人間は信念ひとつ

今日の助言「人間は信念ひとつ」
人間は、信念一つ、志一つで何でも出来る。
常に、志を漠然とさせず、揺るがせず、焦点を定めなさい。
根気よく、一歩前進しては、信念にもとづいて、心底からの生き様を、見せなさい。
そうすれば、気付けば周りはその人に従い、協力し、不可能を可能とする結集力と
なって、志す目的へと向かうだろう。
人の信念とはそれほど大事なものです。
人を信じたり自分を信じたりする「信」の徳。この「信」は、道徳の基礎となる五
常の「中心」にあるものです。
五つの常と書く五常とは、人が修めるべき仁義禮智信の5つの徳のこと。この五常
を完全に修めた徳高い人が古くから君子と呼ばれ尊ばれています。私たちはできる
限り君子に近づけるよう人生を通してこの五常を学び、実践して、身につけていく
ことが、人としての修行なのです。
さて、五常を一つひとつみてみましょう。
仁とは、慈悲や仁愛のことで、すべてに等しく注ぐ愛情であり、思いやりいたわり
です。それは宇宙の根底にあるもので、聖人たちの教えのこの慈悲が貫かれていま
す。天地が創造されたのも、天の道が降されたのも、親神さまの仁徳によるもので
す。生きとし生けるものはすべて、愛に始まり愛に終わります。孔子様は人間にと
ってこの仁徳が最も重要だとおっしゃいました。
義とは、利益や我にとらわれず、公の利や道理にかなう行いと心を貫くことです。
礼とは、感謝を表わすこと。心のこもった行動や言葉で相手を尊重すること。
智とは、知識や知恵を超えた本当の智 生きる本質を知ることです
同じ地球上に生きている動物たちも、私たちと同じように生まれ変わりをくりかえ
して修行する魂です。それぞれに、仁義礼智の四つの徳を修める修行をしています。
獣類は、仁の徳を学び、深い愛情で子を慈しんで、そして命がけで守ります。
鳥類は、礼の徳をまっとうするために順序を守り、魚類は智力をもって危機を察知
し、故郷の川を忘れず、虫類は義をもって働きます。そうして動物は四徳に別れて、
それぞれの魂の罪を解消しようとしています。
人はこれらの魂の中で最も徳がある転生の姿で、最終的に人として生まれて学ぶ
べき徳が、「信」です。
信とは分かりやすいところでは、その人が心に抱く信念、人から得る信頼、人へ寄
せる信愛、仕事や行動に対する信用などに通じます。人が修めるべき中心なのです。
また、意識していなくても、大地に立つ事、歩く事、自転車に乗ったり食べる事、
お金を使う事、そこには必ず「信」があります。なぜなら中心がなければ体を自由
に動かすこともできず、信がなければ私たちの生活は成り立たないことばかりなの
です。
信は人が生きる上で、全ての言動や行動の中心になってくるものです。信じるこ
とによって支えられ、信じることによってつながる、人。それゆえに私たちは様々
な場面で「信」を問われます。
やるのかやらないのか。自分の生きるべき正しい道だという信念を貫けるか。小さ
なことから大きなことまで、また微妙なやりとりに至るまで、生活の中でことある
ごとに、人はその「信」をはかられます。
私たちが正しい信をいかに強め、貫けるか。それが魂を磨くためのもっとも根本
的な課題であり、人としての修行なのです
人に何かを伝える時。営業でもプレゼンテーションでも、そして愛を告白する時
でも、それはつまり自分の信念を伝えることにほかありません。
信念が強ければ思いを伝える力も強く。その言葉に宿る霊力も高まります。その
力は人を動かし、その人と一緒にいるたくさんのご先祖さまや守護霊をも動かしま
す。もしこの信が弱ければ、その人の言動も行動も弱くなってしまいます。どんな
に言葉のうまい人でも、信念が低ければ、その内容の中核をちゃんと伝えきること
ができません。すると相手に「信」は生まれません。つまり信用されることはあり
ません。
相手の信頼・信用・信念を育てるのは、ほかでもない、それを伝える自分自身の
「信」なのです。信は信を伝え、信は信を動かします。これは、ほかの四徳にも言
えることで、愛情を得ようと思えば相手に仁愛を尽くし、相手の義の心を高めるた
めには自分が義を貫き、礼を尽くさせるためには礼を尽くし、智を育てるには本当
の智がなければなりません。
また組織も、中心への信なくして成り立ちません。信頼の大小が組織の強さを決
めます。そうして天は信の強いものから使います。人が信じつづけ、失敗しても一
から立ち上がろうとする信念をみるたびに、天はその心意気を持ち上げようとしま
す。
そして、利欲のない信が発する光は、悪いものを寄せ付けません。
信の徳は、あらゆる物事を明るく照らしだし、悟りをもたらす根本的な力なのです。
では、どうすればこの信を強めることができるのでしょうか。
それにはまず信じることです。そして強く信じましょう。何があっても揺るがない
不動の信、相手を動かすほどの信をもって伝え、自分を変え、人を変え、環境を変
えていきます。
信ずることは、人だけに与えられた修行です。信があるところに人は集まり、心が
集まり、力が集まるのです。信じることができれば、人の力は何倍にもなり、また、
信じる人が増えれば増えるほど、信の力は何十倍、何百倍にもなっていきます。信
はどんな難関も突破する力を得ることができます。
迷い悩む出来事もすべて、自分の中心がどこにあるかを知るための試練であり、信
の力を高め、確立させていくためのものです。迷わない人に悟りはなく、悩まない
人が照らし出されることはありません。
私たちにふりかかるさまざまな出来事は自分自身を磨く修行のためです。その修行
とは、信の力と共に人の道、そして天の道を完成させるためなのです。
天の道とは、信そのものです。自分の手で何かが変わることを信じられますか。心
の中に中心はあるでしょうか。道の力を信じることができるでしょうか。
信じることで、周りの人や御先祖さまとの結束をふかめ、本当に平等で平和な世の
中を築き、共存共栄していくこととなります。
そして信を強めるためには、ほかの徳を修めて人道を磨くことが近道でもあります。
信以外の徳をおさめ、人道をまっとうして自分自身を磨くことが信を強めます。仁
義礼智を人に尽くせば、信用が得られます。
また逆もまた真なりで、信あるところ、あらゆる徳もついてきます。私たちが日々
信念を強めていけば、ほかの徳も自然に修められていくとも言えます。
そしてこれは机の上で勉強して養えるものではありません。信を始めとする道徳は、
教えであって教えではなく、無形であって無形ではありません。実際に行いに反映
させて、一体にならなければ意味がありません。それをもってはじめて本当に形あ
る利益にもつながっていきます。
道徳とは、言葉で示さず、体で表わし、心で示すものです。
四徳の通り、愛を忘れず、欲にとらわれず、感謝に徹し、正義を示す。そうすれ
ば、魂の底から信の徳が溢れ、信を養います。
信念は人生を歩む力を強める前向きな力となり、あらゆる負の要素を払い、正しい
力を生み出すもととなっていきます。信は人が成長するための力となるのです。
そしてもっとも大切なのは、人が生きるためのこの世での目的です。
私たちの目的は、魂を磨き、もとの美しい姿となって、天へと帰ることです。
ご先祖さまは、信の徳を子孫に託し、代々つなげていきます。
「信を学びなさい、道
を信じて歩みなさい」と。「親神さまとした約束をおもいだすように」と。
人間は信念ひとつ。中心を定めることは、とても大切なのです。
人の徳に信があるように、太陽の周りを星々が巡るように、さまざまな魂が修行す
るこの世界には、その中心に天の道があります。強い信が私達の行く未来を照らし、
天の道によって、やがて本当の幸福へと到達していくのです。