避難所にそっと置いた編み物キット 「編み物をはじめて眠れるようになった

ハートニットプロジェクト
代表 村上 祐子(むらかみ・ゆうこ)氏
松ノ木 和子(まつのき・かずこ)氏 星野 多美子(ほしの・たみこ)氏
岩手県盛岡市を拠点に、被災地の女性たちが編んだニット製品を
日本各地で販売している「ハートニットプロジェクト」。バザーの開催
数は270回を超える。復興商品の範疇に留まらない完成度の高さに
注目した企業とのコラボレーションもはじまった。女性ならではの柔
らかなつながりで、毛糸を編む女性「アミマーさん」が自立する日を
目指している。
「スポーツデスク」の事務所でハートニットプロジェクトについて話す皆さん。左から代表の
村上祐子さん、星野多美子さん、松ノ木和子さん。ここにはタグ付けや発送を手伝うボラ
ンティアさんが集う。こうした女性たちの善意が原動力となっている
避難所にそっと置いた編み物キット
盛岡市内でスキースクールの事務員をしている松ノ木和子さんは、震災直後から岩手県内陸部の
スキー仲間とともに支援に動いた。「陸前高田の人たちが濡れた服のまま裸足で避難してきている」と
聞き、居ても立ってもいられずメーリングリストやブログで呼びかけて物資を集め、沿岸部に運んだ。
混乱がやや収まると、次は被災された方々の「心」が心配になった。「日中、避難所を訪れると男性
はガレキの処理などで出かけているけれど、女性にはすることがないように見えたのです」と松ノ木さ
ん。あるとき、編み物が好きな人が「編んでいる最中はいろんなことを忘れて夢中になれる」と話して
いるのを聞き「編み物なら心が癒されるのではないか」と考えた。3月末にメーリングリストとブログで毛
糸と編み針の提供を呼びかけると、翌日から続々とダンボールが到着。毛糸とともに「被災された人た
ちの力になりたい」という心も一緒に届いたと感じた。
編み図(編み物の設計図)と毛糸、編み針のセットを数百用意し、4月半ばから車に積んで沿岸部に
運んだ。しかし、あまりの被害の大きさに「編み物をしてみませんか?」と呼びかけることすらためらわ
「毛糸はこの事務所がいっぱいになるくらい集まりました」
と発足当時を振り返る松ノ木さん
れた。全員に行き届く数がないと受け取れないと言われた避難所もあった。そこで最初はこっそり集会
所などにセットを置いてきて、女性たちに「毛糸を置いてきたので、もしよかったらどうぞ」と言い残して去ったこともある。
手ごたえを感じたのは1枚の写真。大船渡市の被災者が、キットを使って編んだ作品をずらりと並べてその前で本人が微笑んでいる写真を送ってくれ
た。「やはり編み物は心に届く」と考え、「もっと多くの人にお渡ししよう」と活動を本格化する。
ベストなど身につけるものに加えて、ペットボトルホルダーを提案。避難所では飲み物をペットボトルで支給されることが多く、一口飲んで置いておくと
すぐにどれが自分のものかわからなくなる。そんな声に応えた。5月を迎えるころには、女性たちの技術はぐんぐん上達。「じゃあ、編んだ作品を売って
みようか?」と提案する。実は、最初は自由に編んで楽しんでもらい、慣れてきたら作品を少し預かって販売できればと密かに考えていた。
「編み物をはじめて眠れるようになった」を心の支えに
ニット製品を最初に売り出したのは、2011年6月に開かれた「いわて銀河100kmチャレンジマラソン」だ。スタート地点の北上総合運動公園北上陸上競
技場とゴール地点の雫石総合運動公園の2カ所で販売。また、駅伝部門に出場する選手たちのタスキを100本以上編んで寄贈した。避難生活でストレ
スを感じる人も多かったが、「自分たちが編んだものがほかの人の役に立ち、感謝もされる」という経験が、ともすれば沈みがちな心を和らげた。
また、今の「ハートニットプロジェクト」の設立につながる出会いも生まれた。代表を務める村上祐子さんは自身で編み物教室を運営している。星野多
美子さんは30年前から編み物を教わる一番弟子。村上さんと星野さんは雫石町のホテル・旅館に避難していた被災者を支援する中、毛糸も持参し編
み物の手ほどきをしていた。共通の知人が村上さんと松ノ木さんを引き合わせ、ここから「ハートニットプロジェクト」がスタートする。
村上さんは「こんなに長く、そして深く関わることになるとは思っていませんでした」と笑う。仮設住宅の入居がはじまる2011年8月が1つの区切りにな
ると思っていたからだ。その予想に反して「沿岸部に戻っても編み物を続けたい」との声が多く寄せられた。
編み物教室を運営しつつ、沿岸部を訪れたり、新たな製品を考案する村上さんと星野さん。仕事の合間を縫って、バザーの準備や支援の呼びかけ
に奔走する松ノ木さん。目の回るような忙しさだが、「編み物をはじめてから、夜ぐっすり眠れるようになったのよ」という陸前高田市の女性の言葉が支
えになっている。
編み物は手仕事なので、製品を大量につくることが簡単にできるものではない。アミマーさんが得られる収入はお小遣い程度だ。それでも「編み物を
することで不安な気持ちが癒されるのならば支え続けよう」と村上さんたちは覚悟を決めた。今も月に1回、指導のため沿岸部を訪れている。
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「自立」目指すも初心忘れず
特筆すべきは、売れようが売れまいがアミマーさんが編んだ製品すべてにニットフィー(編み賃)を支
払っていること。しかも、ニットフィーは売値100%だ。ペットボトルホルダーは1個600円、3個つくっても
1800円。そこから運営費などを差し引いたらアミマーさんの手元にはいくらも残らない。だから、つくっ
た分すべてを支払う。被災地に行くための交通費やバザーなどのチラシ代、出来上がった製品の運賃
などはすべて事務局で工面しなければならない。
それを支えるのは、文字通り手弁当で参加するボランティア。定期的に自身の作品を無償提供する
人もおり、この売上げが運営費に充当される。盛岡駅近くの事務所には、次の電車までの時間に、「今
少し空き時間だから」と作品の袋詰めや値札付け、販売会への発送などを担うボランティアが訪れる。
また、全国各地で行うバザーを家族ぐるみでサポートする人もいる。ホームページを見た人、偶然販売
会に立ち寄った人が自ら次の販売会を開催する場合もある。支援で送られてくる毛糸は震災から3年
が過ぎた今もやむことはない。「少しでも役に立つなら、と進んでお手伝いしてくれる人がたくさんいる
んですよ」と松ノ木さん。これまでの総売上高はおよそ2,700万円。収益はすべてアミマーさんに渡され
ている。
もちろん、製品の出来栄えのチェックも欠かさない。ハートニット製品として販売できないものは編み
直ししてもらい、製品の質を維持している。その成果か、最近ではデザインと仕上がりに着目した企業
から声がかかるようになってきた。ゴルフ雑誌『Choice』は「ハートニットプロジェクト」の製品を毎号取り
上げてくれている。伝統ある信楽焼のギャラリーには信楽風のたぬき、地元の人気アイスクリーム店に
はアイスクリームのストラップを納めている。
なによりもうれしいのは、「ハートニットプロジェクト」から独り立ちしたアミマーさんが現れたこと。岩手
ではおなじみのわんこそばといわて漆器をかけ合わせたキャラクター「そばっち」を手がける大船渡市
「最初は数カ月のお手伝いと思っていたんですけど」と笑う
村上さん(上)。「私たち、素人の集まりなのによく続いてい
るね」と話す星野さん(下)
のあるアミマーさんは、販売に協力してくれている老舗のわんこそば屋さんと直接やりとりをし
ている。
「ハートニットプロジェクト」が目指すのは、アミマーさんが自ら商品を開発、販売して自立でき
るようにすること。そのために作品を常設販売してくれる場所をさがしている。
とはいえ闇雲に自立を促すわけではない。「事業化を目指してはいますけど、『笑顔が戻る
といいな』とはじめたことを忘れないようにしたいですね」と語る松ノ木さん。編み物を通じた善
意と思いやり、そして女性ならではのネットワークを原動力に突き進む「ハートニットプロジェク
ト」ならば、その初心を忘れることはなさそうだ。
ゴルフ雑誌『Choice』に取り上げられた「ハートニットプロジェクト」の
製品の数々(上)「いわて銀河100kmチャレンジマラソン」に寄贈した
手編みのタスキ(下)。タスキは2011年以降、毎年欠かさず提供して
いる
「ハートニットプロジェクト」から生み出された製品の一部。左からペットボトルホルダー、信楽バージョンの狸、アイスクリーム店のオリジナルストラップ、「そばっち」のハートニットストラップ
2014年5月取材
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