ピーター・パンがやってきた 人文学部 1 石堂 哲也 904年12月27日,ロンドンで『ピーター・パン』が初めて上演されてか ら100年あまり経ちました。この間,すべての子供たちと,子供のころに 忘 れ物をしてきた一部の大人たちに愛されてきたこの永遠に成長しない少年が,世界中を飛 び回った挙げ句に弘前大学附属図書館にやってきました。 生みの親である劇作家・小説家のバーリ(James Matthew Barrie: 1860~1937)の研 究者として名高い鈴木重敏氏が長年蒐集されてきた蔵書を寄贈してくださったのです。 どこの国にもその文化を代表する児童文学の名作がひとつやふたつはあります。デンマ ークのアンデルセンの童話,イタリアのピノキオ,フィンランドのムーミンなど。ところ が,イギリスとアメリカにはちょっと思い浮かべてみるだけでも嬉しくなるくらい傑作が めじろ押しです。オズの魔法使い,不思議の国の アリス,トールキンの指輪物語,熊の プーさん,そしてハリー・ポッター。海を渡ると,若草物語,ハックとトム・ソーヤー, 大草原のローラ,等々。フランスのババールなど本国でよりもむしろアメリカの子供たち に人気があるのではないでしょうか。 世界には,大人になりきらない人が多い文化と,少ない文化があるのかもしれません。 たとえば,いま手もとにある『ピーター・パン』 ( 小説版,Peter Pan, Puffin Books, 2002) を開いてみます。両親の留守中にダーリング家に紛れ込んだピーター・パンはこどもたち に空を飛ぶ方法を教えようとします。勿論,うまくいきません。やってみるたびに,ベッ ドから床におちてしまいます。どうすればうまくいくの,と聞かれたピーター・パンはこ う答えます。 「なにかちょっとすばらしいことをおもいうかべてみてごらん」・・・「そうするとうか びあがるよ。」 この一節を読むと,(いい年をして)しばらく本を閉じて「なにかちょっとすばらしい こと」を考えてみたくなるではありませんか。 作者バーリはスコットランドの生まれ。文人として名をなし爵位を授与され,エデイン バラ大学の学長も勤めました。周知のとおり,スコットランドはアイルランドとならんで -3- 先住民のケルトの文化が色濃く残っているところ。妖精や魔法使いの活躍する民話の宝庫 です。そこで生まれたピーター・パンはみちのくの美しい風土をきっと気に入ってくれる とおもいます。 PETER By AND WENDY J.M. BARRIE Illustrated by F.D.Bedford Made and Printed in Great Britain Hasell, Watson & Viney, Ltd., London and Aylesbury ピーター・パンには忘れられない後日談があるので,さきほどの Puffin Books 版の冒 頭にある記述を紹介しておきます。 1929年,バーリは『ピーター・パン』にかかわる全ての権利をある小児科病院に寄 贈しました。著者が亡くなってから50年経った1987年に,イギリスの法律によって 版権が期限切れとなり,この病院の権利は失効します。ところが,その翌年,イギリス議 会はすべてのピーター・パンにかかわる印税収入の権利を回復する特別措置をとりました。 これによって,この病院が存在する限り,この病院で病魔と闘っている子供たちはピータ ー・パンからの援助を受けることができるようになりました。 こういう粋なことをする人たちのことを英語では”the young at heart” と言うよう です。 (いしどう てつや) -4- Barrie Collection 寄贈とその経緯について 平 成 17 年 4 月,弘前大学附属図書館に『ピーターパン』の原作者で有名なジェーム ズ・M・バリー(1860-1937 年)の著書および関連資料 183 点が日本でのバリー作品 翻訳における第一人者 鈴木重敏氏 より寄贈されました。 長年,鈴木重敏氏のお手伝いをしておられる弘前大学文理学部卒の嘉瀬智子氏が,弘前 大学東京同窓会において遠藤正彦学長とのお話の中で,鈴木重敏氏が高齢になってきたの で,ジェームズ・M・バリーの蔵書をどこか一括所蔵し,活用して貰える ところに寄贈したいとの意向を伝えたのがきっかけで寄贈されることにな りました。 平成 17 年 4 月 8 日,雨森道紘附属図書館長,英米文学研究者石堂人文学 部教授,三上豊資料管理グループ係長の3人で鈴木重敏氏のご自宅に伺い, 寄贈して戴くジェームズ・M・バリー コレクション 183 点の現物確認を行 いました。一部修理が必要な書籍もありましたが,ほぼそのまま利用可能 な状態で所蔵されていました。 寄贈されたコレクションについては,一部修理製本を行い,整理作業中ですが,この号 が刊行される頃には,皆さんに公開できるものと思います。 (図書情報担当 三上豊) Barrie Collection 寄贈への感謝状贈呈と藤崎農場での一日 ジ ジェ ェー ーム ムス ス M M. .バ バリ リー ーの のコ コレ レク クシ ショ ョン ン1 18 83 3冊 冊の の寄 寄贈 贈者 者, ,鈴 鈴 木 木重 重敏 敏氏 氏と とそ その の仲 仲介 介を をさ され れた た嘉 嘉瀬 瀬智 智子 子氏 氏( (弘 弘前 前大 大学 学文 文理 理学 学部 部文 文 学 平成 成 1177 年 年5 5月 月1 16 6日 日弘 弘前 前大 大学 学長 長( (学 学 学科 科卒 卒) )両 両氏 氏の の功 功績 績に に対 対し し平 長 り感 感謝 謝状 状及 及び び記 記念 念品 品が が贈 贈呈 呈 長出 出張 張中 中の のた ため め中 中澤 澤副 副学 学長 長代 代行 行) )よ より さ され れま まし した た。 。 -5- そ 図 その の後 後, , 図書 書館 館に にお おい いて て弘 弘前 前大 大学 学の の英 英米 米文 文学 学関 関係 係者 者お およ よび び図 図書 書 館 館関 関係 係者 者を を対 対象 象に にジ ジェ ェー ーム ムス スM M.. バ バリ リー ーお およ よび びバ バリ リー ーコ コレ レク ク シ 敏氏 氏の の講 講演 演が が行 行わ われ れま まし した た。 。 ショ ョン ンに につ つい いて て, ,鈴 鈴木 木重 重敏 講 講演 全 演の の後 後に に, ,参 参加 加者 者と との の懇 懇談 談会 会が が終 終始 始和 和や やか かな な雰 雰囲 囲気 気の の中 中で で行 行わ われ れ, ,参 参加 加者 者全 員 て 員が がこ これ れか から ら弘 弘前 前大 大学 学で でバ バリ リー ーの のコ コレ レク クシ ショ ョン ンが が息 息づ づい いて てい いく くこ こと とを を願 願っ って 会 会を を閉 閉じ じま まし した た。 。 ま また た, ,前 前日 日の の 55 月 月 1144 日 日, ,1155 日 日に には は, ,弘 弘前 前大 大学 学農 農学 学生 生命 命科 科学 学 部 部藤 藤崎 崎農 農場 場で で開 開催 催の の「 「リ リン ンゴ ゴと とチ チュ ュー ーリ リッ ップ プの のフ フェ ェス ステ ティ ィバ バ ル ル」 」に にお おい いて て, ,ピ ピー ータ ター ー・ ・パ パン ン関 関連 連図 図書 書を を中 中心 心に にコ コレ レク クシ ショ ョ ン ンの の一 一部 部と と鈴 鈴木 木重 重敏 敏氏 氏か から らお お借 借り りし した た「 「バ バリ リー ー直 直筆 筆の の手 手紙 紙」 」 「 」 「ピ ピー ータ ター ー・ ・パ パン ンの のカ カラ ラー ー絵 絵本 本( (英 英文 文) ) 」な など どを を展 展示 示し し, ,一 一 般 般市 市民 民に に一 一足 足先 先に に公 公開 開さ され れま まし した た。 。 こ この の藤 藤崎 の度 度の の寄 寄贈 贈に にち ちな なん んで で 崎農 農場 場チ チュ ュー ーリ リッ ップ プ園 園は は, ,こ この 『 した た。 。 『ピ ピー ータ ター ーパ パン ン・ ・チ チュ ュー ーリ リッ ップ プ園 園』 』と と名 名付 付け けら られ れま まし 55 月 月 1155 日 日に には は, ,感 感謝 謝状 状授 授与 与式 式に に出 出席 席の のた ため め来 来弘 弘さ され れた た鈴 鈴木 木氏 氏ご ご 夫 夫妻 妻と と嘉 嘉瀬 瀬氏 氏が が, ,遠 遠藤 藤学 学長 長お およ よび び雨 雨森 森館 館長 長と と共 共に にコ コレ レク クシ ショ ョン ン 展 ピー ータ ター ーパ パン ン・ ・チ チュ ュー ーリ リッ ップ プ園 園の の散 散策 策を を楽 楽し しま ま 展示 示の の見 見学 学と と, ,ピ れ れま まし した た。 。 -6-
© Copyright 2024 Paperzz