情報誌 - 終活倶楽部

みじまい
終活
情報誌
空き家対策特別措置法で、固定資産税がどう変わる?
﹁家が資産ではなく、負債になるという現実﹂
特集 ﹁人生の折り返しを迎えた、大人の心構え﹂
あなたの家は
大丈夫?
2015 夏号
無料
素敵に歳を重ねたい 50歳からの
美しい身終い
「美しい身終い」のすすめ
近年ブームになっている﹁終活﹂では、
生きているうちに自分の葬儀の方法やお墓を
決めたり、﹁生前葬﹂を行ったり、また遺産で
もめないための﹁遺言状﹂の作成や、自分の
意志を伝えるための﹁エンディングノート﹂
というものを書いたりと、さまざまな終活が
行われています。
もちろんこれらのことは確かに重要なことで
はあるものの、実際にはこれらのブームが、
企業などの﹁終活ビジネス﹂というかたちで
仕掛けられているものであるということも、
私たちは認識しておかなければなりません。
その上で﹁本当にやっておべきことは何だろ
うか?﹂ということを自分自身で考えていた
だきたいと、この終活情報誌を発行しました。
人生にはこの世に生まれた﹁出発点﹂があれば、
死という﹁終着点﹂もあります。
﹁終わりよければすべて良し﹂と言いますが、
人生とはまさにそんなものかも知れません。
何気なく過ごしている毎日ですが、私たちの歩む先に
やがて終着点があるとわかっているなら、
ある地点を過ぎた頃から、
自分で少しずつ人生を終えるための準備が必要です。
美しい身終い
この世に生を受けたときに店を開いたのだから、
最後は店じまいをしなければと言う人が居ます。
確かにそういう表現はあたっていると思います。
その店に何を並べていたのか、そしてどんなお
客さんが来て下さっていたのかは、人それぞれ
で大きく異なっているのでしょうが、店じまい
をする時には皆同じなのです。
私たちは死というものに、程度の差こそあれ、
恐怖というものを感じていますが、
それは生というものに未練があるからです。
私たちが未練を持つのは
日常で膨らみ続けた欲が生み出した結果であり、
生きるとは欲を持つということに他なりません。
欲というのは、物質的にも精神的にもさまざま
なものがありますが、私たちはそういうものに
縛られながら生きているのです。
死というものを避けることができない以上、
私たちはある年齢に達した頃から、徐々にその
未練を少なくする努力をしながら、死というも
のと折り合いをつけなければなりません。
生きるということは日常生活の積み重ねですから、
暮らしの中のさまざまなことに、ひとつひとつ
﹁小さなケジメ﹂というものをつけることで、
やがて自分の中での納得をすることが出来る筈です。
死について語ることや準備をすることを
﹁縁起が悪い﹂と考える人が多いようですが、
生きている間に﹁終わる準備﹂をしなかったばかりに
残された家族を困らせてしまうことがあるとすれば、
それを自分で準備しておくことは、
逆に﹁縁起が良い﹂ことなのです。。
折り合いの付け方もまた人それぞれでしょうが、
いずれにしても、﹁立つ鳥跡を濁さず﹂という
格言にもあるように、立ち去るものは見苦しく
ないよう、綺麗に後始末をして行くべきであり、
人生の引き際は美しくありたいと思います。
だからこそ﹁死﹂というもので、そのを断ち切
られることに未練を感じてしまうのでしょう。
今日をどう生きるか?ということは、
病に伏し、明日をも知れぬ者にとっては切実な
課題ですが、実際のところ、死期が近い遠いな
ど誰にも解るはずはなく、誰にでも﹁明日が来
る﹂という保証などありません。
﹁身終い﹂とは、まさに
﹁自分のことはきちんと始末をしておくこと﹂。
そしてこの世を去る時、誰にも迷惑を掛けること無く
残した家族や友人たちへの愛情や感謝の気持ちを、
きちんと残すための作業なのです。
お金や地位、そして必死で溜め込んだモノは
アチラの世界へ持って行くことはできません。
残された家族にとってかけがえのない贈り物は
﹁ありがとう、素敵な人生だったよ﹂という
アナタの言葉であり、
その一言が残された者たちの心を癒すのです。
だからこそ、平均寿命から逆算して、減って
行く残りの時間に怯えるのではなく、自ら積
極的に与えられた時間を楽しみ、日々の生活
にケジメをつけながら、新たな朝を迎えるこ
とに感謝し、有意義な一日を送りたいものです。
特集
「人生の折り返しを迎えた、大人の心構え」
人生80年と言われるようになって久
しくなりましたが、
厚生労働省の発表では、現在日本の平
均寿命は、男性が約80歳、女性の方
は約86歳だといいます。
たとえば65歳で定年退職して85歳
まで、一日10時間なにかの活動した
とすると、その時間は約7万時間。
これは一般的な人間が大学を卒業後、
就職をしてから定年退職するまでの労
働時間とほぼ同じものになります。
それがいったい何を意味するのかとい
えば、定年後が﹁余生﹂と呼ばれるに
は余りにも長く、もはや新しい人生の
始まりとして、積極的に生きて行く必
要があるということなのです。
老いというものを何歳からと捉えるの
かは人それぞれですが、しかしながら
﹁どのように老いを生きるのか﹂とい
う問題を、私たちすべてが真剣に考え
る必要に迫られていると思います。
﹁私は木を切るのに忙しくて、斧を見
る暇がなかった﹂
一人の実業家が定年後に語ったという
この言葉ですが、寸暇を惜しんで他人
よりも良い木を、より速く、より多く
切ることに専念し、働いたこの人が、
仕事をやめた時に気づいたのは、刃が
ボロボロに欠けた斧だったでした。
自分の分身とも言える斧を、何故手を
休めていたわってやらなかったかを悔
やんだ言葉ではないでしょうか。
自分をいたわる余裕もなく、家族のた
めに必死で働いたあげく、やっと仕事
から解放されたというものの、次に襲
いかかる﹁自分は何のために生きてい
るのか?﹂という、喪失感に苛まれる
方たちもいらっしゃると聞きます。
良くも悪くも仕事の中で、誰でも一つ
の﹁歯車﹂というものに過ぎませんが、
仕事から離れてはじめて﹁歯車﹂から
本当の一個人としての﹁自分﹂に戻る
ことができるのです。
これからの人生は歯車という部品では
なく、自分をひとりの人間として必要
としてくれる人たちのために、命を使
っていただきたいと願います。
夫が知らない
妻たちのストレス
定年を控えた方の多くは、後は趣味や
旅行などをしてのんびり過ごしたいと
考えていらっしゃると聞きますが、い
ざ仕事を辞めてみると現実は全く違っ
ていたりするのです。
解放感にひたっていられるのは最初の
数カ月で、やがて焦りや喪失感に襲わ
れたりする方が増えています。
仕事一筋で家庭をかえりみず、地域の
交流にはまったく関心を持たなかった
会社人間タイプの男性が定年になると、
大変に苦労することが多いものです。
自由というものの使い方がわからず、
これまでの仕事以外の人間関係もほと
んど持たないため、退職した途端に家
に閉じこもってしまう人もいます。
そうなると、当然妻に対してしわ寄せ
が来ることになり、妻までストレスを
抱え込んでしまうのです。
夫が一日中家に居ることによって、妻
が感じるストレスの中でも、特に大き
いのが、夫の昼食を作らなければなら
ないことだといいます。
﹁たかが昼食くらいで﹂と夫は意外に
思うことのでしょうが、妻にとっては
大きな問題なのですから、こんなとこ
ろから夫婦の溝が更に深まってくるか
も知れないのです。
定年になって自分が家にいる時間が増
えれば、妻は喜ぶだろうなどと考えて
いる夫はとんだ思い違いをしています。
子供が手を離れてからの妻というのは、
それまで1日のほとんどを自分の好き
なように時間を過ごし、昼食は適当に
残り物で済ませていたのですが、夫が
毎日家にいるようになると、それが出
来なくなるのです。
まして﹁何が食べたいのか﹂と聞けば
﹁なんでもいい﹂と言うくせに、残り
ものを出せば不機嫌な顔をする。
これは妻にとって大きなストレスであ
ることを、夫はまず理解しなければな
りません。
最近、定年退職した夫の昼食を作るた
びに、離婚を考えてしまうという奥さ
んがいらっしゃいましたが、どうやら
一人や二人ではないようなので、世の
男たちにとってはかなり深刻な問題だ
と自覚する必要があるようです。
定年になれば時間はたっぷりあるので
すから、夫も恥ずかしいなんて思わな
いで、妻に内緒で料理教室などに通い、
たまには料理を振る舞ってあげるよう
なことでもしてみればいかがでしょう。
いずれにしても、妻が何を求めている
のかを察知することが、退職後の夫婦
円満の秘訣のようですね。
地域の人と積極的な交流を
退職後に何をやりたいのか解らないと
いう人は、まずは積極的に町内会の行
事に参加するべきです。
その土地に長い間住んでいてさえも、
早朝に出かけ、夜に帰宅という仕事人
間であった男性であれば、地域の人た
ちの顔さえ知らないなんていう場合も
ありますから、町内会の行事は近隣の
方たちと顔なじみになる良い機会です。
ただし、会社人間タイプだった男性が
退職後に地域の活動などに参加したり
すると、つい昔の癖がでて、まわりの
人に対し命令口調や威圧的な態度にな
っていたりすることがあるので、特に
気をつけたいものです。
男性はプライドが高いので﹁俺は現役
時代には部長だったんだ。そんなくだ
らないことできるか﹂といった態度が、
無意識に出てしまったりするものです。
昔どんなに偉い役職についていようが、
退職したら皆同じ立場なのですから、
交流の席などでは昔の自慢話をするの
ではなく、その経験を地域の活動など
に生かしながら、新しい人間関係づく
りをしていくことが大切です。
逆に、女性は現役時代に何をしていた
とか変なプライドもないので、誰とで
も普通に話ができ、すぐに打ち解けら
れるという特性を持っているため、女
性の方が地域の活動に積極的に参加し
ながら、新しい人間関係をつくるのが
上手なようです。
モノを「捨てる」ということ
家の主役はあなたなのです
この際家の主人の座をモノから取り戻
し、自分が選んだモノたちに囲まれた、
優雅で気持ちの良い空間で毎日を過ご
してはいかがでしょう。
なんとなく﹁よ∼し、この際頑張って
処分に手間が掛かるモノは
処分してみようか﹂と思い立った方が、
早めに処分しましょう
いざ始めて見るとまず最初につまづく
ことがあります。
自分が死んだ後には、ほとんどの物が
不要となることが普通です。
実はモノを捨てようとすると﹁まだ使
えそうだ﹂とか﹁捨てるにはもったい
仮に子供や孫などが居たとしても、そ
ない﹂という理由から、遅々として作
れぞれが自分の家庭を持っている場合、
業が進まないのです。
家財道具などはすでに っているので
すから、彼らに譲るものなど特には無
大きな家具などはさておき、あなたの
私たちは幼い頃から﹁モノを大切にし
いはずです。
家の中には膨大なモノが溢れているだ
なさい﹂と躾けられながら育ちました。
ろうと想像します。
そのため、使えなくなったり壊れたり
だいいち、今の若者が年寄りの使って
していないものを﹁捨てる﹂というこ
いたモノを欲しがるはずもありません
そりゃあ数十年かけて溜め込んできた
とに、ある種の﹁罪悪感﹂を感じてし
し、よほど骨董価値のあるモノでない
わけですから、これを整理しようと思
まう精神になっているのです。
限り、すべて廃棄されると思って間違
えば、気が遠くなるのは当たり前です。
いありません。
そもそも﹁モノを捨ててはいけない﹂
とは言っても、残された者がやるのか、 というのは戦時中から戦後にかけて、
自分の死後、引き続き誰かが家に住む
自分がやるのかという、ふたつの選択
モノが乏しかった時代の教育であり、
のであれば、当人に﹁何を残しておく
肢しかないのですから、やれるだけの
現代のようにモノが溢れ続けている時 ﹁今は必要でないが、また必要になる
のか﹂という相談も必要ですが、誰も
ことは自分で頑張るしかありません。
代に当てはまるものではありません。 かもしれないから﹂とおっしゃるなら、
住まないという場合は、かなりの家財
それはいつのことですか?
道具などの廃棄処分が必要になります。 やはり、自分で広げた荷物は自分の手 ﹁もったいない﹂という精神は日本人
で、生きている間にやっておかなけれ
が持つ美徳として、永遠に持ち続ける 私たちは自分の﹁死期﹂を残念ながら
そういったことを遺族にまかせるとい
ばならない仕事だと思います。
べき心だと思いますが、それを違う意 知ることができません。
うことは、手間とお金が掛かる大変な
味で捉えてはなりません。
ですから、十年後も生きているのか解
作業となりますので、できれば自分の
なぜならば、﹁そのモノ﹂が家に存在
りませんし、一年後の保証さえどこに
手で生前に少しづつでも処分しておき
しているのは、あなたのせいだから。 ﹁もったいない﹂という心はモノへの
もないのです。
たいものです。
それらを集めて来たのは、アナタ自身
いたわりと、作った人への感謝の気持
なのですから、それを他人に片付させ
ちですが、そのモノが自分にとって必 であるならば﹁いつか・・・﹂という
そして、そのためには﹁気力﹂﹁体力﹂ るということは甚だ迷惑なことです。
要のないものであれば、ためらうこと 考えさえもゴミ箱に捨ててしまい、
﹁時間﹂というものが、まだ残ってい
なく﹁手放す﹂勇気も必要なのです。 ﹁今﹂という現在を最高に豊かな気持ち
るうちに始めたいのですが、﹁どれも
もちろん、あなたが亡くなってしまえ
で過ごすことを考える方が、より有意
残っていない﹂とおっしゃるならば、
ば、誰かが﹁感情抜き﹂で、すべてを
そこで、モノを処分する際の心得とし 義なことではないかと思います。
誰かに協力を仰ぐか、業者に任せると
ゴミ箱に捨てることはできるでしょう。 て、モノは捨てるための﹁考えるコツ﹂
いう方法をとるしかありません。
というものがふたつあります
家の主人はあなたであり﹁モノ﹂では
しかし﹁何故それがこの家に存在する
決してない筈です。
のか?﹂という、あなたの過去の感情
ひとつは、それを必要とするのが﹁私﹂
とは無関係に、家に存在していたモノ
であるのかということ。
﹁今のあなたに﹂必要でないものに家を
がゴミとして扱われてしまうことは、
そしてもうひとつは、それが﹁今﹂必 占拠され、モノを押しのけながらやっ
とても残念な気がします。
要なのか?ということ。
と作った空間で生活していらっしゃる
のであれば、それは住まいというもの
ではなく、物置に暮らしているに等し
いような気がします。
家にある膨大なモノの数々は、いらな
いのに買ったものではない筈ですが、
実際に今も必要として使っているかど
うかは別の問題です。
家を整理していると、﹁あ、これはあ
モノを使うのはあなた自身であり、そ
の時に買ったんだ﹂などと、一つ一つ
して過去でも未来でもなく﹁今﹂必要
のモノに、昔の思い出が宿っている筈。 なのかということなのです。
そんな思い出のモノをひとつずつ処分
していく過程において過去と決別し、
これからの新しい人生のページを開い
て行くものだと考えます。
モノを「捨てる」ということ
モノは使ってこそ値打ちがある
何故そんな風に考えるのでしょうか。
それは自分の持ち物なんですから、そ
れを使う権利はあなたにあるのです。
勿体なくて使えないというモノなら、
家に置いておくこと自体が勿体ないこ
とではないでしょうか。
ある方が、里で一人暮らしをするお母
さんに羽毛布団をプレゼントをしたそ
うです。
モノを捨てるということは、その過程
ところが、実家に泊まることが無いの
において自分自身を見つめることに繋
で二年あまりも気づかなかったある日、
がります。
ふと羽毛布団の寝心地を尋ねたところ、
お母さんの思いがけない返事に唖然と
捨てる作業の中で一番肝心なことは、
したそうです。
﹁もったいない﹂﹁まだ使えるから﹂
という精神的、機能的なことではなく、 ﹁勿体なくて、お客様用にとってある﹂
モノと自分の関係を問う姿勢なのです。 とおっしゃったそうなのです。
見栄を張れるくらいのカップだったら、
それを自分たちが毎日の生活の中で使
えば、とても気持ちの良い珈琲タイム
が過ごせるはずなのにと思います。
実際のところ、本当に大切なのはお客
様ではなく、自分の﹁見栄﹂なのでは
ありませんか?
なぜ飾り棚に素敵なカップがあるのに
使わないのですか?
お客様がそんなに大切なのですか?
それなのに、自分たちがいつも使って
いる愛用のカップといえば100円
ショップで買ったのかと思うような安
物のカップ。
そんな風に考えながらモノを選び、そ
して使いこなす内に、家の中には素敵
なものだけが残り、最高に居心地の良
い空間となるはずです。
家で一番素敵で気に入ったものを自分
の普段使いにすることで、そのモノに
見合うだけの価値がある自分に磨かれ
ていくのです。
家で一番高級なモノは、自分が使うん
だという﹁許可﹂を自分自身に与えさ
えすればいいのです。
勿体なくて使えないと思うようなモノ
を自分で使えるようになるには、実は
とても簡単な方法があります。
﹁モノ﹂は使ってこそ値打ちがあること
を忘れてはなりません。
使う主人は常に自分なのですから、
泊まりに来るお客さんって誰? 家族
﹁これは自分にふさわしいのか?﹂と
以外に誰も泊まるはずが無いのですか
考える癖をつけることが大切です。
ら呆れてしまい、﹁お母さんのために買
ったのだから使いなさい﹂と強制した
どこのご家庭でもよくある光景ですが、 そうですが、その後お母さんの口から
お客様用として高級そうなカップが、
大切そうに飾り棚に並べられています。 ﹁こんなに羽毛布団が気持ちいいなら、
もっと早く使えば良かった﹂という言
葉を聞き、苦笑いをしたそうです。
﹁高級なものだから勿体ない﹂なんて
おっしゃるということは、逆にいえば
﹁そんな高級なモノは自分が使うには
ふさわしくない﹂と言ってるのと同じ
ことなんです。
他人のモノはゴミと同じ
目線はいつも引き算で
捨てるということは、自分の身の周りの
ものを厳選していくことで、自分の存在
価値と意識を高めることにつながります。
一度すべてのいらないものを削ぎ落とし
てしまうと、次からは何かモノを買おう
とする時に、ふと考えるようになります。
﹁これは本当に必要なものなのか?﹂
﹁自分にとって似つかわしいものなのか﹂
そう考えるようになると、ますます家に
侵入して来るモノが厳選されますから、
常に自分の身の回りには心地よいモノだ
けが集まることになるのです。
たかがコーヒーカップ・・・たかが茶碗
と侮ってはなりません。
毎日使うものによって、自分の意識はど
んどん変化していくものなのです。
ちなみに、一人暮らしでないかぎり、 私たちは常に﹁アレも欲しい、コレも欲
家の中には同居人の所有するモノもあ しい﹂と、色んなものを所有することで
るわけですから、捨てる作業もそう簡 満足感を得ているのですが、﹁いらない﹂
という選択肢も私たちにはあるというこ
単にはいかないものです。
とを忘れてはならないと思います。
その気になって捨て始めたものの、気
になるのは同居人に所有権のある物体。家の中に何も無い状態で、新しく引っ越
してきたと想像してみて下さい。
この際はっきり言ってしまいますが、 今ある膨大なモノの数々を、わざわざ家
私たちは夫婦であれ、自分のモノ以外 に持ち込もうと思いますか?
は邪魔で不要なものと感じるのです。
一度家の中を見渡しながら、これまでの
人間も動物ですから、同じ屋根の下で ように﹁こんなものがあれば、もっと素
縄張り争いを繰り広げているのです。 敵になるのに﹂という足し算ではなく、
自分の領域に人のモノが投げ散らかし ﹁どれがなかったら、もっとスッキリと
てあれば文句を言うくせに、自分も平 気持ちよくなれるだろう?﹂と、引き算
気で人の領域を侵略しているのです。 で考えてみてはいかがでしょう。
夫が変なモノの収集癖を持っている場
合、妻が﹁こんなのゴミでしょう﹂と、
うっかり捨てそうになった日には、夫
の方は自分自身を否定されたような気
持ちになり、大騒ぎになりかねません。
というわけですから、所有権の無いモ
ノに対して﹁この際捨ててしまいたい﹂
という欲求がいくら込み上げて来よう
とも、決して承諾なしで捨てたりしな
い方が身のためです。
素敵な年寄りになるために
可愛げのある年寄りになろう
介護などの仕事をしている方が、よく
おっしゃる﹁こんな人だったらより頑
張って介護したい﹂という共通する老
人のタイプがありますが、どんな方だ
と思いますか?
それは﹁かわいい人﹂だそうです。
おまけに人の話を聴こうともせず、一
方的に自分の苦労話や身内や他人の陰
口ばかり言っているような人と一緒に
居たいと思いますか?
心に柔軟性を持たせましょう
歳をとればとるほどに、人は心も身体
も柔軟性を失うものです。
シェイクスピアのこんな言葉があります。
しかし、いつまでも怒っている人という
のは﹁執念深い人﹂に見え、それは自分
自身が一番損をしていることに気づきた
いものですし、何よりも大変に大人げな
いことだと気づくべきです。
一度人前で感情をあらわにしてしまうと、
すぐに機嫌を直すということは、世間体
邪魔したり、あるいはつまらないメンツ
があってなかなかできるものではないよ
うです。
いつもそんな仏頂面や陰口を聞かされ 身体の柔軟性ばかりはある程度仕方が
るのでは、残念ながら人が次第に周り ないものの、心の方は思いようでいく
から離れていくのは当然のこと。
らでも柔らかくなる筈ですが、それが
できないということであれば、心に何
年配の方というのは自分の固定観念が らかの﹁執着﹂というものがあること
強くなりがちなのですが、自分を振り を自覚する必要があります。
返ることも必要ではないかと思います。
﹁今泣いたカラスがもう笑う﹂という言
葉がありますが、泣いていた子どもが、
次の瞬間もう笑っているというのは、
子どもの豊かな感性と柔軟性を表して
おり、逆に大人になるとなかなかそうは
いかないものです。
人間関係の中で好き嫌いの激しい方が
いらっしゃるものですが、実際のとこ
ろ﹁アイツは嫌いだ﹂とおっしゃる場
合、それは自分にとって嫌なヤツな訳
で、本来﹁嫌な奴﹂という人はどこに
も存在しないのです。
私たちが誰かに対して好き嫌いを感じ
るのは、あくまでも﹁自分にとって﹂
ということであり、その人の家族や友
人たちにとっては、かけがえのない存
在であるのです。
誰にでも毎日使っている愛用のカップ
やお茶碗というものがあるはずですが、
それらは自分が気に入って使っている
ものの、それ自体は﹁良い悪い﹂とい
う存在ではなく、あくまでも﹁ただの
カップと茶碗﹂なのです。
結局﹁好き嫌い﹂や﹁良い悪い﹂とい ﹁この世界はひとつの舞台。人間はすべて
うことは﹁自分にとって﹂というだけ 役者にすぎぬ。それぞれの舞台に登場し
であるということを理解すれば、人間 ては退場していく。
関係で生じる不満のほとんどが﹁自分 どうせ年をとるなら陽気な笑いで皺をつ
の主観﹂であると解決するはずです。 けたい。
機嫌がいい人のまわりにいると、自分も
とは言うものの、そんなに簡単に解決 機嫌がよくなる。
しないから、毎日誰かに腹を立てたり、 しかし、機嫌が悪い人の近くにいると自
悲しんだり悩むんですよね。
分も不機嫌になる。機嫌も不機嫌も感染
︵うつ︶るからだ。
いつも笑顔を心がけて過ごしてきた人
の顔には﹁笑皺﹂が刻まれて、とても
優しい素敵ですが、そんな人と一緒に
いるだけでこちらも心が癒され、いつ
もそばに居たいと思うものです。
時折自分の表情を鏡で見ながら、しか
めっ面をしてないかな?と確認してみ
ることも必要ですね。
笑顔を自らの習慣にしたい﹂
明るく陽気な人はいつも機嫌がいい。
いつも明るく陽気でいるには笑顔でいる
こと。笑顔でいれば、笑いに囲まれる。
しかし、こういった人は稀であり、大
半の年配者の顔はしかめっ面であり、
出て来る言葉は常に愚痴ばかり。
決して難しいことではないものの、そ
れを長い年月をかけて積み上げるのは
とても難しいことなのです。
周りに人が集まる人に見られる特徴は
﹁笑顔﹂と﹁人の話をよく聞く﹂こと、
そして﹁人の悪口を言わない﹂。
年配者の方を見ていると、ある共通点
があることに気づきます。
しかし次第に体が弱って体力や気力が
落ちてきても、果たしていつまでもそ
んな強がりを言い続けることができる
ものでしょうか?
若いうちなら一人でも構わないでしょ
うし、わずらわしい人間関係などいら
ない思う人もいることでしょう。
人から好かれて、周りにいつも人が集
まるお年寄りもいれば、人から嫌われ
て、いつも孤独なお年寄りも居ます。
年寄りと言えばまさに人間の集大成。
その人がどんな考え方や生き方をして
きたのかは、その人柄を見ればよくわ
かるものです。
年寄りとしてはこんな言いかたをされ
ると、少々ひっかかる方もいらっしゃ
るかもしれませんが、実際は﹁かわい
い人﹂というよりも﹁可愛げがある人﹂
と言いかえれば、何となく解るような
気がしませんか?
なぜ、人に好かれる?嫌われる?
何をしても文句を言われたり、まして
召使いのように命令口調で言われてし
まうと、積極的にお世話をしてあげた
いという想いがしだいに薄れてしまい、
最後には仕事だからしょうがないとい
う気持ちになってしまいますと、皆さ
ん口をそろえておっしゃいます。
自分で何でも出来る内はそれでも構わ
ないかもしれませんが、やがて身体も
不自由になり、誰かにお世話になるこ
とがあれば、素直に感謝する気持ちを
持つことが必要なことだと思います。
誰でも年を取ってくると、良くも悪く
も﹁その人の地﹂が出てくるものです。
文句を言ったり、人のあら捜しをする
ことが得意な方もいらっしゃるでしょ
うが、それでは﹁可愛げのある人﹂に
はほど遠く、せっかく人様が好意でし
てれたことも仇で返すことになります。
決して自分の意志を曲げても、他人の
言うことやしてくれたことを感謝しろ
と言う訳ではありませんが、人様から
いただいた﹁好意﹂を﹁ありがとう﹂
とちゃんと受け止めながら自分の意志
もきちんと伝えることが、人間同士の
コミュニケーションです。
結局﹁かわいい年寄り﹂とは、自分の
意志をちゃんと持ちながら、いつでも
﹁ありがとね﹂とニッコリ微笑んで、
つねに相手を幸せな気持ちにしてあげ
られる人のことではないでしょうか。
そして、それが年寄りだからこそ社会
に対してできる、最後の奉仕活動では
ないではないのかな?と思うのです。
お墓について
お墓に対する若者の認識は、年々希薄
になりつつあると言われていますが、
今一度家族でお墓というものを、しっ
かりと考えてみる必要があるのではな
いでしょうか。
墓じまいするということ
墓じまいということを考える時は、自
分たちだけでなく、後世に続く子供た
ちのことも念頭に入れながら、十分に
話し合っていただきたいものです。
改葬について
いずれにしても、あとで後悔すること
のないよう、事前に菩提寺や専門の業
者等によく相談してから決めましょう。
ここ数年前から﹁墓じまい﹂という言 改葬とは、言い換えれば﹁お墓の引っ
葉を耳にすることが多くなりましたが、 越し﹂ということです。
皆さんはご存知でしょうか。
お墓を管理すべき人が都会や遠方に住
墓じまいとは簡単にいえば墓石を撤去 んでいるため、お墓参りが大変困難で
して墓地を返還すること、言い換えれ あるということが大多数の理由になり
ばお墓を閉じてしまうことです。
ますが、いずれにしてもお墓を維持管
理するために、住居の近くなどへ移動
家の跡取りがなく、誰もお墓を管理す させることを改葬と言います。
お墓は誰が継承しますか?
る者がいなくなった場合に、しかたな
くそうせざるを得なくなったというの 改葬するためには、まずは現在のお墓
お墓というものは一般的に先祖供養を
が一般的な原因なのですが、最近では を閉じることになりますので、前述の
するための祭祀財産と考えられ、代々
跡取りがいるにもかかわらず、子供に ﹁墓じまい﹂と同様、現在の墓石を撤
継承されることを前提としています。
負担をかけたくないとか、また遠方に 去したあとで移動することになります。
住んでいるため、墓参りをするという
しかし、現在では少子化が急速に進む
ことが時間的にも経済的にも負担であ お墓の引っ越しという作業は、人間で
中、これまでのように﹁○○家先祖代
るという理由もあるようです。
いう﹁住民票﹂の移動と同じように、
々之墓﹂というもを継承していけるの
数々の手続きが必要になります。
かどうかが問題になっています。
それぞれの家庭には色んな事情があり
ますから、本来他者が口を挟むべきこ まず、新しい転居先の墓地で﹁受入証
兄弟姉妹が少ない家庭に生まれた場合、
とではないと思いますが、ただ本当に 明書︵永代使用許可証︶﹂を発行して
夫婦それぞれが自分の親の祭祀継承者
﹁墓じまい﹂という方法を選択する他に もらいます。
になってしまい、一つの家庭で複数の
手段は無いのでしょうか?
次に現在の墓地の管理者に﹁埋葬証明
お墓を抱えることもあります。
書︵納骨証明書︶﹂を発行してもらい、
そういった場合においては、それぞれ
本来お墓というものは先祖を供養する 現在のお墓がある市区町村役場に二つ
のお寺の檀家として役目を果たすこと
場所であり、言うなれば自分のルーツ の書類を添付して﹁改葬許可申請﹂を
に対して、金銭的にも精神的にも負担
の根元でもあるのです。
行います。
を感じる場合もでてきます。
木に例えれば根っこが先祖にあたり、
幹や枝は親、花や実は子孫のようなも ﹁改葬許可証﹂が発行されたされたあ
また、子供たちが皆都会に出て行って
のではないでしょうか。
と、いよいよお墓から遺骨を取り出す
しまい、田舎に残された親が亡くなっ
ことになりますが、通常その際には宗
てしまった場合には、先祖のお墓だけ
そんな木の根っこを切り取ってしまえ 教者に依頼して法要を執り行います。
がとり残され、子供たちにとっては墓
木はもちろん枯れてしまいます。
参りに帰るだけで相当な時間と労力、
そして、枯れることはすなわち家の歴 現在の墓地を返却する際には、購入し
そして金銭的な負担が掛かるため、今
史が絶えてしまうことに他なりません。 た状態に戻すことが必要ですので、墓
後﹁墓を継承する﹂ということは、一
石の撤去や墓地の処理に関しては石材
家族の問題にとどまらず、全国的な課
モノであればまた買うこともできます 店などに依頼しなければなりませんか
題となりつつあるのです。
し、疎遠になった親族なども、また代 ら、事前に費用等の相談をしておくこ
替わりして若者同士の復縁も可能です。 とが重要です。
墓地使用権は一度取得すれば、その権
利は永代にわたり有効で、名義変更の
しかし、先祖代々の墓を閉じてしまう また﹁改葬﹂と一言で言っても、さま
手続きだけで継承することはできます。
ということは、自分がこの世に生を受 ざまな場合があり﹁遺骨だけの移動﹂
しかし、継承する縁故者がいなくなり、
けるまで、脈々と受け継がれて来た命 や﹁遺骨と墓石のすべての移動﹂そし
誰も管理する者が居なくなれば、やが
のバトンを投げ捨てることと同じ行為 て﹁遺骨の一部を分骨して移動﹂とい
ては﹁無縁墓﹂となってしまうのです。
ではないのかと思うのです。
ったものがあります。
お墓というものを、もう一度考えてみたい
空き家対策特別措置法で、
固定資産税がどう変わる?
﹁新しい法律ができていたなんて、
まったく知りませんでした。
私の家族は現在神奈川に住んでますが、両親は数年前に亡く
なったため、今は年に一度お盆に墓参りに帰省するだけです。
将来島根の実家には戻る気はありませんが、自分が生まれ育
った家を壊してしまうというのは、
なんとなく思い出もすべて
失ってしまうという寂しさや、親の家を放棄することも忍び
ないと思い、何となくそのままにしていたんです。
ところが、法律が変わって税制上の優遇措置がなくなるとい
うことなので、
もう空き家のままの実家を持っているわけに
はいきませんね﹂
10年以上にわたって
﹁空き家﹂
となった実家を所有してきた
Aさん 六(十五歳 は)嘆きます。
皆さんは3月1日から施行された
﹁空き家対策特別措置法﹂
をご存知でしょうか。
これまで更地の6分の1だった固定資産税の税率が更地と
同様になり、空き家を持つ人は従来の6倍の税負担を強いら
れる恐れがある法律が、
この春から新たに出来たのです。
総務省の発表では昨年の7月の時点で、全国に存在する空き
家は820万戸を突破したと述べました。
その中には、
いわゆる
﹁廃屋﹂
になっていて、倒壊の恐れがある、
あるいはホームレスや青少年のたまり場になっていたりする
住宅も少なくないといいます。
そんな
﹁危険な空き家を減らすため﹂
というのが、
この
﹁特別措
置法﹂
の目的だと国土交通省は発表しています。
そして、今後は自治体ごとに空き家を調査し、
5月末を目処に
廃屋同然になっている物件を
﹁特定空き家﹂
と認定し、所有者
に管理をするよう、﹁指導﹂
を行っていく方針です。
そして、
この
﹁指導﹂
に従わない場合は、
いままで更地の6分の1
だった固定資産税の優遇措置が外されるということなのです。
1000万の不動産価値が
わずか120万円に
親が亡くなってから十数年、空き家のままにしていたも
のの、一大決心をして家を売りに出したFさんでしたが、
待っていたのは厳しい現実でした。
まずは、家の中のものを処分しなければならないので、
自分たちで出来ることはやったものの、捨てるものは
業者に頼んだため、片付けに60万円程掛かりました。
﹁家が売れれば費用の元はとれる﹂と、その時点では軽
く考えながら、友人を介して不動産屋に販売を委託しま
したがなかなか売れず、1年後にやっと﹁買ってもいい﹂
と言ってくれる人が現れた時はほっとしました。
ところが喜びもつかの間、その買い値が何と120万円。
100坪ちょっとの土地と建物の間取りからいって、
不動産価値は少なくとも1000万円以上を考えていた
ので、120万円という金額は余りにもショックでした。
しかも﹁家を立て直すから、壊して更地にしてくれれば﹂
という条件付きだったのです。
新たな買い主が現れるのを再び待つという、気持ちの余
裕もなくなっていたため、仕方なく知り合いに安い業者
を紹介してもらったものの、それでも家屋を解体して
処分する費用は180万円に抑えるのがやっとのことで、
結局、合計で240万円もの費用をかけた挙げ句、言い
値で実家を売却するという結果になったのでした。
﹁家を売る﹂つもりでしたから、少なからずお金が入る
と思っていたのに・・・まさかこれほど大損になるとは
夢にも思わなかったとFさんは嘆きます。
年間6万円程度の固定資産税が6倍になっても、空き家
を持ち続けるのがいいのか? それともFさんのように
多額の損失になっても売ったほうがいいものなのか?
皆さんならどうしますか?
緊急特集
あなたの家は大丈夫?
少子高齢化が進む一方で、年間約1000万戸のペース
で建築され続けているのが日本の不動産業界です。
賃料はタダであったとしても実際に住んでいる者がいる
ため、今回の法律には該当しないわけですから、固定資
産税は従来どおり更地の6分の1で済む訳ですから、実
質損にはならないという考え方と決断も必要です。
手段の一つとして、収入などを期待しないで安い家賃で
誰かに貸したり、それでも借り主がつかない場合は、思
い切ってタダで貸してしまうという方法があります。
では、資産価値が少しでもあるうちに売ってしまおうと
考えても、実際には買い手がつかず、どうしても売れな
いという場合もありますが、そんなケースはどうすれば
良いのでしょう?
不動産が﹁資産﹂だった時代は終わり、これからは老朽
化していく住宅を中心に、多くの不動産が﹁負債﹂と変
わっていくことを認識する必要があります。
空き家を持っている人はまずその自覚を持ち、今後の厳
しい現実と向き合うことが重要なのです。
資産価値のなくなった家をそのままにしておけば、最後
に困るのは子供なのかもしれません。
﹁自分は住まない﹂﹁貸せない﹂﹁売れない﹂という
三重苦の家を相続してしまうことになれば、住宅を維持
するための管理費用と、上がった固定資産税を無駄に払
い続けるだけになるという可能性があるのです。
空き家をそのまま所有して、将来どう使うのかを考える
べきなのか? それとも損を覚悟してでも売ってしまっ
た方が良いのか? という選択が迫られる中、﹁もはや迷
っている時間はない﹂というのが現実なのです。
都市部ですら住宅が余り始めている現状ですから、地方
ならばなおさら、今後買い手がつかない空き家は増える
一方なのです。
家が資産ではなく、負債に変わる現実
親の家を相続しないという選択
たとえ空き家になっている家だとしても、売るのは
嫌だし、かといって業者に管理を委託するのも難し
いという場合は、自分で定期的にメンテナンスする
しかありません。
ただ、離れた場所にある場合は、そのためだけに交
通費と手間と時間をかけるのが、そもそも合理的な
かどうかも良く考えなければならない問題です。
今回の﹁空き家特別措置法﹂によって、空き家を持
つ人がなんらかの決断から逃れることは、もはやで
きない状況になっています。
また、今はまだ両親が健在で実家に住んでいるが、
近い将来には間違いなく空き家を持つことになる人
は、これからどうすべきかを決断する時間が刻々と
迫って来ているのです。
ある方はこんな決断をなさいました。
﹁私は実家への愛着というものがあまり無かったた
め、それよりも実質的な﹁損﹂というものを出さな
いためにはどうすれば良いのか?と考えた結果・・
﹁家を相続しない﹂という選択しました。﹂
ただし、家屋と土地の相続だけを放棄することは、
現行の法律上はできず、親のすべての資産相続を放
棄しなければなりません。
兄弟がいる場合は、誰かがあとに住むという場合は
ありますし、また、いくら自分が相続したからとい
っても、後で売ろうと思っても﹁親の思い出がある
から売るのは嫌だ﹂というように、兄弟の中で意見
が分かれることもあります。
だからこそ、家の所有者は﹁誰に相続させ、それを
どのように管理していくのか﹂ということを、事前
によく話し合っておくことが大切なのです。
人生は後半戦がおもしろい
新しいことへのチャレンジで、人生がハッピーになる!
50代からピアノを始めよう!
脳の活性化でイキイキ健康に
最近の脳研究でわかったのが﹁五十五歳前後が
一番脳に知識をためておける年齢﹂であると同
時に、ピアノを弾くことで指を使うことが、脳
を大変活性化させることが証明されたのです。
高齢者でピアノを趣味にしている方が﹁ボケる﹂
確率は大変低く、プロの高齢ピアニストが現役
で活躍しているのをみても頷ける事実です。
とは言ってみても﹁私がピアノなんて絶対ムリ。
音感も無いし、だいいちこんな歳になってから
では指も動くはずがない・・・﹂なんて、ため
息をついていらっしゃることでしょうね。
でも大丈夫!
﹁音楽は楽しむものですから上手下手なんてまっ
たく関係ありません。楽しく弾きたいという気
持が大切。また、脳トレという意味では、むし
ろピアノに触ったこともない方が、より効果が
あるかもしれません﹂とピアノの先生もおっし
ゃいますから、どうぞご安心ください。
今島根県内でも、中高年の間でピアノ教室の扉
を叩く方が年々増加しています。
脳の活性化のためとか、ボケ防止のために良い
なんて医学的な効果はさておき、実際に皆さん
がピアノを始められた理由は、若い頃から憧れ
だったピアノを一度弾いてみたかったというの
がほとんどであり、実際に習い始めてみたら、
﹁ピアノを弾くことがこんなに楽しいとは思わ
なかった﹂とおっしゃる方ばかりです。
自分が好きな曲をピアノで弾けるようになるな
んて夢のまた夢なんて諦めないで、この際思い
切ってチャレンジしてみてはいかがでしょう。
べつに﹁ピアニストになりましょう﹂という訳
ではありませんから、自分が好きな曲を先生に
告げて、まずは一曲弾けるようになることを目
標にしてやってみましょう!
ピアノ教室では皆さんそれぞれの適正に合わせ
ながら、一番良い方法で指導してくれますから、
どなたでも必ず弾けるようになります。
一人で習うことにためらいがある方は、お友達
を誘ってみてはどうですか?
音楽に包まれた素敵な毎日が待っていますよ!
パソコンって楽しい!
頭と指を動かして、心も元気
今や一家に一台はパソコンがある時代ですよね。
子供たちがいとも簡単に使いこなしているのを見
ながら、うらやましく感じたことはありませんか。
ただ、パソコンを使って色々やってみたいけど、
実際にどんな事ができるのかわからないし、今更
パソコン教室に通うのも恥ずかしいし・・・
なんて思ったりしていませんか?
誰だって最初はまったくの初心者なのですから、
教室には貴方と同じく、パソコンに触るのが初め
てという方たちばかりですので、心配はまったく
ありません。
でも、教室に通うか否かの前に、まずはパソコン
でどんな事ができるのかを知り、自分が何をした
いのかを考えておく必要があります。
パソコンで出来る事は、たとえばこんなこと。
︻インターネット︼
今やインターネットの時代。色んな事が調べられ
たり、見られたり、買い物ができたり、とにかく
インターネットには無限の楽しさがあります。
︻メール︼
インターネットを使ったお手紙のやり取りです。
画像や動画、音楽も一緒に送れるので便利です。
︻ワード︵ Word
︶︼
︻エクセル︵ Excel
︶︼
さまざまな文書の作成や、案内状・チラシ・ポス
ターなどや、表や計算式を使って、請求書などさ
まざまな資料や文書を作る事ができます。
︻DVDやテレビ鑑賞︼
映画やビデオなどのDVD鑑賞や、チューナー付
きであればテレビ放送を観ることもできます。
︻写真の編集︼
デジカメで撮った画像をパソコン内に取り込み、
プリンターで印刷したり、画像を編集したりアル
バムなども作成できたりと楽しめます。
その他、まだまだ出来ることはありますが、やり
たいことが見つかったら、あとは勇気を出してパ
ソコン教室のドアを開きましょう。
教室に通っている方は50歳以上の方が8割を占
めていて、勉強だけではなく仲間作りの場にもな
っていますから、アナタも気軽に始めてみてはい
かがでしょうか。
人生は後半戦がおもしろい
健康でいきいきとした毎日を送るために
鏡の中の自分が気になり始めたら
アンチエイジングをはじめましょう!
最近、顔やお肌に﹁しみ、しわ、たるみ﹂などが
目立つようになったと嘆いていらっしゃる方も多
いのではないでしょうか?
若い頃のすべすべお肌には戻れないものの、少し
でも﹁老化﹂を食い止めたいとの思いは誰もが持
つ願いですが、この際女性はもちろん、男性も頑
張ってアンチエイジングを始めましょう。
このアンチエイジング、日本語で表現すると﹁抗
老化﹂あるいは﹁抗加齢化﹂となり、加齢による
心身の衰えに対抗して、可能な限り若さを保って
いこうということなのです。
老化の三大原因は﹃若さを保つためのホルモンや
成分を生み出す力が衰える﹄﹃呼吸時に酸素を体
の中に取り入れることでサビが生じる﹄そして
﹃タバコや紫外線、化学物質、ウイルス、細菌、
ストレスなどで体が傷つけられる﹄という三つが
あり、これらから体を守るということが必要です。
アンチエイジングを謳う流行のサプリなども沢山
の種類があり、確かに一過性の作用をもたらすに
は効果的なのかもしれませんが、本来は人間本来
が持つ自然治癒力を高めることが何よりも重要な
のは言うまでもありません。
自然治癒力を高めるには、昔から伝わる東洋医学
をベースとした﹁代替医療﹂と呼ばれるものがあ
り、健康食品やサプリメントがよく注目されます
が、他にも鍼・灸、整体、マッサージ、運動療法、
心理療法、アロマテラピーなども含まれます。
西洋医療が即効性を求める治療法であることに対
して、この代替医療は根本治癒を目指すことを目
的としているため、即効性が顕著に現れるもので
なく、果たして効いてるのか?という疑問を感じ
ることもありますが、ゆっくり時間をかけてリン
パや血液の流れを改善していくことによって、体
の根本から健康になるため、アンチエイジングに
は最適な方法と言えそうです。
最近では西洋医学と東洋医学の良いところを組み
合わせた整体療法もありますので、代替医療を比
較検討しながら、自分の体と年齢に合ったものを
始めてみてはいかがでしょう。
アロマテラピーで若さを保ちながら、
素敵な日々を送りましょう!
アロマテラピーを、若い人たちのためのものだと
勘違いしていらっしゃる方も多いと思います。
テレビ朝日系﹁たけしのみんなの家庭の医学﹂の
番組で鳥取大学医学部の浦上克哉教授がお話をさ
れました。
アロマテラピーで用いられる﹁精油﹂に認知症の
予防と改善の効果があるという内容でした。
放映後大きな反響があり、番組で紹介されたラベ
ンダー、オレンジ、ローズマリー、レモンの精油
が、4日後には全国的に品切れになったほどです。
アロマテラピーで用いられる﹁精油﹂とは、ハー
ブなどの〝植物の香り成分 を採り出した、香りの
濃い液体で、一般に﹁アロマオイル﹂と呼ばれて
います。
アロマテラピーは、若い女性達の間で流行ってい
るエステや美容、良い香りを楽しむ為の趣味の様
なイメージをお持ちの方も多いかもしれませんが、
実は﹁風邪気味だからしょうが湯を飲もう﹂﹁疲
れたからニンニクを食べよう﹂﹁ゆず湯に入ろう﹂
といった植物を用いた、古くから伝わる民間療法、
あるいは健康法のひとつなのです。
サロンでは、アロマオイルを用いる﹁アロマトリ
ートメント︵マッサージ︶﹂と呼ばれる施術を行い
ます。凝りや冷え、痛みやストレスなどの心身の
不調を改善します。
リンパや血液の流れを促進し、自律神経が調整さ
れるため、自然治癒力が高まるとともに、心も身
体も元気になります。
美しく歳を重ね、若々しい脳を保つために、嗅覚
を刺激するアロマテラピーには大きな効果があり、
香りを楽しみながら、季節ごとのからだの不調や
メンタルケアにおいても素晴らしいものです。
アロマテラピーの講座では、様々な香りを組み合
わせて、あなたの体質や体調に合う香りをつくる
こともできますから、愉しみながら学んでみるの
も素敵なことです。
いつまでも若々しさを保つために、精油の力を活
用しながら、心も身体も健康で穏やかな毎日を過
ごしてみませんか。
葬儀を考える
自分の葬儀について考える
皆さんは自分の葬儀について考えたことがありますか?
恐らく﹁葬儀﹂というものについては、自分の家族が亡
くなった際に喪主になったり、あるいはその家族になら
ない限り、通常は考えることのないことだと思います。
葬儀は誰のために行うのか?
通常の場合、葬儀の形式というものは遺族の者が亡くな
った人を﹁見送るカタチ﹂として、様々な方法が考えら
れてきました。
しかし、葬儀というものが単なる形式的なものであると
すれば、それは送り手の自己満足に過ぎない気がします。
もちろん、亡くなった故人が葬儀に対してアレコレと不
満を持たれる筈もありませんから、遺族にとって満足で
きる葬儀であれば何も問題はないのかも知れません。
ただ、私たち終活倶楽部ではこれからの葬儀というもの
は、故人と残された遺族の双方が満足できる葬儀として、
故人が生前に想いを残すことが無く、また遺族にとって
も満足できる葬儀というものを考えます。
最近流行の終活では﹁生前葬﹂なるものが盛んに謳われ
ていますが、その是非はさておいて、自分で自分の葬儀
について考えるということは大変重要なことです。
あなたの大切な家族に心労を掛けさせないため、そして
余計な出費を負わせないためにも、自分の葬儀をどのよ
うなカタチで執り行うのかを決めておくことは、愛する
者たちへの最大の心遣いであると思います。
そのため、実際に﹁葬儀﹂というものを自分が執り行わ
なければならなくなった時点でまったく予備知識が無い
ため、葬祭業者に相談せざるを得なくなった結果、いま
ひとつ満足できない葬儀に不満を覚え、あるいは予想外
の出費に困惑してしまうのです。
最近はテレビや雑誌、あるいはインターネット等で様々
な情報を手に入れることができますが、そこからの情報
は﹁いかに葬儀費用を抑えるか﹂というものばかり。
まして﹁これからの葬儀はお金をかけないようにすべき
である﹂﹁安ければ安いほど良い葬儀である﹂といった、
まったく﹁葬儀﹂というものの本質とはまったく掛け離
れた論点での情報が飛び交っています。
最近の葬儀の形式に﹁家族葬﹂が増えているようですが、
これまでは世間体を気にするあまり、葬儀はできるだけ
大人数で豪華にという傾向があったものの、最近は世間
体よりも人のつながりを重視し、故人を本当に偲ぶとい
う目的で葬儀が行われるようになったことは、良い傾向
だと思います。
残された遺族にとって﹁故人の葬儀をどのようなものに
すればよいのか?﹂と考える時、大変悩むのです。
それは、自分が喪主になったことを思えば容易に想像で
きるはずです。
本来、一番重要視しなくてはならない﹁故人を送るため
の葬儀の在り方とは﹂そして﹁故人に見合う葬儀とはど
う考えればいいのか﹂ということが無視されているよう
に思えるのですが、これは情報を発信するメディアの怠
慢であり、また葬儀を けるためのビジネスと捉える関
係業界の責任でもあると言えそうです。
最近では故人の生前の趣味や嗜好などを取り入れた葬儀
もしだいに執り行われるようになってきました。
音楽好きだった故人のために、会場で音楽を演奏したり
する音楽葬や、故人の趣味を生かした展示スペースを設
けたりと、宗教色や儀式色を最低限に抑えて自由な形式
で葬儀が行われるようになってきています。
自分の葬儀というものを考える時、﹁送られる側﹂という
受け身ではなく、家族や生前にお世話になった方たちに
対して﹁感謝の気持ちを込めて招待する﹂という考え方
に逆転させてみれば、きっと自分の葬儀を考えることに
意味が出て来るのではないでしょうか。
実際その情報を受け取る側、すなわち葬儀を執り行う側
の当事者たちは 葬儀など普段は縁遠い人がほとんどな
のですから知識がなくて当たり前。
知識がないところに﹁お金の話﹂に論点をすり替えられ
てしまえば、判断基準は﹁葬儀料金の高い安い﹂となる
のが当然の結果であり、お金を使わないで済むのなら使
いたくないというのが﹁人情﹂なのです。
まずは﹁人が人を想う﹂ことから始まり、その上で当事
者が自分の懐具合と相談して﹁予算と形式﹂を決めると
いうのが、本末転倒しがちな葬儀というものの考え方な
のではないでしょうか?
写真やビデオは
データにして保存しましょう
でも、中には﹁どう整理すればいいのか?﹂と
悩む方もいらっしゃることでしょうから、実際
の整理方法をお教えしましょう。
溜まりに溜まった写真を整理するための基本は、
まず﹁自分と家族・親族以外が写っているもの
は全部捨てる﹂というところからスタートです。
また、古いアルバムの場合、写真をノリで台紙
に貼付けていることが多いので、無理に写真を
剥がそうすると写真が破れてしまうので注意が
必要です。
そんな場合はアルバムごと専門店に預けてしま
えば大丈夫ですから、アルバムの中でデータ化
したい写真の上に付箋を張るなどして、解るよ
うにしておきましょう。
また、古い写真の中に、保存しておきたいのに
破れたり色あせたりしているものがあった場合、
専門業者の中には﹁写真の修復﹂をしてくれる
店もありますので、修復が可能かどうか相談し
てみるのもいいでしょう。。
0853-25-8528
終活倶楽部事務局 /
ご相談は
思い出の写真を捨てるというのは、かなり勇気
が必要なことではありますが、前述したとおり
思い出の写真を整理しましょう
﹁残された家族にとっての思い出になる写真﹂
以外はゴミと言えるものですから、関係のない
昔の思い出の写真は捨てられないものですね。 写真は、思い切って捨てましょう。
専門業者に依頼して、写真をデータ変換するこ
とで、膨大な数の写真がたった一枚のCDやD
VDに納まりますから、場所をとっていたこれ
までのアルバムは、全部処分しても大丈夫です。
また、そういった写真には焼き増しする時の
そして、本当に残したい写真だけに選別したと
ために、フイルムまでセットで保存してあっ
ころで、それをどんな形で残すのかを決めます。
たりするものだから、分厚いアルバムが何冊
も部屋や押し入れ溜まってはいませんか?
新しいアルバムを買って来て、もういちど張り
直すのではではあまり意味がありませんから、
そしてアナタが亡くなったあとには、写真や
写真をデータ化して残すことをお勧めします。
アルバムが入ったいくつもの段ボールが残り、
家族にその処分の方法を悩ませるのです。
実際に子供たちは﹁両親の思い出が詰まった
写真ですから、アルバムをどうするのか、処
分に困ります﹂と、口を揃えて言うのです。
おまけに、データ化しておくことで便利なのは、
思い出の写真がパソコンやテレビで見ることが
出来ることなのです。
音楽を挿入することで、、思い出の写真をまるで
映画のように鑑賞することも可能ですから、是
非お試しください。
写真だけでなく、今や過去の遺物となってしま
ったVHSビデオテープや音楽カセットテープ
などもデータ化できますので、整理をしようと
思い立たれた時は、どうぞご利用下さい。
家族や親族と共に写っているものであれば、
残された家族にとっても楽しい思い出となり
ますが、会社の社員旅行の記録写真や旅先の
風景など、自分にとっては思い出の写真でも、
子供たちにとっては関係のない写真であり、
言い方こそ大変悪いのですが、﹁燃えるゴミ﹂
でしかないのです。
昔はフィルムカメラでしたから︵現在もあり
ますが︶現像が必要なので、﹁写真﹂という
ものの存在が一枚一枚とても貴重であったの
ですが、現在ではデジタルカメラが普及し、
以前のように現像というものの必要がなく、
パソコンやテレビで気軽に撮った写真を楽し
めるという便利な時代になりました。
もちろん相談だけでもまったく構いませんので、
気軽にご連絡いただければ、最適なアドバイス
をさせていただきます。
ちなみに私たち﹁終活倶楽部﹂ではこの春から、
皆さんに喜んでいただきたいと思い、写真のデ
ータ変換と修復サービスをスタートしました。
ですからこの際、長年溜め込んだアルバムや
写真の数々を引っ張りだして、家族のために
も整理することをお勧めしたいと思います。
デジタル化サービス開始 !!
写真やビデオテープ、音楽カセットテープを
CD・DVD にして保存しませんか?
お電話一本でご自宅にお伺いし、まずは相談から。
説明や見積り金額に納得していただいてからの受託となりますので、
依頼いただかなくても構いませんので、安心してご相談ください。
元気なうちに
素敵な遺影写真を
でも、ちょっと考えてみてください。
今は内容上、必要があって﹁遺影写真﹂
と呼んでいますが、実際には生きてい
る内は﹁肖像写真﹂であり、普通の記
念写真となんら変わりないのです。
お墓参りに行けない場合、
アナタならどうしますか?
高齢者の方がお墓を守っていらっしゃ
るという場合、お墓参りに行きたくて
も行けないということがあります。
〒699-0817 出雲市湖陵町板津 49-2
ダディーズオフィス内 終活倶楽部事務局
生きている内はお気に入りのスナップ
写真として飾っておき、﹁葬式にはこれ
飾ってね﹂と笑っていれば、家族も
写真のことで困ることもありません。
受託内容は、お墓の周りの草むしりや
墓石の洗浄などの全般的な掃除を行い、
お花と供え物をして、お線香をあげる
までのすべての代行です。
0853-25-8528
遠いところにお墓があるため、なかな
か行くことができないとか、お盆や彼
岸なのに、体調が悪くてお墓参りがで
きないというような悩みをお持ちの方
もいらっしゃることと思います。
親族や知人などに写してもらうのも良
いと思いますが、専門家に依頼されれ
ば、普段から飾っておきたいような素
敵な写真を撮ってもらえる筈です。
業務の結果は、あとで報告書と写真を
送ってもらえますので、お墓がどうい
う状態になったのかということが確認
できて安心です。
撮影会・出張撮影については
お電話かメールにてご確認下さい。
そんな時に頼りになるのが﹁お墓参り
代行﹂ですが、皆さんご存知ですか?
実際、寝たきりの状態にならない限り、
毎年写真を撮ることで、皆さん更に若
々しくなられるような気がしますので、
皆さんにも是非お勧めします。
終活倶楽部がお勧めする代行業者は、
安心して任せられますので、困った時
は一度相談してみてください。
※3 ポーズ(ご自分で気に入った写真を
撮影時に選んでいただけます) ※プリントは2L サイズでお渡ししますが、
焼き増しできる CD もお付けします
ご年配の方にとっては﹁写真を撮る﹂
ということに、とても緊張感や抵抗を
感じる方が多いことも事実なのですが、
少しだけ頑張って、自分だけのためで
はなく、一枚の写真に自分と家族の絆
を託してみてはいかがでしょう。
終活倶楽部でも、遺影写真の撮影会を
開催していますので、どうぞお気軽に
ご相談ください。
最近では都会に引っ越してしまい、残
葬儀の時に必ず必要になるのが﹁遺影
したお墓に参ることが困難になった方
写真﹂ですが、すでに用意している方
たちのために、このお墓参り代行サー
はいらっしゃいますか?
ビスを利用する方が年々増えています。
残された家族をまず初めに悩ますのが、
﹁お墓参りを他人に任せるなんて﹂と
あなたの写真を探すことです。
いう方もいらっしゃると思いますが、
お墓が放置され、荒れた状態になるこ
押し入れや引出しにしまってあるアル
とを考えれば、それもひとつの選択方
バムを引っ張りだして、ようやく見つ
法ではないかと思います。
けたスナップ写真の数々。
その中から﹁これでいいか﹂と選ばれ、
大切なお墓にお参りできないというこ
葬儀社の手によって大きなのサイズに
でも、﹁遺影写真﹂なんて何処でどうや は、それだけの大きな理由があるのだ
拡大され、祭壇に﹁遺影写真﹂として
と思いますが、雑草に覆われ荒れた状
って撮るの?なんて困る方もおいでに
飾られるのですが、中にはなんとなく
況になる前に、掃除だけでも専門業者
なることでしょうね。
ボケている写真も少なくありません。
に委託すべきだと思います。
さて、自分の祭壇を飾る写真がこんな ﹁遺影写真﹂とはいうものの、もともと
は日常生活の中でスナップとして撮影 ﹁お墓参り代行﹂とは名前の通り、依頼
ものでも構わないでしょうか?
した人の代わりに代行人がお墓参りに
家族や友人知人が﹁いい写真だったね﹂ した写真の中から選んだだけのもので
行くことです。
﹁あの人らしい写真だね﹂と、微笑んで すから、特別なものではありません。
くれるような写真を飾りたいとは思い
ませんか?
遺影写真というのは多くの場合、葬儀
のあとも自宅の仏壇などに飾られなが
ら、残された家族の皆さんが心の絆と
して大切にする写真だからこそ、故人
の人柄を感じさせるものが良い遺影写
真と言えるものではないでしょうか。
とは言うものの、あらかじめ自分の遺
影写真を撮るなんて、ちょっと気が引
けるとおっしゃる皆さんも沢山いらっ
しゃることと思います。
メール [email protected]
電話
1,000 円賜ります
自宅撮影の場合、出張費として
5,000 円
撮影料金 /
遺影肖像写真
生前遺影写真
お墓参り
∼ 終活倶楽部からのお知らせ ∼
みじまい
「美しい身終い」セミナー開催中!!
大人のための終活
50 歳を過ぎた方は是非お聴きください!!
受講料 /
無料
死について考えたりすることを
「縁起が悪い」
という方もいらっしゃいますが、
元気な時に
「終わるための心構え」
をしていなかったばかりに、
あとに残された家族や親族を困らせてしまうようなことがあるとすれば、
自分で準備をしておくことは、逆に
「縁起の良い」
ことなのです。
「美しい身終い」
とは、
いつか死を迎えるための
「心の整理」
をすることで、
これからの人生を、
心残りの無い、豊かで清々しい気持ちで過ごすことです。
セミナーでは、必ずやっておかなければならない
「心」
と
「モノ」
の整理を中心に、
遺言(エンディングノート)
や、家と先祖の墓を守るためにどうすれば良いのか?など
これからの人生を有意義に暮らすための知恵を学んでいただきたいと思います。
セミナーと講演会は出雲市内のコミュニティセンターや集会所等で開催しておりますので、
お近くの会場へお越し下さい。開催スケジュール等はホームページをご確認いただくか、
または電話やメールでお問い合わせください。
生前肖像写真の撮影会は不定期にて行っておりますので、撮影をご希望の方はあらかじめ
電話かメールにてご予約下さい。皆様のご都合に合わせて会場と日程をお知らせ致します。
私たちと一緒に第二の人生を、豊かなものにしませんか!!
終活倶楽部 入会受付中!!
∼ 参加要項 ∼
★入会資格 / 性別・年齢を問いません。 終活を一緒に考えながら、実践しようという方ならどなたでも
★会費 / 入会金や年会費などは必要ありません。ただし、懇親会などのイベントについては実費負担となります。
★主な活動 / ・会員同士の終活勉強会・体験発表会の開催。
・終活情報誌「美しい身終い」の発刊
・会員同士の親睦会(不定期)
★参加方法 / ・パソコンの場合 / ホームページ内の「終活倶楽部・会員登録」ページから。
・電話および FAX でも受付しております。
終活倶楽部では皆様の入会をご参加を、心よりお待ち致しております。
お問い合せ / 終活倶楽部事務局
TEL・FAX /
ホームページ
島根県出雲市湖陵町板津 49-2
0853-25-8528
http://shuukatsu-club.com/
http://mijimai.com
検索「身終い塾」
「最上の業」
この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうな時に希望し、
従順に平静に、おのれの十字架を担う。
若者が元気一杯で歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は、神の賜物。
さびた心にこれで最後の磨きをかける。
誠の故郷に行くために己をこの世につなぐ鎖を
少しずつ外してゆくのはまことにえらい仕事。
こうして、何もできなくなればそれを謙虚に承諾するのだ。
神は最後に、一番よい仕事を残して下さる。それは祈りだ。
手は何も出来ないけれども最後まで合掌できる
・発行 平成二十七年七月 ・発行者 終活倶楽部 ・編集者 愛するすべての人の上に神の恵みを求めるために。
すべてを成し終えたら臨終の床に、神の声を聞くだろう
『来たれ我が友よ。我汝を見捨てじ。』と。
「人生の秋」(ヘルマン・ホルベルス著)
「美しい身終い」という言葉が、まさにふさわしい年の重ね方だと思います。
西 浩二 終活倶楽部 ∼ 美しい身終い ∼