ま え が き 死を学ぶことは,いかに生きるかということを学ぶためにあるといわれる.医療者の間 で,生命の量より生命の質を考えるべきだという考え方が普及して久しい.死を学ぶこと は,この生命の質を上げるために,必須不可欠の条件であるように思う.健康なときめっ たに考えない死.それは,盗人のごとく思わぬときに,われわれのところに襲ってくる. そのとき,うろたえることのないように,普段から死への心構えをしておかなければなら ない. ところで,医療者にとって,死は日常茶飯事の出来事である.そのため,いつも死別体 験をしなければならず,それが慢性ストレスとなり,病的悲嘆に陥ったり,燃え尽き症候 群に罹患することは稀ではないといわれる.他方,常に死と直面しているために,死に対 する感覚が鈍麻し,死を飼いならし,死者をものとみなしてしまう医療者もいる.絶えざ る悲嘆を防衛するために,弱い人間がとるやむを得ない対応とはいえ,淋しい気がする. 医療者が,死に伴う悲嘆に呑み込まれることなく,しかも,死にゆく患者に対する共感 性を失わず,たとえ,死という厳しい現実に直面しても,冷静な目をもって,毅然として 適切な対応をとることができるためには,普段から死について学んでおく必要がある. われわれは,看護の場で遭遇するさまざまな死の場面を想定しながら,死にゆく患者を ケアするための基礎的知識とその応用の仕方について,記してゆきたいと思う. なお,本書も刊行以来4年が経過した.その間,緩和医療をめぐる環境にも様々な変化 があった.そこで今回,改訂を企画したわけであるが,これを機会に緩和医療の第一線で 活躍されている医師と看護師に新たな執筆者としてご参加いただいた.時代を反映させた 教材が完成したことを確信するが,読者の方々の忌憚のないご意見を期待したい. 2 0 0 6年1 1月 平山 正実 i 目次 第1章 死を考える 1 1 死とは何か 2 A 歴史的考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 3 C 死の受容に至るプロセス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 D 死の受容を援助する者にとって大切なこ B 民俗学的な考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 C 宗教的な考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 D 生物学的な考察 2 8 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 死の心理学;死の受容に至るプロセス と ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 6 生と死の教育の意義と医療者 3 A 生と死の教育の必要性 16 1 6 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ B 医療者にとっての生と死の教育の意味 9 C 対象・内容・方法 1 9 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ A 死の受容とはどういうことか ・・・・・・・・・・・・・・・・・9 1.専門的知識の伝達 1 9 0 B 死の受容の可否 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 2.態度・価値観の伝達 1 9 1.死を拒み続ける人の心理 1 0 1 8 ・ ・ ・ 3.技術の伝達 2 0 2.死を受容する人の心理 1 1 第2章 死に直面した人間の現実 1 死の受け止め方 24 2 生きる人の体験の理解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 A 発達年齢の違いが死の受け止め方に及ぼ す影響 1.トータルペイン 3 2 2 4 2.クオリティ・オブ・ライフ 3 4 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.乳幼児期 2 4 3.悲 嘆 3 5 2.児 童 期 2 5 B 死が近づきつつある現実に直面しながら 3.青 年 期 2 6 生きる人の体験の理解のためのアプローチ 4.成 人 期 2 7 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 5.中 年 期 2 8 1.症状マネジメント 3 7 6.老 年 期 2 9 2.生活に根ざしたきめ細やかな日常生活 3 6 B 死に至る過程の違いが死の受け止め方に 援助 3 7 0 及ぼす影響 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 3.語りを聴くことを大切にしたコミュニ 1.突然に訪れる死 3 0 ケーション 3 7 2.穏やかな過程をたどる死 3 0 2 2 3 死に直面した人の理解 A 死が近づきつつある現実に直面しながら 4.看護師が自己の感性を磨くこと 3 8 31 3 死に直面した人が抱える痛み A 身体的な痛み 38 3 9 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ iii B 精神的な痛み ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 3 C 社会的な痛み ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ D 霊的な痛み ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 5 4 4 第3章 真実の伝え方と支え 1 真実を伝えることの重要性 4 9 50 5.家族から反対されたときの対応 5 3 コミュニケーションの重要性 54 A なぜ真実を伝えるのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 0 2 1 B 真実を伝えることに関する倫理的問題 ・・・5 A 意思決定のためのコミュニケーションの C 真実を伝える際の留意点 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 1 重要性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 4 6 B コミュニケーションを築くための方法 ・・・5 1.話し合いの環境について 5 2 2.患者の理解していることの確認 5 2 1.目標設定の共有 5 6 3.質問の促し 5 3 2.医療者としての意見の提示 5 6 4.感情への対応 5 3 3.真実を伝えたあとの看護援助 5 6 第4章 緩和ケアの進め方 1 緩和ケアとは何か 5 9 60 A 緩和ケアはなぜ必要か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 0 1.終末期患者の抱える苦悩 6 0 9.ボランティア 6 7 1 0.宗 教 家 6 7 1 1.事務担当者 6 7 2.全人的苦痛の軽減と緩和ケア 6 1 C チームアプローチにおける看護師のあり 2 B 緩和ケアでは何を行うのか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 2 1.患者へのケア 6 2 1.ベッドサイドに立つ際の備え 6 8 2.患者家族へのケア 6 3 2.患者・家族への接し方 6 8 3.遺族へのケア 6 3 3.ケアの場面で問われる倫理上の課題 6 9 緩和ケアの担い手 A チームアプローチの必要性 64 3 6 4 A 身体的苦痛の緩和 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 B チームアプローチのメンバー ・・・・・・・・・・・・・・・・6 iv 8 方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 緩和ケアの方法 72 1.癌性疼痛 7 2 1.看 護 師 6 5 2.癌性疼痛以外の身体の痛み 7 8 2.医 3.全身倦怠感 7 8 師 6 5 3.薬 剤 師 6 6 4.呼吸困難 7 9 4.臨床心理士 6 6 5.胸 5.ソーシャルワーカー 6 6 6.死前喘鳴 8 2 6.栄 養 士 6 6 7.食欲不振 8 3 7.理学療法士 6 6 8.嚥下困難 8 4 8.作業療法士 6 7 9.悪心・嘔吐 8 5 目 次 7 2 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 水 8 1 1 0.便 秘 8 7 1.死後のケアとは 1 0 8 1 1.下 痢 8 8 2.日本人の遺体観と医療者の態度 1 0 8 1 2.腸 閉 塞 8 9 1 3.脱 3.家族に対する配慮 1 0 9 水 9 0 5 グリーフケアの方法 109 1 4.排尿困難 9 1 A 患者の死に至るまでの家族のケア ・・・・・・・・1 0 9 1 5.尿 失 禁 9 2 B 患者の危篤時・死亡時における家族への 1 6.不 1 1 ケア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 眠 9 3 4 B 精神的苦痛の緩和 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 1 2 C 患者を亡くした家族へのケア ・・・・・・・・・・・・・・1 1.遺族に対する悲嘆援助に対する考え方 1.不安・恐怖 9 5 2.怒 1 1 2 り 9 6 3.抑 う つ 9 7 2.親を亡くした子どもへのケア 1 1 5 4.せ ん 妄 9 8 3.子どもを亡くした親について 1 1 7 4.配偶者を亡くした人々へのケア 1 1 7 5.心の癒しのための様々な療法 9 9 C 社会的苦痛の緩和 5.きょうだいを亡くした小児へのケア 1 1 9 1 0 0 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.信頼関係の確立と問題の認知 1 0 0 6 特性 2.ソーシャルサポートの活用 1 0 0 0 1 D 霊的苦痛の緩和 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 A 緩和ケア病棟における入院ケア ・・・・・・・・・・・1 2 0 コンサルテーションサービス ・・・・・・・・・・・・・・・・・1 2 3 2.死に直面した人の霊的苦痛へのケア 1 0 2 死の看取りと医療者 119 B 一般病棟における緩和ケアチームによる 1.霊的苦痛へのケアの特徴 1 0 1 4 システムの違いからみた緩和ケアの 105 A 死の看取り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 0 5 2 5 C 緩和ケア外来における通院ケア ・・・・・・・・・・・1 D 訪問診療・訪問看護による在宅緩和ケア 1 2 6 1.死の看取りとは何か 1 0 5 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ E デイケアによる在宅緩和ケア支援サービ 2.死の看取りの目標と援助 1 0 5 ス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 2 7 0 8 B 死後のケア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第5章 死をめぐる現代医療の課題 1 病気にかかわる現代医療の課題 132 1 3 1 1.エイズ患者の死の問題 1 4 0 A 臓器移植と死の判定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 3 2 2.難病患者の死の問題 1 4 3 1.わが国の臓器移植の現状 1 3 2 3.精神障害者の死の問題 1 4 4 2.死の判定と法の関係 1 3 4 4 8 C 流産,死産,中絶をめぐる問題 ・・・・・・・・・・・1 3.脳死,臓器移植に対する受け止め方; 5 0 D 自殺をめぐる問題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 専門家と一般の人の違いを中心に 1 3 6 1.自殺予防について 1 5 0 4.臓器提供者の遺族および臓器提供を受 2.自殺された遺族のグリーフケアについ けた者のメンタルへルス 1 3 9 4 0 B 疾患の特性から生じる死の問題 ・・・・・・・・・・・1 て 1 5 1 2 患者の人権,ケアにかかわる現代医 目 次 v 療の課題 A 医の倫理と患者の人権 154 2.緩和ケア(ホスピス)病棟 1 7 1 1 5 4 3.在宅で死を迎えること 1 7 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.延命治療をめぐる問題と医の倫理 1 5 4 7 4 C スピリチュアルケアに関する問題 ・・・・・・・・1 2.安楽死をめぐる問題と医の倫理 1 5 9 D burn-out に陥る死の医療の担い手に対す 3.遺伝子医療,出生前診断をめぐる問題 と医の倫理 1 6 3 4.患者の人権をめぐる問題 1 6 6 7 0 B 死ぬ場所の多様化とケアの課題 ・・・・・・・・・・・1 7 8 る支援 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 1.医療従事者が burn-out に陥る状況とは 1 7 8 2.医療者に対する burn-out 対策 1 7 9 1.死ぬ場所としての一般病棟 1 7 0 索 引 vi 183 目 次 第 1 章 死を考える 1 死とは何か A 歴史学的考察 あらゆる生物のなかで人類のみが,死を意識し,何らかの死に対する解 決策を模索してきた. たとえば, 今から約7万年前のものと思われる先史・ 古代時代のイラクのシャニダール遺跡の洞窟内に安置されていた遺体に花 がそえられていることがわかっている.また,人類史上最古の葬制は,シ ャニダール遺跡とほぼ同じ年代のネアンデルタール人のもとで,すでに現 代と同じように葬送儀礼が整っていたといわれる.こうした事実は,人類 がこの地球上に登場したときすでに,死者を敬い,かつ丁寧に弔っていた ことを示唆している. ところで,歴史のうえで,死が特にクローズアップされてくるのは,病 と戦争である.病と戦争は,人類始まって以来なくなることはなかった. ちょうりょう そして,この病と戦争こそ, “死神”が跳 梁する場であった. 西欧の歴史のなかで,死がその表舞台に登場するのは,ローマ皇帝によ るキリスト教徒の迫害や度重なる侵略戦争,そして感染症によるものであ った.しかし,そのなかでも,最も歴史に残る悲惨な出来事は,やはり14 世紀から17世紀にかけて発生した黒死病(ペスト)の流行であろう.その 背景には,12∼13世紀の農業による高度成長期が終了し,農業活動が停滞 りょうげん し,人々は飢餓のため栄養失調に陥り,それに乗じてペストが燎 原の火 まんえん のように蔓延していったという事実がある. 文献によると,1384年に発生したペストの流行が特に激しく,ヨーロ ッパの人口は1/3から1/5に減ったという.カトリック教会は,このよ うな時代背景のもとで,信徒らに 「死を想え」 (メメント・モリ=memento mori)と警告した.それと期を同じくして, 「往生術」に関する書物が多 数出回った.また, 「死の舞踏」をテーマとする木版画が,教会や墓地の 壁画に描かれるようになった.この 「死の舞踏」 という木版画は,まさに, 「死を想え」という思想を,視覚において伝達・普及することを目的とし ていた. 日本においても,平安末期から鎌倉時代,律令制度が崩壊し,社会秩序 が混乱し,争いが各地方で頻発し,末法思想が広がったとき, 「往生術」 を 説く源信(942∼1017)の『往生要集』が,一般大衆に読まれた. フランスの歴史学者のフィリップ・アリエス(Ari!s, P. )は, 「メメン ト・モリ」という思想が普及し,終末的雰囲気が時代を覆ったヨーロッパ 2 第1章 死を考える 中世は, 「自分の死」を発見した時代であると言った.日本でも,前述し た平安末期から鎌倉時代において,民衆は,戦乱のなか,無常感と虚無感 に脅やかされていたのであり,この時代,人々は「自分の死」を見つめ, 数々の「往生伝」や「地獄草子」 , 「餓鬼草子」を読んだのであった. ところで,19世紀以降,西欧において近代医学が発達し,ペストをはじ く ちく めとする様々な感染症は駆逐されていった.しかし,当時の医療技術によ って治療できなかった結核やハンセン病,精神障害などに罹患した者は, 犯罪者と同じように社会から隔離され,こうした患者は,偏見という目に 見えざる“鉄格子”に“封印”されてしまった.現代に入り結核やハンセ ン病に対する特効薬が開発され,このような疾患に対する差別意識は薄れ たとはいえ,まだ決定的な治療薬が生まれていない精神障害などに対して は,今もって社会の目は冷たい. 最近,先進国ではエイズや重症末期癌患者に対して,精力的な取り組み がなされている.日本もその例外ではない.緩和ケア病棟やホスピスはか なり普及してきた.しかし,癌やエイズは,まだ完全に撲滅された病では ない.そのため,これらの病気に罹患した患者の悩みは深刻である.医療 者は,緩和ケア病棟やホスピスが「生命の質」を高めるための施設である という認識をもっていても,患者の側は, 「死に場所」と受け止め, 「隔離」 されたという印象をもっているということをよく聞く.このギャップをど う埋めるかということが,死を学ぶ医療者の今後の課題であろう. B 民族学的な考察 死について,民族学的に考察する際に,原始社会あるいは伝統社会,未 開社会で暮らす人たちの死生観,世界観,宇宙観,生命観を考察すること は重要である.なぜなら,このような社会に住む人々の死生観を調べるこ とは,人類のルーツ(起源)ないし「元型」に位置する人々の死生観,生 命観を模索することになるからである. 未開社会に住む人間の生と死は自然と深く結びついている.彼らは,病 み死ぬことを他の植物や動物などの生き物が生と死を繰り返すのと同じよ うに,自然のサイクルの一部としてとらえている.したがって,彼らには, 現代人のように, 「死は敗北である」とみなし,病と対決し,克服しよう としたり, 「闘病」しようとする姿勢はみられない.自然のなかで,生き 死んでゆく植物や動物は死を隠さない.それと同じように,自然の一部で いんぺい あると考えている未開社会に生きている人間は,特別に死を隠蔽したり, たい じ 死と対峙しようとはしない.このような伝統社会や未開社会に住む人々 の自然観や死生観の根底にある考え方は,一体どのようなバックグラウン 1 死とは何か 3 ド(背景)をもっているのだろうか.われわれは,その原点ないしルーツ は彼らの霊魂観にあると考えている. 未開社会に住む人々は, この世の中に存在する森羅万象, つまり山や岩, 海や空,植物や動物に魂や精霊が宿っていると考えた. 人間も死ぬと,その魂は,その自然の精霊や先祖の魂のもとに帰ってい くと信じていた.つまり,自然そのものも,精霊や魂という命を吹き込ま れて生きているのであって,本質的には,人間のそれと同じであると考え た.その意味で,かれらは,自然と人間とは一体であると考えた.アニミ ズム的な思考は,このように人間の魂と祖霊や精霊の一体化,および,自 然と精霊との一体化を信じている.このように,宇宙の森羅万象は,究極 的に同一化され一体化・統合化される. 現代人の死生観,生命観,宇宙観は,こうした伝統的なそれとは大きく 異なっている.ヨーロッパ文明を代表とする先進国の人々の考え方の源流 をたどってゆくと,ルネ・デカルト(Descartes, R.)の思想にたどりつく. 彼は, 人間の身体を細分化し, 精神と肉体を分離すべきであると主張した. そして,有名な彼の心身二元論は,科学的な医療技術の進歩を促す原動力 となった.デカルトは,自然と技術,さらにはその根底にある文化,精神 と物質,生と死,主体と客体を分離対立するものとしてとらえた. 他方,すでに述べてきたように,未開社会や伝統社会においては,自然 と文化,精神と物質,人間と自然,生と死,精神と身体とははっきり分離 されず,全体的,包括的,連続的にとらえている.未開社会に住む人と現 代人とを比較すると,このように,死生観,生命観,宇宙観に大きな違い があることがわかる. C 宗教的な考察 生と死に関して宗教的に考察するといっても,この世界には数多くの宗 教があり,その各々の宗教について,その死生観を論ずることは筆者の能 力の限界を越えることである.そこで,本書では,われわれにとって馴染 の深いキリスト教と仏教の死生観について,素描してみたい. 最初にキリスト教の源流となったユダヤ教の根幹となるヘブル思想の生 命観,死生観について考えてみる.なお,イスラム教も,ユダヤ教を起源 として発展していった宗教であることを記憶にとどめておく必要がある. ヘブル思想における死生観をひとことでまとめると, 「生命」礼讃の思 想がその根底にあるということになるだろう.神は, 「自ら創造された生 命を善しとされた」 ( 『創世記』1章12節) .そして,その生と死の裁量権 は神がもっており,生命は神が与え,取り上げる.これが旧約聖書の死生 4 第1章 死を考える 観である. 神は生き物を祝福し, 「産めよ,増えよ,地に満ちよ」 ( 『創世記』1章 28節)と述べる.そして,長寿と子宝に恵まれることが,祝福のしるしと された. こうした生命礼讃の思想の延長線上には, 徹底した現実肯定主義, うた 現世主義,現実の生の悦びを謳いあげる思想がある.つまり,この考え方 の根本は,この短い人生の間, 「今」を精一杯生き,この世で幸せを得る ことに最大の価値があると考える. 旧約聖書の「コヘレトの言葉」 (伝道の書)には,次のような言葉が記 されている. 「人間にとって,最も幸福なのは,自分の業によって楽しみ を得ることだとわたしは悟った.それが人間にとって,ふさわしい分であ る.死後どうなるか誰がみせてくれよう」 (3章22節) .この書は,紀元前 3世紀から2世紀末にかけて成立したといわれる.この書の主張は,人生 における最大の幸福は現世で楽しみを得ることである,なぜなら,死ぬと どうなるかわからないからだということにある. ここには,未来に対する懐疑的な姿勢が見てとれる.しかし,旧約聖書 をひもどくと, 「死後どうなるか誰がみせてくれよう」といった死に対す る虚無的懐疑的な考え方だけでなく,主として,後期ユダヤ教において, 復活の思想を予言するような考え方が現れている( 『ダニエル書』 12:2, 『イザヤ書』26:1 9, 『エゼキエル書』17:31−3 2,3 7:4−5) . つまり,ヘブル思想は,現実の生にその重点をおきながらも,苦難のな かにある人々に対して未来に対する希望を与えようとしている.このよう な思想の流れは,やがて,新約聖書のキリストの死と復活を信ずることに よって自らも苦難を超克し,復活し,新しい生命が与えられるという信仰 へと継承されていく. キリスト教における死生観の根本は,罪によって人間は死に服せしめら れたという考え方である( 『ロマ書』5章12節) .別の個所では罪の支払う 報酬は死である( 『ロマ書』6章23節)と記されている.ここでいう罪(ハ マルティア)とは, 「的をはずす」という意味であり,法的罪や道徳的罪 を指すのではなく,神との関係性の断絶,離反を指す. 本来,神は,人間によく生きるように律法を与えた.しかし,その律法 を守ることができる人間はいない,かえって,律法は心のなかに眠ってい る罪の実態が明らかにした.その意味で,義人は一人もいない.かくして, 人間は自分の努力で死を免れることはできない. しかし,このような罪人であっても,モラルハザード(自己責任回避) の愚を犯さず,自らの罪を悔い改めキリストの十字架による贖罪を信ずる 者は,神が与えた聖霊(プノイマ)を受け,キリストが再びこの世に来ら れるとき復活し,永遠の命を得るというのが,キリスト教の基本的な死生 1 死とは何か 5 観である.なお,キリストを信じた者はよき行いを為すことを勧められる が,よき行いをしたから救われるのではなく,よき行いは,キリストにお いて救われたことに対する感謝の気持ちを表すためになされるものであ る.以上をまとめると,キリスト教においては,キリストはわれわれの罪 のために死なれ( 『コリント第二の手紙』5章21節, 『ロマ書』8章3節) , 義とされるためによみがえられた( 『ロマ書』4章95節『テサロニケ!』4 章13∼17節) .そして,そのことを信じた人は,聖霊の導きのもとキリス トが死と復活を経験されたように,われわれも死んでも復活する,これが キリスト教の死に対する考え方であり基本的な死生観である. 次に仏教における死生観について考えてみたい. 紀元前463年頃に生まれたとされる仏教の開祖ブッダ(ブッダとはサン スクリット語で真理に目覚める人を指す)は,人生そのもの,つまり“生 老病死”は苦悩に満ちたものであると述べている.われわれの「生」の本 質にまつわりついて離れない“老病死”の本質を「苦」と定義したブッダ の眼力に今さらながら驚かされる. ブッダによれば,そうした人生における苦悩は,人間がもつ欲望,つま ぼんのう り執着なり煩悩によって生ずるという.彼は,人生における様々な体験 をとおして,この世は無常であり,あらゆるものは常住でないと悟る.日 こ け 本仏教の起点に立つ聖徳太子は, 「世間虚仮,唯仏是真」 ( 「上宮聖徳法王 帝説」 )と記している.これは,謙虚な自省をもって統治した聖徳太子が 仏教の真理を簡潔にまとめたものである.この世の中を虚仮として,否定 ないし批判できたのは,彼が人間の欲望それ自体のはかなさ,空しさを知 り抜いており,そうした煩悩や執着を根本から相対化し,死を絶えず見つ め, 人生そのものに対して諦念しており, 死を覚悟していたからであろう. りん ね てんしょう ゴーダマの死生観のなかで忘れてはならないのが,輪廻転生の思想で ある.この考え方はちょうど,車輪が回転するように人間は死後も生と死 を果てしなく繰り返すことを指す.この思想は,仏教の生まれる前のウパ ニシャット哲学(BC 8 00∼700)においてすでにみられており,後のジャ イナ教やヒンドゥー教にも受け継がれ,広くアジア全般に伝えられていっ た.古代ギリシャ(BC 600∼500頃)においてプラトンなどが主張した霊 魂不滅思想のなかにも,人間の霊魂が死後,他の植物や動物に生まれ変わ って流転するという輪廻説が説かれている. 日本でも『日本霊異記』などを見ると,仏教が伝来(552)すると同時 に, この思想が取り入れられたことがわかる. ここで述べられているのは, 死後,人間は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6つの生き方を転生 するという「六道輪廻」は,特に有名である.こうした考え方の背後に は,この世における行為と来世における報償とが関係があるということ, 6 第1章 死を考える つまり, 「業」すなわち,因果応報の思想があって,この輪廻思想と因果 応報の思想が密接に結びついている1). なお,キリスト教の源流となるユダヤ思想のなかにも,病は人間の罪に よるとする因果応報の思想がみられる.イエスは,このような因果論的な 考え方に触れず,病という禍にも神の業が現れるためであるという目的論 を呈示,新しい考え方を示した( 『ヨハネによる福音書』9章1∼4節) . 紀元前5∼6世紀に生まれた仏教の,人間の生は「六道輪廻」するという 死生観は,後になって宿命論,運命論に陥る危険性があるとみなされるよ うになり,無限に輪廻するという考えから離脱し,解脱を目指すのが仏教 であるとの考え方が根づくようになる. つまり,仏教が本来,目指すべき解脱は,回輪・回帰する時間の流れか ら脱け出し宇宙的生命あるいは大いなる存在自体と一体化してゆくことを ね はん 3) 志向する.解脱2)は,本来,サンスクリット語のニルバーナ(涅槃) に由 来し,本来は,生命の火が吹き消された状態,つまり死を意味する.解脱 はこのように,欲望により火のように燃えさかる生命を離脱し,悟りの境 地に達することを意味するようになった,キューブラー = ロス(Kübler= Ross, E.)の死にゆく患者の最終段階で,解脱ないし涅槃といった言葉が 使われているが,これは,この言葉に由来している. なお,インド哲学においては,宇宙の根本原理は,ブラフマン(梵= 4) Brahman) とアートマン(我=Atman)である.梵我一始は,仏教の源 流であるバラモン (ヒンドウ) 教の根本思想の一つである.アートマン (我) は輪廻の本体であり, 「真の自己」を意味する.またアートマンは,もと もと呼吸,気息(ドイツ語の Atem という言葉は呼吸と関係する.ちな みに,キリスト教の聖霊を意味するプノイマも息という意味をもつ)を意 味し,後には,人格的原理を示すものとなった. ブラフマン(梵)は,宇宙の根本原理である.それは,生きようとする 意志を示し,宇宙の意志であるこのブラフマンは,小宇宙である個々の人 間のなかに,アートマンという形でつながっている.したがって,神と人 間,物心の対立はなくなり,梵我一如の考え方が東洋の宗教思想の根本と なる.そして,この世の中にあるものは,究極的にはアートマンとブラフ マンを除く一切はマーヤー(幻影)のように実在しないのであるという. 初期仏教においては,アートマンを否認していなかったが,後に縁起説 の立場から無我の思想が説かれるようになり,アートマンは存在しないと 1)山折哲夫編:世界宗教大辞典,平凡社,1 9 9 1,p.2 0 5 0. 2)前掲書1) ,p.5 8 8. 3)前掲書1) ,p.1 4 6 0. 4)前掲書1) ,p.1 6 9 0. 1 死とは何か 7 説かれるようになった.ただ,丸井・護山は,仏教が形而上学的なアート マンを否定する一方で,すべての学派が肯定しているわけではないが「中 有」 (死から誕生までの中間の生存)という概念を措定しているとし,こ の中有という考え方が「倶舎論」において展開されている理由こそが,仏 教において明確な自己責任の倫理と,自己のアイデンティティの存在を訴 えることにあったとしている.つまり,仏教におけるモラルハザード(自 己責任回避)を防ぐ仕掛けがそこに存在しているというのである5). D 生物学的な考察 ひとくちに生物学的死といっても,それは“点”として存在するのでは なく, “線”として,つまり,連続したものとして,存在する. たしかに,死とは,生物個体を構成している細胞の中で生命を維持する ために行われている様々な化学反応や物質代謝の過程そのものが,活動を 停止し,外見的にも生命現象が停止したことを確認された状態を指す.あ るいは,死は細胞や組織によって支えられている意識自体がなくなること であると考える人もいる.そして,意識がなくなれば,人格もなくなると 主張する学者もいる.これらの学者は,死を生物学的にとらえているとい えるだろう. 中枢神経系の発達していない下等動物には,意識はあるとしても,死の 恐怖や不安はない.しかし,人間は意識がある間は,死の恐怖や不安があ る.人間が生物的に死ねば,人間であることの証である死の不安や恐怖は 消失する. 人工呼吸器が開発され,用いられるようになってから,脳死という概念 が生まれ,たとえ生体生命維持機能が失われても,ある程度の時間は心肺 機能は維持できるようになった.心臓移植の前提となる脳死状態に陥って から心臓死に至るまでには時間差がある.心臓死は,呼吸停止,脳機能の 崩壊を意味する瞳孔散大・対光反射の消失,心臓の拍動の停止のいわゆる 3徴候をもって判定する.なお,角膜や腎臓は,酸素不足に抵抗性があり, 心停止後に摘出してもある程度通常の機能を維持できるので,心停止下で も移植できる.いずれにせよ,心臓死後,爪がのびたり髪も生えたりする から,個々の細胞がすべて死に至るまでには時間差があることになる. 単細胞生物では,単細胞の死は個体そのものの死を意味する.しかし, これまで記してきたような多細胞生物である人間の生命現象を観察すると き,脳,心臓,角膜,腎臓,皮膚のどれをとってみても,こうした臓器が 5)丸井浩,護山眞也:インド・輪廻思想の種々相(関根清三編:死生観と生命倫理,東大出版会,1 9 9 9,p.9 3. ) 8 第1章 死を考える ご注 文はこちらから http://www.medical-friend.co.jp/
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