私が薦める一冊: 「イギリスよ、わがイギリスよ」D.H.ロレンス 著. (『新版 ロレンス短編集』の中に収めてあります。) 書評: D.H.ロレンスといえば、過激な性のテーマを扱った『チャタレイ夫人の恋人』 が有名だが、彼の筆は性の問題にとどまらない。ここで取り上げた「イギリス よ、わがイギリスよ」という短編は、一見ある夫婦関係の崩壊を描いた作品の ようにも思えるが、その背後にはさらに奥深い普遍的戦争テーマが潜んでいる。 この作品を読む意義は、なんといっても戦争文学として読むことにあろう。 戦争が我々人類の何を破壊し、また新たに何を与えたのか。第一次世界大戦を またいで描かれるストーリーを軸に、一人の英国人男性の人生を乗せてみるこ とで、戦争を単なる歴史上の事実ととらえるのではなく、現代の我々の戦争観 と関連付けて読み解くことに価値がある。 さらに詳しく言えば、物語の中心人物であるエグバートという男性が、第一 次世界大戦の前後でどのように変化しているかに注目することが大切である。 男性は家庭を支えるだけの賃金を稼ぐことが当然とされたジョージ朝の時代に、 家庭への責任を一切放棄し、収入源はもっぱら義理の父親に頼っていた。ひた すら庭仕事に専念し、古きイングランドに幻想を抱いているのである。 さて、ここまででハッとした方も多いのではないか。このようなエグバート の社会に対して無責任な姿は、我々現代とも非常に近いものを感じさせるので ある。そう、ニートである。現実社会にはないものに理想を抱き、今ある責任 からはひたすら目をそらし、現実を受け入れようとはしない。このことからも、 我々が第一次世界大戦後の歴史の中に生きていることがわかると同時に、ここ 100 年の間なにかしら大戦時の価値観の影響を受け継いできたことがいえるだ ろう。 そして忘れてはならないのは、ロレンスがこの短編の中で「個」を肯定して いることである。今、我々は「大衆」よりも「個」を重視する時代に生きてい る。その価値観は、ロレンスがこの短編を書いた時代をきっかけにして生まれ たといっても過言ではない。つまり、我々はこの作品を読むことで、今我々が 持っている価値観や時代について改めて認識することができるのである。 とはいっても、作中でロレンスが戦争について直接触れている箇所はひとつ もない。ロレンスはただ、恐ろしい戦争を滑らかで美しい文体で、このわずか 数十ページの中に描いているに過ぎない。しかしその美しい文体の中にこそ、 現代社会に生きる我々が読み取るべき彼の戦争観が刻まれているのである。
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