2012 ロンドン五輪観戦記

2012 ロンドン五輪観戦記
ゆりのきFC 監督 櫻田 新児
8月8日、ロンドンの空は青かった。
前回、この地に足をつけたのは30数年前の 2 月だった。
空はどんよりとしていて、コートなしでは歩けなかった。
ちょうどイギリス全土に英国病とか言われていたころのロンドン
であった。町並みは暗く、「アンダーグラウンド」と呼ばれる地下
鉄は、とても臭く澱んだ空気が流れていた。
人々も生気のない表情をしていたような気がする。
30数年たった今回は違っていた。
ヒースロー空港から市内に行くタクシーの中から見た風景は、明
らかに生き生きとしていた町並みだった。
ホテルは、日本の田園調布のような高級住宅地にあるケンジン
トンハイストリートの「ケンジントン・クローズ ホテル」に泊まった。
その日は、旅行社の日程説明を受け、家族で夕食に出かけた。
久しぶりにフィッシュアンドチップスを英国風パブでビールと一緒
に食べた。
カリカリ風に揚げてあり、以前のイメージより旨かった。
ホテルへの帰り道、どこかで見かけた人がジャージを着て数名で歩いていた。
なんと、アニマル浜口さんであった。「気合だ!」というほど元気はなかった。
その日は、吉田選手・伊調選手が金メダルを取った日だった。
翌日わかったことであるが、浜口さん浅草応援団とは一緒のホテルだった。
8月9日、なでしこ決勝戦の日である。
朝、近くのケンジントンガーデンを散歩した。広い公園には野生動物があちらこちらに顔を出していた。り
す、かも、白鳥・・・。
ロイヤルアルバートホールの反対側の公園内にあるヴィクトリア女王の夫アルバート公の像はピカピカで立
派であった。この公園の西側には、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の新婚時代の住まいであったケンジン
トン宮殿がある。この公園内の道には、ダイアナ妃が散歩した道という印がいくつもあった。
午前中は、ウェストミンスター寺院の内部を視察し、ニュートンやダーウィンなどの偉人たちの墓に祈りをさ
さげた。大英博物館に大変久しぶりに行きと、女子マラソン選手の尾崎さんがいた。気軽に写真を一緒
に撮ってくれた。
午後は、三十数年前に行った「トットナム・ホット・スパーズ」の本拠地ホワイトハイトトレーンに行き、スパー
ズのユニフォームに名前を入れた。
あいかわらず、下町そのものであった。
帰りの電車でアクシデント。初めて味わいました、進
行方向と逆に走ってしまっているイギリス JR。事故
での緊急対応でした。
聖地ウェンブーに着いたのは、開始1時間半前。セ
キュリティーは厳しく、バックの隅々まで検査された。
試合は皆さんご存知の通り。非常に残念な結果で
した。バックスタンド真ん中より少し左サイド側、1階
前列14番目のシート。大変見やすいところで大感
激でした。
最後のチャンス、岩渕選手のシュートはジャスト目の
前で入ったと思いました。
8月10日、侍ブルー三位決定戦。
男子決勝戦のチケットは、ツアーの中に入っていた。しかし、準決勝で負けてしまったので、何とか見たい
と三位決定戦のチケットを手に入れた。
買ってみて分かった。ロンドンより200キロ以上はなれたところでウェールズの首都カーディフで試合は行
われる。
イギリスの JR 特急みたいなのにゆられて2時間30分以上、田園風景を見ながら、元レッズの福田正博
と一緒の電車でとことこ行った。
カーディフの駅前から競技場まで行列。途中パブに立ち寄ると満員御礼。
ビールはうまいが、チップスアンドチョップスはいまいちでした。
試合はご存知の通り、韓国に大敗。何やってんだコールが、怒涛のように聞こえた。北京よりは成長が見
られるが・・・。それにしても、コーナーキックまで手が届きそうなくらい近いピッチ。これじゃなきゃ、サッカー
は迫力がない。臨場感ない。日産スタジアムはいけませんな。
ロンドンに着いたのは夜中、臨時便が出てよかった。腹が減ったが、マックしか開いてない。しょうがない
ので、15年ぶりに家族ではいる。何でもうまかった。
8月11日、女子バレー三位決定戦と男子サッカー決勝の日。
何と初めて、応援して日本が勝った試合。応援していた江畑選手は残念ながら試合には出場しませんで
したが、ストレート勝ちはすっきり1時間半。
すぐにアールズコートの体育館を出て、男子決勝のウェンブリーに再度行った。
女子より多い86,162人の入場者。流石、聖地ウェンブリースタジアム。
試合はご存知の通り、なめてかかったブラジルが巧者メキシコに惨敗。
ネイマールは寝ていた。フッキはちっとも復帰してなかった。
会場にいたメキシコサポーターは大興奮!!!
それにしても、ブラジルのサッカーはどうして組織的にやらないのかね。個々の突破しか考えてないようだ。
ブラジルサポーターは、ブーイングの嵐。
お口直しにアーセナルスタジアムに行き、アップがネーム入りユニフォームを買う。
夕飯は今世紀最大のチャイナタウンまずい飯大会。何だよ、横浜中華街最高です。ロンドンはどこ行って
もうまくねー。
8月12日、男子マラソンの日。
スタート前、バッキンガム宮殿に早々に着いたと思ったら、既に超満員の人だらけ。テムズ川沿いで応援
しようとしたが、道沿いに二重三重の人。
そこで、日本人応援軍団が見えたので、そこに立ち止まると上から白いものがどさっと降ってきた。前に
いた関西弁の女性が、「キャー、かなわんな」。鳥の糞である。前にいた女性の服についてしまった。そこ
には藤原選手の会社応援団がいた。
後日、日本に帰って分かったことだが、スポンサーの IT 社長らしき人も応援に駆けつけていた。応援して
いた若い人が、「社長社長」と前のほうに案内していた。そこは退散し、地元の人がごちゃごちゃしたとこ
ろで陣取った。
三周したが、藤原はずるずる落ちていった。走る社長は歩いていた。残念。
その後、ロンドン塔を見ながらぐるっとテムズ川の両サイドを見て回った。
最後の晩餐は、ロンドンのイタリアン。最後にして最高にうまかった。
ワインもグッド。
8月13日、ヒースローから成田へ。
短くもあり長いロンドンオリンピックの旅も最終日となった。
午前中、蝋人形で有名な「マダム・タッソー美術館」に行った。
ここも30数年前と比べ、大きく変わっていた。人形の内容も大幅
に変わっていたが、アトラクションもエンターテイメントに仕上がって
いた。
ボルトもベッカムもオバマも、30年前にはいなかった。西洋風お化
け屋敷には、ホリブルだった。
午後、ヒースロー空港まで195センチはある添乗員アルバイトの日
本人青年と話しながら行った。彼はロンドンにある日本人学校で
教鞭をとっているそうだ。添乗員は夏休みのアルバイトらしい。
空港の待合ロビーでは、びっくりの連続。たまたま搭乗する飛行機
が日本選手団と同じ JAL になったのだ。そのあとの ANA にもバレ
ーボールやレスリングの選手が乗っていた。
お蔭様で、国民栄誉賞の吉田沙保里選手とツーショットを撮らせていただきました。また、ディーン元気選
手、バレーの荒木選手とも撮りました。見かけたのは多くて書ききれません。話してさわやかだったのは、
男子陸上 200 メートル出場にした飯塚選手と高平選手でした。そして、思ったよりでかかった女子バレー
の真鍋監督。
しかし、成田空港に着くやら、選手との接触はご法
度。
8月14日、成田に着き、どっと疲れが出ましたが、車
が来るのを待っていたら、Q ちゃんを見たら元気になり、
愛車を横浜までぶっ飛ばして帰ってきました。家族は
車内でぐっすり出した。
以上、楽しいロンドンオリンピックでした。
次は4年後のリオですね。
その前に W 杯も行くぞ。日本サッカー代表頑張ってく
ださい。