(2004年6月10日発行) PDF

読書運動通信
17 号
2004 年6月 10 日発行
★特集→先生方の一冊★
はじめに
6月になり、梅雨の季節となりました。雨は鬱陶しいから嫌だという声をよ
く耳にします。確かに鬱陶しいと感じる雨ですが、その中から美しさを探して
みるのも面白いのではないでしょうか。和漢朗詠集にこのような歌があります。
あをやぎの 枝にかかれる 春雨は 糸もて貫ける 玉かとぞ見る
訳は、
「芽を出した青柳の枝に春雨が降りかかって露のかたちとなっているの
は、まったく糸で真珠のつぶつぶでも貫いたように見えるよ」となります。
皆さんも雨をただ鬱陶しいと感じるだけではなく、そこから何か新しいこと
を発見したり、感じたりしてみてはいかでしょうか。
☆
今回は英文学科の井上勝先生の文章を掲載します。井上先生はアンケートで
はなくご自分の体験も踏まえた本の紹介を書いてくださいました。井上先生の
文章に私は一行目から引き込まれてしまいました。
皆さんも是非この文章を読んでアメリカ文学に興味をもってみてはいかがで
しょうか。
―ウィリアム・スタイロンの「シャドラック」を読んで―
文学部英文学科
井上 勝教授
突然、視界が消えた。私は失明したと思った。失明に恐怖を覚えた。1987
年2月6日午後6時30分頃のことである。ミシシッピ州ナッチーズの黒人の
教会でのことである。私は失明したのではなく、泣いていたのである。涙は瞬
時にそして多量に目に湧き出でていた。瞬時に溢れ出た涙が視界を曇らせたの
ではなく、一瞬にして目を見えなくしていたのである。そうでなければ、失明
の恐怖に駆られることはなかっただろう。そのときの涙は私に失明の恐怖を経
験させることで私の無知と偏見を戒めたのかもしれない。
私が一度失明の恐怖に戦き、もう一度目が開いたのはジュリア・ライトが教
会に40人ばかり集まった、生まれて初めて会う血縁の人たちに挨拶している
ときであった。その挨拶が終わらないうちに私たち部外者は教会を出るしかな
かったのだけれども。
ジュリア・ライトとは『アメリカの息子』や『ブラック・ボーイ』などで知
られるミシシッピ州ナッチーズ近郊ロクシー出身のリチャード・ライトの長女
である。リチャード・ライトは人種差別から逃れるため、ミシシッピを捨てて
北部へ移り、やがてはアメリカをも捨ててパリへ移り住み、そこで客死した黒
人作家である。当時パリに住んでいたジュリアが生まれて初めて父親の地ミシ
シッピを訪れたのはミシシッピ大学がリチャード・ライトを表彰したからであ
る。ジュリアは亡き父に代わって大学で表彰を受け、父親の故郷ナッチーズを
案内して貰った。案内役はミシシッピ大学学内在住作家ウィリー・モリス氏で
あった。私はウィリーの計らいで彼女のナッチーズ訪問に同行させてもらった。
ナッチーズではNAACPの方の案内で彼女は先祖が埋葬されている墓地、祖
母エラが教えていた学校(林の中の平屋の一軒家)などを訪ねた。その日、ナ
ッチーズは雨で、墓地へ行くにも、学校へも、ぬかるんだ土道を通るしかなか
った。
夜、教会でジュリアは会衆
席のある床に立ち、
「今日、私
はNAACPの方の案内で私
たちの先祖が埋葬されている
墓地へ行きました。そのとき
私にはわかりました、私はこ
編者注:NAACP とは・・・
National Association for the Advancement of
Colored People(全米有色人地位向上協会)
アメリカの人権擁護団体で、創立 1909 年、
会員数 50 万人をもち、マイノリティの地
位向上を目指している NPO。
この人間だということが。私はパリに住んでいますが、ここが私の故郷です。
私の故郷はここです。私には12歳になるマルコムという息子がいます。彼が
大きくなったら、彼を必ずここへ来させます。彼にとってもここが故郷だから
であり、彼のルーツだからです」と挨拶した。一瞬にして私の目が見えなくな
ったのはそのときであった。ジュリアは父親が否定し捨てたミシシッピのナッ
チーズを自分の故郷と呼び、息子の故郷でもあると言い、そこへ必ず息子を来
させると言ったのであった。私は奴隷の子孫が自分たちの先祖を縛り付けてき
た土地を呪詛していると思っていた。ましてや、その土地を否定し、捨てた人
の子供であれば、尚更のことであると思っていた。彼女の息子の名前はマルコ
ム・Ⅹに因んで付けられたと聞いていた私にはジュリアの言葉は信じられない
ものであった。しかしジュリアは外国に住む「アメリカ人」であったからだろ
うか、あるいは同胞(はらから)への配慮からか、先の言葉を述べたのであっ
た。それは彼女のアイデンティティの問題であった。奴隷的な生活を強いられ
ていた祖父母が、実際に奴隷であった先祖が生を受けた土地、そしてそこは父
が否定し拒否した土地であったにも関わらず、そこを彼女は存在の縁(よすが)
としていたのである。ジュリアは靴にこびりつき固まったナッチーズの泥を息
子への土産として持ち帰ったのでもあった。
それから6年後、私はウィリアム・スタイロンの「シャドラック」(『タイド
ウォーターの朝』1993年)に出会った。
「シャドラック」は作者が10歳の頃の実際の出来事を元に想像力で再構成
したものである。作者の分身である10歳のポール・ホワイトハーストが語り
手となっている。
ヴァージニア州タイドウォーターのダブニー家は大きな農地を所有していた
ヴァージニア州第一の家名と唱われた立派な家系であった。しかし、現在の当
主ヴァーノン・ダブニーの父親の代で家名を失ってしまっていた。落ちぶれた
とは言え、まだ幾らかの農地を所有していた。ダブニー家はその農地でウィス
キーの密造をしてやっと完全な貧乏状態を凌いでいる有様であった。そのダブ
ニー家と関係のある人物としてシャドラックは登場する。
物語は1935年の夏、ヴァージニア州タイドウォーターに信じられないほ
ど老齢の黒人の亡霊が現れることから始まる。亡霊のような黒人の老人がシャ
ドラックである。シャドラックは「99歳」という高齢で、タイドウォーター
に現れた、あるいは辿り着いたときには死にかけてもいたのである。彼はその
年齢でアラバマ州クレイ郡から600マイルもの距離を4ヶ月以上もかけて旅
してきたのであった。道路標識も道路地図も読めない彼が旅をするのに頼りに
していたのはどうやら北の方角を探る彼の鼻であった。彼には過酷な旅であっ
た。それでも彼がひたすら北のヴァージニアを目指して600マイルもの距離
を歩きとおしてきたのは「ダブニー家の土地で死ぬ」という願いに駆られての
ことであった。ダブニー家の土地はシャドラックが生まれ育った土地だったか
らである。
1935年に99歳だというシャドラックはダブニー家の農園で1836年
生まれたことになる。彼は奴隷として生まれたのであった。そして南北戦争前
のある時期に深南部のアラバマへ売られていた。南北戦争後は奴隷の身分から
解放されて小作人となり、3回結婚し、多くの子供も儲けたようであった。し
かしその後、70年の時間の中で妻はおろかすべての子供たちにも先立たれて、
今は孤独の身となっていたのである。死期が迫ったことを悟ったシャドラック
は自分の出生地であるばかりか、自分の死を見取ってくれるかもしれない人た
ちもいて、自分の知っていた人たちが埋葬されている土地であるダブニー家の
地を老体に鞭打って目指したのである。
おまけコラム∼井上先生の一冊@大学附属図書館
シャドラックの物語である William Styron 著『タイドウォ―ターの朝』は、至
急購入予定ですので、楽しみにお待ちください。
(「今すぐ読みたい!」 という方は、横浜市立中央図書館にあります)
文中に登場するジュリア・ライトさんのお父さん
リチャード・ライト氏の著作および関連図書は、
緑園図書館4F の、アメリカ文学 A933.5¦¦W94 の
背ラベルのところにあります。
しかしそこは確かにダブニー家の先祖たちが眠り、奴隷たちが眠っている所
ではあっても、生きているとき両者が区別されていたように、死んだ後の墓地
でも数フィートの距離を置いて別々の区画に分離して埋葬される土地でもあっ
た。それをシャドラックが知らないわけはなかっただろう。それでも彼がそこ
を目指したのはそこが彼にとっての命の原点だったからということになるのだ
ろう。人は死ぬとき、自分の存在の奥深くにあるものが見え、その奥深くにあ
るものにつき動かされて行動を起こすものかもしれない。
シャドラックは死ぬ間際水車池が見たいと言い出す。ダブニー家の者は彼の
願いを叶えてあげる。そこは彼が奴隷の子供であり、やがては奴隷の苦役に就
かされることになったとしても、そして実際アラバマへ売り飛ばされるという
現実が待ち構えていたとしても、幼い子供としてまだ社会の枠の中に組み込ま
れる前の、言わば無垢の状態が有り得た世界だったのであり、水車池を死ぬ前
に眺めやることで彼にとっての無垢の世界へ帰り得たのでもあったのだろう。
そして彼は死ぬ。ダブニー家の者にとっては彼の埋葬が問題であった。彼の願
いは同じ墓地であっても白人と黒人は区別されて、彼が埋葬されるのは奴隷の
区画でしかなかったとしても、先祖の埋葬されている所に埋葬して欲しいとい
うことだったからである。けれども、法律はそれを許さなかった。私有地に人
を埋葬するのは法律違反だからである。結局シャドラックはどこかは書かれて
いない所に埋葬されることになる、というところで物語は終わっている。
私は故郷とは何か、あるいは私たちにとって自分の場は何処にあるのか、と
いうことについて偶然にも南部の白人、そして南部出身の黒人の両方の側から
ひとつは1987年に生の声として、もうひとつはそれから6年の年月を経て、
物語の形で聞いたことになる。ふたつの声は私の中でステレオ的効果を持ちな
がら、視覚的には合わせ鏡のようにもなっている。
井上先生のエッセイ、いかがでしたか?
次回は、馬橋先生・並木先生・春木先生の
一冊 をお届けする予定です。
おたのしみに!
Third Breeze
6 月 24 日(木)16:30∼18:00
「再現!風の歌を聴け 実験体感型イベント」
∼朗読と、学生メンバーが作り出す『風の歌を聴け』の世界を
お楽しみください∼
Fourth Breeze 7 月 8 日(木)16:30∼18:00
前田絢子先生講演会
∼翻訳や解説書も多数出版し、村上春樹自身が「自分のための小説家」と
語る(村上春樹著『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』あとがきより)アメリカの作
家スコット・フィッツジェラルド。くしくも日米で「時代の寵児」といわ
れた二人の関連について、じっくりとお話しいただきます∼
会場:緑園キャンパスチャペル
入場無料
みなさんの参加をお待ちしています!
「 わた し た ち の今を 読む文庫」 への寄贈を お 願い し ま す
アンケートで人気のあった現代作家の文庫を多数揃えた、図書館でも大人気のコーナ
ーに、皆さんの読み終わった図書を寄贈してください。文庫・新書・ハードカバーの
いずれでも OK です。ただし、利用が多く劣化した場合は処分しますので
あらかじめご了承ください。
発行:フェリス女学院大学附属図書館読書運動プロジェクトチーム