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孤独を学べ
選考委員 内山 憲一
JR 中央線に乗って八王子方面に向かっていると、車窓から「ソジ医院」という看板が目
に入ることがあります。そんな時はだいたいぼうっとしているので、医院名がカタカナで
あるかどうか今確信はもてません。とにかく漢字でないことは確かです。どんな字が当て
はまるのかと思うフランス語教員の頭には sosie という言葉が思い浮かびました。フラン
ス語で「瓜二つ」という意味です。看板を何回か見ているうちにふと「これは詩になるな」
というインスピレーションが湧きました。もとより綿密なプランを立ててから書き始める
わけではありません。力を抜いて気楽に書いていると、最後には孤独の効用を説くような
詩になってしまいました。
瓜二つ医院にて
中央線の車窓から看板が見える
ソジ医院に行ってみたい
ソジってまあ人の名前だよね
いったいどんな字だろうか
ひょっとしてフランス語の sosie かなあ
内科かな 精神科だったらいいかも
「あなたの心は病んでいます」
読書中の内山選考委員
いきなりそう言われたりして
もしかしたら双子のお医者さんが
入れ代わり立ち代わり診察するのだろうか
美しい患者さんを診る順番を争ったりしてね
中央線の車窓から看板が見える
ソジ医院に行ってみた
木彫りの妙なプレートがかかっている
――この扉を抜ける者は
一切の恥じらいを捨てなさい
意を決して通り抜けた先の廊下には
真紅のじゅうたんが敷かれていて
二つ目の扉を抜けると
三つ目の扉があった
いくつ目の扉の向こうだったろうか
私を待っていたお医者さんは実に
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私と同じ顔をしていた
いや 私自身だった
自分はいつの間にか
白衣を身に着けている
あなたは空にフタが覆いかぶさっているように
息苦しいと言うのですか
と私の口が語る
人の心はピアノの鍵です
次々と弾き出される音は
一つの連続であり
限りのないものです
指のタッチを変えれば
違う音色がうまれます
音の万華鏡の中にあって
孤独を楽しみなさい
孤独とは人の心に吹く
風のことなのです
勤務先ではフランス語の他に「世界の文学」という教養科目を担当しています。その授
業では、多くは二十歳前後の受講生たちに自己形成のための読書の楽しみを語ることにし
ています。そこで学期始めによく配るプリントの一つに作家、伊集院静の「孤独を学べ」
という短文があります。数年前に「わが意を得たり」とばかりに快哉し切り抜いた新聞の
広告記事です。
伊集院氏曰く。大人になるためには何から始めるのか。それは、自分は何のために生ま
れてきたのか考えることだ。答えを見つけるために不可欠なことは一人で考え、一人で悩
むこと。だから孤独を学べと作家は鼓舞しています。一人でいる時間を有効なものに、い
や豊饒なものにしたい。それは自分も日頃思っていることです。なにも何かを得ようと構
えることはありません。スマホから離れて、心に吹く風のように孤独を楽しんでみてはど
うでしょうか。
「答えは風の中にある」と、偉大なる賞を授与されてしまったあの有名なシ
ンガーも歌っているではありませんか。
ところで、詩人の池井昌樹に「おまんじゅう」という味わい深い作品があります。詩人
が「おまえのもの」から自分自身に戻ろうとして「薄暗い天井裏に頭を入れることがある」
のを妻はまだ知らないと書いています。実に巧みな比喩だと思いました。自分もこの天井
裏の風に吹かれながら書いた詩をまとめて、この 3 月に出版社「港の人」より詩集『おば
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け図鑑を描きたかった少年』を上梓しました。興味を持たれた方に読んでいただけるとう
れしいです。
(工学院大学 教育推進機構准教授)
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