「弱いときにこそ、強い」 コリントの信徒への手紙二 12 章 7~10 節 院長 深町 正信 本日、ここに東洋英和女学院に新たに加えられた教職員の方々とともに、幼稚園、小学 部、中学部、高等部、大学、大学院、かえで幼稚園から集まった教職員の方々と、2014 年 度の全学院新年度礼拝を守れますことをまず主に心から感謝したいと思います。 新任の教職員の方々の中で、国立、公立、一般の私立学校で学び、教えてきた方々には、 今、ご自分がキリスト教の礼拝をもって迎えられたことに驚かれている方もおられるかも しれません。しかし、まさにここにこそ、実は、東洋英和女学院の存立の基盤があり、他 の国公立学校、他の私立学校との違いがあり、東洋英和女学院の東洋英和女学院らしさが あると言うことが出来るでありましょう。 東洋英和女学院は 1884(明治 17)年、カナダメソジスト婦人ミッションにより派遣さ れたミス・カートメル先生により創設されました。東洋英和女学院の建学の精神は寄付行 為の第 3 条に「この法人は、教育基本法及び学校教育法に従い、キリスト教による人間形 成を重んずる学校教育を行うことを目的とする」と明確に記されています。つまり、東洋 英和女学院の教育・研究は建学の精神であるキリスト教信仰に基づいて行わなければなら ないと明確にこの目的条項に定めているからであります。 2014 年は東洋英和女学院の創立 130 周年と、幼稚園の開設 100 周年の記念の年であり ます。これまでの主のお守りとお導きとを深く感謝する記念の時としたいと願います。 2014 年の新年度を迎えるにあたり、まず聖書のみ言葉に聞きたいと思います。私たちが生 きていく中で、自分の弱さというものを知らされ、落胆してしまった経験は誰にでもある と思います。その経験は「十人十色」という言葉もあるように、まさに人それぞれであろ うと思います。教育の場では日々さまざまの問題に直面させられることでしょう。 先程、私たちが耳にした聖書の言葉は、使徒パウロという人がコリントの教会の人達へ 書いた手紙の中の一節であります。ここで、使徒パウロは彼自身も、自分の弱さを赤裸々 に告白しています。彼はその自分の弱さを 12 章7節「一つのとげ」という言葉で表現して います。 「わたしの身に一つのとげが与えられた」とありますが、彼は何らかの難しい病気 にかかっていたようです。しかし、彼はこの病を、 「思い上がらないように――サタンから 送られた使いである」と言っています。この言葉には彼の信仰が豊かに、力強く告白され ていると思います。 普通の人間ならば、なぜ、自分だけが、このような目に遭わなければならないのかと言 って、どこまでも、自分を肯定し、神様に対して、自分の恨みや呪いの言葉を吐きかける ことでしょう。しかし、パウロという人はここで、自分の傲慢さ、自分の罪といったもの に目を注ぎ、そこから 7 節「思いあがることのないように」自分に与えられた試練である と告白しています。ここには、自分の足りない点や不満について神様にいちいち文句をい う姿でなく、それこそが傲慢な自分を教え、諭す、恵みであるという深い信仰が語られて いるのです。しかも、彼は自分に与えられたその「とげ」を、神様のせいにするのでなく、 「サタンから送られた使い」という言葉で告白しています。このことからも、使徒パウロ がどれだけ父なる神様に信頼し、神の前で謙虚であったかどうかをうかがい知ることがで きます。 しかし、パウロがこのような境地に達するまでには、様々な苦悩や葛藤があったであり ましょう。彼はそのことを 8 節で正直に告白しています。 「この使いについて、離れさせて くださるように、私は三度主に願いました」。そして「神様、もう十分です。結構です。こ のような試練に遭わせるのはやめてください」と、パウロは泣き叫ぶかのように、父なる 神様に何度も、繰り返し願ったことでありましょう。ここには「三度、主に願った」とあ りますが、これは文字通り三度ということではありません。何度も何度も、来る日も来る 日も、パウロが主に祈り願ったということです。そして、 「三度、主に願った」という言葉 で思い出されることは、主イエス・キリストが逮捕され、十字架に付けられようとする前 に祈られた、あの主イエス様の「ゲッセマネの祈り」であります。 「父よ、あなたは何でも お出来になります。この杯を私から取り除いてください。しかし、私が願うことではなく、 御心に適うことが行われますように」と、主イエスはこのように切に祈られたとき、苦し み、悶え、汗が血の滴るように地面に落ちた、と聖書は記しています。そして、三度この ように祈られたあと、主イエス様ご自身が十字架に付くことは、すべての人の罪の贖いの ため、父なる神の御心であると確信されたのです。そして、 「時が来た。人の子は罪人たち の手に渡される。立て、行こう」と、主イエス様は毅然とした態度で十字架への道をまっ しぐらに歩まれたのです。 私たちはともすると、父なる神様に祈ると言いながら、ただ単に自分の願いだけをぶつ けているということはないでしょうか?祈りの中で、心を静かに開き、何が神様の御心で あるかを聴こうとする姿勢をしっかり持っているでしょうか?自分の願いをぶつけて、そ れが適わなければ、 「これでは駄目だ」と言って、信じる対象をまるで香水を変えるかのよ うにいとも簡単に取り換えてしまう、といったことが果たしてないと言えるでしょうか? こうした祈りはある意味で、父なる神様を脅迫する祈りであり、そこにあるのは単なる自 己中心的な傲慢であると言えるでしょう。 主イエス様がゲッセマネの祈りの中で、父なる神様の御心を聴こうと必死で祈り、ご自 分が十字架に付くことが救いと罪の贖いのため父なる神様の御心であると確信したとき、 何の戸惑いもなく、自ら十字架の道を歩まれたように、私たちも祈りの中で、父なる神様 の御心を聴こうとする謙虚な姿勢が必要であります。このように、祈りに祈った使徒パウ ロに示された主の御言葉、それは 9 節「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの 中でこそ、十分に発揮されるのだ」ということです。つまり、自分に与えられたその「と げ」こそが、実は使徒パウロを神様の恵みへと導くものだということです。その自分の弱 さの中にこそ、実はキリストの力が宿り、キリストの恵みが豊かに働いてくださるのだと いうのです。自分の弱いときにこそ、キリストの力が宿ってくださり、自分は強いのだ、 信仰によりこう確信して歩むことがここに勧められています。 中学校の体育の教師をしていて、ある日、跳び箱を飛ぶのに失敗して、全身不随となっ た星野富広さんという方は、9 年間の全身麻痺の不自由な身体で病院生活をして以来、口 に絵筆をくわえて、今日まで数多くの詩画集を次々に出版してこられました。たとえば、 『あなたの手のひら』という題名の本では、カトレアの花の挿絵とともに、 「そこに、立っ ていても、倒れていても、ここは、あなたの手のひら」という信仰の詩が添えられていま す。 不慮の事故により、24 歳のときから、自分の足で立てない不自由な身体になった彼は、 それ以来、車椅子とベッドの寝たきりの不自由な身体になりました。しかし、彼は詩と絵 を自分の手が全く動かせないため、口に筆をくわえて、現在もなお人々の心に響く多くの 信仰の詩を書き続けているのです。しかし、彼は聖書の言葉に出会い、聖書の言葉に導か れ、この眼差しの働きがあると知ったことを、彼はその代表的作品『愛、深き淵より』と 題する詩画集に書いています。 1991 年ふる里の群馬県草木湖のほとりに、村立の富広美術館が建設され、作品が展示さ れています。そこを訪れる日本中の多くの人々に生きる勇気と希望を与えてくれています。 人は何もかもすべて順調にいっているときには、私たちが天の父なる神様の恵みの御手に 支えられなくても、自分の力だけで大丈夫だ、自分の手が、自分の人生を切り拓いていけ るのだと思っています。しかし、この星野富広さんのように、ある日、突然、木の葉が枯 れ、散ってゆくように、私たちは誰しもが、この舞い落ちる人生の途上に置かれる存在で あることを決して忘れてはならないと思うのです。 「木は自分で動きまわることは出来ない、神様に与えられた、その場所で、精一杯枝を 張り、ゆるされた高さまで、一生懸命伸びようとしている そんな木を 友達のように思 う」と『愛、深き淵より』という題名の本の中で、星野富広さんは証言しています。 キリスト教学校とは何かを定義すれば、それは何をさしおいても、礼拝する学校である と定義することが出来るかと思います。キリスト教学校のいのちである学校礼拝、毎日、 すべての学校行事にさきだち、生徒、学生、園児はもとより、教職員も、聖書の言葉に聴 きつつ、新たにされ、父なる神様に祈りをささげて一日の学校生活が始まるのです。キリ ストの名によって建てられたキリスト教学校は、ただキリスト教が教えられている学校と いうのでなく、園児、児童、生徒、学生、院生、教職員が共に神の前に集められ、心をひ とつにし、聖書のことばにより、日々新たにされつつ、神の前に膝をかがめて礼拝する人 間を育成することにあります。今年度も東洋英和女学院が教職員、園児、児童、生徒、学 生はもとより、同窓会、後援会、法人役員の方々等々の支援のもと、ますます、主にある キリスト教学校として、スクールモットーである敬神奉仕に生きる人格を育成するために 学校礼拝を守ることを心から願うものであります。
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