浅田真央に電卓を~フィギュアスケート外交に学ぶインテリジェンス ̄

平成 24 年 4 月 12 日
強い日本を創る会
発表担当:渡邉大士
浅田真央に電卓を~フィギュアスケート外交に学ぶインテリジェンス ̄
問題提起:前人未到のトリプルアクセル(*1)を跳んだ浅田真央はなぜバンクーバーでキム・
ヨナに敗れたのか。
――日本のインテリジェンスの敗北ではないのか。キム・ヨナ陣営の用意周到な戦略や「電
卓の力」に浅田真央陣営は屈したのではないであろうか。
・バンクーバーオリンピックでのフィギュアスケート女子シングル、ショートプログラム
得点(*2)
浅田真央
73.78
キム・ヨナ
78.50
両選手ともにミスはなく、すばらしい演技であったが、上記のような差がついた。
これは野球にたとえるなら 8 回が終わって、
2 点差をひっくり返すような苦しい状況である。
なぜ大差がついたのか。インテリジェンスが関わっていた可能性がある。
・2002 年の「ソルトレイクシティ・ゲート事件(*3)」以来、フィギュアスケートでは新た
な採点システム(*4)が模索されており、バンクーバーオリンピックはまさにその過程にあ
った。つまり採点システム自体が過渡期で試行錯誤の複雑な段階だったのである。
・また、この新しい採点システムによって大きな存在となってきたのが「コーチ」である。
かつてはプログラム全体の構成、技術面でのアドバイスが大きな仕事であった。しかし
今や、コーチはオリンピックまでの 4 年間トータルで、選手と一緒に勝つための戦略を
練る立場に立つこととなったのである(*5)。
・そこでコーチにとって重要となってくるのが、勝つ戦略のための情報収集である。選手
の技術(対戦相手のものも含む)と流行を見極め、プログラムを作っていくのだ。とく
にバンクーバーオリンピックでは、新採点システムやジャッジ、技術役員に対しての情
報収集が重要となった。
・そこでキム・ヨナ陣営がコーチとして雇ったのがカナダ人のブライアン・オーサー(*6)
1
である。浅田真央陣営が雇ったのはロシア人のベテラン、タチアナ・タラソワ(*7)であっ
た。
・フィギュアの世界は狭い世界で、コーチとジャッジは顔見知り。そこでコーチは、選手
の公式練習を見に来たジャッジに演技について意見を求めることができる。
またその際、選手を売り込むという「ロビー活動(*8)」も行われる。
ここで重要となるのが相手から情報を聞き出すコミュニケーション力である。
オーサーは若く、社交的。情報収集に長け、
「ロビイスト」向き。
対するタラソワは旧世代のコーチに属し、芸術系。振付も自らこなす。
・結果として若くて社交的で情報収集がうまいブライアン・オーサーの戦略が、古い世代
で芸術思考のタラソワの戦略に勝ったのである。
戦略のための情報収集こそまさにインテリジェンスの業といえる。
1.インテリジェンスとは何か
①インテリジェンスとは、インフォメーションを収集、加工、統合・分析・評価・解釈
した結果としてのプロダクトであり、それに基づいて、国家や企業、個人が戦略を立
案・実行するために必要なものである。
②インテリジェンスのための情報収集活動自体を指すことがある。
③そのような活動をする機関や組織、つまり「情報機関」そのものを指す場合もある。
・インフォメーション(information)とは何が違うのか?
2.インテリジェンスサイクル
インテリジェンスを生産する側を「情報サイド」と呼び、生産されたインテリジェン
スを提供されて、判断・行動のために役立てる側を「カスタマー」と呼ぶ。
インテリジェンスサイクルとは、「カスタマー」が「情報サイド」にインテリジェンス
生産を依頼し配布されるまでの一連のサイクルのことをそう呼ぶ。
(a)ステップ1 リクワイアメント伝達
カスタマーがリクワイアメント、つまり「このようなインテリジェンスが欲しい」と
いう要求を情報サイドに伝える。
↓
2
(b)ステップ2 計画・指示
リクワイアメントをしっかりと満たすために、情報収集からインテリジェンス配布ま
での流れを計画し、各部署やスタッフに指示を与える。
↓
(c)ステップ3 インフォメーション収集
伝達されたリクワイアメントを念頭に置いて情報収集。
↓
(d)ステップ4 インフォメーション加工
分析官が使用できるようにするため、収集したインフォメーションを翻訳、解読、複
合化、データ解析。
↓
(e)ステップ5 インフォメーション統合・分析・評価・解釈、インテリジェンス生産
リクワイアメントを念頭に、分析官がプロダクトとしてのインテリジェンスを生産。
↓
(f)ステップ6 インテリジェンス配布
カスタマーにインテリジェンス配布。カスタマーはそれに基づいて戦略、戦術の立案・
実行などの判断・行動を起こす。
↓
(a’)ステップ1’ 新たなリクワイアメント伝達
カスタマーの関心が変化、あるいは時間の経過による現実の変化により、カスタマー
が新たなインテリジェンスを欲した場合、また新たなリクワイアメントが伝達される。
3.インテリジェンスが担う4つの分野
①情報収集。情報を盗むことももちろん含まれる。
②防諜。相手に情報を盗まれたり工作されるのを防ぐこと。「カウンター・インテリジェ
ンス」と呼ばれている。普通の国では警察が担っている。
③宣伝・プロパガンダ。ある意図をこめて広報活動をすること。
「ホワイト・プロパガン
ダ」と「ブラック・プロパガンダ」の2種類があり、前者は事実に立脚しているプロ
パガンダである。後者は虚偽情報などの事実に立脚していないプロパガンダである。
④秘密工作。謀略や積極工作とも称される。情報改変、ハッキング、ロビー活動、政治
工作、浸透工作など様々。
3
4.スパイの種類
狭義には、スパイとは情報機関に所属しコードネームを有している者を言うが、広義
には、無意識、半意識、有意識の情報機関には所属していないが、利用されている者
たちも含む。
5.インテリジェンスの分野で弱い日本
(1)2006 年 2 月 「偽メール事件」
民主党の永田寿康議員が、ホリエモン(堀江貴文氏)名義の偽メールを本物と信じ
込み、国会質問で引用した事件。
『週刊文春』
(2007 年 10 月 11 日号)によると、民主党の原口一博議員が官直人議
員をともない、永田町界隈で「有名な」ある人物に、このメールの審議について相
談を持ちかけたらしい。その人物は「アメリカのセキュリティ会社に勤めていた」
というふれ込みであったが、後に詐欺罪で逮捕されているという。
(2)2004 年 「上海総領事館員自殺事件」
上海の日本総領事館で、暗号を取り扱う電信官が中国情報機関による「ハニートラッ
プ」にひっかかり自殺した事件。
注1:フィギュアのジャンプには 6 種類あり、
アクセル>ルッツ>フリップ>ループ>サルコウ>トゥループ
の順番に難しく、点数も高くなる。
注2:ちなみにフリープログラムの得点は
浅田真央
131.72
キム・ヨナ
150.06
浅田は前半、トリプルアクセルを 2 回も成功させたが、後半にコンビネーションジャ
ンプでミスが出てしまい勝敗は決した。しかしもし浅田がミスせず完璧に演じきった
としても、キム・ヨナに逆転するのはほぼ不可能だったと思われる。
4
注3:2002 年のソルトレイクシティオリンピックで、有力ペアを抱えるロシアと、アイス
ダンスで金メダル有望な選手がいるフランスが、お互いが有利になるように点数の取
引をしたと疑惑の事件。
ペアのベレズナヤ/シハルリドゼ(ロシア)がミスしたにも関わらず、完璧といってい
い演技を見せたサレー/ペルティエ組(カナダ)に勝ち、得点の不自然さからフランス
に疑惑の目が向けられた。
疑惑浮上後、フランスのル・グーニュ審判員が、フランススケート連盟のゲヤゲ会長
から、
「パフォーマンスの出来不出来にかかわらず、ロシア・ペアを 1 位にするように」
と圧力を受けていたことを告白した―と報道された。
ル・グーニュ審判員はそんな圧力はなかったと否定。
しかし国際オリンピック委員会(IOC)は、国際スケート連盟(ISU)に事態をいち早く収
拾するように求め、2002 年 2 月 15 日、ロゲ IOC 会長とチンクアンダ ISU 会長が合同
で記者会見を行い、サレー/ペルティエ組のメダルを銀から金に格上げすることを発表
した。ロシア組の金メダルはそのままであった。
注4:このシステムは、①技術点 ②構成点 ③ディダクション(減点) の 3 つからなっ
ていて、さらに技術点は「基礎点」と技の出来栄えを表す「GOE」(Grade of Execution)
から成り立っており、構成点は①スケート技術
②要素のつなぎ
③演技力/遂行力
④振付 ⑤音楽の表現 の 5 項目にわかれて採点される。
演技の要素をすべて得点化して積み上げるという方式である。この採点システムは複
雑で、もはや選手は自分が勝ったのかどうかさえわかりにくくなった。
それに対し、それまでの採点方式であった「6.0 システム」は演技を 2 つの要素に分け
てそれぞれ 6 点満点で演技全体を評価するという、100 年以上の伝統を持つ単純でわか
りやすい方式であった。
注5:そこで戦略を練るために重要なのが「電卓」である。新採点システムではすべてが
得点化されるため、プログラムの一つ一つの要素を得点化して電卓で計算し得点を
予測することが重要となる。
リンクサイドにいるコーチを見ると、ノートを片手に選手の演技を見守り、そのノ
ートにはびっしりと技術点と構成点の数値が書かれていることがある。
彼らの頭の中やオフィスのパソコンにはライバルとなる選手の基礎点などもインプ
ットされており、データとして管理されているのだ。
こうして勝つための戦略は具体的な数字と共に練ることが可能となったのである。
5
注6:カナダでは英雄的に扱われている。若いころは「ミスター・トリプルアクセル」と
して有名なスケーターで、1984 年のサラエボ・オリンピックでオリンピック史上初
めてトリプルアクセルを成功させたスケーターとなった。しかしコンパルソリーが
苦手であったため銀メダルであった。その後プロスケーター、そしてコーチへと転
身。
1988 年に前に付き合っていた「彼」が告白本を出し、ゲイであることが公になって
しまうが、それでも公的な立場を失うことはなく、彼の名声は圧倒的なものである。
注7:多くの金メダリストを育てたベテラン。実績だけで言えば、世界でナンバーワンの
コーチと言える。1947 年にソ連で生まれ、父はソ連をオリンピックで 3 度の金メダ
ルに導いたアイスホッケーのコーチであった。タラソワはペアの選手となるが、18
歳のときに大怪我を負ってしまい、父の勧めに従いコーチの道に入った。当初はペ
アのコーチであったがシングルでも優秀な選手を育て上げるようになる。
2006 年に引退を表明したが、2008 年から浅田真央のコーチを引き受けるにいたる。
しかし体調の悪化が伝えられ、決して浅田を満足に指導できたとは言い難く、新採
点システムに移行してからはタラソワの芸術的な志向はなかなか得点に表れにくい
という弱点を持つようになった。
日本人では他に荒川静香が 2004 年の世界選手権金メダルのときにタラソワの指導を
受けている。しかしトリノ・オリンピック前にニコライ・モロゾフへとコーチを変
更。
荒川静香『フィギュアスケートを 100 倍楽しく見る方法』
(講談社)曰く、
「タチアナの指導による私の演技は新採点方式に対応しきれていないのではないか、
と少し心配でした」
。
注8:ロビー活動を行う人々を「ロビイスト」と言う。ロビイストとはアメリカの政治用
語で、語源をたどれば、ロビーで時間を過ごしながら、重要人物と話をして、得意
先の意向に添った政策を実現させる。ここではフィギュアスケートのコーチが人脈
の構築を駆使して情報の収集を行い、クライアントである選手の価値を高める仕事
をすることを意味する。
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