医師 - 社会医療法人ペガサス 馬場記念病院

41
2012年秋号
平成24年9月発行
第12巻第1号
(通巻41号)
地 域 医 療 を 考えるペ ガ サ ス 情 報 誌
Special
「医師」
を
育てる。
人を
診る
医師であれ。
次代の地域医療を担う医師を
ひとりでも多く育てていきたい…。
馬場記念病院は臨床研修指定病院として、
原 順一
医師の教育に熱心に取り組んでいる。
研修医はさまざまな診療科を体験し、
急性期病院での初期診療の基本を学んでいく。
救急搬送が多く、
症例の多い地域医療の
最前線にある病院だからこそ、
西尾俊嗣
副院長
魏 秀復
副院長
消化器科部長
山本展生
研修医
Pegasus
Tsubasa
研修医がつかみ取る成果も非常に大きい。
先輩の医師たちが若い医師たちに願うことは
治療技術だけでなく、
患者さま一人ひとりと向き合う心を
寺岡 均
学び取ってほしいという思いだ。
一方、 やる気に満ちた研修医の存在は
上級医たちのモチベーションアップにも
繋がっている。
患者さまの安全を最優先に、
万全のリスク管理を整えた上で、
医師教育に取り組む
馬場記念病院の日常をレポートする。
武田幸恵
研修医
外科部長
真下勝行
消化器科
金原 功
外科
S p e c i a l
730日の修練。
医師免許を取り、最初の2年間、
臨床現場で医療の基本を学ぶ。
けではない。
「 同 じ 病 気でも 患 者 さ まご
とに治 療 法が違 う。 そんな基
ぶお)医師の日常を追ってみた。
きた研修医の一人、
山本展生(の
が、一般 的に 経 験 すべき 症 例
院は特 異な症 例が集まります
を 豊 富に経 験できるのは、 地
馬 場 記 念 病 院は救 急 医 療の実
域の中核病院だと思いました。
豊富に学べる環境。
一般的な症例が
た」、「 手 術 中、 気 配 りしたつ
績 も 高 く、それも 決め手にな
本 的 なことがわかっていなかっ
もりが、上級医の邪魔になって
「 救 急 外 来に心 肺 停 止の患
者 さ まが 運 ばれてき たが、た
ばよいかわからなかった」。
いたが、 自 分 は何 を どう 動 け
上 級 医たちは迅 速に対 応して
実体験を結びつけ、本物の診療
た知識は身につかない。 座学と
際にやってみないことには、生き
に過ぎない。 知識は豊富でも実
右 も左 もわからない“ひよこ”
ひとたび臨 床の現 場に出れば、
試験に合格した研修医もまた、
難 関の医 学 部に合 格し、6
年 間 学び、さらに、 医 師 国 家
られたりする。
最 初の2年 間は急 性 期のさ ま
病院での研修も考えましたが、
だ。 その理 由について 「 大 学
院である馬 場 記 念 病 院 を選ん
きたが、あ えて地 域の中 核 病
病 院で研 修 を 受 けることもで
まま大阪市立大学医学部附属
ての第一歩を踏み出した。 その
て、馬 場 記 念 病 院で医 師 とし
卒 業したばかり。 研 修 医 とし
大 阪 市立大 学 医 学 部を今 春
笑 う と少 年のよう な 初々し
い表 情 を 見 せる 山 本 医 師 は、
社会人として。
人間として。
んだという。
のなかから馬 場 記 念 病 院 を選
修 先の病 院 を比 較 検 討し、そ
誌や Web サイトを通じて研
参照)
。山本医師も雑
できる(詳しくは 頁
ひと昔前とは違い、今は研修
医が自由に研修先を選ぶことが
りましたね」 と語る。
それが大切。
教科書では学べない
だ立ち尽くすばかりだった」。
能 力 を養 うために、馬 場 記 念
ざ まな 疾 患 と治 療 をしっかり
いた」 など、さ まざ まな 場 面
ことばかりだった。
大 学で心 肺 蘇 生 法は学んで
いても、いざ その場になる と、
病 院は病 院 を 挙 げてサポート
f
o
’
s
e
y
E
山本医師が最初の3カ月間、
配 属されたのは消 化 器 科であ
医師である前に
s
u
s
a
g
e
P
馬 場 記 念 病 院で学ぶ研 修 医
たちが最 初に戸 惑 うのは、 患
でつまずいたり、自 責の念にか
者 さ ま という 生 身の人 間に向
誰 も が 何 もでき なかった と 振
体制を整えている。
2012年4月、
臨床研修指定病院である馬場記念病院は
5名の初期臨床研修医を迎え入れた。
研修医とは医学部を卒業後、医師国家試験に合格した、
言わば“医者のひよこ”だ。
研修医は基本的に3カ月単位でさまざまな診療科を経験し、
2年間で基本的な医師としての臨床の知識と技能を習得し、
救命・救急を含む初期診療が遂行できる
幅広い基礎的知識と基本的臨床能力を身につけていく。
き 合 うことだろう。 ことに、一
り返る。
現場で待っていたのは、
分一秒 を 争 う 緊 急の場 面に衝
学 びたかったんです。 大 学 病
撃を受ける研修医は多い。
この春、馬場記念病院にやって
研 修 医たちが己の未 熟さを
痛 感 するのは、 緊 急の場 面 だ
「 入 院 患 者 さ まの 急 変 に、
12
03
Tsubasa
臓・胆嚢・膵臓の疾患を主に扱
る。 消 化 器 科は、消 化 管 と肝
制をとっている。
ば現 代 版 徒 弟 制 度のような体
指導医による密度の濃い、言わ
行医師だった。「まずは自分が
う 診 療 科で、特に内 視 鏡 治 療
消化器科部長の原 順一医師
は、研修医を決して特別扱いは
やっている診療や検査にずっとつ
に積極的に取り組んでいる。
しない。 配属された研修医には
いて も ら う。 見て 覚 えて、 そ
「患者さまに接する指導医の姿から
学ぶことはとても大きい。
人と向き合う大切さを知りました」
いつも 「給料分、しっかり働け
れから実 践へとシフトしていき
消化器科で指導にあたったの
は、医 長の真 下( まし も ) 勝
よ」 と冗談交じりにはっぱをか
ます」 と言う。
一歩踏み込んで、指導医の考え
ける。この言葉の裏には、学生
事なのは社会人として働き始め
方や 人 生 観に触れられる利 点
時代の病院実習との違いを自覚
ることです。 まずは先輩と一緒
も大きいと思います」 と語る。
こうした指導体制のメリット
について原医師は「医療に関わ
にベッドサイドで患 者さまを診
実 際、 山 本 医 師 は研 修 中、
こんな 印 象 深い出 来 事に遭 遇
させようとする思いがある。
「研
てほしい。 患 者さ まのニーズに
した。
取れるし、
理解できます。また、
応えるために一生懸命、働いて
「消化器科の病棟には、がん
末期の患者さまもいらっしゃいま
る細かいニュアンスまで肌で感じ
ほしいと考えています」と語る。
す。 そういう方は日ごとに容態
修医にとっては学ぶことが大 き
手技以上に大切な
が変 化 するんです。 今は元 気
な目的ですが、それとは別に大
「精神」 を、
でもいつ急変するかわからない。
先輩から学び取る。
技 術は実 地で、師 匠から弟 子
な文 化がある。 医 学に必 要な
いい意 味での徒 弟 制 度のよ う
主流だった。医師を育てるには、
かつて病 院での医 師 教 育 は
“ 教わるより 盗め” というのが
う 力を尽 くされます。 あると
えで、できる限り外出できるよ
を第一に叶えるべき” という考
真 下 先 生は“ 患 者さまの希 望
どうか不安があります。でも、
の状態で外出していただけるか
のですが、こちらとしては、こ
家に帰 りたいという 思いは強い
生 むからだ。 そのため、 馬 場
き、外出から戻られた患者さま
Tsubasa
04
へ教 えることが 大 き な 成 果 を
記念病院では多くの診療科で、
山本医師は現在、外科で
研修を受けている。手術で
は見学だけでなく、上級医
の助手を務める。
悪 くなり、車 椅 子 を使われる
その後、その患者さまは容態が
に行 けて本 当に良かった” と。
した。“歩けるうちにお墓参り
から、感謝の言葉をいただきま
仕事だと考えています」。
修 医 だからこそできる大 切 な
級 医に橋 渡 し することは、 研
さる。 そういう声をしっかり上
ようなことも気軽に聞いてくだ
しゃって、上級医には言いにくい
うすることで、3カ月という短
について学んでもらいま す。 そ
すが、疾患によっては別の先生
先 生の場 合 も、僕が指 導 医で
力 して指 導 していま す。 山 本
は部 長 を 含め6名の医 師が協
てているのだ。
が、研修医の学ぶ意欲を駆り立
上 級 医たちが力 を合 わせて
若い医師を育てようという情熱
査を体験できる意義は大きい。
診療科全体で
よう配慮しています」。
診療をまんべんなく体験できる
成長する。
教える側も
研修医だけでなく、
ようになりました。 末期の緩和
に“今しかない”というタイミン
研修医に目を配り、
い期 間です が、 消 化 器 疾 患の
グがあるんだと知り ましたし、
育てていく。
医療にも、救急医療と同じよう
真下先生の医師としての考え方
がけている。「研修医は知識も
ベッドサイドに足を運ぶよう 心
患者さまと向き合う大切さ
を 知った 山 本 医 師 は、 頻 繁に
うどいい規模の病院だから、教
過 ぎ ず、 小 さ 過 ぎ ない、 ちょ
医 師 はこう 分 析 する。「 大 き
馬 場 記 念 病 院の研 修にはど
んな特 色があるだろう。 真 下
触 らせることは決 してないが、
く。 も ちろん、 難 しい部 分 を
まで到 達 するよう 指 導 してい
に検査の一部を実施するところ
経て、3カ月たった頃には実際
使って練習する」 という段階を
僕たちが研修医を見ているよう
育ててもらってきたわけですし。
がいですね。 僕たちもそうやって
ろうか。「負担というより、やり
る。それは大きな負担ではないだ
上級医たちは自分の仕事の傍
ら、研修医を快く迎え、指導す
に触れることができました」。
内視鏡検査の技術についても、
「 見 学 す る、 覚 える、 模 型 を
技 術 も まだまだです が、その
育にきめ細かく 目が行 き 届 き
に、反対に僕らも研修医から点
技術は
分、患者さまに近い立場です。
ほんの一部でも実際に内視鏡検
実践を通してしか
ます。 たとえば、消 化 器 科で
数をつけられているんだという意
身につかない。
医師が、研修をきっかけに消化
う。 実際、ここ5年間で5名の
力しています」と真下医師は言
らうれしいし、そうなるよう努
消化器に興味をもってもらえた
ために、ひとりでも多くの人に
いま す。 後 続の医 師 を 増や す
進路を決める研修医もたくさん
ある。「研修がきっかけとなり、
かを見 極める大 切な時 期でも
研修医にとって最初の2年間
は、 自 分がどの診 療 科に進 む
部長の金原 功医師である。「い
る。 外科における指導医は、副
科を含め幅 広い治 療を行ってい
科や呼吸器外科、一部の血管外
馬場記念病院の外科では、消
化 器 外 科を中 心に、内 分 泌 外
りなどで済ますことが多い。
るという。 昼食は売店のおにぎ
ほとんどを手術室で過ごしてい
手術があり、朝から夕方までの
ている。 月・水・金曜日は予定
消化器科の研修を終えて今、
山 本 医 師は外 科で研 修を受け
医局にて。無事に
手術が終わり、
ほっ
とひと息つく。
器科を専門に選んだ。
ています」と、真下医師は話す。
識で、いい緊張感をもって指導し
患 者さ ま もよく わかっていらっ
外科のカンファレ
ンス。
「山本ならど
うする?」ときどき
部長医師から、治
療に関する質問が
飛ぶ。
05
Tsubasa
示が飛ぶ。「カメラが先生の“目”
「 軸が傾いてるぞ」 と厳しい指
山本医師は慎重にカメラを操
作するが、時折、金原医師から
面に映し出していた。
すね」。
こちらもいい刺 激を受けていま
いので、ヤル気がすごいんですよ。
もらっています。やはりみんな若
難しい手技を任せることはあり
手術室で学んだ
緊急時の
ませんが、しっかりアシストして
になるわけですから、患部をしっ
かり捉えなければなりません。
少しのブレがあっても厳しく叱ら
外科医の判断力。
手術中は真剣勝負なのでほんの
れます」と山本医師は苦笑する。
だ?” とか、
“ 今から切ろう と
す。 たとえば、
“この膜はなん
囲で常に山本先生に解説してま
腹手術などでは、余裕がある範
ろんな 手 術があ り ま すが、 開
全 性を担 保した上で可 能な限
学ぼう とする研 修 医には、 安
が身につかないので、積 極 的に
ません。 でも、 そ れでは技 術
か 手 術に参 加 することはでき
は研 修 医の数 も 多 く、なかな
われる。 山 本 医 師はその三番
手の医師が3人1組となって行
師、そして腹 腔 鏡 を もつ三 番
具の操 作 を 助 ける二番 手の医
は、メインの執刀医と、特殊器
出術が行われていた。この手術
ると、 腹 腔 鏡 下による胆 嚢 摘
は外科の一員としてやってもらっ
外科部長の寺岡 均医師は語
る。「研修医とは言え、手術で
縫合の練習をしている。
あれば、スポンジを用いて埋 没
くて…」。 山 本 医 師 は暇 さ え
す。 この手 技 がなかなか 難 し
の必要のない埋没縫合を行いま
が目 立たなくなるよう、抜 糸
2針です が、できるだけ 傷 跡
医 師の担 当 だ。「ほんの1針、
で、大 変 勉 強になり ます 」 と
り、そういうときの判断が絶妙
もあります。 寺 岡 先 生はやは
うか難しい判断に迫られること
これ以上治療を進めるべきかど
「 患 者さまの年 齢や状 態から、
が決められることも少なくない。
場 面では、手 術 中に治 療 方 針
馬 場 記 念 病 院では頻 繁に緊
急 手 術が行 われる。 そ ういう
手 術の最 後に、お 腹の小 さ
な傷口を閉じる縫 合 も、山 本
しているこの血管はなんだ?”と
りやってもらうようにしていま
ています。 もちろん、研修医に
たとえば、最近、こんなこと
があった。 胃がんに対する内視
山本医師は語る。
か質問しながら教えています」。
手。 腹腔内に挿入する内視鏡
Tsubasa
06
器具をもち、術野をモニター画
■ TEL
072-265-9089
求人担当/長谷川
■ 携帯サイト
http://pegasus-nurse.
com/
■ PC
http://www.pegasus.
or.jp/p_kangoshi/index.
html
ある日の手術室をのぞいてみ
社会医療法人ペガサス
馬場記念病院は、
認定看護師をめざす
看護師のために、
さまざまなサポート体制を
整えています。
詳しくは求人担当室まで
ご連絡ください。
馬場記念病院の
認定看護師たちです。
す」 と金原医師は言う。
認定
看護師への
道を、
ペガサスと
一緒に。
もちろん、手 術 を見 学 する
だけでない。「大学病院などで
Attention from Pegasus
予定手術だけでなく、緊急手術の入ることも多い。
指導医の高度な技能はもちろん、的確な判断力から多くを吸収する。
Tsubasa
07
出血が起こる可能性があり、そ
の割合で、穿孔(穴があく)と
では、合併症として約5%前後
鏡的粘膜下層剥離術(ESD)
いようであれば、手術を途中で
とも多い。 穿孔部の特定が難し
場合、穿孔部は自然治癒するこ
り替える。 ただし、術後出血の
続行を決意されました。ほどな
としなくてはいかん”と言われ、
“この方にとってこれが最後の手術
うか。 その局面で、寺岡先生は
もある。「手術を続けるべきかど
ラインを確保し、もう一人が転
入して空気を抜き、一人が静脈
一人が特 殊 な 器 具 を 胸 腔に挿
科へ転送しなくてはなりません。
状態で、速やかに他院の呼吸器
空 気が心 臓を圧 迫し、危 険な
プライベートも
全力で学び、働くからこそ、
緊急時こそ求められる、医師
の冷 静で的 確 な 判 断。 これも
と、山本医師は振り返る。
の判断の的確さに感心しました」
好に推移しています。 寺岡先生
術が終わり、その後の経過も良
とができました」。
患者さまは一命をとりとめるこ
たが、初期対応の良さもあり、
転 送 先の病 院 まで同 行しまし
師がタッグを組んで対応。 僕は
る、と、まさに診療科の違う医
送先の病院への紹介状を作成す
れば、「 明日は頑 張ろう 」 とい
も、家に帰って、ひと風呂浴び
うにしている。 仕事でつまずいて
メリハリのある毎日を過ごすよ
ら、できる限り頭を切り替え、
からこそ、病 院の外へ一歩 出た
研 修 医として一つひとつ階 段
を上っていく山本医師。 忙しい
豊かになる。
うなると緊急で外科的手術に切
く穿孔部が見つかり、無事に手
座学では学べない貴重な学びと
う気持ちになるという。
言えるだろう。
診療科の垣根が低い。これは、
研 修 医の多 くが口にする言 葉
飲み会も多いですし…」 と山本
「外科単体で見ても、コミュニ
ケーションがとてもいいんです。
山本医師はこの1年間で、外
科に続いて、麻酔科、循環器科
気持ちになりますね」 と笑う。
フィンを楽しもうかな、という
趣 味 はスポーツ。 学 生 時 代
はゴルフのほか、 夏 はサーフィ
山 本 医 師は、救 急 外 来にも
積 極 的に足 を運び、また、当
医師。「今日、あいてるか」 と、
だ。 患 者さ まの命 を救 うため
直にも入っている。 救急車の搬
部 長の寺 岡 医 師が若 手を連れ
をまわる予定だという。 それぞ
診療科の垣根を超えて
送が非 常に多い馬 場 記 念 病 院
出すことも多いという。 近所の
れの科でまた新たな出会いがあ
ン、
冬はスノーボードを楽しんだ。
の現 場 は、 若い山 本 医 師の目
焼 肉 屋や 居 酒 屋で語られるの
り、発見があるだろう。「将来、
なら、いつでも一致 団 結できる
にどう映っているのだろうか。
は、仕 事から人 生 論 まで大 き
どんな道に進んでも対応できる
チーム医療に
「診療科の垣根が低く、医師
同士の密な連携プレイに驚きま
く広がる。「好きなように羽ば
生きた知識を、この2年間で学
「 働 き 出 したら自 由 も 少 な く
した。 あるとき、脳神経外科、
たけ。 世界をめざせ、ビッグに
び取 りたい。 救 急の初 期 対 応
柔軟性が馬場記念病院の大 き
整 形 外 科で診ていた患 者 さ ま
なれよ」 というのが、寺岡医師
も含め、基本がきちんとできる
なり ました。 でも 反 対に、 休
に、
CT 検査で気胸が見つかり、
の口癖だ。大先輩の熱い激励に、
力を身につけていくつもりです」
な特色となっている。
救急外来にいた僕たち外科の医
山本医師はこれまで以上に応え
と抱負を語った。
アプローチする。
師 が 呼 ばれたことがあ り まし
ていこうと考えている。
日は無理してでも遠出してサー
た。 患 者さ まは胸 腔に漏れた
Tsubasa
08
止めて、自然治癒を待つ選択肢
6階食堂にて。予定手術のない日は、外科医全員でランチタイム。
これもチームワークを養う一環だ。
初期臨床研修・教育責任者に聞く
学びのキーワードは“Think”。
手だけでなく、頭を働かせる医師に。
馬場記念病院 副院長 兼 リハビリテーション科 部長
きるようにしていま す。 山 本
は、「 忙 し くて も、 論 文 を 書
で話 す とき、いつも口にするの
西尾俊嗣
先生についても2年目に進む前
研修プログラム。
きなさい」 ということだ。
う。「 短 歌 を 詠 む と自 然の見
に、いろいろ希望を聞く予定で
また、「一つの病院だけでは、
医師は一人前にならない」 とい
方、 感じ方が変 わると言 うで
その特色は、
うのが、
西尾医師の持論である。
しょう。 それと同じで、一つ論
す」 と西尾医師は語る。
全 研 修 医の初 期 臨 床 研 修プ
ログラムを 作 成 しているのは、
「 馬 場 記 念 病 院では馬 場 記 念
文 を 書 く と、 ものの見 方が劇
論 文 を書 くことは研 修 医に
とってどんな意 味があるのだろ
初 期 臨 床 研 修・教 育 責 任 者の
病 院の良 さ を 活 かし、その特
テーラーメイドにある。
西 尾 俊 嗣 医 師( 副 院 長 兼リハ
方 も 早 く なるし、オリジナリ
的に変わり ます。 情 報 収 集の
な ところで経 験 し、 数 年 後に
ティも 追 求 し な くてはならな
方 法 も わかるし、 論 文の読み
特色を 「テーラーメイドのカリ
また当院に戻ってきてくれれば
いし、ものすごくいろんなこと
のが、 西 尾 医 師の願いだ。 そ
色を存分に学んでほしいと思い
キュラムを 組 むこと 」 だ と 言
言うことはありませんね」。
ち止まって考えるためにも、論
ます。 それからまた、いろいろ
う。
動くだけでなく、
になれ、 と 教 え られた もので
んな教 えの成 果 もあり、学 会
西尾 医 師は、馬 場 記 念 病 院の
すでに進みたい診 療 科 が 決
まっている者に対しては、 他の
考える医師を
文 は大 き な きっか けにな り ま
発表にチャレンジする研修医は
ビリテーション科部長)である。
診 療 科の研 修 期 間 を許される
す。 でも、それだけでは、 長
す」。
多 く、 病 院は積 極 的にサポー
はで き ま せん。 大 切 なのは、
トしている。
“Think”。 と き ど き 立
「手だけでなく、頭も動かせ
る医 師になってほしい」 という
い頃 は、 反 射 的に動 けるよう
が勉 強できるんです。 私が若
範 囲で縮めて、 その診 療 科の
い臨 床 生 活 を 実 り あるものに
研 修にあてていく。「できるだ
け個々の希 望を聞いて、フレキ
シブルに診 療 科 をローテイトで
西尾 医 師は、研 修 医の相 談
にも気 軽に応 えている。一対一
育てる研修。
生理機能検査室にて。臨床検査技師から
検査方法や検査結果のポイントについてレクチャーを受ける。
09
Tsubasa
放射線部でX線テレビ撮影検査を行う。
指導医である金原医師の考えにしっかり耳を傾ける。
10
Tsubasa
初期臨床研修医インタビュー
馬場記念病院で学ぶ、悩む、成長する。
近畿大学医学部卒業
落合 正医師 1年目(※)
医師として、
すべての基礎づくりを。
奈良県立医科大学医学部卒業
将来は、
世界で闘える
医師になりたい。
馬 場 記 念 病 院 は 病 院 全 体で
岩下峻也医師 1年目
診ることができる能力を。
将 来の専 門は心 臓 外 科 と心に
研 修 医 を 育てる 風 土 が あ り、
滋賀医科大学医学部卒業
カテーテル治療を学び、
将来の進路を決意。
僕の志 望は整 形 外 科です。 で
決めていま す が、 ま ず は内 科
指 導 医は厳しさ とやさしさを
窪田 穣医師 2年目
1年 間の研 修 を 経て、 循 環 器
も、 専 門 領 域 しかわからない
診療のできる能力をしっかり身
杏林大学医学部卒業
科 に 進 むこ とに 決 め ま し た。
医師ではなく、専門をもった上
もって接してくださいます。 今
専門領域だけでなく、
全身を
決め手は、心筋梗塞のカテーテ
につけることが必要です。 この
日々です。 最 初の頃は患 者さ
で、 全 身 を 総 合 的に診ること
界 は上 下 関 係 が 厳 しいと聞い
まに、どう話しかければいいか
ル治 療。 治 療が終 わり、血 流
げることができたことは、馬場
ていま し たが、 指 導 医・上 級
わからなかったのですが、毎日
級 医の教 えをひたすら覚 える
胸の痛みがすっと消 えました。
記 念 病 院で研 修を受けた貴 重
医の先生方に気軽に相談でき、
ベッドサイドへ行って声をかけて
は 消 化 器 科 での 研 修 で、 上
それを 目のあたりにしたとき
な財産だと思っています。また、
「ここを 選んでよかった」 と心
いる う ちに、 笑 顔で 話 せるよ
病 院では実 践 的な手 技を教 え
の感 動 は、 未 だに忘 れられ ま
この病 院には医 療 機 器や 技 術
から 思いま す ね。 2年 間で基
うになったことは大きな収穫で
ていただいています。 医 師の世
せん。 循環器科部長の山下 啓
スタッフが整っていますが、一歩
礎を学び、後期研修はマレーシ
すね。 まずは医 師ならば当た
重 要 性 を思い知 り、視 野 を広
先 生は、次々と実 践 的な手 技
外に出 たら、そ ういう 恵 まれ
アか香 港かシンガポール、オー
ができる医師であること。 その
を 教 えてくださいま す。 先 生
た病院ばかりとは限りません。
と学びたい。 すべての基 礎づく
り 前にでき ることを、 き ちん
形が正 常に戻 り、 患 者さ まの
から学べるものはすべて貪 欲に
く、世界のレベルで闘 える医師
ストラリアの病院へ。 夢は大き
りをしたいと考えています。
を 前 提に指 導 してく ださるの
になるのが目標です。
そのとき「自分で、
どうするか」
で、非常に勉強になります。
学び、手技、診療の力など、一
ようになりたいと思います。
つひとつのことがしっかりできる
が再 灌 流した瞬 間に心 電 図 波
上津原卓人医師 2年目
馬場記念病院では現在、
1年目と2年目合わせて8名の研修医が
初期研修を受けている。彼らはどんな思いで日々の診療を学んでいるのか。
医師として走り出したばかりのフレッシュな声を集めてみた。
上津原(うえつはら)卓人医師
窪田 穣医師
岩下峻也(しゅんや)医師
11
Tsubasa
力です。 今は循 環 器 内 科にい
ますが、救 急 外 来で脳 神 経 外
科の先 生に「 見 学 させてほし
い」 と 言ったら、 快 く 受 け 入
れてもらえ ました。 将 来の進
路は脳 神 経 外 科 を 希 望してい
ま す。 この病 院の先 生 方のよ
うに、診 療 科 を超 えて協 力し
合える医師になりたいですね。
Eye’s of Pegasus
医師になるまで
医 師になるまでの道のりは結 構 長い。 年
制の医学部を卒業し、 医師国家試験に合格。
年間の卒後臨床研修を経て、ようやく一人
須化されたのは、2004年度から。 それ以前
前の医師として歩み出す。 卒後臨床研修が必
和田卓磨医師 1年目
(※)
は、卒後臨床研修は努力規定として定められ、
心とした診 療 科、 研 究 室、 教 室ごとのグルー
医学生は卒業後、出身大学の医局(教授を中
大阪市立大学医学部卒業
学生ではない、
も、 診 療 と 研 究、 教 育の3つ
取り 組んでいらっしゃる。 自 分
臨 床 研 究にも教 育にも熱 心に
診 療で忙しいにもかかわらず、
の先生方の仕事ぶりを見ると、
お 話 を 聞いていま す。 上 級 医
消できれば… と考 え、 丁 寧に
の症 状や 不 安 感 を少しでも 解
感じていま す。 入 院 患 者さ ま
く、医 師 として大 きな責 任 を
院 患 者さまと接 することも 多
の 実 習 とは まった く 違い、 入
研 修 医 と な り 数 カ 月。 大 学
するものである。 馬 場 記 念 病 院は平 成
設は基幹型臨床指定病院における研修に協力
て 研 修 を 行 う 病 院であり、 協 力 型・協 力 施
類がある。 基 幹 型とはその施 設が主 体となっ
病 院には基 幹 型、 協 力 型、 協 力 施 設の3種
医師を育てる病院は、厚生労働省が認可し
た臨 床 研 修 指 定 病 院である。 臨 床 研 修 指 定
くり選べるようになった。
に、研修期間中に自分が進みたい診療科をじっ
ことなく、 自由に研修先の病院を選ぶととも
られた。 また、研修医は大学医局に在籍する
基本的な初期診療能力を養うことが義務づけ
新 医 師 臨 床 研 修 制 度ではそうした弊 害 を
解消するために、さまざまな診療科で研修し、
ため、専門医志向の偏りが指摘されていた。
プ組織)に在籍。 単一診療科で研修を受けた
馬場記念病院は救急搬送も多
がしっかりできる医師になりた
基 幹 型 臨 床 病 院 の 指 定 を 受 ける と 同 時 に、
医師としての責任を実感。
く、躍 動 感 あふれる空 気が流
いです ね。 将 来は大 学 病 院に
大 阪 市 立 大 学 病 院 などの協 力 型 病 院 として
診療科の垣根を超えて
協力できる医師に。
れていま す。 重 篤 な 患 者さ ま
戻 り、産 婦 人 科 医 を志 すつも
年、
が 運 ばれる と、一分一秒で も
も機能している。
りです。
中島伸彦医師 1年目
関西医科大学医学部卒業
2
早 く 助 けよう と、診 療 科の垣
※落合医師、和田医師の 2 名は、協力型
研修病院として受け入れている。
大学医学部・医科大学
一般教養課程
●
基礎医学課程
●
臨床医学課程
●
臨床実習課程
●
卒業試験
医師国家試験
臨床研修病院選考
初期臨床研修
病院・診療所勤務
学会認定
医療施設
専門研修︵後期研修︶
大学院進学
専門医認定取得
Tsubasa
12
根を超 えて先 生 方が協 力しま
す。 また、風 通しの良さも魅
大学入学から医師、
そして、専門医への過程
6年
6
15
2年
落合 正医師
中島伸彦医師
和田卓磨医師
S p e c i a l
2
朝 7 時 前、 患 者 さ まの 朝
食が始 まる前の時 間 を見 計ら
把握する。
先に患者さまの情報を
指導医や上級医よりも
730日の修練。
師匠から脳神経外科医の心を学び、
手術場で、基本の技術をものにする。
初期臨床研修医のなかの唯一の女性医師、
それが武田幸恵医師である。
武田医師は「脳神経外科医になる」という明確な目標を携えて、
馬場記念病院にやってきた。
「1年目は何でもできると思っていた。
しかし実際は何もできなかった」と振り返る、
武田医師の2年目の奮闘を取材した。
かけていく。 指 導 医や 上 級 医
ないです か 」 とやさし く 声 を
ヘアのよ く 似 合 う、 快 活 な 女
が出 勤 する前に患 者さ まの状
はようございま す。 お 変 わり
性。 研 修2年 目の武田医 師で
態 を 把 握 してお くのが、 武 田
回診する医師がいた。 ショート
ある。 夜 勤の看 護 師から、夜
医 師が自らに課した心 得 なの
い、 脳 神 経 外 科 病 棟 をひとり
間の様 子 を 聞いて、 担 当 する
である。
貪 欲に学ぼう とする武田医
師は、手 術にも 積 極 的に参 加
研修医を鍛える。
現場のトレーニングが
日々重ねられる
ろは大きいですね」 と語る。
人7様の方法があり、学ぶとこ
る医師は、
部長を含め7名。
「7
科に配 属された。 指 導にあた
形 成 外 科、5月から脳 神 経 外
3カ月 単 位で研 修 し、4月に
武田医 師は昨 年、外 科、循
環器科、消化器科、麻酔科を
患 者さまのベッドサイドで「お
▲顕微鏡下手術の準
備は、研修医の仕事。
手術に使う顕微鏡をカ
バーリングして、
「 清潔」
を担保する。
part
13
Tsubasa
「私は決して器用ではありません。でも、
ここで鍛えていただければ、
一人前の脳神経外科医になれると思う」
例 近 くに上る。 しか
顕微鏡下の手術では、 ミリ
の血管を繋 ぐ 手 技 も必 要 とな
る。 武田 医 師は時 間 を 見つけ
ては、医局のデスクで顕微鏡を
覗いて、細い糸をピンセットで操
る練習を繰り返している。
脳 神 経 外 科 部 長の魏 秀 復
医 師 は、 武 田 医 師に とって 偉
大 な 師 匠 だ。「 毎 日 毎 日、 名
言 を 言 われて、 勉 強 すること
ばか り 」 とほほ え む。 ま た、
魏 医 師の手 技 から 学ぶことも
多い。「非常に難易度の高い手
術 を 迅 速になさるのはも ちろ
んなのです が、 魏 先 生 は最 後
の縫合にステープラー(医療用
ホッチキス)を用いず、糸で縫
われます。 これはリズミカルに
美し く 縫 う 見 本 を 示していた
非 常に繊 細な手 技が求められ
「 この 手 術 はシンプルで す が、
し、決して慢 心は許されない。
う 糸 も 違い、かなり 手 元がも
得 していた 手 技でし たが、 使
し ました。 それまで外 科で会
トに入 り、 傷口の縫 合 を 担 当
忘れられない。「 手 術のアシス
決意と覚悟。
自立する日をめざす
だいているのです 」。
研 修 医が執 刀して大 丈 夫な
のか。 そんな 不 安 がよぎる方
ま す。 毎 回、“ 臆 病 な ” 気 持
日のことを、 武 田 医 師 は今 も
に行う症例もある。 脳神経外
もいらっしゃるだろうが、もち
ちで臨んでいま す し、 自 分 自
手 術は
科の手術でもシンプルな慢性硬
所 要 所 をチェックする。「たと
ろん、指 導 医がつきっきりで要
たついて し まいま し た。 その
武田医師は大阪府出身、高
知大学医学部卒業。 もともと
血腫の手術である。
膜 下 血 腫 だ。 頭 皮 を3センチ
身で手 術ができ たと思 えるよ
様 子 を医 局のモニターでご覧に
外 科 医 を 志 望した。「 脳 神 経
脳神経外科医として
程 度 切 開し、骨に小さな穴 を
えば心 筋 梗 塞などの既 往 歴が
うになる まで努 力 したい」 と
あけ、硬 膜を露 出させる。 硬
あ り、 抗 凝 固 剤 を 服 用してい
膜を少し焼 き小切開し、血腫
る 方 は、 血 が 止 ま りに くいん
リハビリテーション医療に興味が
外 膜 を 破る。 その下に広がる
です。 そ ういう 場 合 も、上 司
と言 われたんです。 ショックで
「縫う練習を 万回、
やりなさい」。
外科医を志すなら、馬場記念
で勤 務 医 として働 く 父の助 言
病院がいい」。 大阪府内の病院
た」。
したね。 あ あ、 私 はこういう
脳 神 経 外 科に配 属された初
それが医師の世界。
10
世 界 に 入ったのだ と 思いま し
練習を
なっていた魏部長が、手術室か
血腫(血の塊)の中に管を入れ、
が的 確に指 示 を 出してくれる
意欲を燃やす。
血腫を抜 き 取りながら、生 理
ので安 心です 」 と武田 医 師は
あ り、その前 段 階の治 療に携
食 塩 水( 体 液の浸 透 圧 と同じ
言う。
ら戻った私に開口一番、
“縫う
する。 先 輩 医 師のサポートだ
0.5
わりたいという思いから脳神経
濃 度の食 塩 水 ) を入れて血 腫
10
けでなく、武田医 師が主 体 的
「“どこまでも患 者さま
本位”
という、馬場記念
病院の姿勢を常に感じ
る」
と武田医師は語る。
万 回、や り な さい”
が残らないよう丁寧に洗い流し
武 田 医 師 がこの3カ月 余 り
で担 当した慢 性 硬 膜 下 血 腫の
ていく。 これが、 慢 性 硬 膜 下
Tsubasa
14
40
研修2年目に入り、
「自分がどう動けばいいかようやくわかってきた」
と武田医師。
日々の経験が自信に繋がる。
それから怒 濤の研 修 生 活が
始まった。冬はまだ暗いうちか
選んだ。
自らの研 究 も 忘れない。 副 部
めたという。また、
臨床の傍ら、
そこで最 近は、スイミングス
クールでの鍛錬に加え、自宅で
動かないように3点ピンで手術
身 麻 酔 をかけた後に、頭 部が
いう。「 た と え ば 開 頭 術 は 全
負 」 であることを痛 感 すると
に 最 近 は、「 研 修 医 は体 力 勝
ても 足 り ない」 日々だ。 さら
当直もこなす。「体が何個あっ
な どにか け ま わり、 週1回の
術、救 急、病 棟での急 変 対 応
の二は費やすことになるでしょ
のに、これ か らの 人 生の三 分
「でも、 脳 神 経 外 科 を 極 める
門医までも希望する武田医師。
ゆくゆくは、脳 神 経 外 科か
らリハビリテーション医 療の専
畿地方会で発表する予定だ。
される日本 脳 神 経 外 科 学 会 近
にとりかかっており、秋に開催
り、現在論文制作と症例発表
15
Tsubasa
も あ り、ここを 研 修 先 として
ら 家 を 出て、 病 院へ。 夜の9
長の伊 飼 美 明 医 師の助 言 もあ
台に固 定しま すが、かなり 腕
う 」 と笑 う。 強い決 意と覚 悟
腕力を鍛えるトレーニングも始
時 く らいまで、 検 査、 手
力がないと固定できないんです
をもって、脳神経外科の世界を
〜
ね。 女 性だから、 と言い訳 す
突き進んでいこうとしている。
「縫う練習を10万回、
やりなさい」。
師匠の言葉を胸に、
自らを鍛える日々は続く。
るわけにもいきませんし…」。
10
馬場記念病院の医師教育を語る。
僕らが培ってきたことを
次の世代に伝えていく。
ころが、 今 は数カ月 単 位で学
を飛ばすのも、基 本 技 術 を早
馬場 記 念 病 院 副 院 長 兼 脳 神 経 外 科 部 長
魏 秀復
研修医時代は
技術・経験、そして、
れるようにならなくてはならな
知識・判断力の
つをバランスよく身につけていな
魏医師は、脳神経外科医と
いう 臨 床 医に必 要な条 件 とし
とが参考になるはずです」。
まな 先 輩の考 え 方に触れるこ
バランスが取れた医師に。
い。 魂 を 入 れるなら、さ ま ざ
んの症 例に接 する、 恵 まれた
くマスターしてほしいからだ。
る か ら、スピーディに 技 術 を
環境にある。
「一生懸命やれば、
て 「 技 術、経 験、知 識、判 断
幸い、 馬 場 記 念 病 院はたくさ
身につけなくては次へ進めませ
卒 後2年 間で簡 単な手 術は全
脳 神 経 外 科には現 在、魏 医
師 をはじめ7人の医 師がいる。
力 」の4つを挙 げる。「この4
ます。 次々と課 題が与 えられ
ん 」。 た と え ば、 武 田 医 師に
部できるようになり ま す 」 と
研修医に対しては、その7人全
ぶよ う なプログラムになってい
対して 「 目 をつむっていても 糸
魏医師は太鼓判を押す。
身を粉にして働くことが、
「 医 学 部でいくら学んできて
も、治 療プロセスは現 場でない
が 結べ、 縫 えるように」 と檄
員が指導医となり、いい意味で
明日に繋がる。
と学べません。 病んでいる患者
さ ま と話し、どういう 検 査 を
する。 そして、一番難しい“判
いと、偏った治療しかできませ
自 分のやり 方 を もっていま す。
断力” を養ってほしいと考 えて
の徒 弟 制 度 的 な 密 度の濃い教
研 修 医 は そのや り 方 を 見て、
いま す 」。 魏 医 師 は 常に、 惜
して診 断 を 下 し、 治 療 してい
自 分にあったスタイルを見つけ
しみなく自分のノウハウを若手
培い、 座 学で意 味づけ を 確 認
ていってほしいと考 えています。
や 後 輩 たちに伝 えていく。 そ
ん。 経 験 を積 むなかで技 術 を
門前の小僧と同じで、誰でもい
の根 底には、 自 分 がこれ まで
育を行う。この狙いはどこにあ
ろいろやっているうちに身につい
培ってきた医 療への揺るぎ ない
るのだろうか。「上級医はみな、
ていきますが、ただ覚えるだけ
自 信 と次 代の医 師 を育てよう
くか。 そのプロセスを教 えるの
ではいけない。 お寺の門を作り
という強い熱意がある。
が 僕 らの役 割 だ と 考 えていま
す 」。 そ う 語 るのは、 副 院 長
兼 脳 神 経 外 科 部 長・魏 秀 復
医師である。
また、魏 医 師は 「そんな時
代 じゃないのは知っていま す が
…」 と前置きした上で「研修
医の時 代 は、 身 を 粉にして働
たいなら、自分なりの方法で作
Tsubasa
16
いてほしい」 と期待する。
「 昔 は1 年 か けて 学 んだ と
手術中に飛ぶ魏医師の指示は、簡潔
で的確だ。難易度の高い手術を見るこ
とで、最先端の医療を学ぶ。
馬場記念病院の医師教育を語る。
深く濃い学びを
最初の2年間で。
馬場記念病院 院長 (社会医療法人ペガサス 理事長)
馬場武彦
ち が 入 れ 替 わ り 立 ち 替 わ り、
各 診 療 科の指 導 医、上 級 医た
常に濃い関係で触れ合えます。
と誠 実にコミュニケーションでき
ほし く ないんです。 患 者 さ ま
能だけに秀でた医師にはなって
わ 強 く 期 待 す ることだ。「 技
先輩たちとの
濃い関わりのなかで、
情 熱 を もって濃 く 教 えるわけ
識 を 身につけ た、 人 間 的にも
る人 柄や、 社 会 人 としての常
パクト も 強 く、 すごく 勉 強に
魅 力のある 医 師 をめざ してほ
です。 研 修 医が受 け 取るイン
なると思いますね」。
人として成長してほしい。
新 医 師 臨 床 研 修 制 度が始
まったのは、2004年。 最 初
しいですね」。
地域の中核病院の使命。
社会に貢献する。それは
はほんの数 名だった研 修 医 も、
のかもしれ ません。 指 導に関
良い医師を育て、
しては 各 診 療 科に 任 せていま
研修医への濃い指導は、馬場
が指 示しているものだろうか。
魅力は、どんなところにあるの
すし、診 療 科ごとに特 色 もあ
かつての卒 後 研 修 制 度では、
研 修 医に充 分な報 酬が与 えら
今では例 年コンスタントに集 ま
だろう。 院 長の馬 場 武 彦に聞
れば、
指導医によっても異なる。
れず、研 修 医たちの多 くが当
の根 底にある 文 化のよう な も
いてみた。
そ ういう 多 様 性 を受 け 入れる
直などのアルバイトに追われて
「いえ、 そ う では な く、 当 院
「ひとことで言 えば、“ 教 育
の濃 さ ”ではないでしょう か。
ことも また、 研 修 医が人 とし
いた。 この反 省から2004年
も 評 価の高い馬 場 記 念 病 院の
当 院ではカリキュラムに沿って、
て成 長 する糧になると考 えて
に始 まった医 師 臨 床 研 修 制 度
るようになった。 医学生の間で
学 生の延 長のよ うに 教 えるス
います」。
の支 給が研 修 病 院に義 務づけ
では、 研 修 医への適 正 な 給 与
急 性 期 領 域では、教 える側 と
タイルではありません。 救急・
人 と しての 成 長。 そ れ は、
馬 場が研 修 医に対してひとき
教 えられる 側 が、お 互いに 非
17
Tsubasa
件費の負担は大きい。「そうい
価 が 行 われるが、それでも 人
指 定 病 院には診 療 報 酬 上の評
病 院の負 担 となる。 臨 床 研 修
られてお り、その人 件 費 は各
私たちのよう な 地 域 医 療の最
けに任せてよい問 題ではなく、
の意 味で、 医 師 教 育は大 学だ
ことでしか身につきません。 そ
一般 的 な 症 例 を、 数 多 く 学ぶ
診 療 能 力は、頻 繁に遭 遇 する
据える馬場の思いがある。
いては日 本の医 療の将 来 を 見
その根 底には、 地 域 医 療、ひ
ます」 と馬場は言い切る。
担 うべき 役 割 だ と 自 覚 してい
でも 多 く 良い医 師 を 育て、 社
はあ り ません。 でも、 ひとり
の後、 当 院に入 職 するわけで
研 修 を 受 け た 者 が すべて、そ
もっていま す。 実 際 は 当 院で
のなかで極めて重 要 な 意 味 を
に若い研 修 医 を 受 け 入れ、 育
大 きな視野で医師教育を考
え、 馬 場はこれからも 積 極 的
す」。
られた 使 命 だ とも 考 えていま
会 医 療 法 人である我々に与 え
う 経 営 面のデメリットは確かに
Tsubasa
18
てていく決意にある。
発行人
編集長
編集
発行
馬場武彦
立永浩一
ペガサス広報委員会 編集グループ
HIPコーポレーション
社会医療法人ペガサス 〒 592-8555 大阪府堺市西区浜寺船尾町東 4-244
TEL 072-265-5558 http://www.pegasus.or.jp/
会に 貢 献 していくことは、 社
地 域 医 療 を 考えるペ ガ サ ス 情 報 誌
「 医 師 として 歩 み 始 める 最
初の2年 間 は、 長い医 師 生 活
2012年秋号
前 線にある病 院が、 率 先して
平成24年9月発行第12巻第1号
(通巻41号)
あります。 しかし、基 本 的な
41
41
地 域 医 療 を 考えるペ ガ サ ス 情 報 誌
良き医師とは、
技術、知識、判断力…。もちろん、いずれもが重要です。
ただ、私は、
より良き社会人であること、
人とのコミュニケーションを大切にすること。
それこそが大事であると考えます。
これは、大学医学部や医科大学という
医育機能で教えることはできません。
地域医療最前線の、臨床教育の場だからこそ、
導くことができるものと考えます。
医師は、一生を通じて学ぶことが必要な職業です。
今回の『つばさ』でご紹介したのは、そのほんの入り口。
これから彼らは、長きに亘り「学び」の日々を過ごしていきます。
生活において、社会において、真に役立つ医師となるよう、
ペガサスは、何重にも安全性を担保した上で、
人と、機会と、環境を、提供していきます。
地域の皆さまが、そして、社会が、
みんなが一緒になって、
自分たちの未来のために、医師を育てる。
そうした思いをもっていただけると幸いです。
社会医療法人ペガサス 理事長 馬場武彦