運動会を終えて 第6学年『組体操』のこと

平成26年度
草津市立老上小学校通信
№99
(10月1日号)
~『いのち・人権・生き方』の大切さを学び合う学校 ~
運動会を終えて
第6学年『組体操』のこと
9月27日の運動会について、無事終了しましたことを報告します。当日、華を添えていただ
いたご来賓のみなさま、取り組みのはじめから子どもたちを支え励ましてくださった各ご家庭、
地域のみなさま、また、初の試みとして当日の会場の安全確保のために大きな力をいただきまし
た『運動会安全パトロールボランティア』のみなさまに心からお礼申し上げます。
下の拙文は、運動会前に書いたものです。学校が望んでいたことが、運動会本番のなかでたく
さん実を結んだこと実感しましたので、今回の通信といたしました。
運動会を通して、多くの子どもがなにかしらの達成感や成就感、それに喜びを得てくれたと思
います。そして、そのような子どもには自分が得たものを今後に生かしてほしいと願います。
運動会の練習も中盤から終盤に差しかか
らい、組体操をすることの是非を一旦は検討
ろうという日の午後、6年生の組体操の練習
したのです。最終的には、本校体育部や6年
をいつもより長い時間で見ることがありま
生担任の「やらせてやりたい!」という思い
した。
を聞いたうえで、「子どもに過度な無理を強
6年担任にしてみれば、この段階での大切
いるものでないか」「練習から本番にいたる
な練習になるという意識で臨んでいたよう
まで、大きな事故を防ぐ対策がとれるか」と
です。
いうことを基準に判断したのでした。
ところが、子どもたちの気持ちは教師のレ
ですから、本年度は組体操を行うことを自
ベルにまで届いていません。やる気がないわ
分に“よし”としましたが、いつか判断が変
けでも、なにかに反発しているわけでもなさ
わることはありえるのです。
そうですが、集中力に欠け、練習以前のこと
※
で何度も同じ注意を受けています。
※
※
私が教職2年目で初めて高学年組体操の
もしかすると、子どもたちは、「これまで
全体指揮を任されたとき。そのときも、教師
だって組体操はちゃんと行われてきたんだ
の意識と子どもの思いがはじめから同じレ
し、いずれなんとかなるだろう」などとたか
ベルにあったわけではありませんでした。
をくくっているのかもしれません。
「いや、実はそうではないんだよ」私は一
人で思っていました。
教師は練習中に何度も檄を飛ばし、強い叱
責を繰り返さなければなりませんでした。子
どもたちが教師と同じように、すべてを成功
運動会で組体操をすることはどこかに決
させたい!という意欲をきちんと持てるよ
まっているものではありません。近隣にはあ
うになったのは、ようやく最終リハーサルを
りませんが、全国的には、子どもの体力面の
迎えたころでした。
理由などから別のプログラムに替えている
学校も出てきています。
私も、1学期の早い段階に資料を集めても
さて、当日はどんよりとした厚い雲が空を
覆い…という間に、午前中から雨がぱらつい
てきました。大会本部は運動会を短縮し、他
のプログラムをカットして、せめて組体操だ
けは披露させることを決めました。
それにしても、演技が始まるころには既に
雨は本降りになり、運動場はあちこちが水た
まりに光るようになっていました。
その年の組体操は二部構成で、一部は当時
流行っていたフラッシュダンスの曲に合わ
せて踊るというもの。つまり、膝から上を地
それにしても、あのとき、雨のなか、泥だ
らけで演技を続けた子どもたちは、教師が期
待した以上の強い力を見せました。
練習を開始したころ、いい加減で、他人任
せで、目的意識の低かった子どもが、ついに
教師の思惑を越えて、持っている力すべてを
出し切ろうとしたのです。
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面につける必要はありません。しかし、二部
あのときは、思いもかけない雨の演出があ
に入ると運動場に座したり伏したりして最
りましたが、それがなくても、子どもは同じ
後にはピラミッドやタワーを完成させると
ような成長の姿を見せるものです。
ころにまで持っていくという内容でした。
老上小学校の子どもたちも、もちろん6年
一部が終わり、短いインターバルの後、い
生も、残された練習を通して、あるいは本番
よいよ二部に入るというところで…音楽が
のなかで、気持ちの高まりを自覚し、自分の
止まりました。
未知の力を発見し、発揮するかもしれないの
本部はこれ以上の続行を不可と考えたよ
うです。
です。きっとそうなってくれると思います。
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すると、演技する子どものなかから「やり
考えてみれば、『組体操』は、現代では得
たい!」の声が上がり、それはたちまち大合
にくくなった子どもにとっての大切な『通過
唱になりました。観客席からも、子どもたち
儀礼』の一つなのかもしれません。
を支持する歓声が聞こえます。
私は指揮台のうえで、本部テントの方を気
にしながら次の事態を待っていました。
『組体操』という経験をくぐって、真剣さ
に向かっていくこと、全力を尽くすこと、壁
を越えていくこと、仲間で力を合わせること
当時の校長は、分別をわきまえる思慮深い
…を全身で学んでいくのかもしれません。そ
方で、日頃、勢いだけで物事を決めるような
して、そのような学びがその後の成長にかか
ことはなさいませんでした。
わるとても大切なものであることは間違い
しかし、周囲の声に押されられたのか、つ
ありません。(もちろん、なかには、やむな
いに「GO!」のサインを出され、再び音楽
い事情で運動場に立てない子どももあるで
が流れ出したのでした。
しょう。そのことに非はありませんし、直接
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今、同じ場面に立たされたとしたら、私は
どのような判断をするでしょう。
校長として、慎重さを尊び、途中で演技を
ストップさせ、そのまま終了ということにす
るでしょうか。
あると考えています…。)
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学校はテーマパークではなく、演技や競技
はショーとして提供するものでありません。
なによりも、子どもが育つ大切な教育活動
それとも、それとは別の意味を自らその場
で見出し、演技続行を告げるでしょうか。
難しい判断になるかもしれません。
※
運動場に立たない参加の仕方というものも
※
※
としての運動会はもう間もなくです。
(運動会まで 1 週間あまりとなった 9 月中旬に
書いたものです。
校長
清 水 康 行)