1 9 9 7年4月 1日発行(毎月 H'Il日発行)第 6巻第 l 号(通巻 5 1弓) 1 9 9 2年 1 2月 1 5L i第三崎郵便認 " J 特集新レい人間関係を求めて 辛 批 劇ゃ うゆゆい い I J' 川 ム ル U CNW MM げ穴 b引な一 刈 、 か 弘 、土た hMhuk 町一望刀川一⋮州 側一紐し仁ぽ 同性愛嫌悪に汚染されていない 子どもたち 白川加世子 │くらしと教育をつなく" W eI v h 玲の 均 立 f ? N 、 す宗 匂 " ; Jυ L 怠 助旬5 勾ηι 幻 6 づ づ ' ゴ 約 l 三ト邸内ぷ J テず〉 っj世 の 街 の ふ 心付九靭去を ご希望があれば見本紙告送ります。 │申し込み先 │婦人民主クラブ ∞ 年間購読料 9 0 円 東京都渋谷区神宮前3 31 18 T e l0 3 ( 3 4 0 2 ) 3 2 4 4 . 3 2 3 8 FAX0 3( 3 4 01 )3 4 5 3 Te1 0 6( 3 7 1 )2 4 2 9(大阪支局) - 人 民 主 筒 岡 WOME.'SDEMOC I l T lCJ OUI圃I I 女カウンセリング講座 4月 16日 期 間 入 門 ・ 初 級 1年 曜日毎週水曜日 1 0:3 0 . . . . . . . 1 2:3 0 受講料 12万(1期毎に 3万円) 女 A T (自己主張トレーニング) 4月 18日 期 間 3カ月(1 0回) 曜日毎週金曜日 1 9:0 0 . . . . . . . 2 1:0 0 受講料 30000円 女自分を好きになる講座 4月 12日 期 間 3カ月(1 2回) 曜日毎週土曜日 1 4 :0 0 . . . . . . . 1 6 :0 0 受講料 36000円 *お申込は、お電話で へ 03-3424-1637 97年 4月号 ぐらしと教育をつなぐ @特集新しい人間関係を求めて. 人 間 ら し い 生 活 を 差 別 の な い 社 会 を 《インタビ、ユー》 とろん さ ん ( 聞 き 手 / 蔦 森 樹 ・稲邑恭 子 ) はずれたっていいじゃない? ・ 15 - おんなが歳をとるということ 木 村 栄 … - … 47 ・ シネマの魔 武田秀夫...… . . 4 8 ・ いきいきごんぼ 桑田良彦....".…5 2 - 変な子じゃないよね 滝野津直子・・… . . 5 4 ・ このままではいけない? 吉原令子・・. 56 - リレーエッセイ セ ックスレ スなわたした ち ・ 蔦森樹の巡業日 記 蔦森 ・ 居 場所考 水田宗子…・"… 6 1 。 連 載 者 紹 介 … . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . … … … O 西浦佳代. . . . . . . . .58 樹…・・ . . 60 ・ ー “. . . . .. . . . . . . . . . . . .. . . . . ・・ ・・ ・ ・ ・ .. .. . … … … … ・ ・ ・6 4 e 編集後記……・・….. .. . . . . . . . . … … . . . . … “ … . . . . . . “ … … … … … … ………........“…………・65 表 紙 デ ザ イ ン /川口民子 題 字 /川口氏子 ,吉岡静恵 カッ ト/川口民子 川 MW 1 9 9久 4 自 立 し た 女 と 男 を ~~~~~~~~~~~~~~~~~議~~~~ 特集新しい人間関係を求めて 《インタヒ、ユー》 藤田祐幸さん 複眼でみる (聞き手/ 中村泰子) 絶望ばかりはしていられない 4 大 同性愛嫌悪に 汚染されていない子どもたち 白川加世子ー . . . . . 2 2 食 新たな出会いの中で 千葉きよみ・・ ー・ 25 1:.みその台の坂道で 片 倉 幸 子 - …29 - フェンスを越えて 小平陽一……・ . 3 1 ・私の家庭科ラフスケッチ ・ 家庭科一周がかわ石匂 Lゅよかわ-3 安原千夏 . . . . . . . 32 鈴木淑子・・ . . 36 自分らしいって何? ・ 楽市楽座 ・ かる い家庭科相談室 加藤 昭仁・・・・ 40 家庭科編集室.......4 2 園 共学家庭科論争 <第 1回 > 家庭科の独自性をどう捉えるのか? 小 平 陽- . .. . 4 3 ・ オホーツクの潮風荒く 江口凡太郎・・・…46 絶望一ばかりはして (聞き手・まとめ/中村泰子) ﹁能登の人たちのことを思うと いたたまれなくて、行って来ま す﹂というお話を聞いたのは、 藤田さんが能登へ行かれる前目 だった。能登のこと、海と森の つながり、エントロピーのこと、 チヱルノプずりのこと、そして 各地の﹁地人﹂たちとのネット ワーク:::すべてがつながって、 ずどんと胸にひびいた 。能整か ら戻られるのを待って、改めて お話を伺った 。 -プロフィール ふじたゅうこう 一九四 二年生まれ .慶応議 盛大学助叙回目.著書に、﹃エントロピー﹄(共 著・現代書館)、﹃ポストチェルノブイリを 生きるために﹄(御茶の水量胃腸}、﹃脱原発 のエネルギー計画﹄(高文研)、﹃知られざ る原発機織労働﹄{完波書庖)など. 海の水を使って蒸気を冷やして水に戻し、もう 一度ボイ トルくらいの厚さで油が標着して、それを柄杓で汲むと 回収も進んでいて、最悪のときは、ある地域では 一メー ところまで、ざっと見てきました 。見 た感じではかなり 輪島に出て、外浦(能登半島の日本海側)を狼煙という 回は富来という志賀原発があるところから海岸線沿いに ですが、僕が行ったのはちょうど事故から 一ヵ月目。今 藤 田 ア ウ ト ラ イ ンは報道でご覧になっている通りなん 中村能登はいかがでしたかっ ちの管壁にくっついて水の流れが悪くなって、今後忘れ した。パイプが詰まらなくても、油を吸い込んであちこ して緊急冷却装置が働いてという、非常に際どい事故で 草を吸い込んでパ l ンとパイフが詰まって 、緊急停止を ります。アメリカで 一度 あったのですが、このときは海 できなくなって最悪の場合メルトダウンということにな 油が入って管が詰まるということが起きますと、冷却が 流さなくてはならないんですが、もしそこに水と 一緒に これは非常に細いパイプのなかにパーツと勢いよく水を 能登の海が死んでいく いう状況があったようですが、そういうところは大体に た頃に事故の原因になる可能性もあるわけです。それが ラーの中にもどす、その冷却機を復水機といいますが、 お い て 片 づ い て い ま す 。 しかし、まだ手つかずのところ たいへん心配だったんですね。 でも今ぼくはどうでもいいと思っている。あれだけの もありますし、浜に入っていくとたちまちにして靴が油 で真っ黒になってしまうという状況はいたるところにあ る島根から新潟にかけての海域です。原発はたえず冷却 発がある。世界 一の原発密集地が、いま重油が流れてい ん原発のことです。若狭湾を中心として 二ハ、 七基の原 重油の事故が起こって真っ先に心配したのは、もちろ てくれるんだろうかと、最近は非常に絶望的に思ってい 人がたくさんいる。何があったらみんなは気持ちを変え って、それでもまだ日本人は原発が必要 だ と 思 っ て い る もんじゅの事故があって、そしてこの重油流出事故があ 福島第 二原発の 3号炉の再循環ポンプの事故があって、 チェルノブイリの事故があって、美浜原発事故があって、 しなくてはならず、毎秒八0 トンから一 0 0トンという、 て、この際あれだけある原発の一っか二つくらいド l ン りました。 ものすごい量の冷却水を海から汲み上げて使っています 。 5 といってしまったほうがいいんじゃないか、放射能が出 けで、岩の聞に入り込んでいる油は絶対とれません 。 し た冬になると固まる 。 そ う い う こ と を 今 後 何 年 も 繰 り 返 かも今は寒くて固ま ってますが、夏になるとそれがまた 今度の問題をどう見るかというところですけれども、 していくわけです 。 海 水 浴 場 と し て も 有 名 な 非 常 に 締 麗 てちゃんと被害が出るような事故が起きないと、この国 誤解を恐れずに 言 い切 ってしまえば、生態学的にはさほ な砂浜があるんですが、僕は表面に小さい油がぽつぽつ 溶け出していって、生態系に影響を及ぼして、そしてま ど大きな事件ではない 。 人 聞 が 片 づ け る こ と が で き る 範 浮いているという程度の認識でその浜を後にしたん です は悔い改めないんじゃないかとさえ思っています。 囲で片づけて、後は放 っておいても微生物の生命作用に が、その後で輪島の海女さんたちが同じ所を四、五0 セ が乗るということを繰り返していて、表面上は絹麗なん よ っ て 浄 化 が 進 ん で い く 。 恐らくそれには 一 O 年ぐらい 油というのは水と分離できるんです。だから表面で浮 だ け れ ど も 下 に 油 が あ る 。 これはもうとれないですね 。 ンチ掘 ってみたら突然油の層が現れたというんですね 。 いているし、目で見える 。 こ れ が 放 射 能 だ っ た り 、 化 学 そして夏になって油が溶けだすと、砂浜は完全に油漬け かかる。しかしそれはたかだか 一 O年ということですね 。 毒物だったり、水溶性毒物だったりした場合には拡散し にな ってしまう可能性がある 。 砂の粒の聞に暮ら してい さらに掘って行くと、油と砂がパウムク 1 へン状に重な ていくだけです 。 回 収 で き な い し 、 目 に 見 え な い か ら 手 るバクテリアたちが浜の回復力の中心にいるわけですか 水俣病だとかチェルノブイリだとかに比べれば、さほど の打ちょうがない 。 そういう点で油は水と分離できるし、 ら、それが油漬けにな ってしま う とバクテリアは生きて っている。 つまり油が着いて砂が乗って、油が着いて砂 要するに有機物ですから微生物の餌になるわけです。た いけません 。 油を浄化する作用がないということですね 。 大 事 件 で は な い と 言 え る と 思 い ま す。 だ、浄化されるといっても時間はかかる。 ただ、浜をずー っと見ていく と、油が全然着かないで これはちょっと長くかかるでしょうね 。 い岩礁や断崖絶壁がいたるところにあって、今、回収が いろいろな生物が暮らしているところもあってね 。 そう ぼくは能登の海を良く知っていますが、人の近づけな できているのは、浜に人が降りて作業ができるところだ 6 してはいないんです。そ れに、幸いにして日本海は非常 スタ ートする地点になるわけですから、僕はさほど絶望 いうところが残っていれば、そこから豊かな生命活動が れは海だけではなくて山に行っても、この時期ここに行 この場所に何がいるというのを隅々まで知っていて、そ 年もその海で暮らしてきたわけだから、この季節にはど ろで、 あわびやさざえや海草を採ったりしながら、何十 ちょっとでも時聞ができると、ぼくは珠洲に出かけて、 師さんたちと、まるで親戚のように付き合ってきました。 一人ひとりの漁 す。そういう人たちがあと五年、 を引いて肺炎になって死んじゃう人がずいぶんいるんで 肝臓や腎臓を痛める人がいたり、最近ちょっとした風邪 高齢ですから腰を痛めたり、揮発性の毒物を吸い込んで 今、彼らが油の回収の先頭に立 って動いていますが、 やって生きて行くんだろうということですね 。 です。そのじっちゃん、ばっちゃんたちがこれからどう すけど、精神的には実に豊かに悠然と暮らしているわけ 知っていて、ひんまがったおんぼろの家で暮らしていま くと何があるというふうに、海のことも山のことも全部 O年 一 に波が荒いですから、あの波に洗われて、五年、 と時聞が経てば油 、 か椅麗になっていくでしょう。 海に生きてきた人たちがどうなっていくのか 藤 田 そ うした状況の中で 一番問題なのは、そこにいる 人たちの暮らしがどうなっていくのかという問題です。 あの青い海を眺めながら休息をとる。海草が繁茂してい るかと 言うと、ちょっとこれは難しい 。 そういう人たち ぼくは珠洲の町に住む人が大好きで、 ろんな魚が水族館のように泳いでいるのをボ│ツと眺め の生活が破綻していく。経済的に破綻をするというより、 O年この海で暮らせ 一 て 、 く ら げ の よ う に 漂 っ て い る の が ぼ く の 休 暇 な ん で す。 て、漁師たちはどんどん高齢化して、六O歳、七O歳 、 若い人たちがどんどんどんどん都会に出て行ってしまっ 能登の 一番先端にある小さな町ですが、原発の立地計画 ですけれども、油、が 一番漂着したのは珠洲です。 珠洲は 今回、 三国町から珠洲までずー っと油が漂着したわけ たぶん精神的に破綻しちゃうと思うんですね 。 八O歳というじっちゃん、ば っちゃんたち が海を守 って が二カ所あって、一 O年近い闘いが続いています。一昨 能登は過疎地です。過疎地だから原発が来るわけです 。 いる 。 小さな 一人乗りの船に乗 って、庭先のようなとこ 7 年の四月に原発をめぐって反対派と推進派の闘った市長 がどうなるのかということです。 高裁まで争ってこの選挙は無効になりました 。ぼくは現 町の人が作 って、農民たちはそれに従わざるを得ない 。 に生きてきた農民たちには逃げ場がない 。 けれど政策は きました ぼくはチェルノブイリを歩いて、農民たちの姿を見て 場にいて見ていましたが、反対派が集会していると推進 そういう中で汚染地帯に今なお数百万人の農民たちが取 戦は、開票総数と投票総数が合わないという選挙で、最 派が会場に乱入したり、暴力事件を起こしたりと、都会 り残され、子どもたちに次々深刻な障 害が 出ています。 一方で、電力会社は今非常にはしゃいでいます 。 社員 ちはもう生きる術がない。 が、あの海にへばりつくようにして暮らしている漁民た 今度もそうなんですね、町の人はなんともないんです c 町の人たちはなんとかなるんです。ただ 、土 にいる人には想像もつかない選挙です。その珠洲市の財 一メートルも油が積もった 。 政は漁業が大きな柱になっています 。 その中でも長橋と いうところでは、 長橋は、寒天を作るエゴという海草が大量に漂着する 浜でね、収穫の時期には、漁師さんは六百万位稼ぐそう です、エゴだけで。そのくらい豊かな海の幸が流れ寄る いうか、おかず漁業と言ってもいいものです。 水俣病も ろが過疎化した村の漁業の実態というのは、庭先漁業と ている大手の漁業者にはさほど大きな影響はない 。 とこ いるわけですから、沖に船を出して網を入れて魚をと っ 岩 の り や エ ゴ の 季 節 に や っ て 来 た 。 油は沿岸に漂着して その同じ流れに乗 って 油が漂着した 。 しかもちょうど うやって死んでいくんだろうと思うんですね。それに対 きたと同じような廃墳になって、僕が 一番愛した海がそ しょう。そしてまたあそこがチェルノブイリで僕が見て ている理由がなくなったら、土地や海を売ってしまうで って買 収に応じなか った 人たちが、この海にしがみつい うんですね 。 今まで﹁私はこの海を離れられない﹂と 言 たら、原発のための電力会社の買収が始まるだろうと思 が先頭に立って油を拾っています。この状況が 一段落し 生活固としての海というところで水俣病が発生したわけ 海であったわけです。 ですが、それと全く同じように、海だけでなく山をも生 して僕たちにはなんの打つ手立ても、なす術もありませ ん。 そのことを非常にもどかしく思います。 活圏として暮らしている人たち、そういう人たちの生業 8 暮らしていくことの意味 ああ 、来 た か よ 。 じゃ海 しい。で、僕たちが行く﹁ と 、 油が漂着するまで何も手を打たなかった。そして二五0 ます。そこで油が流れていることを承知していながら、 藤田 でしょうかね 。僕は遊びって根源だと思って、あえて重 いうよりももうちょっと﹁生きている﹂という感じなん 都会で何しているんだろうと思うんですけど、暮らしと と喰わしてくれる。あの人たちと話していると、僕たち に行つてなんか採ってくるか﹂と言って﹁ほらどうだ﹂ 0メートルの海底にまだ一万トン近くの油があって、そ い意味で﹁遊び﹂って言っているんですけど、喜びに満 一月の二日に船が沈んで乗組員の救助に動いてい れが湧きだすという状況がこれから何年も続くわけです。 しかし、その良さが経済価値と対応しないから、若い ちた行為っていうんでしょうか 。 都会の労働が苦渋に満 杓と木ベらで闘うことしかできない 。 政府の無策を声に 人たちは出て行 ってしまうんですが、年寄りたちはその 海底油田がそこにあるんだから、とってもとっても無駄 出してみてもしょうがない 。今までもそうだつたし、こ 良さを知っていますからね 。 ちているとすれば、彼らの労働は喜びに満ちている。 れからもそうだろうし、それでもそこで生きていくしか 中 村 私 は 富 山 で 育 っ た の で 、 能 登 に は よ く 行 ったんで だよという言葉もあるんですね。それに対して人々は柄 ないl l暮らしていくことの意味というのは重いですか すが、あの保守性の強い地域で、これだけ長い間、反原 発の運動が続いているのが不思議でならなかったんです 。 らね 。 輪島の漁師さんたち、男たちは船を出して沖に行きま 対立・分裂を繰り返しながら、これだけ原発の反 よ。外浦は女たちの海なんですね 。半分は遊んでいるん がら岩にくっついているのりを採るのは女たちなんです ということなんでしょうか 。 中 村 そ れ は こ の 土 地 で 暮 ら す こ と に 誇 り を 持 っている 勝ちはしないけれど、七OOO 票の固定 票 は崩れない 。 対運動が続いているのはすごいことですよね 。 選挙でも 藤田 ですよ 。楽しくてしょうがない 。 採 ってきて売れればま 藤 田 原 発 の 炉 心 の 近 く の 寺 家 と い う と こ ろ に住んでい すが、女たちは磯で潜るんですよね 。 冬の 一番荒れてい るときに、磯に岩のりがつく。 物凄い波をかいくぐりな た嬉しいし、売れなくたって、採 った ってことだけで嬉 9 駆けつけたことで話題になりましたが、その中でも﹁居 中 村 神 戸も震災後たくさんのボランティアが全国から ことは誇りというより﹁生存権﹂とい っても いい 。 を離れては暮らせないと言う人にとって、そこに暮らす んだ﹂といって動こうとはしない 。その慣 れ親しんだ浜 もわからない。そんなところでどうやって暮らせと言う で暮らせるけど 、隣 の浜に行ったらどこにタコがいるか のことなら何でも知ってる。だから足腰、か弱っても一人 を出すから引っ越してくれといくら 言っても、 れはただごとじゃ済まないわけですね 。つまり、海をお 来ない 商庖の人たちは、そこに原発が来たってびた 一文お金は 貰ったんだから行って来いよと。町の八百屋さんだとか 出ましょうという呼びかけがあった時に、お前らは金を りに当番を決めて、さあ泊を拾いに行きましょう、浜に かないと、婦人会とか自治会だとか町内会だとかで順繰 ってきて、地域の人たちもこれを黙って見るわけにはい 鬼が起こってくる 。油が流れて来て、ボランティアが入 そうすると 、町 中であいつはいくら貰ったんだと疑心暗 お金が出たらしいが、準組合員にはお金は出ていない 。 かも組合員のランクがあって、Aランクは 三千万円近い 賠償、補償契約を結んで、実はお金を払 ったんです。し 住権﹂という視点を打ち出して、﹁このまちで暮らした 金で売り買いしてしまった、その海に油が来たことによ るおばあさんがいるんですが、電力会社の人が来てお金 い﹂という被災者の人たちを支援する活動を今も続ける 人たちがいますね 。 ﹁ここ で暮らしたい﹂という思いを、 ﹁この浜 当たり前の、最も基本的な権利として考える発想があま って 、 一層 、地域内の亀裂が深ま っていく 。 お前らが売 って金を儲けたその 海に油が来たんじ ゃないかという 地 o' ところが漁師は三千万貰っている人がいる。こ りに貧弱だったと気づかされました 。 藤田 域住民の冷たい視線とい うのがあったのですね。 居住環境は本来選べなければならないし、﹁居住 権﹂というのは﹁生存権﹂と同じ で、最終的には弱者を 中村 志賀原発は 2号機の建設計画が進んでいて、電力 能登のボランティアはどうだつたんでしょうか。 動したのでしっかり回収できた。でもやはり漂着量が多 番多い。珠洲は流れ始めたときから待機して組織的に行 ここに資料がありますが、まず回収した油は珠洲が 一 藤田 かったんだと思いますね。作業をした人をみますと、ボ 支えるという発想が基本でしょうね。 会社側は、昨年までに関係漁協の内の 二 つの漁協と損害 10 いるわけです。 石川県だけの延人員で 一カ月で四万五0 0 0人ですね 。 これは金沢から来ている人たちも多いん も、やはりその 地域住民が大変な思いをして作業をして ランテイアが非常にクロ ーズアップされていますけれど わけです。 感があるんですね 。 そして社会を 差別構造の 一番下から いうより、そこで自分が十分に何かを得ているという実 に淡々とや っていますね 。 それはいいことをしていると ﹁ 顔 ﹂ の見える関係でつながる 見ていくという視点を持 っている人たちがたくさんいる ですけれども、内浦のあたりから助けに行った人が非常 に多いし、珠洲でも海岸沿いの人だけではなくて町の人 たちも随分参加しています。 ただ、僕はボランティアという言葉に違和感があって、 りますが、そこで﹁レインボー計画 ﹂ というのを推進し たとえば、山形県の南部に長井というところがあ うかというとボランティアは ﹁ 善 ﹂なんですね。 ている菅野芳秀さんという四O代のお百姓がいます。 彼 藤田 かやりたい﹂と 言うから、それなら﹁原発の問題をい っ は農民の出身で、農業が嫌で町に出て、町で 生きていこ ボランティアと市民運動は違うと思 っています。 何が違 しょにやろう﹂というと、﹁いや原発は対立があります うと思 って大学にい ったら、そこで学生運動に入って大 付きがないとやれないとか?確かに神戸の問題をみて 対立のあることには手をださない?政府のお墨 は、置賜郡の百姓だという自分をどういうふうに位置づ り俺は百姓だ﹂とい って帰 ってくるわけです。 そして彼 学を追放されて : :という経歴を経なが ら最後に﹁やは ﹁ なに から ﹂ と。 いても、水くみや瓦礁の片づけはやっても、行政が立ち けよ う かと考えて、タイの農民たちと置賜の農民たちの 中村 退かせようとしている公園の被災者やホームレスの人た 百姓交流会をつ くりました 。 おきたま ちを支援することは政治的だといって警戒してしまうと タイの農民たちを置賜に連れてくる 。 置賜の農民がタ 。 そしてそれぞれ農家 にホ!ムステイを イ の農村にい く いうことがあったようですね。 横浜の寿町でホl ムレスの人たちを支える活動を しながら 一緒に農作業をや ったりして、通じない言葉で 藤田 続けている人たちはたくさんいますが、その人たちは実 1 1 食物を作る土地すらなくて、なんぼにもならない金で自 じてなんぼの金にもならないものを作って、自分たちの うとしている。タイの農民たちは外国の資本の要求に応 じ運命にさらされながら、同じように農業を消滅させよ がついたことは何かというと、俺たちとタイの農民は同 が完成し、今年の四月には正式にレインボープランとし 肥製造施設の建設を進めて、去年の暮れにその堆肥工場 ンを取り入れた 。 そして有機物の分別回収システムや堆 ついには﹁マチ﹂が行政のプランとしてレインボープラ 働きかけ、商工会議所やその他にもいろいろと働きかけ、 き、﹁ムラ﹂の人たちに働きかけ、﹁マチ﹂の人たちに ついてからの彼の行動力たるやすごいもので、全国を歩 分たちの食べ物を買って暮している。これがタイの農民。 てスタートします。 いっしょうけんめい意思を疎通させていって、彼らが気 では自分たちはどうか。大都市の人聞が食べるために、 んがん振り撒いて、規格化したものをがーっと作って、 とかキャベツという単品作物を作って、そこに農薬をが と違って、山伏が﹁行くぞ1!﹂というときに吹いたほ けなんですね 。 ほらを吹くってことは嘘をつく って こと ひとつのプランを成立させることに懸命に努力をしたわ と言って応援団としていっしょにほらを吹いて歩いて、 こういう話を聞くとぼくは﹁がんばれ!がんばれ!﹂ そしてなんぼにもならないで、そういう農業に絶望した スーパーマ ーケットや農協の指定産地に従って、ごぼう 若者が町へ出ていってしまう。タイの農民と俺たちは同 ら貝のホラ、これがほら吹きなんです。ぼくはほら吹き い有機農産物を町の人に食わしてやろうと。そしてその よう。そしてそこで採れたうまl い野菜、安全でおいし まれた地域ですが、ここに﹁富士福祉農場﹂を経営して それから茨城県の大洋村という、霞ヶ浦と太平洋に挟 ゴミと人と生き物が活きる を吹こうと思って、大ぼらを吹いて歩いています 。 になろうと思って(笑)、どうせ吹くならで っか いほら じじゃないかと。 そこで、長井の町で売るものを俺たちが作る 。 キャベ ツも大根も人参も小松菜も、なんでもかんでも俺たちが 計画を、﹁マチ﹂と﹁ムラ﹂に虹の掛け橋をという意味 いる菅谷富士男さんという方がいます 。 この人は 一昨年 作る。そして町の生ごみ(有機物)を俺たちが引き受け を込めて ﹁レインボ ー フラン﹂と名づけた。それを思い 1 2 ほうがい いんでしょうかね 。 その量だけでもものすごい るパンに品切れが出るより 、 毎朝五トンのパンを捨てた ぼくは分かりませんが 、経済学的にいうと、庖頭に並べ あったかいパンがパン工場から毎朝捨てられます 。 まだ す べ て 食 品 廃 棄 物 で す。 驚 い た こ と に 毎 日 五 ト ン の ま だ てものすごく元気です。餌は一切買ったことがなくて、 だか ら支出ゼロの畜産業なんです。若者たちは生き物た たんですが、経済効率から言うとそれは不可能ですね。 者 で す。菅谷さ ん は障害者が働ける場を作りたいと思 っ そしてこの農場で働く十数人の若者は、すべて知的障害 が、処分されて短い運命を終えるはずだ ったものです。 売られる。 牛も乳牛種のオスを引き取ったものなんです り、またオスのひよこは 三 カ月すると地鶏として市場で に、廃鶏もふたたび元気を取り戻して卵を生むようにな 抗生物質が入っていないから、畜産のものよりはずっと んですが、駅弁屋さんがゆで卵をトラック 一杯捨てにき ちの世話をして 生き生きと働いています。 その若者たち 出会いまして、ぼくは大感激して、そこでも応援団をつ たり、ケ ーキ屋さんの工場か ら大量のカスタ !ドクリ ー を指導しているのは地域のお年寄りたちなんです。 人生 安 全 な わ け で す。 そ し て そ こ に い る 数 千 羽 の 鶏 は も と も ムが捨てられたり、カップにつめる前のカップラーメン の達人として、彼らの生きる知恵が、障害をもっ若者た とめていますが、彼はそこで数千羽の鶏と、牛と 豚を数 の麺が工場から捨てられたり、とにかくそのへんのス ー ちに伝え ら れているわけ です。 おびただしい量の食品廃 と、雄のひよこやもう卵が産めなくなって廃鶏として処 パー マーケットに売 っているようなものは何でも捨てら 百頭飼っています 。 そ の 飼 い 方 た る や お も し ろ く て 、 彼 れます 。 それか ら農家か ら は規格はずれの大根や人参や 棄物を活用することで、社会的弱者である若者たちが、 てた餌を食 べて太陽を浴びて大地を走り回っているうち 菜っ葉が捨て ら れる。 その量が半端じゃないんです。 そ 廃鶏や雄の乳牛種と共に生きている 、 その姿は現代 の諸 分される鶏をもらってきているわけで、それが人間の捨 れが全部餌にな ってます。 これは他の畜産業の安全性に 矛盾を 一気に笑い飛ばすような、生き生きとした活力に は ﹁ 何 も買わない農業 ・畜 産 業﹂ というのをやっている 比べたら格段に安全です。 つまり配合飼料も食わせてい 支え ら れている ん ですね 。 んです。 そこにいる鶏や牛や豚はみんな平場で駆け回っ ませんし、添加物は人間の基準しか入 っていませんし、 1 3 森は海の恋人 中村 藤田さんの現場で考える、現場の人たちとつなが っていくというスタンスはどこから? 海道大学の水産学部の松永教授と出会 ったことで科学的 うになった。体験から漠然と考えていた彼の考えは、北 ンクトンが培え、魚や貝、が育つのではないかと考えるよ 養分が水に溶けて海に流れ込み、それが栄養としてプラ の不思議な関係を考えていくうちに、森の﹁腐仲土﹂の 斉に成長することに気づいたんですね。そして海と森と から濁った雪解け水が流れ込むと、海の生き物たちが一 篤さんという人がいます。彼は気仙沼湾に流れ込む大川 る気がするんですが 。 中 村 体 験 から感じとることが苦手な人が多くなってい から入った物理学者の習性みたいなものかもしれません 。 るんじゃなくて、まず実験をして確かめるというところ ども 。 もともと僕は実験物理学者でしてね、理論から入 の形で理論化したりするときにいろんな本を見ますけれ なかから、真実は何かと考えるわけで、あとそれを何か えるというか、僕の五感を通して入り込んでくるものの 藤田 また宮城県の気仙沼には牡蛎の養殖をしている畠山重 に裏付けられました。その後、大川の河口からわずか八 藤 田 僕 がインターネットを胡散臭いと思っているのは、 僕は頭脳派でなくて肉体派で、考えるとき体で考 キロ上流にダム建設計画が持ち上がったとき、彼は立ち そういう点なんですね 。感じないんじゃない かな と 0 センチあまりのプリントアウトした束を指して) (一 知 上がって、仲間の漁民に森が海にとっていかに大切かを った気にな って いるけど実は何にも分か っていない・ 彼の熱意が共感を生み、漁師たちを動かして、ついに この 一ヵ月の聞にインターネ ットを通して流れた重油情 c 説いていったわけです 。 一九八八年の秋に、気仙沼の漁師たちは色ーとりどりの大 報はこれなんです。す ごい情報でしょ う。 情報の密度は が見えてこない。ようやく沈静化してきましたけど、一 極めて薄いですけどね 。 これ、どう見た って現 地の状況 苗を植え続けています 。 そうして今では、山の子どもた パ 目玉O 通とか 一 O O通のメ ールが飛び 込んできて:・ ・ 始めました 。そ れ以来毎年、漁民は山に登 って広葉 樹の ちが海を訪ねて、漁民の仕事を体験しなが ら交 流をする ンクしちゃうんですよ。 漁旗を押し立てて、大川の上流の室根山に登 って植林を ようになっています 。 1 4 新しい人間関係を求めて ︽ インタビュー︾ 総 ず ね たっていい じ ゃ な い -とろん (聞き手/蔦森樹・稲邑恭子) さんの半生は波欄万丈 。三 歳の時にお母さんが自殺 c 後 妻に来た父の愛人にいじめられ、小学校では﹁不良﹂ 。 するパートナーのきらきらさんと、インドから帰ったば インドのお香の輸入や古い着物のリフォームを仕事に も に 船 で 日 本 を 脱 出 。 潜在的自殺志願でインド、戦禍の と言われて、高校の時は 一月も 二月も旅に出て卒業とと れていた女性に﹁勉強なんかできたって魅力は感じない﹂ 中学時代勉強をしすぎて疲労が原因の病気で入院し、憧 かりでしばし居候という若いのりちゃんの三人で用意し 歳のときに帰国し﹃轟け 二O才の絶叫﹄を書く 中近東を旅し、ヨーロッパからアメリカへ。 二年後 二O c てくださ った、自然食の料理のお いしか った こと。コン 部屋。インドから送られた絵葉書がびっしりと貼られた かりの沖縄の波照間島に 。 空 き 家 で 民 宿 を 始 め 、 そ こ に 学、中退を繰り返したあと、日本の最南端、復帰したば 来た女の人を好きになって十年間ともに放浪の旅を。ガ キッチンの壁画のような天井。 c 大学入 サートで使う太鼓や笛など民族楽器が壁際に並 べら れた 誘われて、西立 川 にあるとろんさんの家に出かけた しい響きの言葉をいまでも生きている人。蔦森樹さんに とろんさんは 一九五 一年生ま れ。ヒッピ!という懐か • どこか懐かしい岡山靴りでゆったりとしゃべるとろん 15 特集 いまはきらきらさんと一緒に、尺八や民族楽器でコンサ 密売人、翻訳業など、数え切れないほどの職種を体験。 それはポリシーとかいうのじゃなくて、もう生理的にで とろ ん だ か ら 、 僕 は そ れ だ け 切 実 だ っ た ん だ よ ね ( 笑 ほんとにふつうにお金のために賃金労働ができなか った。 ら、出版社に聞いても教えてくれないのに。 ふつ・フだ ったら、変な電話かかってくると困るか ート活動。 その昔、貧乏なアーティストたちが住んでい きなかった 。 だから、できるのは男の売春とか(もちろ 稲邑 た国立市の﹁ぶどう園﹂で、ミュージシャンたちと交友 んこ っちが選びたいんだけど) 。 あとはひも、 家 にいて ソリンスタンド庖員、タクシー運転手、土方、溶接工、 があったくらいで、音楽はまるきり素人。 知識がないか 掃除して﹁いってらっしゃい﹂って送り出すしかないと ) はとろんさんの天真湖漫にはずれる音を合わせるのに苦 らなんでもありなんだとに っこりするが、きらきらさん だと思っていた 。 高校卒業して就職しなければと思 った 思っていた 。 女のほうが絶対得で、男のほうがたい へん 三 四歳の時書いた﹃純粋単細胞的思考﹄は、愚直なほ ときは、もうほとんど戦争に行かなきゃならない状態と 労をした ら しい 。 どにまじめに自分を追いつめてきた人が自分を肯定し楽 一年ぐらいすごく忙しかった 。電 話 来 た 人 は 6 でも、あれ見て電話かかってきましたか? 同じみたいに感じていたから 。 とろん 稲邑 になるために書いた﹁お経﹂の本 。 ぼくの ﹁ひも ﹂志願 蔦森 ら、そういう人たちが来たとき困ったけど、毎週日曜日 った 。 僕はなにかをするという具体的イメージがないか 割が女、男はやることないとか、働くのいやという人だ をゴシックで載せであったのが目から鱗だった。本をこ に来てこっちのことかまわないで 一日中いた人もいた 。 とろんの﹃純粋単細胞的思考﹄ に自分の電話番号 んなふうに使 っていいのかつて 。 三箇所あったよね。 それには困ったけど、来るものは拒まずにしていた 。 毎 日誰か来ていたね 。 女の人は買春希望は無に等しかった 。 一つ目はセックスの相手求む、二つ目はひも志 願 、 三 つ目は僕の本に共感する人。 こ れ は 昔 の コ ミ ユ │ もしかしてほんとはそれで電話かけてきたのにそうは 言 とろん ンへの幻想が抜けきれなくての付け足しだったけど。 0 16 えなかったのかも しれ ないけど、子どもがいて夜の商売 ツチ ﹂まで作ってくれた。 は何万部も売 れ るって言って、宣伝のために ﹁とろんパ 日記でしょう。あの本はどんなきっかけでできたの? し て いる人 と かね、いろいろな人がいた。たいていは ご 緒 に 住 ん で ﹂ ということだったけど、何十人かな 、 数えたことない。結局僕のタイプというか、この人に面 とろん 一目惚れした人とインドに 出 かけた。もともと 二冊 目の本 ﹃まるだしのエクスタシ ー ﹄ は恋愛旅 倒 見てもらいた いと 思う 人はいなかったから、一緒には 僕が 一方的に好きで彼女はそうでもないのに、どうして 一緒に旅に出ることになったのか分からない。だから当 蔦森 暮らさなかったけど。 稲巴 然嫉妬する。苦しかった。 本はどのくらい売れましたか と ろ ん 八 千 部刷 って五千部くらい売れたのかな。 蔦森 っちゃったのかと思ったけど、次の本は全編葛藤ばかり 稲邑 パス手術してあと何年と宣告された直後だったらしい 。 返事が来ないので催促したら、彼はそのとき心臓のバイ 前の奥さんが晩費社がいいと言ったので、原稿送ったら た。突然書き出して癒されていく感じでどんどん書けた 。 クシ ー の運転手をしてひたすら走り続けていたときだっ 北海道の彼女の実家に行って、彼女の体調が治れば別れ とき、彼女はずたずたになってガリガリに痩せていた 。 との関係はそれで 二年 近く続いた。日本に 一緒に帰った じになって離れようとするけど、それができない。彼女 ンスをとれるんだよね 。 嫉妬してだんだん自分が醜い感 きはこれで大丈夫と思っていたけど、全然大丈夫でなか ったんだ。 でも、僕は書くことによってかろうじてバラ そうなんだ、﹃純粋単細胞的思考﹄を書いたと 一冊目は解脱した感じで三四歳にしてこの人は悟 ろんみたいな人でも生きているんだというのが俺の励み 出てくるから、あらあらと思って。 社長さんがおもしろいこと言っているんだよ。'ど になるんだから本を出すんだ。中身なんてどうでもいい とろん 手術する前は僕の書いたようなものなんか読まない理屈 ようと思った。そこで畑仕事やって、自分が書いた日記 あのときは十年一緒にいた人に捨てられて、タ から(笑)彼の本は出せと編集者に言つであるって。 っぽい人だったのが、手術したところだったから、 を 読 ん で い た ら す ご く 笑 え る よ う に な っ た 。 多分越えち とろん のアホ﹂みたいな感じでいっぱい笑ったんだって 。 これ 17 ゃったんだね。何で越えたか分からない。あまりにも苦 しみすぎたせいなのか、なにか が飛ん じ ゃった。 女なしでは生きられない とろん 最初の人の時は違う。もっと 一緒にいたかった。 引き裂かれ て半年間くら い呼吸できなか ったくらい。苦 しいので日記書いたり本書いたり 。で も、今から考えた ら捨ててく れてよか った。一緒にいたら両方ともどうし そのあとすごい孤独で、それからしばらくしてツ ょうもなかった 。 キが落ちたように楽になったと書いていらした 。 稲邑 とろんの本読むと、人生、ずっと女の人と一緒で しょう。 私とすごく似ていると思った 。私は女の人が好 蔦森 きで女の人なしでは生きられないから、自分も女になっ うくらい軽くなって流れ始めたような気がした。今まで とろん そう。 もしかしたらこういうのが悟りかなと思 ちゃえと思って女の人の装いをした 。 自分の中で空回りして電池がプラスマイナス逆に入って 本に電話番号書いていろんな女の人が来てくれ とろん いた感じなのが、別れたとたんに電流が流れ始めた感じ 。 皮できればいいけど、 二人目の彼女の場合はうまくい っ とろん ょっとぐらいつな、かつてもだめ 。一 所懸命だから、女の を 一所懸命探していた 。 ほんとにつながりたいから 、 ち たときもそういうことあったし 。 いのちがつながるもの ら つ な が っ て い る も の が 離 れ る と き 起 こ る 。 彼女と離れ もってお母さんが見えなくなると泣くじゃない 。自分か たんだね 。 おそらくそういう苦しみじゃないかな 。 子ど 稲 邑 呼 吸 ができないほどってどういう感じっ 歳頃に、ある朝起きてみると 、 母親が とろん 僕ね、 二 一 いなくなっていた 。 僕の隣で青酸カリ飲んで自殺してい たけど、結局そこにははまらなかったように、今の時点 の自分にぴったり合う女の人を捜している。自分がどん どん変わってきているときに、ずー っレニ 緒に上がって 残酷な 言 い方すれば ・ 自分のプロセスにつきあ ってく れる人を探す。 いくような感じの。ひったりする人を求めている 。 稲巴 とろん た。向こうも壊れて新しい パートナーも見つか った し。 人の気持ちとか波動とか、自分の分身みたいな気がして 稲 邑 役 目 終われば離れるわけ 。 が 、 そう、脱皮する感じ 。 一番いいのは両方とも脱 稲 邑 そ の 人 と は 機 が熟したときに別れたのね。 18 ことが怖くないの? 自分の中にむしろ母親を作ってケアするってこと? 葉を使うじゃない。あれ大好きだけど、とろんは変わる る、みたいな。 と ろ ん 僕 は 自 分 の 生 ま れ た こ の 宿 命 に O Kのサインを なんとなくわかる。男じゃだめ。 稲臣 そう、それまですごく外に求めていたのが、自分 出そうとすることの繰り返しだった。 O K出そうとする 蔦 森 と ろ ん は よ く﹁大丈夫 化されている﹂とかいう 言 の中に作っていったら安定した。過剰だったもの。 のは簡単なことでしょ。ある程度普通の生活していたら 蔦 森 私 は こ う い う 姿 に な って安定したよ。 と ろ ん 過 剰 なのは二人とも似ているよね。 蔦森 とことんやる修行みたいなね。 稲巴 O Kを出せそうなんだけど、これは自分のさがかもしれ 僕もそういう情報がはいっていれば、 たつると とろん ないけど、すごく女の人が好きになったり、たまらなく 化される﹂ような 気がするのに、分かっているのにやっ れ て、ぐじゃぐじゃになる。それをやら なきゃ﹁大丈夫 インドに行きたくなったりとかして、それをやる度に壊 同じようにや っていたかもしれない。 変わるのがエクスタシー ちゃうの。でもそのかわり、お金のこととかは私がしっ きらきら んだよ。そういうのすごい好きなんだよ。音楽なんか始 とろん 稲邑 てしまう。なんか、さっき修行と言われたけど。 かりしなきゃならないところがある。でも、私も前に一 めたのもなぜだかわかんないけど、多分なんかあるんだ きらきらにとって、とろんってどんな人? 緒に住んだ人がいたけど、そのときは不自由だった。と よ。いつもあとになってわかる。こ れだけ何回もやれば 壊されるのをわざわざ求めているような。 ろんといると、どこか基本の部分で自由がある。たとえ 見えてきそうなものなのに、あいかわらず先が見えてこ 凡帳面な人。時間に細かい。だから私がぼけ ば音楽もこうじゃなくちゃというのがないから、すごく ない 。草 原を高さ 二メートルくらいの草刈りながら生き そうなんだよ自分が変わっていくのが好きな 変なものでも、これでいいと平気で人前でやっちゃうと 続けている、どこへいくのかわからない、そういうのが 森 か、常識をはずしてくれる。ほんとにやりたければやれ 19 蔦 とろんは先のこととか考えて怖くないの 。 好きなんだよね。 蔦森 と ろ ん ﹃ まるだしのエクスタシ ー ﹄ のあと、バンコク で百万円取られた話など、自分が変わっていく節々の物 語を書いた。﹃とろんのダイジヨ iぶ経典(スートラ)﹄ というタイトル 。 これだけいろいろあっても大丈夫だと 沖縄に住んでいたとき、突然、 三年間分十五万 円の年金を払ったことがある。自分の先を読めちゃうと 自分にとっての変わり目のお経(ものがたり)を書いた とろん き怖くなるんだよね 。 いまは病気になったらとか思わな ういうメッセージ 。 の﹁ダイジヨ 1ぶスートラ﹂を書いてください って 、そ んだけど、みなさんも他人のお経なんて読まないで自分 最初の本は悟っているでしょ。それが次の本では い。そのときはそのとき、絶対何とかなるって。 稲邑 ぐじゃぐじゃになっているでしょ 。 それがおもしろい。 蔦 森 聖 書もお経もみんな自叙伝だよね。 とろん だから、僕は ﹃純粋単細胞的思考﹄だけ読んで 近寄ってくる人苦手なんだよ 。宗教っぽくて 。 ﹁世界人 で自分のお経を書くしかない 。 ﹃純粋単細胞的思考﹄も とろん 類が平和になりますように﹂というようなしーんとした 僕を残して死んだ母親に捧げるお経だったのだけど、自 旅に壊されてきた、でも、そのパターンはいま終わった 蔦 森 あ と 聞 き た い の は ﹁ 変 わるのがエクスタシ ー ﹂ っ 分のお経を書きたいというのがますますはっきりしてき た。組織にならないようなお経を前から書きたかった 。 そう。 他人のお経読んで満足できない人は 自分 のは僕のタイプじゃないもの。どんどん変わるのがいい 。 んじゃないかと思う。もし壊してくれるものがほかにあ てこと。これはどういうこと? これで終わりというようなのできないな、いままで女と るとしたらなにがあるかな。いまは取りあえず音楽かな 。 とろん になるでしょ 。落ち込んだ後もそう。無駄な毒素が出る クスタシーになるというか 。 たとえば病気したあと爽快 るから地獄の苦しみなのだけど(笑)、あとになるとエ 変わり目は僕の場合はすごくぐしゃぐしゃにな 蔦森とろんは働かない人なの? のも好きだし。賃金労働やっていないけど、週 一回フリ 状態。 そういうことが終わる度に感じが変わ って いく 。 日常的にはよく働くよ 。ご飯作るのも掃除する ー マーケットで売るし、コンサートもやる 。 とろん 今度の出る本はどういう本? 蔦 森 20 着る物も、食べ物も、相手の女の人も変わる。自分の中 分は守られていると思 っているみたい 。 そういう守られている感覚は初めからあった? この間の誕生日の時は圧倒的に女の人多くなった 。 それ 僕みたいな髪の人やヒツピ ! の人ばかりだったのだけど、 すむ方法を探していた。女でも仕事でもよかった。タク そういう自分がいやだった。だからいつも死ななくても 思 っていたもの 。 髪を切ったり賃金労働してまで生きた くな いというのがあったけど現実的には生きてしまう。 二十代の頃は全然なかった。いつも死にたいと と、いろんなタイプの人が来るようになったね。自分が とろん 稲邑 寄ってくる人も違ってくる。 の風景が変わると全部違っ てくる。 稲邑 変わっていくと 何 もかも変わってくる 。 人によってしゃ シー の運転手は自由だし、お金稼げるし、僕に合 ってい た。 でも続いたのは 一年くらいだよね。底を突き抜ける そうそう。 八年前 ここでパ ー ティゃったときは べりかたを変えなくなったし、前は思想的なもので動い まで行くと、女でも何でも次のが現れて来るんだよね 。 とろん ていたのが、今はただ好きでやっているんだね。 てはいけないもの、異常なものみたいに押しやらなけれ かれたでしょう 。 自 分 の な か に 狂 気 が あ っ て そ れ は 出 し きらきら 稲邑 きらきら とろん きらきら 私も捨てられるのかしら? ばならなかった 。 でも、人に迷惑かけない狂気だ ったら、 信頼感がある。 私にとってのとろんって何かつて、さっき聞 ょ う こ そ い ら っ し ゃ い ま せ 、 み た い な こ と あ る 。ステ ー とろん い n ﹃陪ずれ記ヲ τいいじゃ惨い﹂ を開催します 。 報センターで、 "とろんと定つるぬトlqとろE Gつと 五月 一八日(日)午後 二時から、曙橋の新宿区女性情 修行なんだね 。 そう、とにかく枯れ果てるまでやる 。 突き抜けるまでやったら次のが見えるという予感、 突き抜けるまでやるのね 。 わかんない(笑) 。 ジで歌ったり演奏したりするのは自分全開だから、狂気 も正気もないでしょう。ここでやらなければいつやるの、 みたいなところある。それを O Kと言ってもらえる 。自 分がやりたくてもひとりでは線でしか表現できないもの が、二人でいると面にしたり立体にしたりできる 。 とろんはね、絶対うまくいくと思っているみたい 。 自 21 蔦 森 新しい人間関係を求めて • 回世 一 授腿 一 巴汚娘き 説 一子 と 宅 芝 ぢ れていない 打川加位ノ丁 それがはっきりするのが、旅の目的であったドラアグ だわりもなく受け入れています。 エ1 ス)という映画をご存知でしょうか。舞台はオース は女のドレスなんか着てたけど││﹂となおも言い訳を ・クイーン・ ショ ーも終わり、翌日、皆で渓谷に遊びに する父親をよそに、その子は、背中を見せ石投げ遊びを トラリア。 三人のドラアグ ・クイーン(極端に派手な女 三人の内の一 人は、実は結婚をしたことがあ って、子 しながら、﹁シドニーに戻ったらボ l イフレンドがいる 行ったときの、水辺での二人のシl ンでしょう。﹁昨夜 どももいます。旅の目的地で(たぶん誕生の時以来会っ の?﹂と、実に屈託なくサラリと訊くのです 。 父親はド 返り、微笑むのですが、その表情が絶妙なのです。相手 ﹁よか った ﹂と 言って 、初めてその子は父親の方を振り キドキッとしながら﹁たぶん::﹂と答えます。すると、 ていない)我が子と再会するのですが、彼は自分がゲイ Hフツ!の男 Hを演じたりしま す。でもその子は(九歳の男の子)、父親がゲイである ことを知っているのです。 知っているどころか、何のこ 子どもの前でいつになく でありドラアグ・クイーンであることを隠そうとして、 装をするゲイ)たちが砂漠を旅する物語です。 一昨年夏に公開された﹁プリシラ﹂(配給へラルド ・ 特集 22 の立場を察するとか、﹁言いにくいだろうけれど、自分 は理解しているよ﹂というメッセージを暗に伝えるとか、 そんな余計な含みはなく、ただ﹁よかったね﹂というこ とだけを共有しようとする、控え目で、どこまでも無垢 な 微 笑 み││。 わ た し は 、 よ く こ の シ ー ン を 思 い 出 し ま す 。 特に仲間 内で、カムアウトの難しさが話題にな ったときなどに 。 もう 一つ映画 (*1) を紹介します 。 これは、日本で の配給はまだ決まっていないのですが、私、が運営委員の 一人として関わ っている映画祭での上映が決まり、現在 字 幕 翻 訳 の 手 配 を し て い る 作 品 で す。 こちらの舞台はニューヨークからサンフランシスコま H同 性 愛 川 に つ い て 授 業 を 行 う の で す が 、 そ の 授 業 風 で、アメリカの六カ所の小学校。一 年生1 八年生を対象 に 景を中心に、所々、先生たちのコメントや同性愛を扱っ たT V番組などを挿入したドキュメンタリー作品です。 監督のデボラ・シヤスノフは、九 一年に環境問題を扱っ た別のドキュメンタリー作品でアカデミー賞を受賞して います。 23 てしまいます。 子どもたちの屈託のなさの理由の 一つは、 ヤ な 気 持 ち が す る ?﹂:::先生たちの問いかけに子ども たちが次々と発言していくのですが、その表情に見とれ い 浮 か ぶ ?﹂ ﹁どんなことを言われてからかわれるとイ ﹁レズビアンやゲイという言葉を聞くとど んなことが思 とも可能だ、という信念に近い考えがわたしの中にあ る 自己防御的な意味においてしている。 だか ら同性 愛嫌悪 も生まれてしまう。 でも、そ れならばそれに対処するこ ので、その過程で ﹁ 同性愛を意識の外にはずす﹂ことを 心の社会 に適応しながら成長することを余儀なくされる ﹁ なぜ、この 授業 からでしょう。 作品の中で、先生たちはそれぞれ、 まだセクシュアリティの問題が自分自身のこととして具 体的に迫 ってくることのあまりない年齢、 だということよ ﹁ プリシラ ﹂ の を行おうと思ったか ﹂を語っています 。ある価値や立場 を選びとり、あるいは、迷いを含みながらそ のこと と向 るのかもしれません 。 そうだとしても、 あの シー ンと同様、子どもたちの発言 に余計な含意や灰 かい合い、責任ある仕事の中でそれを表明し実現させて ( 一H. 帥 問 一 四 ヨ 叩 コ H 白 ﹃ 叫 一.﹃ L&G映画 祭 運営 委員) 引き続き大阪 ・京都 でも上映の予定 ↑﹃ (ロ︼ ¥司自 031 53801 5760) 問合せ H ﹁東京国際レズビアン&ゲイ映画祭﹂ 事務 局 会場/青山スパイラルホ ー ル(表参道駅B 1出口) FEE-(上映後・印にパネルディスカ ッション予定) ﹄ ω 08 才 一 5・ p )Z8・ 5ヨ・∞己主コ・・ 0 DSEggコo HHω5・ 印 上映日時/① 巴ヨ・? E-AWωSBi ② 巴ヨ・ - コ ω 一斤↑コ也、FσoCAO印 可 一 的 帥C叩 的 一 コ そんなのカンタン!米国小学校同性愛教育の現場 (しらかわ・かよこ いこうとする信頼すべき 人 の姿をそこに感じ ます。 ﹁ そうか、こ れも世の めかしが 一切なく、授業の中で、 中の 一部なんだ ! ﹂ と気がついていくと、 H同性愛 Hと いう事実を、 何 の障碍もなく受け入 れ ていくのです(で も八年生になるとかなり様子が変わります。 その比較が 出来るのも、この作品の見所の一つだと思います)。 ホ モフ e ピ ア わたしは、こ れらの作品には一つの原型l 同性愛嫌悪 H同性愛 Hとい と呼ばれる何かに汚染されていない精神の原型ーが現 れ ているような気が します。 わたしがそう思うのは、どの大人も、 う事実に対してこの子ども たちと同じように反応するこ とが本来は可能なのに、たまたま多くの場合、異性愛中 * 24 新しい人間関係を求めて 新たな出会いの中で 千葉きよみ ろしいでしょうか﹂という手紙を同じ学校にある特殊学 んと仲良くなり、特殊学級の先生に声をかけてもらって していた。そうこうするうちに Mは校長先生や技術員さ 一年生の自分のクラスにも行ったり 級の先生から受け取ったのは、四男の Mが小学一年生の と、とにかく学校の中のいろいろなところで過ごすよう になった。そして 三学 期を迎えると、市内の特殊学級や 養護学級の合同学芸会にもナレーターとして参加するよ もちろんこうしたあり方を快く思わない先生もいらし うになった。 ある相談室に登校するようになった。そのうち保健の先 た。二年生の 一学 期はもとのクラスで過ごしたが、二学 た。学校、が嫌なのではなく、学級が嫌だというので、私 か夫が出勤を遅らせて学校まで付き添い、保健室の隣に と言いだし、登校してもすぐ家に戻ってくるようになっ ﹂ Mは二学期が始まってすぐ、朝になると﹁お腹が痛 い 教室まで行ったり、 りと、そこにいることは全く嫌がらず学校で一日を過ご を回ったり、水質検査を手伝ったり、保健室で勉強した 常 二学 期の終わりごろだ ったと思う。 特殊学級を居場所に ﹁作品展にM君の粘土のコ ップを出したいのですが、よ • 生と関わりが持てるようになると、先生について学校内 25 特集 思うわだかまりなど、とっくに乗り越えているのだなと、 握手を求めて手を伸ばしている姿、がとても自然で、親、が 生からは、 気持がさわやかになる思いがした 。 期からまた学校に行きたがらなくなったとき、担任の先 ﹁ お母さんが特殊学級に行くことを認めてし まったのがいけなかった 。 M君の居場所は 二年O組です﹂ 解を得るのは難しいなと感じたこともある 。 しかし特殊 んの愛情が足りないのでは:::﹂と言われたりして、理 しずつ重なりながら不登校になった。閉じ﹁不登校﹂と 我が家では、この六年の間に四人の子どもたちが、少 それぞれの不登校 と言われたり、 Mが先生たちに甘える様子から﹁お母さ 学級に行くことで、 心もか らだも安定してきた今の 現実 いっても、それぞれの子どもたちの主張も状況も違った ので、そのたびに戸惑い、一人 一人に向き合うしかなか を受け入れるしかないと思っていた。 授業参観に行ったときのことだが、市内の特殊学級・ った。 長男は中学校に入ってすぐ、﹁学校は行っても意味が 養護学校の合同学芸会で演じる劇を、学校の体育館でみ んなに見せる日のことについて、先生が﹁ M君どうする しているのを見て、﹁あなたもああいう場所に行く?﹂ ?﹂と聞くと、﹁行かない﹂との返事 。 それを先生がお 生がまた Mに﹁いいって。それでいい?待ってるつ﹂ と聞いたら、﹁僕は学校や先生を批判したいわけではな ない﹂と 言って学 校に行かなくなった 。 ﹁はしゃいだ感 じに合わせ ら れない﹂とも言った 。 ある時テレビで、 というやりとりがあって、 Mがほっと安心という表情を いし、ああい う場所に行きたいわけではない﹂と 言った。 友だちに﹁ M君行かないって、どうする?﹂と尋ねると、 していた。一 般の教室の中ではこんなゆったりしたやり そして、働きたいと言って中こから近所のコンビニでア ﹁東京シュ!レ﹂に通う子どもたちが自分の意見を 主張 とりはできないと思う。特殊学級でのていねいなかかわ ルバイトを続け、入学した定時制高校も退学して、今は 一人のお友だちが﹁いいよ﹂と答える 。 それに対して先 りの中で、自分が認められている、受け入れられている 演劇の勉強をしている。 次男は、体育の授業だけを中学 三年 間ボイコ ット し続 と感じているからこそ、 Mは自分の主張ができるのでは ないかと思 った。 また、その参観の折り、 Mが他の子に 26 けた。同級生がなんやかんや言いながらも結局は高校に また私たち夫婦がそろって教員ということで、 ﹁先生 が・:・﹂と思った(先生の前で﹁いい子﹂なのは当たり の子どもが:::﹂と言われることは重圧だったし、当時 三男は小学校に入学してすぐ、﹁学校はなんでこんな 前で本当の姿とは言えないとその時は気づかなかったし、 行くのをみて、﹁俺はみんなとは違う、高校は行っても につまらないんだ﹂と怒って訴え続けた 。 ﹁お兄ちゃん 積極的で自己主張できる子が﹁いい子﹂と無意識に思っ は小学校に勤めていたので、担任している子どもたちが が学校に行かなくていいのに、なぜ自分は行かなければ ていた)。またある時は、﹁お母さんだって嫌なことが しょうがない﹂と言い、絵が好きだったこともあってデ ならないのか﹂というのも彼の主張だった。そして登校 あってもがんばっている 。 みんなも学校に通っているの みんないい子なのに、﹁どうしてうちの子どもたちだけ したりしなかったりを繰り返しながら、この春には小学 に、なぜお前だけが学校に行かないんだ ﹂と、 学校に行 ザイン学校に通い、本屋でバイトを続けている。 校を卒業する。 かないことを﹁弱さ﹂﹁なまけ﹂と思い、責めたことも 配もないですね﹂と 言われていただけに、がっかりもし 友だちと遊び、保母さんからは﹁学校に行っても何の心 のだった。三男も四男も、保育園の頃はとても元気にお 子どもたちの不登校はそれぞれが親にとってつらいも 前﹂としてそのことを深く考えなかったこと、﹁勉強し や、先生に怒りを覚えたのに、﹁学校に行くのは当たり 否定できず、また、自分もかつては学校が嫌だったこと まらないし、行きたくないのも当然だな ﹂とい う思いも けれど、そうして子どもを責める 一方で、﹁学校はつ あった。 た。学校は﹁家庭に問題がある﹂と言いがちだし、親と なくてもいい﹂と思いながらも、学校に行くのは当たり 心の葛藤をへて しては学校の対応にはいろいろと不満もあった。けれど 前だと思っていたことなど、自分の矛盾に苦しんだ。 っていた私が、初めてぶつかった壁が子どもたちの不登 そして積極的で明るい自分を﹁いい教師 ﹂だとすら思 不登校になった原因を探して、親や学校が責め合っても、 何も生まれてこないことは感じ ていたので、事実を受け 入れるしかないと思っていた 。 27 ったこと、﹁いい子﹂のまま、高校、大学、就職、結婚 校だった。不仲な親の調整役をしていつも﹁いい子﹂だ にどれだけ助けられたか分からない。 生の﹁大丈夫、待ちましょう﹂という言葉やアドバイス は、父親がていねいにかかわってくれたことや、若林先 どの子もみんな﹁まじめ﹂で、適当にごまかすとか息 となんの疑問も持たずにきたことで、見落としてきたも のに気づかされた。子どもたちの苦しみに向き合うこと を辞めることは簡単です。でもあなたのために仕事を辞 仕事を辞めるべきかと悩んだこともあったが、﹁仕事 つけていってほしい﹂と思っている。 いま、ようやく、 いくしかない。子どもたちには﹁自分で生きる力を身に 悪かったと自分を責めるより、いまやれることをやって 抜きをするのが下手なのだとは思う。けれど、育て方が めたというのは、子どもとっては負担になりますよ。仕 ﹁大丈夫だ よ、いろいろな生き方があるんだから、その で、自分自身に向かい合わざるを得なくて苦しんだ。 事を続けなさい﹂というアドバイスをしてくれた中学の ままでいいよ﹂と、心から 言えるようにな ったよう に思 Mに対しては、なんとたくさんの先生たちゃ技術 員さ ・﹁ノ。 生活指導の先生の言葉に力づけられた。そして仕事を続 けたおかげで、仕事での充実感や職場の仲間とのつなが りに救われたし、 子どもとも距離をとりながら 向き合う でしょう。 くるみを無理に割ろうとすれば金槌で叩いて あなたも一 O Oパーセントの親に育てられた訳ではない O Oパーセントの親なんかいますか? 言ってくれた﹁ 一 男がカウンセリングを受けた国際親善病院の若林先生が また私が母親としての自分を責め続けていたとき、長 なり、子どもと 一緒に学校生活を楽しめるのではないだ あれば、親にとっても学校という場がより聞かれた場と た新しい局面が開けるかもしれない 。 そういう可能性が んなとき、ちょっと違う人たちとの出会いがあれば、ま だとしたら、苦しいと思う子もたくさんいるだろう。 そ 級というひとつの決められた場所でしか生きられないの んの目が注がれたことだろう。学校というところが、学 砕かなければならないけれど、士一に埋めれば春になれば ろうか 。三 男も中学生になる。この子にもよい出 会 いが ことが出来たのだと思う。 芽を出すでしょう﹂という言葉は、ストンと胸に落ちて 養護学校教諭) あることを願っている。 (ちば・きよみ 本当に嬉しかった。長男が精神的に不安定になった時に 28 とても不思議に思える。 た気分をあじわいながら、坂を下っていた時のこと。ふと、﹁結婚しても孤独であることは変わりなかった 。 結婚して三ヵ月目、夏に入ろうとする頃、みその台の石垣に生い茂る草の勢いのよさを目で追い、充ち足り 結婚後、ひとつ鮮烈に覚えていることがある。 ニセアカシア。虚しく過ぎる時間をいやというほど、かつての私に知らせていた。 らを真っ白に散り敷く。夏の終わりには 、この黄緑色 の実をつける。夏の始まりと終わりをはっきりと告げる 吹きのころには、葉は黄緑色と緑色の美しいバリエーションを見せ、初夏には白い花をつけ、歩道にその花び ず っ と 勤 め て い た 研 究 所 に 至 る 道 路 の 両 脇 に も 、 こ の 街 路 樹 は あ っ た 。 通 勤 の 行 き 帰 り に い つ も 見 て い た 。芽 今、町田に向かう道路の街路樹のニセアカシアには、黄緑色の実がびっしりとなっている。私、か、結婚前に 。 ・ ﹁ノ Lt 、 この藤沢にいるのは、 四年前結婚したから。 そのようなことがなければ、 私はここにはいなかったろ 4 手 ・刀 幸 子 私は夫を愛している 。 そして夫とともにある生活を好ましいものと思 って いる 。 しかし、孤独であることには 29 <,:.,;':;;i~ 変わりなかった﹂ と感じた 。 幸せだという思いに変わりなくとも、 た 。 ﹁やはり、 そうだつたか﹂という思いだっ 身を切るような孤独感、ただ 一人で灰色の草原にたたずんでいる感覚。一 人で歩き続けなければならない距 もちろん、結婚前、私には、家族も、友人も職場でともに働く仲間も、ガールスカウト活動をともにする仲 離の途方もなさに荘然とする感覚。確かにそれは、以前の身を切るような痛切さはなくなっていた 。 間もいた。心温まる交流も、楽しい語らいもあった 。 しかし、ときに身を切るような孤独感に苛まれることが あった。心のどこかで、結婚をすれば解決するのかもしれないと思いながらも、結婚が遅かったから、そんな 期間は十年以上続いた 。 だ が 、 私 は な か な か 結 婚 を 受 け 入 れ よ う と は し な か っ た 。 そして、結婚。 誰かとともにあるとは、このようなことなのかと三カ月は過ごした 。 でも、時がきて、やはりそうだ つたの かと思ったとき感じたものは、不思議にも安堵感であった 。 あんまり長く孤独とつきあ ってきてしま った せい かとも思った 。 しかし、違う。 私が感じているのは、人間というものが逃れがたく持つ、普遍的な孤独 な のだ と思いあたる 。 人をどう愛そうと、人にどう愛されようと、人が孤独であることには変わりはないとい う事実 の確認。 一個の人間として孤独であると思うとき、夫を 含 めて やはり、孤独だったのだと、人の存在が孤なるものであることは、やはり逃れえないものだ ったのだ と 思 う とき、そう思うことが、私をやさしくさせる 。自分が、 すべての存在が、私にとっていとおしい 。 私はこう思える 。 人はお互いそれぞれに孤独の地平にいる。人は自分を含めてそれぞれに空漠 の孤独 をーーー いや、豊穣な孤独を抱えながら生きているのだと意識するとき、私は、人々にやさしくなれる 。 いや、なれそ (かたくら ・ゆ き 社会教 育 指 導 員) うな気がするのだ 。 この瞬間、こ の時 間、 この場所でお互いが交差することが、 と ても貴重な、大切なこ とな のだと私には思えるのだ 。 そして、 思いたいのだ 。 30 ⋮ 恋 ⋮ ゑ⋮ “ ⋮ 超 を ス シ ェ フ 織って作品にする。取材の日は、四、 生徒は、ゃった l、と喜ぶヤツ、セ かったりしてるのが良かったんだけど ンセl手 伝 お う か ? と 言 っ て く れ る さあ これ で授業終了。でも、蒸す時 な│(グサツ)というヤツ、とさまざ 五時 間 かけて紡いだ糸を、蒸 し器にか 聞がまだ足りない 。 もう少し蒸してお まだった。でも、こちらが考えていた ヤツ、自分で紡いだあの太かったり細 こうとそのままにして、隣の準備室で より素直に事態を受け入れてくれて救 けて糸の撚りを固定する工程。 記者さんのインタビューに応じた。 生 、 何 か 変 な 匂 い が ?﹂。慌てて調理 紡ぎ、睡眠時間を削って紡ぎ、とつい 中に紡ぎ、生徒引率した試合会場でも さあ、それからの 一週間、職員会議 われた 。 生徒はいつでも 優 し いんだ。 室にかけ込んだが遅かった 。 火を止め、 に四O 人分を紡いだ。おかげで、指に 先 つい つい話に興じてしばし::: ﹁ い異臭と煙が立ちこめて煙探知機が作 蒸 し器の蓋を開けたとたん、ものすご 豆ができ、そして僕の紡ぎの技はもう で、生徒も、 ﹁ センセl、本当にや 磨きがかかったのだ。 惚れ惚れするくらいに華麗なものへと 動。全校に非常ベルが鳴り響いた。 空炊きした蒸し器の中は惨憎たる状 況。生徒の苦心の手紡ぎ糸がおぞまし い黒 こげ の塊 になっていた 。 、 生徒に話して謝った 。 で 一週間かけ ある 雑誌社が僕の授業を取材に来た 。 た。でも し ょうがない、事情をすべて で﹂だいら ・ょういち公立高校家庭科教諭) つも多く のものをもたらしてくれる 。 りがたいものだと思った。失敗は、い 見かねて手伝ってくれて、つくづくあ っ た の ?﹂ と感動してく れた。 同僚も、 一年生の被服分 野 は、紡ぎと染めと織 て、みんなが紡いだ分それぞれの 二1 次の授業の時、さすがにドキドキし りの実習。 原毛をスピンドル(紡ぎの 三倍は紡ぐからと約束した 。 真っ白。どう しよう ! ! 大失敗。もう目の 前 真っ暗、頭の中は っ、っ 、 ついにやってしまった 1 ! |mlllllllllllllllllllllllllllllllllll~llilllllml. 道具) で紡ぎ、そ れを草木染で染め、 31 小平陽一 安原千夏 なくっちゃね。何を心地よいと感じ、何をこれだけはど うしても許せないと感じるか、自分に尋ねてみなくっち あなたはどう思うって聞いてみると、 四月最初の授業、テ l マは﹁何のために学ぶのかっ・﹂ 一緒に考えることは ゃ。教えてはあげられないけれど、 どうすれば良いのかを探る教科だと思って、生徒とそれ を探していきたいと思っている 。 例えば洗剤。どうして合成洗剤だけが C Mをにぎわし ているのか、合成洗剤をずーっと使い続けると体がどう ﹁生きていくのはあんた自身打﹂ 頭がよくなるため るため/夢をかなえるため/一般教養を養うため/ 自分の将来のため/成長するため/﹁楽﹂して 生き だl れも決めてくれないよ。それにはまず自分を知ら なるのか。自分自身のことなんだってわかつて欲しい 。 何のために学ぶのか? できる 。 それが勉強なんじゃないかな、ーと思っている。 : 1 1 1 1 7 7 4 2 . ?ヲ l 自分がどうしたいのか、どう生きたいかを身近な生活の 私の家庭科 中で考えること 。そして、ほ かのひとや地球のためにも 家庭科は生活哲学。 家庭科は生活哲学 000000000000 32 もちろん、 みーんな正解だよね。そこでもう少し考え てみよう! ひとは生活の中で、幸せをめざして生きているんじゃ 授業をしている﹁わたし﹂だって、大人の部分と子ど もの部分を持っていて完全な大人じゃないし、自立につ いても???つまり死ぬまで勉強だね。 ﹁死﹂をめぐって ないかな。そこに自分なりの幸せをね。私はそう思って いるんだけど:::。それから、みんなはとりあえず﹁大 H死 Hをむかえたいか﹂ ﹁死﹂、人間だれもが逃れることのできないこと 。 だか に他ならない 。 でも、このテ 1 マは生徒と仲良くなった ら﹁どう生きるか﹂は﹁どういう 人﹂になるために学ぶ。 自立って? 自分の身近な ひとの﹁死﹂を、どう受け止めたらいい 三学期に。 H幸せな Hとか H平和 自立についても考えよう。 もちろんただの大人じゃなくて のか?いずれは迎える﹁死﹂をどう捉えるか?私に は語り尽くせないことを、優れた絵本が語ってくれる 。 Hとかね。この授業のあと、生徒は、 ・自分はなんで生きているんだろうなんて考えちゃう ﹃わすれられないおくりもの﹄(スlザン・パ l レイ作 な世の中をめざす んだけど、今日の授業でなんとなくわかったような 絵 評 論 社 ) と ﹃ ず ー っと ず ー っと大好きだよ﹄(ハ は床に、私は教壇に座る 。 いつもと違う雰囲気、ちょ っ でみようと思 った。教室の机と椅子を後ろに運び、生徒 ン ス ・ ウ イ ル ヘ ル ム 作 絵 評 論 社 ) の 二冊の絵本を読ん 気がする 。 ・自分の生き方を考えたことはあまりなかったので、 これからも自分を見つめながら考えたい。 -大人の条件、幸せを定義するのは無理に近い 。 昔か ・大人の条件はみんなわかっていると思う。 でも不安 しゃべりが少なくなる 。 それでもだめ 。 ﹁どうしても静 好きでね:::﹂なんていう話をはじめるとちょっぴりお ﹁わたしの娘が保育園の頃、絵本を読んでもらうのが大 とざわついている 。 でもここで怒 っちゃ台無しだ 。 定な考えをみんなで話し合う中で確かめ合うことは らみんな悩んで来たんだから 。 良いことだと思う。 33 かに聞いて欲しいんだけど﹂って頼んでみる 。今年授業 その飯を水で洗 って食べたと言う。わたしはこの話が忘 その飯を買いにいかされた 。 夏にはすえたにおいのする 鮮の人々が 一年間食べられるということだ。 れられない。いま、日本人が捨てる 一年間の残飯で北朝 をした 2クラスでは、これでなんとかなった。 ﹁ 死 ぬ﹂こ と で す べ て が 無 に な っ て し ま う の っ そ ん な 食材の消費者としての視点だけではなく、農産物の生 こ と な い よ ね 円 誰 だ っ て 明 日 の 命 の 保 証 は な い 。 わか っているようで忘れがちなこと 。 だからこんなふうに心 いの始まりだ。それから、いま教科書で扱っている西洋 産者の立場を考えに入れることが必要だと思う。食べも 感想は 栄養学だけでなく﹁自然 ・季節﹂を軸にしてみるのがい を柔らかくして考えてみたい 。 私自身への自戒も込めて ・自分が死んだことによって周りの人が悲しむ 。 よく いと思っている 。 その土地、季節にあった形と方法で食 のがどんどん工業製品のようにな っていく。これが間違 考えることだけど、もし自分が死んだとき泣いてく 調理実習は設備が許せば個人で実習する授業と班での を発揮するはずである 。 作物であるトマトやきゅうりは夏に食べてこそ、その力 物を食べること。冬には冬に採れる﹁根の物﹂を、夏の 心の中でつぶやく。 0 れる人はいないんじゃないか?って考える時もあ ります。 だからも っと人に親切にしていきたいです ・ちょっと変わった授業だった 。 子どもの本だとパカ にしていたけれど、聞いてみたらいい話だ った。 実習を両方やりたいと思う。 班の実習だと手を出せない ヶ谷にあった軍の兵隊、が食べ残した飯を買い取って、市 食のところで、私がこだわ っているのは食糧自給のこ と。ごみや残飯を出さない食べ方。大正時代、東京 ・市 自分らしい装い方はや ってみたいな。どんどん知 らない 被服材料や洗剤の生産から廃棄までを考えた安全性と ﹁ 衣﹂をめぐって 生徒もいるでしょ。 中で売 っていたとい う話を T Vで観たことがある 。 実際 素材が現れて、ほとんどは石油が原料 。 ゴミにすればダ ﹁食﹂をめぐって に経験した人が語っていた 。 夕方になると鍋を持たされ、 34 イオキシン円結局めぐりめぐって、ひとに返ってくる 。 さいごに 時間に教室にいて何を感じたか?勉強した後、﹁自分 授業の最後には必ず感想を書いてもらう。自分がその なるべく、①材料費がかからない、②授業中に終わら はどうしたいか?﹂﹁どうしたくないか?﹂、そのこと 被服製作は何を作るかが難しいよね 。 せることができる、③自分の力で完成させられる、そう ﹁わたし﹂探しはなかなか難しい 。わかるようでわから をはっきりさせることが目的だ 。 リフォームもいいな。本格的なものは技術がいるけど、 わたし﹂だから ない自分。 不安やもどかしさを感じる ﹁ いう教材ないかしら? 衣服をほどいてブックカバ ー等の小物にするとか、絵に こそ学ぶのだと思う。価値観を押しつけたり、罪悪感を 例えばこんなふうに自分と折り合うやり方が探せると 自分を受け入れることが幸せの第一歩のはずだから 。 植えつける結果にな ったら逆効果だよね 。 ありのままの するとか、裂き織りにするとかだったらできそうだ 。 ﹁住﹂をめぐって 住の授業は、個人の住居ばかりとりあげていると絶望 中の街歩きをした ことがある 。高いブロック塀をめぐら ュニケ ー ションをはぐくむ街﹂と いうテ ー マで東京 、 谷 りの視点をいれた授業ができたらいいなと思う。 ﹁コミ を生徒に描かせるのは酷。住むことについては、街づく たい 。世界は広いけど自分の知 っていることって少ない 私は、立派じゃなくても自分で納得のゆく生き方をし 。 よ う か な ? 野 菜 も い っしょに食べ ればいいみたいよ ﹀ べたいんだもん、いいじゃない 。だけど 二回を 一回にし (カップラーメ ンっ て体に悪いのわかっている。でも食 いいんだけれど 。 す、ひとを囲い込む街ではなく、狭い敷地に住んでいて から、いろんなことに触れてみて、感じて、そうしてゆ を育みやすい 。経済的に実現が難しい理想の家の間取り も、垣根を低くして庭をみんなの空間にするような、ひ く中から私たちの授業ができてゆく と信じている 。 やすはら ・ち か 山崎玉県公立高校教諭) とをつなげる街をつく れば、子育てだってもっと楽しく なると思う。 35 自分らしいって何だろう? 鈴木淑子 うしてそう感じたのか考えてみると、私自身、人を観察 ﹁人を相手に仕事をする﹂、そんな予感がしていた 。 ど ﹁人を相手に仕事がしたい﹂ 。 そう思 ったのは、確か大 学 三年生の頃だ った。 漠然とだけど、自分、か何となく、 業を選んだのかなあ 。 教壇にて約三O 秒の沈黙。結局、 先生になって最初の生徒からの質問、﹁どうして先 生 になろうと思ったの?﹂ 。 うーん 。私、どうしてこの職 り女子のみに慣れてしま っている 。 う つ! ど う し よ う。 O年の女子校生活です っか 子中・女子高 ・女子大、計 一 私にとっては、異星人に見えた 。 ﹁教室に男子と女子が いる!﹂ 。今では当たり前のことだけど、私の目は、女 するのが好きだからかもしれない 。 そういえば、この職 そんな感じだった 。 見慣れない教室、先生方、そして私 平成七年、私は気づいたら教壇に立っていた。本当に えたことはなかった 。 何だか答えられなかった自分が情 かけがあったわけでもなく、このことに関して真剣に考 ﹁人を相手に仕事がしたい﹂という思い以外、特にき っ ﹁どうしてだろうねえ::﹂としか答えられなかった 。 の顔をまじまじと見つめる生徒たち。 はっきり言って、 つけ:・。 業に就く前になろうと思 っていたのは看護婦さんだった どうして先生になったの? 摂 36 探し続けている。 けなく思えた。それ以来、私はこの質問に関しての答を :・:。私のまわりには職業柄、家庭科の先生が多いのだ れることもよくある。うーん、家庭科の先生とは程遠い けど、実際、﹁やさしい、あったかい、おしとやか、物 家庭科という教科に関わってきて、家庭科の領域の広 ?﹂﹁この間説明したじゃない。まったくもう﹂:・:大 ﹁先生、火がつかないよ﹂﹁元栓は開けたの?﹂﹁元栓 静か:::﹂?何か違う。 調理実習を始めようものなら、 さと、答のない問題にいつも悩まされる。生徒たちの反 声でのこんなやりとり 。 ﹁先生フライ パンから火が 円 ﹂ 家庭科という言葉 応を見て、家庭科という言葉の持つ大きな先入観や、イ と生徒に呼ばれてダッシュ。家庭科の先生という感じで 現場を見て思うのは﹁生徒との格闘﹂ 。 そして﹁時間 との格闘﹂ 。実 際 、 体 力 勝 負 と い っ た と こ ろ か ? 私 自 もない つ家庭科のイメージは、﹁料理・裁縫が上手、やさしい、 身、料理も裁縫もはっきり言って上手ではないが、体力 まず、生徒にアンケートをして分かることは、今の生 メージの違いにも気がつく。 あったかい、おしとやか、物静か﹂など、これは根強い。 には少し自信がある 。 ﹁うん。これなら大丈夫かな?﹂ 徒は案外古風な感じの子が多いということ 。 みんなの持 家庭科 H女の子・女性・母親というイメージがすっかり 実際に家庭科の先生になってみても、私にはそんなイ めつけたところがあった。﹁おかあさんタイプのやさし い人。料理も裁縫もできるスーパーウーマン﹂ 。 に就く前、私自身、家庭科の先生はこんな人だ!と決 家庭科の教員に関しても同じことが言える 。 この職業 ってしまった。九六年一 O月号の﹃ W e﹄で、自由の森 授業は本当にこれでいいのか?と思いつつ仕事が始ま 授業に関しても、実技・実習はまだしも、講義形式の いっぱいで、家庭科という教科自体が、範囲が広すぎて、 自分には手に負えないと、嫌にな った。 までは、学校や生徒というまわりの環境に慣れるのに精 うだ。本音の部分を聞いて少し安心した 。 それが分かる 他の先生方にしても、得意分野・不得意分野があるよ メージのかけらもない。普段の私は、男っぽくて、がさ 定着してしまっているようだ。 つで、 廊下はいつも走っているし 、体育の先生と間違わ 37 学園の 加藤さん が ﹁授業さ えなければ学校って楽しいん だけどな﹂って書いてあったのを読んで、﹁私もそう思 う!﹂ーと同感だった。 ﹁どうし のかもしれない・ ::﹂。仕事を始めて半年が過ぎた。 男らしい・女らしいって? ﹁この職業に向いてないのかな﹂と思 う反面、 たら生徒とのコミュニケ ー ションがうまくとれるのか?﹂ 授業以外の生徒を見ていると、意外な部分が見えてい つもピックリさせられる。例えば、授業中ひと言も話さ と悩んでいた時、生徒の発言を多くすることを目的に、 一橋出版)からア 業が、﹁男らしい ・女ら し いって何だろうつ﹂だった。 なく、半分 ﹁ どうなるだろう?﹂と思いつつ行なった授 イデアをいただき、特に念入りに計画を立てたわけでは 指導資料( ﹁ 男女共修家庭科の実践﹂ ないA君。 文化祭でたまたま見にいった演劇部の劇で、 A君は、みんなの前で堂々と歌い、踊り、ステージを駆 け回っている 。 ﹁ 何 だこれは A君ってこんな子だっ 口 川 たんだっけ ﹂という具合。 一方で、だんだんと、生徒の素顔が見えない講義形式 さんにとって、男らしいってどういう人?﹂と、質問し ﹁ 男の人が仕事やスポーツを 一所懸 命 や っ て い る の っ て カ ツ コ イ イ よ ね ﹂ と い う 意 見。 どんどん出てくる。 が黒い、スポーツ刈り、ズボン 、 スーツ、やさしい:・:﹂ 男らしいって、﹁強い、たくましい、カツコイイ、色 ﹁ O O君にとって、男らし い ってどういう人?﹂﹁0 0 の授業が嫌になっていった 。 ﹁そんなことは言っていら れない﹂と、毎日教材研究の日々:・・ 。 ﹁家庭科 ってい ていくと、みんな真剣そのもの。 H知りたい Hという気持ち ったい何だろうつ﹂と自分で勉強していくうちに、家庭 科の内容に関して、私自身の がふくらんでいた。 自分で勉強することは本当に楽しいんだけど、生徒に、 何を、どう伝えたらいいのか分からない 。 教壇に立つと 女らしいって、﹁料理が上手、家事ができる、子ども 同じように、女らしさについても質問してみた 。 自然と授業は一方通行になった。教室は私にとって居 好き、やさしい、ロングへア │、いい香りのする人、胸 一斉に向けられる生徒の目にも恐怖感を覚えた。 生徒に言 いたい c のある人::・﹂生徒たちから挙げら れた 言葉を黒板に書 心地の悪い場所だった。﹁どうしよう ことがうまく伝えられない 。 この職業に私、向いてない 38 子・女の子を考えてみると、胸のある人(行)以外は、 いてみると、いろいろなものが見えてくる 。実際の男の ﹁男らしさ・女 ら しさ﹂の授業をきっかけに、講義形式 自分らしい って? の授業を初 め て楽しいと思えたような気がする 。 ﹁そうだ!私自身が授業を楽しまなきゃ 。 聞いている 男らしい・女らしいの逆転が考えられることに気づく 。 ﹁強くてカツコイイ女の人もいるよね。有森裕子みたい 生徒だっておもしろくないよね ﹂。一 方通行の授業から やっと抜け道を見つけた気分。 何だかす っきりした 。自 ﹁ 先生、 SMA Pみたいに料理のできる 分で作った生徒との壁を、今、自分でやっと壊しはじめ た。 生徒の本音を聞くためには自分も本音をぶつけてみ な。 あと、キャリアウ ー マンもそんな感じ ﹂ ﹁ショ ート ヘア!の女の子も結構いけるよ﹂﹁ジーンズ似合う女の 子がいいなあ﹂ 男の子もいいよね ー﹂﹁私はロン毛(ロングヘア ー のこ る ほ う が い い ん じ ゃ な い か ? こ れ は 私 への新しい課題。 うまくできるかは分からないけどやってみようと思う。 ﹁ 私、子ども好きでやさしい男の 子と結婚したいな ! ﹂ だ ! ﹂ということ 。 怒ったり 、 泣いたり、笑ったり、 と)いいと思うけど﹂ 生徒は何かを発見したようだ つた。 そして私にも大き な発見だ った。自分の中にある男らしさ ・女らしさにと 所 懸 命 何 か を や っ て い る 人 っ て 本 当 に 素 敵 だ と 思 う。 子 どもたちの 一所懸命さから、慰め られたり、励まされて 一 二年が過ぎて、今 言えることは、﹁ 子どもたちが好き らわれている人って多いんじゃないか? ﹁ じゃあ、自分らしい ってどういうことだろ いることに、や っと気づいた 。 最後に、 うつ﹂という問いかけをして、授業を終えた。これは私 ろう。 自分 ら し い 便 業 が で き る だ ろ う か ? ち ょ っと不 二駒郡命にやることで、何か答えが見つ と、今日も自分に問いかけてみた 。 かるかもしれない 。 そ う 思 い な が ら ﹁ 自 分 ら し い っ て ?﹂ 安ではあるが、 また新たな年を迎える 。 今度はどんな顔に出会えるだ に対しての問いかけでもあ った。 今 日の私には無理がない 。 とても自然だ った。家庭科 の先生らしくしなくちゃと思ってたけど、そんなことな いんだよね 。 ﹁白分らしい授業がしたい﹂ 。 そう思った。 仕事を始めて 一年が過ぎた頃だ った。 (すずき ・よ し こ 崎玉県公立高校教諭) 39 〈 準備するもの 〉 ・アル ミ缶(空缶) 1コ ・マプチの水 中モ ー タ ー (1コ ¥3 8 0) ・虫 ゴム(1袋¥80) ・なベ小ネジ(1袋 殺到 。 ) -安全ピン(または目ヌキ) ・瞬間接着剤 -ザ ラ メ (1袋 ¥3 50) ・アルコールランプ 1コ ・皿(なるべく平たいもの) 1枚 -ダンボールの箱(中 くらいの 1コ) 〈 作り方 ) ①安全ピンか目うちで、カンの β くらいまで、小さな穴 下1 をあける。 ②カンのフタをとり、 中心 にね じをはさんで上 向 きにとめる 。 ③ 水 中モ ーターの先のプロペラ の部分を、ハサミで切 りとる 。 ④ねじに 虫ゴムを半分くらい ね じ込んで 、 虫ゴムの 中に瞬間 接着剤 を流 し込み、そ こへ水 中モーターの先をつっこむ。 { 使い方〉 ①アルコールランプに点火し皿の上に置く 。 ②火にかける前に、缶の中へスプーン 2~ 3杯ぐらいのざらめ(砂糖)を入れる。 ③1 5 秒ぐらい火の上で停止させて、ざらめ を少し溶かす。 ④モータ ーのスイッチを O Nにすると缶が 回転して 10秒くらい待っと、缶の穴か らあめが勢いよく出てくる。 ⑤わりばしをくるくるーヶ所で回しながら、 わたあめをすくいとる 。 ⑥モータ ーのスイッチを OFFにして、缶 の回転が完全に止まるのを待 って、ダン ボールの上へひきあげる 。 ( ; 主 .) 3 分 ~ 5 分ぐらいやって少しこげくさくなってきたら、モーターのスイ ッ チを OF Fにする 。ゆっくりでも、缶が回転している聞は、絶対にダンボールから取り出さないで i主主主~ ( ヤケドのもとです ) 。 回転が完全に止まるのを待って下さい。 40 楽万T楽 座 加藤昭仁 カンタ ノ (簡易わたあめ製造機〉 『 ものづくりハンドブック 2 ~ (仮説社)に紹介されていたもので、ビールや ジュースの空き缶と水中モ ー ターをドッキングさせれば出来上がりという簡単 なものです。ボクはいつも、四月の 「 出会いの授業 J (中学 ・高校)の時にや ることが多いけれど、 あめ作ってもらうよ ~ J 気が、 「 今日はまず、みんなと仲良くなるために、これでわた とわたあめ製造機をとり出すと、最初の緊張した雰囲 「 何ソレー ?J とゆるみます。作り方を簡単に説明 して、モーターのス オーッ J と歓声が上がっ イッチを ONにして缶を回転させると、それだけで 「 Jみたいな冷たい視線の生徒さんもいたりはす たっけ。中には 「く だ ら な し、 るんだけど、四 五人のグ‘ループに分かれて実際やり始めると、 めって何杯入れるんだ、つけ ?J 「 あれ ざら わ~ホン卜だ、わたあめが出てきた ~ J と、 女子も男子もキャッキャ言って、まるで調理実習のノリ。最初は 「く だ ら な しリという顔してた生徒さんも、出来上がったわたあめ片手にニンマリ(ぼく、 正直ホッとする)。中には、 他 のクラスの子への 1 1 お土産 1 にと大量生産に励 む生徒さんもいたりして。この日の生徒さんたちの感想文を読むと、 ったよ 。この一年の授業も楽しみ J 「 楽しか r わたあめっくりながら、今まで話した ことなかった人といろいろ話せてよかったよ!J と、まずまずの声がし、っぱい。 ものづくりに限らず、人と人との聞に、何かしら(楽しいコ卜〉を置くって いうのはし W 、ものですね。そうすれば、教師と生徒、生徒と生徒との人間関係 が、自然と気持ちよく拡がっていくもの。授業に限らず、 (人が楽しそうにし ているのを見る〉のが、ボクは好きです。 このコーナーでは、家庭科の授業や学活などで、スグに誰もがマネできそう な、皆さんからの 1 掘り出し物 1 (教材や教具、本、ビデオなど)をお待ちし 57 ています。使い方などを添えて、 『楽市楽座』編集局:加藤昭仁まで(T3 埼玉県飯能市美杉台 5 -27 -6 A-201 /FAX0429-7 1-086 9 ) ドシドシお便 り下さい。(かとう・あきひと 4 1 私立中 ・高校家庭科教諭) ﹁ 整理整頓の病 ﹂ 巻 らその人のキャラクタ ーが残っちゃう から、次の人が来て違うパターンだと、 らって帰ります﹂と言いながら、ちっ とも持って帰らない 大掃除したことがあるのね 。 前任者が 驚いて部活の生徒に手伝ってもらって りがかびている鍋が入っていたりして、 切れた油が 倒れ ていたりシチューの残 C そうなの。流しの下に使用期限の にきれいになって、あらもっと早くや て講習受けて片づけたら見違えるよう って 、 ついでにダスキンの人呼んでき 昔のものを全部思 い切って捨ててしま この前同僚が休職中なのをいいことに から責めら れ ていたんだよね 。 それが 僕は整 理能 力がないといつも周り 残していったのを、次の人が自分の使 ればよかったわねとほめられたよ 。 ええっ!と思うことがよくあるよね。 G うところだけ片づけて使うから、ずっ て標語をあちこちに張る人なの 。 私の 同僚が整理好きで、﹁整理整頓﹂なん ど、整理整頓ができないのが悩みの種。 していくし、誰が捨てると思っている 使ってくれるのはいいけど、ゴミは残 扱うしね 。 みんな飲み食いに調理室を D 実習室も二つで広いし、生ものを す る コ ー ナ ー で す 。 第一回目は答えは になった 、家庭科教師の悩みにお答え 会議でやろうやろうとみんなが乗り気 このぺ lジは首都圏の家庭科の編集 とそのままになって いたらしい。 やることじゃ気にいらないらしくて、 った雑談風にな ってしまいましたが 、 出ないまま、話だけは楽しく盛り上が でも家庭科の教師も捨てられない 人が多いのよね 。 要らないと思って捨 ぜひ編集室宛に ﹁悩み ﹂をお寄せ下さ い。首都圏家庭科編集室のメンバーが はそれでいいようなものだけど 。 要ら ないものがたまって限界に達したので、 てても、いつのまにかごみ箱から復活 ます 。 編集会議にもぜひご参加下さい 。 この前、段ボール箱に詰めて、自宅宛 ﹁捨てるくらいなら私がも 隔月の編集会議で話しあってお答えし うん、 している 。 家庭科って一人が多いよね 。 だか F に何箱も宅急便で送ってしまったの 。 E んだろう。 私、授業ではそんなに困らないけ の みんな一人でやってくれるから、それ A B 42 論争 第一回 家庭科の独自性を どう捉えるのか? 小平 也捕玉県公立高校家庭科教諭 小平陽一さんから﹁共学家庭科﹂を めぐって、次のような寄稿がありまし た。 そこで、小誌で﹁共学家庭科﹂を 総合科学である 。 独自性は、ないのが 答えは、 ﹁ 家庭科には専門性はなく 、 をしました 。 ﹁家庭科の専門性あるい は独自性をどう捉えているのか?﹂ 。 きたいと思って、私は次のような質問 じ、発表者の家庭科に対する姿勢を聞 ました。この発表にすごい違和感を感 なりの時間をコンピュータに当ててい う捉え方をし、年間の授業展開で、か なるところを多く持つ総合科学だとい 庭科を、理科や社会科や保健などと重 研究発表がありました。発表者は、家 昨年、県の研修会で﹁生活技術﹂の を書いて文書での回答を求めましたが、 ではなく、そこで、再度丁寧に質問状 かし、ま ったく納得できるような内容 ら の 一方的な 言 い訳がありました 。 し で、この指導主事に手紙を出しました 。 その真意を聞きたくて質問状という形 機会はありませんでしたので、後日、 いました 。 この時、もう私には発言の これには耳を疑い、驚き呆れてしま 学校家庭クラブで出せばいい﹂と、こ の研修会を締めくくったのです 。 校で、独自性はホ ー ムプロジェクトや のだ 。専門性は専門学科を置く職業高 しば らくして電話が入り、指導主事か 家庭科。 強いて言えば、教師個々人に れはあくまで個人の見解、それはそれ で仕方がないと思いました 。 が、ショ 困ったものだとは思いましたが、こ 附嵯には答えられる問題ではないかも 家庭科とは何かっという本質的な問 ﹁家庭科の専門性と独自性とは?﹂は、 あるのではないか ﹂というものでした 。 とうとう返事はいただけませんでした 。 で連載することにしました 。 この八論 ックだったのは、最後になされた指導 しれません 。 だから発表者には、少々 めぐる皆さんからのご意見を誌上で展 争 Vには読者のみなさんにもぜひ参加 主事の講評で、﹁家庭科は、専門性 も 酷な質問だったかもしれません 。 しか 開できればと考えて八論争vという形 していただきたいので、ぜひ、ご意見 独自性もなくていい 。広 く浅くやる も 題を含んでおり、そう簡単に、しかも をご投稿下さい 。 ( 2850字 ) 4 3 陽 は言葉の行き違いであるならばいいの しょうか?何かの勘違いか、あるい は、専門性も独自性もないものなので 独自性もないなんて言ってしまうこと に唖然とするのです。 本当に家庭科に とも簡単に、しかも公然と、専門性も りゃいいのか?という欲求不満にと 提ですが、実習を多くすると、楽しけ 生きします 。 授業は、楽しいことが前 理裁縫などの実習で、生徒たちは生き くいっていませんでした。むしろ、料 しかし、現実の授業ではなかなかうま ない、新しい家庭科を目指しました。 あるいは、変化する家族観のなかで、 なりつつあるような気がするのです 。 かというのが新しい家庭科のテーマに ップの有無を乗り越え、どう共生する 性差や年齢差や、人種やハンディキャ するか、高齢社会をどう生きるかなど、 とし、その中での衣食住を考えていま す。 つまり、男女平等社会をどう実現 この関係性と共生の問題を家庭科の柱 ですが、訂正があったら訂正して下さ らわれていたのです 。 家庭科って何だ 消費社会のなかで、食生活や衣生活や 悩んでいました 。 私は、料理裁縫では いとの再三の手紙にも、返答がないの ろ・フ? そういう自聞を繰り返してい し、指導的立場にある指導主事が、い ですから仕方ありません 。 そしてもう 住生活をどう捉え、個としてどう自立 するか、そのことが重要になりつつあ ました 。 私は、家庭科を﹁生き方を考える﹂ 一つ、その場に居合わせた他の家庭科 の先生たちが、この件に関して無反応 るような気がします 。 家庭科が男女共修になって 三年がた 教科だと捉えています 。 その中心に、 個人レベルでの自立の問題、そこから ちました 。 女子のみ必修の家庭科と共 だったことも驚きでした 。 ここに、家庭科が持つ問題性がある 修家庭科とでは、その立つ位置が板本 的に変化したと、私は捉えています 。 派生する、人と人(男女の関係、高齢 人種や国籍、家族や結婚の問題なと)、 共修以前の家庭科は、あきらかに良妻 者や障害者や子どもとの関係や共生、 うことがこれまで充分に研究議論がな 人と社会(高齢社会、消費社会、情報 賢母、料理裁縫の流れを引きずって行 ための学校教育の中の家庭科か、とい されていなかったからこそ、こんな発 化社会、科学技術など)、人と自然 われてきました 。 家庭科は、社会の枠 ような気がしたのです 。 つまり、何の 言が平然となされたのではないかと考 (生態系や自然環境)との関係性や相 組みの中で、常に社会構造の下に位置 えています 。 互扶助の問題、などを置いています 。 この問題が起こる前、私はちょっと 4 4 視されてきた 一つの原因だとも思って と 思 っ て い ま す 。 それが、家庭科が軽 割分業を固定化する役割を果してきた づけられ、どちらかというと、性別役 くなった現代の生徒たちにとって、実 せん 。 しかも圧倒的に生活体験 の少な を発揮しているという面が否定できま されている教科であるがゆえに、価値 る場になっているのが実情です 。 軽 視 なのです 。 人は、物や経験を通じても 、 そういう経験のできる場が唯 一家庭科 際に物に触れ、手を加えて作り出す、 います。 これが共修・共学家庭科になりまし た。 これは、家庭科にとって革命的な 一 投稿募集中 今年度の家庭科のべ 1ジは、﹁家 庭科何はともあれ HELPキl﹂を 改めて、﹁楽市楽座﹂(1800字) ・で教材や資料のアイディア紹介をし 酬﹁家庭科ラフ・スケッチ﹂(380 こ んな授業をや ってみて 醐 O字)で ﹁ 感性に影響を与えられます。だから、 は、生徒の姿や生徒とのやりとりを 欄わる、匂いがかわる﹂(3800字 出来事です 。つ まり今の家庭科は、 八O 度方向転換し、性別役割分業の解 く、別な意味で貴重なものとなってい 料理裁縫も、その技術面ばかりではな 酬はいかが ﹂という肩の凝らない授業 酬を提案します 。 ﹁授業風景│風がか 放を進める中心教科になったのです 。 だ と 思 っ て い ま す 。 しかし、家庭科の 時代の最先端を担う教科に変身したの 校社会や社会全体のゆがみの中で、逆 科、そういう本来の目的とは別に、 学 家庭科は人の生き方を考 えさ せる教 こだいら・ょういち ) 名乗り出て下さい 。 お待ちしています。 どうぞお気軽に 思います 。ともに新しい方の投稿を んの相談にかる1くお答えしたいと 展開し、﹁家庭科相談室﹂では皆さ 庭科をめぐる皆さんの意見を誌上で ﹁論争﹂(2850字)では共学家 で従来通り継続します。 るのかに焦点を当てた、ライブ感覚 てどんな場、どんな機会になってい 中心に、家庭科の授業が生徒にとっ だって、男女共修なのですから。いま 中身がさほど変わっているようには思 説的に評価されているのが実情で 、 こ るような気がします 。 えないのです。 早急に、時代に合った、 の理想と現実の狭間で悩んでしまうの や家庭科は、社会変革の先頭に立ち、 新しい家庭科の創造が必要だと思うの です。 す。 ( みなさんのご意見をお待ちしていま です 。 しかし、そうした思いとは別に、息 苦しい受験教育という学校現場の中で、 家庭科は生徒にとってほっと一息つけ 45 毎年、 工業科の調理実習で手作りソ を多少は刺激する話だったらしく、何 結局は好奇心や知識欲より食欲で動 ﹁へ│、なんか:::できそうじゃん ! ﹂ な話で終わりました 。 く連中ですから、いつものようにこん ﹁ 鉄板切って溶接して箱はできるしょ 人かの生徒が目を輝かせていました 。 填からくん煙まで行う、一応本格的な ー セージをつくっています。腸への充 ものです。あるクラスで、この実習の ホッケとか﹂ りそうです 。 1 マの候補にな え ぐ ち・ぽんたろう 彼らとの授業は来年もおもしろくな ぎりです。 というのがあったそうで、うれしいか なえて、おいしいくんせいをくう!﹂ 希望理由に、﹁江口先生のゆめをか っているというのです 。 いて、いくつかあるテ 製器をつくる!﹂と書いた生徒が数人 このテl マ希望調査に、なんと﹁爆 モノをつくる授業があります 。 分たちでテ ー マを決めて 一年がかりで 彼らは、三年で﹁課題研究﹂という自 さすが、機械科で学ぶ生徒たちです 。 なりました 。 ころに突如、爆製器製作が現実の話に しばらくして、こっちも忘れかけた 説明をしていたとき、矯製器の話をし 。 ま した 荒 ﹁ 俺も喰いてぇ ! ﹁ホタテもうまいぞ﹂ 山出幽品幽幽幽幽幽幽ぬ幽幽』組曲出幽幽"'. . . 幽 』 幽 ﹁ 学校では、段ボ ー ル箱でつくった爆 製箱を使う。みすぼらしいが、これで も矯製はできるんだ。本当はもっと立 派なのがあるといいんだけどな﹂ ﹁先生それ、どんなの?﹂ 子どもたちの質問に、いつもの漫談 で半分本気、半分冗談の爆製と爆製器 のロマンを語ってみました。 ﹁まず、掃除用具箱みたいな鉄板の箱 にとびらをつける。上には煙突、下に は吸気口をつけて中に肉を吊るす 。 電 俺の夢だ﹂ 機 械科の二年生である彼らの好奇心 んだよ ! 温度はえーっと、どうにかしてつくっ く 熱器とセンサーをいれて温度はマイコ 江口凡太郎 て、うまいベーコン喰いてえ!﹂ 風 ン制御:::こんなのが前々からほしい オホーツクの潮 46 -連載 点 γhιる htい う、 LhL ウ ゾ うに肩書きにモノを言わせることもで 山積み 。そ し て 極 め 付 け が 親 子 ほ ど も ない。パソコンはともかく、電話でさ 年の違う﹁コンピューターおたく﹂に きず、男たちの視線は冷たく、仕事は 友人との通話中にキャッチホンの信 え扱い兼ねているのが我が世代だ。 号が入る。﹁どうぞ﹂と言うと﹁無視 気を使い、機嫌を取り、﹁まだわから 職場の友人の深刻なストレスと、留 適応不能の代名詞にしてしまった。 値を半減させ、経験を蓄積した年齢を 職場の O A化 は 、 無 情 に も 熟 練 の 価 な い の ! ﹂ と 叱 ら れ る 屈 辱。 ムシ﹂。 気になるからと再度促すと、 はわからないのよ。取ると両方切れち ゃうんだもん﹂。 電話嫌いの別の友人は、留守録を聞 いた形跡がない。休日の急な連絡に困 。 ﹁聞いても何にも出てこないんだも の どうすればいいのよ、これ﹂ 。 そろそろ老後への軟着陸を考えようと いる友の苦笑はあながち無縁ではない 。 って問い詰めたら、なんとこう答えた 。 守 録 を 聞 け な い 言 い 訳 を 考 え あ ぐ ね て ﹁身の程知らずにパソコン買って苦心 いう世代には厄介な時代だ 。 キカイがなんだ。キカイに何ができ る。 人 と 交 わ り 、 泣 い て 笑 っ て 感 動 し ケーションを悪くしている 。 先日はまた別の友人の嘆きを聞かさ があるかと抗弁しつつ、私もまた、慣 れきったワープロが突然動かなくなっ てつみ上げた生身の魅力にかなうもの れた 。 女 だ か ら 、 女 の く せ に 、 と 言 わ れながら働き続けて五O 代 半 ば 。 気が つくと、 て途方に暮れているのである 。 ﹁女呼ばわり﹂への緊張は、 素手で若く美しい後進に立ち向かう苦 パソコン使えなくても死ねるワ、と フリーライター) 開き直ることにした私にとっては、こ (きむら ・さかえ 衷に代わっていた 。 同 年 輩 の 男 性 の よ すけどねえ﹄だって!ハハハ﹂ ると毎日同じメールが入ってくるんで 押したでしょ、ボクんとこ、七時にな と ん で も な い 人 か ら ﹃何 か へ ン な キ イ 便利な筈の付加機能が逆にコミュニ ミ 惨 悔E メ ー ル 、 と 。 問 題 は そ の 後 よ 。 木村栄 ン ト ん な のチャレンジ精神、文句のつけようが 47 ホ お 武田秀夫 うねる波は、まるで背後から獲物に襲いかかり呑みこもう ﹁ 恐怖のメロディ﹂ に お け る こ つの視線 恐怖のメロデ クリント ・イーストウッドの監督第一作 ﹁ としてその快楽の予感に身をあえがせている不気味な生き ィ﹂(一九七 一年)をはじめて見た時、 ような映画だ ﹂と思ったのを覚えている。 だが、それ以上に強く印象に残ったのは、 二人が林の中 高まって今にも 二人に崩れかかろうとしているかにみえる クリント ・イー ストウッドは、カメラを手前に引いたまま を寄せ合う姿を画面全体にとらえるところだろう。しかし ふつうなら、カメラはもっと二人の人物に近づいて、肩 の道や海辺を歩くシ ! ン が 、 か な り 手 前 に 引 い た カ メ ラ に シl ン。それは、ほんの一夜の遊びのつもりでベッドを共 動かさず、画面右奥にあらわれた 二人が左へと歩いていく よって、常に距離をおいてうつされつづけていたことであ にした女(ジエシカ・ウオルタl) に執劫につきまとわれ イーストウッド)が、かつての恋人(ジョン ・ミルズ)と る男が、恋人もろとも、いつ破局に見舞われるかという不 そのこちら側に、たとえば、かなりの大きさの岩があって 送局でディスク ・ジョッキーをやっている男(クリント ・ 安を見る者の心に強く喚起する印象的なシl ンだった。何 観客の目をさえぎ っていても、かまわずにそのまま'つ つし る 。 も知らずに歩む 二人の背後にあってくりかえし巻き上がり 海辺を歩いている、その背後の画面いっぱいに波がうねり おそらくは望遠のカメラで撮ったのだろうが、地方の放 物のようであった 。 ﹁ まるで生き物の / 48 ン・ミルズが、後悔して懇願するクリント・イーストウッ てほしい、浮気な男の仕打ちに傷ついて一度は別れたジョ ては、もっとカメラが近づいて二人の表情や会話をとらえ るようにすると思うのだが、彼はそうはしない 。 観客とし むように動いて、二人の姿が常に画面の中心にとらえられ つづける。 ふつうならカメラはその目ざわりな岩を回りこ ぼくは気づいたのだ 。 ような、妙に生々しい思いが心にかきたてられーーー、突然 メラとが共犯関係にあって二人を遠く凝視しつづけている つづけているのだ、気をつけろよ ││。 そんな、自分とカ 前たちに近づくことを禁じられたおれたち観客がいつも見 が、そして、そのカメラとともにこちらに留めおかれてお るつもりかもしれないが、その歩みを、こちらからカメラ お前たちは二人だけでなにやら話し込みながら歩いてい このカメラはただ客観的に 二人の人物を追っているので るその遼巡、あるいは女のそうした遼巡をどうにかして説 得しようと言葉を尽くす男の真剣な表情、それらをクロー はなく、第三の人物の視線を代行する主観描写だったの ドの言葉にほだされてもう一度暮し直そうかと考えはじめ ズ・アップによって、あるいは丁寧な切り返しによってと だ!夜ごとディスク・ジョッキーの男に電話をかけ、 ﹁ ミスティ・フオl ・ミ 1 1﹂とエロ l ル・ガl ナl の曲 らえてほしいと望むのだが、クリント・イーストウッドは、 観客のそうした思いにこたえようとはせずに、引いた距離 をリクエストしつづけた女、そしてある夜、男が局からの 成功した女、その女の嫉妬に燃える目、裏切った男とその にカメラを据えたまま、二人の歩みにつれてカメラの首を ずいぶん不親切で無精なカメラである 。ぼ くたち観客は、 恋人をつけねらう自がカメラの目となった、怖るべき主観 帰りに立寄ったパ l に待ち構えて彼をキャッチすることに 二人の主要人 物に感情移入したくてもできない位置に留め 描写だ ったのだ ! 右から左へゆっくりと振るだけなのだ 。 おかれたまま、二人が目ざわりな岩の左にあらわれ歩みさ ところが、ぼくは、そうした素気ないとしか思えないや はないかと 。 たしかにそう言われれば、そうした手法を用 映画の中でくりかえし用いられてきた陳腐きわまるもので ひとは、あるいは、笑うかもしれない。そんな手法は、 り方に、やがて、別種の不思議な生々しさを感じはじめた いたスリラーなどくさるほど見てきたはずなのに、どうい っていくのをいたずらに見送るしかない。 のである。 49 うわけか、ぼくは、クリント・イーストウッドの﹁恐怖の メロディ﹂を見た時に、まるではじめてそうしたやり方に やっぱりそうだつたのか! ﹁恐怖のメロディ﹂は、このように、スクリーンに展開さ れるストーリィ自体は、棄てたはずの女につけねらわれる まあ、ありふれたものでありながら、それを追いつづける 男の恐怖劇という、その後に続々と類似の作がつくられた、 接したような新鮮な驚きを覚えたのである。 ぼくはいつ のまにか憎むべき女ストl カ!の位置に自ら カメラの動き、そのカメラのこちら側にひそむ見えざる情 を置き、その目で不実な男を遠くに眺めさせられ、願って もいないのにその女、ジエシカ・ウオルタ 1 に感情移入さ どんな映画だって、それを撮影するカメラは存在する 。 念が画面に浸透して、単なるスリラー以上の何かを感じさ にもかかわらず、観光写真を眺めているようにほとんどカ せられていた 。 そ し て 、 ク ラ イ マ ッ ク ス で 、 ク リ ン ト ・ イ のベランダの柵を破ってはるか下の海へと落下し、岩礁の せてくれたのである 。 聞に波立ち騒ぐその海面に遠く小さく、まるで白い花のよ メラの存在を感じさせない場合と、まるで狙撃兵のように ース トウ ッドに殴りとばされた女が、絶壁の上に立つ 山荘 棋を禁じえ 一掬の 一 うに死体を浮かべた時、やはりぼくは、 男と女が歩いていく。と、木の枝が画面の手前に入って たたみの部屋に座った笠智衆や原節子の動かぬ姿が、か じさせる場合と、どこからそのちがいがでてくるのだろう。 画面のこちら側にカメラを握ってひそむ者の息づかいを感 きて、いままでゆ っくりと移動しながら二人をとらえてき ラのこちら側にあ って低い位置からじっと 二人をみつめる えって低く固定されたカメラの存在を、そして、そ のカメ なかったのである 。 たカメラがふ っと立ち止まったと思うその瞬間、そのカメ 小津安 二郎の怖いような自の存在を感じさせる 。 そ し て 、 ラの微妙な動きによって、ぼくははじめて、木の枝に限ら れた狭いフレ ー ムの向こうを歩み去る恋人たちが実はその ぼくたちは、 ﹁ 恐怖のメロディ で印象に残るもう 一つ の 一見静的なその画面の底に、異様に生々 し い 前からジエシカ・ウオルターによ ってつけられていたのだ 情念の液りを感じさせられるのである 。 ところで、 たぎ ということを、その女の視線を、画面の外にというか内に というか感じさせられてドキツとする 。 と、次の瞬間、画 面の左手前から女の手があらわれ、その木の枝を握る f│ │。 50 もなく深甚なる恐怖にとらえられるシ!ンである。 度重なる襲来をうけて全くの受身にまわり、ついになす術 追い 払 ったつもりの男が、無邪気な思い込みを装った女の シーンがある。それは、あと腐れのないようにうまく女を ーストウッド﹀をカメラの目を通して凝視する、そうした ドの自作自演の作品において、彼が︿無惨なクリント・イ 後、自分自身を主役として撮ったクリント・イーストウッ ぼくたちは、この最初の監督作品 ﹁ 恐怖のメロディ ﹂ 以 そこに自虐を見るか譜諮を見るか、強烈な自己批評を見 異様に熱のこもったシ l ン に し ば し ば 遭 遇 す る こ と に な る 。 るかマゾヒスティックな心情を見るか。とにかくクリント 今やむなく抱いたばかりの女が自分の胸にもたれかかっ 表情で、その女を胸に、ベッドの背に身をもたせている 。 ・イーストウッドは、複雑な、 て眠っている 。 男は荘然と目を見開き、凍りついたような と、かすかに光の加減がかわって時間の経過したことが示 家だとの感を、ぼくは最近ますます深めている 。 ついたままの表情でいる男の姿がうつし出される 。 この長 める人妻の視線の前に、男が、雨に濡れた無惨な姿をさら 近作 ﹁マデイソン郡の橋 ﹂ においても、車の中からみつ 一筋縄ではいかない映画作 され、にもかかわらず先ほどと全く変わらぬ姿でなお凍り ﹁ 恐怖のメロディ ﹂ という作品の 惨な男の顔を経視して動かない不気味なカメラの目は、同 白眉のシ l ンとぼくは思うのだが、問題は、その場合、無 姿を、カメラのこちら側から、しかも女の視線の先に │ │ る女性もいるようだが、ぼくは、自らが演じる無惨な男の すシ l ンを、 いクローズアップこそ、 時に、監督クリント ・イーストウッドの目でもあるという 女の視線に自らの視線を重ねてじっとみつめている動かな ﹁ あまりに年寄りじみて美しくない ﹂と評す ことである 。 とはちがって、胸にもたれて眠るジエシカ・ウオルターを !の主観を通して二人の恋人たちが見 つめられるというの 雨に打たれた老ガンマンのみじめにもがたがたとふるえ つ おいてもおこなわれていたというのがぼくの考えである 。 るのである 。 そして、同様のことは、 いクリント・イ ー ストウッドの苛烈な目に、やはり感動す どう始末しょうもなく、恐怖に凍りついている男、クリン づけていた姿が今もぼくの目に暗く焼きついている 。 その 先に述べたような、女ストlカl、ジエシカ ・ウオルタ ト ・イーストウッドを、監督としてのクリント・イ ー スト 老ガンマンをみつめる苛烈なカメラの目││。 ﹁ 許されざる者 ﹂ に ウッド自身、がカメラのこちらからみつめているの である 。 5 1 春めいてくると田んぼのだんどりが始まる。田んぼすき ・水当番・田んぼの畦の草刈りと仕事がめじろおし でちょっと憂欝だが、同時に楽しみもある。それは、また川で遊べるからだ。おっさんになった今でもどうし て、こうも川が好きなのだろう?川の流れを見ていると妙に落ち着く。川に救われる? 二年生の﹁生活科﹂の授業を 四時間や らしてもら マズである。 三年前から梅雨の終わる頃 、地元 の小学校の 一、 (ヨシノボリ)、コイ、フナ、シマドジョウ、ナ イ(ムギツク)、ガンド(ドンコ)、チチンコ 色(オイカワ)、アカモト(カワムツ)、イシク 生活語(図鑑名)のスタイルで紹介すると、天然 子ども時代につかまえた魚が九種類は生きている 。 った大阪の北端﹁能勢﹂は、まだ今のところ、昔 はほとんどなくなってしまったが、私の生まれ育 汚れて排水路のようになってしまって、昔の面影 もちろん現在の川は護岸工事、かしてあり、川、か をおっさんになってもやって興奮している 。 ざわりが最高である。子どものときに遊んだこと アヒョ 1 1﹂魚のぬめりとヌルヌルザラザラの手 何かがビピッときよる 。 ﹁ウオlH ア ヒ │ツ! 大脳に 春めいてくると、川べりを散歩して川の魚を見るのが好きだ。そして、夏になるといよいよ 川 へ入って魚を 会@食応 握るのである。石の底の聞に手を入れて魚を握るのである。この時の感触はたまらない。興奮する 円 。 を ( み0 二 ( 公 的 52 っている。昨年は、夏休み前の忙しさと重なって、梅雨があけないうちに学校の方で日時が設定されたが、案 の定、大雨の後。川が安定していないのでその日は川に入らず、﹃川と魚のはなし﹄﹃ピンク・ベッコンの絵 本﹄読みと自作の歌﹃川がよんでいる﹄﹃魚はスイスイぼくらもスイスイ﹄を子どもと一緒に歌った 。 ﹁ す べては、おてんとさましだいやH ﹂と 子 ど も と 先 生 に 話 し て 、 ﹁ 来 週 、 今 度 は 川 へ 行 こ う ! そ の か わ り みんなでええ天気になるようにお祈りしといてや!﹂。 そして、 二日ともいいお天気で川が安定した。魚の方も前夜からの﹁もんどり﹂(つけ瓶ともよんでいる、 プラスチックの Hしかけ H ) に真っ黒になるくらい魚、が入った 。 子どもたちは、魚をさわって喜んだり、何と いっても川に入 って水浴びをできたのが楽しいらしい。奇声を発している 。 ﹁キヤ()ツ﹂﹁キヨエ{)﹂ 。 特に女の子の方が元気がよい。嬉々としている。やっぱり子どもは川に似あう。 子どもも川で生きる一つの生き物に過ぎない。単に自然の仲の 一部分である 。子 どもを何とか﹃野性﹄にも ど し た ら な あ か ん ! 一緒に遊んでみてそう思う 。今年の夏も、子どもらとい っしょに川遊びすることを今か ら楽しみにしている 。 ところで﹃いきいきごんぽ﹄とは? 子どもの時、毎日隣の池で魚を釣っていた 。 も ち ろ ん 好 き な 川 に も 釣 り 竿 を も っ て で か け た 。 釣 れ た 魚 を ブ 、 リキのバケツに入れておいた。フナ・コイは強いが川魚(アブラハヤ・アカモト・オイカワなど)は弱くてバ ケツの中ですぐ腹を見せて弱ってしまう 。 これは、バケツの中は、水の流れがないし、水温が上がるし、酸素 も 少 な い た め で あ る 。 ほ う っ て お け ば 死 ん で し ま う。 そ れ で 弱 り 始 め た ら 素 早 く 、 そ の 魚 を つ か み あ げ て 、 池 ・川の岸辺で左右ゆるく振 ってやり、元気がではじめたら前後に振ってやる 。 そして、蘇生させてやる。 53 pp 豊能図書館館長/題字・版画とも著者) し その時に呪文を唱えてやるopp ﹁いきいきごんぽ﹂﹁いきいきご んぼ﹂ (くわた・よしひこ この呪文は、 子どもの時にばあさんに教えてもらった。こうすると、たいていの魚は元気を取り戻し、 かり泳ぎ始め生き返る・ . つ E軍 司 理 曹 胃 璽7 ・ 高校三年の春、休み時間はかならず廊下に出ることにしていた。 席のわきを同級生たちが行き来する のが苦痛だったから。たぶん私のことなんか誰も気にも留めない。 でももし話しかけられたら:::、と 思うと、それだけで動俸がして落ち着かなくなった。 みんなみたいに、きれいに笑えないもん 。自分の笑顔がいつ・も歪んでしまうことを、私はよく知 って いた。学校行事があるたびに、いやおうなく写されてしまうスナップ写真には、みんなのなかで皮肉な 笑い方をしている自分がいた。別に友だちなんかほしくないというように、強がった顔しちゃって。 ほんとは友だち、ほしかった。でも私には自分ではどうしようもできない癖があって、誰かのそばに イラスト滝野湾直子 一所 懸 命 なは弱い本当の私を見透かしてしまうだ 大嫌い!そんな顔して笑っても、みん いつもおびえてしまう。 みっともない顔、 してみても、唇が笑顔を作るだけ 。瞳は いることを悟られたくなくて涼しい顔を すっかり疲れて、とてもおどおどして ら抜け出すことができなかった 。 声が心にこだまする 。 どうしてもそこか だけれど、また誰かのそばに行くと同じ ﹁そんなこと思わない﹂って打ち消すん やというほど自己嫌悪して、 かを傷つけ、殺していた 。 その瞬間、い 行くと、心のなかで﹁バカ !死んでしま え!﹂と相 手をののしってしまう。 いつもいつも心のなかで誰 文一滝野津直子 54 ろう。 きっと軽蔑されて、もうここにはいられなくなってしまう。 弱い自分を隠すために、 私いつも廊 下に出ていた。廊下の窓の桟にひじをついて、外の景色を見ているポーズ 。 窓はチビの私には高すぎて爪先立ちをしなくちゃいけなかったけれど、それでもガラスに顔をく っつ けていると安心できた。もう誰も話しかけてこないもの 。 窓からは大きなポプラが 二本見えた 。 屋上よりもまだ背が高く、まっすぐ伸びたポプラの樹。 明るい 日差しをぐいぐい吸い込んでは、無数の葉 つばをざわざわ揺らして、吹き抜ける風を輝かせていた。キ ラキラ、キラキラ、なんできれいなんだろう。 始業のベルが鳴り教室に戻ってからも、ステンドグラスのような緑色の残像が、かじかんだ胸をキラ キラ照らしていた。いつもこんな光のなかで暮らせたらいいのに 。 この光を描いてみたい。黒板も写さずノlトに描きだしたポプラの絵。 うまくできたら美術部の作品 にしようと、しばらく夢中で鉛筆を動かしてみたけれど、ダメだあ 。 こんなんじゃないよ 。 も っとも っ と、透き通って光っているもの 。 到底私には描けないとあきらめてしま った。 心に暗がりが戻ってくる 。 いやだ 。 もっと、あの光に照らされたいよ 。 次 の 休 み 時 間 も 輝 く ポ プ ラ を 見 た く て 窓 辺 に 立 っ た 。 次 の 休 み 時 間 も 、 ま た そ の 次 も 。 煙草を吸いた い大人たちのように、楽になりたい 一心で、私は窓辺に引き寄せられ続けた 。 美しい光。天国の扉もこ 結局、部活の作品として私が描けたものは、ポプラではなく荒れ地に生えていた小さな雑草。 それと んなふうに輝いているに違いない 。 暗い虚ろな目をした自画像だった 。 それを黒い画用紙に描き込んで、カ ッターナイフで切り抜き、白黒 の切り絵にしあげた 。 額のなかにおさま った雑草と自画像は、まるでお葬式の遺影のようだ つた。 (たきのさわ・なおこ ) 55 このままではいけないつ 士円原令子 倫明 一九八九年 一月 一四日、 二三 時四O分、私を乗せた小さなプロ ペラ 機はウイスコンシン州の小さな町に着い た。吹雪のために飛行機が遅れ、予定時間を 三時 間以上も遅れての到着であ った。その上、飛行機の中で、コ ンタクトレンズの取り外しで目を引っ掻いてしまった私は、スティーブンス ・ポイントの小さな町に着くやい なや救急車で病院に運ばれた 。英語に多少の 自信があった私だ ったが 、初めて聞くナチュラル・ス ピード の英 のだった。 語の早さとわけのわからない医療の専門用語にすっかり打ちのめされてしまい、私のアメリカ到着は散々なも この到着に負けず劣 らず、 日本を飛 び立つ前 はたい へんな 騒ぎ であった。私がアメリカ留学を決めた時、誰 で育った娘である。父は﹁男は仕事、女は家庭﹂を当然のことを考え、母は﹁女の幸せは結婚﹂と思っている もが﹁吉原さんの御両親は理解があっていいね﹂と言った。私は中流階級のごく普通のサラ 1 リl マンの家庭 ような人間である。そんな両親がどうして私のアメリカ留学に﹁理解﹂を示すことができるだろうか 。 アメリ 56 カ行きのことを話すと、母は 三 日間私の顔を見れば泣き続け、父は 二日間も口を聞いてくれなかった 。私は自 分の計画を密かに遂行し、ぎりぎりまでアメリカ留学のことを話さなかったのもこんなところに理由があ った。 だから、﹁理解してもらう﹂などという穏健な行為ではなく、ほとんど﹁強行突破﹂に近いものであった 。 私がアメリカ行きを決意した理由は、大学生だった頃の私自身が﹁このままではいけない症候群﹂であ った ことが強く影響している。﹁このままではいけない、何かしなくては﹂と思いながらも、何をしたらいいのか わからない。英米文学を専攻していたものの、あまり英語が好きになれず、何か自分に合うものが世の中にあ るはずだと信じていた 。 しかし、何からどうやって始めたらいいのか全くわからず、空虚な日々がただ過ぎて いくだけだ った。友人とケーキを食 べに行 ったり、ショッピングをしたり、あるいは、英会話学校に通 ってみ たり、スイミングを習いに行 ったり、絵を習ってみたり・・:いろいろなことをしてみたが、どれも夢中にはな れなかった 。 しかし、刻 一刻と時間が過ぎ、老いていく自分が恐ろしか った。 テレビを見ていて﹁私もテレビのアナウンサーになりたいなあ﹂と思 った。 しかし、﹁だめだめ、私なんか にテレビのアナウンサーになれるわけない﹂と諦めてしまう自分自身に気 がつ いた 。 その時まで、私はや って c ﹁アナウンサーになるためには?﹂と考え、私がたどり着いた結論はアメリカ留学して放送学を もいないのに、﹁私にはでき っこない﹂と諦めてしまう癖がついていたのだ 。ダメでもいい、や ってみよ うと ふと思 った 勉強し、パイリンガルになって﹃ニュースステーション﹄の久米さんの隣りに座ることだと思った 。 私は初め て人生に目標を持ち、生きがいを見つけたような気がした 。 日本を発つ前も、アメリカに到着した時も、決してスムーズに事が進 んだわけではなか った。 しかし、寮の 私の部屋の窓か ら、暗閣の中でキラキラ光る雪を見て、﹁アメリカに来 て本 当によかった﹂と思 った。 そして、 大学 講師 ) ﹁あの雪の輝きのように、私の人生はもっともっと明るいものになるんだ﹂と期待で胸を膨らませる私がいた。 よしはら・れい 57 ふふ¥ A , 司﹄ // 川1 開JM肝 州 側 西 浦 佳 代 方が)一緒には暮らせない男も居るだろうし、七年な く ても一緒に暮らせる男も居るということです。 そして、 点は多様なのだとつ くづく思います。ただ、私がはっきり言えるのは、同じ私でも、一カ月なかったら (私の ﹁ううん。でも向こうが浮気するって言うの﹂と、ギャップの解決に苦慮している様子。夫婦それぞれの着地 また別の友だち、結婚して十年もたつのに、﹁もう一ヵ月もしていない﹂って悩んでいます。﹁したいの?﹂ であれ、セックスレスを正当化するのは結構むずかしいことです。 う小学一年じゃん﹂と、次の瞬間にはその歳月に妙な視線を投げ返してみたり、自分のことであれ、人のこと いわよ﹂、友だちのごく自然な語り口に出合って、ほっと安心してしまう私。でも、﹁待てよ、彼女の子、も つい胸に手を当ててみたりしてしまうんです。﹁人は人﹂って思うけと、﹁私なんか、妊娠して以来ずっとな ﹁セックスレス、本当にこのままでいいの?﹂なんて聞かれると、何か私、いけないことでもしているのと、 ょ え し ス な わ たh g 制 関 58 現在のセックスレスを苦もなく過ごしているのは、それが私の性格(本質)というよりは、パートナーとの関 係性であり、関係性が変われば、レスの状態も変わるか、あるいはレスの居心地が悪くなって、一緒に暮らせ そういう意味では緊張感があって、この緊張感を時に楽しみ、時に怯えているというのが偽らざるところで なくなるなどの変化が起きるだろうということなのです。 す。私の目に狂いがなければ、恐らくパートナーも同じ状況を生きているのではないでしょうか。 ﹁ベッドの中で仲よしこよし﹂なんて夫婦、文句なく﹁いいなあ﹂って思いますが、そのイメージはセックス というより、﹁とっちゃん坊や﹂に﹁嬢ちゃん姉ちゃん﹂か年寄りの茶飲み友だちといったところです。私自 身のイメージがこのように貧困になり、枯渇したのは、恐らくそのような状況ばかりを生きざるを得なかった からだと思いますが、子育てと主婦業の合間のはぎれのような時間の中で、自分のセクシャリティを暖めるな んて無理だったと思います。﹁彼がもっと子育てや家事に協力してくれていたら、セックスにも応じられたわ﹂ とは、また別の友人。恋人時代なら、まだセックスとお世話ママの両立もできたけれど、来る日も来る日もで は続かない現実がとても共感を呼びます。子育てや家事、 P T Aや、地域の世直し運動の方がまだ、昨日も今 日も明日も居るだろう夫よりも私を捕らえて離さなかったのでした。たぶん忙しいからというより、私は時間 以前のところで夫に背を向け、切り捨て、自問していたのでしょう。様々なところで夫と激しくぶつかり合っ 心理は実は復雑に入り組んでいるのに、﹁お茶飲むつ・﹂﹁うん、あり、がとう﹂などというレベルで、今は妙 た過去の傷が癒えていないから、裸で係わるのが恐くなってしまったのかも知れません。 に宜しくやれたりもするのですが、これを仲直りと見るべきなのか、嵐の前の静けさと呼ぶべきなのか、はた また、飲み食いという、別の本能の世界で妥協してしまったのかは、深く考えるほど分からなくなります。 ﹁セックスレス、みんなで語れば恐くない﹂。でもやっぱり、私は、やらないんじゃなくてやれないのかな。 深く自分に問いかけるのは、どうも恐いような気がします。 59 蔦森 かくマジメに作るというので、﹁本当 クシユアリティを特集した番組をとに 衛 星 放 送 ﹁ パ ー フ ェ ク トT V﹂がセ あまりに極端。これは不毛で不幸だな ックスになってしまう。途中がない、 る。それを越えるときは性器だけのセ フェミニズムではセクシユアリティ と思う。そんなことを言いたかった。 ているうちにすっかりやる気になって かな?﹂と疑いながらも、打ち合わせ 避妊や妊娠のことといった保健衛生の のことがあまり話されない。同性愛や 話は多くあっても、セックスや身体の しまった。普通のテレビだと、言葉や 心地よさがテーマとなる話は出てきに 力の被害のこと、身体構造や感染症や う い う 下 品 な も の がO Kっ て い う 常 識 笑いや覗き趣味のものはできても(こ くい。個人がもろだしになるから常識 異性愛とい う 性 の 指 向 の こ と や 、 性 暴 って変だ)、セクシユアリティの﹁ま りに多くて、数科書みたいなものかお じめで本気﹂な番組は作れないらしい。 的にはしゃべりにくいんだろうね。そ 常識やスポンサーの意向の制約があま 開局したばかりの番組だから﹁作っ の解説、一房中術の本質は気の交流にあ ぅ。キム・ミヨンガンさんが古い性典 しても、そのルサンチマンの場所から 定する大事な仕事がフェミニズムだと りポルノと暴力で汚れたセックスを否 セックスで負ったルサンチマンを語 れも当然だと思う。 ると説き、ポルノ監督の代々木忠さん 出られないままだと、生命が引き裂か た者勝ち﹂とディレクターが真顔でき口 しは﹁親密なコミュニケーション﹂を れてついに身体が枯れてしまうようで、 が心でエクスタシーすると語り、わた 一ア│マに話すというものだった。 辛い。ここを何とかと思うのが最近の わたしかな。あなたはどうですか? 多くの人は親密な身体の触れあいが 幼児期以降まるでない。でも親密さは (ったもり ・た つ る 作 家 ) らないまま言葉を無意味に重ねたりす 欲しい。体への心地よい触れ方がわか 6 0 / 〆 居場所考⑧ ︿記憶のない街、物舘のない街﹀・::・:::ji--:::水田宗子 樋口一葉はもとより、夏目激石や森鴎外、芥川龍之介や永井荷風の作品や彼らについて の評論には、必ず本郷界隈の地名が出てくる。そのたびに本郷に住む私は、それらの地名 が今はほとんどまったくなくなっていることに改めて驚く。本郷だけではなく、東京の古 い地名がなくなってしまってすでに久しいし、そのことへの批判と哀惜の気持ちは多くの 人々によって諮られてきているが、つい鼠近も、荷風についての本を読んでいた夫から、 曙町ってどの辺だろうと聞かれて、急に懐かしさと取り返しのつかないことへの悔しさで 心がいっぱいになったのだった。 本郷界隈の地名が、曙町も駕篭町も追分町も東片町も、柳町もなくなって、白山、西片、 維新や震災や敗戦といった大きな節目や都市の破壊後の建て直しの期間においてではなか 向丘、小石川などに統合されて整理されたのは一九六0年代になってからで、決して明治 った 。 私の大学時代までは、本郷の地名は確実に元のままであって、都電がなくなっても、 新しい地下鉄ができても、ジェット機が飛んでも変わらなかった。それは、東京オリンピ 6 1 ~ Y ツクを境にした東京の再開発がいかに根本的に東京を変えたか、ということを示している のだろうが、地名の消滅が、火災や震災や戦災などによるのではなく、人為的に、それも 開発と発展の名のもとに行われたことが、あらためてなんとも無念な気がして、あきらめ 切れない思いがするのである。 本郷界隈の変貌は、単に地名だけではもちろんない。古本屋がなくなり、書居がなくな り、古書美術骨董屋がなくなり、医療器具庖や喫茶庖までなくなって、大学街らしくなく な っ て 久 し い が 、 最 近 で は 、 文 房 具 、 電 気 器 具 、 時 計 、 雑 貨 な ど の 百 も 少 な く な って、 あ るのは不動産屋とコンビニばかりにな った。 本も文房具も電気器具も大学生協が 一手に引 き受けているのだろうが、それでは大学があることが町を活気づけても潤してもいないの である。東大生はどこにいるのだろうとたまたま思うが、彼らはコンビニさえあればよい のかもしれない。コンビニは、今、東大前だけで三府舗あり、どれも繁盛している 。 コ ン ビ ニ と い え ば 、 最 近 、 テ レ ビ で 鶴 見 俊 輔 氏 の 話 を 聞 い て い て 、 氏 が コ ンビニを称揚 してコンビニ H郷 土 主 義 ( ぺ イ ト リ ア テ イ ズ ム ) 論 を 紹 介 し て い る の に 驚 い た 。 中央の盛 ツドに位置して、小さいながらも生活に必要な品々だけを並べているコンビニは、よき地 り場に位置して、潤沢に豪華な品揃えをするデパートのような大庖舗に比べてネイパ l フ 域主義、郷土主義を復活させるものだとい うことらしい。 本郷からなくなったのは、雑貨屋や金物屋、乾物屋や豆腐屋といった小さい庖で、さい わい肉屋や魚屋、八百屋はまだあるが、急速にネイパ l フツドがなくなりつつあるのが現 実である 。 そ れ で い て 郊 外 型 の 大 型 ス ー パ ー が 出 来 な い か ら 、 い た る と こ ろ に コ ン ビ ニ が 出現しているが、それらはどれも系列化されたフランチャイズで、どの応に行っても同じ 品 揃 え の 品 々 は 、 最 小 限 度 の 必 要 は 満 た し て も 、 変 化 や 新 鮮 さ を 欠 い て い る 。コン ビニの そ う し た 品 物 に 画 一性を感じさせられでも、地域や郷土を感じさせられることはない 。 62 ;ρ/ 下宿生活をしている学生には、二十四時間開いていて、週刊誌や何か食べるものをおい ているコンビニは、孤独を緩和するへミングウェイの︿清潔な明るい場所﹀のごとき役割 を果たすこともあろうが、たいていは味気ない、ただ便利なところであるだけだろう。ニ ューヨークの六0年代も、街角のグロツサリーをはじめ、小さな庖がどんどんなくなって いった時代だったが、かろうじてネイパ l フツドを残していたハ│レムも、ハ│レム外部 の大資本によってそれらの庖が経営されるようになって、暴動が絶えなくなっていったの である。六0 年代のスラム ・クリアランスといわれた、市政府による大規模な都市再開発 の失敗への反省から、住民たちの自分たちの手によるネイパ l フツド回復の動きは、八0 年代から本格的になっていったが、それがどんなに困難なことか。コンビニが郷土主義を 産む、それを可能にするなど、根拠のない思いつきでしかないのではなかろうか 。 コンビニは、町の記憶も物語も回復させない 。 コンビニは、記憶と物語、が消え去ったと ころに立つ、消毒の効いた無菌な場所である。本郷には巨額の国家予算を投下されてます ます強大化していく東大だけが残るだろうが、そのその八千名に及ぶ教員も 二万五千名を 超える学生も、ネイパ│フツドを再生することができないのは、コンビニと同じである 。 63 連載者紹介 • Iフェンスを こえて」の小平陽一 (こだいら・ょういち )さん一…高校の化学の 教師から家庭科教師に転身して 3年目 。 家庭でも主夫をやって大忙しの毎日です0 ・「楽市楽座」の加藤昭仁 (かとう・あきひと )さん……高校の社会科から家庭科 に転身し 3年目。その苦難の日々は昨年の W eの「授業風景Jでご存知の方も多い 楽市楽座 J で、家庭科に新風を送ります。 はず。アイディア満載の I ・ 「オホーツクの潮風荒く 」の江口凡太郎 ( えぐち・ l まんたろう )さん……今年は 夏のフォ ーラムの実行委員長として、北海道の豊富な人脈を生かした企画カとネッ トワー クで着々と準備を進めています。夏の北海道でお会いしましょう。 ・「おんなが歳をとるということ」の木村栄(きむら・さかえ)さん ……ライター。 著書に W30 年目の同窓会~ (筑摩書房 )、 『どこでどう老いるかj] (講談社)など 0 ・「シネマの魔」の武田秀夫(たけだ・ひでお)さん…・・・霞塾主宰。本業の他に、 文章講座、激石や賢治の文学論議座が評判。 著書に『セイレーンの誘惑一激石と賢 治j] (現代書館)、 『し、つのまにか朝日が ーガンという経験j ] (現代書館)など 0 ・「いきいきごんぽ」の桑田良彦 (くわた・よしひこ )さん・ー…魚釣りを何よりも 愛する自称「縄文人 j 。公立図書館の館長さん。子どもたちを川遊びに連れ出 した かと思えば、バンドを組んでライブをこなし、版画や絵を描くという多彩な入門 ・「変な子じゃないよね」の滝野津直子 (たきのさわ・なおこ )さん ・・・・・・頚髄損 傷で車椅子の生活をしながら、青森のクソレープホーム 「きりん館」で一人暮ら し 。 著書に『でも、やっぱり歩きたい 直子の車椅子議闘記j ] (医学書院) 0 ・「このままではいけない ?Jの吉原令子 (よしはら・れいこ )さん・ ・ ・ … 「 仕事と 私生活とボランティアの三分割法で生きていきたし、 J という吉原さん。現在は女子 大の講師。フェミニズムとボランティアに関する体験的エッセイを連載予定。 ・「セックスレスなわたしたち 」…・・・賛同あり、批判あり 一一ー昨年一番反響の多か ったのがこの連載でした。今年はいろんな方の投稿で連載を継続したいと思います。 条件は当事者が自分の言葉で語っていることです。 投稿をお待ちしています。 ・「蔦森樹の巡業日記」の蔦森樹 (ったもり・たつる )さん ・一ジェンダーを越え た自由な個人の生き方をテーマに執筆 ・講演 ・ワークショップなどに幅広く活躍。 著書に 『男でもなく、女でもなく ] j (勤草書房)など。 ・「居場所考」の水田宗子 (みずた・のり こ) さん ・…一城西国際大学学長。 日米文 学比較。 ポスト ・フェミニズムの課題に迫るフェミニズム文学批評の第一人者。 シ ャープな文章にファンの多い 「 居場所考 j も連載 4年目に入ります。 著書に 『フェ ミニズムの彼方j ] (講談社)、 『母 と娘の フェミ ニズムj] (共箸・回端書 l 苫)な ど 。 64 P編集後記 . 傷 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・後・ e 争... ...... .たびたび手荒れの話を編集後記に書い たので、とうとう読者のお 一人が手作り 石鹸を送って下さいました 。先日はフェ ミックスでアロマテラピ ーをしている大 沼さんが、私の体に合うオイルを調合し て下さいました。皆さんにお気遣いいた だきながら、なんとか良い方向に向かっ ています。 しかし、早くきれいな手にな りたいと思う反面、手がきれいになった ら f 手荒れjの印篭をかざしつつ少なく してきた家事分担が、再び増え始めるの ではないかと少々心配です。(山下) . フエミ ックスの A Tの成果?で、職場 で組合を作り、それが原因?で職を失う ことになった大沼もと子さんが、 一人立 ちすべくフ エ ミックスでアロマテラピ ー を始めました。気功をふんだんに取り入 れたとても 気持ちがいいものなので、み んなに奨めています。 この気持ちのよさ を知ったら普通のセ ックスなんでいらな いねと 2人で豪語してます 。春だという のに、発情期もなくなったしねと 。新し い人間関係は望むべ くもないので、目下 機械関係(パソコン)に挑戦中。(河村) ・ 「機械はダメで…jなんて言ってられ ないんだけど、 マニ ュアルというも のが 理解できず、適当にやってうまくいかな いと 、つい、それっきり 。 DTPをマス ターするぞ!と 気合いを入れて購入した 自宅のマ ックは、今や子どものお絵き& ゲーム機と化している 。今回の版下もパ ソコンにもてあそばれ、あとはひたすら 手作業となった。なんとかこの現状を乗 り越えて、ついでに請負仕事の年度末の 締切からも早〈解放されて、ゆっくりと 花見を楽しみたいものだ。 (中村) 6 . クオークエキスプレスってオリエント 急行みたいなものかと思っていたら、今 月号からそれでやることになった。 とこ ろが流し込みとやらいうものがうまくい かないからと、今月の版下は手作業に急 速変更。鈍行に乗って急行の所要時間内 で着かなければならないような訳の分か らない気分。仕方ないから大島弓子の 『バナナブ レッ ドのプデ ィン グj とか f ロストハウス J ダイエ ッ トjなどを 読んで癒されている 。 こちらも訳が分か らないけどやたら面白い。(吉田) . 3月 20日の『性と性暴力を語る集いj はフ ェミニズムのタブーに触れてあらゆ る問題が一気に噴出した感じでした。出 てきたものをせきとめてごまかすことは したくない、何が出てきても出し切って、 流れに任せていくことで深いところで変 容していく場を作りたいといつ も恩って いるのだけど、揺れたり壊れたりする場 を作ってしま うのは「悪魔のお仕事j で あることが今回ほど身 に しみたことはあ りませんでした。それをやってしまう私 って何だ ろう と思いつつ ……。 (稲邑) 月号から表紙が加藤由美子さんか ら 川口民子さんにバトンタ ッチ。一 目で内 容が分かるように目次中心のデザインに。 5年間 W eの会の ネッ トワ ークを象徴す るような素敵な表紙を描いて下さ った加 藤さん、ありがと うございました。 .購読更新の手続きがまだの方は今すぐ お申込下さい。中止のご連絡のない場合 5月号まではお送りしますので、中止に なさる方は至急ご連絡下さい。間に合わ ずお手元に届きました場合は、「受取拒否J と表書きしてご返送下さい。( 編集部) r . 4 くらしと教育 をつなぐW e 51号 (Vo 1 .6 No.I) 1997 年 4月 1日発 行 〒1 54 東京都世田谷区池尻3-23-7 03 TEL/ FAX 03 (3424) 3603 定価 630円(税込み) 郵便振替 年間購読料 6800円 (送料共 ) 富 士 銀 行 池 尻 大 橋 支 底 普 1501277 00 1307754314 (有)フ ェミックス 発行/フエ ミックス編集/稲邑恭子河村ふみ中村泰子印刷/(有)イー ・エム・ピー 由連載 「おんなが歳をとるということ」木村栄 「シネマの魔J 武田秀夫 「変な子じゃないよね」滝野津直子 「いきいきごんぼJ 桑田良彦 「このままではいけない ?J 吉原令子 「蔦森樹の巡業日記」 「 セ ックスレスなわたしたち」 「居場所考 J 水田宗子 -女と男の家庭科新時代 「フェンスをこえて J小平陽一 「私の家庭科ラフ・スケ ッチ」 「授業風景一風がかわる匂いがかわる J 「楽市楽座」加藤昭仁 「かる い 家庭科相談室」 「 共学家庭科論争」 「 オホーツクの潮風荒く」江口凡太郎 くら しと 教 育 をつな ぐ W e 1 9 9 7年 4月l日 発 行 第6巻第 l 号(通巻5 1号) 定価6 3 0円(本体 6 00 円)年間購読料 6 8 0 0円(送料共) 郵便振替 00130-7-754314ソエミッ クス
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