BCMニュース <2009 No.3

No.09-034
2009.6.29
BCMニュース
<2009 No.3>
これだけは考えておきたい企業の新型インフルエンザ対策
一問一答
2009 年 6 月 11 日、世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は、新型インフルエンザ
の世界的大流行(パンデミック)の発生を宣言した。この事務局長声明の中で、チャン事務局長は「今
は、2009 年新型インフルエンザ・パンデミックの始まりである」として、「たいしたことはなかった」
「流行は終息した」とする一部の報道を強く否定した。
これから冬を迎える南半球の諸国では、今も急速な感染拡大が報告されている。わが国では、冬に
なるまでにまだ時間が残されている。日本における新型インフルエンザの報道は一段落した観がある
が、企業はこの貴重な時間を有効に活用して、新型インフルエンザ対策を進めるべきである。
今回の BCM ニュースでは、当社に寄せられた質問をベースに作成した一問一答形式で、今回発生し
た新型インフルエンザを想定して、この冬までに企業として最低限取り組むべき新型インフルエンザ
対策を示す。
質問1
企業として今回発生した新型インフルエンザのリスクをどのように考えるべきか。
回答1
今回発生した新型インフルエンザについては、WHO 他の分析の結果、以下のことが分かっている。
・ 病原性(どのくらい重い病気を引き起こすか)
:三段階で「中度」
致死率は約 0.4%と分析されている(注 1)。これは国の最悪の想定(2%)ほどではないものの、
例年の季節性インフルエンザの致死率(0.05%)に比べてかなり高い。健康な成人でもウイルス性
肺炎などを引き起こし、死亡する事例がまれに見られるとされる(注 2)。
・ 感染力(どのくらいの人に感染してしまうか)
:強い
日本国内では一人の患者が 2.3 人に感染させていると推定される。これは例年の季節性インフルエ
ンザの数字(1.1~1.4 人前後)に比べてかなり高い。特に、20 歳未満の患者では、2.8 人と極めて
高いとされている(注 3)
。
上記分析から分かるとおり、今回の新型インフルエンザに関しては、従来強調されてきた「大量の
死者が出るリスク」は低い。ただ、例年の季節性インフルエンザよりも感染力が高いことから、一つ
の部署に所属する大半のスタッフが欠勤するなどの事態が発生するリスクは残る。
また、
「感染拡大防止に十分協力していない」、
「事業活動を継続したことで感染を社会に広げた」と
みなされた企業では、報道などの影響により、当該企業の信用や信頼、ブランドといった無形の資産
が損なわれるリスクもある。更に、2009 年~2010 年の冬に向けて、今回発生した新型インフルエン
ザの病原性が高まり、より重い病気となるリスクが指摘されている。
これまで述べたリスクは、業種や規模を問わずすべての会社に当てはまる。よって、今回の新型イ
ンフルエンザがもたらしたリスクは、決して小さいものではなく、すべての企業が対策に取り組むべ
き課題であると考える。
1
質問 2
正確な情報を迅速に入手するためにはどうしたらよいか。
回答 2
社外からの情報収集
情報源の性質を考慮した使い分けが重要である。第一報は圧倒的にマスコミが早い。行政は確認を
重ねた後に情報を公表するため、どうしても時間がかかる。また、専門的な知見に基づく分析や正確
な情報を求めるのであれば、マスコミ報道では不十分だと感じることもあるだろう。
このような情報源の性質を考えて、自ら能動的に情報を収集・分析することが重要である。マスコ
ミ報道以外では、以下のようなニュースソースを活用することが考えられる。
・ 海外の専門機関(WHO、米国や欧州の疾病予防対策センターなど)のホームページを確認する。
利点:無料、最新の生情報が入手できる。
欠点:英語の壁を乗り越えた上で資料の分析ができる知見をもった社員が必要。
・ 専門情報会社と契約する(注 4)。
利点:分析された最新の情報が入手できる。
欠点:コストがかかる。
・ 専門家のブログを確認する(注 5)
。
利点:無料、専門家から直接知見をうかがえる。場合によっては個別に相談できることもある。
欠点:専門家個人の意見であるため、立場やこれまでの見解を踏まえて解釈する必要がある。
社内からの情報収集
社員からの情報収集は、正確な地域コミュニティの様子を知る貴重な手段である。社員が体調不良
を呈した場合等の健康状態の報告に加え、自治体からの広報、休校措置の有無とその範囲など、住民
にしか入手できない情報は積極的に報告させることが望ましい。
質問 3
国内での感染拡大の報告が入った時点で、近畿地方への出張禁止の指示を出したが、中止するタイ
ミングに迷った。どのような情報から中止を判断すればよいか。
回答 3
今回の新型インフルエンザ感染拡大での各社の取り組み実例を見ると、新型インフルエンザの発生
が騒がれた時期から国内に第一号患者が確認されるまでの段階では、各社ともかなり広い範囲で出張
禁止の指示を出している。これは、新型インフルエンザの病原性および感染力について見極めがつか
ない以上、最悪の事態に備えるという行動であり、理に適っていたといえよう。
各社の出張規制解除は、以下の事象をタイミングとして用いた事例が多かった。
・ 学校閉鎖の解除
(具体例)学校閉鎖の終了後7日間地域で発症者が確認されない場合は解除 など
・ 政府の地域指定解除
(具体例)政府が兵庫県・大阪府全域を対象とした感染拡大防止地域指定を解除したタイミングで
出張規制を解除 など
なお、これらの対応は出張規制に関する対応であって、手洗い、咳エチケット、うがいなどの衛生
的な習慣を身に付けさせるための教育や、消毒用アルコールの配備などの対応は現在でも継続して行
っている企業が少なくない。
2
質問 4
消毒薬やマスクを入手するのに非常に苦労した。予算も乏しいことから、消毒薬やマスクをスムー
ズにかつ安価に購入したいと考えているが、どのような手を打つべきか。
回答 4
新型インフルエンザが再び流行する前に一定量を備蓄する必要がある。今冬に新型インフルエンザ
が再び流行したと仮定すると、今回と同様、消毒薬やマスクは非常に品薄となり、価格も上昇する可
能性が高いと見込まれるからである。
ただ、これらの物品を購入するにしても、社員が使用する必要な量をすべて企業サイドで用意する
ことが求められるわけではない。具体的には、以下のような取り組みがなされた事例がある。
・ 社員に消毒薬やマスクの社内販売を行い、購入した社員に一定の補助を行った事例
一定の補助の内容としては、「購入した数と同数を会社から支給」
「会社から補助金をだし、単価を
大幅に引き下げ」など
・ 社員と会社とで役割分担を行った事例
「アルコール消毒薬は会社が準備するが、マスクは社員で準備する」
「マスクは会社で準備するが、アルコール消毒薬や手洗い石鹸などについては、社員共済会で一括
購入する」など
企業と社員の負担割合をどうするかについては、各社の組織文化によるところも大きく、画一的な
回答はない。健康管理は個人の責任でもあることを踏まえた対応とするべきとする意見がある反面、
企業の事業継続上の必要性から個人防護具の着用を義務付けするのであれば、企業が負担するべきと
の意見もあり、各社の対応が分かれている。
質問 5
感染防止を目的として、企業はどの程度の社員用個人防護具を備えるべきか。
回答 5
個人防護具には、手袋、白衣、帽子、マスク、エプロン、ゴーグル、フェイスシールド、靴カバー、
防護服などが含まれる。このうち、企業が一般的に購入しているのは、マスクである。
マスクは感染拡大を防ぐ、すなわち「他人にうつさない」ことを目的に、社員が着用するものであ
る。マスクには、N95 レスピレーターと呼ばれる非常に高性能のものもあるが、一般的にはサージカル
マスクと呼ばれる不織布のマスクでも十分にこの目的を果たせるといえる。
一部で、「企業が社員にマスクを着用させても意味がない」とした専門家の見解があった。また、欧
米のガイドラインでは、
「マスクによる感染防止効果は期待できない」と明記されている(注 6)。しか
しながら、日本では、欧米と異なりマスクの着用が 20 世紀初頭から一般的な衛生的慣習として行われ
ている。マスクに頼ればいいという考え方ではなく、手洗い、手指消毒、せきエチケットといった基
本的な感染予防対策に加えて、マスクを着用するのであれば、トータルに考えれば一定の効果がある
ものと期待される。なお、今回の新型インフルエンザの流行が見られた関西地域では、取引先がマス
クを着用しない部外者の立ち入りを禁止する措置を行ったことから、営業活動を行うためにマスクを
至急購入したとする事例が少なからず見られる。
その他の個人防護具については、ケースバイケースで考える必要があるだろう。例えば防護服につ
いていえば、調剤薬局業など患者に直接対面する可能性がある企業や、検体検査業、医療機器製造販
売業など医療機関に対してサービスを提供する企業では、状況によっては防護服が必要になることも
あると思われる。また、新型インフルエンザ以外の病気、特に一類感染症(注 7)の対策も考えたいと
いうことであれば、事業の内容によっては、防護服が必要な企業もあると思われる。
3
質問 6
事業継続計画を策定する上で、病原性が高い新型インフルエンザが流行した場合には、一時事業所
を閉鎖することを検討している。このとき従業員への給与支払いはどうするべきか。また、派遣社員
の取り扱いはどうするべきか。
回答 6
この問題は、法律上の検討と事業継続上の検討を踏まえて、結論を出すべきであると考えられる。
法律上の議論については、現時点で厚生労働省他からのガイドラインや通達が示されていない以上、
各社において、弁護士と相談の上、見解を取りまとめておくことが重要である。弁護士が見解を明ら
かにした論文などを参照するのもよいと思われる(注 8)。
ただ、この問題は、法律上の検討を行えばそれで足りるわけではない。新型インフルエンザの大流
行が終息した後に、できるだけスムーズに事業を復旧するために何が必要かという事業継続上の検討
も必要であろうと考えられる。
給与の支払いが一定期間止まるというのは、働くものの立場からすれば生活の根底を揺るがす重大
事である。仮に、事業所が一時閉鎖され、その間従業員に給与を支払わないと決定した場合、従業員、
特に会社との関係が正社員に比べて希薄なパート・アルバイトは、退職を真剣に検討するであろう。
業種によっては、パート・アルバイト社員なくして事業運営は不可能な企業も少なくない。「法律では」
「就業規則では」という原則論がスタートラインではあるが、事業の継続を果たすためにはプラスア
ルファの利害調整が必要な場面もあることを理解する必要がある。
なお、この問題は、派遣社員や請負を活用している企業でも同様であり、派遣元企業や請負企業と
事前に協議の上、一定の合意に達しておくことが重要である。
質問 7
今年の冬に新型インフルエンザの大流行が来るというのはどのような根拠によるものか。
回答 7
新型インフルエンザについては、確かなことは何もないというのが現状であり、大流行がこない可
能性もないとはいえない。ただ、一般論として、一度発生した呼吸器感染症は、国民の大半が罹患す
るか、ワクチンを接種するかで免疫を獲得するまで、感染が拡大する。非常に感染力の強いはしかや
結核は、ワクチン接種で国民の大部分が免疫を獲得しているから、発症者数が抑制されているのであ
る。
新型インフルエンザも同様の呼吸器感染症であるから、国民の大部分が実際に罹患するか、ワクチ
ンを接種するかで免疫を獲得するまで感染拡大が継続すると考えるのが自然である。国の新型インフ
ルエンザ対策行動計画(平成 21 年 2 月版)にも、「再燃期」として、いったん流行が終息した後に患
者発生が増加することを予定した記述がある。
過去の経験では、日本では季節性インフルエンザの大流行は冬に起きている。本稿執筆時点で冬に
向かいつつある南半球の諸国では、新型インフルエンザの感染が急速に拡大している状況である。一
部の国では、地方政府の公衆衛生当局者が「感染制御が不可能な状況になりつつある」と表明してい
るほどである。
また、記録が残っている過去の新型インフルエンザ(1918 年のスペインインフルエンザ、1957 年の
アジアインフルエンザ、1968 年の香港インフルエンザ)でも、感染拡大のピークは 2 回もしくは 3 回
来ていることが統計上確認されている。
以上のような要因を勘案すれば、今年の冬に新型インフルエンザが再度流行すると想定するのは、
不自然ではないと思われる。
4
質問 8
新型インフルエンザが再度流行すると想定される今年の冬に向けて、新型インフルエンザ対策を検討
したいと考える。企業が最低限考えておかなければならないポイントは何か。
回答 8
国の事業者・職場向けガイドラインを要約すると、3 つのテーマに取り組むことが求められている。
すなわち、「1:感染予防」「2:対応体制」
「3:事業継続」の 3 つである。これを踏まえると、最低限考え
ておくべきポイントとしては以下のとおりとなる。
1:感染予防:感染拡大を防止するための取り組み
・ 手洗い、手指消毒、せきエチケットの 3 つを社員に周知徹底する。
この 3 つが感染拡大防止に有効であることは明らかとされている。これらを実行するために必要な
備品についても同時に備蓄を進めておく。
・ 体調不良の社員が出社することを厳禁とする。
いくら企業が対策を講じても、発症した社員が無理して出社したのでは、効果は半減してしまう。
なお、流行発生初期の段階では家族が体調不良の場合も同様に出社させないことを原則とするが、
その後の状況によっては緩和する選択肢もある。
2:対応体制:新型インフルエンザ大流行時における企業の意思決定を継続するための取り組み
・ 重要な意思決定を行う立場の役職者については、権限代行のルールを定める。
各社の事業継続計画についての相談に応じてきた経験からすると、多くの場合、議論になるのは「誰
が最終的に決めるか」である。権限の代行順位を事前に明らかにし、スムーズな業務運営ができる
よう準備しておく。
・ 緊急連絡網を整備する。
大流行時には、自宅待機となる社員も発生してくる。指揮命令のルートを整備し、連絡を取る手段
を構築しておく。なお、一度整備したあとも、継続して更新していく仕組み作りも重要である。
3:事業継続:新型インフルエンザ大流行時における事業継続のための取り組み
・ ある社員が欠勤した場合に代替が利かない業務で、かつ 1 日 2 日といった短期間でも止まると会社
に重大な損害が生じる業務だけでも対策を事前に検討しておく。
本来は病原性の高い新型インフルエンザを想定した緊急時の対応を策定することが望ましい。しか
しながら、どうしても時間が取れない場合は、上の基準に合致する業務を重要継続業務として事前
に洗い出し、代替手段を講じることを勧める。
終わりに
2009 年 2 月、当社は、日本国内の上場企業を対象とした新型インフルエンザ対策に関するアン
ケート調査を実施した。その中で、対応する予定がないと回答した企業が挙げた理由のうち、も
っとも多く挙げられた理由は、「一企業の対応能力を超えるから」であった。
しかし、企業も新型インフルエンザの流行により影響を受ける以上、自社でもコントロールで
きる範囲内で何らかの対策を講じる必要がある。公衆衛生の専門家たちは、企業が感染拡大を防
ぐために最も重要な取り組みは、「体調不良を感じた社員に出社させない」、「社員に手洗いとせ
きエチケットを徹底する」の 2 点であると指摘している。この取り組みは多額の投資を要するも
のではない以上、
「自社の対応能力を超えている」との抗弁はできない。自社でもできる範囲の対
策を検討し実行する。これが企業として社会的責任を果たすことにもつながる。一社でも多くの
企業が新型インフルエンザ対策に取り組まれることを願っている。
5
注1
注2
注3
注4
注5
Pandemic Potential of a Strain of Influenza A (H1N1): Early Findings
http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/1176062
World now at the start of 2009 influenza pandemic.(WHO チャン事務局長声明)
http://www.who.int/mediacentre/news/statements/2009/h1n1_pandemic_phase6_200906
11/en/index.html
TRANSMISSION POTENTIAL OF THE NEW INFLUENZA A(H1N1)VIRUS AND ITS
AGE-SPECIFICITY IN JAPAN(Euro surveillance vol14 22,04)(ユトレヒト大・西浦博他)
http://www.eurosurveillance.org/ViewArticle.aspx?ArticleId=19227
日本国内でも契約できる企業としては以下などがある。
http://www.rescuenow.co.jp/3rdwatch/3rdwatch-tsuuhou.html
著名な専門家のブログとしては以下を代表例として挙げられる。
元小樽市保健所長外岡秀人医師のブログ「鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集」
http://nxc.jp/tarunai/
近畿医療福祉大学勝田吉彰教授のブログ「新型インフルエンザ・ウォッチング日記」
http://blog.goo.ne.jp/tabibito12/
神戸大学医学部微生物感染症学講座岩田健太郎教授のブログ「楽園はこちら側」
http://georgebest1969.cocolog-nifty.com/
米国内科学会フェロー・感染症コンサルタント青木眞医師他のブログ「感染症診療の原則」
注6
注7
注8
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/
Interim Recommendations for Facemask and Respirator Use to Reduce Novel
Influenza A (H1N1) Virus Transmission( 米 国 疾 病 予 防 対 策 セ ン タ ー )
http://www.cdc.gov/h1n1flu/masks.htm
一類感染症とは、感染力及び罹患した場合の重篤性から判断して極めて危険性が高いと判断さ
れた感染症である。具体的には、エボラ出血熱、クリミア・コンゴ出血熱、痘瘡、南米出血熱、
ペスト、マールブルグ病、ラッサ熱が指定されている(感染症法 6 条)
新型インフルエンザと法的リスクマネジメント(中野明安弁護士、NBL899 号 P10-22)に詳し
い。
以上
株式会社インターリスク総研 主任コンサルタント 小山
和博
[email protected]
不許複製/Copyright 株式会社インターリスク総研 2009
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