私が選ぶアルフレッド・ヒッチコックのベスト3は「裏窓」(54年)、「めまい

私が選ぶアルフレッド・ヒッチコックのベスト3は「裏窓」(54年)、「めまい」(58年)、「サイコ」
(60年)だと以前に書いた。世界の映画評論家が投票して10年ごとに選ぶ世界映画の50傑
(英国映画協会主宰)で2012年にベストワンに選出されたのは「めまい」(58年)だったことも
以前紹介した。アメリカの人気映画評論家ロジャー・エバートも「めまい」はヒッチのベスト2か
3に入ると書いている。
「めまい」の原作は、ピエール・ボワロー&トーマ・ナルスジャックの代表作のひとつ「死者
の中から」(早川書房刊。原題も同じ)だ。このコンビはフランス・ミステリの代表的な作家で
ある。フランスは昔からスリラー・サスペンスとか犯罪小説、警察小説が盛んだった。警察小
説ではジョルジュ・シムノンのメグレ警視ものがわが国でも有名で、映画ではジャン・ギャバ
ンの当たり役だった。いっぽう、ボワロ&ナルスジャックの小説はいずれもサスペンス小説ば
「めまい」のオリジナル広告
かりで、よく映像化されてきた。1950年代に評判となったかれらの『もはや存在しない』(原
題)というミステリに目をつけたヒッチコックはさっそく映画化しようと思い立つ。ところが、悪
路の中をトラックでニトログリセリンを運ぶというスリルを描いた「恐怖の報酬」(53年)でカンヌ国際映画祭グランプリに輝いたフラン
ス映画の巨匠アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督が先に映画化権を獲得してしまう。完成したのが「悪魔のような女」(55年)。映画の
邦題を尊重して早川書房からはそのタイトルで原作が文庫化されている。クルーゾーは映画化するときタイトルを「デアボリカ」(悪魔
のような、の意)に改題し、映画の邦題はこれにそったものだ。物語は現代の怪談といってもよく、シモーヌ・シニョレと監督夫人のヴェ
ラ・クルーゾーが好演し、身の毛のよだつ幽霊譚をおどろおどろしく見事に映画化した。のちにシャロン・ストーン主演でハリウッドがリ
メイク(96年)したが、クルーゾー版には遠く及ばなかった。
そこで、ヒッチがバーターとして映画化権を獲得したのが「死者の中から」であった。このコンビによるスリラー小説は怪談の体裁を
とりながら最後には合理的なタネが明かされて謎が解かれる。「死者の中から」は映画化にあたって「ヴァーチゴー」すなわち「めまい」
と改題された。このタイトルのセンスはヒッチコックらしくて巧いと思う。高所恐怖症を題材にしているので「めまい」なのだが、ヒッチ自
身が高所恐怖症ではないかという推論はむかしからあって、確かにかれの作品にそう思わせる描写がよく出て来る。「逃走迷路」(42
年)では敵役の男が自由の女神像の頭の部分から真っ逆さまに落下する有名な場面があるし、グレゴリー・ペックとイングリッド・バー
グマンが共演した「白い恐怖」では高いところから滑り落ちる名場面があり、主人公が殺人鬼にアパートの窓から外へ放り出される
(「裏窓」)とか、ケーリー・グラントがラシュモア山(歴代大統領の顔を彫り込んだ観光名所)の絶壁を逃げる(「北北西に進路をとれ」
59年)とか、あるいはバリエーションとして私立探偵がナイフで襲われて2階から階段を転げ落ちるシーン(「サイコ」60年)など枚挙に
暇がない。
「めまい」のファーストシーンは私服刑事(ジェームス・スチュワート)と制服警官
が住宅街の屋根の上をつたって賊を追う場面だ。しかし、警官が屋根から屋根へ
飛び移るときにうっかり足を踏み外して転落死してしまう。このめくるめくような感
覚。ソール・バス制作のタイトルデザイン、あの有名な回転する渦と転落する人物
のイラストが斬新だった。というと、思い起こされるファーストシーンがある。疾走す
る列車から人(死体)が線路に転落して渦巻くタイトル。オードリー・ヘップバーン主
演の「シャレード」(スタンリー・ドーネン監督、63年)だ。盗作ではない。これもソー
ル・バスのデザインである。
キム・ノヴァクを指導するヒッチコック
刑事は、同僚を転落死させたというトラウマ(心の傷)と高所恐怖症を抱えて警
察を辞め、私立探偵業に転じる。そこへ同窓生から妻の行動を調べて欲しいという依頼が入る。その女性(キム・ノヴァク)を尾行する
うちに主人公の探偵は徐々に彼女に惹かれて行く。たしかに、ブロンドのキム・ノヴァクが実に色っぽくて美しい。いつしか、ふたりは
秘かにデートを重ねるが、女は何を思ったか探偵が苦手な教会の塔に登りつめ足を踏み外して転落死してしまう。結局、この件は自
殺だと断定され、探偵はショックのために失意の日々を送るのである。
しばらくして、探偵は街を歩いているうちに黒髪以外は死んだ女にそっくりの女性を見かける。思わずかれは女を尾行して宿泊する
ホテルに押しかけてしまう。やがて、ふたりはつき合うようになり、探偵は女に頼んで髪をブロンドに染めさせるのである。この女をキ
ム・ノヴァクが演じ、再びブロンドに戻って妖しい色香を振りまくところがミソだ。キム・ノヴァクは東欧出身のブロンド美女で、当時「ピ
クニック」(55年)「黄金の腕」(55年)「愛情物語」(56年)と絶頂期にあった。まあ、いってみれば、ノヴァクの魅力がこの映画の重要な
要素を占めることはいうまでもない。
ここで、ネタを割ってしまうと、キム・ノヴァクが二役を演じているわけではなく、死んだ女と後半登場する女は同一人物だったという
のが真相である。それでは死んでいないのかというと、確かに探偵の友人の妻は死んでおり、自殺として片づけられている。いったい
どういうことか。勘のいい読者はお気づきだろう。探偵が友人の妻だと思っていた女性(ノヴァク)は妻の替え玉だったという設定。探
偵の友人の妻は別に存在し、友人は邪魔になった妻を殺害するためノヴァクを雇って転落死したように見せかけ、妻の遺体とすり替
えたのである。探偵は、高いところへ登ると気が動転してしまうという弱点を利用されて、知らず知らずのうちに偽装自殺の目撃証人
に雇われた訳だ。
ヒッチコックは、あの手この手をつかって、何世紀も昔の貴婦人の生まれ変わりだとか、死んだはずの女性の再来だとか、現実と夢
想が入り混じったようなミステリアスな場面を何重にも絡めて観客を煙に巻くのである。登場人物が高いところに登って「めまい」を引
き起こすだけではなく、われわれ観客の眼を惑わせるという意味でのめくるめくような感覚を生み出し、モチーフ(めまい)の表現に成
功している。そうして、最後はトリックが暴かれ、事件は不幸な形で解決される。おそらくこの映画が高く評価されるのは、黄金期のハ
リウッド映画のお約束(ハッピーエンド)を裏切って、探偵に再び訪れた蜜月が破綻するという、当時としては珍しい悲劇で終わるから
だろう。(2016年1月1日)