石綿訴訟判決 国勝訴でも責任は重い

毎日新聞社説 8 月 29 日
石綿訴訟判決
国勝訴でも責任は重い
アスベスト(石綿)の被害を巡り国家賠償を求めた裁判で、大阪高裁は、国に損害賠
償を命じた1審判決を取り消し、原告敗訴の判決を言い渡した。長年にわたって石綿肺
などで苦しんできた原告住民にとって極めて厳しい判決だ。国は勝訴したとはいえ、判決
は石綿被害に対する国の取り組みの丌十分さも指摘しており、行政の責任として早急に
被害者の救済を図らなければならない。
昨年5月の大阪地裁判決は、国が石綿による健康被害を防止するための権限を行使
しなかった違法性を認定。そのうえで「労相は事業者が経済的負担を負うことを理由に
労働者の安全をないがしろにすることはできない」として、国に事業者と同等の責任があ
ると判断した。
これに対し、大阪高裁判決は「国による一連の措置は著しく合理性を欠くとは認められ
ない」として1審の判断を覆し、原告の主張を全面的に退けた。「厳格な規制は産業社
会の発展を阻害する」という論理で行政の裁量権を幅広くとらえた。
一方で判決は、現在も石綿による深刻な健康被害が生じている現実を踏まえ、過去
の危機管理は十分ではなく、その検証が今後の行政上の課題だとも述べた。国はこの
指摘を重く受け止めるべきだ。
石綿による健康被害は、05年に機械メーカー「クボタ」の旧工場の従業員や周辺住民
に中皮腫や肺がんなどの患者が出ていたことが分かり、急速に社会問題化した。クボタ
など大手企業による被害では、企業補償が図られているケースもある。しかし、零細企
業や既に廃業した企業だった場合、今回の訴訟の原告のように被害者は置き去りにさ
れやすい。被害者の高齢化も進んでおり、国はこうした実情を真剣に考慮する必要があ
る。
石綿肺や中皮腫、肺がんなど石綿による健康被害は、いずれも発症までの潜伏期間
が長いという特徴がある。中皮腫での死者は00年からの40年間で10万人に上るという
予測もあり、今後数十年にわたって被害は拡大していく。
政府は04年に石綿の使用を原則禁止し、06年に患者・遺族の救済を図る石綿健康
被害救済法を施行した。しかし、救済対象が限られているうえ、医療費の支給などに限
定されている。今後も増えることが確実な被害者を救済するため、政府は早急に救済法
を改正し、支給金の増額や救済対象の拡大を図るべきだ。
国内で建材に使われた石綿は800万~900万トンに上ると推計され、大部分はいま
だに建物の中に残っている。危険な石綿の使用を長年容認してきた国は、石綿がない
社会を実現する責任がある。
京都新聞社説 8 月 28 日
泉南石綿訴訟
高裁判決は納得できぬ
国民の健康を守るべき国の役割を考える上で納得できない判決と言わざるをえない。
大阪府南部の泉南地域でアスベスト(石綿)を吸い、肺がんなどを発症したとして元労
働者や遺族らが国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は国の責任を
認めた一審判決を取り消し、原告逆転敗訴を言い渡した。
判決は、国の石綿規制について「長期的かつ将来的な危機管理として必ずしも十分で
ない部分があったことは否定できない」と述べたものの、それらは行政上の課題として検
証すべきものとし、責任問題とは切り離した。
その上で国が行った一連の安全対策を「その時々の医学的知見に合わせた法整備や
行政指導で一定の効果を上げてきた」とし、「石綿の使用禁止が海外諸国と比べ特に遅
かったとも言えず、違法とはいえない」と判断した。
石綿被害の第一原因が発生企業にあることは当然だが、経済的必然性にも言及して
国の裁量権をここまで大幅に認めた判決は珍しかろう。薬害裁判などで国の丌作為責
任が厳しく問われたのと比べ、違和感が否めない。
石綿労働者には戦前から肺疾患が知られ、1960年の旧じん肺法で作業従事者に健
康診断が義務づけられた。72年には国際労働機関(ILO)が発がん性を指摘、75年に
は旧労働省が吹きつけ禁止などの規制を実施し、78年には石綿に起因するとされる肺
がん、中皮腫、石綿肺を労災の適用対象とした。だが使用は95年に青石綿と茶石綿、
2008年に白石綿も含め全面禁止されるまで認められ、被害拡大の一因となった。
この間アイスランドは83年、ドイツは93年に使用を原則禁止している。96年以降では
フランスや英国が原則禁止や全面禁止した。
一審の大阪地裁は、旧じん肺法が成立した60年までに国が排気装置の設置を義務
づけなかったことを違法と判断、同年以降に発症した患者への賠償を命じた。これに対
し当時の鳩山由紀夫政権は、いったん控訴断念も検討したが「石綿被害で国の責任を
問う初めての訴訟で、法的論点が多い」ことなどを理由に控訴した経緯がある。一定の
判断基準を高裁に期待したともいえよう。
高裁判決は、被告の国にとっても物足りない内容ではないか。産業面への配慮を健康
被害防止より優先した判決との印象がぬぐえないからだ。
石綿は年月が過ぎてから健康被害を引き起こす。02年には「今後40年間で約10万
人が中皮腫で死亡する」との研究者の予測も出ている。国の規制が適切なら発症者を
もっと減らせたのではないか。
上告審では、より具体的で説得力ある審議や判断を期待する。
神戸新聞社説 8 月 28 日
石綿二審判決/命より「産業優先」なのか
大阪・泉南地域のアスベスト(石綿)紡績工場の元労働者や遺族らによる国家賠償請
求訴訟で、大阪高裁は「国の対策に違法性はない」として原告逆転敗訴を言い渡した。
「石綿の有害性を知りながら必要な規制を怠った」として、丌作為による国の賠償責任
を認めた昨年5月の一審判決を取り消した。
「厳格な許可制の下でなければ操業を認めないというのでは、工業技術の発展および
産業社会の発展を著しく阻害する」。それが判決理由だ。
じん肺や公害などによる健康被害で、国の丌作為責任を認めてきた司法の流れとは
逆の判断といえる。
とりわけ、人命や健康よりも経済発展を重視したとも受け取れる判決理由には、強い疑
問を持たざるを得ない。
原告は、1939~2005年に工場の勤務や周辺での生活で石綿肺などを患ったと訴
えた元労働者と遺族、住民の遺族計32人で、06年5月に提訴した。
一審の大阪地裁は、アスベストの粉じんにさらされた環境で局所排気装置などの設置
を義務付けなかったのは違法とした。国が適切な情報提供を怠っていたことも併せて認
定した。
これに対し、高裁は事業者の責任を重視し、指導する国については防じんマスク着用
や局所排気装置の普及活動などの対応を挙げて、違法性を退けた。
当時の状況をどこまで捉えた上での判断なのか。そう指摘する研究者は多い。
泉南の石綿疾患は、戦前から国が住民健康調査を行い、戦後も引き継がれていた。
人命に関わる問題と気づいた段階で、排気装置への補助などアスベスト被害を食い止
める緊急対策をとるべきだった。それが常識的な考えではないか。
安全へのコストをかけた上で、産業の育成を後押しするのが、国の本来の責任だろう。
十分な規制を行わなかった当時の国の対応を適切とした判決は「産業優先」と映る。
経済を重視するあまり健康被害を深刻化させてきた教訓を、日本社会は数多くの公
害から学んできたはずだ。司法が最後のとりでとなり、被害者救済の流れをつくってきた
経緯を忘れてはならない。
原告側は上告する方針だ。石綿禍は「史上最悪の産業災害」に拡大する恐れがある。
訴訟とは別に、国が早急に救済策を拡充すべきである。
工場外にも広く健康被害が及んでいる現実を見据え、最高裁には早期解決の道を開
いてもらいたい。