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五旬祭の奇跡

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五旬祭の奇跡
五旬祭の福音 4
五旬祭の奇跡
2:1-13
古来の教会の習慣としては、3 ヶ月後に朗読される箇所です。ギリシャや
ロシアの教会では、今年は 6 月の 14 日に、カトリック教会と、それから、殆
どの西洋の教会では一週間早く、6 月 7 日に、「五旬祭」または「五旬節」
の名で祝われます。「旬」の字は「十日間」を表し、五旬祭は文字どおり「五
十日の祭り」です。実は、教会で聖霊降臨日として守られるようになる前か
ら、旧約聖書では「七週祭」(申命記 16:10)と呼ばれて、この日に「主に
新穀の献げ物をささげる」(レビ記 23:16)習わしがあったものです。「五
十日目の祭り」とも言われました。それをギリシャ語で言うと、「ペンティ
コスティ」
となります。この片仮名の名前をとった「ペンテ
コステ教団」という宗教団体もあることは、ご存じの方もおられるでしょう。
「聖霊のバプテスマ」を、一つの形で特に強調される方々です。
ところで、この旧約聖書の新穀感謝の日「五旬祭」の日をなぜ、神が特に
選んで、その日に、聖霊によるこんな激しい現象をエルサレムで起こされた
のか……これは、いろいろ神学的な理由を考えることも可能でしょうが、私
は、恩師のマーチン・クラークさんが言われた実際的な理由が、いちばんよ
く分かるように思います。過越祭から五十日後の「七週祭」までの期間は、
祭りを祝うために上京した巡礼は大部分そのまま、エルサレムと周辺に泊ま
りがけで、二つの祭りを両方祝ってから外地へ帰ったというのです。もし、
そうであれば、五旬祭の時の群衆というのは、五十日前に「十字架につけよ。
彼を除け」と叫んだ人たちが、そのまま集まっていたことになります。「ナ
ザレのイエスは偽メシアだ」と断じて処刑したその人たちの前で、実にシモ
ン・ペトロは、この後のあの宣言をしたのです。「あなたがたが十字架につ
けて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」あの宣
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言は、聖霊が語らせたから、シモン・ペトロの口から出たのだと。
1.五旬祭の朝の異常な出来事。 2:1-4.
「朝」という字は、どこにもなくて、原文では「五旬祭の日が満たされつ
つあった時」
です。「満たされつつ」というのは、例
えて言うなら、24 時間の目盛りのある円柱に液体を注いで行くのを想像する
と、分かりやすいと思います。上まで一杯になると「満たされて」日付が翌
日に変わると考えてください。この「満ちて行くとき」が、「満ち始めてい
る時に」という感じであれば、早い時間であったと解釈できます。この後に
展開される出来事の経過時間から考えても(:5-41)祭りの日の午前と見る
のが自然だろうと思います。もっとも、ルカの意図は時間を暗示することに
はなくて、神の御計画の中で「時が満ちようと」していたことを言いたいの
でしょうか。
1.五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2.突然、激
しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響い
た。 3.そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどま
った。 4.すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの
国の言葉で話しだした。
これは、主の約束を本気で信じて待つ人たちを描いた場面の続きです。
「自
力で打って出る」のではなく、上から聖なる力を注がれる時を、「ひたすら
祈りのうちに、一つ心で待機した」
(:14)という、その弟子たちの上に、人間の時ではなく主の時が
満ちて、生ける神の恐るべき動力が、自働スイッチでも入るように入った瞬
間です。「一同」というのは、多分 15 節の「百二十人」からつながって来て
いると見るのが自然でしょう。この後のヨエル書の言葉(:46,17)から言っ
てもそうです。
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まず、一陣の風かと思わせる響き。「風」
は、「神はアダムの鼻に
命の息を吹きいれた」(創世記 2:6)という「息」と同じ言葉です。そして、
あの天地創造の始まる瞬間、「神の霊が水の面を動いていた」(創世記 1:1)
その「霊」
とつながる言葉です。神がアダムに命を与えた時のよう
に、またマリアの胎内にイエスを宿された瞬間のように、この、やがて「教
会」と呼ばれる「信じて待つ」人たちの中に、神の生命エネルギーが新しい
人間を生み出す瞬間を暗示する言葉が、「風」です。
風の音の後に、炎のように見える「別れた舌が」現れました。日本語であ
れば、「メラメラと舌が分かれてなめるように炎が」と言うかも知れないと
ころ、ルカは逆に「燃える炎に似た舌が」と「舌」
をどこまでも中
心にして語ります。そしてこの文の結びは、“霊”が語らせるままに、異国
の「舌で」
話しだした、と結ばれるのです。最初の“tongues”は
もちろん、一人一人の上に留どまった炎の形状ですし、あとの“tongues”
は「言葉」“languages”の意味です。この“tongues”にかけた聖なる洒落
の意味は明瞭です。「神の霊がこの人たちに語るべき「言葉」を与えた。神
の生命力が新しい福音を語らせる「舌」を与えたのです。それが来るまでは、
この人たちには語るべき言葉はなかったし、その力もなかった。ここから、
それが始まる。
ちなみに、この出来事を「聖霊浸し」、あるいは「聖霊のバプテスマ」と
呼ぶ習慣は、この 20 頁あとで(初版は 22 頁あと)シモン・ペトロの口から
出た一言、「私は主のお言葉……『聖霊に浸けられる』を思い出した。しか
も最初に我々の上に降ったのと同じだった」(11:15,16)を根拠にしていま
す。確かにペトロは、この五旬祭のエルサレムでの出来事と、カイサリアで
異邦人の家に起こった出来事と、
「あなたがたはザブリと聖霊浸けにされる」
という主のお言葉(1:5)とを一つに結びつけて断言しているのですが、果
たしてそれは、「これがあれだ。聖霊で浸されるとはこのことだ」と断定し
たのか、それとも、「聖霊で浸される」ことは、本当はもっと力強い恒久的
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な奇跡で、この日の異常事態(2:4)は、単にその本番の予告編の短いフィ
ルムのようなものであったのか……。これはまた後に扱うことにいたしまし
ょう。
2.五旬祭の奇跡を見た人たち。 2:6-11.
もちろん、「聞いた」人たちも、つまり、語られた内容を少なくとも聞き
とった人たちを含めてです。この 6 節以下をヒントにすると、この日起こっ
たことは一体何であったのか、そして、外からの冷静な観察者の目にはどう
映ったのかが分かります。最初に紹介される、外地帰りのユダヤ人は、過越
とこの七週祭のためにエルサレムに来ていた敬虔な巡礼たちです。離散のユ
ダヤ人は、今でもロシア、北米からアフリカ、アジアの各地を覆っていて、
神戸にも日本在住のユダヤ人の会堂がありますが、このリストはまだロシア
やアメリカを含まない頃の、地中海の回りのヨーロッパと中近東をカバーし
ていたユダヤ植民の分布図です。今の中国なら、こういう人たちは「帰国華
僑」huaqiao と言うでしょうし、お隣の韓国なら「在外僑胞」kyopo と呼ぶ
のでしょう。日本人の外国定住者は、両国に比べて少ないと思いますが、で
も、ブラジルやアメリカの二世が帰国していれば、どう呼ぶでしょうか。
5.さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユ
ダヤ人が住んでいたが、 6.この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だ
れもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっ
けにとられてしまった。 7.人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの
人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8.どうしてわたしたちは、めいめい
が生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9.わたしたちの中には、パルティ
ア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパ
ドキア、ポントス、アジア、 10.フリギア、パンフィリア、エジプト、キレ
ネに属するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の
者、 11.ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビア
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から来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語ってい
るのを聞こうとは。」
この中の「アジア」には中国や日本は入らず、今のトルコの一部をアジア
と言ったものです。カパドキア、フリギア、パンフィリアも今はトルコ領に
入ります。パルティア、メディアは今のイランに含まれ、アゼルバイジャン
やアルメニアの南に当たります。リビアはカダフィの名とつながって、新聞
やテレビでも紹介されます。こうして、西はローマから東はアフガニスタン
に近いあたりまでをカバーしていたユダヤ人の在外華僑……ならぬ「ユ僑」
の帰国者たちが、過越の祭り以来各地に民宿していたのであれば、この人た
ちも福音書の最後の章には、群衆として登場したわけで、ガリラヤから来た
巡礼や、土地のエルサレムの人たちに混じって、ナザレのイエスの処刑に立
ち会ったのです。この中で、すでにエルサレムに住み着いた人たちの一部は、
6 章でもう一度、「ギリシア語を話すユダヤ人」という名で登場します。
さて、この帰国ユダヤ人の巡礼を含む人たちが使っていた言葉は、その土
地土地で使われた言語と、それに、この時代の共通語であったギリシア語を
含んでいたはずです。その帰国ユダヤ人の耳には何が聞こえたのかを、この
文章は暗示してくれます。この時“霊”が語らせるままに語ったという使徒
たちの言葉や、その外の百十人……その全部が語ったかどうかは断定できま
せんが、多分十二人以外の弟子の中にも、女の人も含めて語った人がいたと
理解した方が、ヨエル書ともつながるように思いますが……。その弟子たち
が、ここに挙げられている国々から帰国したユダヤ人に、「彼らの言葉で、
神の偉大な業を語っている」その内容が通じて、たまげさせたのです。つま
り、よくある宗教的うわごとのようなものではなくて、ちゃんと意味が通じ
て、信仰の励ましを与えるような生きた言葉として、通じたのです。
聖霊に満たされたこの人たちが語った「神の偉大な業」というのは、何だ
ったと思いますか。イエス・キリストの福音の内容はこのあと、シモン・ペ
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トロが初めて語るのですから、まだイエスの名も、十字架も復活も直接は語
られてはいないと、私は思うのです。そうでないと、14 節の「ペトロは十一
人と共に立ち上がった」が生きてきません。「声を上げて、語り始めた」の
所も、ルカはとても重々しい表現を使って、ここから最初の福音メッセージ
が始まることを、読者に感じさせます。
とすると、「神の偉大な業を語った」というのは、多分、ナザレのイエス
の名を一言も出さないで、それでいて「神は救いの約束を実現してくださっ
た。神はアブラハムの子らを顧みてくださった。神を称えよ」というような、
謎の形で……と言いますか。たとえば、ルカ伝の初めにあるマリアの讃歌と
か、ザカリアの讃歌、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はそ
の民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされ
た。」(1:68,69)あるいは、シメオンの讃歌、「わたしはこの目であなた
の救いを見ました。これは万民のために整えてくださった救いです。」(2:
30,31)こういう「主の救いは成就した」という讃歌は、預言者以来、イスラ
エルの千年来の伝統です。聖霊が、この人たちの口にその預言を与えて、外
国語で語らせ、聖霊が、聞く人たちの耳を開いて、これを味わわせたのです。
言わば、それは、これからペトロが具体的に宣言することを、詩の形、謎の
形で、予告編のように印象づけたのです。もちろん、ペトロが口を開くまで
は、謎のままです。
12.人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と
互いに言った。 13.しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っている
のだ」と言って、あざける者もいた。
3.五旬祭の意味を受け止める。 2:4,11.
これは《まとめ》と《適用》、そして、《結び》でもあります。私たちは、
これをどう受け止めるかです。いろいろな受け止め方があります。
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① この日に起こった奇跡の現象面を強調する人たちもいます。この人たち
は 4 節末尾、「ほかの国言葉で」
の意味を、「自分たちの
使う国語と別の言葉で」という意味には取らないで、「人間の言葉とは別の
言葉で」語ったと解するようです。第1コリント書の 14 章にあるような「異
言」、つまり聖霊に捕えられた恍惚状態の人が無意識で発する聖なる言語…
…神だけに向けられた言葉ならざる言葉だと見るのです。「たとえ、人々の
異言、天使たちの異言を語ろうとも」(同 13:1)とパウロが言っているよ
うな、聖なる発声を言う……と。この方たちはこれを、主が約束なさった「聖
霊のバプテスマ」が起こった証拠と見なします。
この解釈を主張する人たちは、それが「水のバプテスマ」とは比べものに
ならない大きな恵みであると教えます。これを受けた者は、その日から霊的
に大きな飛躍をして、安定した喜びの人になるというのです。この考えは確
かに暗示と励ましになり、プラスの作用もします。しかし私自身の評価では、
不必要に病気の人を作って、信仰を破綻させることも多いと考えます。何よ
り、そういう体験を、一段高い恵みの証拠? として重んじるのは、キリスト
の贖いだけに重みを置く「福音」の信仰と異質であると、少なくとも私には
思えるのです。この人たちはルカ伝の「求めよ、そうすれば、与えられる。
……天の父は求める者に聖霊を与えてくださるのだ」(11:9,13)というお
言葉とも結びつけて、
「それを信じられないのは、不信仰だからではないか」
というパンチを利かせる術を心得ています。あなたの福音の信仰が試される
機会になります。
② 五旬祭の聖霊の言葉ですべての人に「神の偉大な御業」が伝わったとい
う奇跡を、創世記 11 章の「バベルの塔」の記事と結びつける人たちもいます。
罪の故に人間同士の意志伝達が破壊されて、愛と信頼が崩れ去った世界に、
イエス・キリストの愛によって、一つの言葉、信仰の言葉によるコミュニケ
ーションが回復される。それが、ここに暗示されていると見るのです。神学
的解釈でもあり、やや飛躍もありますが、私も若い時に、東大の前田護郎教
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授の「言葉と聖書」という本を読んで感動したことがありました。それで私
も、「バベルの悲劇とルベバの救い」というようなキザな表現まで使って、
罪の贖いが人間と人間のつながりを回復する……というテーマの説教を、大
東でも、学院のチャペルでも、アテネのギリシャ人の教会でもしたのを思い
出します。その適用自体は間違ってはいないと思いますが、それが果たして
2 章 4 節のルカの意図であったかということになりますと、今の私には少し
疑問が残ります。
③「聖霊が降った日」として五旬祭を受け止める人たち、毎年 6 月に教会
が始まった日として、6 月には五旬祭礼拝をする習慣の教会は多いと思いま
す。「6 月」と申しましたが、年によっては昨年のように、モスクワでは 5
月 26 日、パリや大阪では 5 月 19 日という、早い五旬祭もありました。次に
5 月になるのは 1999 年のペンテコステです。ちなみに、2 年前の 1990 年は、
モスクワでも大阪でも……と言いますのは、東方教会でも西方教会でも同じ
日に、イースターと五旬祭を守っています。教会暦の日付の決め方は複雑で、
次に東西が一致する年は 21 世紀に入ってから(2004 年)です。
この「聖霊が降った日」という理解は、少しく修正しておく必要があるか
も知れません。聖霊はすでにその日の前から、自由に働いておられましたし、
復活されたイエスも、弟子たちに息を吹きかけて、「聖霊を受けよ」と言わ
れました(ヨハネ 20:22)。正確には何が始ったのかと言いますと、「一人
一人の平凡な信者の中に聖霊が来て住み込んでくださる恵み」がその日に始
まったのです。このことはこの後 38 節を読む時に取り上げるつもりです。こ
れは、ヨハネ伝で主が語られた「弁護者」(助け主)の約束ともつながりま
す。実際には、それはキリストの福音が語られた結果として、信仰の従順と
結びついて、この 2 章でも終わり近くで(:38)起こっているのです。でも、
弟子たちが聖霊に満たされて語ったという「奇跡自体の意味」は、少し別の
角度から理解すべきかも知れません。
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④ 亡くなったマーチン・クラークさんは、私に聖書を教えてくださった恩
師 の一 人です 。その クラ ーク さんは よく「 王な るキ リスト の戴冠 式」
“Coronation”の日として、五旬祭を描写されました。十字架で罪の贖いを
完成されて、復活によって名実共に「神の子」であること(ローマ 1:4)を
示され、ついに天で父の右に座られた事実が五旬祭の日に宣言された。その
宣言こそ、あの激しい風であり、炎の舌であった。また“霊”に振り回され
るようにして語る弟子たちの言葉であったと。とても印象的な説明でした。
ただ、四十日にわたって弟子たちに現れて「神の王権支配」を語られた後、
オリーブ山から天に上られたイエスが「十日かけて天の父の右にお着きにな
った」(十日の準備期間をおいて戴冠式が行われた)と言われるところは、
何か日数の引き算にこだわり過ぎ(?)と思えて、敬愛する恩師の言葉なが
ら、違和感を拭いきれませんでした。
キリストの十字架の御業と、復活の勝利と、昇天の輝きと、五旬祭の奇跡
とは、一つながりの神の業として、切り離せないくらいに“unit”になって
いるのだと思います。これが教会の祭日になり、聖金曜日、イースター、昇
天日、五旬祭という、それぞれ特別礼拝をする日になったのは、教会が教会
暦というものを作った結果です。教会が五旬祭の日に生まれたというのも、
このあとペトロが福音の宣言をした結果、「その日のうちに、ほぼ三千人の
人が加えられた」(2:41)という事実に教会史の出発点を見るからで、本当
は五旬祭よりは主の復活の日の方に、重点があるとも言えます。五旬祭はむ
しろ、この福音の出来事の完結と宣言の日として、キリストの死と復活と昇
天の中に現れた神の力が、エルサレムの祭礼の参加者たちの目の前で、具体
的な形で示された日でした。
一言で言うなら、「信頼して祈って待つ」群れの上に、約束された通りの
力が神から与えられた! と告げるのが五旬祭の出来事です。一陣の風が神の
息のように天から降ると、まず炎の舌が現れた。それもサムソンやギデオン
のような特別の器の一点に集中したのではなくて、分かれて「一人一人の上
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に」とどまったのです。その燃える「舌」が暗示するように、平凡な人たち
が「自分のとは違う舌で神の偉大な業を語った」と。
私たちの内にはもともと無い福音の言葉、「イエスが主です。この方の中
に死人を生かす力があります。」それを伝える力は「向こう側」から、約束
された方から来るのです。とすれば私たちは、どんな話術を身につける訓練
よりも、恥ずかしさを克服する心理的自己操作よりも、まず、その力を頂い
て“霊”の力で満たしていただくことが第一です。本気で一生がかりで、こ
の本と取り組むことだけが“霊”の力を込めていただく道だと、私はそう受
け止めています。
(1992/03/08)
《研究者のための注》
1. ペンテコステ
は祭日の名としては、LXX.の本文には使われません。申
16:10 は
(weeks の祭り)です。七週の計算は、レビ記 23 章に
よれば、過越の安息日の翌日(初穂を携え奉納物とする日)から数え始め、満七週間
を経た翌日と規定しますから、日曜日に当たります。この初穂を献げてから七週とい
う指定のほかに、その「七週の祭」そのものが「初穂の時」という表現も(出エジプ
ト 34:22)見られます。
2. 聖霊に「満たされた」
は、「満ちて」
(形容詞)と同じく、いろ
いろな意味で聖霊の力を受ける意味に使われるので、「満ちた」「落ちかかった(突
然望んだ)」等の表現自体から、聖霊の業の各言及箇所での性格を、機械的に区別し
ないように、注意が必要です。聖霊に「浸けられる」ことの比喩的な意味合いについ
ては、第 2 講を参照してください。
3. 「家」
は、1:13 の「泊まっていた家の上の部屋」
であると
する見方が一般的です。しかし 5 節以下の多様な帰国ユダヤ人との接触、さらに 14
節以下のペトロの説教と「三千人」(:41)の回心へのつながりから見て、出来事の
舞台はより広いスペースを持つと見る人は、ルカ福音書末尾(24:53)の余韻から、
「家」はエルサレム神殿の庭と見る人たちもいます。異常な現象の始まりが「上の部
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屋」で、「この物音」(:6,
―噂?)が広まると共に弟子たちが
群衆に取り巻かれて神殿の庭に移動した、とも考えられます。
4. 「ほかの国々の言葉で」(:4)は
「異なる舌(言語)で」です。
炎のように見えた分岐した「舌」
が現れたことと連想的につながりますが、
この「異なる舌(複)で」は、次の三つの理解の仕方があります。① ガリラヤ出身の
弟子たちが知らなかった筈の諸言語。 ② 人間の言葉とは異質の言語―「異言」。 ③
複数は雑多な地方の出身者によって聞き取られたことを暗示し、実際には一つの言語
(共通ギリシア語)。最後の見方は、前田護郎「聖書と言語」103~104 頁を参照。
5. 「神の偉大な業を語る」(:11)は、私が本文中で暗示したような旧約聖書の讃歌の
スタイルによる予告ではなくて、14 節以下と同内容の説教を指すと見る人もいます。
神殿の庭に十二人ないし百人以上の語り手が、複数の外国語グループに別れて語った
もので、内容は次にまとめられているペトロの説教と一致するという理解です。私自
身は、霊に満たされて奇跡的に語られた内容は(ペトロの説教のように)まとまった
ものではなく、激しく異常ではあっても簡潔な詩を反復するようなものであったと想
像しています。この「聖霊浸け」の超自然的発語は一時的に高まって間もなく鎮まり、
恍惚状態の初期預言者的な発言は、ペトロの説得的なスピーチに後を譲ったものと思
います。
6. 教会が五旬祭を祝う習慣には、それなりの歴史と理由がありますから、私もその伝統
への尊敬は(降誕祭、復活祭、各民族が敬愛する聖人の記念日も含め)払うことにし
ています。ただ、私自身は、主の日の交わり以外の祝祭日は無しで済ませています。
私のような単純なキリスト教と、伝統をすべて守るキリスト教との間に、各人の多様
な選択の自由があると思います。
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