ、消費者は女性、消費
者は神様、なおかつ女性の心をつかまなければいけない。エコに注意して、しかも子ども
もミャンマーの人たちは子どもの教育が大好きで子どもを教育する、といった関連のもの
を全面に押し出して、売っています。
資料の写真は2番手のスーパーです。冷凍食品のショーケースは、昔は、オーストラリ
アの冷凍牛肉のカチカチのものとか、アイスクリーム、せいぜいミックスベジタブルが並
んでいました。今、スーパーに行くと、普通の冷凍加工食品が並んでいます。なぜかとい
うと、特にヤンゴンは核家族化がどんどん進んでいます。特に 30 歳代以下の共稼ぎ用です。
だから奥さんが料理をする暇がないので、結構こういったもので済ませてしまうケースが
多いわけです。また、私が関心を持っているのは海苔です。韓国製の海苔が置いてありま
す。東南アジアはおしなべて健康食品ブームで、海苔がえらいブームなのです。ミャンマ
ーも同様に味のついた海苔をぱりぱり食べるとか、ご飯にかけるといったことが結構ヒッ
トしています。
日本製品をアジアに輸出しようというのをジェトロも数年前からプロモーションしてい
ます。ヤンゴンでもいろいろやっています。日本製品と他のアジアの製品で太刀打ちでき
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るのかという例として、あるスーパーで販売されているボールペンを例示します。日本製
のボールペンは値段1本 110 円です。中国製品5本で 58 円です。これはもう勝負にならな
いわけです。これは多分パイロットだと思いますが、これでは話にならないです。
また、化粧品はスーパーの中に化粧品コーナーが必ずあるのです。どこのスーパーでも
そうです。値段は調べていませんが結構安いです。ダイソーも既に1年以上前からオープ
ンしています。開店当初は超人気でした。100 円でなくて 180 円で売っていたらしいです
が、どうも最近は客も離れているようです。広島本社の出店ではなくタイ・ダイソーの出
店なのです。物は中国大陸からデポされたものを売っているわけです。こういったマーケ
ットがどんどん出てきています。
【6.人材育成が急務】
時間がなくなったので、人材の話をエッセンスだけ言います。先程、IT のソフトエンジ
ニアは払底しています、と言いましたが、それはなぜか。教育システムがミャンマーでは
20 年間にわたってフリーズしている、一言でいうとそうだからです。現状では世界に通用
するような教育内容ではない。大学は 10 年以上も閉鎖されていました。大学に行かない人
はどこへ行ったか?普通の家庭の子女は通信大学に行きます。1年で7日か8日、スクー
リングに行けば大学の卒業の免状がもらえる。富裕層はどんどんミャンマーの教育機関に
見切りをつけてシンガポールに留学し卒業しても戻ってこない。末端のワーカーや中堅技
術者はどうかというと、公的な職業訓練機関に頼るしかありませんでした。でもここ数年
はミャンマー人自身もそれに気づいて職業訓練専門学校を自ら立ち上げています。国内で
は富裕層以下の学びたいという人を集めて自らやりだしているというのが今のミャンマー
の現状です。それを長々と説明する時間はないので写真で説明します。
例えばミャンマー人のワーカーはタイに少なく見積もって 200 万人行っています。これ
がなかなか帰って来ません。なぜか。タイの最低賃金はここ数年どんどん上がっていて、
ミャンマー人の非合法労働者も数年前からタイとミャンマーの政府間協定によって正規労
働者に認定され、なおかつ最低賃金をもらえるようになった。それじゃあ、ミャンマーに
帰ったって働くところがないのだから、帰る必要はない。それでワーカーも定着してしま
う。これが単純ワーカーの世界です。タイだけではなくマレーシアだってそうです。向こ
うの方が生活が良いわけだから、そういった人たちに戻ってほしいといってもなかなか戻
れません。働くところがない、それじゃあ、ミャンマーの企業がどんどん働く職場を造れ
ばよいのですが、それが今、まだ途上なのです。将来外国企業が製造業の工場をどんどん
建てた時に、その働き手を誰がつくるのか。ようやくミャンマーの政府もそれに気付き始
めました。それで政府機関がやっているわけです。その一つがマンダレーの職業訓練です。
これも昨年、2度ほど視察しましたが、建屋は中国が援助して立派なのですが、中身はお
粗末です。4、5年前から中国も援助を打ち切り、これからはミャンマーが自活しようと
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しているのだけれど、
「援助が必要だ」とまだ言っています。労働省の職業訓練学校なんて
この資料写真の一部では分かりませんが、非常に低次元の職業訓練しかやっていません。
ところが、こういった公的職業訓練機関に頼らず、専門学校を造る動きがここ4、5年で
急速に高まっています。その1つが、ホテル社員の専門学校であり、中級エンジニアを養
成するようなものであり、ファッションデザインづくりをやる学校だったりします。これ
は、ご紹介した3つだけでなく非常にたくさんあります。そういった職業訓練学校にほと
んどミャンマー政府の援助はおろか、外国の援助もほとんどゼロに等しい、要するに自活
しているわけです。こういった動きはどんどんこれからサポートしてあげないといけない
と思います。
日本も JAICA を通じて人材開発センターをようやく来月、先程言った UMFCCI ビルの上の
ほうに開設する予定になっています。しかし、カリキュラムといったものはこれから始め
るようです。日本のこういった無償援助 ODA の世界ももちろん必要なのですが、ミャンマ
ー人自身が自らやっているような学校に対して、もう少し民間のお金が流れるようになっ
たら、もっと早く人材の育成ができるのではないかと思っています。
非常に雑駁な話になってしまって申し訳ありませんが、これで終わります。ありがとう
ございました。
(平成 25 年 7 月 4 日開催)
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