博士 (水産科学) 西 村 一 彦 学位論文題名

博 士 (水 産科学 )西村 一彦
学 位 論 文 題 名
脂肪酸螢光誘導体の高速液体クロマトグラフイー/
質量分析法に関する研究
学位論文内容の要旨
脂 質 は タ ン パ ク 質 , 炭 水 化 物 と と も に 日 常 の 食 生 活 に お い てな く て はな ら な い栄 養
素 で あ り , ま た , 細 胞 膜 を は じ め と す る 生 体 の 重 要 な 構成 成 分 でも あ る .脂 質 を 構成
す る 脂 肪 酸 に は 炭 素 数 と 二 重 結 合 数 の 異 な る 多 数 の 同 族体 が 存 在し , そ れぞ れ 生 体内
で の 作 用 の 異 な る こ と が 知 られ て い る. 生 体 内で 合 成 さ れな い り ノー ル 酸 やa― リ ノレ
ン 酸 な ど の 必 須 脂 肪 酸 に つ い て は , そ の 測 定 法 , 食 品 中で の 含 量, 生 体 内で の 働 き,
立 体 配 置 等 に 関 し て 従 来 か ら 数 多 く の 研 究 が 行 わ れ て いる . 近 年は 抗 ガ ン作 用 や 痩身
効 果 を 有 す る 共 役 リ ノ ー ル 酸 な ど が 新 た に 関 心 を 集 め てお り , 天然 物 中 での 分 布 や新
た な 生 理 機 能 及 び 分 析 法 に つ い て 活 発 に 研 究 が 行 わ れ てい る . また , 脂 肪酸 ( 遊 離脂
肪 酸 ) は 水 産 物 , 食 用 油 , 乳 製 品 等 の 品 質 評 価 因 子 の ーっ で あ り, 近 年 ,バ タ ー から
の 異 臭 に よ り 製 品 が 回 収 さ れ た 事 例 も あ る こ と か ら , 風味 や 品 質に も 影 響を 与 え る製
品 中 の 脂 肪 酸 を 正 確 に 定 量 し , そ の 組 成 の 詳 細 を 明 ら かに す る こと は 食 品衛 生 上 から
も 必 要 で あ る と 考 え ら れ る . こ の よ う に , 脂 肪 酸 の 精 密分 析 は 脂質 研 究 にお い て 必要
不可欠で あり,古 くから重 要な研究 課題にな っている .
脂 肪 酸 の 分 析 に は 通 常 ガ ス ク ロ マト グ ラ フィ ー (GL
C)が 用い ら れ るが , 最 近で は 操 作
の 簡 単 さ か ら 高 速 液 体 ク ロ マ ト グ ラ フ ィ ー (HPLC)で 分 析 する 方 法 ,特 に 脂 肪酸 を 誘 導
体 化 し て 高 感 度 で 分 析 す る 方 法 が よ く 使 用 さ れ て い る .こ れ ま で種 々 の 誘導 体 試 薬が
使 わ れ て い る が , そ の 中 で も , 9― ア ン ス リ ル ジ ア ゾ メ タ ン (ADAM)を 用 い て 脂 肪 酸 を
9― ア ン ス リ ル メ チ ル エ ス テ ル 誘 導 体 ( 通 称 ADAM誘 導 体 , F
ig.1
) に 変 換し , こ れを 逆
― 195―
相HPLCで分析する方法は操作が簡単で高感度であることから生物試料の分析にしば
しば用いられている.しかし,HPLCカラムはキャピラリーGLCカラムに比べて一般に
分解能が低いため,植物油のように比較的単純な脂肪酸組成を示す試料の分析では良
好な分離が得られるものの,魚油のように構成脂肪酸が複雑な場合は16:1と14:0な
どECN値 (equivalent carbon number:ア シル 基の 総炭素数―2x二重結合数)の
等 し い 成 分 同 士 が 重な り , 同 定 が 困 難 と な る .
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また,標準品の入手が難しいために,これを使 ′)
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用して同定することが困難な脂肪酸もしばしば .
観 察 さ れ る , さ ら に, 過 去 に 報 告 さ れ た 飽 和 及
び不飽和脂肪酸ADAM誘導体の逆相HP
LC
での溶
F
ig
.1
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出順番を比較すると,同じカラムと同系移動相
を 用 い て 分 析 し た 場 合 で も , 異 な る 溶 出 順 を 示 す 例 が み ら れ る . 脂 肪 酸 の精 密 な 組成
分 析 を 行 う に あ た っ て は , 逆 相 HPLCで の 個 々 の 脂 肪 酸 の 分 離 挙 動 を 明 ら か に す る と と
も に , 各 成 分 を 同 定 す る た め に 分 子 量 情 報 の 得 ら れ る HPLC/質 量 分 析 (MS)の 使 用 が
有 効で あると考え られるが, これらにっ いてはほと ‘んど検討 されていな い.
本 研 究 で は , 脂 肪 酸 ADAM誘 導 体 の 逆 相 HPLCに よ る 精 密 分 析 法 の 確 立 を 目 的 と し ,
以 下 の 項 目 に つ い て 検 討 し た . (1)エ イ コ サ ペ ン タ エ ン 酸 (EPA)や ド コ サ ヘ キ サ エ ン
酸 (DHA)な ど 高 度 不 飽 和 脂 肪 酸 を 含 む 種 々 の 脂 肪 酸 ADAM誘 導 体 の 逆 相 HPLCで の 分 離
挙 動 , (2) HPLC/MSに よ る 魚 油 脂 肪 酸 の 精 密 分 析 , (3)食 品 中 に 少 量 存 在 す る 生 理 活 性
脂 肪 酸 ( 共 役 リ ノ ー ル 酸 ) の 分 析 , (4)食 品 の 品 質 評 価 因 子 の ー っ で あ る 遊 離 脂 肪 酸 の
組成分析.
(1)逆 相 HPLCを 用 い て 飽 和 及 び 不 飽 和 脂 肪 酸 ADAM誘 導 体 の 分 離 挙 動 を 詳 細 に 検 討 し
た 結 果 , 移 動 相 を メ タ ノ ー ル か ら ア セ ト ニ ト リ ル ヘ 変 化 さ せ た と き , 保 持時 間 は 直線
で は な く , U字 型 の 曲 線 を 描 く こ と を 見 出 し た . こ の 時 , 不 飽 和 度 が 低 い 脂 肪 酸 ほ ど
保 持 時 間 の 増 加 が 大 き く , ECN値 が 類 似 し て 不 飽 和 度 に 差 の あ る 14:1と 20:5の よ う
な脂 肪酸 聞で 溶出 順が 逆転した.このような現象はADAM誘導体以外の誘導体や遊離脂
肪酸 でも 認め られ たこ とから,誘導体部分よりも脂肪酸部分が溶出挙動を決定してい
るこ とが 明ら かに なっ た.したがって,逆相HPLC分析では,脂肪酸ばかりでなく,ト
リグ リセ リド やり ン脂 質でも同様の逆転現象が起こるものと推測された.移動相の水
含量 を増 加さ せた 場合 ,鎖長の長い脂肪酸ADAM誘導体の保持時間増加量が大きく,そ
の結 果, 有機 溶媒 100%の移動相で接近して溶出し,鎖長に差のある脂肪酸聞で溶出順
が逆転した.このことから魚油などの複雑な脂肪酸混合物を正確に分析するためには,
移動相の水含量の調整が極めて重要であることが明らかになった.
(2)脂肪 酸ADAM誘 導体 をエレ クト ロス プレ ーイ オン 化法(ESI/MS)で分析すると,正イ
オンモードで[M十Na]゛のべースピークと誘導体のエステル部分で開裂した[M
一RC
OO]→
(m/z 191相 対 強 度 15y0)の 両 イ オン が検 出さ れた .これ らの イオ ンを 用い る選 択イ
オン 検出 では ,O. Ingの誘 導体 混合 物を HPLCカラ ムに注入した場合でもS/N比5以上
で個々の成分を検出することが可能であった.一方,大気圧化学イオン化法(APCI/MS
)
では,正イオンモードで[M―R
COO]゛(m/
z 19
1)が,負イオンモードでは[
RCOO
]−がそれ
ぞれ べー スピ ーク とし て検 出さ れた .こ れら の結 果から ESIとAPCIを 用い るHPLC/MS
法 は , 脂 肪 酸 ADAM誘 導 体 の 同 定 に 極 め て 有 効 で あ る こ と が 明 ら か と な っ た .
HPLC/ESI−MS法を ミン ククジラのべーコンから調製した脂肪酸混合物の組成分析に適
用し た結 果, 得ら れた 各脂肪酸のピーク面積%は螢光検出HPLCで測定した結果と良く
一致 した こと から ,HPLC/ESI―MS法は成分の同定だけでなく,組成分析法としても有
用であることが明らかとなった,
(3)これ らの 結果 をも とに食 用油 脂中 に少 量含 まれ ,生理活性を有する共役リノール
酸(CLA)の分 析法 を検 討した .CLAは 異性 化す るこ となく ADAM試薬 と反 応し ,誘 導体
に変換されることを明らかにした.水ノメタノールのグラジェント溶離法を適用するこ
とに より ,乳 及び 乳製 品に 含ま れて いる 主用 な脂 肪酸16成分からCLAを明りょうに分
離することに成功した.その結果,CLAは牛乳中に総脂肪酸中O.9%(2. 2mg/g fat),
―197−
バターに1
.4%(
4. O
mg/gfat)
,チーズ中に2
.5
Y0 (5
.7m
g/
gfat
)存在することを一度
の分 析 で明らか にするこ とが可能 になった ,この技 術は,魚油 に含まれ るCLAの分析
にも有効であることが認められた.
(4)食品衛 生の観点 から,水 産物,食 用油,乳 製品等の 品質評価因 子のーっ である
遊離脂肪 酸を簡単に 抽出し, 個々の遊 離脂肪酸 成分を個 別に定量する高感度分析を検
討した. 少量のサン プルから 固相抽出 カートリ ッジを用 い遊離脂肪酸を簡便に抽出す
る方法を確立した,水ノメタノールのグラジェント溶離法で炭素数4∼ 20,二重結合数
0---3までの 16種の脂肪 酸を互い に明りょ うに分離 定量でき るHPLC法を確立 した.本
分析法で 得られたを 遊離脂肪 酸量から 算出した 酸価は従 来の滴定法で求めた値と良く
一致して ことから, 本法は簡 便で,従 来法より も詳細な 分析が可能であり,水産物を
含む食品一般に広く適用できると考えられる,
以 上, 本 研 究で は HPLCとMSを 用い て脂肪 酸ADAM誘導体 の分析法 を確立し, 水産物
の脂 肪 酸組成の 精密分析 ,食品に 含まれる CLAや遊離脂 肪酸の高感 度分別定 量を可能
にした.本法は,種々の生体試料中,の脂肪酸の組成分析に適用できるものであり,今
後水産を含む多くの分野での利用が期待される.
学 位論 文審査の要旨
主査
教授
副査
副査
教授 宮下和夫
助教授 安藤靖浩
副査
板橋
豊
鈴木敏之
(東北区水産研究所主任研究員)
学 位 論 文 題 名
脂 肪酸 螢光 誘 導体の高速液体 クロマトグラフイー/
質量 分 析法 に関 する 研究
脂 肪 酸 は 脂 質 を 構 成 す る 基本 成分 であ り, その 精確 な分 析は 生 物の 脂質 を研 究
するあらゆる分野で必要とされる.通常,脂肪酸の組成分析にはガスクロマトグラフィ
ー (GLC)が 用 い ら れ る が , 最 近 で は 操 作 性 に 優 れ た 高 速液 体ク ロ マト グラ フィ ー
(
HPLC
)も 広く 使わ れて いる .一 般に , 脂肪 酸は 誘導 体に変換 した後分析されるが,
種々 の誘 導体 の中 で, カル ボキ シル 基 を9ーア ンス リル メチ ルエ ス テル (通 称ADA
M
誘 導 体 ) に 変 換 し , こ れ を 螢光 検出 逆相 HP
LCで分 析す る方 法が , 誘導 体の 調製 が
容易で高感度であることから,生物試料の分析によく用いられている.しかしながら,
魚 油 の よ う に 構 成 脂 肪 酸 の 数が 多く 組成 が複 雑な 場合 ,HPLC
法 で は分 離の 困難 な
成分 や同 定で きな い成 分が しば しば 観 察さ れた り, 個々の成 分の溶出順が分析者に
よって 異なっていたり,分析法としての不完全さが認められる .本研究では,螢光検
出 逆 相 HPLC法 に HPLC/MS( 質 量 分 析 法 ) を 併 用 し て 脂 肪 酸 ADAM誘 導 体 の 精 密
分析 法を 確立 し, その 水産 物や 食品 へ の応 用を 検討 したもの である.得られた成果
は以下のように要約される.
(1) ADAM誘 導 体 の 逆 相 HPLCで の 分 離 挙 動 を 詳 細 に 検討 した 結果 ,移 動相 をメ タノ
ー ルか らア セト ニ トリ ルヘ変化させたとき,及び少量の水を含む移動相を用 いたと
き , 保 持 時 間 の 推 移 は従 来明 らか にさ れて いる 直線 型で はな くU字 型の 曲線 を描
き ,不 飽和 度の 小 さい 脂肪酸や長鎖脂肪酸ほどその傾きの大きいことを見出 した.
こ のこ とか ら, 幾 っか の脂肪酸間で溶出順の逆転することが明らかになった .溶出
順 の 逆 転 現 象 は ADAM誘 導 体 以 外 の 誘 導 体 や 遊 離 脂 肪 酸 で も 認 め ら れ た こ と か
ら , ADAM誘 導 体 の 溶 出 挙 動 を 決 定 す る の は ADAM部 分 で は な く , 脂 肪 酸 部 分
で ある こと が結 諭 され た.これらの結果から,魚油など複雑な組成を示す脂 肪酸を
HPLC
で 精確 に分 析 する ため には ,た とえ 少量 の水 であ って も, 移動 相組 成 を正し
く 調 整 す る こ と が 極 め て 重 要 で あ る こ と が 明 ら か に な っ た .
(2) ADAM誘 導 体 の MSを 詳細 に検 討し た結 果, エレ クト ロス プレ ーイ オ ン化 法(ES
I)
で,[M
十Na
]゛とエステル部分が開裂した[
M
−R
C
OO
]
゛の両イオンを検出することに
成 功 し た . 選 択 イ オン 検出 では ,O.lng
の 誘導 体混 合物 をHPLC
カ ラ ムに 注入 した
場 合 で も S/N比 5以 上 で 個 々 の 成 分 を 検 出 す る こと が可 能で あっ た ,一 方, 大気
圧 化 学 イ オ ン 化 法 (APCI/MS)で は , [ M― RCOO]゛ と [RCOOl-あ ィ オ ン の 検 出 さ
れ る こ と を 見 出 し た . こ れ ら の 結 果 か ら , ESIとAPC
Iを 用い るHPLC
/MS法は ,脂
肪 酸 ADAM誘 導 体 の 同 定 に 極 め て 有 効 で あ る こ と が 明 ら か と な っ た ,
(3)上 述 し た ADAM誘 導 体 の 逆 相 HPLC法 と HPLC/MS法 を ミ ン ク ク ジ ラ の べ ー コ ン
から 調製 した 脂肪 酸 混合 物の 組成 分析 に適 用し た. その 結果 ,移 動相 組成などの
分析条件 を最適化することにより,ドコサヘキサエン酸やドコサペンタエン酸などの
高 度 不 飽 和 酸 を 含 む 種 々 の 脂 肪 酸 が , 螢 光 検 出 HPLCで も HPLC/MSで も 比 較
的 短 時 間 で 明 瞭 に 分離 でき るこ とが 明 らか にな った .ま た, H
PLC/M
S法 で得 られ
た 各 脂 肪 酸 の ピ ー ク 面 積 % は , 螢 光 検 出 HPLCで得 られ た値 と互 い に良 く一 致し
た こ と か ら , HPLC/M
S法 は水 産油 脂脂 肪酸 の同 定だ けで なく ,組 成 分析 法と して
も有用で あることが認められた.
(4)本研 究で 確立 した 方法 は, 水産 脂質 ばか りで なく,抗腫瘍活性や抗肥満効果など
種 々 の 生 理 活 性 を 有 す る 共 役 脂 肪 酸 (CLA)の 分 析 や 乳 , 乳 製 品 及 ぴ 油 脂 食 品
に存 在す る遊 離脂 肪酸の定性・定 量分析にも適用できることを示した,前者は,少
量 の 試 料 ( lg)か ら 抽出 した 脂質 をケ ン化 して 脂肪 酸を 調製 し, こ れを A
DAM誘導
体 に 変 換 し て 分 析 する もの で, 食品 中 に微 量存 在す るCLA
の 簡易 ス クリ ーニ ング
法と して 有用 であ ることが明らか にされた.後者の方法は,少量の試料から遊離脂
肪 酸 を 固 相 抽 出 し た 後 , ADAM誘 導 体 に 変 換 し て HPLC分 析 す る も の で あ る . 遊
離脂 肪酸 は食 品の 品 質評 価因 子の ーっ とな って いる こと から ,簡 便な 分析法の開
発 は 食 品 関 連 分 野 に お い て 有 益 で あ る , 本 研 究に おい て確 立し た 方法 は高 感度
で操 作が 簡単 であ る こと から ,食 品中 の遊 離脂 肪酸 の定 性・ 定量 分析 に広く適用
できると 考えられる.
以 上 の 成 果 は , 高 度 不 飽 和 脂 肪 酸 を 含 む 種 々 の 脂 肪 酸 の ADAM誘 導 体 の 逆 相
HPLCで の 分 離 挙 動 を 明 ら かに した もの であ り, ま たHPL
C/MS
法 を併 用し て水 産 物
の 脂 肪 酸 組 成 分 析 法 と 食 品 に 含 ま れ る 共 役 脂 肪 酸 や 遊離 脂肪 酸の 高感 度分 別 定
量 法を 確立 した もの であ り,審査員一同は本研究が博士(水産科学 )の学位を授与
さ れる 資格 のあ るも のと 判定 した 。