藤 棚 - 狭山ヶ丘高等学校

藤 棚
狭山ヶ丘学園 学校通信
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目
次
第 278 号
志を大きく保て(H25.3.23 発行)
第 277 号
三月は別れの季節(H25.3.3 発行)
第 276 号
大阪桜宮高校の暴力事件に思う(H25.2.1 発行)
第 275 号
早稲田 100 人を達成せよ(H25.1.8 発行)
第 274 号
英語と私(H24.12.24 発行)
第 273 号
愛について(H24.12.1 発行)
第 272 号
自学自習の持つ意味(H24.11.2 発行)
第 271 号
領土を回る厳しい現実(H24.10.1 発行)
第 270 号
領土を回る厳しい現実(H24.9.1 発行)
第 269 号
細切れの時間はなぜ大切か(H24.7.20 発行)
第 268 号
梅雨のありがたさ(H24.6.30 発行)
第 267 号
九月新学年度説の怪(H24.5.30 発行)
第 266 号
「徒然草」私考(H24.5.1 発行)
第 265 号
自らに厳しい三年間を(入学式辞要旨)(H24.4.7 発行)
平成25年3月23日(土)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第278号
学 校 通 信
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志を大きく保て
校長
小川義男
三日に卒業した水村さんが東大に合格した。中高一貫校ではない高等学校として、東大現役合
格は県内私立では本校ただ一校である。水村さんは、中、高等学校を通して学習塾、予備校に一
切お世話になっていない。彼女の努力に深く敬意を表したい。
さらに今年は、一橋大学、東京工業大学等の超難関校にも合格者が出た。困難に耐えて輝かし
い成果を勝ち取った先輩諸君に、心からの敬意を表したい。また、そのほかの大学進学に関して
も、諸君の先輩達は輝かしい成果を残した。これらの諸君の努力にも、心から深く敬意を表する。
今度は君たちの番だ。心を引き締めて明日の戦いに臨もう。
ひとつ心配なことがある。君たちの中で、マーチを志望する人が減少してきているという情報
である。志望校はこれから、色々迷った末に決定されるのだろうから、軽々に見解を差し挟むべ
きではないが、ただ、今の段階で私は、大学選択に関しては、決して妥協してはならないことを
伝えておきたいと思う。
マーチはおろか、早慶上智といえども、本校生徒全員に取り、合格の可能性が確実に存在する
のだという事を知って欲しい。国立大学は七科目、八科目だが、早慶上智は僅かに三科目である。
その中心は英語だ。努力して突破出来ない筈がない。
諸君の中には、高卒で就職しようと考えている人も居るかも知れない。私自身がそうであった。
私は諸般の事情で高校卒業と同時に中学校の英語教員になった。さらに大学に進みたいと考える
私を、その学校の全教員が引き留めた。「小川先生、あなたはそれほど頭がいい人じゃないんだ
よ。大それた事を考えないで、日大の通信教育でも受けて、正教員の資格を取れば、それで良い
んじゃないの。」みんながそのように、私の足を引っ張った。
学校がそれほど大切なものとは思わないが、私があのまま農村に留まり、その後都市部の学校
に異動する事に成功したとしても、私は極めて限られた人生を辿ることになっただろう。四年後
に、学費の見通しもないまま大学に進み、相当の辛酸をなめた。その後三十四歳の時に、私はさ
らに学びたいと考え北海道を後にした。その後大学院修士を二つ、博士をひとつ修了したが、矢
張り東京に出るというバネ力は、私の人生に小さからぬプラスをもたらしたと思う。
しかし諸君に、このようなバネ力を期待することができるだろうか。私は諸君に、私の轍を踏
ませたくない。18 歳の時の絶対公平な戦いに勝ち残って、最も恵まれたキャンパスで青春のひ
ととき、自己錬成に努めて頂きたいのである。
高校卒で就職するのも決して悪いことではないが、学歴の故に諸君が下積みの生活に甘んじる
結果になるのではないかということを私は恐れる。その下積みは、それはそれ自体として尊いこ
となのだが、やがて諸君にも家族ができる。諸君は、その家族に対しても責任を負わなくてはな
らない。
「学歴社会は終わった」という人々もある。確かにホンダのように、学歴に関係なく人々を成
長させる企業もある。しかし、そのように優れた企業は世の中に極めて少ない。ホンダとて、現
在の企業カルチャーを、ずっと保てるかには不安が残る。
国民すべてが大学に進学できる時代なのだ。その大学に進学せずに、一切の差別を受けること
なく人生を貫けるとは私にはどうしても思われない。
「大学ならどこでも良い」、そう思っている人も居るかも知れぬ。そうではない。学歴社会は、
むしろ深まりつつあるように私には思われてならないのだ。
私の立場で、このことは軽々に主張してはならないことである。諸君のすべてが、今後思い思
いに信ずるコースを辿るからである。だが諸君、どの大学であろうと学費に甲乙はない。同じ学
費を払い、同じ歳月を過ごすなら、少しでも良い学習環境の大学を選ぶべきではないか。「あな
たはどこの大学の学生さんですか。」そう聞かれることがしばしばある。そのような場合、その
質問を心地よく受けられるような大学を私は選んで貰いたい。
私は昔「全学連の闘士」であったが、面白い経験をした。東大の学生は、極めてラフな格好を
している。しかし、よく見ると東大の学生は、服装のどこかに、必ずと言って良いほど「銀杏の
バッチ」をつけているのだ。登山帽の端であったり、背広の一番下のあたりであったり、ほぼ絶
対に銀杏のバッチがくっついている。くっつけていなかったのは、全学連委員長の香山君くらい
のものであったろうか。彼は金持ちの息子だったのか、いつも仕立て下ろしのような素敵な背広
を着た美青年であった。もっとも彼は、銀杏のバッチ以上に有名人であったから、その必要もな
かったのかも知れない。
ともあれ諸君には、進路に関して絶対に妥協しないで貰いたいと願う。
少なくともマーチは目標の最低ラインだと理解して欲しい。この点、担任の先生、進路指導部
の先生に積極的に相談をするようにして欲しい。
昨日、一昨日と図書館を覗いたが、頑張っている人の数が極めて少ない。そんなことで、学校
が用意しているこれだけの便益に、いかにして応えることができるというのか。
学校としても、目下様々なアイデアを持って新年度に向かおうとしている。具体的には四月当
初に提示するが、来年度は早稲田合格を、何としても 50 人にアップさせたい。慶應、上智にも
相当数の伸張を期待する。
マーチ以外にも優れた大学は沢山ある。そのどれを選んでも良い。だが水準としてはマーチが
最低線だと思うくらいの気概を持って諸君に立ち上がって頂きたいのである。
現一年生は、四月から戦陣に立て。今から戦いを進めれば、どんな戦でもできる。大きな志を
持ってこれからの人生に立ち向かっていこう。
平成25年3月3日(日)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第277号
学 校 通 信
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三月は別れの季節
校長
小川義男
サヨナラとは美しい響きを持つ言葉だ。私見では、これは「左様ならば」の略語であると思
う。分かりやすく言えば「それでは」である。「また会いましょう」が中国語とか英語にあり、
これも美しいが、
「それでは」は、別れがたい万感を抑えて「それでは」という気持ちを込めた、
最も美しい言葉のように思う。
青年時代から、自分には勿体ないような友人に恵まれた私だが、その中に沼倉という男が居
た。私と最も深い友情に結ばれていた友である。山奥の中学校に勤務していた頃、彼が年に数
度、私の独居を訪れた。田舎教師に取り北大生の彼の来訪は、例えようもなく嬉しかった。
彼との別れは面白い。互いに恋人も及ばぬくらい深い友情に結ばれていた二人なのだが、別
れの時、彼はくるりと背を向けると、絶対に振り向くことがなかった。駅でも、長い長い田舎
の路上で別れるときも、病院の玄関でもそうであった。
彼は、北大工学部大学院修士課程を修了して、東京の石川島播磨重工業の研究所に就職した。
その後間もなく、舌癌を発病し、亡くなった。25 歳であった。
田宮という親友も居た。一時、この学校に勤務した事もある。彼との別れは面白い。私が田
舎の赴任地へ戻ろうとするところを、彼は駅のホームまで送ってきたのだが、私がデッキに掴
まって別れを惜しんでいるうちに、汽車はそろそろと動き出した。かなり距離が離れたところ
で、彼が何かを叫んだ。よく考えてみると彼は、別れ際に「バカヤロー」と叫んだのである。
彼は今も生きている。その意味を聞くほど私も野暮ではないが、青春とは美しいものだとしみ
じみ思う。
三年生が間もなく旅立っていく。君たちには分からないかも知れないが、高校での別れとは、
今君たちが考えている以上に重たいものである。
私も、卒業式の後、何気なく学校を後にして、長く続く道を通って正門を出た。下級生の何
人かが、窓から顔を出して「小川サーン
ガンバッテ」などと叫んだ。私も振り返って「オマ
エタチモガンバレヨー」などと叫んだが、さしたる感懐も湧かなかった。しかしそれが彼らと
の永遠の決別だったのである。高校生は全国に雄飛する。その後再会することは極めて少ない。
私の経験では、卒業式の折の別れの後、その 85 パーセントの人々とは再会していないのではな
いかと思う。それが人生なのかも知れない。寂しいことである。
一高寮歌に次のような一節がある。
星霜移り
人は去り
か
舵取る
こ
舵手は
変わるとも
とこしえ
我が乗る船は
永久に
理想の自治に
進むなり
(星霜 セイソウ
は、年月を指す)
一高は今の東大である。旧制中学四年修了生、あるいは五年卒業生(現高校一、二学年課程
修了生)が、ここで三年間を過ごしたのである。その後、全国の帝国大学に進学した。高校と
帝大の定員はあまり変わらなかったから、割と伸びやかな高校生活であったようである。生徒
たちは、伸びやかに、しかし、しっかりと学び、目指す帝大に進学して行った。私はこの「星
霜移り
人は去り」というところに人生を感じる。
三年生は、これからそれぞれの人生を辿る。人生で、俗的な意味で成功するか、失敗するか、
それは騒ぐほど重要ではない。財的な豊かさも、君たちが考えているほどに重要ではない。
私は 18 歳の時に初めてラーメンを食べた。「世の中には、これほど旨い物があるのか」と驚
いた。一杯 50 円であった。当時月給は当直料を入れて 5,000 円であったから、ラーメン 100 杯
分である。気軽に食べられる食べ物ではなかった。あの程度のラーメンなら、今、350 円も出せ
ば食べられる。その計算で行くと、今の給料は 35,000 円になる。高校卒でも 16 万円くらいは貰
っていようから、実収入は 4 倍になっている事になる。
豊かさもそれほどの幸せをもたらさないし、貧しさも、騒ぐほど不幸なものではない。そん
な事より、人は精神的に豊かな人生を歩むことが大切なのではないだろうか。
三年生とは間もなく別れなくてはならぬ。教師にとっても寂しい別れの日がやってくる。行
雲流水と言う。行く人もあれば来る人もある。会って別れるのが、まさに人生なのだが、この
別れの季節、卒業生の人生に幸せが多いようにとの願いを、行く雲、流れる水に託そう。
(二月末日執筆)
平成25年2月1日(金)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第276号
学 校 通 信
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大阪桜宮高校の暴力事件に思う
校長
小川義男
監督の暴力がきっかけとなって、バスケットボール部のキャプテンが自殺した。何とも痛まし
い。だが人間はどんなに苦しかろうとも、自らの命をちぢめてはならない。若く逞しい身体を守
り抜く責任が、彼にはあったのではないか。その美しい瞳、健やかに伸びきった四肢、漆黒の頭
髪、それらすべてを滅びさせるとは、あまりに無念ではないか。
神様とご両親から頂いた体だ。天寿の尽きるまで、生き通す責任が君にはあった。メディアは、
この事にほとんど触れない。私は身体健康な若者の死については、これを悲しみ悼むと共に、そ
の死を非難する事も大切だと思う。君には強く生きて欲しかった。君に残されていたはずの無限
の可能性と、ご両親の、死に勝る苦悩を思うとき、若者には、絶対に強く生き抜く責任があるこ
とを、ここに強調したいと思う。
部活動のあり方を回っては、過度の成果主義を非難しなくてはならない。この点でプロ野球選
手であられた桑田さんが、読売新聞に感動的な文章を発表しておられる。その筆致に私は深く感
動した。こういう優秀な頭脳の持ち主でなければ、プロの世界であのように活躍することができ
ないのだなとも思う。
あまりの名文なので、マスプリして、「藤棚」と一緒に配布する。後に読売新聞社と桑田さん
に、この藤棚をお届けして、無断でマスプリした事をお詫びするつもりである。
本校は進学校である。みんなが大学進学を目指して入学してくる。勿論大学だけがすべてでは
ない。高卒で人生の第一線に飛び出すことも大切だ。私も、その一人であった。だが本校の場合
は、ほとんど百パーセントの人たちが大学進学を目指して入ってくる。だから部活動も、それと
両立する形で展開しなければ、部員が減少してしまう危険がある。思考力豊かな本校の生徒たち
だから、比較的短い時間の活動で成果を上げることができる。間違っても、部活動の厳しい展開
が自己目的になるようであってはならない。
大阪桜宮高校の事件で考えさせられるのは、「スポーツの汚染」である。あのような、体罰と
称する教師の暴力に、校長が気づいていなかった筈がない。それでも、該当教師を適切に処断で
きなかったのは、バスケット名門校としての優位を保ち続けたかったからであろう。
アマチュアリズムは、オリンピックの大スローガンであった。だが今は、コマーシャルを表示
する服装の選手がオリンピックで活躍している。私はこれも、ある種のスポーツの汚染ではない
かと思う。間違っているだろうか。
松井さんやイチローさんは、高名であるだけでなく大変な金持ちでもある。野球に限らず、ス
ポーツでひと山当てようとする親が出てきても不思議ではない。しかし良く考えて見れば、これ
もある種の汚染だと言えなくもない。各部活動が、学問とスポーツを両立させ、健全な精神と健
全な肉体を鍛え上げようとする方向を失えば、我々はスポーツも学問も、すべてを失ってしまう。
教育が、政治や政治家の利害に揺り動かされるようなことがあってはならない。私は関係者す
べてが自殺したキャプテンの命の重さに思いを致すとき、桜宮高校のスポーツコースを、建設的、
健康的に改革し、維持することは可能であったと思う。市長が教育委員会に出席し、「要望」を
語ること自体、まことに異例ではあるが、その示唆で、スポーツコースが廃止された経緯は、大
阪人の名誉のために惜しまれる。
教育委員長一人は自説を貫き通したが、残りの委員は、市長が示唆した、スポーツコース廃止
の路線に同意したようである。どうして委員長と共に、「教育」委員会としての独自性を貫くこ
とができなかったのか。教育委員多数の、この弱気の姿勢こそは、桜宮高校における一部粗暴な、
体罰と称する暴力を廃絶できなかった原因なのではなかったろうか。
これは他人事ではない。我々の学校でも、どのように意外なトラブルが発生していないとも限
らない。私は生徒並びに教職員の方々を深く信頼するが、いじめ問題などは、日常不断に発生す
る危険のある問題である。日々自戒して行かなければならぬ。
それにつけても、桑田さんとは本当に立派な方だと思う。彼は今度東大野球部のコーチを引き
受けたそうである。東大野球部は、素質的にも体力的にも、経験からも、明らかに他大学に劣る
かも知れない。その彼らを強くするため、自分に何ができるかを追い求めたいとするのが、彼の
考えであるように思う。
体罰からは良い選手は生まれないという桑田さんの言葉は、部活動だけでなく、学校生活全体
にわたって、大切な何かを教えてくれているのではないだろうか。
平成25年1月8日(火)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第275号
学 校 通 信
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早稲田 100 人を達成せよ
校長
小川義男
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
三年生の皆さんの健闘に期待します。本校の実績は確実に伸びてきてはいるのですが、どうも
その伸び方が鈍化して来ているように思います。どうしてなのでしょうか。三年生の諸君は、こ
の正月を契機に、一気に爆発的成長を遂げて下さい。
「早稲田百人」を呼号したのは、もう十年以上も前ですが、未だに目的を達成できずにいます。
生徒諸君に、安易に妥協する気配が生まれているのではないでしょうか。小成に安んずる気風が
生まれて来ているのではないでしょうか。
早稲田に限ったことではありませんが、難関大学に入学することの有利さ、重要性は例えよう
もないほどです。先ずそこには、優れた仲間がおります。彼らの思考法、発想法、人柄に学ぶこ
とは、どれほど強調しようとも強調しすぎる事はありません。またそこには優れた教師がおりま
す。その指導に親しく接することは、人生最高の幸せではないでしょうか。学者達は君らを、己
を引き継ぐ者として、敬意を以て接します。これこそは、エリート最大の喜びというものでしょ
う。
大学卒業後は、就職、大学院等、次なる人生が待っています。この際も、難関大学の卒業生は、
極めて有利な条件で、次の段階に迎え入れられていくのです。
勉強は勿論後からでもできます。現に私は、高校卒業の学歴だけで中学校の英語教師になりま
した。しかし、その後さらに進学し勉学を深めました。
「入りやすい大学」に進学した人も、本腰を入れて勉強すれば、すべての障害を突破して行く
事ができます。しかしそれを君たちは、実際にやれるでしょうか。私はこの先、更に博士課程に
進んで政治学博士の学位を獲得するつもりです。私は必ずやり遂げるでしょう。しかし一般の生
徒に、私のようなバネ力を発揮することは本当にできるでしょうか。18 歳の時の公平な試験に
勝ち残れず、後にこれを挽回するためには、百倍の努力が必要になります。だから私は生徒諸君
に、大学入試に向け全力を尽くして頂きたいのです。
「早稲田百人」は、それほど難しい課題でありません。僅か三科目です。英語、数学は、その
中で最も確実に突破出来る教科ではないでしょうか。国語、それもどうにもならない教科ではな
いでしょう。理科、社会、そのいずれかが必要になるわけですが、これも教科書や資料集を精読
し、既出問題に徹底的に当たれば、誰でも確実に合格を獲得できる科目です。
要はやる気、闘志ではないでしょうか。
特に大切なのは、既出問題、いわゆる本番問題に取り組むことです。三年生は、この時期から
は、本番問題のみに集中しなくてはなりません。これに取り組めば、素点は二割程度向上できま
す。二割は常に入試戦争における勝敗を分ける分水嶺なのです。
短期間に徹底的に集中すれば、人間は神がかり状態になります。三年生、頑張って下さい。
私は、大学院でではありますが、早稲田に十年間おりました。夜六時頃、勉強に疲れてゆるや
かな坂を下りてくると、大隈講堂の大時計に、ぽっと赤みがかった電灯が灯ります。キャンパス
で生きる事の喜びをしみじみ感じるのは、このような時です。周りにいるのはすべて、苛烈な入
学試験に生き残った誇り高き若者達です。青春のひととき、このように誇り高い群れの中に己を
投じたいとは思いませんか。
一年生も間もなく二年生になります。現二年生は三年生として、受験戦争の先頭に立ちます。
今から闘志を燃やして下さい。
「早稲田百人」は、決して達成不可能な数字ではありません。現三年生の後に続いて、来年の
三年生は、必ず「早稲田百人」を達成して下さい。君たちは必ずできます。学校としても、「早
稲田百人」を達成させるために、奇想天外なアイデアと企画を作り出す考えでいます。
入試の英語ができないなど、私には理解することができません。クラウンリーダーのⅠとⅡを
完全にマスターし、後は本番の問題で実力を蓄積するだけで良いのです。
結局問題は、闘志の存否ではないでしょうか。
闘志は、一体どのようにすれば生まれてくるのでしょうか。これが受験を控えた生徒諸君ひと
りひとりが考えるべき問題です。
大切なのは、四六時中、成長しよう、成長しようという決意を胸に秘めて生きる事です。通り
すがりに映るガラスに、自らの横顔を、あるいは正面からの顔を見つめてみて下さい。そこにあ
なたは毅然として、決然として自らの弱さと戦う自らを発見することができるでしょうか。
一日二十四時間は、誰にも公平に訪れます。それを有効に活用するには、常に緊張して自らに
厳しく生きる以外に道はありません。最も能率の上がるのは、勉強し始めの時間帯ですから、細
切れの時間を生かして使う事も大切です。
三年生は、近づくセンター試験に全力を尽くして下さい。下級生は、スキー教室、修学旅行が
近づいてきますが、気分を転換すると共に、寸暇を惜しむという姿勢だけは貫いて下さい。
成田空港に集団で入ったら、片言隻語も用いないというのが狭山ヶ丘の伝統です。機内で、静
粛に読書、研究に専念し、同乗の客達を驚嘆せしめるというのが本校の誇り高き伝統です。私は
その影に、先輩達の、翌年度に向ける毅然たる決意を想起します。
全校の教職員、保護者、生徒の力を合わせて、
「早稲田突破百人」を実現させましょう。また、
これに匹敵する程度に、他の大学への進学成果を達成させましょう。
人生の喜びは、安易に生きる事にではなく、自らに厳しく学び続けて、日々新たに成長してい
く己を実感する事にあります。学校も皆さんを全力で支えます。力を合わせて大きな成果を獲得
致しましょう。
平成24年12月22日(土)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第274号
学 校 通 信
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英語と私
校長
小川義男
21 日が冬至である。寒さの中に遠慮がちにではあるが、日射しは力を増してくる。「冬来たり
なば春遠からじ」とは、良く言ったものである。
間もなく歳の瀬。正月。皆様良いお年を迎えられますように。
今日は標記のテーマで、私の稚拙な歩みをご報告しようと思う。遅く始め、遅々として進まず、
それでも飽きず諦めず、ゆっくり進んできたという意味で、多少の参考になるかも知れぬ。
小学校に勤めている間にも、高校の英語教科書には関心を持ち続けていた。クラウンリーダー
と、当時は Highroad to English という教科書もあったので、その二つを読んでいた。版が変わる
と共に、買い込んできて読む、というような生活であった。英語が好きだったのだと思う。
そのうちに面白いことに気がついた。教科書が改訂になるごとに、易しくなってきているよう
に思われたのである。「何でこれほど安易な内容に英語教科書が改訂されてしまったのか。」会
合で、そのような見解を述べた事もある。だがそれは間違いであった。新しい教科書が出るごと
に買い込んで、読むのを楽しみにしている間に、知らず知らずのうちに私の英語力が高まってき
ていたのである。
私は四十歳になったときに、記念にと思って、日本の新聞を読まないことにした。Japan Times
だけを読む事にしたのである。妻はおとなしい性格だが、このときだけは苦情を言った。さりと
て、日本字の新聞を、もうひとつ取ると言い出すような性格ではない。「あなただって大学を出
ているんだから、この際、英字新聞が読めるようにしたら良いではないか」と私は押し切った。
済まないことをしたと思っている。
毎朝ベッドの上で二時間、英字新聞と格闘した。語彙が十分ではない上、辞書を引かないで読
むのだから大変であった。それでも私は、毎朝毎朝頑張った。
辞書を引かないのだから、知らない単語は、前後関係から類推、判読しなければならない。そ
のうち面白いことに気がついた。英字新聞を読んでいると、足が冷たくなってくるのである。気
のせいではない。確実に足が冷たくなってくるのだ。これから読み始めようとするときに、「ま
た冷たくなってくるかなあ」と関心を持って読み始めると、確かに、確実に足が冷えてくる。考
えたのだが、どうも脳味噌がくしゃくしゃになるくらい、脳味噌から脂が滲み出るくらい考え抜
くと、血が頭に集まって来るらしいのである。「そうか、これが頭に来る」と言う事なのかと、
ベッドの上の私はにやついた。
当時私は、東京都の研究生として、目黒の都立教育研究所に派遣されたいた。最寄り駅は西武
遊園地の駅。当時は多摩湖駅と呼ばれていた。この多摩湖から目黒までは一時間半くらいかかる。
私はその際も Japan Times を手放さなかった。研究所での日々は読書に明け暮れたが、帰ってき
て、多摩湖駅の看板を見ると、これが滲んで見えるのである。研究室の先輩に聞くと、これが何
と老眼の始まりであった。まだ「若者とは俺のことだ」くらいに考えている頃だっただけに、あ
の折の衝撃は、忘れられない。
これに前後するが、私は三十五歳の時に、明治大学法学部の二部に学士入学していた。当時の
明治二部の学生は、あまり勉強しなかった。原書講読のテキストは、マルクーゼの On Revolution
(革命について)であった。難解な文章で、ずいぶん数多く辞書を引いた。電子辞書がある時代で
はない。ずいぶん苦労したが、百人ほどの受講生の中で、真面目に勉強しているのは十人程度で
あった。私はその「真面目グループ」の一人だったのだが、予習に追い立てられる毎週であった。
一昨日、大型テレビを購入した関係で、デスクを寝室に持ち上げねばならなかった。その関係
で寝室を掃除していたら、この On Revolution が出てきた。懐かしくもあり、手にとって読み始
めてみると、これが何とも分かりやすい文章なのである。憲法を勉強していたあの頃、あれほど
難しかったのにと、思い返してみると、その後も自分の語彙が着実に伸びてきていることに気が
ついた。
進歩も何もないように見える私の人生だが、それでも少しずつ少しずつ進歩してきていること
が分かる。
今私は、フーバー大統領の回想録に読みふけっている。Freedom Betrayed(裏切られた自由)と
いうタイトルの本である。
フーバーは、ルーズベルトの前の合衆国大統領である。ルーズベルトは、ヤルタ会談の折に、
スターリンとべたべたするような雰囲気があったために、チャーチルは、あまり愉快に感じては
いなかったらしい。またルーズベルトは、「極東の小国」が「尊大に振る舞う」事を愉快に思っ
てはいなかったらしい。
ハワイのサプライズアタックも、若しかするとルーズベルトによる挑発によるものであった可
能性もある。12 月 8 日、米国極東艦隊が全滅する中で、何故主力の空母だけが湾内にいなかっ
たのか。これも歴史のナゾとして研究すべき課題である。
フーバーは、ルーズベルトとは対照的に、日本に対し独自の見解、やや好意的な見解を有する
人物であった。彼の回想録を深く読めば、第二次世界大戦以前の、アメリカの対日姿勢を探るこ
とができるかも知れない。
尖閣諸島を回って中国の理不尽な姿勢に苦しめられている我が国であるが、彼我の最も特徴的
な違いは、中国は国際的に孤立しがちであり、我が国は史上空前と言えるほどに国際友好の中に
身を置いていることである。
その中で誤りなく舵取りを進めていくため、最も大切なのは、他国への理解を深めることであ
ろう。英語、中国語、ロシア語等に精通することの重要性が痛感されるのである。
平成24年12月1日(土)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第273号
学 校 通 信
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愛について
校長
小川義男
高校時代は、目前の大学進学と自らの知的錬成に全力を尽くすべきである。先輩達もそうして
きた。愛だの恋だのにうつつを抜かしている時ではない。
だが既に思春期に入っており、大学入学後は、配偶者選択の時期に入る諸君であるだけに、こ
こで愛について私見を述べておきたい。
青年時代に誰もが抱く不安として、自分と人生を共にしてくれる異性が現れるであろうかとい
う思いがある。私の大学時代に、細田君という極めて優秀で、背も高く、きりりとして、まこと
に頼もしい青年が、そのような思いを私に漏らしたことがある。これほどに立派な青年でも、不
安を抱くのかと驚いた。
青年は理想主義者であるから、常にハイクラスの対象を思い描く。彼らは要求水準を切り下げ
ることがないから、つい自分は「モテナイ」のではないかと不安になる。そんなことは決してな
い。時期になれば必ず「適材」が出現するものなのだが、彼あるいは彼女はそのことに気がつか
ない。しかし、その不安は、青春そのものと同じくらい豪華できらびやかなものなのである。
しかし、諸君が大人になり、誰かにプロポーズしたとき、必ず受け入れてもらえるとは限らな
い。誠意を尽くし誠実の限りを尽くした後、明日に思いを託せば、あるいは相手も翻意してくれ
るかも知れない。だが、「駄目と分かった」時には、潔く諦めることも大切である。いつまでも
相手につきまとって迷惑を掛けるようなことがあってはならない。ストーカーなどと言われるよ
うな、醜悪な言動は絶対に慎まなくてはならない。親をも、ご先祖様をも辱める結果となる。
私が大学に入学したのは 1955 年であるが、その頃「愛ちゃんはお嫁に」という歌が流行して
いた。ふざけているかのようなタイトルだが、なかなか真面目で誠実な歌詞である。ご紹介しよ
う。
サヨウナラ
サヨウナラ
愛ちゃんは太郎の
今日限り
嫁になる
オイラの心を知りながら
出しゃばり「およね」に
愛ちゃんは太郎の
サヨウナラ
手を引かれ
嫁になる
サヨウナラ
悲しい日
愛ちゃんはオイラに嘘ついた
嘘とは知らずに
夢を見ていた
真に受けて
甘い夢
愛ちゃんはオイラに
サヨウナラ
嘘ついた
サヨウナラ
愛ちゃんは太郎と
遠ざかる
幸せに
涙をこらえりゃ
はらはらと
ひと雨キツネの
お嫁入り
愛ちゃんは太郎と
幸せに
(お気づきと思うが、「ひと雨キツネの
お嫁入り」とは、「ひと雨来」たという
のと、「キツネの嫁入り」をかけた言葉である。)
当時大流行した歌であった。この若者の悲しみが、聴く者の心に切なく響く。しかし最後の「愛
ちゃんは太郎と
幸せに」という一句は、恋に破れた若者の、心の気高さを語って余りがある。
恋に破れたときには、このような健気さ、気高さ、逞しさを失ってはならない。
世に「ストーカー」と言われる悲しい若者がいる。求愛を拒否された後に、しつこく相手につ
きまとうのである。恋に破れた悲しみは理解できるが、つきまとえばつきまとうほど、相手に不
快な感情を与える。中には恐怖を感じて、警察に被害届を出すケースもある。ストーカーが嵩じ
て、殺人事件を引き起こしたというような若者もいる。
人生では積極的に出ることも大切だが、潔く身を引く事も大切である。引き際と積極的姿勢と
の間に、適度の調和を保つこと、それが難しくもあるのだが。
そもそも「愛」とは何だろうか。「愛とは自分自身以上に相手を大切に思う」ことである。人
はみな、愛する者のために生きている。自分自身だけのために生きている人間など一人もいない。
父であれ母であれ、子であれ兄弟姉妹であれ、人はみな、自分自身以上に大切な人のために生き
ているのである。人間とは神の手によって、このように高貴に作られた生き物なのである。
愛を申し入れて受け入れてもらえなかったとき、その時大切なのは、どうすることが相手の本
当の幸せに通じるのかを考えて行動することである。
サイラスマナーは、難破して多年が経過した後に、辛うじて帰国する。その時には、妻とその
子達は、新しい父を迎えて幸せに暮らしていた。それを知って彼は、人知れずその場を立ち去る
のである。常人にできることではないが、「愛とは自己犠牲にほかならない」ということを知っ
たとき、凡人も英雄的に行動することができるのではないだろうか。
平成24年11月2日(金)
藤 棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第272号
学 校 通 信
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自学自習の持つ意味
校長
小川義男
先日、関東七都県の代表を案内して開智学園を訪れた。理事長、校長は青木氏である。彼は優
秀なだけでなく涼やかな人物である。会う人すべてが彼を好きになる。どうしてなのか分からぬ
が不思議な人物である。
彼が、開智学園は、埼玉一、面倒見の悪い学校であると言ったのには驚いた。生徒は自らが、
あるいは自分たちが学んでいくのであって、「手取り足取り」面倒を見たのでは、実力を伸ばせ
ないと言うのである。面倒見の良さを「売り」にしている私の学校を考えて、いささか「決まり
恥ずかしく」なった。
今の高校生の多くは、学習塾を経由して高等学校に入学してきている。競争原理にさらされて
いる学習塾は、勢い「面倒見の良さ」をセールスポイントにする。だから、入学してくる高校生
たちも、私立高等学校とは、塾に負けないくらい丁寧に面倒を見てくれる学校だと考えているか
も知れぬ。
だがそれで本当に実力が伸長するであろうか。私は秀才ではなかったから参考にならぬかも知
れぬが、中、高等学校の六年間に、先生に質問をした事は一度もない。性格もあるが、自分で考
えずに先生に聞いても、本当に力にはならないような気がしていたのである。
勉強の基本は教科書だ。これほど素晴らしいテキストはない。生徒はこれを完全にマスターす
る事が何よりも大切である。不断の授業では、教師がこれを丁寧に解説するのだから、これをし
っかり聞く集中力、持続力を持つ事が大切である。教師もその事を弁えていて、生徒を飽きさせ
ないように授業を展開する事が大切である。
私の経験では、生徒は教師の漫談や無駄話を好まない。授業は公のマターであり、それを教師
が私的に活用する感じを与えるのは、若者の正義感を害するようなのである。
学問という共通の目標に向かい、慎み深く語り、謙虚にこれに耳を傾けるという態度が師弟双
方に求められるのであろう。
目的を持って集まっている集団だ。生徒に予習、復習を期待したい。明日何を学ぶのかという
ことを考えて、事前に教科書に目を通しておくくらいの事は、生徒に求められる。我々教師も、
-1-
事前に十分に教材を研究し、息抜きのために笑いを誘うような場面も事前に研究、設定しておか
なければならない。それも、ごくごく短い時間の中で生徒を笑わせ、気分を転換させるような工
夫が求められる。
私にひとつのアイデアがある。生徒諸君の考えを聞きたい。来年度のクラス編成をするとき、
Ⅱ類、Ⅲ類生に、予習が義務化された学級を編成することである。自分はそのようなクラスに参
加する。そして平素努力して予習を確実に行う事も約束して貰う。その人々だけで学級を編成す
るのである。以前に「早稲田特講」というクラスを作ったことがあった。これはこれで大きな役
割を果たしたと思うが、私が提案する学級は、ひとつの大学突破に特化するのではなく、予め予
習、復習で苦労することを約束できるメンバーだけで編成するのである。
開智学園の六年生のクラスで(開智では中高一貫コースで育ち上がってきた高校最終学年を、
六年生と呼ぶ)授業を参観させて貰ったが、教師が質問すると、全員が確実に予習を済ませてき
ており、「分かりません」「調べてきておりません」という生徒は一人もいなかった。しかも指
名されると、ひとりひとりが全員、着実、確実に答える。
全員が、下手でも間違ってもいいから、確実に予習してきて発表する。問われたら確実に答え
る。この姿勢が確立できたら、実力がどれほど伸長するであろうか。
仮にこのようなクラスを編成することを呼びかけたら、生徒諸君のどのくらいの人数が応募し
てくれるだろうか。教師たちで話し合ったら、応募者はごく少人数になるのではないかという声
があった。だが私はそうは思わない。相当の人数がこれに応えてくれるような気がするのである。
実力は予習、復習によって育成される。これを確実に行うという習慣を築けたら、どんなに素
晴らしい事だろう。
後年早稲田大学大学院の商学研究科長になられたある先生は、英語のご専門であった。この先
生の授業に予習をせずに参加したら大変である。「調べて来ませんでした」という言い訳は通ら
ない。訳せと言われて、「分かりません」と言っても通らない。「どこが分かりませんか」と来
る。「単語が分かりません」と言おうものなら、「どの単語ですか」とたたみかける。三十分近
くの間、先生に徹底的に「いじめぬかれる」。学生は、「この次は絶対に予習してこよう」と決
意するのである。
余談だが、この先生の時間に私語したり、居眠りしたりというようなことは絶対に許されない。
怖くてそれどころではないのである。あれほどハンサムで知的な温顔の先生がこれほど怖いとい
うのは、その方の気迫というものであろう。それでいて、すべての学生に愛される。厳しいから
こそ、ほめられたり、稀に、ごくごく稀に褒められたりするから、特別に嬉しく感じるのであろ
う。師弟間における愛も喜びも、厳しさと共にでなければ存在できないものであるのかも知れな
い。
我々平凡な教師は、とてもそこまで深みのある厳しさに徹する事はできない。しかし、「予習
と復習は必ずやって教室に参加する」、「問われたことには、どんなにミスを犯すことがあって
も、自らの見解を述べる」、こんなクラスがあったら、どんなに素晴らしい事だろう。
その代わり、このクラスに参加した生徒には、確実に輝かしい未来が待っている。どうだろう。
仮にそんな心組みが実行に移されたら、生徒諸君の何人くらいが参加してくれるだろうか。私は
「開智の六年生」に負けたくない。また、すべてのクラスの生徒が、極力予習復習に努めて、輝
かしい成果を勝ち取るべく努力して欲しいのである。
-2-
平成24年10月1日(月)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第271号
学 校 通 信
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領土を回る厳しい現実
校長
小川義男
重ねて書くが、尖閣諸島は疑いの余地もなく我が国の領土である。これに疑念を差し挟む人は隣
国にもいなかった。だが 1967 年以降、様々な調査が行われて、尖閣諸島がある東シナ海大陸棚の海
底に、大量の石油が埋蔵されていることが明らかになった。その埋蔵量はイラクのそれを超える。
尖閣諸島及びその周辺の我が国の排他的経済水域は莫大な面積に上る。
この石油埋蔵が明らかになって以降、先ず台湾が、次いで中国が、尖閣を自国の領土であると主
張し始めた。中国は南方の南沙諸島に対しても「領有権」を主張して、ベトナムやフィリッピンな
どと紛争を起こしている。
最近にいたり、中国の代表は、尖閣諸島は日清戦争の折に日本が中国から奪い取ったものだと主
張し始めている。全く、どこにでも理屈はつけられるものだ。
今度の尖閣諸島に対する中国の攻撃は、戦後初めて、1945 年以来初めて我が国が経験する領土主
権侵害である。これは戦後最大の国難であると言えよう。
寸土で譲れば本土を失う。今は絶対に譲ってはならぬ時だと知るべきであろう。
残念なのは公立学校が、教育活動の一環として、領土保全の重要性を強調することが少ないこと
である。若しかすると、校長が、これを政治問題と勘違いしているのではないか。領土主権の擁護、
貫徹は、国家国民共通の課題である。政治問題ではない。国家全体の共通課題として主権の擁護を
宣伝し教育すべき時なのである。
ここに来て痛感させられるのは、憲法の、夢のような理想とは異なり、国際社会とは危険な場所
だと言うことである。国境線を維持するのは軍事力でしかないという現実を我々は見せつけられた。
しかし軍事的に心配はない。我が国の海上自衛隊、航空自衛隊共に、尖閣を防衛するには十分に
強力である。また最近アメリカの代表が中国と会い、尖閣諸島は日米安保条約の防衛範囲に入ると
いうことを通告したそうである。
そのような国際情勢から考えれば、中国海軍が尖閣諸島を軍事的に攻撃したり上陸したりする可
能性はないと言えよう。
それであれば我が国としては、少しも妥協することなく尖閣諸島の防衛について断固たる姿勢を
保つのがよい。石原氏が求めている、尖閣諸島に漁民のための施設を作るなどは当然すぎるほど当
然なことである。その結果、一時的に日中友好に影響が出たとしても、自国の領土内で何を行うか
を躊躇うようでは、必ず相手国の侮りを受ける。我が国は毅然として、少しも躊躇うことなく領土
に対する主権を行使すべきなのである。
中国内で邦人施設を破壊したり、暴力的デモを行ったりしても、それは日中友好を決定的に傷つ
けるものではない。一時的不自由があっても、これは忍ばねばならぬ。日貨排斥の動きがあるなら
ば、我々は静かに中貨排斥の動きを起こせば良い。意図的にそうする必要はない。自然に起こる乱
暴者に対する反発だけでも、中国にとっては少なからぬ痛手となる事であろう。
中国もつまらぬ大国主義を発揮してはならぬ。それは今時流行らないし、成功を収めることもな
い。他国の領土をかすめ取ろうとして、全国に反日デモを野放しにするなどは、世界に対し恥ずか
しいことである。事実、中央政府は、ある程度これを抑制しようとする動きに出ている。
必要ならば海上自衛隊を躊躇うことなく出動させるべきである。尖閣を回る小競り合いは、国際
紛争ではない。憲法九条の規制とは全く無縁の国土防衛の問題なのである。そんなことで躊躇って
いたら、小笠原諸島に対する領有権を主張された場合も、自衛隊を出動させられないことになって
しまう。
中国の政治家は大人である。この人々を私は共産主義者とは思っていない。既に彼の国は完全な
資本主義国家に変貌してしまっているではないか。
資本主義国に変貌しながら、尖閣、南沙に対して大国的覇権主義を貫こうとするなどはナンセン
スである。そのような動きは国際的孤立を招くし、必ず中国当局者は孤立を招かない友好的姿勢に
復帰する。その長期的展望に立って我々は、中国との真に深みのある友好関係を確立しなくてはな
らない。
中国だけではない。ロシアとも韓国とも北朝鮮とも、未来的展望に立った友好関係を確立しなく
てはならぬ。
本校生徒諸君に、先ず何よりも、アメリカのリーダーを育成する名門大学に留学してもらいたい。
合衆国の指導層に友人を持つ日本人に育って貰いたいのである。
アメリカは我が国に取り最も大切な友人だが、同時に我々は中国、ロシアにも多くの知己を有す
る日本人を育てたい。その意味で、このような折であるだけに北京大学、北京師範大学、モスクワ
大学等に多くの留学生が旅立って貰いたいのである。
譲るべからざるものは断じて譲らず、世界のすべての国々と親密、緊密な関係を維持する。資源
に乏しい島国に住む我々に取り、国際的な連携関係こそ最も大切な生きる知恵だと思うのである。
平成24年9月1日(土)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第270号
学 校 通 信
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領土を回る厳しい現実
校長
小川義男
「秋風の快さ」は格別である。その初秋、しかし我が国を取り巻く国際環境には、至って厳しいも
のがある。社会のリーダーとなる人々を育てる本校だから、このあたりをしっかりと指導しておかね
ばならない。大学で専門分野が分かれていくわけであるが、このような国際問題、政治問題を研究す
る人も多数輩出してほしい。そんなわけで、今回は我が国を取り巻く領土侵害の事実に触れる事にす
る。
尖閣諸島は疑いの余地もなく我が国の領土である。
これに疑念を差し挟む人は隣国にもいなかった。
だが 1967 年以降、様々な調査が行われて、尖閣諸島がある東シナ海大陸棚の海底に、大量の石油が
埋蔵されていることが明らかになった。その埋蔵量はイラクのそれを超える。尖閣諸島及びその周辺
の我が国の排他的経済水域は莫大な面積に上る。
この石油埋蔵が明らかになって以降、先ず台湾が、次いで中国が、尖閣を自国の領土であると主張
し始めた。中国は南方の南沙諸島に対しても「領有権」を主張して、ベトナムやフィリッピンなどと
紛争を起こしている。小咄に「中国人は、きれいな女の人と見ると、すぐ、あれは俺の女房だと言う」
とあるが、本当に困ったものだ。
尖閣諸島に関して「おとなしく」していれば、他国がこの諸島に上陸し、実効支配し始める事は確
実である。これに対し野田内閣が毅然として領土防衛の姿勢に出ていることは適切だと言わなくては
ならない。この点、野田氏は、最も非妥協的姿勢を維持している総理ではないだろうか。
次に竹島も、疑いの余地もなく日本の領土なのだが、ここを韓国は「実効支配」している。李承晩
さんという強引な大統領が昔居て、敗戦日本が、何の文句も言えないのを良いことに、勝手に「李承
晩ライン」と称する線を海図上に引いた、その内側を韓国領だと主張したのである。無茶苦茶な話だ。
李ラインそのものが不当なのだから、当然竹島への実効支配も不当である。だが韓国は、これを手放
さない。先日現職大統領が、ここに上陸したのは人も知る所である。
国民の中には、親しい韓国のことでもあり、
「竹島くらいはあげてしまったら」との声もある。だ
が韓国の人々の中には、対馬に対する領有権を主張している人々もある。
韓国の一部自治体は、対馬に対する「領土権の存在」を議決してさえいる。
既に対馬の多くの土地は韓国人によって買収されている。自衛隊基地の周辺の多くは韓国人の土地
だそうである。外国人による土地所有が自由な我が国の場合、これが安全保障を揺るがす問題に発展
する危険もある。我が国が万々一、対馬も放棄したとすれば、彼らは、九州北半に対する領有権も主
張し始めるであろう。領土保全とは、そのように厳しい、油断のならない問題なのである。だから竹
島も、一岩礁などとゆるがせにしてはならない。
実は我が国は、北方領土に対するロシアの侵略を許したままである。私は歯舞 色丹 国後 択捉
だけでなく千島列島全体が日本の領土だと確信しているが、
北海道の属島たるこの四島に関してすら、
我が領土主権は貫徹されていないのである。
北方四島は、沖縄本島の 4.2 倍ある。沖縄の基地問題どころではない。政治的、経済的、軍事的に、
決定的に重要な島なのである。
だがロシアは、戦後のどさくさに紛れて、戦争が完全に終結した後に、ここを不法占領した。アメ
リカ軍が駐留していないことを知って、一気にここを軍事占領し、日本人すべてを放逐したのである。
当時のロシア軍の残虐行為は徹底したものであったから、日本人のほとんどは本土に引き上げた。
このように、我が国は、極めて広大な領土を外国に不法に占領されている。
憲法に「我らは平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決
意した」とあるが、我が国周辺の「平和を愛する諸国民」の実態は、かくのごとき有様なのである。
ひと頃、「武器が平和を保護する時代は終わった」とのキャッチフレーズが流行ったが、どう致し
まして、国際社会の現実とは、かくのごとく冷厳なものであることを知らねばならぬ。
幸いアメリカは、尖閣諸島も日米安全保障条約の防衛範囲に入ることを宣言した。中国も軽率に軍
事行動を開始することはあるまい。だが、万一その軍事行動が開始され、われわれが、その防衛を躊
躇った場合、その侵略は尖閣諸島に留まるものではないことを知らなくてはならない。
アメリカを敵として中国が軽率な行動を取るとは思われないが、アメリカが果たして、尖閣防衛の
ため自国青年の血を流すかどうかは、軽々しく判断することができない。日本国民自身に、領土防衛
の強い自覚なしに、太平洋の向こうの大国が、それほど義侠心を発揮するとも思われないからである。
中国では、駐中日本大使の車の交通を妨害し、国旗を奪うという事件があった。
「犯人」は「拘束」
されたが、恐らく「微罪釈放」となり、彼は英雄としてもてはやされるのではないだろうか。
これは中国の民度を計るバロメーターとして、世界に受け止められるであろう。国旗侮辱は大罪で
ある。中国政府に厳正な処罰を望みたいが、一時、反日教育を徹底的に行った国柄であるだけに、そ
れは相当に難しかろう。大国中国の叡智ある配慮を望みたい。
経済的にも困難な状況にある我が国である。私は明日の希望を本校生徒諸君に繋ぐ。諸君よ、大い
に勉強し、影響力ある人士として育ち、明日の日本ならびに日本国民を救ってもらいたい。
平成24年7月20日(金)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第269号
学 校 通 信
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細切れの時間はなぜ大切か
校長
小川義男
待望の夏休みが始まる。世の中に夏休みほど良いものはない。暑いと言っても烈日の苛烈さは、
青春の象徴そのものではないのか。人は夏の暑さの中に、自らの生命の躍動を感じる。
野暮な言い方だが、人生を勝負に例えれば、その成否の 90 パーセントは高校時代に決まる。中で
も夏をいかに過ごしたかは決定的な意味を持ってくる。
私自身、燃えるような青春を生きたとは思うが、私はあまり勉強しなかった。夏休みのほとんど
は、文学や哲学の本を読んでばかりいたのではないだろうか。それはそれで、私の人生に大きな意
味を持ったと思うが、振り返れば、もっとしっかり勉強した方が効率的な青春になったのではない
だろうか。
生徒諸君には、この夏、何かを見つめて生きてもらいたい。
諸君の最大の課題は大学入試の突破である。少ない努力で最大の効果を発揮できるのがこの大学
入試である。夏を勉強に過ごすのも読書に過ごすのも良い。真っ黒になって部活に燃え、精神と肉
体を鍛錬するのはもっと良い。
狭山ヶ丘の生徒はみんな真面目だが、共通項とも言えるような欠陥がある。おしなべて自分に甘
く、克己心に欠けるのである。
一日は 24 時間。これは絶対に公平だ。人間に、生まれついての能力差などない。世の中に「でき
る奴」と「できない奴」などない。「やった奴」と「やらなかった奴」があるだけだ。結局、限られ
た 24 時間をどのように活用するかにすべてがかかってくる。
いつも言うように、勉強は一日十時間も緊張して続けられるものではない。効果が上がるのは、
長くてはじめの三時間である。その後は、机に向かっていても、どうしても能率が落ちてくる。
だから細切れの時間が大切になってくるのである。休み時間が 15 分あるとしよう。その時間を徹
底的に集中して勉強すれば、疲れていない頭は、知識を極めて効率的に吸収する事ができる。次の
休み時間までの間に疲労の相当部分が回復する。その間に授業が挟まっていたとしても、休み時間
の勉強にはフレッシュなバイタリティーが復活してくるから、人間とは不思議な生き物である。
細切れの時間は、全部合わせれば、一日に二時間くらいにはなるのではないか。その部分部分が、
極めて鮮度の高い時間なのである。これを活用しないという手はない。
狭山ヶ丘の生徒には致命的な欠点がある。人が良すぎ、つきあいが良すぎるのである。大学入試
も学問も、「お手々つないでゴールイン」などという馬鹿げたものではない。それは常に相互競争で
あり、相互葛藤である。怠惰な者は戦いの場において、ただ敗れ去るだけである。
私の朝ゼミに生き残っている一年生は 150 人である。よくもまあ、ここまでついてきてくれたも
のだと思う。脱落した人もいるが、新学期には再募集をかけて、再びこれを 200 人台に回復したい。
教材は Crown のⅡ Lesson4 からである。12 月までに必ず三年用の教科書まで終わる。これまでつ
いてきてくれた諸君に私は心から敬意を表する。本当に立派な人たちだ。
だがその諸君にも私は文句がある。君たちの表情が穏やかすぎるのだ。学問をやる奴の顔は、も
っとトンガッテいなくてはならない。学問とは戦いだ。論敵と争わなければ学問にならぬ。だから
学問には攻撃精神が必要なのである。
君らは、かなり早くゼミ室に入る。だが君たちは、ゼミが始まるまで友達と楽しく話し込んでい
るではないか。人生最大の勝負を前にして、君たちはそれほどに暇な種族であるのか。朝ゼミの前
などは、十分な時間があり、細切れでさえないかも知れない。早く入室する人などは、優に 30 分は
ある。その時間を談笑に費やしているようで、東大や早慶を突破できるはずがないではないか。
廊下を歩いているときにも、単語カードを手にしているようでなければならない。修学旅行の飛
行機の中で勉強するので、うちの生徒は CA(Cabin Attendant)の中で有名だが、全学年が、あのよう
な熱意を持っていなくてはならない。
友人との会話も大切である。だがその話題は青年知識人にふさわしく気品と水準に満ちたもので
なくてはならない。
すてきな狭山ヶ丘の生徒だが、その顔がもっとトンガっていなくてはならぬ。何かを見つめてい
る目、言ってみれば「裁く者の眼」を私は諸君に期待する。
大学入試を甘く見るな。大学ならどこでも良いなどという甘い考えは、この夏限りで捨てよ。
野球部が順調に勝ち進んでいる。開校以来と言えるほどの足取りである。勝って泣き、負けて泣
く、スポーツは、まさに青春の華である。野球部に是非勝ってもらいたい。進学校でも天下の埼玉
を制することができるのだという事実を示してもらいたい。私も極力応援に行くが、あいにく飯能
地区での学校説明会などが目白押しで、どこまで応援に駆けつけられるか分からない。しかし本当
に「優勝したいなあ」と思う。埼玉を制して、全校が一つの心臓で脈打つ醍醐味を味わいたい。投
げているのは一年生だと言うではないか。三年生、二年生も善戦している。野球部よ頼むぞ。
40 日は瞬く間に過ぎる。海に山に、それに道路に、自らの命を失うことがないよう気をつけてく
れ。犯罪に巻き込まれぬよう賢く振る舞え。では諸君、秋風立つ頃に、元気で会おうぜ。
平成24年7月1日(月)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第268号
学 校 通 信
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梅雨のありがたさ
校長
小川義男
1973 年と 1979 年にオイルショックと呼ばれる危機があった。OPEC諸国が石油価格を大幅に値
上げしたことに伴う危機である。石油がなくなれば、あらゆる物資、ティッシュペーパーに至るまで
が姿を消すから凄い。学校のロールペーパーでさえ盗まれる事があった。
その頃、アラブの王様が来日したが、まさに朝野をあげて歓待した。多分サウジアラビアの王様で
はなかったかと思うが、彼は帝国ホテルに滞在していた。丁度その時、雨が降ってきた。彼は窓際に
近づいて、「おや、雨か。我が国には石油はあるが水はない」とつぶやいたそうである。
今は梅雨、来る日も来る日も雨ばかりで、いささか憂鬱になる。しかし考えて見れば、この雨があ
るから、我が国は緑と農産物、美しい湖や河川に恵まれているのである。サウジの王様が、水に恵ま
れた我が国を、どれほど羨ましいと思ったかは想像できる。
梅雨があるから山の緑も守られる。どれほど有り難いことであろうか。
エジプトは、空から見ると、ナイル川の「帯」の周りだけが緑に恵まれている。カイロからアスワ
ンに行くときは飛行機を利用したが、まさにナイルの川岸だけが緑に恵まれている。水がどれほど大
切なものであるかを痛感させられた。このナイル流域だけで野菜や果物が栽培されているのである。
「エジプトはナイル川の賜である」という諺をしみじみ実感することができる。
エジプトの空には雲がない。抜けるような青空がどこまでも続く。ところが、アレキサンドリアに
近づいた頃から、少しずつ雲が現れ始める。地中海に近づくからである。アレキサンドリアに着いた
頃には雨が降り始め、傘を利用したくらいだから、その嬉しさに笑ってしまった。
我が国は豊かな雨に恵まれている。日本人は快晴を喜び雨を嫌うが、考えて見れば、雨は雨で、と
ても美しい。小雨、霧雨、豪雨、それぞれに味わい深いものがある。
今は梅雨、昔から「下駄まで黴びる」と言われたものだが、梅雨の美しさや有りがたさを噛みしめ
る事も大切ではないだろうか。
北朝鮮では、山の木を薪にして燃やし尽くしてしまったので、山が禿坊主である。南の韓国との地
境で、その違いがくっきりと浮き出されている。北緯 38 度線以北の寒さは十分に理解できるが、ど
うして山の木を切り尽くすようなまずいことをやってしまったのだろうか。できれば我が国から植林
ボランティアでも出して、森林の回復に協力したいものだが、かの国の国情が、それを許さないだろ
う。ただで奉仕活動をすれば、それは過去の悪事があったからこそ、その償いをしているのだとして、
さらなる「損害賠償」を請求してくる可能性がある。好意を落ち度にねじ曲げられてしまう危険があ
るのである。国際協力とは難しいものだ。
山の木々には保水力がある。雨の時には水を吸い込み、干ばつの時には、それを吐き出す。だから、
山の緑が守られているときには洪水が防がれる。緑は本当に大切なものなのである。
梅雨の季節も、このようにして感謝する思いで見つめれば、雨も美しいものに思われてくる。
外国には、飲み水にさえ窮しているところが少なくない。日本とは何と美しく有り難い国であろう
か。
確か六月二十一日が夏至であった。このときが昼が一番長く、夜が一番短い。夏至を境に夜が段々
長くなってくる。逆に冬至は夜が一番長く昼が一番短い。
これは黄道面に対して、地軸が 23.5 度傾いている為である。黄道面とは、地球が太陽の周りを一
年かけて回る軌道が描く平面である。
懐中電灯を、面に対して直角に当てれば、照らされる範囲は少ないが一番明るくなる。極端に斜め
に照らせば、照らされる範囲は広くなるが、単位面積当たりの明るさはぐっと落ちる。
地軸が 23.5 度傾いているから、地上には直角に近く太陽が当たるところと、ごく斜めに照らされ
るところが出てくる。冬の北極などは、斜めどころか日の当たらない所さえ出てくるのである。
赤道は、常に真上から太陽が照らすわけではないが、南緯 23 度と北緯 23 度の範囲は、ほぼ常に太
陽が真上から照らす。だから夏冬通して涼しい季節は訪れないのである。
地軸が傾いているから季節の変化が生まれる、このあたりを地球儀を前にして考えて見ると面白い。
今は梅雨、しかし梅雨の時は鬱陶しいとは言いながら、暑さはしのげる。梅雨が去るのは七月の十
日頃であろうか。我が国には一気に猛暑の季節が訪れる。そして間もなく夏休み。
休みと言っても、高校生は学問と部活動に忙しい。苦情は言うまい。それこそが青春にほかならな
いのだから。
恵まれた日本である。雨の日には雨の美しさを。暑さの季節には、ぎらつく太陽の烈しさを味わう
姿勢が欲しい。
私は、この夏ポルトガルを訪れる。これでイベリア半島はすべて回ったことになる。バレンシアオ
レンジとイベリコ豚を楽しんでくる事にしよう。季節を楽しみ、足らざるをいとわずに人生を味わう
姿勢こそ、人間に一番大切なのである。
平成24年5月30日(水)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第267号
学 校 通 信
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九月新学年度説の怪
校長
小川義男
東大の総長が「大学九月新学年度説」を唱えている。賛成できない。
我が国では現在「高校全入」が原則である。希望するすべての人が高校に進学している。四月と
もなれば、これらすべての、厖大な数の高校卒業生が、指導、監督する学校の手を離れて、半年間、
国内を徘徊する結果となり兼ねない。
「その期間に、普段、学校ではできないボランティア活動など、様々な活動をすればよい」など
と主張する人もあるが、机上の空論である。
自衛隊にでも強制的に入隊させるか、奉仕的肉体労働を義務化するなら悪くないかも知れぬが、
そんなことのできる訳がない。これに伴う社会的混乱、高校卒業生の家族の経済的負担などを、ど
うするのか。学者は気軽に「極楽とんぼ的空念仏」を振り回すから困る。
何でこの東大総長は、「九月新学年度論」を思いついたのであろうか。それは、国際社会に対応す
るためだそうである。平たく言えば、日本への留学生の数が減ったからだという。しかし、留学生
が流入しない理由は、四月新学年度制だけではあるまい。我が国が留学生から魅力を失っているの
が事実なら、その原因を深く考えてみなければならない。
また、外国からの留学生を迎えたいからと言って、我が国百年の教育システムをいじる必要があ
るのか。奨学金を豊かに出せば、留学生は幾らでも迎え入れることができる。我が国青年の、外国
への留学生派遣についても同様である。金がないとは言いにくかろう。政府は義務教育でもない公
立高等学校の授業料を只にした。生活保護、失業保険等についても、世界に稀なくらいの大盤振る
舞いが為されている。留学生の費用くらいどこからでも捻出できるではないか。高速道路を只にし、
一人当たり月間 26,000 円の子ども手当を支給すると約束した民主党である。国中に金が有り余り、
だぶついているのに違いない。留学生を迎え入れたり送り出したりするくらい朝飯前ではないのか。
毒舌が過ぎた。「政治の無責任ぶりに、近頃ひどく傷ついてしまっているのでなぁ。」
国際社会で孤立していないことがいかに大切であるかを、私は東日本大震災の時に、しみじみ痛
感した。アメリカの「友達作戦」のありがたさは、少年時代に彼らと戦った経験のある私には、ひ
としお身に沁みる。
危険が去ったわけではない。ある学者は「七割の確率で地震が来る」などと主張している。しか
し私は、これは騒ぎすぎだと考えている。千年に一度の地震が、そう再々やってくるものか。
しかし、「来るぞ」「来るぞ」と騒ぎ立てておけば、万一本当に大地震が来た場合に、少なくとも
「地震評論家」自身は「安全」である。万一関東を昨年並みの地震が訪れた場合、我が国には、こ
れを救援する余力がない。関東は他地域を支援することはできるが、関東数千万人に被害が発生し
た場合、他地域の支援を仰ぐことは難しいのである。
その時は、アメリカを中心とする、世界すべての人々が我々を助けてくださるに違いない。我々
は、あの折の中国や台湾の人々の温かい支援をも忘れることができない。
かつて我が国が仏印(今のベトナム)に、フランス政府(ビシー政権)の同意を得て進駐したとき、
アメリカは直ちに石油と、くず鉄の輸出を禁止し、邦人海外資産を凍結した。半年待てば、連合艦
隊は生ける棺桶になる危険があり、やむを得ず開戦に踏み切ったのであるが、当時に比べれば、国
際協調の下で生きるということが、どれほど有り難いものか、私のような老いたる世代には、良く
分かるのである。
だから我々は、国際主義、国際協調主義を片時も忘れてはならない。
しかしこの頃では、グローバリズムという得体の知れぬ言葉が流行を極めている。この東大総長
もそうだし、財界有力者たちも、しきりにこの言葉を口にする。しかしこのグローバリズムは、国
際主義と似ていて、その本質は全く異なるものである。
To be international, be national! (国際的であるためには民族的であれ) という言葉がある。自国、
自民族の利益と、他国、人類全体の利益を調和させるためには、先ず自らのスタンスをしっかりさ
せなくてはならないという意味である。
山下某という柔道家がいる。私も一度会って話したことがある。彼が朝日新聞に驚くべき発言を
した。北方領土の帰属を回って、ロシアのプーチン大統領が「引き分けにしよう」と言った発言を
引用し、彼は「ここまできたらそれ以外に道はない」と言ったのである。プーチンが言っているの
は、歯舞、色丹の二島を日本に返し、択捉、国後はロシア領にするという意味である。歯舞、色丹
は極めて小さな島である。国後、択捉に比べれば、腹とヘソほども違う。引き分けどころか、これ
では完全なペテンである。北方四島はすべて完全に日本固有の領土である。これを譲ってはならな
い。たとえ今後百年かかろうとも、紛争を維持、継続し、何年かかろうとも、これを完全に奪還し
なければならぬ。寸土を奪われて怒ることを知らぬ民族は、やがて本土をも失うのである。
この著名な柔道家は、大学教授も兼ねているのだが、その不見識、無国籍ぶりには、ただただ驚
くほかはない。彼の意識下には、民族を否定する方向でのグローバリズム(地球主義)が存在してい
るのであろう。
実はグローバリズムとは、その真実においては無国籍主義、コスモポリタニズムにほかならない
と私は考えている。四月、桜の頃に新学年を開始する明治五年以来の我が国の伝統は、よほどの事
情があっても守り抜きたい文化、伝統である。これを改める必要があるにしても、他に道はないの
かと模索しなければなるまい。東大総長のこの度の発言は、何とも軽薄に響いてならないのである。
平成24年5月1日(火)
藤
棚
第266号
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
『徒然草』私考
教諭
樋口
敦士(国語科)
ね こ ま た ゆ ら い き
我が家に『猫俣由来記』という「猫また(化け猫)」の実態を記した一冊の写本が残されている。
これは幕末期の私の高祖父が書き記したものであり、先祖もまたこの妖怪に愛着を持っていたようで
ある。「猫また」といえば、兼好法師の随筆『徒然草』の八十九段が広く知られているが、中学二年
時の授業におけるこの話との出会いが結果的に私を古典教師に導くこととなった。大変有名な話であ
ろうが、梗概は次の通りである。
「猫また」とは人を食うものであり、人々の間に恐怖とともに語り継がれてきた存在であった。こ
の噂を真に受けた法師が連歌会からの帰途、「猫また」らしきものに遭遇する。悲鳴をあげて近隣に
助けを求めた法師は慌てふためいて小川に転倒し、連歌で獲得した賞品まで水浸しになってしまう。
つくば
松明を持って隣人が駆けつけた時には、法師は茫然自失の体で家まで這い蹲って帰ったのだが、最
後にその正体が明かされる。「飼ひける犬の、暗けれど主を知りて飛びつきたりけるとぞ(飼い犬が
夜間であっても主人である法師に気付き、じゃれて飛びついてきたということだった)。
」授業を受け
た当時、怖い噂といえば「口裂け女」などがあったが、滑稽譚の中にも噂に翻弄される人々の姿が描
かれており、今も昔も人は変わらないとほほえましく思ったものである。
た め ら
高校生にとって読むべき古典作品は何かと尋ねられたら、私は躊躇わず『徒然草』を第一に掲げる。
日本の古典といえば、『源氏物語』を連想する向きもあろうが、現代とはあまりにも価値観や境遇が
違い過ぎて、すぐには共感できないのが現状である。これに対して『徒然草』が常に読まれ続けてき
た理由は、やはりいつの時代にも色あせない達観した視点にある。例えば、「死を念頭に置き、人間
の本来的な生き方をせよ」とは、ドイツの哲学者ハイデッガーの言葉で有名であるが、この「投企」
同様の思想を六百年も前に兼好法師は五十九段の「大事を思ひ立たん人は」で大胆に言い放っている。
こうした深刻な話題ばかりかと思えば、先の「猫また」以外にも面白い噂には枚挙に暇がない。栗
ばかり食べて米類を一切食べない美しい娘の話(四十段)、西園寺付近に鬼が出没したという噂話(五
こ が の な い だ い じ ん
十段)、久我内大臣が田の水で地蔵を洗っていたという話(百九十五段)、内裏に狐が出て碁打ちを見
ていた話(二百三十段)などがあり、こうした奇談が『徒然草』の中に数多く収録されている以上、
彼が「噂」に強い関心があったことがわかる。しかし、兼好の「噂」の本質論は、七十三段に見るこ
とができる。「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり(世に語り伝えられて
いることは真実はつまらないからだろうか、多くは嘘である)。
」
「噂は嘘」と一刀両断した上で、噂の伝播の経緯について詳細に分析している。人はもともと大げ
さに物事を語りたがる性分であり、時間(歴史)や空間(地域)が隔たった世界の話は受け入れやす
いものである。さらに、自分にとって都合の良い噂や周囲が盛り上がっている話題には強く否定しづ
らいという「個人心理」や「集団心理」なども大きく作用している。だから、表面的にはもっともら
しく対応し、盲目的に信じることはせず、また噂話を撒き散らす人に対してもいたずらに疑ったり嘲
ったりしてはならないと説く。こうした兼好の深い洞察力や処世術には瞠目に値するだろう。「噂」
を全面否定しつつも、好んで書き留めた兼好の姿には清濁併せのむような懐の深さまで感じ取れる。
騙されることが多いと嘆く人こそ、この七十三段は是非とも読んでほしい。
百三十七段には柔軟な視点の必要性が述べられている。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るもの
かは(満開の桜や曇りのない満月だけを見るものだろうか、いやそうではない)。」満開の桜や満月な
どといった完全性のみを評価しがちな世間の風潮に疑問を呈し、満たされない状態(例えば「雨」や
パラドックス
「簾」の存在)に置かれた方が、対象(桜や月)への思いが実は強くなるという逆 説を披露してい
る。「目ではなく心で感じよ」と主張するわけだが、目先の現象にばかり気をとられてしまい、とも
すれば形而上世界の重要性に気づかずにいる我々の生活に一石を投じてくれるものであるに違いな
い。
鎌倉末期に神職の家系に生まれた兼好法師は三十歳前後で出家するが、作品全体が醸し出すその人
物像は実にユーモラスであり、少なくとも神仏以外に脇目も振らなかった模範的な僧侶ではなかった
ことがわかる。もし彼がきまじめな人物であれば、この作品がここまで面白くなるはずはない。命名
論(百十六段)、友人論(百十七段)、金銭論(二百十七段)など、直接的に高校生にも通じる話もあ
るので、一読をお勧めする。
「徒然なるままに……」で始まるあまりに有名な序段に比すれば、最後の二百四十三段はあまり知
られていないが、兼好自身が父と交わした幼少時の思い出話である。八歳になった年、兼好は仏につ
いて父に質問をする。父は「仏とは人がなったものであり、前の仏が新しい仏を教え導いて仏にする
のだ」と教える。さらに兼好は「では、そもそも最初の仏はいかにしてなったのか」と質問を重ねる
と、父は答えに窮したという。その探求心はこの頃既に萌芽していたことを物語る心温まるエピソー
ドである。
高校生にとって「本」といえば流行作家の小説あたりを思い浮かべることかもしれないが、兼好は
もんぜん
そ う じ
これを「見ぬ世の友」(十三段)と呼んで、『文選』や『荘子』などの書名を挙げ、気持ちを慰める手
段とみなしていた。とかく「読書」といえば、我々は同時代人の文学作品を娯楽として読むことをイ
メージしがちであるが、兼好が言うように時代や世界を越えて繋がり合うことができるという側面が
あることも忘れてはなるまい。古来から書き言葉を持っていた日本人にとっては古語辞典とわずかな
愛着と根気さえあれば、千年以上も前の「見ぬ世の友」と簡単に繋がり合うこともできるのである。
この機会に、「見る世の友」以上にたくさんの「見ぬ世の友」を作ってほしい。
現在私は練馬に住んでいる。練馬といえば、江戸時代から「練馬大根」がとても有名で、パンや菓
子の原料として用いられているほど、この地域の特産品ともなっている。『徒然草』の中にも「大根
つ ち お ほ ね
(土大根)」の話が六十八段に出てくるので、最後に紹介したい。九州の役人が毎朝土大根を妙薬と
して二枚ずつ好んで食べていた。ある時敵襲があり、その際に突然現れた二人の兵士が加勢に来たの
だが、実は彼らは土大根の化身だったのである。『徒然草』により、「大根」の「守り神」像が定着し
た私にとって、この地に住みながら「古典」との奇縁を今改めて感じている。
平成24年4月7日(土)
藤
棚
狭 山 ヶ 丘 高 等 学 校
第265号
学 校 通 信
http://www.sayamagaoka-h.ed.jp/
自らに厳しい三年間を
(入学式辞要旨)
校長
小川義男
ご入学お目出度う。本日から 358 名の諸君が、第一学年としての学園生活を開始致します。諸君の
ご成功を心から期待致します。
本校は県下屈指の進学校であります。諸君の力によって私は、狭山ヶ丘を県トップの進学校にする
ため、全力を傾ける決意であります。
厳しい学習指導に明け暮れる本校ではありますが、最初の一年間は、勉強と共に、豊かな人間性を
養うことに重点を置いてください。何よりも先ず、鋭い感性を養っていただきたいと思います。公園
に行ったようなときも、ベンチにばかり座っているのではなく、芝生に直接触り、頬を青草に触れて、
その感触をつかみ取っていただきたいのです。素足を夜露に濡らすことなども、是非経験していただ
きたいと思います。月の美しい夜は、散歩に出て夜気に触れたり、夏の日は、山に登って峠の風に吹
かれてください。このようにして培われた鋭い感性があって初めて、「徒然草」や「枕草子」の本当
の意味をつかみ取ることができるのであります。外国の作家や思想家の精神に触れるためにも、この
ような鋭い感性はなくてはならないものであります。
さて諸君、人間の幸せとは、何だと思われますか。私はそれは、愛する者のために生きることだと
考えております。人は誰でも愛する人を持っております。諸君の父であれ、母であれ、妹や弟であれ、
愛する者に危難が迫ったとき、諸君は、我が身の危険を忘れて、救出のため戦うでありましょう。人
は、愛する者のためには、我が命すら惜しまぬ特別な生き物なのであります。どうか家族、特に諸君
の父、母を大切にすることを諸君の人生の拠り所と心得てください。さらにその愛の対象を、家族か
ら友人へ、友人から社会や国家へと拡大して行っていただきたいのであります。英雄とは、自らに対
する愛が、国家、社会への愛と完全に融合している人間を言うのであります。
諸君は疑いもなく優秀な方々でありますから、将来社会的に必ず大成されるでありましょう。しか
し、自らの優れた資質を、自分の出世や蓄財のためにのみ用いる「醜い日本人」になってはなりませ
ん。フランス語にノブレスオブリージュという言葉があります。優れた人間には、自らの資質を、民
衆や国家のために役立てる義務があるという意味であります。どうか生涯を通じて、このノブレスオ
ブリージュを貫いてくださることを期待致します。
すべての集団がそうであるように、本校には、諸君が守らなければならぬ校則があります。諸君の
人間性を向上させ、学校生活を楽しく、充実させるための最低限度の決まりであります。本校はこれ
について、ゼロトレランス、すなわち違反には容赦をしないという姿勢で臨みます。今日は、言い張
りさえすれば、若者のどのような我が儘も押し通すことができる、社会精神、国民精神が衰弱した時
代であります。だが本校は、そのように甘い学校ではないことを理解してください。諸君の人権を尊
重し、諸君の成長のためにはどのような努力も惜しみませんが、反面本校は、校則違反を断じて許さ
ない学校であることも肝に銘じておいていただきたいのであります。この点、保護者の皆様にも、ご
理解のほどよろしくお願い申し上げます。
昨今、学校は楽しいところでなければならないとの見解が支配的であります。しかし、学校は遊園
地ではありません。確かに若さ溢れる諸君が集う学校は、楽しいところでありますが、それは、苦し
みと共にでなければ存在できない、そのような種類の楽しさであることを理解していただきたいので
あります。
保護者の皆様、お子さまは確かにお預かり致しました。私ども教職員一同、全力を尽くし、三年後、
見事に成長した姿でお返しすることを約束致します。ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
本日は、ご多忙の中、吉田入間市副市長様をはじめ、多くのご来賓の皆様のご来駕を忝のうしてお
ります。ご多忙の中、ご臨席賜り、入学生の前途に祝福を賜りましたことに、深く感謝申し上げます。
さて、新入生諸君、新しい高校生活では、あるいは、しばらくの間、孤独に過ごさねばならぬ時も
あるかも知れません。孤独を恐れないでください。正面から受け止めれば、孤独は、なまなかな友情
より遙かに味わい深いものであります。「友を求めて友に頼らず、友情を求めて孤独を恐れず」この
気概を持って、高校生活第一歩を踏み出してください。もともと学問は孤独な戦いなのであります。
厳しく学ぶ、この気概を持って三年間を貫いてください。