幹細胞の基礎研究から病気の治療へ向けて

幹細胞の基礎研究から病気の治療へ向けて
矢田英理香
神奈川県立がんセンター・臨床研究所
幹細胞とは、自己複製能を有し、多分化能を持つ細胞である。幹細胞は、胚
性幹細胞(ES 細胞)のように、全ての細胞に分化できる全能性幹細胞と、限ら
れた組織の細胞のみに分化出来る能力を持つ多能性幹細胞に分けられる。最近
は幹細胞の性質に注目し、様々な病気の治療に役立てようとする研究が盛んに
行われている。その一つが筋ジストロフィーであり、がんである。
デュシェンヌ型筋ジストロフィーは、男児 3500 人に 1 人が発症する遺伝性
筋疾患の一つである。筋の壊死と再生が繰り返し起こり、次第に筋が萎縮し、
筋力が低下し、末期においては再生が間に合わずに筋中に結合組織や脂肪組織
が出現する。その後呼吸不全などで多くは 30 歳以前に死亡する。現在のところ
はまだ根治する方法は見つかっていないが、遺伝子治療、幹細胞治療、薬物治
療の開発が行われている。その中で、幹細胞治療の側面から、骨格筋内の幹細
胞に着目した私たちの研究について紹介する。
がんは、今日の日本における死因のトップであり、治療法の早急な対策が求
められている。一般的な治療法は、外科切除、化学療法、放射線治療であるが、
根治せず、再発する場合がある。がんの再発には、がん幹細胞の関わりが指摘
されている。がん幹細胞は、自己複製能・分化能の他に、高い造腫瘍能を持つ。
また、放射線耐性や薬物耐性を持つために、これらの方法でがん幹細胞を完全に
除去することは難しい。そのため私たちの研究室では、がん幹細胞を標的とし
た治療法の開発を目指している。
本講義では、私のヨーロッパ留学生活の話も織り交ぜながら、基礎的な研究
から臨床応用へ発展させる橋渡し研究(translational research)についても紹
介したい。
再生医療実現を目指した
高効率ヒト骨格筋前駆細胞誘導の開発
細山 徹
山口大学大学院医学系研究科・附属再生医療教育研究センター
分化誘導した網膜色素上皮細胞を滲出型加齢黄斑変性患者に自家移植した
世界初の iPS 細胞の臨床試験を記憶されている方も多いであろう。このように
近年、多能性幹細胞を用いたいわゆる再生医療は大きな進展を見せ、失われた
細胞や機能不全に陥った細胞を自身あるいは他者の多能性幹細胞で補う治療法
が現実のものとなりつつある。しかし、高い効率で誘導可能な特定の神経細胞
や心筋細胞、網膜色素上皮細胞などとは異なり、骨格筋細胞やその前駆細胞の
誘導効率は低く(~10%程度)、骨格筋疾患を対象とした多能性幹細胞による治
療は未だスタート地点にも立てていないのが現状である。骨格筋細胞の誘導効
率を上げる確実な方法としては、PAX7 や MYF5 などの筋分化制御因子の導入
が考えられるが、外来遺伝子導入は実臨床においてできれば避けたい方法であ
り、細胞成長因子やサイトカイン、低分子化合物などの添加による効率の良い
分化誘導法の確立が強く望まれる。
最近我々は、遺伝子導入技術を用いずにヒト多能性幹細胞から骨格筋前駆
細胞を誘導する新たな方法を開発した。本法は、ヒト多能性幹細胞を高濃度の
塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)と上皮細胞成長因子(EGF)を含む神経幹
細胞増殖培地(Stemline®:シグマ社)中で浮遊培養する方法であり、極めて簡
便な方法でありながら従来法と比して誘導効率が高い。また、その培養形態か
ら骨格筋前駆細胞の大量調整にも適しており、全身が治療標的となる骨格筋疾
患(筋ジストロフィーやサルコペニアなど)への応用が期待される。本講義で
は、“EZ スフィア法”と命名した高効率ヒト骨格筋前駆細胞誘導法について、
最近の成果を織り交ぜながら紹介する。
原因タンパク質から探る FTLD/ALS の発症機構
田中 良法
東京都医学総合研究所・認知症プロジェクト
多くの神経変性疾患の患者脳では、その疾患に特徴的なタンパク質性の異常
構造物が細胞内に蓄積する。近年、生化学的な解析から、異常構造物の主要構
成タンパク質が同定されると共に、その遺伝子の変異によって家族性の疾患が
発症することが報告され、特定のタンパク質の異常蓄積が疾患の発症や進行に
深く関わっていることが明らかとなっている。
前頭側頭葉変性症(FTLD)は、前頭葉及び側頭葉に限局して変性がおこる神
経変性疾患の総称であり、筋萎縮性側索硬化症(ALS)は脊髄の運動神経が変性す
ることによって生じる神経変性疾患である。これらの疾患では、核タンパク質
である TDP-43 が細胞質に異常蓄積すること、及び TDP-43 の変異は家族性
FTLD/ALS の原因となることが知られている。さらに、TDP-43 の核内におけ
る機能消失や細胞質における異常蓄積は細胞死を誘導することから、TDP-43 の
異常が FTLD や ALS の神経変性において中心的な役割を担っているものと考え
られる。しかし、TDP-43 の異常がいつ、どのように始まるのかは全く不明であ
る。
本講義では、TDP-43 の蓄積を伴う家族性 FTLD の原因遺伝子であるプログ
ラニュリン、及び家族性 ALS の原因遺伝子の1つであるプロフィリン 1 の解析
から、TDP-43 の異常による FTLD/ALS の発症機構について議論したい。
生殖機能の中枢制御における
ミクログリア/マクロファージ系細胞の関与
藤岡 仁美
聖マリアンナ医科大学医学部・生理学教室
哺乳類における生殖機能は、視床下部−下垂体−性腺軸により制御されている。
視床下部に存在する性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)ニューロンは、正中
隆起より下垂体門脈に GnRH を放出し、下垂体前葉での卵胞刺激ホルモン
(FSH)と黄体形成ホルモン(LH)の産生と放出を刺激する。FSH および LH の分
泌パターンは間欠的なパルス状分泌の形式を取り、雌性動物では加えて排卵前
に LH の一過性大量分泌(LH サージ)が観察される。この分泌パターンは視床
下部からの GnRH の分泌パターンを反映していると考えられている。下垂体か
ら分泌された FSH と LH は性腺(精巣・卵巣)での配偶子形成と性ステロイド
ホルモンの分泌を促進する。分泌された性ステロイドホルモンにより視床下
部・下垂体からのホルモン分泌はフィードバック調節をうける。このように、
哺乳類の生殖機能は有機的に調節されている。
下垂体からのホルモン分泌および生殖機能は、生体内外の様々な因子により
影響を受けている。例えば、低栄養状態や激しいエクササイズ・痛み・感染な
どのストレスは、LH 分泌や生殖機能を抑制することが知られている。この抑制
の少なくとも一部は GnRH ニューロン機能の抑制によるものと考えられている。
脳内において、GnRH ニューロンの神経活動は様々な細胞・因子により修飾さ
れている。グルタミン酸など神経伝達物質や副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモ
ン(CRH)やキスペプチンなど神経ペプチドを介した神経細胞による調節に加え、
アストロサイトやタニサイトなど神経細胞以外の細胞によっても機能修飾を受
けていることが示唆されている。ストレス等による GnRH 分泌抑制も、これら
神経性・非神経性修飾因子が関与していることが考えられる。
我々は、グリア細胞の一種であり中枢神経系の免疫担当細胞と考えられてい
るミクログリアに着目し、GnRH ニューロン機能および LH 分泌への関与を検
討した。本講義では、① LH サージ状分泌時における GnRH ニューロン機能へ
のミクログリアの関与、および② 感染ストレスモデル動物における LH パルス
状分泌およびサージ状分泌抑制へのミクログリアの関与、について我々の研究
内容を紹介したい。