中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」 普及啓発

中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
普及啓発講演会那覇会場
■日時・場所
平成 22 年 12 月 4 日(土)
パレット市民劇場
■講
師
中川裕氏(千葉大学大学院教授)
■演
題
「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
こんにちは。千葉大学の中川です。私が初めて沖縄に来たのはだいぶ前のことですけれ
ども、新婚旅行でした。そのときには地元の人と泡盛の飲み比べをするはめになりまして、
一応その時には負けなかったんですが、翌日は水一滴飲めないというありさまで、ひどい
ことになりました。それからだいぶ経ちまして、去年再び家族旅行で懐かしい場所を回り
ました。そして今年また、こういうかたちで来られたということでたいへん嬉しく思って
おります。
それから、千葉大学の大学院で琉球方言の研究をしていた沖縄出身の院生がいて、非常
に優秀な博士論文で博士号を取ったのですが、私が沖縄に来る前の日にその彼女から「沖
縄国際大学に就職が決まりました」という知らせがありました。ということで、沖縄には
不思議な縁があるというか、何かあるなと感じながらやって参りました。
さて、今日のテーマは「語り合うことばの力」ということですが、実は今年このタイト
ルの本を出版しまして、そこに書いたことの中から話をするということで、アイヌ語とい
う言葉と、その言葉を使って暮らしていたアイヌの人たちとの繋がりについてお話しした
いと思います。
まず、アイヌ語とはどんな言葉かということからお話しします。アイヌ語が日本語の方
言だと思っている人がけっこういるんですが、アイヌ語は日本語とは何の関係もない言葉
です。何の関係もないというのは「親戚」ではない、つまり「言葉のルーツをたどったら
日本語とアイヌ語が一つの言語だった」というようなことは考えられないということです。
さらに言えば、アイヌ語は日本語だけではなく、世界中のどの言語とも親戚関係がみとめ
られない「孤立語」と呼ばれる言語です。というとたいへん変わった珍しい言語だと思わ
れるかもしれませんが、実のところ我々が使っている日本語もまた孤立語です。つまり、
アイヌ語と日本語は立場としては同じような言葉で、違う点はただ話している人数が少な
いか多いかだけということになります。それだけではなく、朝鮮語も孤立語ですし、サハ
リンの北のほうにニヴフと呼ばれる人たちが現在でも住んでいますが、ここで話されてい
るニヴフ語も孤立語です。それから千島列島の北の先にあるカムチャッカ半島で話されて
いるイテリメン語も孤立語です。ということで、日本語を含めた一群の孤立語が日本列島
を取り巻いているのであり、そういう意味ではアイヌ語はなんら特別な言語ではありませ
ん。
アイヌ語はサハリンや千島列島でも話されていたわけですが、現在これらの地域にはア
イヌ人の子孫はほとんどいなくなってしまいました。また、かつては東北地方の北半分で
もアイヌ語が話されていたと考えられます。これは地名にアイヌ語が残っていることから
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
推測されるわけですが、具体的には日本海側では秋田県から北の地域、太平洋側では宮城
県仙台の北にある多賀城周辺から北の地域だと考えられています。このように非常に細か
い範囲で推定できるのは、その辺りを境にして北と南でアイヌ語地名と考えられる地名の
密度が大きく変わるからです。この辺りには八世紀頃に大和朝廷軍の前線基地があって、
そこから北はエミシと呼ばれる人たちの世界だったわけです。そこにアイヌ語が色濃く残
っているということは、エミシと呼ばれる人たちはアイヌ語を喋っていたということです。
それだけではなくて、青森県に十八世紀中頃までアイヌ語を話す人たちがいたことは間違
いないと考えられています。なぜなら、その頃に津軽藩でアイヌ語を使ってはいけないと
いう禁止令が出ていることがわかっているからです。そしてその当時の戸籍を見ると、あ
きらかにアイヌと思われる人たちの名前が書かれています。現在の東北地方ではアイヌ語
は話されていないわけですが、そうなったのは比較的最近、せいぜい二百年ほど前のこと
だと考えることができます。
さて、アイヌ語にはもともと文字はありませんでした。けれどもアイヌ人が文字を使っ
て自分たちのことを書くようになるのは比較的古い話で、一九二三年に知里幸恵という人
が『アイヌ神謡集』という本を著し、アイヌ語をヘボン式のローマ字で表記し右側に日本
語訳をつけました。これが、アイヌ人がアイヌ語を文字で書いた初の刊行物です。アイヌ
語と日本語には発音の異なるところがたくさんありますので、『神謡集』以降、アイヌ語を
記すためのカナ表記が工夫され、ヘボン式よりもっと正確なローマ字表記がなされるよう
になって、現在ではアイヌ語を文字化した物がたくさん出版されています。
しかし、かつてアイヌ語を母語として生活していた人たちの大部分にとっては、アイヌ
語は読んだり書いたりする言葉ではなくて、話したり聞いたりする、つまり口と耳によっ
て伝えられる言葉であったことも確かです。かつてのアイヌ民族にとって言葉というのは
非常に重要なものでした。もっとも、言葉が重要ではない民族はないといってよいのです
が、現在の日本社会を考えてみると、例えば、政治家などがつい本音を言ってしまって、
あとで「誤解を招く言い方をした」という言い訳をすることがよくあります。聞いた方は
誰も誤解などしていなくて、それが本音だとわかっているのですが、言った方は「私の真
意が伝わっていない」と言って逃げるわけです。このように日本社会は言葉に重みのない
世界になってしまっています。むしろ「沈黙は金」「不言実行」などのように、男というの
は無口なほうが良くて、立派な男はあまり喋らないものだというイメージすらあったわけ
です。ところがかつてのアイヌ社会においては、喋ること、弁舌爽やかであることは、男
として不可欠な資質であると考えられていました。アイヌ語で「パウェトク」雄弁であると
いうことはリーダーになるための必須条件でした。
男は言葉を語れなくてはいけない。例えば、男性の重要な仕事の一つとして、遠来の客
を迎えて挨拶をかわすことがあります。挨拶といっても、
「どうもお久しぶりでした」とい
って済ませるようなものではありません。むかしは遠方から客が来るといろいろと手間の
かかる作法がありました。客が他人の家に着いてまず何をするかというと、ノックのかわ
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
りに咳払いをします。すると家の中から奥さんか若い人が出てきて、出入り口にある簾の
ようなものを持ちあげて誰が来たのか確認しますが、「どなたですか」などとは言わずに客
の顔を見たら黙って家に入ります。そして主人に「これこれこういう人が来ています」と
伝えます。すると主人はたいてい「家に入りたくて来たのだから入れてあげなさい」と言
うことになっています。そこから家の中の掃除が始まり、お客さんの席になる場所を設え
ます。客はその間外で待っていなくてはなりません。北海道の真冬であってもじっと待た
なければならない。室内の支度が済んだらまた家の人が迎えに出てきますので、それから
やっと中に入ります。
ひ と ま
むかしの家は一間で、真中に囲炉裏がきってありまして、入口から向かって左奥の方に
主人が座っているわけですが、家に入ってからも難しい作法がありまて、千歳の白沢ナベ
さんに聞いた話ですが、まず客は囲炉裏の下座に主人のいる方と反対の方を向いて座らな
くてはならない。すると主人がトントントンと床を叩いて「もう少しこちらに来て火にあ
たりなさい」というようなことを言う。言われた客は立ちあがってはいけないので、膝ず
りをしてほんの少し上座に近づく。すると主人が「もう少し近づきなさい」と言うからま
た近づく。そうやって何度か声を掛けられて主人と相対する位置に来たところで挨拶が始
まります。挨拶というのは最初にオンカミと呼ばれる動作を互いにすることから始まりま
す。すると客の方から節をつけた韻文で「この村は素晴らしい」とか「主人が健康で何よ
りだ」と決まり文句のようなことを朗々と語るわけです。それが十~二十分続くわけです
が、その間主人は黙って聞いている。それが終わりますと主人の方から「遠路はるばるい
らっしゃった」というように答礼をするわけです。これが終わるのに三十分くらいかかる
のですが、この時点で客が何しに来たのかはまだ話題にもなっていません。それからおも
むろに、何のためにやってきたのかを、また節をつけて朗々と語ります。それが終わって
やっと普通の話し言葉になって歓談を始めるのですが、ここまでで一時間くらいかかった
りすることもあると言われています。
明治時代の記録ですけれども、日本人の役人が視察のためにアイヌ人を案内役にして北
海道内を回った。そのときに山の中でにわか雨に降られた。民家があったので雨宿りをし
ようということで、案内役のアイヌ人を使いに出したがいっこうに帰ってこない。しびれ
を切らして、そうっと民家に近づいて窓から覗いたら、例の挨拶の儀式の真っ最中だった。
そして案内役がようやっと出てきた頃には、すでに雨が上がっていたという実話があるん
だそうです。なぜこんなに面倒なことをするのかというと、見知らぬ客であっても誰であ
っても訪ねて来た者を必ず家に入れるという習慣と表裏一体の儀礼だったのではないかと
思います。つまり、誰が来ようと家には上げるけれども、そのかわりその人がどういう人
物かということを挨拶のやり取りで測るわけです。この挨拶というのはそれによって人柄
や教養を見るのだと言われていまして、子供の頃から挨拶の訓練をさせられる。挨拶がき
ちんとできないと無教養な奴であるということで適当にあしらわれてしまう。きちんとし
た挨拶ができればしっかりした人物だということで、客として丁寧に待遇されるというこ
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
とだったのではないかと思います。こういうことで、言葉をかわす、挨拶をかわすという
のは男性の重要な役目でした。
また、いさかいが起こったときに弁論を戦わすということもありました。もめ事があっ
たときにはチャランケといって裁判を行いました。弁論を行うのは当事者でなくてもいい
ので、今でいう弁護士のようなものですが、弁のたつ者を二人選んで、この二人に討論さ
せるわけです。これも挨拶と同じく韻文で語られるのですが、故事来歴をひいて、いかに
自分の言っていることが正当なのかを語るわけです。これもまた一時間でも二時間でもえ
んえんと自分の主張を弁ずるのですが、その間一方の人間はそれをずっと聞いてなければ
ならず、口を挿んではなりません。そして相手が語り終わってからやおら反論を始めます。
これを繰り返していくのですが、判事に当る人はおりません。周りで聞いている人はいま
すが判定者がいるわけではないのです。ではどうやって決着がつくのかというと、言うこ
とが無くなって言葉に詰まった方が負け。それから、ずっと座ったまま何時間もあるいは
何昼夜もやりますから、疲れて倒れたら負け。むかしこの話を聞いた金田一京助が「途中
で腹がたって喧嘩になることはなかったのか」と尋ねたところ、腹をたてて席を立ったら
そこで負け。手をあげたらそちらの負け。ということで、言葉で戦えなくなった方が負け
という非常にわかりやすいルールだったのです。つまり第三者である判事のような人がい
て、その人の判断でこっちの勝ちと決めるシステムですと、たいがい負けた方から不満が
出ます。だいたい皆が顔見知りという中で、判定役としてまったく中立な立場の人を見つ
けることの方が難しいでしょう。むしろ、第三者が裁くよりも、誰が見ても勝ち負けがは
っきりするこのチャランケのやり方のほうが、合理的な側面もあると思います。そして、
負けた方は勝った方の要求を全面的にのまなくてはならないが、賠償が済んだら争いはそ
こで終わりで、あとくされなし。このような制度がアイヌ社会にあったとされています。
それからまた男性の仕事として、死者に引導を渡すという儀礼があります。これは亡く
なった人に対して「あの世へ無事に着いて、迷わずにどこへ行ってどうしなさい」という
ようなことを言ったり、あるいは亡くなった人が「生前こんな功績をあげた」ということ
を弔いの席にいる人たちに語り伝えたりするものです。現代だったらお坊さんがやるよう
なことですけれども、かつてのアイヌ社会にはお坊さんや神官という職業の人はいません。
そもそも職業や階級というものがないので、男であるならば誰でもこうしたことができな
ければならないことになっていました。
もう一つ重要なのはカムイに祈りを捧げること。カムイというのは後ほど説明いたしま
すが、とりあえずは神様だと思ってください。この神様に祈りを捧げることも男の仕事な
のですが、これも神主や司祭という特別な役職はありませんので、全部自分でやらなくて
はいけません。
ということで、男にとっては言葉を使う技術というのがとても重要だったのですが、で
は、女性は喋らなくて良いのかというと、女性は生活に必要な知恵を伝えるための物語を
数多く覚えて、それを語るというのが重要な役割でした。現在、アイヌの語った物語がた
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
くさん残されておりますが、その記録の大部分は女性が語ったものです。これが言葉に関
する女性の役割ということになります。
ここでカムイについてお話しします。カムイというのは神様と訳しますけれども、日本
語の神様よりもずっと広い範囲の言葉で、例えば、熊、キツネ、ヘビなどの動物やフクロ
ウ、カラス、スズメなどの鳥もカムイです。念のために言うと、スズメならスズメを司っ
ている神様というものがいるわけではなくて、スズメそのものがカムイなのです。ですか
らスズメが百羽いたら百人のカムイがいることになります。それから、木は樹齢百年以上
の大木というよなものでなくても、そこいらに生えている木は全てカムイであり、草も人
に役立つ実をつけたりするものはカムイです。それから火や水、そして雷などの自然現象
も全てカムイです。それだけではなくて人間が作った物もカムイなので、家、舟、臼、杵、
食器など人間の役に立つ物は全てカムイです。だから、パソコンもそういう世界観を持っ
ている人たちにとってはカムイ以外の何物でもなかったでしょう。
このように、人間とともにこの世を構成して、この世で何らかの役割を果てしていると
思われるものは全てカムイということになります。そしてそれらは人間と同じように精神
を持っていて、霊魂、魂がある。しかも魂というものは実際には人の目には見えないけれ
ども人間と同じ姿かたちをしていると考えられていました。人間の世界とは別にカムイの
世界があり、そこでカムイは人間と同じ格好をして暮らしている。そのカムイが人間と何
かの関わりを持つために人間界にやって来るときに、人間に見えるように着物を着て肉体
をつけて来る。それが熊であれば、人間への土産物である肉のうえに黒い毛皮のコートを
羽織っているから人間には熊に見える。それから火のカムイの場合には赤い着物を羽織る。
赤い着物を十二枚着ることになっておりまして、赤い着物が人間には炎に見える。炎が火
のカムイの着物であると考える。このようにしてカムイは人間界にやって来るのですが、
そのカムイと人間を繋ぐものもまた言葉です。
先ほど言いましたとおり、男の仕事の一つとしてカムイと語り合うということがありま
す。人間はカムイに対して、例えば熊のカムイから毛皮や肉をもらう。肉や毛皮はカムイ
の本体ではなくて、本体はあくまでも魂ですから、肉も毛皮も人間にくれるために持って
来たと考えるわけですね。それをいただいた人間の側から、お返しに自然界には存在しな
いもの、例えばお酒であったり米で作った団子であったり、ヤナギなどの木を削って作る
木幣を渡す。そして熊のカムイは感謝の言葉というものを受け取ってカムイの国に帰るわ
けです。感謝の言葉を人間からたくさんもらうことで、カムイたちはカムイの国でのステ
イタスを上げると考えられていて、人間に感謝されないカムイは一人前扱いされません。
お酒や団子も人間に捧げられなければ手に入らないということで、人間に祀られないとカ
ムイの世界で貧乏な生活をしなくてはならない。カムイと人間は互いに利益を与えあう対
等の関係であるというのがアイヌ的な考え方なんですね。また、もしカムイが人間に対し
て良いことをしなかったら、例えば川で人が溺れた場合には、川にいる水のカムイの子分
たちが役目を果たしていない。管理責任不十分だから溺れたんだということで、人間がカ
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
ムイに抗議行動を行う。
「今度こんなことがあったら絶対にお前らのためにお祭りしてやら
ないぞ。お前らは非常に貧乏になってみじめな暮らしをすることになるぞ」と脅すわけで
す。
というわけで、神様という言葉で訳してしまうと、それはひたすら崇め奉らなければな
らないものであり、人間は一方的に恩恵を受ける立場であるような気がしますが、アイヌ
とカムイの関係は、一方がいないと互いに困る関係、対等の関係と考えることができます。
それを円滑に支えるためには言葉による交信が必要であって、言葉を使ってカムイと交渉
していく。これも男性の役目なのです。
ここまでは今日の話の前提の部分で、ここからアイヌ語のいろいろな使われ方を見てい
きたいと思います。配布資料に「アイヌ文学」と書きましたけれども、実際にはいわゆる
文学よりはずっと広い範囲のものを対象にしていて、伝統的に日常会話以外のいろいろな
ものをひとまとめにしてアイヌ文学と呼ぶ習慣になっています。それはいろいろと分類で
きるんですけれども、私の分類としては、「ことばあそび」「となえごと」「うた」「ものが
たり」の四つに大きく分けています。これらをすべて説明するのは時間的に不可能なので、
ざっと紹介しながら進めていきます。
まず「ことばあそび」というのは、言葉を口にすることを楽しむためのものということ
で、早口言葉とか謎々などですが、時間の関係でここではとばします。
次の「となえごと」というのは相手に何かをさせるためにメッセージを送るもので、カ
ムイへの祝詞、死者への引導渡しなどがこれにあたりますが、これらはとても長いものが
多くてここで披露するのは難しいので、とても短くて簡単なものをご紹介します。まずは、
ヤブマメを掘るときのおまじないの言葉を聞いてもらいます。
「ポン
アハ
チシ ナ/ポロ
アハ
エーク エク」
(小さなヤブマメ泣いているぞ/大きなヤブマメ来い、来い)
ヤブマメとはマメ科の植物で地面の中に豆がなります。先ほど言ったとおりこの豆もカ
ムイです。人間に食料を与えるためにカムイの世界からやって来たので、人間はそれを食
べてお返しに感謝の祈りを捧げるのですが、食べられるほど大きくなるには時間がかかる。
でも小さいうちに食べられてしまうと役目を十分に果たせず、人間からの感謝も薄くなる。
ということで小さいうちに採られるのは嫌だと言って泣いている。だから大きくなって食
べられても良くなったヤブマメに来てちょうだいと唱えながら掘るというわけですね。こ
れもまたカムイと言葉をかわしているのであり、カムイとの交信なんです。
さて、では次のとなえごとはどういう時に唱えるものか、考えてみてください。
「ウォーイ
ウォーイ
エチコチャリ
ナー
エライ
ホシピー
ナー
ホシピー
モーシ モシ」
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ホシピー
カムイ
ワッカ
中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
(あなたは死ぬぞ
戻ってこい
戻ってこい
戻ってこい
カムイの水を
あなたにかけてやるぞ
めざめろ、めざめろ)
これは何か大問題が起こったときに唱えるんですが、どういうときだと思いますか。ヒ
ントとしては、これは今まで数多く唱えられてきたはずですが、一度も失敗したことはな
い。これを唱えると必ず問題が解決する。解決していないとたいへんなことになる。分か
りますか。誰かが死にかかっているんです・・・答えは日食です。太陽が消えかかって死
にそうになっている。そこで唱えられるんです。日食というのは太陽が化け物にのみ込ま
れそうになっているのだと考えられていて、太陽が気絶して逃げられない状況になってい
るので、水をかけて目覚めさせて、逃げさせるためにこの言葉が唱えられているんです。
これは太陽の神に向かって唱えているんですけれども命令口調ですよね。アイヌ語で人に
頼みごとをするときには、丁寧な頼み方がいくらでもあるのですけど、ここの唱えごとは
命令口調で上から目線で言っているわけです。太陽といえども、人間に比べてとても偉い
という存在ではなくて、太陽が困ったときには人間が助けてあげるという感覚から、この
ような言い方になっていると考えていいでしょう。
次は「うた」です。先ほどの「ポン
アハ
チシ ナ/ポロ
アハ
エーク エク」という
のもメロディーがある歌のようなものですが、本来的な歌とは異なります。メロディーが
ついているだけでは駄目で、喉を鳴らすというか、節をつけて声を発することそのものが
楽しみになるようなものを「うた」と言います。これには訓練された発声の技術が必要で、
簡単に真似られないような声の出し方をします。アイヌのうたというのは、本来的には人
に聞かせるためではなく自分が楽しむためのものです。ですから歌詞の意味がわからなか
ったり、あるいは歌詞らしい歌詞そのものがなかったりします。また、歌詞の意味ははっ
きりしているが、聞かせるはずの相手にはふさわしくないようなものもあります。例えば
子守唄に、お前の泣いているわけを教えてあげようという内容の歌がありますが、「お前が
泣いているのはこういうわけだ。お前の父親が日本人の村に交易に行って帰って来たと思
ったら、六人の日本人の女を連れて戻ってきた。私のところに戻りもしないで、浜に小屋
を建てて六人の日本人の女と毎日毎日イチャイチャしながら暮らしている。それを聞きた
くてお前は泣いているのだ」というのがおもな内容です。赤ん坊に聞かせてもしょうがな
いような歌詞で、実際には自分の憂さ晴らしのために歌っているとしか思えませんね。こ
んなふうに、相手に聞かせるために歌うわけではないのがアイヌのうたで、即興で自分の
気持ちを歌う「即興歌」と呼ばれるものも、山の中で一人で仕事をしているようなときに
歌うものだという人もいます。これらのうたが実際にどのようなものかというのは、この
後の公演で聞いてください。
次に「ものがたり」です。これにもいろいろ種類がありますが、代表的なものとしては、
「神謡」
「散文説話」
「英雄叙事詩」があります。ここでは「神謡」について説明しますが、
これは神の謡ということで、その日本語訳のとおり、カムイが自らのことを歌ったもので
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
す。つまり動物や植物の身の上話、自らの体験を歌ったものが神謡です。
それでは一つ聞いていただきます。
「パウパウハーエエエエエー
イシカラ コタン
石狩の村の
パウパウハーエエエエエー
コタン
村の川上に
パウパウハーエエエエエー
アンコホラリ
私は住んで
パウパウハーエエエエエー
オカヤン
いましたが
パウパウハーエエエエエー
ポコインネアン
エトコ
アワ
マ
私には子供がたくさんいて」
「パウパウハーエエエエエー」を何度も繰り返していますね。この繰り返しの言葉はお
話によって違います。それぞれの物語にこの「サケヘ」と呼ばれる繰り返しの言葉がつい
ています。その間に言葉が挟まって物語になるわけですが、この話の主人公は石狩の村の
川上にたくさんの子供と住んでいて、ある日、子供たちに何か食べさせるために川に行っ
たら石狩の長者が鮭をたくさん獲っていた。そのうちの一匹だけを持ち帰って子供たちに
食べさせた。すると長者は鮭を百匹くらい獲っていたのに、それをわざわざ数えて一匹足
りないと言いだして、カムイたちに怒りの祈りをするわけです。
「鮭を一匹盗ったのは誰だ」
という祈りがカムイの世界に昼夜絶え間なく鳴り響き、うるさくて皆が生活できない。そ
こでカムイたちが調べたら、主人公がそれを盗ったということがわかったので「お前をカ
ムイの世界においておくわけにはいかない」ということで追放されてしまいます。そこで
主人公は悲しくて石狩の長者の家まで行って泣きながら走り回る。すると、このカムイは
天候を司るといわれていまして、大雨が降ってきて村も家も流されそうになります。ここ
で初めて長者はそのカムイが自分の子供のために魚を持って行ったのだということを知り、
お酒を捧げて謝ったので、他のカムイたちもそのカムイが元のところに戻ることを認めて
くれたというお話です。
さて、この主人公の「私」というのが何かというと、キツネです。キツネのカムイが語
った話なのです。日本語ではキツネの鳴き声は「コンコン」ですが、アイヌ語では「パウ
パウ」というので、むかしの人たちはこのサケヘを聞けばすぐにキツネの話だなとわかる
わけです。そのようなものが繰り返しの言葉としてついているわけです。このキツネの話
は様似の岡本ユミさんの語りを録音したものですが、岡本さんはこの後に公演されます様
似民族文化保存会の熊谷カネさんのお母さんです。これを語っていただいたときに岡本さ
んは、魚を一匹盗ったキツネは悪くない。魚を一匹盗られたくらいで怒って神々に抗議を
する石狩の長者の方が悪いと言っていました。鮭というのは人間のためだけに川をさかの
ぼってやって来るわけではなく、いろいろな動物の食料になるために地上に下されたもの
である。なのにそれを人間がひとり占めしておいて、盗られたら怒るというのは、人間と
カムイの関係から考えてあってはいけないことである。何でもひとり占めにするのは良く
ないことだと教えるための話ということです。人間とカムイの関係や、人間はどういうこ
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
とをしてよいのか、いけないのかなどということを伝え、教えることが神謡の役目なので
す。そして神謡は主に女性が語るものですから、こういうことを子供たちに語り聞かせる
のが女性が果たすべき言葉の役割なんですね。
もう一つ聞いてみましょう。
「アペメルメルコヤンコヤンマッ
アテヤテンナ
アペメルメルコヤンコヤンマッ
アテヤテンナ
ウ
クンネ
ヘネ
アペメルメルコヤンコヤンマッ
ウ
夜も
アテヤテンナ
トカプ ヘネ
アペメルメルコヤンコヤンマッ
ケメイキ
昼も
アテヤテンナ
パテク
針仕事ばかり
アペメルメルコヤンコヤンマッ
チキ
パ
キ
ナ
私はしていました
アペメルメルコヤンコヤンマッ
チケムルオカ
私の針が縫う後ろ
アペメルメルコヤンコヤンマッ
チケムルエトク
私の針が縫う前を
アペメルメルコヤンコヤンマッ
トゥ
レ
イメル
イメル
クル
ふたつの光
クル
みっつの光
コトゥイトゥイケ ナ
よぎります」
先ほどと違って「アペメルメルコヤンコヤンマッ
アテヤテンナ」という言葉が繰り返
されていますね。途中からは「アテヤテンナ」は省略されていますが、これがこの神謡の
サケヘです。
「夜も昼も針仕事ばかりしていました」ということで、何のカムイかがわから
なくても、針仕事をしているということから女性のカムイだとわかります。そして、これ
をアイヌ語のわかる人が聞けば、出だしのサケヘのところだけで何のカムイかわかってし
まいます。それは「アペメルメルコヤンコヤンマッ」というのが火のカムイの名前、本名
だからです。火のカムイのことは「アペフチ」、つまり「火のおばあさん」と言いますが、
それは通称なのであって、「アペメルコヤンコヤンマッ
ウナメルコヤンコヤンマッ」とい
う長い名前が本名だと言われています。冒頭にその本名が出てくるので火のカムイの話だ
なとわかるわけですね。
この話のあらすじは、火の女神が針仕事をしていると、亭主が外にあるトイレに行く。
昔は紙などありませんから、トイレに行くときにはお尻をこそぐ棒を持って出る。それを
持って出るのを見てトイレに行くんだと思って放っておいたのですが、いつまで経っても
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
帰ってこない。でもそんなことでガタガタ騒ぐのは偉いカムイのすることではないので知
らん顔していると、窓のところに非常に強い力を持ったカムイがやって来ます。そのカム
イが「お前の亭主が地の果ての魔人のところで何百という魔人の一族と戦っている。今に
も負けそうになっているので助けに来い」と言うわけです。そこで火の女神様は起き上が
るというと、三日かけて左の手甲をはめ、三日かけて右の手甲をはめ、三日かけて左の脚
絆をはき、三日かけて右の脚絆をはいてというように、亭主が大変だというのにとてもゆ
っくりした動作で身支度をします。ここで慌てたりするのは、偉い神様のすることではな
いんですね。それで、ものすごくゆっくりした動作で身支度を済ませて、飛んで行ってみ
ると、聞いたとおり亭主が苦戦しているわけです。それを見て亭主をその場からどかせる
と、なにしろ火のカムイですから何百という魔人を火攻めにして、あっという間に全滅さ
せてしまって、亭主を連れて帰るという話です。ということで、火のカムイが出てくる話
はこのような話が多いんですけれども、火というのは女性ですがたいへん強い。家の中心
には囲炉裏があって年中火が焚かれています。アイヌの女性は火のカムイにだけは祈りを
捧げることができるとされていまして、火のカムイは女性の一番の味方です。そのカムイ
が亭主よりもはるかに強いということで、火というものに信頼感を与える話だとと思われ
ます。
このような神謡の他には「散文説話」というものがあって、これは普通の人間が主人公
の話ですが、これについて話し出すと長くなりますので今日はやめておきます。
他には「英雄叙事詩」というものがあって、ユーカラという言葉で聞いたことがあると
思いますが、ユーカラというのは北海道の西側の言い方で、東側ではサコロペと言います。
主人公の名前も西側ではポイヤウンペと言いますが、東側ではオタストゥンクルと言います。
ポイヤウンペはたいてい十五~十六歳くらいの少年で無茶苦茶強いんですが、制御がきか
ないというか、すぐキレて暴れまくります。暴れまくって戦っているうちに綺麗な女の子
を助けだして一緒になるというような話が多いんです。今日この後、木村君由美さんが東
側の英雄叙事詩であるサコロペを語ってくれます。これはむかしの人にとってはたいへんに
楽しいわくわくする物語であり、一番の娯楽だったものです。例えて言うと江戸時代や明
治時代の人たちにとっての歌舞伎、お芝居のようなものだったといってよいでしょう。長
いものでは3日間かかるとか1週間かかると言われています。夜語って明け方に寝て、ま
た夜になったら語りだすという形で何日もかかるというしろものですが、千歳の白沢ナベ
さんは自分のお兄さんがこの語りの名手でした。若い頃、そのお兄さんが語っているのを
夜通し聞いて、朝になるとお兄さんは寝てしまうので自分は仕事に行って、夕方帰ってく
るとまたお兄さんが起きて来て続きを語りはじめるのでそれを聞いて、皆が寝るとまた仕
事に行ってというのを繰り返し、三日間にわたって一睡もせずに話を聞いたことがある、
そのぐらい面白いものだと言っていました。内容的には教えとか教訓とかと垂れるという
ものではなくて、むかしのアイヌの人たちにとって最大の楽しみとして語り継がれてきた
冒険活劇物語です。ハリウッド映画にしてもよさそうなスペクタクル巨編ですね。私は『ド
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中川裕氏「語り合うことばの力~カムイたちと生きる世界~」
ラゴンボール』という少年漫画とそっくりだなと思うことがよくあります。
こうしたいろいろな言葉の作品というものが、アイヌの人たちの伝統の中で語り継がれ
てきたということを一応紹介しておきまして、実例に関してはこの後の公演で楽しんでも
らえればと思います。ということで私の話はこれで終わらせていただきます。
最後にアイヌ語で挨拶いたします。イヤイライケレ、ありがとうございました。
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