Weekend Message 励ます者になるには? テモテへの手紙一3:2a メッセージ2:一人の妻の夫 「励ます者になるには?」という新しいメッセ ージシリーズが先週から始まりました。このシ リーズはテモテへの手紙第一3章にある監督者 もしくは牧師の資質を基にしています。 2011 年 7 月 2 &3 日 余沢 武牧師 す。歴史を通して、数えきれないほどの男性た ちが性的な罪に陥ってきました。最近もニュー スで、トップアスリートが姦淫の罪を犯したこ とが報じられました。また、アメリカの政治家、 前大統領候補も同じようなことでニュースにな りました。キャリアも評判も完全に地に落ちま した。家族も壊されました。そして、彼らの妻 たちが経験する痛みは、想像を遥かに超えてい ます。 大切なもの全て、築き上げたものがボロボロに なりました。そこには全く何も残らなかったの です。「なぜ?」と思うでしょう。「分別はな かったの?」 監督者の資質としてどのようにその資質を教会 へ手本として見せるのか話しました。私たちみ んなもこれらの資質を見せるべきで、そうする ことで私たちの日常でほかの人を励ますことが できるのです。 本日見ていく資質はテモテへの手紙第一3:2a です。「だから、監督は、非のうちどころがな く、一人の妻の夫であり」 「一人の妻の夫」文字通りで言えば、「妻が一 人いる夫」とか「一人の女性のための男」です が、これは、「その妻に対して正直で誠実な」 男という意味です。これは性的な純潔と妻を大 切にすることを評価しています。ここでは夫と して監督者の資質が挙げられてい ますが、逆もまた真なりです。誠 実な妻もまたほかの人を励まし、 お手本となるのです。 逆の言い方は「一人の夫の妻」と テモテへの手紙第一 5:9 にあります。「やも めとして登録するのは、六十歳未満の者ではな く、一人の夫の妻であった人(もしくは一人の 男性のいた女性)」 「一人の夫の妻」とは自分の夫に誠実であった 妻のことです。彼女たちは若い女性たちを自分 の夫に誠実でいるように励ますことでしょう。 パウロはテトス 2:4 でこう書いています。 「そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫 を愛し、(させるようにできます)」ですから、 今日のメッセージが男性だけに向けられている ように聞こえたとしても、女性にも有効なので 1 事実、敬虔な人たちでさえ、そこに陥ることが あります。聖書の中でも一番神に従順だったダ ビデ。聖書では彼をこう呼びます。「神の心に かなった人」しかしダビデは陥りました。サム エル記下 11:1-5 にこう記されています。「年 が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダ ビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の 家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。 彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。 しかしダビデ自身はエルサレムにとどまって いた。ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から 起きて、王宮の屋上を散歩していた。彼は屋 上から、一人の女が水を浴びているのを目に留 めた。女は大層美しかった。ダビデは人をやっ て女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘 バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だというこ とであった。ダビデは使いの者をやって彼女を 召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共に した。彼女は汚れから身を清めたところであっ た。女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビ デに使いを送り、『子を宿しました』と知らせ た。」 さて、何が悪かったのでしょう? 戦争へ行かな Weekend Message かったことでしょうか? それとも、屋上を散歩 2011 年 7 月 2&3 日 たからでしょうか? 誰かが水を浴びているのを 見たからでしょうか? いいえ、それらが問題だったのではありません。 問題はダビデです。女性の水浴びを見た後の彼 の反応です。ダビデは女性を見たとき誘惑され ました。そこには2つの選択がありました。 ① ダビデが罪の意識を抱きながらもみだらな 気持ちで彼女を見つめることができます。 これが罪の始まりです。 ② ダビデは目と思いを見たものから背けるこ ともできます。 これはヨブがヨブ記 31:1 で言っていることです。 「情欲をもって女性を見ないようにしよう。 わ しは、そう自分の目と契約を結んだ。」(リビン グバイブル) こちらは、ヨセフがポテパルの妻の誘惑に直面 した時の対処法です。創世記 39:10 にこうあり ます。「彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨ セフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、 共にいることもしなかった。」 しかし、ダビデは拒みませんでした。そのまま 見続けたのです。そしてその結末は:ほかの人 の妻を望み、人の妻を盗み、姦淫の罪を犯し、 真実をゆがめ、殺人まで犯したのです。十 戒の半分です。 覚えておいてください。 朝目覚めたときは、神に逆らって罪を犯すつも りはありませんでした。もし誰かが 5 つの掟を 破るでしょうと教えたとしてもダビデは信じな かったでしょう。これは全て起こりました。な ぜなら、ダビデはじっと見たからです。だから こそ聖書ではエフェソ 5:3a で私たちに忠告して います。「貪欲なことを口にしてはなりませ ん。」 マタイ 5:27-28 でイエスはおっしゃいました。 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫する な』と命じられている。しかし、わたしは言っ 2 余沢 武牧師 ておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだ れでも、既に心の中でその女を犯したのであ る。」イエスは厳しすぎますか? いいえ、イエ スは私たちをとてもよく知っているのです。 じっと見つめない。今日は、私たちは眺めるた めに屋上に上がりませんが、見つめてしまう機 会はどこにでもあります。テレビ、映画、イン ターネット、雑誌、広告、それらは家の中にあ ります。街にもあります。職場にも。私たちが 行くところどこにでも、向く方向すべてにあり ます。「一人の妻の夫」になること、これは私 たちに必要な選択です。じっと見つめることを 拒む。想いを抱かせないように背を向ける。 箴言 6:27 でこう言っています。「火をふとこ ろにかきこんで/衣を焼かれない者があろう か。」 実際、常に可能であるならば、誘惑されるよう な状況に自分自身を決しておかない。コリント 信徒への手紙 6:18 では「みだらな行いを避けな さい。」とあります。偉大な伝道師ビリー・グ ラハムの話を思い出します。性的な誘惑からど うやって自分を守っていたか。 多くの方がご存じのとおり、ビリー・グラハム は福音伝道でよく知られています。神は彼をと ても驚くようなやり方を用いて、何千人もの人 をキリストに導きました。皆さんもお分かりの ように、ビリー・グラハムは活動すると き、ホテルに泊まる必要がありました。 彼は必ずホテルに部屋からテレビセット を置かないように依頼していました。し かし、一度だけ部屋に入ったとき、テレビセッ トが置きっぱなしになっていました。すぐさま 支配人に部屋から出すように電話しました。し かし、支配人はこう言いました。「ケーブルが 壁に固定されているのです。動かすことができ ません。」さて、ビリー・グラハムはこうしま した。壁からケーブルをもぎ取り、支配人にテ レビを運び出すよう頼みました。そして言いま した。「修理代は請求してください。」彼はど んな可能性も避けたのです。何が危険に瀕して いるのか分かっていたのです。 Weekend Message 人が性的な罪に陥ったり、姦淫罪を犯すとき、 2011 年 7 月 2&3 日 余沢 武牧師 イムを持ちましょう。聖書を読み、祈る時間で す。植えた植物の状態が良く なければ、決してよい収穫は 得られません。 それは単発での出来事ではありません。一般的 に悪い選択の連続がそれに通じるのです。「見 つめる」「情欲な想いを持つ」という癖はもう その危険にさらされています。「一人の妻の 夫」や「妻に対して誠実な夫」はこのような情 欲の想いを拒み続けて乗り越えて行けます。姦 淫罪を犯しているほとんどの男性は浮気をした かったわけではなく、することをしただけなの です。彼らがそうなったのは、見つめたり、情 欲な想いを抱いたからなのです。 ガラテヤ 6:7-8 で、こう言っています。「 思い 違いをしてはいけません。神は、人から侮られ ることはありません。人は、自分の蒔いたもの を、また刈り取ることになるのです。自分の肉 に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く 者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」 ポルノ、じっと見つめること、淫らな想いは遅 かれ早かれ、結婚生活、あるいは未来の結婚に 影響を与えるでしょう。このことでお困りの方 もいるでしょう。今は、性的な不道徳が嫌いで しょう。止めたいでしょう。しかし、止められ ない。とるべき方法があります。 お互いの行動に責任を持ち励 ましあえるクリスチャンパートナーと知り合い ましょう。もし男性なら、男性の相手です。女 性であれば、女性です。諦めないでください。 時が来れば、収穫を刈り取るのです。 性的な関係は神からの夫と妻への贈り物です。 互いに愛し合い、喜びと一致をもたらす神が定 めたものです。性的な不道徳は私たちに授けら れた神、伴侶を愛する神からの完全なる贈り物 を拒否することです。そのため自己中心的な喜 びを求め、結婚やそれぞれの将来の結婚を代償 にします。それがみだらな目、ポルノ、不道徳 な想い、不道徳な行為、そして姦淫の結果です。 これは偶像礼拝の状態です。神の定めた結婚へ の計画を拒絶し、神の計画から離れた満足を追 い求めるようになります。そしてそれはサタン の嘘なので、人は決して満足しません。人もそ の家族も評判も神との歩みも壊してしまう終わ りのない営みです。 イエスを信じる必要があります。罪を告白しま しょう。神ご自身がイエスを十字架にかけ、あ なたの罪を償ったことを認めましょう。主とし て、イエスに従う決心をしましょう。そうすれ ば、イエスの御霊があなたの中に入ってきて、 罪を克服する力を与えてくれます。 罪のための準備をしない。誘惑になりえるあら ゆるものから目と心を守りなさい。テレビやイ ンターネットを取り去る必要があるなら、そう してください。先に言っておくと、我が家にテ レビがない理由はこのためです。親密な関係に なりそうな状況を避けてください。もし、あな たが結婚をしているなら、異性と親密な話や互 いの個人的な問題を打ち明けるようなことは避 けましょう。異性との出張や仕事 での食事なども可能な限り避けま しょう。 一人の女性のいる男というのは何も性的に純潔 で信仰深いだけではありません。自分の妻、も しくは夫を愛し、気遣い、尊重することでもあ るのです。 ペテロの手紙第一 3:7 「同じように、夫たちよ、 妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を 共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬 しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨 げられることはありません。」 私たちはすべて、妻を愛していることを分かっ ています。しかし私たちはたびたび「尊敬を 持って」妻に接することを見落としてしまい ます。口語訳には、「自分よりも弱い器」で あることを認めて「尊びなさい」とあります。 日常的に質の高いクワイエットタ 3 Weekend Message 何年か前、ある姉妹が亡くなり、TBC で葬儀が 2011 年 7 月 2&3 日 余沢 武牧師 私は言葉もありませんでした。ただ言えたこと は一つ、「神よ、あなたは正しい。私は間違っ ています。」 ありました。葬儀の後、彼女のお父様がボヘミ アガラスの花瓶を私のところへ持ってこられま した。それはお嬢さんにとって特別 な花瓶だとおっしゃいました。家を 出るときがきたら、それを一緒に持 って行くと言っていたそうです。だ から、それを持っていてほしいと私 に話されました。 コヘレトの言葉 9:9 でソロモン王がこう言いま した。「太陽の下、与えられた空しい人生の 日々愛する妻と共に楽しく生きるがよい。それ が、太陽の下で労苦するあなたへの人生と労苦 の報いなのだ。」 正直に言うと、なんと言っていいかわかりませ んでした。でも、丁重に受け取りました。その 花瓶は特別なのです。とても慎重に扱っていま す。シンクに放り入れることも、ほかの汚れた 皿といっしょに洗うこともしません。私はその 花瓶を特別に扱っています。特別に尊重し、敬 意を持って、特別な気を使っているのです。 聖書は「彼女はあなたへの報い」と言っていま す。妻は神が私たちにもたらした大きな地上で の楽しみの器なのです。神が人生を、喜び、悲 しみ、子育ての祝福、地上でのすべてのことを 共にするようにと与えた伴侶なのです。妻は私 たちを良くするための神の楽器、人生最高のご 褒美なのです。私たちは最大の 敬意と尊敬を妻たちに現わす必 要があります。 これが夫たちの妻への接し方です。 問題は大抵はこんな風にしていないのです。R.C. スプラウルは著書“The Intimate Marriage(親 密な結婚)” でこう書いています。 「結婚した男にとって、結婚式が終わってしま えば、妻を重要視してみることがどんどん減っ ていくのは簡単すぎるくらいだ。その前は、全 力で口説き妻を得ようと必死だったのに・・・ オリンピックに囚われた選手のように情熱を捧 げ・・・いざ結婚を達成したら、その情熱は別 な目標に向かってしまう。妻にあてる時間は日 ごとに減り、大切に扱うこともなくなっていく。 その間、女性のほうでは・・・結婚はずっと同 じように続くと期待している。結婚の過程にお いて、女性は以前にもまして夫への注意がずっ と増えていくものだが夫のほうは妻への注意が 減っていく。彼女は彼の衣服を洗い、食事を作 り、ベッドを整え、家を掃除し、時にはスーツ ケースも詰める。同時に、彼のほうは愛情を示 さなくなり、デートも減り、大体は彼女へ注意 も払わなくなっていく。」 あなたの結婚はこうですか? これはあなたのこ とではないですか?はじめてこれを読んだとき、 伴侶を尊重し、敬意を持つだけではありません。 愛し、気遣うこともします。家庭での信仰のリ ーダー励まします。「励ます人になる」ことは ご家庭で始められます。私たちの人生で励ます 必要がある最初の人は自分たちの妻です。 考えてみてください。あなたの妻や夫は、共に いることでよりキリストに似てきていますか? 教会として、私たちは互いの性質や生活習慣を 通して成長する為に励まし合います。これは、 妻と夫としての始まりです。「一人の女性のた めの男」、「一人の男性のための女」となると ころから始まります。 これが最初の資質です。ですが、成長するため に多くのことをすでに発見しています。私たち は道徳的清さ、性的な誠実さを持ち合わせなけ ればなりません。しかし、配偶者を価値あるも のと尊び、人生最高のご褒美とするだけではあ りません。相手を愛し、気遣うことで、初めて 相手を励ますことができるのです。 ※特に指定がない限り聖書訳は新共同訳を使用しています。 4
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