ニホンのクルマの本を書く

カーデザイナー中村史郎との出会い
史郎さんに初めて会ったのは一体いつ、どこだったのか、記憶を辿ってみた… カレノアールで働き始めた翌年91年、ジュネーブ・モーターショーのプレスデーに行き、最終日、レマン
湖の船上で催されたデザイナーズナイトに参加した。パーティ後、親しいデザイナー有志の集まるカフェ
ドパリに誘われ、そこで史郎さんにお会いしたように思う。史郎さんは当時いすゞ ヨーロッパのチーフデ
ザイナーとしてブラッセルに駐在されていて、私はカレノアールで2回、パリモーターショーのデザイナー
ズナイトを企画したこともあり、そんなことで何度か史郎さんとパリでお会いした。私がジェラール・キャロ
ン著書の日本語版を主婦の友社で出版することになった時、クルマも1台入れようと提案し、大好きだっ
たVehiCROSS(ビークロス)を紹介した。後日、それがチーフデザイナー中村史郎率いるデザインチーム
のコンセプトカーだと知って驚いたが、思えばこれが、史郎さんをカーデザイナーと認識した最初だった。 ニホンのクルマのカタチの話 中村史郎 著 お互い帰国し、史郎さんのジャズライブに誘われるようになった私は、そ
毎日新聞社 1600円
の常連の一人となった。あのお忙しさでいつ練習するのかと思っていたら
ベースは部屋に出しっ放し、必ず1日1回10分はベースに触れるそうだ。
「おしゃぶりと同じだよ」と真面目な顔で答える史郎さん、そんな史郎さん
はジャズライブが決まると必ず携帯にメールを下さる。4月3日メール着信。
久々にライブかと思いきや、なんと本を出したという。「ニホンのクルマのカ
タチの話」(毎日新聞社)という本だ。3月21日 4月10日パリにいた私
は帰国後すぐに購入。面白くて一気に読めた。デザインやクルマ業界の
人はもとより、デザインやクルマに無関係でも、マネージメントとはどういう
ことか、大所帯の組織をどのように統括していくのか、誰もが興味深く読め
る内容だ。音楽無しでは生きられないという史郎さんらしい、デザインの音
楽的考察も興味深い。身近な問題に忙殺されがちな私たち、ブランドアイ
デンティティとは? ブランドとして目指すべき方向とは? 日本人として、
もっと大きな視野で世界を、そしてブランドを見つめ直すべき時期なのかも
しれない… そんなことを思わされた一冊だった。 ジャズマン・史郎、ニホンのクルマの本を書く
「ニホンのクルマのカタチの話」を読んで思ったこと…
日本ブランドがヨーロッパに進出して久しいが、国際的ブランドとして認知されたものは未だ無いに等しい。 中国や韓国など、アジアの経済成長は目覚ましいが、パリにいると、アジアだけでなく、中東や南米での
プロジェクトも頻繁に話題に上る。世界中でグローバリゼーションがドンドン進んでいるのだ。今回の地震、
津波、原発事故により、日本はグローバリゼーションどころか益々内に籠ってしまったように感じるのは、
私だけだろうか? 私はクルマ好きではなく、モーター雑誌など買ったこと
もないクルマのド素人だ。でもマーチ、キューブ、ム
ラーノ、Z、GT-­‐R、ジュークと聞いただけで、そのフォル
ムや、初めて目にした時のシーンが思い出せる。そし
てこれらは全て日産なのだ。それぞれのクルマが全て
異なった個性のデザインでありながら、私のようなク
ルマ無知でも思い起こせるフォルムやイメージを持っ
ている日産… 「ニホンのクルマのカタチの話」の中で史
郎さんは「日産ブランドは動物園なのだ」と… 言い得
て妙だ。 そしてこれが「日産動物園」だと認知しても
らうために、クルマのデザインだけでなく、日産のメッ 写真:日産提供
セージを発信する全てをチェックしている史郎さんは、自分の役割をこう定義している。 『クリエイティブなモノ全てに責任を持ち、メッセージに一貫性を持たせること』(抜粋)だと。 ブランドが認知されるということは、記憶に残る商品やイメージが、いかに沢山あり、それがいかに多くの
人に共有されているかということだ。エルメスと聞けば、オレンジ、ボルデュックと呼ばれる茶色のリボン、
カレ、ケリーバッグ、バーキンを思い浮かべ、ルイヴィトンと聞けば、モノグラム、ダミエ、ヴェルニ、キーポ
ルなどを思い起こす。 「日産動物園」に行けば楽しい!私達にそう思わせてくれる世界を創造する史郎
さんが、日産として目指すもの… 「ニホンのクルマノカタチの話」には、国際的日本ブランドを確立するた
めの究極のメッセージで溢れている。