Bulletin 3月号PDFファイル

Bulletin
平成 3 年 4 月 16 日第三種郵便物認可 平成 23 年 2 月 15 日発行(隔月 15 日発行)第 26 巻 第 6 号 通巻 234 号
The Japan Institute of Architects Kanto-Koshinetsu Chapter
2012
Vol. 234
3
特集:震災から1年
・JIA の災害支援活動について
COLONNADE
くらかわプランニング設計 庫川尚益
2
羽田設計事務所 水戸部裕行
3
辺見美津男設計室 辺見美津男
3
建築舎・アトリエR 六本木久志
4
建築事務所アク・アク 渋谷 尚
5
松本純一郎設計事務所 松本純一郎
6
河野進設計事務所 河野 進
8
泉 / ディック・オランゴ
10
Bulletin 編集部員
12
スタジオ・アルテック 室伏次郎
14
nSTUDIO 植木健一
15
土屋辰之助アトリエ 土屋辰之助
15
アトリエ24 飯沼竹一
16
諏訪 n 設計企画 吉川一久
17
・「3・11を乗り越える創造的復興に向けて」
・JIA 福島地域会
・この一年を振り返って
・JIA 宮城地域会では・・・自ら被災者になった
・復興支援活動と様々な連携
特集:資格制度のいま
・JIA 登録建築家資格制度のこれから
虹プロジェクト
一般社団法人 OSA ジャパン 坂田
渡辺太郎氏「Visible Sign と InVisible Sign」 「坂倉さん」との会話
FORUM
建築≒インテリア
伊勢と熊野
「仮設住宅」って知ってますか?
松本市の旧山崎歯科医院震災救出奮闘記
地盤の液状化で傾斜した家屋のアンダーピニング工法による復旧工事
第3回 JIA トーク 講師ねじめ正一氏
ゆま空間設計 加瀬澤文芳
18
陶器二三雄建築研究所 陶器二三雄
19
ランドスケープデザイン・技術と建築デザインの関係を探る
最近の地域会活動から
大塚雄二都市建築設計事務所 大塚雄二
20
設計工房アウス 大野 優/ 新開設計 新開富寿
21
河野有悟建築計画室 河野有悟
22
文京地域会の“つながり”ある活動
選挙公報
23
26
支部ダイジェスト
B A C K YA R D
映画紹介
こんな本を読みました
ヒガノ 立石博巳
26
STUDIO URBS 土居志朗
27
建材情報 27
編集後記● 震災から一年
27
社団法人日本建築家協会
〒
関東甲信越支部
150-0001 東京都渋谷区神宮前 2-3-18 JIA 館
Tel: 03-3408-8291 Fax: 03-3408-8294 http://www.jia-kanto.org/members
JIA の災害支援活動について
本部災害対策委員会 第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 震災から1年
「3・11を乗り越える創造的復興に向けて」
委員長
東北支部長
庫川 尚益
水戸部 裕行 東日本大震災からまもなく一年になります。被災後の大混乱の中
中でも福島地域会の会員は、置かれた現実を跳ね返そうと、施工会
で、関東甲信越支部の会員の皆さんには多くの支援をいただきまし
社に協力しながら木造仮設住宅の建設に幅広く係わり、大きな足跡
た。東北と同様に大きな被害を受けた地域であるにも拘らず、応急
を残しました。この経験は、近い将来予測されるこの国のどこかの
COLONNADE
2004 年 10 月 23 日 の 新 潟 中 越 地 震 後、2005 年 2 月 23
■復興支援活動
日の第 140 回理事会で本部災害対策委員会の設置が承認され
JIA は本部に災害復興支援本部を設置して、会員の活動を支える
危険度判定から建築相談に至るまで、被災直後の不自由な中で応援
震災時に、必ず役に立つに違いありません。宮城地域会は石巻市北
ました。翌月の 3 月 20 日に福岡県西方沖地震、2007 年 3
役割を担っています。建築家による復興支援には、緊急時にく
いただき、大変心強く感じました。全国単一会の有り難さが、心に
上地区での集団移転、国交省から受託した宮城県南部の災害公営住
月 25 日能登半島地震、2007 年 7 月 16 日新潟県中越沖地震、
らべてより専門的かつ中長期にわたる継続的な活動が求められ
沁みる日々でした。心から深く感謝を申し上げます。
宅の計画検討業務に取り組むなど、具体的な復興に向けた懸命な活
2008 年 6 月 14 日岩手宮城内陸地震など震度 6 弱を超える
ます。相談、調査、提案、計画づくり、被災住民の合意形成の
また、互いに厳しい財政事情にも拘らず、東北支部に対し多額の
動を続けています。また、岩手地域会は三陸沿岸部の被災地を隈無
大地震に対して、被災地支部と本部にそれぞれ災害対策本部
ための活動など様々なステージで、様々な支援の形態がありま
支援金をいただきました。現在、復興支援活動を継続する上で欠か
く回り、詳細な調査の報告を纏めています。
を設置して積極的に支援活動を行ってきました。支援活動は
す。復興支援活動の費用負担の形は概ね以下のようになると思
せない資金源となっています。重ねて、関東甲信越支部の会員の皆
これから本格的な復興への動きが始まり、建築家としての力を必
被災地支部を中心に、全国の会員が応援するという形で行っ
います。
様に、心より敬意と感謝を申し上げます。
要とする場面が今後飛躍的に増えると予測されます。被災地は長い
東北は地震・津波に加え、原発の事故で長期に亘り、極度の緊張
再生への一歩をようやく踏み出したばかりですが、東北支部はこれ
と恐怖状態に置かれました。この記憶は永く消えることは無いで
までの地道な活動を生かし、全国の会員の協力を得ながら、「創造
しょう。また、いまだに多くの住民が避難生活を余儀なくされてい
的な復興」に向けて頑張って参ります。今後ともご協力と応援をよ
る事実は、東北の人々の心に今も深い影を投げかけています。表向
ろしくお願い致します。
ています。本部としては災害関連の情報の収集と会員の皆様
1. 業務受託によるもの:公費負担。
の支援活動を支えるという役割があります。災害の発生から
2. 協会、団体、企業等の組織による支援:
復興まで専門家が支援できることは少なくありません。支援
活動を発災直後と復興期に分けて考えてみます。
組織が負担。
3. 草の根的支援:自費で負担。
4. 他企業・組織等が受託した業務への助力:
き平静さを取り戻しているように見え、一部には復興バブルなどと
組織が負担。
揶揄するような報道がなされていますが、2万人の犠牲者を生ん
5. 復興に関る通常業務:被災者が所要費用を負担する。
だ大震災と原発事故の深い傷跡は、短時日で癒えることはありま
〈(株)羽田設計事務所〉
せん。放射能の汚染による影響は、現地のみならず、東北全体の
■緊急支援活動
公費などから補助がある場合でも旅費・宿泊費程度の場合は
発災直後の緊急支援活動には応急危険度判定調査、住家被害調
不足分を自費で補う、また草の根支援でも協会・団体から少
査、被災度区分判定調査及び建築相談があります。JIA がこれ
しの援助があったりといった形態が多いようです。一般に何
まで組織として取組んできたものはこれらの緊急支援活動です。
らかの自費負担を免れず、資金力の乏しい設計事務所が復興
今回は国から「住生活月間における国土交通大臣・住宅局長表彰」
支援活動を行うには厳しい状況があります。地域の復興には
を受けましたが、今までも JIA の災害支援活動は被災者や被災
普段から地域で活動している建築家が関わるべきであると考
地行政庁から高い評価をいただいています。しかしながら、緊
えますが、実効的に復興計画に関わることの難しさを率直に
急支援活動の中から反省や課題も多々あります。例えば巨大災
感じます。そうした中、国などの復興事業に関わることで地
害では罹災証明発行のスピードが求められるので、
「誰でもでき
元の建築家が活躍できるとすれば、ひとつの選択肢としても
る化」して建築の専門知識がなくても被害判定ができるシステ
う少し積極的に取り組んでも良いように思います。今回は初
JIA 福島地域会は、福島県応急木造仮設住宅建設を支援して具体
画等に少しずつ改良が加えられて、進化を遂げていきました。振り
ムを構築してゆくということがあります。しかしこれには問題
の試みとして国土交通省発注の宮城県南部のプロポーザルに
的な活動を展開してきました。頼まれもしない「押しかけ女房」的
返りもせずにただひたすら無我夢中で建築家の職能を災害と向き合
もあります。判定結果はその後の支援金等の金額に大きな影響
チャレンジしましたが、今後の試金石となるもので大いにそ
な取り組みでした。それは「被災者のために少しでも良い居住環境
わせ突き進んできた数ヶ月でありました。被災者が人生を取り戻す
があるので、スピードだけでなく正確かつ公平でなければなら
の成果を期待しています。
を」「フクシマから仮設住宅の概念を変える」という理念が突き動
ために、木造仮設住宅が、大きな力には決してならないかもしれま
ず、そのためには建築専門家の関与は不可欠であると考えてい
被災地の基本的な復興計画案はひととおり出揃っているよう
かしたものです。
せんが、それでも福島県から仮設住宅が大きく変わるきっかけがつ
ます。私たちはこれからも会員向け研修会などを通して支援技
取り組みは、建設地の突然の変更や決定に、まったなしの対応が求
くられたのではないかと思います。
ですが、市民を交えた実際のまちの復興はこれからです。様々
められ、走りながらの作業の連続でした。本業そっちのけの取り組
現在、福島地域会は、県が主催する「ふくしまの家復興供給システ
術を研鑽した建築家を派遣して、真に被災者のために役立つ支
な方法で地域の建築家が復興活動に参画できるようバッアッ
みに会員から悲痛のメールが届く時もありました。そうした私たち
ムプロポーザル」に会員各自が取り組んでおります。
援を目指します。
プして行くのが災害復興支援本部及び災害対策委員会の役割
の真摯な取り組みは、徐々に県からも建設業者からも、信頼を得て、
震災からまもなく 1 年が過ぎようとしていますが、福島の復興は
連携を深めていくことができました。その連携のなかから、配置計
暗闇の只中であります。
であると考えます。
2
Bulletin 2012 年 3 月号
〈(有)くらかわプランニング設計〉
産業の衰退や住民の健康への不安等、今後長期に及ぶことが予測
されます。
このような厳しい環境の中で、支部の会員は懸命に戦っています。
宮城県名取市閖上地区震災後10 日後の光景
JIA 福島地域会
福島地域会 会長
辺見 美津男
〈(有)辺見美津男設計室〉
Bulletin 2012 年 3 月号
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COLONNADE
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 震災から1年
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 震災から1年
この一年を振り返って
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 震災から1年
JIA 宮城地域会では・・・
岩手地域会会長 六本木 久志
JIA 東北支部
宮城地域会会長
自ら被災者になった 渋谷 尚
昨年は三陸特産のカキ、ホタテ、ワカメを口にすることが
今まで中越地震、岩手・宮城内陸地震など支援する側と
した。初期の活動は松本氏の記事にありますが、現在、会
TV 報道を視聴していた直後のことでした。経験したことの
できませんでした。先日訪れた大船渡地方では仮設商店街が
して地震被害を目の当たりにしてきました。しかし、自ら
員は石巻市北上地区の集団移転まちづくり支援、石巻市中
ないほどの激しい揺れに、家財や本棚を支えているのが精
オープンし賑わい、ワカメやカキの養殖棚の数や新造船の数
が被害者になるとは思いもしませんでした。
心市街地復興まちづくり支援、石巻まちカフェ、名取市閖
いっぱいで、これほどの大災害を体験するとは想像もできま
が震災前の半分ほどまで復活するなど、自力再生の兆しが見
3 月 11 日 14 時 46 分、私は宮城県亘理町荒浜の自宅兼事
上まちカフェ運営、復興 NPO わたり・あらはま活動支援な
せんでした。都知事の「天罰」発言はともかく、いまだその
え始めていました。
務所の 2 階にて PC に向かって仕事をしていました。当地
ど、様々な住民の立場にたった復興支援活動を展開してい
他人事の様な言葉に翻弄されている思いが続いています。
三陸地方では近年、明治 29 年・昭和 8 年・昭和 35 年チ
は M7.4 クラスの宮城県沖地震が 30 年以内に 99%発生す
ます。
岩手県、三陸地方全域の壊滅的な災害を目の当たりにして、
リ地震津波と過去 3 度の大津波の被害を受け、そのつど高所
ると予想されていましたからこれがその地震だと思いまし
三陸調査委員会を立ち上げ、100 数十か所の漁港や浜、集落
移転を繰り返し傾斜地に張り付くような独自の集落景観を作
た。我家はそれにそれに備えてほとんどの家具は長いビス
の調査を終え、そのまとめも出来ないまま 2012 年を迎えて
り出してきました。広域の三陸海岸では数千人以上の市街地
で床や壁に直接留めつけていましたし、1 階の柱を鉄骨耐
しまいました。会員それぞれが直接かかわっていた沿岸地域
地域と、数十人から数百人規模の無数に点在する小さな漁村
震補強するなど地震の揺れそのものに対しては体が動けな
の施設やプロジェクトの災害調査、復旧、復興の実務に奔走
集落地域に分類できます。人的被害の差はあるものの、漁業
いほど激しかったものの、建物は壊れないなという感覚で
した 10 か月あまりの精一杯。いまだに続いています。
施設や生活基盤である海辺の主要道路などの被害は小集落に
いました。
国、行政の施策や全国の皆様の支援により被災地はずいぶ
とっては甚大でした。
ん元気を取り戻し、街も綺麗になってきましたが、これから
私たち三陸調査委員会では、このような小集落の生活・歴
揺れが収まってから、携帯電話による情報では 6 分で津波
の具体的な復興計画が見えないことも現実です。県や市町村
史・地域性に着目し調査し続けてきましたが、辺鄙で地理的
が来るとのこと、たまたま一家 5 人が揃っていましたから
など多くの復興案が飛び交い始め、また数多くのコンサルタ
不利益も重なり、復興にはまだまだ時間がかかりそうです。
老母を背負って歩いて 5 分ほどの小学校へすぐさま避難し
ントや大学研究室の調査や計画案などの努力も脈絡のないま
新年を迎え、三陸調査委員会の息の長い活動の継続を思い
ました。
ま、ひとり歩き始めているようにも感じられます。
描いています。今年は報告書のまとめ、および小集落の復興
小学校の 3 階の窓からまるで映画のように大津波が堤防を
国土交通省や県などの復興公営住宅群の建設計画など進め
計画案(住民の自力再生の資料となるような)策定を目標に
られていますが、住民の現実と地域特性の生活・産業・景観・
しています。
地域性・環境と総合的な検証と施策が課題だと思います。
COLONNADE
COLONNADE
たまたま自宅に戻り、石原東京都知事再出馬の記者会見
石巻まちカフェワークショップの様子、頻繁に利用されています
乗り越え、街と家を破壊していくのを驚愕の声とともに見
ていました。それから私は 3 泊 4 日避難所に暮らすことに
〈建築舎・アトリエR〉
なり、外部との連絡もほとんどできずにいました。
JIA 宮城災害対策本部も私自身はかかわりようがなく、松本
前支部長に全面的にお願いすることとなりました。
石巻市北上地区における集団移転まちづくりの支援活動
宮城地域会会員の震災復興支援への動きは迅速かつ多様で
今までの地震被害と違い今回は土地そのもの、生活基盤そ
のものが破壊されてしまいました。
山田町山田湾の大浦集落
釜石市唐丹(トウニ)湾の大石集落
建物は再建できるにしても土地の安全はどのような津波防
釜石市唐丹湾の花露辺(ケロベ)集落 -1
御施設を構築したとしても完璧ではないということが証明
されてしまったのです。そのような土地でどのようなまち
づくりができるのかなかなか進展は見られませんが、少し
ずつ住民の皆さんとともに活動していく中で見出していく
しかありません。JIA 宮城会員のまさに住民とともに歩む
建築家としての役割が復興支援活動の中でますます大きく
釜石市唐丹湾の花露辺(ケロベ)集落 -2
4
Bulletin 2012 年 3 月号
釜石市大槌湾の箱崎白浜集落
大船渡市吉浜湾の千歳(センザイ)集落
阿武隈川を乗り越えた瞬間の津波、現在は住宅がほとんどありません
なってきていると感じています
〈(株)建築事務所アク・アク〉
Bulletin 2012 年 3 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 震災から1年
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
復興支援活動と様々な連携
特 集 : 震災から1年
は(財)宮城県建築住宅センターが「石巻市震災復興基本計
東北支部復興支援委員長
画策定業務」を受託し、これまでの繋がりから一部を宮城地
松本純一郎
域会が担うことになりました。今日、若手会員が精力的に関
わっている石巻市北上地区集団移転計画に携わるきっかけと
■甚大、広範囲で複合的な災害
■ JIA の初期支援活動
なりました。
3.11 東日本大震災においては、全国の JIA 会員の皆様から励
ご存じのように JIA では6弱以上の地震災害に対して、本部
その後、各被災地に活動や連携の拠点を作ろうということに
ましのお言葉をいただき、また本部・各支部・各地域会から
に災害対策本部が、被災支部に現地災害対策本部が自動的に
なり、6 月 19 日に「石巻まちカフェ」、8 月 7 日には「閖上
多大の活動支援金を賜り、心より感謝致します。特に関東甲
設置されることになっています。東北支部では3月 11 日に現
まちカフェ」をオープンし、亘理町では会員が中心となり「復
信越支部会員の皆様には、自ら被災されているにもかかわら
地災害対策本部を設置し、災害対策支援活動及び復興支援活
興非営利法人わたり・あらはま」を設立しました。また 9 月
ず、この東北の地にも足を運んで応急危険度判定、住家罹災
動にあたってきました。初期支援活動における各県の対応は
には仙台市から住家被災度調査の第2次、第3次判定への協
度調査、被災建築相談等、初期支援活動にご尽力頂いたこと
マチマチでしたが、宮城県では JIA 東北支部に対して直接支
に対し、改めて御礼申し上げます。
援要請があり、3 月 15 日仙台市での応急危険度判定を皮切り
COLONNADE
えて、原発事故という文明的災害が加わり、一層複雑な災
禍となってしまいました。東北3県に限って言えば、人的
被害としては死者 15,778 名、行方不明者 3,446 名、避難者
71,803 名(2012.1.10 現在)となっており、住宅・建物被
害としては全壊・半壊数が3県で 318,347 件という膨大な
数に及んでいます。そして死者・行方不明者のうち約9割の
に、宮城県内各市町村の応急危険度判定・被災住宅相談、そ
して名取市の住家被災度調査等に5月一杯携わりました。こ
れらの初期支援活動には、関東甲信越支部の各地域会会員が
積極的に参加してくださいました。初期支援活動としては異
例の3ヶ月間も要し、5月末をもってこれらの活動はほぼ終
了しましたが、会員の献身的な活動が実を結び、JIA としては
初めて国土交通省から表彰を受けることができました。
4 月 27 日、岩手地域会では三陸調査委員会を設立し、報道
機関には取り上げられていない岩手県内の数多くの被災集落
等に焦点を当て、建築家の目で調査・記録する目的で、100
カ所近い集落を調査・記録し、今後の復興に活かす予定です。
また 8 月には陸前高田市の「学生復興会議」に会員達が参加
協力をしました。JIA 会員が市長を務める北上市に「きたか
み震災復興ステーション」が学会主導で起ちあがり、今後、
多くの団体等と連携協力し復興支援にあたります。
17,000 名余りの方々は津波による被災者であり、避難者の
力要請があり、現在も宮城地域会会員を中心に困難な作業に
携わっています。さらには、11 月に国土交通省の企画競争「災
害公営住宅の調査及び基本計画策定業務(宮城県南部)」に
東北支部を含む3社で応募し採用となり、現在プロジェクト
チームを結成し日々精力的に取り組んでいます。
全国の JIA 会員の方々が被災地のことを想い、それぞれの立
場から何らかの行動を起こされました。東北支部においても、
会員それぞれが各々の立場で各々の役割を担い、協力し合い
ながら今日まで支援活動を行ってきました。今回の災害支援
におけるこれまでの JIA の様々な成果は、こういった連携、
多くが福島第一原発事故により避難している人々です。あの
協力の賜です。同時に、これまでみてきた様に、他の組織や
信じられない大災害が起こった日から、すでに 10 ヶ月が経
人々との様々な連携が、今回の我々の災害支援活動の場を広
過しましたが、被災地では瓦礫の撤去が終わりつつあるだけ
げてきたといえます。今後の復興支援活動においても、行政、
で、復興についてはその方向性も見いだせずにいます。災禍
住民、他分野の専門家、大学、各種団体、企業、海外の協力
は今だ続いています。
者等と積極的に連携しながら建築家としての役割を果たして
我々人類が作り出した科学文明の敗北を認識し、徹底的な検
行くことが重要だと考えています。
証を行うことによって、自然と人間の関係を再構築するとい
う基本理念を踏まえた復興を望んでいます。
■福島地域会の木造応急仮設住宅の提案
福島県で 4 月 11 日に公募された応急仮設住宅約 4,000 戸分
のうち約 1,700 戸について福島地域会が地元建設業協会と協
力し、木造仮設住宅を提案し、その配置計画、基本プラン、
工事監理に携わりました。会員達の献身的な努力により、新
しい応急仮設住宅のあり方を示すという大きな成果を残しま
した。福島地域会では地域の新しい復興住宅の提案作業に専
念しています。
6
Bulletin 2012 年 3 月号
■連携から広がる復興支援活動
東北支部では初期の災害初期支援に引き続き、復興支援を積
極的に展開するために、4 月 1 日「復興支援委員会」を立ち
上げました。若い会員からの強い要望で JIA 宮城復興支援委
員会と共催で「復興のためのまちづくり勉強会」を近畿支部
や新潟地域会の会員の協力を得て、4 月から 8 月まで 10 回
に亘って開催しています。そのようななかで、4 月 28 日に
各会議やシンポジウム
〈(株)松本純一郎設計事務所〉
Bulletin 2012 年 3 月号
7
COLONNADE
今回の災害は、広範囲に亘る地震・津波という自然災害に加
■岩手地域会の三陸調査活動
JIA 登録建築家資格制度のこれから
建築家資格制度
委員長
河野 進 COLONNADE
■はじめに
■市民 ・ 行政から信頼され、必要とされる専門家として
昨年は JIA にとっても大きな試練の年であった。3月 11 日の
災害に強い建築やまちづくりを考えるとき、建築や土木の構造
東北大震災により、東北地方を中心に関東地域にも及ぶ、地震
技術者は市民にとって心強い味方である。一方土木や都市計画の
・ 津波・原発事故による未曾有の複合的大災害を被り、その終息
専門家や、建築構造・設備の専門技術者の協力を得ながら、市民・
と復興の道筋すら未だ見えない 9 月 26 日~ 28 日に、UIA 大会
行政とも協働し、計画をまとめる専門職能としての建築家の仕事
を開催することになった。テーマも、災害に向きあい未来に向
が、これまでに市民の理解と信頼を得てきたとは言えないだろう。
けてそれを乗り越える方策を話し合う内容に重点が置かれ、海
被害調査から始まって、仮設住宅建設や復興まちづくり計画のた
外からの多くの参加者も得て、これからの時代に建築家はどん
めに、地域の JIA 会員を始め地元の建築士会や事務所協会の有志
な役割を果たせるのかを考える貴重な機会になった。この間 JIA
が協力しながら、復興に尽力している事は一部で報じられている。
が運動として継続してきた「登録建築家資格制度」に付いても、
しかしながら災害復興と地域の再生のために、地域の風土や歴
東北大震災と UIA 大会の経験を踏まえ、再度運動の方向を確認
史を熟知し、地域住民とも充分に信頼関係を築けるコミュニティ
する必要があるだろう。
アーキテクトの役割が今こそ発揮されるべき時にも関わらず、建
■東北大震災で明らかになったこと
築家の参加を期待する声は、残念ながら一部を除いて殆んど聞こ
マグニチュード9を超える激震と、それによって引き起こされ
えてこない。
た巨大津波と原子力発電所事故によって被災地に齎された生命・
■ UIA 大会を契機に深まった建築関連団体との絆の強化と更な
る運動の構築
財産・生活基盤から歴史・文化に到るまでの壊滅的被害は、戦後
の近代化という名の下に建築 ・ 土木を中心にして築き上げられて
きたまちづくり・建築やインフラを支えた技術の限界と脆弱さを
露呈することになった。結果の全てを天災の所為にすることはで
きないし、我々専門家の責任も小さくないと思う。被災地を廻っ
てみて分かった事は、地震による建物の被害が思ったほどでは
なく、それに比して津波の威力のすさまじさである。コンクリー
ト造 4 階建て構造物が杭ごと流されたり、防潮堤や鉄道橋など
の土木構造物がひっくり返された例も少なくない。長さ 2 Km
にわたって 7 万本の松が植えられ、観光名所として街の誇りで
あった防潮林が、津波によってわずか 1 本の松を残すのみで壊
滅した例もある。其処から見えてくるのは、四方を海に囲まれ、
世界の中でも有数の地震多発地帯である日本列島にあって、地震
や津波に対するハード ・ ソフト両面の対策が極めて不十分であっ
たという事実である。「災害に強いまちづくり」に向けた、都市
計画・建築・土木・ランドスケープなどの専門分野ごとの対策
はあるものの、専門家同士が分野を越えて集まり、災害に強く、
一旦被害にあってもしたたかに再生・復興できるまちづくりを
実現する為に、市民・行政と共に知恵を集めて協力し合う場が
必要である。
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
で建築士法では未分化であった建築設計者と構造・設備の技術者
て公益性の担保と発注者保護の観点から、専業資格者の優位性を
から、新たに構造一級建築士、設備一級建築士資格が創設された
主張し、その法的裏づけとして職能法制定を要求してきた経緯も
が、建築全体を統括する一級建築士(建築家)はその他大勢の建
あり、建築士事務所法制定運動には殆んど関心を示してこなかっ
築士の中にそのまま残され、むしろ建築設計者資格制度を混乱さ
た。JIA 内部には未だに専業者のみに設計者資格を認めるべきで
せただけの改悪であった。昨年建築士会連合会とは、2002 年の
あると主張する会員もおり、建築士法改正運動やその為の建築士
合意を前進させるべく、協議を再開した。双方の合意が成立した
会との新しい資格制度創設の協議に疑問を呈する意見もある。現
段階で、当面社会制度として実績を作り、社会的認知が進んだ段
行建築士法では建築士資格登録者でも「・・ 報酬を得て ・・ 業とし
階で建築士法の改正を含む法制化を図る方向で協議を進めてい
ようとするときは ・・ 建築士事務所を定めて ・・ 登録を受けなけれ
る。士法改正が成った後も、JIA が創立以来守ってきた専業(事
ばならない」
(第 23 条で)としている。つまり建築士資格者に専業・
務所に属する)設計者集団としての会員要件は倫理規定・行動規
兼業の区別はなく、建築士事務所の業態に専業・兼業の区別があ
範と共に、発注者・市民の支持がある限り堅持すべきものと考え
り、専業事務所に勤める建築士と兼業事務所に勤める建築士の違
ている。
いがあるだけである。設計監理業務の施工業からの独立性を論ず
るのなら、建築士事務所のあり方を問題にするべきである。発注
者保護の観点から設計監理業務の適正化・透明化を図る為にも資
格法と業務法を分離し、「建築士事務所法」を新たに制定するべ
きである。開設者と管理建築士が分かれている事と、その業務と
責任が不明確であることや、ダンピング・談合などの事務所の業
務獲得に際しての不祥事の防止と罰則強化など、JIA 内部でも未
だ議論が不十分であり、事務所法制定に向けた課題は多い。昨年
度建築士事務所協会を中心に建築士会も含めた3会による「事務
所法勉強会」が始まり、準備会を含め6回を数えたところである。
UIA 大会では世界の建築家を日本に呼ぶための事務局として、
設計界に留まらず建築学会、建設業界、国土交通省も含む関連団
体を挙げて JOB を組織し、オールジャパンで取り組んだことによ
り、東北大震災などの様々な困難を乗り越えて大会を成功裏に終
えることが出来た。今後世界同時不況から世界恐慌の危険性さえ
危惧される状況のなかで、様々な課題を抱える建築関連業界では、
より透明性の高い市民から信頼される建築生産システムを構築す
る為にも、今回の UIA 大会で作られた各団体相互の信頼の絆をさ
特 集 : 資格制度のいま
東條隆郎氏作成
両会の話し合い合意が成立すれば、(仮称)統括建築士制度を共通の認定機関で認定
する社会制度としてスタートする。その後両会協力して社会的認知度を高める運動
を継続し、時期が到れば建築士法改正へと繋げる。
開設者と管理建築士の業務と責任の明確化や設計監理契約の義務
付けなど、大筋で JIA と見解を同じくする点も多く、建築設計監
理業務の透明化と適正化に向けて、3団体の協議を進めたい。こ
■建築基本法制定に向けて業務法(建築士事務所法)の制定を
の事は「次世代建築生産システムの構築」へ向けた活動の一貫と
現行の建築士法は、資格法の中に建築士事務所登録などの業務
しての「建築基本法」制定運動とも密接に関連したものであり、
法的な規定が付加されており、かねてから建築士事務所協会は、
今後各会が協同で取組むべき重要課題であると考えている。JIA
建築士法から業務法を分離して、独立の業務法(建築事務所法)
各支部・地域会でも地域建築士会、事務所協会との積極的な話し
を制定すべしとして積極的に運動を継続してきた。JIA は、かつ
合いを進めて欲しい。
〈(株)河野進設計事務所〉
らに大きく育てなければならないと思う。団体相互の利害と立場
の違いを超えた更なる協力関係の構築が必須であり、JIA は他団
体に呼びかけ、その活動を支えていくべき立場にあると思う。
■建築士会との新しい資格制度創設に向けた話し合いの継続
2002 年に建築家協会と建築士会連合会の間で取り交わされた
「二会会長合意」は、21 世紀に入ってますます加速する建築設計
分野の専門分化と国際化に対応する為に、現行建築士法の不十分
なところを改める制度モデルとして、両会がそれぞれ提案し試行
していた「専攻建築士制度」と「登録建築家資格制度」を、認定
基準と認定機関を一本化し、新たな資格制度を構築する方向で合
意したものである。二会の協議が継続中の 2005 年に起こった耐
震偽装事件(姉歯事件)により、建築士法が改正された。それま
芦原太郎氏作成 8
Bulletin 2012 年 3 月号
日本建築士事務所協会連合会作成
Bulletin 2012 年 3 月号
9
COLONNADE
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特 集 : 資格制度のいま
海外レポート
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
虹プロジェクト
―ケニアと日本に虹を架けよう―
海外レポート
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
■日本の卵をケニアでゆでる
「ソーラーシートプロジェクト」において私たちが原則として
JIA 国際委員
坂田 泉
ディック・オランゴ
いるのは、
「日本の卵をケニアでゆでる」というルールです。
ソーラーシート(富士電機のカタログから)
今までの途上国ビジネスでは、例えば、日本の卵を中国で安く
ゆで、ケニアで売るというのが通常でした。ソーラーシートも
■私たちの信條
■ケニアと日本を結ぶ技術の架け橋
この特性を活かせば、例えば、ケニア村落部の簡易な建造物や
中国で安く製品化し、ケニアで売るということも考えられます
人と人との「間」には、
無限の可能性があります。国と国の「間」
虹プロジェクトは、ケニアの持つ潜在的な力を実現するために
伝統的建造物にも太陽電池を取り付けられます。また、
ソーラー
が、私たちはそういう方法は採用しません。
も同じです。しかし、現実には、人と人、国と国との「間」に
日本の技術力を活かす、という理念の下、ケニアと日本の技術
シートは屋根材や外壁材と一体化が可能なので、従来の太陽電
虹プロジェクトでは、日本で生まれた半製品をケニアで製品化
は様々な障害があり、豊かな可能性に満ちた「交わり」を妨げ
協力のコーディネーションを進めています。
池とは異なり、建築デザインと調和のとれた設置が可能です。
することを目指します。具体的には、ソーラーシートに内蔵さ
要するに、ソーラーシートは、景観やデザインの美しさと太陽
れるフィルム状の太陽電池セルをケニアに輸入し、それを現地
光発電の両立を可能にする優れた素材なのです。
でラミネート加工しソーラーシートとして完成させます。そう
ています。
「てるてる坊主」をモデルに私たちの役割を説明します。てる
私たち―ケニア人建築家、ディック・オランゴと日本人建築家、
てる坊主は小さな頭と広い裾野を持っています。私たちも小さ
坂田 泉―は、ケニアと日本というふたつの国で生まれたふた
な集団ですが、ケニアに広いネットワークを持っています。そ
することによって、ケニアにも新たな技術と雇用、そして何よ
りの建築家によるユニットです。そして、その職能を通じて、
のネットワークを活かし、私たちは、ケニアにほとんどコネク
りも、自分たちで製品にしたという達成感を与え、日本とケニ
ケニアと日本の「間」をより豊かにし、様々な人々による、様々
ションも情報も持たない日本の企業に対し、可能なかぎり広い
アの双方にとって WIN-WIN 関係を構築できるからです。
な「交わり」を生み出そうと願い、プロジェクトを立ち上げま
範囲からプロジェクトにふさわしい現地のパートナーを探し、
した。それは、ケニアと日本の「間」に、彩り豊かな虹を架け
互いに結びつける。これが「てるてる坊主モデル」です。
ることに似ています。そこで、私たちは、このプロジェクトを
私たちが日本企業の協力相手として対象とする組織は、企業に
「虹プロジェクト」と名づけました。
留まらず、大学、NGO、政府関係機関、国際機関など広範に渡
私たちのプロジェクトは、
「慈善行為」でも「援助」でもあり
ることを特色としています。そこに形成される協力関係はケニ
ません。私たちの「間」には、
「助ける―助けられる」という
ア社会にとって幅広い利益を創出するものとなるため、現地側
構図はありません。そうではなくて、ふたつの国と国の「間」
にしっかりとサポートされ、その結果として、真に競争力と持
の豊かな「交わり」を通じて、
互いの「力」を見つけ、
互いの「力」
続性のある事業展開が可能になり、日本企業にとっても好まし
を合わせて、私たちの「間」に何かかけがえのないものを生み
い展望を約束するものであると信じます。
ソーラーシートによるグリーン・ビレッジ
出してゆくこと。それが虹プロジェクトの目指すところです。
■ソーラシートプロジェクト
FORUM
例として、
「ソーラーシートプロジェクト」を紹介します。
■プロジェクト始動
古来、多くの人的資源、天然資源を奪取されてきたアフリカに
2011 年 11 月、ソーラーシートプロジェクトの実現に向け、
■ OSA ジャパンの設立
おいて、太陽光だけは誰にも奪うことのできない、無尽蔵のエ
2011 年 1 月、私たちは、虹プロジェクトの日本における活
ネルギーです。ケニアではインフラの整っていない無電化地域
動拠点として、一般社団法人 OSA ジャパンを設立しました。
も多く、地産地消型の太陽光発電は、これからのエネルギー源
その一方、ソーラーシートは、その特性を活かした様々な日常
て JICA(国際協力機構)派遣専門家として建築教育に従事し
OSA は、
「Olango and Sakata Associates」の略称です。会長は
として高い妥当性とニーズがあります。虹プロジェクトでは、
用途のプロダクトへの応用も可能です。私たちが進めているの
たジョモ・ケニヤッタ農工大学、また、ナイロビ大学を訪問し
坂田 泉、顧問がディック・オランゴという形でスタートし、
この貴重な財産を有効に活かすために、日本の優れたソーラー
は、携帯電話の充電用シートです。すなわち、軽く、簡単に持
ました。また、ソーラーシートの製作を担う民間企業、また、
その後、2011 年 5 月には、ケニア人エコノミスト、エマニュ
技術を役立てることを目指しています。
ち運べ、落としても割れることのないシート状のバッテリー
普及の協力者として、関係省庁(エネルギー省、電力省)など
エル・ムティシヤ(国連大学研究員)をチーフエコノミストと
日本の多くのソーラー技術の中で、私たちが着目しているのが、
チャージャーです。
の要人とも会い、今後のパートナーシップの構築を図りました。
して迎え入れました。
ソーラーシートによるグリーン・シティ
私たちは、ケニア視察を実施しました。まず、ソーラーシート
の建築への応用を共に開発するパートナーとして、坂田がかつ
「薄膜系アモルファス太陽電池」
(以下、
「ソーラーシート」
)で
「ソーラーシートプロジェクト」は、上記のような日常用途の
成果は期待以上で、今後の展開が楽しみです。当面は、携帯電
虹プロジェクトは 2012 年、ケニアにおける活動拠点「OSA ケ
す。ソーラーシートは、従来のガラスタイプの太陽電池にはな
製品と、より大規模な建築への応用という、二つのスケールの
話の充電用シートから着手し、現在、サンプルモデルを製作中
ニア」を設立し、文字通り、ケニアと日本を結ぶプロジェクト
い、
「薄い・軽い・柔らかい」という特性を有しています。
異なる展開を通じて、ソーラーシートをケニアに普及させるこ
です。また次の機会に、その進捗をお知らせしたいと思います。
となります。
10
Bulletin 2012 年 3 月号
とを目指しています。
〈一般社団法人 OSA ジャパン〉
Bulletin 2012 年 3 月号
11
FORUM
日本とケニアが力を合わせるビジネスモデル
現在、虹プロジェクトが進めているケニアと日本の技術協力の
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
渡辺太郎―エモーショナル・スペース・デザイン
Visible Sign と InVisible Sign
聞き手:
Bulletin 編集委員
■渡辺さんが今のお仕事をされるようになった経緯を、
オラクルさんのオフィスでは、何
ご紹介いただいてよろしいですか。
階かわかるように階段室を色分
実家が看板屋をやっていて、サインは子供の時から身の回りにあるも
けした例です。24 階分の色分け
のでした。高専でプロダクトデザインを学びました。文字とか色とか
ですが、外資系の会社ですので、
に興味があって、製品のデザインでは飽き足らずに、多摩美のグラ
ワーカーに外人の方が多く、緑色
フィッククデザイン科に進みました。卒業後はすぐに空間的な仕事に
系だけでも豊穣にある日本の伝統
入ったのではなく、当時盛んだった CI を中心の仕事からスタートしま
色で、各階のイメージを構成しま
した。CI が下火になってきて、丹青社にいたこともあって、空間系の
した。その階には例えば " 常磐色”
仕事に入っていきました。普通はサインをされる方は空間系、プロダ
と古来よりの色の名前がつき、単
クト系、インテリア系が多いのですが、私はグラフィックからアプロー
なる青、赤、黄でいう色の表現を
チしています。転機になったのは坂倉事務所とサインの仕事をさせて
越えるものを目指しています。
頂いた経験から、建築が好きになって、今は、建築の中でグラフィッ
山梨県免許センターでは、床面の
クをすることが一番多い仕事です。家具のデザイン、名刺などのグラ
ゴムタイルがゼブラのデザインに
フィックの仕事もリクエストがあれば、させていただくこともありま
なっています、これは横断歩道なんです。免許センター手続きの動線は
す。色々な経験を経ていまのスタイルになったと思います。
ひと筆書きになっていますので、横断歩道のゼブラに沿って歩いていけ
空間のデザインをやるには、建築の事が分かってないといけないので、
ば、免許センターでの要件を順路よく済ませることができる。単調な手
よく勉強しています。このアトリエの本棚にはグラフィックの本より
続きの時間の楽しみにもなる。ここに横断歩道が隠されていることが、
建築の本が多いです。実は弟が建築家ですので、このアトリエや、隣
分かる人には分かる。このように緊急性がない場合、問題がない場合に
の住宅の設計の際、色々と建築家の思想や発想に影響を受けました。
は、人間の五感に訴えるような仕組みを考えています。駅とか空港では
当時の坂倉事務所は建築から家具からサインからアトリエ内で、何で
このような〝わかるかもしれない〟といった緩い情報の発信方法は、で
もやっていました。最近は建築の規模も大きくなったこともあり、分
きません。場所や施設の性質によりやり方を変えています。
タイヤ
ガラス
オラクル
業化が進んでいて、建築家の範疇が変わってきていますかね。
サインの仕事も、昔は施工者の下のメーカーさんのサービスとしての
役割だったので、設計者としての立場で仕事ができるようになったの
ないこともあってか、最終のクオリティをあげることがなかなか難し
で会社名を入れようとしました
いですね。
が、弟に拒否された結果、玄関の
■昨年の震災以降で変わったことや、これから建築界や建築家がこん
扉を赤くすることだけにしまし
な風になったら良いと思ってらっしゃることはありますか。
た。赤い扉がアトリエ、いうこと
3.11 以降は復興関係でデザイナーができることは参画しています。サ
で伝わればそれで良いと思って
インに限定すると、節電で暗い街を経験することで、今までは、輝度
います。
が強いものが多かったと気付いたことでしょうか。照度も明るすぎた。
■どんなことから発想されてま
真っ白な盤面で煌煌と光るサインではなくて、アッパーライトでやわ
すか。
らかく光るサインに変わっていければ良いと思います。
仕事柄、国内外の街をよく歩きま
街の灯りの適正度を理解された、最初はさびしく感じたものが、心地
す。いろいろな物から情報・イ
よく感じたりしました。海外は暗いですね。昨日までホテルにいまし
ンスピレーションを得ています。
たが、老眼で見えなくて困りましたけど、これが自然なことなのかも
たとえば道路脇にタイヤが並べ
しれません。夜になったら細かい文字を読まなくてもいいかな。
てあれば、駐車禁止と書いてあ
照度と情報の適正加減も同じことで、街のお腹いっぱいの情報も変わっ
るわけではなくて、車を止めて
てくるかもですね。たとえば、日本の家電はまだ分厚いマニュアルが
はいけないことを示唆している。
ありますが、マッキントッシュのマニュアルは最近薄くなった。 情
Invisible な情報ですね。塀の上に
報の整理の時代になってきたようにも思います。そんな意味でも、サ
はめ込まれたガラスがあること
インの多い建築は良い建築でないかもしれません。建築がちゃんとし
で、実際に機能するかというこ
ていれば、情報としてのサインは最小限でよいわけですから。
とより、侵入者に対してのビジュ
いつもお世話になっているので、建築家の方に要望なんて言い難いと
アル的に制止力がある。塀に侵
ころがありますが、冒頭にもありましたが、建築の世界の分業化が進
入禁止とは書いていない。こん
んで、我々の出番も増えてきた面もあると思います。しかし、分業化
なことで人の行動を規制したり、
が進めば進むほど建築家の強いコンセプトやリーダーシップが必要で
誘導したい。高度成長期後の日本
はないでしょうか。もちろんアトリエ系と組織系で違っていますけど。
のサインは直喩的、西洋的だったのかもと考えています。数字とか大
建築家とは、コルビジュエや坂倉から始まった頃は総合芸術の人だっ
きな文字を書いて伝える。ストレートな表現が多かった。暗喩的とは
たと思います。アーキテクトは束ねる人という意味もありますから。
本来の日本的なサインとも言えるかもしれません。成熟した社会では
昔に比べれば強い意志を持って一つのプロジェクトをぶれることなく
文字情報だけでない情報をいろんなものが “ウイット” とか “いき” とか、
完遂させる建築家が減ったようにも思います。昔、坂倉事務所で、建
色気とか日本的、暗喩的な情報を、色とか設えでサイン性をもたせた
築家の方に『建築の事が、何も分かってない』と厳しい言葉で良く叱
いと考えています。ユビキタスの社会が進んでいけば、街にあふれる
られましたが、今思うとすごく魅力的な時間だったと思います。
〈聞き手:田中宣彰 湯浅剛〉
のではと、例えば、これは僕がすきなピクトサインなのですが、男女
な状況です。
が人目でわかるし、使う人もニヤッとできる遊びもある。個人的には
アトリエを立ち上げて 14 年になりますが、ESD を指名してくださる建
ストレートな表現より、ひねった表現が好きなところはあります。
FORUM
築家の人が増えてき、随分やりやすくなって、やりたかったことが実
■最近のお仕事で、変わってきたことはありますか。
現できるようになりました。最近は「建築とサイン」といった講演会
最近は設計の当初より参加させて頂くことが増えました。早く設計に
をさせていただく機会も増えています。
入れば、ダイナミックに建築と一体となったものを作ることが出来ま
■エモーショナル・スペース・デザインの由来をおしえてください。
す。床の材料を決める、壁の材料を決める、色を決める、家具をデザ
多摩美で学んだ心理学の箱崎先生の授業の中で、エモショーナル・ス
ペースという言葉がでてきました。たとえば月にいくロケットに乗っ
グリーン
ているとどんな室内環境が相応しいか。空間の設えの中でいろいろな
インすることが多くなっていますね。建築にどんどん近付きたいと思っ
ています。
ホテルとかインテリアデザイナーの世界があって、そこは私のフィー
気持ち、感覚になれる。それがとても面白いと思っていました。そこ
ルドでないかもです。建築家がいてインテリアデザイナーがいない。
に合う家具やサインもオーダーメイドでつくらなければ、その空間が
そんな仕事が多い、隙間産業かもです。色々な建築に色々なかたちで、
成り立たない。今だと当たり前ですが、20 年前だとそんな意識が世の
はまりますよ。
中に少ないように思っていましたので、社名にしました。
広州、重慶、上海、サウジアラビアなど、国内外の設計事務所との仕
ただ、エモーショナルという単語には、英語の解釈で、短気、感情的
事が増えています。昨日、重慶から帰ってきたばかりです。中国では
だという意味があるらしく誤解も生むこともありますが、我々は気に
大きなプロジェクトが多いです。中国での建築で求められていること
入っています。
と同様に、どちらかというと、見栄がかり的にデザイン、スタイリン
■目にみえる(Visible )サイン と見えない(Invisible )サインとは
グの面白さはもとめられます。サインというもので円滑に動線を補助
文字やピクトグラムを付ける機能として、目に見える直喩的伝達表現
するとか機能的なものを求めているケースが多く、情報の表わし方も、
のサインだけではなく、見えない暗喩的伝達表現が大切だと最近考え
直接的なものが求められます。中国では日本的な感覚よりも欧米的な
ています。具体的な作品を通じてご説明します。
免許センター
Bulletin 2012 年 3 月号
このアトリエも、きれいなサイン
直意的なサインも必要なくなってくる。心が和むサインもあってよい
は、ほんとにごく最近ですね。それは照明デザイナーさんと同じよう
12
トイレ
覗いてみました「他人の流儀」
免許センター平面
感覚が強く、暗喩的なものは伝わりにくい。また、ゼネコンさんがい
渡辺太郎(わたなべ・たろう)氏プロフィール
エモーショナル・スペース・デザイン代表
(社)日本サインデザイン協会常任理事
1964 年生まれ。
1982 年育英工業高等専門学校工業デザイン科高等部卒業。
1991 年多摩美術大学デザイン科 グラフィックデザイン専攻卒業。
1991-1998 年 CI コンサルティング事務所およびサイン設計メー
カーにてデザイン活動後 1998 年エモーショナル・スペース・デザ
インを設立。
空間/施設等の BI 計画、VI 計画、などのプラニング、コンサルティ
ング、デザイン設計を手がける。
主な作品(受賞歴)
2002 東京国立近代美術館リニューアル SDA 賞最優秀賞
2004 佐賀市健康運動センター SDA 賞最優秀賞
2006 大分免許センター SDA 賞優秀賞 グッドデザイン賞
山梨交通安全センター SDA 賞奨励賞
2008 大宮公園サッカー場 SDA 賞優秀賞
2009 オラクル青山センターグリーンプロジェクト SDA 賞最優秀賞
2010 清水建設白山寮 グッドデザイン賞
2011 富士ゼロックス “KURA” プロジェクト SDA 賞奨励賞
他受賞歴多数
Bulletin 2012 年 3 月号
13
FORUM
覗いてみました他人の流儀
温故知新
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
抱負を語る
「坂倉さん」との会話
伊勢と熊野
建築≒インテリア
室伏 次郎
土屋 辰之助
植木 健一
1963 年大学卒業と同時に、坂倉準三建築研究所に入所し
人間のために、という大上段で一種面映い言葉なのだが、坂
■ 2002 年の事務所設立からあっという間に 10 年経ちます。こ
■縁あって、神宮(伊勢神宮)の内宮参集殿という建物の改修
‘70 年までの 7 年間を坂倉準三先生に師事した。坂倉先生は
倉先生は日常の言葉として常に我々に問いかけていた。一人
れまで手掛けてきたプロジェクトを振り返ってみて感じるのは、
を設計させて頂く機会に恵まれ、昨年秋に完成した。「唯一神明
1969 年に 69 歳という若さで惜しまれつつ亡くなられた。
の人間としての視点から其の空間が人々に幸せをもたらすも
インテリアに関わる機会がずいぶん増えたということ。
造」は神社建築の中でも最も簡素であり、簡潔であるが故にい
私はその最晩年に学ばせていただいたこととなる。
のかを問い、建築家としての洞察力をもって検証したか?「人
ストック活用への移行
そして今、先生の生涯年齢を超えてしまった自らの馬齢を想
間生活の為に」という姿勢をもとめる、真正のアマチュアリ
が進む今日では、新築
うとともに、当時の若い私に与えてくださった、先生の何気
ズムの顕現をもとめる言葉。
の建築の内部として、
ない日常の会話のなかでの物事の核心にふれる印象的な幾つ
そして私なりの多少の経験を経たあるとき、神奈川県立近代
かの言葉が感慨深く思い起される。それは独立以来 40 年を
美術館(鎌倉)の池に面するピロッティの天井に波紋が揺ら
超える私の建築生活の日常に、決定的な影響をもたらした忘
めく、あの有名な空間にたたずんで話しかけられた言葉。と
アを考える一方で、ビ
れがたい会話というべきものである。
いうよりもモノローグのように語られた言葉。
ジネスの状況に応じ短
当時の坂倉アトリエは、ディスカッションの場では仕事担当
「僕は今までに、日本的なものを表現したいと思って構想したこ
グループでの所員経験年数の序列に関係なく,坂倉先生にむ
とはないのですよ。日本で生まれ、育ち、日本語で考えている
けて対等で自由闊達な発言が当然とされているリベラルな雰
自分から表れたことは、むしろ避けがたく日本的であるのです。
囲気に満ちており、新米の私に取ってもすばらしい場所に来
たという強い実感があった。そんな対応をしてくださる先生
を所員同士では親しみを込めて「坂倉さん」と呼んでいた。
さて、其の忘れがたいディスカッション中の会話に曰く、
「それは何処かに事例が有りますか?ないでしょう!ないのはそ
れが良くないからですよ」。
FORUM
革命の人コルビジュエの愛弟子のアトリエに来たからには、
どこにもないことをクリエイティブに提案したいのです、と
いう新米で青臭い気負い込んだ私の意見を一撃する言葉。そ
れはどこにもないものかどうか、歴史を、先達の仕事を検証
し、学んだ上の深い洞察と判断であるのか?単なる着想に過
ぎない意見表明を戒め、創造の仕事ではあるが相手があると
いう建築特有の条件に対しては、「歴史から学び発見する事」
にこそ説得力がある、という原理、原則を知らしめる言葉。
曰く、
「それが良いか?という問題です。君の論理に適合しているかの
問題では有りません。そんなものは聴いてもしかたがない。そん
なことよりそれが人々の為になる事かどうかということです」
。
14
Bulletin 2012 年 3 月号
つ見ても古代的であり現代的にも感じる意匠の真髄とも言える
様式である。
建築とコンセプトを共
有し同じライフサイク
ルで存続するインテリ
いサイクルで改装を繰
神宮内宮参集殿
り返す商業インテリア
や、既存の建築や空間
その存在の近傍で仕事をできるという建築家としてはこの上な
に新しい価値を見つけ
い光栄であった。私には何の奇を衒うことも必要ではなく素直
大切な事は、約束されている美学の追求や洗練にあるのではな
存続させるリノベー
な気持ちで、唯一神明造を伊勢神宮を礼賛するつもりで設計し
く、その場所に最も相応しい空間の在り方は何かを発見する事
ションを考える機会が
た。そこには正統なもの「古典」の存在があった。かつて「日
です。それが人々に希望をもたらすものとなっているかを問う
増えるのは必然なのだ
本には遂に古典が定着しなかった」と述べた建築家がいたとい
けれど、インテリアデ
う。この言葉は特殊な意味での様式ではなく、広く一般に使わ
ザインの対象となる建
れる普遍的な意味での様式がないということだ。これは現代に
事です」。
あの、鎌倉八幡宮境内という歴史的風土のなかの最も日本的
築はすでにそこにあっ
至る日本の建築、都市の状況を見れば明らかである。建築の実
な風景の中に屹立するモダニズムの清冽な空間であり、その
て、構造体や窓の位置
務においても教育においてもそのようなものの存在を感じたこ
環境に限りなく調和し時代の表現として歴史的に評価される
が変えられないこと、
とはない。一般的にはデザインは飛躍するか、その場凌ぎのも
これまで建築設計で重
のでしかなくなり、その集積である都市は深みのない、いつま
視してきた外部環境と
でも定着しないものに自ずとなっていくだろう。
空間。そのなかで、設計者自身の語られた、日本的なること
を目指すことを第一義としなかった、とする創造の意志表明。
其の言葉の意味する重要さを心に刻みながら、逆光にきらめ
く水面をみつめつつそれを映す天井の揺らめく光のなかで,
VISION CENTER AKIHABARA 撮影:新 良太
ホテルのインテリアリノベーション . 一枚の白い
サーフェスをスケルトン架構の中に挿入しインテリ
アを再構成している
の関わりを作れないこ
大学時代から香
とが多いことなどから、当初は不自由で窮屈に思い、取り組み方
山壽夫先生のも
に少し戸惑いがあった。
とで建築を学
び、実際につく
私は何も答えられずに黙っていた。
「場所性に根ざした発見の空間、それこそが時間にたえて人々
に愛される空間となる」という普遍と、真のクリエイティブ
な態度とは何かを示唆する言葉。
しかし、見方を変えれば、建築だって日が差さない、眺望が得ら
る仕事の中で悪
れないなど制限が多く乱雑な既存都市環境にある敷地、言いかえ
戦苦闘してき
れば都市のインテリア的余白の中で、その場固有の質を捉え直し、
た。先生の下で
関わり方を空間として定義するものだ。だから、インテリアを考
私が若干 25 歳のときに思いがけず出会った幸せな出来事で
あり、生涯の建築生活を支える言葉となった。
〈スタジオ・アルテック〉
熊野本宮大社の
えるときにも既存建築架構をランドスケープと見立て、インテリ
世界遺産熊野本宮館
アをいったん切り離した入れ子的構成として考えることで、内部
ジターセンターをつくる機会もあった。
「お伊勢七度熊野へ三度」
空間相互のあいだに建築―環境のような空間的関係を獲得するこ
という言葉もあるが、双方へ何度足を運んだことだろうか。こ
とが可能ではないか。いま、そんなことを考えながら、建築とイ
のような経験を経る中で「日本」というものを省みることが必
ンテリアを等価に扱っていくことを試みている。
要であると改めて実感している。
〈nSTUDIO〉
門前に木造でビ
〈土屋辰之助アトリエ〉
Bulletin 2012 年 3 月号
15
FORUM
先達に学ぶ
温故知新
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
特別コラム
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
保存問題委員会
「仮設住宅」を知ってますか?
住宅部会
世界住宅会議 WG
松本市の旧山崎歯科医院
震災救出奮闘記
保存問題委員会
飯沼 竹一 吉川 一久
FORUM
■ この震災復旧には私も微力ながら携わりました。旭市へ応急危
1995 年阪神淡路大震災では延長措置が法的に可能になりました。
険度判定に行き、仙台市の被災者向け住宅相談にも行きました。住
都道府県はプレ協と「災害時における応急仮設住宅の建設に関する
■東日本大震災による被害があまりにも大きかったので全国的
震災を受け市民と専門家で結成された「赤レンガの旧山崎歯科
宅部会で震災被害の報告など行いつつ、「UIA 住宅会議」の WG メ
協定」を個別に締結。1997 年には標準面積を現行の9坪に改めま
には大きく報道されませんでしたが昨年 6 月 30 日に発生した
医院を残す会」は 20 を超える団体が加盟し大きな組織となりま
ンバーとして末席で係り、この「世界の家・街並み展」の中で「仮
した。
松本市南部を震源とする大地震により、松本市街地も大きな被
した。署名運動と募金集めに駆け回った結果 2011 年末の時点で
設住宅」も取り上げることになり、展示パネルをまとめました。そ
なお応急仮設住宅はその目的から迅速かつ大量供給が不可欠なの
の経験から執筆依頼を受けたもので、専門家の立場ではなく正確さ
で、プレ協による一括発注体制は一定的に評価ができます。しかし
害を受けました。改めてお見舞いを申し上げます。
約 12000 名の署名と 400 万円程の募金が集まっております。そ
に欠ける表現もあるかもしれませんがご容赦願います。
ながら画一的で無機質な仕様でもあり被災者にとってある意味冷た
松本市の市街地に建つ煉瓦造の旧山崎歯科医院の建物も大きな
の中には JIA 会員からの署名も含まれています。建物を復旧する
応急仮設住宅は災害救助法に基づき都道府県知事によって設置さ
く、また地域の実情に適していない部分も多々あり、阪神淡路大震
被害を受けました。この建物は明治 21 年に建てられたイギリス
のに 3000 万円程かかる為、継続して募金集めを行っているとの
れます。避難所などから応急対応が目的で復興住宅へ移り住むまで
災以降でも多くのクレームがありその改善が望まれています。
積みの煉瓦造建築で、今年で築 123 年を迎えました。山崎家の
ことです。
の仮住居が目的です。家賃は無償ですが、光熱費等は自己負担で、
今回の震災では用地や建設資材の確保に時間が掛かり、その供給
設置期間は原則2年です。仮設住宅に入居すると自立したと見なさ
の遅れが大きく指摘されました。防寒、積雪対応工事の遅れも被災
歴史と繁栄を刻むだけでなく、今では市民の誇る文化財であり、
残す会では、今後の署名に活用方法案も添えて、松本市に対して
れ、食料等の支援物資は提供されません。災害義援金から冷蔵庫や
者に過酷な避難生活を強いています。
松本の街並み形成の視点からも、なくてはならない貴重な社会資
行政支援を求めていく予定です。
TV などの家電6品が無償で提供されます。
2011 年 12 月末では、岩手、宮城、福島、栃木、茨城、千葉、長野
産となっています。
保存問題委員会では所有者と松本市長宛に保存、活用に関する要
その仕様は、1戸あたり 29.7 ㎡(9坪)を基準とし、建物本体費
で必要戸数は約 53,000 戸。そのうち完成戸数は約 52,100 戸あまり
明治維新後、東京・銀座では文明開化と都市防災の意識向上か
望書を提出いたしました。
用は 238.7 万円以内です。小家族用(2~3人)がこの9坪タイプ。
で、その入居率は約 92%です。
大家族用(4人以上)として 10 坪タイプ、単身者用に6坪タイプ
また「みなし仮設」という被災者が探したアパートやマンションを
ら煉瓦街が形成されましたが、旧山崎歯科医院はその近代化の流
市としては、今のところ建物が個人所有であること、多くのお金
があります。標準仕様は玄関、台所、居室、浴室、トイレ等があり、
県が借り上げる制度では岩手、宮城、福島3県で現在約 53,300 戸
れを地方都市でいち早く実践した先駆けであり、新しい文化を積
がかかることから、過去の事例や市民の動向を睨みながら慎重に
手すりなどの高齢者への配慮がなされます。特別仕様として寒冷地
となっています。この制度では月額6万円程度を基本とし、敷金な
極的に取り込む松本人の進取の気質を表す象徴でもあります。東
対応する意向です。
対策、積雪対策、強風対策などをがあります。介護が必要な高齢者、
どを入れても2年間で総額約 150 万円。これに対してプレハブ仮設
京・銀座の煉瓦街は既になくなりましたが、地方都市における個
今後の利用方法や所有者の建物に対する思い、それに市民の情熱
障害者の被災者が利用できる施設として福祉仮設住宅が設置できま
は建物本体だけで 230 万円あまりですから、プレ協の独占現状、被
人所有の赤煉瓦建築は大変希少な存在であり平成 8 年には長野
が行政を動かす鍵になりそうです。
す。また集会場を設置することが可能です。
災地域の経済支援等を考えれば、災害に備えてもっと事前に検討す
日本における最初の応急仮設住宅は、1923 年関東大震災による
べきことと考えます。
県における貴重な建築として、県内初の国の登録有形文化財に認
建物は現在応急対策として、煉瓦目地の開いた部分の接着、及び
同潤会仮住宅です。この時の供給概念は「自力で住宅を確保するこ
今回の震災では、多くの建築家やボランティア組織等が、独自の
定されました。
炭素繊維による外周補強を完了しています。
とが出来ない人」を対象としました。1945 年終戦後に旧厚生省に
アイディアとその被災地ごとの仮設住宅を提案し、実際に多くのタ
初期調査では「修復不能により取り壊しが妥当」との報道があ
市民に愛され、いつまでも記憶に残る松本の景観を守り、末永
よる越冬簡易住宅が各地で建設されました。この簡易住宅がスラム
イプが建設され高い評価を得ています。
りました。しかし地元建築士有志による再度の診断により「修復
く継承されて行くことを、心より願っております。
化し政府はその後の仮設住宅供給に消極的になりました。ちなみに
住まいを失った被災者が、少しでも将来に対して希望持って前向き
この簡易住宅が公営住宅の前身となりました。その後 1960 年半ば
に毎日を送れる家であるため、規格されたハードだけではなく、そ
よりプレハブに推移。1983 年三宅島噴火災害からプレハブ建築協
の地域、地区、その家族にとってソフト面でも臨機応変に対応でき
会(プレ協)に一括発注が始まりました。1991 年雲仙普賢岳噴火
るような仮の「家」であって欲しいと思います。そのためにも我々
災害から希望者全員への供給になり、同潤会仮住宅から 60 年あま
は災害時の避難や仮設住宅についても日頃から考えておく必要があ
り続いた供給概念が初めて転換しました。
ると感じています。
が可能」との結果に安堵しているところでもあります。
〈諏訪 n 設計企画〉
〈アトリエ24〉
震災後
応急補修後
プレ協による仮設住宅(宮城県名取市)
16
Bulletin 2012 年 3 月号
木造の戸建て仮設住宅(岩手県住田町)
震災前の旧山崎歯科医院
Bulletin 2012 年 3 月号
17
FORUM
住宅部会
委員会活動報告
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
委員会活動報告
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
委員会活動報告
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
建築相談委員会
JIA トーク実行委員会
地盤の液状化で傾斜した家屋の
アンダーピニング工法による復旧工事
第3回 JIA トーク 講師ねじめ正一氏
■昨年 3 月 11 日の東日本大震災で、千葉県は海浜埋め立て地区
JIA 千葉建築相談室
2011 年度
相談員
JIA トーク委員
加瀬澤 文芳
陶器 二三雄
ので解体するといって帰って行かれた。気持の整理をつけるた
興味が湧いたという。
ねじめ正一さんの経歴
私たちがメディアを
を中心に、地盤の液状化による多大な被害を蒙った。報道では浦
めに来られたようだった。この相談会で自分にどれだけのこと
安の液状化が紹介されることが多かったが、千葉市や習志野市で
ができたのか、内心忸怩たるものがあるが仕方がない、他の相
中退。民芸店経営のかたわら詩を書く。56 年、処女詩集「ふ」
も被害は大きく、特に戸建ての住宅の沈下、傾斜が深刻だった。
談員も似たようなものであったろう。
で H 氏賞受賞。その後、性的語彙を氾濫させた詩集「脳膜
昭和 23(1948) 年、東京都杉並区に生れる。青山学院大学
メンマ」、朗読のパフォーマンス等で言葉の臨床実験を行
介して知るのはプロ
野 球 選 手、 監 督 と し
ての落合博満であり、
千葉市は震災から数カ月後、被害の大きかった海浜地区の住民
この後さらに数か月が経った時、同地区でアンダーピニング
を対象に、相談会を開催した。相談員を委託されたのは、JIA を
による復旧工事に携わることになった。狭小敷地にいっぱいに
の少年期を題材にした小説「高円寺純情商店街」で第 101
価など一瞥すらしな
含む建築6団体に所属する建築士だった。相談会に先立ち、沈下
建てられた総3階建の木造住宅である。隣家との隙間は 50 セ
回直木賞、20 年、「荒地の恋」で第 3 回中央公論文芸賞を
い。「僕は奥様に褒め
傾斜した建物の復旧工事について、JSCA 会員によるレクチャーを
ンチあるかないか、傾斜は1/100 程度。建て主は土木技術者で
受賞。阿佐ヶ谷・パール商店街で民芸店「ねじめ民芸店」
られたい」というほどに限られた、真に信じる人のみの環の中で
を営む。TBS 番組審議会委員。元『現代批評』編集発行人。
のみでしか真の素顔を見せない。つまり、マスコミを賑わす冷徹
受けた。相談員を務める者のほとんどが、その類の工事を経験し
検討を重ねたが、工法の選択については私と結論は同じだった。
草野球チーム「ファウルズ」に所属し、年間数十試合をこ
な采配、言説は勝つためだけであり、決して情に流されず極めて
たことがなく、相談を受けても、的確にこたえられる自信はなかっ
付き合いのある施工者に依頼したところ 400 万円の見積もりで、
たといってよい。私自身は過去に、不同沈下を起こした家屋の部
即発注した。狭い所に小さな手掘りスコップで穴を掘り、建物
分的な復旧工事に携わったことがあり、アンダーピニング工法に
下に潜り込んで、建物重量を反力に、鋼管杭を圧入していく。
ついて多少の知識を持ち合わせていたが、その他の工法について
杭は所定の地耐力が出るところまで短杭を溶接でつないでいく。
建物全域に杭をセットしおわったところで、人力で5~6人が
は、付け焼刃の耳学問で臨まなければならなかった。
相談会で私が対応したのは4件で、内 2 件は傾斜角度が大き
一斉にジャッキアップする。セッティングまで3週間かかった
ない、現代詩にあらたな世界をもたらす。平成元年、自ら
なすほどの野球好き。
マスコミや周囲の評
公平な判断をする。与えられた条件の中で、素材としての選手を
きちんと使い、最後まで使い切る。いい素材がなくても、「グラ
■作家の洞察力の鋭さに驚嘆し、
ウンドの目利き」として、選手のそのときの調子を冷静な目で見
深い畏敬の念を感じた講演であつた。
極めて、最大限に生かせる人である。ねじめさんが、落合の冷徹
ねじめさんは熱狂的な長嶋茂雄、巨人ファンとしても有名であ
と思える態度の中に一瞬であるが情の深さを垣間みる時、自身と
る。また 2007 年頃からは落合博満のファンであると公言してい
重なる何かを見つけ共感するのではないか。
る。講演では、「私が気になるのはその長嶋茂雄と落合博満、そ
詩人谷川俊太郎は凄い、巨人である。自分は生活のリアリティ
して谷川俊太郎の 3 人であり、3人とも情がない」という。通
から生まれる言葉であるが、谷川さんは詩をイメージ、概念でと
常では対象と本人とが琴線に触れ、ファンになり好きになると思
らえる。
うのだが、情がないと言い放つ。パラドックスで解りにくいとこ
が、
ジャッキアップは数時間で終わった。仕事はこの後が肝心で、
時点で改修する意志はないが、放置しておいたら傾斜が進行
埋め戻しをしながら杭頭を薄ベニヤで囲い、最後はセメントミ
し、倒壊に至るのではないかとの相談だった。これには 再び地
ルクを注入する。杭頭を固めるとともにあふれ出たセメントミ
ろである。しかしそれは、その3人の生い立ち、言動、生き様な
震に見舞われた場合は別として、傾斜が進行する心配はない と
ルクが埋め戻し土の隙間を浸潤していく。埋め戻し土の 1/3 は
どを克明に分析するねじめ氏の、作家としての鋭い嗅覚がもたら
最後はねじめさん自作の詩「あーちゃん」の朗読をしていただき
す人間観察の結果、興味深い得難い対象が3人であるということ
ました。
回答したら、安心した様子で帰って行かれた。次の1件は深刻
残ってしまうので、
セメントミルクの注入が非常に重要だ。結局、
で、二間続きの両端を計測して 30cm 近くの高低差があるとい
アンダーピニングは杭工法ではなく、杭併用の直接基礎という
う。ハウスメーカーで新築して 4 年。他に行くあてもないので
FORUM
FORUM
くなく、生活に耐えられないほどではないというケースで、現
のようだ。
■ねじめ氏が語るその鋭い洞察の一端。
あーちゃんは いつつのおんなのこです。
概念だ。ウレタン注入やセメントミルク注入などによる傾斜復
長島の判断はすべて野球を軸に考え、普通の常識、日常、そし
かあさんの おけしょうをしているのを みていると・・・
我慢して暮らしているが、かなりつらい。建てた大手ハウスメー
旧工法に比べ数段確実であると考える。なおアンダーピニング
て感情がない。長島のこまかな一つ一つの動作や行動、発言は全
おしろい ぱたぱた おしろい ぱたぱた・・・
カーに復旧工事を依頼したら、出来高支払いを求められたとい
工事以外に要した費用は、設備配管工事に 5 万円ほどだったが、
て巨人軍長嶋茂雄としてのイベントである。家族、友人との日常
かんぜんに あーちゃん う。つまり、いくらかかるか分からないというのだ。他の業者
現場の状況により差が出よう。築 4 年で頑強な構造だったため
的な営みなど、野球との接点がない限り興味の外になる。それは
かあさんきぶんにむちゅうになってきて・・・
友人の生き死にに対しても同様で、常識から判断すると極めて冷
じてんしゃ きこきこ じてんしゃ きこきこ・・・
から見積もりを取ったところ、1千万を超えるという。途方に
建物上屋の改修は全くなかった。
酷である。
もっと きこきこ もっと きこきこ・・・
暮れての相談だった。もちこまれた資料を見ながら許された時
この経験の後に相談会があれば、はるかに有益なアドバイス
大好きな落合監督につ
間お話ししたが、とても納得は得られず、詳しい JSCA 会員に引
が与えられたと思う。しかし千葉市内だけでもいまだ手つかず
い て の 本「 変 人 の 研 究 」
凄い迫力です。言葉の連射、プロの作為的な声とは違う、生身の
を書いたきっかけは、落
身体から何度もつっかえながら絞り出す叫びにも似た声に、一瞬
合博満の顔の表情を見て
のうちに詩の情景が現出しました。生身の人間の声が秘めている
いるうちに、ねじめ自身
リアリティのすごさに圧倒され、穏やか人柄のうちに秘める、ね
と落合が重なる部分が出
じめ正一氏の狂気をみたようでした。
き継いだ。次に対応した人は、この相談者の隣人だった。同様
の状態の住宅もある。首都圏直下型地震が確実視されているこ
の大きな被害を受けていて、別に所有している住まいに居所を
ともあるし、この経験を生かす機会が、否応なくまたやってく
移しているという。同じような話をした挙句、最後に家が古い
るものと考えている。
〈(株)ゆま空間設計〉
講師:ねじめ正一氏
18
Bulletin 2012 年 3 月号
てきたことにより、より
〈(株)陶器二三雄建築研究所〉
Bulletin 2012 年 3 月号
19
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
地域会だより
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
JIA アーバントリップ
城東地域会
ランドスケープデザイン・技術と建築デザインの
関係を探る 〜 JIA アーバントリップに初参加〜
最近の地域会活動から
—— 第 66 回アーバントリップ
第 66 回 JIA アーバントリップ見学会の報告
~ 2 名の会員よりお伝えいたします~
城南地域会
大塚 雄二 ■「根岸 西宮邸(旧陸奥宗光邸)とちりめん本」の
講演会を支援して
11 時過ぎ、次の見学地である館林美術館へ。
実施日:2011 年 11 月 11 日 午前 8 時〜午後 7 時
テーマ:「ランドスケープデザイン・技術と建築デザインの
館林美術館は、以前からランドスケープと建築が一体になった建
関係を探る」
物として大変興味があり、実は5年前にも見学しています。今回、
見学先
ランドスケープデザインを担当した長谷川浩己氏(オンサイト計
1. 大林組技術研究所
画設計事務所)の解説を楽しみにしていました。
設計:大林組 設計本部 建築設計部
美術館の周囲には多々良川、水田が広がり、そこには水平面の原
案内:大西宏治氏・和田克明氏(大林組 設計本部 建築設計部)
2. 館林美術館・多々良沼公園 風景があり、その原風景を意識した緩い勾配のランドスケープの
城東地域会
城東地域会
副代表
会員
大野 優
新開 富寿
今 回、 我 々 JIA 城 東 地 域 会
大野 優
も地域文化の掘り起こしの
役割を果たす事ができ、ま
昨年 6 月の日曜日午後、台
た貴重で楽しい時を過ごせ
東区立根岸小学校には地元の
た事にとても感謝していま
人々が続々と集まり 3 階の体
す。
〈設計工房アウス〉
これがちりめん本
育館 400 席はすぐに満席にな
■東日本大震災文化財復旧調査に参加して
お話を興味深く聞かせて頂きました。建物とランドスケープが相
りました。主催者は根岸の里
互に影響し合いながら計画案が進んで行ったことで、この様なす
の歴史・文化を再認識する活
ばらしい美術館が出来たことに納得しました。
動などをされている「根岸子規会」です。根岸界隈は 1923 年の
人々の中には、平成 23 年 3 月東日本大震災のニュースを見て、
関東大震災、1945 年の東京大空襲の火災から焼け残りましたが、
まるで昭和 20 年 8 月終戦時の東京の風景と同じようだと思い、
設計:(建築)石本建築事務所
1990 年代のバブル期を過ぎた今日は、江戸時代の様式を伝える土
大勢の人が、災害地の復興について何かで参加出来ないかと思っ
(ランドスケープ):オンサイト計画設計事務所
蔵造りの商家や街並み、大正時代の看板建築、昭和初期の木造 3
た事でしょう。その様な時期に、文化庁より「東日本大震災文化
案内:榊原由紀子氏(石本建築事務所)
階建てのアパートが高層ビルに様変わりしてしまいました。その
財建造物復旧支援事業」に関わる東北地域調査への協力が日本建
根岸 3 丁目にみごとな洋館が建っていました。これが現西宮邸(旧
築学会へ依頼があり、更に日本建築家協会にも協力の要請があり
陸奥宗光邸)です。
ました。何か参加を求めていた城東地域会では、会員 2 名が調査
設計:(建築)第一工房
(ランドスケープ):オンサイト計画設計事務所
案内:長谷川浩己氏(オンサイト計画設計事務所)
3. 立正大学熊谷キャンパス 見学 長谷川浩己氏(オンサイト計画設計事務所)
朝 8 時に有楽町を出発し、清瀬市、館林市、最後に熊谷市、夜の
旧陸奥宗光邸の建物に
に参加しました。
ついては、「根岸の地図
福島市に調査に行った時の調査地域は、市及びその周辺でした。
を読む会」より街並みの
調査目録に従って行うのですが、内容は被害調査で、登録有形文
変遷について報告があ
化財・指定文化財の優先的な調査です。目的地に行くと、幸い被
最後の見学先、立正大学熊谷キャンパスへ。
り、続けて城東地域会が
害の少ない地域だったのか、調査目録の建物は、目視の限り大き
槙文彦氏が設計した建物が今どうなっているのか、また椎名政夫
紹 介 し た 建 築 史 家・ 内
な被害はそれほど認められず、目立ったのは、土蔵造りの外壁の
田清蔵氏による講演が行
漆喰塗りが落下したり、ひび割れが生じたりしていたことでした。
7 時頃に池袋に戻るという、200km 以上の小さい旅です。一日で
この見学はかなり効率的というか、かなり欲張りのような気もし
ますが、大変ありがたいスケジュールです。
まずは、清瀬市の大林組技術研究所へ。
立正大学
FORUM
今日もあいにく空模様は芳しくありません。(今回のアーバント
氏など有名建築家が設計された建物が数多くあるキャンパスの雰
リップは、当初 7 月に予定されていましたが、台風で延期になっ
囲気はどうなのか、雑誌では見ていますが見学するのは初めてで
た為の再開催です)
す。また郊外型の大学キャンパスが、オンサイト計画設計事務所
昨年 9 月に完成した本館、テクノステーションを見学しました。
の手によってどのようにまとめられているかも興味のあるところ
大手建設会社の最先端技術が詰まった建物で、特にスーパーアク
です。
ティブ制震システムは、今年東日本大震災が起きている事からも、
興味深く見学させて頂きました。
特に軒下飾りの土塗りの落下が多くありました。(各戸の建物の被
を過ごした洋館であり、明治期の上流層の住宅形式である「和洋
害内容や写真は、個人情報保護法に関わるので発表は控えます)
館並列住宅様式」(旧岩崎邸など)を事例に残された建物の魅力と
車で移動している時、調査目録には載ってない建物で我々の目を
残念ながら到着した時間が遅く、キャンパス全体を見学する事は
価値を伝えていただきました。明治の「ちりめん本」については、
引くものが幾つか有り、ついでに調査をしました。あるお寺でし
できませんでしたが、オンサイト計画設計事務所によるランドス
根岸子規会と国際子ども図書館の酒井貴美子氏による講演があり
たが、建立は慶長時代、明治の火災で消失したが再建され、幸い
ケープは、キャンパスの緩い領域を生み出すレベルの変化が見事
ました。この洋館をその後入手して出版事業を続けた出版人・長
地震の被害は認めらせん。本堂に上がって拝観させていただいた
谷川武次郎(現在お住まいの西宮雄作氏祖父)の国際人としての
時、正面に本尊が安置され、その両側に、奥へ入っていく戸襖が
経歴、そして幻の美本「ちりめん本」の紹介と実物の展示があり
ありました。両方共間口2間、そこには其々 4 枚の板戸が建て込
ました。「ちりめん本」とは、まるでちりめん織物のような肌合い
んであり、開口 1 ヵ所に板戸 1 枚の幅 4 尺が 4 枚。当然に納まり
の和紙に欧文と挿絵を木版多色刷りした和綴じ本です。
ませんが、それぞれの一部分が重なっていました。再建当時にど
延期となっていたアーバントリップの再開催は、各施設の見学日、
我々 JIA 城東地域会は 2010 年 2 月 26 日建築家会館ホールに
こかの建物から貰って来たのだと思います。この板戸の歴史を調
案内係の方の日程調整に大変な労力がかかった事と思います。アー
て「粋な下町ぐらし」(東京下町木造密集地の防災と景観)の冊子
べると面白い事が隠れているのではと心に浮かびました。調査中
バントリップ実行委員会の方々に、また、後援を頂いた東京ガス、
の発行とシンポジウムを開催しました。それ以来の根岸子規会と
に想像した一齣でした。今回の文化庁依頼の調査では 25 戸を調査
のお付き合いです。会場の根岸小学校は明治 7 年開校の都内屈指
しましたが、23 年度内に目標数までは多分終らないでしょう。24
の伝統校であり、地域活動の中心拠点として親しまれております。
年度も調査が引続き行われるなら参加する予定です。 〈新開設計〉
節ごとに変化を生み出しているのだろうと想像でき、大変心地よ
い空間になっていました。槙文彦氏の設計された建物が一部を残
して早くも解体されていたのは、正直残念な気持ちが強いです。
そして協力を頂いた国際通信社の方々にもお礼を申し上げます。
20
Bulletin 2012 年 3 月号
旧陸奥宗光邸の現在
なわれました。明治期の外務大臣・陸奥宗光が明治 16 年~ 21 年
に生かされ、また既存の自然とキャンパス空間とのつながりも季
館林美術館
新開 富寿
体育館を埋めた 400 人
大変有意義な一日でした。
〈大塚雄二都市建築設計事務所〉
Bulletin 2012 年 3 月号
21
FORUM
委員会活動報告
地域会だより
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
文京地域会
選挙公報
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
社団法人日本建築家協会関東甲信越支部
文京地域会の“つながり”ある活動
2012 年度役員選挙について
ー第2回告示:2012 年 2 月 15 日
選挙管理委員会 委員長 加藤 茂子
文京地域会 事務局
2012 年度役員選挙に関し、12 月 15 日に第1回告示を行い、1 月 20 日の締切までに、各立候補の届出があり、1 月 27 日開催の選挙管理委員会において、
河野 有悟 ることを確認するとともに、定員一杯の立候補でありましたので、無投票当選として確定いたしました。
立候補届出書に基づき立候補に関する資格審査を行いました結果、役員選出規定及び選挙細則による立候補者並びに推薦者としての資格を充足し、適格であ
また監査立候補者につきましては、資格審査の上、適格であることを確認いたしましたので、「立候補者名簿」に登載し、役員選出規定第 2 条 5 項により支部
総会において選任することとなります。
文京地域会では、建築士会文京支部、建築士事務所協会文京支部と
■安心・安全マップ「ブルーマップ」づくり
3会が連携し [ 文京建築会 ] を立ち上げ、主たる活動の場としていま
2008 年に、地域の価値の再発見と交流のツールとして出版した [ 文京
す。2009 年4月に主として建築士会文京支部と共による活動を開始し、
グリーンマップ ] にひきつづき、地域の安心・安全、空や水を中心とし、
2011 年 12 月には正式に建築士事務所協会文京支部との連携も開始さ
会員メンバーによる寄稿と防災協定井戸の現況調査の結果もあわせて
れました。
収録した「文京ブルーマップ」を出版しました。
3会で連携することで、これまで以上に建築・まちづくりに関連した
2010 年 4 月:企画~ 2010 年 10 月:出版
職能の向上を目指すとともに、会員相互の交流と親睦をはかり、その
■文京区見どころ・絵はがき大賞 社会的責任に基づき地域社会に貢献することを [ 文京建築会 ] の趣意
文京区には多くの「美しい自然景観」や「優れた都市景観」が存在し
としました。そこでは、建築家・建築士の目を通して「文京ブランド」
ます。また、祭りやイベントなど「楽しい出来事」もいっぱいありま
■幹事当選者
■ 杉並地域会
■ 埼玉地域会
新庄 宗昭
寺山 実
(しんじょう むねあき/ 1943 年 11 月 20 日生)
● 推薦者:
篠田弘子 遠藤勝勧 林 昭男 林 美樹
(てらやま みのる/ 1952 年 7 月 20 日生)
を可視化・顕在化し、より良い「文京らしさ」の醸成に寄与すること、
す。そうした魅力的な文京区を紹介する「手作り絵はがき」を公募し、
あわせて会員以外の建築人の方々や区民、行政、専門家の皆さんとも
優れた作品を選び表彰しました。文京建築会が主体となり、行政とも
文京区という地域を舞台に共に活動し、交流を深めたいと願っていま
協働し地域の人とのつながりある活動の場としています。
す。立ち上げ以降、様々な活動が行われ現在も継続・展開されています。
2010 年 10 月:企画~ 2010 年 5 月表彰式・シンポジウム
おもな活動内容について下記にご紹介いたします。
● 略歴:
● 略歴:
1979 年 武蔵工業大学(現東京都市大学)大学院 修士課程 建築学科 修了
1979 年 (有)大森建築設計事務所
1991 年 寺山建築工房 設立
● 所信:
現在、埼玉地域会の副代表、支部建築相談委員会の副委員長を務めています。
私達建築家の社会的活動が益々重要になります。
■文京まちめぐり
会員により、文京区を各会ごとにテーマを定め、歩きめぐることで地
これまで「文京建築会」は、さまざまな地域活動を通じて多くの方々
域に対する理解を深め、そこでの発見や情報の収集を通して、様々な
の賛同とつながりを育みつつあります。現在では、若い人々(文京ユー
活動のベースとしても位置づけられています。
ス)にも仲間に入っていただき、新たな視点からもまちづくりに参画
2010 年 4 月:文京区の井戸・水たまりを見て回る会
しています。また、「第2回 文京・見どころ絵はがき大賞」の準備も
2010 年 11 月:文京区境巡り地図と古地図の視点から
開始し、地域と連携した活動を続けております。
2011 年 10 月:林丈二さんと歩く牧場めぐり+路上観察
2011 年度委員会構成 委員長:加藤茂子/副委員長:香川昌美
委 員:新井優・磯部和久・岡田勲・成川正明・保坂公人・星田真人・森田敬介
地域会及び建築相談委員会と支部との連絡を果たし、地域社会に発信でき
るような活動に繋げていきたいと思います。
● 所信:
これからの人生を若い建築家志望のみなさんのお役に立てることに使って
ゆきたいものだと思っています。
● 推薦:
新庄宗昭氏は、杉並地域会において積極的に活動に参加され、後輩の育成
に強い意欲をもっています。温厚ながら冷静に状況判断される新庄氏を幹
■ 茨城地域会
益子 一彦
〈河野有悟建築計画室〉
1968 年 4 月 (株)藤田組 設計部(東京)
1971 年 4 月 (株)都市科学研究所(京都)
建築と都市設計を学ぶ
1984 年 4 月 パーソナルコンピュータソフト開発に新規参入
CAD ソフトの開発(建築実務中断)
1998 年 6 月 建築設計事務所設立。現在に至る
事に推薦致します。 (林 美樹)
(ましこ かずひこ/ 1959 年 12 月 23 日生)
■ 世田谷地域会
中田 正二
(なかた せいじ/ 1941 年 1 月 2 日生)
● 略歴:
FORUM
● 所信:
建築家としての倫理観をもって実務活動をしてきました。今後、一層、建
築家としての社会的貢献と地域の建築家の社会的地位の向上に努めたいと
思います。
■ 新潟地域会
塚本 久志
(つかもと ひさし/ 1955 年 8 月 11 日生)
● 推薦者:
小林正美 黒木 実 澤 一郎 柿崎豊治
● 略歴:
1968 年 3 月
1968 年 4 月 -1970 年 10 月
1971 年 4 月 -1974 年 3 月
1976 年 3 月 1981 年 4 月 -2001 年 3 月
1984 年 5 月 -1991 年 5 月
法政大学大学院 工学研究科 建設工学専攻
修士課程 修了
岩谷住宅建設株式会社 技術部 勤務
法政大学 研究助手
株式会社住宅生産研究所 設立 代表取締役
学校法人小山学園 東京工科専門学校 教員
トニフォー・TS 株式会社 設立 代表取締役
● 所信:
経済性と効率化優先の社会の中で、建築家の職能は必ずしも明るいもので
はありませんでした。相も変わらず設計入札が横行していますし、建築家
としての独立した活動もままならず、心ならずも建売事業者等の下請とし
て安い手間仕事に甘んじている仲間も少なくありません。そうした状況か
ら抜け出すために、建築家の職能と役割を訴え続け社会に認められるよう
● 略歴:
1978 年
日本大学 理工学部 建築学科 卒業
1978 年 -1997 年 (有)福地建築設計事務所 勤務
1997 年 - 現在
DESIGN 空 (sora) 設立
● 所信:
2012 役員改選に伴い重任立候補します。
世界が混沌とした中、建築家の存在意義が問い直されています。ふたたび
JIA の職能理念に立ちかえり、建築文化の向上、環境改善、美しいまちの
再生に力を合わせ取り組んで行きたいと思います。また、全国の支部(特
にしなければなりません。地域に根差した活動を通して、わずかでも役に
立てればと考えています。
● 推薦:
中田さんは世田谷地域会立上げ時から積極的に活動している会員です。会
での唯一の構造家として区の安全・安心協議会に私と共に参加して、区主
催の耐震フェアでのパネル展示にご尽力頂いています。法政大学 55・58
号館の保存改修運動にも参加なされ、建築家としてとても時代を見据えた
お仕事をなされています。幹事として推薦致します。 (黒木 実)
に東北)及び各地域会との連帯と協働ができるようパイプ役を勤めて行き
たいと思います。
第2回「文京・見どころ絵はがき大賞」の募集
22
Bulletin 2012 年 3 月号
Bulletin 2012 年 3 月号
23
FORUM
1959 年 茨城県生まれ
1983 年 武蔵工業大学(現在、東京都市大学)工学部 建築学科 卒業
1983 年 三上建築事務所 入所
2001 年 三上建築事務所 副所長に就任
2005 年 三上建築事務所 代表取締役所長に就任、現在に至る
第三種郵便物認可 Bulletin
第三種郵便物認可 Bulletin2010
2012年年
12
2 月15 日発行
■ 千代田地域会
■ 自由枠
■ 城南地域会
太田 安則
● 略歴:
東京電機大学 工学部 建築学科 卒業
(株)佐藤総合計画(旧佐藤武夫設計事務所)入社
設計から都市開発、企画開発、仕様監理の部長を務める。
安田総合計画(株)に出向し、設計開発を統括、出向を解かれ企画開発・
検査監理部長を務める。
● 所信:
建築家協会会員として、千代田地域会の一員として、地域に根ざし地域か
ら支持されるコミュニティ・アーキテクトとしての本分を遂行する。
● 推薦:
太田さんは、千代田地域会の中で会計、事務局等を歴任され、積極的かつ
● 推薦者:
松本 裕 市村宏文 木村年男 近藤 昇
● 略歴:
1975 年 3 月 大阪大学 工学部 建築工学科 卒業
1975 年 4 月 (株)大建設計 入社
2012 年 1 月現在 同デザインセンター都市開発部 統括部長
● 所信:
地域会を通じて、地域との交流・活動の場を拡げ、建築家として社会的活
動を積極的に行いたいと考えています。
また、地域会と支部との連絡の役割を果たすとともに、より一層の城南地
域会活動の発展に努めたいと思います。
● 推薦:
現在、当協会は職能の位置づけ、新法人化、定款細則、地域会活動等に多
強い意志で活動されて大きな成果を築き上げてこられました。JIA は、大
くの諸問題を抱えております。このような当協会の最も大事な時期に、支
きな曲がり角に立っていると云われて久しいですが、今回の役員の使命は
部と地域会において日頃実直に活動されている木村利雄さんを幹事に推挙
大きなものがあります。支部幹事として JIA の担うべき課題を地域会の会
いたします。 (松本 裕)
員と共に切り拓いて頂きたいと願っています。
(篠田義男)
信原 利行
齊藤 友紀雄
(のぶはら としゆき/ 1963 年 10 月 8 日生)
(さいとう ゆきお/ 1959 年 9 月 14 日生)
● 推薦者:
鈴木和貴 深川良治 大川宗治
● 略歴:
1975 年 早稲田大学 理工学部 建築学科 卒業
1977 年 早稲田大学大学院 理工学研究科 修了
1977 年 三菱地所(株)入社
2001 年 (株)三菱地所設計 設立に伴い同社に異動
現在 同社常務執行役員 建築設計一部長
● 所信:
JIA では 1996 年より保存問題委員会ならびに建築家資格制度に関わる各種
委員会を中心に活動を行って参りました。この間、支部常任幹事、幹事長
などを務めさせていただき、現在は副支部長として上浪支部長をサポート
● 所信:
JIA については、中央地域会のみの活動でしたが、少し地域会以外のこと
も勉強したく思っています。
連 健夫
(むらじ たけお/ 1956 年 3 月 16 日生)
1982 年 3 月
大阪市立都島工業高校 建築科 卒業
1982 年 4 月 -1988 年 3 月 (株)高橋上田設計事務所 勤務
1988 年 4 月 -1990 年 10 月 NOB 設計室 自営
1990 年 10 月
(株)旬建築総合計画 設立
代表取締役として現在に至る
● 所信:
環境と人との係わりが重視されるなかで、人に優しい建物と街を創り、緑
支部と地域とのパイプ役となり城北地域会の活動の活性化につなげていき
● 推薦:
信原さんは城北地域会のアクティブメンバーとして、空間ワークショップ
歩きの企画など積極的に活動されています。支部の活動に触れつつ、地域
FORUM
● 略歴:
けて欲しいとの要望が強く立候補いたします。現在、設計活動する傍ら、
港区の登録まちづくりコンサルタントとして赤坂の街づくりに関わってい
ます。コミュニティーアーキテクトの在り方が問われている中、建築家と
市民、行政との創造的な関係を目指し、活動したいと思います。
きた経験から、3.11 の大震災を期に、改めて政府や行政機関に頼ることな
く地域住民自ら、日本人らしい “暮らすこと” の改革を発信する活動が求
ではありますが支部幹事として改めて支部と JIA のお役に立てればと思っ
められています。地域はもとより東日本の被災地を含めた日本再生のため
ています。
に、先ずは関東甲信越支部からの改革に寄与したいと考えています。
● 推薦:
大澤氏は信頼できる建築家として永年にわたり活躍されています。JIA に
三原さんは湘南地域に根差した、正にコミュニティアーキテクトとして活
おいては支部の常任幹事、幹事長、現在は副支部長も経験されています。又、
動されており、公益社団法人 JIA のために大きな貢献をして頂けるものと
本部の資格制度委員会、設計環境改革委員会においても、活発に活動され
確信しております。支部改革のためにも尽力頂きたいと考え、支部幹事に
てこられました。氏の経験、見識と行動力により、必ずや支部の発展のた
推薦致します。 (上浪 寛)
■ 自由枠
上垣内 伸一
(うえがいと しんいち/ 1965 年 9 月 4 日生)
■ 自由枠
柳 学
(やなぎ がく/ 1957 年 5 月 31 日生)
河村 大助
● 推薦者:
上浪 寛 西勝郁郎 青木恵美子
(かわむら だいすけ/ 1962 年 8 月 14 日生)
● 推薦者:
上浪 寛 鈴木利美 湯浅 剛
● 略歴:
1988 年 3 月
1988 年 4 月 -1992 年 11 月
1992 年 12 月
東京芸術大学大学院 美術研究科 修了
日本電信電話(株)
株式会社 NTT ファシリティーズ
支部幹事長、支部広報委員長
本部広報委員、支部交流委員
● 所信:
2 年間関東甲信越支部の役員を務めさせて頂きましたが、推薦を頂きまし
たので微力ながらもう 1 期協力させて頂ければ幸いです。
今の関東甲信越支部にとって無くてはならない存在となっています。支部
幹事として相応しい人です。 (上浪 寛)
● 略歴:
1981 年
東京芸術大学 建築科 卒業
1983 年
東京大学大学院 修士課程 修了
1983 年 -1992 年 日本設計
1992 年 -1993 年 在イギリス
1993 年
(株)柳学アーキテクツ 設立
● 所信:
一期2年務めましたが、右往左往するばかりで、お手伝い出来た実感があ
りません。もう一期務めさせて頂いてお役に立ちたいと思います。
よろしくお願い致します。
● 推薦:
柳さんは、アーキテクツ・ガーデン実行委員会、支部事業委員会の委員長
を 2 年間務められています。支部改革の旗頭として、さらにもう一期取り
まとめて頂きたく支部幹事に推薦いたします。 (上浪 寛)
● 推薦者:
伊平則夫 左 知子 西勝郁郎 室伏次郎
■監査候補者
● 略歴:
1988 年 3 月
1990 年 3 月
1990 年 4 月〜 1992 年 3 月
1992 年 6 月〜 1999 年 5 月
2000 年 4 月
2004 年 6 月
千葉大学 工学部 建築学科 卒業
千葉大学大学院 工学研究科 修士課程 修了
(株)ウイプロ一級建築士事務所 勤務
(株)團紀彦建築設計事務所 勤務
一級建築士事務所ファンクアソシエイツ設立
(有)ウエガイト建築設計事務所に改組、
現在に至る
立ができるよう、本会の一層の活動充実に寄与すべくここに幹事立候補を
表明する次第です。
● 推薦:
上垣内伸一さんは、本部・支部総務委員会で精力的に活動されています。
建築家をとりまく内外の所問題に、支部幹事として次世代を見すえた対応
に期待して、ここに推薦します。 (西勝郁郎)
Bulletin 2012 年 3 月号
■ 自由枠
● 推薦:
河村さんは、広報委員長、幹事長として支部の活動に参加して頂いています。
● 所信:
建築家が真に社会に役立つ存在と認知され、真に親しみを以てその職能確
24
地球に貢献できる人であること
「地域を跨いだ連携活動にこそ、日本人としての “絆” が隠されている」
りまく環境が大きく変わりつつあるいま、これまでの経験を活かし、微力
への参加や KNIT(城北地域会の情報誌)の編集・執筆、地域会主催のまち
(深川良治)
● 所信:
一昨年、地域会からの推薦で 2 年間幹事を務め任期に至りました。更に続
● 所信:
1997 年より地元湘南地域のボランティア活動を主宰、あるいは参画して
や地球資源を大切にする建築家として活動をしてゆきたいと考えています。
会活動をさらに広げていただくことを期待し、支部幹事に推薦します。
1982 年、東京都立大学大学院修了、ゼネコン設計部に 10 年間勤務の後、
1991 年渡英、AA スクール留学、AA 大学院優等学位を取得した後、同校助手、
東ロンドン大学非常勤講師、在英日本大使館嘱託を経て、1996 年に帰国、
(有)連健夫建築研究室を設立し現在に至る。JIA デザイン部会長、表彰委
員会文化交流クラブ活性化部会主査
1981 年 日本大学 理工学部 建築学科 卒業
同年 拓拓株式会社 設計室 入室
1992 年 同上退職と同時にアトリエエーワン 設立
1993 年 法人組織に改組、現在に至る
1998 年 - ふじさわこどもまちづくり会議 実行委員会 代表
他「鵠沼の緑と景観を守る会」、「湘南会議」等 多くの地域活動に参画
めに活躍が期待できる方であると思います。ここに大澤氏を幹事として推
たいと思っています。
■ 港地域会
● 略歴:
ている中、JIA も公益法人として新たなるスタートを切ります。我々を取
薦致します。 (東條隆郎)
1978 年 3 月 石川県立金沢泉丘高校 卒業
1982 年 3 月 名古屋工業大学 建築学科 卒業
1982 年 4 月 株式会社日本システム設計 入社
現在に至る
● 推薦者:
上浪 寛 赤羽吉人 青木恵美子
させていただいております。建築家の使命、求められる責任が問い直され
● 略歴:
● 略歴:
(みはら えいいち/ 1957 年 11 月 28 日生)
● 推薦者:
東條隆郎 左 知子 狩野大和 赤羽吉人
● 推薦:
■ 城北地域会
■ 中央地域会
三原 栄一
(おおさわ ひでお/ 1952 年 10 月 5 日生)
(きむら としお/ 1952 年 3 月 1 日生)
● 推薦者:
赤堀 忍 桐原武志 篠田義男 中山信二
■ 自由枠
大澤 秀雄
木村 利雄
(おおた やすのり/ 1948 年 10 月 5 日生)
選挙公報
第三種郵便物認可 Bulletin 2010
2012 年 12
2 月15
月15日発行
日発行
松原 忠策
(まつばら ちゅうさく/ 1939 年 2 月 26 日生)
● 所信:
● 略歴:
1961 年
同年
2004 年
早稲田大学 第一理工学部 建築学科 卒業
(株)松田平田設計 入社
(株)松田平田設計 副社長を退任後、
松原建築 D・I 研究所 代表
1998 年 -2000 年 日本建築学会 副会長
2002 年 -2006 年 日本建築家協会 理事、関東甲信越支部 支部長
2008 年 - 現在
日本建築家協会 関東甲信越支部 目黒地域会 代表
東京地方裁判所 専門委員・調停委員、
目黒区景観アドバイサー委員
UIA 大会の誘致でベルリン・イスタンブールの大会に支部会員と共に行動
した想い出と共に、東京大会が成功裏に終えたことを心から喜んでいます。
JIA の次の課題は、建築家の資格の問題や建築基本法等難題が山積されて
います。そして JIA が公益法人として出発するに当り、監査としての役割
がどのようなものか、十分に覚悟して臨むつもりです。
● 推薦:
松原さんは JIA 関東甲信越支部長を2期 4 年務められ、JIA 支部・本部の
改革に尽力されました。新生 JIA の基礎固めのため、今までの経験と実績
を生かしてアドバイス頂きたいと思い、支部監査に推薦致します。
(上浪 寛)
Bulletin 2012 年 3 月号
25
FORUM
選挙公報
支部ダイジェスト
● 保存問題栃木大会開催!
2012 年 3 月 17 日〜 18 日 保存問題栃木大会が開催されます。
「大谷石の可能性を探る」
~大谷石の建造物、石空間の再利用、素材、
性能等の魅力、可能性を、震災を経た今日、あらためてその問題点
を考える~
※ お問い合わせ、お申し込みは、支部事務局まで。
● アーキテクツガーデン 2012 開催いたします。
2012 年 6 月。関東甲信越支部の各委員会、地域会、部会による、
情報集約、発信型のイベントとして開催する予定です。
テーマや日程、プログラムなど、詳細については、順次 WEB でお
知らせしていきます。
● 「JIA 建築家大会 2012 横浜」開催決定 テーマ:「共に超える」
● 第 2 回サロンセミナー「吉村順三とは」(2 月 24 日)
展示会(2 月 20 日~ 24 日)
日時:2012 年 2 月 24 日(金)18:30 ~ 20:30
展示:2 月 20 日(月)~ 24 日(金)
10:00 ~ 18:00(20 日は 13:00 ~)
会場:JIA 館1階・建築家クラブ
講師:平尾寛氏
参加費:¥1,000(飲物軽食付) 定員 40 名
● 墨田サテライトセミナー(城東地域会)
「安心して暮らせる玉の井」
日時:2 月 24 日 18:30 ~ 20:00
場所:すみだリバーサイドホール
都内でも有数の木造密集地の墨田区玉の井の住民とまちの安全性
や暮らしやすさについて考える。
会期:平成 24 年 11 月 29 日 ( 木 )、30 日 ( 金 )、12 月 1 日 ( 土 )
会場:神奈川県民ホール、BankART Studio NYK 等
● 支部会員集会・芦原会長講演「JIAのこれから」動画公開
下記のサイトで「新春の集い」で開催された、
芦原会長の講演を見る事ができます
http://www.youtube.com/watch?v=vt8dHguAN38
● 「災害コーディネーター制度の創設に向けて」勉強会開催
日時:2012 年 3 月 28 日 16:00 〜 18:00(セミナー) 18:00 〜 19:00(懇親会)
会場:建築家会館 3 階大会議室(参加費¥1,000 /資料代とも)
懇親会:JIA 館 1 階・建築家クラブ(懇親会¥1,000)
※ メールにて事務局にお申込下さい [email protected]
専門家の力を被災地復興に有効活用するためには高度な専門能力
を有する「災害コーディネーター」の育成が必要であるとの考えか
ら、制度の創設をめざすためのキックオフイベント。
委員会・地域会・部会からのお知らせ
他建築関連: 詳細は国土交通省・他関連のHPをご覧下さい
移が発表されています。
■ゲーテは、詩人・作家でありながら色彩論・形態学をはじめと
色彩の現象に関するゲーテの膨大な観察
する広範な自然研究を行ったことでも知られている。震災を機に
の記述からなっていて、「科学的方法論」
自然への向き合い方を考え直そうと改めてゲーテの自然観を知る
による綜合がなければ分析の断片となっ
ことができる本書を手に取ってみた。ゲーテの自然観では、一方
てしまうものである。「誤った仮設も全然
的に自然を分析し分割する近代科学的方法論に対して、自然を綜
ないよりはましである。」とゲーテもいう
合化されたものと捉え、「分析」はその根底に「綜合」を前提と
ように本来の目的を見失った手段・各論
して為されるべきであるとしている。これは、自然をひたすら分
の断片に満ちた現代社会に「綜合」とい
割し、理性によるさまざまな手段(技術)にあふれた現代の科学
う視座をもって挑むことが、これから重
至上主義への批判として受け取ることもできる。以上は本書の「科
要なのではないかと思う。
〈土居志朗/(株)STUDIO URBS〉
学的方法論」からであるが、題名にもなっている「色彩論」の章は、
建材情報
支部ホームページに掲載されている賛助会員の新製品情報と技術情報を紹介します。(2011 年 1 月〜 2011 年 2 月 )
必要戸数= 53,054 戸 に対して、
完成戸数= 52,191 戸 着工確定戸数= 52,706
http://www.mlit.go.jp/common/000143900.pdf
市町村別「応急仮設住宅着工・完成状況」(1/30)
http://www.mlit.go.jp/common/000140307.pdf
● 第 30 回まちづくり月間における
「まちづくり法人表彰」の創設・募集について
まちづくり法人による地域における良好な環境や地域の価値を維持・
新製品・工法情報
賛助会員企業の新しい製品がご覧になれます。
■ C-1(ALC・PC・押出成形セメント板 ) 2011 年 11 月 15 日掲載
次世代型壁面緑化工法 " メースリブグリーン工法 " [ 三菱マテリアル建材株式会社 ]
技術情報シート
向上させる取組を奨励・普及するため、地方公共団体や関係団体の
賛助会員企業の先進技術がご覧になれます。
協力のもと、まちづくり月間関連行事として平成 24 年度に新たに創
■ NO.58 E-2( 電気設備・メーカー ) 2011 年 12 月 2 日掲載
設される国土交通大臣表彰制度です。
JIA 神奈川が毎年主催する「横濱建築祭」は、子ども達や学生・市民、
募集対象
:市町村や他の法人等が推薦する、都市の課題を解決する
2/24、25、26(BankArt Studio NYK)
木村直司=訳 / 出版社:ちくま学芸文庫
平成 24 年 1 月 30 日付けで、応急仮設住宅の着工・完成戸数の推
募集期間
:2012 年 2 月 1 日(水)~ 2012 年 3 月 16 日(金)
して “交流 「cross×cross」” するのがテーマです。 「色彩論」ゲーテ
● 応急仮設住宅着工推移について(1 月 30 日付)
● 横浜建築祭2012 CROSS×CROSS (神奈川地域会)
企業、行政、建築団体の皆さまと建築家がさまざまなイベントを通
こんな本を読みました
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
先進的なまちづくり法人を募集します。募集するのは次の3部門:
「まちの活性化・魅力創出部門」「まちの安全・快適化部門」「まち
パナソニックの照明設計サポートサイト「P.L.A.M.(プラム)」 [ パナソニック電工株式会社 久保 徹周 ]
編集後記
震災から一年
づくりの担い手サポート部門」
2/16 〜 19 〜 28(ハウスクエア横浜)
映画紹介
■ 震災は、多くの複合的な被害をもたらしました。
■ 東北大震災から一年が経とうとしていますが、現地は復興が遅れ被
目に見える被害の1年は、それ相当の変化はありましたが、見えない方
災者の方々は三重苦の中で大変な日々を送られており、3 月 11 日は忘
の被害の1年は…あくまでも通過点です。改めて畏れを知ることになり
れられない日となり、全国民で支えなけばの想いを深くいたします。
はやぶさ 遥かなる帰還
■ 震災から 1 年。本当いろんなことを考えされた 1 年でした。
■ 昨年は日本が未曾有の危機に直面した反面、個人的にもいろいろなこ
建築にたずさわるものとして、自然の前では建築家なんて・・・と、
とが巻き起こった一年でした。大事なことは忘れないこと。そして次の
思い知らされました。
[ 杉本 ]
そしてこの一年はとても短く感じました。
B A C K YA R D
東映 60 周年記念作品として JAXA 宇宙航空研究開発機構の
業を成し遂げた日本の科学者・技術者達とそれを見守った
協力で完成した。公開前の試写会で鑑賞したのだが、2010
人々の激動の 7 年間を描いたものである。2003 年 5 月 9 日
年 6 月 13 日に帰還する迄の苦難のストーリーは、打ち上げ
「はやぶさ」は宇宙へと旅立った。主演は世界的名優、渡辺謙、
の地、鹿児島・内之浦宇宙空間観測所、カプセル降下地点オー
準備に生かす叡智を養わなくてはいけないと感じている。
[ 高安 ]
題はまだまだこれから。建築家として、どのように社会と関わっていく
のか。大きな宿題を課せられた気がします。
編集
:社団法人 日本建築家協会
関東甲信越支部 広報委員会
委員長
:菊地 良一
発行所
:社団法人日本建築家協会 関東甲信越支部
:河村 大助
:池元 真克・伊藤 暁・市村 宏文・榎本 雅夫
〒 150-0001 東京都渋谷区神宮前 2-3-18 JIA 館
Tel: 03-3408-8291( 代 ) Fax: 03-3408-8294
印刷
:株式会社 協進印刷
江口洋介、夏川結衣、吉岡秀隆、山崎務 等、多士済々の俳
ストラリア・ウーメラ砂漠等の実写と、最新鋭の VFX 技術
優が共演し宇宙科学の粋と人間同士の純粋な交流を描いた素
で再現される深宇宙のロケーションと迫真の映像が、「いと
晴らしい感動的な物語である。
かわ」から持ち帰る全世界の宝となる微少物体を得るため
編集長
・建築家 online ( 一般向け )
原作は山根一真氏、監督は瀧本智行で、渡辺謙はプロジェク
の壮大な物語を形成している。
副編集長 :池元 真克
編集委員 :市村 宏文・大川 宗治・河村 大助・倉島 和弥・白橋 忠博
トマネージャーを勤め、音楽は辻井伸行を配し、東映、住友
2 月 11 日にロードショー公開されますので、皆様どうぞ御
・JIA 関東甲信越支部 ( 会員向け ) http://www.jia-kanto.org/members/
商事、NEC、朝日新聞を始めテレビ朝日、TV 五社他が集い、
鑑賞頂ければ幸いです。
26
Bulletin 2012 年 3 月号
〈立石博巳/〈(株)ヒガノ〉
[ 湯浅 ]
発行人
副委員長 :湯浅 剛・中澤 克秀
委員
[ 中澤 ]
■ 震災から一年。ようやく復興の兆しが見えてきましたが、原発の問
■ 1 年前が昨日のように鮮明に思い出されます。
■全世界が注目した小惑星探索機「はやぶさ」。歴史的な偉
[ 立石 ]
[ 池元 ]
ました。
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N E W S : 詳細は JIA 本部、関東甲信越支部及び、UIA 大会の HP をご覧下さ い
第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
大川 宗治・倉島 和弥・近藤 剛啓・白橋 忠博
杉本 由美子・高橋 隆博・高安 重一・立石 博巳・田中 宣彰
土居 志朗・中村 隆則・山本 成一郎
:湯浅 剛
立石 博巳・ 田中 宣彰・土居 志朗・菊地 良一
■ JIA 関東甲信越支部関連サイト一覧
・( 社 ) 日本建築家協会 (JIA) http://www.jia.or.jp/
表紙 / 本文デザイン :( 株 ) スタジオネオ 伊波 サチヨ・守田 真紀子
http://www.jia-kanto.org/
© 社団法人 日本建築家協会 関東甲信越支部 2011
■ 販売価格 300 円 ( 本体 286 円 + 消費税 14 円 ) /会員の購読料は会費に含まれています。
Bulletin 2012 年 3 月号
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第三種郵便物認可 Bulletin 2012 年 2 月15 日発行
Bulletin 234| 2012 年 3 月号
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