見知らぬ観客22

マ ー ダ ー
第22回 ダイヤルMは殺しの番号
先ごろDVDで40年ぶりぐらいにアルフレッド・ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ!」(1954
年、写真上)を見直していて気がついたことがある。まさに設定が「刑事コロンボ」なのであ
る。コロンボの作者は「ダイヤルMを廻せ!」にヒントを得たのではないか。たとえば、倒叙形
式といってまず犯行を描き、後半で刑事が真相に迫るという構成。知能犯の犯人をスターが
演じ、途中で登場する刑事がとぼけた癒し系であるため、犯人が油断してしまうこと。犯行が
緻密で、それに対抗するような論理的な謎解きが示され、実は刑事が切れ者であること。コ
ロンボとの主な共通点は以上である。
舞台はロンドンの高級アパート。元プロのテニス選手(レイ・ミランド)は、資産家の妻(グ
レース・ケリー)とアメリカのミステリ作家(ロバート・カミングス)との不倫に気づく。夫は、作家
が旅行を装ってロンドンへやって来たのを機会に妻の殺害計画を思いつく。そこで、今は身を持ち崩した大学の同窓生の弱みにつ
け込み、多額の報酬と引き替えに妻の殺害を持ちかけるのだ。
計画はこうだ。夫は妻の財布から玄関の鍵を抜き取り、おもての階段の敷物の下に隠す。夫が作家をパーティーに連れ出してい
る間に男が階段の鍵で玄関から侵入し、留守番の妻を襲撃するのだ。妻を殺害したあとは鍵を階段に戻し、ガラス戸を内側から開
けてそこから脱出する手はずになっていた。こうすればガラス戸から賊が出入りしたように見える。因みに題名は、パーティ会場か
ら夫が自宅に無言電話をかけて妻が出たところを襲撃させるという段取りから来ている。
ところが、犯行当夜ハプニングが起きる。男にストッキングで首を絞められながらも、妻は必死で反撃し、身近にあったハサミを男
の背中に突き刺してしまう。完全犯罪に見せかけるつもりが思わぬ展開となって犯人が逆に殺されてしまう事態となり、夫は改めて
自宅に電話をかけ直し、事情を聞く。夫はパーティを中座して自宅に戻ると、妻を落ち着かせて寝室にやり、殺された男のポケット
から鍵を探し出して妻の財布に戻す。観客は何気なくこれを見ているのだが、実はここに落とし穴が仕掛けてあって、われわれ観
客はまんまと騙されてしまう。夫は妻を擁護するような素振りを見せながら、作家と妻の不倫を知った男から脅迫された妻が脅迫者
を殺したように仕組み直すのである。
翌朝、英国紳士の温厚で礼儀正しい初老の警部が現場検証にやって来る。飄々としているところがいかにもコロンボに似ている。
結局、妻は正当防衛ではなく、故意の殺人罪となり、死刑を言い渡されてしまう。彼女の潔白を信じる作家は何とか冤罪を晴らした
いと、夫に対して「君が彼女の殺害計画を男に依頼して反撃されたことにしてはどうか」と提案する。たしかに、そうすれば妻は正当
防衛が認めらて釈放されるだろうし、夫は殺人を依頼しただけで未遂に終わっているから重罪にはならない、というわけだろう。まさ
に、核心を突く提案に夫はドキリとするが、自分が妻を殺さなければならない動機を説明できない、と取り合わない。
そこへ、突然、例の警部が訪ねて来る。夫が外出するというので面談はすぐに終わるが、夫が席を外したすきにコートをすりかえ
る。警部は作家にとりあえず暇を告げ、夫が外出したことを見計らって警部は夫のコートから鍵を取り出して中へ入る。それをうか
がっていた作家も戻ってくる。しばらくして、警部の指示で釈放された妻が帰って来て財布から鍵を出し、玄関を開けようとするが開
かない。それで、警部に中へ入れてもらう。
ここからは、ネタを割るのでご注意いただきたい。警部はふたりに種明かしする。警部もまた、押収した妻の財布の中の鍵を使っ
て玄関を開けようとしたところ開かなかったというのだ。つまり、夫が妻の財布に戻したのは男の鍵であり、玄関の鍵ではなかった。
ということは、玄関の鍵はどこにあるのか。男は玄関を開けるとすぐに階段に鍵を戻していたのである。夫は、男が犯行半ばで失敗
したため、玄関の鍵をまだ持っていると早合点し、男のポケットにあった鍵を妻の財布に戻したというわけだ。警部は外で待機する
警官に妻の財布を渡し、署に届けるようにいい、夫が来たら渡すように指示する。玄関の鍵が文字どおりキー・ポイントとなるのだ。
警部とふたりが待ち伏せる中を、夫が戻って来てコートのポケットに入れたはずの鍵がないことに気づく。それでコートを取り違え
たとわかって警察署に向かう。打合せどおり警察署で妻の財布を渡された夫は、再び戻って来て玄関を開けようとするがやはり開
かない。怪訝な顔をしたあと、はっと気づいた夫は階段を探って鍵を見つけ、それで中に入るのだが、眼前に待ち構える3人に唖然
として観念してしまう。
改めて見直してみて、これはうまいと思った。ヒッチは小道具の使い方がうまいとい
われるが、その典型例かもしれない。この鍵のトリックは映像向きであり、口で説明す
るより目で見せたほうがわかりやすい。どちらかというとスリラーやサスペンスが得意
なヒッチとしては、こういう本格的な論理性のあるトリックと推理で構成されたドラマは
珍しい部類だろう。むかし見たときはそういう煩わしさが目について感心しなかったの
だが、いま見ると実に丁寧に作られていて、伏線の敷き方とか、俳優の挙動とか、あ
とで意味を持ってくるように演出しているところは「さすが」というべきか。
ところで、この映画の特質はほんの少しの例外を除いてアパートの一室からカメラ
がほとんど出ようとはしない点である。元が舞台劇なので、その雰囲気を損なわない
ように構成したのだろう。ほかにヒッチコック映画で思い当たるのは、秀才コンビが同
級生を殺害して遺体をキャビネットに隠し、そのキャビネットの置かれた部屋に恩師で
ある教授を招いて食事会を催すという猟奇事件を描いた「ロープ」(48年、写真下)や、足を骨折して療養している冒険写真家がア
パートの一室から退屈紛れに向かいのアパートを観察するうちに殺人事件に巻き込まれる「裏窓」(54年)がある。限定された空間
だけでドラマを成立させるのは舞台の領域であって、映画では下手をすると観客に退屈感を与えてしまう。それを飽きさせずに、む
しろ緊迫感を昂揚させる技法は並大抵ではない。ヒッチの真骨頂といわざるを得ない。 (2013年10月1日)