美しくなってきた地球と人間の役割 - 地球環境学科

美しくなってきた地球と人間の役割
Implication of the Earth’s evolution and the appearance of Homo sapiens
in terms of esthetics
原田憲一
Kenichi HARADA
Abstract
When we summarize a history of the Earth in a few words, she can be described
as having become scenically beautiful in the past 4.6 billion years through
geological, geomorphological, and meteorological diversification. The
biosphere also has played an essential role for the beautification by
diversifying the life in form and function, because the sphere is directly
connected to the solid earth through the medium of soil consisting mainly
of the products of rock weathering. Since Homo sapience appeared at a
stage when the Earth evolved to be most beautiful, their task in a
geohistorical sense can be inferred to beautify the Earth further. This
postulation may be verified by a fact that they created art more than 30,000
years ago for the first time in the history of life. Nonetheless, we are
presently facing with destructive environmental-degradation in global
scale, which has been caused by mass-production and mass-consumption since
the Industrial Revolution and thereafter accelerated by the liberation of
personal desires under the capitalistic social-system for the last few
centuries. However, from a bio-evolutional point of view, the modern
environmental crisis threatening the existence of human beings should not
be regarded as inevitable fate, but as a trivial backlash in a long course
of human evolution. One of the ways to overcome the crisis to avoid our
extinction in the near future is to promote art throughout the world. It
is because all the activity concerning art recalls us to the importance
of peace, self-fulfillment, respect and appreciation to nature and life,
and consideration for future generations, which should hinder the waste
of energy and resources and wars made for the occupation and control over
them.
1.はじめに
もしも宇宙人が、スペースシャトルほどの高度(250km)で地球を周回する宇宙船
に乗って過去200年間、地表の詳細を観察しつづけてきたとすると、加速度的に進行し
た都市の拡大と森林破壊、大気汚染と海洋汚染などの元凶は、この時代の人口爆発とエネ
ルギーと資源の過剰消費にあると判断するはずである。
しかし、もしも彼らが46億年前の地球誕生時から観測しつづけてきたならば以下のよ
うに結論するに違いない。
(1)地球は時とともに地質的にも地形的にも気候的にも多様化
し、景観的に美しくなってきた。
(2)それには生き物の進化が大きく寄与している。
(3)
地球がもっとも美しくなった段階で出現したホモ・サピエンスつまり現代人は、意識的に
美を造形する芸術を生み出し、さらに地球を美しくしてきた。従って(4)最近数百年間
の地球規模での環境破壊は人類の進化にともなう必然的現象ではなく、
(5)芸術を生み出
した生命史上初の生き物として近い将来、芸術活動を通じて現代の危機を克服し、再び地
球を美しくしていく可能性は高い、と。
本稿では、まず地球誕生から現代人の出現までの地球と生命圏の歴史を概観する。次い
で土壌を媒介とした固体地球と生命圏の結びつきを軸にして、大気圏−岩石圏−水圏をめ
ぐる物質循環が地球環境を浄化し、生命圏を維持してきたことを説明する。そして最後に
芸術をキーワードとして固体地球と生命圏の共進化の歴史に基づいて現代人の地球史・生
命史的な役割を考察する。
2.美しくなってきた地球
1)先カンブリア時代
最近の地球史・生命史を扱ったビジュアル本を見れば明らかなように(1)−(3)、4
6億年前、無数の隕石衝突で誕生したばかりの地球(復元図)と現在の姿(人工衛星写真)
を比べると、地球の景観が美しくなってきたことは一目瞭然である。当時の地球は、宇宙
船から眺めれば、隕石衝突時の発熱で地表の岩石が溶けてできたマグマの海(マグマオー
シャン)で覆われて赤黒く光る「火球」でしかなかった。原始地球の形成直後に火星ほど
の大きさの天体が地球に衝突して月を形成した(ジャイアントインパクト)と言われてい
るが、その直後も隕石衝突の発熱で地表は再びマグマオーシャンに覆われたはずである。
そして分厚いマグマの内部から二酸化炭素と水蒸気が盛んに蒸発して原始大気を形成した。
大気上空には分厚く雲が発達して「雲球」となり、地表は隠されてしまった。42億年前
になると、激しい隕石衝突が止んで地表温度が低下したために、大気中の水蒸気が凝結し
て雨となって地表に降り注いだ。地球史上初の集中豪雨がどのくらい続いたのか不明であ
るが、地質学的にみれば地球は一瞬にして海に覆われて「水球」に変わったと言えよう。
その後も隕石は間歇的に衝突しつづけたが、いずれも小規模なもので、海水の組成を変え
たり大陸そのものの姿を変えたりするほどの影響は与えなかった。
海の誕生直後およそ40億年前に原始的な単細胞生物が誕生したが、宇宙船から見える
地質現象は、活発な海底火山活動によって海洋のあちこちに形成されたハワイのような火
山島だけであった。それらがプレートに乗って移動する様子を100万年を1秒とするコ
マ落としで撮影すれば、
次々に生まれ出る火山島が衝突・合体を繰り返してだんだん大きな
陸塊に成長し、20億年前にはいくつかの大陸となった経過がよく追えたはずである。さ
らに、そうした大陸がおよそ2億年の周期で衝突・合体と分裂・離散を繰り返し(ウィルソ
ン・サイクル)、そのつど大山脈や火山列、地溝帯や沿海などが形成されて、大陸の地形が
次第に複雑化していった経過もよく追えたはずである。
35億年前に出現した酸素発生型の光合成を行うシアノバクテリア(らん藻)は、25
億年前から陸塊をとりまく浅海域にストロマトライトを広範に形成し、海水中に遊離酸素
を盛んに放出した。初期の遊離酸素は海水に溶存していた鉄と結びついて鉄錆(酸化鉄)
をつくり、海底に縞状鉄鉱層を分厚く堆積させた。宇宙船から見れば、当時の浅海域はス
トロマトライトで埋め尽くされ、海水は赤みがかっていたであろう。17億年前に海水中
の鉄分がほとんど除去されたので、遊離酸素は大気中に拡散して陸上の岩石に含まれた鉄
を酸化していった。そのため大陸の乾燥地域には赤色の砂漠が広がった。しかし陸上には
まだ生き物の影は全く無かった。
約7億年前、大陸は全面的に氷河で覆われ、地球は白い「氷球」に変わった。しかし1
億年後(6億2000万年前)のベンド紀になると巨大な氷床が消え去り再び赤茶けた大
地が現れた。しかし大陸周辺の浅海域には、以前とは違って、ストロマトライトではなく、
平べったい水枕や柄の無い団扇のような形をしたディッキンソニアや三葉虫に似たスプリ
ギナのような硬組織をもたない30種類ほどの大型生物からなるエディアカラ動物群が繁
栄していた。その後も大氷床は何度か発達したが、氷床が後退する度に大陸周辺に浅海が
広がり、その新天地に新たな生態系が繁栄した。
2)古生代
5億4500万年前のカンブリア紀になると、エディアカラ動物群は姿を消し、新たに
三葉虫やヒオリテラス、ラトウケラのような硬い殻をもつ動物が出現した。そしてアノマ
ロカリスのような大型の捕食動物が出現したり、熱帯で石灰藻と海綿が礁をつくったりし
たことで食物連鎖が複雑化し、海の生き物たちは爆発的に進化して1万種以上にふえた。
オルドビス紀になるとサンゴが出現してサンゴ礁をつくった。今日の南太平洋の島嶼周辺
に見られるようなサンゴ礁の景観は、この時代に初めて出現したのである。そしてサンゴ
礁周辺には複雑な生態系が形成され、さまざまな色と形を持った生き物が生息するように
なった。
カンブリア紀以降の海では海棲生物が進化・発展をとげていたが、陸上に植物が出現する
のは約4億年前のシルル紀末である。赤茶けた大陸の海岸線がようやく緑(シダ植物)で
縁取られるようになったのである。そして石炭紀になるとシダ植物は大森林を形成し、地
下に石炭層を蓄えていった。だがシダ植物は水辺を離れて森林をつくることは無かった。
約3億年前のペルム紀になると乾燥に耐える裸子植物のイチョウやソテツの仲間が出現し、
次の中生代を通じて水辺を離れて内陸部に生息地を拡大していった。だが、まだ花を咲か
せる樹木は無く、森林の彩りは単調だった。
陸上植物の繁殖にともなってデボン紀の海では魚類が爆発的な進化を遂げ、淡水域にも
進出した。そして石炭紀になって魚類から進化した両生類が陸上に姿を現し、それから爬
虫類へと進化した。
3)中生代
中生代のトリアス紀になると爬虫類から恐竜が派生し、中生代を通じて恐竜王国が出現
した。体長が40mをこえるサイズモサウルス(ジュラ紀後期)やアルゼンチノサウルス(白
亜紀中期−後期)などの集団移動、ジュラ紀後期の海を泳いでいた体長25mの首長竜リオ
プレウロドンの雄姿、そして翼長が12mもある翼竜のケツァルコアトルスやオルニトケ
イロス(白亜紀後期)が群舞する様子などは、宇宙船から高分解能の望遠鏡で観察できたは
ずである。そして白亜紀中期(1億年前)になって、ようやく花を咲かせて実を結ぶ被子
植物が繁栄し始め、森の彩りも増えた。それにともなって昆虫も種類を増やし、昆虫を捕
食する鳥類も進化して、陸上は急速に賑やかさを増していったのである。
恐竜や翼竜、
魚竜などは6500万年前の白亜紀末にアンモナイトなどとともに絶滅し、
中生代の幕が閉じた。世間的には隕石衝突説が受け入れられているが、世界的な火山活動
の活発化、急激な海水準の低下(海退)や気候の寒冷化などの環境要因がさまざまに複合し
ていて、究極の原因はまだ解明されていない。だが原因が何であれ大異変は短期間で終息
し、新しい時代の幕開けとなった。
4)新生代
新生代が始まると、それまで恐竜や爬虫類などに圧倒されていた哺乳類が大繁栄するこ
とになった。一方、植物界では被子植物がますます繁栄するとともに、始新世の乾燥化に
ともなって草が出現した。特に中新世(2400万年)以降、広大な裸地は草原に変わり、
「緑の大地」が出現した。大草原には昆虫と鳥、モグラやヘビなどからなる、森林とは違っ
た生態系が新たに発達し、地上はますます賑やかになっていった。
植物相が豊かになったことで、漸新世後期(2500万年前)に人間の遠い祖先である
霊長類が出現し、樹上生活を営んだ。その間アルプス、ヒマラヤ、ロッキー、コルディレ
ラなどの大山脈が形成されて大気循環のパターンが複雑化した。そして細分化した気候区
ごとに特徴的な地形と生態系が発達することになった。鮮新世(500万年前)になって
東アフリカの乾燥化によって森林が縮小し草原が拡大した時、二足歩行する人間の直接の
祖先である猿人(オルロリン属)が草原に出現した。
170万年前の更新世(第四紀)になると氷期−間氷期の周期が始まり、数十万年前か
ら10万年周期が明瞭になった。高緯度地域と中緯度地域の高山では氷河地形が発達し、
海岸線は周期的な海水準変動によって複雑化した。また中緯度地域では四季の変化が確立
し、森林と草原の景観も周期的に変化するようになった。現在スペースシャトルから観察
できる自然景観、すなわち森林あり草原あり砂漠あり、高緯度地方には山岳氷河が見え低
緯度地方の海岸にはサンゴ礁が見える景観が現れたのはごく最近の出来事なのである。
東アフリカで出現した猿人はそうした気候変動の下で、アウストラロピテクス属をへて
原人(ホモ属)へと進化し、その仲間であるホモ・エレクトゥスなどがアジアやヨーロッ
パに進出して複雑な進化の道をあゆんだ(4)。そして10数万年前、東アフリカにホモ・
サピエンス(現代人)が出現し、およそ5万年前から全世界に移住していった。
3.なぜ地球は生き物の星なのか
1)従来の説明
地球は46億年の歴史を通じて、地質的にも地形的にも気候的にも多様化した。それに
ともなって生命圏も多様化した。こうして美しい星になってきた地球が太陽系惑星のなか
で唯一生命圏を維持している理由は、一般的に以下のように説明されている(5)。
まず地球のサイズが適当だったために水と大気が引力で保持されたことである。月や火
星のサイズでは引力が不足して、大気も水も宇宙空間に散逸してしまうのである。次に太
陽からの距離が適当だったために地表で水が液体・固体・気体として存在できたからである。
金星のように太陽に近いと地表の水は強い太陽光によって蒸発し、大気上空で水蒸気が酸
素と水素に分解され、軽い水素は宇宙空間に散逸し、酸素は金属元素と結合する。その結
果水は失われ、二酸化炭素を主体とする大気が残り、温室効果のために地表は400℃を
越える高温になってしまう。一方、火星ほど太陽から遠ざかると、太陽光は弱々しくなり、
水は氷としてしか存在できなくなるので、生命活動は停止してしまう。
だが、これら二つの条件は必要条件ではあっても決して十分条件ではない。生命圏の維
持にはさらに多くの条件が必要なのである。
2)土:固体地球と生命圏の媒介
地球環境問題への対応として「緑を守れ」と言う声が上がっている。植物が水と二酸化
炭素からでんぷんを光合成することで草食動物を養い、それらが肉食動物を養うことで生
態系が維持されていると考えているからである。確かに光合成を行う植物は基礎生産を支
えているが、炭素・酸素・水素・窒素だけで生育しているわけではない。その他の元素も
必要である。たとえば窒素・リン・カリウムは植物の三大栄養素であり、光合成を行う葉
緑素にはマグネシウムが必要である。
植物の生育には上記の7種類を含めた16種類の元素(硫黄、カルシウム、鉄、マンガ
ン、銅、亜鉛、モリブデン、ホウ素、塩素)が必須である。さらに動物にはナトリウム、
臭素、ストロンチウム、フッ素、ヨード、バナジウム、ニッケル、クロム、セレン、コバ
ルトを加えた26種類の元素が不可欠である(6)。そのうち酸素・炭素・水素・窒素は大
気と水に含まれているが、残りの12元素および22元素は土壌〔土〕にしか含まれてい
ない。植物は土から14種類の必須元素を吸収するだけでなく他の元素も吸収して体内に
蓄えるので、草食動物と肉食動物は成育できるのである。もしも動物に不可欠な生元素が
土に欠乏していれば動物は生きていくことができない。
その具体例がニュージーランドの牧草地である。英国からニュージーランドに殖民した
白人たちは、19世紀末に原生林を大々的に切り拓いて牧草地を造成し、オーストラリア
から輸入した羊を放牧した。輸送船から解放された羊は牧草を食みながらも、数週間もす
るとよろけて歩けなくなり死んでいった。その原因を調査した結果、コバルトの欠乏によ
る神経障害だと判明した。土にほとんど含まれていなかったのである。そこでコバルトを
含んだ岩石粉を牧草地に散布したところ羊は健やかに育ち、同国は英国に対する食肉基地
として繁栄したのであった。この歴史的事実は土の主成分を生み出す母岩の鉱物組成によ
って土の肥沃度が左右されていることを示している。実際、方解石(炭酸カルシウム)か
らなる石灰岩地帯の植生は一般に貧弱である。
火山灰に由来する土を除けば、その主成分は礫と砂〔砂利〕とシルトと粘土鉱物〔泥〕
であり、いずれも岩石風化の産物である。そのうち砂利は植物の根を支える支持基盤の役
割を担っているが、保水力を欠いている。一方、泥に支持能力は無いが、粒子の表面に水
を吸着するので、土は保水力をもつことができる。また陽イオンを吸着するので各種の水
溶性イオンが保持され、最終的には根毛を通じて水と共に吸収されるのである。従って温
暖な湿潤地帯では、岩石風化の産物である砕屑物〔土砂〕が堆積する崖錐、扇状地、地す
べりの末端、沖積地などには肥沃な土が発達しやすい。たとえば山形盆地でみれば、脊稜
山脈の山麓に発達した小さな扇状地や緩斜面には果樹園が開かれ、地すべり地と盆地は水
田となっている。
このように土の存在も地球が生き物の星であるための必要条件の一つであり、土を媒介
として生命圏は固体地球と直結しているのである。
3)土と食物連鎖
土の主成分は砂利と泥であるが、それに加えて動植物の遺骸に由来する有機物〔腐植〕
が多量に含まれている。だが砂利と泥と腐植を適当に混ぜて水をかければ土になるわけで
はない。カビや細菌などの微生物とアリやクモなどの昆虫およびミミズやモグラ、ヘビや
カエルなどの小動物などが土中に住みつくことが必要である。小動物が巣穴を造ることに
よってガスと水分が移動するための空間ができ、ミミズやセンチュウなどによって泥が団
子状態に固められて団粒構造が発達して保水力が高まり、微生物の働きによって動植物の
遺骸が有機物に分解される。そこに水溶性イオン類を含んだ水分が適当に加わることによ
って、土は初めて植物を育てる機能を発揮するのである。
土から養分を吸って育った植物は草食動物の餌となり、
草食動物は肉食動物の餌となる。
こうした現象を「弱肉強食」の競争関係と見なす社会ダーウィニズム(社会進化論)的な
見方が蔓延しているが、決して肉食動物は強いから草食動物を食べたい放題に襲っている
わけではない。実際にアフリカのサバンナで観察すると、ライオンやチーターなどの狩の
成功率は10%程度でしかなく、いつも空腹にさいなまれているのが実態である。肉食動
物は動物界に君臨するために存在しているのではなく、草食動物を適当に間引いて、彼ら
が草原を喰い尽くすのを防ぐ歯止めとして存在しているのである。
複雑な喰いつ喰われつの関係〔食物連鎖〕は生き物に必要な食べ物を効率よく循環させ
る仕組でもある。たとえば映画「ガイア・シンフォニー
第3部」で紹介されていたよう
にアフリカゾウは大量の木の葉と樹皮を食べるが、一方で未消化の糞を大量に排泄する。
糞に含まれた半分解状態の植物繊維などは木に登れない小型草食動物や樹皮をかじること
ができない昆虫などの餌として利用される。そして、それらが排泄する消化(分解)度が
より高い小粒な糞は土中の昆虫や微生物の餌となる。そうした生き物たちは土中の食物連
鎖に取り込まれ、最終的な排泄物は腐植やガスの一部となって再び植物に吸収される。
一般に食物連鎖をピラミッド状の階層構造で図示して、その頂点に人間をおいて、人間
の生態学的位置を示すことが多い。だが土を媒介とした生元素の循環から見れば、人間は
決して生物界に君臨する「万物の霊長」ではない。他の動植物や微生物と同じく食物連鎖
の一要素でしかないのである。
現在の地下に発達している複雑な食物連鎖は歴史的な産物であり、陸上植物の出現以前
には存在していなかった。おそらく岩石から無機養分を直接吸収する地衣類のような生き
物が水辺近くの岩を覆い、その下の割れ目には地衣類から供給される有機物を餌とする微
生物がいたはずである。そうした生き物の働きで原始的な土ができたところに陸上植物が
出現した。それに続いて昆虫が出現すると、必然的に地下の生態系も複雑化して土の機能
は高まり、植物の進化を促した。そして陸上植物の進化を追うように動物も進化して地表
の生態系を複雑化し、それとあいまって地下の生態系も複雑化していった。その結果、土
の機能はますます高まり、陸上は無論のこと沿岸の生態系も豊かになっていった。少なく
ともシルル紀以降は、陸と海の生態系は土を媒介にして結びついて進化し、時代と共に多
様性をましていったのである。
この歴史的事実は、生物界は決して弱肉強食の競争社会ではなく、自己も他者もともに
繁殖し発展していく共存共栄の社会であることを物語っている。一人勝ちを許せば、いく
ら多様な生態系でも時と共に単純化していき、たとえば人工的な杉の単一林が強い風台風
で広範になぎ倒されてしまうように、少しの環境変化で大きな打撃を受けるようになるか
らである。
4)海陸の存在意義
土をつくっている腐植を含んだ土砂は最終的に海に運ばれる。沿岸の海洋生物は、陸上
の動植物と同じく26種類または16種類の生元素を必要としており、海底に堆積した土
砂や海水中に浮遊している泥から溶け出した元素を摂取している。決して海水に溶け込ん
でいる元素だけに頼って生きているわけではないのである。その証拠に海洋全体の植物プ
ランクトンの季節分布を見ると(7、pp.92−93)、陸から土砂が運びこまれる沿岸
にしか生息していない。言い換えれば陸地から遠くて土砂が運ばれてこない遠洋は年間を
通じて不毛である。
この事実を陸上に当てはめて考えると、土砂を生み出す山々から遠く離れていて、土砂が
運び込まれないような地域の生産力は低いと判断できる。しかし、そのような場の代表例
であるアマゾンには世界最大の熱帯雨林が広がっている。だが根元にある土は僅か10c
mほどの厚さしかなく、森林を伐採するとたちまち洗い流されてしまう。その貧弱な土が
樹木を養うためには、必須元素が効率よく循環する必要がある。実際アマゾンでは落ち葉
や動物の死骸は速やかに分解されて植物に吸収されているが、新たな土砂の供給がなけれ
ば、長期的には必ず元素不足に陥るはずである。
この謎は1980年代後半になってようやく解き明かされた。サハラ砂漠から熱風ハル
マッタンによって年間2億トン以上も吹き飛ばされている砂塵の一部がアマゾンまで運ば
れ、無機養分を供給していることが発見されたのである(8)。実際、上で述べた植物プラ
ンクトンの季節分布図を見ると、ゴビ砂漠を始めアラビア半島やオーストラリア大陸の砂
漠から海に吹き飛ばされた砂塵がプランクトンを養っている様子が明瞭に読み取れる。人
間にとっては「不毛の地」でしかない砂漠も生命圏の維持に本質的な役割を果たしている
のである。
地球の表面の1/3が海に覆われていることから地球を「水惑星」とよび、海の存在こそが
生命圏を支えていると考える人は多い。確かに最古の生き物は海で誕生したし、いまでも
生き物の75%は海洋に生息している。しかし、その多くは陸から海に運び込まれてくる
土に生元素の供給を頼っている。すなわち大陸と海洋が並存するからこそ、陸上の岩石風
化の産物である土砂が循環し、生命圏が維持されるのである。従って20億年前の大陸の
形成とそれ以降の度重なる分裂と衝突が、気候変動や海水準の変動と共に、生き物を進化
させる大きな内部要因になったのだと言えよう。
5)地表の物質循環による環境の浄化
一般に循環と聞くと、何かがくるくる回っている状態を思い浮かべる人が多い。しかし
ながら大気圏〔天〕 ―岩石圏〔地〕 ―水圏〔水〕をめぐる物質(ガス・固体・液体)の循
環経路には、濃集作用と拡散作用が対となって組み込まれている(9)。
水の循環を代表例として取り上げてみよう。海面が太陽光によって暖められると海水は
蒸発する。つまり水分子が大気圏に拡散する。3000m以上の上空では水蒸気が昇華凝
結(濃集)して氷晶(雪)となり、雲をつくる。このとき大気中に拡散している細かい砂塵を
核にして氷晶が成長するので、大気高層に拡散した砂塵は雲に濃集することになる。雪の
結晶が成長すると重くなるので、雲は地表に降りてくる。地表に近づくと気温が上がるの
で、雪は溶けて雨滴になり地表に降ってくる。その途中で雨滴は大気中に拡散した二酸化
炭素や火山ガスを濃集する。大気汚染がなくても雨水が弱酸性をしめすのはこのためであ
る。また砂漠の粉塵や火山灰なども濃集する。中国大陸から京都に黄砂が飛来するころに
降る雨が汚れているのはこのためである。
近年、中国の工業化にともなう酸性雨の被害が懸念されている。しかし、もしも酸性雨が
降らなければ大気圏に粉塵とガスが蓄積していき、終には陸上動物は呼吸器障害で死滅す
るはずである。酸性雨が降るということは、天然の大気浄化作用がまだ機能している証拠
なのである。
大気中に拡散した天然のガスや粉塵は雨滴に濃集されて地表に戻ってくる。しかし人工
的に合成されたフロンガスは水に溶けないので、雨滴に濃集しないで対流圏の上層へと風
で舞い上げられていく。そして成層圏に達したフロンが紫外線で分解され、活性化した塩
素原子が効率的にオゾンを破壊する。フロンガスを始めプラスチックや PCB などの安定な
化合物は、循環経路に組み込まれた濃集・拡散の作用に影響されないがために、循環経路
を汚染したり循環そのものを阻害したりして、環境問題を引き起こすのである。
地表に降った雨水は、地表を流れくだったり地下に浸透したりして姿を消すが、必ずど
こかで濃集する。つまり川となったり地下水となったりして海に戻っていく。そしてその
間に岩石を風化する。すなわち岩石を砂利と泥と水溶性イオンに分解して拡散する。山の
上で生じた風化の産物、つまり砕屑物と水溶性イオンは水(川)によって運搬されるが、
さまざまなサイズと形状をもった砕屑粒子は運搬途中で淘汰され、礫は礫として、砂は砂
として、泥は泥として、サイズ別に堆積(濃集)していく。そして河口で泥が凝集して沈積す
るとき、水中の有機物を表面に吸着(濃集)するので、海に注ぎ込む河川水は浄化される。
野鳥の楽園としての干潟の役割が見直されているが、水質改善の場としても重要なのであ
る。
一方、水溶性イオンは化学的作用や生物作用によって濃集する。たとえば乾燥地域にお
ける内陸湖や海岸では石灰岩や石膏、岩塩などの蒸発岩が形成され、カルシウムやナトリ
ウム、カリウムおよび炭素や塩素、硫黄などが濃集する。また沿岸では鳥の糞が乾燥固化し
てグアノが形成され、窒素やリンが濃集する。一方、熱帯の浅海域ではサンゴ礁が形成さ
れてカルシウムやマグネシウムなどが濃集する。さらに遠洋の深海底では鉄とマンガンの
酸化物がマンガン団塊を形成し、副成分として銅やニッケル、バナジウムなどを濃集して
いる。また海山域では岩盤上にコバルトクラスを形成し、コバルトや白金などを濃集して
いる。
こうした濃集と拡散の作用は地下における物質循環の経路にも組み込まれており、造山
帯や火山帯では地下に金属元素や鉱物(宝石)類が濃集する。こうした作用によって20億
年前の大陸の形成以降この作用によって生き物に有害な水銀や鉛、カドミウム、砒素など
の元素が、地表の岩石から取り除かれていった。そして、おそらく古生代までに地表の岩
石にはほとんど含まれなくなったので、陸上に生き物が生育できるようになったのであろ
う。
産業革命以降、我われは、何百万年もかかって地下に固定された金属や鉱物を大量に採
掘し、また何千年もかかって河川や海岸に堆積した砂利を無尽蔵に採取している。さらに
数百年もかかって森林に蓄えられた有機物(樹木)を大量に伐採している。こうしたものを
資源と呼んでいるが(10、75p.)、その実体は地表や地下で働く濃集作用の産物にほ
かならない。そして人間の時間スケールを基準にして、濃集速度の速いものを更新性資源
と遅いものを非更新性資源とよんでいる。
しかしながら人間のために物質が濃集したわけではない。多くの地下資源は地表環境の
浄化の副産物である。従って、せっかく地下深部に隔離されたカドミウムや水銀、鉛など
を大量に採掘して地表に拡散させれば、天−地−水は重金属で汚染されて、生命圏は打撃
をうける。カドミウムによるイタイイタイ病や水銀による水俣病は代表例である。また更
新性のある資源といえども人間のために存在しているのではない。たとえば水資源開発と
称してダムを作って川の水を蓄えているが、それは水と土砂の循環を阻害する行為であり、
やはり生命圏に打撃を与える。代表例は全国で深刻化している海岸浸食であり、砂浜の縮
小や消失によって貝やアナジャコなど砂地に住む底棲生物を脅かしている。また本来なら
ば海藻が生い茂るはずの岩礁の表面が石灰藻で真っ白く覆われて不毛化してしまう磯焼け
も、原因は完全には解明されていないが、ダムや砂防ダムによる土砂のせき止めと腐植の
沈殿が原因の一つに数えられている。
6)循環の駆動力
地球表面が大気で覆われ、地殻表層部に大陸と海洋が存在することで、天−地−水の循
環が生じて環境が浄化され、生命圏では生き物が一貫して進化してきた。しかし、そのな
かで大陸は常に浸食作用を受けており、大陸の平均高度(840m)を年間浸食率(4c
m)で単純に割ると、陸地はほぼ2100万年で海抜ゼロメートルの平地になってしまう。
そうなれば、いくら雨が降ろうと風が吹こうとも土の動きはほとんど無くなり、生き物の
進化発展は著しく阻害されるはずである。しかしながら現在のような大陸が形成されたの
は20億年以上前のことであり、しかも約4億年前に陸地に植物が出現して以来、陸の生
き物は一貫して進化し繁栄の道を歩んできた。この古生物学的事実は過去4億年にわたっ
て一度も陸地から山が消えたことが無かったことを意味している。
陸地は恒常的に浸食されているが、一方で新しく作りだされているのである。すなわち
海洋プレートの沈み込みにともなって大陸の縁辺部に火山列や島弧が形成される。また、
およそ2億年周期で生じる大陸の衝突によって巨大山脈が形成される。こうした造陸運動
の営力は固体地球の表層部におけるプレート運動とプレートを駆動するマントルの対流
(マントルプリューム)にあり、それらを動かす原動力は地球の部部エネルギーである。つ
まり地球形成時の隕石衝突で発生した熱と核形成時に発生した重力エネルギーおよび放射
性元素による発熱である。
環境を浄化して生命圏を維持する天−地−水の循環を支える地球内部エネルギーと太陽
エネルギーはまだ十分にあるので(11)、従来の循環パターンは少なくとも今後5億年は
基本的に維持される。従って人類がいかなる環境破壊で絶滅しようとも、地球環境は速や
かに浄化されて、生き物は今までどおりの進化の道を歩んでいく。また、たとえエネルギ
ー資源や鉱物資源の枯渇で絶滅したとしても、地下では各種の資源が着実に蓄積していく
のである。
ちなみに英国の宇宙物理学者ホーキング博士は、1000年後には地球が温暖化しすぎ
て人間が住めなくなるので、宇宙に移住する研究を開始すべきだと警告した、と数年前に
新聞が報道した。また火星を温暖化させて人間が住める星にしようという「テラフォーミ
ング」構想が語られている(12、40p.)
。しかし、すでに内部エネルギーを失ってし
まった火星つまり「死んだ星」にはもはや生命圏を維持する力は無いと結論できる。さら
に地下に各種の資源が胚胎している可能性も低いと判断できる。
これを逆にいえば、地球のように内部に熱エネルギーをもつ「生きた星」でなければ、
いくら大気と水があって太陽エネルギーが適切に利用できたとしても、天−地−水の循環
を作りだすことはできず、生命圏を維持することはできない。地球は、固体部分(岩石圏)
がダイナミックに躍動しているからこそ、生き物の星になれるのである。
4.人間の生命史的な役割
1)ホモ・サピエンスの出現
地球は、自ら天−地−水の循環を作りだし、46億年の歳月をかけて固体地球そのもの
の多様性を増大させてきた。それとともに、生命圏を維持して生き物が多様化する方向で
進化を促した。そして両者があいまって変化に富んだ美しい景観を作りだしてきた。この
歴史的経緯からすれば、あらゆる生き物の存在意義は、一方で共存共栄の原理で生態系を
維持しつつ、もう一方で美しい景観を作りだしていくことにあると判断できる。
そうして地球が最も美しくなった段階で現れた大型生物がホモ・サピエンスすなわち現
代人である。その誕生の経緯はまだ多くの謎に包まれているが、およそ10万年前に東ア
フリカで進化し、5万年前から世界各地に進出していった。そして地球史・生命史の流れ
にのっとって、3.5万年前から芸術活動を盛んに行うようになり、人為的に美を作りだ
すにいたった。
その現代人がヨーロッパや中近東に進出した当時、先住していたのがネアンデルタール
人(ホモ・ネアンデルタールエンシス)であった。当初は現代人と共存していたが、徐々
に衰退して3万年前に西ヨーロッパで絶滅してしまった。彼らは旧石器を使っていたが、
かなり高度な意識をもっていたようである。その裏づけの一つは、イラクのシャニダール
洞窟から発掘された女の子を葬った墓の土から産出したヤグルマソウの花粉である。おそ
らく両親が早すぎる娘の死を悼んで花束を捧げたのであろう。もう一つは、同じ遺跡から
発掘された片目、片腕ながらも仲間と一緒に生き長らえた男性の骨である。彼らは、容赦
なく弱者を切りすてる過酷な競争社会ではなく、仲間内で助け合う福祉的な社会を作って
いたのである。弱者を哀れむ心や死を悲しむ心そして野に咲く花を美しいと感じる心を持
っていたネアンデルタール人だが、同時代に生きたホモ・サピエンスとは違って、芸術作
品と呼べるものは残していない(13、pp.89−96)。
2)芸術の誕生
その原因はネアンデルタール人の言語能力が未発達だったからだと考えられている。頭
蓋骨を調べると、我われほど巧みには喋れなかったと判断できるからである(14、pp.
206−210)。つまり発声能力が未発達な幼子が「あー」とか「うー」とか「これー」
としか言えないように、喋れることができる言葉の数が少ないと、目の前にある花はきれ
いだとか、この死んだ子供はかわいそうだということは身振り手振りを交えて表現できて
も、複雑な事象や目の前にない出来事を言葉で説明することはできないのである。
これに対してホモ・サピエンスは非常に発達した発声能力をもっているので、さまざま
な話し言葉を用いて目の前にない出来事を生き生きと語ることができる。たとえば向こう
の山を越えて3日間歩いて行くと大きな湖があって魚がたくさんいたとか、3年前に大雪
が降ったので北の方から逃げてきた、と。その延長上で言葉でしか表現できない「真・善・
美」といった抽象的な概念が生み出された。その結果、花を見ても美しい。鳥を見ても美
しい。四季折々の自然の移り変わりを見ても美しい、と個別に感じ取るだけではなく、頭
の中でそうした体験を整理・統合・抽象化して「美」なるものの概念を組み立てることが
できるようになった。すると今度は頭の中で描きだした自分なりの美のイメージを具体的
に表現したくなる。そこで歌や踊りで表象し、彫刻や絵画、土器や染織などで造形した。つ
まり芸術の誕生である。
一番古い芸術作品と呼べるものは南アフリカのブロンボス洞窟で発見された7万700
0年前の線刻のある土塊(オーカー)である(山形新聞、2002年1月11日)。
これ
がホモ・サピエンスの手によるものだとすれば、
現代人は出現当初から芸術を生み出す能力
を持っていたことになる。それを裏づけるようにフランスのショーベ洞窟で3万年以上前
に描かれた壁画を見ると芸術的な表現力は現代人と変わらない。1万年以上前につくられ
た縄文土器にもそれは当てはまるのである。
5500年前にメソポタミアやエジプトなどの四大文明が成立すると都市が建設され、
神殿やピラミッド、王宮などが築かれ、王宮に連なる綺麗な目抜き通りが整備された。神
殿や王宮、王侯貴族の邸宅などを飾る彫刻や絵画や陶器、さらには王侯貴族の身体を優美
に飾る衣服や装飾品など素晴らしい芸術作品が次々と生み出された。それと並行して庶民
の間で生まれた歌舞音曲も洗練されていった。さらには京都の東山に代表されるように、
神社仏閣などを際立たせるために周辺の植生にも手を加えて新たな景観までをも人為的に
つくりだした。そして都市で発達し洗練された芸術は周辺に波及し、庶民の芸術水準も向
上していった。
そうした芸術的活動は文明地域の住人だけに限られたものではない。今でも石器や弓矢
を用いて素朴な生活を営んでいるイリアンジャヤやアマゾンの住人たちも、美しい衣装と
装飾品を身に付けて我われの心を揺さぶるような歌や踊りを楽しんでいるし、生命感に満
ちた絵画や彫刻をつくりだしている。また芸術活動は特殊な才能に恵まれた一部の人々だ
けが担っているわけではない。人間ならば誰でも、うまい下手はあっても、基本的に歌う
ことができるし、踊ることができる。絵筆をもてば絵を描くことができるし、土に触れば
形をこねあげることができる。そして日常生活においても立ち居振舞いに美意識を働かせ
ている。こうした事実は現代人が芸術的能力を持った生命史上初の生き物であることを裏
づけている。そしてその出現は地球史的・生命史的必然だといえるのである。
3)環境破壊の元凶
現代人は美しくなってきた地球をさらに美しくするために進化した生き物であると判断
できるが、産業革命以降、工業先進国の住人が産業の機械化・工業化によって地域環境を
破壊し汚染してきたことも事実である。特にこの100年間、資本主義と工業化を世界的
に拡大することで問題を急速に深刻化させていった。しかも資源の収奪と市場の確保をめ
ぐって世界各地で侵略戦争を引き起こして、環境破壊に拍車をかけた。しかし過去数万年
の美術史を概観すれば明らかなように、現代の環境破壊は決して人間の本質に根ざした必
然的現象ではないといえる。むしろ、ごく短期的な異常事態だと見なすことができる。そ
の証拠に今でも我われの圧倒的多数は「美を愛する心と生みだす技」を失っていない。ま
た個人的な虚栄心をくすぐり大量消費を煽ることに専念する人々に対して、心ある多くの
芸術家が作品を通じて環境保護を強力に訴えているのである。
にもかかわらず現実には1992年ブラジルのリオで開催された「地球サミット」以降
も状況は加速度的に悪化している。その元凶は、人間社会にも生物界の競争原理が貫徹し
ているゆえに、勝利者のみが幸福を得る権利を持つという西欧近代発の幻想(15)が世
界を席巻していることである。その結果多くの現代人が低劣な物欲の罠に陥って、人間の
本性すなわち美を創り出す心と技を見失ってしまっている。これが「人間疎外」の本質で
あろう。
現状に危機感を覚える人々が「このままでは地球が壊れる。地球を守れ」と声を上げて
いる。しかし地球の歴史からすれば、この程度のことで地球が壊れるはずはないし、40
億年の生命の流れが途切れるはずもない。最終的に被害を蒙るのは人間であり、巻き添え
になる一部の生き物である。
とは言え絶滅前の生き地獄を味わうのは決して環境破壊の当事者たる我われではない。
今は姿形もない孫やひ孫を含めた将来世代である。彼らは環境破壊と資源枯渇と引き換え
にもたらされた肉体的な利便性・快楽性といった果実を味わうことなく、荒廃しきった大
地と毒物で汚染された水と食べ物といった負の遺産によって、真綿で首を絞められていく
ように何世代もかけて衰退していく。トキが身をもって示してくれたように、絶滅とは決
して一瞬にして生じる出来事ではないのである。しかも最後の子孫が孤独に息絶えたとき、
現代人の絶滅を惜しみ悲しむ声はどこからも上がらない。ただ生命史上初めて自滅した生
き物という不名誉な記録を地層に残すのみ。
なぜならば遠い将来、以下の理由で我われの墓は必ずあばかれるからである。すなわち
現代人がいかなる形で絶滅しようとも、今後5億年間、天−地−水の循環の基本パターン
は変わらないので、環境はただちに浄化される。そして生き物は今まで通りに進化の道を
歩んでいく。つまり知能を発達させていく。だとすれば、かなり高度に知能を発達させて
いた恐竜が絶滅してから6000万年後に人類の祖先が出現し、500万年間で急速に知
能を発達させてきた古生物学的事実から判断すれば、1億年以内に次の知的生命体が必ず
出現すると予測できる。彼らは出自を探り将来を予見するために、我われと同じように地
層に記録された地球史・生命史を解読するはずである。すると彼らの時代から1億年前の
地層にはホモ・サピエンスの出現から絶滅にいたるまでの経緯が記録されているので、我
われの絶滅の原因は詳細に解析され、生命史的観点から評価を下されるのである。
4)問題解決の方向
しかしながら、いくら将来世代と言われても「秒進分歩」の時代にあっては孫くらいま
でならば具体的な姿を思い浮かべることはできても、ひ孫より先の将来世代を実体として
思い描くことはできない、という人は多い。だが我われの身体をつくる生元素が天−地−
水の循環によって供給されていることを知れば、将来世代の「素」が身近な田んぼや畑さ
らには周囲の山々や川に潜んでいて、この世への出番を待っている様子は容易に思い描け
るはずである。すると有毒な排気ガスや廃棄物で天−地−水を汚したり、大規模土木工事
や化石燃料の大量消費などによって循環を阻害したりすることは、将来世代の身体を傷つ
け首をしめる行為に他ならないことが明瞭に理解できることになる。
当面の解決策はあらゆる意味での節約である。先進国における加速度的なエネルギーと
資源の浪費を抑え、死の灰や塩素系化合物、重金属などの毒物の生産と使用を中止するた
めである。そして環境保全型の農業の振興をはかり、発展途上国と協力して平和的に人口
増加を抑制し、巨大都市に集中した人口を再配分することである。
いかにも平凡なこの提言に対して、社会的競争の勝者となって自由を勝ち取りたいと願
う人間の欲望こそが進歩の原動力である。それは人間の本能であるから決して否定できな
い。競争の自由を奪えば必ず社会は沈滞するし、欲望を圧殺すれば不満が高じて争いが起
こる。失敗するのは歴史的に明らかだと反論する人は多い。
だが山形県と新潟県に残された即身仏は、大いなる欲望は宗教的に昇華させることがで
きることを明示している。生身の人間が仏となって衆生を救う、という傲慢ともいえる個
人的欲望は長年の修行と断食によって、つまり社会的競争ではなく自己との対決によって
成就したからである。しかも達成過程で物資や人命を浪費したわけではない。徹底した節
制と節約が実践されたのである。
同じことは芸術的な創造活動にも適用できるはずである。個人が理想とする美を造形す
るためには、時間こそふんだんに費やされるが、エネルギーや資源が浪費されることは無
い。環境が汚染されたり破壊されたりすることも無い。また平和がもたらされることはあ
っても、戦争が引き起こされることは決してない。しかも芸術的な創造性の基盤となる言
葉と知識は過去数百年間で膨大に蓄積されてきた。とりわけ我われを取り囲む物質世界の
構成や構造、機能などに関する科学的知識の増大は著しい。それにともなって「不確定性
原理」や「プレートテクトニクス理論」といった新しい考え方も生みだされている。しか
も情報技術の進展によって、それらは今までになく利用しやすくなっている。さらに芸術
は現代人が偶然身につけた特殊な能力ではなく、地球史・生命史的な必然であるらしいこ
ともわかってきた。また人類がいかなる形で絶滅しようとも、その歴史的意義は必ず1億
年後の知的生命体によって評価される可能性が高いこともわかってきた。
従って今こそ人間全体が生命史的な使命として芸術に取り組む時代であると言えよう。
芸術を通じて現代の危機を克服し、さらに地球を美しくしていくことができれば、たとえ
近未来に隕石衝突のような不可抗力で絶滅したとしても、美を作りだした史上初の生き物
として1億年後の知的生命体に感動を与えることができるからである。
5.おわりに
40億年前に誕生したたった1種類の単細胞生物が今や6000万とか8000万とい
う種類に増えている。この古生物学的事実は「弱肉強食」が自然界の掟だという世の常識
に反して、生き物が「共存共栄」を原則として地球自体の進化に適応してきた結果である
ことを示している(16)。現に自然界を詳しく見れば見るほど「一人勝」は起こっていな
い。一人勝ちすると仲間がいなくなって立ち枯れてしまうからである。いまなお人々を呪
縛し競争意識を煽りつづけている西欧近代発の社会ダーウィニズムは明らかに破綻してい
るのである。
従って地球史と生命史を扱う地球科学者は、ただ単に地球の仕組と実態を啓蒙するだけ
では責務を十全に果たしているとは言えない。過去数十年間の地球科学の進展がもたらし
た新しい自然観・生命観にのっとり、将来世代を救い次の知的生命体に感動を与えるとい
う観点から、現代人が出現した意義と果たすべき役割を大胆に語るべきであろう。
6.謝辞
本稿は2003年5月7日近畿地方発明センターで開催された NPO シンクタンク京都自
然史研究所・協賛会総会における講演内容を大幅に修正し加筆したものである。講演の機
会を与えてくださった西村進所長に感謝する。また平成14年度鶴岡致道大学「新しい風
景をつくる」における松井孝典教授(東京大学大学院)との対談「人間圏の未来像をめぐ
って」(7月5日)で、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスについて本稿執筆に係わる
新知見を得ることができた。対談の機会を与えてくださった北村昌美大学長(山形大学名
誉教授)と松井教授に感謝する。
7.参考文献
(1) NHK取材班(1994)
:
『NHKサイエンススペシャル
生命40億年はるかな
旅』(全5巻)、NHK出版
(2) ダグラス・パルマー〔五十嵐友子訳〕
(2000)
:
『生物30億年の歴史』、Newton
Press、222p.
(3) Newton 編(2002)
:
『進化からDNAへ
地球生命40億年の旅』、Newton Press、
192p.
(4) 長谷川眞理子(2002):『ヒト、この不思議な生き物はどこからきたのか』(ウ
ェッジ選書11)、ウェッジ、221p.
(5) NHK取材班(1987):『NHK地球大紀行1
水の惑星・奇跡の旅立ち/引き
裂かれる大地』、NHK出版、175p.
(6) 原田憲一(1999)
:第7章
日本列島の自然を守る水稲農業の再生、北原貞輔・
松行康夫編『環境経営論Ⅱ−自然環境と人間の存在』、207−232、財務税理
協会
(7) 富永健・立川涼・NHK取材班編(1989)
:
『NHK地球汚染フォト・ドキュメ
ント
私たちの住む地球が汚されている』、NHK出版、159p.
(8) NHK取材班(1987):『NHK地球大紀行5
移動する大砂漠/資源を産んだ
マグマ噴出』
、NHK出版、175p.
(9) 原田憲一(2001)
:発題Ⅲ
将来世代から見た資源・環境の公共性、佐々木毅・
金泰昌編『地球環境と公共性』(公共哲学9)、59−96、東京大学出版会
(10)原田憲一(1990):『地球について』、国際書院、373p.
(11)原田憲一(1995)
:地球物質循環からみた太陽エネルギーの意味、太陽エネル
ギー、24(4)、24−28.
(12)最新科学論シリーズ27(1995)
:
『世界を変える生命圏進化論』、学研、18
3p.
(13)奈良貴史(2003):『ネアンデルタール人類のなぞ』(岩波ジュニア新書)、岩
波書店、182p.
(14)R.ルーウィン〔保志宏訳〕
(2001)
:『ここまでわかった人類の起源と進化』、
てらぺいあ、238p.
(15)原田憲一(1996)
:第5章
崩壊する近代科学の神話、梅原猛編『新たな文明
の創造』(朝倉講座「文明と環境」第15巻)、76−93、朝倉書店
(16)原田憲一(2003):地球史が教える若者の生き方、『高校生文化フェスティバ
ル
発見!やまがたのすごい人
京都造形芸術大学・芸術学部
報告集』、6-17、山形県教育委員会
〒606−8271京都市左京区北白川瓜生山2−116
Faculty of Art, Kyoto University of Art and Design
キーワード:地球史、生命史、人類史、芸術、物質循環、土壌、環境問題