特別寄稿 愛知県障害者スポーツ大会の統合化について

特別寄稿
愛知県障害者スポーツ大会の統合化について
研修委員
鈴
木
雅
盛
最初に障害者スポーツ大会の統合化について「こうだ。」という結論のようなものはあり
ません。個人的感想はありますが。
障害者スポーツ大会って、従前(昭和から平成の初期)は、どうしていたのか?
知的障害者と身体障害者に別れていた。それだけなのか?
少し整理してみましょう。
平成
3年
社会福祉八法の改正
4年
愛知県障害者スポーツ協会任意団体として設立
5年
知的障害福祉事務が政令指定都市へ移譲
老人福祉・身体障害者福祉事務が市町村へ移譲
愛知県障害者スポーツ協会が財団法人となる
6年
全国身体障害者スポーツ大会愛知・名古屋大会の開催
7年
阪神淡路大震災:同年開催予定の全国知的障害者スポーツ大会(兵庫県)
開催中止(小生は震災後救援物資の輸送班として生卵を西明石市まで搬
送、トラックの助手席で活躍する)
9年
全国知的障害者スポーツ大会愛知・名古屋大会の開催。
10年
全国健康福祉祭、愛知県で開催(小生、足助地区で出店した五平餅の係の
手伝い:閉会する頃には、店主から五平餅焼き係免許皆伝と賞賛を受ける)
12年
介護保険や成年後見制度が始まる
15年
支援費制度始まる
17年
スペシャル五輪冬季大会長野で開催
時代は、変わった。
ということで、平成2,3年頃にタイムスリップ。
知的障害者のスポーツ大会の様子はどのようだったのでしょう。
場所は青少年公園(今は万博会場です)サッカー場。県の知的障害者のスポーツ大会と
1
言うより町内の運動会という雰
囲気で行われています。
( 主に陸
上競技系です)
県障害援護課(現障害福祉課)
職員や施設職員関係者で取り仕
切ってやっています。県職員の
チームも参加するリレーまであ
りました。
( 県職員の高齢化とと
もに実施されなくなったと言わ
れています)知的通園児の保護
者との演技、かわゆいなー!お
おとりは全員参加のフォークダ
昭和 60 年頃の県大会会場 土のトラック
ンス、参加者はウキウキで、職
員は照れながらって感じかな。
知的障害のもう一つの大きな種目というか競技は「ソフトボール」、場所は同じく青少年
公園サッカー場、某作業所ピッチャーの投げる球の速いこと速いこと。で早速、小生が挑
戦しました。結果は惨敗いえいえ、肩が温まっていないからという理由で断られてしまい
ました。残念!(今時なら「切腹!」と続くのでは)このチームが優勝と思いきや四球で
敗退、世の中の厳しさがよく分かる結果かな。
ルールは職員が2名外野守備のみ参加できるという特殊ルールで職員の守備力も勝敗に
大きく関係していました。
身体障害者のスポーツ大会は、競技種目は、現在と同様に陸上競技、水泳、卓球でした。
陸上競技と水泳、卓球に分かれて開催されており、会場は、県内を市、郡部と順番に持
ち回りでしたので、開催
地となったところではそ
の地域の行政職員総出、
県障害援護課(現障害福
祉課)職員も総出、
(スポ
ーツの苦手な職員もいた
ことを付け加えます)卓
球の審判は、地元の中学
の卓球部員にお願いして
いました。
第 22、28、29 回の県大会のプログラム
2
また、「おーい、そこのおじさん、トラック横切っては危ないよ。」というアットホームと
いうべきか公式大会ではあり得ないことが当たり前でした。
陸上競技が、豊田市運動公園に定着(?)したのは、平成4年か、7年なのか。
何故かというと「4年
愛知県障害者スポーツ協会任意団体として設立」とありますよ
ね、事務局として機能する部署が県障害援護課(現障害福祉課)から愛知県障害者スポー
ツ協会に変わりました。平成4年は豊田市運動公園で行われましたが、平成5年の会場は
岡崎総合運動公園、平成6年の会場は名古屋瑞穂陸上競技場で行われました。平成5年、
6年の県大会は、平成6年秋の第30回全国身体障害者スポーツ大会(ゆめぴっくあいち)
の開催に向けて、リハーサルを兼ねて実施されていました。事実、平成6年5月の県障害
者スポーツ大会は、全国大会のリハーサル大会という位置づけでした。そして、平成7年
からまた豊田市で開催されています。ということで、豊田市運動公園に定着したのは平成
4年なのか、7年なのか・・・どっちなのでしょうか?
雰囲気的には、平成5年頃からは全国大会の意識が強く出ていたので、それ以前とは大
きく変わったなという感想を持っています。今、思えば平成4年の豊田市で開催(愛知県
障害者スポーツ協会が発足した年)が、平成3年までと平成5年(平成7年としても良い
のかな)以降との激変緩和年ではなかったのかなと思っています。
以上、スポーツ大会統合以前の状況や制度の変遷を述べてみました。
いろいろと制度が変わり大会の運
営主管も変わってきました。変わら
ないのは、障害者スポーツが「社会
参加の促進」という位置づけである
ということ。ノーマライゼーション
とか完全参加と平等とか言われるよ
うになり、この考え方のもとに障害
者のスポーツ大会はあるのかなと思
ってみたり、或いは「ノーマライゼ
ーションとか完全参加と平等」とい
うならば通常の大会に障害者の大会
が含まれて初めて「完全参加と平等」
ではないのか、区分けした大会に参
加する(させる)ことが平等なのか、
個々の残存機能程度を合わせて別の大
平成 4 年ふれあいスポーツ大会(知的障害者の県大会)の
会とすることが平等なのか、よく分か
プログラムの一部
楽しそうな種目がいっぱいです
りません。
さらに平成12年の社会福祉基礎構造改革の中間報告では、
「 ソーシャルインクルージョ
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ン」が新しい福祉の理念だともあ
りました。
( 包括的支援と訳されて
おり、地域社会において疎外、孤
立感を感じさせないこと、個々が
地域社会においての役割を担って
いるというようなことが当時の記
事にありました。)
理念も進化するのかと思いつつ
何となく納得してしまいました。
さて、本題の障害者スポーツ大
会の統合化について、個人的感想の
全天候型の陸上競技場
(豊田市運動公園陸上競技場)
レベルとして述べてみたいと思いま
す。
・統合化について、当事者である障害者の意見はどうであったのか。
(全国大会の統合化
の雰囲気に流されてしまったのか。)
・障害者スポーツ大会の統合化の前に通常の大会との統合化は検討していたのか。
(全国
大会ベースでは、国民体育大会は文部科学省、障害者スポーツ大会は厚生労働省、所管省
庁が異なっていては統合化が検討されることは・・・です。)
・通常大会(変な日本語ですが悪しからず)との統合化へのステップとして位置づけら
れているのか。
確かに制度は、措置の時代から契約の時代に変わり各種行政サービスと思っていたもの
が、民間参入されサービス事業者も切磋琢磨する時代に変わりました。社会参加的大会と
競技性の大会と選択して参加すればよいし、望ましい大会が無ければ関係者が集まって作
ればよい時代となっていますが、結論としては、
「2大会開催」するよりも「統合化された
1大会開催」の方が経済的又は合理的だからかなという感想を持っています。
それによって何かが変わったのか。それぞれで受けとめ方があるので「・・・」と伏せ
文字にしたいと思います。通常大会との統合化へのステップとして位置づけられているこ
とを望んではいますが、道は険しい。
ノーマライゼーション、完全参加と平等とかソーシャルインクルージョンなどの言葉が
実現されるようみんなでがんばりましょう!!
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