訳者まえがき - ダイヤモンド社

訳者まえがき
本書はあらためて言うまでもなく、戦略論でリソース・ベースト・ビュー(経
営資源に基づく企業観、以下RBV)を提唱するジェイ・B・バーニーによる戦略論
テキスト(原著Gaining And Sustaining Competitive Advantage, Second Edition)の翻訳で
ある。欧米MBA校の人気テキストであるほか、戦略論研究者のなかでも注目を
集めている本格的戦略論の体系である。
戦略論のテキストとしての本書の価値は、バーニー自身による「序章」に詳述
されているように、①企業経営の外部環境と企業内部の経営資源をバランスよく
整理していること、②戦略の「策定」と「実行」の議論を分離せず、戦略オプシ
ョンの各章の下で、密接に関連するプロセスとして統合していることにある。だ
が、原著者の下で戦略論を学んだ私の立場から、類書にないその価値をさらに数
点挙げて補足しておきたい。
第1に、本書は1990年代後半以降、アメリカ経営学会の戦略分野で主流となっ
たRBVに基づくフレームワークが第5章以降の全編を貫いている点である。バ
ーニーはRBV発展のなかでも理論的支柱の1人として主導的役割を果たしてき
た。もちろん本書では、業界の競争構造にも十分なスペースを割き、内部資源の
分析フレームワークとともに包括的な議論を展開していることは言うまでもない
が、競争優位が「いかに持続可能か」という問題意識をすべての戦略オプション
に対して検証し、その条件を明らかにしている。戦略価値の持続可能性の源泉を
企業内部の経営資源に求めるという点で、このRBVは企業の戦略理論に新たな
地平を切り開いたと言えるであろう。興味深いことに、RBVの主張は外部環境
を重視するマイケル・ポーターのポジショニング理論と補完的関係にあるととも
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に、ある面では相容れない要素もはらんでいる。その詳細は本文(特に第3章、
第4章、第5章)を読み進めながらじっくりとお考えいただきたい。
第2に、本書の網羅性・包括性である。いわゆる特定テーマのビジネス戦略書
は一般読者の目を引くタイトルがつけられ、ある特定の戦略上のテーマに限定し
て著者の考えを中心に述べるタイプのものが多い(もちろん、これはこれで特定テ
ーマに関する著述として価値があることには一片の疑いもない)
。一方、本書はあく
まで戦略論の教科書として書かれているため、きわめて包括的に、戦略理解に不
可欠な基本的理論(企業のパフォーマンス測定に関する財務理論、取引費用理論、プ
リンシパル・エージェント理論、産業組織論に基づくポジショニング理論、内部資源を
重視するリソース・ベースト・ビュー、ミンツバーグに代表される創発戦略、リアルオ
プション理論等)をすべて網羅し、各々についてその強みだけでなく限界を必ず
指摘している。すべての理論は仮説にすぎず、より高い説明力を目指して修正さ
れ続けるべきものだからだ。もちろん、著者の専門とするRBVに関しても同じ
視点が貫かれている。そのため、企業の戦略理論を包括的・客観的に学ぼうと考
えている読者は、本書の内容を偏りのない戦略論テキストの標準と考えて差しつ
かえないであろう。
第3に、本書はきわめて平易に書かれていることである。経済学の基本的理解
は一部必要とするが、初めて戦略論を学ぶ学部生であっても十分に読みこなせる
レベルの内容である。一般にアメリカ高等教育のテキストは段階を追ってじっく
り読んでいけば必ず理解できるように書かれており、本書もその例外ではない。
多少冗長な表現は多くなるものの、論理の飛躍や専門知識を前提とした解説の省
略を極力行わずに粛々とていねいに論を進める。
第4に、初学者へのわかりやすさと同時に、本書は戦略分野の研究者および博
士課程の学生の使用に耐える専門性を備えている。この一見矛盾すること(平易
さと専門性の両立)を可能にするのは、本書の各章末の注と巻末索引の存在であ
る。つまり、MBA課程の学生や実務家が戦略論のテキストとして読む場合には
本文のみを読解すればよいし、戦略を専攻する博士課程の学生は各章の本文をま
ずざっと読むことによってそのテーマを概観し、次に各章末の注に挙げられた学
術論文を「すべて」読破していくことにより、戦略に関する重要な文献を少なく
とも2000年初頭までの範囲ではカバーできる。事実、バーニー教授の下では、こ
の教科書に参考文献として挙げられたすべての学術論文を博士課程での戦略論セ
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ミナーのリーディング・リストとして用いていた。なお、各章末の演習問題は単
に内容確認にとどまらず、戦略理論を深く考えさせる問題が設定されている。修
士課程は言うに及ばず博士課程の演習においても活用可能な、読者のレベルによ
っていかようにも回答内容が変わっていく大変効果的な設問である。このように、
本書は使い方によって幅広い層の読者を対象として想定できるようになっている。
さてここで、本訳書の題名についてコメントしておこう。多少なりとも戦略理
論に通じた読者であれば、事業レベルの戦略との対比において企業戦略という概
念を理解しているものと思われる。すなわち、この理解に従えば企業戦略とは複
数事業を束ねる全社レベルの戦略を意味し、事業ごとにその価値の最大化を目指
す戦略(事業戦略)を含んでいない(もちろん、本書が事業戦略に関する重要な考
え方をすべて網羅していることは言うまでもない)
。にもかかわらず、あえて本書の
題名を『企業戦略論』としたわけはごく単純である。それは本書の目的が「企業
の戦略を説明する理論」を包括的に述べることにあるからである。その意味にお
いて、全社レベルの戦略を意味する英語のcorporate strategyを訳出した「企業
戦略」という日本語と、本書の題名とは無関係である。初学者にも題名としてわ
かりやすい、というのが決め手であった。企業経済学の始祖とも言うべきロナル
ド・コースの古典的論文The nature of the firm(企業の本質)にならって本書の題
名を英訳すれば、The theories of the firm strategyということになろう。
また原著は、600頁に及ぶ大著であり、かつ日本の読者に割愛すべきところも
見当たらなかった。そこで1冊の翻訳書として出版するにはあまりに大部となる
ため、原著者の了解の下、3部作として出版することとなった。原著は3部構成
であり、第Ⅰ部The Logic of Strategic Analysisを「上巻・基本編」、第Ⅱ部
Business Strategiesを「中巻・事業戦略編」
、第Ⅲ部 Corporate Strategiesを「下
巻・全社戦略編」と分けた。この分割はあくまで携帯性と使いやすさを考慮した
ものだが、読者には是非全3部を完結した戦略論テキストとして読破していただ
きたい。そうして初めて、原著本来の特徴である理論の一貫性と整合性を体感す
ることができるであろう。
さらには、この訳書の出版をお待ちいただいた多くの方々にお詫びを申し上げ
たい。
『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2001年5月号の特集「戦
略論の進化」で私が書いた解説文のなかで、本書を2001年夏頃出版予定と記した。
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当時私はバーニー教授からゲラ刷りの原著を譲り受け、翻訳に取りかかったとこ
ろであった。以来、刊行まで実に2年半がたってしまった。編集部によれば、そ
の間翻訳版刊行に関し100件を超える問い合わせがあったという。それだけこの
テキストの翻訳を待ち望む声があったということは、訳者として大きな喜びであ
ると同時に、ご要望に対しタイムリーにお応えできなかった私の遅筆に対し、伏
してお詫びする次第である。もちろん刊行遅れの要因はすべて私自身にあるが、
その一端は私なりの「翻訳ルール」に帰すことができる。
私は原著者であるオハイオ州立大学のジェイ・バーニー教授の下で5年間の博
士課程を過ごし、1999年に経営学の博士号を取得した。その間ゼミナールや有力
研究者による私的勉強会、学会におけるコンソーシアム(大学横断的な研究者会
合)を含め、さまざまな場面で戦略理論家としてのバーニーから教えを受け、時
に反駁して意見を戦わせ、研究者としての鍛錬を積んできた。そのような経緯か
ら、同教授がその発展に影響を与えたリソース・ベースト・ビューを根幹とする
テキストを日本へ紹介するに際し、私の経験を踏まえていかに血肉の通った翻訳
文にするか、という点に真剣な思い入れをもって望んだ。すなわち翻訳にあたっ
ては、同教授とのこれまでの緊密な知的議論を通じて理解した「彼の文章表現の
背景にある文脈」を汲み取り、
「英語の文章の機械的直訳でなく、著者が真に意
味するところを吟味して一言一句訳出する」ことを原則とした。それゆえ、予想
以上に多くの時間がかかってしまった。
最後に、ダイヤモンド社の岩佐文夫氏には心より感謝の意を表したい。原著の
価値を見抜き、私に辛抱強い励ましと鋭いアドバイス、そして膨大な編集作業を
通じて支援し続けてくれた氏の存在がなければ本書は世に出ていない。また、各
章の要約と演習問題の訳出には深谷健一郎氏の協力を、第9章の数値例に関して
は私の研究室の卒業生である清水一成君が原著の誤りを指摘して再計算してくれ
た。あわせて感謝の念を表したい。訳書とは言え本文すべてを単独で訳出する長
丁場のストレスを共有し、常に物心両面の支えとなってくれた妻の瑠奈と娘の花
凜にもありがとう、と言いたい。
2003年11月
岡田正大
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