509号 4月発行 - 東京慈恵会医科大学同窓会

第 5 0 9号
昭 和 32年 9月 1
2日
(
第 三種 郵 便物 認 可 )
聞
新
医 学 科 105名 ・
看 護 学 科 35名 入 学
発 行 所 慈 恵 医 大 同窓 会
東京 都港区西新橋
3 − 25− 8
電 話 03(
3431)6 9 7 1
編 集 発 行 人 諸川 薫
続いて新入生を代表して
会 費 年 額 6,000円
(購 読 料 1,200円 含 )
豊平各名誉教授が、ゆ っく て、学長告示 ︵
全文後掲︶
りとした足取りで威厳を持 を行い新入生と父兄に祝意
って入場し登壇した。
を表するとともに、今後の
司会の学事課職員による 学生生活の指針を述べた。
開式の宣言に続いて、新入 引続き記念のペナントが授
生の氏名が厳粛に読み上げ 与され参列者全員で高らか
られた。緊張の内に次々と に学生歌を斉唱して閉式と
て、岡村学長は ﹁医学科 一
医学科新 入生代 表に よる宣誓
細谷龍男︵内科2︶田嶼尚子︵内科3︶
栗原邦弘︵形成外科︶教授就任
の高い内科診療を完成させ
お言葉とを両立させた、質
という学祖高木兼寛先生の
使命と考えております。
立し、成果をあげることが
に結びついた研究体制を確
床医学と基礎医学が有機的
私は内科学講座第2の発
ていくことが私共の責任と
様に御指導、御鞭撻をお願
諸氏の御支援が不可欠であ
非才であり、学内外の同窓
展のために努力をおしまな
い所存でありますが、若輩、
考えております。
既に同窓会会員諸氏にお
また教育面では卒前教育
かれましては御承知のごと において平成八年度より新
ります。紙面を拝借して皆
細 谷龍 男教 授 就 任 挨 拶
に上田泰名誉教授が創設さ く、平成八年四月より本院 カリキ ュラムが施行され、
れ、宮原正名誉教授、酒井 の外来診療は診療部体制で 卒後教育においても九年度
行われており、九年三月よ より初期研修二年に加え専
いいたします。
紀教授と引き継がれ、現在
教室員数 一〇九名、大学院 り入院診療も診療部体制と 門修得コース ︵後期研修︶
生十五名、非常勤教室員三 なり名実伴に診療部体制が 三年が開始されました。こ
にあ っては、慈恵大学の未
そして研究面においては 8年附属病院痛風 ・リウマ
前述の診療部と講座のあり チ ・膠原 病内科 診療副部
方と役割を明確にして、臨 長、同年助教授。
に よるカリキ ュラム の下 盤と信じて、今後努力した
で、医の心と技をそなえた いと存じます。
以来、代を重ねて、その間 来を開くために、内科学教 広い視野を持つ専門医の養
皆様のご指導とご支援を
に大 きく発 展をとげま し 室の教育、研究、診療など 成が始ま っております。﹁環 賜りますよう、よろしくお
方が社会問題として広く論
告
示
第 43 回 通 常 総 会 通 知
一、 日時 平成 9年 5月 17日 ︵土 ︶
午後 3 時30分 社団法人東京慈恵会医科大学同窓会の
一、 場所 大学2号館10階中ホール
会長 ・副会長及び評議員の選挙を左記
一、 議事 ①平成8年度庶務報告
により行います
一、日時 平成9年5月17日 ︵土︶
②平成8年度事業報告
午後4時30分
③平成8年度収支決算報告
、
一場所 大学2号館
10階中ホール
④平成9年度事業計画︵案︶一、候補者推薦及び立候補締切
平成9年5月7日 ︵水︶午後5時
⑤平成9年度収支予算︵案︶
一、会長 ・副会長及び評議員選挙
社団法人東京慈恵会医科大学同窓会の
以 上
理事及び監事の選挙を左記により行い
ます
一、日時 平成9年5月31日 ︵土︶
午後3時30分
一、場所 大学2号館10階中ホール
平成9年3月25日
一、候補者推薦及び立候補締切
平成9年5月28日 ︵水︶午後5時
尚、総会成立の定員数がありますので欠席の方は委任状をご提出下さい
長
諸
川
東 京 慈 恵会 医 科 大学 同 窓会
会
るように腰を据えた教育を
薫
懇 親 会 総会終了後中ホールで開きますからぜひご出席下さい ︵二千円︶
社 団法人
たします。
昭和45年本学卒業、47年
研究面では二十年以上継 行いたいと考えています。 第 19 回 理 事 会 報 告
第四内科医員、51年第三内 続し行 っておる頭蓋 ・顔面
もとより非力ではありま
4月17日開催
科助手、58より61年米国ピ の硬組織的検索、顔面 ・四 すが形成外科学講座の発展
平成八︵年1
度︶
収支決算案の
ッツバーグ大学留学、
6
1年 肢異常の遺伝と治療、動物 に努力いたす所存ですが、 報告及び会計監査報告が行
講師、平成7年助教授 ︵定 実験的胎児治療の研究をさ 学内外 の同窓諸氏 のご指 われ、検討の上承認した。
平成九
︵年
2度︶予算案につい
員外︶。
らに高めたいと思います。 導、ご鞭撻が不可欠であの
て検討し、承認した。
教育は本学の押し進める ます。紙面を拝借し皆様の
評議員
︵会3の︶
会次第に基づ
支ご
援をお願い致します。 き各担当者を確認した。
略
歴
た。この伝統を念頭におい の方針、そしてこれらにた 境が人間を形成する﹂とい 願いいたします。
て、課せられた教室の舵取 ずさわる医局組織を十分に われますが、
教育環境作り、
略
歴
固めていかなければなりま そして臨床研究と基礎研究
りという大任の重さを今し
みじみとかみしめておりま せん。また交流の活発化す とを不即不離とする研究環
になりました。長い歴史を が国では医療制度、大学医
持つ本学では比較的若い教 学部の機構のあり方が問わ
この度、酒井紀教授の後 す。
る国際社会のなかで、慈恵 境作りこそ、社会的要請に
任として、内科学講座第3
間もなく 二十 一世紀を迎 人が積極的に活動できるよ こたえて高度の医療を行う
を担当させていただくこと
う布石が必要です。
え
よ
う
と
し
て
い
る
現
在
、
わ
べく発足した本学独自の診
本学では、すでに新構想 療科別診療体制を支える基
室ですが、初代の阿部正和 れ、また脳死や臓器移植問
海老原紀子 をスローガンとして、教育
栗 原邦 弘教 授 就 任 挨拶
形成外科学教室医員、50年
守 教授が﹁理論内科学の確立﹂ 題などを通じて医療のあり
として行 っております。多 新しいカリキ ュラムの中で
数科によるチーム医療の 一 医学教育は学ぶ者自らが行
を中心に立派な業績を残さ 役を担える科として研鑚努 動し探究する場、であるこ
れております。伝統ある本 力する所存です。このため とを基本理念として本学の
遣、56年本学講師、57年よ
石山
看護学科 佐野 智子 に研究に診療に挺身されて 議されております。この時
学で講座を担当する責任の に各科より信頼される和の 特徴をのばす教育を行う。
重大さを痛感しています。 とれた診療チームとなり、 卒後教育は形成学科 一般の
第 91 回 医 師 国 家 試 験 ・第 86 回
助手、52年厚生年金病院派
去された。享年五十七歳。
の児島忠雄教授は手の外科 能 ・形態再建をチーム医療 授は病気療養中のところ去 にて葬儀午後二時 ∼三時、 員外︶、7年主任教授。
に文京区の寂円寺でしめや 修了、47年本学放射線医学
は三月二十八日、二十九日 留学、46年東京大学大学院
お通夜及び葬儀 ・告別式 卒業、43年パリ大学医学部
昭和39年鳥取大学医学部
略 歴
かに行われ、また四月二十 教室助手、49年講師、平成
川上憲司 教授逝去 さ る
看護専門学校生は四校合計
形成外科診療は先天異常 学内外より頼りになる診療 診断と治 療の勉学 の後に り58年米国イリノイ大学留
看 護 婦 国 家 試 験 結 果 発 表 さ る で三 一二名が受験し合格者
と外傷後の機能 ・形態再建 科と認められるよう努力い 個々の能力が磨かれ、秀で 学、61年助教授。
去る三月十五 ・十六両日 者総数八八九八名中七八四 は三〇二名であ った。
この度、形成外科学講座 を 二つの 柱とし ておりま
に行われた平成九年度の医 三名合格八八 ・一%、内訳
概ね好結果であり学生の の担当教授を拝命したこと す。頭蓋 ・顔面および四肢
告別式三時∼三時半まで大
師国家試験の結果が四月十 は国立八九 ・四%、公立九 教育に尽力された関係諸氏 は大変光栄であります。
の先天異常の再建は、発育
学葬が執り行われた。
八日発表された。本学は受 一・八%、私立八六%であ の努力 に心より感 謝した
丸毛英 二名誉教授が本学 にともなう変形を考慮した
験者数一一七名中合格一一 り、本校の九四 ・九%は私 い。しかし、積極的なカリ に形成外科診療を昭和四十 長期的計画の上に行わねば
放射線医学の川上憲司教 五日︵西
金新
︶橋校の中央講堂 3年助教授、6年教授 ︵定
る三月二十六日午後五時逝
一名、九四 ・九%、その内 大中第五位に位置する。
キ ュラム改革を推進してき 三年に開設し、さらに昭和 なりません。また、診療に
新卒 一一三名中 一〇八名合
また 二月二十三日に行わ た他の私立医大の新卒者の 五十 二年に医科大学のなか は多く の関連各科 のご指
格、九五 ・六%、既卒四名 れた看護婦国家試験は三月 合格率は確実に向上してお で初めて形成外科講座とさ 導 ・ご協力をいただくのが
中三名合格七五%と好結果 三十 一日に結果が発表され り、慈恵医大としても更に れ、国内で最も大きい教室 不可決です。今日では悪性
看護学科卒業生三十五名は 気持ちを引き締めて、今後
へと発展されました。先任 腫瘍の外 科的治療 後の機
であ った。
全国の医師国家試験受験 第八十三回保健婦国家試験 も好結果を期待したい。
助教授 ︵定員外︶細谷龍男
教授を委嘱する
︵内科学講座第2担当︶
助教授 ︵定員外︶田嶼尚子
教授を委嘱する
︵内科学講座第3担当︶
助教授︵
但し無給︶栗原邦弘
教授を委嘱する
︵形成外科学講座担当︶
講師 篠崎 登
助教授︵派遣中︶を委嘱する
︵外科第1︶
講師 櫻井美代子
医学部看護学科助教授を委
嘱する
︵老人看護学︶
教授 斎藤禮子
医学部看護学科長を委嘱す
る ︵小児看護学︶
昭和43年本学卒業、46年学内掲示4月1日付
と合わせて全員合格した。
医学 科 中 尾
裕
並びに始業式が行われた。
後 二時より、大学中央講堂 の入学を許可します﹂と高
平成九年度 一年生特待生
において平成九年度入学式 らかに入学許可の宣言を行
った。
は次の通り。
特待 生
教 授 就 任田
挨嶼拶
尚子 代に生きる私たちは、学内
長、南武 ・近藤勇 ・徳留三
本
学
卒
業
の
細
谷
龍
男
で
す
。
お
よ
び
各
名
誉
教
授
を
新
入
生
り
、
か
つ
そ
の
責
務
の
重
大
さ
学の建学精神である ﹁病気
俊 ・石川栄世 ・小林建 一・ およびその父兄に対して紹 当教室は昭和三十三年七月 を痛感しております。
を診ずして、病人を診よ﹂
本多芳男 ・中村紀夫 ・町田 介した後、新入生に向か っ
から参集した多くの新入生 大に入学できた喜びと、建
十二名、計 一五八名の大内 確立したといえます。内科 のような新教育制度を基に
略
歴
父兄で埋ま った中央講堂に 学の精神の下、勉学に勤し
この度、酒井紀教授の後 科教室 に発展いた しまし も八部門の診療内科に区分 高度かつ多様化した内科学
昭和49年本学卒業、53年
岡村哲夫学長を先頭に、斎 む決意を宣誓した。
任として内科学講座第2を た。このような伝統ある教 され専門性の高い診療が開 を担う人材の育成を行いた 本学大学院修了、54年第 二
藤禮子看護学科長、阿部正
次いで、岡村学長は壇上 担当させていただくことに 室の担当教授を拝命したこ 始されております。このよ いと考えております。
内科助手、平成元年講師、
和前学長、名取禮二名誉学 に陪席する斎藤看護学科長 なりました、昭和四十九年 とは大変光 栄に存じ てお うな専門性の高い診療と本
そして雨天にも拘らず全国 立ち、各々伝統ある慈恵医
な大学祝典序曲に乗 って、 医学科 ・中尾裕君、看護学
新入生、在校生、教職員、 科 ・佐野智子さんが壇上に
音楽部員の演奏する厳粛
毎 月 1回 25日発 行
購 読 料 一 部 100円
起立 した新入 学生に対 し な った。
の桜も例年になく早く満開
〇五名、看護学科三十五名
暖かな春の陽気に愛宕山
平成9年度入学式・卒業式挙行さる
とな った四月三日 ︵木︶午
大
慈
(
平 成 9年 ) 4 月 2 5日
19 9 7年
(1 )
業別 では 医師 35名 、会 社員
看 護 学 科
熊本県、大分県から1名で
大阪府、島根県、福岡県、
弟の 入学 者は 14名 で女 子入 名、茨城県が2名、福島県、
その 他6 名で ある 。同窓 子 千葉県が8名、埼玉県が4
︵西︶山口かほる ︵◎桐蔭
ノートルダム清心︶永島徳 余郷麻希子 ︵◎女子学院︶
︵
◎慶應義塾︶室川剛広︵
◎ 学園︶山本祐 ︵◎東邦大付
東邦大付東邦︶明海美穂︵
◎ 東邦︶山崎亜加里 ︵
滝川︶
像浩司 ︵◎獨協︶村田哲平
森川耀源 ︵
◎栄光学園︶宗 谷教育学園幕張︶渡辺統星
名1
である。
栃木県、長野県、静岡県各
学者 は15 名で ある 。
医 学 科
入学者
氏
名
◆父兄の職業別=父兄の職
ある。
社長 ・役 員9名 、公 務員 7 は15名対20名。
26名 、歯 科医 師10 名、 会社 ◆出身校別=私立と国公立
その 一般教育目標は、医 神を引き継ぎ、﹁慈恵人﹂ 決の積み重ねが重要なので
本日ここに入学式ならび 学校での留学から帰国され
に始業式を挙行するにあた た高木兼寛先生によ って創 学あるいは看護学を正しく として成長し、自己を発展 あります。そのために明日
医学科・看護学科入学者の各種統計
設された私立の医科大学で 認識し、その基本的知識、 させねばなりません。
から自分自身に合 ったよい
学習の習慣を身に付けるよ
り新入生の御家族、名誉学
助教 授3 名、 税理士 3名 、 東京都が9名、神奈川県、
名 、自営 業6 名、大学 教授 ・ ◆父兄の地区別=地区別は
学 習 の 習 慣
医 学 科
義塾慶
、應
◎晃華学園、◎
に語らい、ともに心を開く、 学園、◎海城、◎開成、◎
ものを提供するに過ぎませ 励まし、ともに慰め、とも 名、続いて◎市川、◎栄光
う計画し実行して下さい。
群馬県、静岡県、三重県、
本学の建学の精神
基本的技術を習得し、さら
長、名誉教授をはじめ、教 あります。
さらに三年後の明治十七 に奉仕の精神をも って実践
職員各位、同窓会 ・父兄会
成も開始致しました。これ
は先生がセントトーマス病
院でフローレンス ・ナイチ
た だ今申 し上げま した ん。
﹁
病気を診ずして病人を診
従 って、皆さんは自学 ・ そのような生涯の友が皆さ
東邦大附東邦、◎獨協が3
人 ︵◎東邦大付東邦︶永田 横川裕 一 ︵
◎武蔵工大付︶
法を目の当たりにし、医師 よ﹂という建学の精神は、 自習の習慣を身に付けねば んの人生を豊かなものにし
ンゲールの看護学校と看護
と看護婦は車の両輪である 単に臓器の障害を治療する なりません。医師として、 てくれます。この友人との 名、2名のところは◎暁星、 阿部貴行 ︵
大分舞鶴︶秋 智行 ︵
◎ラ ・サール︶南雲 横手伸也 ︵◎市川︶四津真
ことを痛感されたことによ だけではなく、
病に苦しみ、 あるいは看護婦として、ま 関係が、患者さんとの人間 ◎巣鴨、◎世田谷学園、◎ 山悟 一 ︵
◎市川︶阿南郁子 大暢 ︵◎開成︶中島彰子 ︵
◎ 人 ︵◎慶應義塾︶由布哲夫
余の長きにわた って 一万人 せん。 一つ 一つは小さなこ
谷和裕 ︵◎中央大附︶橋本
国公立の比率は80名︵44校︶ 福島大起 ︵横浜緑ケ丘︶古
対25名 ︵
23校︶の割合。
◆父兄の地区別=父兄の地 蔵人 ︵
◎桐蔭学園︶服部英
新入生の皆さん、 一日も 区別をみると東京都が 一番 和︵◎開成︶平澤良征︵千種︶
看 護 学 科
橋本美香 ︵平塚江南︶五
︵
浦和︶井上菜穂子 ︵富岡︶
葉雙
︶尾上智彦 ︵◎海城︶ 神山清美 ︵鹿沼︶金澤恵 ︵三
世田谷学園︶小野藤子 ︵◎ 石田由紀︵
◎昭和学院秀英︶
︵◎成蹊︶奥居晋太郎 ︵◎
川芳徳 ︵室蘭栄︶岡本俊紀 十嵐智子 ︵浦和︶池田裕美
から各1名である。私立と 園︶遠藤新大 ︵◎栄光学園︶ 子︶小川俊平 ︵
◎桐朋︶及
国立高校1校、県道立1
7校 鴨︶海老原紀子 ︵◎晃華学 東邦︶野澤幸代 ︵◎桐朋女
◎ ︵
ります。本学は以来多くの 病に悩む人、まさにその人 た 一人の人間として、生涯 関係の基本になることは言 東海、東京学芸大附、◎桐 ︵◎明治学園︶新井香太︵◎ 国学院久我山︶中村友紀︵
熊本︶湯川充人 ︵国際情
看護婦 も養成し てきまし の心情を察し、 一人の人格 絶え間無く、知識、技能、 うまでもありません。クラ 朋、西、◎武蔵である。私 駒場東邦︶荒井保典 ︵
東京 晃華学園︶中尾裕 ︵
◎桐蔭 報︶
立高校27校、都立高校3校、 学芸大附︶知念俊太 ︵◎巣 学園︶野田健太郎 ︵
◎駒場
た。そして平成四年に看護 として診療し、看護するこ 態度を学習しなければなり ブ活動を通しても、よい先
本学 の教育目標
統により皆さんを紳士 ・淑 学科を開設し、本学は医学 とを意味します。我々の仕 ません。またさらに自分自 輩、同僚、後輩が得られる
女として心から歓迎致しま 科と看護学科の二つの学科 事は先進的な科学あるいは 身の人格の陶冶をしなけれ ことは御存じのとおりであ
ります。
す。また今日まで御子さん になり、昨年三月看護学科 技術を単に人 へ適応するこ ばなりません。
学問も技術も 一朝 一夕に
を温かく見守り、支援して 第 一期生が卒業しました。 とだけではありません。
おわりに
この建学の精神は百十年 習得出来るものではありま
こられた御家族の皆様に心
からお祝い申し上げます。
本 学 の 歴 史
のに、部品を外すように臓器を
る。心臓が拍動し身体が暖かい
川洋 ︵◎駒場東邦︶香川真 井泉 ︵千葉︶須田稔士 ︵
◎ 水野華絵 ︵◎共立女子︶守
岩塚良太 ︵◎桐蔭学園︶香 暁星︶白濱淳 ︵◎成蹊︶白 恵︵千葉東︶三田愛子︵韮山︶
前川智子 ︵◎大妻︶松林由
小山多貴子 ︵
◎富士見丘︶
大付︶國保美音 ︵◎国学院︶
東邦︶川戸愛 ︵◎名古屋短
◎芝︶星野明弘︵◎ 大 口志央 ︵◎東海︶大友博 田︶彼ノ矢久美子 ︵下妻第
本学の目的は、教育基本 をこす同窓によ って受け継 とでも、その積み重ねが、 早く慈恵人としての自覚を 多く53名、神奈川県が18名、 久富護 ︵
◎成蹊︶ 之 ︵
法及 び学校教育法 に基づ がれ、慈恵の伝統をつくり 大切なのであります。とく 持 って、考え、行動して下 千葉県9名、愛知県3名、 国学院︶市原有起 ︵
◎海城︶真山大輔 ︵◎ 一︶鹿島彩女 ︵◎東邦大付
に医学あるいは看護学では
北海道、埼玉県、新潟県、 石山守 ︵東京学芸大附︶石
さ
い
。
本
学
で
の
大
学
生
活
が
桐
蔭
学
園
︶
佐
藤弘康 ︵
◎桐
一つ 一つの事柄、または 一 皆さんの将来の発展の基盤 兵庫県、広島県、鹿児島県 澤智宏︵鶴丸︶板垣宗徳 ︵松 朋︶関好孝 ︵
◎海城︶関口
◎世田谷 恵理香 ︵
になることを期待します。 が2名、青森県、栃木県、 江北︶伊藤怜司 ︵
◎共立女子︶瀬戸
学園︶伊藤良 二︵◎学習院︶ 光 ︵◎麻布︶清水勧 一朗 ︵
◎
十分にシ ュミレーシ ョンする必
るから、美談仕立ては長続きせ
いがために変えようとするのが
い。この死の文化を臓器が欲し
医師は運命とか、仕方がない 要がある。まず経費が高額であ 持ち去るのを是認する下地はな
れている部分が感じられる。
とかいう言葉に甘んじてはなら
この問題の始まりだが、将来 コ
︶獨勝協
畑知之 ︵
◎栄光学 晃華学園︶高岸敏晄 ︵◎山
見学園︶岡本恭子 ︵立川︶
太郎 ︵◎駒場東邦︶片山充 園︶鈴木博史 ︵
熊谷︶鈴木 学院︶成田尚子 ︵
◎洗足学
哉 ︵
宇都宮︶加藤直樹 ︵◎ 純 一︵川越︶平久菜奈子 ︵
◎ 園大附︶小田島絵美 ︵
◎跡
理子 ︵◎豊島岡女子学園︶ 開成︶須賀芳文 ︵◎日大習 屋奈穂子 ︵◎江戸川女子︶
上出泰山 ︵◎武蔵︶神山祐 志野︶杉沢勇人 ︵◎桐蔭学 武藤桃子 ︵◎不二聖心女子
象、病気に関する対応も曲げら 様な影響を周囲に及ぼすかを、
さんは全員、この建学の精 人 一人の患者さんの問題解
本日慈恵に入学された皆
本学 は 明治十 四 年、 一八 き、医学および看護学を教 上げてきました。
八 一年五 月 一日、 ロンド ン 育し、医師および看護婦を
の セ ント ・トー マス病院 医 育成することにあります。
臓器 移 植法 案 再 提 出 に思 う
い ったん廃案にな った臓器移 せている。
植法案が、臨時国会で再提出に
最近の科学の進歩により、人 ないと教えられ、努力を続けて ず、結果的に国民の負担になる
に違いない。また日本よりはる
な った。しかしまだ結論が先送 間は多くの自然の厳しさを克服 きた。そして科学の進歩に助け
ンピ ューター世代が主流の世の
え、移植待ち大略五万人の内で 中になれば、モニター画面の平
りにな っている。国会の怠慢と し、医学的には平均寿命の大幅 られ、種々の技術を持つように かにチ ャンスの多い米国 でさ
糾弾するきらいもあるが、これ な延長をもたらした。生活レベ な った。しかし、ここで医師は
村昌平 ︵
伊勢崎東︶吉良文
しれないが、それにはまだ時間
︵屋代︶田中希代子 ︵
◎専
︵◎帝京︶坂庭昭子 ︵
木更
は、機会均等 ・平等であるべき
孝 ︵
◎聖光学院︶菰池信彦 学園︶竹永晋介 ︵相模原︶ 津︶佐野智子 ︵八王子東︶
︵
◎高田︶辻野大助 ︵◎桐
義塾︶髙野勇人 ︵
◎東亜
医療の原点との落差を示す。ま がかかる。高額負担のため、初
園︶河合康史 ︵◎駒場東邦︶ 手学院︶高橋絵理 ︵
◎光塩 大雲敦子︵◎横浜共立学園︶
川村雅彦 ︵◎桐蔭学園︶木 女子学院︶高根紘希 ︵◎慶應大竹文 ︵三鷹︶尾崎奈々枝
を責めるのは当らない。脳死を ルの向上は人間に余裕を与え、 己の技術に溺れ、風潮に流され
人間の死とするかが、法律 ・倫 やさしさを生んで良い社会にな て誤 った選択枝を人類に示唆し
った。しかし 一方ではぬるま湯
た臓器移植は人肉を喰べて生き 期には健保本人しか生き延びら
年間三千人しか達成しない事実 らな線で死んだと納得するかも
理などいろいろな視点で論議さ
てはならない。臓器を貰えば生
れているもののまとまらず、前 的感覚で、人類保存に意味もな き延びると知れば、それにすが
普遍的な治療にな った。臓器移
進できないからである。とくに、 いホモセ ックスを男女の性と同 るのは患者として当然である。 残る共食いと、究極で同じだと れなか った人工透析も、現在は
する意見もある。
︵清水東︶丸茂健 一 ︵
◎市
︵◎明星︶古西英央 ︵
◎明 竹綱成典 ︵
◎滝川︶田中平 澤田あかね ︵
◎和洋九段女
法︶工藤敏和 ︵弘前︶黒田 ︵
◎白陵︶飛田麻耶 ︵国立︶ 子︶須永珠恵 ︵筑波大附︶
浩 ︵
八王子東︶草ケ谷英樹 富田益臣 ︵
調布北︶辻和馬 鈴木桂子 ︵竹園︶田中淳子
この問題はまず医がスタンスを 等と論じたり、自然淘汰を否定 また研究をそこまで進めた医師
川︶的場圭 一郎 ︵
◎獨協︶ 蔭学園︶筒井健介 ︵◎新潟 修大松戸︶山内糸優 ︵
川越
日本人の場合、人が息を止め 植も否定せず、死の文化の変様
を世論が容認するのを待 っても
明確に示さな ければならな い するような妙なやさしさが社会 が命を救うという名分もあり実
が、医学界の現状は、それぞれ の風潮として顕れてきた。こと 践したい心情もわかる。しかし、 冷たくな って初めて死んだと実
良いのではないか。
松田英樹 ︵◎東海︶門田 一 第 一︶内山威人 ︵
西︶植木 女子︶山崎紀子 ︵磐城女子︶
晃 ︵
広島大附福山︶森直樹 洋 一郎 ︵
◎武蔵︶宇留賀公 米澤友美 ︵千葉女子︶吉川
︵◎巣鴨︶森良介 ︵◎成蹊︶ 紀 ︵◎暁星︶渡邊聡 ︵◎渋 直子 ︵小田原︶
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(平 成 9 年 ) 4 月 2 5 日
1 9 9 7年
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父兄会主催新入生父 兄歓迎会
流を重ねる中で学生諸君が
生涯にわたり医師として大
切な人間関係の基本を作る
上でも意義がある。父兄会
員の方々で埋め尽くされ、 またご自身の研究成果とし 有しているがために生命現
後部には立 ったままで講義 て強心性ステロイドの研究 象を現出させることができ
に耳を傾 けている 多くの についても感概深げに講義 る。同様に立体的な物の見
四月三日︵入
木学
︶式当日は 中央講堂での入学式を終え は優秀な人材の育成に不可
本年 よ り春 期 総 会 は国 領 校
された。講義開始前に先生 方による立体的な知識の集
人々の姿が目立 った。
あいにくの小雨にもかかわ 晴れて新慈大生とな った。 欠な施設整備を中心とする
心 房 細 動 の外 科 治 療
柏 病院 心臓外 科
江本秀斗
テ ロイド異聞﹂と題して、 ド異聞﹂と記され、見返し
ベ〃ラ〃において記念パー
義が行われた。講義は ﹁ス 勘亭流の文字で ﹁ステロイ れた。ひき続いて学生食堂
年の労に感謝の意を表明さ
受けた旨の言葉があり、長
が歓迎の言葉を述べ、父兄 時の後、恒例とな っている
もと初めに原貞夫父兄会長 移 った。和やかな暖かい 一
た。篠原健副会長の司会の の乾杯のご発声で懇親会に
む 一六 〇名余り が出席し 紹介の後、阿部正和前学長
り壊されたため、本年は新 村圭司副教学委員長による
しい会場に移り教職員を含 西新橋校と国領校の教員の
の建設に伴い同窓会館が取 れ、山下廣教学委員長と田
い。しかし、時には血栓
致命的 な不整脈 ではな
語源 からMAZE 手術
機能の低下は10%程度で 室結節の迷路図であり、
と不快感は生じるが、心
と名付けられた。
る。心房細動は発症する 伝達路を見ると、まるで
られる と報告 され てい 房を平面図にして刺激の
以上では10%前後に認め なるので省略するが、心
で、特に高齢者 箇所をすぐ縫合すると言
心房細動の治療は薬剤
ている。
入口が洞結節で出口が房
は全ての洞結節動脈を切
九割を超えたが、原法で
治療が主体であるが、慢 離してしまうので、洞機
性になるといかなる薬剤 能不全症候群の合併も報
も無効な症例が少なくな 告された。洞結節動脈を
されるため、心機能低下
午 後4 時よ り
5 月 10 日 ︵土︶
近の進歩﹂
テーマ ﹁遺伝子治療の最
刺激が洞結節から心房を
トリーが阻止出来、電気
は積極的に適応を広げる
QOL向上のため、今後
彼は全てのマクロリエン 行い難い。しかし、術後
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いささか旧聞になるが、 西新橋校、第三病院の教職 学生に判り易く話された。 ている分子は、立体構造を
号 去る 一月二十五日午後二時
9 より、医学科国領校講堂に
0
おいて戸澤満智子教授の退
5
第
衣笠副教学委員長の司会 の執筆になる冊子が全員に 積があ ってこそ初めて対象
心房細動は不 れ、更に全ての心房筋を
整脈の中では最 収縮出来る切開線を考え
ステロイド化合物の 一つで にはステロイドの化学構造 テ ィーが行われ、最後は学
会が目的とする会員相互の 学長の先導による医学情報
の報告
Cで
oは
xM
も 一般的なもの 出した。手術は切開した
任記念講義が行われた。当 あるコレステロールが胆石 を模して自らが製作された 生がアーチを つく って、戸
日会場は名誉教授、来賓の から発見されてから構造決 織部焼の組角皿の美しい写 澤教授をお見送りをすると
親睦、更に学生教育と大学 センターの見学が行われ、
塞栓症の原因となるので
手 術の
A成
Z功
E 率は
科三十五名︶は、伝統ある ホールで行われた。新病院 誉教授、専任理事が紹介さ
引き続き岡村学長より名
による略歴紹介に続いて講 配布された。その表紙には を浮き彫りにすることがで
きると述べられた。
講義が終わ って岡村学長
先生方、医学科学生、卒業 定、全合成に至る迄の 二世 真が掲載されていた。最後 いう国領校ならではの光景
の発展への 一致協力を強調 大多数の父兄が参加した。
治療の必要性が認められ
から退任講義に大変感銘を
︵
医学科 一〇五名、看護学 歓迎会が大学2号館十階中
らず、満開の桜の花に迎え
入学式終了後、父兄会主 百年記念事業を強力に支援
られた喜 び溢れる 新入生 催による医学科新入生父兄 して欲しい、と挨拶した。
戸澤満智子教授退任記念講義
生、看護学科学生、国領校、 紀にわたる壮大なドラマを に学生に、生命体を構成し が見られた。 ︵高橋知義︶
し、百年記念事業募金 への
ない父兄会は学生父兄が交
い。また、心臓弁膜症な 温存するため切開に改良
どの心疾患に合併した場 が加えられ、更に 一部に
療したにもかかわらず心 を併用する方法が現在主
合、外科的に原疾患を治 クライオアブレーシ ョン
う っとうしか ったスギ 四月の初めまでアクセス 得ることができるように
方法では洞機能不全症候
房細動が持続している症 流となり つつある。この
が心房細動に対する根治 科でもこの方法を採用し
手術 のM
適A
応ZE
一九九 一年J.L.Co
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合併の報告はなく、当
手術を発表した。彼は心 ている。
例も多い。
げました。今年のスギの には 一日に 一五〇〇件も 慈恵医大もインターネ ッ
飛散量は昨年の約 二倍で のアク セ スが ありま し ト ・サーバを導入しホー
房の電気生理学的 マッピ
一つです。
幸いなことに、
あり平年並でしたが、症 た。いかに多くの方がこ ムページによる情報発信
長雨で 一応の終わりを告 えております。多いとき
花粉症も四月上旬の春の した人の累計は三万を越 することも今後の課題の
生 涯 教 育 セ ン タ ーだ よ り
に多く、六十歳 うもので、詳細は複雑に
感染症の管理について、培 肝障害の診断と治療、さら
お知らせ
内 科 グ ラ ン ド カ ン フ ァレ ン ス
次いで、岡村哲夫学長は
に際しては各診療内科専門 にある。腎移植は今後さら
医が連携し、迅速に対応す に期待される治療法の 一つ
症 ・増悪を認めたHBキ ャ の示唆を与えられた症例で
リアー症例を提示し、その あ った。 ︵宇都宮保典︶
祝辞を述べ、他学に類を見
絶大な協力を呼びかけた。
十分な検討がなされたもの
養及び血清学的検査などに に感染症の管理についてそ
今 回 は腎 臓 ・
高 血 圧内 科 担 当
次にこの症例に関連し、
状を強く訴える方も多く の情報システムを使われ を始めました。このネ ッ
見られました。スギ花粉
第 12 回 内 科 グ ラ ン ド カ ン フ ァ レ ン ス
平成9年5月12日︵月︶
午後6時∼7時3
0分
ングにより、心房細動は に関しては未だ確立され
日 時
症はほ ぼ終息 しまし た す。
ている かが理解 できま トワークを利用して近い
よびDNAポリメラーゼの 概説した。腎移植患者の死
慈恵医大西新橋校 ・中央講堂
切開が細かすぎれば心房
来る事になる。しかし、 心停止時間が 一時間延長
手 術のM
併A
施Z
でE
少なく、僧帽弁の手術と
独心房細動症例の報告は
は最近増え始めたが、単
場 所
心房内の複数のマクロリ たものが無い。手術報告
上昇を認めたため、B型肝 因として感染症、心不全、
将来、生涯教育にも応用
炎の急性増悪が疑われ、免 消化管出血及び肝不全が考
同時に施行される事が多
疫抑制剤とIFN療法を行 えられており、HBキ ャリ
担 当 消化器 ・肝臓内科
テーマ ﹁潰瘍性大腸炎︱その病態と最新の話題︱﹂
〃 鳥居 明 ︵
司 会
消化器 ・肝臓内科︶
い肝障害は改善したが、全 アーでは非キ ャリアーに比
このインターネ ットを導
にアクセスし最新情報を 方はどうぞ。︵森山 寛︶
使い〃慈恵医大耳鼻科の 日時
講師 衞藤義勝教授
機能は低下する。そこで 症例や多弁手術症例には
花粉症のページ〃という
大 学2 号館 10階
生 涯教 育 セ ン タ ー 月 例 セ ミ ナ ー
ホームページを開いてお 場所
経て房 室結節 へ伝達さ 必要があると考える。
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︵小児科︶
ります。今年の 二月より
講師がインターネ ットを
さて耳鼻咽喉科の今井
に思えます。
粉症にと って代わるよう 入し、誰でも好きなとき
キ花粉症が増加しスギ花
回路が形成出来ない程狭
稲玉英輔 ︵
消化器 ・肝臓内科︶
池内健二 ︵消化器外科︶
小井戸薫雄 ︵
消化器 ・肝臓内科︶
渡辺 守 ︵
慶応義塾大学内科︶
ければ心房細動は抑制出
が、ヒノキ花粉症は四月
このような情報化時代 して行きたいと考えてお
エントリーによると結論
二十日 ころま で続きま ですので、生涯教育セン ります。
ちなみに先の〃
花
づ
け
た
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即
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、
心
房に複
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す。ヒノキの植林状況か ターで行 っている医療情 粉 症〃のURLは
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t
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数の
切開t
を加r
え、e
その間
らすると将来的にはヒノ 報提供のサービスの中に
隔が マク ロリ エントリー
2症例報告 山下伸子 ︵
消化器 ・肝臓内科︶
相澤良夫 ︵
消化器 ・肝臓内科︶
た。高橋医員の症例呈示の 経過中の感染症の管理が重
後、二村助手が病理所見を 要であることを示した。銭
3最新の治療法ー内科の立場から
1炎症性腸疾患の最近の動向
解説し、肝細胞内にHBS 谷助教授 ︵消化器 ・肝臓内
身 性真菌症 にて死亡 され し五年生存率が低く、特に
抗原およびサイトメガロウ 科︶は腎移植後の肝障害の
4最新の治療法ー外科の立場から
5発癌機構
有廣誠二 ︵
消化器 ・肝臓内科︶
イルス抗原を同定し、本例 診断と治療について解説さ
での肝障害の原因にこれら れ、本症の肝障害に免疫抑
6免疫学的病態
のウイルス性肝炎と薬剤性 制剤使用によるサイトメガ
肝 障害の可 能性を指摘 し
7総合討論
ロウイルス感染の関与を指
た。肺にはカリ ニ性肺炎を 摘した。吉田助手︵
呼吸器 ・
す。興
t味
oの
rあ
uる
で
い。熟練した外科医でも
植後 一年四カ月に肝障害お に対する腎移植の問題点を
実母より腎移植を受け、移 山本助手はHBキ ャリアー
アーと診断された。二年前
を開始、さらにHBキ ャリ たことが説明された。
であるが、腎移植の適応お
血圧内科︶の司会により開 より、本例の臨床経過中に る必要性を述べられた。
今回は実母より腎移植を よび移植後の肝炎増悪に対
催された。
症例は 二十八歳、 問題とな った血液凝固系の
男性。六年前より腹膜透析 異常は肝障害に起因してい 施行し、経過中に肝炎の発 する対応などについて多く
講師と久保講師 ︵腎臓 ・高 林助教授 ︵
臨床検査医学︶
レンス ︵CPC︶が、川村 ることを示した。また、小
去る四月十四日に腎臓 ・ 心臓組織内にムコール菌を 口教授はわが国における生 と考える。わが国の透析症
高血圧内科が担当した第十 認め、ムコール菌血症によ 体 腎移植の 問題点を指 摘 例数はすでに十五万人を越
一回内科グランドカンファ る多臓器塞栓症と診断され し、更に腎移植患者の診療 え、その数は年々増加傾向
重要性を示した。最後に川
よる早期診断と早期治療の れぞれ専門の先生方を交え
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慈
(平 成 9 年 ) 4 月 2 5 日
19 9 7年
(3 )
第11回日本糖病
尿動物 研究会開催
第十 一回日本糖尿病動物
開シンポジウムが開かれた
は、 二月八日︵の
土午
︶後に公
次に特別講演Ⅱとして本
演があ った。
患との関連性についての講
譲
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おける総合健診の役割とあ
り方をめぐ って﹂が行われ
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山田裕史先生、資生堂健康
管理グループの津久井 一平
先生、あさひ銀行健康管理
センターの倉本孝雄先生が
パネリストとして、実際ど
のように健診結果を利用し
ているのか、その問題点は
何か、健診の異常項目とし
ては何が多くそれぞれに対
してはどのように指導して
の在り方を模索する上で貴
いるのかなど、今後の健診
ただいたKK法研社長の祝
︵生活習慣病︶の増加が重
近年 我が国 では成人 病
重な意見が述べられた。
特別講演として、企業に
辞で始ま った。
おける健康管理の草分けで
ある酒井恭次先生 ︵ブリジ 要 な社会問 題とな ってい
ストン健康管理センター︶ る。すでにその事態を予測
す。
加えて、今回ここでの臨 にのみ目を奪われて不注意
床に携わ って強く感じたこ や観察力の欠如によ って患
とは、日本の医療において 者に予想外の不幸な結果を
誤診やミスをゼロに近付け 招くことがあれば、それは
評判 の高いスーパーKOSを、より機 能ア
た。また研究会初日終了後
長 谷 川
くわ し くは 、
研究はインスリンの筋肉に
というタイトル で、 おける作用やインa
c抵
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れ
sた
k懇e親l
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、 団muscle﹂
スn
リン
骨格筋とインスリン抵抗性 抗性の機序をさらに解明す しん也さんの楽しいトーク
の密接な関係とそのインス る上で必要不可欠であり、 シ ョーがあるなど盛会のう
ちに閉会した。
本研究会は、
糖尿病モデル動物を用いて
た。今後とも基礎および臨
られ た実りあ る会であ っ
たくさんの新しい知見が得
回研究会は例年にもまして
大病院循環器科 ・久代登志 や種類、特に多価不飽和脂
今
回
の
研
究
会
は
up−d 糖尿病の病因の解析、病態
男助教授より、インスリン 肪酸や、運動の重要性につ
な興味
at
あe
る 発 表 が の解明、新しい治療法の開
抵抗性症候群やシンドロー いての講演をされた。そし 多々あり、会場も熱気にあ 発をテー マに 一年ごとに開
ムXと動脈硬化性冠動脈疾 て最後に、動物実験による ふれ、活発な討論が行われ かれており、今回の第十 一
リン抵抗性に関与する因子 今後さらなる研究が望まれ
というタイトルで駿河台日 として、食事中の脂肪の量 ると結ばれた。
池 田義 雄教 授 が年 次 学 術 集会 長
研究会は東京慈恵会医科大
学健康医学センター健康医 こともあり、研究会の 二日
学科 ・池田義雄教授を年次 間及び公開シンポジウム合
学術集会長として、東京銀 わせての参加者は約三〇〇
座ガスホールにて二月七日 人に及んだ。
研究会の初日には、﹁糖
八日︵
︵の
土
金両
︶
︶
日に開催され
た。毎年本研究会には基礎 尿病におけるインスリン抵
床の双方から多くの研究者
が本研究会に参加発表され
現在の健康医学センター
ることを 期待し て止まな の前身は、昭和二十三年、
い。
学内に労働衛生管理相談所
︵森豊記︶ が設置されたことにさかの
ぼる。本年度はその創設か
北川照男先生 ︵昭25専︶よ 晴らしい出張料理を肴にお お願いしたい旨ご挨拶をい ら五十年経過した。これを
大学、L
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n gstorl
an
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i nf
sulin resist
教授は
ie
﹁
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東京慈恵会医科大学小児 合した。
科学講座は平成九年で教室
開講七十五周年を迎えた。
これを記念して、開講記念
日である二月十 一日午後二
時四十五分より新築間もな
い高木2号館地下 一階の南
講堂において、岡村哲夫学
長、大石幸彦附属病院長の
ご臨席を仰ぎ記念講演会が
脳神経外科
王 立 メ ルボ ル ン 病 院 よ り
講演会は衞藤義勝教授の り ﹁学校保健の変遷︱二十 おいに飲み語らい、な つか ただいた後、教室の布山裕 記念として、平成九年二月 から ﹁企業における健康管 され、労働衛生管理相談所
司会により、同窓会を代表 五年を回顧して︱﹂と題し しい仲間、同級生、オーベ 一君の指導の下、参加者全 二十 一日、高木2号館南講 理︱その歴史と将来の展望 設立 にご努力 された先生
して鈴木庄三郎会長︵昭20︶ て講演をいただいた。司会 ン ・ネーベン等さまざまな
員
で
第
一
学
生
歌
を
斉
唱
し
堂
に
お
い
て
五
十
周
年
特
別
セ
﹂
︱と題して、日本におけ 方、またこの五十年間、労
の挨拶に引き続き、岡村学 の衞藤 義勝教 授は、ご祝 小グループで、尽きること た。大学にエールを送り、
る企業内健康管理の歴史と 働衛生管理相談所、健康管
ミ
ナ
ー
を
開
催
し
た
。
創
設
時
長より祝辞をいただいた。 辞 ・ご講演に対し謝辞を述 のない歓談 の時を過 ごし 来年の再会を約し名残尽き
に
ご
尽
力
さ
れ
た
河
野
稔
先
生
将
来
の
展
望
に
つ
い
て
講
演
し
理相談部、健康医学科で、
学長からは外科的治療も含 べると共に、平成九年四月 た。中締めの赤塚順 一元小
な
い
集
い
の
締
め
と
し
た
。
て
いただいた。
健康医学 ・予防医学に貢献
︵
昭
16
後
︶
よ
り
創
設
の
経
緯
め、慈恵医大ほど小児医療 十 八日から 二十日 の会期 児科教授 ︵昭30︶より、二
慈恵医大同窓諸兄には小 に ついて、大石幸彦病院長
つぎに健康医学科と多数 されてこられた諸先生方に
の多様性に対応できる高度 で、前川喜平教授が会頭を 〇 一〇年に向けて小児科の 児科にさらなるご愛顧を賜
か
ら
の
祝
辞
、
五
十
周
年
記
念
の
成
人
病
総
合
健
診
契
約
を
し
こ
の
紙
面
を
か
りて深く御礼
技術の専門家が集ま ってい 務められる第 一〇〇回日本 一層の発展を期すべく関係 りますようお願い申しあげ
と
し
て
編
集
執
筆
し
た
﹁
成
人
て
い
た
だ
い
て
い
る
企
業
の
産
を
申
し
上
げ
ま
す。
者 一同のご尽力 ・ご協力を る。 ︵浜田朗生記︶ 病の防ぎ方﹂を出版してい 業医とのパネルデ ィスカ ッ
︵
和田高士記︶
催された。当日は北は遠く る教室は全国的にも稀であ 小児科学会学術集会の準備
青森から西は愛媛まで、総 ることを指摘され、将来的 が順調に進行していること
勢 一〇 一名の教室員、同窓 には小児科が主体とな って に象徴されるように、今後
﹁こどものことなら何でも とも 一層同窓、教室員 一体
慈恵 へ﹂という気運を盛り とな って日本の小児医療の
上げる努力を切望する旨お 発展に寄与すべく決意しよ
祝いの言葉をいただいた。 うとの呼びかけを行 った。
出席した小児科同門生 一同
記念講演会終了後は場所
ていく努力は充分とは言え 医療者として恥ずべきこと
深く感銘を受けると共に、 を大学2号館十階の中ホー
私は九十五年七月より豪 ことは、ひとえに阿部俊昭 まれる、難治性側頭葉てん ないのではないかというこ であるとの意を強くしてい
二十 一世紀へ向けての慈恵 ルに移し、同窓会懇親会を 州メルボルンにある王立メ 教授 とKAYE 教授の強 かんに対する外科的治療お とです。当科における病棟 ます。
の主流 にな りつつあるWi
ndows対 応 ですか ら、
お 待 ち 会 わ せ 、 お 食 事 に ご利 用 下 さ い 。
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創 設50周 年 を記念 して 開催
医大小児科の使命の重さに 兼ねた教室開講七十五周年 ルボルン病院脳神経外科に い絆の賜物であると心より よびパーキンソン病性振戦 平均在院日数十日未満、術
最後に、来豪当初に自分
身 が引き締 まる想 いをし 記念祝賀会とな った。ご臨 留学しています。近年、先 感謝しています。
あるいは無動に対する視床 後感染症を含めた総合併症 自身が体調を崩し入院、手
た。
席の大石附属病院長よりご 進諸国における外国人医師
本病院脳神経外科では、 切載術の手技です。この領 率が3%以下という数字が 術 の憂き目 に遭 った こと
引き続 き記念 講演に 移 祝辞をいただき、河野三郎 の臨床現場での勤務は、患 中枢神経系に限らず末梢神 域においては、術前の手術 示すものは、メデ ィカル、 は、生のオーストラリア医
コメデ ィカルを併せた患者 療を身をも って体験できた
管理 の基本概念 そのもの こととして福と転じたく、
「600点 業 務支 援システム」も用意 しました。こ
Shangri-La
第 14回 健 康 医 学 セ ミナ ー
り、前川喜平小児科学講座 客員教授 ︵昭32︶の発声で 者権利意識の高まりと自国 経系に至る全身の神経関連 適応の決定から術中の標的
主任教授よりは ﹁教室七十 乾杯の後会食 ・歓談に移っ の医師の権 益保護 のため の外科的適応疾患すべてを 同定に至るまで神経内科医
の内東京會舘心尽くしの素 をつむ機会に恵まれました
クラヤ
薬品株式会社
と臨床の両分野から多数の 抗性の機序をめぐ って﹂と 研究会では初めて海外から
研究者が出席し、糖尿病モ いうテー マで二つの特別講 の招待講演が行われた。オ
デル動物を用いた多数の実 演が行われた。まず、特別 ーストラリアのWollon
盛 大 に 開 催 され る
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もしくはお訪ねしたMSにもお気軽に
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〒 105 東 京 都 港 区 愛 宕 1−6−6
験成績が発表され、活発な 講演1として ﹁インスリン
開 講 75周 年 祝 賀 会
挨 拶 をする池 田義雄 会長
五年の歴史﹂、鈴木庄三郎 た。七十五周年ということ に、たとえ無報酬の留学目 扱 っており、年間約二〇〇 の協力は不可分であり、折 に、日本とこことに大きな また現在そして将来留学を
同窓会長よりは ﹁同窓会七 で、遠方から久しぶりに出 的であ っても困難なのが現 〇例の手術件数を誇 ってい しも本学にも神経内科が独 相違点があるのではないか 予定されている先生方には
十五年のあゆみ﹂、最後 に 席された同窓も多く、また 状です。今回私がここ王立 ます。その中で、現在私自 立診療科として開設された と考えられます。とりもな 慣れぬ土地での生活には充
もと日本大学小児科教授で 小児科ゆかりの歴代婦長五 メルボルン病院脳神経外科 身がとくに興味をも って技 こともあり、これからの慈 おさず、より進歩した医術 分注意して生活を送られる
現在は国際学院埼玉短期大 名にも御出席いただき、丸 において実地に臨床の研鑚 術取得に努めているのが、 恵にと って新しい分野を切 を取得するために海外 へ出 ことを助言し筆を置きたい、
機能脳神経外科の範疇に含 りひらくものと考えていま て医学を修めることは大切 と思います。 ︵昭61︶
学副学長を務めておられる
宿 泊 特 別 料 金 を ご用 意 して お ります 。
討 論が繰り 広げら れてい 抵抗性:高血圧、肥満、食
る。さらに今年の研究会で 塩感受性のキーワード?﹂
小児科 学教室
ップさせた 「
在 庫管 理システム」に、新たに投 薬管
レ ストラン & バ ー ラウ ンジ
MULTI
東 京 慈恵 会 医 科 大 学 関 係 者 の 皆 様 に は、
600点業 務 にも、在 庫 管 理 にも。
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近 くに あ り ます 、 安 ら ぎ の ホ テ ル 。
病棟 別の物品在 庫管理 も簡単 にできると
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会員がな つかしの母校に集
左 よ り大 石 院 長 、 立 崎 婦 長 、 前 川 教 授 、 岡 村 学 長
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03−343 1−0 109
留 学
だより
(4 )
(
平 成 9年 ) 4月 2 5 日
19 9 7年
聞
新
大
慈
(
第 三 種郵 便 物認 可 )
第 5 0 9号
去る 二月八日︵午
土後
︶五時 近の心臓外科﹂という演題
より新宿 ﹁モノリス﹂にて で、黒澤博身心臓外科教授
北多 摩支部総会 を開催 し の講演を約五十分間拝聴し
た。第三病院の前院長米本 懇親会に移 った。懇親会で
のうちに、
名誉教授、
来年は支部設立二十周年
にあたるので、同窓の老い
も若きも皆喜び勇んで全員
が出席下さるようお願いし
ます。又全員が集まれるよ
大阪支部総会開催
藤 井 克 之教 授 によ る学 術 講演
学生時代で ﹁書く﹂こ 辞で牧師が話されたこと して現在なら遠方の人や を所有していては罪にな
とと言えば、生理学 ・薬 は父 が残した メ モや 雑 直接面識のない人たちに ると思う。現在はインタ
で、昨年から私は本当に
理学 ・生化学等の実験レ 文、年賀状から書き起こ もわざわざ行 って話さな ーネ ット時代だが、やは
ポートや病院実習の感想 されたもので、本当に感 くても、自分の考えを伝 り出版物の力は大きいの
平成九年三月八日 ︵土︶
いと、気がつけばワープ
誌に投稿して世に問いた
われわれが主に関わる も重要だと思うことは雑
小さな意見や臨床経験で
大阪千里ライフサイエンス
国立東京第二病院で研修 誌に印刷され、牧師の文
文 程度しか 思い出せ な 動的な内容であ った。後 えることができることを
あ ったら支部長まで御 一報
している時も、全く論文
い。慈恵医大を卒業して 日その式辞が教会の月刊 実感した。
下さるようお願いします。
千〃
里クラブ〃にて大阪支
センタービル二十階にある
うな良い ﹁アイデ ィア﹂が
当日の出席者は稲垣元博
部総会を開催した。大阪城
た。そんな自分が今では、
戦国武将の前田利家は
﹁
人は 一代、名は末代
﹂
という名言を残してくれ
● B6 頁 528(2色 刷 ) 図 17 1997
定 価 (本 体 4,
500円 + 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260−
24363−
2]
● B5 頁 232 図 118 写 真 20 1997
定価(
本 体 7,
500円 + 税 )〒400
[
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SBN4−
260−
10903−
0]
︵昭19︶伊藤悟 ︵昭25専︶
公園の梅もほころび桜の開
﹁書く﹂ことに情熱を燃
やしている。
心筋障害 と
心筋保護
臨床 検 査
デ
ータブック
編集 堀 正二
編集協 力 葛谷恒 彦 ・北 風政史
監修 高 久史麿
編集 黒 川 清 ・春 日雅人
北村 聖
600を 超 え る 検 査 項 目 と270余 の
疾 患 を 網 羅 し,臨 床 の 現 場 で 見 た い
情 報 を すぐ に ピックアップ で き る よ う
き め 細 か く見 出 しを 整 理 。 全 医 療 関
係 者 の た め の 検 査 デ ー タ ブ ック 。
環
保
つ
か
ロをたたいている。
梅澤祐 二 ︵昭43︶岡部武史
花予想の出はじめるなか、
一九九六年 二月父が逝 章力に感心すると共に、 医学の世界では 一つの症 ている。今後も日々の臨
臨床医のための
心 筋 生 検 ア トラス
本 書 は ,基 礎 臨 床 に わ た っ て 循
器病 学 最 大 の テー マ で あ る心 筋
護 につい て ,
第 一 線 の臨 床 医でか
研 究 者 で あ る 57名 の 執 筆 陣 が わ
りや す く解 説 。
﹁書 く ﹂こ と
︵昭41︶荻野浩 ︵昭26︶押
授を迎えて、為永清吾支部
去しキリスト教会で葬儀 文章を残すという大切さ 例報告が数十人を、そし 床や研究で本当に人に伝
をしたが、父は元気なと を 改め て思い知ら され て 一つの研究報告が数万 える価値のある大切なこ
︵国立呉病院精神科︶
医学書院
●新刊
を書かなか ったし、書く
ことすら考え つかなか っ
田芳郎 ︵昭18︶兼子順男 ︵昭
長の挨拶で三時半より開会
した。
豊
38︶菊地邦夫 ︵昭42︶木田
博和︵昭46︶北島武之︵
昭40︶
藤井教授は ﹁慢性関節ロ
きに牧師に会 ったことが た。自分という存在がた 人の病に苦しむ人を救う とがあれば、積極的に書
なか ったから、牧師は父 とえ亡くな っても、自分 ことができるかもしれな いて、皆さんに紹介した
の人柄を知る手だてがな の書いた文章が残 ってい いと想像すると、自分 一 いと思 っている。
岡
郎 ︵昭32︶小机敏昭 ︵
昭49︶
イマの治療﹂と題して最新
︵
平 5︶ 松
小山勝 一︵昭33︶坂井春男
の知見を多数のスライドを
母校整形外科の藤井克之教
︵昭47︶田村扇 一 ︵昭27︶
か った。しかし葬儀の式 れば、未来においてもそ 人や周囲の者だけで情報
木村篤人 ︵昭40︶栗須慧太
蓮村元 ︵昭41︶廣野恵三 ︵昭
用いて、イ ロハから高度治
不整脈の診かた
と治療 第 5版
19 97−19 98
由谷親夫
療まで長時間にわたり講義
心とな っていたようだが、
学 生 通 信
新学 期を む かえ て
の 一刻をすごした。そのま ・
父兄三名であ った。なお今
︵
大谷周三記︶ な気持ちでスタートを切 っ 生に仕事を手伝 ってもらい
た学生 も多いこ とであろ ながら、四年生を中心にな
小児科学
本書は,
好 評 を 博 した日本 病 理 学会
で の 教 育 講 演 を もと に臨 床 医 のた
め に心 筋病 理 所 見 の読 み 方 を 図解
を中 心 に分 かりやす く書 き下 ろ した
も の 。 掲載 の 写 真 は国 立 循環 器 病
セ ンタ ーの 豊 富 な資 料 の 中 か ら厳
選 さ れた 貴重 な デー タ であ る 。
25︶細谷律子 ︵昭49︶町田
豊平︵昭31︶松沢喜 一︵
昭26︶
くださり有意義な時間をす ま散会するのもも ったいな 回の会場その他いろいろの
ごした。質疑応答が 一巡し く、同クラブのラウンジに 御世話は昭45卒の栗田正憲
丸山浩 一︵昭48︶丸山正子
︵昭48︶水口明洋 ︵昭51︶
たところで懇親会に移り、 場所を移し 二次会で談笑の 君の尽力 によるも のであ
り、来年も若い同窓のたく
︵昭 33︶ 川 田忠良 ︵昭 34︶
井健郎 ・富井純子 ︵昭4
8︶ う。そして入学したばかり んとか切り抜けたというの
平松隆夫 ・木村知夫︵昭52︶ の 一年生たちの姿を見て数 が正直なところである。
で学生委員以外の多数の学
それは学生会とて同じこと
現況と将来計画などについ
︵昭 38︶ 村岡 伸 一・吉 田宗 八木康之 ・宮川政昭︵
昭53︶ 年前本学に入学した日のこ
榊原 光利 ︵
昭 35︶ 木村 宣夫
新学期をむかえて、新た
て具体的な 話をいた だい
大学の現況等豊富な話題に
出席者は支部長以下十七 さんの出席を期待するもの
時の経つのも忘れ、値千金 名で兵庫県より二名、学生 である。
会員各位の自己紹介並びに 仕上げをした。
水永篤 ︵昭56︶水永浩二︵昭
26︶山口陽 ︵昭43︶山之内
照雄︵昭42︶吉葉繁雄︵昭30︶
︵伊藤悟記︶
米本恭三 ︵昭33︶
。
いただき、庶務及び会計報
た。大滝紀雄県連会長より
とを、当時抱いていたいわ 必要性を強く我々に感じさ
そしてそれは体制変革の
告も行われ、総会議事は滞
彦 ︵昭39 ︶橋爪 孝次 ︵昭40 ︶ 栗山 一彦 ︵
昭56︶高見沢重
りなく終えた。
学術講演は病院病理部の 乾杯の御発声をいただき宴
隆 ︵昭58︶横打邦男 ︵昭6
1︶ ば初心とともに思いおこし せる出来事でもあ った。実
︵宮川政昭記︶ ていた人もなかにはいたか 際、毎年度上半期で学生委
●“考える”検査 をサポー トす る
デ ー タ の 読 み 方・ 使 い 方
章
● B5 頁9
6 図 2 写真6
原色 図 69 色 図 5 1
997
定価 (
本体 8,
800円 +税)〒400
[
I
SBN4−
260−
1
090
2−
2]
● B5 頁 528 図 485 写 真 23 1997
定価(
本 体 7600円 + 税 ) 〒400
[
I
SBN4−
260−10901−
4]
教授以 下現院長 の梅澤教 は上下の分けへだてなく和気藹々
授、各科の先生方をむかえ
︵昭 44︶ 原貞 夫 ︵昭45 ︶今
岡部 紀正 ︵昭 41︶徳 田博 正
もしれない。ともかくこの 員長の任期が終わるという
に入 った。久しぶりに顔を
でお話しされた。腫瘍組織 交わし、料理に舌鼓を打つ
場をかりて新入生の皆さん 現行のシステムは臨床実習
河上牧夫教授が ﹁腫瘍組織
に潜む増殖原理の追求と臨 うちに予定の時間も瞬く間
の論理と臨床﹂という演題 会わせた同窓がお酒を酌み
床実践 へのリンケージを示 に過ぎてしま った。次回の
にご入学おめでとうござい が五年生の後期から始まる
ます、と申し上げておきた ようにな ったことに対応し
四月は学生会にと って、 キ ュラムにな ったことでそ
一年中で最も忙しい季節で の辺りの制度ももういちど
●第 一 線 の臨床 医・研究者が 循
環 器病学 最大 のテー マを解説
五十 嵐正男 ・山科
三十 一名の出席で廣野支部 現教授、
医局長、
先輩の方々
長の開会の辞で始ま った。 のスピーチを交え約二時間
次いで ﹁大学の近況と最 すごし、終了した。
され、モリキ ュラーバイオ 再会を約し、岡部紀正君の
い。
たものと聞く。新しいカリ
ロジーから再び生物全体と 閉会の挨拶の後散会した。
出席者は下記の通り。岡
実務が四年生中心になる
ある。なかでも新入生に対 考え直す必要があるのは当
するク ラブ説明会 の開催 然のことである。
は、各クラブの勧誘が特に
熱烈な本学においては 一大 のはやむを得ないが、責任
事となる。今年は五年生の の所在も同時に移行させる
●心筋病 理所 見の読み方 を図解
を 中心に説 明
本 書 は ,「不 整 脈 を だ れ で も が 十 分
に 理 解 で き .正 し い 治 療 が 行 わ れ
る よ う に 」と い う 初 版(1984年 )か
ら の 執 筆 方 針 の も と に ,この 間 の 進
歩 を 吟 味 整 理 して ,多 くの 臨 床 家
の 日常 診 療 に役 立 つ最 新 か つ 実 際
的情 報 を盛 り込み 全面 改 訂。
● B5 頁 1664 図 319
写 真 251 1997
定価(
本 体 25500円 + 税 ) 〒660
[
I
SBN4−
260−
11498−
0]
しての個体の個性を考える
時代であるとする学問上の 村哲夫学長 ︵昭30︶諸川薫
問題点のみならず、現実の 同窓会長 ︵昭27︶河上牧夫
世界の問題点にせまる哲学 教授 ︵特︶宮川政治 ・安西
堀口正晴 ︵昭23︶村田力 ︵
昭
去る二月十五日、横浜同 的な話まで講演はおよび非 節重︵昭14︶大滝紀雄︵昭17︶
窓会が中華街華正楼におい 常に興味深く拝聴した。
て開催された。岡部紀正君
講演に引き続き宮川政昭 24︶中山脩郎 ︵昭26︶小川
の司会で総会が始められ、 君の司会で懇親会に移り、 知和 ︵昭27︶高橋義人 ・小
もあ って各クラブとも四年 生には伝えていきたい。
● 臨床家 の 日常診 療 に役 立つ最
新で実 際的情報 により改訂
本 書 は ,小 児 科 専 門 医 ,研 修 医 の た め
の日本で 初めてのr
eference book。
Nel
sonに 匹 敵 す る レベ ル の 高 さ を
誇 る 。 執 筆 者 は 全 国 8 0大 学 の 小
児 科 学 教 室 と 主 要 病 院 か らの 270
余 名の 第 一 線専 門 医 。診 断 と治 療
に重 点 をお い た 小 児科 医 必携 の 実
践書 。
同 窓 会 ・同 門 会 予 告
5 月24 日 ︵
土︶
井上聖啓教授
生がリクルーテ ィングの中
臨床実習のオリ エンテーシ べきか否かという議論が中
ョンが同日に行われたこと 心になるだろう。追 って学
村岡伸 一君の開会 の辞の 河村横浜支部長の開会の辞 田泰治 ︵昭28︶三木信男 ・
後、河村眞人横浜支部長、 の後、岡村学長、諸川薫同 河村眞人 ・佐久間健︵
昭30︶
︵学生委員長 堀田亮︶
大滝紀雄県連会長の挨拶を 窓会長より大学及び病院の 金子秀夫 ︵昭31︶松本文夫
●小 児科専 門医 ,
研 修 医 のた め の
日本初 のr
ef
er
ence book
総編集 白木和夫 ・前川 喜平
成 医会 神奈 川 県 支部
総 会 ・県 連 同 窓 会
日時
午 後4 時よ り
︵外科1︶
Tel神
0経
4内
5−
科3
は1
今2
、−
何2を1求11
ホ テルリ ッチ 横浜 ﹁
山崎洋次教授
会場
一万五千円
められているか﹂
会費
学術 講 演 を興 味 深 く拝 聴
来 年 は支部 設 立20周 年 に 当 るの で 多数参 加 を願 う
特別講演
︵神経内科︶
﹁胆道拡張症の診断と治 県連会長 大滝紀雄
横浜支部長 川田忠良
病院病理部河上教授 による
心臓 外科 の黒澤 教授 を迎 え北 多摩 支部総会
療﹂
横 浜 同 窓 会 開 催
第 5 0 9号
(
第 三種 郵便 物 認 可 )
聞
新
大
慈
(平 成 9 年 ) 4 月 2 5 日
19 9 7年
(5 )
御講演を拝聴した。抗癌剤
の使用について何かと騒が
しい昨今、血液疾患での有
効性には 認識を新 たにし
た。また同時にその使用に
は固形癌を含め知識を深め
なければいけないことを痛
感した。
︵昭52︶瀧慶治 ︵昭59︶阿
︵塙充弘記︶
︵
講談社︶が当日の出席者
を診ずして病人を診よ﹂と 木 善郎 ︵昭31 ︶、遠藤 茂 通︵昭
た。本学建学の精神 ﹁
病気 24 ︶、中 村敦 典 ︵昭26 ︶、 鈴
︵戸澤 孝之 記︶
60︶の以 上十 八名 であ った 。
泉博 ︵昭55 ︶、窪倉 俊隆 ︵昭
49︶、戸 澤孝 之 ︵昭52 ︶
、尾
松 親義 ︵昭43 ︶
、近藤 秀丸 ︵昭
いう言葉のルーツについて 33 ︶、林 龍 一郎 ︵昭42︶、 小
2の岡野弘教授より、﹁慢 など、いろいろな談議が飛
引き続き第三病院内科第
全員に寄贈された。
大 ︵昭61 ︶丸山 泰 一︵昭24 ︶ 眞人︵
昭42︶大平征 二︵昭44︶
岡野功先輩より慈大名誉教 害性を痛感させられた。
友 信︵昭21 ︶、岡野功 ︵昭23 ︶
、
部
精
二
郎
︵
平
元
︶
塙
充
弘
︵
昭
三上喜久 ︵昭44︶山崎雅文 44︶。
授の松田誠著﹁高木兼寛伝﹂ この後、懇親会が行われ 小 杉茂 ︵昭24専 ︶、鈴 木佐 ︵昭
岩 間実 ︵昭26︶安 達芳 男 ︵昭
27 ︶平山 牧 彦 ︵昭35︶ 原田
岡 野教授 を 迎え 西湘支 部総 会
性肺気腫と慢性呼吸不全﹂ びかい、例年にないほどの
出 席者 は鍵 和田滋 ︵昭
平成九年 三月 二十 二日 という演題で学術講演を賜 大盛会で和気藹々と楽しい
った。慢性肺気腫とびまん ひとときをすごした。
斎 藤盛夫 ︵昭18 ・東京 ︶
高 脂 血症 治療 剤
︵
土︶、小 田原市 内にある
慈恵俳壇
一政の 一幅届く木芽和
本 村繁 雄 ︵昭6 ・東京 ︶
3224−6600
日本料理店〃だるま〃で慈 性間質性肺炎を中心とした
大同窓会西湘支部総会が開 お話しは我々実地臨床家に
15
︶
、
成
田
充
徳
︵昭19︶、山
催された。活動経過や会計 と って大変有意義な内容で 近勝美︵昭21︶、
上岡輝方︵昭
などの報告が行われた後、 あり、また改めて喫煙の有
21
︶
、
宮
崎
茂
夫
︵
昭
22
︶
、
大
岩国 村井 一露
る皮弁の問題をきちんと整 組織弁の三章よりなる。そ 底ぬけの魚籠ころがして陽
き
理し解明してくれるのが、 れぞれ実に有益なのだが、 炎つり
形成外科の児島忠雄前教授 特に島状皮弁の項は、手の 春月を仰ぐ妻にも父母の亡
の﹁手の皮弁手術の実際︵
克 外傷 ・再建外科を標榜する
臨床医にと って必須の手技 窯出しの壺を落花の庭に置
手の外科に関して本学は であろう。術式のシ ェーマ く
誠堂出版︶﹂である。
からからと蛤の音海の音
岡山 藤本剛平
つだが、その系譜は、丸毛 によるもので、熟達した手
わが国を代表する施設の 一 はすべて著者みずからの手
英 二名誉教授の整形外科学 腕が示すその内容は的確で
物故者御 氏名
置く
切り口にしたたる筍土間に
ところで本書は表紙に忍
教室手の外科班にある。そ 見事な説得力をもつ。
こから有為の人材が輩出し
たのだが、児島前教授もそ 辱山円成寺の大日如来坐像
のお 一人で、 一九八六年世 が智拳印を結ぶ手の写真を
松 尾家 寿雄 ︵昭8北 海道 ︶
界初の報告として知られる 配している。いかにも寓意
逆行性指動脈島状皮弁をは 的で印象深い。思うにこの
川 上憲 司 ︵特 ・東京 ︶
本書の総論では、皮弁の ているようで、先生の内的
小 林竜世 ︵昭22 ・東京 ︶
富 田 一夫 ︵昭24 ・埼 玉︶
黄 金江 ︵昭 12 ・台湾 ︶
じめとする優れた業績によ 智拳印をデザインした著者
って、内外に著名な形成外 の意図には、現代医学に対
歴史や分類、その応用の原 思考をうかがうに足る鮮や
渡 辺綱太 郎 ︵昭 13東京 ︶
する明察と批判が込められ
則 などが述 べられ ている かな味わいをもたらしてい
科医である。
が、その思惟はあくまでも る。ともあれ手の外科の、
(
03)
夕方から同センター内の
山〃
口楼〃に席を移し、倉
石助教授の来訪に感謝し、
会の益々の発展を祈念して
をしのんで小児科の権威に 講学、臨床で明け暮れ、書
なり、優秀な医者の精英が 斎は医書で山と積り、実に
彼を 慕 って門 下に集ま っ 良く勉学していた。語学に
た。兄は大学と連絡を怠ら 長け、英、独、日、中語を
なか った。国際センス豊か 自由 に操れるの に驚嘆す
1
%
錠 ・
錠 1
0・
細粒 ・
細粒
乾杯した。大学の講座制、
診療科 の変更 の疑問に対
し、倉石助教授からの説明
を受けた。今回は親子での
参加が三組もあり、年輩の
先生からは欠席すると大学
と縁が切れそうで又来てし
ま いましたと のお話があ
り、慈恵医大の絆の深さを
再認識した。水戸迄出かけ
られない会員のために、来
茨城支部総会は昨年十 一 を受け、任期満了に伴う役 年は日立市での開催を次期
月三十日 ︵土︶水戸芸文セ 員人事は、役員経験者に 一 役員に希望したい。
ンターで開催された。議事 任された。
当日の出席者は次の通り
昭11︶
議事終了後、血液 ・腫瘍 である。小原芳郎 ︵
に先立ち物故者︵関根栄三、
大和田勇、岡崎享君︶に黙 内科診療副部長の倉石安庸 小原芳道 ︵昭50︶青木力雄
とうを捧げた。 つづいて青 内科助教授より ﹁
血液疾患 ︵昭27︶青木雅弘 ︵
昭61︶
岱
ご用 命 をお 待 ち申 しあげてお ります。
〒1
04 東京都中央区銀座2712
2・12
(
03)3582−0111
木会長より大学の現況報告 の薬物療法﹂という演題で 高野敬太郎 ︵昭30︶高野宗
金
黄 金江兄 ︵
昭 12 ︶を 偲 ぶ
︵
昭 22︶黄
土 屋正 ︵昭 16後 ・埼 玉︶
佐 々木徳 綱 ︵
昭 28北 海道 ︶
クラ
※用法及び用量、
その他の使用上 の注意等については添付文書 をこ参照 く
ださい
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ホ
テルオー
な当時 の樋 口 一成学長か る。
四人兄弟の長に生まれた た。卒後すぐに小児科教室 学最初の助教授として台湾 ら、海外優秀同窓の 一人と
子供は三男三女で長男の と複雑な解剖学的特性をも 忠実であらんことを心がけ も平凡で確かな方法は、こ
兄は、生来頭脳も良く指導 に入り、当時の戸川篤二教 に復帰した。台湾大学は既 して慈大台湾同窓会会長に 碩文はフロリダ大学の過敏 っているので、その外科的 ている。先生の性格がにじ の名著を熟読玩味すること
力も強か った。彼の人柄が 授の厚愛と信任を得て間も に東大系で埋まり、私学出
私共の鏡で、その所以か四 なく講師に昇進、東京病院 身は入る余地もなか った。
人兄 弟揃 って医者にな っ の小児科副部長を兼ねられ 兄は当時元赤十字病院であ
た。小児科、耳鼻科、産婦 た。病気がちの教授を補佐 った省立台北病院の小児科
★慈大新聞がより充実
した内容であり、そし
て会員の先生方により
幅広い新しい情報を提
供できるように、これ
からも努力を重ねてゆ
きたいと思います。忌憚
のないご意見を多数お待
授は本学では女性として最 ちしています。
紹介しました。特に田嶼教
された三人の教授をご
★四月から新しく就任
覧下さい。
掲載しましたので、ご
入生の氏名を出身別に
学部入学式の模様と新
ました。本号は主に医
推された。研究に興味ある 症所長で、医学院の終生教 手技の実際はさまざまな困 み出ている章である。各論 に尽きるのであろう。
弟子に学位なくては伸び悩 授、次男は コーネル大学の 難を伴うことが多い。なか は、有茎皮弁、島状皮弁、
むとみた兄は、夫々母校の 物理博士で、ライス大学の でも比較的新しい分野であ それに脂肪 ・筋膜弁、皮下 ★平成九年度最初の編集会 初の臨床講座担当の教授で
生化学教室に籍を置かせ研 終生教授、他は夫々高学歴
議を四月十日に開催いたし す。ご活躍を期待します。
人科、外科で総合病院にし して教室をきり廻し、また 主任兼副院長に任命、院長 究するよう推めた。台大医 で社会にその分を尽くして
ても不足はなか った。植民 戦時の人手不足でも教室の は蒋介石の侍医〃熊丸〃で 学院院長、台北医学院長の いる。
三月二十二日老衰から眠
地で育 った台湾の人は日本 長として切り抜けた才能の あ った。それ故、兄は蒋経 黄伯超氏、林守田氏がそれ
兄は猿を使 っての腎炎の 台北医学院学長という肩書
人並の生活を享受するには 良さは偉とすべきである。 国 ︵蒋介石の子︶の子供の で、目下慈台会の準会員で るが如くこの世を去 った。
戸川教授臨終のとき、後任 御用医に推され、公費で 一 私共と善みを交している。 病室は兄が学長をしていた
研究も有名で、 一時学会を きから特別室を与えられ、
兄の学識の良さ、人格の 騒がしたこともあ った。彼 皆に守られて逝 ったのも満
た。
兄は台湾人という ハンデ 教授に推されたことをよく 年アメリカ留学を命じられ
医師以外にはなか った。
キ ャップを背負いながら、 兄から耳にした。
戦後、細菌学の鄭翼宗氏
編集局だより
HMG−CoA還元酵素阻害剤
東京 慈 恵 会 医 科 大 学 担 当
夫
瑞
瀬
(
昭38) 原
倉石 助教授 を招 いて茨城 支部 総会開催
︵昭14︶とともに台湾人本 高雅さは直ぐ全島 一、台大 は 一生医を学び続け、
研究、 足したことでし ょう。
メバロチン
9
三共株式会社
優れた学業で実にスムーズ
に現役 で慈恵医 大に入 っ
克 誠 堂 出 版 定 価 14,420円
卓
辻
国 内 セ ール ス課
児 島 忠 雄 著 (
昭 34)
[
効能又 は効 果]
高 脂 血 症 、家 族 性 高 コレステ ロー ル 血 症
[
使用上の 注意] 1
.
一般的注意 本剤 の適 用に
あたっては、
次の点に十分留意すること。1)
適用の前
に十分な検査を実施 し、高脂血 症、
家族性 高コレス
テロール血症であることを確認した上で本剤の適 用を
考慮すること。本剤は高コレステロール血症が主な異
常である高脂血症によく
反応する。
2)
あらかじめ高脂
血症の基本である食事療法を行い、更に運動療法や
高血圧 ・
喫煙 等の虚血性心疾患のリスクファクターの
軽減等も十分考慮すること。
3)
投与中は血 中脂質値
を定期的に検査し、治療に対する反応が認められな
い場合には投与を中止すること。 2
.
次の患者には投
与しないこと 本剤に対し過敏症の既往歴のある患
者 3
.
次の患者には慎 重に投与すること 1
)
重篤な
肝障害又はその既往歴 のある患者 2)
重篤な腎障
害又はその既往歴のある患者 4.
副作用 1)
皮膚:
ときに発疹等の過敏症状があらわれることがあるので、
このような場合には投与を中止すること。
2)
消化器:
と
きに悪心・
嘔吐、便秘、
下痢、腹痛、胃不快感が、また
まれに口内炎等の症状があらわれることがある。
3)
肝
臓:
ときにS−
GOT、
S・
GP
T、ALP、
LDH、γ・
GTP、
総 ヒリル
ン値の上昇等の肝機能異常があらわれることがあ
び
る。4
)腎臓 :
ときにBUN、
クレアチニンが上昇することが
ある。
ダイヤル イン
「手 の 皮 弁 手 術 の実 際 」
書評
話が はず み和気藹々 と例年 にな い大 盛会
(6 )
(
平 成 9年 ) 4月 2 5 日
19 9 7年
聞
新
大
慈
(
第三 種 郵便 物 認可 )
第 5 0 9号