The Creative Power of Chance

The Creative Power of Chance
00/04/21 D1 中村麻里子
1
chance という概念の簡単な歴史
p.7 運と chance
古代から近代初頭まで、偶発的な出来事は、その出来事の原因を説明できないものとして
強い反感を買っていた。古代において、世界の必然性に留保を唱えたのはアリストテレス
が初めてである。彼は、偶然的な出来事から起こる可能的な結果が、実現するという同一
の chance を持つとは必ずしも限らないと述べている。
p.8 chance を飼いならすための第一歩
17 世紀、パスカルがシャヴァリエ・ドゥ・メレと手紙で議論する形で、chance への最初の
数学的アプローチがなされた。chance という問題に数学的に答えるためにパスカルが用い
たのは、「正当なゲーム」という考えだった。つまりプレイヤーの決定が、現在ならば数学
的予測と呼ばれているものに基礎づけられていなければならないということである。だが
彼の議論において、確率についてはそう詳しく語られていない。
ヤコブ・ベルヌーイの著作ではそのアプローチが経済学に基づいており、ヤコブは甥のニ
コラウス・ベルヌーイと共に、法廷での目撃者の証言の信用性の評価に対して chance に関
わる質問の範囲を広げた。
18 世紀の中頃、確率概念はラプラースによって chance の理論に使われるようになった。
彼の確率に関する定式化はポアンカレによって批判され、そのうち確率計算が適用される
範囲は大幅に広がっていった。そして、確率理論の公理的基礎の研究が行われるようにな
っていった。
p.9 統計と保険
統計概念の一般化は 17 世紀あたりに認めることができるが、今で言う「統計」の意味で使
われるようになったのは 19 世紀の終わり頃のことである。
17 世紀、保険会社をしていることはギャンブルとそう変わらなかった。保険会社は自らの
利益にばかり気を配り、17 世紀末にエドモンド・ハーレーやニコラウス・ベルヌーイの行
った保険に関する仕事を無視し、数学的な計算に基づいたリスクの理解には興味を示さず
にいた。その後、1762 年に初めて死亡率表をもとにした保険会社が現れた。
統計を保険の実践に導入することは、chance の理論的な扱いにおいて重要な転換点である。
これが、それまでの主観的判断によるアプローチを脱した、確率の頻度解釈の始まりであ
る。死亡率表の使用は確率の頻度アプローチの最初の具体的な例であった。
p.12 確率を測る
18 世紀末、偶発的な状況におけるさまざまな可能的な結果の確率を測る仕方には3つあっ
た。
1
物理的な対称物を試験する
2
確率の主観的側面を、さまざまな可能的な結果と結びついた個人的な信念として発展
させる
3
可能的な結果に導くような chance の試行を意図的に繰り返すか、自然の繰り返しを待
つ
観察結果が増えるに従って、統計がより強化される。3 番目のアプローチは死亡率表などの
統計的実践から引き出されたものである。
p.12 chance の隠れた規則
18 世紀の科学者は、ランダムな出来事の発生が、chance の持つ法則に従っていると考える
ようになった。現在なら、そのような規則は chance それ自体によって作られると言われる
だろう。
男女の出生率が同じであるというような chance に関して、当時の科学者は、確率の導入は
見かけ上ランダムに見える現象の背後にある原因を、今のところ知らないために存在する
人工的なものにすぎないと考えていたが、19 世紀に入ってこの考えはくつがえされる。
2
1859 年:ダーウィンとマックスウェルの二重の知的革命
p.14 革新で生き生きした時代
p.17 ピエール・シモン・ド・ラプラースの遺産
ラプラースは確率の主観的解釈を主張した。それは、その系の真の状態について我々が無
知であることをもっぱら確率と結びつける解釈である。ラプラースは熱心な決定論者であ
り、世界に関する完全な知識の前に不確実はことは何もないと考えていた。
アドルフ・ケトレーは、確率という物理理論によって予測された規則性が社会の出来事(た
とえば犯罪の統計)にも見つかったとし、各人間に生得的な「犯罪行動の客観的傾向」は、
chance を通してのみ明らかになるとした。しかし彼の理論はその後批判されている。
19 世紀全体は「理想的人間」の理論に影響されていたが、クロード・ベルナールはそのよ
うな理想主義に反対した。1859 年には、確率の古典的アプローチの困難さを乗り越える動
きが現れ、ジョン・スチュアート・ミルやロバート・レスリー・エリス、そしてヤコブ・
フリードリッヒ・フライスは頻度を使って確率解釈の本質的要素を推敲した。
p.18 アントワーヌ・オーギュスティン・クルノーの仕事
アントワーヌ・オーギュスティン・クルノーは、無知による chance の古典的解釈に満足し
なかった最初の人である。彼は chance を因果的に独立した 2 つの因果連鎖が交わることで
あるとし、偶発的な(fortuitous)出来事はその交わりによって引き起こされるした。
だがクルノーは chance を間主観的な概念として説明しており、思考と世界の普遍的な関係
という枠組みなしでは成立しないという点で、説明としてまだ不十分である。
p.20 ジェイムズ・クラーク・マックスウェル
マックスウェルは、物理現象と確率分布を結びつけた最初の人物である。マックスウェル
はラプラース-ガウス分布から、マックスウェルの分布と呼ばれる分子のエネルギー分布の
正確な測定を引き出した。1860 年、マックスウェルは確率分布を使うことによって、2 つ
の気体分子間の平均相対速度の正確な計算を行った。マックスウェルによって、chance は
再び方程式の不可欠な部分として理解された。
p.22 チャールズ・ダーウィン
ダーウィンは、chance を種の進化という生命現象の説明に用い、その際 chance を随伴的
な現象としてでなく、生物の理論に本質的な構成要素として初めてとらえた。
ダーウィンは突然変異と自然選択の基準同士が独立していることを強調したが、このよう
な説明に chance が初めて導入されている。
p.24 チャールズ・サンダース・パース
パースは物理・自然科学での chance の役割についての考察を雑誌に発表した。この点で彼
は現代の哲学の流れの偉大な先駆者である。
p.25 物理学と生物学における chance:19 世紀末の状況のレヴュー
chance と確率がゆっくりと発展しているあいだに、その適用分野は広がった。人間につい
ての新たな哲学的考え方や人間の偶然性を強調する新たな哲学的手法が提起された。