わたしのいもうと - 小平市教育委員会

朝会の話
わたしのいもうと
~~人の痛みを感じられる人間に~~(昨年に続いて)
250617 村松
(体育館で実施)
6月は「ふれあい月間」と言って、東京都全体で「いじめ」や「暴
力」をなくしていこうとする月です。
今日はみなさんにそのことを考えてもらうため、去年に引き続いて、
松谷みよ子さんの「わたしのいもうと」を読みます。1年生ははじめ
てだけれども、2年生以上は、去年聞いたときと1年経った今の気持
ちはどう違うかなどを確かめながら聞いてください。これは松谷さん
のところに届いた手紙に書いてあった実話、本当の話です。少し長い
ですが読みます。
(スライドを見せながら、全文を読み聞かせする)
わたしのいもうと
松谷
この子は
わたしのいもうと
むこうを むいたまま
ふりむいてくれないのです
いもうとのはなし
いまから七年まえ わたしたちはこの町にひっこしてきました
トラックにのせてもらって
アイスキャンディをなめたりしながら
いもうとは 小学校四年生でした
ふざけたり
みよ子
きいてください
はしゃいだり
(中略)
ある日いもうとは ひっそりと死にました
いもうとのはなしは これだけです
つるをてのひらにすくって
花といっしょにいれました
わたしをいじめたひとたちは
もうわたしを わすれてしまったでしょうね
あそびたかったのに
べんきょうしたかったのに
どうでしたか。できれば昨年の気持ちと比べた感想を書いて、読ませてください。
今月はふれあい月間です。友だちの気持ちを考えられるように行動していきましょう。
朝会の話を終わります。
<裏面に「先生方へ」があります>
<先生方へ>
今年も昨年に引き続き、「わたしのいもうと」の読み聞かせをすることにしました。昨
年の自分と比べて、心がどう変わったのか、どう成長したのかを確かめてもらうためです。
子どもたちに是非感想を書かせてください。できれば、昨年聞いたときと比べて、どう感
じたかを書き加えさせてもらえると、うれしいです。よろしくお願いいたします。
また、学年・学級ごとに「いじめ」を未然防止するための取組を進めてください。特に
中休みや昼休みの様子をみておきましょう。独りぼっちの子、ふたりぼっちの子などがい
ないかどうかを確かめることは必要です。加えて、いじめの兆候があったときは、担任一
人で抱え込まず、学年そして管理職に相談してください。「チーム十四小」で対応してい
きましょう。
今月6月は、ふれあい月間です。いじめ防止が中心のテーマです。小平市の小学校校長
会では、人権教育の推進に取り組むため、6月の学校だよりでは、巻頭言などにおいて、
ふれあい月間のことを取り上げることにしています。各小学校の学校だよりが校長室前に
掲示してありますから、各学校の校長先生方の文をお読みいただければと思います。(私
は「苦手だった音読」という駄文を綴っています。)
また、6月の朝会では、どの学校でも人権に関する話を1回以上することを確認してい
ます。その一つとして、「わたしのいもうと」を取り上げる学校も多くあります。
さらに、どの学校でも東京都教育委員会発行の「人権教育プログラム」を使った研修会
を開くことになっています。十四小でも木曜日の夕会で、5分ずつですが研修がスタート
しました。全員の先生が最低1回は講師となってもらいます。ご自分の興味関心、今まで
の経験を生かして、充実した5分間にしていきましょう。「継続は力」です。お互いいい
時間にしたいですね。
なお、来週から6年生が移動教室に出かけます。学校が少し手薄になりますが、小杉副
校長先生を中心に学校をよろしくお願いいたします。
<参考資料>
「わたしのいもうと」のあとがきを載せておきます。松谷さんがなぜこの絵本をだした
かがわかります。読んでおいてください。
あとがき
松谷
みよ子
数年前、一通の手紙がきた。わたしのいもうとのはなしを聞いてください、という手紙であった。いじめにあい、登校を拒否し、
心を閉ざしてしまった子。最後の『わたしをいじめたひとたちは、もうわたしをわすれてしまったことでしょうね』という言葉まで
きたとき、わたしはこみあげてくるものをとどめることができなかった。
ある時期、わたしもいじめにあっている。その辛さは、地獄のそこをはうようであった。 幼い日の記憶に、あれはたしかイソッ
プだったと思うのだが、池のカエルが子供に叫ぶのである。「おねがいだから石を投げないで。あなたたちには遊びでも、わたしには
命のもんだいだから。」わたしもさけびたかった。
手紙はさらにつづく。自分より弱いものをいじめる。自分とおなじでないものを許さない。そうした差別こそが戦争へとつながる
のではないでしょうか。 そうですとも、そうなのよとわたしは、手を握りたい心持ちであった。
おなじ日本人のなかでの差別は、他民族への差別とかさなり、人間の尊厳をふみにじっていく。アウシュビッツも、太平洋戦争で
のわたしたちが犯した残ぎゃく行為も、ここにつながる。そしておそろしいのは、おおかたの人が自分でも知らないうちに、加害者
になっている、またはなり得ることではなかろうか。・・・(あとがき続く)」