(今回から映画エッセイ「見知らぬ観客」を掲載して頂くことになりました。宜しくお願い致します。) いきなり物騒な話で恐縮だが、殺人はたいてい動機で解決され る。被害者の身辺を洗っていくと犯人に至る。行きずりの殺人は物 的証拠を残さない限り迷宮入りすることが多い。動機なき殺人。そ こに目を付けたのが交換殺人である。 この枕で、当コラムのタイトルの意味がわかった人はかなりの映 画通である。パトリシア・ハイスミス女史の原作をサスペンスの神 様アルフレッド・ヒッチコックが映画化したのが、交換殺人をテー マとする「見知らぬ乗客」(1951年)。タイトルはそれをもじっ た。 生涯スリラー・サスペンスを撮り続けたヒッチコックは英国人で ある。英国人はシャーロック・ホームズの昔からミステリ好きであ り、小説も映画もスリラーが幅をきかすお国柄だ。英国映画の伝統はドキュメンタリーとスリラーであ り、いずれも真実の追究である。彼はデザインや写真に興味があったらしいが撮影所に入って監督にな り、英国時代もスリラーを得意とした。「暗殺者の家」(34)、「三十九夜」(35)、「バルカン超特急」 (38)などがアメリカのプロデューサーの目にとまりハリウッドに招聘された。聖心女子学院出身の美人女 優ジョーン・フォーンテーンとハムレット役者ローレンス・オリヴィエが共演したゴシック・ロマン(怪 談)「レベッカ」(40)がそれだ。本作は、プロデューサーの期待に応えて、いきなりアカデミー最優秀作 品賞を獲得した。結局、気をよくしたヒッチコックは帰国せずハリウッドにそのまま居つくことになる。 「暗殺者の家」のリメイク「知りすぎていた男」(56)はドリス・デイが主演し、主題歌「ケ・セラ・セ ラ」が大ヒットした。この頃のヒッチコックは円熟期にあり、「ダイヤルMを廻せ!」(54)、「裏 窓」(54) 、「めまい」(58)、「北北西に進路を取れ」(59)など映画史的に重要な名作群を連発してい る。「めまい」はフランス・ミステリの映画化で、本当は同じ作者(ボワロー&ナルスジャック)の「悪 魔のような女」を映画化しようとした。しかし、フランスの巨匠アンリ・ジョルジュ・クルーゾオに先を 越されてしまい、ヒッチコック映画を想定して書かれたという「死者の中から」(「めまい」の原作)の 映画化に踏み切る。クルーゾオの「悪魔のような女」(55)はスリラーの秀作として知られるが、ヒッチ コックが撮っていたらどんな作品になっていたか気になるところである。なお、シャロン・ストーン主演 のリメイク版(96年J・S・チェチック監督)はクルーゾオ版をついに超えられなかった。一方、「裏窓」 (右上写真)は、ジェームズ・スチュワートが足を骨折して自宅で療養するプロの写真家を演じ、暇をも てあまして窓から向かいのアパートを観察していると、その一室で病床の妻が忽然と姿を消し、夫は大き なトランクを抱えて持ち出す。どうも夫が妻を殺害したとしか思えない。そこで、恋人(グレース・ケ リーがきれいだ)に頼んで調査したりする。やがて、それに気づいた犯人がスチュワート(骨折して動け ない!)の口を封じるために部屋にやってくるという終盤のサスペンスが見事だ。冷酷な殺人鬼に扮した のは「弁護士ペリー・メイスン」や「鬼警部アイアンサイド」でブレイクする前のレイモンド・バーで あった。 そのヒッチコックが周囲の反対を押し切って製作したのが、ロバート・ブロック原作の「サイコ」(60) である。見るからに病的な青年アンソニー・パーキンスが経営するモーテルに、会社の金を横領したジャ ネット・リーが立ち寄ってシャワーを浴びていると、突然人影が現れ、ナイフでめったづきにされるとい う衝撃の殺人場面は、これまで多くの映画に応用されてきた。決して結末を口外しないでください、と観 客に異例の要請をした異色作の最後は、シャワーシーン以上に衝撃的などんでん返しであった。お化け屋 敷で人を脅かす手法である。思わずのけぞった人もいたのではないか。 因みに、私のヒッチコック・ベスト3を上げると「裏窓」「めまい」「サイコ」である。
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