トロピカル楕円曲線と超離散QRT系

応用力学研究所研究集会報告 No.19ME-S2
「戸田格子 40 周年 非線形波動研究の歩みと展望」(研究代表者 西成 活裕)
Reports of RIAM Symposium No.19ME-S2
40 years Anniversary of Toda lattice - history and perspective of nonlinear wave research
Proceedings of a symposium held at Chikushi Campus, Kyushu Universiy,
Kasuga, Fukuoka, Japan, November 7 - 9, 2007
Article No. 6
トロピカル楕円曲線と超離散 QRT 系
野邊 厚(NOBE Atsushi)
(Received February 29, 2008)
Research Institute for Applied Mechanics
Kyushu University
April, 2008
トロピカル楕円曲線と超離散 QRT 系
大阪大学 大学院基礎工学研究科 野邊 厚(NOBE Atsushi)
概要
超離散 QRT 系はトロピカル楕円曲線の群構造の定める力学系であることを示す.さらに,ト
ロピカル楕円曲線の Abel-Jacobi 写像を用いて,超離散 QRT 系をトロピカル Jacobi 多様体上で
線形化し,基本周期に関する公式を導く.
はじめに
1
1989 年,Quispel・Roberts・Thompson により発見された QRT 写像 [10] は 18 パラメータをもつ二
次元可積分写像であり,楕円関数でパラメトライズされる双二次曲線を解曲線としてもつ.Quispel
らはベクトルの関係式を用いて QRT 写像を定義したが,2004 年,津田は有理楕円曲面の加法公式
を用いてその幾何学的意味を明らかにした [16].その結果,QRT 写像は坂井の楕円 Painlevé 方程式
[12] の自励極限であることが明らかになった.
一方,QRT 写像を超離散化して得られる超離散 QRT 写像 [9] についてもこれまで様々な研究が行
われており,超離散楕円関数を用いてその解が与えられることなどが知られている [6, 15].また,超
離散 QRT 写像への幾何学的アプローチも試みられているが [8, 13],これまでその幾何学的意味は明
らかにされていなかった.
本稿では,Vigeland により示されたトロピカル楕円曲線の群構造を用いて,超離散 QRT 写像の
幾何学的意味を明らかにする.すなわち,超離散 QRT 写像はトロピカル楕円曲線の加法の定める
力学系であり,対応するトロピカル Jacobi 多様体上での平行移動に他ならないことを示す.さらに,
Abel-Jacobi 写像を用いて,超離散 QRT 写像の基本周期に関する公式を導出する.
トロピカル楕円曲線とその群構造
2
2.1
トロピカル楕円曲線
二次元格子点の集合 A ⊂ Z2 に対し,次のような二変数 x, y の “多項式” を考える.
[
]
f = max λ(a1 ,a2 ) + a1 x + a2 y
(1)
(a1 ,a2 )∈A
ここで,λ(a1 ,a2 ) ∈ T := R ∪ {−∞} である.このような f をサポート A をもつトロピカル多項式と
呼ぶ.トロピカル多項式 f に対し,f が滑らかでないような点 (x, y) ∈ R2 全体の集合 C
{
}
C := (x, y) ∈ R2 | f is not smooth at (x, y)
を f により与えられるトロピカル曲線と呼ぶ [2, 11].また,サポート A の任意の元 (a1 , a2 ) に対して
a1 + a2 ≤ d を満たす最小の整数 d を C の次数 [11, 17],C をグラフと見たときの Betti 数をその種
数と呼ぶ [4].Vigeland は次数 3 かつ種数 1 のトロピカル曲線をトロピカル楕円曲線と定義した [17].
一般に,トロピカル楕円曲線はただ一つの S 1 と同相な部分(C̄ と表す)といくつかの半直線からな
る(図 1).
1
例 1 サポート A を次のようにとり
{
}
A = (a1 , a2 ) ∈ Z2 | 0 ≤ a1 , a2 ≤ 2, a1 + a2 ≤ 3
(2)
パラメータ λ(a1 ,a2 ) を次のようにおく.
λ(2,1) = 10 λ(2,0) = 0 λ(1,2) = 10 λ(1,0) = 5
λ(1,1) = 20 λ(0,2) = 0 λ(0,1) = 5 λ(0,0) = 0
(3)
このとき C は凸七角形およびその各頂点から伸びる七本の半直線からなるトロピカル楕円曲線である
(図 1).図 1 において各領域に表示されている式 λ(a1 ,a2 ) + a1 x + a2 y は,f の定義式 (1) の max[· · · ]
において,その領域で最大値をとるものである.
2.2
群構造
ここでは Vigeland [17] により示さ
れたトロピカル楕円曲線の群構造につ
いて簡単に述べる.
C̄ の任意の点 O を固定する.C̄ の
頂点に反時計回りに V1 , V2 , · · · , Vn と
名前を付ける.このとき,O が頂点な
らば V1 = O,そうでなければ V1 と
Vn の間に O がくるようにする.i =
1, 2, . . . , n − 1 に対して,頂点 Vi と
Vi+1 を結ぶ辺を Ei で表す.また,Vn
と V1 を結ぶ辺を En とする.さらに,
i = 1, 2, . . . , n に対して,εi = 1/|vi|
とおく.ここで,vi は Ei の原始方向
ベクトルであり,|vi| は vi の Euclid
距離を表す.
このとき,C̄ の total lattice length
L を次で定める.
λ(1,2) + x + 2y
λ(0,2) + 2y
¡
¡
¡
λ(0,1) + y
y
6
λ(2,1) + 2x + y
λ(1,1) + x + y
@
@
λ(0,0)
@
@
¡
¡
λ(1,0) + x
- x
¡
¡
¡
¡
λ(2,0) + 2x
図 1: A tropical elliptic curve.
L :=
n
∑
εi |Ei |
i=1
また,C̄ のトロピカル Jacobi 多様体 J(C̄) を次のように定義する [1, 4].
J(C̄) := R/LZ
さらに,C̄ の各辺 Ei 上で線形な区分線形写像 η : C̄→J(C̄) を次のように定める.
η(O) = 0
η(V1 ) = εn |OV1 |
(4)
η(Vi+1 ) = η(Vi ) + εi |Ei | (i = 1, 2, . . . , n − 1)
この写像 (4) は全単射であり, Abel-Jacobi 写像([1] の写像 (2.3) の g = 1 の場合)に他ならない.
この Abel-Jacobi 写像 (4) を用いて,C̄ 上の二点 P ,Q 間の距離を次のように定める.
dC (P, Q) = η(Q) − η(P )
2
定理 1 (theorem 1.1 in [17]) C をトロピカル楕円曲線とし,O を C̄ 上の任意の点とする.
1. P ↔ P − O により集合間の全単射 C̄ ↔ Pic0 (C)1 が与えられる.
2. この全単射により導かれる C̄ の群構造は次の関係式を満たす.
dC (O, P + Q) = dC (O, P ) + dC (O, Q)
3. C̄ は S 1 に群同型である.
この加法は幾何的に実現できる.与えられた二点 P, Q ∈ C̄ に対し,これらを通るトロピカル直線
(次数 1 のトロピカル曲線)を L とする2 .トロピカル版 Bézout の定理 [11, 3] より,L はもう一点 R
で C̄ と交わる.次に,R,O を通るトロピカル直線 L0 がもう一度 C̄ と交わる点が P + Q である(図
2).
O¡
¡
v
v
L
P
R ¡
v¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
@
@
@
@v
Q
L0
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
¡
O¡
¡
v
v
L
P
¡
¡
R¡
v¡
¡
¡
@
@
@
@v
Q
¡
v¡
P +Q
図 2: The group law on a tropical elliptic curve.
超離散 QRT 写像の幾何学
3
3.1
超離散 QRT 写像
次の 8 パラメータをもつ二次元区分線形写像 φ : (x, y) 7→ (x̄, ȳ) を超離散 QRT 写像と呼ぶ [5, 9].
x̄ = F1 (y) − F3 (y) − x
ȳ = G1 (x̄) − G3 (x̄) − y
(5)
ただし次のようにおいた.
F1 (y) := max [α20 + 2y, α21 + y, α22 ] F3 (y) := max [α00 + 2y, α01 + y, α02 ]
G1 (x̄) := max [α02 + 2x̄, α12 + x̄, α22 ] G3 (x̄) := max [α00 + 2x̄, α10 + x̄, α20 ]
超離散 QRT 写像は平面 R2 を埋め尽くす不変曲線の 1 パラメータ族 {Ik }k∈R をもつ:
Ik : k + H(B0 ; x, y) = H(A0 ; x, y)
1
(6)
[17] では,この C 上の 0 次の因子類 [14] が Jacobi 多様体と呼ばれ,Jac(C) と表されている.
C̄ 上の任意の二点で C̄ と “stable” に交わる [17] トロピカル直線が常に存在するわけではないが,そのような場合に
おいても加法を幾何的に実現できる [17].
2
3
ここで
H(A0 ; x, y) := max [F1 (y), F2 (y) + x, F3 (y) + 2x]
H(B0 ; x, y) := x + y
および F2 (y) := max [α10 + 2y, α12 ] とする.
例 2 パラメータ αij を次のようにとる.
α00 = −5
α01 = 10 α02 = 0 α10 = 10
α12 = 5 α20 = 0 α21 = 5 α22 = 0
このとき,不変曲線 I14 は凸五角形,I24 は凸七角形, I30 は凸八角形である(図 3).図 3 では,αij
で表される領域において Ik の各辺は k = αij + (1 − i)x + (1 − j)y で与えられる.
保存量 k が条件 α00 > α01 + α10 − k を満たすと
き,不変曲線 Ik は k = α00 + x + y と表される辺を
もつ(図 3 の I30 ).α00 が有限である限り,不変
曲線の 1 パラメータ族 {Ik }k∈R はこのような Ik を
含むが,このとき,Ik はトロピカル楕円曲線(次
数 3,種数 1)ではなく次数 4 のトロピカル曲線と
対応してしまう.そこで,{Ik }k∈R とトロピカル
楕円曲線の 1 パラメータ族を対応付けるため,以
後 α00 → −∞ と仮定する.
3.2
α10
¡
¡
α20
¡
¡
¡ ¡
¡ ¡
¡ ¡
α21
@
@
@ @
@
@ @
@ @
y
@ @
α22
6
@ @
- x
@
@
幾何学的解釈
I30
α00
@
@
I24
α01
I14
¡ ¡
¡ ¡
¡ ¡
¡
¡ α02
¡
¡
トロピカル楕円曲線と(通常の)楕円曲線との
α12
対応関係を見るために,トロピカル楕円曲線 C を
トロピカル射影平面 P2,trop で考える [3].ここでト
図 3: Invariant curves of the uQRT map.
ロピカル射影平面 P2,trop とは,無限遠直線 X = 0,
Y = 0,Z = 0([X, Y, Z] は射影平面 P2 の斉次座標)に対応する三境界をもつ実平面である.
図 4 は,パラメータを (3) のように選んだ C を
s O
2,trop
P
に描いたものである.各半直線は境界と交
@
@
@
わるが,特に原始方向ベクトル (1, 0) および (0, 1)
@
をもつ半直線はそれぞれ二境界の交点である T お
@
@
よび O を通る.ここで,T および O はそれぞれ射
@
影平面 P2 の無限遠点 [1, 0, 0] および [0, 1, 0] に対
@
@
応する点である.
Õ s
¡@
超離散 QRT 写像の不変曲線の 1 パラメータ族
@
¡
@
{Ik }k∈R とトロピカル楕円曲線の 1 パラメータ族
C
@
との対応を考えるため,トロピカル楕円曲線 C の
@
@
s
@
@
サポート A を (2) で固定する.このとき,次の補
¡ T̃
@
@
@
題が成り立つ.
@s T
補題 1 T ,O を通る C の半直線がそれぞれただ
図 4: A tropical elliptic curve C in P2,trop .
一つずつ存在する.
Ik と C は次のように対応付けられる.
4
補題 2 不変曲線 Ik は次のようなパラメータの選び方のもと C̄ と一致する.
(0 ≤ i, j ≤ 2, (i, j) 6= (0, 0), (1, 1))
αij = λ(2−i,2−j)
k = λ(1,1)
(7)
T ,O を通る半直線がそれぞれ C̄ と交わる点を T̃ ,Õ とおく.このとき,次の定理が成り立つ.
定理 2 (theorem 3 in [7]) P を R2 の任意の点とし,P を通る超離散 QRT 写像 (5) の不変曲線を
Ik とする.(7) という条件のもと,(1) で与えられるトロピカル楕円曲線を C とする.このとき,超
離散 QRT 写像 φ : P 7→ P̄ は C̄ の加法に他ならない(図 5)
:
P + T̃ = P̄ + Õ = P̄
Õ
v
¡
¡
L2
C̄
L1
v
¡
¡
*
¡
v
¡
φ
C̄
¡
¡
¡
¡
¡
v¡
¡
v
¡
¡ T̃
¡Q
@
@
@v
P @
¡
¡
P̄ ¡
Õ
@
@
L1
@v
P @
¡
¡
¡
¡
¡
v¡
¡
v
¡
¡ T̃
¡Q
図 5: The uQRT map φ : P 7→ P̄ .
系 1 超離散 QRT 写像 φ : P 7→ P̄ は,Abel-Jacobi 写像 (4) により,対応するトロピカル楕円曲線の
トロピカル Jacobi 多様体 J(C̄) 上で線形化される.
η(P ) 7→ η(P ) + η(T̃ )
3.3
基本周期
超離散 QRT 写像 φ : R2 → R2 の初期値を P0 ∈ R2 とし,P0 からの n 回写像で得られる点を Pn ∈ R2
とおく(n = 1, 2, . . .)
:
φ
φ
φ
φ
P0 7→ P1 7→ · · · 7→ Pn 7→ · · · .
Pn = P0 を満たす最小の n ∈ N を P0 の φ における基本周期と呼ぶ.
定理 1,2 より,C̄ 上の Õ と Pn の距離 dC (Õ, Pn ) は帰納的に次のように求められる.
dC (Õ, Pn ) = dC (Õ, P0 ) + n × dC (Õ, T̃ )
Abel-Jacobi 写像 (4) を用いると
η(Pn ) = η(P0 ) + n × η(T̃ )
5
と表される.もし Pn = P0 ならば
n × η(T̃ ) ≡ 0
(mod LZ)
なので,次の定理を得る.
定理 3 (theorem 4 in [7]) P0 の φ における基本周期は次で与えられる.
(
L
)
gcd η(T̃ ), L
例 3 パラメータ α01 , · · · , α22 を例 2 と同じにとる.初期値を P0 = (4, 4) とすると,φ の保存量は
k = 14 であり,I14 は次の頂点をもつ五角形である(図 3).
V1 = Õ = (−9, 4) V2 = (−9, −5) V3 = (−5, −9) V4 = T̃ = (4, −9) V5 = (4, 4).
よって,C̄ ' I14 なるトロピカル楕円曲線 C の total lattice length は L = 48 である.これらのデー
タから T̃ = (4, −9) での η の値が η(T̃ ) = 22 と定まる.したがって,P0 = (4, 4) の φ における基本周
期は次のように求められる.
48
= 24
gcd(22, 48)
同様に,初期値 P0 = (−19, 0) に対しては k = 24 となり,I24 は次の頂点をもつ七角形である(図
3).
V1 = Õ = (−10, 14) V2 = (−19, 5) V3 = (−19, −5)
V4 = (−5, −19) V5 = (5, −19) V6 = T̃ = (14, −10) V7 = (14, 14)
したがって,L = 100 および η(T̃ ) = 52.P0 = (−19, 0) の φ における基本周期は次の通り.
100
= 25
gcd(52, 100)
参考文献
[1] Inoue R and Takenawa T 2007 Tropical spectral curves and integrable cellular automata
Preprint math-ph/0704.2471v1
[2] Itenberg I, Mikhalkin G and Shustin E 2007 Tropical Algebraic Geometry (Basel: Birkhäuser)
[3] Kajiwara T 2007 Tropical toric varieties Preprint
[4] Mikhalkin G and Zharkov I 2006 Tropical curves, their Jacobians and theta functions Preprint
math.AG/0612267
[5] Nobe A 2003 Theor. Appl. Mec. Japan 52 229-37
[6] Nobe A 2006 J. Phys. A: Math. Gen. 39 L335-42
[7] Nobe A 2008 J. Phys. A: Math. Theor. 41 in press
6
[8] Ormerod C 2006 An ultradiscrete QRT mapping from tropical elliptic curves Preprint mathph/0609060
[9] Quispel G R W, Capel H W and Scully J 2001 J. Phys. A: Math. Gen. 34 2491-503
[10] Quispel G R W, Roberts A G and Thompson C J 1989 Physica 34D 183-92
[11] Richter-Gebert J, Sturmfels B and Theobald T 2003 First Steps in Tropical Geometry Preprint
math.AG/0306366
[12] Sakai H 2001 Commun. Math. Phys. 220 165-229
[13] Sakamoto T 2007 Reports of RIAM symposium 18ME-S5 Article No. 32 (in Japanese)
[14] Silverman J H 1994 Advances Topics in the Arithmetic of Elliptic Curves (New York: SpringerVerlag)
[15] Takahashi D, Tokihiro T, Grammaticos B, Ohta Y and Ramani A 1997 J. Phys. A: Math.
Gen. 30 7953-66
[16] Tsuda T 2004 J. Phys. A: Math. Gen. 37 2721-30
[17] Vigeland M D 2004 The group law on a tropical elliptic curve Preprint math.AG/0411485
7