『イルボネ チャンビョク―日本の壁』に

架
橋
1987
目
8
冬
次
○小
説
聖子の場合
………………………
紅いチマチョゴリ
………………
磯貝治良
劉
竜子
南京虫のうた
……………………
渡野玖美
雨森芳州の涙
……………………
賈島憲治
……………………
成
○ エッセイ
履歴書を書く
「読む会」に参加して
…………
咸
真澄
安姫
○あとがきに代えて
「読む会」10 年の覚書
○会
録
交流誌紹介
………
磯貝治良
聖子の場合
いそ
がい
じ
ろう
磯 貝 治 良
大人の背丈ほどもある葉蘭の植木は、二階から一階フロアに通じる階段を降りたところに
あった。花村は最下段を降りる瞬間、足を踏みはずしそうになって身をのけぞらせた。楕
円状の大きな葉蘭の蔭から、不意に女性があらわれたからだ。
「花村さんの話にあったひと、父のことではないかと思います」
花村が姿勢を整えるのを待って、質素な白っぽい服装の女性は落ち着いた口調で言った。
化粧気のない顔立ちには自然な清潔さが張りつめていて、二十代なかばの年齢にみえる。
「話のなかでは名前を言われなかったけれど、学生時代の友人の名はカン・スンウォンで
はないですか」
女性はなめらかな発音で姜承元の名前を朝鮮語読みした。
「あちらで話しましょう」
花村は胸に鼓動を覚え、とっさに言った。
二十分ほどまえに終えたばかりの集会で花村はパネラーの一人として発言したのだった。
集会は、日本に住む外国人の指紋採取制度に抗議する趣旨のもので、この半島のH市で指
紋押捺を拒否している二人の韓国籍の青年と一人のイタリア人宣教師の訴えが中心だった。
花村は、H市から電車で一時間ほどの名古屋でその問題にかかわっていることもあって、
日本人の立場からのパネラーとして呼ばれたのである。
発言のなかで花村は、一九五九年から六〇年にかけた青春のある時期、親密な時間を交
らせた友人の話をした。外国人登録法と、登録証明書という手帳のことを知らされたのは、
その友人からであり、彼は登録手帳のことをケーピョ(犬票)と呼んだ。犬の鑑札という
意味である。外登法のなかに指紋採取制度があることも教えられた。当時、友人は政治活
動と、日本人女性との恋愛に没頭していたが、大学を卒業した年、一九六〇年春に朝鮮民
主主義共和国へ帰った。あれから二十数年も経っていまようやく彼が置いていった問題と
向き合っている。花村はそのことを率直に語ろうとした。
その友人の名前はまぎれもなく姜承元だった。
花村は女生と向かい合ってロビーの椅子に掛けたとき、このひとはおれの短かい挿話か
ら父を直感したのか、と改めて思った。それでおれが二階の会場から降りてくるのを待っ
ていた。
「さきほどは話した友人は、たしかにカン・スンウォンと言いますが・・・・・・」花村はしば
らく、口ごもってから、不自然に感じていることを率直に言葉にした、「彼は六〇年の五
月にくにへ帰りました。安保闘争の昂揚しはじめた頃で、私は名古屋駅で見送りましたか
ら間違いありません。そのとき彼は独身でしたし、子どもがいるという話は全然ありませ
んでした」
女性は花村の眼を正面から見つめた。無駄のないつくりの、どこか男っぽい面立ちが、
若い頃の姜承元に似ているようにも思えた。彼女はしばらくして口を開いた。
「父が行ったとき、私は母のお腹(なか)にいました。その年の十月に私は生まれたのです」
お父さんはあなたのことを知っているのですか・・・・・・花村はそう訊ねようとして止(や)
めた。初対面の相手に立ち入った質問ははばかられた。姜承元は帰国するまぎわまで、日
本人の恋人と別れることに悩んでいた。しかし、その悩みのなかに恋人の妊娠問題がある
ふうには見えなかった。
花村は気にかかっていることとは別のことを訊ねた。
「あなたのお母さんは結核療養所で看護婦をしていた方ですね」
「ええ、日本人です。私は父のない日本人として育ちました」
女性の口吻に外連味はなかった。花村はいくらか緊張がほどけるのを覚えた。女性は彼
の心理を察してかどうか、口調を変えずに言った。
「でも、私の血の半分は父のものです。ダブルなのよね」
「ダブル?」
「ええ、朝鮮人の血と日本人の血を両方持ってるから、ハーフじゃなくて、ダブルなのね。
欲張りでしょ」
女性はそう言うと、表情を崩した。自然な笑いだった。
「なるほど、ダブルですか」
花村も吊られて微笑した。
「だから、私が母のものだけで生きるのは片手落ちなのです。父のものも大切にして生き
なくては・・・・・・」女性は呼吸を整える間を置いて、言葉をついだ、「そのことに気づいた
のはあるひとと出会ったのがきっかけで、つい数年まえのことなのです。でも、遅れて気
づいたのはかえって幸いだったと思います。もっと早くに、たとえば中学とか高校生の頃
に父の問題にぶつかっていたら、いまほど冷静に対処できなかった、混乱したと思います。
おかげで、遅れをとりもどすためにいま一所懸命なのです」
女性はまた間を置いて息をついた。素肌をかがやかせている容貌から、彼女が心臓に欠
陥をもっているとは想像できない。平静を装いながら、やはり父親のかつての友人との邂
逅に気持をたかぶらせているのだろう、と花村は思った。
「それで、私からお父さんのことを聞きたいのですね」
花村はくだけた口調で言った。
「花村さんが知っていることを全部、聞きたいのです。母は、父のことを私に話したがら
なくて、断片的に、しかも基本データしか伝えてくれないのです。だから、父の髭の濃さ
まで花村さんに教えてほしいの」
女性は、「基本データ」と言うとき、切れ長の眼にいたずらっぽい笑いを浮かべた。花
村は彼女の笑いに応えるふうに頷いた。
そのとき階段を降りてくる靴音と人声が喧しく聞えて、振り向いた女性が少女っぽい声
を上げた。
「来たわ」
二階の会場に残っていた、数人の若い男女だった。ロビーに降りた若者たちのなかから
一人の青年が、花村と向かい合った女性に声を掛けて近づいてきた。集会で指紋押捺拒否
者としてひときわ熱っぽく発言した、李基哲(イギチョル)という韓国青年である。
青年と女性が若い世代特有の開(あ)けっぴろげな言葉使いでやりとりするのを聞いて、
花村は直感した。女性が父のものを大切にして生きなくてはと気づく、そのきっかけとな
ったあるひととはこの青年にちがいない。
女性はあるひとたちのグループに合流して喫茶店だか居酒屋だかへ行くことになり、花
村も誘われたが、彼は名古屋へ帰る電車の時間を気にしてそれを辞した。別かれぎわに女
性は、彼女の名を神野聖子と告げ、来週の日曜日に二人は名古屋で会う約束をして場所と
時刻を決めた。
その日、花村が名古屋駅構内の約束の場所へ着くと、すでに神野聖子は来ていて、李基
哲もいっしょだった。「付録です」と、基哲が言うと、「私の、年下の保護者です」と、
聖子は応じて、二人はくすぐりあいっこをするような笑い方をした。
李基哲は、聖子とは一つだけ年下の二十六歳、と言った。
花村は二人の軽やかさをまぶしく感じながら、さっそく提案した。花村がかつて姜承元
と過ごしたT市の大学や街へ聖子を連れて行こうと思いついたのは、数日まえのことだっ
た。二人は花村の提案に喜こんだ。
T市は名古屋駅から東へ六十キロほどの地方都市で、果物の栽培で知られる温暖な半島
の付け根にある。その半島は聖子や基哲が住む半島とは、ちょうど開いた蟹のはさみのよ
うに広い湾をへだてて対面している。
T市まで一時間ほどかかる電車のなかで、聖子と基哲が肩を並べ、花村は向い合せの座
席に掛けた。聖子と基哲は交互によく喋り、花村は自然、聞き役に廻った。いずれ姜承元
について話さなくてはならない本番まえの、沈黙の時間のように。二人が語る話題の中心
は、数年まえの出会いにあった。
聖子は高校を卒業すると、母と同じ職業を選ぶために看護婦養成の短期大学にはいり、
資格を得て、H市の市立病院の外科に務めた。四年ほど経って看護婦としての才覚が身に
そなわりはじめたころ、軽トラックを運転していて交通事故に遭った一人の青年が救急車
で運ばれてきて、骨折した肋骨とむち打ち症の治療で入院した。その青年、李基哲の看護
を聖子は担当した。李基哲は本名を名乗っていたので、彼が在日朝鮮人であることを聖子
は容易に知ることができた。
聖子は育つ過程で、断片的にであれ母の口から父について知らされてはいたが、自分に
は生まれたときから父はないものと心に決め、朝鮮は無縁のものとして拒絶してきた。彼
女が李基哲と出会うまで身近かに朝鮮人の存在を知らずに過ごしてきた事実も、そんな彼
女のきわどい決意を可能にしてきた。
「私にはそれほど無理をせずに意地を張れる性格が、幼い頃からあったみたい」と、聖子
は言った。
ところが、李基哲が入院していた一か月余のあいだ、同世代の彼と接するうちに彼女の
なかで破れていくものがあった。それは、二十四年間、彼女のなかで頭を抬げようとして
しゃにむに抑えつけられていた激情が徐々に滲み出し、奔流してくるふうだった。
「すこし恐怖だったけど、不思議な解放感でした」と、聖子は言った。
「退院の日が近づいた、ある日、聖子がぼくを病院の屋上へ誘ったんです」基哲が彼女の
言葉をひきとった。
病院の早い夕食を終えたばかりの時だった。聖子は古参の看護婦みたいなきびしい口調
で基哲を呼び、病室から連れ出した。四階建ての病院の屋上からは、ヨットばかりが眼に
つく港と、夕焼けに染まりはじめて淡紅色の粒子を波立たせる海が見えた。海面と同じ光
の粒子が聖子の顔の右半分を輝やかせ、左半分を夕昏れに翳(かげ)らせていた。太陽が変
な角度に昇っている・・・・・・基哲がそう思った瞬間、聖子が彼を振り向いて、彼女の顔全体
がまばゆい光のなかにさらけだされた。
私の父は朝鮮人なの。
聖子がふいに言った。明澄な語調だった。基哲は驚いて、一瞬、返事に窮したが、彼女
の言葉を予感していたような、妙に淡白な気分でもあった。
聖子が彼女の出生や、父について知ったことを畳みかけるふうに喋っているとき、突然、
基哲が、しなわせた竹ではたき落とすように言った。
それで、あんたは、朝鮮人として生きる気か、それとも日本人で行くつもりか、どっち
なんだ。
基哲の詰問は聖子にとって思いもかけなかった。鋭い矢尻だった。反射的に、どっちも
よ、と言い返そうとして、聖子は息を呑んだ。その言葉の嘘に打ちのめされたからだ。彼
女は父のものを髪の毛一本ほども持っていなかった。
「あのときは」聖子は意外に真顔で言った、「決定的なショックでした」
基哲は口を噤んで、心なしか俯向いていた。
基哲が退院して間もなく、聖子は彼女のほうから決心して基哲たちが作っているグルー
プに参加した。そのグループは、二、三世世代の朝鮮人ばかりが、朝鮮籍、韓国籍の国籍
をとわず集まっている小さな会だったが、聖子はそこでハングルを習いはじめ、いまも続
けている。一年ほどまえからは伽耶琴や民族舞踊も習いはじめた。
「ぼくたちの会は、日本国籍に帰化した同胞も、聖子のようなダブリストも、いっしょに
やっていきたいと思っているんです」
基哲は、ダブリストという言葉を冗談めかして言ったが、真剣な口吻を消さなかった。
基哲が指紋押捺を拒否したのは、病院の屋上での出来事から一年ほどのちだった。
三人が、花村と姜承元が通った大学へ着いたのは正午に近い頃だった。日曜日のキャン
パスには学生の姿はほとんど見られず、閑散としたグラウンドの外れで馬術部の学生たち
が馬を乗り廻していた。蹄の音だけが乾いた響きを立てている。初夏には間のある季節な
のに、陽差しは汗ばむほど強く、風がきらめく光をはらんでキャンパスを吹きぬけている。
風には潮の香りがまぎれこんでいるように思えたが、それは花村の錯覚だった。花村た
ちがT駅で幹線電車を降りて乗り換えたローカル鉄道は、半島のなかほどまで達していて、
二十七年まえには半島の入口にある大学のあたりにまで強い風にのった潮の香りが運ばれ
てきた。しかし、いまは半島の付け根に近い湾は埋立てられ、臨海工業地帯に変容して、
海は遠去かっている。
「ここがソンヂャのアボジが勉強した大学ですか」
李基哲が、広いグラウンドと芝生をめぐって建っている校舎を望むようにして言った。
ソンヂャという呼び方に、花村は胸をつかれたが、違和感はなかった。基哲たちの仲間内
では聖子は朝鮮語で呼ばれているのだろう。いままで基哲が花村のまえでセイコと呼んで
いたのは一種の他人行儀だったのかもしれない。基哲は不意にそれを破ったのだ。
聖子の視線は基哲のそれを追いこして大学の全景を望んでいたが、沈黙したままだった。
花村も二十七年ぶりの情景を眺めた。講堂や全体講義室のあった本館が五階建ての洋風建
物に建て換えられているほかは、ほとんど歳月を感じさせないたたずまいだった。
「馬術部はまだ残っていたんだなぁ」
花村は、馬術の練習風景を眺めているうち、ある情景を思い出して聖子と基哲に話した。
六〇年安保反対闘争の前哨戦がはじまった、五九年の十二月のことだった。伊勢湾台風
被災地での救援活動に参加していた学生たちがキャンパスへもどってきた頃で、救援活動
の昂揚した気分をそのまま安保反対闘争の情勢づくりに持ち込んだという気運だった。学
部ごと拠点的に打たれていたストライキが、十二月の初め、全学ストにはいった。キャン
パスへの入口すべてに活動家学生がピケットを張った。
花村と姜承元は、馬術部の厩舎や学生寮に近い北門のピケについていた。ストに抗議し
たり、それを破ろうとする学生はほとんどいなくて、ピケを張る学生たちは牧歌的な雰囲
気を楽しんでいた。唯一、彼らののんびりとした気分を緊張させる瞬間があるとしたら、
警察の動向だった。数年まえ、学生に化けた警察官が学内で諜報活動していた事件が発覚
し、学生たちによって、ある教室に監禁された。伝統的に自由の気風を持つこの私立大学
には、朝鮮人学生が多かった。学生たちの追及によって、警察官は朝鮮人学生たちの学内
における民族運動を情報収集していた事実を白状した。そのとき、学生とともに教授会も
警察機関に抗議した。安保反対のストライキにも、教授たちの多くが暗黙の支持をあたえ
ていた。
ピケが張られて十時間ほど経た頃、四、五名の学生が北門に現われた。あたりには夕闇
が立ちこめ、吹きさらしの寒気をしのぐために、学生たちは焚火にあたっていた。訪ねて
きた学生たちの一人が遠慮がちに申し出た。
ぼくらは馬術部の者です。馬に飼葉を与えたいので入れてください。
北門ピケ班の責任者をしている中国文学科の学生が訊ねた、
警察のスパイじゃないだろうね。
ちがうよ、馬術部のキャプテンをしている青山です。
なにか証明するものがあるといいな。
ピケ班の責任者が言うと、青山と名乗る学生はオーバーの内ポケットから学生証を示し
た。責任者が思案していると、焚火にあたっていた学生の一人が言った。
おれたちは重大な闘争の最中なんだ。たかが馬のためにピケを解くなんてできないよ。
その学生と青山とのあいだに議論がはじまった。とは言っても、ピケ学生のほうが一方
的に日米安保条約の危険性を説得するという雰囲気だった。焚火の焰に照らし出された、
馬術部の学生たちの表情には、一様に不安の影が浮かんでいた。
そのとき、花村のとなりで双方のやりとりを聞いていた姜承元が、突然、沈黙を破った。
アメリカと日本がどういう軍事結託をしようと、馬には責任ないよ。馬には馬の生存権
がある。
静まりかえった夜気のなかに、焚木のはじける音がひびいた。
結局、ピケ学生数名が厩舎まで馬術部の学生に同行することになり、彼らは馬に飼葉を
与えるため門を通された。姜承元のまえを通るとき、馬術部の学生たちが仕種を揃えて会
釈していった様子が、花村の眼に妙にくっきりと焼きついている。
「あの一件からしばらくのあいだ、私たち学生活動家のあいだで、あるジョークが流行っ
たんです」と、花村は聖子と基哲に言った、「日米安保条約の本質論とか反対闘争の進め
方をめぐって議論が紛糾すると、誰からともなく、馬には責任はない、と茶々がはいって、
どッと笑いがはじけたものです。姜承元氏の名言はあッという間に広まりましたからね」
花村の言葉に、聖子と基哲は屈託なく笑った。
花村は二人を案内して学内をひと廻りするつもりで、陽に背をむけて歩いた。彼が学ん
だ頃、どういう事情があったのか、構内の一角に印刷工場があって、それは大学とは無関
係な建物だった。昼休みには印刷工場の従業員がキャッチボールなどしていて、逸(そ)れ
たボールを芝生で円座をつくっていた学生が拾って投げ返したりしたが、学生と従業員た
ちとは親密な雰囲気ではなかった。その印刷工場は取り払われて、跡地にプレハブ造りの
体育部や同好会のクラブ室が並んでいる。
プレハブ建てが跡切れると、そこから直角に南向きに面して二階建ての暗鬱なコンクリ
ートの建物が横たわっている。戦争中、陸軍砲兵工廠の建物であったそれは、教室として
は使用されなかったが、学生自治会やサークル、研究会の部屋にあてられていた。花村は
建物にはいって、眼を瞠った。弱い蛍光灯の明かりに照らされて薄暗い廊下を挟み、両側
に古びた扉が並んでいる。扉には、部落解放研究会、日韓連帯自主研、アジア映画研究会、
AALA民衆文化研究会といった、板切れに手書きの表札がかかっていて、壁といい、窓
といい、ポスター、ビラ、檄文の類がべたべたと貼りめぐらされている。二十七年まえと
ほとんど変らない光景だった。
ひび割れたコンクリートの階段を上がると、二階も同じような情景だった。扉を二つほ
ど通りすぎたとき、花村が立ち止って言った。
「あぁ、ここです」
経済学研究会の表札がかかっている。研究会の内容はともかく、名称も部屋の位置も同
じだった。当時、マルクス経済学を専攻する学生でつくっていた「経研」は、『資本論』
の読書会が主な活動だったが、警職法反対闘争から安保闘争にかけた時期には、経済学部
における実践行動の拠点になり、研究活動は無視された。そのことでマル経学者の道へ進
もうとしていた一部のメンバーが離脱する事件も起きたが、花村と姜承元が出会ったのは、
この研究室だった。
基哲が、ドアにかけられた錠を乱暴に揺さぶったが、施錠は解けなかった。
聖子は、彼女が生まれるまえの遠い時の闇をうかがうような視線で、廊下を見まわして
いた。
三人は部屋へはいるのをあきらめて、暗鬱な建物から外へ出た。
「私が姜さんと初めて会ったのが、いまの部屋です」
花村は、ふいに視覚を刺す陽光を眩しそうに避けながら言った。姜承元を無意識に姜さ
んと呼んだことで、気持が二十七年まえにさかのぼっているのに気づいた。
花村が経済学研究会にはいったのは、教養部から学部へ進級した年の春で、姜承元はす
でに研究会のメンバーだった。姜を初めて見たとき、花村はその風貌、落ち着いた物腰か
ら、彼が大学院生か助手ではないかと思った。事実、姜承元は二十五歳だった。教養部の
頃から研究会に加わっていて学年は花村と同じ三年生だったのだが、学生たちは年上の彼
をキョーさん、と呼びならわしていた。姜承元の姓を日本読みにして・・・・・・。
「私が、名前のことで姜さんから指摘されて、二人の交友がいっきょに吹っ飛んでしまう
ほど恥かしい経験をするのは、ずっとのち、彼が帰国するため新潟へ向かうのを名古屋駅
で見送ったときなのですが、それまで私たち日本人はまことにのんきに、キョーさん、キ
ョーさんと親しげに呼んでいたのですよ。いま思い返してみると、そのたびに姜さんの表
情に影がよぎったようにも思えるのですが。気のせいだろうか」
「聖子のアボジは、たぶん不愉快な気分を抑えていたと思います」基哲が断定的に言った、
「でも、日本読みで呼ばれたら訂正して、ほんとうの呼び方を日本人に教えるべきだった
のです」
聖子は基哲の顔を見つめて、興味深げに耳を傾けている。基哲の態度は、あれから二十
年余を経た今日の、若い世代の率直さなのか、と花村は思う。
「ここが姜さんの伝説的な言葉の生まれた場所です」
北門のまえを通りかかったとき、花村は二人に目線で示した。焚火を囲む若い顔のいく
つかが彼の脳裏に浮かんだが、名前も思い出せないままに消えた。姜承元の骨格のふとい
面長な顔の残像だけが、残った。
聖子と基哲は、何の変哲もない古びた門柱をとまどったふうに眺めていた。聖子が父親
について性急な質問を浴びせてこないのが、花村の気持を軽くした。
廃屋のような外観を示している旧学生寮を過ぎると、厩舎から特有の臭いが鼻をついて
くる。山を下りて麓の村に着いたときなどに懐かしく漂ってくる、あのあったかい臭いだ
った。
さきほどまで馬を乗り廻していた学生たちは、いつのまにか厩舎の脇のベンチに腰を下
ろしてサンドイッチを食べている。厩舎では馬たちが首をうなだれる恰好で飼葉を食(は)
んでいた。
「当時の校舎とはすっかり変っているけど、なかへはいってみますか」
五階建ての本館のまえに来たとき、花村は二人に訊ねた。内部を案内しても意味はない
だろうという気持を、暗に含めたつもりだった。
「父はどこに住んでいたのですか」
聖子は少し苛立った表情で言った。唐突な言い方だったが、彼女は姜承元が残していっ
た生活の臭いを求めているのだろう、と花村は思った。
「下宿していました。たしか、白井さんという農家でした。記憶があやしくなっています
が、大学から遠くはありませんから見つけられると思いますよ。行ってみましょう」
花村がそう言ったときには、聖子と基哲は先に歩き出していた。三人は“自由の鐘”の
脇を通って校門を出た。
姜承元が下宿していた農家は、意外に苦労したすえに見つかった。花村が二人を案内し
て、線路伝いに行った道順に誤りはなかったが、目的の家の周辺は二十七年まえと様相を
一変していたからだ。当時、半島を走る鉄道から西へ外れた一帯には農家の点在する畑地
が広がっていた。姜承元はそのうちの一軒の離れに下宿していたのだが、いまは農家らし
い家は見られず、住宅が立込んでいる。その住宅地を何度も堂々めぐりして「白井」の表
札を見つけたのだが、その家もかつての面影はなく、母屋とアパートがコの字型に数珠つ
なぎになった、妙なたたずまいの建物になっていた。
「昭和三十三年頃、お宅にA大の学生が下宿していませんでしたか」
花村は、何度も呼鈴を鳴らしてから出てきた家人に訊ねた。
老婦人は遠い記憶をたぐりよせるふうにしばらく首を傾げていたが、パッと表情を輝か
せて言った。
「それはキョーさんのことでしょうね」
老婦人の表情に誘われるように、花村も、当時五十歳くらいだったおばさんの顔を思い
出した。
花村が初めて姜承元の下宿を訪ねた日、おばさんはお茶と茶菓子を離れまで運んで来て、
農婦らしい、よく日焼けした手で彼のまえにそれを置いた。花村が部屋にいた四、五時間
のあいだに、彼女は何度もお茶を取替えたり、ふかし芋を差し入れたりするためにやって
きて、そのたびに朴訥な言葉使いで日和(ひより)の挨拶を残していった。
農家の庭先には初夏の花が咲き乱れているというのに、姜承元の部屋には大きな陶土の
火鉢があった。その火鉢を挟んで二人は話に夢中になったのだが、最初、火鉢の存在を怪
訝に思った花村に、姜は苦笑しながら言った。
結核の後遺症なのか、夏でもときどき火の欲しい日があるんだよ。それに、ひとと話す
とき、こいつが前にあると、なんとなく安心できるんでね。
二人が出会って間もない頃で、経済学研究会の活動以外に共通の話題はほとんど見出せ
ない間柄だったが、姜承元は「経研」の活動には触れず、しきりに個人的な話をしようと
した。彼が下宿に誘ったのは、それが目的だったことを、花村は容易に理解した。
花村さんは、恋人、いますか。
姜承元が、火のはいっていない火鉢の灰を火箸でなぞりながら訊ねた。下宿先の家族の
話をしていたときなので、唐突な感じだった。花村が意表をつかれて言葉を濁していると、
姜は心なしか声をひそめるふうに言った。
ぼくはいま、日本の女性と恋愛をしているのですよ。
姜がわざわざ「日本の女性」と断わった意味を、当時の花村は理解できなかった。
その女性は、花村たちの大学が付け根に位置する半島とは広い湾をへだてて対面する半
島のH市で、結核療養所の看護婦をしているという。六年ほどまえ、姜は肺結核の療養の
ため入院中に彼女と知り合った。病気は軽症なものだったので、二年に満たない入院生活
で治癒し、退院後は月に一、二度、ふたつの半島を結ぶ連絡船を使って通院をかさねた。
入院中、女性はときに患者と看護婦の関係をこえる親切な態度を示すことはあったが、
それは姜が入院患者のなかでも若く、孤独な境遇にあったからだろう、と彼は思っていた。
姜にとって、三歳年上の、やさしい看護婦のおねえさんだったのである。
姜が彼女に女性を意識し、特別な感情をいだくようになったのは、彼が定期検診のため
療養所を訪ねた、ある日、彼女と交した短かい会話によってであった。その日、検診を終
えた姜を、患者たちの散歩道である療養所裏の池のほとりへ誘ったのは、彼女のほうだっ
た。池の水面には、きちょうめんに泳ぐ水鳥たちが静かな小波を立てていた。
福山さんの家族は日本にいらっしゃらないの。
肩を並べて並木の小道を歩きながら、彼女が訊ねた。姜は驚いて彼女の顔を見返した。
彼は療養所では、福山という日本式の姓を使っていたので、彼女が彼を朝鮮人と知ってい
るとは想像もしていなかった。
彼女は、姜の表情の変化に弁解するように、療養所の医師や看護婦だけでなく、患者の
あいだにも噂がながれて、彼が朝鮮人であることは知られている、と言った。
姜は気持の昂りを抑えて、彼女の問いに答えた。
伯父が一人、います。戦前から日本に来ていて、土木工事の飯場で働いたりしてずいぶ
ん苦労したそうですが、解放後は鉄屑の仕事を事業にして、自分の息子たちだけではなく、
ぼくを学校に通わせるくらいの暮しはしています。
福山さんはいつ日本に来たの?
五年ほどまえ、十七歳のときです。
それにしては日本語がすごく上手ね。
ぼくたちが学校へはいったときから、朝鮮語はうばわれていて、日本語ばかり教え込ま
れましたから。ウリマルより日本語のほうがたくさん体のなかに詰まってしまってるんで
す。
姜は、彼女の率直さに気押されるように答えた。彼がそれまでに出会った日本人で、彼
の身の上についてそのように率直に訊ねてきた者はいなかった。
お父さんとお母さんはいまどうしていらっしゃるの?
母はくににいます。
姜はそう答えて、自分の言葉に胸をつかれた。オモニはくににいる? たしかに彼女は
くににいる! だけど、生きてくににいるのだろうか。
姜の不安には気づかぬふうに、彼女は明るい声で言った。
福山さんさえよければ、私がお母さんの代役になってあげてもいいわよ。お母さんでは
年が吊り合わないから、お姉さんの代役でもいいわね。
彼女の声は、高い並木の梢に響いて、木洩れ陽に溶け込んだ。姜はそう思った。
姜は、三年まえのある日に交された、彼女との会話の様子を話し終えると、花村に言っ
た。
あのとき、ぼくはふいに彼女を女と感じたんですよ。彼女は年下のぼくを慰めるように
お姉さんの代役、と言ったのに、なぜか恋人にたいするような感情を覚えたんだ。でも、
彼女と別かれたくないと感じた気持の奥には、朝鮮のことをもっと彼女に教えたい、朝鮮
人のこころをもっと伝えたい、そんな切実な思いもあった。もしかしたら、ああいう素直
な日本人の胸に、おれたちの怨念をぶちこんでやりたい、そんな目論見もはたらいていた
かもしれない。
姜の療養所通いは八か月ほどで終わった。彼のなかで彼女にたいする恋愛感情が抑えよ
うもなく燃えあがったのは、定期的に彼女と会える機会をうばわれてからである。姜承元
は三日とあけずに彼女に手紙を書き、それでも気持を抑えることができなくて、しばしば
H市の療養所まで会いに行った。彼の激情にたいして、彼女のほうは距離を保つことに腐
心していたようだったが、ある手紙をきっかけに急変した。姜は一年ほどまえの手紙に、
あなたがぼくとのあいだで女性としての関係を結ぶことを恐れているのは、ぼくが朝鮮人
だからではないか、と問いただしたのだ。その手紙によって彼女が彼との交際を絶縁して
くるか、あるいは心を開いて挑戦してくるか、姜にとっては一つの賭けであった。
手紙を受け取った彼女の回答は、姜の激情をまるごと受け容れるほどに激しい、女の表
現であった。
ぼくと彼女はいま、最高にうまく行っている。花村さん、幸福という陳腐な言葉にも、
じつは中身があるんだってこと、感じたことがありますか。
姜承元はそう言って、声を立てて笑った。
姜承元が日本人看護婦との恋愛を悩みはじめたのは、朝鮮民主主義人民共和国と日本の
赤十字社とのあいだで祖国帰還問題が煮詰ってきた頃からだった。二人の情熱に隙間風が
吹きはじめたということではなく、いや、二人の関係はますます緊密で離れがたいものに
なっているように見えた。原因は、彼女の側にも、彼自身の心情にもなくて、在日朝鮮人
と祖国をむすぶ、ふとい絆にあった。
花村が姜の悩みをはっきりと知ったのは、祖国帰還船が新潟港から出港しはじめて間も
ない日だった。ピケ学生と馬術部の学生とのあいだで小さな悶着があったあと、冬休みに
はいってストライキが解かれ、そのまま年が暮れて、明くる年の正月半ばの頃である。
その日、花村は初めて酒を持参して姜の下宿を訪ねた。下宿のおばさんが差し入れてく
れた正月料理を肴に一升瓶を傾け合ううちに、姜は昂揚した口吻で言った。
彼女の正月休暇を利用して、二人で旅に行って来たよ。
火鉢には火がはいっていた。姜はそれが癖で火箸のさきで灰をなぞった。彼の紅潮した
顔は、よく興った炭火と、酒のせいだけではないらしかった。
そこでキョーさんと彼女は完全な結合をはたした。いよいよゴールですね。
花村は体内にまわりはじめた酒に刺激されて、遠慮のない口調になった。ところが、姜
の視線が花村から逸れた。その瞬間の翳りの意味を、花村は理解できなかった。
花村さん、ぼくがどうして日本へ来たか、わかりますか。
姜は、花村が入れた茶々を無視して訊ねた。
伯父さんをたよって来たんではなかったのですか。
それは結果にすぎない――姜の落ち着いた口調に棘が感じられた。ぼくは密航してきた
のですよ。
花村は摑みかけていた湯呑み茶碗を離した。姜は、火鉢の灰を地図でも描くように火箸
でなぞりながら話した。
姜承元の家は、全羅南道の光州で小さな雑貨店を開いていた。六・二五(ユギオ)(朝鮮
戦争)が勃発した年の冬、彼の父は突然、アメリカ軍政庁の将校と韓国軍の兵士に連行さ
れた。嫌疑は人民軍のスパイということだった。そのとき十七歳だった承元は、家業を母
にまかせて外出することの多い父に不思議な印象をいだいていたが、人民軍のために諜報
活動をしていたかどうかの確証はなく、いまも謎のままである。父が死体となって帰宅し
たのは、連行されてから一週間ほどのちの昼下がり、凍りつくような風が冬の陽光をはら
んで町を吹き抜ける日だった。
父の死後、母はともかく、すでに成人した息子である承元の身辺には、不穏な気配が迫
っていた。「北」から追われて越南した極右青年たちの結社・西北青年会の襲撃が噂され
た頃、彼は母を残して光州の家を逃れ、忠武に近い海岸から密航船で脱出した。一九五一
年をむかえて間もない日の深夜だった。
あれからぼくのタヒャンサリ(他郷暮し)も十年になる。そのあいだ、ぼくの体はいつ
日本の警察に捕えられても不思議ではない、不法滞在者ですよ。花村さん、ぼくを警察に
売ってみませんか。
姜は磊落に笑いながら言ったが、花村は彼の冗談に虚を突かれて言葉をのんだ。
姜はゆっくりと笑い声を納めると、立ち上がって、壁際に置かれた本棚から薄手の手帳
を取ってきて、花村に示した。
ぼくが日本で暮すようになると、伯父がある同胞の外登証を工面してくれましてね。こ
んなもので身の証を立てているんですよ。犬の鑑札です。
花村はそのとき初めて、外国人登録証明書と、そこに捺されている黒々とした指紋のこ
とを知った。体の内側にひろがる陰湿な感覚を振り払うように、花村は話題を外した。
キョーさんのお母さんは、いまもくにで雑貨店をつづけているんですか。
店が残っているかどうか、それはわかりません。正直なところ、オモニが健在でいらっ
しゃるかどうかもはっきりしないのです。音信不通ですから。でも、亡くなられていれば、
同胞の噂が海を渡って伝わりますから、無事を信じるしかありません。花村さん、ぼくは
くにへ帰りたいですよ。北も南も、同じ祖国の地ですからね。オモニと会える日も、それ
だけ近くなるわけです。もちろん、そのためだけにくにへ帰りたいのではありませんよ。
姜は次の言葉を飲み込むようにしばらく口を噤み、急に語調を暗くした。
しかし、彼女のことが・・・・・・日本人の彼女を連れていくことは許されないでしょう。た
とえ許されたとしても、彼女が日本を離れる決心をしてくれるかどうか・・・・・・
血が引くように姜の表情をおおった影を、花村は正視できなかった。姜がふいに、暗い
感情の底からしぼりだすような低い声で歌い出した。
満州荒野の吹雪よ、語り給え
密林の長き夜よ、語り給え
万古のパルチザンが、誰であるかを
「それでは失礼します」
花村は老婦人に丁重に頭を下げて、玄関を出た。老婦人は、姜承元の友人であった花村
のことを思い出すと、その来訪がよほど嬉しかったのか、三人を玄関の中へ招じ入れて姜
の思い出ばなしを語った。遠い昔を懐かしむふうに、彼女はよく喋ったが、時計を見ると
二十分ほどしか経っていなかった。
来るときはローカル鉄道に乗って来た幹線の駅まで今度はバスでもどることにして、大
学前の停留所まで歩くあいだ、花村は、聖子が姜の娘であることを老婦人に打明けなかっ
たのは、それはそれでよかったのだろう、と思った。
「すごくいいおばあさんね。父のことをずいぶん気に入っていたみたい」
聖子は、降り注ぐ陽差しをはねかえすような明るい顔で言った。自分が姜の娘であるこ
とを名乗らなかったことを意にも介していない様子である。
一九六〇年の正月、姜と日本人看護婦が短かい旅をしたとき、聖子を身ごもったのだろ
う。花村は聖子の笑顔を眩しい気分で眺めながら思った。姜は恋人のお腹(なか)に自分の
子どもがいることを知らなかったのだろうか。彼女は、姜がくにへ帰るとき、そのことを
伝えなかったのだろうか。
幹線駅のロータリーでバスを降りたとき、聖子と李基哲が口を揃えて言った。
「お腹(なか)、ペコペコ」
「あー、腹へった。ペガコパー」
駅舎の正面に掲げられた電光時計が二時十分まえを示している。三人はビルの三階にあ
る大きな食堂にはいった。駅前の通りが広々と見渡せる窓際の席に着くと、基哲が「激辛
の大盛りカレーライス」と叫んだ。聖子が「大盛りはパスして、同じく激辛カレーライス」
と和した。花村はビール二本と焼肉ライスを注文した。
花村は二人のコップにビールを注ぎながら言った。
「姜さんといっしょに参加した最後のデモが、この駅前の通りだった」
聖子が窓から外を眺めた拍子にコップがずれて、花村の注ぐビールが少しこぼれた。
姜承元が二か月後には帰国することになる六〇年の春、新学期が始まると同時に学生た
ちの行動も活発になり、連日のように学内集会が開かれ、街頭デモも繰り返された。東京
の集会に参加する一部の学生が抜けても、デモの参加者は増えつづけた。
姜承元はデモの隊列のなかで、つねに日本人学生以上に真剣だった。行進中にともすれ
ば無駄話をしたり、だらけたりする学生たちを敵視するように、温健な性格の彼が豹変す
る。前方だけを見つめる彼の視線は、怖いほどに鋭利だった。
「姜さんがデモ行進まえの集会で初めて演説をしたのも、同じ日でした。食事がすんだら、
その公園へ行ってみましょう」
その日、公園を埋めた学生たちのまえに姜はみずから立ち、日米安保条約と朝鮮半島の
危機、そして民族の分断について訴えた。いつも通りの沈着な語り口を崩さなかったが、
表情はとどめようもなく激しく張り詰めていた。顔が輝いていたのではない。抑えようも
なく湧き出てくる激情を、浅黒い皮膚の内側に奔流させている顔だった。あと一瞬で爆発
しそうな緊張をためていた。その瞬間を避けるためのように、彼は言葉を閉じた。
日本人のみなさんと共にたたかったこの日を、ぼくはけっして忘れませんよ。時には苦
い思いを噛みしめて思い出すこともあるでしょう。絶望的な気分で思い出すこともあるで
しょう。しかしみなさん、必ず晴れやかな気持で思い出す時は来るのです。わが民族の統
一する日は必ず来るのです。ぼくのこの言葉を忘れないでいてください。
それが姜承元の演説の最後の言葉だった。
「あのとき姜さんは、すでにくにへ帰る決心をしていたのだと思います。聖子さんのお母
さんと別かれる気持を固めていたのでしょう」
花村はそう言って、コップのビールをいっきに飲み干した。
「聖子のアボジは、ぼくたち在日二世にも宿題を置いて行ったのですね」
基哲が俯向きかげんに、窓際とは反対側の顔半分を翳らせて言った。
あれから二十七年、日本の社会は基哲たちにとって変ったのだろうか。花村は李基哲の
言葉とは少しずれたところで、そう思った。
三人が名古屋に帰ったとき、陽はまだ傾いていなかったが、聖子と李基哲は、グループ
の集まりがあるというので、あわただしくH市行きの電車に乗り換えた。
別かれぎわに聖子が言った。
「きょう一日、なんだか時の流れを感じました。遠い歴史の一齣を経験したような。でも、
父のものに近づくにはたいへん参考になりました」
参考という言い方を場違いに感じたのか、基哲が聖子の顔を眺めて笑いを堪えた。花村
もつい誘われて笑顔になった。
名古屋駅のホームで一人になったとき、花村は大事な忘れ物を思い出した。姜承元が新
潟へ向かうため名古屋駅で別かれたときのことを、聖子に話し忘れていた。機会はいつで
もあるだろうと思い直した瞬間、花村の脳裏に二十七年まえの情景が甦ってきた。
その日、朝の名古屋駅ホームは、帰国する同胞を見送る人びとでごった返していた。単
身帰国する姜を見送りに来ていたのは、伯父の家族を除くと花村一人だった。
花村がホームに駆けつけ、人混みのなかで苦労して姜の姿を探し当てたときには、列車
の発車時刻が十分ほどのちに迫っていた。そのせいもあって、ホームで高校生たちが歌う
歌声と長鼓の響きは耳を突ん裂くほどに高鳴っていた。
姜は花村の顔を認めると、歌声と長鼓の響きをかいくぐるように大声で言った。
花村さん、南の学生たちは凄いよ。
姜の顔に、つい一か月ほどまえに起きた四・一九学生革命が輝いていた。
いまくにでは、学生たちの呼びかわす声が鳴り響いてるんだよ。来たれ、南へ、行こう、
北へ。板門店で会おう。
姜は顔を紅潮させていた。
発車を予告するベルが、歌声と人びとの呼びかわす声に掻き消されそうにホームに響い
た。
花村さん、ありがとう。ぼくは行くよ。
姜はそう言って握った花村の手を離しざま言ったのだ。
ぼくの名前はキョー・ショーゲンではない。カンだよ、カン・スンウォン。
言い終えないうちに姜は乗車するために列車のタラップのほうを向いたので、花村は彼
の顔を見ることができなかった。
花村の全身を赤く逆流する羞恥が襲い、両足をすくませた。
ようやくの思いで彼は人混みを掻き分けてホームの前方に廻り、窓から顔を出している
姜のところへ辿り着いた。姜の表情は平静だった。
列車が発車する直前、花村は恋人のことを訊ねようとして止(や)めた。訊ねようとした
とたん、姜の表情に苦渋の影が掠めたように感じたからだ。
花村はいま、ホームから改札口へ向かう階段を降りながら、二十七年まえに彼の全身を
捉えた恥の感覚をなまなましく思い出していた。
数日を経て、神野聖子から花村のもとへ手紙が届いた。
父が学んでいた大学を訪ねた翌日、聖子はそのことを母に話した。母は如実に不愉快そ
うな態度を示した。母にとって父との過去はすでに消滅した日々であり、いや、彼女は父
との過去を消滅させようと努めて生きてきたのであり、聖子がどんな形であれ父と繋がろ
うとするのを嫌っている。そんな母を説得するのは容易ではなかったが、やっとの思いで
花村と会うことに同意させたので、一度、母に会ってほしい。
概略、そんな内容の文面だった。
花村は早速、聖子の勤め先の市民病院へ電話を入れ、彼女と初めて出会った指紋問題の
集まりの会場ロビーで落ち合う日時を決めた。そこから聖子の家へ行くことにしたのだ。
H市を東へ外れて海辺に近い集落に、聖子の家はあった。広い自動車道路を挟んで湾岸
寄りには、自動車部品や家具の工場が立ち並んでいるのに、集落の側にはまだ野良がかな
り広がっていて、農家のたたずまいを残していた。植垣に囲まれた聖子の家には、遠くか
らでもよく目立つ一本の楡の木があった。
海岸端をバスでその家まで来るあいだ、聖子は、母と二人暮しであること、いま住んで
いる家は母の実家で、母は一人娘だったのでそこで聖子を育ててきたが、祖父母は数年ま
えに亡くなったことなどを話した。肝心の母を花村に会わせる目的については、なぜか黙
っていた。父の友人に会わせることで母の心を開かせることができると考えているのか、
二人を対面させることで父の闇の部分を明るみへひきずりだすことができると考えたのか。
花村の推測は定まらなかった。
聖子の母は身づくろいを整えて、花村を待っていた。風が爽やかな外気をふくんだまま
通り抜けるような部屋で、五十歳も半ばを過ぎているはずの彼女は、意外に若やいだ雰囲
気を漂わせている。
「あなたのことは、姜さんからよく聞きました」
型通りの挨拶を交したあと、花村は気まずい雰囲気がまぎれこむのを遮ぎるふうに言っ
た。「そうですか。福山さんはわたしには友達の話を全然しませんでした。だから、聖子
からあなたのことを聞かされたとき、そんなに親しい友人がいたのかと、意外でした。福
山さんは、くにのお父さんとお母さんのこと以外は話しませんでしたから」
「亡くなったお父さんのこと、あなたにも話しましたか」
花村が訊き返すと、聖子の母は不審な表情を浮かべた。
「福山さんのお父さん、亡くなっていたんですか」
聖子の母が姿勢を少しずらして両肘を座卓に置き、両手の指を組むのを見ながら、姜は
父が殺された事件は話さなかったのだ、と花村は思った。
聖子がビールと枝豆を乗せた盆を持って部屋にはいってきた。昼間からビールですか。
花村が言うと、聖子は母親のほうを目配せして、母も飲むんです、と言い、コップを花村
と母のまえに置いた。
三人はビールを注ぎ合いながら、しばらく姜から逸れた話題を口にした。聖子の母は、
姜がくにへ帰って数年後に結核療養所から市民病院に移り、三年まえに退職するまでそこ
の看護婦をしていた。ある時期、娘とは同僚だったことになる。退職のとき、婦人科の副
婦長だったという。いまは年金と、パートタイマーの付き添い看護婦の収入で暮している。
そんな話をしながら、彼女は唐突に、聖子はいつになったら結婚してくれるんでしょうね、
と言った。充電中よ、と聖子は事もなげに応えた。
聖子が台所に立って、ビールを運んできたときだった。聖子の母は娘からビール瓶をも
ぎとるようにして花村のコップに注ぎ、自分のコップにもなみなみ満たすと、いっきに飲
みほして、言った。
「福山さんから、二度、手紙が来ました」
「お母さん・・・・・・」
聖子が母の顔を振り返って、叫んだ。花村は咄嗟には事情が飲み込めずに、聖子と母を
眺めた。聖子の表情には驚きと非難が交錯していたが、母は感情を静めた口吻で言った。
「最初の手紙は、この娘(こ)がまだ高校へ通っていた頃。差出人の名前は姜承元になって
いましたが、私にはそれが誰なのか、すぐに解かりました。二度目は去年の今頃だったか
しら」
母を見る聖子の視線に怒りがこめられている。花村はそれに気づいた。
「この娘(こ)には、手紙のこと、知らせませんでした」
聖子の母は改めて意味をこめるふうに念を押した。花村は、ある予感を覚えながら、手
紙にはどんな内容のことが書いてありましたか、と訊ねた。
「いますぐ、手紙を見せてよ」
母が答えるまえに、聖子が花村の言葉を横合いからはたき落とす口調で言った。
「燃してしまったわ」
聖子の母は、娘と対峙するのを避けるふうに、花村にむかって言った。聖子は小さな声
を上げたきり、言葉を失ってしまった。彼女の顔は少し蒼ざめている。
「なにが書いてあったのか、もう忘れてしまいました」聖子の母は、座卓についていた肘
を離し、後(うしろ)にひいた姿勢に感情を閉じ込めるふうに両腕を交叉させて胸をだいた。
「私は一人でこの娘(こ)を育ててきたのよ、誰の助けも借りずに・・・・・・福山さんとのこと
は二十七年まえの悪夢だった」
「でも、私のお父さんよ」
聖子が抗(あらが)うように言ったが、意外に声は沈んでいた。
「母さんには、過ぎ去った悪夢に過ぎないわ。すっかり消えてしまった人よ」
聖子の母の眼は花村のほうを向いていた。花村は彼女の視線を押しもどす語調で訊ねた。
「姜さんは、聖子さんのこと、知っているのですか」
「知りません。福山さんがくにへ帰るとき、お腹(なか)の聖子は五か月目にはいっていま
したが、私は最後まで秘密にしましたから」
聖子の母はふたたび両肘を座卓に付き、両手の掌を組み合せた。気持を沈めるふうに顔
を俯向けたので、花村には彼女の仕種が何か祈っているように見えた。しばらくして振り
仰いだ眼が赤く滲んでいる。
聖子は母の横で寒気をこらえるように身を固くしている。聖子の母はコップに手を伸ば
そうとして脅えたふうに引っ込めた。
「私が聖子を身籠ったとき、福山さんがくにへ帰る決心を固めていたことは知っていまし
た。そのしばらくまえから彼はそのことを口にしていましたから。彼は私がいっしょに行
くよう望んでいました。伯父さんに相談したり、赤十字社に問い合せたりしていたようで
す。赤十字社からは、私が日本人だからいっしょには行けないという返事が来たようです
が、福山さんは私さえ同意すればなんとか説得すると言いました。でも、私は日本を離れ
ることを恐れていました。いっしょに行くことを拒絶したのは、私のほうです!不思議な
ことに、聖子を身籠ったと知ったとき、その決心は固まりました。福山さんと別かれても、
私は一人で聖子を育てる、と心に決めました。自分でも理由がわからなかったのですが、
確信が生まれたのです。福山さんがしだいに焦燥に駆られていくのが、私には目に見える
ようでした。片方の手を私の喉に掛け、片方の手で自分の喉を鷲摑みにして、いっしょに
行こう、ぼくといっしょに朝鮮へ行こう、と迫ったこともありました。まさか福山さんが
本気でそんなことをしているとは思えませんでしたが、私は死んでもいい、と思いました。
日本で、私の子どもを育てるのが駄目なら、死んでもいい。そんな気持になっていました。
あの年の春は、つらい、暗い春でした。・・・・・・福山さんと最後に会ったのは、彼が新潟へ
発つ日の一週間ほど前でした。どういうわけだったのか、それまで随分しばらくのあいだ
彼からなんの連絡もなかったのですが、突然、療養所へ訪ねてきました。福山さんの様子
はほとんど変っていませんでしたが、別かれを告げに来たのだということはすぐに解かり
ました。彼は多くを語りませんでした。一週間後に新潟へ向かう、この国が梅雨の季節に
はいる頃には、ぼくは祖国にいるだろう、と言いました。私とのこと、日本で過ごしたこ
と、未練がましいことはひとことも口にしませんでした。むしろ、すっきりとした印象さ
え受けました。でも、別かれぎわに彼は言いました、ぼくには、くにへ帰る以外の道はな
い。そう言って、怖いほど強く私の眼を見つめたのです。そのとき私は、福山さんがどん
なふうに苦しんだか、少しは解かる気になりました。でも、お元気で、という言葉しか言
えませんでした。私は涙をこらえるために、懸命にお腹(なか)の子どもに話しかけていま
した」
聖子の母はいくらか疲れた表情を浮かべて一息いれると、「あのとき話しかけていたお
腹の子が、もう二十七歳になりました」と言った。
彼女がふいに天井のほうを仰いだので、花村と聖子は示し合せたようにその視線を追っ
た。鶫(つぐみ)に似た野鳥が、天井を伝って滑るような羽搏きで飛んでいる。静かな仕種
はこの部屋に慣れ切った様子で、迷い込んだという感じはなかった。
「私は聖子を日本人として育てて来ました」聖子の母はなにごともなかったふうに視線を
もどした、「この娘(こ)がいま韓国人の青年と付き合っていることは知っています。で
も・・・・・・付き合ってほしくない。私は怖いのです」
聖子の母は、端正な顔をかすかに歪めた。
「それ、どういうことですか」
花村は険しい口調で訊ねた。気持のぶれが声にあらわれた。
「聖子が私の二の舞を踏むのを、恐れているというのではありません。時代が変ったので
すから、あの青年がくにへ帰るということはないでしょう。二人はきっと結ばれると思い
ます。私が怖いのは、聖子が父親のくにの人間になっていくことです。福山さんと私を引
き裂いたものが、私から聖子を引き離していくように思えるのです。最近、この娘(こ)を
見てると、そんな不安に襲われる。あれと同じものが、今度は母と娘のあいだに割っては
いろうとしている。花村さん、私の恐怖が解かりますか」
聖子の母は、詰問する目付きで花村を見つめた。視線が放つ光は意外に弱々しく、さき
ほど彼女の顔を掠めた歪みが絶望の翳(かげ)りであったことに、花村は気づいた。
ちがう、お母さん、それはちがう・・・・・・花村は絶望に翳った彼女の視線を押しもどす。
聖子の母が、他者の存在を自然に見ることのできない利己心に捉えられていて、朝鮮人
との関係を正確に測るのに無知な状態にあるとしても、単純に偏見とは言えないだろう。
彼女の心を金縛りにしているのは、不遇の経験にちがいない。一人の女性がくにの違いに
よってなめさせられてきた不本意の境遇が、聖子の母をがんじがらめにしている。しかし、
それはちがう。姜承元がくにへ帰ったこと、それと、これとはちがう。聖子が父のものを
取りもどそうとすること、それと、これとはちがう。
あなたが不遇の体験に固執して、姜承元の痕跡を消し去ろうとし、聖子さんの甦った人
生を恐怖するとしたら、それは倒錯ですよ、お母さん、それは錯誤です。
花村は胸のうちを言葉にしようと焦った。焦りながらも、聖子の母が経験した一九六〇
年春の暗黒と不遇の歳月が目のまえに立ちはだかり、彼女のそれに対峙できる何が、おれ
のなかにあるのか、同じ日本人のおれのなかにいったい何があるのか、という内の声に遮
られ、結びかけた言葉は何度も裂けた。
花村にとっては足のうらを焼かれるような沈黙だった。部屋のなかを見廻したが、鳥の
姿はなかった。
沈黙を破ったのは、聖子だった。
「母は日本人なのよ。所詮、ニッポンジン。私は純粋日本人じゃないわ。そうなりたくも
ない」
花村が振り向くと、聖子の顔は彼のほうを向いていた。私は、いつの日か、父(アボジ)
のものを手に入れるわ・・・・・・聖子の眼がそう語っているように花村には思えた。
神野聖子から手紙が届いたのは、彼女の家を訪ねて一週間ほどのちだった。手紙の内容
はなんとなく花村をとまどわせるものだった。
花村さま、先日は大変ありがとうございました。不愉快な思いをされたのではないかと、
心配いたしております。正直言って、私も驚きました。二十七年間いっしょに暮してきて、
母の涙を見たのは初めてでした。ましてや、あのような愁嘆場は思いもよらなかったこと
です。私のひとことが母をあのように取り乱させるとは・・・・・・結局、母があなたを追い払
うかたちになってしまったこと、お詫びします。
あのとき母は、私の言葉を撤回せよと迫りました。あなたは日本人なのよ、たとえ父親
が朝鮮人であろうと、あなたは父の顔も知らないじゃないの、母さんのお腹(なか)にいる
ときから父親はなかったのよ、ずっと、あなたは日本人なのよ、いまさら、なぜ、なぜな
の、なぜ朝鮮人なの! 母はそう言って私にむしゃぶりつきました。そして花村さんに、
あなたみたいな変な日本人がいて、聖子を唆すからいけないのよ、と叫んだのでしたね。
私は母にむしゃぶりつかれ、息も止まりそうな気持を耐えていました。針の莚に座らさ
れるというのは、あんな気分を言うのでしょうか。母を悲しませるのは、とてもつらいこ
とです。私にとって、かけがえのない母ですから。
私があのとき最後まで母の言い分を拒み通したのは、何だったのか。私が強い人間だか
らなのか、そうではありません。弱いからです。私の自信のなさが、私を意固地にしたの
です。母の言い分を受け入れてしまえば、私が心に決めていることは、あっという間に崩
れ落ちてしまいます。砂上の楼閣のように、脆いものです。父のものといっても、正直な
ところ、私のなかには何もありません。まして、民族にいたっては、私の朝鮮は空(から)
っぽなのです。李基哲君たちとハングルを勉強したり、朝鮮の歴史を学んだり、仲間内で
カン・ソンヂャと名乗ったり、伽耶琴の稽古をしたり・・・・・・でも、そんな付け焼き刃がど
れほどのことでしょうか。欺瞞です! 二十数年前、嫌というほど身にも心にも染み込ん
できたものをごまかすための欺瞞です。花村さん、私こそ、どうしようもなく日本人です。
基哲君たちと付き合っていて、疎外されているような気分を味わうのが、なによりの証拠
です。
花村さん、私は、父のもの、父のものと言って突っ張っている分、母からのがれようと
しているのです。私は結局、朝鮮人にも、日本人にも、コンプレックスをいだいているの
かもしれません。
あの日から、私と母は口もきかない日がつづいています。基哲君たちの会へも顔を出し
ていません。きょう、彼が心配して病院のほうへ電話をくれました。なんだか、八方塞が
りの状態です。でも、八方塞がったままでは生きていけませんので、なんとしても出口を
見つけ出さなくては、と思っています。とりあえずコンプレックスの正体を見極めれば、
出口が見えるのではないか、そんな予感がしております。
なんだか聖子らしくもない手紙とお思いでしょうが、私のひとりごとを聞かされたつも
りで読み捨てていただければ幸いです。
花村卓男様
聖子拝
花村は手紙を読み終わると、しばらく落ち着かなかった。気をゆるすと虚脱感に襲われ
そうな、奇妙に混乱した気分だった。花村が二度会って聖子から受けた印象とは、手紙の
内容はずれている。しかし、この文面から伝わってくるものが、彼女の本心かもしれない。
聖子は、彼女らしい聡明さで悩みを対象化しているのだ。
そんなことを思いながら、返事を書かなければ、と花村は思った。
便箋にむかったが、ペンは思うように動いてくれない。何かを書き出せば、聖子の手紙
にたいするコメントにすぎないか、ありきたりな訓話じみた意見になりそうな気がする。
そういうことは書きたくなかった。自分自身のこと、自分自身が何をするのか、を書かな
くては始まらない、と花村は思う。しかし、それを納得できる文章にできるか、不安だっ
た。あの日、聖子の家を辞すまえに彼女の母が見せた、異様な姿が、花村を脅やかす。あ
の母の姿は、悲しみとも憤りとも説明のつかない、激情の身振りだった。
花村は結局、手紙を書きすすめることができなかった。翌朝、彼が仕事に出掛けようと
しているところへ聖子から電話が来た。緊急に相談したいことがあるので、きょうの夕方、
会ってほしい。私のほうから名古屋へ出向く――聖子は手紙のことには触れず、用件だけ
を告げると、待ち合せの場所と時刻だけを決めて、電話を切った。
花村は仕事を終え、三週間ほどまえT市へ行くために聖子、基哲の二人と会った場所へ
駆けつけた。約束の時刻を三十分過ぎ、さらに三十分経っても、聖子は来なかった。花村
は、朝の電話では切迫した様子だったのに可怪しいと思いながらも、連絡の方法もなく、
諦らめて帰った。
その夜、彼は意を決して聖子に手紙を書いた。
きょう一時間待ちましたが、見えなかったので帰宅しました。電話の様子では随分と急
な用事と思えたので心配しております。お宅へ電話をとも思いましたが、あなたのお母さ
んの私に対する気持を考えると、それも憚られます。
先日の手紙拝見し、あなたが私などとは異なった条件のもとで生きていられるのだとい
うこと、あらためて教えられました。私は不覚にも、あなたがじつに率直にこれまでの二
十数年の人生を飛び越えて、お父さんのくにへ接近しようと決心しているものとばかり思
い込んでいました。姜承元氏の記憶を消し去ろうとするお母さんと、それを取りもどそう
とするあなたとの違いに、ともに隔てられた時間を生きていながらまったく対照的な生き
方を感じていたのですが、あなたもまた、時間の重荷を背負わされて悩んでおられるので
すね。
実のところ、私もまた、失われた時間を取りもどそうとしているのです。私の場合は、
単に自分自身の怠慢、日本人としてのエゴのせいで、姜承元氏が去ってからきょうまでの
歳月を無駄にしてきただけにすぎないわけで、あなたと比較するさえおこがましいのです
が。
いま、外国人登録法を改めさせたり、指紋採取をやめさせたり、民族差別に対して異を
唱えたりする活動にささやかに関わっていて、それが何ほどのことかと問われれば、まっ
たく返す言葉もありません。日本人がしなければならない、あたりまえなことを、しかも
不充分にしているのにすぎないので。日本の社会が朝鮮人に対して課している制度上の差
別をなくすことが無意味だと言うのではありません。でも、そういう活動には、一つ間違
えると、自分を外に置いてしまう陥し穽があるように思えるのです。根本のところ、自分
を変えられないのでは、という苛立ちがあります。
やはり、日本人が日本から自由になりきることだと思います。おまえは、それが出来る
か、と自分に問わざるをえません。それが出来なければ、私は二十数年の空白を埋めて、
姜承元氏に近づくことは不可能と思います。口で言うほど容易なことではありませんし、
単純に、日本人をやめた、と言って済ませられることでもありません。
聖子さん、あなたは手紙のなかで、とりあえずコンプレックスの正体を見極めれば出口
を見つけられるのではないか、と書いていました。私には凄く、よく響く言葉でした。姜
承元氏や李基哲君と結び合える入口が見つかるのでは、と思うのです。私がどうしようも
なくそうである、日本人とは何なのかを・・・・・・
そこまで書いてきて、花村は投げ捨てるようにペンを置いた。灰皿にはタバコの吸殻が
山になっている。彼は言葉の残骸を眺めるふうに吸殻を見た。
おれの書いていることは何だ、神野聖子の手紙とまるで噛み合っていない、聖子の母の
異様な姿と噛み合っていない、姜承元がおれに話したことすべてと噛み合っていない、李
基哲の指紋押捺拒否と噛み合っていない、失われた時間と噛み合っていない・・・・・・いや、
噛み合っていないだけではない。嘘だ、言葉だけの、嘘だ。
花村は三枚の便箋を重ねて、破った。
二日後、聖子から手紙が来た。前回の手紙からは想像もしなかった、事態の急変を告げ
るものだった。
花村さま、昨日はたいへん失礼をしました。急遽、こういうことになりましたので、約
束を破ってしまいましたこと、どうかお許しください。
こういうことと言いますのは、私がきのう母の家を出たということです。そうです、私
たち、基哲君と私は一緒に生活することにしました。この手紙は、借りたばかりのアパー
トの部屋で書いています。
さきほど、こういうことになりました、と書きましたが、厳密には、こういうことにし
ましたと言うべきでしょうね。だって、不可抗力ではなく、まぎれもなく私が選択した道
なのですから。
この選択が正しいかどうか、本心のところ、自信はありません。もしかしたら、朝鮮人
にもなりきれず、日本人の自分も失って、ボロボロになって放り出されるのが落ちかもし
れません。でも、跳んでみなければ、始まらないのです。私が子どもの頃、母がよくケ・
セラ・セラという歌をうたっていましたが、なるようになるさ、といった心境です。とい
うのは、ちょっぴり謙遜。本当は凄く闘志を燃しているのです。私、それほど若くはあり
ませんが、日暮れまでにはまだまだ時間がたっぷりあります。母が燃やしてしまった父の
手紙を復元するのが、私の役目です。きっとアボジのくにの人間になってみせます。
基哲君との共同生活は、その手はじめの手段です。あッ、基哲君からも花村さんにひと
ことメッセージを送りたいそうですので、代ります。
花村さん、聖子(ソンヂャ)の表現を借りれば、ぼくたちはこういうことにしました。聖
子は、手段などといっていますが、彼女がぼくを愛していることは明白な事実です。もち
ろん、ぼくも聖子に惚れています。民族に誓って、聖子を愛しています。
聖子はきっと彼女の試みを成功させると思います。選んだ道を見事に駆け抜けるだろう
と信じています。ぼくの力などに頼らずにやってのけるでしょう。だって、ぼく自身がま
だまだ半人前で、民族のものを奪回するためにもがいている人間ですから。
聖子とぼくはよきライバルとして競い合っていきます。当面、ぼくは指紋拒否を貫いて
いくつもりです。この行為は、ぼくにとっては、人間として、また朝鮮人として生きてい
くための、第一関門ですから。
決意表明(?)になってしまったところで、もう一度、聖子にバトン・タッチします。
花村さま、あなたがこの手紙を読みながら心配されている様子が目に浮かぶようですの
で、最後に一つだけお断りしておきます。
じつは、私が家を出たこと、基哲君と共同生活すること、まだ母には伝えてありません。
このことを知ったら、母はどんなに悲しみ、怒ることか、それは私にとって何よりもつら
いことです。でも、母の悲しみが最少限で済む方法をいま二人で考えています。私は絶対
に母を捨てません。私は正真正銘のダブリストなのです。母が理解してくれるよう、粘り
強く話し合っていくつもりです。その日は必ず来ると信じています。その日にむけて、こ
れから苦行がはじまるのです。
わたしたちはきっと目的を達成します。どうか、見守りつづけてください。
手紙を読み終えた花村は、便箋の一点に視線を釘付けされた。文章の終わり、そこには
聖子と基哲の名前が、それぞれの字体で並んでいた。
紅いチマチョゴリ
ユ
ヨン
ジャ
劉 竜 子
一枚ガラスのドアを背に、長身をこごめた梶山修が、人なつこい笑顔を向けて立っていた。
カーキー色の菜葉服に、工事用の安全ヘルメットを小脇に抱え、がっしりとひとまわり
大きく逞しくなった修の、めがねの奥の細い目が久しぶりだと笑っている。
思いがけない修の姿にあっと道子は声を呑んだ。こみあげる懐かしさに何を言っていい
のか、気の利いた挨拶の言葉が出てこない。それでもはじめて目にする修の菜葉服姿を、
馬子にも衣装と大袈裟に感心してみせると、修は何を着ても様になるんだと、相変らずの
減らず口を返してきた。
学生だったあの頃。徹夜麻雀でいつも素寒貧の修は、腹を空かせて泣きついてきて、有
るとき払いの催促なしと、すり切れたジーンズのポケットに両手を入れ、ちびた女ものの
ヘップを引きずりながら、勝手知ったとばかりにカウンターの内へ。着古した格子柄のシ
ャツの襟にもどかしくエプロンを吊り下げ、冷蔵庫の中をあさっていた。
五人も座れば満席のカウンターと、壁に背を向けて置いたベンチの前にテーブルがふた
つ。常連客を相手のたかが知れてる一日の売上げから、人件費などとても捻出できず、ふ
らりと顔を出してはバーテンを決めこんでいた修の、見かねた体のいい申し出だったのか
と、道子はいまにして思う。
吹きぬける木枯らしがドアを煽った。冷たいすきま風が吹きこんでくる。
赤く燃えたストーブの前に屈みこみ、後手に掌をかざして修は、壁や天井へ懐かし気に
目を這わせていた。ひょいとカウンターの椅子に跨ると、おしぼりを差し出す道子の鼻先
へ、めがねの奥から上目遣いに覗きこんできた。
「ねえちゃんちっとも変らんな」
「お生憎さま。この頃しわが増えて困ってんの」
修の遠慮のない言葉に遣りこめられぬ先にと、ぴしゃりと釘を刺しておき、すまし顔で
見返すと、修は何やら言いた気に、道子の先制をにやりと苦笑で交した。
「ビール?」
おしぼりを拡げて力まかせに、額や首筋をしごいていた修は、めがねをはずし焦点のぼ
やけた目を三角にすがめ、「おっ」と威勢よく頷づいてきた。
さっぱりと拭きあげた顎のまわりに、無精ひげがまばらに伸びている。意外なひげの濃
さに道子ははっとなった。さっきから妙に落ち着かないのは、無精ひげのせいなのか。そ
れとも菜葉服の厚く張った肩のせいだろうか。カウンターに向き合う修を前にして、道子
はなぜかぱっと耳朶を朱くした。
「ねえちゃん・・・・・・」
内心慌てた道子だったが、カウンターを照らす照明の仄暗い明りをいいことに、それで
も眩しく修へ目を向けた。
「みんなときどきは顔出してるのか」
毎日のようにたむろして、修と一緒に飲んで騒いでいた連中も、就職が決るとほとんど
顔を見せなくなった。
「いつまでも学生じゃあるまいし、仕事に忙がしくて来られなくて当然でしょ」
「水臭い奴らだな・・・・・・」
修は眉をしかめ、
「そう言うおれだって半歳ぶりだもんな」
ふんと鼻を鳴らして苦笑を洩らした。
「ひろみ結婚したんだってな」
めがねのレンズへ息を吹きかけ、レンズの曇りをおしぼりで拭いながら、修は殊更に気
のない素振りを装い言った。
「らしいわね・・・・・・」
唐突な修の言葉に、道子は自分でも意外なほどの素っ気なさで答えた。
修はめがねのレンズを明りにかざして、一瞬考えこむふうに、
「ねえちゃんの従姉妹なんだろう」
怪訝な目を向けて、めがねを掛け直した。
道子は黙ってかぶりを振り、ビールの栓を抜いた。
「ひろみのことには触れたくないの」
修は空のコップを傾け、納得したのかそれ以上何も訊かず、注がれたビールをぐっと一
息に飲み干した。
道子は冷蔵庫から取り出したキムチを、小皿に盛りつけ修の前に置いた。修は黙って箸
をつけた。
「ひろみをあんなふうに追い遣ってしまったのは、わたしのせいのような気がする
の・・・・・・」
結婚式の披露宴に呼ばれていながら、出席できないと、一方的に電話を切ってしまった。
ひろみへの邪慳な仕打ちを、今さら悔んでみてもはじまらないが、突きあげてくるどうし
ようもない呵責の思いに、道子は胸が塞いだ。
おかっぱに切り揃えた前髪の下から、ふっと怯えたような目をして、上目遣いに見つめ
返していたひろみの、淋しそうな顔が脳裡をかすめた。
はじめてひろみが訪ねて来た夜のことが、つい昨日のことのように胸に浮かぶ。あの晩
も風が強かった。
宵の口からしこたま飲んで、すっかり出来上がった酔客を送り出し、道子はカウンター
に凭れてほっと一息入れた。客に勧められるままに飲んだ酒の酔いが、気怠くまわってき
て、溜息まじりの酒臭い息が鼻を衝いてきた。ほてった頬にむせ返る、焚きこめた暖房の
息苦しさと、有線から流れる演歌の哀切な節まわしが、うるさくまといついてくる。
ドアの開く気配に振り向くと、見慣れぬ若い女が立っていた。冷たい風の中を駆けて来
たのか頬を染め、ダウンジャケットの胸が息せき切って弾んでいる。馴染みのない店に迷
いこみ、いまにも消え入りそうに戸惑っている。道子は訝りながらもカウンターの椅子を
引いて推めた。ジーンズの膝を窮屈にそろえて腰を下ろし、おかっぱに切り揃えた前髪の
下から、一重瞼の利発そうな目を一瞬怯えたようにしばたくと、小さくうわずった声で水
割りと言った。
「いつもひとりで飲んでるの」
初対面で向き合う気詰りに、道子は適当な言葉を探して声をかけた。女客はぽっと頬を
上気させ慌ててかぶりを振った。
「あの・・・・・・」
道子が覗きこむとためらいがちに、
「堀川沿いに住んでいた道子ねえさん」
「道子ですが・・・・・・」
さっと喜色ばんだ目を向けて、
「ひろみです」
いきなりひろみと言われても、道子は直には思い出せなかった。幼さの残る頬の脹らみ
や、きゅっとすぼめた形のいい口元に目を凝らす。うぶ毛が金色に光っている。
「あれっ。もしかして西山のハルモニのところの・・・・・・」
大きく頷づき返すおかっぱ頭が、紅く上気した頬をつつみ、うなじで切り揃えた髪が前
後に揺れた。
「おどろいた、ひろみだわ。その頬っぺた、ちっとも変ってないもの」
いたずらを見咎められた子供のように、首をすくめ恥らう様子そのままが、幼い頃のお
もかげに重なる。
「へぇ。幾つになったの」
「今年、二十歳に・・・・・・」
「そう。引っ越していったの小学校の頃かしら。いまどうしているの」
矢継早やな道子の言葉に、いちいち頷づき返しながら、高校を卒業したあといったんは
就職したが、大学を諦め切れず学資は自分で稼ぐと家族を説き伏せて、一年遅れで夜間の
短期にもぐりこみ、それを機に家を出て下宿住いをしながら、昼間はアルバイトをしてい
ると、とき折り屈託のない笑顔を向けながらも、それが癖のように小首を傾げ、言葉を選
びながら吶吶と話してきかせた。
「そお。ハルモニは元気にしているの」
懐かしさに思いつくまま、道子は脈絡のない言葉を浴びせ、家族の近況を訊ねた。ひろ
みは元気にしているとだけ言って、あとは口を濁し、家族のことへはあまり触れたがらな
い様子を見せた。複雑な家族の事情がうかがい知れた。
西山のハルモニは近所でも評判の女丈夫で、堀川沿いの朝鮮横町と呼ばれた裏長屋で、
粗末な卓と椅子を並べ、形ばかりのホルモン屋を構えていた。キムチと臓物の味付けを自
慢に、酔ってくだを巻く酔客を持ち前の度量であしらい、男まさりな気風が受けてけっこ
う繁昌していた。
口さがないアジュモニたちの噂によると、西山のハルモニは亭主運が悪く、育ちざかり
の幼い姉妹を残して夫に先立たれ、荒くれ男たちにまじりニコヨンもし、リヤカーを引い
てくず鉄拾いと、成り振りかまわず身を粉にして働いたが、育てた子供たちはハルモニの
意に反して、息子は日本人の女と駈け落ちし、娘は朝鮮長屋の貧しい生活を嫌って、家を
飛び出したまま行方知れずだと言う。
そんなハルモニのところにいつからか、りんごのような紅い頬っぺをした、おかっぱ頭
の女の子の姿を見かけるようになった。ニンニクと臓物を煮こむこってりとした臭気のた
だよう店先で、路地一面に落書きをしてひとり遊びに興じている姿や、買い出しの野菜を
頭の上に乗せて、歩いて行くハルモニの後を追い、舌ったらずな童謡を口ずさみながら、
片足跳びに撥ねていた姿を思い出す。
いつだったかハルモニは、「チョッパリ」「あいの子」と、いじめっ子に囃されて泣い
て帰った幼い孫の手を引いて、はやし立てたいじめっ子の家に怒鳴りこみ、母親を表に引
きずり出して、つかみ合いの談判も辞さぬ気性の激しさを見せていた。
小学校も高学年になっていた道子は、ハルモニと一緒に銭湯へ行ったことがあった。固
くしぼった手拭いで、それこそ一皮むけるまでアカをこすられて、おまけに幼いひろみと
一緒に、熱い湯にのぼせるまで漬けられて、銭湯の帰りには、ひろみを真ん中にハルモニ
も道子も、茹であがったタコのように頬っぺたを真っ紅に染めて、冷たい風の中を軀の芯
から温くぬくと、煌めく冬の星座を並んで見上げた夜のことを思い出す。
「憶えてる? 銭湯へ行ったこと」
ひろみは記憶にないらしく、困ったような表情を見せて小首を傾げた。
その夜を境に、ひろみはときどき顔を見せるようになっていた。道子は妹がひとり増え
た気になり、修や来合わせた常連客に、自分の従姉妹だと紹介していた。
「ねえちゃんの従姉妹?」
肩で風を切るようにドアを押して入ってきた修は、カウンターの隅っこで小さくなって
座っているひろみに、一瞥を投げ、大袈裟にずっこけて見せた。
「口も悪いし、風采もあがらないけどいい奴だから・・・・・・」
からかい半分に道子が紹介すると、ひろみは軀を縮めるように恥らいを浮べて、おかっ
ぱ頭をぴょこんと下げた。
「同じ年かしら」
大学に入ってしまえばこっちのものと、無精をかこい徹夜麻雀に明け暮れ、暇をみつけ
てはパチンコに精を出している修と、アルバイトをしながら夜間の大学に通っているひろ
みとを見比べ、道子はえらく違うとあきれて見せた。
ひろみの横へ、それでも遠慮して、椅子をひとつ明けて腰を下した修は、ずり落ちため
がねを指で押しあげ、天才はガリ勉をしなくとも学業についてゆけるのだと、胸を張って
いきんで見せた。
「ねえちゃん、おれ高校んときパンチパーマ掛けて家へ帰ったら、お袋に朝鮮人みたいな
頭してみっともないと言われてよ。ほんと朝鮮人はみんなパンチパーマ掛けてるんかと思
ったんだ。おれ何んにも知らんかったんだ」
修は照れかくしもあってか、おどけた口調で言った。道子は思わず吹き出したが、いま
の若者たちはそんなふうに、朝鮮人とか朝鮮というものに、関心すら持たないのかとふっ
と思ったりした。
「おれ、高校んとき、ほんとワルでよ。恐いもの知らずで、喧嘩売って歩いて退学寸前ま
でいったんだ。そんでもおれよりワルがおって、そいつ朝鮮だったんだ。キョンチャルと
か、タンベとか、チャドンチャとか教えてくれて、ほんとあいつすげえ度胸しとって、お
れまじに朝鮮を恐いと思ったんだ」
修はそっと神妙な面持で言った。
「ねえちゃんとこ来るようになって、おれ何んかよう分らんけど、少しずつおれん中の朝
鮮が変ってきたような気がするんだ。おれ、ねえちゃんのこと、朝鮮とかそうゆうふうに
思ったことないもんな・・・・・・」
頭をかきながら修は言った。
最初の頃、キムチなんかに目もくれなかった修が、いまではすっかりキムチ通になって
しまったと、道子は親しみをこめてひろみへ言った。ひろみはじっと耳を傾け、眩しそう
に修を見ていた。
頻繁に来るようになったひろみは、店の雰囲気にも馴れたのか、修の友人たちがたむろ
して飲んで騒いでいる中へ、はじめは遠慮がちだったのが、すっかりうちとけて酒を飲み
交すようになっていた。濁声を枯らして唄う応援歌に一緒になって手拍子を打ち、酔いに
まかせて飛び出す卑猥な言葉に頬を真っ紅に染めていた。修の軽い冗談にも真剣な面持で
地団駄踏んで悔しがり、両の拳を頭の上でにぎりしめ、いまにも殴りかからんばかりの仕
草を見せ、どっと笑いが弾け、仲間うちからやんやと囃し立てられていた。
客の立て混んできたときなど、自分からカウンターを買って出て、慣れない手付でコッ
プを洗ったり、汚れた灰皿を取り替えたりと、それでも愉しそうに手伝ってくれていた。
週明けの客足の絶えた店の中で、めずらしくひろみとふたりきり、カウンターに腰を並
べて座っていた。とりとめのない話を交しながら、お酒でも飲もうかと、ひろみにグラス
と氷を用意させ、とっておきのウィスキーボトルを持ち出して、ふたりで水割りを作って
飲んでいた。
「わたしね、心から笑ったことがないの」
頬杖をした両の掌におかっぱ頭の顎をうずめ、氷を浮べた水割りグラスを見つめながら、
ひろみはふっと溜息を洩らして言った。
「笑ったことがないって、いつも明るくしているのに」
言葉の意味を呑みこめなくて、道子は怪訝な顔して言った。
「あれは本当のわたしじゃないわ」
ひろみはどこか投げ遣りな言いかたをした。
心から笑ったことがないなんて、仮にそうだとしたらなんて淋しい人生なんだろう。道
子は半信半疑なままひろみを見つめた。
「わたし家を出たのは、ひとりの生活に憧れていたせいもあるけれど、いままでの自分と
の訣別の意味もあったの」
ひろみは裡に秘めた思いを、吶吶と語ってきかせた。
「家族の誰にも告げずに家を出て下宿を探したの。一週間もしないで母が探し当ててきた
わ。蒲団を新しくこしらえて持ってきて、なんにも言わずに好きにしろって」
水割りグラスを傾けながら、道子はひろみの話へ耳を傾けた。
「わたしの父は朝鮮人で母は日本人なの。弟と妹がいて、わたしだけ母の姓を名乗ってい
るの。弟や妹がいつも羨ましそうに言ってるわ。お姉ちゃんは日本人だからいいって。指
紋を押して登録手帳を持たなくていい。外国だって就職だってどこへだって好きなところ
へ行けるって」
汗をかいた水割りグラスの雫のあとを、そっと指でなぞりながら、ひろみはつづけた。
「民族学校の幼稚園へ通ったこともあるの。いじめられた、チョッパリ、あいの子って。
父が怒鳴り込んでね。どういうことだとすごい剣幕で、それっきり幼稚園へは行かなかっ
た」
いたいけな幼稚園児に、しかも民族教育の現場にいじめがあるなんて、道子は意外な気
がした。
「父はわたしたち姉弟にはとても優しかった。でも母にはなにかと厳しく当り散らしたの。
祭祀の仕度くをおこたったといっては怒鳴りつけ、ハルモニへの態度が悪いといっては殴
りつけてね。それこそ夫婦喧嘩が絶えなかった。血まみれになっている母を見て、離婚で
もなんでもすればいいのにと思った。父を憎みじっと耐えてるだけの母にさえも、やり切
れない怒りを覚えたの。もうたくさんだって」
深く肩で息をつぐと、額にたれた前髪をかきあげた。こぼれた広い額がいつものおかっ
ぱ頭の童顔を、一瞬大人びた表情に変えた。
「物心ついて母に訊ねたことがあるの。どうしてわたしだけ日本人なのって。母はあなた
を奪られたくなかったと言ったわ。わたしの生れた年に、帰国船に乗って朝鮮人はどんど
ん国へ帰って行ったらしいの。自分の夫も当然、国へ帰るものと思いこんだ母は、生れた
ばかりのわたしを、ひとりで育てていくつもりで、私生児として母の籍へ入れたらしいの」
とぎれたひろみの言葉を縫い、低く流した有線からアイドル歌手の唄う軽快なメロディ
が流れてきた。場違いな曲の終るのを待って、ひろみは乱暴に水割りグラスをあけた。グ
ラスの中で氷が小さく音を立てて鳴った。
「誰も分ってくれないんだわ。どうあがいてみてもわたしは日本人にも朝鮮人にもなれな
いのよ。家の中でも外でも・・・・・・」
肩が小刻みに震えている。重苦しい沈黙が流れ、くくっと引きつる笑い声が洩れた。
「ごめんね。わたしどうかしてる。でももう大丈夫」
心配そうな道子の目を気にしてか、ひろみは取り乱すまいと、懸命に平静を装い唇を噛
んでいた。道子は慰めの言葉もなく、ただ黙って水割りグラスをあけた。
一年が過ぎていた。
ドアを押して入ってきたひろみは、めずらしく正体もなく酔い潰れていた。入ってくる
なり乱暴に椅子を引き、カウンターに両手をつかえ崩折れるように突っ伏した。背中が大
きく波打ち、苦しそうに喘いでいる。
道子は店閉いとシャッターを半分下し、飲み散らしたコップやグラスを、蛇口をひねっ
て洗い流していた。ほとばしる蛇口の水をコップに受け、突っ伏して喘いでいるひろみの
肩を揺すった。ひろみは大儀そうに軀を起し、喉を鳴らしてコップの水を飲み干すと、濡
れた唇を横殴りに手の甲で拭った。酒臭い息が鼻を衝いてくる。
洗いものを済ませた道子はガスの元栓を確かめ、送って行くからとひろみを揺り起した。
ひろみは邪険に道子の手を払いのけた。もう一度手を伸すと、酔いのせいかきっと道子を
睨み据え、嘘つきと激しく罵しった。
一瞬何んのことやら呑みこめず、道子は呆っ気にとられた。酒のむかつきをぐっと顎を
引いてしゃくりあげ、もつれた舌で修がどうのと、いまいましそうに凄んで言い、子供の
ように両手で顔を被い、肩を震わせた。修と喧嘩でもしたのか。いつになく荒れてるひろ
みの様子を道子はそっと窺った。
修に魅かれていくひろみの様子は、ずっと以前から手に取るように知れていた。頻繁に
顔を出すようになったのも、ひろみ自身が気づいていないことも。修の居ない夜、ドアを
気にして、つまらない顔をしてしょんぼりしていた。修がそこに居るだけで、浮きうきと
いつになくはしゃいでいた。頬を染めたひろみの、はちきれんばかりの若さは、道子の目
にも眩しいほどだった。
ひとしきり泣きじゃくったあとの、平静を保ってきた息づかいに、道子は声をかけた。
「どうする? 送ろうか」
「修を待ってるの」
「今夜はもう遅いし、来ないわよ」
宥めるように道子は言った。ひろみは椅子の背凭れに、気怠く軀をあずけて起すと、
「修は道子姉さんのことが好きなんだって・・・・・・」
操り人形のように、首をうな垂れて言った。
「馬鹿なことを言わないで、さあ帰ろうよ」
ひろみの肩を抱きかかえた。
「分ったわ。道子姉さんいつもそうしてごまかすんだ」
道子の手を振りのけて、身構えるように顎をしゃくった。
「ごまかすって、わたしにはひろみの言ってることが、さっぱり分らないわ」
「分っているくせに」
酒に酔った勢いで、ひろみは侮るような目をして挑んでくる。
「いい加減にして」
持てあましたように道子は言った。
「どうするの。帰るのか、帰らないのか」
「修を待ってる」
ぷいと顔をそむけ、子供のようにすねてみせ、カウンターに折り重なった。息が苦しそ
うに乱れている。
「待ってても来ないわよ。こんな時間だもの、どこかで飲んでるか、アパートに帰って寝
てるかだわ」
時計の針は一時をまわっていた。
「さあ、帰ろうよ」
ひろみの肩へ手を伸ばすと、いまいましそうに振りのけた。
酔っているひろみを、表に引きずり出す訳にもゆかず、道子は仕方なしに、ひろみの横
へ椅子を並べて腰かけた。
「ねぇ、お願い。修にわたしと付き合うように言って」
酔眼をとろんとさせて、甘えた口調で媚を作って言う。
「そんなの自分の口で言えばいいのよ」
「あ、お姉さん。やっぱり修のこと好きなんだ」
卑猥な目付をして言った。
「馬鹿らし。修といくつ離れていると思ってるの」
「そんなの関係ないわ。いくらでも年下の男と恋愛してる年上の女はいるもの」
ひろみの剣幕に、道子は一瞬たじろいだ。
「わたしを抱いてって言ったら、修、何んて言ったと思う? ねえちゃんの従姉妹だろう
って言ったわ」
いきなり何を言い出すのかと、道子は内心驚いた。
「そうよ。ひろみに変なことしたら承知しないって、釘を刺してあるもの。当然よ」
「あ、お姉さん嫉いてるんだわ」
ひろみは覗きこむようにして、酒臭い息を吹きかけた。
「止めて、そんな話。どうしてわたしが嫉かなけりゃならないの。恋愛は自由なんだから、
どうぞ勝手にして頂だい。でも言っておくけど、わたしの前で変なことしないで頂だい」
酔いにまかせて、ふてぶてしい態度を見せるひろみに、道子はきつく戒めるように言っ
た。
「変なことって、わたしが修を好きになったらいけないことなの」
「そんなこと言わないでしょ。ただ真面目に付き合えってことなの」
ひろみはこめかみを押え、酔いに揺れる上体を支えて、
「わたし本気よ。どこが不真面目だっていうの」
えぐりあげてくる酒のむかつきに、ひろみは苦し気に眉をしかめた。
「本気ならなおのこと、きちんとして欲しいの。ふたりとも学生の身なんだから」
「学生は恋愛しちゃいけないの」
ひろみはきっと道子を見据えた。
「そうじゃないのよ」
酔っているひろみを、相手にしてもはじまらないと、道子はいい加減、匙を投げかけた。
「おかしい。お姉さん、やっぱり変だわ」
ひろみは詰るように突っかかってくる。
「お姉さんは、わたしが修と付き合うのが面白くないんだわ」
道子はどうにも情けなく、
「違うのよ。言いたくはないけど、この頃いやな噂を耳にしているの。みんなと飲み歩く
のは構わないわ。それだけじゃないのよ。変なとこから出て来たのを見たって言う人もい
るの。噂だけならいいけど。もっと自分を大切にして欲しいの」
ふふんと、人を小馬鹿にするような、うすら笑いを浮べて、
「わたしが誰と何をしようと勝手だわ。お姉さんには関係ないことよ」
ひろみは横柄な態度を見せて、ふんと顎をしゃくった。と同時に道子の掌が空を切って
鳴った。ひろみは椅子からのけ反り、紅く染まってゆく頬を押えた。
「そうよ。関係ないことよ。だけど言っとくわ。わたしの耳にいやな噂を入れないで頂だ
い」
身じろぎもせず頬を押えたまま、ひろみは肩を震わせた。
「謝るわ・・・・・・」
思わず打ってしまった後悔と気まずさに、道子はしびれる掌をそっとにぎりしめた。
「遅くなったから、送って行く」
「いや! お姉さんにわたしの気持なんて分るもんか」
言葉尻がかすれて、嗚咽が洩れた。
「分ってるわ。ひろみを打ったこと謝るから、お願い一緒に帰って」
「お姉さんは卑怯よ。いい子ぶって大人のふりしてるんだわ。修のこと好きならはっきり
そう言えばいいのよ」
「好きよ・・・・・・。これでいい」
ひろみは堰を切るようにしゃくりあげた。肩に手を置くと、激しく振りのけて、夜更け
た街へ飛び出して行った。
「あれからひろみも、いろいろなことがあったらしいの。子供が出来てね。慌てた両親が
なんとか結婚まで漕ぎつけて、式の当日は七ヵ月の身重だったの。相手はもちろん日本人
でね。花嫁衣裳もかつらを付けて純日本式だったって。式もとどこおりなく終えて、披露
宴もたけなわ、和やかに酒盛りが始まると、お色直しの花嫁が姿を現わしたの。宴席が一
瞬水を打ったように静まり返って、ひそひそ話がささやかれ、そのうちにひっくり返した
ように騒然となって、相手の列席者の半数が席を立ってしまったらしいの。花嫁は目も醒
めるほど鮮やかな、真紅のチマチョゴリを着ていたんだって」
人づてに耳に入れたひろみの結婚式の経緯を、修に話してきかせた。修は黙って耳を傾
けていた。空のコップへ酌をすると、修はねえちゃんも一杯と、ビール壜を持ちあげ、道
子のコップへ酌をした。
「本当はひろみに大人気もなく嫉妬していたのよ。ひろみの若さと純粋さに。あんなに悩
んでいたひろみのことを、心のどこかで嘲笑っていたんだわ」
喉へ流したコップのビールが、苦く胸につかえた。
「わたしはどこかで、朝鮮人だって開き直ることができるの。でもひろみにはそれができ
ないのよ。朝鮮人と日本人の血がせめぎ合っていて、そんなひろみに何を言えて・・・・・・」
遣り切れない思いにどうしようもなく、道子は自分を責めた。
「ねえちゃん・・・・・・。ひろみはあれで良かったんだ」
南京虫のうた
わたり
の
く
み
渡 野 玖 美
直径五十センチ高さ三十センチ程の杉の木塊の仕事台の前に胡座をかいて座った栄寿は、
仕事に身が入らず、手を止めて視線はテレビの画面に魅せられていることが多かった。有
紀は慣れない手付きで踵の釘を打つ。片方で六本の釘を打つのだが、有紀は必ず一本は曲
げてしまうのだった。高級草履の加工を始めてまだ二ヵ月の栄寿と有紀の技術は未熟だっ
た。結婚前には、栄寿は一人前の草履の職人だと知らされていたが、どうやら仲人口だっ
たらしい。
草履の原型である芯に、皮の裏を釘二本で打ち付け、周囲をタコ糸で縫い付ける作業は、
右の掌に鉄製の指抜きを当て、太い針を掌の力で突きさしながら、ぶすぶすと一針一針縫
い進むという根気のいる仕事だった。有紀もやってみたが一時間かかってもやっと一足し
かできなかった。針がささらないのだ。無理に押すと針が折れ曲った。栄寿は五足ほどこ
なした。草履の厚みにもよるが、熟練者は八から十足ほどのスピードだという。
縫い付けた皮を、草履の原型にそって包丁で切りおとすのを「裁ち」というが、栄寿は
この工程が全く駄目だった。切り口が不揃いで、誰が見ても商品価値のなくなるひどいも
のだった。この工程だけは、完成品を納める問屋には内緒で、近くに住む長兄に頼んでい
た。
足裏へのあたりが柔かいように、スポンジとボール芯を張り付ける作業と、踵に釘を打
つ作業が有紀の役目だった。その他にもいろいろと細かい作業があり、一日五十足のノル
マは、栄寿と有紀の腕では難しかった。部屋の中は、材料と道具が場所をとり、六畳と三
畳の二間きりのアパートでは、仕事場で寝起きしているのも同然だった。
結婚前の栄寿はブローカーだった。今、有紀と栄寿の新居になっているこのアパートを
根城に、他の仲間三人と、一日に数時間仕事するだけで、毎日キャバレーで遊び、高級な
腕時計やダイヤをはめこんだ金の指輪を身に着けることのできるブローカーとは何である
のか、有紀にはさっぱり見当もつかなかった。悪事であるらしく、栄寿は有紀のためにと
草履加工の職人になって生計をたてようと努力しているのだ。
妻子ある中年男性との情事に溺れ、生活のために、遂にキャバレーのホステスにまで身
を落として、男との関係を続けようとしていた矢先に、有紀と栄寿はホステスと客という
立場を越えて恋に陥ってしまったのだった。二年あまり続いてきた情事に疲れていた。初
めには確かにあった輝かしい恋の季節は終わり、妻子ある男との出口のない膿み爛れた情
事のみの関係は、健康な若い精神を持った二十歳の有紀には重荷になってきていたのだろ
う。情熱を込めて恋を語る栄寿に、有紀は何よりも健康的な若さを感じた。
有紀をめぐって、男と栄寿の激しい争奪戦があった。三十分ずつ交替で、有紀と話し合
い、有紀に選択をまかせようとなった。一流会社の係長である男は、目をぎらつかせ物凄
い形相で、言った。
「家を捨てる決心をしたんだ。あれにもすっかり話した。会社も辞める。有紀を失いたく
ないんだ」
「もう遅いわ、もっと早い時期にその言葉が聞きたかった。私はあの人と結婚することに
決めたの」
有紀は涙を流れるにまかせて言った。
「有紀の家ではその結婚を許すと思っているのかい? あいつら何をやってるのか知って
るのか。決してまともじゃないぞ。有紀を罪人の情婦にしたくないんだ」
「そりゃ条件は悪いわ。日本人じゃないし。でも情婦なんかじゃないわ。妻になるのよ」
「何だって? 日本人じゃないって、それじゃ朝鮮か」
「そうよ。本人は朝鮮じゃなく韓国だって言ってる。私はどっちでもいいの国籍なんて。
その人次第よ」
有紀は敢然と栄寿を選んだのだった。
正月に、新婚旅行と称して有紀の故郷へ行った。ふたりは新婚旅行のつもりであったが、
真の目的は結婚を有紀の両親に認めてもらうことにあった。だが、韓国人との結婚を喜ん
でくれるはずもなく、有紀は勘当されたも同然に、栄寿に伴って雪の降りしきる故郷を後
にしたのだった。
外が妙に明るい。
有紀はまさかと思った。三月に、しかも東京に雪など降ろうはずがない。ふわりふわり
と花びらが舞うように降ることはあっても、一面真っ白に積もるなんて想像もできなかっ
た。たとえ降ったとしても、純白の雪は、都会の極彩色に染まって、赤や青や黄や紫色に
変色してしまうのではないかと思った。だが、窓の外の明るさは確かに雪の明るさなのだ。
北陸で生まれ育った有紀には、懐かしい泣きたくなるような雪の明るさであった。
カーテンを引くと、やはり雪だった。十五センチは積もっている。全体を白一色で塗り
つぶす、とまではいかないが、充分な雪景色が目の前に広がっていた。
日曜日だった。午前八時を過ぎたばかりなのに、荒川の土手で、思いがけない天からの
贈りものに、子供たちが大はしゃぎしていた。ビニール袋をそりに見たてて滑っている子、
本物のスキーを持ち出している子。雪だるまもこしらえてある。有紀と栄寿のアパートは
荒川にかかる千住新橋の袂にあって、二階の窓からは荒川土手が一望できた。そこには、
雪国の子供たちの遊びが、まるで遠眼鏡を覗くように繰り広げられていた。
「ねえ、栄寿。窓の下を見て!」
雪だ雪だと騒ぐ有紀の声にしぶしぶ起きた栄寿は、
「おっ、これはいい」
と叫んだ。
五室あるアパートの階下は廃品の集積所になっていて、裏には古新聞、古雑誌、ダンボ
ール箱、古衣などがトラックやリヤカーで運び込まれて、塵芥の山になっていた。その塵
芥の山が雪に埋もれて、美しい雪景色になっていたのだ。いつもなら五、六人の従業員と
大家の奥さんがそれらの仕分け作業を始める時間だが、日曜日のせいか雪のせいか、階下
は森閑と静まりかえっていた。
朝食の仕度をしている間に、栄寿は野球のボール大の雪の玉を作って来た。ほら、冷た
いだろ、と有紀の首筋にあてた。有紀が嬌声をあげるのを見て喜んでいる。
雪は断続的に降った。半日で溶けてしまうだろうと思われた雪は、道路こそ自動車の列
に汚なく溶けてしまったが、屋根や川土手には白いままに残っていた。だが雪国の雪と違
って、どことなく煤けた感じの雪だった。
午後になって長兄が来た。
「凄い雪だな。有紀さんの田舎ではもっと降るんだろうね」
「ええ。こんなものじゃないのよ。ねえ栄寿さん」
ふたりきりの時は呼び捨てにしても、長兄の前ではさん付けで栄寿を呼ぶ。
「そうだ、田舎から帰る日は吹雪だったな」
吹雪の中を汽車は走った。栄寿と有紀は、終始無言のままで堅く手を握りあい、窓の外
の後ろへ後ろへと飛んでゆく雪景色を眺めていた。雪の中に埋もれて三分の一ほどしか見
えていない一軒家がぽつんぽつんとあり、ひっそりと頼りなげに浮かんでいるのを、切な
い思いで見たことを思い出す。
「俺は早く雪の中から逃げだしたいとそればかり思っていた」
栄寿が遠い所を見る目をして言った。
「米原を過ぎると空の色から違うものね」
「赤ん坊ができたこと田舎に知らせたのかい、有紀さん」
「ええ、手紙で。でも返事はないのよ」
「そうか。それにしても有紀さんの御両親ってずいぶん頑固で冷たい人たちなんだね」
「そうですね」
有紀は寂しく笑った。
「ところで、儂は帰化しようと思うんだ。栄寿、賛成してくれるか? いや賛成しなくて
もいい、邪魔しないでくれるか」
「兄貴、それはどういう意味だ」
「儂は韓国人だ。祖国を大事に思う気持ちも強い。けどな、儂らみたいな半日本人(パン
チョッパリ)は、今後、本国へ渡って生活などしてゆけん。この日本に永住するしかない
んだ。韓国語も話せないが儂ら二世はまだ良い、うちの子供らはどうだ、キムチさえよう
食べん世代だ。韓国人だという自覚すらないだろう。儂は子供らのために決心したんや。
誰に何と言われようと何年かかろうと、帰化しようとな。栄寿も有紀さんと生まれてくる
子供のために帰化して日本人になれ! まず、儂がいろいろ調べて申請してみるから、栄
寿も今から心しておけ。真面目に生活の基盤を作ることが、今一番大事なことだ。有紀さ
んが日本人だから栄寿の場合は、儂より有利になるだろう。儂の嫁はんは北だからちょっ
とややこしいけど、まあ何とかなるだろう。身内は全員、北へ帰ってしまったんだし、あ
れは儂しか頼りになるものがいない。考えてみりゃ、かわいそうな身の上だな。康寿の奴
だよ、いつまであんな危ない仕事をしているんだろうな。前科のある奴は絶対に帰化でき
ないぞ」
長兄は、ブローカーをしている三男の康寿を非難した。栄寿もかつては仲間だった。
「俺は賛成するけど、おふくろが何て言うかな。韓国へ帰りたいのじゃないのか? 帰化
となると民団もうるさいぞ」
「民団なんかどうでもなるさ。つきあいがなくなればそのほうが好都合さ。親父も死んで
しまった現在、韓国へ行ったところで何もないし、親父の兄弟がいるらしいけど何の連絡
もない状態だ。今更帰っても仕方がないだろう。おふくろには年に一度遊びに行かせてや
ることで我慢してもらおうや。子供らを儂らみたいな、どっちつかずのパンチョッパリに
したらあかん。韓国人に育てるのが理想だろうが儂らには無理だ。日本人になることのほ
うが易い」
長兄と栄寿の話はいつまでも続いた。朝鮮人に嫁にやるために育てたのじゃないと泣い
た故郷の母の姿が、有紀を哀しくさせた。
「わたし、買い物に行ってきます」
有紀は、玄関で自分のブーツに片足を入れかけたが、すぐ横にあった栄寿の真新しい黒
のゴム長に足を突っ込んだ。ゴム長は大きかった。有紀はゴム長をぶかぶかさせて、夕方
の外へ出た。雪のせいでいつもより明るい。
雪がちらちらと降ってはすぐ止んだ。
「上を見れば雪は黒い、下を見れば雪は白い」
と有紀は声に出して言ってみた。小学校の国語の教科書に載っていた詩の一節なのだ。
灰色の空から黒っぽい塵芥がどんどん落ちてきて、背景が地上のものになると、初めて雪
は白く見える。子供心に、その表現がとても新鮮ですごい発見のように思え、その一節だ
けが有紀をとらえていた。
荒川の土手道を、ぶかぶかのゴム長で雪の踏みしめられる音を聞きながら有紀は歩いた。
財布も買いものかごも持たずに出てきた。別に買うものはなかった。立ち止って、アパー
トの自分の部屋の窓を他人の部屋の窓を見ているような気持ちで見ている自分に気付く。
有紀は窓が見えなくなる位置まで急いで歩いた。雪を踏みしめながら、雪国で実直に生き
てきた両親を思った。両親に祝福されずに外国人の子を宿し、あと八ヵ月で母になる不安
と孤独が有紀を襲った。涙が噴き出してきた。
子供たちに踏み荒らされずに、白い雪が一枚の布を敷いたように広がっている場所があ
った。街には燈がともった。有紀は涙に濡れた顔を雪に押しあてた。顔の型がついた。子
供のころ、そうやって遊んだことを思いだす。靴の踵を軸にして花の形を作った。コスモ
スの花のようだ。間隔をあけずに小刻みに回転すると菊の花になった。
「ゆーきー。何してるんだー」
栄寿が川土手を走ってきた。帰りが遅いので心配して迎えに来たらしい。財布も買いも
のかごも持たずに出たのに気付いたのだろう。
「お義兄さん帰ったの?」
「ああ、ちょっと前に」
「栄寿、雪の上に寝転んでみない?」
栄寿は黙って有紀の顔をのぞきこんだ。有紀は照れて舌を出した。
「こいつ、心配かけやがって。ああ冷てえ。長靴がないからサンダル履きで来たんだぞ」
「ごめん。ねえねえ、これ私の顔型よ。栄寿も作ってみて」
「よし!」
栄寿は有紀の顔型の横の雪の中へ顔を押しつけた。口の開いた不細工な顔になった。
「ねえ、あのきれいな雪の上でふたりの人型を作らない? ひとりじゃ誰かに見られると
恥ずかしいけど栄寿と一緒なら平気よ」
「よし、やってみるか」
雪の上にふたりは大の字に寝た。寝ると街の燈も家並みも見えなくなって、暮れなずむ
春の空だけが視界を占領していた。
帰化に有利だからという長兄のすすめで、純和装の貸衣装をつけた形だけの結婚写真を
撮り、両親と親戚に送ると夏になっていた。
夏の盛りに、妊娠によって起こる湿疹だと思われる赤い斑点が有紀の手足に二つずつ並
んでできた。ひどいかゆみだ。
「蚊に刺されたんじゃないのか?」
「蚊じゃないみたいよ。栄寿には何もできてない。悪い病気にでもなったのじゃ・・・・・・」
異常出血で流産しかかったこともあるので、栄寿と有紀は心配で仕方がない。そのうち
栄寿の手足にも同じ斑点が付き、かゆさのあまり、眠れない夜が続いた。
様子を見に立ち寄ったお姑さんから、南京虫の刺した跡だと知らされる。
「おかん知ってんのか、南京虫」
大阪の生野区猪飼野で生まれ育った栄寿は、母親や兄たちと話すときは大阪弁になる。
「小豆粒ぐらいの黒い虫やでえ。血吸われたらかゆうてかゆうてたまらへん。二つ跡がつ
くのんは南京虫に間違いないでえ」
お姑さんは呑気な口調で言った。ゴキブリも東京へ来て初めて見た有紀は、南京虫とい
う名の虫の存在すら知らなかった。
「どこから来たのかしら」
「大家が階下で屑屋しとるからな。それに、もしかしたら草履の材料にくっ付いてきたん
かもしらへんでえ」
柱と敷居と畳みのへりに塗るだけで南京虫を寄せつけない劇薬があるから、今度来ると
き持ってくるとお姑さんが約束した。
「有紀ちゃん、おなかのややこのために栄養つけなあかん思うて、牛のしっぽ買うてきた
でスープ作ったるでなあ」
お姑さんは台所に立って、野菜を刻みだした。近くの朝鮮市場へ行ってきたのだろう。
部屋の隅に仕事台がふたつ、ひっそりとかたづけられていた。仕事の根気が続かない栄
寿は、夏になってからというものは、ほとんど仕事をしていなかった。毎朝、食事の準備
をして仕事場を整えて、祈る気持ちで栄寿を起こす。だが栄寿は、昼近くまで眠っていて、
起きるとパチンコ屋へでかけて行くのだった。栄寿は、これで最後だと言いながら何度か
お金を都合してきた。万単位の金額で、有紀が訝ると、へそくりだと答えた。やがて有紀
も、ひとりでやきもきしているのに疲れ果て、栄寿がどこからか回してくる金で生活する
ことに、抵抗しないで生きていこうと思うようになっていた。倦んだ生活が続いた。
倦んだ生活の中へ湧きでてきた南京虫だった。夜中に起き、ぱっと電燈をつけ敷蒲団を
まくると、南京虫が数匹逃げ惑っている。それを縫い針で突きさす。畳の間にも隠れてい
るのを知った。体調五ミリほど円盤状の平べったい虫で、黒っぽい。この野郎、この野郎
と言いながら栄寿は次々と南京虫を刺していった。
そして夏も終り、お姑さんが敷居や柱や畳のへりに塗った薬が効いたのか、涼しくなっ
たからなのか、南京虫もいつしか影をひそめた。有紀の郷里からは相変わらず何のたより
もなかった。有紀はひとりでお産の準備を進めた。赤ん坊が産まれれば何かが変わってい
くと信じて、襁褓を一枚ずつ縫った。
パチンコで遊び暮らす栄寿に、昔の仲間が近づいてきた。明らかに真っ当な仕事をして
いない昔の仲間に、栄寿が引き戻されるのではないかと、有紀はいらいらした。栄寿とふ
たりで埃だらけになりながら、草履の踵に釘を打ちつける生活を取り戻そうとあせった。
「栄寿、元気かあ。嫁はんもらったんだってなあ。秋雄に聞いたで。豆腐くわしてんか」
ある日、茂と名のる小柄な男が来た。
「茂じゃないか。お前、いつ」
「昨日。まだ豆腐くってないんや、頼むわ」
有紀が豆腐を買ってくると、
「有紀、そのままでいいんや。箸と皿だけ持って来てくれ」
と栄寿が言った。
不思議なことにその男は、豆腐一丁まるごとしょうゆもつけずにぺろりと食べてしまっ
たのだった。茂は栄寿の幼馴染みで、刑務所へ行っていたのだった。刑務所から出ると豆
腐を味付けなしで食べるのが習慣なのだと栄寿が言った。
その晩は茂が泊った。夜半になって、茂が帰ってきたと知った昔の仲間が、有紀たちの
アパートへ集まってきた。狭いアパートが男たちでいっぱいになった。身重の有紀には苦
痛だったが、アパートはもともと仲間たち共有で新居のない栄寿に譲った、といういきさ
つがある。男たちは明け方まで、花札に興じた。全員朝鮮人のその仲間たちは、いつでも
さっそうとしていて、金まわりが良さそうだった。
「有紀、これ預りもんだから隠しておいてくれ」
栄寿から渡されたのは、高価そうな外国製腕時計十個だった。何か犯罪の臭いがした。
茂も草履職人で、近くにアパートを借り、仕事を始めることになった。長兄が問屋の紹
介や道具を揃えるのに力を貸したのだった。茂が真面目に仕事を続けるのに、栄寿はのら
りくらりと日を重ねていた。
生活の変化が予期せぬことからやってきた。
大阪に住んでいた次兄の尊寿が上京してきて、栄寿と有紀の新婚所帯に、一時同居する
ことになったのだ。
しばらく栄寿とともにパチンコ通いをしていたが、一緒に仕事をやる気になったふたり
は意欲的だった。尊寿の職人としての腕は良く、一人前の仕事のできない栄寿にとっては
好都合だったが、有紀の負担が重くなった。炊事洗濯などの家事もさることながら、草履
の下仕事の量が多くなった。一日に百足ずつの製品ができていった。六畳間はふたりの部
屋にし、三畳間は尊寿の部屋にあて、昼間は部屋全体が仕事場と化した。
仕事仕事の明け暮れだったが、お腹の子は順調に育っていた。両親からは何のたよりも
なかったが、有紀は毎月欠かさず手紙を書いた。苦しいことや栄寿と身内についての不満
悪口は決して書かず、貧しいけれどとても幸福な日々を過ごしていると誇張して書いた。
本当は、まわりがすべて夫の縁者で占められている息苦しさの中で窒息しそうになり、
他人同士が夫婦となることの難しさに何度も現状から逃げだしたいと願った。夫婦喧嘩を
しても、帰る実家も身を寄せる友人もない実際の生活の中で、戸惑いや怒りや哀しみや不
信が渦となって襲いかかってきて、有紀の夢と期待を次々と破っていったのだった。
同居した尊寿はひどい酒飲みだった。仕事はできたが、金のある間は飲み続け、なくな
ると仕事をした。問屋から支払われる工賃は十五日と三十日だったが、栄寿と有紀の知ら
ない間に前借されていることもあった。三十歳の結婚適齢期で、お姑さんがお見合い話を
次々と持ってきたが、どれもまとまらなかった。見合いの当日、栄寿の背広と時計を借り
て行き、帰りは質に入れて飲み代に替え、ぐでんぐでんに酔って帰ってくる始末だった。
だが兄弟仲は良く、たいした喧嘩にもならず、常日頃は平和に三人の共同生活が営まれて
いた。
そんなある日、栄寿の三番目の兄が美しい女性を伴って現れた。ブローカーをしている
康寿だ。
有紀はひとりで、踵に釘を打っていた。
「有紀ちゃんひとりか? あいつらは?」
「競馬よ。菊花賞だって」
「ひとりでも仕事やってんのか、偉いな」
康寿は同情したように言った。
「こんにちは、香織です」
華やかな笑顔でその女性は挨拶した。
「うちの嫁はんや、よろしくな」
康寿が結婚したとは聞いていない。有紀は驚いて香織を見直した。
「こちらこそよろしく」
有紀は曖昧に笑った。
「康寿の弟さんのお嫁さんってかわいい人ねえ。私と同い年くらいかしら」
「有紀ちゃんは確か二十歳だったな」
有紀は頷いた。
「良かった! 私のほうがひとつ上よ。妹ができて嬉しいわ」
いきなり妹にされた有紀は戸惑った。香織は大柄で色白の華やかな印象の女性だ。化粧
が上手だ。膝のとびでたフリーサイズのスラックスに妊婦用の上っぱりを着て肩までの長
い髪を後ろでひとつに束ねて、化粧気もない顔の有紀は、香織の華麗さに圧倒された。
「大きなったな、まだ生まれへんのん?」
康寿が有紀の腹を見て目を細め、優しげに言った。二十五歳だが、兄弟の中で一番背が
低くて太っていて、三つ揃えの背広がしっくりと体に合い、三十歳には見える落ち着きが
あった。
「予定日は十二月の末なの」
「そうか、体を大事にせなあかんよ。仕事なんかすることあらへん。あいつらにまかせと
けばいいねん」
「ええ」
「香織なあ、有紀ちゃんと同じ日本人なんや。よろしく頼むわ」
香織は一瞬きつい顔をしたが、よろしくねと華やかに笑った。小遣にしな、と康寿が有
紀に一万円札を握らせた。
ふたりが帰った後、有紀は鏡台の前に座った。目尻に涙が滲んだ。目の下に妊娠による
シミが浮いて所帯やつれが目立った。無我夢中で生きてきたこの一年間だったが、美しく
装った同年代の香織に会って、有紀は、飛ぶことを忘れてしまった鶏のように狭いアパー
トでばたばた暮らしてきた自分を顧みた。栄寿との結婚を決意したときには、現在の生活
は想像もできなかった。将来、小さな喫茶店でも持ちたいと語った栄寿の夢を、有紀も一
緒に見ていたに過ぎなかったのだ。出口のない情事に溺れていた有紀を救出してくれたか
にみえた栄寿は、もっと逃げ場のない家庭の妻と母にして有紀を縛ってしまっていたのだ
った。もがけばもがくほど沈み込んでゆく蟻地獄さながら、有紀を飲み込んでしまう結婚
というものの正体は何なのか。有紀はただ変わり果てた自分の姿に涙を流すことしかでき
なかった。
女は鏡の中で様々なことを考える。女はまた鏡の中で自分自身と対話する。そして違っ
た自己を発見する。有紀は家を出ることを考えた。自分をこの狭い部屋に閉じこめている
のは自分自身なのだ。私はどこへだって飛びたてる野鳥なのだ。決してカゴの鳥ではない
はず、さあ大空へ飛び立とう。高いところからみれば幸福のありかもわかるかもしれない。
心がはずんだ。
有紀は念入りに化粧すると、栄寿と田舎へ行ったときに使った水色のスーツケースに着
替えと化粧道具を詰め込んだ。へそくりの郵便貯金通帳と印鑑、母子手帳も持ち、鏡台の
前に置き手紙することも忘れなかった。
電車の中で有紀は、他人の視線が全部自分に注がれているようでぎごちなかった。昼の
電車はすいていて、立っている者は誰もいない。皆退屈そうな顔をして、それでいて誰と
もおしゃべりしないで、停車駅で人が乗り降りするのをちらっと見ている。大きなスーツ
ケースを持った妊婦の有紀は確かに目立つ。
どこへ行くとも決めていなかったが、足は自然に東京駅へ向いていた。駅は活気にあふ
れていた。切符売り場へ行ったが、行き先が定まらず切符を買えなかった有紀は、スーツ
ケースをコインロッカーに預けて、地下街へ行ってみた。用事でもあるかのように、あっ
ちこっちと歩き回った揚げ句、疲れて気分が悪くなってきた。
トイレは混雑していた。吐き気がしていたが何もでてこない。朝から何も食べていなか
った。使用して出ると、順番を待っていた少女が口から黄色い汚物をたらしていた。両手
で必死に押さえているその指の隙間から流れ出て、今にも切れて落ちそうになっていた。
まだ二十歳にもなっていない少女だった。その汚物がつわりのものであることは誰の目に
も明らかだ。有紀は思わず腹をなでていた。
友人と一緒のときは、たった一杯のコーヒーで二時間も話し込んでいられた喫茶店も、
ひとりだと三十分いるだけで追加注文しなければまずいような気になった。待ち人もいな
いのに、しきりに腕時計を覗いたりドアを気にしたりして、ポーズを作る自分が寂しい。
家を出てみたものの行く所がなかった。何とかして自分の心を奮い立たせて、田舎へ帰
ってみようとしたが、どうしても東京駅から汽車に乗ることができなかった。二度と帰っ
てくるなと両親に言われて故郷を後にしたのだ。韓国人の子を宿して、今更帰れるはずが
なかった。
有紀はスーツケースをさげて、浅草の仲見世をぶらぶらと歩いていた。
おもちゃ屋の店先は賑やかだ。ゼンマイじかけのサルがシャンシャンシャンと手を打つ
かと思えば、ロボットが歩いていたり、笑い袋がけたたましい下品な笑いを放っている。
笑いたくもないのに無理に笑っているようないやに哀しい笑い声。有紀は立ち止まって、
かわいいピンクのかごの中で首を振っている真っ白の子犬のおもちゃに見とれた。いつま
で見ても飽きなかった。
「奥さん、おなかの赤ちゃんにどうですか。まだ早いかな」
店の主人が声をかけた。
「えっ? ああそうね。いただこうかしら」
千円だった。
左手にスーツケース、右手におもちゃの箱をぶらさげて、有紀は家路についた。日も傾
き夕方が近づいていた。
アパートに帰り着くと、有紀の書いた手紙がそのままに空々しく、西日の射し込んだ部
屋にあった。鏡台の前に疲れて座り込んだ有紀は、その手紙を見てふっと笑い、丸めて屑
かごに捨てた。そのとき、おなかがぐにゅっと動いた。
「あっ、動いた・・・・・・私の赤ちゃん」
有紀はおもちゃの箱を開けて、小犬のゼンマイをいっぱいに巻いた。ジィジィジィ・・・・・・
犬は愉快そうに首を振る。
何度も何度もゼンマイを巻き直しながら、有紀はもう一度おなかの子が動くのを待って
いた。
履歴書を書く
ソン
成
チン
真
ドゥン
澄
いつだったろうか
日本人ではないと知らされたのは。
いつだったろうか
白無垢が着れないと知らされたのは。
いつだったろうか
もう一つの国が祖国だと知ったのは。
いつだったろうか
差別ということを感じたのは。
いつだったろうか
日本にいる私が異邦人だと悟ったのは。
いつだったろうか
あれは・・・・・・・・・・・・
「コトリ」と小さな音をたてて私を呼ぶ物がいる。今日こそは、そういう淡い期待を寄せ
て扉を開ける。ペンキの剥げたポストをジッと見つめる。フタを開ける前に眼を閉じてわ
ずかの間祈ってみる。けれど手にした封筒は、夏の陽差しの中に白々しいまでに白く輝き、
まるで別の世界から迷い込んだ離縁状のようにとりすましている。もう封を切るまでもな
く、中に入っている物を理解してしまう。それは、まぎれもなく離縁状。遠い世界から届
けられる便りである。
何十通と同じ文章を書いた一枚の紙切れと共に手元に戻ってくる履歴書。書いても書い
ても戻ってきてしまう。いつも同じ。白い封筒を手に、淡い期待と希望で開けた扉を、今
度はあきらめと共に開け暗い部屋へ帰る。
「いつになったら、あんたはあきらめるの。いくら書いても無駄だよ。勤める気があるな
ら、本籍欄には『愛知県』と書くのさ。本当の事書いて、雇ってくれる会社なんてありゃ
しないよ」また同じ言葉で迎えられる。
そうなのだ。たった二文字、朝鮮と書いた本籍の欄が気に入らなくて落ちてしまう。い
つまでたっても仕事が決まらなかった。
高校を卒業して、もうすでに五ヵ月が過ぎようとしている。就職の決らないまま卒業式
を迎えた同級生もそれぞれに何らかの形で日々を有意義に過ごしている。それなのに、私
は、毎日毎日同じ顔を見て同じ言葉を聞いて過ごしている。何処かにあるはずだ。何処か
に私という人間を気に入って雇ってくれる会社があるはずだ。そう思って毎日履歴書を書
く。本籍の欄にくると指が動かなくなる。どう書こうか、と一瞬戸惑う。けれど次の一瞬
『朝鮮』と大きく力強く書いてしまう。
シューッ シューッ・・・・・・遠くで音がする。鼻先までガスが来た。もうすぐだ。直にこ
こから逃げられる。すぐにすんでしまうのだ。頭がボーとしてきた。次に目覚めたとき明
るい世界で暮らすんだ。もうすぐだ。苦しくなんかない。ここから、今この時から逃げら
れるのだから。
明るい世界で目覚めるはずだったのに、目に写ったのは、薄暗い天井と涙で濡れた顔の
母だった。失敗したのだ。私は行き損なったのだ、別の世界へ。この二日間を私は消して
しまいたかった。人間を信じたまま明るい所へ行きたかった。ただそれだけなのに、それ
さえ叶わないのだ。そんなささいな願いさえ受け入れられないのだ。
君が落ちたのは、君の成績が足りないからではない。日本人でないという事で受け入れ
られない、という答だった。受験する前にわかっていれば、別の学校を受験するなり方法
があったろう。それを・・・・・・。すまない。僕は教師として、君の担任として、否、一人の
大人として恥かしい。君に言うべき言葉が見当たらない。けれど、ここで負けてはダメだ。
君がしっかりとこれから先を生きて行く事が大事なんだ。長い人生の肥しにして生きて行
ってくれ。
初めて入った喫茶店。ガラス越しに中学生達が歩いて行く。皆一様にうれしそうだ。彼
らは受かったのだ。希望通り志望校に入学できるのだ。私にも同じ喜びが来るはずだった。
それは間違いなく訪れるべき喜びだったのだ、数時間前までは。「受験番号が見当らない。
もう見に来なくていい。陽子、おまえは見なくていい」淋しげに電話を切った父は、戻っ
て来なかった。かわりに担任から呼ばれ、朝鮮人は学校に来なくていい、という話を聞か
された。どれもが遠い所で、見知らぬ所で交される言葉だ。私は聞きたくない、そんな話
も級友の笑い声も。それを、友が合格を知らせに来る学校の側のこんな所で母と二人肩を
寄せ合い、身を縮込めて聞かされる私たち母子の事をこの人は考えたのだろうか。すまな
い、恥かしいと口にするけれど、そういうあなたが私にどれ程親身になったというのだろ
う。言葉が空を切る。無駄な時が過ぎる。日本人である事を当然の事として受け止めて三
十数年生きてきたあなたに、たった二文字が違う国籍の、たったそれだけの為に級友と喜
びを共にする事の出来ない十五の子供の心がわかるはずはないのだ。あなたは、受験の前
におずおずと国籍を告げ、試験に支障はないのかと、しつこく尋ねる母を笑ったではない
か。今の日本にそんな差別はありません。そう言い切ったではないか。その答えが今判明
したのだ、明確に。
自分の言うべき事は終わったというのか、時計を見てお尻を浮かしている。母も私も引
き止めはしなかった。本当に申し訳ない、最後にもう一度頭を下げ、再び顔を上げた時に
は、もう私達母子の方を見ていなかった。そして、それが当然であるかの様に自然に、テ
ーブルの伝票だけは母の方へ押しやって出て行ってしまった。
母は黙っている。テーブルのコーヒーも冷めてしまっている。砂糖を入れる事さえ忘れ
ている様だ。時折窓外を行く中学生をジッと見つめている。話し声がとぎれがちに聞こえ
る。二、三人ずつグループになって歩いて行く。腕を組み、ふざけ合い、駆けながら去っ
て行く。明るくカン高い笑い声がそれを追って行く。
どれ程たったろう。外に笑い声も中学生の姿も見えなかった。夕暮れの靄の中で「ごめ
んね、陽子」そういう母の声だけが耳に響いた。頬を涙で濡らしている。私の顔も見ず、
学校の建物を睨むようにして見たまま、その眼からは涙があふれている。初めて見る母の
涙だ。当の本人は、意識も心もここになく呆けた人の様にジッと動かなかった。目に写る
のは、友と合格を喜び合い、弾むように門をくぐる自分の姿でしかなかった。今ここに坐
っている人間が、自分であるとは信じられなかった。いや信じたくないのだ。
夕暮れの通い慣れた道を、母と子は友人をさけ、近所のおばさん達をよけながら、人通
りの少ない所を選んで帰った。みじめだった。情けなかった。逃亡者であり負け犬だった。
合格祝いの赤飯も焼肉も今では無用であり、悪夢が現実である事を確定づけるだけの役割
を果たした。
十四歳になって外国人登録をするまで、自分が朝鮮人である、ということをはっきりと
認識しなかった。両親があえてその事を話したがらなかったから。周りの人々と学友と同
じであると信じて疑わなかった。否、同じだった。食べる物も着る物も話す言葉も。総て
同じ。違う点など一つもなかった。だが違っていたのだ。こればかりは、どうあがいても、
もがいても変える事の出来ない事実である。
人は皆同じだ。差別してはいけない。そう話してくれた大人達のどこに本当があったの
だろうか。日本人と変わらぬ生活をして、日本語しか意志を交す言語を持たない私のどこ
が日本人と違うというのだろうか。同じではないか。身体を流れる血は赤い。痛みも感じ
る。何処が違う? 何処が気に入らなくて私を避けるのか? 私は、受験校の校長に会っ
た事すらない。会った事もましてや話した事もない私の何処が気に入らないというのか。
信じられなかった。信じる術を見つけ出せなかった。いい点を取って真面目に学生生活を
送って、級友達と同じ様に高校へ行くものと決めてかかっていた私に、進むべき道は見え
ない。何を頼ればいいのだ。私を受け入れない学校や社会で暮らして行けるのか。
映画鑑賞会で見た「橋のない川」のあの場面が目に浮かぶ。あこがれの少女に手を握ら
れた主人公が顔を赤くしてうつむいているその頬に「エタは身体が冷たい、と聞いたけど
それは嘘だね。あんたの手は温かいもの」
あの映画にあった、人を人と思わないあの言葉は、自分にとって無縁のものであるはず
だった。あの凍った言葉に涙はしても、聞く事のない言葉のはずであった。だが今は違う。
「民族学校もあることだし、そちらの方へ進学する事も考えてみては・・・・・・」そう言った
あの無責任な担任の顔は、能面よりも冷たく無関心であった。あんな顔、あの言葉を聞く
為に十五年生きてきたのではなかった。
陽子、あんたが死んでしまったら、母さんも生きてはいられない。十五年大事に大事に
育てたあんたを死なせて生きていられる訳がない。大人は皆が、あの担任の様な人ばかり
ではないのだよ。いい人もいる。悪い人もいる。その両方の人がいて社会が成り立ってい
るのだから、陽子、あんたはそのいい人になりなさい。負けて死んで行くのは、もっとも
っと生きてからにしなさい。母さんは、あんたの倍以上生きて来ました。おばあちゃんは、
その倍も生きて来たのだから、あんたの苦しみや悲しみを生きて来た分だけ余分に知って
いるんだよ。生きていれば、悲しい事も辛い事も楽しい事もあるということを陽子にわか
ってもらいたい。生きてさえいれば、いつかきっといい日が来るからね。
陽子という名は、太陽の様にいつも変わりなく誰にも分け隔てなく明るさを与える人で
あってほしい、そう思って付けた名前だから、陽子、頑張って母さんともう少し生きてみ
ようよ。生きていれば、きっといい日が来るから。そう信じて生きてみようよ。
母は強かった。ごめんね、と私に言ったあの言葉にどれほどの思いが隠されているのだ
ろう。私は、母の言葉に従ってもう少し生きてみる事にした。両親の願いの込もった陽子
になれる様に、もう少し生きてみる事にしたのだ。
郵便屋さんが、今日もまた私に一通の封筒を届けてくれる。触れると冷たいお断り封筒。
私を気に入ってくれる会社が見つかるまで履歴書を書き続ける。二文字の違いが問題なの
ではなく、人間性が問題にされるべき事柄なのだ、と信じている人が現われるまで、私は
あきらめない。その人が現われるまで、陽子は書き続ける。本籍欄は筆太く一気に「朝鮮」
と二文字を陽子は書き続ける。
「読む会」に参加して
ハム
ア
ニ
咸 安 姫
在日朝鮮人作家を読む会に、やっと参加できた。やっとというのは、八四年に会の存在を
初めて知ってより、ほうぼうで、ほんとにあちこちで、会のことを聞いていたので、同胞
の間では深く広く支持されてきたのでした。
このたびの会のことは、現在日雇労働者の組合で行なわれている朝鮮語市民講座の友人
である、O氏を通じてでありました。組合のメンバーは男性がほとんどで、その彼らは一
人一人大変に心やさしく、フェミニストでユニークな人達ばかりで、文才が私にあれば、
モデルに登場させたい人たちばかりです。そしてその男性を支える幾人かのこれまたユニ
ークな配偶者と子ども達もいて楽しい人間集団をなしています。
今度の例会は一一三回目とのことで、うかがえば七七年が始まりで今年の暮れには 10 周
年を迎えるとか。主宰者の磯貝治良さんのことは、指紋押捺を廃止させる会、反外登法運
動の推進者、指紋拒否者を力づよく支えて下さっている方として存じ上げていて、その御
縁で私もお世話になっている方です。
今回の元秀一作「猪飼野物語」は図書館の新刊書として書棚に並べてあった中から借出
して読んでいたもので、おもしろいなぁと思って読んでいたものでした。
作中の姐さん達の話す済州道なまりの日本語は、私の住む処の慶尚道なまりの日本語に
似た感じで、なつかしいような、うれしいような会話群です。말이야 사상ということばが
ありまして、ことばは思想という意味ですが、済州人の思想を日本語で表現するときあの
特徴あることばになるのでしょうか。私の処は함안 조시の村といわれています。慶尚南道
咸安郡の趙さんの多い村という意味で、趙さんちの親類、縁者でその多くが占められてい
て、その他の苗家の家は比較的少ないということなのです。やはり、ここでも、경상 함안
の思想を日本語で語るとき、私の囲りにあって、私も近所では同じことばで話しています。
初めて参加出来たことがうれしく光栄で、私は、ただひたすら、ゆかいにのめりこんで
しまったのでした。
(一九八七年一〇月七日)
雨森芳洲の涙
か
とう
けん
じ
賈 島 憲 治
享保四年(一七一九)六月二十七日、朝鮮の李粛宗は徳川吉宗が将軍職に襲位したことを
祝うため、洪致中を正使、黄璿を副使、李明彦を従事官とする通信使の一行四七五名を京
城から対馬府中へ派遣して来た。今度の来日は、足利幕府から続いていた国交が豊臣秀吉
による文禄・慶長の役のため一時中断していたのを慶長十二年(一六〇七)に回復して以
来、九度目に当った。一行は、この後、幕府側の対朝鮮外交の事務を担当していた対馬藩
主宗方誠を案内役にして、はるばる江戸まで上ることになっていた。
若い藩主宗方誠にとって通信使の接待は初めての大役であったので、失敗しないかと不
安でたまらなかった。この藩主の側に親のようにぴったりと付き添い、朝鮮の三使臣との
間を日本語と巧みな朝鮮語を使って周旋する一人の男がいた。彼の姓は橘、氏は雨森、名
は誠清、字は伯陽、号は芳州と呼んだ。年は五十二歳である。雨森芳州が通信使の随員と
して加わっていた製述官の申維翰に対面した時に、最初に尋ねられたことは、
「新井白石公はいかがしているか」
ということであった。これまで朝鮮人の文人ならば雨森芳州が日本人と知ると、すぐに
決まったように白石のことを話し出す。「自分は『白石詩草』を大切に持っている」と自
慢し、「新井氏は今も詩を書いているか。最近ではどんな詩集を出版したか教えてほしい」
と矢継ぎ早に問うてくる。もっとも、申維翰が聞いたのは理由があった。白石は通信使と
の関りが深く、天和二年(一六八二)に通信使が来日した際に、自分の詩集『陶情集』に
製述官の成琬に序を書いてもらっていたし、彼自身が将軍家宣の政治顧問として正徳元年
(一七一一)にやって来た通信使と接渉することになった時も、製述官李礥に『白石詩草』
の序跋を書いてもらったほどであった。そのため、申維翰は師にあたる崔昌大から、
「あなたが日本へ行ったら、必ず新井白石公に会いなさい。おそらく今度も、白石公は新
しく著作した詩集を用意して待っているに違いないから、あなたは彼の詩集の序文を書け
るだけの心積もりをしておいたがよろしい」と、あらかじめ忠告を受けていたのである。
申維翰はさらに少しはにかむような笑いを浮かべて言った。
「実を言えば、製述官を仰せ付かりました私は、高名な新井白石公にお会いできるのを何
よりも大きな楽しみに日本へ参ったのです」
芳州は肌の色が蒼白く、高い鼻の下の左右にぴんと黒い口髭を伸ばし、目は人懐っこく
きらきらと光っている申維翰の顔を見つめた。そうして、芳州は自分の白い顎鬚を右手で
軽く撫で付けながら大きな瞳を見開き、
「左様ですか。小生は新井殿とは眤魂の間柄であり、同門の者であります」と言った。
雨森芳州と新井白石の師は、木下順庵という朱子学者であった。二人が江戸の木下順庵
の塾で知り合ったのは、芳州が十九歳、白石が三十歳の時であった。芳州は木下順庵が幕
府の儒者となった天和二年(一六七二)の翌年に江戸へ出て、順庵の塾に入門した。芳州
は初め林鵞峯の引き率る林家で儒学を学ぼうとしたが、藩士でもない芳州は藩主からの推
薦状がないため一も二もなく門前払いを食わされ、止むなく木門に入学したのである。そ
れから、三年後に当時、堀田家の仕官をやめて浪人していた白石が順庵の門人になった。
彼はすでに巷に有名な詩家であり儒家としてあまねく知れわたっていたので、言わば木門
の特待生のごとき扱いで入塾が認められた。勿論、彼は最初から順庵の高弟として塾での
着席の位置は、芳州よりもずっと前の方の、師順庵のすぐ隣であった。白石は木門に入っ
て暫くすると、「林家から何度も繰返し入塾の勧誘があったが、死をもって仕えねばなら
ぬ順庵先生の学恩を忘れることは出来ないときれいさっぱり断ったよ」と彼がさも得意気
に話しているのを聞いて、芳州は不愉快でならなかった。けれども、ある日、芳州が白石
に儒学者になろうとした訳を尋ねて、白石が意外にもおのれに近い人間であることを知っ
た。
白石は苦い青春時代を懐しむように言った。
「私にも以前に医者になったらどうかと勧めてくれる人もいた。医者は賤しい職業ではな
いし、医者になれば両親を養っていけるからと言ってね。私は医は仁術と言うから、悪く
ないと思ったが、私は生まれつき愚鈍なところがあるから医術も精進しないだろう。もし
人の治療で間違いを犯せば医は仁術にならない。昔の聖人は一人といえども、罪のない人
を殺しはしないということを聞いているから断ったのだ」
この言葉を聞いて、芳州は、
「実は自分は十二歳の時に京で医者であった父の清納の跡を継ぐため、伊勢の名医という
評判の高森氏の下で医術を学んでいたことがあった。ある時、高森氏が知人に向かって、
宋の詩人蘇東坡が学問をしようと欲する者は紙を費やし、医を学ぼうと欲する者は人を費
やすと言ったように、医者というものは薬を何十回となく誤まり、そのため人を死なせる
ような辛酸をなめて、はじめて一廉の医者になれるのだと語っているのをたまたま傍で聞
いて、自分は医者にはなれないと悟り、医者となる志を捨て、たとえ貧乏暮しでもよいか
ら儒学者になろうとしたのだ」と言った。
「なるほど、雨森君、あなたは目の前にいくら大金を積まれても罪のない人を殺せないよ
うな性分の人ですからね。私とあなたの二人がどうせ儒学者になろうとするなら、一生懸
命励み、日本国のために役立つ立派な儒学者になろうじゃありませんか。人生きて万戸侯
に封ぜられずんば死して閻羅王たるべしというくらいの気概をもってね」
白石は大きな両手を差し出し、芳州の両手をしっかりと握り締めた。芳州が木門に入っ
て五年目の元禄二年(一六八九)四月のことである。対馬藩主宗義真は木下順庵のところ
へよい儒学者をもらいたいと使者を出した。これは前の年に、対馬藩の儒者であり、木門
に学んでいた阿比留が病気でなくなったからである。順庵は阿比留の後任として多くの門
人のうち一体誰を推薦しようかと迷った。というのは、阿比留は対馬出身の儒者であった
が、そうでない者にとって対馬藩は外様大名であるうえに、江戸から遠く離れた孤島の十
万石の小藩であったから、江戸住まいに慣れた門人は江戸藩邸勤めなら喜んで仕官するが、
対馬島へ赴任しなければならないとすれば仕官をためらうことをよく知っていたからであ
る。藩主宗義真は、ただの儒者を求めていたのではなかった。対馬藩は海外貿易を基盤に
して藩の財政を維持していかねばならないから、今度新しく採用する儒者には朝鮮語と中
国語を是非学んでほしいと要請したのである。さらに、出来るならば木門の中で特に若い
儒者を推挙してほしいと言ってきた。そこで、順庵は、木門に学ぶ者は誰もみな仕官の口
を求めていたが、若いうえに江戸に身寄りもなく貧しい生活をしていた芳州を推薦するこ
とにした。芳州は大いに喜んでこれに応じた。
芳州が白石に、
「対馬藩に今度仕官することになった」
と嬉しそうに話すと、白石は、
「それはおめでたい。対馬藩の儒学者阿比留氏のおかげで朝鮮の使節に自分の詩集の序を
作ってもらうことが出来た。そればかりか、それがきっかけで順庵先生にこうしてお目に
かかることにもなった。彼は言わば、私にとって大恩人。その彼がまだ二十九歳の若さで
なくなったのが本当に痛ましくてならぬ。死ぬ間際、病床に彼を見舞った時、彼は『対馬
藩の最も大切な時に何も出来ぬのが無念だ』と人目をはばからず男泣きした。これからと
いう矢先だったから、彼はそれこそ死んでも死にきれなかっただろう。そうした彼を見て
いるだけに、あなたが阿比留氏の後任になったのが、私には何よりも嬉しい。阿比留氏は
いつも言っていた。『これからは島国の日本だけに目を向けていては駄目だ。積極的に世
界に目を向けていかねばならぬ』と。対馬藩は昔から朝鮮や中国とも関係が深い藩だから、
あなたはきっと思う存分に活躍できるだろう。それに、あなたの粘り強さと若さがあれば、
朝鮮語や中国語を修得するのもさして難しくはあるまい。どうか読書人雨森芳州の名を海
外にまで鳴り響かせてもらいたい。それにしても、貧乏暮しが長いのはもう慣れたが、私
にもあなたのように、おのれの実力を発揮できるよい藩から仕官の口がないものかなあ」
と慨嘆して笑った。
芳州は三年間、江戸の対馬藩邸から木門に通ったが、二十五歳の時に中国語を学ぶため
長崎の出島にある唐人屋敷へ出向することになった。彼はそこで毎日、朝から晩まで中国
語を徹底的に教え込まれた。暇な時には、市場へ出かけ、そこで対馬の商人が島で取れた
魚や塩を持って来て売り、その金でオランダ人や清国人が持って来た犀角、象牙、皮革、
胡椒、砂糖などを盛んに買っているのを見た。これらの物は他国で売ればそれこそ何十倍
も高く売れるとのことで、この仲買い貿易で成功して大金持ちになった商人が対馬で何人
もいると聞いた。
翌年、芳州は初めて領国対馬へ渡り、禄二百石を拝領した。対馬は彼が予想していた以
上にちっぽけな島であった。島全体が山ばかりで、平地は少なく、土地は痩せて柑橘楮が
取れるばかりであった。漁業をしている民は貧しく、道を行くと乞食たちが食い物を求め
て芳州にまといついていつまでも離れなかった。芳州はこんな寂しい田舎に住むことは出
来ないと思って、あやうく対馬藩の儒者を止めて江戸へ帰ってしまおうかと真剣に思った。
彼は対馬の男たちが気が荒くて喧嘩早いのが気に入らなかったし、女も肌がかさかさに荒
れていたので、江戸の美しい女たちのことが恋しくてたまらなかった。しかし、彼は死ん
だ門人の阿比留が、
「秀吉の出兵で、朝鮮との関係が途絶えたが、対馬藩の仲介で、国交が回復できたのです。
対馬藩がなければ日本と朝鮮は仲良く付き合っていけません。私の故里の対馬は小さな島
ですが、私は日本と朝鮮のかけがえのない掛け橋だという誇りをもっています」
といつだったか自分に語った言葉を思い出して、かろうじて対馬に踏みとどまった。
芳州はその後、再び長崎の唐人屋敷で中国語を三年間学んだ。そうして、三十六歳にな
って、朝鮮へ渡り釜山にある倭館で三年間朝鮮語の勉強をした。その間に、新井白石は順
庵先生の推薦を受けて、将軍綱吉の近親である甲府の藩主徳川綱豊の儒者となった。やが
て、徳川綱吉がなくなると、徳川綱豊は名を改めて将軍家宣となった。白石は引き続き将
軍家宣の儒官となり、世に言う正徳の治を推し進めることになったのである。
「そうですか。あなたも木下順庵殿の門人でしたか。順庵殿も優れた文人だったと伺って
おります。そこで、白石公はどこにおられますか」
と申維翰は重ねて尋ねた。芳州はちょっとの間、答えに窮した。なぜなら、急にいまい
ましい気持ちが胸の内に起こってきたので、これを無理に抑えねばならなかったからだ。
「白石公は江戸にいますが、今は病のため国事を辞して門を鎖しています。あなたが江戸
へ行ってもおそらく会うことは出来ないでしょう」
白石は徳川吉宗が将軍に襲職すると同時に遠ざけられ、一ツ橋外小川町の屋敷も召し上
げられ、借屋に住んでいた所も火事に遭い、今は小石川柳町に住んでいるはずであった。
白石は対外的には病気であることにしてあったが、多くの者はそうではないことをよく知
っていた。
「白石公は病気ですか。それなら江戸へ着いたら早速お見舞に伺いたいものですが」
芳州はあわてて右手を振って申維翰の言葉をさえぎった。
「いやいや、それはなりませぬ。製述官の地位にあるあなたが、今は何の公職にも就いて
いない者の所へ正式に尋ねていかれては必ず問題になります。私は江戸へ参った時に、彼
の家へ立ち寄りますので、もし何か御用事がございましたら、喜んでお役に立ちましょう。
どうか、お願いですからそうなさって下さい」
申維翰はいかにも深刻そうに困惑した芳州の顔を見つめたまま、なんだか合点いかぬ様
子でこう言った。
「そうですか。私が白石公の病気を見舞うことが問題になるのなら止めましょう。ところ
で、あなたにひとつお聞きしたいことがあります。今回の通信使の待遇及び相互の国書の
署名の仕方を元に戻すということになりましたが、これはまさに朝令暮改ではありませぬ
か。先回の朝鮮通信使に対する白石公の強硬な主張は間違っていたと将軍吉宗公はお認め
になったのですか」
正徳元年(一七一一)に訪れた朝鮮通信使と新井白石との間に、大きな論争になったこ
とは、これまで朝鮮から来る国書の宛名を将軍のことを「日本国大君」と記していたのを、
「日本国王」と改めるように要求し、さらに幕府側の返書についても「日本国源某」とい
う署名を「日本国王」としようとしたことであった。白石は「大君」という記し方は朝鮮
では臣下にあたる職号であり、朝鮮が自ら「朝鮮国王李某」と名乗ると同様に、将軍は「日
本国王」とすれば、対等になるからだと主張した。これまでの慣例を改変することに朝鮮
側は大いに反対したが、最後にはこれを了承した。
さらに、白石は半年に及ぶ日本滞在中の朝鮮通信使に対する百万両近い財政的な負担を
節約するために、送迎や接待を質素にするように変更を求めた。朝鮮側は自分たちの待遇
が悪くなることを恐れて強硬に反対したが、ついにはこれもしぶしぶ認めた。
ところが、そうしたいきさつがあったにもかかわらず、今度の通信使に対し、幕府側は
国書の署名も接待の方法も従来通りに戻すと対馬藩主宗方誠を通して通告したのである。
さらに申維翰が驚いたことは、朝鮮側が幕府に変更の申し出をしたから、幕府側が仕方な
く元の形式に戻すのだというように言い含めさせたことであった。
芳州はこの事務に携わり事の経過をよく承知していたから、申維翰の言う通りだと心中
思ったが、はっきり口に出して同意できなかった。芳州は、幕府が寛永期に「日本国王」
と呼ぶことを止めた時、「大君」という称号を考えついて提案したのは今、大学頭である
林信篤の祖父林羅山と聞いていた。また、彼は「大君」という称号が朝鮮の職号であるこ
とをよく知っていたけれども、白石の意見に賛成しないで、むしろ白石の宿敵とも言える
林信篤の側に組みして反対した。それはなぜかと言えば、日本と朝鮮との旧例を下手に変
更すれば、通信使が異議を申し立て、これまで築いて来た友好関係が一度に悪化するので
はないかという深い危惧を抱いたからである。それほど芳州にとって次から次と通信使に
改革を迫る白石のやり方は暴虎准河のふるまいに見えた。
この時、白石が日本側の朝鮮への返書に朝鮮十一代中宗の諱の使用をしたことについて
朝鮮側は訂正を要求した。しかし、白石は諱は対等たるべき隣国の君に要求すべきではな
いとこれを拒否した。そうして、
「たとえ両国の王が相手方の国諱を避けるとしても、古の礼に諱を五世以上に溯ることは
ないし、その国王の諱を求める朝鮮側の文書に、将軍家祖考の諱を犯しているのは納得で
きない」
と反論した。このため、両国の関係は険悪となった。白石はあくまで、
「生命を賭しても返書は書き直せない」
とつっぱねるし、正使趙泰徳は、
「どうしても訂正しなければ、ここで死ぬ覚悟だ」
と叫ぶありさまで、交渉は少しも進展しなかった。芳州は白石と正使趙泰徳の両者の間
に立って、通訳に奔走した。彼は心労のあまり夜もまったく眠ることができなかった。
とどのつまり、白石が朝鮮側の文書に日本の国諱を避けるならば、日本の返書にも朝鮮
の国諱を避けると提案し、これを正使趙泰徳も認め、祖諱の一件は落着した。
申維翰は言った。
「なるほど、白石公は自分の才能を誇ったけれども、道理を尊重して言うべきことを率直
に言った人物であると聞いている。白石公のような優れた人を浪人の身にしているのはお
国にとってあまりに大きな損失ではないか。大学頭の林信篤殿は七十六歳と聞く。彼の詩
文を読んだが、正直言って拙くて読むに堪えなかった。彼は実力なくしてその地位にある
者ではないか」
「今思いますと、本当ならば、木門で共に机を並べた仲の白石公を応援してやるべきであ
ったのに、白石公のやること成すこと一切にけちをつけて絶え間なく攻撃していた大学頭
林信篤殿と一緒になって、彼を批判したのは慚愧にたえない。当時、白石公の改革はあれ
これと批判が多かったけれども、今考えてみれば、大きな過失はそれほどなかったように
存じます。どうして白石公の味方をしてやらなかったのでしょうか。もしかしたら、筑後
守にまで出世した彼が羨ましかったのかもしれません。彼は改革を推し進めようとするた
びに、味方もなく孤軍奮闘していたのです。本当に今は亡き将軍家宣さまお一人が彼の支
持者でありました」
芳州は将軍吉宗や大学頭林信篤に疎んぜられて隠居生活を送っている白石の姿を思い浮
かべた時、ふと自分もまたやがて白石と同じ哀れな身の上になるのではないかという暗い
不安に襲われた。五十二歳の今日まで、宗義真、義倫、義方、方誠公と四代の藩主に仕え
てきたが、新しい主君の出現によって一朝にして、まるで掌を翻すように悲惨な境遇に落
とされることがあるかもしれない。それが『すまじきものは宮仕え』という奉公人の宿命
といえばそうかもしれない。けれども、白石の学問にも政治的手腕にも及びもしないのに、
林家の統領の林信篤は四代の将軍に仕えて栄華を誇っているのに対して、白石はまだ充分
に活躍できるのに空しく生き長らえねばならぬのである。おそらく将軍吉宗の目が光って
いるかぎり、将軍の元政治顧問の彼を採用しようという藩主は全国どこを探してもいるま
い。彼はこの先、死ぬまで浪人として世を過さねばならないであろう。芳州は白石の老い
た学者の宿命を見た目で、もう一度自分を顧みた。一体、おれは対馬藩の真文役として何
をしてきたのか。これまで朝鮮と江戸幕府との関係の悪化だけを何よりも恐れ、小心翌々
としてきた自分があまりに惨めに思われてきた。自分では常に心の中に読書人雨森芳州と
しての自負をもっていたが、わが身がまるで「二十日鼠」のごとく、しじゅうこせこせと
あちこち動き回り、休む間もなくしゃべりまくっているのが時に深甚に哀れで滑稽でやり
切れなくなることがあった。それに引き比べれば、白石はどうだろう。反対勢力から「鬼」
と言われた彼は天下人の政治顧問となり、自分の主義主張を最後まで勇敢に貫き通すこと
が出来たのは、男子として本懐ではなかったか。成すべきことを成し遂げた白石は、現在
の逆境を決して後悔していないのではないかとさえ思えてきた。
九月二十七日、通信使の一行は来日以来、三月を経て江戸へ入城した。いよいよ朝鮮国
王の国書を伝える式典を江戸城内で執り行なう時になって、式次第の細則を朝鮮側に対し
て漢文で翻訳できる真文役の芳州が、風邪を引いていたのをこじらせて、ついに高熱を出
して寝込んでしまった。止むなく、申維翰と朝鮮の訳官の二人で文案を作らねばならなか
った。十月一日、式典は白石の改革による正徳の通信使の例によらないで、林信篤による
天和の通信使の時に則って挙行された。
芳州が伝通院裏門前にある白石の住まいを夜更けに訪れたのは、通信使が明日江戸を出
立するという十月十四日であった。白石は芳州の手を取り、今にも涙ぐまんばかりに大喜
びで迎え入れた。
「ここへ移ってから、お上に睨まれているためにめったに人が訪ねて来ない。若い時から
ずっと毎年中秋の名月を共に見てきた親友さえ近頃ではさっぱり来なくなってしまった。
人情というものがいかに移ろい易いものかをしみじみ知りました。朝鮮通信使が江戸へ参
っていることはすでに聞き及んでいたので、これまでの自分なら今すぐにも彼らと唱和を
求め筆談もしたいが、それがかなわぬ今のわが身が嘆かわしい。あなたの助力を得て、私
の詩集『白石詩草』の序跋をお願いした製述官の李礥氏のお噂は御存知か」
「今回の製述官である申維翰氏に伺ったところ、彼は惜しくも昨年世を去ったとのことで
す。彼とは対馬から江戸へいたる往復を通じて、詩を唱酬したり、酒を飲み交したり、論
争のあげくの果てには本気で喧嘩までする仲となりましたので、本当に残念でなりません」
「よい人は早く亡くなるというのは本当だね。御先代家宣様は五十歳でお亡くなりになっ
たが、私などは家宣様より十三年もすでに長生きして生き恥をさらしている。実のところ
一日も早くこの世を去りたいのだが、まだ十四歳の末娘べんを嫁にやるまでは死んでも死
にきれぬのだ。昨年、長女のますをやっと二十五歳で嫁にやったけれども、結局、小普請
役五百石の侍の後妻として嫁がせねばならなくなったのは、娘ますの父親である私の名前
を新井君美と知ると、『鬼』の所には息子をやれぬと誰も彼もが断ってきて、いつまでも
娘によい縁談がなかったからだ。私が御先代様に御奉公していた時には、まるで競うよう
にあっちからもこっちからも是非とも自分の息子の嫁にほしいと申し込んで来ていたのに、
変われば変わるものだ。私がもう少し長くお役に就いていたら、長女ますもこんなに悔し
い思いをしなくてもすんだのにと思うと、娘があまりに不憫でならぬ。芳州殿、末娘べん
の婿として対馬藩士の中に適当な相手はおらぬか。五百石の身分の者でなくてもよいから、
よい婿殿がいれば、今から許嫁にしておきたいのだが」
芳州は白石の哀願するような真剣な顔つきを見て、思わず言った。
「五百石などと言われても、私なぞはこんな老いぼれになってもまだ二百石のまま。大所
帯の幕吏と異なり、貧乏な対馬藩には御令嬢にふさわしい人物は残念なことに一人もおり
ません」
「ああ、いやいや、これは失礼千万なことを申した。深くお詫びする。私が御先代様の御
恩で千石をいただいていたから、どうしてもそこから頭が離れなくて、それがためにかえ
って娘を縁遠くさせたのかもしれぬ。元はと言えば、私も浪人であった身の上、志さえし
っかりした人物であればどなたでも結構なのだ。どうか、よい婿殿を探してくださらぬか。
お上に嫌われている浪人の私の所には、よい縁談の話が来ないのだ」
芳州は「鬼」と老中の人々から恐れられた白石がわが娘のためにこんなに思い悩んでい
るのが甚だ不思議であり、それだけに現在の彼の境遇が気の毒に思えて来た。
芳州は帰り際に、申維翰から預かって来た彼の文集『青泉集』を渡した。白石は大事そ
うにこれを受け取ると、奥の部屋から一冊の本を持ってきた。
「申維翰殿にお会いできぬのは残念ですが、彼の『青泉集』を受領した御礼として、今執
筆し終った『東雅』というこの本を渡してもらいたい」
『東雅』は芳州から送られた朝鮮語と中国語の資料、さらに梵語、西洋の言葉を参考にし
て出来上がった日本語研究の書物であった。芳州は『東雅』を手に取り繰って見ながら言
った。
「私は今、日本語を深く学ぶためには、もっと多くの人に朝鮮語を学んでほしいと痛感し
ています。ところが、朝鮮語を学ぶに適切な書物がないのです。そこで、私は四部の朝鮮
語の学習書を書こうと決心しました。一部は字訓を知るための『韻略諺文』、二部は短語
を知るための『酬酢雅言』、三部は基礎的な読本としての子供向きの話を集めた『全一道
人』、最後に応用篇として大人向きの話を集めた『鞮履衣○(*「椀」の文字のウカンムリ
が無い漢字)』という書物です。いつになったら完成するか分りませぬが、これからは朝
鮮語を学ぶ若い人たちのために少しずつ仕事をしておかねばならぬと思っているのです」
「それはよいことだ。私もこの後、『蝦夷志』を書く予定だ。不運な身の上を著作に紛ら
わせている昨今だが、もしよい物が書ければあなたにもお送りしよう」
と言って、白石は寂しそうな笑いをした。芳州は必ず彼の『東雅』を申維翰に渡すこと
を約束した。白石は末娘のべんと共に暗い門の外までわざわざ出てきて、芳州を見送った。
芳州がだいぶ道を行ってからふと思い出したように振り返ると、白石と娘べんはまだ家の
前に立っていた。
十月二十九日、明日は京都に到着する予定の通信使に、対馬藩主宗方誠が将軍吉宗公の
御命令によって、前回の通信使が立ち寄ったように大仏寺において酒宴を開くので、是非
とも御臨席を賜りたいと言ってきた。正使洪致中は、
「大仏寺はわが国にとって憎むべき極悪人の秀吉の願堂と聞いているから、仇の造った大
仏寺での酒宴はきっぱりお断りする」と拒絶した。翌朝の十一月一日、芳州たちが駆けつ
け、「寺は秀吉の願堂ではありません」と懸命に説明したが、洪致中はこれを頑として聞
き入れなかった。
宗方誠は肝をちぢめ、
「このようなことでは、私は吉宗公の命を果さなかったとして罰を受けねばならない。ど
うか寺門の外に別に帷幕を設けるから、そこへ従者を寄こして下さってはどうか」
と執り成してきたので、洪致中は、
「お言葉のようであるなら、寺門から少し離れた田舎家で充分である。幕による宴席は無
用だ」
と別の提案をした。宗方誠は一旦はこれを認めようとした。ところが、すぐに彼はあわ
てふためいて、
「京都所司代が寺門の外で酒宴を開くと聞いて、それはよろしくないと言っている。どう
したらよいか。どうか思い直してもらえないか」
と首訳をよこさねばならなかった。洪致中は首訳に憤然として言った。
「わたしたちが寺門に入らないのは、正義は仇を忘れないからである。将軍がこれを聞い
ても、必ずわれわれを非義に屈することはできまい。京都所司代のお言葉だからと言って、
どうして改められようか。どうか江戸に申し上げて、善処してほしい。わたしたちははる
ばる万里の大海を越えてきた身であるから、何年でもここに留まる覚悟がある」
宗方誠は進退きわまり、首訳に再び、
「大仏寺の設立が、もし豊臣家によってなされ、秀吉の願堂であると言われるならば、使
臣が入らないのは正しい。まさにわれわれも閣下の忠義を称賛するに吝かではない。しか
し、いま秀吉の願堂と言われたのは、根も葉もない言葉であり、閣下はこれを信じておら
れるが、われわれがそこに御食事の用意をし通信使一行の御苦労をねぎらうのは、前回か
らの通行の決まりであって、一朝にしてこれを変えれば、どうしたらよいか分らない」
と言わせた。結局、一日中押問答を続けたが、洪致中は依然として譲歩しなかった。
十一月二日、宗方誠はすっかり弱り切り、芳州を側に呼んで、
「夕べは眠れなかった。どうしたものか」
と尋ねた。芳州は若い藩主に教え諭すように言った。
「彼らを無知で愚かだと侮ってはなりませぬ。それどころか、わが国の人よりも知恵は十
倍も賢いと見た方がよろしいでしょう。彼らは古今の記録を多く覚えていて、物事を深く
思慮する人たちですから、一度言葉に表わしたら死んでも後には一歩も引きません。あれ
ほど強く抵抗するのは、秀吉が大仏寺を建立したことをすでに日本の記録を読んで充分に
調査した結果に違いありません。彼らの先祖の耳が埋められている耳塚が大仏寺の門の前
にあることも行きたくない理由でございましょう」
宗方誠は芳州の言葉に焦立った。
「それでは、彼らを大仏寺へ招き入れる方法がないではないか。私が彼らをどうしても寺
へ呼ぶことが出来なければ、幕府は私の責任を厳しく追及するだろう。対馬藩にとっては
今は危急存亡の時だ。芳州、なにかよい知恵は出ぬか。頼むから教えてくれ」
「はい。ただ一つよい思案があります。彼らに大仏寺は豊臣秀吉の造った寺ではないとい
う証拠となる文書を見せれば、多分考えを変えるでしょう。彼らはわれわれの言葉よりも
むしろ古い記録の文字のほうを信用する性癖があります。以前、私が京都所司代の文庫で
調べ物をした折、家蔵本の『日本年代記』という書物を読んだところ、大仏寺建立の縁起
が記されてあり、それには家光公が大仏寺を建てたと書かれてありました」
宗方誠は命拾いをしたようにほっと嘆息をついた。
「そうか。そんな史書が京都所司代の文庫にあるのか。それでは早速、所司代の松平伊賀
守忠周さまの所に使いをさし出し、その『日本年代記』という本を拝借して、彼らの考え
を改めさせねばならぬ」
そこで、宗方誠は京都所司代から家蔵本『日本年代記』印本一冊を借り出し、芳州にそ
の一巻本を洪致中の所に届けさせた。
芳州は毅然とした声で言った。
「主君宗方誠さまのお言葉を謹んで申し上げます。これは日本国の秘密の史書です。この
中に大仏を重建したのは、徳川家光公が将軍になった年と書かれてあります。この時には
秀吉の子孫は一人もいないのですから、大仏寺を築くことは出来ません。この『日本年代
記』の書物は、大仏寺が秀吉の願堂とする説が誤謬であることをはっきり証明しています。
この秘史をわざわざお見せしたのは、閣下に大仏寺が秀吉の願堂でないことを知ってほし
いからです。この史書によって疑いが晴れたのですから、どうぞ大仏寺へお来し下さるよ
うにと重ねてお願いいたします」
洪致中をはじめとする三使臣が『日本年代記』を手に取り考証を確かめてみると、なる
ほど大仏寺は家光が建てたと書かれてあった。洪致中は神妙な顔で芳州に言った。
「この件について合議するから、今しばらく別室で待たれよ」
洪致中は『日本年代記』をもう一度手に取り読み返したが、やはり腑に落ちなかった。
「これは史実を正しく記述した書物であろうか」
副使の黄璿はしさいらしく頭をふった。
「わたしたちが本国で読んだ書物は大仏寺が秀吉が建立した寺と書かれてあったが、あれ
は誤まって伝えられたものでしょう。京都所司代たるものがまさか偽物の史書を大切に保
存してはいませんよ」
「いや、分りません。日本人は狡猾ですから、わたしたちを欺すためなら史書ぐらいは簡
単に書き直すのは平気です。朝日間の国書の偽作や改竄を犯した柳川事件がよい例ではあ
りませぬか。ゆめゆめ信じなさるな」
と不機嫌そうに従事官の李明彦は答えた。
洪致中は判断を決しかねて側に控えていた申維翰を顧みて言った。
「おまえの考えはどうか。申してみよ」
「恐れながら、私の考えるところでは、この『日本年代記』の史書はまやかしものの疑い
が濃く思われます。大仏寺は秀吉の願堂であることに相違ありません。ただ幕府が大仏寺
へ執拗に入らせようとするねらいを考えますに、金箔した木彫りの観音仏を見せることが
目的ではなく、壬申、丁酉倭乱の時に秀吉の家来がわたしたちの忠臣の耳鼻を持ち帰り、
埋めた耳塚を見せて、わたしたちを畏怖させようとの企みかと存じます。それならば、こ
こはわざと欺されたふりをして、耳塚を見せられても少しも泣いたりわめいたりせず、耳
塚に対して懇に弔いをするがよろしいかと存じます。そうすれば、香を焼き祭文を読む人
もいない寂しい異国の土に埋められた先祖の人々に対する供養になります」
「よし、分った。わたしたちは秀吉の造った寺には絶対に入らない。けれども、大仏寺の
建立は徳川家光公であることを知ったから、わたしたちは行くのである。すなわち、わた
したちが仇を忘れないという決意を幕府に対して表明することは充分に出来た。まして今、
日本の国史が出されても、わたしたちがあくまで信じないとすれば、外交上大きな過ちと
なろう」
副使の黄璿はすぐに正使洪致中の意見に賛成したが、従事公李明彦は執拗に、
「いや、私は断じて参ることは出来ない」
と言い張った。正副使の両名は明日大仏寺に立ち寄ると芳州に伝言した。
翌日、従事公李明彦は病気だと言って宴席に出ず、ただちに使館を出て大阪へ向かおう
とすると、宗方誠はこれを聞きつけ、芳州と首訳を派遣して病を見舞わせ、三使臣がそろ
って大仏寺へ来られるようにと願わせた。
洪致中は、
「病気であるのだから無理強いをするには及ばぬ」
と雨森と首訳を激しく叱責した。
芳州は洪致中の前から退出してくると、ついに堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに、
傍の首訳に向かって朝鮮語と日本語とで怒鳴った。
「お前の通訳が悪いために、従事公の李明彦殿は大仏寺へ参られぬではないか。一体、御
主君にどう申し開きをするつもりだ」
首訳はたちまち真青になって平身低頭した。
「お前みたいな奴は、たった今この場で腹を切ってお詫びするがいい」
芳州は這いつくばっている首訳の脇腹を足で無茶苦茶蹴りまくった。この様子を見た申
維翰は芳州を呼んで言った。
「あなたは読書人ではないのか。どうして怒って理にもとるような乱暴な振舞いをするの
か」
こう言われて、雨森は『年代記』一冊を懐中から取り出し、猿のような真赤な顔つきで
申維翰を睨みすえ、咆えるような声で叫んだ。
「はじめ、使臣が大仏寺は秀吉の願堂という誤まった説を聞かれて、義は仇の人の地に入
らないとおっしゃったのには、われわれもどんなに感動したことか。だから、わが主君は
友好を大切に思われ、お使いをもてなす儀式を行なうため、国史に証明して大仏寺が徳川
の寺であることを明らかにされた。わが国が使臣のために奔走し努力したことは明らかで
ある。それなのに、今まだ国史を信じず公礼を承けないのは、これ、われわれを卑しみ苦
しめるものだ。これではわれわれは死なねばならぬ」
申維翰は荒々しい形相の芳州に少しも臆する色もなく、はっきりと言った。
「両使臣はすでに立ち寄ると言っておられるではないか。従事公が病気であるゆえに同席
を辞退されるのは、これを止めることは出来ない。たとえそのことがあなたの思うように
ならないからと言って、これは首訳の身分の者があれこれ出来る事柄ではない。あなたは
つまらぬ血気の憤りでもって首訳を叱り飛ばしているが、これは見当違いのとばっちりを
与えているだけだ。言いたいことがあれば、この私にはっきり言ったらどうですか」
芳州は自分の気違いじみた振舞いが申維翰の冷静な目によって実は演戯であると見抜か
れて、たちまち顔面から血がさっと引いていくのを感じた。
「お騒がせして申訳なかった」
芳州はあわてて一礼すると、首訳を連れて逃げるようにその場から立ち去った。
朝鮮通信使の船が明日、対馬府中を出港して一路朝鮮へ向かうと決まった十二月二十八
日の夕方、芳州は申維翰の乗っている船へ尋ねていった。これは申維翰と最後の別れの挨
拶をするためだけではなかった。別に一つの気が重い任務があった。江戸への道中、芳州
が何度も酒を酌み交わし歓談した朝鮮の訳官権興式の死を見届けるためであった。
通信使が江戸へ入ってすぐに、朝鮮の訳官が本国からひそかに持ち運んだ人参を日本人
に売っているとの幕吏の告発があったので、三使臣が訳官の荷物を調べると、果して権興
式の持ち物の中に、人参十二斤、銀子千百五十両、黄金二十四両が発見された。さらに、
もう一人の訳官の呉万昌も人参一斤を持っていた。幕府と朝鮮との取り決めによって、人
参の不法な持ち込みは固く禁じられ、人参あるいは日本の貨幣十両以上を持っていた場合
は斬処にすると決められていた。二人の訳官は法を犯す人参の密輸で利益を得ようとした
のである。彼らはただちに鎖枷をつけられ、使臣の議決によって対馬で処刑されることに
なっていた。
思えば、申維翰も江戸へ上る途中の名古屋の宿でおかしなことがあった。日本の文人と
詩を筆談したり、漢詩を贈答したりしていると、たまたま申維翰が一人になったほんのわ
ずかの隙に、ある客が近寄って来て、
「あなたは人参を持っていないか。拙者の母上が重病のため人参がほしい。あなたが持っ
ていれば高く買うから売ってくれ」
と書き示した。
申維翰は驚いて、はっと顔を上げて、相手の顔を見ると、男の顔はにやにや笑っていた。
申維翰は、この者はきっと幕府の役人に違いないとすぐに察したので、
「胸中に詩書はあるが、人参はないから売れない」
とたちまち書いてやると、男は、
「冗談を言ったのだ。気にするな」
と紙に書いて示すや、それを破り捨てあわてて立ち去ってしまった。申維翰は訳官の二
人が金に目がくらんだあまり、おそらくこうした幕府の役人の罠にはまったに違いないと
思ったが、もはや彼らをどうしてやることも出来なかった。申維翰は二人の帰国をどんな
にか待ちかねている彼らの妻子や父母のことを思うと胸が鋭く痛んだ。
幕府は罪を犯した二人を使臣が厳重に罰するかどうかを見るために、芳州を言わば検死
役として派遣したのであった。申維翰は芳州に甲板の上で一枚の蓆に包まれた物を黙って
示した。芳州が見せられたのは、斬られる前に警護の者の隙に毒薬を仰いで口から血を出
して死に果てた権興式の姿であった。すでにもう一人の呉万昌も前日にやはり毒薬で自殺
していた。芳州は、正徳元年に来た通信使の随員にもやはり人参を持ち込んで商いをし、
罪が発覚して、斬処された者がいたことを苦々しい思いで思い出した。
芳州は申維翰の船室の中に招かれて入ると、やりきれなさそうに言った。
「朝鮮貿易は人参貿易とも言われるように、朝鮮人参があってこそ成り立っているもの。
朝鮮人参を飲めば、治すことのできない大病も助かるといって、みな人参を喉から手が出
るほど欲しがっています。親孝行な娘が親の病気を治すために、人参を買おうとして、吉
原に身を売る話は珍しくはありません。今年などは輸入量が千七百四十斤と押さえられて
いて、人参の価格が高騰したままですから、こうした密輸事件がおこる訳です。対馬藩と
してもなんとか幕府に人参の輸入枠をもっと増やすように要請しているのですが、幕府は
人参の代金である銀貨が海外へ流出していくのをひどく恐れているのです」
「わたしたちはわずかな人参のために二人の訳官を死なせてしまいました。人の生命を救
う人参が、それを日本に持ち込んだ人間を死なせるというのはなんと皮肉なことでしょう。
本当は、日本人はわたしたちの詩や書物や絵画よりも何よりも、朝鮮人参の方を心から望
んでいたのではないですか」
申維翰は気落ちして嘆息をついた。
「いや、いや、そうではありませぬ。あなたたちの到着するのを待ち構え、競って面会を
求め、詩の唱和や書画の揮毫を請い、筆談でお国の事情を知ろうとした人たちが数え切れ
ないほどたくさんいたではありませんか」
「なるほど、日本人はわたしたちを宿でも眠らせてくれないほど熱烈に歓迎してくれまし
た。やむなく道中、輿の上で眠ったことも何度もありました。しかし今、日本の旅を終え
てみると、私の製述官の勤めは一体何だったのでしょうか。私の書いた詩の紙をまるで宝
物のごとく大事そうに頭上に上げて感謝する人たちを見ていると、こんな折目正しい日本
人がどうして百年前にわが国へ侵略してきたのか疑問をいだくのです。今はわたしたちに
優しいこの人たちも一旦幕府が決定したとなると、戦争に死にもの狂いで懸命になるに違
いないと思ってしまうのです。百年前の日本人と今の日本人は本当に全然別の人間なので
しょうか。朝鮮通信使などは朝鮮人参ほどにも役に立たないように思えます」
芳州は急に白く太い両眉をぴくぴくさせてなんだか悲しげな顔つきになった。
「ああ、あなたは私のことを言っておられるのですね。私がいざ幕府や対馬藩のためとな
ると、まるで人が変わったような態度となったのに、呆れ果てられたのでしょう。それな
らば、私の無礼をお詫びしたい。京都の大仏寺での一件については、あれからずっと考え
つづけてまいりました。いみじくも、あなたは『秀吉は朝鮮百年の仇である』と言われた。
そこのところがわれわれ日本人には充分理解できていないからこそ、ああいう問題がおこ
ったのです。前回の通信使の来日の時に、大仏寺に立ち寄ることになったのですが、あの
時白石公は『接待の簡素化』を一方で打ち出しながら、わざわざ大仏寺での饗宴を追加し
たのはなぜでしょうか。彼は秀吉の作った大仏寺の門前に土盛りしてある耳塚を朝鮮通信
使に見せることで、日本の武威を誇り朝鮮に侮られるまいと考えたのです。そのことを知
りながら、私はあの時、白石公の提案に異議を申し立てなかったのです。なぜなら、あさ
はかにも、この私も耳塚が朝鮮に対して日本の武威を示すのに役立つと考えていたからで
す」
「耳塚は戦いに勝った証しとして朝鮮兵士の鼻をそぎ、これを塩漬けにして京へ届けられ
たものを埋めて築いたというが、それは日本人が朝鮮で数々の悪業を重ねた証拠ではない
ですか。実際は、鼻は兵士のものが手に入らぬため、罪もない老人や女子供をころしてそ
いできたものです。一体、耳塚のどこに日本の武威を誇れるものがあると言うのですか」
「申維翰殿、あなたのおっしゃるとおりだ」
芳州は悔しそうに、年寄りにしては奇妙なほど赤い唇を強く噛んだ。
「朝鮮人はみな秀吉の築いたいまわしい耳塚の由来をよく知っています。だから、耳塚に
近付くのを嫌がるのです。その耳塚を恐れ戦くわたしたちを見るのが、日本人にはそんな
に愉快なことですか。そもそも、秀吉の造った耳塚を日本の武威として誇るというのは、
秀吉のやった多くの悪業を本当は称賛しているからではないですか。あなたも秀吉の悪業
を語るのを憚っているのですか」
「そうではない。秀吉は蝮の性を受けて間違って生まれて来た男です。だから、秀吉は人
を殺すことをなんとも思わず、残虐のあまり朝鮮だけでなく、日本でも一族ことごとく皆
殺しにあってその血筋を断たれた者は数え切れない。わが一族も自分から四代前までは近
江国の浅井家の家臣で世に雨森守といって豪族であった。しかし、織田信長の家来であっ
た秀吉に姉川の合戦で破れ、さらに小谷城の落城によって一族はほとんど滅ぼされ、かろ
うじて地方へ落ちのびていって生き長らえた子孫の一人がこの私なのです。わが一族を
誅殺した秀吉を思う度に、腸が煮えかえる思いがします」
申維翰は芳州の言葉がどうしても納得できないという顔で食い下がった。
「けれども、秀吉も日本においてよいことをしたのではないですか」
「いや、少しもない。ただ天下を統一して倭寇を平定するために力を尽くしたのは功績と
言えるが、これくらいのものです」
「それならば、極悪人の秀吉が築いた耳塚を日本の武威とするのはおかしいではないです
か。わたしたちに耳塚を見せて、こんなにも日本人が朝鮮人よりも強かったと言いたいの
ですか。それでは徳川家も口では秀吉とは違うと言いながら、朝鮮を再び武力で屈服させ
ようという魂胆と同じではないですか。白石公にしても言葉では朝鮮と日本とは対等平等
と言いながら、真実は朝鮮を猜疑していたからこそ、侮り見下そうと通信使を大仏寺まで
立ち寄らせようとしたのでしょう。わたしたちは秀吉の軍が朝鮮の至る所でどんなひどい
ことをしたか今も忘れてはいません」
「言う言葉もありません。あなたたちが大仏寺に立ち寄ることに激しく拒絶された態度を
見て、私は深く考えさせられた。日本側には通信使を大仏寺に立ち寄らせて巨大な大仏の
功徳を知らせよう、そして耳塚を見せることで日本の武威を示そうと画策しました。しか
し、よく考えてみれば、仏の功徳は仏の大小によるはずもないし、耳塚は秀吉の軍が無数
の朝鮮人民を殺害した戦争のいまわしい爪跡なのに、どうしてそれが分らなかったのであ
ろうかと今になって恨めしくてならぬ。おそらく、それはわれわれが百年前の文禄・慶長
の役をもう忘れてしまって、反省を怠っているからでしょう」
「日本人は壬辰・丁酉倭乱をもはや百年前の出来事にすぎないと言うかもしれない。しか
し、わたしたちは朝鮮と日本の不幸な歴史をしっかり記憶しています。だからと言って、
その怨みを日本に対して晴らそうというのではありません。わたしたちは日本が再び朝鮮
を侵すことを望まないし、反対に朝鮮が日本を侵すことも望まない。わたしたち通信使は
朝鮮と日本が隣人として仲良く付き合っていくために、朝鮮からはるばる日本へやって来
たのです」
「ならば、以前あなたは加藤清正の子孫が官にせよ民にせよ、たとえ詩を唱酬したいとや
って来ても絶対に対面できないと言われたが、それはなぜですか。確かに清正には罪はあ
るが、子孫には罪はないから許すべきではないですか」
「いや、そうではありません。加藤清正は朝鮮侵略の時、最も凶悪であり残虐でありまし
た。清正の罪は子孫だから先祖のやったことと言って知らぬという訳にはいかぬのです。
義は天を共にせざるものです。もし、清正が生きていれば、朝鮮人ならば誰でもみな清正
の肉を切り刻んで食おうと思わぬ者はいません。それほどに彼を憎悪しています。だから
と言って、彼の子孫までそうしようというのではありません。彼の子孫とは断じて一緒に
同席できないと言うのです。日本では死んだ人の罪は不問に付すが、わたしたちは祖先の
罪も自分たちが負うという考え方があるのです。」
こう語る申維翰はいつもの冷静さがなくなり、鋭く細い目に激しく憤怒で光るものがあ
った。
「芳州殿、明日はあなたとお別れすることになりますから、今日ははっきり申し上げまし
ょう。私の父は官人であり、母は妓生でありました。母の四代前の父親は官人でありまし
たが、加藤清正と戦って殺されました。そのために、その娘であった人がやむなく妓生に
身を落としたのです。妓生の娘は妓生になるのが決まりでしたので、私の母は初めから妓
生になる運命でした。母は両班であった父に愛されて妾となり、この私を生みました。母
は『世が世なら、おまえは嫡男となるべきであったのに、加藤清正に先祖が殺されたばか
りに、私は妓生にならねばならなかったし、おまえまでたとえ役人となっても出世できぬ
のが真底恨めしい』と、私の小さい頃からいつも口癖のように言って嘆いておりました。
当時、妾子出身の者は両班の子弟でも科挙の試験を受けられなかったから、母はわが子の
将来に希望をなくしていたのです。母はやがて阿片に救いを求めるようになりました。美
しく真白な母の歯も阿片を喫うため、すっかり黒くなり、身体も見る間に痩せ細りました。
私が阿片を隠そうとすると『阿片が喫えなくなったら、私は死んだ方がましだ』と泣き叫
んで暴れ、どうしても阿片を手離しませんでした。しかし、ある年、妾子や妾子孫の者に
も科挙の試験が受けられるようになり、それに私が見事及第してはじめて、母は阿片を喫
うことをやめてくれました。本当にどんなに嬉しかったことか。母はすっかり老いました
が、今も元気です。今度、私が官命により、『母上のお世話もしないで、製述官として日
本へ行かねばならなくなりました』と申しますと、母は『それはめでたいことじゃ。わし
のことは心配せずに、存分にお国のために働いておくれ。それだけが母の願いじゃ』と涙
を流して喜び、この私を日本へ送り出してくれたのです」
「申維翰殿、本当に母上はあなたのお帰りを一日千秋の思いで待ち望んでおられることで
しょう。いずこの国でも子を思う母親の気持はかわりはありません。恥ずかしいことです
が、私はあなたの国の言葉を話せても、清正によって不幸な目に会わねばならなかったあ
なたたちの心の奥深くまでは分らなかったのです。それは、私自身の中にも朝鮮人に馬鹿
にされたくない、日本人は朝鮮人よりも強いのだという傲慢な心があったからでしょう。
しかし、あなたが今はっきりと言ってくださったおかげで、そのことを知ることが出来ま
した。耳塚を日本の武威として誇るということは文禄・慶長の役をおこした秀吉を半分し
か憎んでいないことと同じでした。こうした日本側の間違った姿勢が朝鮮に不信をいだか
せたのですから、次回からは是非とも大仏寺での饗宴は廃止されるように幕府に要請して
みます。どうか許して下さい」
芳州はそう言って、頭を深々と下げた。ふり仰いだ彼の顔は全体にしわが深く刻み込ま
れ、なんだか急にめっきり老けたような醜い顔になった。
「そのようにお願いします。わたしたちも本国へ戻り次第、大仏寺での饗宴は廃止される
ように幕府に働きかけるように努めます。対馬藩からも幕府へ申し立てていただければ辱
ないことです」
芳州は重苦しい顔にやっと微笑を浮かべて言った。
「喜んで承知いたしました。あなたが通信使の製述官として来日されたのは、ただ日本の
文と詩を唱酬したりして交流することだけが目的ではないでしょう。もっと大切な使命は
日本が再び朝鮮を侵す準備をしているかどうか敵情視察することでしょう。もし、日本が
戦争をしかけてくるようなら、朝鮮がこれに対抗して兵力を持つことは無論、当然なこと
です。しかし、大仏寺での一件のみで日本を決して判断されることなく、どうかお国に伝
えてほしいのです。なるほど、あなたたちに対して嫌悪の念をもつものは全然いないとは
申せぬかもしれませんが、多くの日本人はあなたたちに親愛と尊敬の念をもっていること
を」
「勿論です。わたしたちと接触した人たちはみな誠意をもって接してくれた。彼らが決し
て戦争を望まぬ人たちであることを堅く信じたい。これからは両国が隣人としてお互いに
欺したり欺されたりという関係ではなく誠意と信頼をもった交際をしていかねばなりませ
ん。お互いに愛情をもってものを言えば必ず分り合えますが、相手を馬鹿にしたり、自分
は偉いと傲慢になっていれば、相手を理解することは出来ません。お互いにもっと思いや
りをもつべきでしょう」
「申維翰殿、私はあなたと今日まで六カ月の間、旧例や言葉の食い違いなどから激しく言
い争ってきたことが何度もありましたが、その論争を通してかえって私は多く深く学ぶこ
とができました。もし、もめごとを恐れて論争をしなかったら、いつまでもお互いによく
知り合うことは出来なかったでしょう。あなたから日本と朝鮮の歴史について深く教えら
れたことを厚く感謝したい」
「いいえ、芳州殿、私の方こそお礼を申し上げます。あなたとの出会いは朝鮮と日本の現
在と未来を考える上で、きっと大きな助けとなるでしょう。今後ともあなたが朝鮮にとっ
て親しい友人であってほしい」
「いやいや、私などはこの対馬で真文役として一日一日馬齢を重ねていくばかりで何のお
役にも立てません。これでも、もう少し若い頃には、同門の白石公のようにいつか江戸に
出て日本の政治に参画したいという野心をもったことも正直ございました。いや、この前
まで白石公が今もなお将軍の膝下に仕えていたならば、自分も彼の推薦によって将軍の政
治顧問となり、白石公と一緒に大いに日本のために尽くしてみたいという気持ちがござい
ました。けれども、白石公が将軍吉宗様に疎んぜられ孤独な佗び住まいをしているところ
を実際に見て、江戸へ出る夢は全く消え失せました。また故郷の近江国に帰ることも諦め
ました。なぜなら、私にとってこの対馬が私の故郷なのですから。私はここで死ぬ覚悟を
決めました。私は息子の鵬海に私が死んだら遺骨はこの対馬の土の中に埋めてくれるよう
にと頼みました。おかしなことです。初めて対馬へやって来た時にはどんなに江戸へ舞い
戻りたいと思ったことか。こんな孤島に長くいたらきっと自分は世間から忘れられてしま
うだろう。ついには井の中の蛙のままで終らねばならないだろうと思うと居ても立っても
おられませんでした。白石公の活躍の噂を聞くたびにどんなに歯ぎしりしていたことか。
夜更けに浜に打ち寄せる波音が耳について眠られず、輾転反側したことが何度あったこと
か数え切れません。私は対馬にいながら、目はいつも江戸に向いていたのです。いや、長
崎の唐人屋敷や釜山の倭館にいた時でさえ、私の心は江戸のことばかり気にしていたので
す。私は江戸のことを忘れるために、朝鮮語と中国語の勉強に没頭するように心掛けよう
としましたが、それでもやはり忘れることができなかったのです」
しかし、これからは対馬に生まれた者の中から優れた人材を教育していかねばなりませ
ん。江戸から遠く離れたこの孤島の貧乏藩へ来てくれる者はめったにいませんし、たとえ
やって来てもこの島の生活には耐えられずに数年もしないうちに逃げ出してしまうでしょ
う。日本と朝鮮の友好の掛け橋となる対馬藩に仕える真文役は、この対馬に生まれた人間
であってこそ、立派にやり抜けると思うのです」
「幸運にもあなたには三人の立派な男子がおられる。あなたの跡をきっとよく継いでくれ
るでしょう。そうなれば、雨森家の繁栄となるだけでなく朝日両国の発展にも寄与するこ
とになるでしょう。是非そうあってほしい」
「有難いことをおっしゃる。私は小藩の真文役として終る身ですが、あなたが私の分まで
本国において栄達されることを心より祈ります」
こう言うと、雨森の目から急に熱い涙があふれ出た。申維翰は驚いて言った。
「芳州殿、どうしてそんなに子供みたいに泣きなさるのか。日頃の芳州殿らしくありませ
ぬぞ」
芳州は恥ずかしそうにうつむいて、目頭を濡らしながら言った。
「前回の製述官成琬氏との別れの時にも別れは耐えがたかったが、今日のように泣きはし
なかった。あなたの目には嘘泣きか、それとも鬼の目に涙と見えるかもしれませんが、日
本の茶道の言葉に『一期一会』という言葉があります。どの茶会でも一生にただ一度だと
思って、常に誠を尽くすべきだという考えのことです。そのように、あなたとはもう二度
と会うことはできぬと思うと別れが真実悲しくてたまらぬのです」
申維翰は芳州をあやすように笑いながら言った。
「いいえ、あなたの涙を演戯だと思っているのではありませぬ。あなたの泣き顔を見てい
ると、私の方まで今にも涙があふれてきそうになって困るのです。あなたと明日お別れし
ても、あなたがまた釜山の倭館へ派遣されることもあるかもしれません。その時は必ず釜
山まで出かけてまいります。いずれにせよ、朝鮮と対馬は海で隔たっていても晴れた日に
はお互いが目で見えるほどの近い距離にありますから、どうして再び会えないことがあり
ましょう。あなたとの惜別の意をこめて、拙い詩ではありますが、詩の一連を書きますの
で、どうかお受け取り下さい」
申維翰は傍にあった紙と筆を取ってさらさらと書いた。
今夕有情来送我
此生無計更逢君
芳州は頬の上に残っていた涙のしずくを拭った指先を黒色の袴に何度もこすりつけてか
ら、にこにこと笑いながら紙を受け取った。
「ああ、これはよい贈り物を下された。折角の贈り物を涙で汚してはえらいことじゃ。謹
んでわが雨森家の宝とし、また他日の懐かしい思い出として大切に保管いたします。つい
ては、このお礼と言う訳ではありませんが、屋敷の庭で取れました金橘の実と正月用の白
餅を少しばかり持ってまいりましたので、どうか船の中で召し上って下さい。この金橘は、
私の姓が橘でありますので、末長く覚えていただきたく、持参いたしました」
申維翰は金橘の実を両手で撫でながら実に無邪気に笑った。
「はっははは。なるほど、そうですか。雨森氏の姓が橘であるから、わざわざこの金橘の
実をね。有難う。喜んでいただきます。そう言えば、もう後二日もすれば正月ですか。い
よいよ私も来年は不惑となります。お互いによい新年を迎えたいものですね」
二人が船室から外へ出ると、先刻まで夕焼けで水平線の上の雲と海が薔薇色に燃えてい
たのに、今は日もすっかり暮れて海は黒々とし、白い波頭だけが寒々と光っていた。上空
には星くずが一面にまき散らされている。船の甲板に立った二人の顔に西北の風が冷たく
吹きつけた。二人は船から降りてきて、波の打ち寄せる浜辺に立つと、暗がりの中でお互
い相手の顔をじっと見つめ合った。遠くでひっきりなしに海鳴りの音が聞こえた。
「アンニョンヒケシプショ」と芳州は言った。
「さよなら」申維翰は日本語で言った。
申維翰は城下町へ向かう暗い一本道をとぼとぼと歩いていく芳州の後姿を見つめている
うちに、突然さっきまでこらえていた涙があふれ出た。彼は涙がこぼれないように、夜空
を見上げた。涙でにじんだ満天の星が揺れ動き美しかった。彼は暗がりの中でもおのれが
孤独でないのを感じた。
「読む会」10 年の覚書――あとがきに代えて
在日朝鮮人作家を読む会が、発足からまる十年経った。このまる十年は、雑誌『架橋』の
発行とはそのまま重ならないが、会は雑誌の母体であり、切っても切れない間柄なので、
あとがきに代えてそのことを書きとめておきたい。
会の十周年といっても、ひとの人生の十年に類するような波瀾や曲節があったわけでは
なく、まして数字に意味があるわけでもない。「持続も力」といった程度のこととして、
さらにどこまで続くか知れない道程(みちのり)の中途の覚え書きである。
創生期のころ
「読む会」の発足は一九七七年の十二月十五日、名古屋市の社会文化会館で準備会を持ち、
七名の日本人が集まった。当初は日本人ばかりで出発したわけである。そのときの顔触れ
をみると、現在、会に来ているひとは一人もいない。
この発足準備会への呼びかけ文には「在日朝鮮人作家の作品を系統的に読もう――とい
う仲間がいます。文学をとおして在日朝鮮韓国人の生活と思想にふれ、日本(人)と朝鮮
韓国(人)の関係を考えるためです。もちろん、みずからの差別意識や制度としての差別
を克服するという視点に立って、民衆連帯の基底をさぐっていきたいということもありま
す。(略)小説、詩、評論を息ながく読みこんでいきたいと考えています」とある。
当時、文学を通して在日朝鮮人の問題を考える会が皆無にひとしかったこともあって、
ずいぶん気張った言い廻しをしたもので、恥かしい限りだが、「息ながく読みこんでいき
たい」という部分だけは、なんとか実行中である。
会の名称も磯貝が勝手に付けたものだったが、なぜ在日朝鮮人文学を読む会ではなく、
作家を読む会としたのか、いまは記憶があいまいである。どちらにするか迷った憶えはあ
るが、在日朝鮮人作家の作品をとにかく網羅的に読もう、という気持からだったと思う。
名称については、最近とくに文学作品の枠にとらわれずに在日朝鮮人の書いた本を(時
には韓国文学の翻訳も)読んでいるので、会の実状にそぐわなくなっているが、これは標
札みたいなもので、目印になればよく、こだわってはいない。
朝鮮という呼称も、国籍を問わず民族全体の統一的な呼称を示していて、参加者はいう
までもなく朝鮮籍、韓国籍の別なく〈統一志向〉で関わっている。
正式な読書会(例会)は翌一九七八年一月二十九日、名古屋 YWCA で、在日朝鮮人文学の
嚆矢ともいうべき金史良の作品をテキストに始めた。会場は、例会以外の企画は別として、
十年間かわっていない。現在と同じ月一回の例会で、許南麒、金達寿、呉林俊、金時鐘、
金泰生、金石範など朝鮮文学の作風を濃密にたたえた作家、詩人など二世世代の中軸を担
う作家を取り上げた。
発足から二年後の一九七九年十二月十六日、初めての催しを愛知労働文化センターで開
いた。講演と討論の集い「いま在日朝鮮人文学を・・・・・・」で、これは磯貝の在日朝鮮人文
学論『始源の光』(創樹社)の出版記念を付録にしたもので、作家の金石範さんを招いて
話を聞いた。集いには五十四名が参加し、朝鮮人の参加者も少くなかった。会のその後に
とって、一種の跳躍台となる集いだった。
(いわば会の創生期ともいうべき発足から講演と討論の集いまでの二年間の活動について
は、テキストの解読もふくめて、『架橋』一号・80 冬に磯貝が「会のあゆみ――中間記録
ふうに」でまとめている)
例会のスタイル――テキストを決め、参加者全員がそれを読んできて、まずレポーター
が各人各様の問題意識と手法で報告する。そのあと、参加者が自由に、奔放に、カンカン
ガクガクと意見を交換しあう――は、その中身の濃淡はあれ、発足当時から変わらない。
年を経るごとに議論が活発になり、最近とみにその傾向はいちじるしいが、その活性化の
要因は、なんといっても朝鮮人の参加者と日本人のそれとがほぼ半々の比率を占めている
ことではないだろうか。
朝鮮人と日本人の共同
日本人だけで発足した会に、初めて朝鮮人が参加したのは、一九七八年四月の第四回例
会。このことは会のその後にとって画期的な意味を持つので、特記すると、「在日」オモ
ニの柳處伊さんである。柳さんはのちに病を得て、ここ数年は参加していないが、そのゆ
ったりとした風格、朝鮮民族の日常生活のヒダにわたる発言は、日本人参加者を大いに魅
了したものである。
柳さんのあと、二、三人の朝鮮人の参加はあったが、持続するひとはなく、現在の常連
(?)蔡孝、裵鐘真、金蓬洙(それにいま横浜にいる郭星求)さんらが揃って参加したの
が一九七九年七、八月の第十七、十八回例会。劉竜子さんは、さきにふれた講演と討論の
集いからの参加である。
その後、会を追うごとに着実に増えつづけ、京都の羅順子さん(彼女は奈良の裵鐘真さ
んと遠方からの参加者の双璧。日本人では渡野玖美、田中康照さんで石川県)、柳清子、
朴明子、金有子、金成美、朴燦鎬さんらの顔が浮かぶ。今年(一九八七年)にはいってか
らは二〇代の若いひと、成真澄、朴裕子、金智恵さんらが大挙(?)して参加している。
唯一の一世は七十六歳の鄭尚甫さん。
そんなわけで、朝鮮人の参加者が日本人を上廻る例会も間々ある。たとえば今年七月(第
百十一回例会)では十五名の参加者のうち八名が朝鮮人だった。ちなみに過去十年間に参
加したひとの名簿(一九八七年十月二十五日現在)をめくってみると、朝鮮人は四五名。
日本人一〇六名で、合せて一五一名(例会以外の催し含む)である。
朝鮮人と共生することによって、日本人にそれまで見えなかったものが少しずつ見えて
くる。たとえば会に参加して間のなかった、ある日本人女性が、新鮮な驚きをこめて言っ
たことがある――わたしは、白樺の木というと抒情的なイメージを浮かべていたが、北海
道の炭鉱に強制連行された朝鮮人炭鉱夫が暴行されるとき白樺の木が使われたことを知っ
て、自分の感性をくつがえされてしまった。血塗られた白樺の棒は、私のなかの日本をひ
きずり出した。
小さな出来事だが、このような経験の一つ一つの積み重ねが、日本人の感性(さきの女
性の場合、抒情の桎梏だが)を少しずつ解き放し、変えていく。その変化は参加者一人一
人のものであると同時に、十年間の会の流れでもある。身贔屓ではなく、実感である。同
じことは、朝鮮人の側にも言えるのではなかろうか。もちろん、たがいの変化がたがいの
同化ではない。違いを徹底的に確認しあって出会う場所が、朝鮮人と日本人の接点である。
だから議論は、間に間に笑いをはじけさせつつも、収拾のつかない自己主張の乱舞である。
その収拾のつかなさが会のエネルギーと言える。
朝鮮人と日本人が向き合うことによって話題はしばしば「文学」の枠を踏みはずし、在
日朝鮮人の生き方、日本人の生き方、そして日本社会の在りようへとひろがるが(むしろ
主題がそこに収斂していくことが多い)、ともかく朝鮮人と日本人が共同で行なっている
文学の会は、現在も全国的に稀である。
会録ふうに
振り返ってみると、発足から第五十一回例会までは、さきに挙げた在日朝鮮人文学の主
要な作家の作品をテキストにしている。作家ごとに題名を記す。(数篇を収録した単行本
の場合、収録全作品を取り上げることが多いが、表題のみを記す。以下同じ)
金史良「光の中に」を中心に『金史良作品集』(評論社)許南麒『火縄銃のうた』金達
寿『玄界灘』『落照』『故国まで』呉林俊『絶えざる架橋』金時鐘『さらされるものとさ
らすものと』『猪飼野詩集』『クレメンタインの歌』金泰生『骨片』『私の日本地図』金
石範『鴉の死』『ことばの呪縛』『往生異聞』『驟雨』『万徳幽霊奇譚』「糞と自由と」
『1945 年夏』『祭司なき祭り』『「在日」の思想』高史明『生きることの意味』『夜がと
きの歩みを暗くするとき』李恢成『またふたたびの道』『砧をうつ女』「われら青春の途
上にて」「青丘の宿」「武装するわが子」『北であれ南であれわが祖国』1「死者の遺した
もの」「追放と自由」『約束の土地』『見果てぬ夢』全六巻、金鶴泳『鑿』梁石日『狂躁
曲』
他に二、三の例外と言ったのは、『徐兄弟獄中からの手紙』渡辺吉鎔『朝鮮語のすすめ』
徐兄弟の母・呉己順さんの生涯『朝を見ることなく』である。
この前期五十一回のあいだにはテキストを設けずに討論会も行なった。第二十一回の講
演と討論の集い「いま在日朝鮮人文学を・・・・・・」についてはすでに紹介したが、その前段
で二回にわたり討論「なぜ在日朝鮮人文学を読むか」「在日朝鮮人文学を読むとはどうい
うことか」(いずれも参加者二十名)を行ない、金石範の作品を数篇読み終えたところで
討論「金石範の文学について」を、また六回にわたって『見果てぬ夢』を読了したところ
で「『見果てぬ夢』の全体像」を話し合った。他に一九八〇年十二月十四日には、当時、
劉竜子さんが経営していた喫茶・スギで「架橋をめざす集い」(参加者十八名)を開いた。
さて会活動十年の後期であるが、第五十四回に朴寿南『もうひとつのヒロシマ』をテキ
ストにしたあたりからルポ、記録、評論、手記といった広い領域における在日朝鮮人の表
現を取り上げることも多くなった。その傾向は、会および参加者の問題意識が広がってき
たことの必然の結果だった。もちろん主体は小説を中心とする文学作品であったが、それ
も一方では、在日朝鮮人文学のなかでもあまり知られていない、いわば地下鉱脈の作家、
作品を掘り起こすこと、他方「既成」の作家の作品をさらに読みついでいくこととが織り
合うかたちになった。
また新しい世代の表現者の登場、そして女性の表現者の抬頭が特徴的で、会活動の歴史
と在日朝鮮人文学の様変わりが興味深く反映している。
前期の紹介にならって、文学作品、それ以外のもの、そして間に間に企画された催し事
に分けて記しておく。
まず文学作品である。
成律子『異国への旅』『白い花影』成允植『朝鮮人部落』『オモニの壺』金石範『幽冥
の肖像』『火山島』全三巻『金縛りの歳月』竹田青嗣『〈在日〉という根拠』鄭貴文『故
国祖国』李良枝『かずきめ』「刻」金時鐘『光州詩片』金鶴泳『郷愁は終り、そしてわれ
らは-』「凍える口」「石の道」飯尾憲士『隻眼の人』『開聞岳』李正子歌集『鳳仙花の
うた』尹東柱全詩集『空と風と星と詩』宗秋月『猪飼野・女・愛・うた』『猪飼野タリョ
ン』金泰生『私の人間地図』『旅人(ナグネ)伝説』李起昇『ゼロはん』元静美『ウリハ
ッキョのつむじ風』在日朝鮮新人作品選『狂った女』つかこうへい『広島に原爆を落とす
日』『戦争で死ねなかったお父さんのために』黄晳暎『客地』「韓氏年代記」元秀一『猪
飼野物語』
次に文学作品以外のテキストを記す。
朴寿南『もうひとつのヒロシマ』金賛汀『朝鮮人女工のうた』『抵抗詩人・尹東柱の死』
金蒼生『わたしの猪飼野』高史明『少年の闇』『青春無明』『悲の海へ』三部作、李恢成
『サハリンへの旅』鄭清正『怨と恨と故国と』金纓『チマ・チョゴリの日本人』金容権・
李宗良編『在日韓国朝鮮人』郭早苗『父 KOREA』尹健次『異質との共存』
これらの読書会のあいだに、『架橋』四号から七号までの合評会がはさまっており、五
号は三回、六号は二回にわたって行なっている。
そして間に間に挟んで催した企画を順を追って記してみると、「金蒼生さんを囲む集い」
(一九八三年二月六日、名古屋 YWCA にて、参加者十七名)「金石範さんを囲む集い」(同
年十一月十三日、社会文化会館にて、参加者三十五名)「大阪・青丘文化ホール、猪飼野
訪問」(一九八四年十月二十一日、参加者十五名)「李正子さんを囲む集い」(同年十一
月十八日、社会文化会館にて、参加者十九名)「奈良を訪ねて」(一九八六年八月十日、
裵鐘真宅にて、参加者十二名)「宗秋月さんを囲む集い」(同年十一月三日、名古屋 YWCA
にて、参加者十八名)「京都・パラムの会と交流会」(一九八七年八月二十三日、羅順子
宅にて、参加者十八名)「元秀一さんを囲んで」(同年九月二十三日、名古屋 YWCA にて、
参加者二十五名)である。
十二月の例会を「一年をふりかえり新しい年を望む望年会」として恒例化したのは一九
八四年からであり、これは発言と酒と歌とテキスト人気投票の“ノリパン”である。ただ
し今年のその時期(本誌が発行されている頃)は、十周年記念のイベントが開かれるだろ
う。
以上、会の十年間を会録ふうに辿ってきたが、ちなみに一九八七年十月二十五日現在ま
でに例会で読んできた本は(『架橋』を除いて)八十九冊である。
なお付記しておくと、会全体としての活動ではないが、有志が指紋押捺拒否運動、日韓
民衆“連帯”運動、「解放の日まで」など映画上映運動といった、さまざまな活動に参加
している。
雑誌『架橋』のこと
『架橋』の創刊は一九八〇年冬だが、じつは奥付に発行日付がなく、正確な日がわからな
い。一月であることは間違いない。
タイトルはどんないきさつで決ったのだったか。会誌の発行に積極的な二,三の仲間で
話し合い、朝鮮人と日本人のあいだに架ける橋――といった気分で付けたと記憶している。
創刊号のあとがきに蔡孝さんが彼の想いをこめて書いているので、引用しておく。
〈(略)ここに一つの解答がある。それは日本人同士、朝鮮人同士の、そして朝鮮人と日
本人の違いの確認という事である。それは自己の立場や意識をより深く認識することによ
り、他者をもより深く認識しうるという、想像力の問題としてとらえるべきものでもある。
在日朝鮮人の作品を読むということは、私達自身の日常もろとも白日の下に晒け出し、そ
の根底をも問い直すことを意味する。(略)粘り強く続けているこのような作業は、つい
に個人を超え、国を超えて、共有しうる何かを創造せざるを得なくなるだろう。私はそれ
を「架橋」と呼びたい。このパンフはそこに至る里程標である〉
引用にもあるように『架橋』は当初、小冊子として出発した。目的が仲間の意志表示の
場であること、文芸雑誌とするには力量不足であったことなどに因(よ)る。だから内容も、
個々の想いを表出したエッセイを中心に作品論、小品、短歌とゴッタ煮である。刊行も不
定期で(これは現在も同じ)八〇年冬、八〇年夏、八一年春、八二年夏と四号までは十頁
から二十頁まで 11 級活字でビッシリの折々様々の形態である。各号の筆者と題名を記して
おく。
一号・80 冬――磯貝治良「会のあゆみ-中間記録ふうに」「会のこれからは」蔡太吉(孝)
「独白」安田寛子「さらさねばならないもの」中山峯夫「朝鮮人と、父親と」藤本由紀子
「『読む会』と私」竹内新(孝光)「極楽トンボ」五十棲達彦「『読む会』に参加して」
裵鐘真「朝鮮人としての再発見」
二号・80 夏――磯貝治良「〈民衆〉という陥穽-『見果てぬ夢』一つのこと」蔡太吉「金
石範の小説に触れて」劉竜子「架橋に寄せて」藤本由紀子「私自身をとりもどすための」
小室リツ「作品の中の朝鮮の婦女たち」
三号・81 春――裵鐘真「傷だらけの構図-李恢成著『死者の遺したもの』を読んで」文
学謙(蔡孝)「喪失と脱自」与語潮「架橋小話」權星子「命運憶う」(短歌十一首)みた
たみ(川崎恵子)「自分にとっては」磯貝治良「抵抗史を継ぐ-許南麒『火縄銃のうた』」
四号・82 夏――裵鐘真「『見果てぬ夢』雑感ノート・1」劉竜子「『見果てぬ夢』の中
の女たち」与語潮「友人の花嫁」
そのほか各号には会録、情報、会のプロフィール、あとがきが随時、載っている。
『架橋』が現在の文芸雑誌の形態、内容に様変り(発展)したのは、小冊子四号の発行以
来ほぼ二年近くの休止状態を経て、一九八四年四月十日発行の五号・84 春からである。七
号までの筆者、題名、ジャンルなどを記す。
五号・84 春(四月十日発行、98 頁)磯貝治良「梁のゆくえ」劉竜子「夏」(以上小説)
裵鐘真「『見果てぬ夢』雑感ノート・2」(評論)中山峯夫「農民兵士・父からの手紙」
(記録)安田寛子「私の中の朝鮮人たち」(エッセイ)醴泉(權星子)「対馬万緑」(短
歌二十八首)
六号・85 夏(七月一日発行、112 頁)磯貝治良「イルボネ・チャンビョク」劉竜子「葉
かげ」松本昭子「野辺戯の日よ」(以上小説)裵鐘真「『見果てぬ夢』雑感ノート・3」
(評論)鼓けいこ(川崎恵子)「キャノンボールに酔いながら」渡部一男「思い出の朝鮮
人たち・1」(以上エッセイ)
七号・86 秋(九月二十日発行、118 頁)松本昭子「岬をめぐる旅」磯貝治良「〈はん〉
の火」(以上小説)裵鐘真「『見果てぬ夢』雑感ノート・4」(評論)丸山静・磯貝治良
「批評と手紙」渡部一男「思い出の朝鮮人たち・2」(以上エッセイ)
各号には小冊子の頃と同様、会録、あとがき(ともに毎号)、会のプロフィール(六号)
も載っている。
八四年春号をもってなぜ文芸雑誌に発展したのか、明確なターニング・ポイントがあっ
たわけではない。長い時間をかけて蓄積していた機が、おもむろに熟したということだっ
たろう。
裵さん、劉さん、松本さんいずれも、本誌をもって作品の発表(とともに創作)は初体
験とのことである。ただし、それは本人の言であって、力量のほどからして眉唾であると
いうのが、大方の意見であるが・・・・・・。ともかく、会活動の蓄積と、個々の内面における
蓄積とが連れ立つ恰好で、雑誌は生まれ、それぞれの創造が生まれていることは、間違い
ない。
裵鐘真「『見果てぬ夢』雑感ノート」の連載はすでに四百字詰原稿用紙二百五十枚ほど
に達しており、なお継続の予定である。「雑感ノート」とあるが、それは筆者の謙遜であ
って、なかなか本格的な作品論・在日朝鮮人文学論である。この文章が評価されてであろ
う、筆者は講談社版文庫『見果てぬ夢』の解説を執筆した。また、磯貝の小説「梁のゆく
え」は、同人雑誌推薦作として『文学界』一九八四年八月号に転載された。付記しておく。
変革と共生の場へ
さて、会活動の展望だが、大見栄を切るほどのことを考えているわけではない。幸い、
朝鮮人も日本人も若い世代の参加者が着実に増えてきている。ほとんどの例会ごとに新し
い顔が登場する。そして「在日」(「在日」朝鮮人と「在日」日本人)のアクチュアルな
状況と主題が、対話的、共生的に議論されている。そういった実状を地盤にして、この小
さな場からの「変革」を探っていきたい。
会発足から二年後に出た『架橋』創刊号に磯貝は次のような文章を書いた。
〈(略)会活動のこれからは予測できない。予測できないところに、会活動のふくらみや
ダイナミズムがあって、それを大切にしたい。会活動の現象面も、仲間の内なる意識も、
たえず流動しているところに「変革」のたのしさがある。(略)わたしたちの営為は軽薄
であってはならない。深刻になって、なりすぎるということはない。しかし、窮屈な深刻
であってはならないだろう。事柄が、自分を変える、他者との正確で自由な関係をつくる
という性質である以上、窮屈であってはうまくない。在日朝鮮人(文学)のなかにこそ、
躍如として息づいている「あけっぴろげで/しめっぽいことが、大のにがてで」(金時鐘
『猪飼野詩集』)奔放で、屈強で、磊落で、めっぽうおおらかな側面にも触れていきたい。
そんな虚飾のなさを「在日」の友人たちとの“対峙”の場で、あけっぴろげていきたい〉
(「会のこれからは・・・・・・」)
この精神、このスタイルは、今後の会活動にも当てはまるだろう。
ここに〈他者との正確で自由な関係〉とは、いうまでもなく在日朝鮮人が当たりまえに、
まっとうに〈在日〉を生き、「在日」日本人がその民族的アイデンティティを過不足なく
確立し、双方の異質性を共在させるなかで自然な人間的・民族的関係を結び合っていくこ
とである。つまり〈同化の拒否〉が基本でなくてはならない。したがって、日本人の民族
的アイデンティティとは、侵略と排外主義の原基である天皇制国家主義的ナショナリズム
の否定であり、それと不可分の関係にある自立的・民衆的なナショナルなものの創造にか
かわっている。つまり民衆の側からする民族的責任の貫徹である。
在日朝鮮人と日本人の〈対峙の場〉とは、たがいの変革がぶつかりあう共生のパン=場
なのである。そのパン=場が、個の変革を土壌として社会・制度・国家の変革へ微弱なり
ともつながっていけば、と思う。
ここ数年、在日朝鮮人の文学は宗秋月、元秀一、金蒼生、李良枝、つかこうへい、李起
昇、竹田青嗣など新しい世代の抬頭により、多様化と様変りを著しくしている。そのあた
りの事情については、磯貝が『季刊三千里』87 夏・五十号に寄せた「新しい世代の在日朝
鮮人文学」を参照されるとありがたいが、ともかく“いまこそ、文学的同化の拒否を!”
なのである。これは朝鮮人、日本人おしなべての、会の希求である。雑誌『架橋』も会活
動の拠点として、その心づもりで地道にゆっくりと発行していくことになる。
会活動十年の歳月のなかで、しばしばテキストに取り上げて私たちに多くの糧を与えて
くれた金鶴泳氏、金泰生氏、それぞれ一九八五年一月と一九八六年十二月に亡くなった。
また『架橋』七号の「批評と手紙」にゆかりの丸山静氏が一九八七年七月に亡くなった。
あらためてご冥福を祈る。
一九八七年九月二十八日
(磯貝治良)
会
録
第 101 回(1986・9・21)金鶴泳「石の道」
報告者・裵 鐘真
参加者 12 名
第 102 回(11・ 3)宗秋月「猪飼野タリョン」
報告者・磯貝治良
参加者 18 名
話と詩朗読・宗秋月
第 103 回(11・30)「架橋」7号合評会
報告者・劉 竜子
参加者 10 名
第 104 回(12・21)一年をふりかえり 87 年を望む会
報告者・全
員
参加者 10 名
報告者・金 有子
参加者 11 名
第 105 回(1987・1・25)金石範「金縛りの歳月」
第 106 回( 2・22)つかこうへい「広島に原爆を落とす日」
報告者・蔡
孝
参加者 5 名
第 107 回( 3・29)つかこうへい「戦争で死ねなかったお父さんのために」
報告者・磯貝治良
参加者 6 名
第 108 回( 4・19)黄晳暎「客地」
報告者・山田 實
参加者 10 名
第 109 回( 5・24)黄晳暎「韓氏年代記」
報告者・加藤建二
参加者 10 名
第 110 回( 6・21)郭早苗「父・KOREA」
報告者・成 真澄
参加者 13 名
第 111 回( 7・26)尹健次「異質との共存」
報告者・高見卓男
参加者 15 名
第 112 回( 8・23)京都「パラムの会」と交流
参加者 18 名
第 113 回( 9・23)元秀一「猪飼野物語」
報告者・児玉信哉
話・元秀一
第 114 回(10・25)李興燮「アボジが越えた海」Ⅰ
参加者 25 名
報告者・朴 裕子
参加者 12 名
交流誌紹介
在日文芸 民涛
在日二・三世世代の文化的アイデンティティと、第三世界の民衆と
の絆を求めて、今年十一月に創刊されたばかりの季刊文芸総合誌。創刊号には『アリラン
の歌』で著名なニム・ウェルズ女史へのインタビュー、在日二世が語る座談会「在日文学
はこれでいいのか」金時鐘、姜舜の詩、朴重鎬、宗秋月の小説、連載「朝鮮の近代文学」
などがあり、A5判三三〇頁の大冊で九八〇円。「読む会」の仲間、裵鐘真氏が編集委員の
一人。代表は李恢成氏。
青丘文化
「解放の日まで」などで知られる映像作家・辛基秀さんが主宰する青丘文
化ホールの会報。同ホールは朝鮮関係の映画、ビデオ、図書を多く備え、講演会、韓国料
理教室などを開き、朝鮮を知るための交流の場になっている。
OJK 通信
在日朝鮮人文学を中心に読書会を行なっている日本人グループの会報。小品、
エッセイ、翻訳詩・短文、例会レポートなどが載っている。
나그네(ナグネ) 国籍を問わず、さまざまな境遇の在日朝鮮人二、三世世代による同人
誌。創刊のことばに「民族的主体性を堅持し、微力であっても祖国の統一を志向してゆき
たい」とある。小説、〈在日〉論、ルポのほか、若い世代からの率直な発言が載っている。
「나그네通信」も発行。
우리文化
祖国の分断克服と統一を志向して民族的・民衆的文化の継承、創造活動を行
なっている〈在日〉団体の機関誌。四・五号併号には「解放の映画」論、朴ヘノの詩、マ
ダン劇台本などが載っている。