アーミッシュの女性は世界一美しい こうちやま 一般教育助教授 やす こ 河内山 康子 移民当時の生活をそのまま続ける人達 「アーミッシュの女性は世界一美しい」と、私の親しいア ーミッシュ研究家が言うのを聞いて以来、私の中でアーミッ シュに対する好奇心が日一日と膨らんでいった。ところが、 この好奇心が思いがけなく満たされる時がきたのである。 1992 年の8月、私はたまたまウエスタンミシガン大学に滞 在していたのだが、その年に私の娘もミシガンの高校に留学 していた。そして、娘のホストマザーがアーミッシュの熱烈 なファンで、アーミッシュの一人と文通を始め、それが縁で その家庭と懇意になっていたのである。彼女は手紙で相手 方、エドウイン・エシュペンテート夫妻の承諾を得た上で、 私と娘をインディアナ州にあるアーミッシュ村の彼らの家に 連れていってくれることになった。 アーミッシュとは 300 年に及ぶ長い歴史をもつプロテスタ ントの一宗派で、アメリカで独自の文化を構築し、自分達だ けの社会を形成している人達である。エドウインの属するオ ールドアーミッシュと呼ばれる人達の生活には、電気、水 道、ガス、テレビ、車、電話など文明の利器は何一つない。 18 世紀の移民当時の生活をそのまま続けているのである。最 初にペンシルベニアに移民して以来、ミシガン、オハイオ、 インディアナなど現在では 21 州、175 ヵ所に共同体があり、 全人口は 13 万 5000 人ほどである。各共同体に学校があり、 教育は8年間でドイツ語でなされる。それ以上の教育を受け たい人は、アーミッシュから離れなければならない。 数年前の映画「目撃者」の中でアーミッシュ社会が紹介さ れているが、あの映画の中でもそうであったが、アーミッシ ュはアメリカの中でも好奇の的で、彼らと一緒に行動してわ かったのだが、アーミッシュ村の外のスーパーで小麦粉を買 ったりアイスクリームを買ったりすると、あれがアーミッシ ュよ、と囁かれたり、じろじろ見られたりする。彼らの服装 はスタイルが決まっており、アーミッシュとすぐわかるので ある。 アーミッシュ村にエドウイン夫妻を訪ねる いよいよ念願のアーミッシュ村に行く日がやってきた。ウ エスタンミシガン大学に早朝の6時過ぎに迎えにきたローリ ー(ホストマザーの名前)の車で出発し、途中1 m 先も見え ないような深い霧の中を徐行運転したりして、目指すエドウ インの家に着いたのはお昼の 12 時を過ぎていた。エドウイ ンは 60 歳前後と見受けられたが、アーミッシュ風に髭を生 やしているので、実際はもう少し若いかもしれない。奥さん のアンナは明らかに彼よりは年上で、初老の内気な婦人とい う印象を受けたが、私達のために大きな木のテーブルの上に 所狭しと料理を並べて待っていてくれた。一人娘がよそ者 (アーミッシュ以外の人)と結婚して家を離れて以来、彼ら は大きな木造の二階家に二人だけで暮らしていた。2世代、 3世代が一緒に住む大家族が普通のアーミッシュ社会では、 夫婦だけというのは極めて珍しいと言える。 アーミッシュの言葉はペンシルベニアダッチというドイツ 特集:世界を歩こう! 加・米・豪 編 語だが、エドウインは途中からアーミッシュになったインテ リで、英語を話せるので問題はなかった。アンナと話す時は エドウインが通訳をした。が、そのうちに、いつの間にかア ンナともあまり不自由を感じないでわかりあえるようになっ た。しかも内気で地味なアンナが、実はなかなかのユーモア の持ち主であることもわかったのである。 料理は全部自家製の材料で作られており、味はまさに絶品 で、日頃自然食志向の私には満足以上の感激であった。たく さんの料理の中で鮮明に覚えているのが鶏の唐揚げで、これ はアーミッシュ料理の代表の一つであり、庭で動き回ってい る鶏を料理するので、鶏そのもののおいしさと味付けの良さ で、絶妙の味なのである。食後の後片づけを手伝ったが、水 道の代わりに井戸水をポンプで汲み上げ、食器を洗い、更に 使った水はバケツに溜めて外で使うのである。トイレは外に しつらえた「アウトハウス」という、いわゆるぽっとん便所 で、汚物の上に灰が撒かれ、私達のために見苦しくない配慮 がなされていた。備え付けの紙は新聞紙で使いやすいサイズ に切りそろえてあった。 文明の便利さを拒んで生きる強さ 食後しばらくして、ローリーの車でアンナの妹の家に行く ことになった。電話がないので、連絡なしの突然の訪問であ ったが、彼らは心から歓迎してくれた。アンナの妹は子沢山 であるうえに、結婚した二人の息子の家族とも同居している ので、かなりの大家族であった。彼らのルーツはスイスなの で家族でよくヨーデルを歌うそうで、この時も私達のために 次々とヨーデルを歌ってくれた。この家庭には未婚の女性、 既婚の若い女性が6、7名いたが、彼らの食事と労働のせい かほっそりときゃしゃで、お化粧はいっさいせず、ブルー地 のアーミッシュのロングドレスを着て、白い帽子を被って忙 しく立ち働く姿は清楚そのもので、これまで道すがら見かけ た女性も含めて「アーミッシュの女性は世界一美しい」とい う感嘆の声は無理からぬものであると実感した。姿だけでな く、彼らの歌う声も澄んでいて美しく、次元の違う牧歌的な 世界は夢のようであった。 その後、バギーという馬車で村のあちこちに連れていって くれたが、どこも大家族で、私達日本人が逆に珍しがられ、 日本の歌をせがまれたりもした。エドウインの家に戻り、 「アウトハウス」に行くのに懐中電灯が必要になった頃、彼 の家を辞した。アンナが淋しがってしきりに引き止めるの で、日本に帰ったらひんぱんに手紙を出そうと心中決意した が、現在、年に一、二度がせいぜいである。 昨年のクリスマスカードに、 「私達には 2000 年問題はあり ません」と書かれていたが、科学とは対極の世界に生きるア ーミッシュの人達の強さを思う時、文明による便利さと引き 換えに得たわれわれの危うさをひしひしと感じざるを得な い。が同時に、女性達の家事労働の大変さが偲ばれて、寒い 冬の季節になると、アンナの安否がいつも気にかかるので ある。 理工 Circular 15
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