7[11/21〜11/30]

パリ籠城期(1870年9 月18日〜1871年1月28日)におけるフランスとヨーロッパ-7[11/21〜11/30]
翻訳:横浜市立大学名誉教授 松井道昭
【307】
11月21日(月)
(戦況)
ロワール軍の「大」敗退につながる「大」殺戮の際にプロイセン軍が蒙った損害の実態は
以下のとおり。すなわち、死者3、負傷 35!・・・ 事件が長く熱かったものと人は見なす!
まさに『アウグスタ』紙は正確な情報を伝えられていない。プロイセンの電報は誇張と幻想
を込めて『フィガロ』と『ゴーロワ』の古い新聞記事を載せるであろう。
ヴェルサイユ発至急報は 18 日、メクレンブルク公の軍隊と仏軍の間でドルーDreux から5
リューほど離れたシャトーヌフ近郊で新たな戦闘について伝える。仏軍は敗退し、300 人の
死傷者と 200 人の捕虜を出し、独軍の損失は 100 を超えなかったもよう。
トゥール発の官報によれば、ガリバルディ軍がシャティヨンで 700~800 のドイツ兵を急襲
し、全てを殺害ないしは捕虜とした。シャティヨンはガリバルディが本営をもつオータンの
北方 30 リューに位置するコート=ドール県の町である。
(英露事件)
あと数日も経てばわれわれは、1856 年条約の廃棄に起因しわれわれに脅威を与える全面戦
争が普仏の決闘の災禍と殺戮につけ加わるかどうかについて知ることになろう。イギリスの
新聞は遅かれ早かれ戦争に突入することを予想させる。【308】われわれが新聞論調やその用
語から引きだせる結論は万事プロイセンの態度にかかっているということだ。この国がロシ
アと共謀するなら、それは直ちに戦争となるだろうし、そうでなければ現状維持となるだろ
う。なぜなら、1856 年条約の署名国を前に孤立するロシアはヨーロッパ全体を相手とする戦
争をくり返すことに直面するであろうから。それゆえに、外交による解決が可能であろう。
したがって、オド・ラッセル Odo Russel 氏のヴェルサイユにおける使命の結果がいかなる
ものなのか待望されている。プロイセンを除くヨーロッパがロシアと戦争をおこなうならば、
責任と軍事的指導の比重が圧しかかるのは特にイギリスに対してである。したがって、この
国は最適時に開戦を欲する。
外交が有する遅延と遅滞によってイギリスがプロイセン軍によるフランスの打倒を願わず、
そしてプロイセン軍をロシアに振り向けるのを願っていない。
もし戦争が勃発するならば、イギリスはオーストリアとトルコと協力しあうことは確実と
見られている。イギリスは同様にイタリアを引きずりこもうとするであろう。普仏両国は交
戦中なので、対立陣営の力はほとんど等しいものとなろう。
(ゴルチャコフ公の回状と特異な一致)
『ポ-ル・モール・ガゼット Pall Moll Gazette』によれば、ゴルチャコフ公がその回状を
公表するのに、なぜ不適切かつ危険でさえある時 ― とりわけプロイセンの協力を当てにす
るのであれば ― を選んだのかについてあらゆる方面から関心を集めている。おそらくこの
問題に関するひとつの回答は以下の事実のなかに見出されよう。すなわち、回状は「メッス
の開城投降の直後」つまり「ギリシア暦の相違を考慮するならば」開城のニュースが聖ペテ
ルブルクに到着した 2 日後に書かれたという事実を。したがって、プロイセン軍のフランス
での勝利が確実なものとなったその時に回状が書かれたのは明白である。
(両交戦国の未来)
前に述べたように、ロシアとの戦争の場合にはイギリスとオランダは是非ともトルコ、オ
ーストリア、イタリアの協力に依存する。
【309】
(ロシアにおける 1856 年条約の廃棄通告)
『ベルギーの独立』紙はロシア駐在の通信員によってゴルチャコフの回状が聖ペテルスブ
ルクで書かれたとの印象を述べている。
(トルコ)
コンスタンティノープルからの私信によれば、トルコ王政府がロシアの要求に積極的に反
対することを決めたと告げる。
(スペイン)
国王問題は万事めでたしというわけではない。お追従屋がいるかと思えば、人類の名にお
いて専制権力、聖権力に対して抗議を示す挑戦的かつ革新的な精神も存在した。…かくして
スペインの共和派はスペインのために一国王の選択に関しては精力的に、かつ猜疑心をもっ
て抗議する。
(スペイン王アオスタ公)
スペイン王としての就任を要請されたフェルナン=マリー・アメデ皇太子すなわちアオス
タ公、イタリアのヴィットーレ=エマヌエーレ王の 3 人目の子息にして次男である彼は 1845
年 5 月 30 日の出生である。したがって、彼は当年 25 才ということになる。
1855 年 1 月 20 日に他界した同皇太子の母はオーストリアのレニエ・パウルの娘である。
アオスタ公は、姉グロチルデ Glotilde 皇女がナポレオン=ジョゼフ=シャルル=ポール
Napoléon-Joséphe-Charles-Paul 皇子と結婚したことにより、ボナパルト一族の遠縁にあた
る。
(ドイツ統一)
木曜日、北ドイツ連邦の議会が南ドイツ諸国の加盟について討議するために開催の予定で
ある。議論はこの加盟、少なくとも利害関係をもつ政府に関して規定の事実となるその時に
は開会されるであろう。この時までわれわれは積極的な方法で今月 15 日にヴェルサイユで調
印された条約の存在 ― 本条約によってバーデン、ヘッセン大公国の政府は現憲法を保持し
たまま連邦に加わることを宣言 ― のみについて知りうる。【311】バイエルンやヴュルテン
ベルクについていえば、加盟が確実視されるにもかかわらず、われわれは加盟を条約によっ
て承認されたことをまだ確認していない。
(プロイセンの占領…ある史料)
ロレーヌおよびアルザスの諸都市の名士が鉄道列車に同乗するよう要求された命令書…
[中略]… 。
【312】
【314】
11月22日(火)
(戦況)
マントイフェル将軍、メクレンブルク、フリードリヒ=カール王太子の軍隊がパリ周辺で
第二次包囲網を形成しつつあるといわれる。これら将軍の一人(マントイフェル)は北仏の
ラ・フェール、ヴェルニエ、サン=カンタンの線からルーアン方面にむかって作戦を開始し、
ブルバキ、ケラトリ、ドーレルとの連携を絶つ作戦に出るであろう。また、もう一人の将軍
(メクレンブルク)は南西部に進出し、残りの一人(F. カール王太子)はオーブ、ヨンヌ県
にいるヴェルダー将軍 ―彼の軍団の一つはオルレアン奪還の使命を受けている ― が指揮
する軍隊に支援の手を差し伸べるであろう。
いとも簡単にメッスに打ち勝った一つの小さな要塞! 正規軍と国民衛兵から成るメジエ
ールの守備隊は包囲軍の一角を打ち崩し、そして、その軍隊を遠くに撃退した。プロイセン
軍は 500 の死者を出し、大砲一門が鹵獲された。
(パリ、防御の朗報)
プロイセン発の情報によれば、パリは飢餓に瀕し、降伏の一歩手前だという。その大都市
からの直接のニュースの欠如は不安と大きな苦しみを与える。パリが実際にこの極端な悲し
みに導かれているかどうか人々は疑問に思う。幸いにして今日、われわれは朗報を知った!
一つの気球が昨日、アントワープから数マイルの場所に着地した。それはジュール・ビュッ
フェ Jules Buffet、サン=ヴァレリーSaint-Valéry、アルベール・ジョーバン Albert Jauban
氏が搭乗していたもの。
われわれは依然として大雑把なニュースしか保持していない。しかし、パリの補給と精神
動向を語る事柄は、プロイセン情報が楽観的である際にひどく動揺させがちな静けさや希望
を導くのに十分である。パリは懸命に頑張っており、今後もつづくことであろう。ロワール
軍に委託された力に値することを天に祈るしかない。
【315】
(ローマ)
『ガゼット・ド・ローマ』紙は一法令を公表したが、それによればこの町において一つの
リセ、体育学校、一つの工科学校を設置するという。国王代理官の二番めの法令は前述施設
における世俗の教授の任命を謳っている。
(ドイツ統一)
われわれが予告したように、ドイツの再興を完成するバイエルンおよびヴュルテンベルク
の条約が調印されるのは連邦議会の開会時であるとみられている。ヴュルテンベルクの二人
の大臣がヴェルサイユの本営で条約交渉にあたってきたが、ステュットガルトに戻り、国王
に条約文案の裁可を得たのちにベルリンに赴き、当地でそれが最終的に結ばれ署名されるで
あろう。バイエルンの条約も同様の経緯を辿るであろう。すなわち、ミュンヘン発の電文に
よれば、すべてがなされ、バイエルンの北ドイツ連邦加盟の準備はすべて整っている。ルド
ルヴィヒ王のヴェルサイユへの行幸は数日前に発表されたが、ついで無期延期となっていた
のであるが、今度こそは実施されるもよう。なぜというに、ミュンヘンからの報告によれば
準備万端整ったからだ。
(プロイセンの自由主義)
参謀本部がフランスで公刊するプロイセンの新聞は当然のことながらヴェルサイユでほと
んど関心を集めていない。
(トロシュ将軍の教皇への書簡)
ロンドン発『ポール・モール・ガゼット』紙の報道はトロシュ将軍がピウス九世に宛てた
手紙を掲載。
(ヴェルサイユにおける或る軍葬)
ヴェルサイユで毎日おこなわれる数多くのプロイセンの軍葬に関する幾つかの奇妙な情報。
【316】われわれは『タイムズ』紙の通信員ラッセル博士からそれを取得。
(裏切り者)
彼らは無規律であるばかりでなく、処罰される裏切り者である。
【317】
(ボナパルト派の論争、ナポレオン三世のための弁護)
『シテュアシオン』紙は否定しない。すなわち、もし帝政が倒れ、普仏戦争がメッスやス
ダンの降伏のように恥辱に陥っても、また、フランスのあらゆる軍事的な道具 ― 兵・馬・
物資・要塞 ― がプロイセンの手中に入ろうとも、皇帝はそれに何ら関係をもたない。
クリミアやイタリアの戦役はナポレオン三世の個人的所行である。したがって、それらの
戦争はフランスに栄光をもたらした。だが、
『シテュアシオン』紙はわれわれにメキシコ戦争
について語るのを忘れている。一方、皇帝が始めた進行中の戦争は彼の意志に反して彼の内
閣の意志、世論の圧力によって議会が始めたものであった。
ところで、フランス軍がプロイセン軍を前にして譲らねばならないのは、そして、マクマ
オン軍が降伏せざるをえなかったのは、常備軍が没収されたのは、それはプロイセンの大砲
に対して劣勢であったからだ。さて、
「プロイセン砲兵隊の優越性について皇帝に責任をなす
りつけるのは不公正である。」彼はなしうるすべてのことをなした。彼は将軍を選んだ。ルブ
ーフやニエルなどの辣腕家を、さらにもし皇帝がフランス軍砲兵隊をプロイセン軍の水準ま
でもってきていたとしたら、議会や政敵が必要な資金の支出を拒絶したのである。
このようにして『シテュアシオン』紙はナポレオン三世を無罪放免にし、来るべき復位を
期して合理化する。それにしてもボナパルト派の新聞は一つのこと、すなわち原則を忘れて
いるように思える。それとは、個人または議会の主権者としてナポレオン三世は、彼がおこ
なった選択に責任があり、また、彼が無能者や裏切り者を軍隊の長に選んだのであれば、フ
ランスと歴史に責任を負うべきなのはつねに彼である。
【318】
11月23日(水)
(戦況)
まず、ロワール軍からわれわれの許に届いた朗報を述べよう。1 か月前のプロイセン軍に
よるオルレアン占拠時に正規兵と遊動隊は発砲することなくアルジェリア歩兵と外国人部隊
を敵の捕獲に任せて逃亡したと言われる。だが本日、ドイツとイギリスからわれわれはかく
も崇高な軍隊内の団結と訓練について最良の報告を手にしている。
あらゆる通信が今や恭しく語る。もはやだれもそれを無視しない。通信に意を払う必要が
あり、また、メッスとスダンの翌日、人が予想さえしなかった抵抗の要素はそこにあるのだ
ということを示す。すべての者がオルレアンの奪回時に繰りひろげられた勇敢と団結に名誉
を与える。
このような状態はフランスがその汲めども尽きせぬ資源、その富、その愛国心を当てにし
ており、数と偶然のみが一時的に勝利者にもたらした独断的要求に応じるよりは、戦いを継
続することを理由づけるのである。時はおそらくフランスとパリがその英雄主義の果実を、
その卓越した勤勉さの果実を収穫する時はおそらく遠い将来のことではないであろう。
【319】
(講和の状況、ド・ショードルディ De Chaudordy 氏の講和締結のためヴェルサイユに到着)
外務省派遣委員ド・ショードルディがヴェルサイユに到着した旨の報知。彼は領土割譲を
除くあらゆる条件について講和を結ぶための全権を委任されている。
このニュースは多くの者の眼に、新たなかつ最善の状況の前兆と映る。われわれはこれら
の希望を共にする。正義・利害・生命・財産の気遣いはヴィルヘルムにとって講和の提案を
歓迎しなければならないという義務を課す。しかし、ビスマルク氏と彼の国王の将官はこれ
に耳を貸さない。彼らの決意において重きを占めるのはこのような精神である。彼らはアル
ザス=ロレーヌを奪うべく宣誓し、彼らはあらゆる正義・権利・プロイセン化される人民の願
いに背を向け、この目的を遂げるまでは自発的に武装を解こうとはしないのだ。
未亡人、孤児の声、人類の友の懇願は彼らの耳にとまらない。
幸いにしてフランスは勇ましく、寛大な心をもって英雄的決意を旨にしっかり立ち上がっ
た。ビスマルクとヴィルヘルムはおそらく講和を受け入れ、処罰を受けるであろう。
(英露事件)
感情の最初の激発、最初の驚愕の時は過ぎた。平和的な考え方がそれにとって代わったよ
うである。最も満足すべき噂が出まわっている。まず、ロシアのグランヴィル卿への返答電
文は最も妥協的な意味で解されている。オド・ラッセル氏はヴェルサイユでプロイセン王と
王太子と昼食を共にした。われわれはこのような晩餐会が平和の希望に栄養を与えることが
できるかどうかは ― 王や外交官はこれまでためらわずに会食を重ねてきたゆえに ― 明確
には知らない。とはいえ、われわれは少なくとも遅かれ早かれ彼らの敵手と晩餐することは
確かなようだ。にもかかわらず、あらゆる新聞はこの晩餐会を「齧るべき平和の骨」として
非難していることだ。
新聞はいたるところで講和を渇望する。
最後に、より深刻でより積極的であること、イギリスの新聞は平和維持にとって好都合な
言辞を弄している。
最近の乱れた戦争熱を煽る記事はゴルチャコフ公の外交上の不作法について心底傷ついた
イギリスの旧貴族の一部の願望に端を発している。
『タイムズ』紙はそれ自身として公の覚書
の突飛な形式を説明する。同紙はこの点についてナポレオン一世の言葉を思い出させる。
「ロ
シアをつつけばタタールにぶつかる」。すなわち、ロシア政府の振る舞いにおける臆病 さ ―
それは昨今まで英国の威信への侮辱であったが ― は【320】今日もはや一種の教養の欠如(イ
ギリス風の紳士がもたねばならない)の結果にすぎないのだ。
これらのことから、この山のような怒りと悪口は一匹のネズミすなわち一つの会議を生み
出すことを願おうではないか。
(イギリス)
現下の状況において諸新聞がその注意を、外交が決裂を払いのけるのに無力を知ったイギ
リスが依拠すべき兵力に関心のほうに振り向けるのは当然である。以下、この問題について
の興味深い情報。
(イタリア)
イタリアはゴルチャコフ公の覚書についてまだ返答を送っていない。この留保はロシアが
惹き起こした紛争に由来する面倒事に関わりたくないことを意味する。
(スペイン)
プリムの単純な確言。
したがって、プリム元帥は軍隊の熱狂について語るのか? しかし、誰の熱狂か?
く知らないある公爵の熱狂か?
熱狂的軍?
彼が全
そしてスペインに内乱をもたらす公爵の熱狂か?
しかし、なぜ?
(或る愛国的司教、火の中の神学士)
フランスの不幸は大分部のフランスの司教によって激しく感じられている。アンジェーの
司教フレッペル Freppel 氏はその神学士に対し、【321】「フランスの安寧のためにフランス
から恥辱と不名誉を取り除くために彼らに依存できるよう為すことを」要請した。
(なぜプロイセン軍がフランスに駐留するかの論議)
プロイセン軍がアルザス=ロレーヌの要求に、そして、ボナパルトの没落にもかかわらず、
戦争の継続に熱心であり固執している理由――戦闘開始の唯一無比の目的は。
【322】
(気球)
気球が空から舞い降りてくる。昨日、アントワープの近郊、本日はリュザルシュの近くで
ウーリックでも降下。
これらの郵便気球がわれわれにもたらすニュースは幾月ものあいだ、プロイセン軍を挫折
させるのに十分な食料の残存という堂々とした男らしい態度を一致して伝える。
そして、パリは飢餓に瀕しており、降伏の一歩手前ということをわれわれに伝えるプロイ
セン軍は!...たしかに『アウグスタ』宛ての電文と本営の発表とは幻想および破廉恥にし
て『フィガロ』紙や『ゴーロワ』紙の古い情報を凌駕する。ヨーロッパにおいてその節制と
真実性とが褒めそやされてきたのだが、開戦時に、これらの賛辞は中立国の新聞において共
通のものとなった。
(コンリー兵営)
しばらく前からケラトリ Kératry 、カレーCarré、ケリズエ Kérisouet がコンリー兵営で
作戦行動をとった驚嘆すべき行為について多くが語られている。国の解放のためになされる
努力の特徴としてのすべてのことはパリ市民にとって限りない魅力となるため、われわれは
『民主ブルトン』紙がコンリー兵営のために宛てた記事の抜粋を集める必要を感じる。
【323】
(オートゥイユの男)
ベルギーの新聞は最近、ピエール・ボナパルト公が動いたニュースを伝える。ピエールは
ベルギーを離れず。彼はジュメル Jemelle 近くのロシュフォールに滞在。同地は洞窟で有名
であり、ヨーロッパの旅行家の間で人気を博している場所である。
11月24日(木)
(戦況)
非常に楽観的なパリに関する最新のニュースはいたるところで好ましい結果を生じている。
地方が一人の人物のように立ち上がり、パリを解放すべく精力的な努力を準備する。時にパ
リ市民の失意と倦怠に関するプロイセンのニュースが否認されたのは幸いである。
パリは今や、地方を当てにできることを知っており、地方はパリがその災禍、その苦悩に
もかかわらず静かに信頼して英雄的にそれを待っていることを知っている。
相互におけるこのような確信は精神を支え、それぞれの力を倍加するものとなろう。
プロイセン人はその虚言と中傷の代償を受けるであろう! 虚言と中傷は彼らの困惑や彼
らを窮地に陥れる袋小路から脱出せんとする彼らの願望を証明するものである。
ロワール軍はつねにあらゆる者の注視の的となる。フランスが己の救済を待つのはロワー
ル軍から、その勇気から、その精力から、そしてその将軍たちの知識からである。崇高な希
望はしばしば裏切られてきたため、国民は敢えて信頼に身を任せようとはしない。
ドイツ軍が全力を挙げて中部フランスと西部フランスを狙っていることは知られている。
【324】ドイツ軍のリヨン攻略は放棄されたのではないにせよ、一時的に中断され、精力的に
奪取されたオワニョン Oignon の谷さえもふたたびフランス軍によって奪回された。プロイ
セン軍は今のところ二重の心配りを強いられているようだ。一つはロワールと対戦すること、
トゥール方面へ展開することであり、二つめはパリ包囲が解除されたら、場合によっては撤
退を掩護することである。
なるほど、まずパリに凱旋しなければならないプロイセン軍は以前は 9 月 14 日のはずであ
った。次いで 10 月 18 日となったが、今や包囲解除という不慮の出来事を見越すまでになっ
ている。したがって、その成功こそがプロイセンの気がかりの的となる。それはドイツに荘
重に保証されたものであったが。
時は変わる。フランスが 9 月 4 日以来、メッスやスダンの降伏ゆえに、またそれにもかか
らず示した勇気や活動に報いるならば、フランスはドイツ全体に向かってその新規兵、しか
も新たに組織された軍隊を考慮にいれなければならないよう仕向けるであろう。
今日のところはプロイセン軍の活動の成功が伝えられている。すなわち、ル・マン街道沿
いの街のノジャン=ル=ロトルーNogent-le-Rotrou の占領。これとは逆に、ウール Eure 渓谷
が解放された。フランス軍はヴェルノン Vernon 側から攻撃を再開し、エブルーEvreux 近郊
ではプロイセン軍を悩ます農民の支援を受けた国民衛兵はそのあらゆる地点を防衛すること
ができて損失を埋め合わせることができたのだ。
(講和)
またも講和の望みが閉じられようとしている。ド・ショードルディ De Chaudordy 氏は講
和と休戦の提案において完全に一致したと伝えられる。人々がそれを待っていたのにもかか
わらず。また、ビスマルク氏は休戦協定や講和交渉を除いて憲法制定議会の選挙のために同
意することの便宜についてこれ以上話されるのを聴くのを望まないといわれている。
(パリ)
疲弊しきったパリ市民は、イギリス人の一通信員が 14 日付で記し気球便で移送した以下の
情報を疑いもなく興味をもって読むであろう。それはパリで営まれている生活や、特に食糧
問題に関するものであり、それらの問題は今日、フランスやヨーロッパが最も関心をはらっ
ている問題である。
【325】
(英露事件)
沈黙が続いている。今日のあらゆる情報は平和的解決を予想させる。プロイセン国王がエ
ムスの水辺でベネデッティ氏と会見したとき、彼は騎兵の歓迎を受けていたのだ。伝説によ
れば、普仏戦争に導いたフランスおよびナヴァル王のこの使節に対してヴィルヘルムが与え
たのは足蹴だとされている。1856 年条約がロシアに課した国境から自らを解放するにあたり
形式の不備とされているのもこれと同じで、今度は不幸な結果をもたらさないであろう。
いまいちど、個人と同様に諸国民が安寧に暮らすままにしておこう。そして、国際関係は
友愛と団結の原理のうえに基礎づけられるべきであることを宣言しよう。
「友愛」! すなわち、挑戦とか敵対行動のあらゆる感情をもたないこと。
「団結」! すなわち、他国民および他の政治集団の権利と安全を理由もなく、私心もなく、
不当な攻撃をもたらす何ぴとからも保護すべき義務。
「団結」! すなわち、一国民の権利になされた、損害および侵害のないこと。
【326】
「団結」! すなわち、進歩、安寧、解放、他市民・他政治集団・他国民の権利の尊重
を己の進歩、己の安寧、己の解放、己の権利の尊重と関連せしめること。
(ドイツ統一)
『コレスポンダンス・プロヴァンシアル』紙によって、ドイツ問題がどの点にまで至って
いるかに関する公式の情報をわれわれは入手した。政府の公式発表によれば、バーデン、ヘ
ッセン=ダルムシュタットの統合条約の調印がなされた。同紙はヴュルテンベルクとの交渉の
妥結と連邦への加盟を伝える。最後に、同紙はバイエルンとの交渉が未決であるが、今後そ
の交渉がほどなく好ましい結果に達すると予想できることを確約する。
(二つの軍事的命名)
セネガルとアルジェリアでその手腕を示した高名の将軍フェデルブがリールでブルバキ将
軍に代わる。フェデルブはネヴェールに駐屯する第 18 軍団の司令官に就任。
あらゆる保守派の新聞はブルバキ将軍に対してなされた状況を非難する。それによれば、
司令官の解任と不名誉の理由は彼がよく知られたボナパルト派であるからだと言う。
(プロイセン軍の習俗の温厚さと純粋さ)
戦争の勃発以来、ヴィルヘルムとドイツの新聞はしきりにプロイセン軍の習俗の温厚さと
純粋さをくり返している。以下、この温厚さ、この「純粋さ」のよき見本がある。
『プロパガ
トゥール・デュ・ノール』…
【327】
(気球)
降雨つづきである。ベルギー、ルーヴァンの近くに本日、気球が一隻降り立った。それに
はフォンヴィエル Fonvielle、ルコント Leconte、ヴィロントレ Villonstret、ロクール・デ
ュ・アーヴル Rocourt du Havre、ルリュード Lelude、ビュクセル Buxel 氏が搭乗していた。
旅行者たちはソワソンまで追跡を受けた。パリは満足すべき状態にある、と彼らは語る。
一方、ベルギー発の別電は、ブリュッセル方面をめざす二つの気球がマッサール Massart
およびマルベーMarbais 上空を通過したと伝える。プロイセン軍はおそらく捕獲しないであ
ろう。
本日、午後 2 時半ごろ、ルーヴァン近郊に降下した気球はパリを昨日の夕方に発ったもの
である。その旅行はかなり長く、危険に満ちたものだったと言われる。
(フランス捕虜、開城後のメッス軍の煩悶)
トゥールの内務大臣宛ての悲痛な報告。それはメッスの虜囚の煩悶と窮乏について伝える。
【328】
(バンセル Bancel 氏の国防)
長期の重病のために政界から遠ざかっていたバンセル氏はエノーHénault の『リベルテ』
紙に以下の内容の書簡を送る。[略]
(マクマオン元帥)
『リュニオン・ド・ルウエスト Union de l’Ouest』紙はシャンパーニュから同紙を宛て
られた一書簡を公表する。そのなかでマクマオン元帥夫人の一書簡のくだりが見られる。
「明らかに新聞においてお読みのように、私の夫は今、カッセルにおります。しかし、そ
れは真実ではありません。真実は、彼はプロイセン軍によって諸々の元帥たちと同行するよ
うに求められているのです。彼はきっぱりと断りましたが、彼らの名が敵の陰謀により混同
されるのをほっしなかったのです。」
(トゥールにおけるロワール軍に関するニュース)
【329】
(ボナパルト派の論争における神の審判)
ユージェルマン Hugelman という新聞は「神の審判」と題する記事を公表、それはボナパ
ルトの競争相手。
【330】
11月25日(金)
(戦況)
今朝の『ベルギーの独立』紙は特記すべき軍事的事件はほとんどないと言う。ルクセンブ
ルクで昨日ひろまっている噂によれば、ティオンヴィルは 3 日間の砲撃後に降伏したらしい。
この勝利はロレーヌにおけるプロイセン軍の地位を固めるのに好都合である。パリではトロ
シュ将軍の作戦はただ単に好機の出撃戦のための兵力を準備するだけのことらしい。
『デイリーニュース』紙が入手した情報によれば、その重要性とその堅固さで有名なロワ
ール軍が包囲軍に対して攻撃を始めたが、勝利の見通しがつく前に同軍は決定的な企てをな
さないであろうと言う。しかし、この任務を帯びるまえにロワール軍はメクレンブルク大公
やフリードリヒ=カール公に対抗するため兵力を分散しなければならない。これらの軍勢はオ
ルレアン、ル・マンに進軍しながらヴェルヌイユ Verneuil、ノジャン=ル=ロトルーNogent–
le-Rotrou 、モンタルジ Montargis で戦闘中である。昨日、これら軍隊はこの町から 30 キ
ロメートルの地点にいた。ロワール軍の不慮の運命についてトゥールで不安がひろがる。
『モ
ニトゥール・ユニヴェルセル』紙は、この軍隊は退却し包囲されるにはあまりに強力である
と宣することによっ不吉な噂を打ち消すのに躍起となっている。
昨日の朝、アミアンの近くで戦闘がおこなわれた。この町の電報によればフランス軍が優
勢であるとのこと。
(講和)
この面でまたもや万事うまく運んだ。使命が完全に失敗に帰したド・ショードルディ氏は
憲法制定議会を選出するのに必要な便宜について交渉する権限を保持しているようだ。
フランスの今日の指導者は反対派において賞賛されている和平案に忠実であると受け止め
られている。彼らはスダン直後に講和を提案し、メッス投降の直前・直後にも同じ提案をな
し、またフランスの精力を回復し遅かれ早かれ祖国の侵入者を追放しようと努めているその
最中にもなおそれを提案した。しかし、彼らの和平愛好心はフランスの名誉を犠牲にすると
ころまではいかず、アルザス=ロレーヌがフランスにとどまる、それゆえに戦争は継続される
であろうし、それゆえにパリは立ち上がるであろう。それゆえにこそ、世界は新たな破壊、
あらたな殺戮を目撃することになろう。
ヴィルヘルム王がいかによき君主であろうとも、ボナパルトの没落の後、フランス人に対
して戦争を仕掛けることに以下に忠実であろうと。…[略]…
(英露事件)
小康状態の維持。ロシア、トルコ、オーストリア、イギリスにも目新しい出来事はない。
平和的解決の希望があるのみ。ヴェルサイユでのラッセル氏の使命に関して、そして、ゴ
ルチャコフ公のグランヴィル卿への返答の和解的論調に関して良き風評のみ。
にもかかわらず、一つの点、たった一つの小さな黒点を指摘しておこう。オド・ラッセル
氏はプロイセン王との二度めの会食を謝絶したとのこと!… 彼はひどいリューマチに罹っ
ていたというのだから、それは驚くに値しない。
(ローマ)
諸新聞はピウス九世の回状を公表。この回状はイタリア政府に対する長文の非難、そして
カドルナ Cadorna 将軍の 9 月 20 日のローマ進軍を非難する。【302】はそのなかで以下のよ
うな宣言を出す。彼は囚われの身であり、そのためにその司教的権威を安全・容易・自由に
行使することがまったく不可能である、と。
さらに非難文は、どんなかたちにせよ、彼の権利 ― 神および教皇庁の権利 ― を侵しま
たは縮減するいかなる和解案にも同意しないと抗議する。
そして非難文は、ローマの併合の張本人および陰謀は破門罪を受けるであろうと宣言して
終わる。
この非難文は最初にジュネーヴにあらわれた。イタリア政府はそれを再生するすべてのロ
ーマの新聞を差し押さえた。
(オーストリア)
ポトクキ Potocki 内閣は決定的に解体した。同内閣はビュデの皇帝のもとに派遣された。
このニュースを告げる電文は辞職内閣の長官は新しい行政府をつくる任を帯びているとつけ
加えた。この噂はウィーンにひろまり、新聞で活発な論評を巻き起こしている。
(ドイツ議会)
北ドイツ連邦議会はプロイセン王、連邦国の各君主、連邦政府の代表デルブルック
Delbruck 氏の名で昨日開会。デルブルック氏によってこの機会に宣言された演説文はそのほ
とんどがフランスとの戦争に関するものであり、その中で彼は講和の始まりとその条件につ
いて語る。次いで、この演説文は各政府により一致して定められた新憲法を基礎に、北・南
連邦の統一についてふれ、現議会はそれを承認するために召集されたという。この演説文は
また、ロシア問題についても少しふれ平和的解決への希望を述べる。
議会は同意を得てかつての加入者を指名することによってその事務局を構成。政府によっ
て提案された法案は 1 億ターレルの軍事債、新憲法案、バーデン、ヘッセン=ダルムシュタッ
トの政府とのあいだですでに調印された統一条約に関するものであった。
(ドイツ統一)
『コレスポンダンス・ホフマン Correspondance Hoffmann』紙によれば、バイエルンとの
修正憲法にもとづく条約がヴェルサイユで 22 日に調印され、バイエルン王の批准を待つばか
りとなっているという。
(ドイツにおけるフランス人捕虜の信仰の自由)
数々の宗教機関紙特に『フランセ』紙は、フランス人捕虜がその宗教的義務の行使で出く
わした拘束について非難。
【333】
(シャルトルのプロイセン軍)
プロイセン軍によるシャルトル占領に関する興味深い記事。通信員はエペルノン Epernon
とリュイザン Luisant の会戦について語る。彼の説明によれば、同市は 2 万以上の兵士、72
門の砲兵隊軍団により包囲され、これに対して飢えで消尽した 1 万の遊動隊、1600 の国民衛
兵は対抗不能に陥った。したがって、降伏の調印がなされた。
【334】
(サルト Sarthe 遊動隊の美談)
(ロワール軍の賛辞)
オルレアンの司教がロワール軍とその最近におけるフォン・デア・タン将軍の軍隊に対す
る勝利について語る。
【335】
(プロイセン軍のヴェルサイユ占領)
(ティエール氏との会見)
【337】
11月26日(土)
(戦況)
フランスとヨーロッパは進行中の戦争の運命を決定的に左右する勝負を待っている。した
がって、唯一にして専ら関心を集めるロワール軍は二重三重のショックに堪えられるであろ
うか? 同軍は前面と側面から夥しい数の敵兵の集中攻撃を受けて立ち向かうことができる
だろうか? 同軍を包囲する大軍との戦闘で逸らされる危険はないか?
これら大軍はその数に応じて砲兵隊を有する。これら大軍は信頼できる諸将を、しかも今
日まで勝利に導いた諸将を有する。ロワール軍はこれらをもっているのか。ロワール軍は愛
国心をもち、勇気をもつ。これは真実のフランスの軍隊である。すなわち、その精神によっ
て、そのフランスの運命を再興すべきヒロイズムによってその名に値する。しかし、危惧と
希望の間に保たれているバランスを崩すのは無鉄砲行為であり、慎重さを欠くことである。
知られていることは、各兵士がその義務を果たすこと、武運がわれわれに対しまたもや逆
行するのであれば、これまでになく以下の名言を繰り返すのは正当である。すなわち、すべ
ては失われたが、名誉だけは残っている、と!
バゼーヌの逡巡と計算の破壊的結末を人々が苦しい思いで実感しているのは今だ。かくも
勇敢でかくも優秀な武器を装備し―もちろん、総司令官は除くが―勇将を従えたメッス軍が
今日において戦線を張っていたら、フランスの勝利は確実なものとなっていたであろうに。
そして、われわれが ― これからおこなわれる戦闘の行方を気遣いつつ ― この文を書いて
いる間もパリはプロイセンを敗北に追いやる講和をめざし、おそらく自由であり、威信を失
わないであろう。
これらの裏切りや失敗の思い出は傍らにおくことにしよう。フランスの魂と安寧を懐くロ
ワール軍のこの若い価値ある軍隊のみを考えることにしよう。そして、メッスとスダンの降
伏後、その侵略者に敵対すべきこのような源をなお見つめる一国民の努力を信頼することに
しよう。このような国民は一時的に屈服しこそすれ、部分的な敗北を拭い去り、ついには最
終的な勝利に達するであろう!
さらに、スダンとメッスを心に留めておこう。これらの大敗北ののちフランスの意気阻喪
と脱力感を覚えておこう。【338】さらに、これから始まる戦いの行方がなんであれ、フラン
スの地位は以前ほどには絶望的とはいえないし、危うくはなっていない。
ロワール軍のすべての動静についてどのような沈黙が取り囲んでいるかわれわれはすでに
述べた。いずれもその真正の位置、兵力の実態、作戦計画について洩らさない。その努力に
割り当てられた目的は知られているが、それを達成するのに選択された手段に関してはまっ
たくわかっていないのだ。以上要するに、われわれは二とおりの解釈ができる。一つの解釈
によれば、ロワール軍はネヴェールからブロワまでの川に沿ってつくられた湾曲部に沿って
根拠地を定めている。他の解釈によればこの軍隊はマンに本拠をもつ。プロイセン軍につい
ていえば、同軍はモンタルジからドルー、エタンプとドルーを通ってフランス軍と対峙し、
その両翼の一方はモンタルジ方面に左へ進軍し、他方はドルー、ノジャン=ル=ロトルーの侵
入をめざし右方へ絶えず進軍しているとのことだ。ロワール軍が退却し、スダンのマクマオ
ン軍のように包囲されているのではないかを気遣わせるのは、両翼のこの動きである。
ドイツの一通信の評価はこうだ。この公平無私さと完全な能力はこの戦争の期間中、一般
に評価されている。…[中略]…
プロイセン軍の砲撃によりほとんど破壊されたティオンヴィル市はこれまで降伏していな
かったが、昨日、降伏開城を宣言した。【339】町から婦女子と負傷者を脱出させるため休戦
が要求された。
(英露事件)
ロシアの事件は現状のとおり。
威嚇的態度でイギリスは平和的解決に執着していることをうかがわせる。
戦闘を希望する者
4
戦闘を欲しない者
3
すべてはこれら3が正しいことをわれわれに希望させる。ヨーロッパは殺戮に飽き飽きし
ているのだ。
(スペイン)
共和派による暴動が懸念されている。マドリードでは軍隊が待機中である。ドン・カルロ
ス党がアラゴンで蜂起。当局は民衆暴動の拠点バルセロナにおける平和の維持を気遣ってい
る。
(アルザス=ロレーヌ)
ケルンの一通信員がこの二州の状況に関し書く。
(トロシュ将軍と保守派の新聞)
【340】保守派の新聞は人々が共和主義の将軍に信をおくのを好まない。したがって、その点
について不審の種を蒔こうとつとめる。偉大な威信をもつトロシュ将軍は彼らの不信の試み
の的を免れない。11 月 23 日のパリ知事についてトゥールで書かれたのは以下のとおり。
(処刑)
処刑がおこなわれようとしている。われわれが横切ろうとする窮境においてそれは教訓を
維持する唯一の手段である。すべての者がこれら極端な手段が執行されるのを残念がる。し
かし、だれ一人として零す者もいなければ非難する者もいない。
これら陰鬱な措置に関してその性格が異なっているとはいえ、等しく感動的な二つのエピ
ソードがある。一つはカンブレーで、もう一つはブルターニュのコンリーでおこなわれた。
(プロイセンの自由主義)
ヴェルサイユ市長と助役はドイツに派遣され、そこで彼らはブランデンブルクの小さな要
塞のキュストラン Custrin に監禁された。これら民間人二人の虜囚はフランクフルトで 11
月 16 日を過ごした。
(投機師)
【341】フランスの借款に申し出たかどでフランクフルトで逮捕されたこの町の 3 人の住民の
ほかに、イギリスに在住し、フランクフルトに到着したマインツ人某はホテルに落ち着くや、
数時間後にこの罪で逮捕された。
(ベルギーのフランスの新聞とブリュッセルのボナパルト派の新聞の近日中の復刊)
フランスの新聞がベルギーで発刊される。タルベ Tarbé 氏は明日、
『ゴーロワ』紙を発刊す
る予定でいる。少なくとも彼はユージェルマン氏に約束し、同時に彼はその「苦情」を書き
送る。ユージェルマン氏は『ゴーロワ』の復刊をほめそやす。なぜタルベ氏のような人物が
「鏡ほどに」よい「炎」。
(ビスマルク氏とペン)
このドイツ人はもはや何ごとも疑わない。そして、執らぬ狸の皮算用をせざるをえない。
バーデンのプフォルスハイム Pforsheim の宝石製造人のビッシンジャーBissinger 氏はし
ばらく前にビスマルク氏に「対フランス和平条約の調印のため」素晴らしい金の羽ペンを送
った。連邦の宰相は次のような書簡を送り礼を述べた。…[中略]…
にもかかわらず、(敗北が)完全な不可能事ではないこと、そして、武運が変わるならば、
全くありそうになくもないこと、この羽根ペンをどうするつもりなのか。そして、ヨーロッ
パとフランスで笑われているように、ビスマルクとその国王の仲間たちはオルレアンおよび
パリの城壁の下で羽根をむしり取られている!
(ドイツの剣)
ドイツの剣はどでかいことを成し遂げた。そして、ほめそやすべきこと。少なくともスダ
ンの前にはそれはボナパルトの要求によって脅かされたドイツの土を守った。スダン以降は
もうむちゃくちゃだ。尤もらしい口実もなく、それは当たるところかまわず殺害し、破壊し、
ひっくり返す。ヴェルス Woerth で、スダンで、メッスで、それは無能者に対して勝利をおさ
め、無能力と裏切りに対して勝利を収めた。
【342】パリおよび地方ではそれは市民や農民 ―
彼らが手に執る武器は貧弱で軍事的教練も受けていない ― によって失敗に出くわす。
ああ、そうだ! それは美しきもの「ドイツの剣」をなし遂げたのだ。これらの殺戮、これ
らの裁判拒絶を高揚する「ドイツの感情」にふさわしいのだ。
(驚愕した人と満足した他の 5 人)
クールミエの戦いののち、背負い籠を負った農民に出会った 5 人のバイエルン人は5挺の
銃を背負い籠の中にいれて彼に言う。
「 やあ!われわれはお前の捕虜だ。われわれを連行せよ」、
と。わが耳を疑った農民は訳がわからず、死人のようになってぼんやり突っ立っていた。
「 え!
何」?
バイエルン人はくり返す。キミはわれわれを連行したくないのか? 「ああ、へ! そ
れにしても」、とお人好しの農民は村の方へ行きながら言う。しかし、やがて自分のしでかし
た逮捕にびっくりする。
11月27日(日)
(戦況)
最高潮の時が近づいている!
大砲がすでに鳴り響く。ところどころで前衛が近づく
この問題について本日の『モニトゥール』紙は語る。
・・・
ロワール軍の勇気を刺激し、迅速に決定的な勝利の希望をふたたび活気づける朗報とは、
北部軍がアミアン近郊のボヴェール Bover で昨日開いた戦闘での勝利である。
敵は撃退された。
プロイセン軍の損失はわれわれの 3 倍に上る。
【343】
他方、ヴェルサイユ発の電文によれば、モルトケ氏の沈黙はパリが飢餓に攻められている
という確信に由来するものである。
プロイセンの将軍が人間の血を欲しがっている。いたるところで、つねに彼らは単なる包
囲だけで十分な時でさえも砲撃した。なぜパリではこれが差し控えられているか。なぜとい
うに、幸先良く砲撃をすれば、プロイセン軍は国防のための地方の努力を水泡に帰すのを可
能ならしめるからであろう。
最近、司令官の地位に就任したカンブリエル将軍は軍法会議に付託されることを喧しく請
求する。その会議の席上で彼は無能という非難ないしは人々が彼に向けている怠惰という非
難について自己弁護できるのだ。
他方、今トゥールにいるブルバキ将軍は第十八連隊の指揮を執るのを固辞している。彼は
義勇軍の単なる長として戦いに参加することを希望する。
ティオンヴィルが降伏した。状況はもはや攻撃に抗しうる状態にはなくなった。住民が避
難している地下室が浸水した。イエズス会の教会堂ボールガール Beauregard が焼け落ちた。
リヨン側からのドイツ軍の作戦は完全に阻止された。同軍はディジョン攻略に全力を集中
し、ノルマンディで展開される作戦結果を観望するであろう。
シャトーダン発の政府至急報はプロイセンの一分遣隊がサン=テーグル Saint-Aigle で 24
日、攻撃を受け甚大な被害を被ったと伝える。
敵軍はモンドゥブローMondoubleau 方面に進出。プロイセン騎兵隊はゴール Gault に 2 千
人分の糧秣を注文した。
槍騎兵がヴァンドーム北東のフレトヴァル Freteval で鉄道に脅威を与えている。昨日、プ
ロイセン軍はエヴルーEvreux 近郊の原野でかなりの抵抗に遭遇。
ガリバルディ軍は昨日オクソンヌ Auxonne でプロイセン軍を襲撃し撤退させる。
プロイセン軍の損失は 30 人の死亡または負傷、9 人が捕虜となった。
25 日の法令は 11 月 2 日の法令によって動員された国民衛兵の教練を集中のために兵営の
即時創成を命じた。
遊動隊および義勇軍もまた認可されるであろう。兵営の正規兵の割り当て定員はサン=トメ
ール Saint-Omer、シェルブール Cherbourg、コンリーConlie、ネヴェール Nevers、ラ・ロッ
シェル La Rochelle、ボルドーBordeaux、クレルモン=フェラン Clermont-Ferrand、トゥール
ーズ Toulouse、パ=ド=ランシエ Pas-de-Lanciers、リヨン Lyons でなされるであろう。
【344】サン=トメール、シェルブール、ラ・ロシェル、パ=ド=ランシエの兵営は 25 万の兵を
受け入れる体制をもち、戦略兵営となろう。
その他のそれぞれの兵営は 6 万で教練兵営となろう。
(パリ)
今後、この表題のもとに首都の精神的・物質的状態についてその日にいたる情報な何でも
掻き集めることにしよう。ところで、本日は二つの至急報を入手した。一つは『タイムズ』
紙に宛てられたもの。残りの一つは『デイリーニュース』に宛てられたものである。パリ市
民は、スパイが提供する情報がどの程度に正確であり、またどの点までプロイセン軍が地方
において不信用と落胆を蒔くべく虚偽をついているかを以下に見るであろう。
(英露事件)
グランヴィル卿の至急報に対するゴルチャコフ公の返書がロンドンに到着。公はすでに述
べられた見地を堅持し、その行為を正当化して他の諸国による条約の侵犯を仄めかした。
公はロシアから提案された会談が何らかの成功に到達することを信じていない。
至急報の全体は確かであるが、解決への芽が示されている。イギリス政府の真直中に意見
の相違がある。グランヴィル卿はそれでも 1856 年条約の保持を唱える。同僚の大部分は平和
的解決に傾いている。
とるべき決断に関しては明日に議論される見込み。プロイセンを味方に引き入れようとす
る態度が問い合わせされるであろう。今までのところ、プロイセンは超平和的意図をもって
いる。同国の態度は本当だろうか?
(イタリア)
ヴィットーレ=エマヌエーレのローマ訪問についての問題。国王は首都ローマに上ることに
散々迷い、憤慨さえも感じている。【345】それをすればおそらく「タルペアの岩」が待って
いるのではないかの恐怖に駆られている・・・。
カトリック派の諸新聞はヴィットーレ=エマヌエーレの躊躇は彼の信仰上の疑問から来て
いるという。破門罪では間が悪かろうし、取巻き連の熱心な助言にもかかわらず決心をつけ
るのを妨げているのであろう。
(ガンベッタ氏のル・マン軍歴訪、同軍に対する彼の宣言)
ブルターニュの遊動隊がケラトリ氏の命令のもとに集結している。コンリー兵営を訪問し
たガンベッタ氏はトゥールに帰還。ある人の意見によれば、彼の旅行はケラトリ氏と共同し
て将来の作戦行動について打ち合わせるためだと言われ、また別の人の意見によれば、東部
軍のカンブリエル、ガリバルディ、ケラーKeller の協力ほどにはうまくいかないケラトリ、
カトリノーCathelineau 氏と協力するためだとも言われる。
ガンベッタ氏は本当に疲れを知らず、昼夜の別なくフランスの軍事力の再興のために奮闘
し、ル・マンを離れるにあたって軍団に対し、以下のような雄弁な軍令を飛ばした。…[略]
…
(フランスの錯乱状態、国防のための『タイムズ』紙の賞賛)
ヨーロッパのある新聞によれば、1 か月前、フランスは「錯乱」状態にあり、【346】その
精神は「狂人」にして「妄想家」のものであった。だからこそ、恥ずべき講和条約の調印を
避け、意に反してアルザス=ロレーヌをプロイセンに割譲することを拒絶した。
今日、事態は一変した。外国の新聞の論調は国民の軍事的覚醒の反撃を食らっている。以
下に紹介するように『タイムズ』紙の軍事通信は王国の参謀本部について書く。
(ブールジェ事件)
『ベルギーの独立』紙はこの事件について以下の文言で情報を知らされ、抗議を受け取っ
た。
(将軍連、ケルサラウン Kersalaün 将軍の国防計画)
24 日付『プローグレス・ド・ルール Progrès de l’Eure』紙の記事。
【347】
(小説と実際)
プロイセンの諸新聞はスペインの楼閣をアルザス=ロレーヌに築く。『ジュルナル・デルベ
ルフェルト』紙はストラスブールの第 67 連隊の出発を公表。この叙述から結果するのは、プ
ロイセ第 67 連隊はストラスブール市民とうまくいっているようだ。市民は同連隊の出発を嘆
いたとさえ言われている。
『クーリエ・デュ・バ=ラン Courier du Bas-Rhin』紙はこれらのことを同じように掲載し
たが、同紙は修正の書簡に従ってわれわれがそれから引き出したという発表。
(記憶に留めもしなければ忘れもしないイギリス人)
老人ほど頑固な人はいない! ラッセル卿はパンフレットを発行したが、その中でアルザス
=ロレーヌのプロイセン奪取を支持する。何もわかっていなければ、特に何も忘れもしない人
間がここにいる。このような第一帝政およびルイ=フィリップ治世の初年の英仏関係の競合関
係や対立の更新された陳腐な議論をわれわれに供するためにパンフレットを発刊するのは価
値あることであったであろう!…
(ベルギーのフランスの新聞、ブリュッセルのボナパルト派の新聞は近日中に発行される)
【348】
(有名な鳩)
伝書鳩が過去においてメッス、パリの包囲に似た包囲において果たした役割。
(臨時政府トゥール、ロワール軍へのある訪問)
情熱溢れる生き生きとした光輝ある文言においてパリの新聞界の最も知的な作家のひとり
であるヴィクトル・フルネル(オルレアン司教区の新聞『コレスポンダン』の主幹の一人)
がトゥールを訪問。ロワール軍を表敬訪問した印象記を語る。
【349】
【351】
11月28日(月)
(戦況)
ロワール方面は異常なし。
単にジアン Gien、マン Mans、ヴァンドーム Vendôme 方面でわが軍が優勢と思われる局地戦
が伝えられるのみ。
その証拠は軍事問題に関しイギリス出版界で実際的権威のある『ガゼット・ド・フランス』
紙は【352】わが軍の作戦があちらこちらの前哨でおこなう軍隊の煙幕により敵軍にはまった
く知られていないことを確認する。北部方面ではわれわれが昨日報知した赫々たる勝利に関
する詳細は何も記されていない。最後にロンギーLonguy でおこなわれる予定の状況について
ベルギー発の電報。
(英露事件)
この問題で何も目新しいことはない。イギリス政府が討議し、方針決定するのは明日だ。
閣内不一致がまだ片づいていないようだ。
『シテュアシオン』紙はこの事件がもちあがって以
来、イギリスの態度を評価し次の言葉で語る。…[略]…
(メッス降伏、バゼーヌに有利な証言)
バゼーヌ元帥に対し降伏そのものの責任者としてではなく、待機主義と彼が採用した躊躇
の主張の長としてあらゆる責任が彼に降りかぶさる。
われわれが公平無私の態度をとる以上、元帥のクリミア軍団の古き同僚でイギリスにおい
て最も評判の高い軍人の一人が彼のために与えた有利な証言を集めなければならないだろう。
以下、この証言の最も重要な部分を掲載する。証言の陳述者が述べているように、バゼーヌ
元帥を無罪にするのがよいかどうかの判断は読者に委ねるのがよい。
【353】
(ドイツ、戦争継続に対する抗議)
吸血鬼は頭を持たない。
「力の権利」を超えて「力および正義の権利」を置くのはドイツに
おける全般的で漸進的な精神である。こういうわけで北ドイツ連邦議会の開会冒頭で「民主
派の代議士は戦争継続に必要な予算等に投票するのを拒絶した。」
ヴィルヘルムがその臣民と民主派と同じように論理的でなかったのはなんと残念なこと
か! 彼はスダンとバゼイユ Bazeilles[訳注:スダン南方の戦場] の煙りたつ、血で汚れ
た廃墟にたちどまり、ボナパルト王家を打倒し、不正な攻撃を撃退したのち、王自身が降伏
したフランスと講和を結ぶべきであった。
しかし、勝利は彼の精神を過度に興奮させ、人間性と正義の声を無視するよう仕向けた。
以下は、真に自由主義的で人間的な言論の要約である。
【354】
(ロワール軍、シャレット Charette 軍団)
パリ解放という特命を帯びた軍に関するすべての事柄は包囲後のパリ市民の特別の関心事
である。これゆえにこそ、ロワール軍中、最前線で戦うシャレット軍団の構成と傾向につい
て特に興味深い情報をわれわれは蒐集するのだ。
これらの情報はすでに古い。本日、シャレット軍団は一連隊の指揮官をもち、3千人の兵
卒をかかえる。
【355】
(マルセーユ)
この町からの報道によれば、あらゆる騒擾は終息したらしい。すべての人心は国防という
現下火急の課題に専念する。新知事にみな満足している。前知事のエスキロス Esquiros 氏は
民衆階級には人気があり、精力的で見識に富み、非難できない市民原理を弁えた人物である。
ところで、彼は少ししか「恵み」を垂れない。新知事はマメに動き組織する。これは悪いこ
とではない。われわれの現下の状況において活動家は「大御所」の名に十分値する。
(リヨンの赤旗)
(地方におけるパリ市民)
パリの疎開地に関する『ゴーロワ』(トゥール)の記事。
(憲法制定議会を選出する効用と好機)
意見を変えない人はいるものである。彼らにとっては何が何でも憲法制定議会が必要であ
ると見える。蓋し、この選挙の形式は祖国解放のためにいたるところでなされている英雄的
努力を阻止し疲弊させるものであるというのに。
シチュー料理にはウサギが必要である。選挙をするには選挙民が必要だ。
【356】ところで、
すべての若い壮健男子は今や武器を執っている。こうした状況下でどのようにして投票する
というのか? その投票はどのようにして熟させるというのか? なすべき選択についてどう
協議するというのか? その一方でフランスは無政府状態に放置されるべきなのか? フラン
スは暗黙裡またはあからさまに国防政府に正当な肩書を自称する人たちのまわりにか? パ
リと地方にまったく協力しなかったというのか? どのような火急の必要があって法律を制
定し、憲法を発布するというのか?
無政府状態が支配し、軍隊がかつてそうだったように紙の上だけの存在であれば、もし行
動のいかなる中心も単位も存在しなかったなら、もし愛国心が眠ったならば、もし講和をな
すことが問題であるならば、われわれはその時は憲法制定議会を選出する緊急性を痛感する
だろう。だが、幸いにしてこの見込みのいずれも今のところは表われていない。フランスは
火中にあり、よく戦っており、一つの思想、一つの関心しかもっていない。すなわち、その
国土から敵を追い払うことがそれなのだ。なぜこの気高く崇高な任務においてフランスの邪
魔をするのか?
にもかかわらず、これはタルベ Tarbé、ギヨー=モンペイルーGuyot-Montpayroux、ウィル
ソン Wilson、ド・ファルーDe Fakkoux、グレヴィ Grévy、グレ=ビゾワン Glais-Bizoin 氏ら
の見解ではない。グレ=ビゾワン氏についていえば、彼はトゥールからその問題について『ベ
ルギーの独立』紙に最近手紙を書いている。
(ベルギーのゴーロワ)
タルベ氏は空から降り立ってブリュッセルに彼の新聞の発行所を設立した。このことはガ
ンベッタ氏も知るところであり、ガンベッタ氏は皮肉っぽく「トゥールの独裁者」と呼ばれ
ている。それゆえに、ガンベッタ氏はフランス人がすべての関心をまったく国防に振り向け
るとき、そして、多くの選挙民がその投票すべき場所から 100 リュー以上も離れたところに
いるとき、憲法制定議会を選ぶのと同じくらいにプロイセン軍と戦い、これらをフランスの
領土から追放する必要を感じていることを看取っている。
ガンベッタ氏が「暴政を止め」、タルベ氏と仲直りするための容易な手段をもっているのは
真実である。
【357】その手段とは、2日間の休戦を懇請し、その間に普通選挙が「旧立法院」
を蘇生させることだ。
たいへんなことだ。賢人はひと言で察するものだ。タルベ氏がなぜパリを離れたのか見抜
くのは容易ではない。
(伝説と予言)
人間性が大窮境を横切るときはいつものことながら、民衆の想像力はひとり満足して次か
ら次へとより詩的にしてより驚くべき作り話の希望を懐くものだ。ビュジェーBugey の山で
語られる物語を以下に紹介しよう。
(ブランボリオン Brimborion の館、『二つの世界誌』の評論でのシモナン氏のでっち上げ文
に対する抗議)
13 日付の『二つの世界誌』はパリの防備に関するシモナン氏の興味深い記事を発表。この
記事は次の要求を惹き起こした。
【358】
11月29日(火)
(戦況)
不運はフランスを打つのに飽きない!
アミアンが奪取された。ラ・フェールが投降し、ガリバルディ軍団はパスク Pasques に向
かって敗走し、最も不安な噂がロワール軍を待ち受けている運命のまわりをめぐる。これが
本日の結末だ!
フォン・ゲーベン von Goeben 将軍(マントイフェル軍団)の指揮下にプロイセン軍がピ
カルディの首都を奪取したのは日曜日のことである。
加えられた衝撃はひどい。なぜというに、最初のニュースは朗報であり、フランス軍の完
勝を信じ込ませるほどであったからだ。戦闘は数リューの前線に亘って妨げられ、フーカン
Fouecamp、ドマール Domard、ジャンティレル Gentiller、カシーCachy、ヴィリエ Villiers
等々でおこなわれた。総攻撃というよりむしろ個々の会戦の継続だった。とりわけボーヴ
Boves の戦闘は苛烈であった。二個歩兵大隊、すなわち第一・第二十大隊および第二十四大
隊が急激にかつ砲兵隊をもつことなく、6千人のプロイセン軍――火力のすばらしく充実し
た砲兵中隊の支援をもつ――と会戦し、一時的にせよ彼らを撃退することに成功した。デュ
リー Dury に駐留する海軍歩兵部隊についていえば、いつものように英雄的な戦いを見せた。
デュリーとカシーの村落は戦闘中に炎に包まれた。
つづいてピカルディを占拠した北部軍は退却戦を余儀なくされ、パ=ド=カレー方面へ後退
する。真夜中にアミアンは国民衛兵を武装解除したのち降伏した。その武器と弾薬は列車で
引き揚げた。
リールとアラスは近い将来の包囲に備える予定。
ラ・フェールではプロイセン軍は1千人の捕虜を獲得し、70 門の大砲を鹵獲した。ラ・フ
ェール要塞を指揮していた戦艦長プランシュ Planche は奇蹟を起す。しかし、30 時間に及ぶ
砲撃――警告もなく、また開城勧告もなく開かれた。すなわち戦争法に違反する砲撃――は
住民の真直中にパニックを惹き起こし、同時に防衛砲兵中隊の機能を停止させた。
地下壕も穹窿もあらゆる避難場所もなかった。砲台の砲列を再建するための可能性がなか
った。したがって、この勇敢な指揮官、勇猛な兵士はこの町を降伏させるより方法がなかっ
た。
【359】
パスク Pasques ではヴェルダー将軍率いる軍団が攻撃し、ガリバルディ軍を逃亡させた。
ガリバルディ軍団はまず 26 日夜間に砲撃したが、不首尾に終わった。一昨日、今度は攻撃し
たのはヴェルダー将軍であり、ガリバルディ軍を敗走させた。27 日はメノッティ・ガリバル
ディが指揮を執っていたと思われる。
部分的ならびに予見された失敗はそこにとどまるものではない。そうした失敗は大衆のあ
いだに恐怖を投げ込むにとどまらない。パリとロワール軍の敵の群れを撃退すべく崇高な努
力をなしているその時に希望が必要なのだ!
最も心配な噂がロワール軍を待っている運命のまわりを巡っている。何ぴともこの問題に
ついて詳しく、また正確な事を知らないのは実情だ。ドイツの将校、特にパリのプロイセン
大使館付前軍事代表ビューローBulow 中尉は幸いにも心配なくこのロワール軍の一部分の横
切ることができた。ところで、いかなる正確な詳細を与えることなしにヴェルサイユへ戻る
ことができた。もし事態が悪化していれば、彼らはおそらく必ずそれを見たであろうし、就
中、世間にいいふらしたであろう。
他方、フランス軍側における沈黙と無学は何のためか。ついに以下のことがわかっている。
敵に情報を与えるよりも、良きことを黙っていたほうがよい、と。
グレ=ビゾワン氏とクレミュー氏とかロワール軍を訪問し、その訪問がよき結果を招いた。
したがって、なおまだ希望がある。フランスのような一国民は滅びることはありえず、その
運命が一次の進行停止に遭うことがあっても、その最終的成功がやがて多くのフランス人が
スダン以来、証明した愛国心と勇気の穴埋めをするであろう。
さらに、われわれの許に届くニュースはすべて朗報である。ロンドン発のニュースは以下
のごとし。
(英露事件)
軍事的紛争がふたたび人々の懸念の的となっている。したがって、英露紛争は後景に遠ざ
かっている。にもかかわらず、この問題を解決する会議が噂されている。ロシアはこの措置
を歓迎していると言われる。【360】
プロイセンはその後押しをするが、ゴルチャコフ公の書簡に驚愕する。またこの時に及ん
で干渉する用意のないことも宣言する。
イタリア政府はロシアの回状に対し慇懃な語調で抗議。
スルタンはイグナティエフ Ignatieff 将軍を迎え入れる。
陸海軍の軍備がトルコで進んでいる。
(パリ)
プロイセン筋から出た重要情報。
次に、ヴェルサイユから『タイムズ』紙に宛てられた 11 月 27 日付ニュース。26 日夜間、
ドイツ陣地に向けイシー、ヴァンヴ、モンルージュの要塞の火蓋が切られた。砲撃は未明ま
で続く。出撃戦が待たれている。
他方、ヴェルサイユ発の『ポール・モール・ガゼット』に宛てられた書簡。
最後にプロイセン電文が信じさせようとし、また、パリの状況についてわれわれが読んだ
ばかりの驚くべき噂に関してわれわれは幸いにも次の情報を得た。最近、降りた、失礼、最
近パリから到着したド・フォンヴィエル De Fonvielle 氏はベルギーの新聞に以下のごとく
発表した。
【361】
(イタリア)
イタリア議会の選挙は今、続行中。諸選挙は政府にとって有利。すべての閣僚は再選され
た。
(スペイン)
アオスタ公をスペイン王位に就任させる義務を負った議会の委員会は 25 日、ジェーヌ
Gènes に赴くためにカルタヘナに向けて出発。委員会の横切るすべての町では大衆の熱烈な
歓迎が待ち受けているとのこと。
(スダン以前のナポレオン三世のマクマオンおよび彼の指揮に対する態度、元帥の断言)
『ノール』紙に宛てた一通信は以下の如き興味深い内容を含む。
(ドルアン・ド・リュイス Drouyn de Lhuys 氏と現況)
すべての者がユージェルマンおよびド・カサニャック氏と同様、
「金の鷲」に対して頑丈に
して執着的信念をもっていない。ドリュアン・ド・リュイス氏が『デイリー・ニュース』に
宛てた手紙の冒頭部分。
ドリュアン・ド・リュイス氏の言いたいどんな「策謀」。どんな「連帯性」を見分けること
が容易である。【362】カサニャック氏やユージェルマン以外にもかくも権威があり、かくも
愛国的な宣誓に満足しない人々がいる。むちゃくちゃに容易なくプロイセンに宣戦布告した
のはスダンに敗者、その男であり、彼こそナポレオン三世その人である。
(メッス)
この時に及んで貧しい者のみがメッスでお金を稼ぐことができるようだ。たくさんのおカ
ネをせしめた者もいる。プロイセン政府はパン屋の小僧に日額5フランを与えている。通常
は2フランしか稼がないのにである。ある委員は5フラン、ある馬丁もそうである。しかし、
手仕事で生活しない人々は悲惨な状態におかれている。かつて裕福だった官吏が『タイムズ』
紙の通信員に語るところによれば、彼は現在、彼の家の家具を一つずつ売却して生活してい
るという。彼は地所をもっていたが、小作人は地代を払わない。彼は家作を所有しているが、
借家人は家賃をもはや支払うことができないのだ。彼は鉄道株式をもっているが、フランス
東部鉄道はもはやドイツ軍の手中にあり、会社そのものもドイツの領有となり配当金を払わ
ない。――なぜあなたは銀行から金を借りないのか、と通信員は問う。しかし、銀行家は慎
重にも取引をやめている。メッスで最大の不幸者は下級官吏であり、彼らは何らの固有の財
産をもたず、窮境に瀕している。
(気球)
11 月 28 日付クリシティアーニア Christiania からの報告によれば、パリを発った二人乗
りの気球――11 月 25 日までの新聞で書簡と鳩を積載した――がクリスティアーニアから 8
千メートルの他県に降下。おそらく北東方向をめざしてブリュッセル上空を日曜の朝に飛ん
で行くのが見られたのはこの気球であったであろう。
(ヴィルヘルム王に対する殺人未遂事件)
以下のごとく、噂によればパリ包囲中に起きた全事件を読者の監視下におくべきわれわれ
は情報を収集している。
「ヴィルヘルム王暗殺未遂事件」のタイトルで「ジュルナル・ド・ルーアン」に以下の記
事が出ている。
【363】
11月30日(水)
(戦況)
プロイセンから出た幾つかの流言や至急報に信をおけば、フランスは新たな敗北を被った
ことになろう。人々が多大な期待をつなぐロワール軍は大敗北を喫し潰走中ということだ。
まず、情報を豊富にもつ新聞が軍隊の現在地点に割り当てる箇所がどんなにか異なってい
るかを示そう。われわれは『ベルギーの独立』紙の軍事情報を原文どおりに引用しようと思
う。…[中略]…
これらの異なった位置、これらの状況においてわれわれがそれぞれの場所において示した
幸運な戦闘は別々の軍団間での交戦であった。今や、日曜日に発生した重大事件こそが問題
であり、これについてはフランス側から発する情報が欠けている。
『アウグスタ』紙にヴェル
サイユから宛てた公報によると大激戦があったもようで、その後に完全な潰走が続いたとの
ことだ。この会戦――ロワール軍の大部分がカール王太子軍と会戦したと思われる――が発
生したのは【364】オルレアンの森の端ボーヌ=ラ=ロランド Beaune-la-Rolande である。
プロイセン側からする情報によれば、仏軍で 7 千人が戦闘不能になり、独軍はわずか 1 千
人だという。
最後に不幸は一つでは終わらないと言われるように、トロシュは存命と伝えられるが、し
かし、彼の努力は実を結んでいないもよう。いうまでもなくこれらすべてのニュースは信用
がおけず、そして、パリが数日来待ち望んでいるフランス側の発表を待つことが肝要だ。間
もなくそれは明らかになるだろう。以下に示すのは、ロワール軍の予期された敗北と失敗に
終わったと見られるトロシュの出撃戦の試みについてふれている。
…[略]…
これこそがわれわれにこれらすべてのニュースの正確さを疑わしめる員であることに注意
しよう。奴らがわれわれに与える数字を支配する名うての悪しき信用に対して。オルレアン
近郊での戦闘で戦闘不能になった 1 千人とパリの攻防戦での 100 人しかプロイセン軍が蒙っ
ていないことをどうして信じるべきなのか? 【365】トロシュの出撃戦について人々が副次
的事件としてのみ語っていることにもやはり留意する必要がある。人々は同じように述べる。
特別報告の対象である価値があるのはひとつの事実である。人々は北仏で展開中の軍隊のさ
して重要ではないニュースにもとづいてそれを語る。これらすべては熟考を要するし、われ
われに以下を信じさせる。すなわち、問題の電文は、ロワール軍がまだ戦端を開いていない
のにもかかわらず、ロワール軍の潰走を告げるその強かさに舌を巻く。したがって、確実で
精確な情報を待つことにしよう。これこそは必ずわれわれの許に届くものであり、いつか有
利な日に問題となっている戦争の諸事実をおそらくわれわれに告げるであろう。だれが知っ
ているのか?これこれの衝突、これこれの衝撃、これこれの出撃戦はおそらくロワールの近
辺とパリ城壁近くでおこなわれている二重の行動の予備的行為にすぎない。
さらに、ボーヌの戦いとトロシュの出撃戦が重要性を帯び、
『アウグスタ』紙宛ての電文が
伝える否定的な結果を認めるにしても、フランスの位置はメッスとスダンの後ほどに絶望的
状況にたちいたっていないことを忘れぬようにしたい。ドイツ人は過去4か月半も戦ってい
る。フランス国民はロワール近辺に集結する軍隊を除けば、単につい最近において武装化・
組織化されたばかりなのだ。ゆえに、現下の失敗に絶望することのないように、そして、フ
ランスの幸運と才気を最後まで信じることにしよう。
堅忍不抜の抵抗ののちにアミアンを目前にしながら位置を変更したフランス軍はヴェルサ
イユ発の情報によれば、秩序正しく不安を与えられることもなくドゥランス Doulens とアラ
ス Arras 方面に退去した。フランス軍は北仏の数々の要塞によって形成される四辺形要塞に
籠って陣形を整えるであろう。この防御陣形は軍事情勢が要求すると直ちに攻勢陣形に戻る
のを可能にするのだ。
(パリ、凶報、プロイセンの希望)
ベルリン発の電文。
【366】
(講和の報道、ボナパルト派の再興計画)
戦闘と戦争の騒動の真直中で依然として講和のための報道がなされている。その報道の最
も架空的、最も小説的、最も幻想的、最も醜悪で、想像しうる範囲で最も反フランス的な基
礎をもっていることは確実である。すなわち、「スダンの男の復位」がこれだ。『タイムズ』
紙によれば、この復位は…プロイセン王とナポレオン三世にとって既定事実となっていると
いう。アムステルダムの『ハンデルスブラト Handelsblad』紙によれば、交渉がすでに始ま
り条約の調印が切迫しているとのことだ。また、次のような情報も流れている。あらゆる方
面から確証されることだが、皇后は調印に向かうべく出発したとのことだ。この条約はナポ
レオン王朝の再興を取り決め、メッスとストラスブールをプロイセンに割譲するという内容
を含むという。
達成され用意された諸事実は反愛国的で反フランス的であるのと同じぐらい気色の悪いこ
れら計画の実現をもたらすであろうか?
フランスがナポレオン三世の先見の明の無さ、王朝的利己心に導く欠陥や破壊を修復する
ために英雄主義と勇気の奇蹟をなすべき好機が訪れたというのか?
フランス人はこのような策謀や陰謀に手を貸したとしたら、また俗悪さや追従さや俸給お
よび肩書への関心によって軍隊がフランス政府に対する新たな外国干渉を許すとしたら、
Fini Gallioe !と叫ぶ必要があり、人類の先の炉床と進歩のプロパガンダの炉床の消滅を嘆
く必要があろう。
この計画、この交渉はつねにひとつの事柄を明らかにする。すなわち、一方ではフランス
の現政治体制に対するビスマルクの嫌悪を、ボナパルトの失意を欲したのち、ヨーロッパの
面前で荘厳に宣言したあとに彼が王座に返り咲くという事実がそれである。他方では、プロ
イセン人の倦怠と困憊、彼らの何が何でも脱出したいという願望――その国王によって与え
られた弁論を無視してまでも――がそれである。
(英露事件)
【367】平和的解決のための動きが続いている。トルコのみが挑戦的姿勢を崩さず、つねに会
議が話題に上っている。われわれが先ほど語ったばかりのすばらしい復位がなければ、プロ
イセンはこの問題においてボナパルトの王位を覆したのち、あるいは少なくとも、その退位
に大いに貢献したのち、スダンでの問題処理においてプロイセンが踏み入れた難局から脱出
する術を見出したであろう。
(ロシアに対する同盟国の問題)
「ロシア世論を治めているが、統治はせず」――現存するのはこれの逆である。かくて、
あらゆる階級のロシア人、すなわち貴族、軍人、ブルジョワ、農民すらもが心底からプロイ
センおよびプロイセンの同盟国に敵対している。不幸にしてツァーとゴルチャコフは逆の意
見をもっており、彼らの同情はプロイセンにふり向けられ、ロシア国民のほとんど一致した
願望や同情に逆らって押し流すのはツァーとゴルチャコフの私的利害関係である。
この問題についてわれわれは『ウィレム・メイヤーWilhem Meyer』通信で集めた奇妙な幾
つかの情報を以下に示しておく。…[略]…
(リヨン市民ガリバルディ)
われわれは前に、著名な傭兵隊長の名がフランスで惹き起こす憎悪や熱心な同情について
述べた。リヨン市は「マルサラ Marsala の英雄」の悪口を叩く者に与しない。以下に掲げる
市議会討議の原文はガリバルディに「リヨン市民」の称号を全会一致で「授与」することを
決めた内容である。
【368】
(ボナパルト派の論争)
ボナパルト派はその「旗」すなわち、ド・カサニャック De Cassagnac が先ごろブリュッ
セルで公刊した新聞をもっている。この「旗」は今も未来もフランスの旗ではないだろう。
グラニエ氏の最初の武器は幸運ではなかった。彼はシャンガルニエ Changarnier 将軍がバ
ゼーヌに対してふり向けた、われわれが前にそれを紹介したことのあるバゼーヌに有利な判
定の正当性を否認したがっている。ところで、
『ベルギーの独立』紙が権威筋からの情報でシ
ャンガルニエ将軍にふり向けられた厳しい批判が将軍自身の感情を率直に表明していると主
張する。シャンガルニエ将軍が現在ブリュッセルに在住し、そこでグラマン Gramin 氏がその
旗を振っていることが知られている。
われわれがすでに語ったことのある書簡中で、ポール・ド・カサニャック氏は「メッスの
男」と、彼がその名とその軍事的名誉を釘づけにした降伏を声高に非難する。うら若き、優
れた著作家が自由と新聞に飛びつくとき、どんな論調で振る舞うのか知るのはわれわれの興
味を惹くところだ。
【369】
(ボナパルト派の策略、ユージェルマン氏はモルガン借款を保証し、ナポレオン三世はトゥ
ール派遣部の軍隊のために要望する)
ボナパルト一派においてロンドンでの借款契約の締結が因となって生じた怒りと攻撃につ
いてわれわれはすでに声高に告知した。とりわけ『シテュアシオン』紙はこのキャンペーン
において傑出している。毎日、その新聞のトップ記事で次のような意見を掲載する。その目
的はトゥール派遣部の評判を悪くし、応募者の安心を乱すところにある。
…[中略]…
ところで、その最新号で『シテュアシオン』紙は、諸事件とそのフランスへの愛情が「九
月四日の男たち」のために賛辞を述べさせるにいたったという口実のもとに態度を豹変した。
同紙は「これらの人々の背後に国がある」とさえ述べる。ところで、昨日もまた、同紙は
ルイ・ナポレオン・ボナパルトの新たな人民投票を懼れる必要のないことを主張する。もし
国が九月四日の男たちの背後にいるならば、
「九月四日の男たち」と「スダンの男」は異なっ
た原理、異なった旗を代表しているのだろうか?
これらすべては精力的でフランスおよび国防政府の雄々しい愛国的行為がメッスおよびス
ダンを導いた政体の擁護者に投げつけた混乱を証明するものである。
【370】…[略]…
ゆえに、かつて無能または軽蔑の謗りを受けた国防政府に対するあらゆる敵意を目の当た
りにし、最も名誉をもち、帝国の最も危うくするところの少なかった人々がフランスの解放
に向けての「九月四日の男たち」の努力に対し共感を覚えていることを公表するのを目の当
たりにし、フランスの愛国者によって一致して冒涜され非難されるのを感得すれば、いかな
る言葉でナポレオン三世の公的機関を語ればよいか。…[中略]…
【371】
(プロイセン兵卒としてのナポレオン、新貨幣)
空想的彫刻家、ドイツ人、オルレアン派あるいは共和派がブリュッセルでフランス 10 サン
チーム貨(ナポレオン三世の刻まれているコイン)をプロイセンの貨幣に変更することに専
念している。
彼らはこのために髪の一部を修正し、これをプロイセン兜に変更し、光る頭が「皇帝」と
いう文字の傍らを横切らせる。
(次 http://linzamaori.sakura.ne.jp/watari/reference/maquest8.pdf)
(c)Michiaki Matsui 2015