~ 母親を支えてくれた、その時のこと ~ ● 4歳の長男は、療育センターに、約 1 年半通っています。長男が大好きな場所の1つです。 子どもの成長の遅れを、「大人が手のかけすぎ」といわれていましたが、保健師さんが、セン ターへ通うきっかけをくれました。もし、訓練を受けるのが遅くなっていたら、気づかないま ま親子で苦しんでいたら、と思うと、保健師さんとの出会いに、本当に感謝しています。 ● 先生は、困った行動を繰り返す息子には「必ず何か理由があるはずです」といわれたが、ただ のわがままだとしか思えず、私のしつけが悪いと思っていた。感覚過敏のチェックリストで、 「感覚過敏」が分かった時、これか、とほっとした。一つも原因がわからないというのが、不 安だった。 ● 息子は感覚過敏で、歯磨きでもあばれるので、4歳で虫歯だらけ。でも、歯医者さんに連れて 行けず困っていた。療育センターで紹介をうけた歯医者さんでは、場所に慣れる、器具を実際 に触るなど、準備の時間をとってもらった。その後、長時間かけて治療をした。先生、スタッ フとも、絶叫して暴れる息子に動じず、「はいはい頑張ろう」と温かく接してくださり、私も 励ましてくれた。私も息子も辛かったので、その後歯磨きを頑張り、いまだに健診などで、お 世話になっている。 ● 初めての歯医者さんで、「発達障害です」と伝えた。若い先生は、 「多動もありますか?」と聞か れただけだったが、 「先生には、知識がある」と思い、安心した。親の安心感が伝わるのだろう、 歯の治療をする間、私はそばにいて絵本の読み聞かせをしていたが、息子はおとなしく、先生 は面倒がらず、絵本の進行に合わせて合間に治療してくれた。ちなみに、うちの子は、優しく て若い女の先生の前だと、目に見えておとなしくなる。 ● 学校では、図書室に一人いて、一言も話さない子ども。初めて療育に連れていった時、満面の 笑みで、大きな声で笑っていた。友達としゃべっていた。それだけで、嬉しかった。 ● 幼稚園では、マラソン練習がありました。毎回、先生がもっている数字カードが気になり、自 分の場所を飛び出す我が子に、先生は、うちの子用の数字カードを作って、先生の隣で一緒に カードを持つ役をくれました。しばらくして、徐々に、自分の場所に座って待つことができま した。 ● 診断を受ける前の事。保育所の先生から「A君は、もしかしたら卒園式では、みんなと同じよ うにできないかもしれないので、驚かないで、やさしく見守ってください」といわれた。 「障害」 とひとくくりにされず、具体的な行動の未熟さを教えてもらい、注意して観察するようになっ た。 ● 息子が小学校低学年のころは、ものすごい偏食で、給食がほぼ白ご飯と少しのパンしか食べら れなかった。通級学級の先生に相談すると、先生は「砂を食べるのと同じ様に感じているかも しれませんから、無理はさせません。」といい、息子を励まして、少しずつ食べられる物を増や してくれた。 ● 保育所の給食の主食は、おにぎり持参で、パンは食べたことがなかった。学校給食のパンが食 べられず、パンの日は、他のメニューも手をつけないので、パンの日だけ、おにぎりを持って いくことを許可してもらった。家で出ないおかずは、手をつけなかったが、半年くらいで、パ ン食には抵抗がなくなり、おかずも一口だけは食べるという先生のご指導も、いうことを聞く ようになった。 ● 息子は、給食の当番をしないといいはるので、先生は、牛乳当番をひとりでするように、 「指 令」した。なんと、息子は、給食着を着る必要がなく、たった一人で仕事ができる牛乳配りな ら、熱心に活動することができた。後から、給食着の後ろのひも結びと、協力の仕方がわから なかったのだと、気づくことになった。 ● 学習中、突如手を挙げずに、発言してしまう息子。指名すれば、だんまり。困った先生は、 「は い、●●くんは、今こんなことをいいました」と、つぶやきを拾い上げ、みんなが、 「いいです」 と返事をする、こうした繰り返しで、徐々に、挙手して発言するようになった。 ● 息子は団体行動ができなくて、高学年なるまで学校の行事ごとに担任の先生と通級学級の先生 と対策を考え、逃げだせば取り押さえようと、私も、学校へ極力出かけていた。そんな中息子 がじっと座っているのがつらそうな集会の時に、担任の先生のひざに座って包み込んでもらい、 たまに何か先生に諭してもらいながら参加する姿を見た。有難くて、私は集会内容に感動した 振りをして泣いた。 ● うちの子は、肌に何か触れていないと安心できず、真夏でも長袖長ズボン。体操服への着がえ すら抵抗していた。おびえて学校での心電図検査ができないかもと保健の先生から聞き、心配 していたが、 「診察台の上に段ボールでトンネルを作って、遊ばせていたら、そこで検査もでき ました。私の作戦勝ちです」とおっしゃった。頭が下がる思いだった。 ● 子どもが学校で暴れるので、やむを得ず、学級懇談会で子どもの障害を保護者に説明しました。 クラスの子から嫌がられていたうちの子のことを、担任の先生は、 「私にできることを、全力 でやります」と、他の保護者の前で宣言してくださった。 アドバイスしてくれた保護者もいた。まったく的外れな言葉で、その日は深く傷ついた思いが したが、解決方法を一緒に考えようという気持ちだったことは、理解でき、その後、特にその 方のお子さんが、うちの子に接する姿には、感謝の思いしかなかった。 ● 学習発表会の時、教室を立ち回り、誰が発表しようと、正面に立ちはだかり、先生の椅子に座 ってはぐるぐる回っている息子を見て、私は恥ずかしく思っていた。その時、先生が「うきう きしているなあ、近くで、見たいもんなあ」と周囲にかすかに聞こえる声でつぶやき、一部の 子どもも、保護者の楽しげに笑った。子どもの心を理解して許してくださる、ありがたい方々 だと思った。 ● 学習発表会。勉強など何もしていないし、友達と協力しての発表などありえない学校生活だっ たが、先生が息子に用意してくれたのは、プロジェクターのクリック操作だった。息子はすべ ての写真の順番を覚え、行き過ぎると、戻るなどの操作も行った。周りの保護者は、私も、う ちの子も、ほめて下さった。明らかに「特別扱い」だったけど、私は初めて、「おかげさまで、 ありがとうございます」とだけ返事ができた。 ● 普通級にいたが、学校には「いってきます」と一人で行くけれど、教室には入れなくなった。 支援学級に入り浸り、誰の言うことも聞かない日々。ある日、支援学級の先生が不在で、担任 の先生が、「教室に来てみないか」と誘った。次の日の朝、「お母さん、ぼくは今日も教室に行 かなければならない。だって、先生が、ぼくがいたら、教室が楽しいっていうんだ」といって、 それからは支援学級には行かなくなった。発達障害の子どもが雰囲気を読めないとか、愛着を 覚えないというのは、誤解だと思う。誰よりも愛されたがっていると思う。いつでも、リセッ トできる機会を待ち望んでいると思う。 ● 学年が大きくなるごとに、問題行動がエスカレートするようだった。学年が変わると、新しい 先生に子どもの事を説明する時間を取っていただくのも、「むだ」「つらい」と思えるほど、学 校とは決裂状態だった時、新しい担任の先生が、先に「私が担任の●●です。お忙しいでしょ うが、お時間を取ってもらえますか?」とアプローチされた。孤独から救われた一言だった。 ● 息子小 4 の夏休み直前、担任男性教師に大きな声でしかられ、その先生を「悪魔のような先生」 と呼ぶようになり、登校できなくなりました。 私は、先生のイメージを変えようと、校長先生・担任の先生にお願いし、夏休みに担任の先生 に家庭訪問していただき、先生と息子二人で近所の小店でアイスを買って自宅の庭でおやつタ イムを企画しました。一日目、先生を見るなりパニック、それでも一緒に買い物に行き、(母 はぐっと我慢で、自宅待機)、帰ってきたときは、先生と手をつないでいました。 その後、二日間おやつタイムに先生が来てくださって、息子の頭の中からはすっかり「悪魔の ような先生」は消えてしまい、無事 2 学期も登校できまし た。 ● 夫の家族にも子どもの障害を、うまく説明することができずにいた。親の会主催で、当日参加 が可能な講演会に誘って、一緒に出かけた。保護者の方の体験談が聞けて、家族は、それなり にうちの子との合致点に気づいたようだった。 「違うところもあるよね」と納得はしなかったが、 身内の子や他人と、うちの子を比べることが減り、私は、楽になった。 ● 子どもが、切れて、学校で傘を振り回して、止めようとした周囲の子どもにけがをさせた。夫 に連絡したところ、めったに休暇もとらない夫が帰ってきて、すぐ先様に連絡し、謝りに出向 いてくれた。その夜は、夫と二人で泣いた。それまで、子どもの事を正面むきあって話し合う ことができないでいたが、子どもを守る気持ちは同じだと感じることができた。 ● 夫は、休日には、車を出してくれて、子連れでよく出かけてくれた。共働きで、家事も手伝っ てくれ、ありがたかったが、夫が、休日にふらりと一人で出かけていくのに、私は、美容室に 行くのも遠慮していた。ある日、突然、感情が爆発し、夫に断りもなく子供をおいて家を出て、 7 時間ほどして帰った。夫は、両ひざに一人ずつ子どもを抱いてすわっており、普通の事のよ うに「お帰り」とだけ、いってくれた。 ● 実母は、よく子供をかわいがり、私が勉強会などに出かけるのを応援してくれていたが、実母 が、何気なく「あなたは、この子を良く扱っていると感心するけど、私たちのいうことも、こ の子は、しらんぷりしてきかないよ。学校の先生は、たいへんだろう」といった。学校に不満 だらけだった私は、息子中心の見方を忠告されたと思い、気づかせてもらい、ありがたいと思 った。 ● おじいちゃん、おばあちゃんが、交代で、母と息子が療育機関へ行く時は、晩御飯と作って妹 と留守番してくれ、お出かけするときは、息子を見て、母に妹だけとの時間を作ってくれた。 ● 偶然、相談した職場の方のお子さんが、発達障害であった。ずいぶん方々に謝ったことや、 ちょっと変わった子どもさんの日常を、笑いながら語る人を見て、 「どうして笑えるのか?」 と思ったが、同時に、「そのように笑って生きることができるものなんだな」と感じた。 ● 幼稚園年長の時、毎年 1 学期最初の懇談会では子どもの特性の話をしていました。 後日、複数のお母様から「実はうちの子の兄も同じ障害です。」や、「うちは ADHD です。こ の前のお話しとても共感できて涙が出そうになりました。」など、同じ悩みを抱えたお母様が 身近にいると知り、声をかけてくれたことを、とても嬉しく感じました。 ● あちこちの講演会で、熱心に勉強した。親の会の先輩お母さんの話しで、不登校などの経験も 聞いていたので、自分の子どもが不登校になった時も、ショックはあったが、「なんとかなる」 という気持ちがあった。結果、支援学校への転校を子どもが自分で決めた時も、それでいいと 思えた。 ● 子どもが診断を受けた時、とにかく知識を得たくて、たくさん講演会などに出かけたが、学者 さんの話しでは、 「私がどうしたらいいのか」わからなくて、親の会に入った。後になって、私 がきいた講演会のいくつかは、親の会が主催だったり、会員の方のお話をだったことを知った。
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