刑法の専門家

10 日本精神医学の歴史
解説
法学はもちろんのこと,司法精神医学において,責任能力の問題は避けて通ることので
きない最重要なテーマである.かつては精神科医一般の,最近では司法精神医学を専門と
している精神科医に限られてきているが,彼らの大きな任務である刑事精神鑑定にあたっ
て,その問題を鑑定書において論ずるかどうかはともかくとして,被鑑定人の責任能力を
問わずして犯罪行為に関する精神鑑定を行うことは不可能であるといっても過言ではない
からである.だからこそ,昔より,日本の司法精神医学を代表する専門家たちによって精
神障害者の責任能力が数多く論じられてきたが,仲宗根玄吉論考(以下,仲宗根論考)は
その一つとして,公刊された 1970∼1980 年代に広く読まれ,多くの司法精神医学専門
家の参照する文献とされてきた.
本文にみる通り,仲宗根論考はドイツにおける刑法と精神医学にみる責任能力論である
が,その問題意識はドイツの影響を強く受けた日本のそれとほぼ同様であるといってもよ
い.ここで論じられている可知論・不可知論,限定責任能力論,自由意志論の 3 点は,
現在でもなお日本の責任能力論において主要な課題であるといってよいであろう.
犯罪成立の基本的要件の一つである責任は,犯行以外の適法行為が可能であったにもか
かわらず,それをしなかったという意味での他行為可能性をもとにした行為者に対する非
難可能性のことであるとされる.精神障害の影響のもとで犯罪がなされた場合,精神障害
によって他行為可能性を問うことができず,したがって,非難可能性もなく,責任能力は
問われないことになる.
精神障害者の責任能力が問われる場合,行為者に精神障害,つまり生物学的要因が存在
することが必須であるが,それに加えて,ドイツ刑法 51 条の「行為の許されないことを
洞察し,またはこの洞察に従って行動する能力」
,日本の刑法ではその規定がないために,
もっぱら昭和 6 年 12 月 3 日の大審院判例の判決が日本の責任能力論で取り上げられて
いるが,それによれば「事物の理非善悪を弁識するの能力,又はこの弁識に従って行動す
る能力」とされる,いわゆる広く心理学的要因と称される規定の存在が必要となる.
この心理学的要因は,行為者の主観的な領域に属し,哲学上の自由意志と同義であると
みなされているが,この心理学的要因こそが他行為可能性と非難可能性の基底をなすもの
と考えられている.
行為者の主観的な領域であるだけに,では,その行為者の心理学的要因,つまり行為者
の自由意志自体を他者が知ることができるのかどうか,知ることができるとして一体どの
ような手段や方法で可能なのかという問題が生じ,その問題は,古くから,責任能力論の
なかで問われ続けられてきた.特に,1961 年,Schneider, K. が,心理学的要因の判断
は何人にも,ましてや裁判官にも不可能であると論じて以来,心理学的要因を知ることは
できないとする不可知論者とこれを認識可能とする可知論者の激しい論争に発展していく
ことになった.日本では,司法精神医学のオピニオンリーダーであった中田 修の影響も
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解説
あって,精神医学界では,不可知論が圧倒的に優位で,一定の精神障害の場合,心理学的
要因の判定は不可能であるから,それに関しての判断については一種の取り決めを裁判官
と精神医学者との間で行うという,いわゆる Konvention(慣例)によって決めようとい
うことが提案されてきた.
しかし,精神障害,特に統合失調症に対する薬物療法の進歩や社会復帰活動の動きなど
重なり,そこにみられる重篤な症状も改善し,ときには完全寛解に至る事例が稀ならず観
察されるというその後の精神科医療の状況に応じて,たとえば統合失調症は人格が強く障
害される不治の病いという偏見に満ちた精神医学観が打ち壊されていく.そのような時代
の流れのなかで,心理学的要因についてもまた認識可能であるという可知論が勢いを増し
てき,従来の Konvention が実際にはほとんど顧みられなくなってきた.
そして現今では,責任能力論において,いささか行き過ぎではないかと心配になるほど
可知論が優勢となっているが,1970 年代に執筆されたこの仲宗根論考では,ドイツ語圏
内における不可知論と可知論をめぐる問題を詳細に論じ,
「少なくとも立法・判例におい
ては,不可知論・可知論論争は,可知論者の勝利のうちに一応の終止符がうたれたかにみ
える」,と結論されている.もっとも,可知論の正当性が証明されたわけでもないと仲宗
根は判断を留保しているが(というよりは全体としては仲宗根は不可知論に与しているよ
うにみえるが),この論考を今回改めて読み直して,不可知論・可知論に関して 21 世紀
の現代に通じる議論や可知論優位の趨勢を 1970 年代に書かれた本論考ですでにして先
取りされていることに驚きを感じたことであった.
(松下正明)
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