7月号その2

7月号その2
学校教育目標
やさしい心をもち
夢にむかって
いよいよ,夏休み!
平成28年7月11日
佐世保市立大野小学校
校長
西本 博行
正しく進む子ども
その前に…
暑 い 晴 れ の 日 が 続 き ,「 や っ と , 梅 雨 明 け か な ? 」 と 思 っ た ら , 止 ま な い 雨 。
今週は水泳参観が続くので,少しでも良いお天気を…と,願っています。
さて,いよいよ夏休みが目前に迫ってきました。子どもたちも楽しみにしていること
でしょう。でも,水の事故やいろんなトラブルに巻き込まれやすいのもこの時期です。
夏休みの生活指導プリントも配布しますので,ぜひとも,ご家庭で安全で賢く過ごす
約束事を話し合われてください。子どもたちが事件,事故に巻き込まれないよう共にし
っかり見守っていきましょう。
がんばれヴィーノ君!大津さんを守れ!
7 月 8 日 ( 金 ), 4 年 生 が 福 祉 体 験 学 習 を 行 い ま し た 。
これは総合的な学習の一環として行われたもので,ゲストティ
ーチャーとして,大津かほるさんに来ていただきました。これは
社会福祉協議会のご協力を得て,実現できたものです。
大津さんは平戸在住の方です。
全盲のハンディを感じさせないくらい優しく明るく,そしてた
おやかな方でした。目が見えないということが,どれくらい大変
かをなかなか私たちは知ることはできません。今の世の中にはそ
んなハンディを持つ人たちに,いろんな手立てがされていることを
わかりやすく教えてくれました。
その中でも,大津さんを助ける盲導犬のことについて,詳しく子
どもたちに話していただきました。興味深い話でしたのでここに紹
介します。
大津さんが盲導犬の存在を知ったのは昭和52年。新聞の記事か
らでした。今,付き添っているヴィーノを含めて,これまで7頭の
盲導犬と暮らしておられます。
でも,最初は世の中の理解が進まず,タクシーで断られたり,ホ
テルやレストランでも拒否されて大変だったそうです。
今では理解が進んで,何にでも乗れるし,どこでも行けると話されました。
さ て , 盲 導 犬 に な る ま で に は , い ろ ん な プ ロ セ ス が 必 要 で す 。 子 犬 の 頃 は ,「 パ ピ ー
ウォーカー」といって普通の家庭に入り,人と接することが楽しいことを学びます。
大人になると訓練センターに入り,半年から1年をかけていろんなことを学びます。
でも,訓練を受けた全ての犬が盲導犬になれるわけではありません。候補の犬はみん
な賢いのですが,神経質だったり,警戒心が強かったりする犬はだめです。すぐ吠える
のも向いていません。そうやって選ばれた犬だけが盲導犬として活躍するわけです。
10才を超えると,人で言えば60才くらいです。ここで引退して,後は,お世話す
る人に見守られながら,静かに余生を過ごすそうです。
ところで,盲導犬への言葉かけは全て英語です。例えば「前へ」は「ストレート・ゴ
ー」です。これは多くの人が関わるので,違う言葉だと混乱するし,また英語には男言
葉,女言葉がないからこちらの方がいいのです。
日本には今,966頭の犬が登録されているそうです。九州では90頭。長崎県では
4頭の犬がいますが,1頭は五島に,残り3頭は全てが平戸市です。九州では長崎県が
一番少ないようです。
「目が見えない人は,頭の中に地図を持っています。その地図を辿りながら,盲導犬
に指示を与えるのです。でも,何かの拍子に地図が狂うこともあります。その時は自分
が ど こ に い る の か 分 か ら な く な る の で す 。 だ か ら ,『 盲 導 犬 と い る か ら 大 丈 夫 だ 』 と は
決 し て 思 わ な い で く だ さ い 。」
「 白 杖 を 持 っ て い る 人 や 盲 導 犬 と い る 人 に 出 会 っ た ら ,ぜ ひ ぜ ひ 声 を か け て く だ さ い 。
そ の 一 言 が と て も 嬉 し い の で す 。」
この言葉がとても心に残りました。
街中でそんな方と出会ったら,心やさしい4年生ですから「何かお手伝いしましょう
か?」と声をかけてくれることでしょう。
それにしても,ヴィーノ君,背中にある「仕事中」のゼッケンが示すとおり,たくさ
んの子どもたちに囲まれても吠えることなく,じっと大津さんのそばにいました。大し
たものです。
こ の あ と ア イ マ ス ク 体 験 を し た 4 年 生 。こ れ か ら ,さ ら に 福 祉 学 習 を 続 け て い き ま す 。
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「校歌のひみつ」
<シリーズ>
その3
圓田陽一さんが野口雨情氏に校歌の作詞をお願いしたのには理由がありました。
大野小にはこれ以前にも校歌がありました。しかし,それは次のような歌でした。
ここは松浦の南のはし
東は柚木 西皆瀬
させぼの軍港で
とりかこみたる大野校
村の真中の小高き地
長きいらかのそびゆるは
四百の友の学びやぞ
むつみいそめし たゆまずに
昭和に入り,炭鉱が大野周辺でも盛んになります。それにつれて大野小の児童数も校
歌にある400名どころか,どんどん増えて1000名を超すようになってきました。
ま た , 佐 世 保 市 に 編 入 さ れ た の で , 「松 浦 」 で は 実 態 に 合 わ な く な っ て き た の で す 。
そ ん な 理 由 か ら「 新 し い 校 歌 を ! 」と い う 声 が 高 ま っ て き た の は 容 易 に 想 像 で き ま す 。
と こ ろ で ,「 雨 情 , 雨 情 」 と 盛 ん に 言 っ て い ま す が , こ の 人 は ど ん な 人 物 だ っ た の で
し ょ う か 。 少 し 探 っ て み ま し ょ う 。( 右 写 真 の 人 物 で す )
雨情は明治15年,茨城県多賀郡磯原村に生まれます。名を「英吉」と
いいます。家業は廻船業で,父は村長であったというから,家は裕福だっ
たのでしょう。
上京し,明治34年に東京専門学校(現早稲田大学)に入学しますが,
中退してしまいます。ただ,子どもの頃から文学的素養に富み,作詩をし
ていたといわれています。
詩人としてスタートしますが,最初は鳴かず飛ばずだったようで,樺太
に渡ったり,北海道で新聞記者をしたりしています。
そ の 後 , い わ き 市 に 移 り , 詩 作 を つ づ け ま し た 。 こ の 頃 ,「 船 頭 小 唄 」
を作詞し,中山晋平に曲を付けてもらいます。有名なので年配の方は知っておられるで
しょう。
♫ おれは河原の枯れすすき
同じおまえも枯れすすき
どうせ二人はこの世では
花の咲かない枯れすすき …♬
何とも学校だよりには似つかわしくない歌詞ですが,童謡となる詩も同じ頃,たく
さ ん 作 っ て い ま す 。「 七 つ の 子 」「 赤 い 靴 」「 青 い 目 の 人 形 」 な ど で す 。
作った詩に曲を付けてくれる秀でた作曲家がいたことも雨情には幸いでした。
こ の 頃 か ら ,全 国 各 地 へ 童 謡 や 民 謡 の 普 及 の た め 講 演 旅 行 を す る こ と が 多 く な り ま す 。
旅行をしながら,あちらこちらで校歌を作詞することも珍しくはなかったようです。
それは国内だけではなく,中国,韓国,台湾でも作詞していました。大野小もその一
つです。
昭和20年, 63年の生涯で実に2000を越える詩を残し,雨情はこの世を去り
ました。
大野小の校歌作詞を引き受けた雨情は,圓田さんからいろんな情報を集めたのでしょ
う 。「 大 野 川 」「 石 盛 岳 」 の 地 名 は 実 際 に 自 分 の 目 で 見 て , 歌 に 盛 り 込 み ま す 。
また,大野の歴史である「大智庵」についても取材したに違いありません。
「 熱 愛 誠 の シ ン ボ ル 」 に つ い て は , 当 時 の 校 長 先 生 だ っ た 北 原 永 逸 先 生 が ,「 ぜ ひ と
も校歌の中に盛り込んでほしい」という強い希望があったと,木下和弥先生から聞きま
し た 。( 木 下 先 生 は 現 在 , 黒 島 小 の 教 頭 先 生 で す 。 こ の シ リ ー ズ も , 木 下 先 生 の 取 材 か
ら 多 く を 活 用 さ せ て も ら っ て い ま す 。)
さて,圓田さんからたくさんの情報を集めた雨情は早速,制作に取りかかりました。
そして,昭和6年,再び雨情は藤井清水と佐世保に立ち寄ります。
大野小にも二度目の訪問をするのですが,事前に歌詞と曲をいただいた学校では,子
どもたちに練習させて,二人を校歌で迎えます。700名以上の子どもたちの歌声に魂
を吹き込まれた校歌。その様子は,きっと感動的な光景だったことでしょう。
大野小の校歌誕生には,こうしたいきさつがあったのです。
それでは今回は1番の歌詞について,解釈をしてみましょう。
わが学窓の 丘近く
玉もつづらん 永久に
流れも清き
大野川
「私たちの学舎がある丘の近くに,宝石が集まっているように清い大野川があり,その
流 れ は 永 久 で す 。」
宮 本 尚 美 先 生 は ,「 玉 は 子 ど も た ち を 表 し て い る と も 取 れ ま す 」 と 言 わ れ ま し た 。
確 か に ,「 掌 ( た な ご こ ろ ) の 玉 」 と い え ば ,「 愛 児 」 を 意 味 し ま す 。
そ う す る と ,「 美 し い せ せ ら ぎ の 大 野 川 が 流 れ る こ の 丘 で , 子 ど も た ち が 光 り 輝 き な
がら学んでいます」という意訳もできます。いずれにせよ,1番は,大野小のロケーシ
ョ ン を 説 明 し て い る と い え ま す 。( つ づ く )
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