祭祀道具の装飾に見る琉球の王権と信仰 ̶̶左三つ巴紋を中心に̶̶ 美術工芸学部 美術学科芸術学専攻 伊波菜々子 琉球王家、尚家の家紋は左三つ巴紋である。その左三つ巴紋の基と なる巴の形は日本人にも古くから好まれていた文様であり、神道にお いては魂のほかに太陽も表す左回りの三つ巴紋は、平安時代末から鎌 倉時代前半につくられた八幡社や熊野権現の神紋にも用いられた。琉 球においても、権現信仰や太陽信仰が盛んであったことから、本土と の共通性が見出せる。 琉球では尚真王時代になると、聞得大君を頂点にしての琉球の神女 組織が整備され、王城や王国内の各地で神女を司祭に多くの王府祭祀 が行われた。そのような祭祀儀礼においての神女に関連する道具類は、 本島だけではなく尚家とゆかり深い伊是名島にも残されており、尚王 家の家紋である左三つ巴紋が道具類に多く付けられている。 本論では、琉球の祭祀儀礼で実際に使用された工芸品にはどのよう なものがあるのかを明らかにし、それらに施された文様や紋章、特に 左三つ巴紋に着目し、左三つ巴紋の意味と祭祀の関係を探っていく。 また、尚家紋から見える琉球の国王観や信仰について考察していくこ とを目的としている。 第1章では、第 1 節において琉球の祭祀制度の変遷を追い、祭祀儀 式にはどのようなものがあるのか具体的な例を挙げている。中央と地 方の神女たちの関係や祭祀道具の制作された背景を探る中、首里と地 方の祭司たちが共に中央の儀礼に参加する機会を持ち、知識の授受が 1 行われたことによって国内の祭祀儀礼の方法や宗教観の統一を図ろう としていたことが分かった。第 2 節では、祭祀道具、祭祀関連道具を 調査し、祭祀儀礼用の美術工芸品の種類や特徴や、祭祀儀礼や祭祀に 関わる事柄で使用された道具の用途について述べた。王城内で使用さ れた道具と違って、比較的緻密な加飾を行わないシンプルな地方の道 具においても左三つ巴紋は御玉貫や多くの漆器に見られることが明ら かとなった。 第 2 章では、祭祀道具について、尚家紋である左三つ巴紋の付けら れた尚家旧蔵品や伊是名村の祭祀道具を取り上げ、実際の道具類の材 質や形状、施された装飾、文様等の説明を行い、祭祀道具の装飾につ いての特徴を述べた。第 1 節では国宝「琉球国王尚家関係資料」に含 まれる作品、第 2 節では代表的な地方高位神職である伊平屋の阿母加 那志らの在住していた伊是名村旧蔵の作品を扱っている。王城で使用 された作品には、華やかで細かな加飾が施されており、漆器に付けら れた尚家紋は他の文様とも組み合わされているが、半面、伊是名村の 作品は質素な印象である。これらの祭祀用の道具の全てに尚家紋が付 いているわけではないのは、道具の種類の違いによって紋の付与を定 めているためではないかと思われる。 「琉球国王尚家関係資料」と伊是 名村旧蔵品、そのどちらの祭祀道具にも、漆器にはかなりの割合で尚 家紋が付与されているが、金属器には御玉貫のみにしか尚家紋は見ら れない。伊是名村の漆器に描かれた尚家紋で沈金技法を用いたものは 1種類のみで、ほとんどが箔絵である事実からも、地方神女の道具類 は中央のそれとは異なり、御玉貫以外の道具類には豪華な装飾は求め ていないことが分かる。派手な加飾が施された御玉貫は神酒を入れる ものとして、ときに首里へも神酒を持ち運ぶこともあり、とりわけ重 要な道具であったのだろうと推察される。 第 3 章第 1 節においては、琉球王家である尚家の家紋がなぜ左三つ 巴紋であるのか、その謎に関する伝承や先行推論を述べ、左三つ巴紋 の由来について考察した。決定的な由来はないものの、いくつかの伝 説や先行推論として、八幡の神紋にちなんで家紋を付けたという説な 2 どを挙げているが、沖縄には琉球八社と呼ばれる 8 つの宮があり、尚 徳が八幡宮を建立する時期に波之上権現や天久権現、末吉権現は既に あり、特に末吉権現は尚徳の父・尚泰久が建立しているため、年代か ら見ると熊野権現の神紋にある程度由来するものと想定される。 また、第 2 節では「琉球の宗教観と左三つ巴紋」として、祭祀道具 に用いられる左三つ巴紋について、 「巡る」という言葉をキーワードと し、熊野の信仰との共通点を挙げ、おもろから琉球の人々の王に対す る思いや信仰について考察し、込められた意味と精神を読み取ってい った。琉球で信仰されてきたニライカナイ信仰と、死者の世界の入り 口といわれ霊場として信仰されてきた場所であり、紀伊半島熊野地方 で発展してきた熊野の浄土観を比較すると、信仰形態が近いことが分 かる。それと合わせ、水の流れ、巡りと同じく、自然の循環を表して いる偉大なものとして太陽が挙げられる。おもろに歌われた歌詞から は、若太陽信仰により「循環し、再生、復活」する王のイメージが読 み取れる。そして、その紋章である左三つ巴紋にも「巡る」太陽と同 一化した国王像が表れているのではないかと考えた。 海や水の流れる様を象徴する左三つ巴紋の形状や国王を昇る太陽に 例えた若太陽信仰に共通する精神、「巡り」。常に滞りなく流動を繰り さんぎょう 返す事象への賛 仰 の念、それこそが尚家紋にも表れ、ニライカナイ信 仰や国王の力と共に祭祀道具の紋章に込められた琉球に根付く精神と いえる。 3
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