20141112-101334 [309KB pdfファイル]

修学旅行通信
№18
平成26年11月12日
PART1
秘仏『救世観音』は聖徳太子の化身
(梅原
猛氏『隠された十字架-法隆寺論』1972年より)
聖徳太子の鎮魂の寺『法隆寺』にまつわる幾つかの不思議についてです。
まず、この寺を誰がいつ何のために再建したのか、文献が残っていないことです。当時
の色々な書物の中にこの寺の話題は出て来るのですが、はっきりしたことが今でも分かっ
ていないのです。次は『中門』についてです。この門には、何故か真中に柱が一本立って
いるのです。普通門
には真中に柱などなく、両方の扉
を開いたら広々と出
入りが出来るものです。ところが
まるで外側からつっ
かい棒でもするように真中に柱が
あるのです。そもそ
も『中門』は中に祭られている仏
様の出入り口ですか
ら、この寺の場合、聖徳太子の魂
の出入り口になる訳
です。ということで、この寺を再
建した人達にとって、
太子の魂が出て来られてはまずい
ことでもあるようで
す。当時、天変地異や疫病で多く
の人がなくなりましたが、時の権力者も多く死んでいます。世間では、一族を滅ぼされた
太子の呪いと言い合っていました。こんな事情から、『法隆寺』が再建されたようです。
『中門』の真中の柱の意味をさらに裏付けるものとして、『救ぐぜ世観音』にまつわる話を
しましょう。この仏像は、秘仏とされ一般には公開されませんでした。と言うよりも、完
成したらすぐミイラのように包帯でぐるぐる巻にされ、二重の箱に収められた後、太子の
部屋だった『夢殿』の中にまるで太子の化身のように安置され、
窓扉すべてに鍵を掛け誰一人入れないようにしました。もちろん
中からも出て来れないようにもです。そして、代々この寺のお坊
さん達は、扉を開ければたたりがあると信じておよそ1200年
もの間一度も鍵を誰にも渡しませんでした。
ところが、明治になって西欧化をいそいでいた政府に対して、
フェノロサというアメリカ人が日本文化研究のために『夢殿』の
開放を要求したのです。当然お坊さん達はたたりを恐れ大反対し
たのですが、外国に頭の上がらない政府の力には勝てず、しぶし
ぶフェノロサに鍵を渡しました。それに、明治維新当時は、廃仏
毀釈という政策で、お寺にとっては受難の時代でもありました。
ついに1200年の眠りを破り、フェノロサの手で扉は開かれま
した。中から、ぐるぐる巻の仏像が出されました。
(19号につづく)
救世観音像(夢殿内)