Untitled

ま え が き
私がはじめて
リーダーシップ・トレーニング
に出会ったのは 1968 年
のことである。その頃、私が所属していた九州大学の集団力学講座ではリー
ダーシップを測定する
尺度
ができあがっていた。主任教授はリーダー
シップ研究の第一人者として知られる三隅二不二先生であった。しかし、
リーダーシップの現状を
測る
きない。それは、 健康診断
だけでは実践的な効果を期待することがで
の結果を伝えただけでは健康の維持増進に繋
がらないのと同じである。そこで、より望ましいリーダーシップを発揮する
ためのトレーニングの開発が期待されることになる。そうした流れのなかで、
リーダーシップ・トレーニング
の開発がスタートしたところであった。
最初の本格的な研究はブリヂストンタイヤ(株)の監督者を対象にしては
じまった。職場でリーダーシップ調査を行い、それをトレーニングの場で分
析する。その結果をもとにリーダーシップを改善するためのアクションをと
る。これが「リーダーシップ・トレーニング」の基本的な図式である。その
頃、大分県の天瀬温泉にブリヂストンタイヤの保養所があった。その地で
「リーダーシップ・トレーニング開発プロジェクト」が展開されたのである。
天瀬には久留米と大分を結ぶ久大線のディーゼルカーに乗って何度となく
通った。私は学生だったから「金魚の糞」ほどの役割しか果たせなかった
が、目の前で進められるリーダーシップ・トレーニングがおもしろくて我を
忘れた。トレーニングを終えた参加者たちは帰りの列車で打ち上げをする。
そのときの元気で前向きの姿勢を見てトレーニングのすごさを感じた。ここ
ですでに私の進路が決まっていたのだと思う。
そんな私を見られたのだろうか、三隅先生をはじめとして助手や大学院の
先輩方がトレーニングが入ると声をかけてくださるようになった。そして、
「長崎の三菱造船所でトレーニングをふくめた大規模なプロジェクトがはじ
まるのだけど」と誘われたのが 1970 年のことである。今度は雲仙の小浜温
泉にある国民宿舎が会場だった。ここで数年をかけて「リーダーシップ・ト
レーニング」が実施された。私もそれなりの体験をして、トレーニングでさ
さやかながら役割を果たせるようになっていた。そしてこのとき、私ははっ
きりと「リーダーシップ・トレーニング」をライフワークにしようと心に決
めたのである。
トレーニングが対象にする領域は広い。特に看護界では、「リーダーシッ
プ・トレーニング」に対する期待が強く、これに応える形で様々な手法を開
i
発することができた。また、今日では教育の領域でも評価していただけるよ
うになった。これまで実施したトレーニングのスケジュールシートが 500 枚
を超えた。私の宝物である。もう 40 年ほど前のトレーニングで撮った集合
写真がある。それを見ただけで、「ああ、この人はこんなことを言ったなあ」
「あんなことがあって驚いたなあ…」。そんな思い出がよみがえる。私にとっ
てすべてのトレーニングが記憶の箱のなかに入っている。
私としてはオリジナルな
リーダーシップ・トレーニング
を開発してき
たつもりではいる。しかし、ここに至るまでには多くの方々のご指導やサ
ポートがあったことは言うまでもない。そのお一人おひとりのお名前をあげ
ていけば、それだけで前書きとしての適切な紙数を超えてしまう。そうした
事情から、ここは
すべての皆様に感謝
という表現でお許しいただきたい。
そのうえで私的なことを付け加えるのは躊躇するのだが、あえて妻美都子
には感謝の気持ちを伝えておきたい。いつの頃からだろうか、私が書くもの
は論文、評論、小記事を問わず、美都子に目をとおしてもらっている。彼女
は私の仕事にはまったくの門外漢であるが、それが故に内容と表現の両面か
ら素朴な疑問を投げかけてくる。そして、その多くが的を射ているのである。
本書が少しでも読みやすいものになっているとすれば、それは美都子の貢献
によるところが大きい。
2011 年 6 月
吉田道雄
ii
目
次
はじめに……i
第1章 リーダーシップ力アップの基礎
1. グループ・ダイナミックスとリーダーシップ 2
●
集団の科学としてのグループ・ダイナミックス……2
グループ・ダイナミックスのはじまり……3
アクション・リサーチの展開……4
リーダーシップ・トレーニングのあけぼの……7
2. リーダーシップ・トレーニングの前提 15
●
リーダーシップ・トレーニングと道具……15
教育から学習へ……16
3. コミュニケーションの基礎 21
●
「言語的コミュニケーション」
と
「非言語的コミュニケーション」
……21
「言語的コミュニケーション」
の落とし穴……22
コミュニケーションの成否を決める組み合わせ……24
コミュニケーションと対人関係……26
コミュニケーションのインフラ……27
第2章 実践的リーダーシップの探求
1. リーダーシップを考える視点 32
●
リーダーとリーダーシップ……32
実践としてのリーダーシップ……33
2.
リーダーシップ力の公式とチェックリスト ● 35
リーダーシップ力の公式……35
リーダーシップ力のチェックリスト……37
3. リーダーシップの「行動論」 41
●
「特性論」から「行動論」へ……41
リーダーシップの円錐……42
iii
第3章 リーダーシップ・トレーニングの基礎
1. リーダーシップ・トレーニングが求められる背景 48
●
対人関係力喪失の時代とリーダーシップ・トレーニング
……48
リーダーシップ・トレーニングの文化的背景……49
2.
リーダーシップ・トレーニングの設計 ● 51
トレーニングの 3 コース……51
リーダーシップ・トレーニングの流れ……52
第4章 基礎研修と職場での実践
1. 基礎研修のスタート 60
●
リーダーシップ・トレーニングのキックオフ……60
オリエンテーション……61
人間理解の基礎……64
2. 情報提供(Ⅰ) 66
●
グループ・ダイナミックスと集団理解……66
3. グループワーク(Ⅰ) 78
●
グループの編成……78
リーダーシップ力アップのグループワーク……79
グループワーク(Ⅰ)のまとめ……89
自分のイメージ……89
心の 4 つの窓……92
集団の発達……94
4.
効果的な情報提供 ● 98
知識から意識へ、そして行動へ……98
情報提供による説得……99
説得から納得へ……102
iv
5. 情報提供(Ⅱ) 104
●
管理から経営へ……104
リーダーシップと影響力……106
6.
グループワーク
(Ⅱ)● 116
求められるリーダーシップの探求……116
自分に求められているリーダーシップ行動の探求……123
行動目標の設定……126
行動目標実践の自己決定……129
7. 職場での実践とリーダーシップ・チェック 132
●
「見えてますか」シート……132
第5章 フォロー研修
1. フォロー研修のスタート 136
●
オリエンテーション……136
3 か月後の振り返りと情報交換……137
2. データ分析 144
●
データ分析の準備……144
リーダーシップデータの分析……147
3. 情報提供(Ⅱ) 152
●
コメントとQ&A……152
情報提供(Ⅱ)……154
4. 行動目標のリフレッシュ 163
●
目標設定の条件……163
行動目標のリフレッシュ……169
3 か月後の手紙……171
目 次
v
第6章 リスクマネジメントへの展開
1. グループ・ダイナミックスとリスクマネジメント ● 174
リーダーシップ・トレーニングとリスクマネジメント……174
事故防止のアクション・リサーチ……175
2. リスクマネジメントとトレーニング 181
●
リスクマネジメントのミニ情報……181
グループワークのチェックシート……185
3. リスクマネジメントにかかわる情報提供 196
●
安全風土・文化・規範のスパイラル……196
リスクマネジメントと悪魔の法則……201
マニュアルを守る集団づくり……208
リスクマネジメントの公式(分数物語)……210
ホームページへのお誘い……215
文献……217
索引……219
vi
リ
ーダーシップ力
アップの
基礎
第
1
章
グループ・ダイナミックスと
1. リーダーシップ
集団の科学としてのグループ・ダイナミックス
健康で活気に満ちた安全な職場をつくることは誰もが望んでいる。そ
して、その実現のためには「リーダーシップ」が重要な役割を果たすの
である。そこで本書では、
「リーダーシップ」の理解を深める情報を提
供するとともに、その改善/向上を目指す「トレーニング」について詳
しく解説する。そこで、まずは「リーダーシップ」とかかわりの深い
「グループ・ダイナミックス」の紹介からはじめることにしよう。
なお、本章のタイトルは「リーダーシップ」に「力」を付けて「リー
ダーシップ力」としている。これは「リーダーシップは筋肉と同じよう
に、トレーニングによって鍛えることができる」という筆者の考えを反
映したものである。その詳細は本書を通じて解説していくことになる。
「グループ・ダイナミックス( group dynamics )
」あるいは、その直
訳である「集団力学」と呼ばれる研究領域があることをご存知だろうか。
われわれの PR 不足もあってか、残念ながら一般にはあまり知られてい
ない。しかし、人の行動を改善する「集団決定法」やリーダーシップ向
上を目的にした「トレーニング」の開発など、グループ・ダイナミック
スの成果は大いに活用されているのである。グループ・ダイナミックス
は、その名のとおり「集団」で起きる現象を研究の対象にしており、そ
の範囲は人間行動のすべてをカバーしている。なぜなら、人間は集団あ
るいは社会と関係をもたずに生きていくことが一瞬たりともできないか
らである。第 2 次世界大戦後、イギリスの労働党が「揺りかごから墓場
まで」という政治スローガンを掲げたことがある。社会保障制度を充実
させ、「この世に生まれたときからあの世に逝くまで」国がしっかりサ
2
ポートすると訴えたのである。赤ん坊は人の助けがなければ生きていく
ことはできない。また、誰一人として自分で墓場に入ることもできない
のである。
しかし現実には子育てを放棄したり、自分の子どもを虐待する親たち
がいる。また様々な事情から、自分で命を絶つ人たちも多い。わが国で
自殺者が 3 万人を超えたのは 1998 年だが、それが 2004 年には 3 万 4427
人にも達している。そして、その後も大きな変化もなく、今日に至って
いる。これは、1 日に 80〜90 人、1 時間で 3〜4 人が自殺するという異
常事態である。自殺は社会や集団から「孤立した人々」、「孤独な人た
ち」の問題でもある。また社会とのかかわりがもてない人々の「引きこ
もり」も深刻化している。これらはどれもが「集団」が抱える問題であ
り、それを解決するためには「集団と個人」を同時に考えていくことが
必要になる。そこで、
「集団とのかかわりをとおして人間を理解する」
ことを目的にした「グループ・ダイナミックス」が大いに役立つのであ
る。
グループ・ダイナミックスのはじまり
グループ・ダイナミックスの歴史は第 2 次世界大戦前にまで遡るこ
とができる。その創始者であるクルト・レビン( Lewin, K. )は 1933
年にドイツからアメリカに移住し、数多くの研究を進めた( Marrow,
1969 )。その成果をもとに、1944 年にはグループ・ダイナミックスの
研究センター( Research Center for Group Dynamics )が設立されてい
る。レビンは著書のなかで、
「いい理論ほど実践的なものはない(There
is nothing so practical as a good theory )」( 1951 ) と 述 べ て、 実 践 に
役立つ研究の重要性を強調した。彼はまた「何かを理解したいと思っ
たらそれを変える努力をすることだ( If you want to truly understand
something, try to change them )
」とも言っている。ものごとを頭で考
えるだけでは問題は解決しない。現実に働きかける過程を通じて、その
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
3
本質が理解できるというわけだ。こうしたレビンのことばには、実践を
重視する彼の強い気持ちが表れている。それは社会科学の領域で実践か
らかけ離れた「理論」が一人歩きしている現実への批判だったのではな
いか。
今日でも、理論と比較して実践的な試みが価値的に低いと考える人た
ちがいる。彼らは、素人には近づけない高邁な理論こそが研究の主役だ
と言いたげである。しかし、実践は理論に奉仕するためにあるのではな
い。それはまさに本末転倒であって、理論のほうこそが実践に役立たな
ければ意味がない。とりわけ社会のなかで生きている人間を対象にする
研究は、
「実践性」の面から評価されるべきなのである。
アクション・リサーチの展開
現実の社会に役立つ研究を重視するレビンは、
「アクション・リサー
チ( action research )
」と名付けた方法を提唱した(図 1-1 )
。これは文
字どおり、
「実践( action )
」と「研究( research )
」を結びつける試み
である。その手法はリーダーシップの改善にも活かすことができる。そ
こでレビンが提示した考え方に手を加えながら、アクション・リサーチ
のステップを見ることにしよう。
1 ) 現実にある問題を発見し、明確化する
そもそも「アクション」を起こすためには、自分の身の回りの「問題」
に気づく必要がある。もちろん、万事が順風満帆にいっていれば問題そ
のものがないわけだ。しかし、現実はそれほど甘くはない。
「自分たち
には問題がない」と思っているのは、
「問題」に気づいていないだけで
あることが多い。そんな状況のもとで、予想もしなかったミスや事故が
起きることになる。われわれは、毎日の生活のなかで「問題」に気づく
感受性を磨いておくことが必要なのである。また、
「問題に気づいてい
ても、お互いそれを言い出せない」こともある。そうした状態が放置さ
れていたため、組織の存続を危うくする重大事故が起きてしまった事例
4
先行研究のチェック、
解決策のアイディア
(ボトム・アップ)
日常のウォッチング、
問題意識
1)問題点の発見と
明確化
2)現状を客観的に分析し、
問題解決のための
方策を探求する
3)実践に向けた
計画を立てる
4)計画を実践する
5)実践を評価する
6)計画を修正し、
新たな実践を行う
「教育」
から
「学習
―4 つのキーワ
・講義
・受業
・共育
・参加と参画
教育→講義→受
7)獲得した知識や
ノウハウを一般化する
図 1-1
アクション・リサーチのステップ
は枚挙にいとまがない。自分たちの「問題を明らかにし、共有化する」
ことが必要なのである。
ともあれ、われわれはいつも自分の周りのことを「ウォッチング」し
ておきたい。それが「問題を発見する力」を身につけることに繋がるの
である。そして、その問題点を明確に整理しておくことも忘れてはなら
ない。
2 ) 問題を解決するための方策を探求する
日常のウォッチング
問題意識
自分たちの問題が明らかになれば、それを解決するための具体的な方
策を考える。それまでの経験や知識をもとにして議論すれば、様々なア
イディアが出てくるはずだ。そのとき、職場に「何でも自由に発言でき
る」雰囲気がないと、個々人の意見やアイディアが抑えられてしまう。
また、他の職場で成功した事例や研究成果も参考になる。これに加え
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
5
て、現状を把握する調査などを実施してもいい。この段階で正確な情報
を得て、自分たちの問題を客観的に分析しておくのである。こうした流
れのなかで具体的な対応策が明らかになっていく。
3 ) 実践するための計画づくり
問題を解決する方策が決まれば、次はその実行に向けて計画を立てる
ことになる。この段階で、計画を進める際に必要な条件や予想される障
害を十分に検討しておく。また、計画が達成されたときに組織や個人に
起こる変化を明確にしておくことが期待される。それがアクション・リ
サーチの成果を評価する際の基準になる。
4 ) 計画の実践
計画が決まれば、いよいよ実践である。ただし、現実には計画どおり
にいかないことも出てくる。それが致命的な障害であれば計画は頓挫す
る。そうした事態に陥らないためにも、
「計画づくり」の段階で十分に
議論しておくことが欠かせない。もちろん、小さな障害は臨機応変に計
画を修正しながら克服していけばいい。そうした失敗の体験と気づきが
長期的には組織にとって大きな力になる。
5 ) 実践の評価
この段階では可能な限り客観的な視点から結果を評価することが求め
られる。実践にかかわった全員が「研究(リサーチ)する」気持ちで自
分たちの成果を検討するのである。その成果も「うまくいった」
「うま
くいかなかった」とチェックするだけでは意味がない。大事なのは「ど
うしてそうなったのか」を明らかにすることである。われわれには、実
践「する」だけでなく、
「したあと」にその結果を説明できる力が求め
られているのだ。それが欠けていると、次のアクションをとることがで
きない。また、評価にあたっては「失敗」は言うまでもなく、「成功」
についてもそれに影響を及ぼした原因を分析しておく必要がある。われ
われは「予想外の成功」をすると、つい有頂天になってしまう。そこで
冷静に客観的な分析ができるかどうかが、その後の実践の成否を決める。
「実践結果」を多面的に分析することで、新たなアクションへのエネル
6
ギーが生まれるのである。
6 ) 計画の修正と新たな実践
評価結果に基づいて計画の改善・修正を行い、さらにレベルアップし
た実践の段階に進んでいく。それが上昇スパイラルとなって組織に望ま
しい変化がもたらされる。こうしてアクション・リサーチは組織が存続
する限り成長していくのである。
7 ) 獲得した知識やノウハウの一般化
新しい試みが成功したときは、そこで得た知識やノウハウを他の組織
に応用することを考える。個別の実践活動である「アクション」を一般
化し普遍化することは「リサーチ」の重要な役割である。もちろん、「リ
サーチ」は専門家が行う学術的なものに限定する必要はない。ある組織
で得られた成果が広く活かされることは社会全体にプラスになるのであ
る。
ところで、アクション・リサーチの流れは、「 PDCA サイクル」と完
全に重なっていることがわかる。 PDCA
とは Plan-Do-Check-Act の
頭文字をとったものだが、目標をもって何かをするとき、まずは「計画
( Plan )
」を立ててから「実践( Do )」に取りかかる。そして、その結
果を「評価( Check )
」し、
「評価の分析と改善( Act )
」をしたうえで
次のステップに繋げていく。
「そんなこと当たり前ではないか」と言わ
れそうだが、それがコロンブスの卵というものだろう。この「PDCA サ
イクル」は第 2 次世界大戦後に展開された品質管理において提唱された。
レビンのアクション・リサーチはそれよりも早くそのすべてのステップ
を包含していたのである。
リーダーシップ・トレーニングのあけぼの
グループ・ダイナミックスの創始者であるレビンは「リーダーシップ・
トレーニング」に繋がる 3 つの重要な研究を行っている。ここでは、そ
の概要をみておこう。
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
7
□ リーダーシップの実験
この実験では 11 歳の子どもたちにお面づくりなどの課題が与えられ
た。その際に指導者を「専制型」
「民主型」「自由放任型」の 3 つのタイ
プに分けたのである。
「専制型」の条件では、指導者がすべての方針を
決定し、命令によって作業を遂行させた。また、作業を一緒に行う相手
についても指導者が指定した。子どもたちは自由に振る舞うことが許さ
れなかったのである。こうした状況に置かれて、子どもたちは「仕事」
について先の「見通し」をもつことができなかった。さらに指導者は作
業のできばえについてほめたり批判したりしたが、いずれも「個人的」
「主観的」な色合いの濃いものだった。
これとは対照的に、
「民主型」の指導者のもとでは作業の手続きを集
団の討議によって決めた。また、子どもたちが技術的な援助を必要とす
るときは、指導者が複数の対処法を提示した。子どもたちは、そのなか
から自分たちがいいと思う方法を選択するのである。さらに結果を評価
する際は「即時性」と「客観性」を重視した。前者は、子どもたちがほ
められる行動や注意すべき行動をとったとき、その場ですぐに評価する
ことを指している。これは学習心理学の領域で「即時フィードバック」
と呼ばれているが、タイミングをはずさない評価が学習を促進するので
ある。成人の場合でも、特に問題を起こしたときは時間を置かずに、そ
のことを指摘し指導することが大事だ。もちろん、人の前でこれ見よが
しに叱るのは避けなければならない。しかし時間が経過したあとになっ
て、「あのときはああだった、こうだった」と思い出すように指摘して
も迫力はない。それどころか、
「あの人はとても執念深くて昔のことを
いつまでも憶えている」などと陰口を叩かれてしまいかねない。さらに、
「民主型」のリーダーは「仕事の分担」を子どもたちに任せるなど、文
字どおり「民主的」に振る舞ったのである。
「自由放任型」の指導者は子どもたちとの関係を最小限に抑えた。も
のごとを決めるのはすべて子どもたちに任された。また、求められれば
8
情報を与えると伝えてはいたが、子どもたちの話し合いには参加しな
かったし、作業にもかかわらなかった。さらに、仕事の進め方を評価し
たり調整したりする役割も果たさなかった。
こうして、3 つの指導法が子どもたちに与える影響について、データ
の収集と分析が行われた。その結果、子どもたちの集団には大きな違い
が見出された。指導者が「専制的」に振る舞った集団では、子どもたち
が落ち着かず、お互いの間に「敵対意識」が生まれた。子どもたちは一
方的に押さえつけられることで自由な発言も行動もできなかったのであ
る。それが欲求不満として蓄積されていったと思われる。そのエネルギー
が一定の限度を超えると攻撃的な行動が引き起こされる。それは大人に
対する反発という形をとることもあるが、子どもたちの間で起きやすく
なる。お互いに「攻撃しやすい」からである。それが弱い者に向かえば
「いじめ」になるわけだ。また、
「専制型」の指導者に対して服従的な態
度を見せたり、リーダーの気を引く行動をとる子どもたちも現れた。さ
らに、指導者の前ではおとなしくしている子どもたちが、指導者がいな
くなると攻撃的な行動に走るケースもあった。このように「専制型」に
よる指導は子どもたちに望ましい影響を与えるとは思われなかった。
実験の結果、望ましい効果が見られたのは「民主型」だった。それは
常識的に予想されることでもある。何よりも、子どもたち同士が仲良く
作業を進めた。お互いに開けっぴろげで、生き生きとした人間関係が築
かれていった。それが子どもたちの活動に力を与え、作業の評価も高く
なる。仕事が順調にいけば、そのことがさらに意欲を高める方向に働く。
プラスの上昇スパイラルができあがるのである。
もう 1 つの「自由放任型」の場合はどうだったか。指導者から「放置」
され、適切な指導を受けなかった子どもたちに「意欲的に課題を達成す
る」前向きの姿勢は期待できない。予想されるように、仕事の達成度も
できばえも評価される水準には達しなかった。そんななかで、課題に取
り組まず遊んでいる子どもたちもいた。さらに、
「専制型」の場合と同
じような「いじめ」も発生したのである。こうして、レビンたちは大人
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
9
の指導の仕方によって子どもたちの意欲や満足度、そして課題の達成度
が違ってくることを明らかにしたのである。これこそはリーダーシップ
研究の先駆けと言うべきものであった。
□ 集団決定法の開発
レビンは人の態度や行動を変える試みにも果敢にチャレンジした。「知
行合一」ということばがある。
「知っていること」と「行動」が一致し
ていることである。しかし、口で言うのはやさしいが、その実現はむず
かしい。毎日を振り返れば、
「わかってはいるけどやめられない」こと
や「わかってはいるけどできない」ことが実に多い。
「知識」がそのま
ま「行動」に結びつくのであれば、飲酒運転など起きるはずがない。暴
飲暴食を注意されても聞く耳をもたず、ついには体を壊してしまう者も
いないはずだ。とりわけ「習慣化した行動」を変えることは途方もなく
むずかしいのである。
こうしたなかで、レビンたちは「食習慣の変容」を実現するために
「集団決定法」と呼ばれる技法を開発して成功を収めたのである。アメ
リカが日本と厳しい戦争を戦っていたときである。豊富な資源に恵まれ
たアメリカでもたんぱく源である肉不足が問題になった。戦場の兵士に
良質の肉を送っていたからである。肉不足を解決するための対策として、
レバーなどの「内臓」を食べることが考えられた。ところが、当時のア
メリカ人たちには「内臓」を食べる習慣がなかったのである。それを克
服して主婦たちに内臓を調理してもらう必要がある。そこで生まれたの
が「集団決定法(group decision making )」と呼ばれる技法だった。「三
人寄れば文殊の知恵」と言う。問題が起きたときには人が集まって話し
合うといいアイディアが生まれる。そんなことは誰でも知っているから、
話し合いのための会合は日常的に行われている。しかし、議論したあと
で「みんなで実行しましょう」と決めるだけでは、なかなかうまくいか
ないのが現実である。人の態度や行動はそれほど変わりにくいものなの
である。そこで、レビンたちは集団で話し合ったあとに、メンバーの一
10
人ひとりが全員の前で「私は□□を実行します」と自分の意思を表明す
ることを考えた。これが「自己決定」と呼ばれるものであるが、
「集団
決定法」の特徴はこれを「集団の話し合い」に組み込んだところにある。
「集団討議」と「自己決定」から 2 語ずつとって、「集団」+「決定」=
「集団決定」と考えるとわかりやすい。
こうしてレビンたちは、主婦が「それまでの習慣を変えて、牛肉の代
わりに内臓肉を調理して食卓に供する」ことを目標に「集団決定法」の
実験を行ったのである。会場に集まった主婦たちを 6 つのグループに分
けた。このうちの 3 グループには食習慣を変えるための講義が行われた。
そこでは戦争による肉不足の状況を説明し、緊急に対応することの重要
性を訴えた。そして、専門家が図や表を使いながら内臓の栄養価をわか
りやすく解説した。さらに、内臓の臭いを消す方法やおいしい調理法に
ついての資料も配られた。こうした工夫によって、講義は楽しい雰囲気
のもとで行われた。受講者たちは感じのいい講師から「内臓を食卓に供
する」ことの必要性と重要性について「十分な知識」を得たのである。
これに対して集団決定法のグループでは、はじめに現在の社会状況を
説明し、あわせて肉に代わる内臓の栄養について情報を提供した。その
後、主婦たちは現実に内臓を調理できるかどうかについて集団で話し合
いを行った。そのなかでは様々な問題点も話題になった。グループでは
そうした問題を解決する方法についても検討が行われた。そして予定さ
れた時間になったところで、主婦たち全員がグループメンバーの前で
「次の週に 1 回は内臓を使って料理する」ことを「自己決定」したので
ある。
「講義法」と「集団決定法」は主婦たちの「食習慣を変える行動」に
大きな違いをもたらした。
「講義」を受けたグループの主婦のうち、1
週間後に「内臓肉を調理した」者は 3 %に過ぎなかった。これに対して
「集団決定法」のグループでは 32%もの主婦が内臓を使った料理をして
いた。
「集団決定法」の効果がデータとして明らかにされたのである。
ただし、実際にアクションをとったのは 32%だから、2/3 の人々は習慣
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
11
を変えたわけではない。その点では「集団決定法」の効果を過大に評価
するのは危険である。しかし、少なくとも「講義」という典型的な知識
注入型の働きかけとは比較にならないほど有効であることは事実なので
ある。人間の様々な試みは「その時点でベターな選択がベストの選択」
だと考えたい。
「たった 30%じゃないか」などと言わずに、とにかく前
に踏み出してみることである。
その後、レビンは「講義法」の代わりに「個人教示法」を導入した実
験も行っている。このときは母親が赤ん坊にオレンジ・ジュースと肝油
を与えることが目標だった。その結果も「集団決定法」の効果を実証す
るものだった。特に「集団決定法」を体験したグループでは、時間とと
もに「実践率」が向上し、最初の 2 週間で 80%を超え、4 週間後にはほ
ぼ 100%を達成したのである。
すでにみたように、
「集団決定法」では、最終的に「行動を変える意
思の表明あるいは宣言」である「自己決定」が重要な役割を果たすので
ある。わが国でも昔は「血判状」なるものがあり、映画や舞台で見るこ
とがあるが、こうした決意表明も「自己決定」ということになる。ただ
し、それが力をもつにはメンバーたちに信頼関係が確立しており、お互
いに支え合う気持ちがなくてはならない。リーダーシップはそうした集
団をつくりあげるために欠かせないのである。
□ 感受性訓練の開発
「リーダーシップ・トレーニング」に影響を与えたレビンの 3 番目の
仕事は「感受性訓練( sensitivity training )」の開発である。レビンたち
はコネチカット州の人種関係委員会の依頼で指導者を養成する研修を
行った。その日の研修が終わるごとに収集されたデータを分析する会合
が開かれていたが、そこに数名の参加者が加わっていた。あるとき、参
加者自身から研修スタッフの解釈に異論が出されたのである。それを
きっかけにして、参加者たちの「いまここで」の行動を取り上げ、お互
いに様々な解釈を行っていく「感受性訓練」が生まれたのである。
12
「感受性訓練」は英語のイニシャルをとって「ST」と略称したり、「T
グループ」と呼んだりもする。
「 T 」は「 training 」の頭文字である。
これが人に対する感受性を高め、対人関係を改善・向上させる技法とし
て全米に広まっていくことになる。
ほとんど同じ時期に、カウンセリングを背景にしてカール・ロジャー
スが「エンカウンター・グループ」を開発している。これは直訳すると
「出会いの集団」であるが、
「感受性訓練」と共通するところが多い。両
者とも準備された課題が与えられない状況で、メンバーたちが相互理解
を深め、対人関係スキルの獲得や人間的な成長を図ることを重視する。
もちろん両者に違いもある。たとえば「感受性訓練」では「トレーナー」
が集団をリードするが、同じ役割を果たす者を「エンカウンター・グ
ループ」では「ファシリテーター」と呼んでいる。いずれにしても、特
定の課題を設定しないで「いまここで起きていること」を徹底的に分析
していく。その過程でメンバーたちが自分の行動やその心情を吐露する。
それらをお互いに受容したり拒否する、あるいは解釈し理解するといっ
た過程をとおして望ましい対人関係をつくる力を身につけていくのであ
る。
1960 年代の後半には九州大学でカウンセリングとグループ・ダイナ
ミックスの研究者たちが「感受性訓練」を実体験しながら研究を進めて
いた。ようやく 20 歳代に達した筆者はその研究に参加し、トレーナー
的な役割をたたき上げ的に学んでいった。いまから思えば、それが自分
の「リーダーシップ・トレーニング」への入り口だったのである。
その後、
「感受性訓練」の体験を重ねていくうちに、筆者は漠然とし
た疑問を感じはじめる。
「感受性訓練」では参加者たちを逃げ場のない
状況に追い込んでいく。こうした厳しい手法が、人々の態度や行動に影
響を与えることは事実だろう。それはアメリカのような風土ではいいと
して、わが国においても同じ効果が期待できるのだろうか。仮に効果が
あるとしても、参加者にマイナスの影響を与えることはないのだろうか。
こうした疑問に対して筆者なりに考えるところがあった。アメリカと日
第 1 章 リーダーシップ力アップの基礎
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