一世お鯉

一世お鯉
長谷川時雨
3
もとどり
かしい風もなく 髻 を堅く結んで切下げにしていた。年頃
なか
一
は三十を 半 ばほどとは考えさせるが、つくろわねど、こ
ふけ
とうろう
きりょう
の 美貌 ゆえ若くも見えるのかも知れない。といって、そ
めかけ
﹁そりゃお妾 のすることじゃないや、みんな本妻のする
の実は 老 させて見せているかも知れない。 ほんのりと、
み
こい
じ
ひとも
ことだ。姉さんのしたことは本妻のすることなのだ﹂
庭の燈
籠 と、室内にもわざと遠くにばかり灯 させたのが、
さび
ふすま
六代目菊五郎のその銹 た声が室の外まで聞える。
ま
た
憎い風情であった。
い
うすもの
真夏の夕暮、室々のへだての 襖 は取りはらわれて、そ
ね
きちょう
﹁お 鯉 さんです﹂
つ
す
れぞれのところに 御簾 や几
帳 めいた軽
羅 が垂 らしてある
そうであろうとは思っていたが︱︱︱
み
ばかりで、日
常 の居
間 まで、広々と押開かれてあった。
切髪の女は小さい 白扇 をしずかに畳んで胸に差した︱
や
たたず
はくせん
打
水 をした庭の縁を二人三人の足音がして、白地の 筒袖 ︱︱地
味 な色合︱︱︱帯も水色をふくんだ鼠色で、しょいあ
そ
ゆかた
そ
うすもの
つつっぽ
の浴
衣 を着た菊五郎が書生流に歩いて来ると、そのあと
げの色彩も目立たない。白い扇の、帯にかくれたさきだけ
うちみず
に楚
々 とした夏姿の二人。あっさりと水色の手柄︱︱︱そ
が、左の乳首の下あたりに秋の蝶のとまったようにぴっ
たそがれ
こ
うした感じの、細っそりとした女は細君の 屋寿子 で、そ
たりと⋮⋮
うしろ
おしろいけ
黒い夜空ににおいそめた明星のように、チラリチラリ
す
の 後 は、 切髪の、 黄昏 の色にまがう 軽羅 を着て 佇 んだ、
粉気 のない寂しげな女。
白
と、眼をあげるたびに、星のような 瞳 が輝き、 懐 しいま
あいきょう
たた
な つか
﹁ほんとに姉さんつまらないや、そんなことをしたって﹂
たたきを見せる。 唇 と、眼とに、無限の愛
敬 を湛 えて、黒
ひとみ
主人はそういって、今までのつづきであったらしい会
いろ 絽 の、無地の夏コートを着て、ゆかしい印象を残し
くちびる
話のきりをつけた。
てその女は去った。
ろ
切髪の女は、なよやかに、しかも悩ましいほほえみを
もら
した。すなおな、黒々とした髪を、なだらかな、なまめ
洩 4
い
てんと
奠都 三十年祭が、全市こぞって盛典として執行された
ひと
﹁ほんとにあの 女 は、良 い人間すぎてね﹂
おり、種々の余興が各区競って盛大に催された。とりわ
きぐみ
それは誰れやらの老女の歎息であった。
け花柳界の 気組 は華々しかった。世はよし、時は桜の春
ちえぶくろ
ちまた
たのしみ
みそなわ
三月なり、聖天子 万機 の朝政を臠 すによしとて、都とさ
ごふう
ばんき
一世お鯉︱︱
︱それは 桂 さんのお鯉さんと呼ばれた。二
だめたもうて三十年、国威は日に日に伸びる 悦賀 をもう
てるおうみ
かつら
世お鯉︱︱
︱それも姐 さんの果報に負けず 西園寺 さんのお
し、万民鼓腹して、聖代を 寿 ぐ喜
悦 を、 公 にも、しろし
た
まんまく
ろくだか
こ
と
か ち
か
みもの
よろこび
鯉さんと呼ばれた。 照近江 のお鯉という名は、時の宰相
めせとばかり、あるほどの 智恵嚢 を絞り趣向して、提
灯 さいおんじ
の寵
姫 となる 芽出度 き、出世登竜門の護
符 のようにあが
と、 飾物 と、旗と 幔幕 と、人は花の巷 を練り歩くのであっ
ねえ
められた。登り鯉とか、出世の滝登りとか、勢いのいい
た。ことにそのなかに、面白き思附き、興ある 見物 とし
めざま
さんきんこうたい
いしょう
はなしか
おも
にんそく
おおやけ
ためしに引く名ではあるが、二代 揃 っての晴れ業 は、新
て大名行列があった。それは旧大名の 禄高 多く、格式あ
ととの
ながもち
ことほ
橋に名妓は多くとも、かつてなき目
覚 しいこととされた。
る家柄の 参覲交代 の道中行列にならい、奥向の行列もつ
いぶか
ちゅうげん
きもい
あさぎ
ご
ちょうちん
照近江のお鯉︱︱
︱あの、華やかに、明るく、物思いも
くったのであった。 衣裳 調度は出来るだけ華美に、めざ
ページ
め で
なげな美しかった女が、あの切髪姿の、しおらしい 女人 ましいほどに 調 えられた。 その人数には、 俳優、 芸妓、
おもいもの
かと思いめぐらすときに、あまりに違った有様に、もし
旦那衆、画家、芸人、 噺家 、たいこもち、金に糸目をつ
かざりもの
や違った人の 頁 を繰って見たのではないかという 審 しみ
けぬ、一流の人たちが 主 な役柄に扮し、お 徒歩 、駕
籠 の
わざ
さえも添った。
もの、 仲間 、長
持 かつぎの人
足 にいたるまで、そつのな
そろ
わたしの心に記憶する頁︱︱︱それには絵もある。また
いものが適当に割当てられ、旧幕時代の 万事 を知るもの
と
おぼえ書きもある。みんな 岡目 から見たもの聞いたもの
が、その身分々々によって 肝煎 りをした。真にまたと見
ひ
にすぎないが、わたしはその人自身から聞くよりさきに、
ることの出来ぬと思われるほどの思いつきで、赤や 浅黄 おかめ
その覚え書きも持出して見ようとしている。
5
その行列の、美しい御殿女中のなかに、照近江のお鯉
ぼうず
の無
垢 を重ね、上に十
徳 を着たお坊
主 までついて、銀の
も交っていたのか、ほどなく、わたしは一枚の彩色麗し
じっとく
道具のお茶所まで従がっていった。
い姿絵を手にした。桜のもとに短冊をもっている高島田
む く
その行列が通るのをわたしは柳橋で見た。勿論土地の
の、総縫の振袖に 竪矢 の字、鼈
甲 の花
笄 も艶ならば、平
打 ほれぼれ
おおおく
あ が
ひらうち
売れっ 妓 たちは 総縫 の振袖や、 袿 を着た、腰元や奥女中
の差しかたも、はこせこの胸のふくらみも、 緋 ぢりめん
べっこう はなこうがい
に、他の土地の盛り場の 妓 たちと交っていたので、その
の 襦袢 の袖のこぼれも、惚
々 とする姿で、立っているの
たてや
通行のおりには大変な人気であった。
だった。
うちかけ
柳橋の裏河
岸 の、橋のたもとから一、二軒目に表二階
それ以来、わたしの心のおぼえ帳には、美しき女お鯉
そうぬい
に 手摺 のある、下にちょいと垣を結うた 粋 な妾宅があっ
の名が消されぬものとして残った。
こ
た。裏へ抜ければ、じきに吉川町へ出て、若松家という
や
つか
ひ
古い看板の芸妓家へとゆくことが出来るようになってい
二
おんな
た。妾宅のあるじは若松家の初代小糸といった 女 で、お
おしゃく
き ね
しとね
じゅばん
丸さんという名であった。その時分若松屋には三代目の
﹁横浜の野沢屋さんの 大奥 さんからのおつかいものでご
が し
小糸という 雛妓 も、 お丸という二代目も出ていた。 ︱︱
ざいますの。なんでも六代目さんなんぞは、﹁お母 さん﹂
いき
︱︵そのお丸さんはいま、 稀音屋 六四郎の細君になって
というふうにお呼びなすってるようですね。 尊敬 めてな
てすり
いる︶妾宅の方のお丸さんは、すらりとした人で、黒ち
ので御座いましょうけれどね﹂
ひと
りめんの羽織のよく似合う、そんな日でも、別にめかし
その 遣 いものが、衣服の時があり、手道具の時があり、
こまものや
っか
てもいなかったが、人好きのする美人で、 足尾 の古河市
の時があり、種々さまざまであるけれども、使いは同
褥 あしお
兵衛氏の囲いものだった。その二階に 招 ばれて、わたし
じ人にさせているということを、女 小間物屋 さんは語っ
おも
よ
は綺麗な女たちを 面 うつりするほど多く眺めた。
6
火鉢だってなんだって、 拵 えておあげになるのです。た
から六代目さん。 六代目 さんは附属なんですね。そりゃ
﹁羽
左衛門 さんのところと、梅
幸 さんのところと、それ
た。
体 無頓着 なのに、橘
屋 ときたら、そのころはしどい借金
﹁けれどお鯉さんもたいていじゃなかったのですよ。一
月峰 へはたいた。
吐
といいながら、器用に、ポンと音をさせて 煙管 の吸
殻 を
あ﹂
だんな
こしら
むとんちゃく
あ
すいがら
いした 檀那 でございますよ﹂
だったのですからね。厭 きもあかれもしやあしないでしょ
たつみこうだん
いちむら
しっ
キセル
泉 鏡 花 さ ん の ﹁ 辰巳巷談 ﹂ に出てくる 沖津 のような、
うが、母親が承知しない。それゃ羽左衛門のおっかさん
ばいこう
江戸ッ子で歯ぎれのよい、女でも良いものばかりを 誂 え
は実に好い人で、どっちでも向いていろという方を向い
うざえもん
られて納めようというお〆さんが、自分の吐いた煙のな
ている人でしたけれど、お鯉さんの方のが承知しやあし
きっぷ
き
はいふき
かで、ちょいとさげすみ笑いをしたが、
ません。もともと 市村 へやったのは、浮気をさせておい
さいわいちょう
﹁だが、お鯉さんは好い 気風 でしてね。馬鹿だなんてい
ては、いつまでも止めないから、一度嫁にやってしまお
もら
たちばなや
う奴がドサの慾張りなんですよ。そりゃ 利 ればなれがよ
う、そしたら、なんぼなんでも、いくら 惚 れてるからっ
どく
おきつ
くってね、横浜からの遣いものなんざ、貰 うとすぐに、来
て、あの貧乏じゃお尻が落附くまい、かえって思いきら
あつら
たもの 徳 で、こんなものやろうかってやっちゃうんです
せるには好いからって魂胆で 嫁 ったんだって言いますも
い
ほ
からね、さっぱりしたものでさあ。知れたってすこしも恐
のね。嘘じゃあないでしょうよ、なにしろ 強 かりしてい
や
れるんじゃないから 好 いでしょう。あたしゃあ好きでし
ますからね、養母っていう 方 が。︱︱︱ええ、二人ありま
ほう
たね。お使いにたって持ってくときもありましたが、見
すとも、お母さんを二人しょってるのですから、あの 女 りゅういん
ひと
ていてグッと 溜飲 がさがっちゃうので、かまうもんです
も大変ですよ。おまけにお母さん次第になるのだから﹂
こ
か、やっちゃいなさいよ。旦那がやかましく仰しゃりゃ、
売れっ 妓 のお鯉が、洗い髪のおつまが坐らなければな
け
またこしらえさせますからさって、 唆 しかけたものでさ
7
葉かげ越しに、お鯉が嫁入りの、十三荷の 唐草 の青いゆ
の女として、 三十間堀 のある家の二階から、並木の柳の
様子が、お〆さんの言葉によって見える。おつまは失意
らなかった市村の家の、長火鉢の前におさまった当時の
﹁どうしてどうして 現今 のおはるさん︵羽左衛門の細君
いやが上に 喧伝 された。
れ、空前とせられた日露戦争中の 大立物 ︱︱︱お鯉の名は
心となった 流行 ッ児 の俳
優 ︱︱︱ニコポン宰相の名を呼ば
やくしゃ
たんをかけた荷物を、 見送っていたのだときいている。
の名︶は働きものです。それは自分の持って来たものは
こ
やがてお鯉も、自分と同じ運命になるだろうと思ったと
あるけれど、どうしても養
母 さんが強 かりしているから、
はやり
言ったというが、お鯉もまた二、三年すると、そこの、長
なくなさせやしません。あの細君が来てから、不義理は
ざぶとん
ぬし
わ
ざ
だこ
むかし
しっ
おおだてもの
火鉢の前の 座布団 の 主 として辛抱することが出来なかっ
みんなかえしたのです﹂
ないしょ
は か
けんでん
た。恋女房であろうとも、家の者となればあしらいも違
羽左衛門が年少で、 技芸 も未熟であり、 給料も薄く、
さんじゅっけんぼり
う、まして人気商売ということによって、いかな口実も
そして家には先代以来の借財が多かった時分に、身の皮
からくさ
つくられる。その上に 内所 は苦しい、お鯉のお宝は減る
まで 剥 いて尽したのが洗い髪のおつまである。ままにな
い ま
ばかりだった。そこで見て見ぬふりもならぬとなったの
らぬ世を 果敢 なんだ末に、十八の若旦那市村は、身まで
おっか
は、養われなければならないという二人の老母の、ひそ
投げたほどだった。おつまはその心にほだされて、あり
うと
たちばなや
は
ひそ話の結果であった。
とある事を仕尽したが、結局はお鯉が嫁入りするように
のち
ちょうぎ
むかし
去るものは 疎 し︱
︱︱別離は涙か、嘲
罵 か、お鯉は昔
日 なった。もうそのころ羽左衛門は 昔日 の若造でもなけれ
あざけり
よりも再勤の 後 の方が名が高くなった。 羽左衛門 のお鯉
ば、負債があるとはいえ、ひっぱり 凧 の青年俳優であっ
かつら
さん、桂 さんのお鯉さんとよばれる一代の寵
妓 となった。
た。またその次の細君の時代は、羽左衛門の一生に、一
のば
先夫が人気の頂上にあった羽左衛門であることも、後の
番 覇 を伸 しかけた上り口からで、好運な彼女は、前の人
は
旦那が総理大臣陸軍大将であることも、渦巻の模様の中
8
でしたからね。誰れか下の者が 訪 ねてゆくでしょう﹁お
ませんでしたあね。なんしろ手当り次第にやっちまうの
いくらいでしたからね、あれじゃとても羽左衛門は立ち
﹁お鯉さんときたら、あんまり慾がなくって、だらしな
たちの苦心の結果を 一攫 してしまったのであった。
﹁これを着ておいでっていうと、紋付だろうがなんだろ
ら、輪をかけた 呑気 な女だったと見えますね﹂
吃驚 なんだか
いるんだそうですよ。あの ず ぼ らやさんが ﹁いいえ、旦那の知らない借金が、いつの間にか増えて
﹁そりゃあまあ、本当だか嘘だか知らないがね﹂
といって、サワリを一生懸命に直していた。
いっかく
前に何かやりたいねえ﹂というと、何処からか到来物ら
うが、其処にあるのを手あたりまかせだったというから
もう
こだいさらさ
あざぶ
びっくり
しい、新しいラッコの帽子を、そらきた、とやるのです
ね﹂
かんぜより
のんき
からね。一事が万事で大変でさあね﹂
﹁お気に入ると 儲 かったのだがね﹂
みぶる
こはるびより
たず
猫
背 な三味線の師匠は、小
春日和 の日を背中にうけた、
しゃがれた声はカラカラと高く笑った。
ねこぜ
ほっこりした気分で、耳の穴を、観
世縒 でいじりながら、
﹁しかし、たいしたものだって言いますよ。 麻布 のお宅
すん
だから剛勢じゃありませんか、何しろ女に生れなけりゃ
ひと
猫のようにブルブルと軽く 身顫 いをした。人気俳優の家
というのはね、あの 女 の居間の天井は、 古代更紗 で張っ
な顔をしていた。
駄目ですね﹂
ききて
庭を知っていることに 聴手 が興味をもつであろうと思っ
てあるのですとさ、それが一 寸 何円てしようっていうの
すると、太
棹 の張代えを持って来て見せていた、箱屋
﹁だが、やっぱり二人 老母 が附いてるのだろう﹂
いねむ
とも、男衆とも、三味線屋ともつかない 唐桟仕立 の、声
﹁そいつが厄介ですね、別にすぐそばに一軒、家が建っ
ふとざお
のしゃがれた五十あまりの男がその相手になって、
ていますがね﹂
ばあさん
﹁なにしろかまわずお金も借りたというじゃありません
わたしはぼんやりと、そんなことも聞いていた。
とうざんじたて
か﹂
のどか
て、そのくせ自分はキョトンとして居
睡 りの出そうな 長閑 、
、
、
9
やがて日露戦争は終局に近づいたが、それに従って国
かる。 木枯 も用捨なく吹きつける。さしもに豪華をうた
さまである。冷たい霜も降る、しぐれもわびしく降りか
まぬがれなかった。 被 うものがなければ日の目はあから
おお
内の景況は不穏になって来た。いわれなき講和、償われぬ
われた岩下氏もある事件に 蹉跌 して囹
圄 につながれる運
こがらし
要求であると、内閣不信任は 喧 しい喧
噪 となった。寵
妾 命となった。名物お鯉も世の 憂 きをしみじみとさとらな
や
う
れいご
お鯉の家に大臣は隠れているといって、麻布の妾宅焼打
ければならなくなった。
ひ
かんがえ
さてつ
ちを、宣伝するものがあった。 日比谷 には 騒擾 が起り、電
五万円の遺産分配︱︱︱それは名のみ、お鯉のために分
し
すきま
ちょうしょう
車焼打ちがあって、市内目抜きの場所の交番、警察署、御
けられたというよりは、公爵の遺児で、表面夫人の手に
けんそう
用新聞社の打 壊 しなどがはじまり、忠良なために義憤し
は引きとられぬ き わに出来た、泰三、正子、の六歳と九歳
かまびす
や す き 民 衆 は 狂 暴 に さ れ、 全 市 に 戒 厳 令 が 布 かれて三々
になる子たちを、引取って育てていたからのことであっ
たむろ
そうじょう
五々、銃をもち剣を抜いた兵士が街路に 屯 し、市中を巡
た。お鯉はそのために切髪とならなければならず、思い
び
羅するようになった。 無辜 の民の幾人かは死し、傷つけ
もかけぬ子に母とよばれなければならぬことになった。
こわ
られ、監獄につながれたりした。その騒動に、お鯉は何
そうした 考慮 が、お鯉自身から生れようか、生れるはず
む こ
処にかくれていたか、もとより彼女の家は附近に 隙間 な
がないのである。
かか
く護衛が配置されてあった。
柳橋に、一
藤井 という、芸妓を多勢抱 えている家があっ
どうしたことか桂公のおとしだねだということが知れた。
いちふじい
その頃のお鯉は出世の絶頂で、勢いは隆々としていた。
た。そこの、あんまり名も知れない抱え芸妓のひとりが、
繁 に伺候していた一人である。
頻
そんな始末もお鯉がするようになった。妹ともよんでよ
きけもの
秋風一度吹いて、天下の桂の一葉は散った。その大樹
い年頃の女に母と呼ばれて、お鯉はどんな気がしたであ
ちょうらく
のかげによって生ていたものは多かった。そして 凋落 を
ひんぱん
多くの政客も無論出入していた。大阪の 利者 岩下は最も
、
、
10
その折り、麻布の家に一人の青年がいて、その人が一
いつかど
ろう。その女をともかく 一角 の令嬢仕立にするまでお鯉
人お鯉のことに誠実を尽してやっているといった。また
てもと
の 手許 においた、そして嫁入りをさせて安心したといっ
たやす
しばらくたってから来ると、こんどはその青年が、下に
もろもろ
た。しかしやがて五万円は諸
々 の人の手によって 手易 く
もおかずもてなされているらしいことを語った。
たて
もそれまでにはまた一苦労ですね﹂
たべ
失われてしまった。
﹁食事でもなんでもお 上通 りで、お鯉さんとひとつに 食 かみどお
﹁お妾のする仕方じゃない﹂
るのですよ。あの方が身を 立 てあげればだが、お鯉さん
と、隠居たちが派手なしきたりや、お鯉自身もどんなに
いき
それらを考えるときに、その言葉が 生 てくる。
そのころのお鯉の生活の 逼迫 が、 お〆さんの口から、
困っても 昔時 の通りだということを、どうしようもない
ひっぱく
ちらりと洩らされたことがある。
ように 呟 くように話した。
つぶや
むかし
﹁金にあかしてこしらえたものも、こうやって二束三文
も と
に手離しておしまいなさるんですよ。お気の毒さまです
お〆さんは、お鯉の真実の親は、ほんとは誰だか分ら
こわもて
こ
きよもと
ね、お邸こそ 以前 のままですけれど、おはなしになりま
ないのだとも言った。 清元 倉太夫の子だというがそれは
わら
やよい
せんやね。いまじゃ米屋が 強面 で催促していることもあ
いっ 貰 児 で、 浜町花屋敷の 弥生 の女中をしていた女が、
もら
りますものね﹂
の上から貰った子を連れて嫁入ったのだとも言った。
藁 いれば
お〆さんにも多少の感慨はあるか、金の 義歯 のチラリ
﹁お鯉さんは清元が上手ですよ、養父さんがしこんだん
すいくち
ですからね。十三くらいに、弥生さんの手伝いをしてい
みけん
と光る歯で、四分一の細い 吸口 をくわえたまま、 眉間 に
たて皺 を二本よせて、伏目になっていた。
て、それから花柳界へ出たのです。豪勢な出世もしたか
しわ
﹁お 髪 のものもなにも、あれじゃもう入りません。けれ
わりに、これからが寂しいでしょうね、肩の荷のなくなっ
ぐし
どおかわいそうです。あの気性じゃたいへんです﹂
11
ふけ
から
家を選もう訳がない。そこにはどうしても物質から来た
いや
た時分にゃ、もう老 込んでしまいますからね﹂
しい目的が絡 賤 まなければならない。
すぎこ
なまむぎ
いきづく
彼女は大森にいると伝えられた。 生麦 にかくれている
なます
名物お鯉の 後日譚 は、膾 になっても生
作 りのピチピチ
とつたえられた。鎌倉に忍んでいると伝えられた。
ごにちがたり
とした 生 の好いものでなければならないと、わたしはひ
多恨なる美女よ、涙なしに自身の 過去 しかたをかえり
き、また見た記憶のまぼろしばかりを記しすぎた。近づ
いき
そかに願っていた。すると、かなしいことにお鯉は永平
み、語られるであろうか。わたしはあまりに遠くから聴
おやおやと落胆してしまった。
いてあきらかに今日の彼女を知らなければ心ない噂と、
なまぐ
願うのではないが、有為の青年と、真に 目覚 た、いま
遠目の彼女で全体をつくってしまう恐れがある。折よく
だいこく
までの生涯に、夢にも知らなかった誠実を 糧 にして、遺
も彼女は 彗星 のようにわたしたちの目の前に現われた。
うわさ
寺の坊さんの、 大黒 になったという 腥 さい 噂 を聞いた。
産は子供と母親たちに残して、共に 掌 に豆をこしらえる
銀座のカフェー、ナショナルは彼女が 新 に開いた店だと
かて
めざめ
ふうになってしまったときいたならば、わたしはどんな
いうことである。わたしは其処へいって、親しく、近し
すいせい
に悦んだであろう、それこそお鯉さん万歳をとなえたか
く、彼女の口から物語られる彼女を知ろうと思う。
しとね
て
も知れない。しかし、いかに、暖かい 褥 にじっとしてい
と
あらた
たいからとて、母親の御意のままになるがよいとて、人
三
ひ
もあろうに出家の外妾とは、どうした心の腐りであろう
いや
と、好きな女であるだけに 厭 さが他
人 ごとではないよう
大正九年も終る暮の 巷 を、夕ぐれ時に銀座の、 盛 な人
さかん
な気がした。とはいえ坊さんにだからとて恋がないとは
渦の中を、泳ぐというより漂ってわたしはいった。
ちまた
いえないと弁護をして見ても、お鯉がその青年を 捨 てま
クリスマス前の銀座は、デコレーションの競いで、こ
すて
で、または捨られたとしても、それにかえるに老年の出
12
今年の花時、花が散るとすぐあとへ押寄せてきた、世
しみじみと思わせられながらわたしはゆく︱︱︱
みうねっている。 これが大都会の潮流なのだろうと、
響 ものは立入るべからずとでもいうほど、すさまじい波が
とに 灯 ともし時の眩 ぐるしさは、流行の 尖端 を心がけぬ
つくと、とって帰したいようになった。
なくってはならない 四辺 と、あんまり不似合なのに気が
んで、 束髪 がくずれてくる 煩 さが、しゃっきりして歩か
しはしどろもどろである。 乾 いて来た洗髪にピンがゆる
た洋服の、すこしも 透 のない若紳士の群れが来る。わた
しを通して行きすぎた。すぐまたその後へ、キチンとし
せんたん
界大戦後の大不況のドン底の年末だとは、 銀座へ来て、
三丁目で、こんな店も銀座通りにあるかと思うような、
めま
誰れが思おう、時計に、毛皮に、宝石に、ショールに、素
ちょっとした小店で、眉
毛 を剃 ったおかみさんが、露
地口 ひ
晴らしい高価を示している。そしてその混雑の中を行く
の戸の腰に 雑巾 をかけていた。 聞きよかろうと思って、
まゆげ
あたり
すき
人は、手に手に買物を 提 げている。高等化粧料を売る資
カフェーナショナルは何処ですかと問うと、
そ
うるさ
かわ
生堂には人があふれている。それも婦人ばかりではない、
﹁知りませんねえ、そんな家は。カフェーっていう洋食
どよ
男が多かった。関口洋品店は流行のショールがかけつら
やならありますけれど﹂
そくはつ
ねられて、明るさはパリーなどを思わせるようで、その
わたしはまた、銀座通りの店にこうした 女房 さんもあ
おわりちょう
ろじぐち
店も人でざわざわしていた。 美濃常 では、帽子や、手袋
るのかと、お礼を言って離れた。
すぐそば
ぞうきん
や、シャツや、どれが店員なのか客なのか、見分けられ
尾張町 の交番でたずねると、交番の巡査は知らないと
さ
ないほどに黒く白かった。わたしはその中をぼんやりと
言った。すると 直傍 に、青に白の線のある腕章をつけた
いずもちょう
おかみ
歩いた。
交通巡査がいて、
みのつね
華やかな笑い声がきこえる。はっと我にかえると 羞明 ﹁あるある、 出雲町 の交番の裏だ﹂
みいだ
ぶ
しい輝きの中にたっている自分を 見出 した。そして前に
と深切におしえてくれた。わたしはこのごろ、こうした事
ま
は美しいショールの女の五、六人が、中を割って、わた
13
すると若い、 いかにも事務に 不馴 れのような巡査は、
いましょうか?﹂
﹁この交番の裏ときいて参りましたが、この横町に御座
寧におじぎをしていた。
間もなく出雲町の角の交番の前へたったわたしは、丁
のを不安に思った。
た。ただ、裏という言葉をハッキリ聞いておかなかった
も気まりが悪かったり、嫌な思いをすることがなくなっ
を巡査や交番で聞くことが、大層自然になって、すこし
の上は、この人たちの列で、気の弱いものは圧倒され、た
い方へと、黒い服のかたまりが押して来た。せまい歩道
築地 の海軍工場がひけたのであろう。暗い方から明る
を運ぶのであった。
﹁違っているぞ﹂と承知しながら、その方へむかって歩み
資生堂の暖かそうな 飲料 は、 理窟 なしに捨ててしまって
しは、 裏というのは後を意味しているであろうことや、
が、そうらしいからと教えてくれた。それを聞くとわた
親切に、一生懸命考えてくれて、すこし 曖昧 ではある
しかそんな家があった気がする﹂
あいまい
全く当惑したように固くなって、わざわざ帳面など繰り
じろいで、立って待っていなければならなかった。若い娘
こわだか
とびら
りくつ
ひろげて見たりしてくれた。わたしは光りの流れてくる
たちは、下駄の歯をならして、おなじように厚いショー
のみもの
資生堂︵食堂︶の明るい店内を見ていた。白い着物が寸
ルを前に垂らして、 声高 に話合ってゆく。まるで疲れを
つきじ
分の絶間なく動く、白い皿が光る、ホークとスプーンと
知らないようであるが、あの明るい町を突っ切って、暗
ふ な
がきらめく、熱い飲料の湯気が暖かそうにたつ、豊かそ
い道にひとりひとり散らばってからは、どんな心持ちで
ど
うに人が出たりはいったりする。わたしもあそこへ腰を
の
あろう。現在のわたしがそうした状態なのだが︱︱︱
いや
かけて、疲れを 癒 して、 咽喉 もうるおして、髪でもかき
たず
三十間堀に巡査の教えた家があろうはずはなかった。わ
じき
あげて 訪 ねるところへゆくとしよう。それにあすこで聞
たしはぐるりと廻って新橋のたもとへ出た。そこの角にあ
ウェートレス
けば直 に分るであろうと、そうしようとすると、
るカフェーの横の 扉 に、半身を見せて 佇 んでいる 給仕女 たたず
﹁向うの横へ曲って、そして右へいってごらんなさい。た
14
くまで帰ってゆくのに、先刻おしえてくれた巡査の目に
をいって、笑いながら別れて、ぐるりと廻って交番の近
人で、好意をもってくれたことを感じた。娘さんにお礼
しくなった。若い娘さんに若い巡査さん、どっちも良い
ながら言って指差して知らせてくれた。わたしも 微笑 ま
手前で、交番のじき後になっていることを、すこし笑い
軽くて優しかった。こちらからゆけば資生堂の一、二軒
があったので、ためらわずに近寄ってきくと、その娘は気
分
前髪 の、面
立 ちのりりしい、白
粉 のすこしもない、年
変な来訪者だと 怪訝 に思ったに無理はない。
た。当の主人公は知っていても、此処の周囲の人たちは、
出た。わたしはぼんやりしながら、三度目の繰返しをし
羽織に 袴 をつけた、中学位な書生さんが改めて取次ぎに
他の者が出て来た。また繰返していうと、こんどは 絣 の
下足 にお客でないことを断って来意を通じてもらうと
持って扉の中へはいった。
りな心に妙な根をはっているので、不思議なはにかみを
わけまえがみ
はかま
げそく
とまりたくないと思った。折角の好意が無になって、妙
齢よりはふけたつくりの、黒く見えるものばかりを着た、
わ
おもだ
あいさつ
かすり
なものになるであろうと思い思い行った。
しっとりとした、 そのくせ 強 かりとしたところのある、
ほほえ
一目に教育のあることの知れる婦人が出て、あいにく逢
けげん
冬
靄 が紫にうるんだような色の絹のカーテンが、一枚
えないことを 詫 び、明日の時間のことについて、二言三
ガラス
おしろい
ガラスの広い窓に垂れかけられて、しっとりと光ってい
言丁寧な 挨拶 がかわされた。わたしはその方との打合せ
しっ
るところに金文字でカフェーナショナルと表わしてあっ
でほっとした。カーテンのうしろの卓には、お客もあっ
ふゆもや
た。外飾りなど見るひまもなく、 周章 て、扉の口へとび
たであろう、二階の階段の下には、一かたまりになって
あわて
こんだ。カフェーへだとて、 飲料 がほしければはいりそ
美麗な女たちもいた。いつまでも 硝子 戸を後にして立っ
のみもの
うなものであるが、若い人の、歓楽境のようにされてる
ているわたしの背は、歩道からまる見えであると思うと、
おんな
そうしたところへは、 女人 はまず近よらない方がいいと
厚かましい気がしてならなかった。
がんこ
いう、変な頑
固 なものが、いつかわたしのめんどくさが
15
われた。わたしは﹃都新聞﹄を読んでいなかったので困っ
た。あとで人にはなすと、
﹃ 都 新聞﹄を読まないのかと言
い、子たちの家庭教師であろうと、勝手にそう思ってい
応待した婦人を、店の商業の方には、すこしも関係のな
人の近事をあまりしらなすぎる。わたしはナショナルで
かなければならないのは、お鯉を書こうとするに、その
さてわたしは此処で、明日にうつるまえに一筆してお
は、幕開き前とでもいうように 混沌 としている。睡眠気
店の中は︱︱︱白い布を、扉の半開きだけあげた店の中
く戸口を 開 けてはいり案内を乞 うた。
片っぽだけ白い布があげてあった。朝のことゆえ遠慮な
まだ店の窓にはすっかり白い幕が下げてあって、 扉 の
急がせた。
いた。わたしは人力車を約束の十一時までに着くように
さほど寒くない雨であった。気温は冬としてはゆるんで
どに汚なくよごれて凍っているのを、洗いながすように、
しっ
わくば
とびら
たが、お鯉さんの妹で、大変強 かりもののおかみさんが、
分三、夜明け気分七︱︱︱昼間がちらと、 差覗 いていると
こ
帳場を一切処理しているというから、その婦人でしょう
いった光景であった。わたしは思いがけぬ﹁カフェーの
あ
と、その人は言った。勿論それはあとで書くことと前後
朝の 間 ﹂というところを見て、劇場の舞台の準備を眺め
みやこ
して、わたしも妹 御 だと知ったあとゆえ驚きはしなかっ
ているような気持ちで 佇 んでいた。
こんとん
たが、わたしはこれから、この 奇 しき姉妹と卓をかこん
昨夜は気がつかなかったが、大方外に立てかけられて
てだい
さしのぞ
で、打解けた物語をしたあらましを書いて見よう。
あったのであろう。クリスマスデナー開催の立札の、框
張 ま
りの大きなのが 立 かけてある。食券三円云々としるして
ご
四
あった。 階段の上り口には赤い紙に白く、﹁世直し忘年
しま
たたず
会、有楽座において﹂とした広告ビラが張ってあった。
く
その日は前の日と違って、雨がかなり激しく降ってい
鳥打ち帽に 縞 の着物の、商人の 手代 らしい人も人待ち
たて
た。ずっと前に降った雪が解け残って、裏町の日かげな
16
かくしになって、四鉢ばかりの 檜葉 や 槙 の鉢植えが、あん
の骨の、 帳 と対
立 とを折衷したものが、外の出入りの目
何
処 の珈
琲店 にもある焦
茶 の薄絹を張った、細い 煤竹 出ていった。わたしは取次ぎをまって佇んでいた。
着た男が出て来て、赤い緒の 草履 を高
下駄 に穿 き直して
顔に立っていた。奥の方から用談のはてたらしい羽織を
ケンチャンがその時なかなか面白いことを言ったに違
との二千円は⋮⋮とかする﹂
﹁⋮⋮あたしね、一万円あれば八千円で帯を買って、あ
ちゃあ一ぱい⋮⋮﹂
﹁随分飲んだわ、なんとかいっちゃ一ぱい、かんとかいっ
酒場の娘の一人はこんなことをいっていた。
ンチャンと呼んでいた。
とばり
ついたて
ひ
な
ば
まき
だ て
は
まり勢いよくはなく並べられている。その後には 白蝋石 いなかった。みんな元気に 機嫌 よく笑ったが、聞きつけ
ほうたい
たかげた
の小卓が幾個か配置されてある。その卓のとっつきの一
ないものには、何をいっているのか、あんまりな上
声 で、
しっぷ
ぞうり
つで、小柄な娘がナフキンを 馴 れた手附きでせっせと畳
まるでわからなかった。すると、ナフキンをたたんでい
くび
ちりと
よふか
しろいし
すすだけ
んでいる。頸 に湿
布 の 繃帯 をして、着流しの 伊達 まきの
た娘が、
ひ
こげちゃ
上へ、緋 の紋ちりめんの大きな帯上げだけをしょってい
﹁ライオンは多田さんという人がいるのよ、そりゃ面白
フェー
る女は、 掃き寄せを 塵取 りにとったりして働いていた。
いってっちゃないの、
︵よくって多田さん、それじゃこれ
カ
やがて、お酒と、煙草と、 夜更 しと、おしゃべりとで、声
代 よ、無
無
代 よ︶ってみんなが言うのよ﹂
ど こ
がつぶれてしまったのであろうと思われる、不思議な調
それが、言う人には非常に興味ありげであった。その
ちょっき
きげん
子の若い男が、 短衣 で出て来て、キャラキャラした声で
とき黒い服を、ちゃんと身につけた給仕長らしい男が迎
うわごえ
来意をたずねた。
えに出た。そしてわたしは二階に導かれた。
た だ
短衣の小男は人気者と見えて、すこしの間にみんなか
た だ
ら話しかけられていた。階段の下の、酒場の掃除をして
表二階の食堂を通りぬけると、間の 室 は二階の給仕娘
へや
いる二、三人の娘たちは、その男の名をケンチャン、ケ
17
る間が、おしい気がするのだった。 室 の隅には二枚折り
校でさぞ待っているであろうと思えば、心 閑 かにしてい
んで 鶴見 へ一緒にゆく事になっているちいさい 甥 が、学
もある、心地よい長椅子もある。しかし土曜の午後を楽し
手はこびの 暖炉 がはこばれた、 温 いお茶もある、新聞
た別室へ通された。
くろいをしていた。わたしは 其処 も通りぬけて、奥まっ
裏階段のあるところで、四、五人が着物を着たり身づ
の控室であるらしかった。
ほどへて開いて見たおりに、色も 褪 ずにそのままあった
美しいお鯉︱︱︱わたしは手箱に秘めてあったものが、
五
たときに戸はノックされた。
もう朝じゃあない、 此店 では商業をはじめたな、と思っ
お皿やホークの音が、時々ガチャガチャと聞えた。
下男といった調子に聞えた。やがて何処からともなく、
﹁自動車になさいますか、おくるまになさいますか?﹂
きんびょう
へや
あったか
そ こ
の金
屏 に墨絵、その前には卓に鉢植の木
瓜 が一、二輪淡
ように、安心と、悦びと、満足の軽い吐息が出るのを知っ
つぼみ
こ こ
紅の 蕾 をやぶっていた。純白な布の上におかれた、小花
た。
しょうじょうひ
ざわ
すとうぶ
瓶の、猖
々緋 の真紅の色を、見るともなく見詰めていた。
お鯉さんは朝のままで、 髪も結いたてではなかった。
おい
控間では一時 騒 めいていたが、
別段おめかしもしていなかった。無地の、 藍紫 を加味し
つるみ
﹁貴女もお湯にいらっしやる﹂
たちりめんの半襟に、縞のふだん着らしいお召と、小紋
ちょうだい
のど
﹁ええ﹂
に染めたような、去年から今年の春へかけて 流行 ったお
こ
あせ
﹁じゃ御一緒に行きますから待ってて 頂戴 な﹂
召の羽織で、いったいに黒ずんだ地味なつくりであった。
ぼ け
静かになった。すると、 此家 でか、または裏の家でか、
かわらないのは眉から額、富士額の 生際 へかけて、あ
はえぎわ
は や
あいむらさき
下の方の裏で物音がした。
の人の持つ麗々しい気品のある、そして横顔の可愛らし
こ
﹁お風呂がもう沸きますが⋮⋮﹂
18
か
い
しゅうご
の
︱︱︱春
前 に雨あつて花の開くる事早し。 秋後 に雲 無 しゅんぜん
たのをよろこんだ。
うして落葉遅し。山外に山あつて山尽きず。路中に
それに、わたしの目をひいたのは第一に束髪であった。
道多うして道極まりなし﹁山青く山白くして雲来去
さ、わたしは訪ねて来て、近々と見ることの 甲斐 のあっ
かつてわたしが、束髪のお鯉を見たときは安藤てる子さ
す。﹂人楽しみ人 愁 ふ。これ皆世上の有様なり⋮⋮
うれ
んとして紹介されたので、桂公爵に仕え麻布に住んでい
たおりのことであった。
ひるがえる袖、ひらめく扇。時と人のよくあって、 古 いにし
思出はさまざまに、あとからあとからと浮みあがって
えを今に見る思いがした。
そらぞら
ぶべつ
くる、その折お鯉は何事も思うままで、世の憂きことな
噂 というものは、いかにあろうとも、軽率な侮
蔑 を、同
うわさ
どは知ろうようもないと思われた時代である。花の三月、
こんぱる
おもいもの
ちくはくえん
性の人にむかって投附けるほど、向う見ずな勇気をもた
ブ
日本橋 倶楽部 で催された 竹柏園 の大会の余興に、時の総
ないわたしは、ともすれば、その人の心の真を知らない
ラ
理大臣侯爵桂大将の、 寵娘 の、 仕舞 を見る事が出来るの
ものが、反感をもって眺めるであろうと思う束髪を見て、
ク
を、人々は興ありとした。金
春 流の名人、桜
間左陣 翁が、
かえって気が楽になったように思った。なぜならば、切
しまい
見込みのある弟子として骨を折っておしえているという
髪というものは、昔は知らず今の時代では、空
々 しく思
や
われないでもないと、日頃思っていたからで、形におい
ゆ
というのであった。
て、夫にさきだたれた独身者であるということを、証明
しゅんじつ
さくらまさじん
この麗人が、 春日 の下に、師翁の後見で﹁ 熊野 ﹂を舞う
﹁熊野﹂とは、
﹁熊野﹂とは︱︱︱その意味の深いことよ。
する必要のないものは、かえって人目に立って、異様な
い ろ
うつくしき人は、白き襟に、松と桜と、濃淡 色彩 よき
いをこらす結果とあまり違わないことになるからだっ
粧 おも
よそお
裾模様の、黒の着附けであった。輝くばかりの 面 に、う
た。ことにとやかくと、人が噂にのぼせたがるものがそう
かす
らうらと 霞 めるさまの眉つき︱︱︱人々は魅しさられた。
19
いくらでも忍耐が出来ますから、面白い方をよろこびま
で書かれてはたまりませんし、読む人は、他人の苦痛は
ものはみんな忘れる事にしました。 聞噛 ったことを興味
お名前の出たところはたいてい読みましたが、そういう
お思いになったことをきかせて下さい。 新聞や雑誌に、
﹁貴女が今までに、あんまり間違ったことを言われると
わたしはこう言った。
ていた。
した姿かたちをするのは、 猶更 注意をひきやすいと思っ
いくら面会をもとめても家人が許さなかったというよう
たのは、 あの頃︱︱︱桂侯爵の逝去ののち、 愛妾お鯉に、
わたしが無作法にも、訪問記者のようなことを言出し
りのままのことをお話して頂きたいのです﹂
のことが︱︱︱さぞ、世評は誤解だらけでしょうから、あ
みんな後にしてしまって、桂さんに 御死別 になったあと
﹁あたしは貴女にいろいろ聞きたいことがあるのですが、
方も、ぴんとした。
くなって、お鯉は生ている、生作りの 膾 だと、急に聞く
がさした。それを見ると、わたしは気持ちがすがすがし
なおさら
すものね﹂
な新聞記事を見ていたからであった。気の弱いわたしは
おわかれ
なます
彼女は答えた。
そこまで立入った 問 は心がゆるさなかったので、その真
ききかじ
﹁本当に︱︱
︱ 最初 はくやしいと思っても、 段々 馴 れて、
偽は聞きもらしたが、思いがけない面白い︱︱︱面白いと
とい
それに反抗心も出て、勝手になんでも言うが 好 い、いく
いってはすまない、その人にとれば、いままで、善を悪
な
らでも書くが好いという気になって、意地悪になってし
として伝えられ、白を黒と発表されていた事柄なのだっ
はじめ
まって⋮⋮﹂
た。お鯉という女の真意は、かくのごとく清く滞らない
い
ものであるということを語るには、ありのままを記 そう。
しる
六
この 女 も意気の女だった。何もかも振りおとして、重
ひと
のみもの
荷をはらってしまおうと思うと、慾も徳も考えない気短
ほお
彼女の 頬 は、暖炉や飲
料 のためではなくカッと血の気
20
ひ と
人 がとやこういって、肝心のわたしが頭をさげて利息
他
てんたん
な、 煩 さがりやの、金銭に恬
淡 な感情家なのだった。わ
をすこしばかり 貰 いにゆくという、おかしな事がありま
うる
たしは、自分にも、共通の弱点のあることを考えてほほ
しょうか?﹂
もら
えんだ。痛快にも思った。
そんなばかなことをと、誰しもがその時答えるであろ
ささい
人はあるいはいうかも知れない。 些細 な感情などに動
う。ましてわたしには、数字は違っているが、そんな運
くい
かされて、利害を忘れ、長き後 の 悔 を残すと︱︱︱けれど、
命にあって、二人の男の子を抱いて、物価騰貴のおりか
のち
もしそういう人があったならば、わたしは誇らしく 面 を
ら苦しんでいる妹を持っているので、 他人 ごとならず感
おもて
あげていうであろう。 冷徹な理性の人にも失敗はある。
じられた。此処にもそうした女性があるのか、女という
と
感情に激しやすくっても失敗はある。いずれが 是 、いず
ものはどうしてこうまで 虐 げられ、自己の権利を蹂
躙 さ
ひ
れが 非 と誰れが定められよう。感情の複雑な人ほど、美
れるものかと怒りがこみあげてくるのであった。
ぜ
人は人間的の美をますと︱︱︱
そのおり令妹のしげ子さんがはじめて口をはさんだ。
じゅうりん
彼女は白い手に銀の小刀をとった。赤い 柿 の皮が細く
﹁わたしは姉ともう五年一所に暮しています。はじめは、
あお
しいた
綺麗につながってゆく。エメラルドは指に 碧 く、思出は
姉が寂しい気持ちのドン底にいた時に、わたしというも
たのでしたが、来て見ると、聞くと見るとは大違いなの
ひ
彼女の頭の中をくるくると赤く、まざまざと巻返えされ
のを思出して呼びよせたのです。わたしと姉とは、まる
かき
ていると見える。彼女の眼の色は早春の朝のように澄ん
で育ちも境遇も違うので、行ってもどんなものかと思っ
た。
で離れる事が出来なくなりました。あの時は、全く姉は
ひとみ
﹁わたしに残して下さった遺産は七万円からあったので
孤立で、 真に心淋しかったのだろうとよく思出します。
よい
で冷たく、初夏の 宵 の、明星のように 瞳 は熱っぽく輝い
す。それから三人の子供をわたしの子にしていたのです。
世の中の噂のようなことが本当ならば、わたしは 志望 し
こころざ
そうして残されたものが、わたしのものではないように、
21
の差図をうけろのどうのとは仰しゃらなかったし、もと
なげすて
た道を 投捨 てまで、五年間もこうして姉さんをたすけて
もと遺産といっても、あの方がおなくなりになってから、
か葡
萄酒 でなくっては、西洋のお酒の名さえ分らないの
でもいてくれなくっちゃ、︱︱︱この家業だって、ビール
﹁全くこの妹には気の毒だったのですけれど︱︱︱この妹
ていた人には、あまりな 商業 ちがいである。
ない。秋田で育って県の女学校にはいり、女医を志望し
と、しんみりと言った。全く彼女にはそう思えたに違い
の帳附けや監督になんぞなりはしません﹂
この手紙を 子息 のところへもってゆけ、そうすれば、何
層信用していらっしゃったので、 俺 が死んだらば、直に
﹁広太郎という御子息がありましたの、その方の事は大
い方に急いだ。
わたしはもうへだてもわすれて、率直に自分の聞きた
﹁では、もともと貴女のものとしてあったのですか?﹂
なかったのですもの﹂
御本邸の方の財産をへらして分けて頂くのでもなんでも
しょうばい
いやあしません。姉さんの犠牲になって、こうした 商業 ではねえ﹂
にも言わなくっても、すっかり分るようになっていると
おもぶ
しょうばい
お鯉は眼をふせて 面伏 せそうに笑ったが、
仰しゃって、 表書 きにその方の名前を書いた 文 が出来て
おもてが
おれ
﹁わたしにしてもよくよくだったのです。姉さんが気の
いましたのですけれど、その 方 のほうが先へおなくなり
ぶ ど う しゅ
毒でとても離れられなかったので、一緒にいろいろ心配
になってしまったので、それで面倒くさくなったのです。
むすこ
もしましたが、その頃のことはわたしも知りませんでし
すった、もんだで、一年半というものは実に 嫌 な月日を
いや
ふみ
たけれど、あとで聞いて見ると、姉は、自分の事は自分
おくりました。その間の苦しみって、困ったの困らない
かた
でする、他人の 差図 やお世話にはなりたくないと思って
のって、お話にゃなりません。何しろその金へは手が附
さしず
いたらしかったのですね﹂
けられないのですものね。三人の子供と、二人の 老母 と、
うなず
は
という令妹の言葉に 頷 いて、
十人の召使いとがいて、以前の家に住んでいたのですも
は
﹁ええ、そうなの。そうではないの、あの方だって、誰
22
ならば実印を押せというじゃありませんか。その個条書
す。それには大変な個条書きが附いていて、それで承知
﹁利息だけで暮らせ、それを毎月貰いに来いというので
﹁では、その財産をどうしようと先
方 ではいったのです?﹂
たのです﹂
ることが出来なくなって、苦しい意地も張るようになっ
いものいじめをなさるから、わたしはどうしても屈服す
ますわ、困らしたらば 彼女 頭をさげてくるだろうと、弱
らですの。だって強情にもなりますわ、意地も悪くなり
﹁それもね、わたしが 強情 で、井上さんと 喧嘩 をしたか
みんな彼女のふしだらからだなぞと噂されたのは︱︱︱
えられ、あるものをみな手離しているといわれ、それは
おお、その時であろう、お鯉さんが貧乏していると伝
の﹂
なのは分っているじゃありませんか。何だって余計なこ
﹁やろうというのは、その者に充分につかわせたいから
た方は、頼みもなんにもしないことなのに﹂
﹁本当に頼まれもしないことをです。残していって下さっ
と見えますね、たのまれもしないことを﹂
人ていうのが誰なのです。随分世の中には暇な人が多い
ていなければ用もなかったのでしょうか、一体まあ立会
﹁井上伯とか侯とかは、そんなばかばかしいことでもし
と、しげ子さんもいった。私も、
かになっていましたって﹂
に渡してよこした時は、七万からのものが五万いくら
後 ﹁随分ばかげた事ではありませんか、そんな騒ぎをして、
の判はおしてあるのですの﹂
押しゃあしないけれど、立会人になった、立派なお歴々
巻物にしておこうと思っていますわ。しかも、あたしは
あいつ
のち
きったら、ほんとにばかばかしくって、とてもあたしに
とをしたものでしょうね﹂
けんか
は、さようで御座いますか、承知いたしましたとはいえな
﹁本当に貴女の仰しゃる通りよ。そのお金だって、いちど
ごうじょう
いのですもの。今度出しておいてお目にかけましょうね、
きに沢山儲 ける実業家ではなし、大臣は貧乏だったから、
むこう
その個条書きっていうのを、あたしはちゃんと取ってあ
なかなかあれでも心にかけて積んでおいて下さったので
もう
ります。あんまりおかしいから、あたしは立派に張って
23
だけだったのです。ですから当然自分のものだと思って
らといって、その場で下さるものを銀行へ入れておいた
なんぞが手にはいると、お前のものにしておいてやるか
行へ入れておいてやろうといったり、臨時のことで株券
す。よけいなものが出来ると、これはお前の分にして銀
わたくしの自由では御座いませんか、そんなお約束はうっ
旦那はおかくれになったのですから、これからのことは
そんなこととても出来ません。わたくしは若いのですし、
ないから言ってやりましたわ。第一貞操を守る事なんて、
様はッて怒鳴ったのですけれど、あたしゃあ 怖 いことは
癪玉 でしょう、それを破裂させたのです。馬鹿ッ、貴
癇
かんしゃくだま
いたのです。それをいくら問いあわせても返事をしてく
かり出来ません。出来ることならばいたしますが、わた
こわ
れずにほっておいたのちに、井上さんへ呼ばれるといま
くしにはとても出来ないと思いますからいたしません。
日 の心さえ自分でわからないほどですもの、長い一生
明
あした
の話︱︱
︱個条書きの一件なのです。
一 貞操を守る事、
じまま
をかけて、どうしてそんな、とんでもないお約束が出来
みだ
一 子供の教育を 自儘 になさざる事、
るものですかって、いってやったんです﹂
ひど
一 犯 りに外出いたすまじき事、
それは 甚 く雪の降った日のことであったという。座に
いなら
そんなことを読みあげて判をおせって⋮⋮﹂
は早川千吉郎、益田なにがし、その他錚
々 の顔触れが居
並 そうそう
語るものも、聞くものも、顔を見合せて失笑した。
んでいた。その中へ引きいだされた彼女は、慾を 捨 てい
いで
すて
﹁あたし 夫人 じゃない、 妾 ですっていってやったの﹂
たのでそれが何よりもの味方で心強かった。彼女はこじ
めかけ
なんという簡にして要を得た、痛快な答えではないか?
れた金などはもう取りたくなかった。それよりも早く自
おくさん
由な身になって 桎梏 から 逃 れたかった。
のが
七
雷が鳴る︱︱︱はらはらしたのは仲にたつ人々であった。
しっこく
外侯 の額の筋がピカピカとすると、そりゃこそお 世
出 な
せがいこう
﹁そ う す る と 怒った の お こ ら な い のって、 あ の 有 名 な
24
なみい
﹁あなた方は、あの方を怒らしてしまうと後の 恐 いこと
ずいてしまえとすすめる。
頷 けない事であろう。天下に、この俺にむかって 楯 をつく
さはあれ引っ込みのつかなくなったのは、実に思いが
するようになられたものと見える。
めかけ
た。天下の台所の世話やき、お目附けは結構でも、老い
があるからでしょう。あたしはちっとも恐かないから嫌
ものがあろうかと思っている鼻さきを、嫌というほどに
たと
すったとばかりに、 並居 る人たちは恐れ入って平伏する。
ては何とやらの 譬 え、ついには他人の 妾 の台所まで気に
だ﹂
へし折って、そのあげくの口上がこれである。
ごもっと
そして小声で、悪いようには計らわないから、 御尤 もと
ここにおいてお鯉の目には明治の元勲井上老侯もなけ
﹁面倒くそうございますから、なにもかもみんな 御前 に
うな
れば、財界の巨頭たちもないのであった。たかが女一人
差上げます﹂
こわ
を︱︱
︱その財産を、自由を、子供の教育を、何もかもを、
そして目録を書いてある遺書を、さっさとおいてお鯉
たて
女と侮って、寄ってたかって、何のために押えつけようと
は帰ってしまった。
ごぜん
するのであろう。それも旦那の生前に頼まれていたとで
よこあい
もいうのならいざ知らず、 横合 から飛出して来たおせっ
こわおもて
お鯉の家の門前は急に人足が茂くなった。手をかえ品
つぼ
かいである。
をかえ、温顔に 恐面 に、さまざまの人が、さまざまの策
おかみ
こうわ
千金の 壺 だといっても、その真価を知らぬものには三
略をめぐらして訪問するのであった。 慰問使、 媾和 使、
しろもの
文にもあたいしない 代物 としか見えない。さすがの老侯
降伏説得使なのである。鯉の頭は猶
更 下ろうとはしない。
なおさら
も物質尊重のお歴々には、あがめたてまつられている御
そ
その多くのなかに異色ある者が二人あった。男女互に一
よ
本尊であるが、お鯉にとっては、おせっかいな世話やき
人ずつ、共に有名な人物である。
せがい
に過ぎない。世
爺 外 どころか、おせっかいにも、 他家 の台
女は当代の名物女とゆるされた故﹁喜楽﹂の 女将 おき
じじい
所の帳面まで取りよせて、鼻つまみをされる道楽があっ
25
杉山茂丸という人である。
んであった。 男は政界の名物 法螺丸 と 綽名 をよばれた、
禅していたが、女将もその悟道の友であった。ものもの
て、つい先の日 遷化 された日
置黙仙 師について受戒し参
来た。切髪となっていたお鯉は、越前永平寺禅師となっ
あだな
杉山は度々仲にはいって足をはこぶうちにお鯉のいう
しくも、いしくも思いついた姿でやって来た女将は、
ほらまる
ことに耳を傾けるようになった。そしてその方が理窟の
﹁今日は 平日 のあたしじゃあない。この姿を見て下さい。
へきもくせん
あることだと同情してしまった。つまり説得するものが
この袈裟の手前としても、いざこざなしに話をしましょ
せんげ
破 されたのである。この人はお鯉の利益になるように
説
う﹂
ば、 あたしは貴女を、 真に打解けてよい人だと思って、
ふだん
説くようになった。そこで、喜楽の女将が、我こそと手
といった。それに答えたお鯉は、
た。
ほんとうにはなし好いわ。貴女だって、まさか、そうし
せっぱ
ぐすねをひいて出て来たのだ。自分でなければ、ああひ
﹁本当に女将さんよくその姿で来て下さった。それなら
喜楽の女将の 一喝 にあえば、多くの芸妓は縮みあがっ
てまで来てくださって、皆とおんなじようなことはおっ
ときつ
ぞってしまった女を、 説附 ける腕はないと信じて現われ
てしまう勢いがあった。 流行妓 になるのも、よい 姐 さん
しゃるまいから﹂
ひ
ろ
いっかつ
になるのも、 お 披露目 に出た時、 女将の目にとまって、
そういうと女将は変な顔をしてしまった。そして、こ
ねえ
具合よく引っぱり廻され、運の綱を握るようにしむけて
れはしまったというように、
は や りっこ
くれるからである。で、たいていな妓は、喜楽の女将の
﹁そんな事いっちゃ、あたい困っちゃうね。そんなつも
め
言うことに逆らわなかった。けれども、そのおりのお鯉
りじゃなかったのだよ。こうして来たらば、あたしのい
おど
けいがん
は、とてもそうした 威 しでは駄目だと炯
眼 な女将は見て
じゅず
たず
ばけ
うことを何でも聞くかと思ってさ﹂
さ
とった。
げ
と 化 の皮を現わしてしまった。
わ
ある日女将は 輪袈裟 をかけ、手に 数珠 をかけて訪 ねて
26
違いが多いから、お前の子として育って来たものを、ま
い。それから子供のことだって、十二人もある子供で、腹
ませんか? そんなことは約束するものじゃありますま
いって守れなかったらどうするの、かえって恥じゃあり
御覧なさい。貞操を守れったって、はい守りましょうと
どうしてゆこうと苦労しているものの身になって考えて
が一番可哀そうなの、旦那には離れるし、これからさき
くれないからですよ。よく思って見ておくんなさい。誰
先方のいうことばかりを聞いて、こっちになって考えて
とに話好いのだから。 第一あなたも苦労人じゃないか、
にも義理があるけれど、袈裟をかけていて下さるとほん
﹁そりゃあいけないわ女将さん。ふだんの 姿 だとあたし
な涙の味を知りつくしている。だから、どんな芝居を見
﹁あたしはありとある 愁 い経験をもっていて、いろいろ
る。
は或折この女将の 洩 した歎息と、述懐を聞いたことがあ
も女将の胸には梁みたのであろう。なぜならば、わたし
困っちゃったと口にはいっても、言われないとこまで
ね﹂
﹁そう言われればそうだけれど、あたいは困っちゃった
にあげましょうって言うだけなのですわ﹂
たんです。もともとあたしのものなのだから井上の御前
れもお金があるからだと、つくづくほしくなくなっちゃっ
いと思うのに、なんだかんだと 煩 さい事を聞くのも、そ
たじゃありませんか。これからこそ、気楽にして暮した
なり
た 他 の者の手へ渡しては子供が可哀そうだからと、すっ
ても面白い、感動する。なぜならそのどれにも共鳴する
うる
かりあたしの子になさったのを、誰に教育をたのもうと
ものを 噛 みつくしているからだ﹂
まるまげ
もら
いうのでしょう。 犯 りに外出をいたさぬ事というのも、
といったようなことであった。あの根上りの飛上った小
つら
あんまり人を人間でないように思っているじゃありませ
さな 丸髷 が、あの人の一面を代表しているようには見え
ほか
んか、旦那の在世のうちだって、一々本邸へ電話をかけ
たが、あの髷の下にも、真実はかたまって残っていたの
か
て、許しをうけなければ一足も外へ踏みだせなかったの
である。彼女もまた動いてしまった。
みだ
で、つい面倒くさいから芝居ひとつ見ないようになって
27
出京したしげ子とが住んだ。
のへ老母たちが 住 い、広い方へ子供とお鯉と、秋田から
や桃を多く植
廻 した小家との一軒をもっていた。狭い方
井の里の家は、かなり手広なのと、すこしはなれて、梅
そんなこんなで麻布を引払い、大井の方へ移った。大
八
方へ持っていったのです﹂
しまうようになって、そのかわりに、家ごとその子も先
間からもあたしが誤解されたり、大井の広い家も売って
れやこれやの迷惑は一通りじゃなかったので、種
々 と世
何かと家の事へも手を出したがるし口も出すのです。そ
になったところ、 なにしろその子の 義父 だというので、
の母に 連合 があって、生みの母の縁から深く 附合 うよう
﹁男の子は安藤の家督にしてあるのですけれど、その子
暗然と、聞くものの胸にもにじむものがある。
コーヒー
いろいろ
つきあ
﹁姉は子供が好きだったので、みんな慕っていましたが、
﹁五万円のうち一万二千円ずつ三人の子につけて渡した
つれあい
今では三人とも手離してしまって、淋しいのを紛らすた
のですからあまったのは幾らもありはしません。それで
ち
めに六歳になる女の子を 貰 って育てています﹂
桂さんの死後、ざっと十年たらず今日まで過して来たの
しょうばい
しばし
くし
ち
﹁柳橋から来ていた大きいのは縁附きました。も一人の
ですね。もう今は残っていません、何にもなくなったか
うえまわ
女の子は十二の時に、桂二郎さんに引とられこの間それ
ら 商業 をはじめたのですね、ねえ、姉さん﹂
すま
も縁附きました。その子は 幼少 いうちから手
塩 にかけた
﹁母もなくなりますし、残っていた養母も去年なくなり
もら
ので、わたしを何処までも母だと思っているのです。二
ました。木からおちた柿のように、ほんとの一人ぼっち
てしお
郎さんのところへ訪ねていったら、あたしの事を、あち
︱︱︱けれど此
妹 がいてくれたので⋮⋮﹂
ちいさ
らの御夫婦へ大層 気兼 するので、気が痛んで来て、それ
暫
時 、三人は黙した。ケンチャンが白いものを着て、髪
こ れ
から行かないようにしましたの。あれを手離した時のさ
の毛にも 櫛 の歯を見せて、すましかえって熱い 珈琲 をは
きがね
びしさといったら⋮⋮﹂
28
もなくなってしまった時に、今日から自分の生活になる
﹁あたし、みんなに生別れたり死別れたりして、何もか
ます﹂
に、その時にお鯉にかえるのだと思っていたのだと思い
もそういう考えらしかったのです。何にもなくなった時
いたらしかったのです。そうだとは言いませんが、どう
は、何にもしないで、旦那の余光で暮してゆこうとして
﹁姉の考えでは、残しておいて下さったもののあるうち
こんで来た。三人はだまって角砂糖を入れて 掻廻 した。
漆のあわせかたがむずかしいもので、秘伝のようになっ
﹁家の 退転時 が来たのでしょうか、 漆屋というものは、
た。
河屋が親切にその家のあとも引取ってくれたのだといっ
げ子さんのことも︱︱︱。するとその事が本当であって、三
されている、この女の生れを聞
定 めようとした。そしてし
ということを聞いたことがあったので、さまざまに取
沙汰 の生家は、いま 三河屋 という牛肉屋のある向
角 であった
四谷 で生れていまもあの辺に住んでいる女から、お鯉
そこにいられては聞きにくいことをきいた。
かきまわ
のだと、しみじみと思いましたよ。けれど、 待合 や、料理
ていたそうです。わたしを生ませた父が養子に来て死ぬ
よつや
店をはじめると、 分明 した区別がないので、あんな風に
ころまでに、数代つづいた ま す やの店もいけなくなりま
むこうかど
なったと思われますから、はじめるならいっそ、みんな
した。妹の父が来ても家をゆずらなければならなくなっ
みかわや
から見張ってもらっているこんな 商業 の方が好いと思っ
て、わたしは安藤へ養女にやられ、妹は両親と、秋田の
とりざた
て、ここの株式の専務ということになりました﹂
鉱山へいってしまったのです。後に母が病身になったと
ききさだ
﹁貞操を守れの、守らせるの、いや守れないのといったっ
聞いたのでわたしの方へ母を引取りましたのです。秋田
ほろびるとき
て、姉の所行はわたしは見て来ています。こうして立派
には多勢の子供がありますから、あたしにはたった一人
まちあい
に過して来たのですから﹂
の妹を無理に貰って、実家の片岡の方の家をつがせるこ
はっきり
とにしました。おかげさまと、どうやらこの店もやって
しょうばい
しげ子さんは客が来て中座した。そのおりをよき時と、
、
、
、
29
長椅子の方へ来て、くつろいでこんな打明けばなしを
ています﹂
譲って、わたしはわたしの何か仕事をはじめようと思っ
うな相談もあります。一、二年もしてやってゆけば、妹に
ゆけます。株式をやめて、わたくしの店にしてしまうよ
ないという心持ちは察しることが出来る。子供ほど彼女
彼女が子供好きで、子供がなくてはさびしくていられ
ている。
純さを失って、彼女の外見のかたちよりは若さを消耗し
悲しいことに、いたずらに費消された彼女の情熱は、真
つて知らぬ、清純な恋そのものでなくてはならない。が、
ないものであろうとその時わたしは思った。彼女は羽左
お鯉さんのこれからの生活は、かなり色の 褪 た、熱の
をつまんだ。
ろう。
真の慰安は︱︱︱友達は、無邪気な子供よりほかないであ
の複雑な気持ちを害さないものはないであろう。彼女の
まきタバコ
してから、御免なさいといって、はじめて 巻煙草 の一本
衛門と、 三下 り、 また 二上 りの、 清元 、 もしくは 新内 、
お鯉さんとはなしをしているうちに、その声に、いろ
あせ
沢 の情緒を味わう生活をもして来た。巨頭宰相の 歌
寵愛 いろと苦労をした人だと思わせられる響きを感じた。美
ちょうあい
しんない
を一身にあつめ、世の中に重く見られる人たちをも、価
人と境遇と 声音 ︱︱︱これもこの後心附けなければいけな
きよもと
値なきものと見なすような心の誇りも知って来た。いか
いと思った。それから、お鯉さんには、わたしが気にか
にあが
なるものが現われ来て、この後の彼女を満足させるほど
ける二本の横筋が 咽喉 にあった。ほんにこの筋のある美
さんさが
それは疑問だ。何
うたざわ
その生活を豊富にするであろうか?
女で苦労を語らない人はない。
こわね
にしても彼女の過去が、あんまり光彩がありすぎた。あ
考えると人生はさびしい。そしてむやみに 果敢 なくな
の ど
ざやかすぎた。
る。
︱︱︱大正十年一月︱︱︱
は か
とはいえそれを救うのは、純潔なる魂の持主、熱烈な
情熱と、愛情でなければならない。彼女が、生来まだか
30
昭和十年附記 昨年赤坂田町の待合﹁鯉住﹂の女将と
して、お鯉さんが某重大事件の、最初の口火としての
ちはつ
あんぎゃ
にぎ
偽証罪にとわれ、未決に拘禁されたのは世人知るとこ
何処までまろぶ、露の玉やら︱︱
︱
ろであり、 薙髪 して 行脚 に出た姿も新聞社会面を 賑 わ
した。おお!
底本:
「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和 60)年 11 月 18 日第 1 刷発行
1993(平成 5)年 8 月 18 日第 4 刷発行
底本の親本:
「近代美人伝」サイレン社
1936(昭和 11)年 2 月発行
初出:
「婦人画報」
1921(大正 10)年 1∼3 月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007 年 4 月 10 日作成
青空文庫作成ファイル:
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